わが目を疑う報道に接しました。憤りに絶えかねず抗議の日記を書きます。
真意のほどがわからない状況で一部報道に振り回されても仕方ありませんが、いやしくも国民を代表する国会議員がこのような失言をした責任は追及されてしかるべきです。
何を根拠にこのようなことが言えるのか、国民の前できちんと説明すべきです。
霞ヶ関界隈及び地方で、国民や市民のために身を粉にして必死になって働く多くのノンキャリア公務員、準公務員の名誉、使命感はこの失言でずたずたにされたことでしょう。
マスコミは、徹底して、失言の撤回と謝罪を求めるべきです。
自民・中馬議員「悪いことするのはノンキャリア」(2009年6月27日 朝日新聞)
自民党麻生派座長で党行革推進本部長の中馬弘毅衆院議員(大阪1区)は27日、大阪市内で開かれた会合で公務員制度改革に触れ、「悪いことをするのはノンキャリア。上に行けないから、職場の中で法に無いことをしてしまう」と発言した。
会合は自民党員から意見を聞くために党府連が主催し、約200人が参加。中馬氏は「上級職を通った人は、よほどのことがないとそういうことに手を染めない」とキャリア官僚のことは擁護した。
郵便不正事件に絡んで逮捕された厚生労働省キャリアの前局長については、民主党の国会議員の口添えが自称・障害者団体への偽の証明書発行の発端になった疑いがあると指摘されていることを念頭に、「相当な圧力がかかった例外」と語った。
http://www.asahi.com/politics/update/0627/OSK200906270091.html?ref=rss
「悪いことするのはノンキャリ」…中馬・元行革相が発言(2009年6月28日 読売新聞)
自民党麻生派座長の中馬弘毅・元行政改革相は27日、大阪市内で開かれた党大阪府連の集会で、公務員制度改革を巡り、「悪いことをするのはノンキャリア(の官僚)だ。上に行けないから、職場で、法にないことをする」などと述べた。
会場からの質問に応じた際の発言で、「上級職を通った人は、そういうことに手を染めない」とキャリア官僚をかばった。
中馬氏は集会の終了後、読売新聞の取材に対し、発言について、「ノンキャリアとキャリアの垣根をなくすための制度改革を進めることが必要だという趣旨だ」と説明した。
http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20090628-OYO1T00267.htm?from=main1
2009年6月28日日曜日
国立大学協会の逆襲
現在、政府内では、来るべき総選挙をにらみながら、来年度予算の概算要求基準の閣議決定に向けた作業が急ピッチで進められています。
概算要求基準の基礎となる骨太方針が、財政規律の維持を放棄した「骨抜き方針」となった今、期待できるものは何もありません。
また、高等教育予算に関して骨太方針では、「『教育振興基本計画』等に基づき、・・・高等教育については、国際的に開かれた大学づくり、高等教育の教育研究基盤の充実、競争的資金の拡充などの新たな時代に対応した教育施策に積極的に取り組む。」とだけ触れ、無味な文字が並んだだけのものとなりました。おそらく、財務省の骨抜き戦略が功を奏したのでしょう。
骨太方針に影響力を持つ、財政制度等審議会の財務大臣に対する建議(6月3日)については、すでにこの日記でも、「財務省一流の独断と偏見を多分に含む内容であり、財務省の戦略に基づく政策誘導そのものであること、また、多くの記述やデータが誤解を招くような形で作成されており、正確な情報が必ずしも一般国民の皆さんに提供されているとは思えないこと」についてコメントさせていただきました。さらに、「文部科学省は、財政審の建議に対して、透明性のある方法で、全ての国民に対し、財務省の指摘一つ一つに対する反論を正々堂々と公開していただきたい」とも書かせていただきました。
財務省の誤認識と文科省の説明不足
http://daisala.blogspot.jp/2009/06/blog-post_6435.html
私のこの思いが通じたのかどうかはわかりませんが、このたび、文部科学省ではなく、国立大学協会が、財政審の建議に対する所見を表明しました。(文部科学省と国立大学協会の水面下の連携があったのかもしれません。)
国立大学を取り巻く厳しい状況が実感として理解できる方々にとっては、この所見が関係者の願いを代弁する「神の声」に思えたことでしょう。
今日はこの所見全文をご紹介します。
財政制度等審議会建議に対する所見(平成21年6月24日 国立大学協会)
社団法人国立大学協会(国大協)では、5月に要望書「『安心社会』実現に貢献する国立大学の振興に向けて」をまとめ、各方面に対して財政支援の充実を訴えてきた。
一方、財政制度等審議会(財政審)では、去る6月3日、「平成22年度予算編成の基本的考え方について」をとりまとめ、この中で大学予算、国立大学法人の運営費交付金の見直しについても言及した。
これを受けて、国大協では、6月15日に開催された総会において協議を行った。その結果、財政審建議に盛り込まれた内容については、真摯に受け止めて検討すべき点があるものの、その考え方の基調には受け入れがたいものがあり、また、誤解を招く記述も見られるという認識で一致した。
そこで、財政審建議の主な問題点を指摘し、改めて国大協の要望に関する理解を広く求めることとしたい。なお、医療をめぐる当該建議については、全国医学部長病院長会議などの見解に委ねることとしたい。
問題点1 「質」を高める投資の軽視
財政審は、信頼性をめぐって種々議論のある「世界大学ランキング」を主な根拠に、日本の大学に対する評価を貶めている。一方で、日本の高等教育に対する公財政支出が先進国中、最低水準であること(投資総額の対GDP比、学生一人当たり投資額、政府支出中のシェアいずれも該当)には触れていない。
以前、国大協として表明したとおり、乏しい投資水準に比して、日本の大学はむしろ健闘していると見るのが正当な評価である。少なくとも、費用対効果の面で、日本の大学運営が諸外国に比して非効率であるとする根拠は存在しない。
また、財政審は、国際比較の観点から、学生・教員数の比率に言及しているが、教員に対する支援人材の乏しさについて全く触れていない。私立大学との比較についても、国・私立大学がそれぞれ比重を置く課程・分野の違い等を考慮せずに教職員数の多寡を論じることは当を得ない。教育研究面の一層の成果を達成するためには、大学教育の「質」の指標として広く認知されている学生・教員数の比率を維持・改善しつつ、支援人材の質・量を確保することが必要である。
一律的な人件費削減を続けるばかりでは、国際競争から脱落することは免れない。大学教育の「質」の向上は、人的・物的投資の充実によってはじめて達成されるという基本原則を忘れてはならない。
問題点2 健全な競争、「適切なルール」の軽視
教育の「質」の向上のためには、健全な大学間競争とともに、それを成り立たせる適切なルールが必要である。しかし、財政審は、一部の大学の経営状態や学生の学力に着目し、「大学数や各大学の入学定員を最適規模に抑える」ことを俄かに提唱している。成熟した知識基盤社会において、果たして政府が、自律性を備えた教育機関の「量」の適正規模を決定する権能を持ちえるのか。
政府に求められるのは、公の責任によって振興を図るべき対象範囲、規模を示し、必要な投資を行うことであって、単に総量規制を復活することではない。グローバルな知識基盤社会・生涯学習社会に相応しい知的市民の層をいかに厚く形成していくかという基本理念に立って、制度を設計していくことが強く望まれる。
問題点3 競争的資金の偏重、安易な達成度評価の弊害の軽視
財政審は、基盤的経費である運営費交付金を削減し、競争的資金などで賄うことを求めている。しかし、競争的資金は、主として、特定分野での期限を限定したプロジェクト支援であり、基盤的な教育研究に資するものとは必ずしもならない。加えて、競争的資金の比重が増すにつれて、これを獲得するために必要な申請・評価対応のコストは著しく増大している。日本の大学における教育研究支援人材の不足も背景として、教員は教育研究活動に専心することが益々困難となってきている。
先進国の国公立大学については、いずれも基盤的経費が相応の比重を占めており、日本の国立大学のファンディング・システムは決して特別なものではない。政府には、基盤的経費と競争的資金からなるデュアル・サポートの均衡点を見出す努力こそが求められる。第二期中期目標・計画期間を前にする今、立ち止まって大学関係者の声に耳を傾けることを切に望みたい。
加えて、「客観的・定量的」な達成度評価を単純に是とする考え方は、高度・複雑な大学の教育研究活動の特質を踏まえないものと言わざるを得ない。「客観的・定量的」な指標は、教育研究活動の成果を一側面から描くものに過ぎず、安易に資源配分と結び付けようとするならば、その弊は大きい。
問題点4 教育の機会均等の軽視
財政審は、大学の機関数・学生数の量的規模が十分であるとする一方で、教育の機会均等をめぐる困難な状況については示していない。そして、個々の大学の「自己収入の確保」を求める中で「授業料設定の多様化」に触れ、その引き上げを示唆している。
現下の経済情勢にあって、格差の固定化などが懸念されている。経済的理由によって大学進学・修学を断念する層の存在に目を向けない財政審の発想は、「教育安心社会」をめざす我が国の在り方に逆行しているのではないか。
特に、1)日本の高等教育への支出における私費負担の割合(66%)は、OECD諸国平均(27%)を大きく上回っている、2)日本の国立大学の授業料は過去30年間で大きく上昇し(15倍)、実質的に世界最高水準になっている、3)家計の収入の高低により、大学進学率に大きな格差が存する(ある調査では、低収入層の進学率は高収入層の半分に止まる)、4)学生への経済的支援は極めて貧弱(例えば給付制奨学金の比重はOECD諸国中、最低水準)である、といった事実を踏まえた政策が求められる。
運営費交付金を拡充し、授業料・入学料標準額を減額するとともに、国公私立を通じ、給付型奨学金を創設するなど、経済的支援の飛躍的充実を図るべきであると考える。また、これらの施策が、少子化対策の一翼を担うものであることも強調しておきたい。
問題点5 地方との対話の軽視
財政審は、「国・地方公共団体の役割分担の観点」を掲げているが、実際には、「国立大学の再編・統合」の推進という結論まずありきであり、国側の財政事情に基づく一方的なメッセージとなっている。国立大学は、いずれも地域の枠を超えた教育研究活動を展開しており、多くの人々がその恩恵に浴している。リージョナルセンターとしての性質を強く有する国立大学についても、当該地域住民だけが受益者ではなく、ナショナルセンターとしての重要な機能を果たしている。もとより教育資源の有効な活用は重要であるが、当該国立大学を地方へ移管すれば済むというような単純な発想をとるとすれば、将来にわたって我が国の国力を衰微させる危険を招来することは必至である。
問題点6 大学システムの日本的特質の軽視
財政審は、国立大学の再編・統合を求めているが、そもそも日本の場合、大学教育における公的セクターの比重が極めて小さいという特質を持っている。国民の進学需要の高まりを、主として公立大学の拡充によって吸収したアメリカとは対照的に、日本は、私学セクターが中心となってこれを受け止めてきた。この間、公的投資は抑制され、国立大学の量的な比重は低下していった。さらに、平成13年には「大学(国立大学)の構造改革の方針」が示され、以来、約3割の国立大学が再編・統合を経験してきている。今日、アメリカの州立大学が600校を超えるのに対し、日本の国立大学は86校に過ぎない(平成13年当時の101校から大幅に削減)。
このような特質や沿革に照らすならば、眼前の人口減少のみを理由に、国の発展の原動力たるべき国立大学の数を過剰であると断じることは適切ではない。財政審が「我が国の成長力・国際競争力を高める」ことを真剣に考えるのであれば、既存の国立大学がそれぞれのミッションに応じて、一層機能を高めていくことができるような条件整備を推進することこそ肝要である。
以上では、主な問題点に絞って財政審建議に対する所見を述べたが、当該建議の公表を契機に、国立大学では多くの資金が余っているかのような報道(「国立大『埋蔵金』3000億円」)がなされている事態は看過できない。これは、各国立大学が、支出を懸命に節減する努力の一方で、大規模プロジェクトなどに計画的に使用するために積み立てた資金などであって、決して財務上の余裕があることを示したものではない(具体的な考え方は別紙)。こうした誤解が引き起こされることは極めて遺憾であり、国立大学の経営が厳しさを増しているという事実を重ねて強調しておきたい。
国立大学が直面している現状に対する正しい理解に基づき、「骨太2006」に定められた運営費交付金対前年度比1%削減の方針を次年度以降撤廃するとともに、国からの財政支援を出来る限り早期にOECD諸国並みに拡充することを切に要望するものである。「骨太2009」において、こうした方向性が明示されなかったことは遺憾であるが、国大協としては、国立大学の教育研究活動の振興策が適切に講じられるよう、引き続き各界の理解を訴えてまいりたい。
(別紙)国立大学法人等の積立金等について
1)国立大学法人等の平成19年度末における積立金等は、財務諸表上、3,001億円となっています。このうち、会計処理上の形式的・観念的利益である「積立金」が1,555億円と過半を占めています。 一方、所定の手続きを経て、一定の事業の用に供することとなる「目的積立金」は1,446億円です。
2)「積立金」の1,555億円は、国立大学法人会計基準に従って会計処理を行ったために生じる形式的・観念的利益です。実際に法人に現金等が残っているものではありません。
3)「目的積立金」の1,446億円は、各法人が年度を越えた大規模なプ ロジェクトなどに計画的に使用するため、人件費の節減などの自己努力により創出した利益で、財務大臣への協議、文部科学大臣による承認等の所定の手続きを経た資金です。
4)このように、積立金があること自体は、国立大学法人の資金に余裕があることを示していません。全体としては、運営費交付金の削減等により、 国立大学法人の経営は厳しさを増しています。
概算要求基準の基礎となる骨太方針が、財政規律の維持を放棄した「骨抜き方針」となった今、期待できるものは何もありません。
また、高等教育予算に関して骨太方針では、「『教育振興基本計画』等に基づき、・・・高等教育については、国際的に開かれた大学づくり、高等教育の教育研究基盤の充実、競争的資金の拡充などの新たな時代に対応した教育施策に積極的に取り組む。」とだけ触れ、無味な文字が並んだだけのものとなりました。おそらく、財務省の骨抜き戦略が功を奏したのでしょう。
骨太方針に影響力を持つ、財政制度等審議会の財務大臣に対する建議(6月3日)については、すでにこの日記でも、「財務省一流の独断と偏見を多分に含む内容であり、財務省の戦略に基づく政策誘導そのものであること、また、多くの記述やデータが誤解を招くような形で作成されており、正確な情報が必ずしも一般国民の皆さんに提供されているとは思えないこと」についてコメントさせていただきました。さらに、「文部科学省は、財政審の建議に対して、透明性のある方法で、全ての国民に対し、財務省の指摘一つ一つに対する反論を正々堂々と公開していただきたい」とも書かせていただきました。
財務省の誤認識と文科省の説明不足
http://daisala.blogspot.jp/2009/06/blog-post_6435.html
私のこの思いが通じたのかどうかはわかりませんが、このたび、文部科学省ではなく、国立大学協会が、財政審の建議に対する所見を表明しました。(文部科学省と国立大学協会の水面下の連携があったのかもしれません。)
国立大学を取り巻く厳しい状況が実感として理解できる方々にとっては、この所見が関係者の願いを代弁する「神の声」に思えたことでしょう。
今日はこの所見全文をご紹介します。
財政制度等審議会建議に対する所見(平成21年6月24日 国立大学協会)
社団法人国立大学協会(国大協)では、5月に要望書「『安心社会』実現に貢献する国立大学の振興に向けて」をまとめ、各方面に対して財政支援の充実を訴えてきた。
一方、財政制度等審議会(財政審)では、去る6月3日、「平成22年度予算編成の基本的考え方について」をとりまとめ、この中で大学予算、国立大学法人の運営費交付金の見直しについても言及した。
これを受けて、国大協では、6月15日に開催された総会において協議を行った。その結果、財政審建議に盛り込まれた内容については、真摯に受け止めて検討すべき点があるものの、その考え方の基調には受け入れがたいものがあり、また、誤解を招く記述も見られるという認識で一致した。
そこで、財政審建議の主な問題点を指摘し、改めて国大協の要望に関する理解を広く求めることとしたい。なお、医療をめぐる当該建議については、全国医学部長病院長会議などの見解に委ねることとしたい。
問題点1 「質」を高める投資の軽視
財政審は、信頼性をめぐって種々議論のある「世界大学ランキング」を主な根拠に、日本の大学に対する評価を貶めている。一方で、日本の高等教育に対する公財政支出が先進国中、最低水準であること(投資総額の対GDP比、学生一人当たり投資額、政府支出中のシェアいずれも該当)には触れていない。
以前、国大協として表明したとおり、乏しい投資水準に比して、日本の大学はむしろ健闘していると見るのが正当な評価である。少なくとも、費用対効果の面で、日本の大学運営が諸外国に比して非効率であるとする根拠は存在しない。
また、財政審は、国際比較の観点から、学生・教員数の比率に言及しているが、教員に対する支援人材の乏しさについて全く触れていない。私立大学との比較についても、国・私立大学がそれぞれ比重を置く課程・分野の違い等を考慮せずに教職員数の多寡を論じることは当を得ない。教育研究面の一層の成果を達成するためには、大学教育の「質」の指標として広く認知されている学生・教員数の比率を維持・改善しつつ、支援人材の質・量を確保することが必要である。
一律的な人件費削減を続けるばかりでは、国際競争から脱落することは免れない。大学教育の「質」の向上は、人的・物的投資の充実によってはじめて達成されるという基本原則を忘れてはならない。
問題点2 健全な競争、「適切なルール」の軽視
教育の「質」の向上のためには、健全な大学間競争とともに、それを成り立たせる適切なルールが必要である。しかし、財政審は、一部の大学の経営状態や学生の学力に着目し、「大学数や各大学の入学定員を最適規模に抑える」ことを俄かに提唱している。成熟した知識基盤社会において、果たして政府が、自律性を備えた教育機関の「量」の適正規模を決定する権能を持ちえるのか。
政府に求められるのは、公の責任によって振興を図るべき対象範囲、規模を示し、必要な投資を行うことであって、単に総量規制を復活することではない。グローバルな知識基盤社会・生涯学習社会に相応しい知的市民の層をいかに厚く形成していくかという基本理念に立って、制度を設計していくことが強く望まれる。
問題点3 競争的資金の偏重、安易な達成度評価の弊害の軽視
財政審は、基盤的経費である運営費交付金を削減し、競争的資金などで賄うことを求めている。しかし、競争的資金は、主として、特定分野での期限を限定したプロジェクト支援であり、基盤的な教育研究に資するものとは必ずしもならない。加えて、競争的資金の比重が増すにつれて、これを獲得するために必要な申請・評価対応のコストは著しく増大している。日本の大学における教育研究支援人材の不足も背景として、教員は教育研究活動に専心することが益々困難となってきている。
先進国の国公立大学については、いずれも基盤的経費が相応の比重を占めており、日本の国立大学のファンディング・システムは決して特別なものではない。政府には、基盤的経費と競争的資金からなるデュアル・サポートの均衡点を見出す努力こそが求められる。第二期中期目標・計画期間を前にする今、立ち止まって大学関係者の声に耳を傾けることを切に望みたい。
加えて、「客観的・定量的」な達成度評価を単純に是とする考え方は、高度・複雑な大学の教育研究活動の特質を踏まえないものと言わざるを得ない。「客観的・定量的」な指標は、教育研究活動の成果を一側面から描くものに過ぎず、安易に資源配分と結び付けようとするならば、その弊は大きい。
問題点4 教育の機会均等の軽視
財政審は、大学の機関数・学生数の量的規模が十分であるとする一方で、教育の機会均等をめぐる困難な状況については示していない。そして、個々の大学の「自己収入の確保」を求める中で「授業料設定の多様化」に触れ、その引き上げを示唆している。
現下の経済情勢にあって、格差の固定化などが懸念されている。経済的理由によって大学進学・修学を断念する層の存在に目を向けない財政審の発想は、「教育安心社会」をめざす我が国の在り方に逆行しているのではないか。
特に、1)日本の高等教育への支出における私費負担の割合(66%)は、OECD諸国平均(27%)を大きく上回っている、2)日本の国立大学の授業料は過去30年間で大きく上昇し(15倍)、実質的に世界最高水準になっている、3)家計の収入の高低により、大学進学率に大きな格差が存する(ある調査では、低収入層の進学率は高収入層の半分に止まる)、4)学生への経済的支援は極めて貧弱(例えば給付制奨学金の比重はOECD諸国中、最低水準)である、といった事実を踏まえた政策が求められる。
運営費交付金を拡充し、授業料・入学料標準額を減額するとともに、国公私立を通じ、給付型奨学金を創設するなど、経済的支援の飛躍的充実を図るべきであると考える。また、これらの施策が、少子化対策の一翼を担うものであることも強調しておきたい。
問題点5 地方との対話の軽視
財政審は、「国・地方公共団体の役割分担の観点」を掲げているが、実際には、「国立大学の再編・統合」の推進という結論まずありきであり、国側の財政事情に基づく一方的なメッセージとなっている。国立大学は、いずれも地域の枠を超えた教育研究活動を展開しており、多くの人々がその恩恵に浴している。リージョナルセンターとしての性質を強く有する国立大学についても、当該地域住民だけが受益者ではなく、ナショナルセンターとしての重要な機能を果たしている。もとより教育資源の有効な活用は重要であるが、当該国立大学を地方へ移管すれば済むというような単純な発想をとるとすれば、将来にわたって我が国の国力を衰微させる危険を招来することは必至である。
問題点6 大学システムの日本的特質の軽視
財政審は、国立大学の再編・統合を求めているが、そもそも日本の場合、大学教育における公的セクターの比重が極めて小さいという特質を持っている。国民の進学需要の高まりを、主として公立大学の拡充によって吸収したアメリカとは対照的に、日本は、私学セクターが中心となってこれを受け止めてきた。この間、公的投資は抑制され、国立大学の量的な比重は低下していった。さらに、平成13年には「大学(国立大学)の構造改革の方針」が示され、以来、約3割の国立大学が再編・統合を経験してきている。今日、アメリカの州立大学が600校を超えるのに対し、日本の国立大学は86校に過ぎない(平成13年当時の101校から大幅に削減)。
このような特質や沿革に照らすならば、眼前の人口減少のみを理由に、国の発展の原動力たるべき国立大学の数を過剰であると断じることは適切ではない。財政審が「我が国の成長力・国際競争力を高める」ことを真剣に考えるのであれば、既存の国立大学がそれぞれのミッションに応じて、一層機能を高めていくことができるような条件整備を推進することこそ肝要である。
以上では、主な問題点に絞って財政審建議に対する所見を述べたが、当該建議の公表を契機に、国立大学では多くの資金が余っているかのような報道(「国立大『埋蔵金』3000億円」)がなされている事態は看過できない。これは、各国立大学が、支出を懸命に節減する努力の一方で、大規模プロジェクトなどに計画的に使用するために積み立てた資金などであって、決して財務上の余裕があることを示したものではない(具体的な考え方は別紙)。こうした誤解が引き起こされることは極めて遺憾であり、国立大学の経営が厳しさを増しているという事実を重ねて強調しておきたい。
国立大学が直面している現状に対する正しい理解に基づき、「骨太2006」に定められた運営費交付金対前年度比1%削減の方針を次年度以降撤廃するとともに、国からの財政支援を出来る限り早期にOECD諸国並みに拡充することを切に要望するものである。「骨太2009」において、こうした方向性が明示されなかったことは遺憾であるが、国大協としては、国立大学の教育研究活動の振興策が適切に講じられるよう、引き続き各界の理解を訴えてまいりたい。
(別紙)国立大学法人等の積立金等について
1)国立大学法人等の平成19年度末における積立金等は、財務諸表上、3,001億円となっています。このうち、会計処理上の形式的・観念的利益である「積立金」が1,555億円と過半を占めています。 一方、所定の手続きを経て、一定の事業の用に供することとなる「目的積立金」は1,446億円です。
2)「積立金」の1,555億円は、国立大学法人会計基準に従って会計処理を行ったために生じる形式的・観念的利益です。実際に法人に現金等が残っているものではありません。
3)「目的積立金」の1,446億円は、各法人が年度を越えた大規模なプ ロジェクトなどに計画的に使用するため、人件費の節減などの自己努力により創出した利益で、財務大臣への協議、文部科学大臣による承認等の所定の手続きを経た資金です。
4)このように、積立金があること自体は、国立大学法人の資金に余裕があることを示していません。全体としては、運営費交付金の削減等により、 国立大学法人の経営は厳しさを増しています。
2009年6月24日水曜日
命どぅ宝-沖縄戦を忘れない
昨日6月23日(火曜日)は、「沖縄慰霊の日」でした。
私事ながらこの日は、娘の誕生日に当たり、我が家では毎年誕生会を兼ねた夕げの中で、尊い命を落とされた多くの戦没者の方々に対し黙祷を捧げることにしています。
さて「沖縄慰霊の日」とはどういう日なのか、以外とご存じない方が多いようです。平和というものにどっぷりと浸りきった現代の生活の中では、64年前、住民の4人に1人という多くの犠牲者を伴い終結した沖縄戦の悲惨さや冷酷さを感じ取ることはなかなかできません。
私達が享受している何不自由なく満たされた生活は、戦争終結を起点とした多くの先人達の努力の蓄積の上に成り立っていることを決して忘れてはなりません。
さらに重要なのは、悲惨な戦争を終結に至らしめたのは、アメリカ軍の本土上陸を盾となって阻止した沖縄戦における多くの「沖縄の人々の落命」によるものであることを、いかなる時代変化があろうとも決して忘れてはならないということです。
64年という歳月とともに、戦争体験を後世に伝えることが次第に難しくなってきました。「語り部」の高齢化、開発による戦跡の荒廃と消滅等々。一方、沖縄には2500トンもの不発弾が未だに眠っており、その処理にはあと80年もの時間が必要だそうです。残存した米軍基地の問題も含め、沖縄にとって戦争はまだ終わっていないのです。
私達は、戦争という名の大量殺戮という重犯罪を二度と起こさないこと、そして「命(ぬち)どぅ宝」という沖縄の言葉に託された多くの戦没者の願いをいつまでも子孫に伝え続けることを通じて、人としての責任を全うする義務があります。
多くの関連記事の中から、個人的に気になったものをご紹介します。
あす「慰霊の日」:5大学1129人、3割「由来知らない」(2009年6月22日 毎日新聞)
23日の「慰霊の日」を前に琉球新報社は16日から4日間、県内4年制総合5大学の学生(1129人)を対象に沖縄戦について知識や意識を問うアンケートを実施した。その結果、沖縄戦を学ぶことは99.4%が「大切」と答えた一方、牛島満司令官が自決した日として定められた「慰霊の日」の由来を「知らない」と答えた学生が29.4%に上ったほか、今年は沖縄戦終結から何年かとの質問で「64年」と正しく回答できたのは61.6%にとどまった。沖縄戦の体験継承に関心や意欲が強い一方で基礎的知識に課題があることが浮き彫りになった。・・・
http://mainichi.jp/area/okinawa/news/20090622rky00m040002000c.html ]
64年目の慰霊の日 被害と加害の再現許すまじ 「反軍隊」は譲れない一線(2009年6月23日 琉球新報社説)
県内5大学の学生に琉球新報社が実施したアンケートで、99%が沖縄戦を学ぶことは「大切」と答えたが、戦後の年数の正答は6割にとどまった。沖縄戦から64年の「慰霊の日」に沖縄戦を語り継ぐ意義を考えたい。
アンケートでは日本兵の住民虐殺について学生の87%、学徒動員は93%が知っていた。「集団自決」について84%が「日本の軍事下で追い詰められた死」を選択し、教科書の「日本軍の強制」削除も9割が知っていた。
知識不足の面もあるが、沖縄戦の本質への大まかな理解と平和を守る意識の高さをうかがわせる結果だ。
語り継ぐ沖縄戦教訓
沖縄戦については1971年の県史「沖縄戦通史」を皮切りに多数の市町村・字史が出版された。多くの県民の悲惨な体験が掘り起こされ、沖縄戦研究の成果が学校の平和教育に生かされた。
体験者の減少とともに「沖縄戦の風化」が懸念されている。その中で沖縄戦を忘れまいとする体験者の強い意志と、研究者や学校現場の取り組みが沖縄戦の教訓を次世代に伝えている。
本紙の連載「語らねば、今こそ」は、長く胸に秘めたつらい沖縄戦体験を、高齢を迎え語り出した人々の思いを伝えた。
沖縄師範健児之塔の慰霊祭は遺族の高齢化で2006年が最後となっていたが、仲田英安さん(34)ら若い世代の遺族を中心に今年から復活する。
活動が活発な遺骨収集ボランティア団体「ガマフヤー」の代表具志堅隆松さん(54)も戦争体験者の第2世代だ。
“風化”を乗り越え、沖縄戦体験者から次世代に継承される沖縄戦の教訓、反戦平和の思想はどのようなものか。
沖縄戦は本土決戦の時間稼ぎのための「捨て石作戦」として県民に多大な犠牲を強いた。日米両軍の激戦が住民を巻き込み、20万人余に上る犠牲者数の多さ、日本兵の住民虐殺、日本軍が関与した住民の集団自決(強制集団死)などが特徴といわれる。
「日本軍の加害」の記憶は県民に軍隊と戦争への深い嫌悪を抱かせ、「反戦・反軍隊」の県民感情を根付かせた。
