2012年6月26日火曜日

人を動かす

日本私立大学協会私学高等教育研究所研究員の岩田雅明氏が書かれた、論考「人を動かすマネジメント」(文部科学教育通信 No294  2012.6.25)をご紹介します。


承認のパワー

企業研修等で、意欲が出た上司の言動とはどんなものだったかということを聞いてみると、「相談に乗ってもらえたとき」とか、「難しい仕事を任されたとき」、「結果をきちんと評価してくれたとき」、といった答えが多く返ってくる。逆に、意欲が喪失した上司の言動について尋ねると、「全否定されたとき」とか、「結果に対してコメントのなかったとき」といった答えが多い。これらの答えから推測できることは、上司が部下の存在を認めること、能力を認めること、行動や結果を認めることが、部下の意欲向上と強く関係しているということである。

アメリカの調査機関ギャラップ社のハーター博士が、世界各国の40万人以上のビジネスパーソンに対して実施した調査を分析した結果、従業員に対する承認、称賛が所属部門の生産性や利益を高めることが分かったという(太田肇同志社大学教授著『承認とモチベーション』より)。また太田教授自身の研究でも、承認とモチベーションの関連性が明らかにされている。

そして、このようなことが実証される前から、マネジメントの才に長けた人たちは、このことを感覚的に分かっていたようである。例えば、マネジメントの古典的名著である『人を動かす』の中で、著者のデール・カーネギーはこう勧めている。人を働かせるためには、褒めることと、励ますことが何よりであると。日本でも、大日本帝国海軍の連合艦隊司令長官、山本五十六氏は、次の言葉を残している。

「やってみせ、言って聞かせてさせてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」
「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず」
「やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」

軍隊といえば、上司の命令は絶対的なものという世界である。そのような中でも、主体的な意欲・行動を引き出すためには、承認することが不可欠であることを悟っていたのであろう。また、サービス業に従事する人たちが口を揃えていうことは、お客さまからの感謝の言葉が何よりの励みになるということである。これなども、承認のパワーを裏付けするものの一つである。承認と類似したものであるが、期待することのパワーというものもある。ピグマリオン・マネジメントと私が勝手に呼んでいるものであるが、人は期待したとおりに成長していくというものである。

知恵を引き出す

部下のモチベーションを高めるとともに、成果を出すために必要なことは部下の知恵を引き出すということである。大学は従来から命令系統が緩やかな組織であったので、上からの命令が現場に行くスピード、現場からの報告が上に行くスピードとも、それほど速いとはいえず、機動性という面は十分とはいえない。また競争環境が厳しくなり、環境変化も速いという現状においては、現場での対応力がより重要となってきている。このようなことを考えると、現場で働く教職員の知恵を引き出すことは、これからの大学運営においては非常に重要な要素になってくると思われる。

知恵を引き出すために必要なことは、考えさせるということである。そのために必要な上司の働きかけは二つある。一つは、関心を持って、共感的な態度で部下の話に耳を傾けるようにすることである。人間は自分の話をよく聴いてもらえると、非常にうれしいものである。前述の承認にあたるからである。それと同時に、話すことで自分の考えが整理され、新しい気づきも生まれやすいといわれている。オートクラインといわれるもので、自分が話したことが自分の耳に入り、それによって考えが深まるという現象である。また、このように部下の話を傾聴するということは、部下との信頼関係構築のためにも非常に大切なことであるので、ぜひとも習慣として実行して欲しいことである。

ただしここで問題なのは、人間の脳は他人の話を真剣に聴くことができにくい仕組みになっているということである。その理由は、人間が一分間に話すことができる語数は160から180なのに対して、聴くことができるのは600から800語と聴く方に余裕があるので、真剣に聴かなくても相手の話が理解できてしまうからである。そのために領きや相槌、相手の話を繰り返すといったスキルを駆使して、真剣に聴く訓練をすることが必要となってくる。これからの管理者には必要とされるスキルであるので、平素から心がけて訓練するとよいだろう。

二つ目の働きかけは、問いかけるということである。人間の脳は生来の防衛本能から、分からない状態を嫌うといわれている。そのため、問いかけられると潜在意識、顕在意識がその問いを共有し、何とか答えを見つけ出そうと働きだすのである。また意識するようになると、関連する情報に対しても敏感になってくる。このため管理者は、部下に指示をするのではなく、問いを与えることを心がけるべきである。問いを与えることで現場の情報をもとにした気づきが多く生まれるようになり、有用な戦略立案が可能になると同時に、組織の活性化も図れることになる。

また、考えた結果については、必ずアウトプットできる場を設定することも管理者の重要な務めである。気づきを提案させる制度を設けることや、定期的に話し合いの場を設け、そこで様々な改善について話し合うといったことである。このような場を設けることで、部下個人の知恵を引き出すとともに、個人の知を組織の知とすることもできるようになる。

行動を引き出す

組織が成果を上げていくためには、適切な戦略と、それを着実に実行に移していくことのできる組織能力が必要となる。成果の上がっていない組織は、この組織能力に課題がある場合が多いといわれている。大学の場合は、もともと考える力はその性質からして十分に持っているといえるが、この行動に移していくということが十分でないというケースが多いと感じている。

なぜかということを経験的に考えてみると、一つは最終的にどのような成果を目標とするのかということが、具体的に示されないということである。改善して今より良くしていこうとか、受験生をもっと増やそうということは決まっても、具体的な数値・状況として決められていないということである。人間は抽象的な目標に対しては行動を起こしにくいものである。もう一つは、成果を上げるために取るべき具体的な行動が明示されていないということである。こういう方向で進もうという方針は決まっていても、そのためにどの部門がどのような行動をいつまでに実行するというような、具体的かつ詳細な行動計画が伴っていないということである。それぞれが考えて実行できるような成熟度の高い組織であれば別であるが、これでは誰も動こうとしないのも当然といえる。

