2008年11月29日土曜日

予算額目標から成果目標へ

去る26日、財政制度等審議会により「平成21年度予算の編成等に関する建議」が取りまとめられ、いよいよ予算編成も山場を迎えます。高等教育関係予算の実情、とりわけ国立大学関係については、これまでこの日記でも詳細にわたりご紹介してきました。

(参考)
国立大学予算の削減(1)http://daisala.blogspot.jp/2008/09/blog-post_8030.html
国立大学予算の削減(2)http://daisala.blogspot.jp/2008/09/blog-post_6691.html
訴求力に欠けた要望書 http://daisala.blogspot.jp/2008/11/blog-post_2283.html

日記の内容から国立大学を取り巻く大変厳しい財政事情がご理解いただけるのではないかと思うのですが、最近では、朝日新聞が報じた全国の国立大学長アンケート結果からも、各学長の本音を感じ取ることができます。この記事によれば、92%(77大学)の学長が、「法人化により国立大学間の格差が広がった」と回答され、「過去の資産のある大規模大に資金が集中している」「旧帝大は余裕があるため、新たな展開を可能にしている、格差拡大は『地力の差』にある」といった意見が寄せられています。また、法人化後の問題点として、「各大学とも毎年1%を目安に教育研究経費の効率化が求められ、全体として法人化した04年度より600億円もの運営費交付金が減額されたこと、一律削減により、もともと財政基盤の異なる旧帝大と地方大(特に教育系単科大)の格差が広がった」ことなどが指摘されています。このような厳しい状況の中、各大学は、例えば、運営費交付金の削減分を外部の研究資金や寄付金などで補う努力を続けてきているわけですが、ある学長が「外部資金獲得は大規模有名大学あるいは医理工系分野に有利に働く」と指摘されているように、地方大学の限界も垣間見えてきます。

国立大学に身を置く者の一人として申し上げれば、確かに国の時代に比べれば、いわゆる「人、物、金、スペース」といった資源の不足感は否めませんし、声を大にして社会に訴えることも必要なことです。しかし、それでは国立大学(の学長さん)は、国立大学とは縁もゆかりもない社会の人達、あるいは、私立大学に多額の授業料を負担している保護者からいただく運営費交付金という名の税金を無駄なく効果的に使っているのかと問われた時に、果たして1円単位できちんと説明、証明できるのか甚だ疑問の点があります。

国立大学の経営トップである学長さん方は、これまで、運営費交付金の削減で「資金が足りなくなり、教育研究や学生サービスに悪影響が出た」「教職員の定年退職後不補充により、特に卒業研究指導など教育への悪影響(が出ている)」「交付金の削減をやめ増大に転じることが必要」「高等教育の公財政投資を欧米並みに、現在の国内総生産(GDP)比0.5%から1%に増加させることが必要」といった国民の心に全く響かない具体性のない言葉のつながりを、教員出身者らしく能弁に語ってきましたが、それだけでは全く説得力がありません。「私達はここまでこういった努力や改革ををやってきた、しかしそれもこういった点で限界域に達している」ということを、客観的なデータなど、誰もが納得できる具体的なエビデンスに基づいて説明しなければ誰も理解してくれないのではないかと思います。多額の税金や学費によって賄われていることの意味を大学のホームページ等できちんと説明している国立大学はまだまだ少数のような気がします。

いみじくも、26日には、総務省政策評価・独立行政法人評価委員会から「平成19年度における国立大学法人及び大学共同利用機関法人の業務の実績に関する評価の結果についての意見」というものが公表されました。この中で、総務省は、国立大学法人評価委員会に対し、以下のような改善を求めています。
  • 公的研究費の不正使用の防止のための体制・ルール等の整備状況についての評価の徹底

  • 法人運営に影響を及ぼすおそれのある各種事項に対する危機管理体制の運用状況についての評価の徹底

  • 随意契約の適正化の一層の推進(一般競争入札の範囲の拡大、契約の見直し、契約に係る情報公開等)についての評価の徹底

  • 収入増やコスト削減の取組における数値目標の設定状況、国立大学病院管理会計システム(HOMAS)又はこれに類する会計システム等により得られた各種統計データの活用状況の把握・病院管理運営に関する実績等に関する評価の徹底
大学の中には、学長さんや役員さんの目には留まらない、留まってもあえて放置されている「あるべき姿と実態との大きな乖離」(=緊急に解決すべき課題)がいくつもあります。また、上記のように、大学の外からみた評価や会計検査院による無駄遣い検査において、毎年のように指摘されているにも関わらず手をこまねいている課題も少なくありません。今の国立大学には、予算(税負担)の増額を国民に求める前に改善しなければならない課題が山ほどあるのではないでしょうか。

法人化後、国立大学の財務会計制度が格段に改善されました。年度内に消化できない予算については、「経営努力」という美名のもとに翌年度に繰り越して使用することが可能になりました。平成19年度決算結果を受け、文部科学省が国立大学に繰り越しを承認した金額は、全体で約506億円に上ります。

(参考)
国立大学法人の07年度決算と08年度補正予算 http://daisala.blogspot.jp/2008/09/blog-post_4755.html

実に乱暴な試算をしてみます。平成19年度の繰越承認額約506億円を1大学当たりに平均すると約6億円になり、1大学当たり平成16年度からの4年間で約24億円のお金が余ったことになります。また、このお金は、平成22年度からの次期中期目標期間には繰り越せないようですから、全国の国立大学では、来年度までに概ね最大で、506億円×4年分=2,024億円もの税金を無理やり消化することになります。予算消化(予算の無駄遣い)に奔走するという悪弊の時代に逆戻りすることになります。予算が厳しく教育に支障を来しているという学長さん達のコメントとの整合性を国民はどう理解すればいいのでしょうか。

それでは最後に、「平成21年度予算の編成等に関する建議」における国立大学・私立大学に向けた厳しいご指摘をご紹介し、気を引き締めたいと思います。

●国立大学法人運営費交付金の配分方法の見直し等

国立大学法人については、我が国の国際競争力を担う大学から地域の教員養成大学まで、機能別に再編・集約を行い、国の助成を重点化させるべきである。こうした考え方を踏まえ、来年度の国立大学法人運営費交付金については、これまでどおり総額は厳しく抑制すべきである。

また、運営費交付金には学生数等に基づいて算定される部分のほか、各大学に裁量的に配分される「特別教育研究経費」(平成20年度(2008年度)予算790億円)があるが、内容は国公私を通じた「教育改革支援経費」(平成20年度(2008年度)予算680億円)と重複が見られる。この国公私を通じた「教育改革支援経費」はここ数年急激に額が増大しているが、運営費交付金における予算も含めて、類似の施策が多く見られることから、事業内容・対象大学数の見直しに取り組むべきである。

なお、今中期目標期間の業務実績評価については、大学別だけではなく、各大学の学部・研究科ごとの水準・達成度の相対評価が明確になるよう厳格に実施・公表すべきである。その上で、第2期中期目標期間に入る平成22年度(2010年度)以降の国立大学法人運営費交付金については、大学ごと、学部・学科ごとの相対評価を配分に反映させ、大学の成果・実績・競争原理に基づく配分が行われるよう見直すべきである。また、研究コストは競争的資金、受託研究や寄付で賄い、教育コストは学費等の自己収入で賄う方向に重点を移すべきである。

国立大学の授業料は、私立大学や諸外国に比べてかなり低い水準にある中で、既に4年間据え置かれており、教育研究コストを賄うため、第二期中期目標期間に向けて、引上げについて検討する必要がある。さらに、現在、ほぼすべての大学・学部で一律横並びの授業料となっているが、これについても見直しが必要である。

●私学助成の配分方法の見直し

私立大学は、学生数が減少を続ける中で、大学数は増加の一途をたどっており、定員割れが全大学の5割近くに上っている。今後は、各大学において、経営の効率化、戦略の明確化が早急に求められ、私学助成も、これまでどおり歳出削減を進める中で、こうした取組を促す配分を行う必要がある。

先般、中央教育審議会において、我が国の大学の量的規模について議論が開始されたところであり、今後、参入要件の見直し、既存大学の再編・統合の必要性も含めて、議論を注視していきたい。

2008年11月26日水曜日

格差社会と学費の問題

景気の低迷による国民生活への影響が益々深刻化している現在、「政局より政策」を標榜していたはずの政府の無策に近い対応は、結局は選挙対策の感が否めず、景気回復へ向けた多くの国民の期待を裏切るばかりか、次第に苦しみの奈落へ引きずり込もうとしています。特に、所得の格差拡大は、憲法で保障された「教育を受ける権利」をも否定するかのような社会現象を生じさせています。

家計に置きかえてみればわかりやすいかもしれません。子ども達の将来を保証することになるであろう教育に可能な限りの投資をしておきたいと考えるのは親心としては一般的なことですし、現に我が家では、お父さん(私)の小遣いが母親の独断と偏見でいつの間にか娘の習い事の月謝に転換されていきます。なんとも情けない話ではありますが、これが、高等教育に係る学費の問題ともなると、その金額の大きさから、お父さんのお小遣いを節約するどころの話ではすまないことになります。最近では世相を反映してか、家計に与える教育費負担の問題を取り扱う記事が目につくようになってきました。

1,024万円 高校入学から大学卒業までの教育費(2008年11月16日 東洋経済)

「国の教育ローン」を利用した勤労者世帯(平均年収622万円)を対象とした日本政策金融公庫の調査によると、高校入学から大学卒業までの7年間の教育費は子ども1人当たり1024万円(私大理系の場合は1141万円)に。自宅外からの通学となると、これにアパート等の入居や家財道具購入のための48.6万円、年間96.0万円の仕送りが加わる。対象世帯には小学校以上に在学している子どもが平均1.8人おり、彼らにかかる在学費用の世帯年収に対する割合は平均34.1%。年収200万~400万円の世帯では55.6%にもなる。しかも、これら学齢期の子どものいる世帯の6割近くが住宅ローンを抱え、上記在学費用とローン返済額との合計は、世帯年収の45.9%もの規模となっている。
全文→http://www.toyokeizai.net/life/living/detail/AC/4d3d5b7cbda4fa963408537dae158d54/


私立大下宿生は214万円 入学費用、国立自宅の2倍(2008年9月30日 共同通信)

今春の大学、短大の新入生が出願から入学までにかかった受験費用や学費、住居費などの総額の平均は、国公立大の自宅生の109万円に対し、私立大下宿生は214万円と約2倍の差があることが30日、全国大学生活協同組合連合会の調査で分かった。調査によると、最も安かったのは国公立理系の自宅生で106万円。最高は私立医歯薬系の下宿生318万円で、差は3倍に及んだ。次いで私立理系の下宿生238万円、私立医歯薬系の自宅生212万円など。自宅・下宿別でみると、国公立大は自宅生109万円に対し、下宿生190万円。私立大は自宅生130万円、下宿生214万円だった。
全文→http://www.47news.jp/CN/200809/CN2008093001000908.html


このように家計に占める教育費の割合は大きく、今後、少子高齢化の進行に伴い顕在化してくる医療・年金・介護といった社会保障費の国民負担の問題とともに、私達国民は更なる生活苦を余儀なくされる可能性があります。では、私達を苦しめる「教育費の家計負担割合」が高いのはどうしてなのでしょうか。その理由について触れた3つの記事をご紹介します。

家計負担が重い日本の教育費(2008年10月9日 産経新聞)

経済協力開発機構(OECDD)が発表した『図表でみる教育OECDインディケータ(2008年版)』によれば、全教育機関に対する国や地方自治体などによる公財政の割合は加盟国平均で85.5%ですが、日本は68.6%と、比較できる26カ国中24位という低さでした。学校段階別に見ると、低いのは幼稚園など「就学前教育」と、大学などの「高等教育」です。高等教育の場合、日本は、公財政支出の割合は33.7%(加盟国平均73.1%)という低さです。高校まではともかく、それ以上の学校へ進むには、先進国の中でも最も家計負担の重い国の一つなのです。この理由として最も大きいのは、教育に対する公財政支出が少ないことです。国内総生産(GDP)に対する公財政支出の割合は3.4%(同5.0%)で、ギリシャにも抜かれて、比較できる28カ国のうちで最下位になってしまいました。実は経済規模に比して、教育に最もお金をかけていない国だ、というわけです。また、公的なものはもとより、民間の奨学金なども、諸外国に比べればそれほど充実しているわけではありません。一方で、大学などの授業料は比較的高いグループに入っています。高い進学率は、重い家計の負担によって成り立っているというわけです。
全文→http://sankei.jp.msn.com/life/education/081010/edc0810100055002-n1.htm


視点・論点「競争社会」と「連帯社会」(2008年11月24日 NHK解説委員室)

フィンランドでは、大学生に月7万円とか9万円とかの生活費が支給されるということです。学費はもちろん無料ですので、大学に行きたい人はだれでも自活しながら通学することができるということになります。大学の授業料が無料というのは、フィンランドだけではありません。北欧はもちろん、欧州諸国のほとんどで無料になっています。もちろん、これらの国では、大学だけが無償なのではなく、小学校から大学までの教育が、原則として、すべて無償です。教育費が高いのは日本とアメリカです。ここには、教育に関する基本的な考え方の違いが存在しているといえます。フィンランドのような無償の教育制度がとられているのは、大学の教育が、教育を受ける本人の利益になるだけではなく、社会全体の利益にもなる、という考え方があるからです。他方、日本やアメリカでは、教育の利益を受けるのは個人であり、その個人または親が、教育費用を負担すべきだと考えられています。つまり、この日本やアメリカのような考え方を基礎にする社会は、社会を個人の利益を中心に構成する「自己責任」の社会であるということができます。そして、「自己責任」を基礎とする社会では、教育だけでなく生活のさまざまな部面で個人に対する強いストレスがかかることになります。さらに、そうした社会では、すべてのひとが少しでもよい生活をしたいと考えますので、個人の間に、あるいは、家族と家族との間で、さらには子どもと子どものあいだでも激しい競争が生まれます。こうしたわたしたちの社会を「競争社会」ということができるとすれば、フィンランドや北欧の諸国は、それとかなり違った原理を基礎にした社会であるということができます。そうした社会のあり方を、仮に「連帯社会」といっておきましょう。「協力社会」とか「共同社会」とかいうこともできるかもしれません。そこでは、個人が互いに協力して支えあう、助け合うということが、より重要な原理になるのです。
全文→http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/14084.html#more


教育条件 世界と差 日本81万円 仏2万円-国立大学費(2008年6月29日付 しんぶん赤旗)

なぜ日本では、教育予算が低く抑え込まれてきたのでしょうか。「『財政難だから』という政府の説明は違います。『教育は国民の権利だから公費による教育を拡充する』という考え方がないからです」。近畿大学の土屋基規教授(教育行政学)は言います。憲法第26条は「義務教育の無償」を定めています。ところが政府は「これは国の努力目標を定めた条文で、個々の国民に具体的権利を与えるものではない」という解釈を続けてきました。1964年2月の最高裁判決は「義務教育の費用はすべて国が持つべきものではなく、親も応分の負担をすべきだ」との見解を示しました。この後「無償」の範囲は公立義務教育学校授業料と教科書代に限定され、「教材費や給食費などは家庭が負担して当然」という流れがつくられました。1971年の中央教育審議会(文相の諮問機関)答申は、大学学費について「大学教育で利益を得るのは学生だから、費用も学生が負担すべきだ」という「受益者負担」論を提唱。この後、学費はうなぎ上りとなり、現在は70年比で国立大で45倍、私大で9倍にもなっています。80年代からは臨調「行革」の名の下に教育の民営化や規制緩和が進行。小泉「構造改革」がこれを加速させました。「良い教育を受けたければ自己負担を」という「受益者負担」論は、いっそう強められています。「政府は、親の教育熱心さにもつけ込み、教育の私費負担を増やしてきました」。こう話す土屋教授は、「70年以降、国の行政費に占める教育費の割合は、75年の12%台をピークに、現在8~9%台まで下がっています。中等・高等教育の漸進的無償化を明記した国際人権社会権規約第13条2項(b)(c)もルワンダ、マダガスカルと並んでいまだに留保している恥ずかしい状況です」と批判します。
全文→http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-06-29/2008062903_01_0.html


それでは、以上のような厳しい現状を解決するために、国や大学現場ではどのような検討や努力が行われているのでしょうか。昨日、廃止の方向が明らかになった「教育再生懇談会」における動き、次に、学生への代表的な経済支援策である「学費の免除」の現実を指摘した記事をご紹介します。

教育の負担軽減策を議論へ=教育再生懇(抜粋)(2008年9月22日 時事通信)

政府の教育再生懇談会(座長・安西祐一郎慶応義塾塾長)は22日、首相官邸で会合を開き、大学教育改革に関する議論を行い、低所得層の保護者の下で育った子どもでも希望通りの大学で学べるよう、教育費の軽減策などについて年内にも提言をまとめる方針を決めた。懇談会では今後、奨学金や授業料免除など、私費負担を軽減するための仕組みについて検討。会合後、教育再生担当の渡海紀三朗首相補佐官は「能力のある子どもが家庭の経済状況で格差が生じる事態について考えていかなければいけない」と話した。


国立大学授業料の全額免除 申請者のわずか28% 2割超が受けられず(2008年11月18日 しんぶん赤旗)

国立大学で2008年度前期の授業料の免除申請をした学生のうち、全額免除を受けられたのは28%で、半額免除を含めても78%であることが本紙調査でわかりました。免除を申請した人のうち、2割以上の学生が免除を全く受けられない実態が浮き彫りになりました。国立大学の授業料は年間53万5千8百円(前期分は26万7千9百円)。高すぎて負担できないため、免除を申請する学生が年々増える傾向にあります。大学側は少ない予算の中で、全額免除者を減らし、半額免除者を増やすなど、苦しい対応を迫られています。
全文→http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-11-18/2008111801_01_0.html


(以下は新聞からの切り抜きです。)

国の予算枠引き上げを(三輪定宣 千葉大学名誉教授の話)