軍隊への根強い不信感は「軍隊は住民を守らない」、また何よりも命を尊ぶ「命(ぬち)どぅ宝」の言葉が定着している。
県民の「反戦・反軍隊」の思いを象徴するのが「平和の礎」だ。県民、日本軍、国籍、敵味方の区別もなく、すべての犠牲者の名前を刻み、平和を祈念している。
軍隊を憎みながらも、戦没した一人一人の兵士を戦争の犠牲者として悼んでいるのである。
「反戦・反軍隊」と「命どぅ宝」の思想の結実といえよう。
しかし筆舌に尽くせぬ戦争体験を通し県民が培った「反戦・反軍隊」の思いは、「基地の島沖縄」の現実に裏切られ続けている。
軍事同盟の危うさ
ベトナム戦に嘉手納基地からB52爆撃機が出撃し、沖縄はベトナムへの加害に加担する「悪魔の島」と呼ばれた。復帰後も広大な基地は存続し、湾岸戦争やイラク戦争に戦闘機やヘリが出撃した。
1990年代の日米安保再定義から21世紀の在日米軍再編で、日米の軍事協力の対象が極東から世界に広がったといわれる。
米軍再編に伴う沖縄の負担軽減は虚飾でしかなく、日米が軍事一体化する再編強化が進んでいる。
政府の新「防衛計画の大綱」方針は中国の軍事台頭や北朝鮮の核、ミサイル開発をにらみ「敵基地攻撃能力」をも検討するという。
北朝鮮の動向など国際情勢によっては、再び沖縄が加害の出撃基地となりかねない。
沖縄が「敵基地攻撃」の拠点とみなされ、相手国の攻撃の被害を受ける可能性も否定できない。
日本国憲法は戦争と武力行使の放棄を誓う。無軌道な軍事国家として太平洋戦争に突き進んだ反省に立つ憲法は、沖縄の「反戦・反軍隊」の思想に通じる。
広島、長崎が原爆被爆の体験から核廃絶運動の拠点となったように、住民を無差別に巻き込む悲惨な地上戦の犠牲となった沖縄は、あらゆる戦争に反対する普遍的な反戦平和運動の拠点となる資格と責務を負う。
沖縄が再び「被害」「加害」の地とならぬよう「反戦・反軍隊」の思いをかみしめたい。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-146221-storytopic-11.html
沖縄戦の記憶-「声の礎」を刻み続けたい(2009年6月25日 朝日新聞社説)
太平洋戦争末期、沖縄で繰り広げられた地上戦は、「鉄の暴風」と形容されるほどの凄惨(せいさん)を極めた。
その体験から、戦争の愚かさ、命の大切さを学ぼうと沖縄を訪れた修学旅行生は、07年の統計で43万人を超す。なかでも東京都世田谷区の和光小は、22年前から毎年訪れている草分けだ。
「壕(ごう)の中は血や尿のにおいが充満し……」。ガマと呼ばれる洞穴の体験を語る元ひめゆり学徒隊の宮良ルリさん(82)の話に、昨年訪れた児童は「耳をふさぎたくなりました」と記した。
米軍が最初に上陸した慶良間諸島では、宮里哲夫さん(74)の目撃談を聞いた。小学校の校長先生が妻の首をカミソリで切り、自らも命を絶った。「集団自決」である。
児童らは「戦争は人が人でなくなるという意味がわかりました」などと、大変な衝撃を受ける。それは毎年の卒業生の心に、おそらくその後の人生にも消えない深い印象を刻む。そう行田稔彦校長(61)は話す。
だが、戦争体験者の話をじかに聞ける歳月はもう残り少ない。戦争の記憶がある年齢を5歳とし、平均寿命を考えると18年には証言者がいなくなると心配する声もある。確実にやってくるその日をにらみ、記憶をひき継ぐいくつもの試みが始まっている。
沖縄で修学旅行をガイドする「沖縄平和ネットワーク」は、かつての戦場を背景に、体験者の証言を映像と音声で残す取り組みを進める。
20周年を迎えた「ひめゆり平和祈念資料館」も証言員が開館時の28人から17人に減った。元学徒の一人ひとりが戦場跡で、戦後世代の説明員らに証言するところを映像に記録している。
動画と音による記録には、言葉と言葉の間の沈黙など、活字では伝えきれない雰囲気や感情が刻まれる。
戦争体験を肉声でビデオに記録する試みは県平和祈念資料館が一足早く着手した。提唱したのはジャーナリストの森口豁(かつ)さん(71)だ。戦死者名が刻まれた「平和の礎(いしじ)」になぞらえて「声の礎」運動という。これまでに580人分の証言映像を公開している。さらに広げてほしい取り組みだ。
一昨日の「慰霊の日」をはさんで今週、沖縄は64年前のあのすさまじい日々と失った肉親たちを改めて思う。
県民の4人に1人が犠牲になった末に沖縄は占領され、いまも米軍基地が広がる。基地の縮小は遅々として進まない。各地で遺骨収集が続くが、4千人余りの遺骨が未発見のままだ。地中には不発弾も多数残り、処理を終えるまで70年はかかるとされる。
戦争とは何か。今も世界各地にある戦争や紛争とどう向き合うべきなのか。沖縄戦の記憶を共有し、それを学ぶことは、国のゆくえを見定めるうえでも欠かせない。
http://www.asahi.com/paper/editorial20090625.html#Edit1
平和の砦(2009年6月26日 毎日新聞)
「沖縄慰霊の日」が今年も巡ってきました。唯一の地上戦だった太平洋戦争末期の沖縄戦。約90日間に及ぶ戦闘は64年前の6月23日、約20万人の命とともに組織的戦いを終結しました。1996年夏、米兵による少女暴行事件がきっかけで行われた県民投票の取材で沖縄へ。その時聞いた「ひめゆり学徒隊」の元学徒の証言を思い出しました。
<1945年6月18日、突然日本軍から解散命令があった。自由行動せよというのだ。19日未明、第三外科壕(ごう)(沖縄県糸満市)との別れの時がきた。学徒ら51人の「最後の分散会」。全員で「ふるさと」と校歌を合唱した。誰の目にも涙があふれた。うっすらと夜が明けはじめたころ、米軍による投降を呼びかける日本語が聞こえた。学友に「奥へ!」と声をかけながら進んだ途端、爆音とともに白い煙が一帯を包み込んだ。「ガスだ」「おかあさん」「早く殺して」「先生、苦しい」。たくさんの叫び声がこだまする。泥の中に顔を突っ込み、意識を失った。目が覚めると生き残ったのは5人。捕虜になり、母や妹を思う日々。そして終戦。だが、あれほど会いたかったのに、生き残ったことをどう説明すべきなのか、複雑な気持ちになった・・・>
ひめゆり隊は、那覇市内の沖縄県立第一高等女学校と沖縄師範学校女子部の生徒たち222人と教師18人。この年の3月に、南風原(はえばる)陸軍病院に動員され、負傷兵の救護などに当たってきましたが、戦局は悪化し、本島南部へと撤退。いくつかの壕ごとに分散していました。
犠牲者はもちろん、ひめゆり隊だけではありません。いまだに「戦争がこびりついて(頭から)離れない」と、阪神支局の中里顕記者に語った尼崎市の83歳の女性は、県立第二高等女学校の「白梅学徒隊」でした。このほか県立首里高等女学校の「ずいせん学徒隊」、県立第三高等女学校の「なごらん学徒隊」……。解散命令が出た日までの犠牲者は21人だったのに、戦場に放り出された結果、戦争終結の23日までのわずか数日間で約200人の夢と希望が消えたのです。
1989年の慰霊の日に第三外科壕のすぐ横に「ひめゆり平和祈念資料館」は設立されました。平和の砦(とりで)は今年開館20周年を迎え、特別企画展をしています。一方で元学徒は確実に高齢化していきます。20歳代の中里記者が本紙「記者が行く」で元学徒の証言を伝えたように、世代を超えてその思いを受け継がなければなりません。最後に手元にある設立当初の元学徒たちの文章を紹介します。
<私達(たち)は、真実から目を覆われ、人間らしい判断や思考も、生きる権利さえももぎ取られ、死の戦場に駆り立てられた、あの時代の教育の恐ろしさを、決して忘れません。私達は、戦争体験を語り継ぎ、戦争の実相を訴えることで、再び戦争をあらしめないよう、全力を尽くしたいと思います>
http://mainichi.jp/area/hyogo/letter/news/20090626ddlk28070402000c.html
沖縄慰霊の日(6月23日)
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/okinawaireinohi.htm
私事ながらこの日は、娘の誕生日に当たり、我が家では毎年誕生会を兼ねた夕げの中で、尊い命を落とされた多くの戦没者の方々に対し黙祷を捧げることにしています。
さて「沖縄慰霊の日」とはどういう日なのか、以外とご存じない方が多いようです。平和というものにどっぷりと浸りきった現代の生活の中では、64年前、住民の4人に1人という多くの犠牲者を伴い終結した沖縄戦の悲惨さや冷酷さを感じ取ることはなかなかできません。
私達が享受している何不自由なく満たされた生活は、戦争終結を起点とした多くの先人達の努力の蓄積の上に成り立っていることを決して忘れてはなりません。
さらに重要なのは、悲惨な戦争を終結に至らしめたのは、アメリカ軍の本土上陸を盾となって阻止した沖縄戦における多くの「沖縄の人々の落命」によるものであることを、いかなる時代変化があろうとも決して忘れてはならないということです。
64年という歳月とともに、戦争体験を後世に伝えることが次第に難しくなってきました。「語り部」の高齢化、開発による戦跡の荒廃と消滅等々。一方、沖縄には2500トンもの不発弾が未だに眠っており、その処理にはあと80年もの時間が必要だそうです。残存した米軍基地の問題も含め、沖縄にとって戦争はまだ終わっていないのです。
私達は、戦争という名の大量殺戮という重犯罪を二度と起こさないこと、そして「命(ぬち)どぅ宝」という沖縄の言葉に託された多くの戦没者の願いをいつまでも子孫に伝え続けることを通じて、人としての責任を全うする義務があります。
多くの関連記事の中から、個人的に気になったものをご紹介します。
◇
あす「慰霊の日」:5大学1129人、3割「由来知らない」(2009年6月22日 毎日新聞)
23日の「慰霊の日」を前に琉球新報社は16日から4日間、県内4年制総合5大学の学生(1129人)を対象に沖縄戦について知識や意識を問うアンケートを実施した。その結果、沖縄戦を学ぶことは99.4%が「大切」と答えた一方、牛島満司令官が自決した日として定められた「慰霊の日」の由来を「知らない」と答えた学生が29.4%に上ったほか、今年は沖縄戦終結から何年かとの質問で「64年」と正しく回答できたのは61.6%にとどまった。沖縄戦の体験継承に関心や意欲が強い一方で基礎的知識に課題があることが浮き彫りになった。・・・
http://mainichi.jp/area/okinawa/news/20090622rky00m040002000c.html ]
◇
64年目の慰霊の日 被害と加害の再現許すまじ 「反軍隊」は譲れない一線(2009年6月23日 琉球新報社説)
県内5大学の学生に琉球新報社が実施したアンケートで、99%が沖縄戦を学ぶことは「大切」と答えたが、戦後の年数の正答は6割にとどまった。沖縄戦から64年の「慰霊の日」に沖縄戦を語り継ぐ意義を考えたい。
アンケートでは日本兵の住民虐殺について学生の87%、学徒動員は93%が知っていた。「集団自決」について84%が「日本の軍事下で追い詰められた死」を選択し、教科書の「日本軍の強制」削除も9割が知っていた。
知識不足の面もあるが、沖縄戦の本質への大まかな理解と平和を守る意識の高さをうかがわせる結果だ。
語り継ぐ沖縄戦教訓
沖縄戦については1971年の県史「沖縄戦通史」を皮切りに多数の市町村・字史が出版された。多くの県民の悲惨な体験が掘り起こされ、沖縄戦研究の成果が学校の平和教育に生かされた。
体験者の減少とともに「沖縄戦の風化」が懸念されている。その中で沖縄戦を忘れまいとする体験者の強い意志と、研究者や学校現場の取り組みが沖縄戦の教訓を次世代に伝えている。
本紙の連載「語らねば、今こそ」は、長く胸に秘めたつらい沖縄戦体験を、高齢を迎え語り出した人々の思いを伝えた。
沖縄師範健児之塔の慰霊祭は遺族の高齢化で2006年が最後となっていたが、仲田英安さん(34)ら若い世代の遺族を中心に今年から復活する。
活動が活発な遺骨収集ボランティア団体「ガマフヤー」の代表具志堅隆松さん(54)も戦争体験者の第2世代だ。
“風化”を乗り越え、沖縄戦体験者から次世代に継承される沖縄戦の教訓、反戦平和の思想はどのようなものか。
沖縄戦は本土決戦の時間稼ぎのための「捨て石作戦」として県民に多大な犠牲を強いた。日米両軍の激戦が住民を巻き込み、20万人余に上る犠牲者数の多さ、日本兵の住民虐殺、日本軍が関与した住民の集団自決(強制集団死)などが特徴といわれる。
「日本軍の加害」の記憶は県民に軍隊と戦争への深い嫌悪を抱かせ、「反戦・反軍隊」の県民感情を根付かせた。
軍隊への根強い不信感は「軍隊は住民を守らない」、また何よりも命を尊ぶ「命(ぬち)どぅ宝」の言葉が定着している。
県民の「反戦・反軍隊」の思いを象徴するのが「平和の礎」だ。県民、日本軍、国籍、敵味方の区別もなく、すべての犠牲者の名前を刻み、平和を祈念している。
軍隊を憎みながらも、戦没した一人一人の兵士を戦争の犠牲者として悼んでいるのである。
「反戦・反軍隊」と「命どぅ宝」の思想の結実といえよう。
しかし筆舌に尽くせぬ戦争体験を通し県民が培った「反戦・反軍隊」の思いは、「基地の島沖縄」の現実に裏切られ続けている。
軍事同盟の危うさ
ベトナム戦に嘉手納基地からB52爆撃機が出撃し、沖縄はベトナムへの加害に加担する「悪魔の島」と呼ばれた。復帰後も広大な基地は存続し、湾岸戦争やイラク戦争に戦闘機やヘリが出撃した。
1990年代の日米安保再定義から21世紀の在日米軍再編で、日米の軍事協力の対象が極東から世界に広がったといわれる。
米軍再編に伴う沖縄の負担軽減は虚飾でしかなく、日米が軍事一体化する再編強化が進んでいる。
政府の新「防衛計画の大綱」方針は中国の軍事台頭や北朝鮮の核、ミサイル開発をにらみ「敵基地攻撃能力」をも検討するという。
北朝鮮の動向など国際情勢によっては、再び沖縄が加害の出撃基地となりかねない。
沖縄が「敵基地攻撃」の拠点とみなされ、相手国の攻撃の被害を受ける可能性も否定できない。
日本国憲法は戦争と武力行使の放棄を誓う。無軌道な軍事国家として太平洋戦争に突き進んだ反省に立つ憲法は、沖縄の「反戦・反軍隊」の思想に通じる。
広島、長崎が原爆被爆の体験から核廃絶運動の拠点となったように、住民を無差別に巻き込む悲惨な地上戦の犠牲となった沖縄は、あらゆる戦争に反対する普遍的な反戦平和運動の拠点となる資格と責務を負う。
沖縄が再び「被害」「加害」の地とならぬよう「反戦・反軍隊」の思いをかみしめたい。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-146221-storytopic-11.html
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沖縄戦の記憶-「声の礎」を刻み続けたい(2009年6月25日 朝日新聞社説)
太平洋戦争末期、沖縄で繰り広げられた地上戦は、「鉄の暴風」と形容されるほどの凄惨(せいさん)を極めた。
その体験から、戦争の愚かさ、命の大切さを学ぼうと沖縄を訪れた修学旅行生は、07年の統計で43万人を超す。なかでも東京都世田谷区の和光小は、22年前から毎年訪れている草分けだ。
「壕(ごう)の中は血や尿のにおいが充満し……」。ガマと呼ばれる洞穴の体験を語る元ひめゆり学徒隊の宮良ルリさん(82)の話に、昨年訪れた児童は「耳をふさぎたくなりました」と記した。
米軍が最初に上陸した慶良間諸島では、宮里哲夫さん(74)の目撃談を聞いた。小学校の校長先生が妻の首をカミソリで切り、自らも命を絶った。「集団自決」である。
児童らは「戦争は人が人でなくなるという意味がわかりました」などと、大変な衝撃を受ける。それは毎年の卒業生の心に、おそらくその後の人生にも消えない深い印象を刻む。そう行田稔彦校長(61)は話す。
だが、戦争体験者の話をじかに聞ける歳月はもう残り少ない。戦争の記憶がある年齢を5歳とし、平均寿命を考えると18年には証言者がいなくなると心配する声もある。確実にやってくるその日をにらみ、記憶をひき継ぐいくつもの試みが始まっている。
沖縄で修学旅行をガイドする「沖縄平和ネットワーク」は、かつての戦場を背景に、体験者の証言を映像と音声で残す取り組みを進める。
20周年を迎えた「ひめゆり平和祈念資料館」も証言員が開館時の28人から17人に減った。元学徒の一人ひとりが戦場跡で、戦後世代の説明員らに証言するところを映像に記録している。
動画と音による記録には、言葉と言葉の間の沈黙など、活字では伝えきれない雰囲気や感情が刻まれる。
戦争体験を肉声でビデオに記録する試みは県平和祈念資料館が一足早く着手した。提唱したのはジャーナリストの森口豁(かつ)さん(71)だ。戦死者名が刻まれた「平和の礎(いしじ)」になぞらえて「声の礎」運動という。これまでに580人分の証言映像を公開している。さらに広げてほしい取り組みだ。
一昨日の「慰霊の日」をはさんで今週、沖縄は64年前のあのすさまじい日々と失った肉親たちを改めて思う。
県民の4人に1人が犠牲になった末に沖縄は占領され、いまも米軍基地が広がる。基地の縮小は遅々として進まない。各地で遺骨収集が続くが、4千人余りの遺骨が未発見のままだ。地中には不発弾も多数残り、処理を終えるまで70年はかかるとされる。
戦争とは何か。今も世界各地にある戦争や紛争とどう向き合うべきなのか。沖縄戦の記憶を共有し、それを学ぶことは、国のゆくえを見定めるうえでも欠かせない。
http://www.asahi.com/paper/editorial20090625.html#Edit1
◇
平和の砦(2009年6月26日 毎日新聞)
「沖縄慰霊の日」が今年も巡ってきました。唯一の地上戦だった太平洋戦争末期の沖縄戦。約90日間に及ぶ戦闘は64年前の6月23日、約20万人の命とともに組織的戦いを終結しました。1996年夏、米兵による少女暴行事件がきっかけで行われた県民投票の取材で沖縄へ。その時聞いた「ひめゆり学徒隊」の元学徒の証言を思い出しました。
<1945年6月18日、突然日本軍から解散命令があった。自由行動せよというのだ。19日未明、第三外科壕(ごう)(沖縄県糸満市)との別れの時がきた。学徒ら51人の「最後の分散会」。全員で「ふるさと」と校歌を合唱した。誰の目にも涙があふれた。うっすらと夜が明けはじめたころ、米軍による投降を呼びかける日本語が聞こえた。学友に「奥へ!」と声をかけながら進んだ途端、爆音とともに白い煙が一帯を包み込んだ。「ガスだ」「おかあさん」「早く殺して」「先生、苦しい」。たくさんの叫び声がこだまする。泥の中に顔を突っ込み、意識を失った。目が覚めると生き残ったのは5人。捕虜になり、母や妹を思う日々。そして終戦。だが、あれほど会いたかったのに、生き残ったことをどう説明すべきなのか、複雑な気持ちになった・・・>
ひめゆり隊は、那覇市内の沖縄県立第一高等女学校と沖縄師範学校女子部の生徒たち222人と教師18人。この年の3月に、南風原(はえばる)陸軍病院に動員され、負傷兵の救護などに当たってきましたが、戦局は悪化し、本島南部へと撤退。いくつかの壕ごとに分散していました。
犠牲者はもちろん、ひめゆり隊だけではありません。いまだに「戦争がこびりついて(頭から)離れない」と、阪神支局の中里顕記者に語った尼崎市の83歳の女性は、県立第二高等女学校の「白梅学徒隊」でした。このほか県立首里高等女学校の「ずいせん学徒隊」、県立第三高等女学校の「なごらん学徒隊」……。解散命令が出た日までの犠牲者は21人だったのに、戦場に放り出された結果、戦争終結の23日までのわずか数日間で約200人の夢と希望が消えたのです。
1989年の慰霊の日に第三外科壕のすぐ横に「ひめゆり平和祈念資料館」は設立されました。平和の砦(とりで)は今年開館20周年を迎え、特別企画展をしています。一方で元学徒は確実に高齢化していきます。20歳代の中里記者が本紙「記者が行く」で元学徒の証言を伝えたように、世代を超えてその思いを受け継がなければなりません。最後に手元にある設立当初の元学徒たちの文章を紹介します。
<私達(たち)は、真実から目を覆われ、人間らしい判断や思考も、生きる権利さえももぎ取られ、死の戦場に駆り立てられた、あの時代の教育の恐ろしさを、決して忘れません。私達は、戦争体験を語り継ぎ、戦争の実相を訴えることで、再び戦争をあらしめないよう、全力を尽くしたいと思います>
http://mainichi.jp/area/hyogo/letter/news/20090626ddlk28070402000c.html
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沖縄慰霊の日(6月23日)
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/okinawaireinohi.htm
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沖縄戦集団自決「チビチリガマ」の特集(NHK)
「沖縄集団自決 旧日本兵の証言」(報道ステーション)
2009年6月23日火曜日
新たな中期目標・計画への展望-2
国立大学における第2期中期目標・中期計画の策定に当たって、これまでの第1期6年間の十分な検証と戦略的な将来展望を具体化する必要があることは、前回の日記で触れたIDE「国立大学法人-二期目への展望」の各執筆者の主張から十分に学び取ることができます。
今回は、このIDEの中で、前回ご紹介しなかった「法人と運営組織の課題」(上杉道世氏)を全文転載します。大学にとって重要な経営基盤である組織・運営体制が果たして有効に機能しているかどうかの再検証に十分活用できる内容ではないかと思います。
法人と運営組織の課題(日本スポーツ振興センター理事・前東京大学理事 上杉道世)
1 法人運営の目指すもの
法人となった国立大学の運営組織が目指すものは何だろうか。論者によって様々な整理が可能だが、私は法人化以前の国立大学について指摘された、様々な問題点を克服する方向性を重視したい。ここでは次の3点を挙げておく。
2 法人法上の運営組織
(1)学長
法人法上は様々な権限が学長に集中し、その存在意義が飛躍的に高まったが、まだその真価は発揮されていない。権限があるといっても、それが機能を発揮するためには、様々な環境整備や仕組み上の工夫が必要である。
まして大学では、露骨な権限行使よりも関係者の納得を重視した物事の進め方が歓迎されている。学長のリーダーシップという言葉にも学長の積極的な方針提起とともに、できるだけ説得や誘導による合意形成を大切にするというニュアンスがありそうだ。であるならばその経験を蓄積し、手法を開発していかなければならない。
学長に対する期待は大変大きい。教育研究上の見識と実績、人格の高潔さ、対外的折衝力と人脈、経営管理の実務能力、どれも大変である。もちろん一人でかなりやれる学長もいるだろうが、多くの場合、一人ですべての役割をこなすのは難しい。学長のリーダーシップを支える仕組みが必要である。後述の様々な組織が連動して、学長の方針の作成、その方針の学内への浸透、全学的資源を活用した方針の実施などに向けて機能しなければならない。論理とデー夕に基づく、説得と納得によるリーダーシップは、手間と時間はかかるが、いったん動き出せば大きな動きを作り出せるだろう。
本来学長になる人には、相当な専門的訓練が必要であるが、現実には学部長や理事・副学長の数年間の経歴で学長になる人が多く、不十分である。学長としての能力を高めるための学習の機会が必要であるとともに、学長の機能を支える強力な組織が必要である。
(2)役員会
役員会は、法人化により新たに生まれた重要な機関である。しかしその人選や開催状況などを見ると、機能が発揮できている大学と不十分な大学とがあるようだ。
役員の人選にあたっては、大学経営に関する能力及び学長とのポリシーの一致を、重視するべきである。もちろん、出身母体に関してのある程度の配慮は必要だが、単に有力部局の代表者を集めるような人選では役員会は機能しない。学長でさえも最近は、小規模部局や研究所出身の人が、実力本位で選ばれるケースがみられる。まして役員は、実力本位で選任するべきである。そして教員にこだわらず、職員や外部人材の登用を考慮するべきである。
法人としての大学経営において、役員会の仕事は大変多い。役員は専任として、勤務のすべてを役員業務に捧げなければならない。多くの時間を研究室で過ごし、その片手間に月に一度集まるというような状態では、大学経営は無理であろう。そのような大学では結局、仕事は学長と事務局任せになり、事務局支配だなどという愚痴が出てくるであろう。役員会が本来の任務を果たすべきである。
法人法上の審議事項を決定するのは、もちろん重要な機能であるが、その前段として課題を発掘し、先見性がある議論を迅速に行い、課題解決の方向づけをするという機能が大切である。このため形式上の役員会に加えて、懇談会その他の形態のもとでメンバーも役員以外の必要な人に加わってもらうという工夫をしている大学が多い。これらも広く役員会組織ととらえることができ、妥当な傾向であろう。
合議体としての役員会は、議論と意思決定の場である。生産的で徹底した議論のうえ、結論を出すことが大事である。役員会は一体、学長と役員会も一体でなければならない。
個々の役員も担当事項については最終責任者として、基本的な方向付けから実務まで統括する。このため、事務組織をうまく活用することが重要である。役員と事務組織の関係には、役員ごとに特定の部や課を所管する縦割り型と機能ごとに所管する横断型がある。大学ごとに事情は異なっているため、どのような形態がよいか一律には言えない。どの形態をとっていようと大事なことは、役員会全体として、全部の業務に責任を持てるよう一体性を確保することであろう。
(3)経営協議会
経営協議会は、大学経営への学外者の参画という、法人化によってはじめて実現した、画期的な意義を持つ組織である。しかしその意義はまだ、十分生かされていない。法人化以前も運営諮問会議という形で、学外有識者の意見を聞く試みはされていたが、経営協議会は経営に関する責任ある決定をする場であるという点で大きく異なる。
制度実施後数年たち、外部有識者と大学側双方にフラストレーションがたまっているようだ。外部委員からは、年に数回の会合で型どおりの説明ばかり行われ形式的な審議に終始している,意見を言ってもそれがどう経営に反映されているか分からない、という感想が聞かれる。大学側からは、大学の実情も知らすに思い付きだけで意見を言われても対応できない、もっと大学のことを勉強してもらいたい、との感想が聞かれる。
両方の言い分にはそれぞれ当たっているところがあるのだから、経営協議会の運営に責任のある大学側が努力して、軌道修正していくべきである。
経営協議会は、所定の審議事項の形式的な報告処理だけでは、あまり意味のない組織となってしまう。重要課題の実質審議を行うべきである。そのためには、定例的な議題はできるだけ事前に資料送付や説明を行い、会議当月は重要課題に十分時間をかけるようにする。議事に際して大学側は論点を整理し、何が選択肢かを明確にして提案する。出された意見については誠実にフォローアップする、といった工夫が必要である。
外部委員側も会議の時に来ておしゃべりするだけでは役割は果たせない。日ごろから大学経営を勉強し、コミットする覚悟を持ってもらうように、大学側が誘導しなければならない。そのためには、経営協議会の会議の時だけが接点ではなく、日ごろから大学の情報を提供し、卒業式・入学式などの重要行事には参加してもらい、重要課題については個別に意見を聞いたり小委員会を設けて知恵を出してもらったり、実際の業務実施にかかわってもらうなど、様々な形で接点を持つべきである。
外部委員は多くの場合、民間企業や地域社会で重要な活動をしている方々であり、その知識と経験を大学経営に生かすことができれば効果は大きい。さらに大局的には、経営協議会は社会が大学をどう見ているかということを把握する、貴重なチャンネルである。外部委員の共感と納得を得られないような経営では、財政当局や国民への説得力はないと思った方がよい。逆に外部委員は社会への影響力を発揮して、大学の強力なサポーターともなってくれる可能性がある方々であり、民意を反映し国民の支持を得られる国立大学の在り方を実現するための、有力な手掛かりを提供していただける方々であると考える。
(4)教育研究評議会
法人化以前は、評議会は学内のあらゆる重要事項が審議される組織であった。同時に、意見対立があると審議が進ます、時間ばかりがかかるという非効率な組織でもあった。法人化後、かたや役員会が執行部として機能し、かたや学部長会議など従来型の組織が実質的審議機関として存続しているなかで、教育研究評議会はどういう役割を発揮したらよいのだろうか。
メンバーが部局の利害代表であり、自分の部局にマイナスがないかどうかをチェックするだけの、拒否権発動の場であるとするなら、教育研究評議会独自の存在意義はない。この場合は、実質的な議論の場で合意された内容を追認するだけの組織であると割り切ることになる。
教育研究評議会について、私は、全学に共通する教育研究上の課題について、長期的視点で、どこを見直しどこに重点を置くかなど、その将来構想や協力体制について議論を深める場として活用すべきだと考える。現状の中期計画の教育研究に関する記述を見ても、多くの大学で、全学的な方向性は抽象的であり、具体論は各部局の計画の羅列になっているのではないだろうか。むしろ日ごろから10年、20年先の全学の教育研究の在り方の構造的変化を構想し、それに基づいて、6年間の中期計画を描くというぐらいにすべきであろう。6年間という短期の計画では、教育研究は語れないと言うのであれば、自ら長期の構想を示すべきであり、それを行う場は、教育研究評議会が最も適切ではないだろうか。
(5)学長選考会議
学長選考会議は、法人化とともに登場した極めて重要な組織だが、多くの大学ではまだその真価は発揮されていない。今後さらに困難の度合いが高まっていく大学経営の責任者を決めるのに、学内者の投票に実質的に委ねるという方法には問題が多い。経営の責任者として、構成員に不評な判断でも選択せざるを得ないことがある。特に人件費管理は、経営上の重要事項であり、選挙で選ばれた学長が、労務において厳しい経営判断を、下すことができるだろうか。歴史を振り返れば、戦後の新制大学発足時に、学長の選び方について旧制帝国大学で行われていた方式をすべての国立大学で事実上応用してしまったという経緯もある。今一度これからの国立大学で、どのような学長選考方法がよいか、よく考えるべきである。