また、達成状況が分かるような行動計画になっていて、その達成状況についてきちんと計測が行われ、その結果が評価される仕組みになっているかどうかということも大事なポイントである。このような仕組みがないと、組織がこの行動を重視しているのかどうかということが分からず、また、やってもやらなくても同じということになってしまい、行動意欲が生じてこないからである。


2012年6月24日日曜日

国大協総会- 給与削減・交付金削減で活発な意見

国立大学協会は、去る6月18日(月曜日)に、平成24年度第1回通常総会を開催しました。総会では、「給与削減」や「運営費交付金削減」といった国立大学を取り巻く諸課題についての協議が行われ、日ごろ、最前線に立って厳しい労使交渉を重ねている各学長からは、半ば強引な財務当局をはじめとする政府の手法に対するフラストレーションが口々に噴出した模様です。

総会の様子が、文教速報(平成24年6月20日 第7740号)に掲載されてありましたので引用してご紹介します。


通則法改正「総務省の関与強まる」

総会に出席した学長からは、独法通則法改正に伴う国立大学法人法改正により、総務省による国立大学法人への関与が強まることへの懸念が表明された。中期目標・計画事業であっても、「よくない」ということになれば総務省から文部科学大臣へ廃止を促すことができるという。

また、給与削減や運営費交付金の削減についても、「何回文部科学省から話を聞いても、もう一つはっきりしない」と渋い顔。この学長は、入試センターや日銀など国の経費が投入されていない機関も一様に削減するという財務大臣の方針から、国立大学法人も自己収入で補っている部分もすべて削減されるという雰囲気になっていると分析し、さらに削減の対象も不明瞭であることへの不満も聞かれた。

教員養成系大学の学長からは、給与削減について、すべての附属学校で行っている人事交流で問題が発生すると発言があった。さらに、「給与削減への対応は、労使の交渉のなかで自律的・自主的に詰めていく」という原則のなかで、苦慮している窮状を紹介。また、給与削減や運営費交付金削減のスケジュール、プロセスに関する情報も不足していると語った。

さらに、関西の大学の学長は、給与削減問題に関し、「要請に応じたわけではなく、要請を取り巻くさまざまな周囲の環境に“屈伏”して決めた。経営協議会で繰り返し議論し、学長がそこまで追い込まれているのならやむを得ないということで了承してもらった」と学内での議論の様子を紹介した。

また、給与や運営費交付金だけでなく、平野大臣レポートや大学改革実行プランに関しても、「実際に展開するときは、かなり無理強いされて展開することを危惧している」と語った。

一方で、学内にある経営協議会は、各界のオピニオンリーダーが在籍していることから、経営協議会委員に何をしてもらうか、どういうアクティブな行動をしてもらうということも考えなくてはならないと述べた。

このほか、「(給与削減は)「復興財源」という錦の御旗で、組合と対峙しているが、(削減期間後の)2年後に、本当にきちんとした高等教育の予算を確保して、諸外国と比べて見劣りする状況を打開していかなくてはいけないのだという動きを、国大協を中心に強めていただきたい」との意見が聞かれた。

協議の締めくくりでは、体調不良のため欠席した濱田会長に代わって議事を進行した松本副会長が、厳しい状況を踏まえ、「長期的に大学が“ジリ貧”ということであってはならないということは国民全員が一致する」との認識を示し、こうした考えについて、国大協でもメッセージを発信していく必要性があることを強調した。



2012年6月23日土曜日

黙祷 沖縄慰霊の日

今日(6月23日)、私たちは、戦後67年目の「沖縄慰霊の日」を迎えました。梅雨明けした沖縄では、最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園において、沖縄全戦没者追悼式が開かれ、参列者約5300人が冥福を祈りました。

67年前の今日、多くの住民を巻き込んだ悲惨な地上戦で旧日本軍の組織戦闘が終わりました。この戦いによって県民の約4分の1が犠牲になったとされています。あらためて犠牲者を悼み、平和を祈りましょう。

関連記事を二つほどご紹介します。


沖縄慰霊の日 島人の心に寄り添って(2012年6月23日 東京新聞)

激しい地上戦で約15万人の県民が犠牲となった沖縄。戦後は過酷な米軍支配を強いられ、復帰後も広大な米軍基地が残る。慰霊の日のきょうは県民の悲しみや苦しみ、怒りに寄り添う日としたい。

1945年6月23日、沖縄守備隊「第32軍」の司令官牛島満中将の自決で、日本軍の組織的戦闘は終結した。米軍の沖縄本島上陸から3カ月近く。餓死やマラリア感染死を含めて当時の人口の4分の1を失った事実が戦闘の苛烈さを物語る。

沖縄本島南部の糸満市摩文仁。最後の激戦地跡に造られた平和祈念公園できょう沖縄全戦没者追悼式が行われる。野田佳彦首相も参列し、あいさつする予定だ。首相はどんな言葉を発するのだろう。

戦争で肉親や仲間を失った悲しみ、かつての米軍支配に対する怒り、米軍基地と隣り合わせの生活を強いられる島人(しまんちゅ)(沖縄の人々)の苦しみに寄り添っているか。野田内閣のこれまでの沖縄政策を振り返ると、何とも心もとない。

米軍普天間飛行場(宜野湾市)の返還問題では、名護市辺野古への県内移設を「唯一有効な進め方である」との立場を変えない。

政府の環境影響評価書に対し、仲井真弘多知事が二度にわたって「事実上不可能」とする意見を出したにもかかわらず、だ。

いくら普天間返還のためとはいえ、在日米軍基地の74%が集中する沖縄県に新たな基地を造ることはさらに過重な負担を強いると、なぜ思いが至らないのか。

そればかりか、その普天間飛行場に米海兵隊は垂直離着陸輸送機MV22オスプレイを配備する計画だという。実戦配備後も事故が相次ぎ、安全性が確立されたとはいえない危険な軍用機だ。
配備を追認する日本政府に、計画中止を求める沖縄県民の声はいつになったら届くのだろうか。

本土決戦に備える時間稼ぎの「捨て石」にされた沖縄。海軍司令官だった大田実少将は最後、海軍次官宛てにこう打電する。「沖縄県民かく戦えり。県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを」