授業料免除率が6.7%と低く、申請者の2割が却下されていますが、これは予算枠5.8%の制約によるのでしょう。授業料免除率は、1982年度の12.5%から半減している半面、この間、授業料は2.5倍(消費支出1.2倍)に急騰しているので、授業料に見合って予算枠を20%程度に引き上げてもよいのです。そうすれば、今日の貧困・格差拡大のもとで申請者、免除者が急増するはずです。1980年代からの「行政改革」「構造改革」や「受益者負担」政策のしわ寄せがここにも及んでいます。

切実です「学費軽減」 国立大学授業料免除 申請者が急増、半額免除増やす

貧困の広がりのもと、授業料減免の申請者は年々増加傾向にあります。申請者の増加が著しい大学では、全額免除から半額免除に移行して多くの学生が免除を受けられるように対応しています。その傾向が顕著な大学の一つが秋田大学です。04年度前期に323人(全学生の6.9%)だった申請者は08年度前期には621人(12.5%)に。それにともない全額免除者を240人から15人に減らし、半額免除を54人から563人に増やしています。減免を申請したが、成績を理由に受けられなかった学生のため、同大学教育文化学部では昨年から学部独自で一時的に無利子で貸し付ける基金をつくっています。教員や同窓会に資金を募りました。教育文化学部教授で秋田大学教職員組合委員長の佐藤修司さんは「家計が苦しい学生はアルバイトで忙しく、勉強する時間も取りにくい。成績で線を引くのでなく、困窮している学生を救うために設立した。授業料を下げるとともに、経済的に困難な学生を全額免除にできるよう、減免枠の拡大とその分の運営費交付金増が必要だ」と話します。全学免除と半額免除の間に75%免除する制度を設けている大学もあります。福島大学では08年度前期の申請者は12.8%で全学免除者は1.6%、75%免除者は1.5%、半額免除者は7.5%でした。担当者は「申請者の増加にともない半額免除者を増やすことで多くの学生が免除されるようにした。半額免除になった学生のなかで困窮度の高い学生に上乗せする措置を取っている」と話しました。

京大は減免制度拡大「検討中」

本紙調査に回答した大学のうち、成績にかかわりなく経済的理由により、授業料免除を受けられる制度があるのは、東京大学と京都大学(後期)でした。今年度から世帯年収400万円以下(4人家族)の学生の授業料を全額免除する制度を開始した東京大学では申請者数、免除者数とも過去5年間で最も多くなりました。全額免除者は前年同期と比較すると約1.7倍に、半額免除は約4倍になりました。京都大学では、05年から経済的に困っている学生が後期授業料の.全額免除を受けられる制度を始めています。この制度により3年間で139人が免除されています。来年度減免制度を拡大する計画があるかどうかを開いたところ、京都大学は減免制度の拡大を「検討中」と回答しました。

成績を考慮した大学独自の免除制度を導入する大学もあります。広島大学では06年から、「成績優秀学生奨学制度」を設置し、後期分の授業料を免除する制度を導入し、3年間で241人が受けています。08年度新入生からは入学金、授業料の全額免除、毎月10万円の奨学金の給付を行う「広島大学フェニックス奨学制度」を始めています。岡山大学でも全学生の1%が受けられる独自の授業料免除制度があります。東京学芸大学では授業料免除申請者で免除を受けられなかった学生を対象に選考する独自奨学金のほかに来年度から学費軽減の一環として「教職特待生制度」を開始します。成績優秀者や家計急変者のための独自の奨学金制度があると答えた大学は回答のあった55大学のうち21大学でした。

2008年11月25日火曜日

ちょっと一息

この日記を書き始めてちょうど1年が経過しました。飽きっぽい性格の割にはよく続いたものだと妙な達成感に浸っていたところ、先週末、日記の内容についてクレームが入りました。クレームをいちいち公表することはいたしませんが、要は、最近の私の日記に関して「他人が書いた論考を長々と丸写しするのは問題ではないか」というご意見でした。著作権等を侵害する行為ではないかとのご指摘なのでしょう。

確かにこの日記では、これまで、私が読者の皆様にお勧めしたい論考等を抜粋又は全文転載する形でご紹介してきました。これは、私の未熟な文章による説得力のない主張をご披露するよりは、識者の方々が書かれた原文をお読みいただくことが何よりも適切と判断したことによるものです。もちろん、引用させていただいた論考等は、インターネットや雑誌等で広く公開されているものですし、著者のお名前や出典を明らかにするなど、著作権等の侵害や悪意による引用といった疑念を抱かれないように留意してきたつもりでした。

しかし、残念ながら厳しいクレームを頂戴することになりました。先週末からクレームへの対応、つまり、この日記を有益な情報として読者の方々に受け止めていただくためには、今後どのような編成内容にすべきなのか考えてきましたが未だ答えを得ることはできていません。この日記の存続にかかわる重要な課題だと思いますので、少し時間をかけて試行錯誤していきたいと思います。

2008年11月18日火曜日

求められる管理職像-1

前回の日記でも触れましたが、「やる気の湧く職場」を創造していくために「幹部職員の養成」が不可欠であることは論を俟たないところです。

今回は、日本福祉大学常任理事の篠田道夫さんが「文部科学教育通信」(No206、207)に寄稿された「戦略経営の確立に向けて-リーダーシップの確立-」をご紹介します。

戦略を遂行していくためには、リーダー(理事長や学長に相当するのだろうと思いますが)の強いリーダーシップ(先見性のある戦略の明示と構成員への浸透、そのための組織化)が求められ、戦略を重点課題ごとに組織や個人に分配し具体化し実践の課題に落とし込んで行動指針にまで高め、組織的に実現する「戦略の分配」が必要であること、また、戦略の実現のためには、現場のニーズや問題点、競争環境を把握している中堅幹部が戦略策定にも参画し、かつ策定後はその実践の先頭に立つことが求められること、そして大学現場ではどのような管理者像が求められるのかなどについて指摘されています。

リーダーによる戦略の分配

こうした戦略を遂行していくためには、当然、強いトップのリーダーシップが求められる。今日のリーダーに求められるのは、先見性のある戦略を明示すること、構成員に戦略を浸透させ納得を得ること、そして構成員の行動を目的達成に向けて組織することである。

トップには戦略への確信、責任感、信頼性、そして先頭に立って改革を推進する強い姿勢が求められる。しかし戦略は一人では実現できない。ここに戦略の分配という手法がとられることになる。戦略をテーマごと重点課題ごとに組織や個人に分配し、具体化し、実践の課題に落とし込んで、行動指針にまで高め、組織的に実現するための手法である。分配に当たっては、戦略の全体目標と分配する部門目標との関係性や整合性を明確に説明づけることがポイントとなる。戦略の部門における位置づけや意義の理解を前提に、分配する組織や人(責任者)の特定、期限の明示、権限の付与等が必要である。大学においては、これらの分配は会議体で行われることが多いが、一般に課題遂行責任(者)や期限が曖昧な場合が多い。方針や政策を会議体で決定する場合、「誰が、いつまでに」を常に意識的に明確にすることが、実行性を保障する最大の要件である。

その上で、この戦略の具体化(分配)を担う経営、管理運営組織をどう編成するか、この意思決定システムの迅速化、運営の効率化、責任体制の確立もまた重要な要素である。大学の管理運営を同僚制、官僚制、法人性、企業性の4つに分類するマクネイの大学組織モデルがある。政策方針を明確に策定し、その実施を構成員に強く求める「法人性」の組織モデルから、戦略の共有を前提に、環境変化や顧客ニーズの変動に、現場で敏感かつ柔軟に対応できる「企業性」組織モデルヘの移行が、今日の組織運営改革のひとつのテーマといえる。明確なトップからの戦略設定(分配)とその実践における分権化の新たな組織体制の構築、大学組織におけるトップと現場の権限委譲と新たな接合システムの創造が重要な検討課題となる。

チェンジリーダーの重要性

また、戦略の実現を実質的に担う幹部層、特に中堅管理者の役割、レベルアップは、実践的には極めて重要である。大学ではトップダウンも求められるがボトムアップも不可避で、この接合なり融合が重要となる。その接合の中核を担うのは、戦略目標を理解しつつ現場も熟知しているミドル層(中堅管理者群)にある。ミドル層を戦略の具体化と実現の中核部隊と位置づけ、ここを基点にトップとつなぎ、課員を業務遂行に組織し、戦略の創造的実践を行うのが現実的である。これがミドル・アップダウン・マネジメントによる運営だ。現場のニーズや問題点、競争環境を把握している中堅幹部が戦略策定にも参画し、かつ策定後はその実践の先頭に立つ。それをトップが効率的に統制することを通じて戦略の実現を行うのが戦略の分配の本質である。大学改革推進の中核を担う教員・職員幹部のレベルアップ、能力育成、この層の厚さこそが問われている。多忙な現実業務に苦闘しているミドル層の目標実現への目線の高さが、戦略の水準を決める。単なる管理サイクルを回すだけの管理者から、戦略目標に従って現場を実際に変革する、新たな事業を創造する、これを課員を巻き込みながら推進するチェンジリーダーこそが求められている。

戦略重点課題を構成員全員の業務課題に落とし、行動指針にしていくこと、すなわち戦略と個々人の業務課題の接合によって初めて、目標は実践される保障を得る。この遂行システムが目標管理制度でこの要にミドル(中堅管理者)が居る。仕事は常に定常業務と戦略業務に分けられる。前者は組織の維持に欠かせないが、後者は組織の発展、明日の存立にとって欠かすことはできない。全ての専任構成員が、日常課題とあわせ戦略的テーマを設定し、追求する政策型業務を中核に据えなければならない。そして、こうした改革型業務を作り出せるか否かは、まさにこの現場に居る管理者の資質、姿勢にかかっている。チェンジリーダーへの管理者の転換こそ、戦略経営を支える最も大きな力となる。

管理業務改善のための手法

では、管理行動の現状や問題点を客観的に分析・評価できるのか。その点で、三隅二不二氏(大阪大学教授・当時)が確立したPM(PerformanceとMaintenance)理論に基づくリーダーシップの科学的診断法は有効な手法だと思われる。その基本的考え方は、リーダーシップを映す鏡、客観的な測定は企業であれば自分の部下、教師であれば教え子であるという点だ。目標を実現させるために組織があり、それを方向づけるリーダーが生まれる。組織は目標を達成する行動を強めるほど個人を統制することとなり、その反発から常に崩壊の危機を内包し、それを抑える行動が強まるという二面のバランスの上に成り立っている。

三隅氏は、集団におけるリーダーシップを「集団の目標達成や課題解決を促進し、集団に胚胎する崩壊への傾向を抑制して、集団の維持を強化する機能」(『リーダーシップの科学」指導力の科学的診断法』三隅二不二著、講談社、1968年7月)と定義した。リーダーは資質より実際の行動様式によって評価は決まり、かつ機能や効果も測定できる。

PM論におけるP(パフォーマンス)は、集団における目標達成や課題解決に関するリーダーシップを意味しており、M(メンテナンス)は集団の維持に関するリーダーシップを指す。簡潔に目標達成行動と集団維持行動とも呼ばれ、この2つの次元の異なる行動の強弱や特性の分析によって、リーダーシップの実態、管理行動における強みと弱みやその生産性への影響を科学的に明らかにできるようになった。

もちろん職場の違いによりPとMの力点の置き方は違ってくるが、このバランスの取れたリーダーが高い業務遂行能力を持つことが調査の積み重ねで立証された。その測定は部下への職階・職種別の調査票(アンケート)による上司の評価という形で行う。

監督者の管理行動として、Pについては、計画や目標、期限等に関する指示や報告の強弱、仕事をする上での環境や状況把握、計画化や指導の強さ、適切さについて聞き、またM行動については、部下の意見をよく聞くか、その実現に努力し、信頼し、公平に扱い、気を配り、好意的かというような点でその度合いを聞いている。これにより管理者本人の意図とは別に、部下がそれをどう受け取っているか、管理行動の客観的特性が浮かび上がることとなる。

今日の大学職場では特に改革提言力、目標達成行動とそのマネジメントが求められるが、これを目標達成行動と集団維持行動に分け、各大学が求める管理者像に従って設問し職員に調査することで管理行動の実態はかなり客観的に把握できる。この実態把握や評価改善提案は、部下との信頼関係を持って組織を牽引できるリーダーの育成に大きな意味を持つ。

ドラッカーも、リーダーは資質や能力でなく行動様式だとして、1)ポストを地位でなく仕事とみなし、唯一使命と目標に沿って判断、行動すること、2)特権ではなく責任と捉えていること、3)信頼されること、その前提に賢さよりも一貫性があること、の3要件をあげている。管理者の資質として考えさせられる基本点である。(文部科学教育通信 No206 2008.10.27)

大学管理者像の模索

大学職場ではどのようなリーダーシップ、管理者像が求められるのか、数少ない提起の中から、孫福弘氏(大学行政管理学会初代会長)の提案「経営革新をサポートする職員組織の確立を」(『BetWeen』2004年6月号、特集「リーダーシップが生きる職員組織」)を手がかりに考えてみる。

ここで孫福氏は、管理者の有り様を、1)経営トップ、2)それを支える経営陣、3)行政管理職層(アドミニストレーター)、4)現場専門職層、の4層に分けて論じている。

まず、1)の経営トップリーダーについては、組織の使命・目標を構成員やステークホルダーが理解し、納得できる革新的ビジョンとして提示できる力が求められている。選挙や世襲では、こうした適任者の選任にはマイナス面があり今後の課題だとした。2)のトップを支える経営陣については、担当役員制など業務領域ごとの管轄権限を明確にした経営遂行体制の整備が提起されており、そのための責任と権限の委譲、業務に実権を持つ職員幹部の役員への登用による最強の布陣の重要性を指摘した。

3)の管理職層(アドミニストレーター)の有り様については、次のように述べている。従来の事務機構の多くは官僚型の運営で、管理者は所轄の職場、仕事、部下を管理し、自分が仕事をするのでなく下から上がって来たものを決裁する下向きの仕事が多かった。こうした管理者に期待される能力は、異動を通して蓄積した「組織の常識」に基づき穏当な判断ができるという点にあった。しかし、激変する環境は、こうした管理者機能の抜本的改革を求めている。

プレーイングマネージャー

孫福氏は、この新たな管理者像を「プロフェッショナル型アドミニストレーター」と位置づけた。これまでの単なるゼネラリスト型でなく、自らの専門性(スペシャリティー)を持った管理者、それも狭い専門家でなく、全体の状況や課題を把握した「いわばゼネラリストとスペシャリストのハイブリット型プロフェッショナル」とも言うべき管理者像であるとした。下から来る仕事を待つのでなく、自らも特定の領域に持つ強み(専門性)を背景に、現場を持ち、そこから発信できる「プレーイングマネージャー」となる。

もう一つ、今日の管理者に不可欠な力量として「政策提言能力」を位置づけた。所管の分野での現実の問題を正確に分析・把握し、それを改革・改善するために必要な施策・計画を示す、いわば問題発見・解決力量である。そして、的確な政策立案のための留意点として、セクショナリズム(部分最適)でなく全体最適志向、ゼネラリストとしての視野を持つこと、外部環境への改革的挑戦を含む戦略思考を持つことの二点をあげた。

これら二つの要素を持つ「プロフェッショナル型アドミニストレーター」は、トップや役員層に向かって革新的な企画提案をしていく、上向きの経営管理人材となる。トヨタはこれを赤エンピツ(他人の仕事のチェック)から黒エンピツ(自分で書く仕事)への転換と呼んだ。改革型の大学運営を担う管理者の「プレーイングマネージャー」への転換、意思決定・執行における「ミドルアップダウン」の実質化である。中堅管理職層が積極的に現場から主張、提案を行い、経営・教学幹部に働きかけて意思決定に持ち込み、決定と同時に現場に方針を下ろし、財政投資と効果評価を含む遂行マネジメントを行う一連の流れを作り出すことが重要である。

現場と会社を繋ぐ管理者

では一般に読まれている本を素材に管理者のあり方を考えてみたい。2004年4月、集英社新書から出版された橋本治氏著の『上司は思いつきでものを言う』は、そのタイトル通り堅苦しい管理者論でないこともあって、多くの人々に読まれた。日本の伝統的なライン型の管理構造の中では、現場からの革新的な提案に上司は「必ず思いつきでものを言う」ことになる。その理由は何かという切り口で、「会社」と「現場」の関係を、ユーモアを交えて論じている。

現場からの的確な改革提案は、意図しなくても必ず「会社のこれまで」の批判、問題指摘を含んでいる。上司は、過去の成功体験の積み重ねでその地位におり、「会社」もまた、過去の成果の集積の上に成り立っていることから、大きい会社ほど「会社の論理」が強固で、本質的な改革に踏み込めず、過去にこだわり、危機の原因を外に求め、問題に気づきながらも現状は温存して第3の道を探そうとする。これが著者の言う「思いつきでものを言う」状況を作り出すことになる。

大学に置き換えてみると、この「今まで」を切れない、既存の学部や学科には手をつけない、管理の基本構造や人事の刷新はせずに、何か他に良い手はないかと新規事業を探す、新たな学部を作るという手法はしばしばあるケースだ。この「現場の論理」と「会社の論理」の乖離、「現場と会社の分裂」は、今日の日本企業の陥っている構造的な問題であると著者は言うが、大学にも共通する課題だ。

管理者、上司のピラミッドは、成長企業ほど高くなり現場との距離は離れていく。成功の伝統と大きさゆえに企業が成り立っていると錯覚し、ピラミッド構造を維持することが会社を発展させることだと信じてしまう。企業も大学もニーズによって成り立っている以上、管理者は現場の実態や要望に基づく改革推進が本務のはずが、上から命令しチェックするのが管理者の役割と考えてしまう。現場での危機的な環境や深刻な実態を無視した大学の論理、学内者の論理の横行、高校や企業の大学評価や志願者ニーズとのずれ、教育方針や教育サービスの学生ニーズや満足度とのずれ、現場との乖離はまさに大学の今直面している課題そのものでもある。

会社に吹く二つの風

現場とは何か?これは会社の寄って立つ基盤であり、仕事とは「まさに他人の需要に応えること」であり、会社を会社たらしめている「外からの需要」は「現場」という所にまずやって来ると著者はいう。「現場」とは会社の外部との接触面であり、大学もこの現場(各課)に来る需要に依拠して成り立っている以上、これを敏感につかみ自らを変えられるか、その要に位置する管理者の力量が問われている。