各大学の学長選考会議の現状をみると投票で選出された候補者を追認することにしている大学と投票結果を参考として選考会議が選択できる大学とがある。学内構成員の意向を何らかの形で把握するのは、もちろん有意義ではあるが、学長選考会議が見識を持って候補者を選択し、決定できる方式をとるべきであろう。
(6)監事
法人化後置かれることになった監事もそのあり方は依然として大学や人によって様々である。国立.大学法人の監査機能については、内部監査、監事、監査法人、会計検査院など、重層的な仕組みとなっており、監査される側は大変である。ともすると公務員時代と同じように、問題を起こさないよう守りの姿勢に入りがちだが、それでは法人化の趣旨を生かすことはできない。
執行責任を負わない監事は、経営手法が確立している組織にあっては、執行部の執行状況を把握して点検していればよいのかもしれないが、国立大学の経営はまだ形成途上である。このような状況下で、監事には、各大学の経営の新しい在り方を誘導し、組織の健全性を保つと同時に、柔軟で効率的な経営が実現するよう、様々な形で関与を強めていくことが期待される。
3 各大学が独自に工夫している組織
(1)部局長会議など学部研究科等の学内組織の代表者で組織している会議
法人化以前からの形態や機能を受け継いで、依然として多くの大学で重要な役割を果たしている。もちろん、学長のリーダーシップと、学内の多様な利害の調整の場は必要である。ただし、ここがいたずらに時間と労力を要する場となっている大学は、発展しない。学長の方針を浸透させるという面を重視しながら、運営していくべきであろう。
(2)業務ごとの学内委員会
法人化以前は、多くの学内委員会が乱立しており、非効率の象徴となっていた。多くの大学は法人化に際してかなり整理したが、法人化後に生じた重要課題への対応のため、新たに設置された委員会もある。各部局の代表を形式的にあてる委員会ではなく、課題に対する知恵を持っている人材からなる実質的に機能する委員会を活用すべきである。
(3)室など教員職員一体の機動的な組織
法人化後多くの大学で試みられている新たな形態であり、運用に熟達すれば大きな機能を発揮できる可能性を持っている。法人化後、さまざまな新たな重要課題が見えてきている。教員であれ職員であれ外部人材であれ、課題に対処できる力を持った人たちが、チームを組んで担当していかなければならない。学長・役員に直結して活動する、従来の組織にとらわれない課題解決型の柔軟な組織である。
(4)副学長、副理事、学長補佐などのハイレベルの役職
理事の数は法定されているが、現実に必要な重要役職の数や種類は、大学の運営方針によって異なるのは当然である。副学長、副理事など、大学の判断で役職を置けることが、法人化のメリットであり経営能力のある教員の発掘と活用、職員、外部人材を経営人材として確保する際に有効である。
(5)事務組織の機能向上
法人化以前、事務組織は定型的な事務処理機能を中心に考えられてきたが、法人化後は、法人経営と教育研究を支える機能を、飛躍的に向上させなければならない。個々の職員の能力を向上させるとともに、組織として学長役員を直接支え、政策の形成と実行に責任を持つようなあり方に、切り替わらなくてはならない。各大学で様々な試みがなされており、大学職員集団の能力向上と役割の発揮に積極的に取り組んだ大学が、大学経営活性化への道をたどるであろう。
4 部局の運営の機能向上
全学の運営の機能を向上させようとしても、部局の運営が不透明で不合理では実現しない。今後は部局においても、経営判断が迫られることも多くなり重要課題についての自律的判断機能を形成する必要がある。あらゆる議題を教授会にかけて長時間の議論を繰り返し、結局意思決定できないという従来よく見られた教授会の在り方は、変えなければならない。学部長を中心として、副学部長、事務幹部などによる強力な執行部を形成し、日常的な運営事項はそこで決定し、重要課題についても議論を絞り込んでおくといった、効率的な運営方式に切り替えるべきであろう。
例えば財務状況について、定期的に収支バランスが把握され、その情報に基づいて経営判断がされていくといった運営が必要である。このような部局の経営情報と経営判断の集積の上に、全学的な経営情報が成り立ち、部局の自主性と全学の効率性を両立させる経営判断が可能となる。共有しうるデータと論理性のある判断をすり合わせてこそ、説得力のある判断ができる。本部と部局で押し問答をしても、お互いに疲れるだけであり、知的集団にふさわしい意思決定プロセスを形成するべきである。
5 経営機能分析に基づいた組織論の必要性
以上、法人法上の組織および実態として行われている組織ごとに見てきたが、本当の組織論を展開するためには、全学の経営機能の分析に基づいた論じ方が必要ではないか、という思いがしてならない。試みに簡単なスケッチを描いてみよう。
1)全学の基本的な機能を維持し、健全性を保つという機能=組織
どの団体でも見られる人事、財務、学生支援、研究支援、国際、情報等の学内横断的な機能があり、本部及び各部局にネットワークが形成されている。さらにリスクマネジメントやコンプライアンスの機能が重なり合い、安定性と柔軟性のバランスが課題である。
2)活動を改善あるいは創造し展開する機能=組織
学生のニーズを満たす教育と、教員の自主性を生かした研究の展開である。個々の教員の自主性が尊重されるとともに、教育のカリキュラムや研究の体系性に基づき部局が編成されているわけであり、部局の自主性も尊重される。しかし、新たな知見が次々に生まれることにより、従来の部局の不全にはまらないあり方などが必要である。そのためには、絶えざる改善、あるいは新たなものの創造(及びそれに伴う既存のものの見直し)が必要となる。
3)情報共有とコミュニケーションに基づき道筋をつけていく機能=組織
しかし2)だけでは、大学全体としては、バラバラの活動の集積となってしまう。大学としての大きな方向性を持ちながら、自主性を誘導して何らかのまとまりを形成していく、知的集団ならではの機能、あるいは組織形成が必要である。
これらの課題に応えるために本当は、構成員全員が情報とポリシーを共有すればいいのだが、特に大規模大学ではなかなか難しい。少なくとも大学を支える中核的集団である、本部と部局のコアとなる教員と職員は、情報とポリシーを共有し、1)を改善しつつ活用しながら、2)を実り豊かに生み育てていくための知恵と経験を、積み重ねていかなければならない。
私は日本の大学経営の在り方も、それを分析する手法も、まだ十分開発されてはいないと感じている。国立大学法人経営の経験の深化とともに、国立大学法人経営を見る目も成長していくことを期待したい。(IDE 2009年6月号掲載)
今回は、このIDEの中で、前回ご紹介しなかった「法人と運営組織の課題」(上杉道世氏)を全文転載します。大学にとって重要な経営基盤である組織・運営体制が果たして有効に機能しているかどうかの再検証に十分活用できる内容ではないかと思います。
法人と運営組織の課題(日本スポーツ振興センター理事・前東京大学理事 上杉道世)
1 法人運営の目指すもの
法人となった国立大学の運営組織が目指すものは何だろうか。論者によって様々な整理が可能だが、私は法人化以前の国立大学について指摘された、様々な問題点を克服する方向性を重視したい。ここでは次の3点を挙げておく。
- 厳しい行財政と社会環境の中にあって、教育研究の質を高めていくための、効率的でゆるみのない大学経営を実現する。そのためには学長がリーダーシップを発揮し、大学経営の方向性を明示し、全学の資源を有効に活用する経営でなければならない。
- より良い教育研究を展開するためには、教員の自主性を尊重しなければならないのは当然であるが、同時にその自主性は大学全体としての経営基盤の上に実現していくべきものである。教育研究の自主性と責任ある大学経営の確立を両立させるための新たな工夫が必要である。
- 国民と社会から理解され支持される大学であるためには、国民と社会の期待を大学経営に反映し、長期的に国民と社会に利益を還元していくことが明らかになる、経営の在り方を実現しなければならない。
2 法人法上の運営組織
(1)学長
法人法上は様々な権限が学長に集中し、その存在意義が飛躍的に高まったが、まだその真価は発揮されていない。権限があるといっても、それが機能を発揮するためには、様々な環境整備や仕組み上の工夫が必要である。
まして大学では、露骨な権限行使よりも関係者の納得を重視した物事の進め方が歓迎されている。学長のリーダーシップという言葉にも学長の積極的な方針提起とともに、できるだけ説得や誘導による合意形成を大切にするというニュアンスがありそうだ。であるならばその経験を蓄積し、手法を開発していかなければならない。
学長に対する期待は大変大きい。教育研究上の見識と実績、人格の高潔さ、対外的折衝力と人脈、経営管理の実務能力、どれも大変である。もちろん一人でかなりやれる学長もいるだろうが、多くの場合、一人ですべての役割をこなすのは難しい。学長のリーダーシップを支える仕組みが必要である。後述の様々な組織が連動して、学長の方針の作成、その方針の学内への浸透、全学的資源を活用した方針の実施などに向けて機能しなければならない。論理とデー夕に基づく、説得と納得によるリーダーシップは、手間と時間はかかるが、いったん動き出せば大きな動きを作り出せるだろう。
本来学長になる人には、相当な専門的訓練が必要であるが、現実には学部長や理事・副学長の数年間の経歴で学長になる人が多く、不十分である。学長としての能力を高めるための学習の機会が必要であるとともに、学長の機能を支える強力な組織が必要である。
(2)役員会
役員会は、法人化により新たに生まれた重要な機関である。しかしその人選や開催状況などを見ると、機能が発揮できている大学と不十分な大学とがあるようだ。
役員の人選にあたっては、大学経営に関する能力及び学長とのポリシーの一致を、重視するべきである。もちろん、出身母体に関してのある程度の配慮は必要だが、単に有力部局の代表者を集めるような人選では役員会は機能しない。学長でさえも最近は、小規模部局や研究所出身の人が、実力本位で選ばれるケースがみられる。まして役員は、実力本位で選任するべきである。そして教員にこだわらず、職員や外部人材の登用を考慮するべきである。
法人としての大学経営において、役員会の仕事は大変多い。役員は専任として、勤務のすべてを役員業務に捧げなければならない。多くの時間を研究室で過ごし、その片手間に月に一度集まるというような状態では、大学経営は無理であろう。そのような大学では結局、仕事は学長と事務局任せになり、事務局支配だなどという愚痴が出てくるであろう。役員会が本来の任務を果たすべきである。
法人法上の審議事項を決定するのは、もちろん重要な機能であるが、その前段として課題を発掘し、先見性がある議論を迅速に行い、課題解決の方向づけをするという機能が大切である。このため形式上の役員会に加えて、懇談会その他の形態のもとでメンバーも役員以外の必要な人に加わってもらうという工夫をしている大学が多い。これらも広く役員会組織ととらえることができ、妥当な傾向であろう。
合議体としての役員会は、議論と意思決定の場である。生産的で徹底した議論のうえ、結論を出すことが大事である。役員会は一体、学長と役員会も一体でなければならない。
個々の役員も担当事項については最終責任者として、基本的な方向付けから実務まで統括する。このため、事務組織をうまく活用することが重要である。役員と事務組織の関係には、役員ごとに特定の部や課を所管する縦割り型と機能ごとに所管する横断型がある。大学ごとに事情は異なっているため、どのような形態がよいか一律には言えない。どの形態をとっていようと大事なことは、役員会全体として、全部の業務に責任を持てるよう一体性を確保することであろう。
(3)経営協議会
経営協議会は、大学経営への学外者の参画という、法人化によってはじめて実現した、画期的な意義を持つ組織である。しかしその意義はまだ、十分生かされていない。法人化以前も運営諮問会議という形で、学外有識者の意見を聞く試みはされていたが、経営協議会は経営に関する責任ある決定をする場であるという点で大きく異なる。
制度実施後数年たち、外部有識者と大学側双方にフラストレーションがたまっているようだ。外部委員からは、年に数回の会合で型どおりの説明ばかり行われ形式的な審議に終始している,意見を言ってもそれがどう経営に反映されているか分からない、という感想が聞かれる。大学側からは、大学の実情も知らすに思い付きだけで意見を言われても対応できない、もっと大学のことを勉強してもらいたい、との感想が聞かれる。
両方の言い分にはそれぞれ当たっているところがあるのだから、経営協議会の運営に責任のある大学側が努力して、軌道修正していくべきである。
経営協議会は、所定の審議事項の形式的な報告処理だけでは、あまり意味のない組織となってしまう。重要課題の実質審議を行うべきである。そのためには、定例的な議題はできるだけ事前に資料送付や説明を行い、会議当月は重要課題に十分時間をかけるようにする。議事に際して大学側は論点を整理し、何が選択肢かを明確にして提案する。出された意見については誠実にフォローアップする、といった工夫が必要である。
外部委員側も会議の時に来ておしゃべりするだけでは役割は果たせない。日ごろから大学経営を勉強し、コミットする覚悟を持ってもらうように、大学側が誘導しなければならない。そのためには、経営協議会の会議の時だけが接点ではなく、日ごろから大学の情報を提供し、卒業式・入学式などの重要行事には参加してもらい、重要課題については個別に意見を聞いたり小委員会を設けて知恵を出してもらったり、実際の業務実施にかかわってもらうなど、様々な形で接点を持つべきである。
外部委員は多くの場合、民間企業や地域社会で重要な活動をしている方々であり、その知識と経験を大学経営に生かすことができれば効果は大きい。さらに大局的には、経営協議会は社会が大学をどう見ているかということを把握する、貴重なチャンネルである。外部委員の共感と納得を得られないような経営では、財政当局や国民への説得力はないと思った方がよい。逆に外部委員は社会への影響力を発揮して、大学の強力なサポーターともなってくれる可能性がある方々であり、民意を反映し国民の支持を得られる国立大学の在り方を実現するための、有力な手掛かりを提供していただける方々であると考える。
(4)教育研究評議会
法人化以前は、評議会は学内のあらゆる重要事項が審議される組織であった。同時に、意見対立があると審議が進ます、時間ばかりがかかるという非効率な組織でもあった。法人化後、かたや役員会が執行部として機能し、かたや学部長会議など従来型の組織が実質的審議機関として存続しているなかで、教育研究評議会はどういう役割を発揮したらよいのだろうか。
メンバーが部局の利害代表であり、自分の部局にマイナスがないかどうかをチェックするだけの、拒否権発動の場であるとするなら、教育研究評議会独自の存在意義はない。この場合は、実質的な議論の場で合意された内容を追認するだけの組織であると割り切ることになる。
教育研究評議会について、私は、全学に共通する教育研究上の課題について、長期的視点で、どこを見直しどこに重点を置くかなど、その将来構想や協力体制について議論を深める場として活用すべきだと考える。現状の中期計画の教育研究に関する記述を見ても、多くの大学で、全学的な方向性は抽象的であり、具体論は各部局の計画の羅列になっているのではないだろうか。むしろ日ごろから10年、20年先の全学の教育研究の在り方の構造的変化を構想し、それに基づいて、6年間の中期計画を描くというぐらいにすべきであろう。6年間という短期の計画では、教育研究は語れないと言うのであれば、自ら長期の構想を示すべきであり、それを行う場は、教育研究評議会が最も適切ではないだろうか。
(5)学長選考会議
学長選考会議は、法人化とともに登場した極めて重要な組織だが、多くの大学ではまだその真価は発揮されていない。今後さらに困難の度合いが高まっていく大学経営の責任者を決めるのに、学内者の投票に実質的に委ねるという方法には問題が多い。経営の責任者として、構成員に不評な判断でも選択せざるを得ないことがある。特に人件費管理は、経営上の重要事項であり、選挙で選ばれた学長が、労務において厳しい経営判断を、下すことができるだろうか。歴史を振り返れば、戦後の新制大学発足時に、学長の選び方について旧制帝国大学で行われていた方式をすべての国立大学で事実上応用してしまったという経緯もある。今一度これからの国立大学で、どのような学長選考方法がよいか、よく考えるべきである。
各大学の学長選考会議の現状をみると投票で選出された候補者を追認することにしている大学と投票結果を参考として選考会議が選択できる大学とがある。学内構成員の意向を何らかの形で把握するのは、もちろん有意義ではあるが、学長選考会議が見識を持って候補者を選択し、決定できる方式をとるべきであろう。
(6)監事
法人化後置かれることになった監事もそのあり方は依然として大学や人によって様々である。国立.大学法人の監査機能については、内部監査、監事、監査法人、会計検査院など、重層的な仕組みとなっており、監査される側は大変である。ともすると公務員時代と同じように、問題を起こさないよう守りの姿勢に入りがちだが、それでは法人化の趣旨を生かすことはできない。
執行責任を負わない監事は、経営手法が確立している組織にあっては、執行部の執行状況を把握して点検していればよいのかもしれないが、国立大学の経営はまだ形成途上である。このような状況下で、監事には、各大学の経営の新しい在り方を誘導し、組織の健全性を保つと同時に、柔軟で効率的な経営が実現するよう、様々な形で関与を強めていくことが期待される。
3 各大学が独自に工夫している組織
(1)部局長会議など学部研究科等の学内組織の代表者で組織している会議
法人化以前からの形態や機能を受け継いで、依然として多くの大学で重要な役割を果たしている。もちろん、学長のリーダーシップと、学内の多様な利害の調整の場は必要である。ただし、ここがいたずらに時間と労力を要する場となっている大学は、発展しない。学長の方針を浸透させるという面を重視しながら、運営していくべきであろう。
(2)業務ごとの学内委員会
法人化以前は、多くの学内委員会が乱立しており、非効率の象徴となっていた。多くの大学は法人化に際してかなり整理したが、法人化後に生じた重要課題への対応のため、新たに設置された委員会もある。各部局の代表を形式的にあてる委員会ではなく、課題に対する知恵を持っている人材からなる実質的に機能する委員会を活用すべきである。
(3)室など教員職員一体の機動的な組織
法人化後多くの大学で試みられている新たな形態であり、運用に熟達すれば大きな機能を発揮できる可能性を持っている。法人化後、さまざまな新たな重要課題が見えてきている。教員であれ職員であれ外部人材であれ、課題に対処できる力を持った人たちが、チームを組んで担当していかなければならない。学長・役員に直結して活動する、従来の組織にとらわれない課題解決型の柔軟な組織である。
(4)副学長、副理事、学長補佐などのハイレベルの役職
理事の数は法定されているが、現実に必要な重要役職の数や種類は、大学の運営方針によって異なるのは当然である。副学長、副理事など、大学の判断で役職を置けることが、法人化のメリットであり経営能力のある教員の発掘と活用、職員、外部人材を経営人材として確保する際に有効である。
(5)事務組織の機能向上
法人化以前、事務組織は定型的な事務処理機能を中心に考えられてきたが、法人化後は、法人経営と教育研究を支える機能を、飛躍的に向上させなければならない。個々の職員の能力を向上させるとともに、組織として学長役員を直接支え、政策の形成と実行に責任を持つようなあり方に、切り替わらなくてはならない。各大学で様々な試みがなされており、大学職員集団の能力向上と役割の発揮に積極的に取り組んだ大学が、大学経営活性化への道をたどるであろう。
4 部局の運営の機能向上
全学の運営の機能を向上させようとしても、部局の運営が不透明で不合理では実現しない。今後は部局においても、経営判断が迫られることも多くなり重要課題についての自律的判断機能を形成する必要がある。あらゆる議題を教授会にかけて長時間の議論を繰り返し、結局意思決定できないという従来よく見られた教授会の在り方は、変えなければならない。学部長を中心として、副学部長、事務幹部などによる強力な執行部を形成し、日常的な運営事項はそこで決定し、重要課題についても議論を絞り込んでおくといった、効率的な運営方式に切り替えるべきであろう。
例えば財務状況について、定期的に収支バランスが把握され、その情報に基づいて経営判断がされていくといった運営が必要である。このような部局の経営情報と経営判断の集積の上に、全学的な経営情報が成り立ち、部局の自主性と全学の効率性を両立させる経営判断が可能となる。共有しうるデータと論理性のある判断をすり合わせてこそ、説得力のある判断ができる。本部と部局で押し問答をしても、お互いに疲れるだけであり、知的集団にふさわしい意思決定プロセスを形成するべきである。
5 経営機能分析に基づいた組織論の必要性
以上、法人法上の組織および実態として行われている組織ごとに見てきたが、本当の組織論を展開するためには、全学の経営機能の分析に基づいた論じ方が必要ではないか、という思いがしてならない。試みに簡単なスケッチを描いてみよう。
1)全学の基本的な機能を維持し、健全性を保つという機能=組織
どの団体でも見られる人事、財務、学生支援、研究支援、国際、情報等の学内横断的な機能があり、本部及び各部局にネットワークが形成されている。さらにリスクマネジメントやコンプライアンスの機能が重なり合い、安定性と柔軟性のバランスが課題である。
2)活動を改善あるいは創造し展開する機能=組織
学生のニーズを満たす教育と、教員の自主性を生かした研究の展開である。個々の教員の自主性が尊重されるとともに、教育のカリキュラムや研究の体系性に基づき部局が編成されているわけであり、部局の自主性も尊重される。しかし、新たな知見が次々に生まれることにより、従来の部局の不全にはまらないあり方などが必要である。そのためには、絶えざる改善、あるいは新たなものの創造(及びそれに伴う既存のものの見直し)が必要となる。
3)情報共有とコミュニケーションに基づき道筋をつけていく機能=組織
しかし2)だけでは、大学全体としては、バラバラの活動の集積となってしまう。大学としての大きな方向性を持ちながら、自主性を誘導して何らかのまとまりを形成していく、知的集団ならではの機能、あるいは組織形成が必要である。
これらの課題に応えるために本当は、構成員全員が情報とポリシーを共有すればいいのだが、特に大規模大学ではなかなか難しい。少なくとも大学を支える中核的集団である、本部と部局のコアとなる教員と職員は、情報とポリシーを共有し、1)を改善しつつ活用しながら、2)を実り豊かに生み育てていくための知恵と経験を、積み重ねていかなければならない。
私は日本の大学経営の在り方も、それを分析する手法も、まだ十分開発されてはいないと感じている。国立大学法人経営の経験の深化とともに、国立大学法人経営を見る目も成長していくことを期待したい。(IDE 2009年6月号掲載)
2009年6月22日月曜日
新たな中期目標・計画への展望-1
国立大学が法人化され、はや6年。国立大学法人は第1期中期目標期間の最終年度を迎えています。来年度からいよいよ第2期がスタートするわけですが、いま全ての国立大学法人は、来期6年間の中期計画の策定に苦闘しています。各大学が策定する新たな達成目標・計画は、年度内に文部科学大臣の認可を受ける必要があり、そのために、今月末までに、「素案」というものを文部科学省に提出し、国立大学法人評価委員会のチエックを受けなければなりません。
今回は、第1期の時とは異なり、記載内容全体のボリュームが格段に減ったことにより大学の特色・個性をより鮮明に打ち出す必要があること、中教審における指摘等を踏まえ、いわゆる「機能別分化」を明確にする必要があること、さらには、国立大学本来の使命・役割を踏まえた組織や業務全般にわたる見直しを求めた文部科学大臣決定に沿った検討を行い、その結果を目標・計画に反映する必要があることなど、様々な条件の下での作業を余儀なくされています。
目標・計画の策定に当たって、認可権を持つ文部科学省からこのような様々な指示が出されていることについては、個人的には、国立大学に自主的・自律的経営を求めた法人化の趣旨から考えれば、少々やりすぎではないかと感じるところがありますが、いずれの大学も未だに親方日の丸の意識が抜けないのか、はたまた運営費交付金という生活費をもらうためには従順にならざるをえないのか、今のところ大きなクレームの声は聞こえていません。
これまで6年間、各大学は意識改革のままならない教職員の納得をなんとか取り付けながら、先の見えないトンネルの中で、試行錯誤を繰り返しながら、法人化のメリットを最大限活かすべく様々な改革に努力してきたのではないかと思います。もちろん満点ではないにせよ、「大学の自治」思想に支配されてきた古き良き時代からみれば、格段の進歩ではないかと思います。
第2期は、国立大学法人評価委員会や大学評価・学位授与機構が行った中期目標期間の評価結果も参考にしながら、自大学の取り組みを検証し、なお一層の改革改善に取り組まなければなりません。
前置きが長くなりました。今日は、IDE現代の高等教育(IDE大学協会誌)「国立大学法人-二期目への展望」(No511・2009年6月号)の中から、各執筆者の「結び」の部分をひろってご紹介したいと思います。(興味のある方は、是非ご購読ください。)
前文
国立大学法人の発足から6年目、第一期の中期計画が終わろうとしています。法人化は国立大学にとって、明治以来の大改革でした。文部科学省や評価機関にとっても新しい経験と戸惑い、試行錯誤の連続だったと思われます。制度設計の時点では見えていなかった問題点や課題も、少なくありません。
いまは第一期の実績評価が終わり、新しい中期目標・計画の準備が進んでいますが、来年度から始まるその二期目の計画は、国立大学法人の命運だけでなく、日本の高等教育と社会の将来をも大きく左右するものになるでしょう。法人化は何をもたらしたのか、評価の結果に何を学び、反省を踏まえて新しいどのような課題に取り組む必要があるのか。法人化の第一期を振り返り、その現実と課題に多角的な検討を加え、二期目への新しい展望を切り開いておきたいというのが、この特集の狙いです。
国立大学法人制度の再検証(大崎 仁)
第二期を前にして、残念ながら国立大学をめぐる厳しい状況が好転する兆しは見えない。厳しい状況下で国立大学が発展するためには、国民の支持が不可欠である。もともと国立大学は、国民の意思によって設立された大学であり、それゆえに強い公共性を特つことが要請される。その基本は、法人化によって変わるようなものではない。市場原理主義への反省の動きもでてきたが、厳しい財政状況とあいまって、市場化重視の流れは多かれ少なかれ今後とも続くであろう。
しかし、市場にゆだねることのできない仕事こそ、国学大学の存在理由であり、国民が国立大学に期待するところである。国立大学の公共性を再確認し、国民の要望に的確に応えていくことこそ、第二期へ向けた国立大学の基本的課題と考える。(IDE大学協会副会長)
法人化をどう評価すべきか(石 弘光)
法人化には光と影の部分がある。法人化後の国立大学の改革に共感する立場から6つの課題を挙げることができる。
今後の国立大学の在り方について(徳永 保)
大学は、自律的運営の下で、自由な研究と研究に裏付けられた教育を行い、それに立脚したものとして学位を授与する機関である。教員個人の興味関心に基づいた自由な研究を基盤とする大学の教育研究活動は、時に、非効率とも思われているが、中長期的には最も効率的に知を創造、普及、継承しうる仕組みであろう。私は、大学の自律性を尊重することが大学行政の基本と考え、そのような認識に立った政策をこれまでも心がけてきたが、大学の自治はあくまで大学人自身の自覚と努力に負うものであることを改めて強調したい。(文部科学省高等教育局 局長)
国立大学法人・第二期への課題(松本 紘)
近年の政府や国の動きを顧みると、国家財政のあり方の見直し等に関連した政策論議として、国立大学の再編・統合、運営費交付金の減額、評価と連動した競争的経費の拡大といった、経済効率や競争原理を重視した仕組みが「流行」しているように見受けられる。そのような中にあって明治以来わが国が作り上げてきた、国立大学の役割や運営方法のなかの「不易」の部分を守りつづけていく必要を、強く感じている。独立行政法人通則法に準じながらも、国立大学法人法という特別な法律が必要となったことの意味を、いま一度改めて問い直す必要があるのではなかろうか。(京都大学総長 / 宇宙プラズマ物理学・宇宙電波工学)
学術の国際競争力と大学病院の機能向上を(豊田長康)
未曾有の経済危機の中で、イノベーションの芽を育て、有能な人材を育成した国だけが生き残る。中国やその他の新興国の科学技術や教育の発展を見れば、10年後に日本が圧倒されるのは火をみるより明らかである。大学の予算を削減しつつ「選択と集中」と称して、上位校だけ残して下位校を切り捨てるような政策のもとでは、とうてい勝てるはずもなく、このままでは国際競争力は低下するばかりである。わが国全体の学術の国際競争力の向上には、たとえ人口減少下であっても、「質」だけではなく「量」すなわち数が必要なのである。また、「質」の向上のためにも適切な裾野、つまり「量」が不可欠である。視野なくして「質」の向上がはかれるという考えは幻想である。
残念ながら、法人化二期目における高等教育予算の増は期待できそうにない。このような状況では、わが国の学術の国際競争力および大学病院の使命機能はずるずると低下し、回復不能なレベルに達するまで、国の“失政"が続くことになる。手遅れになってしまっては、日本の未来はない。いまこそ、わが国全体の学術の国際競争力や、大学病院の使命機能を高めるための効果的な投資(特に弱体化した教育研究基盤を回復・増強するための予算の増額)が欠かせない。(鈴鹿医療科学大学副学長、三重大学学長顧問)
地方国立大学の立場から(丸本卓哉)
教育の機会均等、学問研究を目指す若者の育成、文化・芸術の伝承と科学技術の発展、世界や人類の幸せと発展に対して、国立大学が果たしてきた役割は極めて大きい。また、地方の国立大学は、地域の発展や活性化に重要な役割を果たしてきたことも間違いない。従来、国立大学が担い、果たしてきたわが国の高等教育、特に人材育成機能の将来が問われている。