沖縄の日本復帰から40年を経ても、基地提供という日米安全保障条約上の義務を沖縄により多く負わせている現実は、政府も本土の私たちも沖縄への心配りを欠いてきたことを示すのではないか。

慰霊の日は、犠牲者への哀悼と同時に、日本国民が沖縄の人たちに同胞として寄り添ってきたといえるのか、問い直す日でもある。


復帰40年目の沖縄から見えるもの(2012年6月21日 NHK解説委員室ブログ)

今年は沖縄が本土に復帰して40年目の節目の年になります。また今月は6月23日の「沖縄慰霊の日」をまじかにひかえて沖縄県民にとって、この時期はいろいろな意味で「もの思う季節」であります。

沖縄俳句歳時記には「沖縄忌」という季語がありますが、沖縄忌というのは6月23日慰霊の日のことです。毎年6月になると新聞の俳句や短歌の欄に「沖縄忌」を詠んだ作品がたくさん発表されます。

私の心に残る作品の一つに、

生きのびて何をなし得し沖縄忌  知念広径

という俳句があります。私もわずかながら沖縄戦を記憶している最年少者の一人として、毎年6月がくると「あの戦争を生きのびてきた自分は死んだ人たちのためにどれだけの努力をしてきたのだろう」という反省の思いに駆られます。

アジア太平洋戦争の末期、1945年の夏、沖縄では、[鉄の暴風]といわれた激しい地上戦が3ヶ月以上も続いたあげく、日米併せて24万人の尊い命が奪われました。そのうちの約15万人、県人口の4人に一人が「地獄の戦場」に倒れました。私たち沖縄県民のほとんどは戦争犠牲者の遺族といって過言ではありません。

摩文仁岬の平和祈念公園の「平和の礎」には敵味方区別なく24万人余の戦没者の名前が刻まれています。6月23日には朝早くからたくさんの遺族や関係者が訪れて香華をたむけます。私も年中行事のように「平和の礎」に足をはこんで物思いにふけるのですが、「これほどの戦争犠牲者のためにこの国はどれだけの償いをしてきたのだろう」と考えこんでしまいます。

日本政府は、「戦後処理」として戦没者の遺族の経済的援護や慰霊祭などの精神的援護を行ってきました。とくに沖縄県では戦没者の遺骨収集と不発弾の処理は大きな戦後処理の継続事業として取り組まれています。遺骨収集だけでもあと40年、不発弾の処理にはあと80年はかかるといわれています。

ところで、沖縄にはもっと大きな戦後処理の課題が残っていることを忘れてはなりません。日本政府はこのことにはあまり触れたがりませんが、いま問題になっている普天間飛行場をはじめとする沖縄の米軍基地のほとんどは67年前の沖縄作戦で米軍が日本軍から奪い取った作戦基地であったという事実です。つまり、現在の沖縄の米軍基地の中心部は沖縄戦の負の遺産だということです。

ここで現在問題になっている沖縄の米軍基地の原点を確認しておきたいと思います。

私は、沖縄戦の特徴を次の五項目にまとめてみました。

第一に、沖縄作戦は日本軍にとって本土防衛のための時間稼ぎの捨て石作戦であった こと。

第二に、時間をかせぐために、陸・海・空における全面的な特攻作戦を展開して、住民をまきこんでの、長い激しい地上戦闘になったこと。

第三に、沖縄守備軍は現地自給方針のもとに一般住民まで根こそぎ動員して戦闘に参 加させた結果、軍人をはるかに上まわる住民犠牲をだしたこと。

第四に、軍民混在の戦場で、集団自決やスパイ狩りや食糧強奪、壕追い出しなど、日本軍と住民のあいだに忌まわしい事件が発生し住民犠牲をより悲劇的にしたこと。

第五に、沖縄を全面的に占領した米軍は南西諸島を日本本土から行政分離して、次な る作戦に備えて巨大な軍事基地を建設し、今なお占領状態が続いていること。

以上のように、現在の沖縄の米軍基地は、沖縄戦の負の遺産であって、戦後進駐軍によって建設された本土の米軍施設などとは違うのです。沖縄作戦で米軍が日本軍から奪い取った軍事基地がいまなお存在し機能しているということです。普天間飛行場だけではありません。極東最大の戦略空軍基地である嘉手納基地、ホワイトビーチ軍港、伊江島、国頭の訓練場、さらには沖縄本島周辺の海上射爆訓練場等々、沖縄全域で昼夜かまわず戦闘訓練の爆音をまき散らしているのです。

これらの米軍基地は、はじめは日本の軍国主義化を押さえ込む抑止力という名目で駐留を続けていたのですが、やがて朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン・イラク戦争などと、たえまなくつづく米軍のアジアにおける軍事行動の発進基地・補給基地・訓練基地として利用され続けたのです。

このような軍事植民地といった状態は40年前の本土復帰によってもほとんど変わりませんでした。それどころか、日本政府は日米安保条約をもちだして米軍の沖縄基地の継続使用を認め、思いやり予算までつけて米軍基地の維持・強化につとめているありさまです。

40年前の本土復帰は、米軍支配下の沖縄住民がねばりつよく島ぐるみの復帰運動を続けてきた成果でした。沖縄住民は米軍のきびしい圧力に抗しながらも一丸となって「核も基地もない平和な沖縄を返せ」と叫びつづけました。しかし、72年5月、ようやく悲願の本土復帰が実現したとき多くの県民は失望しました。日米沖縄返還協定は、27年におよぶ異民族支配から脱却して「平和憲法の下の平和な島」に生まれ変わろうとする百万県民の期待を無惨にも裏切ったのでした。