問題は、この「現場から見るか、会社からみるか」「現場の都合か、会社の都合か」にあり、この足の置き方が改革型の上司か否かの分かれ目でもある。これを折半しようとする管理は中途半端になり、部下からは思いつきで動いていると思われる羽目になる。こうした組織では現場の地盤沈下が始まっているのに厳しく対処できない。皆危機を感じているのに誰も事実を明確にせず取り繕う。そして危機は突然やって来る。

橋本氏は、会社(上層部)には常に方向の違う2つの風、現場から上に吹く風と会社から下に吹く風があるという。しかし、これは実は別々の風ではなくて一つの風の対流現象だ、ということだ。下からの問題提起という風がうまく上へ流れ、それが会社の意思・方針となって下へ降りてくる。この対流がスムーズに出来るか否かが重要で、これが詰まると会社は次第に枯れていく。

大学における現場、外からの需要は、職員が社会(企業・高校・地域等)や在学生との接点から汲みとるニーズや評価にあり、ここに真に立脚した運営が出来るかが重要だ。第一線(現場)にいる管理者が、指示待ちでなく、自らの感度と知恵で自立的改革を提起し遂行しうるか、今このスピードと水準が問われている。(文部科学教育通信 No207 2008.11.10)

2008年11月16日日曜日

やる気を引き出す職場と人材育成

書店に行くとこのようなタイトルの付いた本が所狭しと積み上がったコーナーを目にします。民間企業、お役所など多くの職場で社員や職員がどれだけやる気をもって仕事に取り組めるかが、組織や個人が求めるそれぞれの成果を最大限引き出すための重要な「鍵」になっているのではないかと思います。

前回ご紹介した、愛媛大学経営情報分析室の秦 敬治氏のお話の中にも、「教職協働」を進めるための大学の組織づくりに必要なこととして、ドラッカーの言葉「現代の組織は上司と部下の関係ではない。それはチームである」を引用した上で、1)教職員の強みを引き出せるような組織や制度を作ること、2)教職員を同じ立場で仕事させる機会を作り出すこと、3)重要ポストにおける教職員の割合を検討すること、4)職員が「極めるため」のサポートを惜しまないこと、が述べられています。

これは、主に「教員と職員との関係」に視点を置いたものだと思いますが、私は、「上司と部下との関係」つまりは、「学長、役員、幹部職員という大学の経営に最も責任を有する者が真剣に考え実行しなければならないこと」としても十分当てはまることではないかと思います。

大学の中には、「仕事ができない、しない、させない」管理職、上司という位置にあぐらをかき、自分の保身だけを大事にして仕事をするような人間として尊敬できない管理職が思いのほかたくさんいらっしゃるような気がします。残念ながら、若手のモチベーションや未完の能力を開発し向上させるために、本気になって汗をかくような管理職はごくごくわずかなような気がします。

こういった現状をいち早く打開しなければ、「やる気を引き出す職場」にはなりえないし、効果的な「職能開発」は不可能です。

今回は、桜美林大学大学院国際学研究科大学アドミニストレーション専攻田中 修さんが書かれた「事務職員のやる気を引き出す職場の見直し-共通理解に裏付けられたアイデンティティある事務組織-」(2008年1月、修士論文要旨)(抜粋)をご紹介したいと思います。


この益々競争が激化する環境下で、高等教育機関としての大学がこの趨勢に対応していくためにはどういった改革を進めていけばいいのだろうか。その重要課題が「事務職員のやる気を引き出す職場の見直し」である。共通理解に裏付けられたアイデンティティある事務組織体制のなかで、法人の経営方針、大学のミッション(教育目標・方針)を深く理解し、やる気を持って職務に励む者といえるであろう。具体的には、人間性ある行動で常に改革モチベーションを持ち、大学アドミニストレーター及びプロフェショナル職員としてのスタッフ業務では水平思考的発想プラス創造力構成の企画ができること、一方、これまでの専任職員が担っていたライン業務でもプロフェショナル職員として積極的且っ効率よく職務を全うするという意志を持つこと、そして仕事への意識をもち“覚悟をもって働く"という理念を深く理解し得る人材である。その結果、学外関係者(学生・保護者、地域住民等)には好印象を与えることができ、学内関係者(主として教職員)に対して、極めて円満な人間関係を保つ人材であり、この人材が大学における「職員理想像」であり、競争原理が避けられない大学経営戦略面にとって、この人材育成は避けられないといえるであろう。

大学において、この「職員理想像」を創作していくには職場内にどういった措置をすればいいのか。検証・分析の結果、現時点で3つの施策が必要不可欠との視点に達した。第1の施策は“事務職場内の「不平等感」の撤廃"、第2の施策は“その職場内で納得しえる「人事制度」の設定"である。この第1・2については「人事改革制度」(以下、「人事考課」と記載)として、「勤務評価」及び「能力主義・成果主義(以下、「成果主義」と記載)」の評価システムを既に導入している大学(2004年私立大学:10.8%)、今後導入を検討している大学もかなりある(同:18.5%)。その反面、反対意見があり、取り組んでいない大学もある(同:17.5%)。その主たる理由は一言でいえば人事考課の基本的カテゴリーである人間をどう評価するか。「人間の行動評価」は数量・軽量化できない故、評価される側が適確に納得できないからである。この「行動科学」の視点から容易に分析できれば問題は無い。しかしながら、「人間の行動」は複雑怪奇で、どう判断・分析し精査すればいいのだろうか。多分、多くの人達は所謂心理学を学んだ経験豊かな専門家でなければ適正に判定できないと思われるであろう。しかし、今後、一先ず、職場間に「不平等感」をなくし、職員個人の「やる気」を引き出す人事考課施策のベストは何か。それが課題であり、人事制度カテゴリーの中で、時代の流れから「成果主義」に論点を当てて検証した結果、3ポイント<1)公正な判断基準の構築として、終身雇用と成果主義を融合する日本型年功制度に立ち返るべき。2)何度もやり直しが効くという敗者復活のスキルアップ、且つ長期間支援していく仕組み。3)評価する側と評価される側がお互いに納得できる関係の構築、換言すればコミュニケーションを核とした制度設計。>の最重要課題に達した。

第3施策は“事務研修で「働き方の基本理念」の浸透"であり、模索した結果、学者の見解及び企業経営トップ経験者の意見を最重視した。この働き方の基本理念とは競争原理が避けられない状況下では“覚悟をもって働く"という以外には考えられない。そして、“覚悟をもって働く"とは“仕事への熱意"と受け止めるべきであるとともに、どういった理念なのかを模索した結果、2つの理念<1)「矛盾の中で働く覚悟」、2)「負の経験から働く覚悟」>にたどり着き、「職員研修」で徹底・浸透していくべきである。この働き方により大学のミッション、建学精神、帰属意識が深まり、「職員理想像」のもとで、大学本来のあるべき姿としての存在価値ある「共通理解に裏付けられたアイデンティティある事務組織」に帰還することは確実であろう。

なお、補足として、第1・2の人事考課の施策について、経営面からだけで判断すべきでないとの見解を持った。我が国においては、高等教育機関としての大学が設立されて以来、国の施策もあって「大学は倒産しない」というのが常識風土であり、所謂「放漫経営」であった。しかし、1991年に大学設置基準の改正が、2004年度に国立大学が独立行政法人化されたことから、この常識風土が崩れてしまい、競争原理がすすむ中で、今後の大学における職員の人事政策は旧態依然の体質を改善し、事務組織、人事制度も改革しなければならなくなった。その手法が「人事考課」を導入すべき、少なくとも「勤務評価」は行うべき、できれば「成果主義プラスコンピテンシー」を実施すべきであるとの結論に至った。しかし、この成果開発が、経営戦略の面での成果配分(=人件費の削減・圧縮)のための見直しという意識を持ってもいいが、評価される対象者に対して前面的に押しすすめるべきではない。その理由は、この人件費削除を前面に出すと、圧力・強制力が高まることにより、職員に所謂ストレスが溜まり、帰属意識が低下し、職員の改革には繋がらないからである(「うつ病」が増えてきている実態から)。2005年1月の中教審の「我が国の高等教育の将来像」の答申で、「21世紀は「知識基盤社会」の時代であり、大学の高等教育は個人の人格形成上も国家戦略上も極めて重要」と述べている。世界経済が情報化・グローバル化で日本経済も変容していく環境下で、知識基盤社会では専門知識の高い人材育成が不可欠であり、職場内にこの人間形成教育も行うべきである。この理由から、大学の環境において、職員への業務評価は単なる経営戦略面からの視点で実施すべきでなく、焦燥の念を深めない“人間形成"の人材育成を最重要視すべきである。その環境下でしか、職員のacademismからadministrationへという大学行政総合管理職員創造のための職員事務システムが形成されないであろう。

2008年11月14日金曜日

教職協働に何が必要か

近時、多くの大学人が重視している課題として、大学における教育組織と事務組織が良きパートナーシップを確立すること、あるいは教員と事務職員が相互に連携しあう体制を整えて学生に対応することが挙げられると思います。

今回は、国立大学マネジメント研究会(会長:本間政雄 学校法人立命館副総長、元京都大学理事・副学長)が発行する会誌「大学マネジメント」(2008年6月号)から、愛媛大学経営情報分析室秦 敬治氏が「これからの教職協働-GP活用による実践例-」と題して行った講演の概要(抜粋)をご紹介したいと思います。

秦氏は、西南学院大学で20年間職員として財務の仕事をしながらサッカー部の監督、九州大学修士・博士課程での修学を経て、2006年度より愛媛大学経営情報分析室准教授として活躍されており、今回の講演では、1)教員や職員個人の能力やスキル、2)組織や制度、業務分担、3)組織文化、個々の教職員が持つ意識の問題といった視点から「教職協働」を分析されています。

教職協働のコツ-職員には何が必要か

教職協働実現のために職員には何が必要かということですね。相手を変えるのはなかなか難しいです。私はいつも学生に言っています。性格は変えられないけど行動は変えられる、他人は変えられないけど自分は変えられる。組織や制度を大きく変えるとか、職員が教員に働きかけてあるいは教員が職員に働きかけて相手を大きく変えることはなかなかできないので、自分が変わらなければなりません。

1)「専門性の向上」と「論理的思考力」

今日お見えの多くの方が大学の職員でいらっしゃいますので、職員に焦点を当てた場合、どういったお話ができるかなと思い、「専門性の向上」と「論理的思考力」に着目してみました。初めに、大学行政管理学会の大学職員研究グループで、全国の国公立大学の学長と私立大学の理事長に対してアンケートを行ったと申しましたが、その結果を見ますと、教職協働推進の課題として「職員の専門性と能力の向上が必要だ」と答えた学長もしくは理事長は140名、56.9%です。「教職協働が必要だと言うけれども、職員が専門性を身につけたり能力を上げなければうまくいかないんだ」ということを経営陣は感じているんですね。それを皆さんがどう受け取るかということです。

「複数の素養を効果的に機能させる重要な要素の一つとして、専門性から培われた論理的思考力が必要だ」という提起もありました。これは、これまで教員に求められていた要素なんですね。

先ほど、本間会長と事前にご挨拶申し上げた折、「ぜひ職員にも修士、いや博士課程まで行って欲しいね」と会長はおっしゃっていて、私は嬉しかったのですが、なぜそれが必要なのか、という問題です。行けば良いというわけではなく、どうしてそれが必要なのか。専門性をつけて欲しいとか能力を向上して欲しいと答えた経営陣の80数%は、修士課程には行って欲しいと言っています。その辺の理由をまだ深く追求していないので、これから分析していかなければいけないと思うのですが、多分、本間会長と同じ心情なのではないかなと思っています。ソクラテスは「大工と話すときは大工の言葉を遣わなければならない」と説いたと言います。ですから、教員と話をするには教員の言葉を遣わなければダメ、もしくは教員の遣っている言葉を理解しなければダメ、ということも一要素としてあります。

では、論理的思考力やそれに基づく企画力、説明力等はどうやったら身につくのでしょうか。自分の意志で自らの業務上の専門性を極めることもありますね。大学院に行くことも一つかもしれません。そのときに、では目指すレベルはどこなのか。ドラッカーが言っている言葉の中に、敢えて私は「組織の中に」を付け加えたいのですが・・・、「その専門について自分より詳しく知る者が組織の中に存在するようでは、価値のない存在である」ということです。

2)少し出しゃばってみよう

国立大学の職員の方からよく耳にする言葉は、「出しゃばると責任を負わなくてはいけない」です。「そこまでやると責任を取らなくてはいけない」と。ですから私はいつも言います、「責任を取った人が今までにいるなら挙げてみてください」と。そうすると皆、「そういう責任じゃなくて・・・」と言うのです。実際に責任をとって辞めたとか、何か提案をしたり、「その業務はこっちでやりましょうか」と言って辞めたとか、降格になったとか、減俸になったとかいう人はほとんどいません。たぶん、「責任を取る」というのは「仕事が増える」という意味で言われているのではないかなと思うのです。もちろん好き勝手に言いたいことを言うのではなくて、理念や目標に基づいた自らの領域や専門から、ぜひ出しゃばっていただきたい。

「いや、そうすると上司が・・・」とか「教員が・・・」とかいろいろ思うかもしれませんが、「理念や目標に基づいた自らの領域や専門から」を押さえていれば私は大丈夫かなと思っています。つまり国立大学でも大学の理念などが必ずありますので、そこにスポットを当てるとか、学部の会議に出たときは学部の理念について話すということで、そこに立ち返って「自分は正しいことを言っているかな」と考えていけば、出しゃばりも許されるんじゃないかなと思っています。

3)教員も自らの研究領域以外は専門家ではない

それから、教員だって自らの研究領域以外は専門家ではないということを理解していただきたい。これはたぶん多くの方が理解されていると思います。なぜ選挙で選ばれた人がいきなり経営者になっているのか、と思われたことも多々あると思います。しかし、ある程度そのことも理解した上で、自分たちがどうずれば良いのかをぜひ考えていただきたい。

職員のほうが教育面、経営面でよく理解していることが意外と多いのではないか、ということですね。これも本間会長が言われてきたことで、私自身もずっと言ってきたことなので共鳴したのですが、例えばカリキュラムに関する企画立案等は職員がやっていくべきではないかと思っています。多くの情報を収集した上で長期的に広い視野で利害関係なく作れるからです。私自身は今、職員ではなく教員という立場ですが、自分の中で、「今は教員として生きている」とか「今は職員として生きている」と無意識に使い分けていると思うのです。そこで、今自分の専門を捨てて教員としてきちんと全体を見て議論できているかということが、非常に大事だと思うのです。そういった教員ばかりだったら良いと思うのですが、やはり自分の専門を守りたいとか、自分の分野もしくはそこにある予算や人の枠を守りたいという観点から話し出すと、どうしても理念や目標とのズレが出てくると思いますので、その点では職員のほうが勝っているかな、と思います。そのためには、職員には、教員に意見できるだけの専門性と論理的思考力をぜひ身につけていただきたいと思っています。

この間、元内閣官房副長官の方がリーダーシップに関する授業を九州大学の院生にされていたので聴講させてもらったのですが、そこで「行政において政治家は改革者。国家公務員は自分の領域の中で専門性を発揮して国家や議員を支える者」と言われていました。このことは大学行政にも当てはまるのではないかと思っています。一般に言われる国家公務員とは違うかもしれませんけれども、ここで言う国家公務員型の仕事を大学において職員にしてもらいたいというふうに、経営陣は思っているのではないでしょうか。

教職協働のための大学の対応

ドラッカーの言葉ですが、「組織の目的は専門知識を共通の課題に向けて結合することである」。職員だろうが教員だろうが関係ないんですよね。それぞれの武器をきちんと効果的にまとめあげることが組織の目的だと言っています。

「一つの分野で強みを持つ人が、その強みをもとに仕事を行えるよう、組織を作ることを学ばなければならない」。先ほど私が例を挙げましたが、自分はこの分野について自信があって、専門性を身につけたと思っているのに、晩年になって、あと数年で定年というところで全然関係のない仕事をやらされる、そうした慣行が組織を作るときにプラスになるのですか、ということですね。
「現代の組織は上司と部下の関係ではない。それはチームである」とも言っています。

以上を大学の組織作りに当てはめると、教職員の強みを引き出せるような組織や制度を作ること。教職員を同じ立場で仕事させる機会を作り出すこと。重要ポストにおける教職員の割合を検討すること。職員が「極めるため」のサポートを惜しまないこと。全国の大学職員を対象に行ったアンケートでは、意外とこの点が低いです。「サポートをしてもらっていない。むしろ足を引っ張られている」と言う人が非常に多かったですね。それから採用と異動の制度を見直すこと。

「新たなジェネラリスト」と「プロフェッショナル」

またドラッカーの言葉なのですが、「ジェネラリストはこれからの知識経済ではあまり活躍の場がない」。「ジェネラリストといえども、知識労働と知識労働者をマネジメントする専門家にならない限り役に立たない」。それから人事戦略コンサルタントの栗田さんという方の言葉、「ジェネラリストとは、複数の専門分野において一定以上の知識を持ち、業務遂行が可能な人を言う。一般的にこのような人は企業内部で組織横断的に仕事を経験しながらキャリアを形成し、管理職として組織運営のコア人材となっていく場合が多い。しかし、広く浅く総合的な知識は持っているものの、プロフェッショナルとして突出したものを持っていないというウィークポイントもある。今後求められるのは、幅広い分野においてプロフェッショナルとして必要最低限の能力を持った上で、少なくとも一つ以上突出したスキルを持つという新たなジェネラリストである」。

ではプロフェッショナルとはどういう人でしょうか。「専門能力を成果に結びつけることが期待されると同時に、専門分野以外の知識と情報をも有し、さらにリーダーシップカのある人」と言えるでしょう。スペシャリストとの違いは、評価の対象が特定分野の専門性に限定されるか否かにあります。つまり、プロフェッショナルは特定分野の専門性があるだけではダメだ、と言っているんですね。先ほどの「新たなジェネラリスト」とこの「プロフェッショナル」はかなり似ているところがありますよね。

