2019年5月4日土曜日

記事紹介|変えるべき戦後レジームは憲法ではなく、むしろ地位協定ではないのか

安倍首相はきのう、憲法改正を求める集会にメッセージを寄せ、改めて改憲への強い意欲を示した。

「国民こぞって歴史的な皇位継承を寿(ことほ)ぐ中、令和初の憲法記念日に」と切り出し、「令和元年という新たな時代のスタートラインに立って、この国の未来像について、真正面から議論を行うべきときに来ている」と語った。

言うまでもなく、改元と改憲には何の関係もない。祝賀ムードを利用して改憲機運をあおるのは厳に慎むべきだ。

憲法は国の骨格であり、それを改める議論は、主権者である国民が主導し、幅広い理解を得ながら進めねばならない。

特にこの憲法は、内外に大きな惨禍をもたらした先の大戦の反省を踏まえ、敗戦国・日本が新たな国として再出発した原点である。「昭和」から「平成」「令和」へと元号は移っても、変わらぬ重みを持つ。

沖縄の重い問いかけ

一方で、戦後日本の安全保障には、日米安全保障条約というもうひとつの柱がある。憲法の下、専守防衛を基本とする日本を米国が補完する構図だ。

憲法と安保。両者は矛盾を抱えながら、日本の針路に大きな影響を与えてきた。

その安保条約に基づき、在日米軍にさまざまな特権を認めているのが日米地位協定だ。日本が独立を回復する直前に結んだ日米行政協定をほぼ引き継ぎ、基地の自由使用を最大限保障した。1960年の締結から一度も改正されていない。

「沖縄では憲法の上に日米地位協定がある」。昨年夏に急逝した沖縄県の翁長雄志(おながたけし)前知事は生前、そう語っていた。

在日米軍専用施設の7割が集中する沖縄では、米軍人・軍属による殺人・強姦(ごうかん)などの事件や事故が後を絶たない。ところが地位協定によって日本側の捜査には厚い壁がある。騒音被害や環境汚染にも、有効な手立てを打つことができない。

翁長氏は、16年6月の沖縄慰霊の日の平和宣言で、こう訴えたことがある。

「沖縄県民に、日本国憲法が国民に保障する自由、平等、人権、そして民主主義が等しく保障されているのでしょうか」

沖縄を訪ねた菅官房長官に「『戦後レジームからの脱却』とよく言うが沖縄では『戦後レジームの死守』をしている」と怒りをぶつけたこともあった。

重い問いかけである。

憲法の理念に、地位協定が「穴」をあけているように見える。変えるべき戦後レジームは憲法ではなく、むしろ地位協定ではないのか。

首都上空の「空の壁」

日本の主権や憲法の保障する人権に制約があるのは、沖縄だけのことではない。

首都圏の西側に日本列島を横切る巨大な「空の壁」がある。横田基地の米軍が管制権を握る「横田空域」である。

東京、神奈川、埼玉、新潟、静岡など1都9県にまたがり、羽田や成田に発着する民間機は米軍の許可なく通過できない。20年の東京五輪・パラリンピックに向け、羽田発着の国際便を増やすための飛行ルートの新設にも米軍の了解が必要だった。

広大な空の主権を米国に明け渡し、今もそれが続くのは正常な姿とは言いがたい。

山あいを縫うように飛ぶ米軍機の低空飛行訓練も、北海道から沖縄まで日本全土に設けられたルートで日常的に行われている。日本政府への連絡もなく、やりたい放題だ。

実際、高知県の早明浦(さめうら)ダムや岩手県釜石市の山中で、低空飛行していた米軍機が墜落事故を起こしたこともある。高知県は先月、低空飛行の目撃情報を踏まえ、訓練の中止と、事前の情報提供を河野外相、岩屋防衛相に要請した。