あれから40年目の慰霊の日を迎えました。今年は「平和の礎」の24万人の死者たちの前で、「基地の島・沖縄」のこの現状をなんと説明していいか心が重くなってきます。

しかし、これはわれわれ沖縄だけの問題でしょうか。「普天間」に象徴される現在の基地問題を「沖縄問題」だけに終わらしてよいものでしょうか。

戦争で傷つけられたこの小さな島で、国民が他国の軍事基地の重圧のもとで、米兵犯罪や爆音被害などで苦しみ続けている異常な状態を、「抑止力」という名の下に「甘受せよ」と押し付けてくるような国を国際社会ははたして一人前の主権国家として尊敬し信頼するでしょうか。この国が140万県民の悲願である「核も基地もない平和な沖縄」を一日もはやく実現させ、国際社会において信頼され尊敬されるような地位を獲得することを願ってやみません。


2012年6月20日水曜日

「大学の学校化」と「高等教育機関の多様化」

桜美林大学大学院大学アドミニストレーション研究科教授の山本眞一さんが書かれた論考「大学の学校化-時代とともに変わる大学像」(文部科学教育通信 No293  2012.6.11)をご紹介します。


大学は他の学校と別物?

数年前、私は欧米の研究者たちと協力して一冊の本をまとめたことがある。その折、編集者から照会があって、私が日本の大学のことを述べた原稿で「学校教育法」(School Education Law)と書いているのは、何かの間違いではないかと言ってきたことを覚えている。その背景には、大学と初等中等教育諸学校とは別物であって、それらを規定する法令も別、すなわちSchoolとは異なる法体系があるのではないかとの思い込みがあったらしい。そういえば、米国をはじめ多くの国では「高等教育法」やそれに類する法令体系があり、また国によっては大学を所管する政府機関が高等教育省や研究技術省のように、教育省とは別に置かれている場合も多いようだ。またわが国でも、戦前は大学令や小学校令など学校種ごとに制度が定められていた。今でも、高等教育局と初等中等教育局とは別フロアに置かれていて、教職員の世界もそれぞれ独自の雰囲気をもっていることは、皆さんご存じのことであろう。つまり、大学は「学校」というよりは、「学問の府」として取り扱われてきて、実態はともかくとして、制度上はこれが色濃く残っているのが世界の現状ではあるまいか。かの編集者からの照会はそのような状況の一端を見せるものであった。

わが国では、大学もその他の学校も均しく「学校」の仲間として、学校教育法という単一の法体系に入れられているものの、大学については研究機能も含めて高等教育機関として特別な扱いがなされている。大学の自主性の尊重から、学習指導要領や教員免許など国として統一された制度はないし、また法人化による変化があったとはいえ、教員人事における教育公務員特例法の精神はいまだに生かされている。しかしながら、現在の大学はわが国を含め、その性格の変化そして多様化が著しい。昭和38年の中教審答申の指摘、すなわち「象牙の塔よりも社会制度としての大学」論をはじめ、その後の大学審や中教審の指摘にあるとおり、これらの変化への対応は、大学改革の中心的課題であり続けている。また、進学率の上昇による高等教育の大衆化とそれによる変化は、マーチン・トロウの発展段階説によってその理論的分析がなされ、われわれ大学関係者にとって常識中の常識になっている。

私は、以前からこのような変化を捉えて、「文部省の霞が関化」、「大学の学校化」という説を唱えている。前者は、今なら「文科省の霞が関化」と言うべきだろうが、つまりは行政当局の大学に対する姿勢が、従来の「全国大学事務局」から霞が関の他の省庁同様の行政機関としての性格を強めつつあること、後者は大学を他の初等中等教育諸学校と同様に行政の対象として見なすことに通じるという「学校化」の現象であると言いたいためである。また実際、大学自身も「学問の府」から「学校」としての性格を強めつつある。前者についてはまた稿を改めて論じるとして、ここでは後者に関していくつかの変化を列挙してみよう。


既知の知識を教えるのが学校

第一に、学校は未知の知識の探求よりも確立された既知の知識の教育を旨とする。研究機関と異なり、学校の役割は、これまでに蓄積された知識を取捨選択して次世代の人々に伝えるところにその重要な役割があるからである。初等中等教育学校の教育内容を考えてみるがよい。そこでは学年や科目別に並べられた既知の知識を、教科書を使いながら教えている。大学においても実学系と呼ぶべき領域では大体がそうであり、国家試験や職能団体による資格授与と結びつくものも多い。例えば医師養成や法曹養成においては、レベルは極めて高度だとしてもそれぞれ実社会の営みに深く関わる職業であり、そのような意味では確立された高度な知識を教えなければならない。米国の大学院は研究能力を養成するグラデュエート・スクールと高度専門職に必要な訓練を施すプロフェッショナル・スクールに分かれており、わが国でも近年、専門職大学院制度が発足したのもこれら「学校化」の一端であろう。


教育内容・方法の規定

第二に、これと関連するが、学校では既知の知識を効率よく教え、人格の形成や人材養成の目的を達するよう、あらかじめ教える内容を体系的に分類整理して、これをマニュアル化しておくことが必要である。このことを担保する意味もあって、わが国では初等中等教育学校を対象として、教育課程の基準である「学習指導要領」が定められている。また、学習指導要領の趣旨に沿って教科書がつくられ、文部科学大臣の検定を受けなければならない。これらは教室における授業内容を決める重要な手段であるばかりでなく、関係者あるいは一般の国民に、それぞれの学校において何が教えられているかを周知する機能を持つ。大学については、これまで制度の外枠、すなわち単位の計算や授業科目の種類などについての規定が大学設置基準にあるのみであったが、近年、大学改革が大学教育の内容・方法に関心を移しつつある中で、たとえば2008年の中教審学士力答申や先般の大学教育部会のまとめでいう学生の学修時間の確保などに見られるように、学生が身につけるべき能力についての具体的検討が進みつつあるようだ。これが学習指導要領のようなものに発展するかどうかは分からないし、大学である以上、そのようなことはないとは思うが、大学設置基準の大綱化が行われたにもかかわらず最近細々した規制が増加しているところからみて、これも大学の「学校化」現象の一つであることは間違いあるまい。