例えば教員と一緒に財務の方、教務の方、学生担当の方が会議をしたとしましょう。「ちょっと伺いますけど、うちの財務のこの部分は今どうなっているんですかね?」「すみません、まだ来たばかりでわからないんです」「そうですか。では教務の改革、カリキュラムの改革は教務の職員がやったほうが良いと思うんですけど、いかがですか?」「いや、私たちは教務事務しかやっていませんので、そういうことはできないんですよね」・・・そういった話になると、教職協働しようがないんです。

ですから、会議に出てくる時に協働できるものが何かあって欲しいんです。そうしたときに、「私は財務にいますけれどもこれまでキャリア支援のほうをずっと担当していたので、先生が今おっしゃっていることはそういった立場からお話できますよ」と言われたら、私はそれを聞くことができます。しかし、そういうのが何もないとなると、なかなか厳しいですよね。

私たちは年に2~3回海外に調査に行くのですが、必ず職員の方を連れて行くようにしています。向こうの職員さんは必ず「あなたの専門は何ですか?」と聞いてくるのです。そこで同行した職員さんが「私は最初の3年は総務にいて、その後に会計にいて・・・」と答えると、「そんなことを聞いているんじゃなくて、あなたの専門は何ですか?何をもっと深く知ろうと思ってここに来たのかを言っていただかないと、私たちも対応できません」と言われるんですね。ですから私たちは、一緒に行くことが決まった時には、専門性を意識しながら、必ずどこを見たいか、知りたいか、きちんと見極めてから行こうという話をしているのです。

2008年11月13日木曜日

コストカットに向けた取り組み-2

前回に続き、大学における「コスト削減」について考えてみたいと思います。今回は、本年6月27日に、総務省が取りまとめた「行政事務のコスト削減の検討の視点」というレポートをご紹介します。

このレポートが取りまとめられた趣旨は、以下の「前書き」を読めばご理解いただけるところですが、要すれば、「最近の国の行政機関における不適切な無駄遣いの多発を受け、前福田総理から指示のあった「政府における無駄の徹底的な排除に向けた集中点検-『ムダ・ゼロ』への取組み」の徹底を図るため、国の行政機関におけるコスト削減に向けた職員の意識改革、コスト削減の仕組みやチエック機能などについては、民間企業の努力や成果を十分に認識・活用していくことが重要である」とのことのようです。

レポートは、国の行政機関を対象としたものですが、書かれた内容は、私達の職場である「大学」にも十分適用できるものではないかと思いますし、指摘内容を正面から受け止め、今後のコストカットに向けた取り組みに反映できればと考えています。

行政事務のコスト削減の検討の視点

(平成20年6月27日、総務省行政評価局民間のコスト削減手法に関する研究)(抜粋)

前書き

国の行政機関においては、「行政コスト削減に関する取組方針」(平成11年4月27日閣議決定)等に基づき、コスト削減に取り組んできたところであるが、これまでその取組が十分な成果を上げてきたとは言い難い。理由や背景としては、次のような点が考えられる。
  1. 予算の獲得に重点を置きがちである。
  2. 組織のトップも末端の職員も、主眼は予算の獲得にあり、日常的なコスト削減の意識が希薄である。
  3. 予算の節約や効率化によるメリットが明確になっていないので、コスト削減に切実感を持って取り組んでいない。
  4. 結果的に、節減の取組は「スローガン」に終わりがちである。
これらに対して、民間では、売上げの増加のための企画や販売も重要ではあるが、最終損益で「プラス」とするためには、コストの管理も重要である。利益が生じなければ自らの給与に跳ね返ることとなるので、末端の従業員に至るまで、節減努力やコスト削減のインセンティブが常に働いている。

国の行政機関がコスト削減の取組を進め一定の成果を上げるためには、このような両者の違いを十分に認識して、「掛け声」だけでなく、トップから率先してコスト削減に取り組んでいくことが重要である。

コスト削減の検討の視点

1 職員の意識改革

(1)コスト意識の浸透

コスト削減の取組は、関係者が一致協力して細かいこともおろそかにせず、地道に、自主的に行うことが重要である。家計の場合、他者から指摘されなくても、自ら節約している。コスト削減の取組を実効あるものにするためには、このような切実感が必要である。

コスト意識を末端まで浸透させることが重要である。民間で徹底した無駄の排除に取り組む場合、例えば、会議資料について、その枚数をいかに減らすか検討する、カラーコピーは禁止、2アップ印刷(2ページ分を縦又は横に並べて1ページに集約して印刷)や両面印刷が当たり前となっている。

また、1)従業員全員に対して、事務机の引き出しの中に予備として個々に保管しているホチキスの針や消しゴムなどの事務用品を全部出させて集中的にストックし、それらの中から必要の都度、改めて従業員に支給することとしたところ、4か月間、事務用品を新規に購入する必要がなかった例や、2)ファイルなどは中古品をやり繰りして支給することにより、従業員に対しても、「頼めば新品が来るもの」という従来の感覚は通用しないことを浸透させ、コスト削減を実現した例もある。

このように、日々の業務においても、末端の職員に至るまでコスト意識を浸透させることが重要である。

また、先進的な取組を行っている地方公共団体においては、コスト削減に当たり、「基本方針」として、「職員の意識改革、自分のお金意識、住民負担増の回避」を掲げて明確化した例も見られる。

(2)実行力、発想カ

コスト削減の検討に当たり、一般に「何が問題か」については誰もが気付くものの、実行が伴っていないのが実情であり、コスト削減の実を上げるためには「実行」をいかに確保していくかがポイントになる。

民間においては、コスト削減を行う場合、業務のすべてにわたって、まず「これをなくせないか」、「廃止できないか」という発想から考えることが基本であり、従業員が「なくせない」、「廃止できない」と考えているものであっても、「本当に必要か」という発想で切り込む。必要性が認められた場合でも、大幅に引き下げた「最適価格」での購入はできないか、他の代替はないかなどを検討していく。

また、コスト削減に当たっては、現状から一定割合を一律にカットする手法ではなく、いわゆる「ゼロ・ベース」から見直しを行うことが通例である。

この場合、「前例」を排除する必要がある。「これまでどおり」を前提としてコスト削減を検討しても何も変わらない。例えば、定期的に作成する資料の中に保管されているだけで使用されていないものがあれば、いったん作成を止めてみて、支障がないか検証する。同様に、新聞や雑誌などの定期購読については、習慣的になっており、改めて見直しを行う機会がない限り、「継続」となりがちである。このような定期購読、あるいは外部から購入するデータの利用料など口座からの「定期引落し」となっている契約については、一度止めてしまい、「原則ゼロ」としてみて、その後、どのような支障が生じたか検証すべきである。

先進的な取組を行っている地方公共団体においては、全事務事業のゼロベース検証(全廃による痛みの行方と機能の低下)、外注や管理経費のゼロベース検証(サービスを支える入札や一般管理費の再検証)を実施した例がある。

2 コスト削減の仕組み

国の行政機関においては、会計、経理業務を所掌する管理職が、個別の契約内容、毎月の経費支出などについて責任を持ってチェックしておらず、実質的に、契約担当者などに任せきりになっている場合が多いのが現状である。このような状況において、無駄の徹底排除の一環として、コスト削減の取組を行っても、確実かつ十分な成果を上げることは困難と考えられる。

一方、民間においては、執行責任者、チェック責任者などの責任体制が明確となっており、また、コスト削減のターゲットや数値目標を個別具体に定め、「いつまでに、何を、どれだけ削減するか」との方針の下、従業員が共通認識を持って、積極的にコスト削減に取り組んでいる。

また、無駄遣いを指摘された部署のみの改善に止まることなく、他の部署でも「うちはどうなのか」、「うちは大丈夫か」という目線でそれぞれチェックし、コスト削減を全社的な取組としていく。

(1)責任体制の明確化

コスト削減に組織的に取り組み、実績を上げるためには、トップがコストに強い関心を持ち、積極的に関与していくことが重要である。

また、コスト削減の指摘が放置されていないか、モニタリングを行っていくことも重要である。民間では、執行責任者は誰で、誰がチェックするのかが明確になっており、「誰が、いつまでに、どうするのか」のアクションプランの作成が容易である。

先進的な取組を行っている地方公共団体においては、行政コストの削減の実効性の確保のため、管理職の担当責任の明確化、第三者機関の設置によるフォローアップ体制の強化(目標・経過・結果の報告と説明責任の順守と公表の徹底)を行った例がある。

(2)削減目標の具体化

コスト削減の取組については、いわゆる「精神論」では意味がなく、「時間軸と数値」がポイントになる。民間では、事後のチェックが容易になるよう、具体的な目標金額などの「数値目標」を設定して、これと実績とを比較して検証している。また、目標の設定に際しては、あわせて、「いつまでに、どれぐらい削減するのか。そのために、誰が何をするのか」などその内容を具体化している。これにより、目標としたことに向けた具体的取組が実際に行われたのか、行われていないのかを事後にきちんとチェックし、コスト削減の実効も確保できる。また、削減目標が具体化されて目に見えることにより、国民の理解を得ることが期待できるようになる。

(3)適切なコスト管理

コスト削減を効果的かつ着実に行うためには、コストの状況を適期にチェックして必要な行動を起こしていく、コスト管理が重要である。

民間においては、コストについて、最小の組織単位(課、所)での「月次管理」が基本となっており、年度予算や前年同月実績との比較を行い、コストが増大しているなどの違いが発見できれば、その理由や要因などを細部にわたって検証していく。おおざっぱな確認程度にとどまっていたのでは、適切なコスト管理はできない。

(4)集中購買の推進

物品、役務の調達に当たっては、「集中購買」がキーワードとなる。支社、支店、営業所などで個々別々にではなく、本社等で取りまとめた上で集中購買することにより、購入価格を大幅に引き下げることが可能となる。

民間においては、本社が一元的に大量に購入することでスケール・メリットによるコスト削減を図ることとし、従来、購入権限を有する課所単位で契約していた特定の物品について、本社が各課所での購入単価を調査し、相当のコストダウンが見込まれるものをより安価に集中購買した例がある。

また、先進的な取組を行っている地方公共団体においては、一括発注を行うため、総合発注室を設置したり、メーカーが異なるエレベータの保守点検についても一括管理している例がある。

(5)適切な債権管理

債権管理について、公平の原則があるので、何らの措置も採らずに見逃すことは適当でなく、きちんと督促するなど法令等に定められた事務を適切に実施することは当然である。しかし、例えば、1,500円の滞納債権を回収するため、5,000円の旅費を支出して出張するのは無駄と考えられる。

民間の場合、債権回収は第一義的には営業部門が担当しており、契約後、「何目以内に回収」という目標が設定され、その日数が経過すると、自動的に未回収の連絡が担当者に来て、債権が劣化しないうちに必要な措置が講じられるシステムとなっている。

3 コスト削減のインセンティブ

国の行政機関においては、「予算をできるだけ多く獲得し、全額使い切る」傾向があり、コスト削減によるインセンティブが働きにくい構造となっているものと見受けられる。今般の政府全体の取組として、無駄の徹底排除を効果的に推進し、着実にその実を上げていくためには、コスト削減に伴うインセンティブがキーワードと考えられる。コスト削減を行っても、メリットが明らかでなければ誰もやる気にならない。

民間においては、例えば、全社トータルでコスト削減目標を達成できた場合、貢献度合いに応じて、従業員の給与、賞与、昇格、異動などに反映したり、所属する部署ごとに、翌年度の予算配分に一定の配慮がなされたりするなどの仕組みが導入されている。

4 第三者による監視

コスト削減について、職員が緊張感を持ってその活動に取り組み、実効を上げるためには、外部の第三者により、取組実績等をチェックすることも有効と考えられる。

先進的な取組を行っている地方公共団体においては、フォローアップ体制として、有識者による第三者委員会を設置し、毎年度、削減実績や数値目標の達成度などについて、報告内容の評価と公表を行うとともに、当該公表結果について広くパブリックコメントを求めるなどして、成果を上げた例がある。

2008年11月11日火曜日

コストカットに向けた取り組み-1

国公私立の設置形態の如何を問わず、大学における「コスト削減」は、健全な大学経営を維持発展させる上で極めて重要な課題です。

現下の大学を取り巻く厳しい状況に鑑みれば、今後、大学は、相当のコスト削減なしには、現在の教育研究条件を支える資源を経続的に供給することはやがて困難になり、教職員の待遇もそれによって影響を受ける可能性は十分に念頭に置かなければなりません。(もはや手遅れという大学も出現してきておりますが・・・。)

このため、まずは、自らの周囲にあるコストの削減に関心を向ける必要があります。コストを何割カットすることができるかどうかは、大学の将来にとって決定的に重要となります。コスト削減を行うことは単に財政的なプラスをもたらすのみならず、大学全体を活性化し、新しい試みに道を拓くという積極的な意味を持っています。

特に、大学内の管理的経費については徹底的な見直しを行う必要があります。例えば、次のような観点からの見直しが必要ではないでしょうか。
  1. 全学共通的な管理的経費を集約管理することにより統一的な縮減に努める。
  2. 民間機能を活用することにより、効率的・効果的な業務の遂行が可能なものについては、積極的に外部委託を導入し、経費(人件費等)の抑制を図る。
  3. 一般競争入札の積極的な導入、規格の共通化、一括購入方式の促進など、購買方式を見直すことにより物品調達コストを抑制する。
  4. 施設設備のエネルギー経費の抑制を図るため、既存の設備・機器等の更新を含め、施設設備エネルギー・マネジメント体制を構築し、施設に節減システムを組み込む等の方策を推進する。
  5. 機器や備品等を一元管理し、共同利用体制を導入することにより固定経費を抑制する。
  6. 事務分掌の見直し、会計制度の弾力化、権限委譲、情報化・電子化等により、事務の効率化、事務経費の削減を図る。
やや抽象的ですね。では具体的な事例をご紹介します。早稲田大学の事例です。
早稲田大学では、「財政改革推進本部」(財革本部)というものを立ち上げ徹底したコスト削減活動を行っています。とあるセミナーで配られた資料(ちょっと古いかも)を基にポイントをご紹介します。

■財革本部立ち上げの背景

私立大学における予算・決算を消費収入超過とすることは、かなり難しいことである。しかし、大幅な「黒字」を実現させることは極めて困難であるとしても、支出超過を限りなく小幅にすることあるいは収支の均衡を図ることは、至上命題であり、当時の早稲田大学においても財政基盤の確立のための必須条件であった。
早稲田大学は教育研究面での飛躍を期す準備に入っていたことから、「新規事業への財政手当て」の必要性も大きく浮上していたが、借金をして新たなことをやるという選択ではなく、むしろ有利子負債を減少させながら新規事業の財源を生み出すための努力が、組織を挙げて開始された。

■財革本部、経費節減推進チーム等の設置

[財革本部]
  • 構成員=理事会の下に常任理事、理事、本部部長等の経営執行責任者
  • 任務=「財政改革の基本方針の策定」及び「具体的な施策を立案・実践」
  • 期間=1996年3月から1998年3月までの2年間
[経費節減推進チーム]
  • 構成=1)事務の効率化による経費節減推進チーム、2)管理経費節減推進チーム、3)物品調達経費節減推進チーム、4)印刷物経費節減推進チーム、5)施設等有効活用による収入増を図る推進チーム
  • 構成員=課長・事務長クラスの管理職者をリーダーとする、10名前後
  • 任務=財革本部の実行部隊として、経費節減の具体策を探し出し実行する
[キャンパス別経費節減推進グループ]
  • 構成=「西早稲田キャンパス」等の6キャンパスに設置
  • 構成員、任務については経費削減推進チームと同様
■財革本部の活動内容

経費節減のための具体策は、基本的には経費節減推進チームが施策を立案し、各キャンパス経費節減推進グループが、独自の節減案も加えながら実践する。

経費節減推進の主な内容は、以下のとおり。

1)光熱水費の節減(節減の対象)
  1. 昼休み中の事務所の消灯、就業開始前の消灯
  2. 授業終了後の教室の消灯
  3. 廊下、エレベータ前、屋外灯、トイレ等における日中、不要時の消灯
  4. 就業時間外の事務所、授業終了後の教室における空調の停止
  5. 水道圧を下げる。
2)印刷製本費の削減
  1. 各箇所が発行する出版物・配布物の整理・統合、ページ数・印刷部数の見直し(削減)
  2. コピーの節約の徹底
  3. コピー紙の裏面利用の徹底
3)物品・消耗品費

早稲田大学の調達は、配分された予算を各箇所の独自の努力で、消耗品予算を有効使用することを前提とした「各箇所自主調達」であり、調度課といった部門が一括調達して配布するという形態は採っていない。
ただし、財務部経理課は在庫を持たないが、大量に使用される消耗品については、エコ対応等の観点をもちながら納入会社と折衝して単価を低くした上で、「選定品」(推奨品)としてリストを全箇所に配付し、各箇所で保有する在庫品を使い切ることと選定品の購入を強く要請

4)旅費・交通費の削減

総長車1台は残したが、自家用車数台を廃止し、タクシー利用または随時のハイヤー利用に切り換え。また、教職員のタクシー利用についても、極力控えるよう要請し、利用チェックを厳しくすることとした。

5)図書費の効率的活用

図書は大学の学術上の重要な資産であり、財政危機といえども慎重な対応を要する。しかし、図書購入についても、聖域化せず、購入手続きの合理化・コストダウンに努めた。
和書購入の合理化・有効化を図ると同時に、財革本部の調査により実勢為替レートと大きくかけ離れたレートで価格設定されていた洋書購入について検討を行ったが、「図書館員の負担なく」「安全に」納本される仕組みはそう簡単にはできないことも分かった。

図書館という組織での購入においては為替レートヘの対応は困難であるとしても、個人研究費での洋書購入を数名の教員に試験的にインターネットでの購入をしてもらったところ安く(実勢為替レートに近いレートで)、早く(1週間位で)、スムーズに手に入ることが分かった。

それらの実績を踏まえて、図書館にも再検討をお願いし、為替レート対策を継続して検討してもらうこととした。

6)建物管理委託費の削減(清掃・警備等の委託業務の統合化)