第二期の中期日標・中期計画は、国立大学の将来にとって極めて重要である。その目標達成度と評価が、大学の将来を左右する大きな要因になる、と考えられるからである。評価の方法と在り方については、まだ多くの改善点や課題があるが、改善されながら現在の評価行方法が踏襲され実施されることになるだろう。当面はそれに柔軟に対応していくしかないであろう。
現在、日本の高等教育は危機的状況にある。この困難な危機を乗り切るには、学長のリーダーシップが特に重要と思われる。大学の教員、職員、学生の3者が一体となって、それぞれの大学の将来を創り上げていく協働の意識が最も大切である。(山口大学学長、(社)国立大学協会副会長 / 土壌生化学)
法人化と財務・経営の課題(山本 清)
第一期の実績評価では、各大学とも、教育研究のみならず、財務・業務管理面で十分な成果を挙げたことを説明するあまり、結果として時間を含む資源不足の課題は浮かび上がらなかった。施設整備の遅れや劣化は、私立大学と比較しても明らかである。施設の稼働率を上げて減築による機能改善を図る、あるいは競争的資金の間接経費を全額、基盤的経費に充当することにより質を維持するなどにより、法人化の負の側面を小さくする工夫が考えられる。
安定的な財源を確保するために、政策当局にとって、国立大学の品質機能を明確化するとともに、そのことを可視化するための作業を行うことが不可欠であろう。
教育研究経費の基準なき戦いは、財源措置削減下での一層の節減努力と統制受入れの、負の循環を招く可能性がある。いま求められているのは、質を担保した上で重点・効率配分を戦略的に行う基盤構築と、社会への積極的説明である。(国立大学財務・経営センター兼東京大学 / 大学財務管理論)
法人化とファンディング(永山賀久)
国立大学法人法第3条は、「国は・・・国立大学・・・における教育研究の特性に常に配慮しなければならない」と規定している。学問の自由、さらに大学の自治の根幹をなす個々の教育研究活動については、独立行政法人と異なり、まず各法人の自主性が尊重されなければならない。
一方、教育の質の保証をはじめとして、(国立)大学に共通して求められる事柄も多岐にわたり、そのような特定の政策目的の遂行の手段としてファンディングが行われる場合も多い。したがって、国立大学法人へのファンディングを考えるにあたっては、両方の要請を常に意識する必要がある。その上で、国公私立大学を含む高等教育全体の発展を目指して、高等教育へのファンディングについて、不断の改善を図っていかなければならない。
なお、今後ますます、ファンディングを行う側、受け取る側双方に、社会に対する説明責任を果たすことが求められるであろうことも付言したい。(文部科学省高等教育局国立大学法人支援課長)
法人化の現状と将来-監事の視点(高橋誠一)
第二期の中期計画が、第一期の中期計画と大同小異であるとすれば、中期計画の充足は法人化の必要条件ではありえても十分条件ではありえない。法人がこの厳しい時代を乗り越えて行くためには、法人が自らの全身全霊で持って、その将来を切り開いて行く以外にはない。「我、国民、人類の未来を照らす知の灯台とならんことを欲す」である。
「親方日の丸」の土壌からは、自立性・自己責任のカルチュア、未来に挑戦するカルチュアの創造は、現状では残念ながら「絵に描いた餅である」と思わざるを得ない。「大海原波間に漂う法人丸」が過去の事象であることを願うばかりである。(熊本大学監事)
国立大学の教育研究評価を終えて(丹保憲仁)
将来に向けていくつか感想を述べる。
第二期の目標設計(文部科学省高等教育局国立大学法人支援課)
中期目標・中期計画は、各法人の自主性・自律性のもと、特色や個性を生かした取組を進めていくための推進装置とも言えるものである。国立大学を取り巻く状況には引き続き厳しいものがあるなか、各法人の特性を一層発揮できるよう、中期目標・中期計画の検討を通じて組織や業務の見直しを行うとともに、中期目標・中期計画の達成状況について不断の評価を行い、PDCAサイクルを徹底することが期待される。
(参考)
第2期中期目標・中期計画(素案)が文部科学省へ提出されたあと、文部科学省は、各国立大学との間で「国立大学法人の運営上の諸課題に関する意見交換」を実施するようです。
文部科学省が各大学に通知した実施要領によれば、これは、次期中期目標・中期計画期間に向けて、各国立大学法人の運営上の諸課題について広く意見交換を行い、国立大学法人及び文部科学省それぞれの検討に資することを目的としているもので、7月8日(水)~7月15日(水)に文部科学省において実施され、国立大学法人からは、担当理事、事務局長、担当部長等の出席が求められているようです。また、文部科学省からは、大臣官房審議官(高等教育局担当)、国立大学法人支援課長等が出席するようです。(1法人30分程度)
意見交換の主なテーマは、以下のとおりです。
今回は、第1期の時とは異なり、記載内容全体のボリュームが格段に減ったことにより大学の特色・個性をより鮮明に打ち出す必要があること、中教審における指摘等を踏まえ、いわゆる「機能別分化」を明確にする必要があること、さらには、国立大学本来の使命・役割を踏まえた組織や業務全般にわたる見直しを求めた文部科学大臣決定に沿った検討を行い、その結果を目標・計画に反映する必要があることなど、様々な条件の下での作業を余儀なくされています。
目標・計画の策定に当たって、認可権を持つ文部科学省からこのような様々な指示が出されていることについては、個人的には、国立大学に自主的・自律的経営を求めた法人化の趣旨から考えれば、少々やりすぎではないかと感じるところがありますが、いずれの大学も未だに親方日の丸の意識が抜けないのか、はたまた運営費交付金という生活費をもらうためには従順にならざるをえないのか、今のところ大きなクレームの声は聞こえていません。
これまで6年間、各大学は意識改革のままならない教職員の納得をなんとか取り付けながら、先の見えないトンネルの中で、試行錯誤を繰り返しながら、法人化のメリットを最大限活かすべく様々な改革に努力してきたのではないかと思います。もちろん満点ではないにせよ、「大学の自治」思想に支配されてきた古き良き時代からみれば、格段の進歩ではないかと思います。
第2期は、国立大学法人評価委員会や大学評価・学位授与機構が行った中期目標期間の評価結果も参考にしながら、自大学の取り組みを検証し、なお一層の改革改善に取り組まなければなりません。
◇
前置きが長くなりました。今日は、IDE現代の高等教育(IDE大学協会誌)「国立大学法人-二期目への展望」(No511・2009年6月号)の中から、各執筆者の「結び」の部分をひろってご紹介したいと思います。(興味のある方は、是非ご購読ください。)
前文
国立大学法人の発足から6年目、第一期の中期計画が終わろうとしています。法人化は国立大学にとって、明治以来の大改革でした。文部科学省や評価機関にとっても新しい経験と戸惑い、試行錯誤の連続だったと思われます。制度設計の時点では見えていなかった問題点や課題も、少なくありません。
いまは第一期の実績評価が終わり、新しい中期目標・計画の準備が進んでいますが、来年度から始まるその二期目の計画は、国立大学法人の命運だけでなく、日本の高等教育と社会の将来をも大きく左右するものになるでしょう。法人化は何をもたらしたのか、評価の結果に何を学び、反省を踏まえて新しいどのような課題に取り組む必要があるのか。法人化の第一期を振り返り、その現実と課題に多角的な検討を加え、二期目への新しい展望を切り開いておきたいというのが、この特集の狙いです。
国立大学法人制度の再検証(大崎 仁)
第二期を前にして、残念ながら国立大学をめぐる厳しい状況が好転する兆しは見えない。厳しい状況下で国立大学が発展するためには、国民の支持が不可欠である。もともと国立大学は、国民の意思によって設立された大学であり、それゆえに強い公共性を特つことが要請される。その基本は、法人化によって変わるようなものではない。市場原理主義への反省の動きもでてきたが、厳しい財政状況とあいまって、市場化重視の流れは多かれ少なかれ今後とも続くであろう。
しかし、市場にゆだねることのできない仕事こそ、国学大学の存在理由であり、国民が国立大学に期待するところである。国立大学の公共性を再確認し、国民の要望に的確に応えていくことこそ、第二期へ向けた国立大学の基本的課題と考える。(IDE大学協会副会長)
法人化をどう評価すべきか(石 弘光)
法人化には光と影の部分がある。法人化後の国立大学の改革に共感する立場から6つの課題を挙げることができる。
- 毎年1%削減される運営費交付金に代表される財政面の制約
- 理事会、経営協議会、監事という学外からの委員を、十分に活用しきれていない。
- 相次ぐ大学評価のため、その作業に労力と時間が大幅にとられる。とりわけ、この作業に借り出される若手教員の負担は大きい。
- 非公務員となった法人化後、企業の非常勤取締役および監査役に就く教員が増え、多額の報酬を手にすることから、学内での所得格差が拡大した。
- 第一期の中期計画終了後に、それまでの剰余金を一括返納する制度になったため、予算施行上の節約の努力がムダとなった。
- 学長選考会議による学長の選考システムが定着せず、これまで8大学でトラブルが生じている。うち3大学では訴訟にまで発展している。学内で事前に行われる意向投票結果の取り扱いが不明確なためである。
今後の国立大学の在り方について(徳永 保)
大学は、自律的運営の下で、自由な研究と研究に裏付けられた教育を行い、それに立脚したものとして学位を授与する機関である。教員個人の興味関心に基づいた自由な研究を基盤とする大学の教育研究活動は、時に、非効率とも思われているが、中長期的には最も効率的に知を創造、普及、継承しうる仕組みであろう。私は、大学の自律性を尊重することが大学行政の基本と考え、そのような認識に立った政策をこれまでも心がけてきたが、大学の自治はあくまで大学人自身の自覚と努力に負うものであることを改めて強調したい。(文部科学省高等教育局 局長)
国立大学法人・第二期への課題(松本 紘)
近年の政府や国の動きを顧みると、国家財政のあり方の見直し等に関連した政策論議として、国立大学の再編・統合、運営費交付金の減額、評価と連動した競争的経費の拡大といった、経済効率や競争原理を重視した仕組みが「流行」しているように見受けられる。そのような中にあって明治以来わが国が作り上げてきた、国立大学の役割や運営方法のなかの「不易」の部分を守りつづけていく必要を、強く感じている。独立行政法人通則法に準じながらも、国立大学法人法という特別な法律が必要となったことの意味を、いま一度改めて問い直す必要があるのではなかろうか。(京都大学総長 / 宇宙プラズマ物理学・宇宙電波工学)
学術の国際競争力と大学病院の機能向上を(豊田長康)
未曾有の経済危機の中で、イノベーションの芽を育て、有能な人材を育成した国だけが生き残る。中国やその他の新興国の科学技術や教育の発展を見れば、10年後に日本が圧倒されるのは火をみるより明らかである。大学の予算を削減しつつ「選択と集中」と称して、上位校だけ残して下位校を切り捨てるような政策のもとでは、とうてい勝てるはずもなく、このままでは国際競争力は低下するばかりである。わが国全体の学術の国際競争力の向上には、たとえ人口減少下であっても、「質」だけではなく「量」すなわち数が必要なのである。また、「質」の向上のためにも適切な裾野、つまり「量」が不可欠である。視野なくして「質」の向上がはかれるという考えは幻想である。
残念ながら、法人化二期目における高等教育予算の増は期待できそうにない。このような状況では、わが国の学術の国際競争力および大学病院の使命機能はずるずると低下し、回復不能なレベルに達するまで、国の“失政"が続くことになる。手遅れになってしまっては、日本の未来はない。いまこそ、わが国全体の学術の国際競争力や、大学病院の使命機能を高めるための効果的な投資(特に弱体化した教育研究基盤を回復・増強するための予算の増額)が欠かせない。(鈴鹿医療科学大学副学長、三重大学学長顧問)
地方国立大学の立場から(丸本卓哉)
教育の機会均等、学問研究を目指す若者の育成、文化・芸術の伝承と科学技術の発展、世界や人類の幸せと発展に対して、国立大学が果たしてきた役割は極めて大きい。また、地方の国立大学は、地域の発展や活性化に重要な役割を果たしてきたことも間違いない。従来、国立大学が担い、果たしてきたわが国の高等教育、特に人材育成機能の将来が問われている。
第二期の中期日標・中期計画は、国立大学の将来にとって極めて重要である。その目標達成度と評価が、大学の将来を左右する大きな要因になる、と考えられるからである。評価の方法と在り方については、まだ多くの改善点や課題があるが、改善されながら現在の評価行方法が踏襲され実施されることになるだろう。当面はそれに柔軟に対応していくしかないであろう。
現在、日本の高等教育は危機的状況にある。この困難な危機を乗り切るには、学長のリーダーシップが特に重要と思われる。大学の教員、職員、学生の3者が一体となって、それぞれの大学の将来を創り上げていく協働の意識が最も大切である。(山口大学学長、(社)国立大学協会副会長 / 土壌生化学)
法人化と財務・経営の課題(山本 清)
第一期の実績評価では、各大学とも、教育研究のみならず、財務・業務管理面で十分な成果を挙げたことを説明するあまり、結果として時間を含む資源不足の課題は浮かび上がらなかった。施設整備の遅れや劣化は、私立大学と比較しても明らかである。施設の稼働率を上げて減築による機能改善を図る、あるいは競争的資金の間接経費を全額、基盤的経費に充当することにより質を維持するなどにより、法人化の負の側面を小さくする工夫が考えられる。
安定的な財源を確保するために、政策当局にとって、国立大学の品質機能を明確化するとともに、そのことを可視化するための作業を行うことが不可欠であろう。
教育研究経費の基準なき戦いは、財源措置削減下での一層の節減努力と統制受入れの、負の循環を招く可能性がある。いま求められているのは、質を担保した上で重点・効率配分を戦略的に行う基盤構築と、社会への積極的説明である。(国立大学財務・経営センター兼東京大学 / 大学財務管理論)
法人化とファンディング(永山賀久)
国立大学法人法第3条は、「国は・・・国立大学・・・における教育研究の特性に常に配慮しなければならない」と規定している。学問の自由、さらに大学の自治の根幹をなす個々の教育研究活動については、独立行政法人と異なり、まず各法人の自主性が尊重されなければならない。
一方、教育の質の保証をはじめとして、(国立)大学に共通して求められる事柄も多岐にわたり、そのような特定の政策目的の遂行の手段としてファンディングが行われる場合も多い。したがって、国立大学法人へのファンディングを考えるにあたっては、両方の要請を常に意識する必要がある。その上で、国公私立大学を含む高等教育全体の発展を目指して、高等教育へのファンディングについて、不断の改善を図っていかなければならない。
なお、今後ますます、ファンディングを行う側、受け取る側双方に、社会に対する説明責任を果たすことが求められるであろうことも付言したい。(文部科学省高等教育局国立大学法人支援課長)
法人化の現状と将来-監事の視点(高橋誠一)
第二期の中期計画が、第一期の中期計画と大同小異であるとすれば、中期計画の充足は法人化の必要条件ではありえても十分条件ではありえない。法人がこの厳しい時代を乗り越えて行くためには、法人が自らの全身全霊で持って、その将来を切り開いて行く以外にはない。「我、国民、人類の未来を照らす知の灯台とならんことを欲す」である。
「親方日の丸」の土壌からは、自立性・自己責任のカルチュア、未来に挑戦するカルチュアの創造は、現状では残念ながら「絵に描いた餅である」と思わざるを得ない。「大海原波間に漂う法人丸」が過去の事象であることを願うばかりである。(熊本大学監事)
国立大学の教育研究評価を終えて(丹保憲仁)
将来に向けていくつか感想を述べる。
- 議論に終始付きまとったのは、評価にかける労力・コストと、教育研究にかけるそれらの適切な配分比、特性曲線のサドル領域がどの程度のものかなどの議論である。これらの点について、教育学者にもう少し本気に考えてもらえたらと思う。“評価疲れ"と言うことの、具体の意味を研究してもらいたい。
- 大学の特徴を高めるためであるという、評価目的はこれでよかったと思うが、大学の弱点をきちっと抉り出すことも、同一の趣旨で必要であったと思う。例えば、教育研究の低水準30%の教員・学生・職員はどうなっているかなどを、大学が自己申告できたら、評価は大きなインパクトを持つと思う。大学内の、または大学間の差異を縮めることができるかどうかは、この部分に大きくかかわってくると思う。
- 国立大学の評価を、主務官庁である文部科学省が自身で行うため設立された大学評価・学位授与機構ではあるが、巨大な労力と資金を国立大学のためだけに使うのは、“国策”としてもったいない。認証評価を国立大学中心の「機構」で行うことによって、国立大学関連の評価データを集積・共用することができ、教育研究評価が有効に進められたことは、これまで見てきた通りである。しかし、ともすれば私立大学との稠密な連帯が切れてしまうことにもなりかねず、日本の高等教育が国公私立一体となって発展するという観点からすると、問題を生じているように思う。認証評価に共同であたってきた国立大学群が抜け落ちれば、大学基準協会などによる歴史的な努力が、また縦割りの弊に落ちそうである。多様な評価機関設立の必要性が実態的には減じてくるかもしれない。生涯を国立大学に住んだ人間でも、気になるところである。
- 最後に、個人的には義務を終えて本当にほっとする反面、今ならもう少しましなことを考えられそうな気がする。第2サイクルは明日からでもすぐ、入念な議論を始めていただきたいと思う。
第二期の目標設計(文部科学省高等教育局国立大学法人支援課)
中期目標・中期計画は、各法人の自主性・自律性のもと、特色や個性を生かした取組を進めていくための推進装置とも言えるものである。国立大学を取り巻く状況には引き続き厳しいものがあるなか、各法人の特性を一層発揮できるよう、中期目標・中期計画の検討を通じて組織や業務の見直しを行うとともに、中期目標・中期計画の達成状況について不断の評価を行い、PDCAサイクルを徹底することが期待される。
(参考)
第2期中期目標・中期計画(素案)が文部科学省へ提出されたあと、文部科学省は、各国立大学との間で「国立大学法人の運営上の諸課題に関する意見交換」を実施するようです。
文部科学省が各大学に通知した実施要領によれば、これは、次期中期目標・中期計画期間に向けて、各国立大学法人の運営上の諸課題について広く意見交換を行い、国立大学法人及び文部科学省それぞれの検討に資することを目的としているもので、7月8日(水)~7月15日(水)に文部科学省において実施され、国立大学法人からは、担当理事、事務局長、担当部長等の出席が求められているようです。また、文部科学省からは、大臣官房審議官(高等教育局担当)、国立大学法人支援課長等が出席するようです。(1法人30分程度)
意見交換の主なテーマは、以下のとおりです。
- 第二期中期目標・中期計画期間に向けた課題等
- 国立大学法人等の組織及び業務全般の見直し(平成21年6月5日大臣通知)の対応状況
- 機能別分化の議論を踏まえた大学としての特色、今後の方向性等
- その他
2009年6月21日日曜日
財務省の誤認識と文科省の説明不足
いわゆる「骨太方針2009」に反映させるべく財務省が苦心してこしらえた「財政審建議」については、財務省一流の独断と偏見を多分に含む内容であり、財務省の戦略に基づく政策誘導そのものであること、また、多くの記述やデータが誤解を招くような形で作成されており、正確な情報が必ずしも一般国民の皆さんに提供されているとは思えないことについて、既にこの日記でもご紹介しました。
○平成22年度予算に係る財政審の建議(大学サラリーマン日記)
この間、建議あるいは審議会における議論の過程で財務省が指摘した「国立大学法人の多額の剰余金」に関する不正確な情報に関しては、文部科学大臣が「心外」とのコメントを発するなど、財務省の世論誘導を阻止する行動をとった文部科学省ではありますが、財務省の主計官が審議会の中で説明した一つ一つの指摘に対しては、全国の学長会議や財務担当の部課長会議など身内の会議で自己満足程度の説明しか行っておらず、財務省の指摘がいかに独断・偏見・誤報に満ちたものであるかをもっと世の中に広く訴える必要があるのではないでしょうか。
○平成22年度予算編成の基本的考え方について(平成21年6月3日 財政制度等審議会)
○財政制度等審議会財政制度分科会財政構造改革部会(平成21年5月15日)配付資料・議事録
○大学運営費:「国立大に余剰金」財政審指摘は心外…文科相(2009年6月12日 毎日新聞)
このたび、文部科学省から各国立大学に以下のような資料が送られてきました。財政審建議に関する国会での質疑応答の抜粋です。財政審建議に対する文部科学省の考えを全国の国立大学関係者に周知するために送られたものと推察されます。このような普段なかなか読むことのない国会での議論の一端を、しかもタイムリーに提供していただくことは、国立大学の現場にとっては大変意味のあることと考えます。また、せっかくのチャンスなのでこうしてプライベートな日記でもご紹介しています。
しかし、個人的には、文部科学省は、このような遠まわしな方法による仲間内あての周知を図るだけでなく、もっと透明性のある方法で、全ての国民に対し、財務省の指摘一つ一つに対する反論を正々堂々と公開していただきたいと思いました。
第171回国会衆・文部科学委員会(2009年6月10日 社民党:日森文尋議員質疑の抜粋)
(日森委員)
先ほど西先生からもお話がございましたが、財政審が6月3日に来年度の予算編成の基本的考え方というのを示したわけですが、その中でも大学予算について触れられているわけです。
一つは、今ちょっと触れましたけれども、大学評価・学位授与機構、これについてですが、評価が客観性に欠ける例があるとか、したがって、評価自体を客観的で定量的なものにする必要があるというようなことが言われていますし、さらに、その委員の中に企業関係者であるとかあるいは評価の専門家を含めるべきではないか、8割ぐらいが大学関係者で占められているというのは非常によくないということなんでしょうが、こんな声が出されているんですが、文科省はこうした財政審が言っていることについてどういう御見解をお持ちなのか、それが一点。
それからもう一つ、もう時間が余りないので続けて言ってしまいたいと思うんですが、同時に、この財政審の中で、法人化以後、国立大学には毎年度多額の決算剰余金が発生し、ストックベースで約3千億円の積立金が累積していること、いわゆる遊休資産、減損処理を行った資産等々ですが、それが約3百億円あることを考慮すれば、国立大学法人が資金不足に陥っているとは言いがたい状況にあるというふうに財政審は言っているわけです。本当かなというふうに私は思うんですが、この積立金などは、移転のための費用だとか、そういうことで準備をしているという話もあるようです。法人化された国立大学は極めて節約をして、例えば、定年退職した職員や教員の穴埋めをしないとか、少ない数できゅうきゅうとして今おやりになっているという話もあるようです。節約して自由に使用する資金を持つことができるようになったんですが、実際にそれを行う大学は資金不足とは言えないということになるんでしょうか。これは財政審が言っているとおりなのでしょうか。私にはとてもそうは思えないという思いがあるものですから、ぜひこの点についても文科省の見解をお聞きしたいと思います。
(塩谷国務大臣)
先に、大学評価・学位授与機構による評価の客観性に欠けるという指摘については、教育研究の評価は、その特性から、一般的にピアレビュー、これは同僚評価ということでありますが、により行われておりまして、この点についての理解を求めてまいりたいと考えております。
また、評価を定量的なものにするとの指摘につきましては、やはり教育研究評価の目的は、各法人ごとに定められた中期目標の達成状況や各学部の研究科ごとの目的に照らした教育研究の水準を評価するものでありまして、定量的な評価にはなじまないと考えております。
また、委員の構成に関する点につきましても、国立大学法人法に、評価のあり方も含め、同法の運用に当たっては、大学の「教育研究の特性に常に配慮しなければならない。」と規定されておりますが、これを踏まえて、大学評価・学位授与機構において大学の教育研究に関する専門家を選任しているものと考えておるわけでございまして、企業の人がというのはやはり無理があるというような、もちろん何人かおりますが、やはり、専門家として選任をされているということでございます。
(徳永政府参考人)
積立金についてお答え申し上げます。財政審で指摘がありましたように、平成19年度末で、財務諸表上、積立金等が3千1億円計上されてございます。しかし、このうち1千5百55億円につきましては、国立大学法人会計基準に従って会計処理を行ったために生じる、いわば形式的、観念的利益であり、実際に法人に現金等が残っているものではございません。
どういうことかと申しますと、例えば附属病院の再開発、施設設備をもう一回建て直すわけでございますが、こういった場合には財政融資資金を使っております。この償還期間は25年でございます。一方で、減価償却期間は、これは企業会計に従いまして39年とされております。したがいまして、毎年度毎年度25年分で償還をしてまいりますと、その瞬間、減価償却額よりも余分に償還をすることになりますので、結果的にその資産価値が上がってしまう。こういったことがいわば形式的な利益となっているものでございまして、これがもって、いわば何か資金に余裕があるというようなものではございません。一方で、それ以外の1千4百46億円につきましては、法人が人件費の節減などの自己努力により確保したもので、これにつきましては、毎年度、目的積立金といたしまして財務大臣への協議を経まして文部科学大臣が承認を行っている資金でございまして、年度を超えたプロジェクトなどに充てられるという使途が明確に定まっているものでございます。また、減損処理をするといったもの、その減損処理をした土地建物が、資産が2百67億円となっておりますが、これは、使用実績や売却価値が相当程度低下した資産を示しているものでございますけれども、将来利用計画のあるものを含んでおり、直ちにそれが、いわば遊休資産として、あるいは、具体的な売却をして手元流動性があるというようなことを示しているものではございません。したがって、積立金や減損処理を行った資産があることは、国立大学法人の資金、いわばキャッシュに余裕があることを示しておらず、全体としては、運営費交付金の削減等により国立大学法人の経営は厳しさを増しているというふうに認識しております。
(日森委員)
最後になりますが、さらに財政審の建議の中では、今後の議論の方向性について、「運営費交付金を機械的・一律に配付するよりも、各大学が自ら質を高める取組を促すため、引き続き運営費交付金の削減を行い、できる限り、教育は授業料、研究は科学研究費補助金等の競争的な資金で賄うことを目指すべきではないか。」というふうに言っています。とても納得できないというふうに私は思うんですが、こういう財政審の方向について文科省がどういうふうにお考えになっているのか、お聞きをしたいと思うんです。
かつて、教育費をOECD並みの5%にしようと、財務省と、バトルまで行ったかどうかはわかりませんが、綱引きがあって、文科省はちょっと分が悪かったのかな、ということがありましたけれども、ここまで言われたら、本当にこの国の国立大学法人の教育研究というのは一体どうなってしまうのかということがあるので、ぜひ財務省と再びバトルをやっていただきたいという思いも込めて、文科省の見解をお聞きしたいと思います。
(塩谷国務大臣)
今の御指摘の建議につきましては、我々としましては、この運営費交付金の削減等については、当然、人件費や一般管理費は大学の組織を維持するために最低限必要な基盤的経費でありますから、必要額をしっかり確保していかなければならない。今後、中期計画においては、そのあり方を検討していくということで今考えておるわけでございます。
また、授業料で賄うべきということについて言及がありましたが、教育と研究の会計を分離し、おのおの授業料とか競争的資金で賄うという点については、全くやはり問題があると考えております。特に、教育の成果は、教育を受けた本人のみだけではなくて社会全体にも還元されるものである、また、日常的な研究活動に要する経費は競争的資金の措置ではなじまないということもあり、また、大学の研究活動は一体として行われているということでございまして、この点についてはまことに困難だと考えております。
○平成22年度予算に係る財政審の建議(大学サラリーマン日記)
この間、建議あるいは審議会における議論の過程で財務省が指摘した「国立大学法人の多額の剰余金」に関する不正確な情報に関しては、文部科学大臣が「心外」とのコメントを発するなど、財務省の世論誘導を阻止する行動をとった文部科学省ではありますが、財務省の主計官が審議会の中で説明した一つ一つの指摘に対しては、全国の学長会議や財務担当の部課長会議など身内の会議で自己満足程度の説明しか行っておらず、財務省の指摘がいかに独断・偏見・誤報に満ちたものであるかをもっと世の中に広く訴える必要があるのではないでしょうか。
○平成22年度予算編成の基本的考え方について(平成21年6月3日 財政制度等審議会)
○財政制度等審議会財政制度分科会財政構造改革部会(平成21年5月15日)配付資料・議事録
○大学運営費:「国立大に余剰金」財政審指摘は心外…文科相(2009年6月12日 毎日新聞)
このたび、文部科学省から各国立大学に以下のような資料が送られてきました。財政審建議に関する国会での質疑応答の抜粋です。財政審建議に対する文部科学省の考えを全国の国立大学関係者に周知するために送られたものと推察されます。このような普段なかなか読むことのない国会での議論の一端を、しかもタイムリーに提供していただくことは、国立大学の現場にとっては大変意味のあることと考えます。また、せっかくのチャンスなのでこうしてプライベートな日記でもご紹介しています。