組織体としての大学

第三に、学校はそこで教育に従事する教員に対し一定のルールを課し、組織的な活動が行われることが期待されている。なぜなら、教室での教育は教師と生徒の個人的関係のみで成り立つものではなく、教育の目的に沿って、学校として十分な教育サービスを提供しなければならないからである。未知の知識の探求を目指す研究機関にあっては、研究者の自主性が最大限担保されなければならす、したがって伝統的な意味での大学の自治の精神もここから来ているわけだが、学校という仕掛けを取る以上、大学であることに加えて、教育サービスを組織的に行う教育機関としての責任を負う必要がある。初等中等教育諸学校において学校長の権限と責任が重視されているのと同様、学長のリーダーシップの確立は近年の大学経営の大きな論点である。その点で言えば、教授会や評議会についても、大学の事実上の最高意思決定機関として教員たちの間で共有され続けてきた了解が、近年の制度あるいは運用上の改革によって、教育研究上の重要事項の審議に限定されてきていることも、この学校化の動きと無縁ではあるまい。

以上のほかにも、学校化を特徴づける変化はいるいるあると思うが、その変化が大学としてふさわしいものかどうかについては、識者の間でも意見が異なるようである。しかし、私が思うに、全ての大学がかつてのような学問の府としての性格を保ち続けることは難しいし、またそれは近年のグローバル化、知識社会化、教育の大衆化の中では、望ましいことでもない。一方で学問の府としての性格を色濃く残す大学があってもよいが、他方で国民の多様なニーズに的確に応えられる大学もあってよい。その意味で、大学の学校化は、高等教育機関の多様化と密接な関係をもっものである。先般取り上げた秋入学の論点の本質と同様、これからは「多様化」という視点で高等教育システムをより深く考察したいものである。


致知出版社
発売日:2011-09-16

2012年6月19日火曜日

意欲を引き出すマネジメント

日本私立大学協会私学高等教育研究所研究員の岩田雅明さんが書かれた論考「マネジメントの目的」(文部科学教育通信 No293 2012.6.11)をご紹介します。


管理者はなぜ必要なのか

前稿まで6回にわたり組織戦略について述べてきたが、今回からは深く考えることができ、迅速に行動を起こすことのできる組織づくりのための、マネジメントについて考えていきたい。

組織が成果を上げていくためには、状況に応じた適切な戦略と、その戦略を実行することのできる組織能力が必要だと言われている。大学の場合は、もともと知的レベルの高い組織であるから、戦略づくりは得意だが行動になかなか移していけないという悩みも多く耳にするが、寂しいことに、そもそも戦略自体が存在していないというところもあるようである。大学を統廃合して、その分、高等専門学校を増やすべきとの意見も出てくるというように、大学に対する評価が厳しい環境の中で、どうしたら有用な戦略をつくり、それを着実に実行していくことのできる組織となれるのか、そのためのマネジメントの在り方が課題となってくる。

まず考えてもらいたいことは、管理者は何のために置かれているのかということである。失礼な話ではあるが、皆さんの大学では、あの課長がいなくても業務は支障なく、同じように遂行できるよとか、むしろいない方が円滑に進むよというようなことはないだろうか。もしそういうことがあるとしたら、それは管理者としての機能を果たしていないことになる。管理者が置かれている理由は、組織を統率するためである。どのような目的で統率するのかといえば、それは構成員それぞれの力の総和以上の力を発揮できる組織にするために、である。そのような組織としていくために必要なことは、三つある。一つ目は構成員のベクトルを合わせること、二つ目は構成員の力を引き出すこと、そして最後が構成員の行動を引き出すことである。以下、順次述べていきたいと思うが、重要なことは「組織とは協力するための仕組みである」ということである。この点を忘れて、競争環境を志向した組織づくりになってしまうと、組織の最も大切な機能を失ってしまうことになる。近年、殆どの大学に導入されている評価制度や目標管理制度といったものも、この組織の最も重要な機能を踏まえて運用していかないと、失うものの大きい結果となってしまう。


ベクトルを合わせるために

組織はどのような時に一丸となれるのかといえば、一つは危機感を感じたときである。私がかつて所属していた大学は、開学してすぐに定員割れとなってしまった。その状態が何年か続いたため、最前線の広報スタッフ、そしてこれから大学に勤務していく期間の長い若手・中堅教員たちは危機感を強く感じ、一丸となることができた。ただし、危機感により一丸となるという状態は、どうしても組織全体ではなく部分的なものとなってしまう。「危機感を感じろ」と言っても、感じない人ほどの組織でも必ず相当程度いるものである。実際、私のいた大学でも定員割れが続いた状況にありながら、全く危機感を感じていない豪胆というか何といったらいいのか分からない人も相当数いた。また、危機感により一丸となった組織は、危機感がなくなると当然ながら一丸という状態も同じく消失してしまうことになる。そして、その後の展開は、また元通りの統一感のないものとなってしまう可能性が高いといえる。

では、何によって一丸となった状態をつくりだせたらいいのかというと、それは組織のビジョンによってである。教職員が働く喜びを感じられるような魅力的なビジョンを描くためには、四つの観点が必要と考えている。一つ目は、どのような価値を顧客である在学生に与えられるか。二つ目は、その大学ならではの特色・強みは何であるか。三つ目は教職員が満足感を持って働ける環境とはどのようなものであるか。そして最後は、社会に対してどのような価値を提供していけるか、ということである。この四つの観点を、既に述べた自学を知るためのSWOT分析や競合との特色・強みの比較、高校生、保護者といった顧客のニーズ把握、そして今後の社会の動向等を認識していくことで、大学のビジョンに盛り込んでいくのである。このようにしてつくられたビジョンを実現することができたならば、その大学は地域からも、教職員からも、そして何よりも在学生や受験生からも愛され、必要とされる大学となることができるのである。