各キャンパス、建物毎に清掃・警備等の委託会社を選定していたが、競争原理をベースにしながらキャンパス毎、建物群に区別し委託業務の統合化を推進したことにより、建物等の増加にも拘わらず、委託費の抑制を図ることができた。

■財政構造改革推進本部の設置
  • 構成員=理事会の下に常任理事、理事、本部部長等の経営執行責任者
  • 任務=財革本部が行った経費節減運動の継続展開と徹底。経費節減に直結する既存の諸制度の見直し
  • 期間=1998年6月~1999年5月
この財政構造改革推進本部の活動期間中に94の構造改革項目が抽出された。抽出された項目を部長会が中心となって、縦軸に対応策(「絶対実現」「できれば実現」「実現可能性の調査・検討」「その他」)を取り、横軸には「緊急」「短期(1~2年)実現」「中期(2~5年)実現」「長期(5年以内)実現」といった時系列を取って、それらで構成されるマトリックスに、全ての項目を当てはめて指示書とし、各所管箇所が随時対応していくこととした。

■財政健全化3か年計画(1996年~1998年度)の策定

前述の財革本部等による経費節減運動と並行して大学は、1996年12月に「財政健全化3か年計画(1996年~1998年度)」を策定。数値目標は以下のとおりである。
  1. 1998年度に、極力経常収支の均衡を目指す。
  2. 建設収支は、3か年の資金ベースでの均衡を目指す。
  3. 有利子負債を圧縮し、借入金は学納金の1/3以内を目標とする。
  4. 次年度繰越支払資金の残高を170億円以上確保する。現段階では全てが達成されているわけではないが、今後も努力目標として掲げ続けていかなければならない事項である。
■改革の結果と現状

(累積経済効果)

経費節減活動、財政改革方針等並びに、1995年度予算編成時からの「経費の5%以上削減策」によって、結果としては1995年度から2003年度までの9年間で、およそ300億円以上の累積経済効果を挙げた。これを財源として、教員の増員、情報関連設備の整備・充実、独立大学院の開設等の新規事業に大幅な予算措置が可能となった。

(有利子負債の圧縮)
  • 1995年度=借入金残高(約390億円)、年間支払利息(約22億円)
  • 2003年度=借入金残高(約200億円)<約半減>、年間支払利息(約4億円)<約80%圧縮>
更に、財政改革推進によって財務体質が年々改善し、人件費依存率、自己資金比率、負債比率等の財務比率は、1995年度と比べて直近の2002年度決算において、極めて良好な状態となってきている。

教職員の経費全般に対する節減意識は、財革本部等がなくなった現在も学内にしっかりと根付いており、昼休みの消灯、節水、両面コピーの徹底、ゴミの分別、物品の学内自主リサイクルは当然のこととして実行されている。

これら経費節減運動は、現在では環境資源に配慮した「エコ・キャンパス」の推進への取り組みとなり、2000年6月には西早稲田キャンパスで国際標準化機構(ISO)の定める「ISO4001」の認証も取得した。今後も全学をあげて環境マネジメントシステムヘの取り組みが推進されていくと思う。

■結 語

収入の大幅な変化(増加)を望めない私立大学の硬直的財政構造において、建学の精神や経営ビジョンに基づいて新たに何かをやろうとすれば、二つの方法しかない。

一つは、無駄な支出を徹底的に止めることであり、二つ目は、有効でなくなった組織・活動内容をスクラップ(あるいは削減)するといった構造改革に着手することである。

それらによって生み出す資金を、新たな目標に注ぎ込むしかない。正に、無駄を排し事業構造を常に時代の要請に応じて「スクラップ・アンド・ビルド」していくことが、私立大学財政の立て直しのスタートになるのだろうと思う。新しい芽を育んでいくには、財政構造改革を視野に入れた思い切ったパラダイムシフトが必須である。

2008年11月8日土曜日

社会から見た国立大学(3)

前回に続き「国立大学法人における外部人材の活用方策に関する調査研究報告書」のポイントをご紹介します。今回が最後です。

文科省の広域人事の問題、幹部職員の問題、人事権の行使は学長の責務
  • 事務の合理化は、結局誰かが泥をかぶって様々な抵抗勢力と戦いながらでないとできない。例えば職員について形骸化している評価制度を実質化しようと提案すると、すぐに職員組合から反発が起きる。だから、事務局長が強い意志でもって何としてもやらなくてはいけない。学長が前へ出てしまうと、ややこしいことになってしまう。法人化の前から国立大学の学長がよく言うのは、「学長と事務局長とが本当に意気投合できるときにこそ改革をやる。それでうまくいかないときはやらない」と。局長が代わったときにまたやるということは事務局長の役割が決定的に重要ということ。

  • 理事は充分やる気があって、テーマによっては一生懸命にやっている。けれども体制、意識とかスピードということになってくると、やっぱり事務局のガードが強い。事務局長というのが常に組織を掌握している。各理事が自分の下に事務組織を持っているのだけれども、それは横できちんと事務局長が掌握している。言ってみれば一種の二重構造。

  • 広域人事で全国の大学を2~3年で回っている人達は、最初は国立大学や高専に採用された人達で、20代に見込まれて文科省に転任した人達。係員、係長として、政策立案、政策の実務設計、調査・分析、政策の執行、予算配分などの実務面をこなした経験を豊富に持っており、全国的、ポジションによってはグローバルな視野で仕事をしている。概ね38歳で、大学に課長として出て、半分くらいは40代前半で本省に戻り課長補佐としてさらに高いレベルで政策立案・執行に携わる。大体46~47歳で大学の部長として出る。こういう彼らだから、例外はあるが、知識、識見、仕事のスピード、人脈、判断力、実行力において大変優れている。彼らの問題は、在任期間が平均して短いことから、どうしても腰掛け的な中途半端な気持ちで仕事に取り組むことと、もう一つは、任期が短いこととも関連するが、彼らに中長期の目標がないこと。○○大学○○課長に命ずるという辞令をもらっても、やはり2~3年で代わるという気持ちがどこかにあるから、大学のこともあまり本気で勉強しないし、まして2年か3年の在任中に、リスクを冒してまで何か新しいことや改革をやろうかということがない。部課長の人事をどうするか、彼らに目標・課題を考えさせる、学長がそれを与えることは学長の責任である。

  • 学長に人事権があるわけだし、事務局長をはじめ部課長が学長のビジョンを共有して、学長のために働いてくれるかどうかは、大学改革を進める上で極めて重要。逆に言えば、漫然と事務局人事を容認しているようでは何も変わらない。特に、事務局長は学長の右腕であり、事務局長が大学改革、教育改革、事務改革に意欲を持っているかどうかは決定的に重要。学長の人事権は、なかなか教員には及ばないが、職員には直接発動することが可能なのだから、幹部職員人事、若手の抜擢、外部人材の登用などで、是非特色を出してほしい。いずれにしても、学長は、幹部職員候補に直接会って、私のビジョンはこれだと説明をした上で、協力してくれるかどうか「踏み絵」をすべき。特別な事情があれば別だが、学長がこれをしてほしいと言っているのに、そんなことはできませんとは絶対言えない。学長が無理無体な要求、理不尽なことを言っているのでない限り、文科省の人事課長は「君は明目から○○大学の人間になるのだから、学長の方針に従ってしっかり頑張れ」というしかない。大学に人事案を提示した段階では、もう全国の大学のポスト調整は終わっているから、今更人事の差し替えはできない。いずれにしても、学長がもっと人事権をしっかり責任持って行使をする責任がある。

  • 学長がその人を評価して、その人にいてもらいたいと思えばいてもらえばいい。ただ、学長も6年しかいない。だからその人の人事に責任を負えない。すると「45歳でお前を理事にするからこの大学に残ってくれ」と言われても、学長が代った途端に「お前はもう要らない」と言われることがあると困るわけで、結局は定年まで面倒を見てくれる文科省の指示に従って2年ぐらいで代わる道を選ぶ。文科省が理事にするのは、平均して50代半ば。いくら大学の要請だからといってそのルールを破って、若くして理事になったら、文科省は「じゃあ、これからは自分の人事は自分で面倒を見るということだな」となる。6年やって51歳になって、「今度学長が代わって、私クビですから、何とかしてください」と言っても、「知らん」ということになる。「お前は自分で横破りをやったんだから、あとは自分で勝手にしろ」となる。だからみんな文科省の人事に忠実に動いている。

  • 文科省は管理運営の効率化を求めているが、ひょっとするとこれは口先だけかもしれない。国立大学の幹部職員の人事を見ていると、少なくともこれまでは「改革ができるかどうか」という観点から適材適所をしているようには見えず、従来の年功序列型に戻っているように見える。具体的に言うと、改革を行っても行わなくても、具体的な成果を挙げても挙げなくても、その後の人事にあまり影響がないということ。

  • 部課長の面談をやった。事前にこちらで質問内容をいろいろ練り、来てもらって1入最低30分、長ければ1時間の個別面談を全部やった。それをやって明らかに失望した。「この人達は大学改革とか法人化ということに体を投げ打ってやるという気概はない」と痛切に感じた。この人達はもう一度面談をやってもあまり意味がないと思った。

  • 全国異動で回っている人は腰掛けが少なくなく、愛情もない。国立大学の事務部の中枢と言われ、本人達もそう考えている財務部の機能の多くは、いわゆる統制機能。言い換えれば、教育研究の現場である学部や大学院、図書館や病院などがきちんと規則、法令に則って会計処理をしているかのチェックが財務部の仕事の過半を占めていて、それはしばしば現場の教育、研究上の要求に縛りというか制約をかける動きになる。逆に、学生部や国際交流部といった学生支援、教育研究支援機能を担う組織は人的資源の面からも財政的にもおざなりになっている。だけどそれを変えようと思ったら、それこそ身内から袋叩きに遭うような改革をやらなければいけない。そういう状況の中で、どうすべきか。生え抜きの人を育て、抜擢し、広域人事で回ってくるいわば任期付きの部課長や民間から登用した外部人材を組み合わせ、有効活用しなければならないのだが、学長や教員出身の総務担当理事ではなかなか難しいし、2年、長くても3年くらいで代ってしまう文科省出身の理事も、それだけの意思と理解と胆力を持った人材はそうそういるわけではない。企業から優秀な人をとっても、1人や2人では、大学内におけるインパクトは限定的。学長にリーダーシップがあって大学改革にかける思いがあっても、それを形にする人、要するに教授会に出かけていって、反対意見に凝り固まっている教員を説得して勝てる人間、最後はそういう人間を育て、外部から登用するというのが1つのキーだ。

  • 最近、文科省の幹部に「今のような緊張感を欠いた、従来の延長型の幹部職員人事を続けているようでは、法人化は失敗する。大学の現場は、運営費交付金の削減や評価の強化、新たな業務の急増で疲弊しており、早急にガバナンス改革、事務改革、人事制度改革、財政改革を断行しないと大変なことになる。こういう改革に本気で取り組む意欲のある人材を、ある程度の期間送るようにしないと、そのうちにもう文科省の人はお断りしょうということになる。そのくらい、現場の学長や生え抜き職員の目は厳しい」と頼まれもしないアドバイスをしてきた。

  • 幹部職員の人事権は学長にあるわけで、学長が代わったときに部課長全員を呼んで「踏み絵」をさせるぐらいでなくてはいけない。もちろん、これは学長が大学運営に関して明確なビジョンを持っているという前提。ビジョンを持っている前提で、そのビジョンを共有できるかどうかと。学長ビジョンは全部事務職員組織に還元できるはず。それぞれ課長、部長にそれを具体化する方策を考えさせるということ。そういう具体的な目標を与えられれば、必死になって考える。文科省から来る人でも内部登用する人でも最低限そのポストには4年は居ていただかないときちんとした成果の見える仕事はできないし、結果責任も問われない。もちろん最初の6ヵ月は、いわゆる「試用期間」ということにして、緊張感のある仕事をしてもらう。この段階で、うちの大学の管理職としては不適格ということになれば、残念ながらお引取りをいただく。

  • 文科省と国立大学の関係は、世間で言う本社と支店、子会社の関係ではない。人事面で対等の、メリット・ベースの採用をする必要がある。文科省の人も、元々仕事はできる人が多いが、大学に出た途端に、あるいは2年ごとに大学を変っていくうちに管理職としての緊張感が薄れる人がいる。いずれにしても、幹部職員の人事に関しては、発令の2~3週間前に文科省から人事異動の内示があってから、適任かどうかなんて考えていたのでは間に合わない。内示から着任まで課長で2週間、部長でも3週間しかない。この段階で、本人に会って能力や意欲を確かめても、人事の差し替えはほぼ不可能。どの部課長がそろそろ変わる時期か、というのは人事課に聞けばだいたいわかるから、その前に学長自ら本省に出かけていって「うちの大学では、こういう人(例えば、「広報体制を一新し、志願者の50%増を実現する課長」、「本部事務組織の職員を3年間で10%削減する事務局長」)がほしい。最低4年間は、大学にいてもらう」という具合に、具体的な条件を出して交渉すべき。事務職員、とりわけ幹部はそのくらい重要。

  • 「若くて元気がいい」というような、抽象的で曖昧模糊とした条件は、本当に意味のある条件ではない。「若くて元気が良くて、何もしない」事務局長だっている。問題は、「改革マインドがあるかどうか」「学長のビジョンを共有してくれるかどうか」「文科省ではなく、大学を向いて仕事をしてくれるかどうか」であり、そのことを明らかにするために、重点課題を示した「課題リスト」を提示し、できるかどうか具体的に尋ねること。改革できるのであれば、年齢や東大を出ているかどうか、キャリアかノンキャリかなんていうことは大して意味がない。だからそれを言わない人事であれば、はっきり言うと文科省は楽。だからごまかしの効かない条件を出すべき。そうすれば文科省は、○○大学の事務局長候補として考えている人を呼んで「学長からこういう条件を出されたから、従ってほしい」と言うしかないし、当人もとんでもない条件でない限り、その段階で「できません」とは言えない。できませんと言ったって人事をはめ込んでしまったからお前はここに行くしかないと言われるだけ。何事も、最初が肝心。いったん理事や事務局長として来てもらったら、あれこれ条件をつけるわけにはいかない。

プロパー事務職員の登用を
  • プロパーの事務職員の登用と教育というのが1つのポイント。民間企業の経営者は次代の経営責任を負う人間、人材を育てなければならない。育てて、評価して、選抜して、さらに鍛える。こういう意識が今の大学にはない。事務職員から理事を含めた登用のチャンスというのは、何か人事制度で考えないといけないし、そのためには本当に育てて、選んで、評価してというプロセスが要る。特に大学で弱いのは、評価して選ぶというところ。教員はまず自分の仕事の価値を評価されることは論文以外では望まない。だから、個人評価制度などというのは未だに抵抗がものすごくある。それから事務職員の評価はやるけれども、それがせいぜい勤勉手当の評価にしかならない。民間企業だったら、いい仕事をしたら人に先駆けてどんどん昇進できる。そういうcompetitionの土壌が大学にはない。そういう競争原理を持ち込まないといけないのではないか。大学の経営陣は、自分達の下から未来の経営陣を育てなければいけないという意識を強く持つ必要がある。

  • 今まで国の出先機関時代に、いわゆる事務局長とかの幹部職員に将来なってもらうような人材育成を大学がやってこなかったツケが、法人化になって出てきている。そういう対応ができる人物が大学内にまだ育っていない。結局法人化以降も、広域人事で、文科省の人事で来ているし、部長、課長以上全員が文科省の人事。だから、本当にがんばってこの大学を背負って行こうという士気の高い事務職員は少ない。まずは早期に人材育成をやって、役員の1人ぐらい、事務局長ぐらいはプロパーがなって、課長の半分以上はプロパーの職員がなるということをやらないと、本当の意味での職員の意識改革はできない。

  • 文科省から、幹部職員として優秀な人が来てがんばっているのは十分知っているが、少なくともプロパーの職員もがんばるような環境作りもある面で必要。それが大きなウエイトを占める。そういう意味で、ほとんど全部の幹部職員が広域人事じゃなく、半々でもいいから、少なくとも半分は地元の人で、ずっとがんばってきた優秀な人を育てて、その人達が事務局の課長なり、部長、そして場合によっては事務局長になるという道が開かれていないと、やっぱりやる気が出てこない。

  • 広域人事ばかりでは、大学の故事来歴、教員一人ひとりの研究活動についての理解がないとか、ロイヤリティがないとか、腰掛けということになる。また、人事権を持っている文科省の意向ばかり気にして、本当に大学のために文科省であろうがどこであろうが、主張すべきは主張するということができないという批判もある。逆に大学の中で育ってきた人間は、中のことはよく知っているけど、外の世界を知らない。大学に20年、30年いるからといって本当に教員のことを知っているか、本当の意味でロイヤルティがあるかというとまた別の話。要は、プロパーの職員、企業や文科省、経済産業省、地方自治体の行政官、各分野の専門家などのベストミックスを考えることが大切なのではないか。

2008年11月7日金曜日

社会から見た国立大学(2)

前回に続き「国立大学法人における外部人材の活用方策に関する調査研究報告書」のポイントをご紹介します。

大学経営における責任者の不在、論功行賞ではない役員人事を
  • 学長の選考もさることながら、現行法の中では、どのような人に役員になってもらうかという役員会の人選がかなり重要。文科省からの出向でない職員の法人役員への登用を積極的に進めなければだめである。地方採用で国立大学に勤めて長年やってきた人は、その大学のことについては一応のキャリアを持っており、自分のキャリアを高めた人に、法人の役員になってもらう。今の学長選挙というのはどうしても学内意向投票的。だからどうしても選挙対策に貢献した人を役員として周りに置くのではないか。本当にマネジメントなりガバナンスの能力の裏付けがあって、教育研究も一生懸命やった教員が役員として参画しているのかどうか。学内理事としてどういう人を選ぶのか、学外の理事もどういう形で登用するか、これが重要なポイントである。

  • 理事の権限が明確になっていない。事務組織は相変わらず昔のままで、そこに理事という職種が入り込んできただけで、理事のそれぞれの権限が明確になっていない。ある仕事が進んでいるのか、進んでいないのか、役員会で聞いても誰も答えない。誰が責任を持つのかと聞くと、学長が「私です」と手を挙げる。法人の長は学長だが、学長は多忙だから全ての仕事を全部やれるわけはない。そこを執行部である理事がきちんと自分の責任で、自分の仕事がどこまで進んでいるかをきちんと常に役員会なりに報告をして理解を求める必要がある。