原則国内法の適用を

日米安保体制の意義は認めるが、地位協定によって住民の権利が脅かされている現状はこれ以上見過ごせない――。

そんな意識は、沖縄にとどまらず、全国47都道府県知事が共有するまでになった。

全国知事会は昨年夏、協定の抜本見直しを求める提言をまとめた。航空法や環境法令などの国内法を原則として米軍にも適用させる。事件・事故時の自治体職員の立ち入りを保障する。いずれも、住民の暮らしに責任を持つ自治体の首長として、当然の求めだろう。

昨年、公明党や国民民主党も改定案を示した。だが安倍政権は、あくまで運用改善で対応できるとし、米軍の特権を奪う協定改定には後ろ向きだ。

沖縄県の調査によると、日本と同じ敗戦国であるドイツ、イタリアは80年代以降、自国民の権利を守る観点から、米軍の活動に原則、国内法を適用するなどの見直しを実現している。

同じことが、なぜ日本政府にはできないのか。

同盟強化だけが日米関係ではない。住民の立場にたって憲法理念の穴を埋めていく。その作業に取り組む時だ。

記事紹介|いくつになっても、好奇心を持ち、新しいことにチャレンジする

今、40代、50代の人も、あるいは60代の人であっても、「デジタルが苦手」などと言っている場合ではない。

文系であろうと、理系であろうと、デジタルを使いこなさなければ、これからの世の中を渡っていけないからだ。

簡単な例で言うなら…

スケジュールを手帳ではなく「Googleカレンダー」等を使っていて、それを共有している人がいるか。

フェイスブックやブログなどのSNSや、LINEやフェイスタイムやGメールやメッセンジャーを使いこなしているか。

新聞や情報はスマホで常時取っていて、重要なメモはEvernote等に入れているか。

マネーフォワードなどの家計簿ソフトを使ったり、電子決済をスマホでしているか。

アップルウオッチ等のスマートウオッチや最新のウエアラブル端末あるいは、アレクサ(スマートスピーカー)等を使っているか。

飛行機やホテルや新幹線の予約がスマホでできるか。

ウーバーや、Airbnbなど、話題のアプリがスマホに入っているか。

等々、書き出せばきりがないが、50歳を過ぎるとこれらのことに興味がない人は驚くほど多い。

「デジタルデバイド」(情報格差)は今後ますます広がっていく。

いくつになっても、好奇心を持ち、新しいことにチャレンジする。

苦手意識を持たず…

何らかの形でデジタルに触れ、チャレンジする習慣を持ちたい。

2019年5月3日金曜日

記事紹介|STEAMを学べ

武士の時代にあって、この数学ができる実務者が登用されるという現象が、現代の官僚制のもとをつくったわけだが(この制度が機能しているかどうかは別にして)、現代における数学ができる実務者とは、ITやAIのリテラシーのある者だといえる。

ITやAIには、数学的(理系的)センスが必要だ。 

これは、経営においても同じで、専門的な知識は必要ないが、数学や論理学が理解できないと大きく活躍することはできない。

経営には数字やロジックが絶対に必要だからだ。

マイクロソフトのビル・ゲイツも子供の頃から、算数と理科が好きだったという。

アメリカの長者番付にランクインする人の多くが、技術系の出身だ。

成毛眞氏は「もっと理系のセンスを磨け」という。(AI時代の人生戦略 「STEAM」が最強の武器である /SB新書)より

『サイエンスやテクノロジーに無頓着であることは、命にさえかかわってくるわけだ。 

では、どうすればいいのか? シンプルに言おう。 

STEM+Aの「STEAM」を学べばいい。 

STEMとは、 サイエンス(科学)の「S」 、テクノロジー(技術)の「T」 、エンジニアリング(工学)の「E」 、マセマティクス(数学)の「M」 を並べた造語だ。 