ビジョンは描いただけでは無意味で、その実現に向けて組織が進んでいかなければ、当然ながら成果は出てこない。そのためには教職員がビジョンを受容し、共有しようという意思を持つことが不可欠である。共有できるようになるためには、ビジョンが魅力的であることも不可欠ではあるが、それに加えて日々、構成員がビジョンを意識して行動でき、その実現状況を認識できるような仕組みが必要である。それがないと、当初の意気込みも、時間の経過とともに薄れていってしまうからである。このため管理者には、描かれたビジョンを各部門の業務に落とし込み、それをさらに個人やチームの業務に落とし込んでいくことが求められる。そして、それを日々の業務執行の目標・基準とし、進捗状況や乖離を不断に点検・修正していくことが大切である。そうすることで初めて、組織がビジョンの実現に向けて進んでいくことができるのである。


構成員の力を引き出すマネジメント

組織の方向性を統一し、そこに向けて歩み出せるようになったならば、次に必要となるのは組織のエネルギーである。組織のエネルギーの源は、組織を動かしていく構成員、大学でいえば教職員である。教職員のパワーを十分に引き出せるかどうかが、ビジョン実現の可否や度合いに懸かっているのであるから、ここを管理することもマネジメントの重要な目的であるといえる。人間の力には、二つの要素がある。一つは意欲、もう一つは能力である。この二つは両方とも不可欠で、意欲だけ、または能力だけがあっても機能しない。両方を引き出し、高めていくことが管理者の重要な役割なのである。

前々稿でも少し触れたが、人間の意欲は欲求を充たそうとするときに生まれる。大学の教職員で考えるならば、マズローの欲求段階説でいう所属の欲求までは満たされているので、その上にある承認の欲求、自己実現の欲求を充たしていくことが意欲を引き出すためには必要となる。したがって管理者は、この点を意識して教職員のマネジメントに当たることが大切である。

承認の欲求ということでいうならば、承認には存在自体を承認することと、行動を承認することの二つがある。存在を承認するとは、その人がそこにいるという意義を、きちんと意識しているということを相手に理解してもらうようにすることである。その一例が挨拶である。その人が組織の大切な一員であるということを意識しているならば、きちんと相手の顔を見て、元気に挨拶をするであろう。そうすれば相手も自分の存在を承認してくれていると感じるはずである。存在を承認しているならば、パソコンを打つ手を止めず、相手の顔も見ずに挨拶をするなどということはしないであろう。また、存在を承認しているならば、相手のちょっとした変化、今日は体調がすぐれないようだなとかいったことに気付き、声をかけるといった行動が自然と生じてくるのである。このような些細なことの積み重ねが、意欲を引き出していくのである。



2012年6月18日月曜日

被災から前進するために

前宮城教育大学学長の高橋孝助さんが書かれた論考「被災一年後の教育-教育の「基層」に目を向けて」(文部科学教育通信 No293 2012.6.11)をご紹介します。


はじめに

私たちは、被災後間もなく再開された学校に、あるいは避難所からあるいは転校先からやって来た子どもたちが、友達・教師を見つけては無事を喜びあい、姿が見えない友達の安否を気遣う光景を何度となく目にし、彼らの心情に想いを致した。それは、学校が子どもたちにとってどんなに大事なものであるか、ここで得られる友達がどんなに大事なものであるか、教師がどんなに頼りにされている存在であるか、などを改めて私たちに強く認識させたのである。

後述するように、学校は関係者の懸命の努力により次々再開されたが、震災一年後の新学期の入学予定者について、仙台に本社を置く『河北新報』は、被災三県四三市区町村の「公立小中新入生13%減」という見出しで、例年は「横ばいか多くても年3%程度の減少」だったが、「津波による自宅の流失に加え、保護者の失業などにより転居を余儀なくされた子どもが多いため」、特に岩手、宮城両県では津波被害が大きかった自治体で減少が著しく、福島では原発周辺の自治体の多くは避難先での学校再開を迫られており、8町村では震災前の半数にも満たない、と報じた(平成24年4月1日付け)。このように、一年後の被災地の教育現場では、例年の「年3%程度の減少」から過去に例を見ない児童生徒の減少、これへの対応としての学校の統廃合、間借り校舎の継続、校庭の仮設住宅の定着、等々の動きが見られる。これらは、地域経済噂地域社会の復興の方向性・在り方と絡んで地域住民の強い関心を集めているのである。


震災前の地方教育

ところで、被災地域に限らず、震災以前の地方教育は、深刻な問題を抱えていた。以下に、簡潔に一般論として整理をしてみる。

過疎化・少子化は、言うまでもなく、大都市への一極集中・人の移動がこれと同時に進行していることである。農村部から地方都市へ、地方都市から大都市(地方拠点都市ないし中枢都市)へと人が移動する。地方都市からは若者の声が消え、活力が萎えていく。大都市には現代文化の厚みがあるが、地方に「箱物行政」の遺産はあっても文化をサポートする内発的力は多くない。少子化が進めば、小学校、中学校の統廃合が進み、PTA活動は停滞し、地域の教育力は衰退し、時には過度の学校依存・教師依存が生ずる。学校教育の「一部」を補完している「教育産業」はやがてこの地域から撤退するか規模を縮小する。学習環境は全体的に劣化し、次第に学習意欲は低下し学力も低下する。複式学級の導入も構想される。就労人口の移動だけでなく、特に学力の高い生徒の中には、交通の便さえよければ、都市のレベルの高い高校へ進学する。その結果、有力進学校は大都市中心に形成され、高校間の学力格差が生まれ、地方の高校の統廃合も進まざるを得ない。小学校を統合し、小中一貫校にすれば、児童生徒を輸送するための交通手段が必要になるのは当然として、送迎バスの運行時間に合わせるため、放課後の児童生徒の活動は制限される。保護者と学校との距離は広がる、等々。

被災地のすべてがこのようであったと言うのではないが、津波が襲った地域は、地域によって様相を異にしながら展開する地方教育のこのような一般的な趨勢の中に置かれており、教育に携わるものたちは、行政も教師たちも、このような中で、力を合わせて懸命な努力を重ねてきていたのである。被災地域の単なる復旧・復活がありえないのと同じく、被災地の教育の復興もまた創造的復興でなければならないことは言うまでもない。