  • 国の時代は、財務内容の詳細というのは事務方が握っていた。事務方はできれば、教員側には詳しい情報は教えないというのが本当のところ。それが法人化によりガラリと変わって、役員会の中で財務関係の議論をすることになると、学長も副学長も教員であり、財務というのははっきり言って詳しい話はわからない。そのため依然として、事務方が上げてきた案なりでそのまま通っていく。役員会でも経営協議会でも実質的な議論はやられていない。形骸化している。大学の運営という面では管理機能はあるけれども、大学の経営という視点からの議論が役員会では少ない。むしろ規定の改正ばかりが多く上がってきて終わってしまう。財務内容の勉強とか議論はない。

  • 役員の中に、「大学を経営するとは何か」ということを意識してやっている人達がいない。経営と運営とが一緒になっていて、自分の任期の間、大学が無事に動いていたらそれでいいと思っている。経営というのは違う。きちっとした目的や目標があって、それに向かって船を進めていく、それを意図してやっていくことが経営なのであって、そこにはっきりとした指針と一つの哲学がなければいけない。中期計画はやらなければいけないということはかなり思っているけれども、それをどうやっていいかということが、お金の面も施設の面も、うまく全体をきちんと計画立ててやるということが経営であるということはほとんど知らない。全て文科省に交渉してなんとか予算を取ってきて、それをやるのが仕事だと考えている。もし文科省から予算が出なかったら自分達はどうするかという対案がほとんど何もない。孤軍奮闘を本気でやるのであるならば、学長と密接な関係があって、学長が本気でその人をバックアップしない限りはまず動かない。民間人だとかそんなのは関係ない。要は、学内の意見を聞きながら、バランスを取りながらうまくやっていこうと考えると、本当に歩みは遅々たるものしかない。

  • 理事にも、もう少し高等教育論みたいな基礎的な大学運営の勉強をする機会を作ってほしい。学長はいつも「そうですね。わかりました」と言って終わり。ところが、理事の発言を聞いていると、非常に幼稚な議論を平気でやる。本当にこれが大学の教員かというぐらい幼稚。ここのところに経営権や運営権を与えたって無理。ここのギャップを早く埋めないと。イギリスの場合は、事務官を執行部に取り込む。その執行部の方にはプロフェッサーの称号を与える。皆さんはプロフェッサーと対等であるという仕組みでやる。ところが、日本ではなかなかそうはならない。教員で昨日まで物理をやっていた人が、理事になって、物理はわかるかもしれないけれども、理事は何をやるべきかをわからないまま、ずっと経験則だけでいこうとする。

事務組織改革、業務改革はこれからが本番
  • 役員会が機能を分担し合って、ポイントポイントで能力のある人を配置するということがなければダメだ。そういう点では、職員の役割というのは重要だ。第三者評価、国立大学法人評価委員会、認証評価もそうだが、大事なのはFDと並んでSD。Staff Development、要するに職員の資質開発ということにどれだけ組織的に取り組まれているかという実績が問われる。認証評価においても、教員の資質だけではなくて、職員の資質がかなり重要になってくる。

  • 外部の人の建設的な意見・批判が、全然大学内部の人に伝わっていない。研修して企業の人が「ここをこう変えたらいいのでは」と問題提起しても、みんな下を向いている。彼らの腹の中には「そんなことを言ったって、規則があるからできないし、そもそも学長や理事や部課長にやる気がないではないか」という気持ちや理屈がある。制度を変えるとか、本当に外部でやっているようなことをしたいと若い人は思っている。だけど係長や課長、そういう人達が全然聞いてくれない。なぜかと煎じ詰めていくと、部課長は、文科省人事で回っていて、改革なんてやってもやらなくても同じじゃないかと思っている。もっと煎じ詰めていくと、実は学長が、経営のビジョン、事務改革、人事制度改革についてのビジョンを持っていない。外部の人の建設的な意見を取り入れて、脇に落ちてみんなに行き渡るようにするには、相当な努力をしない限り伝わらない。

  • 組織が非常に細かく分かれている。もうちょっとグルーピングできないのか。また、理事との直結をきちっと図って、責任体制を明確にすることも必要。さらに、従来どおり職員の目は文科省、会計検査院、人事院に目が向いている。依然として国の制度をそのまま踏襲している。これでは法人化した意味がない。まだまだ職員にそういう仕組みを作るノウハウがないから依然として国の規則なり、そういったものを踏襲している。

  • 国立大学法人というのは、ある種の階級社会。ファカルティはそれなりに評価される可能性があるが、事務(アドミニストレーション)は非常に頭を抑えられている。このアドミニストレーションからいかに人材を育てあげるか、彼らのキャリアメイキングをどうするかというのを誰も何も考えていない。

  • ファカルティは漸増している。事務は10年ぐらいの間に3割から下手すると4割減っている。減っているにもかかわらず、仕事の量は倍ぐらい増えている。誰もその実態がどうしてそうなのだということに本格的にメスを入れようとしない。嫌でもそういう過程を通り過ぎないと本当の法人にならない。それをどうやって具体化するか、どうやってインプレメンテーションするかとなると制約が多すぎて誰もやろうとしない。勿論アウトソーシングは行われているが本質的な解決にはなっていない。

  • 日本の企業が国際競争力を付ける段階で非常に頑張ったのは「改善」ということ。民間企業の改善を支えているのは、事務系、技術系を問わずあらゆる組織の末端において小集団のサークルを作って、そのサークルが自発的に自分達のやっている仕事の問題点を探り、もっとうまくやれないか、もっと安くやれないか、もっと簡単にできないか、あるいはこの仕事をなくしてはいけないのかという辺りを、ずっと継続的に頑張るわけ。しかもそこでのポイントは、そうした成果を全社の中で発表する機会があるし、会社の中だけではなく産業レベルでの発表の機会もある。成果によっては、きちんと報償も出される。こういうモチベーションが与えられる中で改善が繰り返されていく。そういう目で見ていくと、大学の中で効率化とか合理化とか言って、多少のことはアウトソーシングしたりIT化されたりしているけれども、全然そんなものでは生ぬるいですよと言いたい。もっともっとやることはあるし、民間企業にいろいろ勉強するところはある。

  • 国立大学法人の給与体系。一般職の場合だと横に9級まであり、縦に130ぐらいある。これを1つ1つ、せいぜいスキップしても2つか、すこしずつ階段を登って行くわけ。総務部人事課(人事部に相当する)は何をやっているかというと、それのメンテに大忙し。「早くこれをもっと簡素化しなさい」、「5、6年のうちに年俸制にできないんですか、130もあるのをせいぜい10ぐらいにして、余計なくだらないことに忙殺されるのではなくて、もっと人材をどうやって育てるのかどういうキャリアパスをやってやるのか、そういうのを考える部署をつくらないといけません」と言っているが、誰もそこまでやる気はない。

  • 旅費精算に関わる手数と事務の手間の多さというのは目を覆うばかりである。いろんな事項も旅費にからんでいっぱいある。国の旅費支給基準を忠実に履行しなければいけないという縛りがものすごく多すぎる。民間でいくと、もっと簡素化をして、実費計算をして清算すればそれで終了。それをやると会計検査院が通りませんという議論ばかり。対外的にいろんなチェックをするところと交渉することを嫌がって避けようとして結論ありきで臨むという体質が一番問題。交渉し相手も理解してくれたら、いくらでも規則というのは変わるはず。その努力を徹底的に嫌がる職員群で成り立っている。

  • いわゆる企画、分析、調査、立案、教員とのインターフェース、外部とのインターフェースという仕事と、定型業務を切り分けていくと、財務部の仕事では、8~9割がお金の出納とかいった定型業務を一生懸命やっている。これを、派遣社員とか契約職員にやらせることは物理的には可能。財務部が徹底的に反対する理由は、一つは心理的な抵抗。外部から来た素人の人間に簡単にできるということによって、自分達のやってきた仕事が否定されたように思うということ。財務部というのは、大学の中で一番権限があって、出世コースで、できる職員が所属する部であるというふうに考えられてきた。それだけに、仕事の大部分が定型的業務であろうと、文科省から予算を取ってくるという機能が消えてしまおうと、関係なく、高いプライドを持っている。その中で財務部の職員が1人でも2人でも、専任職員が減っていって、外部に置き換えられていくというのが、財務部の権力の縮小だというふうに思っている。当事者にとっては大真面目な話でも、大学全体から見ればばかな組織肥大シンドロームというやつで、たくさんの部下に囲まれて、予算配分権を握っていることで他の部課や教員に対して威張っているのが財務部だと思っている。その実、財務部の仕事をよく見てみると、頭脳を使わないといけないところは監査法人とか、外部にアウトノーシングしている。財務諸表の作成や財務分析、それに基づく財務戦略の立案、財務関係の業務の簡素化、新たな資金獲得戦略の企画など早くノウハウを自家薬籠中のものにして、外部に頼むのではなく、自分達の力でできるようにしなければならないのに、こういう状態を法人化して何年たっても放置し、自らの力量形成を図らず、相も変らず監査法人に指示を乞い、その下働きのような仕事を何の疑問も持たずに動いている。職員でも教員でも反対の大合唱が起きたところが一番の改革ポイント。そこを変えないと多分大学は変わらない。

2008年11月6日木曜日

社会から見た国立大学(1)

「法人化後の国立大学運営における外部人材活用方策に関する調査研究プロジェクト」(研究代表者:立命館副総長・国立大学マネジメント研究会会長 本間政雄氏)により「国立大学法人における外部人材の活用方策に関する調査研究報告書」が公表されたことは、この日記でも既にご紹介いたしました。

外部人材の活用(1)http://daisala.blogspot.jp/2008/09/blog-post_4061.html
外部人材の活用(2)http://daisala.blogspot.jp/2008/09/blog-post_1968.html

昨年度に続くこの報告書は、全国の有識者を集め開催した複数回の座談会の様子を中心に編集されています。今回から数回に分けて、この座談会(有識者の発言)を通じて明らかになった国立大学の課題や問題点のポイントをお伝えしていきたいと思います。


大学の体質の問題
  • 組織の在り方については、制度的にも依然として国立時代の名残りが残っている。その一つが教特法(教育公務員特例法)の影響。役員会で最終意思決定されても、なかなか大学に趣旨が十分浸透していない、かつ実行されていない。どこで止まっているかというと学部で止まる。学部の自治という大きな壁がある。もう一つは学部長の任命。学校教育法なり教特法の流れから、教授会の推薦で学部長を決めることになっているが、現実的には、選出された学部長の基本的なスタンスは、7、8割以上は学部の側に立っている。基本的にあらゆるものが、そういったところでぶつかり合うという傾向が非常に強い。大学の自治というのは、学問の自由の確保だと思うので、そういった意味では教授の選任は教授会任せでいいと思うが、少なくとも法人経営上、重要な管理職である学部長は、実質的に学長が任命すべき。

  • 一番やりやすい改革が一番やりにくいのが大学。一番やりやすい改革というのは、自分達で決めた規則を変えること。自分達で決めたのだから自分達で変えれば済む。一番やりやすいことが一番やりにくい。絶対変えない。そして比較的やりにくい外部の人を説得するほうをやる。本末転倒もいいところで、自分のところをきちっとやってから、他人に当たらなければいけないのを、まず他を変えてしまおうと。そして自分達のものはなるべくいじらない。この姿勢が強すぎる。

  • 仕事を進めていくときに、「これは誰が言っているのか」、「あれはどうなってるんだ」と言う人がいない。理事の責任体制、権限の問題ともつながるが、「この仕事は幹部の誰が担当しているのか」と言うと誰も答えられない。だからいろんなアイデア、プロジェクトが出てきて、さあ具体化しようとしても、あとは砂に撒いた水のようにスーツと消えてなくなってしまう。せっかくワーキンググループでいい案ができて、あれはどうしたのかと言うと、「あれわかんない、どこ行ったんでしょう」と。副学長まで上げたつもりなんだけど、「あれ、それは聞いてない」とか。そういうものが多い。組織の体をなしていない。報告書が出て、これをするということが役員会で決まれば、その場で必ず担当の理事と事務局を確認しなければ、もう砂にしみこんで消えて、空中に浮いたまま。

  • 適切な人が学長に選ばれているかと問われれば、答えはノー。どうして学長が選ばれるかというと、まだ昔のような学部間での順番制とかが依然残っている。そして教員の意識も変わっていないから、昔の学長を選ぶつもりで人気投票化してしまっている。中期計画が大切なものであるにもかかわらず、中期計画の途中で学長が代わってしまうと、新しい学長にとってみたら、この中期計画は「私が作ったものではない」との感覚で取り扱われる危険がある。

  • 予算の配分は全て平等という「悪しき平等」が残っている。結果的に末端に行くと小さいお金になってしまい結果的に何も前に進まないし、いい仕事ができない。きちんと財源の配分の中で、今年はお前のところはがまんしろ、第1順位のこれをまずやるということが、なかなかうまくいっていない。

  • 学長は非常によくやっているのだけれども、理事長としてどういう将来展望を持ってどういうことをどのようにやる、その風土をどうやって作っていくという点ではあまり中身がないのではないか。それは理事にも言える。船で例えた場合、どっちの方向にどういうスピードで行っているのか、場合によっては座礁が出てくるかもしれない。そういうのをもう少し危機意識をもってやっていくべき。

教職員の経営上の問題意識の希薄さ、教職員の改革意識を高めるために
  • 教職員には、大学が実は何のために法人化して、大学というのはこれからどうなるかという意識が全くない。だから100年間同じ仕事をしても良いのだと思い込んでいる人達の集団であるというのが一番の問題。今10時間でできるところを5時間にしたらそれでいいじゃない、楽になるじゃないと言ったら、そんなことを信じる人間は誰もいない。5時間になったら、あと5時間、別の仕事をさせられると思っている。今10時間やっているからもう嫌だという心理だけしかない。

  • 効率化係数はあと1ポイント大きくして、2パーセントにすべき。要は、締め上げたら動かざるを得なくなる。それで初めて危機感が出てきて何かやる。あとの1パーセントは、文科省として、大型の大学改革助成金だとかへ回してほしい。要は早く音を上げるようにしてほしい。

  • 日本の大学は日本の大学しか考えていない。つまり葦の穴から天を覗いている状態。世界を見てみると、欧米の大学というのはグローバル化に伴って、学生の流動化と教員の流動化、そして産業との結びつきだとか、ものすごい勢いで変わっている。それなのにこのまま日本の大学がこんなことをやっていると、有為な人材は全部外へ行く。もしくは外の大学が入ってきて、日本の学生をさらっていく。そのことをなぜ日本の大学人は気がつかないのか。今の文科省の進め方は生ぬるい。このまま行ったら生き残れる大学は半分ぐらいになってしまう。

  • 一番悪いのは教員と職員の間の身分制度。これが強すぎる。つまり教員が、正直言って100パーセント「俺達(教員)のためにお前達(職員)はいる」と考えている。全てにおいて「お前ら俺の言うことを聞けないのか」と。職員はこういうふうな教員にずっと押さえつけられてきた。

  • 事務局職員は、あまりにも勉強をしない。法人化を機に人事制度を再構築するときに、教員との意見交換を頻繁にやったが、「彼らはあまりにもやる気がない。無能というよりも、何か新しいことを頼むと『できません。わかりません。無理です』という答えばかりで、考えようとも勉強しようともしてくれない」と言う。例えば、大学の教育、研究現場では国際化、情報化が急速に進展している。教員はそれなりに必死に勉強して、こういう変化に何とか対応しよう、追いつこうとするが、現場の職員は、そういう厄介な仕事を教員に押し付けて、平気な人達があまりにも多い。表面上は、教員を立てているよう顔をしているが、実際はそれで楽をしていればいいという面が相当ある。だから教員の意識と、職員のそもそも努力をしない姿勢、それぞれの相乗だと。長い間のそういうことの積み重ねが、言われるような身分制とか、意識の格差につながったというような一面もある。

  • 教員と職員が協働しコラボレートしないとダメだ。特に学外資金の導入などに関して、教員はアイデアを持っており方向付けができるかもしれないが、それを継続できるのはやはり職員の力。職員が研究や教育に対してコラボレーションしていく、そういう資質を高めていくことが必要。職員は今以上に学習を高めることが何よりも必要であり、職員の向上がなければ絶対に大学は変わらない。

  • 教員の自分達の評価に関する議論を聞いていて、時間の無駄だと思うのは、なんとかウエイトづけして、100点満点にしょうとしている点。ある教員には教育が全てであって、研究はどうでもいいかもしれない。ある教員にとっては研究が全てで、教育は小さいかもしれない。同じようなスケールで、それは何点がいいとか、そういうふうな議論ばかりをやっている。例えば、教育のところで、学生に教えて学生の評価はどうだとか、同僚から見てどういうふに思うかということはきちんと評価をつける、そこまでで点数をつける評価は十分であり、それを基にして点数で総合評価を作る、作らないというのは問題外。すべて見える化をしなさい、見えるようにした上で一つひとつの問題が議論できるような仕組みを作ればよいのではないか、その議論の過程から、その組織に合ったやり方を探していけばいいのではないか。それをしないで隠して、何もしないのが良いのだという考え方については大反対。

中期計画は文科省向け
  • 中期計画がどれだけ学内に浸透しているかということは非常に大事なこと。ところがそれが全然わからない。中期計画は、文科省向けであって、改革を進める学内向けのものではない。文章は素晴らしく、大学の教員は頭が全然違うなと思うのだが、それがどれほど一職員まで浸透しているのか。民間の頃の経験話を職員にしたことがあるが、その時、皆下を向いて何の質問もなかった。がっかりした。

  • 企業では、改革のための計画書といえば、当然社員が読み、一同で共有するもの。しかし、中期計画は文科省提出用。経営協議会で審議すべきものは改革計画の内容であって、提出用の書類ではないはず。「検討する」とか「努力する」とか「必要に応じて」とか、具体性をぼかしている。文科省のチェックをどうクリアするかが重要な文章である。重要な戦略から電気代の節約まで内容がごちゃ混ぜ。数ページくらいの簡潔で学内の行動規範となるようなもの、これこそ経営協議会で審議すべきではないか。