今やアメリカの教育界でSTEMは常識になっているが、これに「A」を加えた「SETEAM」という言葉も生まれている。 

Aはアート(芸術)のAだ』

旧来の仕組みが大きく変わる現代、たとえ文系の人であろうと、理系的素養は必須だ。

大変革の時代、理系的センスを磨きたい。

2019年5月2日木曜日

記事紹介|チャンスを作る言葉

高校生の時のポケット抜き打ち検査で、私のポケットから大量の煙草の葉屑が出てきた。

先生は私の横を通り過ぎたが何も言わず教壇まで戻った。

一息ついて、

『おい藤澤、お前明日から5分早く起きろ』

『お前が寝坊するから、あわてて兄貴のズボンを穿いてくることになる。わかったか!!』

もちろんその日以来、私は煙草を吸ったことはないが、どうしてもあの先生にもう一度会いたい。

藤澤 泰尊


子どもに対してチャンスを作るのはこうした大人の包容力、寛容力なのでしょう。

悪いことを悪いと指摘したところで、言った本人は満足かもしれませんが、結果はどうなるかわかりません。

むしろ、目的に向かって自分のアプローチをどう変えるかが人間力の差なのでしょう。

こういう先生のようになりたいですね。

そういえば、東日本大震災のときに家族の安否がわからない後輩に対して先輩が

「今日、バイト休みだって」

と連絡した話を思い出しました。

「今日、休んでもいいよ」と言うよりも何倍も配慮のある言葉ですよね。

恩義|今日の言葉 から

2019年5月1日水曜日

記事紹介|働く意義

この国は今、「道しるべのない時代」を迎えています。

確かな指針を見出せない中にあって、少子高齢化や人口減少、地球環境問題など、過去に経験したことがない問題に直面し、人々の価値観そのものが、大きく揺らいでいるように見受けられるので。

人生の中でもっとも多くの時間を費やす、「働く」ということに関する考え方、仕事に対する心構えも、その一つなのかもしれません。

「なぜ働くのか」「何のために働くのか」…多くの人が今、働くことの意義やその目的を見失っているようです。

日々の仕事を進めるための技術やマニュアルは、あふれるほど用意されているのに、働くということに込められた、根本的な価値を明らかにすることは、ないがしろにされてきました。

そのため、今、若い人たちの間で、労働を嫌い、厭(いと)い、できるだけ回避しようとする傾向が顕著になっています。

たとえば、「一生懸命働く」「必死に仕事をする」といったことを意味がないとか、格好悪いと冷笑する人さえ少なくありません。

そのため、株の取引きなどで「楽して儲ける」スタイルに憧れを抱く人や、ベンチャーを起業するにしても、上場で一攫千金(いっかくせんきん)を果たし、若くしてリタイアすることがゴールだという人も増えているようです。

働くことを「必要悪」ととらえる考え方も、さも常識であるかのようにささやかれるようになってしまいました。

本当は働きたくない、しかし食べていくには、やむを得ないから働く。

だから、できるだけ楽に稼げればいい。

私は、働くことは「万病に効く薬」…あらゆる試練を克服し、人生を好転させていくことができる、妙薬(素晴らしい薬)だと思っています。

自分が望んだり、招いたリしたわけでもないのに、思いもかけない不幸が次々に襲ってきます。

そのような苦難や不幸に翻弄されるとき、私たちは自らの運命を恨(うら)み、つい打ちひしがれそうになってしまうものです。

しかし、「働く」こと自体に、そのような過酷な運命を克服し、人生を明るく希望あふれるものにしていく、素晴らしい力が秘められているのです。

人間は、自らの心を高めるために働く…私はそう考えています。

「心を高める」ということは、お坊さんが厳しい修行に長年努めてもできないほど、たいへん難しいことなのですが、働くことには、それを成し遂げるだけの大きな力があるのです。

働くことの意義が、ここにあります。

日々、一生懸命に働くことには、私たちの心を鍛え、人間性を高めてくれる、素晴らしい作用があるのです。

「よく生きる」ためには、「よく働くこと」がもっとも大切なことです。

それは、心を高め、人格を磨いてくれる「修行」であると言っても過言ではありません。

心を鍛え、人間性を高める|人の心に灯をともす から