「基層」としての義務教育

冒頭で述べたように、再開された学校で見られた光景、やむを得ず転校した子どもたちの元の学校へ戻りたいという願い、「友達に会いたい」「先生に会いたい」という子どもたちの願いを叶えてくれたところ、それが学校である。この学校の二階、三階、屋上は津波に追い立てられた子どもたちが寒さ、怖さ、心細さにさらされながら、空腹を抱えて、親や肉親の迎えを待ち続けたところである。多くの教師は子どもたちを安全なところに誘導した後、泥のかき出しや瓦礫の処理に全力を挙げて守り、予定よりも遅れてしまったけれど「希望をもって」「夢を捨てないで」と卒業生を見送ったところ、教師たちが離任式で子どもたち、保護者と別れを惜しんだところも学校である。言うまでもなく、保護者を含む地域の被災者の避難所になり、避難者は体育館にも教室にも子どもたちとともに、地域によっては同日も居住したのも学校である。地域住民も子どもたちも悲しみを分かち合い、励ましあったところも学校である(気仙沼市立校長会・気仙沼市教育委員会・宮城教育大学編『記録・東日本大震災被災から前進するために』写真)。

震災以来、「絆」という言葉を頻繁に耳にし目にするが、その場合「絆」とはまずはこうした光景に触発され、そこで展開される事実に共感するものを感じ提唱されたのであろう。全国に「絆」を広めていただく、「絆」という思想を普及していただくのは、その意味では絶好の機会というべきなのか。

ところで、宮城県の被災地域のある町の教育委員会が示した中学校の統合案に対し、保護者は一斉に反対し、PTA会長は「地域に学校があるということが、復興への希望となる」、「学校がなければ」、地域に戻ろうという「住民の意欲が失われる」と憤った、という(前掲『河北新報』)。教育の復興はともすれば、高等教育の復興、研究機能の復興、などの文脈で注目されることが多いように思う。科学技術創造立国を目指すわが国であるから当然と言えば当然であり、そのことに異議を唱えるものはない。とはいえ、先端研究を担う優秀な研究者や彼らを教育した教師にも義務教育の時期があり、それは数段・数年に至る教育の「基層」をなす時期と言うべきである。先端研究を担うような人も平凡な生涯を送る人も、みんなで日本の未来を担うのである。この時期に格差を生じさせてはいけない。その意義は、縷々述べてきたつもりなので繰り返さない。しかし、被災地の復興の状況はまことに厳しい。(続く)






2012年6月17日日曜日

大学改革に関する国家戦略会議の議論

去る6月4日(月曜日)に開催された国家戦略会議の議事要旨が公表されています。「大学改革」に関する部分について抜粋してご紹介します。

議事要旨全体はこちらをご覧ください。


平野文部科学大臣

先般、4月の戦略会議におきまして、総理の方から改革を報告するよう御指示をいただきました。
資料1を御参照いただきたいと思います。資源のない我が国におきましては、持続的に成長を遂げていくためには人材による力というのが非常に大きい。人材イノベーションの推進こそが日本の再生となるということで、私も4月以降、大学を約20校近く現場に足を運んでまいりました。
そういう観点で資料を見ていただきたいと思いますが、2つの大きな考え方に立って改革を進めたいと思っています。
(途中略)
2点目は、創造性あふれる人材育成のための大学入試の改革は急務であると思っています。単なる知識でなく、クリティカルシンキング能力を育てるということで、現代の共通語である英語は非常に大事であることも踏まえて、TOEFUL等も活用するなど入試の改革を進めてまいりたい。
3つ目、大学が、学生が自ら学び、創造性を発揮する場となるためには、大学における教学体制の改革が必要です。このために学生の欧米並みの学修時間を実現するとともに、社会ニーズに対応する学科等の再編をし、産業界との連携をより深めることを模索していきたい。
4点目、グローバル人材育成のための20代前半までに1割の若者、現在6万人ぐらいですが、11万人が海外留学等を含めて実体験することを推進するということです。高校生が英語での生活を送る英語キャンプ等の展開を図っていきたい。英語における授業の倍増など、国際化拠点大学への重点的支援を通じた大学の国際化を拡大してまいりたい。
5点目、これらの改革を進めていくために、大学のガバナンスの改革を進めてまいります。文部科学省におきましては平成25年に国立大学改革プランを作成し、国立大学ごとのミッションを改めて再定義し、社会的使命を明確化してまいりたい。国はこのミッションに応じてメリハリある支援や、1法人複数大学方式等の制度的選択肢を拡大します。これらを通じて機能強化に向けた大学間の連携、再編を促進してまいりたい。
6番目、我が国の学生全体の75%を私学が占めています。分厚い中間層を育成していく上で、この役割は極めて重要です。このため私学助成の基盤的経費としての基本的性格を十分踏まえつつ、私学の質的充実に向けた支援とメリハリのある配分を考えていきたい。また、設置認可から大学評価、是正措置にわたる質保証のシステムを確立し、大学全体の質の向上をしてまいりたい。
7点目、国際競争力のある研究大学群を育成強化し、世界で戦えるリサーチ・ユニバーシティを倍増します。また、地域活性化の拠点となる大学の機能強化を目指していく。
文科省としては日本を担う人材の育成のため、総力をあげてこれらの改革に取り組むこととしています。総理を始め、関係各位の御協力の下にしっかりと進めてまいりたい。


岩田議員(日本経済研究センター理事長)