  • 法人化の一番大きな目標は、第1期6ヵ年計画でどこに行くんだということ。いろいろな難題もあるし痛みも伴う。自己の将来像はどうなんだ。そこに学長がリーダーシップを発揮して組織を持っていく、これが一番大切なことだけど、今の中期計画というのはそういう目的からいうと、全くはっきりしない代物。それがどれだけの効果、成果を生むのかと。それが世間にどれだけアピールするかということになると僕は結果についてはあまり確信がない。

  • 運営は毎日毎日一所懸命やっているが、運営を束ねる経営がない。重要会議に出るたびに感じるのは、本当に全くと言っていいくらい経営は必要としていない。運営は必要としているけれども、経営を必要としていない組織体というのは行く末がわからない。この際、文科省も含めて少なくとも次の6ヵ年計画では、一体全体法人化に経営が必要なのか必要でないのか、もう一度仕切り直すべき。国民の期待に応えられるような日本の教育を抜本から見直して力が出てくるような中期計画を第2期6ヵ年計画でやりましょうと。そのためには経営がやはり必要でしょうと。経営が必要であるためにはトップの意識をはじめ、風土、カルチャーがどのように変わらないといけませんよと。そういうのを適当にないがしろにしておいて、結果だけ「やった。やった。やりました」ということはあまり意味がない。それは本当に大変な時間のロスではないか。

  • 法人化という視点に軸足をおいた場合、大学全体がどんな格好でどういうスピード感で、どういう政策の連携をもって、どういう具合に風土・カルチャーを変えながら前進しているか、そこが一番大きな問題。そこをもう少し煮詰めていくといろいろと具体的な問題が出てくる。経営協議会や全ての重要会議を見ているとそういう色合いは薄い。本質が何であるかということを組織としてあまり理解していないし、認識していない。「文科省が言っている中期計画さえちゃんとうまくやれば俺のところは問題ないだろう。5段階評価の4は十分いくだろうな」と。それはそれでいいのだけれども、ちょっとさびしいんじゃないか。

  • 中期計画をやっているけれども、どの方向でどういうスピードで行ってどういう最終成果がもたらされるか明確ではない。今、国立大学法人はいろいろ乗り越えなければいけない問題があるにもかかわらず、そういったことに真正面からスポットライトをあてることをせずに、身内社会の間で何とかやっていこうとしている。改革に値するものはほとんどない。将来像というのが見えてこない。次の6ヵ年計画で将来像を明確にして、それに向かってどういう資源をどのように使ってどういう協力をして、タイムスケジュール的にこういう具合にやっていくんだということがない中期計画では、それをやったあとである種のむなしさだけが漂うだけ。

外部人材は活用されているか、経営協議会は機能しているか、経営協議会を実質化するために何が必要か
  • 外部人材が機能していない理由は、大学側の問題だけではなく外部人材の側にも課題がある。企業出身者が、国立大学の非効率性や意思決定の遅さ、中途半端さにあきれて、二言目には「企業ではこうなっている」ということを言うが、これでは大学の方は反発するだけ。教授会が保守勢力として根を張っているという現状を踏まえた上で、同じレベルに下りてきて根気良く説得することも必要だし、もう少し賢くやらなくてはいけない面もある。

  • 国立大学法人制度の設計に当たっては、「大学の自治と、巨額の運営費交付金を税金から投入されることからくる責任・コントロールとどう調和させるか」、あるいは、「教授会を通じて表現される教育・研究の担い手である教員の意思と、教学と経営の責任者である学長のリーダーシップをどう調和させるか」といった点をめぐって、大学の自律性、自主性と政府のコントロール、規制との関係が揺れ動いた。中期目標の文部科学大臣による「策定」と、中期計画の「認可」「修正」権限などを見ると、大学の自治と政府の規制を奇妙な形で妥協させた産物であることがわかるし、財政に関しても、渡し切りの交付金と言いながら、実は剰余金の認定や運用には国による制限がかかっている。企業から来た人が、なぜこんな簡単なことができないのか、と不満を募らせる理由の一つに、国立大学の責任ではないこうしたシステムの硬直性がある。

  • 経営協議会は「ご意見拝聴の場」「外部の方の意見は聞きました」というアリバイに化してしまっている。学外委員の提言や苦言というものがどういう形にせよ学内的に積極的に消化されなければならない。しかし、役員会や教育研究評議会にフィードバックされて、次の経営協議会にそれが返ってくるということはほとんどない。前回議論したことの問題点の所在と解決の方向性がきちんと経営協議会に報告されるようになれば、緊張感が参加者の達成感にまで引き上がってくる。貴重な時間と人件費を使って参加するのだから、それだけの努力をすべきではないか。そういった意味で、学長の人選の在り方は大変重要。

  • やたら偉い人が委員をやっている。大所高所からの意見も大切だが、よくある形式的な審議会になってはいけない。実質的な審議が経営委協議会には必要。いろいろな説明、回答は大体大学の課長が行うが、こんなことは会社だったらあり得ない。取締役は何をしているのかと怒られる。事務局長の立場が弱い。事務局長というのは組織上どうなっているのかわからないが、私のいる間に4人も代わった。こんなことは会社ではあり得ない。事務局長が、少なくとも事務のことは責任を持って説明するぐらいでなければならない。

  • 大学側は何か指摘をされると指摘に対して弁解をする。私が学長を経験した時、教員に、運営諮問会議において会議の方々が言われたことに対する弁解を禁じた。「全て意見だけを聞いて、ファイルを作って、その中で自分達の大学でどれをどうするかを決めろ」と。弁解ばかりを並べると最後には外部の人は物を言わなくなる。

  • 大学というのはクレーマー(クレームをつける人)がいない。会社であれば、当然取引先の企業からのクレームが、あるいは商売をやっていればお客さんからのクレームがある。大学の最大のお客様は学生だけれども、今の学生は何も文句を言わない。外部の人も大学に対してクレームは基本的につけない。だから大学人もそれに対して即座に対応するということに慣れていない。そういうことが仕事の進め方の遅さにつながっている。そういった意味で経営協議会に民間企業の人が入ってくるようになったけれども、本当に立派なことを言っていただけるのだけれども、本当に真剣になってそれらを受け入れて、学長が腹をくくって、どんな反対があろうがこれはやるという、そのような英断をしないといけないのではないか。どういう外部の人材を受け入れても、やっぱりそこに行き着くのではないか。

2008年11月4日火曜日

訴求力に欠けた要望書

今年も残すところ2か月。国会の動向も金融危機、選挙がらみで先行き不透明な状況が続いていますが、国の来年度予算編成作業は、例年通り財務省と各府省との攻防が粛々と進められていることでしょう。

高等教育関係予算に関してもこの時期、要望合戦が繰り広げられます。このたび、国立大学協会は、「平成21年度国立大学関係予算の確保・充実について」と題する要望書を文部科学大臣、文教関係の有力政治家に提出しました。その内容は以下のようなものです。

若干の感想を加えますと、以下の文章からは、予算の確保を至上命題とするような緊迫感はなんら伝わってはきませんし、相変わらずの役人的・学者的用語の羅列、しかも国民や社会の皆さんには何を言っているのか皆目理解できないような内容、教育振興基本計画の策定時における財務省VS文科省の厳しい攻防が全く教訓になっていない、総じて国立大学の存在意義が見えてこない、要は社会に対する訴求力に全く欠けたものと言わざるを得ません。

平成21年度国立大学関係予算の確保・充実について(要望)

貴職におかれては、日頃から国立大学法人について深いご理解と力強いご支援をいただいており、厚く御礼を申し上げます。

21世紀は「知識基盤社会」であり、その中で、高等教育は、個人の人格形成の上でも、社会・経済・文化の発展・振興や国際競争力の強化等の国家戦略の上でも、極めて重要な役割を果たすものであります。大学・大学院教育においては、留学生や社会人など多様な学生を積極的に受け入れつつ、教育の質を維持・向上し、学位の国際通用性を確保することが求められています。国立大学は、これまで、我が国における知の創造拠点として高度人材育成の中核機能を果たすとともに、高度な学術研究や科学技術の振興を担い、国力の源泉としての役割を担ってきました。

しかしながら、我が国における高等教育への公財政支出は、GDP比0.5%に過ぎずOECD平均の1%を大きく下回っています。国立大学法人の財政的基盤である運営費交付金は、骨太方針2006に基づき、毎年△1%の適用を受け、削減され続けており、各法人では各々が懸命の経営努力により対応しているものの、その努力も限界に近づきつつあります。特に、医師養成等の国の重要な機能を担う大学附属病院には経営改善係数(△2%)の適用とも併せて大きな影響が生じています。また、国立大学の教育研究活動を支える施設・設備については、施設整備費補助金等の削減により、その老朽・狭隘化が著しく進んでおります。

それにも関わらず、平成21年度概算要求基準において、運営費交付金は、政策棚卸し分を加え、△3%の削減となっております。このような運営費交付金・施設整備費補助金等の削減が続けば、今後数年を経ずして教育の質を保つことは難しくなり、さらには一部国立大学の経営が破綻するばかりか、学問分野を問わず、基礎研究や萌芽的な研究の芽を潰すなど、これまで積み上げてきた国の高等教育施策とその成果を根底から崩壊させることとなります。知的競争時代において諸外国が大学等に重点投資を行い、優秀な人材を惹きつけようとする中で、ひとり我が国だけが投資の削減を続けていては、このたび閣議決定された「教育振興基本計画」に掲げられた諸方策を十分に実行することもできず、教育研究の水準の維持・向上を図り、国際的な競争に打ち勝つことも困難です。

つきましては、貴職に対して我々の意をお伝えするため、別紙の事項について、要望いたします。平成21年度予算編成に向けて、国立大学関係予算の確保・充実について、ご理解をいただき、引き続きご尽力とご支援を賜りますようお願い申し上げます。


要望事項1 運営費交付金の拡充(総額△1%の撤廃、重要課題推進枠の確保)

我が国の発展の基礎を支える国立大学法人の教育・研究活動が安定的・持続的に推進できるよう、基盤的経費である運営費交付金を拡充すること。また、骨太の方針2006に盛り込まれた5年間の運営費交付金の総額1%削減方針は、今期のみならず次期の中期目標期間にわたり、大学の教育・研究の基盤に重大な影響を与えるものであることから、これを早期に撤廃すること。「教育振興基本計画」に掲げられた諸方策を実行するため、重要課題推進枠の確保に努め、政策棚卸しによる2%削減を越える必要な財政的支援を行うこと。

本来、国立大学が果たしてきた役割は、我が国の力強い成長と国際競争力向上の活力源となることであり、社会が国立大学に対してその役割を求める限り、その財政的基盤は安定的に担保されるべきものである。

そのためには、高等教育予算全体の増額が必要であり、国からの公財政投資を先進国並みに(GDP比0.5%を1%に)大幅に増額するように最大限の努力が求められている。国立大学の果たしている役割(国際競争力の源としてのナショナルセンターと、地域社会・経済を支えるリージョナルセンター)にご理解をいただき、国からの財政的支援を抜本的に拡充していただきたい。

また、国立大学法人における教育・研究の基盤となる運営費交付金については、各国立大学法人が6年間の中期目標・計画期間を通じて安定的・持続的にその役割を果たすために必要な経費であり、創造的・先端的な学術研究や我が国の発展の中核となる人材育成を着実に実施できるよう十分な予算を確保していただきたい。その際、骨太方針2006に盛り込まれた5年間の運営費交付金の総額1%削減方針は、今期のみならず次期の中期目標期間にわたり、大学の教育研究の基盤に重大な影響を与えるものであることから、これを早期に撤廃していただきたい。

このたび閣議決定された「教育振興基本計画」に掲げられた諸方策を実行するため、重点課題推進枠の確保に努め、政策棚卸しによる2%の削減を越える必要な財政的支援を行っていただきたい。


要望事項2 国立大学附属病院の経営に対する財政的支援等(△2%見直し)

経営改善係数の適用による△2%を見直すとともに、医師等の人材育成、地域医療の中核病院、地域医療体制の確立、高度先進的医療の提供など、国立大学附属病院特有の役割を果たすために必要な財政的支援を行うこと。また、経営努力にもかかわらず、診療報酬のマイナス改定等、外的な要因による経営への影響については、特段の配慮を講ずること。

国立大学附属病院は、地域で活躍する医師の育成や生涯教育、新しい治療の開発や治験などの臨床医学研究、重症患者の治療や先端医療、災害時やがん治療などの拠点病院として、地域医療を守る最後の砦としての使命を果たしてきているが、法人化の際には想定されなかった診療報酬の大幅なマイナス改定等の外的な要因により厳しい経営を迫られている。

この状況の中、附属病院は、懸命の経営努力を重ね、医業収入の増額を図っているものの、効率化係数(△1%)と経営改善係数(△2%)の適用も併せて、その努力は限界に近づいている。平成19年度決算では、16附属病院(42病院中)が実質的な赤字に陥っており、早急に対策を講じなければ大半の附属病院が赤字となる。

併せて、新臨床研修制度や新看護体制の導入をきっかけとした医師、看護師等の診療に必要な人材の確保に苦慮しており、医師・看護師の確保や離職防止等に必要な措置が講じられなければならない。

また、附属病院が地域の医療機関と有機的な連携をしながら、例えば、研修医や専門医の地域循環型の研修システムを整備していかなければ、地域医療体制の確保ができず、地域社会に対して多大な影響を与えることとなる。

高度先進的医療を提供するため、特に、附属病院を中心に実施されるがん専門医の養成やがんの診断・治療の臨床研究などに必要な措置を講じることは、我が国の医学・医療レベルの向上に寄与するとともに、安心・納得できるがん医療の提供を実現し、国民の期待に応えることに繋がる。

さらに重大なことは、現場の医師、教員は、教育・研究の時間を犠牲にして、医業収入増のための診療時間を増加せざるを得ず、医師養成機能の低下、臨床研究論文の減少を生み、国際競争力を低下させつつある。

したがって、今後も、附属病院に課せられた使命を果たし続けていくためには、経営基盤の安定化が不可欠であり、これに対する国からの財政的支援をお願いしたい。更に、医師不足対策については、大学の医学部定員を「早急に過去最大程度まで増員」という目標が骨太方針2008に盛り込まれている。医師の養成には多額の費用が必要であり、特段の配慮を願いたい。


要望事項3 教育・研究環境整備の予算の確保(施設・設備費の増額)

「第2次国立大学等施設緊急整備5か年計画」に基づき、国立大学法人の教育・研究環境を計画的に整備するために必要な予算を確保すること。また、世界最先端の研究やイノベーションの基盤となる研究施設・設備の整備や老朽化した教育・研究及び診療用設備の更新に必要な財政措置を講ずること。さらに、自然災害時に国立大学が病院を中心に地域の災害対策拠点としての役割を果たすことを踏まえ、必要な対策を講じるための財政的支援を行うこと。

国立大学の施設については、第3期科学技術基本計画で指摘されているとおり老朽化したものが増加している。そのため、耐震性不足など安全・安心でない教育研究環境にあり、全学的な視点に立った施設マネジメントや新たな整備手法を導入しても、整備に必要な所要額が絶対的に不足している状況にある*1

また、世界最先端の基礎研究や競争的資金等を活用したプロジェクト研究など新たな教育研究ニーズによる施設の狭隘化の解消が依然として課題となっている状況にある。

このため、昨年に引き続き、耐震化等の安全・安心を確保するための支援はもちろんのこと、国際競争力を高める教育研究を行う上で基盤となる施設の整備に対して、国からの絶大なる支援をお願いしたい。

また、国立大学研究施設・設備は、基盤的な教育研究が立ち行かないほど老朽化している状況にある。イノベーションを創出し、我が国の国際競争力を高めるために大型研究施設・設備の整備や老朽化した設備の更新は不可欠であるとともに、国際的に魅力ある教育研究環境の確保が急務であることに配慮願いたい。

さらに、自然災害時に国立大学が病院を中心に地域の災害対策拠点としての役割を果たすことを踏まえ、必要な対策を講じるための財政的支援をお願いしたい。


要望事項4 科学研究費補助金の拡充(予算の拡充、間接経費の措置)

第3期科学技術基本計画に従って、競争的資金、特に、大学等で行われる学術研究を支える科学研究費補助金の拡充に必要な措置を講ずること。また、研究環境の向上、適正な資金管理等に寄与する間接経費30%措置の早期実現に必要な予算を確保すること。

我が国の社会水準の向上や国際競争力のある優れた科学技術の発展を支えているのは、大学等で行われる学術研究(研究者の自由な発想に基づく研究)である。そのため、学術研究のすそ野を広げ、独創性・先駆性の高い研究を幅広く推進する必要がある。

科学研究費補助金は、こうした学術研究を支援する競争的資金であるが、近年、予算の伸びが鈍化しており、特に、研究者に配分する直接経費については、2年連続で減少している状況である。そのため、更なる予算の拡充が不可欠であり、中でも多くの地方国立大学の教員が応募する「基盤研究」や「若手研究」の充実とともに、既成の枠を越えた革新的・挑戦的な研究を促進する「新学術領域研究」や「萌芽研究」の拡充に配慮いただきたい*2

また、競争的資金の間接経費は、各大学等における研究環境の向上や適正な資金管理などに必要な経費であり、第3期科学技術基本計画において、全ての制度で30%の措置をできるだけ早期に実現することとされている。しかしながら、科学研究費補助金においては、一部の研究種目について、未だに間接経費が措置されていない*3

科学研究費補助金の果たす役割の重要性に配慮し、予算額全体の拡充及び未措置の間接経費に必要な予算の確保について、必要な措置を講じていただきたい。


要望事項5 「留学生30万人計画」実現のための予算の確保

大学間の国際的な競争が進展する中、「留学生30万人計画」を実現し、優れた留学生を多数受入れ、国内での就職を支援するためには、大学の国際化にかかる環境整備や、留学生のための宿舎、奨学金の充実、きめ細かな支援を行うための教育及びサポート体制の強化等、魅力ある大学づくりと受入れ体制の充実が必要であり、そのために必要な予算を確保すること。