しかし、個人的には、文部科学省は、このような遠まわしな方法による仲間内あての周知を図るだけでなく、もっと透明性のある方法で、全ての国民に対し、財務省の指摘一つ一つに対する反論を正々堂々と公開していただきたいと思いました。
第171回国会衆・文部科学委員会(2009年6月10日 社民党:日森文尋議員質疑の抜粋)
(日森委員)
先ほど西先生からもお話がございましたが、財政審が6月3日に来年度の予算編成の基本的考え方というのを示したわけですが、その中でも大学予算について触れられているわけです。
一つは、今ちょっと触れましたけれども、大学評価・学位授与機構、これについてですが、評価が客観性に欠ける例があるとか、したがって、評価自体を客観的で定量的なものにする必要があるというようなことが言われていますし、さらに、その委員の中に企業関係者であるとかあるいは評価の専門家を含めるべきではないか、8割ぐらいが大学関係者で占められているというのは非常によくないということなんでしょうが、こんな声が出されているんですが、文科省はこうした財政審が言っていることについてどういう御見解をお持ちなのか、それが一点。
それからもう一つ、もう時間が余りないので続けて言ってしまいたいと思うんですが、同時に、この財政審の中で、法人化以後、国立大学には毎年度多額の決算剰余金が発生し、ストックベースで約3千億円の積立金が累積していること、いわゆる遊休資産、減損処理を行った資産等々ですが、それが約3百億円あることを考慮すれば、国立大学法人が資金不足に陥っているとは言いがたい状況にあるというふうに財政審は言っているわけです。本当かなというふうに私は思うんですが、この積立金などは、移転のための費用だとか、そういうことで準備をしているという話もあるようです。法人化された国立大学は極めて節約をして、例えば、定年退職した職員や教員の穴埋めをしないとか、少ない数できゅうきゅうとして今おやりになっているという話もあるようです。節約して自由に使用する資金を持つことができるようになったんですが、実際にそれを行う大学は資金不足とは言えないということになるんでしょうか。これは財政審が言っているとおりなのでしょうか。私にはとてもそうは思えないという思いがあるものですから、ぜひこの点についても文科省の見解をお聞きしたいと思います。
(塩谷国務大臣)
先に、大学評価・学位授与機構による評価の客観性に欠けるという指摘については、教育研究の評価は、その特性から、一般的にピアレビュー、これは同僚評価ということでありますが、により行われておりまして、この点についての理解を求めてまいりたいと考えております。
また、評価を定量的なものにするとの指摘につきましては、やはり教育研究評価の目的は、各法人ごとに定められた中期目標の達成状況や各学部の研究科ごとの目的に照らした教育研究の水準を評価するものでありまして、定量的な評価にはなじまないと考えております。
また、委員の構成に関する点につきましても、国立大学法人法に、評価のあり方も含め、同法の運用に当たっては、大学の「教育研究の特性に常に配慮しなければならない。」と規定されておりますが、これを踏まえて、大学評価・学位授与機構において大学の教育研究に関する専門家を選任しているものと考えておるわけでございまして、企業の人がというのはやはり無理があるというような、もちろん何人かおりますが、やはり、専門家として選任をされているということでございます。
(徳永政府参考人)
積立金についてお答え申し上げます。財政審で指摘がありましたように、平成19年度末で、財務諸表上、積立金等が3千1億円計上されてございます。しかし、このうち1千5百55億円につきましては、国立大学法人会計基準に従って会計処理を行ったために生じる、いわば形式的、観念的利益であり、実際に法人に現金等が残っているものではございません。
どういうことかと申しますと、例えば附属病院の再開発、施設設備をもう一回建て直すわけでございますが、こういった場合には財政融資資金を使っております。この償還期間は25年でございます。一方で、減価償却期間は、これは企業会計に従いまして39年とされております。したがいまして、毎年度毎年度25年分で償還をしてまいりますと、その瞬間、減価償却額よりも余分に償還をすることになりますので、結果的にその資産価値が上がってしまう。こういったことがいわば形式的な利益となっているものでございまして、これがもって、いわば何か資金に余裕があるというようなものではございません。一方で、それ以外の1千4百46億円につきましては、法人が人件費の節減などの自己努力により確保したもので、これにつきましては、毎年度、目的積立金といたしまして財務大臣への協議を経まして文部科学大臣が承認を行っている資金でございまして、年度を超えたプロジェクトなどに充てられるという使途が明確に定まっているものでございます。また、減損処理をするといったもの、その減損処理をした土地建物が、資産が2百67億円となっておりますが、これは、使用実績や売却価値が相当程度低下した資産を示しているものでございますけれども、将来利用計画のあるものを含んでおり、直ちにそれが、いわば遊休資産として、あるいは、具体的な売却をして手元流動性があるというようなことを示しているものではございません。したがって、積立金や減損処理を行った資産があることは、国立大学法人の資金、いわばキャッシュに余裕があることを示しておらず、全体としては、運営費交付金の削減等により国立大学法人の経営は厳しさを増しているというふうに認識しております。
(日森委員)
最後になりますが、さらに財政審の建議の中では、今後の議論の方向性について、「運営費交付金を機械的・一律に配付するよりも、各大学が自ら質を高める取組を促すため、引き続き運営費交付金の削減を行い、できる限り、教育は授業料、研究は科学研究費補助金等の競争的な資金で賄うことを目指すべきではないか。」というふうに言っています。とても納得できないというふうに私は思うんですが、こういう財政審の方向について文科省がどういうふうにお考えになっているのか、お聞きをしたいと思うんです。
かつて、教育費をOECD並みの5%にしようと、財務省と、バトルまで行ったかどうかはわかりませんが、綱引きがあって、文科省はちょっと分が悪かったのかな、ということがありましたけれども、ここまで言われたら、本当にこの国の国立大学法人の教育研究というのは一体どうなってしまうのかということがあるので、ぜひ財務省と再びバトルをやっていただきたいという思いも込めて、文科省の見解をお聞きしたいと思います。
(塩谷国務大臣)
今の御指摘の建議につきましては、我々としましては、この運営費交付金の削減等については、当然、人件費や一般管理費は大学の組織を維持するために最低限必要な基盤的経費でありますから、必要額をしっかり確保していかなければならない。今後、中期計画においては、そのあり方を検討していくということで今考えておるわけでございます。
また、授業料で賄うべきということについて言及がありましたが、教育と研究の会計を分離し、おのおの授業料とか競争的資金で賄うという点については、全くやはり問題があると考えております。特に、教育の成果は、教育を受けた本人のみだけではなくて社会全体にも還元されるものである、また、日常的な研究活動に要する経費は競争的資金の措置ではなじまないということもあり、また、大学の研究活動は一体として行われているということでございまして、この点についてはまことに困難だと考えております。
2009年6月17日水曜日
教育界への信頼が崩壊していく
連日の残業にもへこたれず、疲れきった体に鞭を打ちながら、学校現場で起こる様々な教育課題の解決に懸命に取り組んでいる多くの教員に対する冒涜とも言えるようなニュースが毎日のように報じられています。
例えば、今日報じられた次の2つのニュースは、内容も次元も全く異なるものですが、私達の頭の中で合体した瞬間、この国の将来は、教育はどうなっていくんだろうという大きな不安となって私達を悩ませます。
京教大集団準強姦事件 「目撃」の元学生、小学校教諭に(2009年6月17日 産経新聞)
京都教育大学の男子学生6人が逮捕された女子学生(20)に対する集団準強姦(ごうかん)事件で、現場となった京都市中京区の居酒屋の部屋など近くに居合わせた男子学生3人のうち1人が、今春から奈良県内の小学校で教員として勤務していることが16日、捜査関係者などへの取材で分かった。この元学生は、京都府警の任意の聴取に「部屋には入っていない」と話しているが、ほかの学生の説明と食い違う部分も多いといい、府警は当時の状況について慎重に裏付けを進めている。・・・
教員汚職1年 節目の会議 “居眠り”教育次長を更迭(2009年6月17日 読売新聞)
大分県教委は16日、県教員汚職事件発覚から1年の節目に開いた臨時教育委員会で、首藤博文・教育次長(58)が居眠りをしているように見えたとして、戒告の懲戒処分にし、知事部局へ異動させた。首藤教育次長は居眠りを否定しているが、小矢文則・県教育長は「職責への自覚が欠けている」と語った。・・・
国立の教員養成大学である京都教育大学の事件は、多くの国民に大きな衝撃を与えました。同時に我が国の教員養成大学・学部に対する各方面からの強い批判や不信感が拡がっています。
このような状況の中、日本教育大学協会は、このたび、すべての加盟大学及び教職員に対し、次のような注意喚起を促す異例の文書を会長名で発出しているようです。異常で情けない国 ニッポンですね。
国立教員養成系大学の理念と意義の徹底について
今般、発覚した教員養成大学学生による不祥事と、その後の大学の対応について、多方面から御批判をいただきました。国立教員養成系大学で構成する日本教育大学協会としても、極めて遺憾であります。
今回の事件は、一大学での不祥事に止まらず、全ての国立教員養成系大学に対する国民や社会からの信用・信頼が大きく失墜しました。
大学としては、このような不祥事に際しては、適切かつ迅速な対応を図るとともに、必要な情報公開により社会に対する十分な説明責任を果たす必要があります。本件を契機に、各大学において重大な事件・事故等が発生した場合の対応策や情報公開の方法などについて再度検証をお願いします。
今、学校現場では、学習指導要領改訂への対応をはじめ、いじめや学級崩壊など様々な課題や問題を抱えています。その中で教員は、これらの問題に取り組み、一人一の児童生徒と向き合うべき責任があり、児童生徒の将来は教員の手に委ねられていると言っても過言ではありません。社会から理解を得るためにも、国民や社会から期待される学校現場の教員を目指す教員養成系の学生に、責任と気概を十分認識させる必要があります。
各会員大学・学部にあっては、教員養成の目的、教育の基本をあらためて自覚するとともに、今回の事例を真摯に受け止め、今一度、学生へのさらなる倫理教育の徹底とハラスメント防止に向け積極的に取り組んでいただくようよろしくお願いします。
例えば、今日報じられた次の2つのニュースは、内容も次元も全く異なるものですが、私達の頭の中で合体した瞬間、この国の将来は、教育はどうなっていくんだろうという大きな不安となって私達を悩ませます。
京教大集団準強姦事件 「目撃」の元学生、小学校教諭に(2009年6月17日 産経新聞)
京都教育大学の男子学生6人が逮捕された女子学生(20)に対する集団準強姦(ごうかん)事件で、現場となった京都市中京区の居酒屋の部屋など近くに居合わせた男子学生3人のうち1人が、今春から奈良県内の小学校で教員として勤務していることが16日、捜査関係者などへの取材で分かった。この元学生は、京都府警の任意の聴取に「部屋には入っていない」と話しているが、ほかの学生の説明と食い違う部分も多いといい、府警は当時の状況について慎重に裏付けを進めている。・・・
教員汚職1年 節目の会議 “居眠り”教育次長を更迭(2009年6月17日 読売新聞)
大分県教委は16日、県教員汚職事件発覚から1年の節目に開いた臨時教育委員会で、首藤博文・教育次長(58)が居眠りをしているように見えたとして、戒告の懲戒処分にし、知事部局へ異動させた。首藤教育次長は居眠りを否定しているが、小矢文則・県教育長は「職責への自覚が欠けている」と語った。・・・
国立の教員養成大学である京都教育大学の事件は、多くの国民に大きな衝撃を与えました。同時に我が国の教員養成大学・学部に対する各方面からの強い批判や不信感が拡がっています。
このような状況の中、日本教育大学協会は、このたび、すべての加盟大学及び教職員に対し、次のような注意喚起を促す異例の文書を会長名で発出しているようです。異常で情けない国 ニッポンですね。
国立教員養成系大学の理念と意義の徹底について
今般、発覚した教員養成大学学生による不祥事と、その後の大学の対応について、多方面から御批判をいただきました。国立教員養成系大学で構成する日本教育大学協会としても、極めて遺憾であります。
今回の事件は、一大学での不祥事に止まらず、全ての国立教員養成系大学に対する国民や社会からの信用・信頼が大きく失墜しました。
大学としては、このような不祥事に際しては、適切かつ迅速な対応を図るとともに、必要な情報公開により社会に対する十分な説明責任を果たす必要があります。本件を契機に、各大学において重大な事件・事故等が発生した場合の対応策や情報公開の方法などについて再度検証をお願いします。
今、学校現場では、学習指導要領改訂への対応をはじめ、いじめや学級崩壊など様々な課題や問題を抱えています。その中で教員は、これらの問題に取り組み、一人一の児童生徒と向き合うべき責任があり、児童生徒の将来は教員の手に委ねられていると言っても過言ではありません。社会から理解を得るためにも、国民や社会から期待される学校現場の教員を目指す教員養成系の学生に、責任と気概を十分認識させる必要があります。
各会員大学・学部にあっては、教員養成の目的、教育の基本をあらためて自覚するとともに、今回の事例を真摯に受け止め、今一度、学生へのさらなる倫理教育の徹底とハラスメント防止に向け積極的に取り組んでいただくようよろしくお願いします。
2009年6月16日火曜日
健全な労組活動を
6年前まで、国立大学の職員は国家公務員だったこともあって、私はこれまで労働組合又はこれに類似する団体に加入したことがなく、したがって組合活動なるものを経験したことがありません。これは幸せなことなのか不幸せなことかよくわかりませんが、組合員になって大学職員のために健全な組合活動というものをしてみたかったと思うことはあります。なぜならば、私のこれまでの経験から申し上げれば、大学における組合活動は決して大学の構成員のためになっているようには思えないからです。
組合員を経験したことのない私が組合活動について軽々に申し上げることは適切ではないのかもしれませんが、大学の組合員の方々、あるいは組合は、正直申し上げて、現在大学に突きつけられている厳しい現実を自分のこととして受け止めているようには見えませんし、経営改革や教育改革など大学の発展に資するような取り組みをしているようには思えません。逆に何かにつけ足かせになるような行動しかしていないように思えます。
法人化後、国から絶大なる権限を付与された学長や役員のリーダーシップがなかなか発揮できない理由の一つとして、遠い昔から非難され続けている「学部の自治」というものがあります。未だに、教授会の威信を維持・拡大しようとする勢力が大学の中にはいます。その多くは現在組合活動を行っている方々もしくは過去にそのような立場にあった方々ではないかと思います。
経営トップの考えや行動に対して、民主主義とか合意形成というの美名の下に、事あるごとにクレームをつける、あるいは、意志決定プロセスにちょっとした齟齬(屋上屋を重ねる会議での審議の順番が変わった程度のもの)があったものなら、鬼の首をとったかのように執拗な非難を繰り返す、60年代の学生運動を思わせるような激高した論調で書かれたビラをメール等を通じてまき散らす、最悪の場合は、学長や役員を全く根拠のない思い込みによって中傷し辞任に追い込む運動を展開する、などなど恐ろしいことをライフワークのようにしている組合員もしくはそのOBの方々がいることを時折耳にします。また、以下のような記事の当事者になっている方々もいます。
「教員の政治活動禁止」徹底を要求 自民の日教組議連が文科省に(2009年6月16日 産経新聞)
自民党有志議員による「日教組問題究明議員連盟」(会長・森山真弓元文相)は16日、教職員に選挙運動の禁止を徹底させる通知の内容を次期衆院選ではこれまでより厳しくするよう文部科学省に求めた。会合に出席した文科省側は「検討する」とのみ回答した。議連は内容が不十分な場合は、独自案を作成する方針だ。文科省は、国政選挙や統一地方選が行われるたびに、教職員の政治活動は禁止されているとする通知を各都道府県と政令市に出している。ただ議連側が「政府案に反対するデモ行進に教員が参加した場合、人事院規則違反ではないのか」と質問すると文科省側が明確にこたえられず、「現状の通知は(抜け穴が多い)ザルで意味がない」とのとの批判が相次いだ。
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090616/stt0906162019015-n1.htm
このようなことをする暇と体力が有り余っているのであれば、教育・研究、そして大学経営という教職員としての本分に少しでも力を注いでいただきたい、例えば、科学研究費補助金の申請書の一本でも書いていただきたいと思います、そのほうがいろんな意味で大学にとってはありがたいことなのではないかと思います。
あまり迂闊なことを書いて、おしかりを受けてもいけません。私は、組合員の方々は同じ大学の構成員ですし、現実を斜に構えて見るのではなく真正面から素直に受け止めていただき、「組合益」ではなく、一緒になって「大学益」を追求していただきたい、ポジティブで紳士的な活動に心がけ、愛する大学の発展に力を注いでいただきたいと心から願っています。
先日、文部科学教育通信に掲載された、梨戸茂史さんの記事を久々にご紹介したいと思います。こういった皮肉を受けることが無くなることを祈るばかりです。
・・・おかしな話
「週刊ダイヤモンド」に櫻井よしこ氏のコラム「オピニオン縦横無尽」なるページがある。この3月7日号のタイトルは「『早寝・早起き・朝ご飯」教育は憲法違反なのか?」である。陰山英男先生らが教育現場からの体験から、賢く健康な子どもを育てるための親や教師の心がけとして「早寝・早起き・朝ご飯」を提唱。この実践は夜更かしせず早めに寝て十分な睡眠をとり早起きししっかり食事。
こうして充実した国語、算数教育を受けた子どもたちの素晴らしい成果は多くの報道で伝えられている。これに対して日本教職員組合系の教育総研ではこれは”憲法違反”だとしているそうだ。ここの運営委員のI氏の主張(2007年12月20日付のコラム)が引用してある。いわく「近代立憲主義における政治体制においては(中略)価値における多様性が大前提である」そしてこの論理から「『早寝・早起き・朝ご飯』は、人の生活の仕方、生き方という、憲法の下でけっしてその価値の優劣を示してはいけないごとがらに踏み込もうとする違憲のスローガンである」となる。おまけに「少なくとも、夜更かしや朝食を食べないことが公共の福祉に反しないことは確かである」と続く。実にびっくりしましたね。櫻井氏だって「・・・食事も取らずに登校し、朝礼で貧血を起こしてばったり倒れる子どもは今、珍しくない。『公共の福祉に反しない』などという前に、子どもの心身の健康を考えるのが、教師の責務であろう」と述べる。常識ではないか。その後に大分県教組の建国記念日の話も載っているが割愛する。日教組を批判して大臣のイスを蹴った方がいたが、こういう話を聞いたら納得してしまった。
一方、世の中不況と言われ小泉構造改革への批判が巻き起こっている。そんなときこの思想的推進者で市場原理主義を提唱していた学者が懺悔の書を出版。3月半ばで13万部という経済書にしてはベストセラーだそうだ。間違ったのだからお詫びというのは一応筋の通った話ではあるが釈然としない。「経済情勢が変わるくらいで、立場を簡単に変えるべきではない」とか「彼らの政策で首をつった人もいるかもしれない。倫理的・道義的責任を自覚しているのか」という厳しい批判もある。おかげで”国立”大学は”法人化”し、弱小大学は経営の危機にあるのだ。
世の中は大型補正で景気対策に走っている。少し前にも書いたが後世のためになる予算支出というのが大事。フランス文学者の鹿島茂先生の面白いアイデア(2009年2月7日、日経新聞コラム)を紹介したい。「授業料一切無料の国公立学校(高校・大学・大学院)を設立」するというもの。グランド・ゼコール並みの給付金制度をつくり、衣食住にも心配することなくひたすら勉強に集中できるような教育機関をつくるという。かつての日本は今のアメリカ並みの格差社会だったが、当時は師範学校と陸軍幼年学校があり極貧の家庭に生まれ旧制中学に進めなくてもどちらかで勉強ができた。師範学校を出た講談社の野間清治や作家の菊池寛、幼年学校は詩人の三好達治の例があるそうだ。
そして「こうした授業料一切免除・衣食住の心配皆無の国公立学校が日本のどこかに存立しているということは、親の事情で格差社会のドン底に落とされた子どもたちに無限の夢を与える」と言う。前向きの明るい提言だ。しかし組合の方々はまた反対されるのでしょうかね。師範学校や幼年学校の例だから。(文部科学教育通信 No219 2009.5.11)
組合員を経験したことのない私が組合活動について軽々に申し上げることは適切ではないのかもしれませんが、大学の組合員の方々、あるいは組合は、正直申し上げて、現在大学に突きつけられている厳しい現実を自分のこととして受け止めているようには見えませんし、経営改革や教育改革など大学の発展に資するような取り組みをしているようには思えません。逆に何かにつけ足かせになるような行動しかしていないように思えます。
法人化後、国から絶大なる権限を付与された学長や役員のリーダーシップがなかなか発揮できない理由の一つとして、遠い昔から非難され続けている「学部の自治」というものがあります。未だに、教授会の威信を維持・拡大しようとする勢力が大学の中にはいます。その多くは現在組合活動を行っている方々もしくは過去にそのような立場にあった方々ではないかと思います。
経営トップの考えや行動に対して、民主主義とか合意形成というの美名の下に、事あるごとにクレームをつける、あるいは、意志決定プロセスにちょっとした齟齬(屋上屋を重ねる会議での審議の順番が変わった程度のもの)があったものなら、鬼の首をとったかのように執拗な非難を繰り返す、60年代の学生運動を思わせるような激高した論調で書かれたビラをメール等を通じてまき散らす、最悪の場合は、学長や役員を全く根拠のない思い込みによって中傷し辞任に追い込む運動を展開する、などなど恐ろしいことをライフワークのようにしている組合員もしくはそのOBの方々がいることを時折耳にします。また、以下のような記事の当事者になっている方々もいます。
「教員の政治活動禁止」徹底を要求 自民の日教組議連が文科省に(2009年6月16日 産経新聞)
自民党有志議員による「日教組問題究明議員連盟」(会長・森山真弓元文相)は16日、教職員に選挙運動の禁止を徹底させる通知の内容を次期衆院選ではこれまでより厳しくするよう文部科学省に求めた。会合に出席した文科省側は「検討する」とのみ回答した。議連は内容が不十分な場合は、独自案を作成する方針だ。文科省は、国政選挙や統一地方選が行われるたびに、教職員の政治活動は禁止されているとする通知を各都道府県と政令市に出している。ただ議連側が「政府案に反対するデモ行進に教員が参加した場合、人事院規則違反ではないのか」と質問すると文科省側が明確にこたえられず、「現状の通知は(抜け穴が多い)ザルで意味がない」とのとの批判が相次いだ。
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090616/stt0906162019015-n1.htm
このようなことをする暇と体力が有り余っているのであれば、教育・研究、そして大学経営という教職員としての本分に少しでも力を注いでいただきたい、例えば、科学研究費補助金の申請書の一本でも書いていただきたいと思います、そのほうがいろんな意味で大学にとってはありがたいことなのではないかと思います。
あまり迂闊なことを書いて、おしかりを受けてもいけません。私は、組合員の方々は同じ大学の構成員ですし、現実を斜に構えて見るのではなく真正面から素直に受け止めていただき、「組合益」ではなく、一緒になって「大学益」を追求していただきたい、ポジティブで紳士的な活動に心がけ、愛する大学の発展に力を注いでいただきたいと心から願っています。
先日、文部科学教育通信に掲載された、梨戸茂史さんの記事を久々にご紹介したいと思います。こういった皮肉を受けることが無くなることを祈るばかりです。
・・・おかしな話
「週刊ダイヤモンド」に櫻井よしこ氏のコラム「オピニオン縦横無尽」なるページがある。この3月7日号のタイトルは「『早寝・早起き・朝ご飯」教育は憲法違反なのか?」である。陰山英男先生らが教育現場からの体験から、賢く健康な子どもを育てるための親や教師の心がけとして「早寝・早起き・朝ご飯」を提唱。この実践は夜更かしせず早めに寝て十分な睡眠をとり早起きししっかり食事。
こうして充実した国語、算数教育を受けた子どもたちの素晴らしい成果は多くの報道で伝えられている。これに対して日本教職員組合系の教育総研ではこれは”憲法違反”だとしているそうだ。ここの運営委員のI氏の主張(2007年12月20日付のコラム)が引用してある。いわく「近代立憲主義における政治体制においては(中略)価値における多様性が大前提である」そしてこの論理から「『早寝・早起き・朝ご飯』は、人の生活の仕方、生き方という、憲法の下でけっしてその価値の優劣を示してはいけないごとがらに踏み込もうとする違憲のスローガンである」となる。おまけに「少なくとも、夜更かしや朝食を食べないことが公共の福祉に反しないことは確かである」と続く。実にびっくりしましたね。櫻井氏だって「・・・食事も取らずに登校し、朝礼で貧血を起こしてばったり倒れる子どもは今、珍しくない。『公共の福祉に反しない』などという前に、子どもの心身の健康を考えるのが、教師の責務であろう」と述べる。常識ではないか。その後に大分県教組の建国記念日の話も載っているが割愛する。日教組を批判して大臣のイスを蹴った方がいたが、こういう話を聞いたら納得してしまった。
一方、世の中不況と言われ小泉構造改革への批判が巻き起こっている。そんなときこの思想的推進者で市場原理主義を提唱していた学者が懺悔の書を出版。3月半ばで13万部という経済書にしてはベストセラーだそうだ。間違ったのだからお詫びというのは一応筋の通った話ではあるが釈然としない。「経済情勢が変わるくらいで、立場を簡単に変えるべきではない」とか「彼らの政策で首をつった人もいるかもしれない。倫理的・道義的責任を自覚しているのか」という厳しい批判もある。おかげで”国立”大学は”法人化”し、弱小大学は経営の危機にあるのだ。
世の中は大型補正で景気対策に走っている。少し前にも書いたが後世のためになる予算支出というのが大事。フランス文学者の鹿島茂先生の面白いアイデア(2009年2月7日、日経新聞コラム)を紹介したい。「授業料一切無料の国公立学校(高校・大学・大学院)を設立」するというもの。グランド・ゼコール並みの給付金制度をつくり、衣食住にも心配することなくひたすら勉強に集中できるような教育機関をつくるという。かつての日本は今のアメリカ並みの格差社会だったが、当時は師範学校と陸軍幼年学校があり極貧の家庭に生まれ旧制中学に進めなくてもどちらかで勉強ができた。師範学校を出た講談社の野間清治や作家の菊池寛、幼年学校は詩人の三好達治の例があるそうだ。
そして「こうした授業料一切免除・衣食住の心配皆無の国公立学校が日本のどこかに存立しているということは、親の事情で格差社会のドン底に落とされた子どもたちに無限の夢を与える」と言う。前向きの明るい提言だ。しかし組合の方々はまた反対されるのでしょうかね。師範学校や幼年学校の例だから。(文部科学教育通信 No219 2009.5.11)
2009年6月12日金曜日
第2期中期目標期間に向けた課題
国立大学法人の第2期中期目標期間に向けた対応として、去る2月5日に文部科学省(国立大学法人評価委員会)から「国立大学法人の組織及び業務全般の見直しに関する視点」が、また、5月21日に総務省(政策評価・独立行政法人評価委員会)から「国立大学法人等の主要な事務及び事業の改廃に関する勧告の方向性について」が示されたことは既にこの日記でもご紹介しました。
これらを踏まえ、「国立大学法人の組織及び業務全般の見直しについて」(文部科学大臣決定)の案が、5月27日開催の国立大学法人評価委員会総会において審議され、6月5日付けで各大学に通知されました。また、大臣決定に合わせ、野依良治 国立大学法人評価委員会委員長所見も通知されています。
特に所見の中で、「総人口が減少期に入る局面において、現在、中央教育審議会でも大学の機能別分化や量的規模の検討がなされているところです。各法人における再編統合を含めた組織等の自主的な見直しを促すための財政的な仕組みを整えることも必要であると考えます。」と記述されている部分については、個人的には大変気になるところであり、今後の文部科学省や国立大学法人の動向が注目されるところです。
今後、各国立大学法人は、自ら策定する第2期中期目標・中期計画が、本決定等に沿った内容となっているかどうかなどについて最終的な検証を行い、「素案」を今月末までに文部科学省に提出することになっています。
関連する報道からご紹介します。
大学院博士課程:定員減を 大学院重視を転換、教員養成も見直し-文科省(2009年6月6日毎日新聞)
以下が文部科学省から通知された内容です。
国立大学法人の組織及び業務全般の見直しについて(平成21年6月5日 文部科学大臣決定)
国立大学法人法第35条において準用する独立行政法人通則法第35条第1項に基づき、文部科学大臣が国立大学法人の第1期中期目標期間終了時に行うその組織及び業務全般にわたる見直しの内容を、別添1のとおり決定する。
今後、第2期中期目標・中期計画が本決定に沿った内容となるように国立大学法人に求めるとともに、所要の措置を講じることとする。
本決定は、「中期目標期間終了時における独立行政法人の組織・業務全般の見直しについて」(平成15年8月1日閣議決定)の趣旨を踏まえつつ、国立大学法人の教育研究の特性に配慮する観点から、総務省の政策評価・独立行政法人評価委員会の「国立大学法人及び大学共同利用機関法人の主要な事務及び事業の改廃に関する勧告の方向性について」(別添2)を踏まえ、国立大学法人評価委員会の意見を聴いた上で文部科学大臣が決定するものである。
(別添1)
国立大学法人の第1期中期目標期間終了時における組織及び業務全般の見直し(内容)
第1 国立大学法人の現状
1 国立大学の使命
国立大学は、我が国の学術研究と研究者等の人材養成の中核を担ってきたほか、全国的に均衡のとれた配置により、地域の教育、文化、産業の基盤を支え、学生の経済状況に左右されない進学機会を提供するなど、重要な役割を果たしてきた。
国立大学の法人化は、明治以来130年間国の機関として位置づけられていた国立大学を独立した法人とすることにより、1)自律的な環境の下で国立大学をより活性化し、2)優れた教育や特色ある研究に向けてより積極的な取組を促し、3)より個性豊かな魅力ある国立大学を実現することを目指したものである。法人化によっても国立大学の使命は変わるものではなく、法人化のメリットを活かした機能の充実が一層期待されているところである。
2 国立大学法人のこれまでの取組
国立大学の法人化により、組織編成等の運営面や財政面において自由度が高まったことを受けて、それぞれの法人において各々の特色に応じた目標を立て、様々な教育研究活動上の改革に取り組んでいる。
例えば、外部人材の積極的活用、学長等の裁量による戦略的な学内予算配分、年俸制や任期制の導入・拡充、企業からの委託研究の拡大などに、多くの法人が取り組んでいる。
それぞれの法人において一様ではないものの、全般的に、学長のリーダーシップの下での機動的、戦略的な法人運営・経営が定着しつつあるとともに、評価結果を活用した改善システムが有効に機能しているものと考える。
第2 組織及び業務全般の見直しの基本的な方向性
1 見直しの考え方
今回の見直しに当たっては、憲法で保障されている学問の自由や大学の自治の理念を踏まえ、国立大学の教育研究の特性への配慮や自主的・自律的な運営の確保の必要がある等の観点に十分留意する必要がある。
このため、文部科学大臣による国立大学法人に対する組織及び業務全般にわたる検討とその結果に基づき講ずる措置としては、一般の独立行政法人とは異なり、中期目標の実際上の作成主体である法人に対して文部科学大臣が見直し内容を示した上で、各法人から提出のあった中期目標・中期計画の素案等において、見直し内容が反映されているかを確認することが中心となる。なお、見直し内容を示すにあたっては、大学の自治の理念を踏まえ、個々の法人ごとの具体的な組織・業務に言及するのではなく、全ての国立大学法人を対象に、一般的に見直すべき点を示すこととする。したがって、本見直しの内容は、個々の法人に全ての項目が一律に該当するものではなく、各法人の状況に応じて該当する内容は異なる。
2 基本的な方向性
第2期中期目標期間においては、国立大学法人が第1期において果たしてきた役割を引き続き十分に果たしていくとともに、第1期において必ずしも国民の期待に応えられていない点は改善していく観点が必要であることから、第2期中期目標期間を迎えるこの機会にしっかりと組織及び業務を見直すことが必要である。
その際、個々の国立大学法人を見ると、規模、特性、状況等は千差万別であり、国民が各法人に期待する役割等も同じではないことから、第2期中期目標期間は、大学の機能別分化を進めるため、各法人の目指す方向性が明らかになるよう、各法人の特性を踏まえた一層の個性化が明確となる中期目標・中期計画とするとともに、目標の達成状況が事後的に検証可能となるよう、実現に向けた具体的な取組内容を可能な限り定量的に明らかにすること等が必要である。
また、世界の様々な状況が大きく変わる中、国立大学法人をとりまく状況も変化し、新たな課題が生じている。このような課題にも留意した中期目標・中期計画とすることが必要である。
さらに、我が国の人口が初めて減少局面を迎え、各種の社会システムの見直しが求められ、中央教育審議会において我が国の大学全体の量的規模の在り方について検討が行われている。また、地方分権についての議論や独立行政法人の見直しも進められている。国立大学法人の組織及び業務全般の見直しが全体として、このような状況を踏まえたものとすることが求められる。
第3 国立大学法人の組織及び業務全般の見直し
各国立大学法人は、各法人の状況を踏まえつつ、この見直し内容等に沿って検討を行い、その結果を中期目標及び中期計画の素案や年度計画に具体的に盛り込むことなどが求められる。
1 組織の見直し
(1)大学院博士課程の組織の見直し
大学院の博士(後期)課程においては、法人のミッションに照らした役割や国立大学の機能別分化の促進の観点、又は学生収容定員の未充足状況や社会における博士課程修了者の需要の観点等を総合的に勘案しつつ、大学院教育の質の維持・確保の観点から、入学定員や組織等を見直すよう努めることとする。
(2)法科大学院の組織の見直し
法科大学院においては、入学者選抜における競争性の確保が困難で、修了者の多くが司法試験に合格していない状況がみられる場合等は、法科大学院教育の質の向上の観点から、入学定員や組織等を見直すよう努めることとする。
(3)教員養成系学部の組織の見直し
教員養成系学部においては、教員採用数の動向等も踏まえ、入学定員や組織等を見直すよう努めることとする。
(4)その他の学部・研究科等における組織の見直し
(1)~(3)に掲げる学部・研究科以外の学部・研究科等においても、当該分野に係る人材の需給見通し等を勘案しつつ、必要に応じ、入学定員や組織等を見直すよう努めることとする。
(5)附置研究所の組織の見直し
附置研究所においては、大学評価・学位授与機構の現況分析の結果等を踏まえ、当該研究所の設置目的や特色ある研究の達成、COE性の発揮に加えて、共同利用・共同研究機能の向上等の観点を総合的に勘案しつつ、研究の質の向上に向けた研究体制等を見直すよう努めることとする。
(6)その他の組織の見直し
分野を融合した学際的な学部・研究科等の組織に関しては、当該組織の理念が達成されているか、社会の要請や時代の変化に対応した教育研究が行われているか等の検証を行い、各法人の実態に応じ、組織等を見直すよう努めることとする。
また、学内の様々な体制整備に際しては、必要に応じ、既存の組織の見直しも併せて進め、責任ある教育研究体制の維持・形成に努めることとする。
2 教育研究、運営等の業務全般の見直し
(1)大学の教育研究等の質の向上
1)教育研究の質の向上
教育研究の内容に関しては、各法人が大学評価・学位授与機構による教育研究組織ごとの現況分析等の結果を十分踏まえ、自主的に見直すよう努めることとする。また、教養教育について、その内容や実施体制を含めた改善に努めることとする。
2)社会貢献・地域貢献の推進
国立大学法人の公的な役割に鑑み、各地域における知の拠点として、生涯学習講座の提供や、研究成果や学術情報の公表など、社会貢献や地域貢献を一層果たすよう努めることとする。
3)グローバル化の推進
高等教育のグローバル化を受け、国際化を一層推進するよう努めることとする。
4)教育研究資源の有効活用
教育研究資源を有効活用し、質の高い教育研究を行う観点から、必要に応じ、教育課程の共同実施を行うよう努めることとする。
また、教員の採用や配置に当たり、女性、外国人、若手等の比率を考慮した教員構成の多様化や、女性等の能力の一層の活用に努めることとする。
5)学生支援機能の充実・強化
経済的に困窮している学生等に対する支援の充実や、雇用情勢への対応を含めた就職支援の取組など学生支援機能の強化に努めることとする。
6)附属病院の機能の充実・強化
附属病院は、社会の要請に応えられる優れた医療人を養成する教育研究機関であるとの基本的認識を踏まえつつ、卒前教育と卒後教育の一体的な魅力ある教育プログラムの構築や地域との連携を推進すること等により、特色ある病院運営の強化に努めることとする。
7)附属学校の機能の充実・強化
附属学校は、学部・研究科等における教育に関する研究に組織的に協力することや、教育実習の実施への協力を行う等を通じて、附属学校の本来の設置趣旨に基づいた活動を推進することにより、その存在意義の明確化に努めることとする。
8)附置研究所の機能の充実・強化
全国共同利用機能を持つ附置研究所は、大学評価・学位授与機構の現況分析の結果等を踏まえて、共同利用・共同研究機能の向上に向けて業務を見直すよう努めることとする。
(2)業務運営の改善及び効率化、財務内容の改善、その他業務運営
1)法人のガバナンスの充実
法人本部が各部局等を含めた法人全体をマネジメントできるような仕組みとするよう、法人内部のガバナンスの在り方を検討するよう努めることとする。
また、法人の特性を踏まえつつ、学長等の裁量による経費や人員等の配分など、学長のリーダーシップが図れる取組を進めるとともに、法人の運営改善に資するよう、経営協議会における運用の工夫改善や意見の内容及びその法人運営への反映状況などの情報の公表等により、学外者の意見の一層の活用を図るよう努めることとする。
さらに、監事監査や内部監査等の監査結果を運営改善に反映するサイクルの構築を図るよう努めることとする。
2)財務内容の改善
各法人は、外部資金の獲得や多様な資金調達による自己収入の増加、管理的経費の一層の抑制等についてさらに努めることとする。
3)効果的・効率的な法人運営の推進
効率的な法人運営を行うため、例えば、他の大学との事務の共同実施の推進や、アウトソーシングの推進を図るとともに、農場、演習林、船舶等について、他の大学等との共同利用の推進を図るよう努め、併せて、保有資産の不断の見直し及び不要とされた資産の処分に努めることとする。さらに、既存施設の有効活用、施設の計画的な維持管理の着実な実施等の施設マネジメントの一層の推進に努めることとする。
また、総人件費改革の取組を平成23年度まで着実に継続するとともに、例えば、人員配置の見直しや人事評価結果の活用などにより、組織の活性化及び効果的・効率的な業務運営に努めることとする。
さらに、随意契約について、各法人の見直し計画に基づく取組を着実に実施するとともに、一般競争入札等により契約を行う場合であっても、特に企画競争等を行う場合には競争性、透明性を確保するなど、随意契約の適正化の推進に努めることとする。併せて、契約手続きの適正性について監事等へのチェックを要請するよう努めることとする。
4)国民に対する情報提供の改善
国立大学法人には多額の公的な資金が投入されていること、成果等が社会に還元されるべきものであることを十分認識し、国民に対する説明責任を十分に果たす観点から、各法人の実情や果たしている機能等を利用者の立場に立った国民に分かりやすい内容・形で情報提供するよう努めることとする。
5)法令遵守体制の充実
経営協議会は審議すべき事項が法定されていることから、法定されている事項を報告事項として扱うことのないようにする等、法令遵守(コンプライアンス)体制を確保するよう努めることとする。
第4 制度改正等の措置
1 国立大学法人運営費交付金の算定ルールの見直し等
国立大学法人運営費交付金の個別の算定については、各法人の努力と成果を評価し資源配分に適切に反映させることを通じ競争的環境を醸成し切磋琢磨を促すこと、各大学の改革を支援し大学の多様化と機能別分化を促すこと、各大学の特性・状況に配慮しつつ大学経営の効率化を促すことを基本として、以下のような見直しを行う。
大学の自主性を考慮しつつも、第3における検討結果が各法人の作成する中期目標・中期計画の素案に具体的に反映されているか等を確認し、国立大学法人評価委員会の意見を聴いた上で、財政上の理由など真にやむをえない場合には、中期目標・中期計画の素案の修正を行うなどの所要の措置を講じる。
最後に、野依良治 国立大学法人評価委員会委員長所見をご紹介します。
国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて(平成21年5月27日 国立大学法人評価委員会委員長 野依良治)
1 本日、国立大学法人評価委員会は、文部科学大臣による「組織及び業務全般の見直しについて(案)」の審議を行いました。
「組織及び業務全般の見直しについて(案)」の内容は、1月27日に当委員会がとりまとめた「組織及び業務全般の見直しに関する視点」を基本的な内容とし、総務省政策評価・独立行政法人評価委員会からの「勧告の方向性」の趣旨も取り入れたものであり、本日の審議を経て文部科学大臣決定として各国立大学法人等に示されることになっています。
各法人におかれては、本日の審議を経て文部科学大臣から示される組織及び業務全般の見直しの内容を踏まえ、今後の大学の機能別分化の方向性や法人を取り巻く諸状況に留意した上で、自らが果たすべき使命や機能はどうあるべきかについて主体的に検討し、学長・機構長のリーダーシップの下で、必要な組織及び業務全般の見直しを真摯に行っていくことを強く求めたいと思います。
2 なお、総人口が減少期に入る局面において、現在、中央教育審議会でも大学の機能別分化や量的規模の検討がなされているところです。各法人における再編統合も含めた組織等の自主的な見直しを促すための財政的な仕組みを整えることも必要であると考えます。
3 今後、組織及び業務全般の見直しも踏まえて、各法人において第2期の中期目標・中期計画の素案が作成されることになっていますが、中期目標・中期計画は、国民が各法人の活動の方向性や取組内容を知るための重要な情報源でもあります。第1期の中期目標・中期計画の記載について、抽象的で具体性を欠いたものなど達成状況の判断に苦慮するものが見られたことから、次期中期目標・中期計画の検討にあたっては、適宜数値目標や目標達成時期等を盛り込んで記載の具体化を図ったり、計画の進捗状況の管理を適切に行う工夫をすることなどが求められます。
4 最後に、法人化して6年目を迎えますが、法人の基盤的経費である運営費交付金の削減等により、各法人を取り巻く環境は非常に厳しいものとなっています。各法人において、経費の削減等による経営の効率化、外部資金の獲得等に努めながら教育研究等に取り組んでいることは評価できますが、さらなる運営費交付金の削減は基礎的な教育研究への影響が憂慮されます。第2期以降も引き続き教育研究の質を維持向上してくためには、各法人における継続的な努力に加えて、公的資金の充実が喫緊の課題であることを、この機会に再度関係各位に強く求めたいと思います。
これらを踏まえ、「国立大学法人の組織及び業務全般の見直しについて」(文部科学大臣決定)の案が、5月27日開催の国立大学法人評価委員会総会において審議され、6月5日付けで各大学に通知されました。また、大臣決定に合わせ、野依良治 国立大学法人評価委員会委員長所見も通知されています。
特に所見の中で、「総人口が減少期に入る局面において、現在、中央教育審議会でも大学の機能別分化や量的規模の検討がなされているところです。各法人における再編統合を含めた組織等の自主的な見直しを促すための財政的な仕組みを整えることも必要であると考えます。」と記述されている部分については、個人的には大変気になるところであり、今後の文部科学省や国立大学法人の動向が注目されるところです。
今後、各国立大学法人は、自ら策定する第2期中期目標・中期計画が、本決定等に沿った内容となっているかどうかなどについて最終的な検証を行い、「素案」を今月末までに文部科学省に提出することになっています。
関連する報道からご紹介します。
大学院博士課程:定員減を 大学院重視を転換、教員養成も見直し-文科省(2009年6月6日毎日新聞)
大学院博士課程の修了者の就職難が問題化していることなどを受け、文部科学省は5日、全国の国立大学に対して、博士課程の定員削減を要請する通知を出した。これまでの大学院重視の政策を大きく転換することになる。また、少子化の進展を踏まえて教員養成系学部の定員の削減なども要請しており、現場のリーダー養成を目指して08年度に始まった教職大学院制度にも影響を与えそうだ。文科省は通知で各大学が6月中に素案をまとめる10年度からの中期目標(6年間分)に反映させることを求めている。・・・
以下が文部科学省から通知された内容です。
国立大学法人の組織及び業務全般の見直しについて(平成21年6月5日 文部科学大臣決定)
国立大学法人法第35条において準用する独立行政法人通則法第35条第1項に基づき、文部科学大臣が国立大学法人の第1期中期目標期間終了時に行うその組織及び業務全般にわたる見直しの内容を、別添1のとおり決定する。
今後、第2期中期目標・中期計画が本決定に沿った内容となるように国立大学法人に求めるとともに、所要の措置を講じることとする。
本決定は、「中期目標期間終了時における独立行政法人の組織・業務全般の見直しについて」(平成15年8月1日閣議決定)の趣旨を踏まえつつ、国立大学法人の教育研究の特性に配慮する観点から、総務省の政策評価・独立行政法人評価委員会の「国立大学法人及び大学共同利用機関法人の主要な事務及び事業の改廃に関する勧告の方向性について」(別添2)を踏まえ、国立大学法人評価委員会の意見を聴いた上で文部科学大臣が決定するものである。
(別添1)
国立大学法人の第1期中期目標期間終了時における組織及び業務全般の見直し(内容)
第1 国立大学法人の現状
1 国立大学の使命
国立大学は、我が国の学術研究と研究者等の人材養成の中核を担ってきたほか、全国的に均衡のとれた配置により、地域の教育、文化、産業の基盤を支え、学生の経済状況に左右されない進学機会を提供するなど、重要な役割を果たしてきた。
国立大学の法人化は、明治以来130年間国の機関として位置づけられていた国立大学を独立した法人とすることにより、1)自律的な環境の下で国立大学をより活性化し、2)優れた教育や特色ある研究に向けてより積極的な取組を促し、3)より個性豊かな魅力ある国立大学を実現することを目指したものである。法人化によっても国立大学の使命は変わるものではなく、法人化のメリットを活かした機能の充実が一層期待されているところである。
2 国立大学法人のこれまでの取組
国立大学の法人化により、組織編成等の運営面や財政面において自由度が高まったことを受けて、それぞれの法人において各々の特色に応じた目標を立て、様々な教育研究活動上の改革に取り組んでいる。
例えば、外部人材の積極的活用、学長等の裁量による戦略的な学内予算配分、年俸制や任期制の導入・拡充、企業からの委託研究の拡大などに、多くの法人が取り組んでいる。
それぞれの法人において一様ではないものの、全般的に、学長のリーダーシップの下での機動的、戦略的な法人運営・経営が定着しつつあるとともに、評価結果を活用した改善システムが有効に機能しているものと考える。
第2 組織及び業務全般の見直しの基本的な方向性
1 見直しの考え方
今回の見直しに当たっては、憲法で保障されている学問の自由や大学の自治の理念を踏まえ、国立大学の教育研究の特性への配慮や自主的・自律的な運営の確保の必要がある等の観点に十分留意する必要がある。
このため、文部科学大臣による国立大学法人に対する組織及び業務全般にわたる検討とその結果に基づき講ずる措置としては、一般の独立行政法人とは異なり、中期目標の実際上の作成主体である法人に対して文部科学大臣が見直し内容を示した上で、各法人から提出のあった中期目標・中期計画の素案等において、見直し内容が反映されているかを確認することが中心となる。なお、見直し内容を示すにあたっては、大学の自治の理念を踏まえ、個々の法人ごとの具体的な組織・業務に言及するのではなく、全ての国立大学法人を対象に、一般的に見直すべき点を示すこととする。したがって、本見直しの内容は、個々の法人に全ての項目が一律に該当するものではなく、各法人の状況に応じて該当する内容は異なる。
2 基本的な方向性
第2期中期目標期間においては、国立大学法人が第1期において果たしてきた役割を引き続き十分に果たしていくとともに、第1期において必ずしも国民の期待に応えられていない点は改善していく観点が必要であることから、第2期中期目標期間を迎えるこの機会にしっかりと組織及び業務を見直すことが必要である。
その際、個々の国立大学法人を見ると、規模、特性、状況等は千差万別であり、国民が各法人に期待する役割等も同じではないことから、第2期中期目標期間は、大学の機能別分化を進めるため、各法人の目指す方向性が明らかになるよう、各法人の特性を踏まえた一層の個性化が明確となる中期目標・中期計画とするとともに、目標の達成状況が事後的に検証可能となるよう、実現に向けた具体的な取組内容を可能な限り定量的に明らかにすること等が必要である。
また、世界の様々な状況が大きく変わる中、国立大学法人をとりまく状況も変化し、新たな課題が生じている。このような課題にも留意した中期目標・中期計画とすることが必要である。
さらに、我が国の人口が初めて減少局面を迎え、各種の社会システムの見直しが求められ、中央教育審議会において我が国の大学全体の量的規模の在り方について検討が行われている。また、地方分権についての議論や独立行政法人の見直しも進められている。国立大学法人の組織及び業務全般の見直しが全体として、このような状況を踏まえたものとすることが求められる。
第3 国立大学法人の組織及び業務全般の見直し
各国立大学法人は、各法人の状況を踏まえつつ、この見直し内容等に沿って検討を行い、その結果を中期目標及び中期計画の素案や年度計画に具体的に盛り込むことなどが求められる。
1 組織の見直し
(1)大学院博士課程の組織の見直し
大学院の博士(後期)課程においては、法人のミッションに照らした役割や国立大学の機能別分化の促進の観点、又は学生収容定員の未充足状況や社会における博士課程修了者の需要の観点等を総合的に勘案しつつ、大学院教育の質の維持・確保の観点から、入学定員や組織等を見直すよう努めることとする。
(2)法科大学院の組織の見直し
法科大学院においては、入学者選抜における競争性の確保が困難で、修了者の多くが司法試験に合格していない状況がみられる場合等は、法科大学院教育の質の向上の観点から、入学定員や組織等を見直すよう努めることとする。
(3)教員養成系学部の組織の見直し
教員養成系学部においては、教員採用数の動向等も踏まえ、入学定員や組織等を見直すよう努めることとする。
(4)その他の学部・研究科等における組織の見直し
(1)~(3)に掲げる学部・研究科以外の学部・研究科等においても、当該分野に係る人材の需給見通し等を勘案しつつ、必要に応じ、入学定員や組織等を見直すよう努めることとする。
(5)附置研究所の組織の見直し
附置研究所においては、大学評価・学位授与機構の現況分析の結果等を踏まえ、当該研究所の設置目的や特色ある研究の達成、COE性の発揮に加えて、共同利用・共同研究機能の向上等の観点を総合的に勘案しつつ、研究の質の向上に向けた研究体制等を見直すよう努めることとする。
(6)その他の組織の見直し
分野を融合した学際的な学部・研究科等の組織に関しては、当該組織の理念が達成されているか、社会の要請や時代の変化に対応した教育研究が行われているか等の検証を行い、各法人の実態に応じ、組織等を見直すよう努めることとする。
また、学内の様々な体制整備に際しては、必要に応じ、既存の組織の見直しも併せて進め、責任ある教育研究体制の維持・形成に努めることとする。
2 教育研究、運営等の業務全般の見直し
(1)大学の教育研究等の質の向上
1)教育研究の質の向上
教育研究の内容に関しては、各法人が大学評価・学位授与機構による教育研究組織ごとの現況分析等の結果を十分踏まえ、自主的に見直すよう努めることとする。また、教養教育について、その内容や実施体制を含めた改善に努めることとする。
2)社会貢献・地域貢献の推進
国立大学法人の公的な役割に鑑み、各地域における知の拠点として、生涯学習講座の提供や、研究成果や学術情報の公表など、社会貢献や地域貢献を一層果たすよう努めることとする。
3)グローバル化の推進
高等教育のグローバル化を受け、国際化を一層推進するよう努めることとする。
4)教育研究資源の有効活用
教育研究資源を有効活用し、質の高い教育研究を行う観点から、必要に応じ、教育課程の共同実施を行うよう努めることとする。
また、教員の採用や配置に当たり、女性、外国人、若手等の比率を考慮した教員構成の多様化や、女性等の能力の一層の活用に努めることとする。
5)学生支援機能の充実・強化
経済的に困窮している学生等に対する支援の充実や、雇用情勢への対応を含めた就職支援の取組など学生支援機能の強化に努めることとする。
6)附属病院の機能の充実・強化
附属病院は、社会の要請に応えられる優れた医療人を養成する教育研究機関であるとの基本的認識を踏まえつつ、卒前教育と卒後教育の一体的な魅力ある教育プログラムの構築や地域との連携を推進すること等により、特色ある病院運営の強化に努めることとする。
7)附属学校の機能の充実・強化
附属学校は、学部・研究科等における教育に関する研究に組織的に協力することや、教育実習の実施への協力を行う等を通じて、附属学校の本来の設置趣旨に基づいた活動を推進することにより、その存在意義の明確化に努めることとする。
8)附置研究所の機能の充実・強化
全国共同利用機能を持つ附置研究所は、大学評価・学位授与機構の現況分析の結果等を踏まえて、共同利用・共同研究機能の向上に向けて業務を見直すよう努めることとする。
(2)業務運営の改善及び効率化、財務内容の改善、その他業務運営
1)法人のガバナンスの充実
法人本部が各部局等を含めた法人全体をマネジメントできるような仕組みとするよう、法人内部のガバナンスの在り方を検討するよう努めることとする。
また、法人の特性を踏まえつつ、学長等の裁量による経費や人員等の配分など、学長のリーダーシップが図れる取組を進めるとともに、法人の運営改善に資するよう、経営協議会における運用の工夫改善や意見の内容及びその法人運営への反映状況などの情報の公表等により、学外者の意見の一層の活用を図るよう努めることとする。
さらに、監事監査や内部監査等の監査結果を運営改善に反映するサイクルの構築を図るよう努めることとする。
2)財務内容の改善
各法人は、外部資金の獲得や多様な資金調達による自己収入の増加、管理的経費の一層の抑制等についてさらに努めることとする。
3)効果的・効率的な法人運営の推進
効率的な法人運営を行うため、例えば、他の大学との事務の共同実施の推進や、アウトソーシングの推進を図るとともに、農場、演習林、船舶等について、他の大学等との共同利用の推進を図るよう努め、併せて、保有資産の不断の見直し及び不要とされた資産の処分に努めることとする。さらに、既存施設の有効活用、施設の計画的な維持管理の着実な実施等の施設マネジメントの一層の推進に努めることとする。
また、総人件費改革の取組を平成23年度まで着実に継続するとともに、例えば、人員配置の見直しや人事評価結果の活用などにより、組織の活性化及び効果的・効率的な業務運営に努めることとする。
さらに、随意契約について、各法人の見直し計画に基づく取組を着実に実施するとともに、一般競争入札等により契約を行う場合であっても、特に企画競争等を行う場合には競争性、透明性を確保するなど、随意契約の適正化の推進に努めることとする。併せて、契約手続きの適正性について監事等へのチェックを要請するよう努めることとする。
4)国民に対する情報提供の改善
国立大学法人には多額の公的な資金が投入されていること、成果等が社会に還元されるべきものであることを十分認識し、国民に対する説明責任を十分に果たす観点から、各法人の実情や果たしている機能等を利用者の立場に立った国民に分かりやすい内容・形で情報提供するよう努めることとする。
5)法令遵守体制の充実
経営協議会は審議すべき事項が法定されていることから、法定されている事項を報告事項として扱うことのないようにする等、法令遵守(コンプライアンス)体制を確保するよう努めることとする。
第4 制度改正等の措置
1 国立大学法人運営費交付金の算定ルールの見直し等
国立大学法人運営費交付金の個別の算定については、各法人の努力と成果を評価し資源配分に適切に反映させることを通じ競争的環境を醸成し切磋琢磨を促すこと、各大学の改革を支援し大学の多様化と機能別分化を促すこと、各大学の特性・状況に配慮しつつ大学経営の効率化を促すことを基本として、以下のような見直しを行う。
- 全法人について一律に設定されている「効率化係数」について、各法人の規模(事業費)や人件費比率等に応じて設定すること。
- 附属病院運営費交付金について一律に2%の増収を前提として同交付金を減ずる仕組みを見直した上で一定の削減を実施すること。
- 各法人の個別の教育研究プロジェクトに対する支援に当たって、大学の機能別分化を促進させる仕組みを導入するなど、現行の特別教育研究経費の区分や内容を見直すこと。
- 国立大学法人運営費交付金の一部の算定の際、国立大学法人評価委員会及び大学評価・学位授与機構の行った平成16~19年度の業務実績に係る評価の結果を反映させ、これに基づく配分を行うこと。
- また、各大学の個性に応じた意欲的な取組を支援する経費の配分対象となった取組の進捗状況を確認するほか、共同利用・共同研究機能に係る経費が配分されている施設の機能の発揮状況について検証、公表を行う。
大学の自主性を考慮しつつも、第3における検討結果が各法人の作成する中期目標・中期計画の素案に具体的に反映されているか等を確認し、国立大学法人評価委員会の意見を聴いた上で、財政上の理由など真にやむをえない場合には、中期目標・中期計画の素案の修正を行うなどの所要の措置を講じる。
最後に、野依良治 国立大学法人評価委員会委員長所見をご紹介します。
国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて(平成21年5月27日 国立大学法人評価委員会委員長 野依良治)
1 本日、国立大学法人評価委員会は、文部科学大臣による「組織及び業務全般の見直しについて(案)」の審議を行いました。
「組織及び業務全般の見直しについて(案)」の内容は、1月27日に当委員会がとりまとめた「組織及び業務全般の見直しに関する視点」を基本的な内容とし、総務省政策評価・独立行政法人評価委員会からの「勧告の方向性」の趣旨も取り入れたものであり、本日の審議を経て文部科学大臣決定として各国立大学法人等に示されることになっています。