留学生の受入れの推進は、グローバル化する知識基盤社会、学習社会の中で、我が国と諸外国との間の密接な人的ネットワークの形成、相互理解の増進や友好関係の深化、及び我が国の大学等の国際的な通用性・共通性の向上と国際競争力の強化を図る上で意義は大きい。

そうした中、文部科学省をはじめとした関係6省が本年7月に策定した「留学生30万人計画」骨子では、日本を世界により開かれた国とし、アジア、世界との間のヒト・モノ・カネ・情報の流れを拡大する「グローバル戦略」の展開を図るため、2020年を目途に留学生受入れ30万人を目指すこととしている。

また、大学の国際競争力を維持・向上させるためには、国際的に活躍できる人材を育成するプログラムや環境の整備が必要不可欠である。
そして「留学生30万人計画」を確実に実行するためには、留学生のための宿舎、奨学金の充実等、留学生の「量」的な増加に対応した受入れ環境の整備、並びにきめ細かな留学生支援が可能となる教育及びサポート体制の強化による「質」の維持・向上を図るための措置を講ずることが緊要な課題である。

しかしながら、大学の国際化や留学生の受入れ環境は、12万人を受入れている現状ですら必ずしも十分とは言えず、このような状況のままでは、国家戦略として取り組むべき「留学生30万人計画」の実行が困難な状況である。
このことから、留学生を引きつける魅力ある大学づくりと、受入れ体制の整備のために必要な経費を確実に措置していただきたい。


*1:国立大学法人等施設の状況(平成20年5月1日現在):国立大学法人等が保有する施設2,575万平方メートル、うち経年25年以上の施設 1,467万平方メートル(約57%)、うち未改修の老朽施設 757万平方メートル(保有施設の約1/3)

*2:平成20年度予算額:1,932億円(対前年度1.0%増)。直接経費の推移(補正後予算):平成18年度(1,620億円)→平成19年度(1,617億円)→平成20年度(1,579億円)

*3:措置済:特別推進研究、基盤研究、若手研究、新学術領域研究、学術創成研究費。未措置:萌芽研究、特定領域研究、特別研究促進費、特別研究員奨励費

2008年11月1日土曜日

「大学のグローバル戦略シンポジウム」レポート

去る10月28日(火曜日)午後、日本プレスセンター(東京)において、みずほ証券株式会社が主催する「UGSS(Universities Global Strategy Symposium)2008」(=大学のグローバル戦略シンポジウム2008)が開催されました。

このシンポジウムは昨年から開催され、今回が第2回目。テーマは、「大学の経営革新と新たな競争軸-米国大学のケーススタディに学ぶ大学の「価値」と「潜在力」-」ということで、配付された資料には「大学のグローバリゼーションを背景に『大学の経営革新と新たな競争軸』をテーマに掲げ、長期的・本質的な大学の変革を構想する上で不可欠な外部資金調達に焦点を当て、そのリソース開拓のメカニズムを明らかにするとともに、大学が抱える経営課題への解決策につながる先進的な事例を学ぶことにより、現在の大学の変革過程において、経営者、実務者が、大学の「価値」と「潜在力」を再認識し、自大学の知の拠点としての機能を最大に発揮する」という説明が書かれてありました。

何度も読み返さなければ何を言いたいのかわからないような難解な文章ですが、簡単に申し上げれば、「大学間競争が厳しくなる中、外部資金の調達は不可欠であり、制度の違いはあるが、米国大学の成功事例に学ぶことは重要である」ということではないかと思います。

このシンポジウムの構成は、まず、基調講演として、米国を代表する大学であるイエール大学、プリンストン大学それぞれから先進事例の紹介があり、次に両大学の講演者に国内代表として東京大学、日本大学を加え、慶応大学がチェアを務める豪華メンバーによるパネルディスカッションが、フロアー(大学関係者約100名)からの質疑応答を交えながら行われました。

なお、このシンポジウムは、国立大学マネジメント研究会、大学行政管理学会、21世紀大学経営協会の共催、米国大使館、米国大学理事会協会、イエール大学同窓会、慶應義塾大学SFC研究所の特別後援により行われました。

今日は、このシンポジウムの概要をご報告したいと思います。


基調講演1

テーマ

卒業生の「タイムアンドマネー」を喚起するモチベーションとは-イエール大学同窓会の再活性化-

講 師

マーク・ドロホップ氏(イエール大学同窓会 エグゼプティブディレクター)

▼米国の多くの大学は社会貢献活動を行いフレンドを調達している。

例えば、同窓会は、
  • 大学の目標と優先事項を卒業生に月次で報告(インターネットでも配信、eメールは毎週発行)
  • ネットワーク作りとキャリア・カウンセリングサービスを促進
  • 生涯学習の機会を提供(教員200人が米国中を回り講義、貧しい子どもに家庭教師を派遣など)
  • 地域社会への貢献のためのボランティア活動の機会を卒業生に提供
  • 卒業生を在学生のためのメンターに登用
  • 学生にインターンシップや学外研修の機会を提供 など

▼イエール同窓会(AYA)の役割は、「イエールとの生涯の繋がりを育む。そのために同窓生に奉仕するとともに、同窓生をイエールにとって有能な後援者であり、かつ親善大使とならしめる」こと。そのために4つの戦略目標を掲げている。

1 現行のプログラムの強化、新しいプログラムの開発、新しい媒体利用の増加による教育機会の拡充
  • サービスツアー(アウトリーチ)=ドミニカ共和国での家屋建築、能力開発の実例を共有するための海外大学訪問など
  • iチューン(オンライン講座)=25以上の講座をオンラインで開講
  • 家族参加プログラム=地中海への家族旅行、ピクニック、バイク旅行
  • カンファレンスと同窓会=3千人以上の同窓生がイエール同窓会や学内でのカンファレンスに参加 など

2 同窓生をサポートする多様なサービスを提供
  • キャリア・ネットワークとメンタリング=8千人以上の同窓生が、履歴書をオンラインで共有
  • クレジットカード=数万人の同窓生が大学のクレジットカードを使い、カード利用手数料が大学側の収入に
  • 旅行プログラム=イエールは50以上のプログラムを世界中で提供し、約15百名の同窓生が参加
  • 図書館、ジム・サービス
  • イベント、データベース管理=全同窓生が利用可能な同窓生名簿を管理 など

3 イエールの同窓生をイエールのために最大限に活用する。AYAは適切なプロジェクトを適切に遂行できる同窓生のために適切な仕組みとツールを提供する。
  • AYAのスタッフを50%増員=スタッフは同窓会スケジュールの調整などの活動をサポート
  • 同窓会への直接サポート=AYAは黒人、ラテン系、アジア系、アメリカ原住民、そしてLGBT(同性・両性愛/性転換者のグループ)の同窓会を組織
  • 6大都市の同窓生のサポート拡充=同窓会理事会と協力してプログラムを提供するなど、直接サポートを実施
  • 大学院と専門職大学院とのコラボレーション=大学院(経済、芸術史、物理学など)の同窓会のスポンサーになる など

4 リーダーシップ研修へのボランティア派遣など、適切なツールを提供
  • ウエブ=ウエブサイト・同報Eメール、ソーシャル・ネットワーキング、イベントマネジメント
  • ボランティア・リーダーシップ研修カンファレンス=同窓生が開催する講習の運営をAYAがサポート
  • GALE(Global Alumni Leadership Exchange)=2009年、イエールの同窓生が来日し、日本の大学と協同で同窓会や寄付募集に関する取組みを実施する予定。
  • コミュニケーション、マーケティングの強化=豊富な資料をクラブやアソシエーションに提供する。など

▼日本の大学の課題
  • 厳しい運営環境
  • 政府からの助成金が著しく減少
  • 外部資金調達の重要性と必要性が増大
  • 同窓会の重要性に対する大学の認識不足
  • 「ミッション」のより良い意義付けが必要-方針、目的
  • 正式な組織が必要
  • 大学による、より多くの資金援助と投資が必要
  • また、日本でファンドレイジングに携わる人々の多くは、寄付のためのテクニックを使おうとしない。なぜならば、寄付を断られることや、「直接的な依頼」によって不快感を持った寄贈者との関係が完全に壊れてしまうことを恐れているからである。

▼日本の大学への示唆
  • ファンドレイジングとは、お金を要求するのではなく、人々を寄付する気持ちにさせること。
  • 同窓会の方針と目的は、人々に時間、能力、財産を寄付する気持ちにさせること。
  • 日本でファンドレイジングに携わる者(米国でも同様!)は、ファンドレイジングのパラダイム転換を図る必要がある。「大学主導型」のファンドレージング(例えば、「大学は、あなたからの寄付が必要」)から、「自発的・寄贈者主導型」のファンドレイジング(例えば、「私は大学に寄付したいと思う。なぜならば私にとって重要なことに寄付金が使われ、他の人の人生を変えることができるからである。」)へと変えていく必要がある。
  • 財布(お金)を手に入れる前に、頭(知性)と心(感性)を手にしなければならない! 次世代の寄贈者は、「参加型」である。デザイン、運営、そして効果測定まで参加することを望む(彼らは、スタッフに任せたままにするのではなく、むしろスタッフを手助けする存在である)。寄贈者は結果を知り、真の継続的なパートナーシップを関係者や大学と築きたいと思っている。ボランティアは、慈善活動をすることではなく、時間・能力・財産を寄付し、それがどのような変化をもたらすかを見ることに関心がある。ボランティアと寄付は、非営利団体に対して、自らのキャリア経験と知識を提供し、市場志向と知識基盤を通じて効果が測定できるものと考えている。
  • 人は、トヨタにお金が必要だからカムリを買うのではない。多くの大学は、同窓生が「参加したい」プログラムではなく、「参加しなければいけない」と信じたプログラムを作り、失敗している。同窓会は、ボランティアや寄贈者が大学生活に参加したいと思うようなプログラムを自ら作る手助けをするべき存在である。

基調講演2

テーマ

大学の経営戦略に基づくファンドレイジングのトータルプロセス-プリンストン大学ファンドレイジングチームによるベストプラクティス-

講 師

スティーブ・ステイプルズ氏(プリンストン大学 ディベロップメントオフィス リーダーシップギフト アソシエイトディレクター)

▼寄贈者を誘導するサイクル(5段階プロセス)
  1. 特定(多くの財源から寄贈者を選定)
  2. 啓蒙(大学と寄贈者の関係強化を推進する活動をサポート)
  3. 勧誘(プログラムや取り組みへのサポートを要請)
  4. フォローアップ(サポートヘのお礼と、基金やプログラムの状況報告)
  5. 更新(大学への恒常的寄付)

【特定】

-寄贈者を特定する手法
  • 地域や業界の同窓生リストを調査
  • リサーチグループによる各種媒体(新聞、雑誌、オンライン情報など)の調査
  • 同窓生の調査(自己の特定)
  • 過去の寄贈者

-リサーチグループが開発した独自のレイティング・スケール
  • レイティングされた寄贈見込者は、総資産の5%を寄贈できると仮定

【啓蒙】

-啓蒙の方法:
  • 個別ミーティング
  • 郵便
  • Eメール

-啓蒙のための活用できる人材
  • 第一線のファンドレイザー
  • 他の同窓生
  • キャンパス内のパートナー(教授、スタッフ、アドミニストレーション等)
  • フレンズ

【勧誘】

-勧誘する手段:
  • 学長、スタッフ、プログラム・コーディネータからの提案書
  • 寄付合意書
  • 対面式会話

-面談の担当:
  • 教授
  • 学長(できれば、1回の面談)
  • 同窓生
  • 理事会

【フォローアップ】

-どのように寄贈者に的確に謝意を伝え、奨学金基金の状況報告を行うか
  • 年次レポートにファンドの市場価値と簿価を概説
  • 奨学金を受けた学生の名前を通達
  • 奨学金を受けた学生に寄贈者への礼状の送付を指示

-認知と可視化
  • プリンストン大学への寄付に関する年次刊行物
  • ニュースレター
  • ウェブサイト

【更新/評価】
  • 前述の4ステップ(特定→啓蒙→勧誘→フォローアップ)が的確に実行されれば、さらに寄付の機会が生まれる。
  • 1995年から2008年までの1ドルの寄贈当たりのコスト:8セント
  • 最大の経費項目(160人の職員の給与:基金の安定運営のため、成功報酬制はとらない一全雇用者は月給制)
  • 第一線のファンドレイザーは、年間100回の訪問と40回の勧誘が評価基準
  • チーム全体の目標金額を設定し、協力体制作りを後押し

▼日本の大学の課題
  • 高等教育への寄付文化が醸成されていない。
  • 大学でのファンドレイジングに関わるインフラの未整備

▼日本の大学への示唆
  • 日本経済の再浮上
  • 米国の大学とのコラボレーション

パネルディスカッション

テーマ

外部資金調達における大学の横断的組織の役割

チェア

國領二郎(慶応義塾大学総合政策学部教授、SFC研究所所長、インキュベーションセンター長)

パネリスト

・マーク:ドロホップ氏(前記)
・スティーブ・ステイプルズ氏(前記)
・杉山健一氏(東京大学副理事)
・秋山利明氏(日本大学財務部主計課課長)

ディスカッションに先立ち、東京大学・杉山氏から「東京大学基金の現状と課題」、日本大学・秋山氏から「日本大学における財務管理の一側面」の発表

▼同窓会組織と大学運営・教育研究との関係はどのようになっているか。
  • 米国大学における同窓会組織と大学の関係は大学によって異なり複雑だが、同窓会が必ずしも大学の運営に携わるものではない。
  • イエール大学の場合、以前、教育研究カリキュラムの変更についての意見を同窓生に聴いた。最終的に決定するのは大学(教員)だが、卒業生にアドバイスを求めることは、同窓生とのインターフェースを増やしていく観点から重要
  • 東京大学の場合は、同窓会連合会(赤門学友会)があり、大学側の窓口として2005年に「卒業生室」を設置
  • 日本大学の場合にも、校友会があり、大学に校友会事務局を設置。在学中から準会員としての入会を勧誘(会費徴収)。入会のメリットとして、病気、けがの補償、教育ローンの利子補給サービスを大学が実施
  • 大学の戦略に同窓生を活用すること、同窓生を大学のアンテナとして活用することが必要

▼どうしたら寄付カルチャーを育てることができるか。
  • 多くのレベルにおけるサービスを提供すること、サービスのプログラムを考え拡大すること、同窓生の「心と頭」に訴えることが重要。それにより同窓生と大学との結びつきが一層強化
  • 日本の企業が成功しているのは、「客を理解している」から。同窓生が大学に何を求めているのか、何を期待しているのか、何に参加したいのかを多くの同窓生に聴くこと、助けを求めること、調べることが必要
  • 同窓生との接点の定量化と障害を撤去することが必要

▼資金調達のためのトレーニングを行っているか。
  • プリンストン大学では、マニュアルを整備し、ブリーフィング(研修)で優先課題や寄付金勧誘の会話の仕方などを教えている。
  • イエール大学では、リーダーシップフォーラム(研修)で、非営利団体のガバメント、ボランティア研修を行っている。

▼ファカルティ(教員)は資金調達についてどういう意見を持っているか、教員を動員(モバイリティ)するのは大変ではないか。
  • イエール大学では、教員は最も重要なボランティアであり、できるだけプログラムに参加してもらっている。
  • プリンストン大学でも、教員は教育の第一線で教育の現状を知っており重要。しかし一部の教員に依存
  • 東京大学では、理解ある教員が増えつつあるが、決して多くはない。教員はスタッフの一角を担うべき。

▼企業からの寄付についてどのように考えているか。
  • プリンストン大学では、企業からの寄付は調達資金の15%以下であり、まだ企業との関係が十分に構築されていない。
  • イエール大学では、内部のビジネススクールでの研究や社員訓練を通じて企業から手数料が入る。企業が欲しているサービスを提供すれば寄付金は入る。例えば、起業家支援、新ビジネスの立ち上げ支援、技術移転など。同窓生も活用している。
  • 東京大学では、大学が欲しいものと企業が欲しいものをどう組み合わせていくかが今後の課題

▼基金の運用はどのようにしているか。
  • プリンストン大学では、大学内部の運用会社(世界に150か所)を使い分散投資をやっている。国際80:国内20の割合

▼米国では地方の大学、スケールの小さい大学はどのように資金調達を行っているのか。
  • 米国でも、同窓生の数が少ない、同窓会組織がない大学では課題が多いが、イエール大学の戦略を取り入れ、スタッフを増やしている大学もある。なぜならば、大学間競争が脅威であり、今後は、グローバルな学生を集めなければならないから。投資次第で大学は変わる。優秀な教員を集めるためには投資が必要であり、教員が集まれば学生が集まる。
  • 米国では、弱小大学は閉鎖されており、生き残るためには投資していかなければならない。
  • 英国の大学(オクスフォード、ケンブリッジなど)は米国に学生を奪われないために、新しい学費システムを導入。グローバル化は経済や企業だけの話ではない、教育も大学もグローバル化しなくてはならない。
  • 投資をし、資源を増やし、学生を確保することが必要。
  • 米国の州立大学は、財政的に州に依存できなくなってきている。私立との境界もなくなってきており、一層危機感を高めている。

▼卒業生以外のターゲット戦略はどうしているか。
  • 在学生の保護者は4年間の限定であり長期的に期待できない。
  • 篤志家のフレンズを増やすためには、教員が関与することが重要。
  • イエール大学では、保護者へプレゼンテーションするために、キャンパスに呼んで接待する。保護者は大学にとって重要だと思ってもらう。祖父母の日を設けている大学もある。
  • ステークホルダー別に分け戦略を練ることが必要。ボランティアにもなってもらう。

▼まとめ
  • 資金調達のための小さな努力を段階的に重ねていくことが重要
  • 寄付をしてもらうためには、「大学と一緒に活動すれば世の中を変えられる」という夢を持っていただくことが必要
  • 建物を建てることが目的ではなく、建物を建てることにより人を助ける研究をすることができるという考え方が必要

来賓挨拶

米国大使館 広報・文化交流部教育・人物交流担当官 Ms.Nini J.Forino氏