各法人におかれては、本日の審議を経て文部科学大臣から示される組織及び業務全般の見直しの内容を踏まえ、今後の大学の機能別分化の方向性や法人を取り巻く諸状況に留意した上で、自らが果たすべき使命や機能はどうあるべきかについて主体的に検討し、学長・機構長のリーダーシップの下で、必要な組織及び業務全般の見直しを真摯に行っていくことを強く求めたいと思います。
2 なお、総人口が減少期に入る局面において、現在、中央教育審議会でも大学の機能別分化や量的規模の検討がなされているところです。各法人における再編統合も含めた組織等の自主的な見直しを促すための財政的な仕組みを整えることも必要であると考えます。
3 今後、組織及び業務全般の見直しも踏まえて、各法人において第2期の中期目標・中期計画の素案が作成されることになっていますが、中期目標・中期計画は、国民が各法人の活動の方向性や取組内容を知るための重要な情報源でもあります。第1期の中期目標・中期計画の記載について、抽象的で具体性を欠いたものなど達成状況の判断に苦慮するものが見られたことから、次期中期目標・中期計画の検討にあたっては、適宜数値目標や目標達成時期等を盛り込んで記載の具体化を図ったり、計画の進捗状況の管理を適切に行う工夫をすることなどが求められます。
4 最後に、法人化して6年目を迎えますが、法人の基盤的経費である運営費交付金の削減等により、各法人を取り巻く環境は非常に厳しいものとなっています。各法人において、経費の削減等による経営の効率化、外部資金の獲得等に努めながら教育研究等に取り組んでいることは評価できますが、さらなる運営費交付金の削減は基礎的な教育研究への影響が憂慮されます。第2期以降も引き続き教育研究の質を維持向上してくためには、各法人における継続的な努力に加えて、公的資金の充実が喫緊の課題であることを、この機会に再度関係各位に強く求めたいと思います。
2009年6月10日水曜日
平成22年度予算と教育再生懇談会
今年度の高等教育予算は、いわゆる骨太方針2006に基づき1%の削減を余儀なくされました。平成22年度もこの縛りから抜け出せるような財政状況ではありません。この国の高等教育予算を増やすためには、まずは、中教審における指摘を踏まえ、大学の質を高め、医療等に向けられた目を高等教育に振り向ける必要があります。
教育費の家計負担の軽減、そのための高等教育への公財政出の拡大が大きく求められている中、特に国立大学は、第2期中期目標期間を目前にした今、国民に意識してもらえるかどうかの試金石に立たされており、責任ある行動が求められています。
前回の日記では、来年度予算に関する財務省の持論展開である建議「平成22年度予算編成の基本的考え方について」をご紹介しました。今回は、その財務省と対峙する文部科学省の立場から、先般国立大学協会がとりまとめた「『安心社会』実現に貢献する国立大学の振興に向けて」という関係者に向けた要望書と、去る5月28日に教育再生懇談会がとりまとめた第4次報告をご紹介します。
「安心社会」実現に貢献する国立大学の振興に向けて(要望)-活力ある人材育成と教育の機会均等-
この要望書は、国会議員や安心社会実現会議委員等をはじめとした各方面への働きかけに活用するために国立大学協会で作成したものです。
要望事項
1 「骨太方針2006」による国立大学運営費交付金の1%削減の撤廃と拡充
2 学生に対する経済的支援の充実(授業料標準額の減額、授業料の減免の拡大、奨学金の拡充など)
3 OECD諸国水準を目指した大学等への公財政支出の拡充
現在我が国は、深刻な「経済危機」に見舞われています。本協会は、我が国が、この未曾有の危機を克服し、国民の不安を払拭して持続的な発展を図るためには、従来から国立大学が果たしてきた、我が国の知の創造拠点としての役割(国際競争力の源としてのナショナルセンター機能と、地域社会・経済を支えるリージヨナルセンター機能)を更に強化・充実することが不可欠であると考えております。
しかるに、国立大学の基盤を支える運営費交付金は、「骨太方針2006」により、平成23年度までの5年間にわたって対前年度比1%の削減が続けられる予定となっています。各法人ではそれぞれ懸命の努力により対応しているものの、このままでは、遠からす教育の質を保つことは難しくなり、学問分野を問わず、基礎研究や萌芽的な研究の芽を潰すだけでなく、地域医療の最後の砦としての機能や一部国立大学の経営が破綻するなど、我が国の高等教育・研究の基盤が根底から崩壊し、回復不可能な事態に立ち至ることが危倶されます。
また、経済危機により、大学への進学や修学に向けた学生・保護者の不安は深刻の度を増してきています。国際比較の観点からも、日本の学生に対する経済的支援は極めて貧弱であり、教育の機会均等は大きく脅かされております。
資源の少ない我が国にとって、優れた高等教育を受けた将来を担う人材は、国力の源泉です。OECD諸国をはじめ諸外国が大学等に重点投資を行い、優秀な人材を惹きつけ、育成しようとしている中で、ひとり我が国だけが投資の削減を続けていては、国際的な競争に打ち勝つことは困難であるのみならす、将来にわたって日本の国力が衰微していく懸念を強く持つところです。現在でも大学等への公財政支出が対GDP比でOECD加盟国中最下位であることは、周知の事実です。このような状態では、国民の望む「安心社会」の実現は期しえません。
つきましては、国立大学の果たしている役割にご理解を頂き、運営費交付金の削減方針を次年度以降撤廃するとともに、国からの財政的支援をできる限り早期にOECD諸国並みに拡充していただきますよう、お願いいたします。
さらに、昨今の経済危機の中で教育の機会均等を確保するため、授業料標準額の減額、授業料の減免の拡大、奨学金の拡充などの必要な措置を早急に講じていただきますよう、お願いいたします。
【追加掲載】
「「安心社会」実現に貢献する国立大学の振興に向けて(要望)」を提出(2009年5月18日 国立大学協会)
国立大学協会は、5月18日(月)より、安心社会実現会議委員、経済財政諮問会議議員、総合科学技術会議有識者議員、及び政府関係者等に、「「安心社会」実現に貢献する国立大学の振興に向けて(要望)」についての要望活動を行っています。
これまでの審議のまとめ-第4次報告-(平成21年5月28日教育再生懇談会)【高等教育関係抜粋】
1 「教育安心社会」の実現-「人生前半の社会保障」の充実を-
【経済格差の教育への影響】
我が国では家庭における教育費の負担は諸外国に比べて重く、特に、公的支援が少ない就学前の時期と高等教育期における教育費の私費負担は極めて大きく、看過できない水準にまで至っている。大学に進学する年代の子供がいる標準的な世帯で、子供二人が同時に大学教育を受けた場合、その費用負担は平均年収から税や公的年金等を除いたうちの約1/3を占めるなど、家庭の負担は限界に達していると言える。
このような状況の中、子育てや教育のために多額の費用がかかることを理由に子供の数を制限する人が多いなど、教育費負担が少子化の要因の一つになっているとともに、家庭の所得水準によって進学機会や修学の継続が左右されてしまうという事態を招いている。
高等学校段階では、こうした修学援助のための支援制度が十分でないため、進学や修学の継続に困難を来しているという状況がある。
【「人生前半の社会保障」の充実】
次代を担う子供たちの教育は、安心社会の実現のための基盤であると同時に、将来の我が国の成長のための投資である。我が国の社会保障は、諸外国と比べ、高齢者関係の比重が高く、その見直しの議論も高齢化の進展に伴う負担増にどう対応するかが中心になりがちである。しかし、我が国の将来の発展や少子化対策のためにも「人生前半の社会保障」として、また、成長に向けての投資でもある教育の充実を図り、幼児教育期から高等教育期に至るまでの家庭の教育費の負担軽減を図っていくことが、今まさに我が国に求められていることである。「人生前半の社会保障」の充実・強化は、北欧諸国がそうであるように、人生のスタートラインにおける個人の平等に資すると同時に、将来世代の潜在能力を高め、高い国際競争力や経済活力の基盤強化にもつながるものであり、これまでの我が国の成長が教育によって支えられてきたことを、今一度銘記すべきである。
【学校教育の信頼回復】
(1)保護者の教育費負担の軽減方策の確立
幼児教育期から高等教育期に至るまでの「人生前半の社会保障」を充実させ、「教育安心社会」を構築するためには、次のような点について、保護者の教育費負担の軽減方策を確立する必要がある。
(4)障害のある子供・若者への支援の充実
2 教育のグローバル化と創造性に富んだ科学技術人材の育成
【国家戦略としての人材育成】
グローバル化した社会の中で、我が国が世界規模の課題の解決に向けてリーダーシップを発揮し、世界の発展に貢献していくとともに、今後も様々な分野で成長を続け、国際競争力を維持・強化していくために、国家戦略としての人材育成に取り組んでいくことが必要である。すなわち、初等中等教育から高等教育までを見通し、いかに国際通用性のある人材を育成していくか、また、いかに幅広い知識と柔軟な思考力を有する創造性に富んだ科学技術人材を育てていくかを示し、国を挙げて取り組んでいくことが求められている。
【国際通用性のある教育の実現】
高等教育機関において、専門知識を有する優秀な大学院生や若手研究者を育成するとともに、それらの者が、閉ざされた環境の中で教育・研究に没頭するだけでなく、海外の大学等異なる環境・異文化の中で武者修行をし、知的触発を受けながら創造性を高めていくことは、国際社会で活躍する人材の育成にとって極めて意義のあることである。しかしながら、日本国内における教育・研究環境が向上する中、近年、海外へ行く日本人の留学生・研究者の人数が頭打ちになるなど、若者が「内向き志向」になり、外の世界に積極的に飛び出して行かなくなっているのではないかと懸念される。
【国際的に開かれた大学づくり】
また、グローバル化する社会の中で、優秀な大学生等の留学生交流の一層の推進や外国からの研究者や専門人材等の受入れ体制を整備するなど、国境を越えた高度人材の国際流動性の向上を図るとともに、優秀な大学院生や若手研究者に対する支援を充実するなど国際的に通用する若手人材等の育成を図ることが必要である。そのためには、昨年7月に策定された「留学生30万人計画」の実現(2020年を目途)が不可欠であるが、約12万人という現状に鑑みると、その達成のためには、今後、これまで以上の戦略的な取組が必要である。一方、日本人の海外への留学生数は、ここ数年伸び悩んでおり、その推進のためには個人の判断に委ねるのみでは限界がある。また、海外の優秀な研究者などの高度人材にとって、日本の研究・生活環境は、日本に来て研究を行いたいと思わせる魅力に欠けるものであり、我が国に国境を越えて世界の優秀な「頭脳」が集積するような環境整備が必要である。
さらに、大学・大学院等の改革に関しては、これまで、本懇談会や教育再生会議において様々な提言を行ってきたが、その実施状況は不十分であり、特に若手研究者が意欲を持って研究に取り組み、その能力を発揮できるようにするためには、大学院生や若手研究者の立場に立った改革が重要であるが、そうした観点からの制度や支援、研究環境が整っていない。このままでは、日本の若い優秀な「頭脳」が海外にどんどん流出する事態を招くことになる。
こうした状況を踏まえ、国や大学等がそれぞれ、このままでは我が国が国際的な知識基盤社会から取り残されるという危機感と当事者意識を持って、これまでの取組で不十分な点を推進するため、次のような取組を進めることが必要である。
(2)魅力ある理数教育の推進
(3)国際的に開かれた大学の実現
(4)創造性に富んだ若手研究者の育成
(参考)第4次報告全文(教育再生懇談会ホームページ)
(関連記事)教育再生懇 所得格差を埋める教育投資を(2009年5月29日 読売新聞社説)
家庭の所得格差が、子どもの受けられる教育の質や量の違いにつながらないよう、国は必要な投資をすべきだ――。政府の教育再生懇談会の第4次報告の要点は、ここにある。もっともな指摘だろう。
報告は、他の先進国に比べて幼児教育と高等教育への公的支出が少ない点を重視し、その私費負担の大きさは「看過できない水準にまで至っている」としている。人格形成のスタートにあたる幼児教育の充実に、異論を挟む人はいないだろう。内閣府などの調査では、希望する人数の子どもを持つことに消極的な理由として、多くの人が経済的な負担を挙げている。このため、報告は、幼児教育無償化の早期実現を目指しつつ、当面、幼稚園に子どもを通わせる親への補助など市町村の施策を国が支援するよう求めている。家計の負担を減らすことは、少子化対策にもつながるだろう。
一方、4年制大学への進学率は約50%に上るが、実際には親の経済力によって大きな差がある。年収400万円以下だと約30%、1000万円超であれば約60%と、2倍もの開きが出ている。文部科学省の推計では、標準世帯で、子ども2人がともに大学生の場合、その費用は家計の3分の1を占める、という。別の調査では、幼稚園から大学卒業までの教育費は、すべて国公立でも約900万円、一貫して私立だと約2300万円に上る。
奨学金や大学独自の授業料減免などの制度もあるが、それでも断念せざるをえない若者がいる。親が低所得のため進学をあきらめざるをえず、学習意欲にも影響が出る、と指摘する専門家もいる。所得格差が教育格差に、それが所得格差につながる、という連鎖を防がねばならない。高等教育への公的支出を充実させ、意欲や能力のある者が進学したり研究に専念したりできる環境を整える。それは、資源の乏しい日本が、技術立国として存在感を発揮していくうえで不可欠な人材の育成にもつながるはずだ。
幼児教育と高等教育を結ぶ小中高校という初等中等教育が、重要なことは言うまでもない。報告が、塾に通わなくても確かな学力を身につけられるよう、保護者から信頼される公教育の確立を掲げているのは当然だろう。教育費のあり方については、文科省の懇談会でも有識者による検討が始まった。今回の報告も参考に、議論を深めてもらいたい。
教育費の家計負担の軽減、そのための高等教育への公財政出の拡大が大きく求められている中、特に国立大学は、第2期中期目標期間を目前にした今、国民に意識してもらえるかどうかの試金石に立たされており、責任ある行動が求められています。
前回の日記では、来年度予算に関する財務省の持論展開である建議「平成22年度予算編成の基本的考え方について」をご紹介しました。今回は、その財務省と対峙する文部科学省の立場から、先般国立大学協会がとりまとめた「『安心社会』実現に貢献する国立大学の振興に向けて」という関係者に向けた要望書と、去る5月28日に教育再生懇談会がとりまとめた第4次報告をご紹介します。
◇
「安心社会」実現に貢献する国立大学の振興に向けて(要望)-活力ある人材育成と教育の機会均等-
この要望書は、国会議員や安心社会実現会議委員等をはじめとした各方面への働きかけに活用するために国立大学協会で作成したものです。
要望事項
1 「骨太方針2006」による国立大学運営費交付金の1%削減の撤廃と拡充
2 学生に対する経済的支援の充実(授業料標準額の減額、授業料の減免の拡大、奨学金の拡充など)
3 OECD諸国水準を目指した大学等への公財政支出の拡充
現在我が国は、深刻な「経済危機」に見舞われています。本協会は、我が国が、この未曾有の危機を克服し、国民の不安を払拭して持続的な発展を図るためには、従来から国立大学が果たしてきた、我が国の知の創造拠点としての役割(国際競争力の源としてのナショナルセンター機能と、地域社会・経済を支えるリージヨナルセンター機能)を更に強化・充実することが不可欠であると考えております。
しかるに、国立大学の基盤を支える運営費交付金は、「骨太方針2006」により、平成23年度までの5年間にわたって対前年度比1%の削減が続けられる予定となっています。各法人ではそれぞれ懸命の努力により対応しているものの、このままでは、遠からす教育の質を保つことは難しくなり、学問分野を問わず、基礎研究や萌芽的な研究の芽を潰すだけでなく、地域医療の最後の砦としての機能や一部国立大学の経営が破綻するなど、我が国の高等教育・研究の基盤が根底から崩壊し、回復不可能な事態に立ち至ることが危倶されます。
また、経済危機により、大学への進学や修学に向けた学生・保護者の不安は深刻の度を増してきています。国際比較の観点からも、日本の学生に対する経済的支援は極めて貧弱であり、教育の機会均等は大きく脅かされております。
資源の少ない我が国にとって、優れた高等教育を受けた将来を担う人材は、国力の源泉です。OECD諸国をはじめ諸外国が大学等に重点投資を行い、優秀な人材を惹きつけ、育成しようとしている中で、ひとり我が国だけが投資の削減を続けていては、国際的な競争に打ち勝つことは困難であるのみならす、将来にわたって日本の国力が衰微していく懸念を強く持つところです。現在でも大学等への公財政支出が対GDP比でOECD加盟国中最下位であることは、周知の事実です。このような状態では、国民の望む「安心社会」の実現は期しえません。
つきましては、国立大学の果たしている役割にご理解を頂き、運営費交付金の削減方針を次年度以降撤廃するとともに、国からの財政的支援をできる限り早期にOECD諸国並みに拡充していただきますよう、お願いいたします。
さらに、昨今の経済危機の中で教育の機会均等を確保するため、授業料標準額の減額、授業料の減免の拡大、奨学金の拡充などの必要な措置を早急に講じていただきますよう、お願いいたします。
【追加掲載】
「「安心社会」実現に貢献する国立大学の振興に向けて(要望)」を提出(2009年5月18日 国立大学協会)
国立大学協会は、5月18日(月)より、安心社会実現会議委員、経済財政諮問会議議員、総合科学技術会議有識者議員、及び政府関係者等に、「「安心社会」実現に貢献する国立大学の振興に向けて(要望)」についての要望活動を行っています。
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これまでの審議のまとめ-第4次報告-(平成21年5月28日教育再生懇談会)【高等教育関係抜粋】
1 「教育安心社会」の実現-「人生前半の社会保障」の充実を-
【経済格差の教育への影響】
我が国では家庭における教育費の負担は諸外国に比べて重く、特に、公的支援が少ない就学前の時期と高等教育期における教育費の私費負担は極めて大きく、看過できない水準にまで至っている。大学に進学する年代の子供がいる標準的な世帯で、子供二人が同時に大学教育を受けた場合、その費用負担は平均年収から税や公的年金等を除いたうちの約1/3を占めるなど、家庭の負担は限界に達していると言える。
このような状況の中、子育てや教育のために多額の費用がかかることを理由に子供の数を制限する人が多いなど、教育費負担が少子化の要因の一つになっているとともに、家庭の所得水準によって進学機会や修学の継続が左右されてしまうという事態を招いている。
高等学校段階では、こうした修学援助のための支援制度が十分でないため、進学や修学の継続に困難を来しているという状況がある。
【「人生前半の社会保障」の充実】
次代を担う子供たちの教育は、安心社会の実現のための基盤であると同時に、将来の我が国の成長のための投資である。我が国の社会保障は、諸外国と比べ、高齢者関係の比重が高く、その見直しの議論も高齢化の進展に伴う負担増にどう対応するかが中心になりがちである。しかし、我が国の将来の発展や少子化対策のためにも「人生前半の社会保障」として、また、成長に向けての投資でもある教育の充実を図り、幼児教育期から高等教育期に至るまでの家庭の教育費の負担軽減を図っていくことが、今まさに我が国に求められていることである。「人生前半の社会保障」の充実・強化は、北欧諸国がそうであるように、人生のスタートラインにおける個人の平等に資すると同時に、将来世代の潜在能力を高め、高い国際競争力や経済活力の基盤強化にもつながるものであり、これまでの我が国の成長が教育によって支えられてきたことを、今一度銘記すべきである。
【学校教育の信頼回復】
(1)保護者の教育費負担の軽減方策の確立
幼児教育期から高等教育期に至るまでの「人生前半の社会保障」を充実させ、「教育安心社会」を構築するためには、次のような点について、保護者の教育費負担の軽減方策を確立する必要がある。
- 高等教育における授業料負担の大幅軽減を目指し、高等教育への公的支援を拡充するとともに、授業料の減免措置の拡充や給付型の奨学金の充実など奨学金事業を一層充実する。
(4)障害のある子供・若者への支援の充実
- 障害のある子供たちが安心して教育を受けることができるよう、免許状更新講習や現職教員を対象とした研修、大学における教職課程において、特別支援教育についての理解を深める機会を充実し、教員の資質向上を図る。
2 教育のグローバル化と創造性に富んだ科学技術人材の育成
【国家戦略としての人材育成】
グローバル化した社会の中で、我が国が世界規模の課題の解決に向けてリーダーシップを発揮し、世界の発展に貢献していくとともに、今後も様々な分野で成長を続け、国際競争力を維持・強化していくために、国家戦略としての人材育成に取り組んでいくことが必要である。すなわち、初等中等教育から高等教育までを見通し、いかに国際通用性のある人材を育成していくか、また、いかに幅広い知識と柔軟な思考力を有する創造性に富んだ科学技術人材を育てていくかを示し、国を挙げて取り組んでいくことが求められている。
【国際通用性のある教育の実現】
高等教育機関において、専門知識を有する優秀な大学院生や若手研究者を育成するとともに、それらの者が、閉ざされた環境の中で教育・研究に没頭するだけでなく、海外の大学等異なる環境・異文化の中で武者修行をし、知的触発を受けながら創造性を高めていくことは、国際社会で活躍する人材の育成にとって極めて意義のあることである。しかしながら、日本国内における教育・研究環境が向上する中、近年、海外へ行く日本人の留学生・研究者の人数が頭打ちになるなど、若者が「内向き志向」になり、外の世界に積極的に飛び出して行かなくなっているのではないかと懸念される。
【国際的に開かれた大学づくり】
また、グローバル化する社会の中で、優秀な大学生等の留学生交流の一層の推進や外国からの研究者や専門人材等の受入れ体制を整備するなど、国境を越えた高度人材の国際流動性の向上を図るとともに、優秀な大学院生や若手研究者に対する支援を充実するなど国際的に通用する若手人材等の育成を図ることが必要である。そのためには、昨年7月に策定された「留学生30万人計画」の実現(2020年を目途)が不可欠であるが、約12万人という現状に鑑みると、その達成のためには、今後、これまで以上の戦略的な取組が必要である。一方、日本人の海外への留学生数は、ここ数年伸び悩んでおり、その推進のためには個人の判断に委ねるのみでは限界がある。また、海外の優秀な研究者などの高度人材にとって、日本の研究・生活環境は、日本に来て研究を行いたいと思わせる魅力に欠けるものであり、我が国に国境を越えて世界の優秀な「頭脳」が集積するような環境整備が必要である。
さらに、大学・大学院等の改革に関しては、これまで、本懇談会や教育再生会議において様々な提言を行ってきたが、その実施状況は不十分であり、特に若手研究者が意欲を持って研究に取り組み、その能力を発揮できるようにするためには、大学院生や若手研究者の立場に立った改革が重要であるが、そうした観点からの制度や支援、研究環境が整っていない。このままでは、日本の若い優秀な「頭脳」が海外にどんどん流出する事態を招くことになる。
こうした状況を踏まえ、国や大学等がそれぞれ、このままでは我が国が国際的な知識基盤社会から取り残されるという危機感と当事者意識を持って、これまでの取組で不十分な点を推進するため、次のような取組を進めることが必要である。
(2)魅力ある理数教育の推進
- 教職課程や現職教員を対象とした研修、免許状更新講習において、実験・観察の機会を充実させることなどを通じ、小学校教員の理科に関する指導力の向上を図るとともに、採用試験・方法の工夫を図るなど、理数系人材を積極的に小学校の教員として採用する。また、教員養成課程を有する大学における実験・実習用の施設・設備を充実する。
- 地域の大学や企業との連携を強化し、理科等の授業に協力してくれる現役研究者や退職した研究者、博士課程の学生等の人材バンクの創設、教員研修への講師の派遣、子供たちの興味・関心を引き出す魅力的な教材の作成など、地域における理数教育に関する支援体制を充実する。
- 高等学校段階から創造的な科学技術人材を育成するため、SSH(スーパー・サイエンス・ハイスクール)への支援を継続・拡充するとともに、早期に大学レベルの高度な理数教育を受けさせるため、大学の協力を得ながら、高等学校におけるAP(アドバンスト・プレイスメント)の取組を支援する。
- 国の支援を受けて世界的な教育研究拠点を目指す大学等においては、国際科学オリンピックなどで顕著な成績を示した高校生を「飛び入学」の活用などを通じて積極的に受け入れるなど、科学技術人材の育成に向けて積極的な取組を行う。
(3)国際的に開かれた大学の実現
- 当懇談会の報告を受けて策定された「留学生30万人計画」の実現に向け、奨学金制度の拡充や各大学における留学生専門スタッフの配置、複数の大学が共同で利用する留学生宿舎や、日本人学生と留学生が共同で生活できる留学生宿舎の整備など、留学生受入れのための環境整備を着実に推進する。
- 海外の優秀な研究者、専門人材が、安心して日本に来て生活ができるような環境を整備するため、大学等における専門的スタッフの配置・育成、人事・給与・年金制度の整備を図る。また、研究者の家族の就労制限の緩和や査証上の配慮、インターナショナルスクールなど子供の就学環境を整備する。
(4)創造性に富んだ若手研究者の育成
- 博士課程在学者等が研究に専念できるような研究環境の整備や教育・研究費の支援の充実、優れた人材が経済的な負担の懸念無く進学し、教育・研究に専念できるようなTA・RAによる給与の充実や早期に奨学金を受けられるようにするなど経済的な支援の充実を図る。
- 学生の立場に立って大学院教育の飛躍的な質の向上を図るため、世界水準を満たす体系的なコースワークや大学院生の専門知識・研究能力を審査するための試験などの導入を促進する。
- 若手研究者が国際的に活躍する場や積極的な交流ができるように、国際研鑽機会の拡大のための派遣・招聘制度を充実する。また、機動的な対応ができるよう、各大学における交流のための基金を充実する。
- 海外へ留学した学生や若手研究者が、日本に帰国後、その能力に応じて適切に活躍の場を得られるよう、大学や企業における受入れの促進や処遇を改善する。
- 博士課程修了者やポストドクターの雇用機会を増やすため、民間企業等における採用の促進・処遇の改善を図ることや、人材の流動性を高めるための任期制の拡大を図る。また、産業界と大学との共同による人材育成や、人材交流の促進を図る。
- 他大学や他分野、外国人学生などが多数集まる国内外に開かれた大学院とするため、大学において、例えば、同一校、同一分野の学生を最大限3割程度とする、外国人学生は2割以上とするなどの数値目標を予め示すとともに、大学院の選考方法や時期の見直し、他大学から入学した学生へ支援を行うなどの改革に向けた取組を促進する。
- 教授を頂点とした旧態依然とした上下関係(徒弟制度)を排除し、大学院を学部から独立した教育組織として再構築することや、既存の研究科、専攻の壁を打破し、社会の変化を踏まえた合理的かつ柔軟な組織へ再編することなど、大学院の抜本的な改革を促進する。
- 国からの支援を受けて世界最先端の研究を進める大学においては、その責務として、国際的に通用する教育環境の整備に向け、世界トップクラスの外国人研究者の招聘や優秀な外国人学生の獲得のための専門支援スタッフの充実、若手研究者育成のための研究スペースの確保等、他大学に先駆けて様々な教育研究環境の整備を率先して行う。
(参考)第4次報告全文(教育再生懇談会ホームページ)
(関連記事)教育再生懇 所得格差を埋める教育投資を(2009年5月29日 読売新聞社説)
家庭の所得格差が、子どもの受けられる教育の質や量の違いにつながらないよう、国は必要な投資をすべきだ――。政府の教育再生懇談会の第4次報告の要点は、ここにある。もっともな指摘だろう。
報告は、他の先進国に比べて幼児教育と高等教育への公的支出が少ない点を重視し、その私費負担の大きさは「看過できない水準にまで至っている」としている。人格形成のスタートにあたる幼児教育の充実に、異論を挟む人はいないだろう。内閣府などの調査では、希望する人数の子どもを持つことに消極的な理由として、多くの人が経済的な負担を挙げている。このため、報告は、幼児教育無償化の早期実現を目指しつつ、当面、幼稚園に子どもを通わせる親への補助など市町村の施策を国が支援するよう求めている。家計の負担を減らすことは、少子化対策にもつながるだろう。
一方、4年制大学への進学率は約50%に上るが、実際には親の経済力によって大きな差がある。年収400万円以下だと約30%、1000万円超であれば約60%と、2倍もの開きが出ている。文部科学省の推計では、標準世帯で、子ども2人がともに大学生の場合、その費用は家計の3分の1を占める、という。別の調査では、幼稚園から大学卒業までの教育費は、すべて国公立でも約900万円、一貫して私立だと約2300万円に上る。
奨学金や大学独自の授業料減免などの制度もあるが、それでも断念せざるをえない若者がいる。親が低所得のため進学をあきらめざるをえず、学習意欲にも影響が出る、と指摘する専門家もいる。所得格差が教育格差に、それが所得格差につながる、という連鎖を防がねばならない。高等教育への公的支出を充実させ、意欲や能力のある者が進学したり研究に専念したりできる環境を整える。それは、資源の乏しい日本が、技術立国として存在感を発揮していくうえで不可欠な人材の育成にもつながるはずだ。
幼児教育と高等教育を結ぶ小中高校という初等中等教育が、重要なことは言うまでもない。報告が、塾に通わなくても確かな学力を身につけられるよう、保護者から信頼される公教育の確立を掲げているのは当然だろう。教育費のあり方については、文科省の懇談会でも有識者による検討が始まった。今回の報告も参考に、議論を深めてもらいたい。
2009年6月9日火曜日
平成22年度予算に係る財政審の建議
毎年のことではありますが、衣替えの時期になると、次年度予算の獲得拡大に向けた財務省VS各府省のつばぜり合いが始まります。今年も概算要求シーリングを有利に確保するためのいわゆる夏の陣が始まっています。
昨年、理論・データの両面において、くしくも財務省に勝ることができなかった文部科学省は、この1年、来るべき財務省との闘いに備え、準備に余念がなかったのではないかと思います。
今年は、経済財政諮問会議だけでなく、「教育再生懇談会」や「安心社会実現会議」における文部科学省が示した資料を拝見すると、「教育経費負担の軽減」問題を前面に据え、豊富なバックデータを用意し、国民や世論に訴える努力を惜しみなく発揮しているように思えます。
一方、財務省も相変わらずしたたかで、去る6月3日に取りまとめた財政制度等審議会による建議「平成22年度予算編成の基本的考え方について」においては、昨年度より精度の高いデータを裏付けとして、より高度な理論(というより持論)を展開しているようです。
しかもこの建議では、高等教育関係の記述が、昨年度まではお決まりパターンであった「文教予算(高等教育予算)」「科学技術予算」という構成から一変し、「大学予算」という独立した括りを設けた上で、大幅な紙面拡大を図っており、国民の興味関心を意識した独自の視点に基づいた「大学予算を減らすこと」のみに集中した持論が展開されています。
「歳出引き締め」後退、再建は消費増税頼み 財政審(2009年6月4日 朝日新聞)
財務相の諮問機関の財政制度等審議会(財政審)は3日、10年度予算編成に向けた意見書を公表した。経済危機を受け、これまでの「引き締め路線」の軌道修正が目立つ。政府の経済財政諮問会議が着手した財政再建の新目標づくりも増税が前提。高齢化や格差拡大で社会保障費の抑制は難しくなり、将来の消費税アップは避けられないとの思いがちらついている。大学予算については、国立大学法人に、横並び意識を捨てて研究や教育成果を評価した上で予算の配分を決める「成果主義」を強化することを促した。・・・
http://www.asahi.com/politics/update/0604/TKY200906030428.html
国立大学に「埋蔵金」3000億円 07年度段階(2009年6月6日 朝日新聞)
全国に90ある国立大学に07年度段階で約3千億円の「埋蔵金」があることが財務省の調査で分かった。各大学の毎年度の予算の剰余金を合計したもので、財務省は今後、文部科学省や各大学に積極的な活用を促し、当面の交付金の抑制につなげたい考えだ。・・・
http://www.asahi.com/national/update/0606/TKY200906050446.html
大学予算の実状を知る立場にある方々にとっては、この建議の内容が、財務省一流の独断と偏見を多分に含む内容であり、財務省の戦略に基づく政策誘導そのものであることは容易に理解することができると思います。また、多くの記述やデータが誤解を招くような形で作成されており、正確な情報が必ずしも一般国民の皆さんに提供されているとは思えません。
国立大学法人の予算剰余金を「埋蔵金」と呼ぶ財務省(2009年6月6日 大学プロデューサーズ・ノート)
独立行政法人の予算剰余金を「埋蔵金」と呼ぶ発想には、「私たちが認めたこと以外はするな。お金の使い方は財務省が決めてやる。それ以外は無駄だ」・・・という、昔から変わらない中央省庁の(特に財務省の)悪い部分が見え隠れします。この発想から脱却するために国立大学を独立行政法人化させ、独立採算の仕組みを採り入れたというのに。これではせっかく改革した諸制度も、骨抜きになりかねません。「余っているお金があるくらいなら・・・」というキャッチフレーズを安易に使いすぎると、各所での無駄な税金の使い方を招くように思います。・・・
http://www.wasedajuku.com/wasemaga/unipro-note/2009/06/post_432.html
さて、国民の皆さんは、経済対策を錦の御旗に、数次にわたり組まれたこのたびの補正予算について、どのように受け止めていらっしゃるでしょうか。官邸主導・政治主導で事が進められたとはいえ、国民の血税を預かる財務省は、結果的にバラマキと揶揄される税金垂れ流しの予算を作り続けています。しかも、補正予算の財源は、借金により調達され、返済の負担は将来を担う私達の子どもに押しつけるという相変わらずの愚策を続けています。
財政審の建議に示された論理と、税金のバラマキという言行不一致について、財務省は国民にどう説明するのか、財務省の場当たり的なご都合主義で我が国の財政が果たして将来にわたって健全に運営されるのか、財務省は、国家財政を預かる重責を国民に対して果たすことを怠っているばかりか「省益」のみを優先しているのではないかと思われても仕方ありません。
前置きが長くなりました。省益優先にまみれた財政審の建議のうち、「大学予算」関係を抜粋してご紹介します。
平成22年度予算編成の基本的考え方について(平成21年6月3日 財政制度等審議会)【大学予算関係抜粋】
全文はこちら→http://www.mof.go.jp/singikai/zaiseseido/siryou/zaiseia/zaiseia210603/zaiseia210603_00.pdf
■大学の現状と課題
平成16年(2004年)に国立大学が法人化されてから6年目に入り、国立大学法人は来年度から第2期の中期目標期間に入る。そこでまずは、公費投入の対象となっている国公私立大学を通じた現状を検討する。
1 納税者の要請から見た大学の現状
(1)若者人口と大学数の逆転現象
若者人口(18~24歳人口)は平成に入ってから、ピーク時の約1,400万人から1,000万人を割り込むまで、約3分の2に減少している。一方で、この間、累次の参入規制の緩和により大学の新設が大幅に認められ、大学数は5割増となり、若者人口の減少と重ね合わせると、逆転現象が生じている。また、既に、若年層(25~34歳)の大卒者割合は先進国でトップクラスの水準(OECD諸国中2位)に達しており、この観点からも、我が国の大学数・定員数をこれ以上増やす意義は認めがたい。
(2)大学過剰が招いた定員割れと学力低下
私立大学の定員割れが急増しており、約600のうち半数近くは定員割れを起こしている。これと並行して、国立大学・私立大学を通じて、通常の学力試験を経ない、推薦入試・AO入試による入学者が増加しており、私立大学では約50%を占めている。こうした中で、大学生の学力低下が進んでおり、「中学生レベルの学力」の大学生が増えているとの調査結果もある。
(3)企業からの評価及び国際的な評価
企業が求める能力と大学が養成している人材には乖離が見られる。大学の人材育成について、産業界からは「基礎学力の不足」を始めとした多くの問題点が指摘されている。一方で、産業界は、人材採用に当たって「大学での成績」や「学部・学科」をあまり考慮していない。また、国際的に見た日本の大学の評価はおしなべて低い。例えば、イギリスの「世界大学ランキング」において世界の上位20位以内の評価を付されているのは、我が国では東京大学のみである。また、スイスのシンクタンクによれば、「大学教育は、競争的な経済の要求を満たしているか」との評価指標で、日本は55か国中40位との評価であり、G5諸国で最下位である。
2 「質」「量」両面からの見直し
このように少子化に伴う若者人口の減少、成長力・国際競争力強化の要請の中で、我が国の大学は「質」「量」両面からの見直しが迫られている。「質」については、教育面では、社会が求める人材を養成するために、各大学が教育の質を向上させる仕組みを、研究面では、世界トップレベルの研究成果(国レベルで求める研究成果)を挙げる仕組みをそれぞれ構築する必要がある。この点、各地域の活性化のために求められる研究成果については国としてどこまでバックアップするのか、改めて検討が必要である。「量」については、大学の数、各大学の入学定員を適正規模に抑える仕組みが早急に必要である。その中で、教育については、「社会から評価され、個人の人生にとって価値のある大学卒業資格」を生み出すことを目指し、研究については、「世界トップレベルの研究拠点の構築」をすることが優先課題である。こうした観点から、国公私立大学のそれぞれの役割及び公費投入について、その根本に立ち返った検討を行い、大学の機能分化及び選択と集中を図っていくことが必要である。特に巨額の国費を投入している国立大学に着目すると、法人化以降、公費投入の意義が更に厳しく問われており、上記の観点に基づいた改革が必要である。
■国立大学法人の運営費交付金の見直し
1 国立大学法人化の目標
国立大学法人化は、平成13年(2001年)に遠山文部科学大臣が示した「遠山プラン」において本格的に提唱されたものである。同プランにおいては、国立大学に民間的発想の経営手法を導入するため法人化を行い、各大学に外部評価を義務付けることとした。さらに、国立大学の数の大幅な削減を目指し、国公私立大学の「トップ30」を世界最高水準に育成することとした。この提案に基づいて平成16年度(2004年度)に実現した国立大学法人化が目指したものは、「護送船団方式からの決別」であった。具体的な目標として挙げられるのは、以下の通りである。
(1)第三者評価
先般、独立行政法人大学評価・学位授与機構から、第1期の中期目標期間(平成16~21年度(2004~2009年度))のうち平成16~19年度(2004~2007年度)の教育研究に対する評価結果が公表されたが、各評価項目をあわせて、「期待される水準を下回る」との評価を付したものはわずか1~2%程度であり、大学間でも評価結果にほとんど差異が見られなかった。また、同法人による各大学の年度別の現況分析結果を見ても、例えば、提出資料が不明確、あるいは、「所属教員の数に比べて成果が多いとは言えない」との判断理由が示されているにもかかわらず、「期待される水準にある」との評価を下しているなど、評価が客観性に欠ける例が見られた。これらの評価を機能させるためには、評価自体を客観的で定量的なものとする必要があるが、そもそも中期目標自体をより具体的な内容として、客観的に評価可能なものとする必要がある。第二期の中期目標・中期計画策定に当たっては、文部科学省・各大学があらかじめ中期目標・中期計画が客観的に評価可能なものとなっているか確認すべきである。また、上記の独立行政法人の国立大学教育研究評価委員会の委員の8割(30名中24名)が大学関係者であり、評価委員に企業関係者や評価専門家を抜本的に増やす等の工夫が必要である。
(2)予算の配分実績
現在、運営費交付金約1.2兆円のうち、約0.9兆円は「基礎的な運営費交付金」として、機械的・一律に配分されている。一方で、約0.1兆円は「特別教育研究経費」として、優れた教育研究に競争的に配分されることとなっている。しかし、この両者について、実際の各大学別の配分シェアを比較すると、シェア差は1~2%程度にとどまっており、優れた教育研究を個別に客観的に評価した結果とは認めがたい。国公私立大学を通じたいわゆるGP(Good Practice)補助金についても、特別教育研究経費に比べればシェア差が開いているものの、同様の状況にある。そもそも法人化以降の国立大学予算は、機械的・一律に配分する経費を削減して、優れた教育研究を伸ばすため、競争的に配分される経費を増額している。しかし、こうした理念と現実に落差があり、各大学の努力や実績を反映した競争的な配分が実現していないとすれば非常に問題である。今後は、個々の教育研究の評価を更に客観的・定量的なものとし、予算配分が実質的に一律に近いものとならないよう配意する必要がある。この中で、特別教育研究経費の存在意義もあわせて検討していく必要がある。
(3)運営の効率化
国立大学法人化に当たって、他の独立行政法人同様、運営の効率化を目指して各年度の運営費交付金に▲1%の効率化係数を導入した。しかし、法人化以来、教職員の1人当たり学生数はほとんど変化がなく、私立大学と比べて学生規模当たりで見ると2倍以上の教員がいる状態が続いている。また、職員数についても、私立大学と比べて学生規模当たりで1.5倍以上の状態が続いており、今後、更なる効率化、及び経営能力の高い職員の登用・育成が求められる。一方、法人化以降の各大学の支出内容を見ると、学長のリーダーシップが高いほど、予算配分の効率化が進んでいるとの指摘があり、大学内の予算配分には未だ効率化余地があると考えられる。また、法人化以後、国立大学には毎年度多額の決算剰余金が発生し、ストックベースでは約3,000億円の積立金等が累積していること、いわゆる遊休資産(減損処理を行った資産、減損の兆候が認められた資産)が約300億円あることを考慮すれば、国立大学法人が資金不足に陥っているとは言いがたい状況にある。
(4)自己収入の確保
法人化以後、運営費交付金は削減されたものの、自己収入(授業料、病院収入等)、寄附金、産学連携研究収入、競争的な補助金等を合わせれば、国立大学法人全体の収入・事業費は増加している。この点に関して、理事会、監事組織の意思決定や学長のリーダーシップが高まることで、運営費交付金依存度が低下し、寄附金や、受託研究、受託事業の割合が高まるとの指摘があり、今後とも学内のガバナンスを工夫しながら、外部資金の導入を促進していくことが重要である。一方で、授業料の「横並び」は全く解消されていない。平成17年度(2005年度)以降授業料の改定もストップしたままであり、教育内容等に応じた授業料設定の多様化が課題となっている。このため、運営費交付金の配分において、授業料の改定を促すことも検討すべきである。
(5)情報公開
文部科学省は、学部等ごとのセグメントの財務情報の積極的開示を求めているが、各国立大学法人の対応は進んでいない。学部・学科別の活動成果を客観的・正確に評価し、予算配分を効率化するためにも、学部等ごとの財務情報の開示が求められる。
3 今後の議論の方向性
国立大学法人については、今後、年末までに、第2期の6年間(平成22~27年度(2010~2015年度))の運営費交付金の取扱いについて、方向性が実質決定されることになる。文部科学省は、大学院博士課程・法科大学院・教員養成系学部等の入学定員・組織等の見直し、評価結果を踏まえた教育研究の質の向上、法人のガバナンスの充実、自己収入の増加、管理的経費の抑制等による財務内容の改善、資産の有効活用、教育研究の評価結果を踏まえた運営費交付金の配分等を進めることとしている。今後の議論に当たっては、上記「2」で指摘した第1期の運営状況に対する要改善点を踏まえ、国立大学法人化の当初の考え方に立ち返って、引き続き、各大学の教育研究の質の向上を目指すべきである。その際、以下のような観点についても議論していくべきである。
昨年、理論・データの両面において、くしくも財務省に勝ることができなかった文部科学省は、この1年、来るべき財務省との闘いに備え、準備に余念がなかったのではないかと思います。
今年は、経済財政諮問会議だけでなく、「教育再生懇談会」や「安心社会実現会議」における文部科学省が示した資料を拝見すると、「教育経費負担の軽減」問題を前面に据え、豊富なバックデータを用意し、国民や世論に訴える努力を惜しみなく発揮しているように思えます。
一方、財務省も相変わらずしたたかで、去る6月3日に取りまとめた財政制度等審議会による建議「平成22年度予算編成の基本的考え方について」においては、昨年度より精度の高いデータを裏付けとして、より高度な理論(というより持論)を展開しているようです。
しかもこの建議では、高等教育関係の記述が、昨年度まではお決まりパターンであった「文教予算(高等教育予算)」「科学技術予算」という構成から一変し、「大学予算」という独立した括りを設けた上で、大幅な紙面拡大を図っており、国民の興味関心を意識した独自の視点に基づいた「大学予算を減らすこと」のみに集中した持論が展開されています。
◇
「歳出引き締め」後退、再建は消費増税頼み 財政審(2009年6月4日 朝日新聞)
財務相の諮問機関の財政制度等審議会(財政審)は3日、10年度予算編成に向けた意見書を公表した。経済危機を受け、これまでの「引き締め路線」の軌道修正が目立つ。政府の経済財政諮問会議が着手した財政再建の新目標づくりも増税が前提。高齢化や格差拡大で社会保障費の抑制は難しくなり、将来の消費税アップは避けられないとの思いがちらついている。大学予算については、国立大学法人に、横並び意識を捨てて研究や教育成果を評価した上で予算の配分を決める「成果主義」を強化することを促した。・・・
http://www.asahi.com/politics/update/0604/TKY200906030428.html
国立大学に「埋蔵金」3000億円 07年度段階(2009年6月6日 朝日新聞)
全国に90ある国立大学に07年度段階で約3千億円の「埋蔵金」があることが財務省の調査で分かった。各大学の毎年度の予算の剰余金を合計したもので、財務省は今後、文部科学省や各大学に積極的な活用を促し、当面の交付金の抑制につなげたい考えだ。・・・
http://www.asahi.com/national/update/0606/TKY200906050446.html
大学予算の実状を知る立場にある方々にとっては、この建議の内容が、財務省一流の独断と偏見を多分に含む内容であり、財務省の戦略に基づく政策誘導そのものであることは容易に理解することができると思います。また、多くの記述やデータが誤解を招くような形で作成されており、正確な情報が必ずしも一般国民の皆さんに提供されているとは思えません。
国立大学法人の予算剰余金を「埋蔵金」と呼ぶ財務省(2009年6月6日 大学プロデューサーズ・ノート)
独立行政法人の予算剰余金を「埋蔵金」と呼ぶ発想には、「私たちが認めたこと以外はするな。お金の使い方は財務省が決めてやる。それ以外は無駄だ」・・・という、昔から変わらない中央省庁の(特に財務省の)悪い部分が見え隠れします。この発想から脱却するために国立大学を独立行政法人化させ、独立採算の仕組みを採り入れたというのに。これではせっかく改革した諸制度も、骨抜きになりかねません。「余っているお金があるくらいなら・・・」というキャッチフレーズを安易に使いすぎると、各所での無駄な税金の使い方を招くように思います。・・・
http://www.wasedajuku.com/wasemaga/unipro-note/2009/06/post_432.html
◇
さて、国民の皆さんは、経済対策を錦の御旗に、数次にわたり組まれたこのたびの補正予算について、どのように受け止めていらっしゃるでしょうか。官邸主導・政治主導で事が進められたとはいえ、国民の血税を預かる財務省は、結果的にバラマキと揶揄される税金垂れ流しの予算を作り続けています。しかも、補正予算の財源は、借金により調達され、返済の負担は将来を担う私達の子どもに押しつけるという相変わらずの愚策を続けています。
財政審の建議に示された論理と、税金のバラマキという言行不一致について、財務省は国民にどう説明するのか、財務省の場当たり的なご都合主義で我が国の財政が果たして将来にわたって健全に運営されるのか、財務省は、国家財政を預かる重責を国民に対して果たすことを怠っているばかりか「省益」のみを優先しているのではないかと思われても仕方ありません。
前置きが長くなりました。省益優先にまみれた財政審の建議のうち、「大学予算」関係を抜粋してご紹介します。
平成22年度予算編成の基本的考え方について(平成21年6月3日 財政制度等審議会)【大学予算関係抜粋】
全文はこちら→http://www.mof.go.jp/singikai/zaiseseido/siryou/zaiseia/zaiseia210603/zaiseia210603_00.pdf
■大学の現状と課題
平成16年(2004年)に国立大学が法人化されてから6年目に入り、国立大学法人は来年度から第2期の中期目標期間に入る。そこでまずは、公費投入の対象となっている国公私立大学を通じた現状を検討する。
1 納税者の要請から見た大学の現状
(1)若者人口と大学数の逆転現象
若者人口(18~24歳人口)は平成に入ってから、ピーク時の約1,400万人から1,000万人を割り込むまで、約3分の2に減少している。一方で、この間、累次の参入規制の緩和により大学の新設が大幅に認められ、大学数は5割増となり、若者人口の減少と重ね合わせると、逆転現象が生じている。また、既に、若年層(25~34歳)の大卒者割合は先進国でトップクラスの水準(OECD諸国中2位)に達しており、この観点からも、我が国の大学数・定員数をこれ以上増やす意義は認めがたい。
(2)大学過剰が招いた定員割れと学力低下
私立大学の定員割れが急増しており、約600のうち半数近くは定員割れを起こしている。これと並行して、国立大学・私立大学を通じて、通常の学力試験を経ない、推薦入試・AO入試による入学者が増加しており、私立大学では約50%を占めている。こうした中で、大学生の学力低下が進んでおり、「中学生レベルの学力」の大学生が増えているとの調査結果もある。
(3)企業からの評価及び国際的な評価
企業が求める能力と大学が養成している人材には乖離が見られる。大学の人材育成について、産業界からは「基礎学力の不足」を始めとした多くの問題点が指摘されている。一方で、産業界は、人材採用に当たって「大学での成績」や「学部・学科」をあまり考慮していない。また、国際的に見た日本の大学の評価はおしなべて低い。例えば、イギリスの「世界大学ランキング」において世界の上位20位以内の評価を付されているのは、我が国では東京大学のみである。また、スイスのシンクタンクによれば、「大学教育は、競争的な経済の要求を満たしているか」との評価指標で、日本は55か国中40位との評価であり、G5諸国で最下位である。
2 「質」「量」両面からの見直し
このように少子化に伴う若者人口の減少、成長力・国際競争力強化の要請の中で、我が国の大学は「質」「量」両面からの見直しが迫られている。「質」については、教育面では、社会が求める人材を養成するために、各大学が教育の質を向上させる仕組みを、研究面では、世界トップレベルの研究成果(国レベルで求める研究成果)を挙げる仕組みをそれぞれ構築する必要がある。この点、各地域の活性化のために求められる研究成果については国としてどこまでバックアップするのか、改めて検討が必要である。「量」については、大学の数、各大学の入学定員を適正規模に抑える仕組みが早急に必要である。その中で、教育については、「社会から評価され、個人の人生にとって価値のある大学卒業資格」を生み出すことを目指し、研究については、「世界トップレベルの研究拠点の構築」をすることが優先課題である。こうした観点から、国公私立大学のそれぞれの役割及び公費投入について、その根本に立ち返った検討を行い、大学の機能分化及び選択と集中を図っていくことが必要である。特に巨額の国費を投入している国立大学に着目すると、法人化以降、公費投入の意義が更に厳しく問われており、上記の観点に基づいた改革が必要である。
■国立大学法人の運営費交付金の見直し
1 国立大学法人化の目標
国立大学法人化は、平成13年(2001年)に遠山文部科学大臣が示した「遠山プラン」において本格的に提唱されたものである。同プランにおいては、国立大学に民間的発想の経営手法を導入するため法人化を行い、各大学に外部評価を義務付けることとした。さらに、国立大学の数の大幅な削減を目指し、国公私立大学の「トップ30」を世界最高水準に育成することとした。この提案に基づいて平成16年度(2004年度)に実現した国立大学法人化が目指したものは、「護送船団方式からの決別」であった。具体的な目標として挙げられるのは、以下の通りである。
- 第三者評価を通じて競争的環境を醸成し、教育研究の質を向上させること
- 運営の効率化の観点から、独立行政法人と同様に運営費交付金に効率化係数▲1%を導入すること
- 自己収入の増加のインセンティブを付与するとともに、学生納付金(授業料等)を一定程度自由化すること
- 情報公開により説明責任を確保すること
(1)第三者評価
先般、独立行政法人大学評価・学位授与機構から、第1期の中期目標期間(平成16~21年度(2004~2009年度))のうち平成16~19年度(2004~2007年度)の教育研究に対する評価結果が公表されたが、各評価項目をあわせて、「期待される水準を下回る」との評価を付したものはわずか1~2%程度であり、大学間でも評価結果にほとんど差異が見られなかった。また、同法人による各大学の年度別の現況分析結果を見ても、例えば、提出資料が不明確、あるいは、「所属教員の数に比べて成果が多いとは言えない」との判断理由が示されているにもかかわらず、「期待される水準にある」との評価を下しているなど、評価が客観性に欠ける例が見られた。これらの評価を機能させるためには、評価自体を客観的で定量的なものとする必要があるが、そもそも中期目標自体をより具体的な内容として、客観的に評価可能なものとする必要がある。第二期の中期目標・中期計画策定に当たっては、文部科学省・各大学があらかじめ中期目標・中期計画が客観的に評価可能なものとなっているか確認すべきである。また、上記の独立行政法人の国立大学教育研究評価委員会の委員の8割(30名中24名)が大学関係者であり、評価委員に企業関係者や評価専門家を抜本的に増やす等の工夫が必要である。
(2)予算の配分実績
現在、運営費交付金約1.2兆円のうち、約0.9兆円は「基礎的な運営費交付金」として、機械的・一律に配分されている。一方で、約0.1兆円は「特別教育研究経費」として、優れた教育研究に競争的に配分されることとなっている。しかし、この両者について、実際の各大学別の配分シェアを比較すると、シェア差は1~2%程度にとどまっており、優れた教育研究を個別に客観的に評価した結果とは認めがたい。国公私立大学を通じたいわゆるGP(Good Practice)補助金についても、特別教育研究経費に比べればシェア差が開いているものの、同様の状況にある。そもそも法人化以降の国立大学予算は、機械的・一律に配分する経費を削減して、優れた教育研究を伸ばすため、競争的に配分される経費を増額している。しかし、こうした理念と現実に落差があり、各大学の努力や実績を反映した競争的な配分が実現していないとすれば非常に問題である。今後は、個々の教育研究の評価を更に客観的・定量的なものとし、予算配分が実質的に一律に近いものとならないよう配意する必要がある。この中で、特別教育研究経費の存在意義もあわせて検討していく必要がある。
(3)運営の効率化
国立大学法人化に当たって、他の独立行政法人同様、運営の効率化を目指して各年度の運営費交付金に▲1%の効率化係数を導入した。しかし、法人化以来、教職員の1人当たり学生数はほとんど変化がなく、私立大学と比べて学生規模当たりで見ると2倍以上の教員がいる状態が続いている。また、職員数についても、私立大学と比べて学生規模当たりで1.5倍以上の状態が続いており、今後、更なる効率化、及び経営能力の高い職員の登用・育成が求められる。一方、法人化以降の各大学の支出内容を見ると、学長のリーダーシップが高いほど、予算配分の効率化が進んでいるとの指摘があり、大学内の予算配分には未だ効率化余地があると考えられる。また、法人化以後、国立大学には毎年度多額の決算剰余金が発生し、ストックベースでは約3,000億円の積立金等が累積していること、いわゆる遊休資産(減損処理を行った資産、減損の兆候が認められた資産)が約300億円あることを考慮すれば、国立大学法人が資金不足に陥っているとは言いがたい状況にある。
(4)自己収入の確保
法人化以後、運営費交付金は削減されたものの、自己収入(授業料、病院収入等)、寄附金、産学連携研究収入、競争的な補助金等を合わせれば、国立大学法人全体の収入・事業費は増加している。この点に関して、理事会、監事組織の意思決定や学長のリーダーシップが高まることで、運営費交付金依存度が低下し、寄附金や、受託研究、受託事業の割合が高まるとの指摘があり、今後とも学内のガバナンスを工夫しながら、外部資金の導入を促進していくことが重要である。一方で、授業料の「横並び」は全く解消されていない。平成17年度(2005年度)以降授業料の改定もストップしたままであり、教育内容等に応じた授業料設定の多様化が課題となっている。このため、運営費交付金の配分において、授業料の改定を促すことも検討すべきである。
(5)情報公開
文部科学省は、学部等ごとのセグメントの財務情報の積極的開示を求めているが、各国立大学法人の対応は進んでいない。学部・学科別の活動成果を客観的・正確に評価し、予算配分を効率化するためにも、学部等ごとの財務情報の開示が求められる。
3 今後の議論の方向性
国立大学法人については、今後、年末までに、第2期の6年間(平成22~27年度(2010~2015年度))の運営費交付金の取扱いについて、方向性が実質決定されることになる。文部科学省は、大学院博士課程・法科大学院・教員養成系学部等の入学定員・組織等の見直し、評価結果を踏まえた教育研究の質の向上、法人のガバナンスの充実、自己収入の増加、管理的経費の抑制等による財務内容の改善、資産の有効活用、教育研究の評価結果を踏まえた運営費交付金の配分等を進めることとしている。今後の議論に当たっては、上記「2」で指摘した第1期の運営状況に対する要改善点を踏まえ、国立大学法人化の当初の考え方に立ち返って、引き続き、各大学の教育研究の質の向上を目指すべきである。その際、以下のような観点についても議論していくべきである。
- 運営費交付金を機械的・一律に配付するよりも、各大学が自ら質を高める取組を促すため、引き続き運営費交付金の削減を行い、できる限り、教育は授業料、研究は科学研究費補助金等の競争的な資金で賄うことを目指すべきではないか。
- そのために、欧米の例にならって、教育・研究に会計を分離して、公費を投入すべきではないか。
- 例えば同一都道府県内に教員養成課程(教育学部)等を始め、同様の学部を有する複数の国立大学や公立大学が多く見られる。重点的な資金配分、あるいは地域活性化のため、それぞれの目的に応じて国立大学法人の再編・統合を推進すべきではないか。
- その中で、我が国の成長力・国際競争力を高めるため、国立大学法人として今後ともトップレベルの教育研究を行わせる大学として、どの程度の数の大学を想定するのか、国・地方公共団体の役割分担の観点を含めて、検討すべきではないか。