まず大学の教育システム改革ですが、ここに書かれていない問題を申し上げたい。ポストドクターの問題は非正規雇用、つまりドクターは終わったが、研究の手伝いみたいな仕事をやっている30代後半あるいは40代の人が1.7万~1.8万人いる。その間にせっかく大学院までやったスキルがむしろ劣化してしまうという、人的資本が劣化する問題があります。
この問題は、日本が抱えている基本的問題、つまり高度成長のときは人材を企業が育てる余裕があったのですが、今はその余裕がなくなってきて、個人が、働く人が自分でスキルを身につけなければいけない、ところが、その個人が身につけたスキルと企業が欲するスキルが必ずしもうまくマッチしていない。ミスマッチの問題がこのポストドクターの問題ではないかと思います。
その観点からすると、私はイギリスの例を申し上げたことがあるのですが、文科大臣の資料の中にも入っておりまして、ナレッジ・トランスファー・プログラムという、企業のR&D活動に大学院生が週に1回行って参加する。つまり産業が必要としているスキルがどういうものかという、そこのミスマッチを解消する上で、こういうインターンシップというのはむしろ単位に積極的に組み込むような形でやっていったらいい。
私は大学にいたときに、ポリテクニックというフランスの大学校があって、これはエリート校ですが、私がたまたま専攻主任を大学でやっているとき、向こうから連携したいと言ってきた。留学生をお互いに交換するプログラムをやりたいと言ったのですが、うまくいかなかった。それはどうしてかというとポリテクニックの方が、学生を1年間派遣するわけですが、1か月の企業研修を要望してきた、ところが、日本にはそういうことをやる環境が全くない。
ですから、文科大臣の報告にもありましたが、海外のインターンシップということが書かれているのですが、海外から日本の企業がそういうインターンシップを受け入れるという、双方が必要ではないかと思います。
もう一つはグローバル人材ですが、明治時代にお雇い外人というものがあって、明治25年ぐらいまでは東京大学も相当外人の教師を雇っていました。そのときの試験問題は英語でやっています。加藤高明という有名な政治家で法学部出身ですが、法学部の試験は英語で答えが書いてあって、むしろ明治時代のときの方が、東京大学では英語でずっと授業をやっていたわけです。そのときの方がむしろ国際人材を育てたのではないかと思います。
その関連で言うと、文科大臣の報告で強調されていますのは、英語の入試についてTOEFLで私もいいと思うんです。なぜかと言うと、私は大学院で外国人の留学生の試験の中の項目に日本語もあるのですが、英語もあります。ところが、アメリカ人の留学生が英語で落第する。試験に受からない。それは非常に奇妙ですが、よく見ると英語の力を見ているのではなくて、実は日本語の能力がどのぐらいあるかという試験問題にどうしてもなりがちなんです。これは前から矛盾を感じていたので、むしろこういうグローバルスタンダードでやった方がいいと思います。


米倉議員(住友化学株式会社代表取締役会長)

日本の教育システムが本当に変わったということが実感できるようなメッセージを出すことが、非常に重要なことです。
(途中略)
もう一つは、大学における教育制度。これも改革はもとよりでありますけれども、研究開発の面においても基礎研究の分野に入るような研究について、大いに大学でやっていただきたい。日本の企業は基礎研究もやりますが、これは大きな科学の目で見ると応用研究に属するようなものを基礎研究と称してやっている場合も多いので、本当に日本の科学技術のレベルを支えるような、ノーベル賞学者がどんどん出てくるような研究開発をやっていただきたい。
グローバル人材の育成ですが、これは本当に官民あげてやるべきことだと思います。経団連では今年度から大学生で海外に留学したいという学生に対して、1人あたり100万円を支援するシステムをつくりました。初年度の支給対象者は34名になりますが、こうした取組みを大いにやっていこうと考えています。また、高校生への留学支援についても従来から実施しています。これは人数的には15人、7か国に留学していただく仕組みです。このような民間ベースの取組みが拡充するよう、政府としても考えていただきたい。


長谷川議員(武田薬品工業株式会社代表取締役社長)

まず、平野大臣が「目標を明確化し、PDCAサイクルで進捗をフォローアップする」と自ら宣言されたことを評価しますが、PDCAでフォローするに際して、実態を伴う形でやるために、いつまでに、何を、どこまで、だれがやるのか、といったことを是非工程表で明確に示していただきたいと考えます。
その観点に立てば、文章の末尾に「~の推進」であるとか、「~の適正化」という表現が多く見受けられますが、それでは成果目標が具体性に欠け、不適切と考えざるを得ませんので、もう少し自らをコミットするような形にしていただきたい。
米倉議員、岩田議員もおっしゃったように、すべての改革は待ったなしですので、もう少しスピード感を持っていただきたい。中でも国立大学、私立大学の問題について、平野大臣が説明されたように、「ミッションに基づいたメリハリのある支援」を行おうとするならば、例えば国立大学の運営費交付金はその大半が学生及び教員数に基づいて機械的、自動的に算定・配分されており、その趣旨に反すると思われます。やはり国立大学あるいは私立大学に対し、額は少ないにしても助成金を出すに際しては、ミッションなり目標を明確に設定させ、その成果に基づいたメリハリのある配分へ変更されることによって、初めて競争原理が働き、そこに切磋琢磨が生まれますので、是非そのような観点からご検討いただきたいと思います。
ただし、大学の統廃合あるいは合併、連携などに際して、地方の中核大学は地域活性化、あるいは地域に役立つ人材の育成という少し異なる観点での使命も担っておりますので、別途配慮が必要ではないかと思われます。
(途中略)
経産省の推計では、グローバル人材は向こう5年間で2.4倍のニーズがあるとの説明がありましたが、これに関しても現実は先行しており、既に国際化した日本企業は、日本に来ている留学生はもとより、海外における日本人および日本人以外の留学生、さらには直接近隣国の有名大学に出向いて学生の採用を行っています。このように、採用側のニーズに見合うような人材を必ずしも国内の大学で育成していないということが、学生がなかなか就職できないといったことに拍車をかけており、もはや待ったなしですので、改革を目に見える形でスピードアップしてやっていただきたい。その観点から言えば、米倉議員もおっしゃいましたが、目に見える一番いい例は大学の先生です。グローバル人材を育てようと思ったら、日本人の先生だけでできるはずがありません。いつごろまでに、何割ぐらいをノンジャパニーズにするということを明確に決めていただいて、さらに交付金とタイアップするなど何らかのインセンティブをつけて具体的にやっていただく必要があります。でないと、我々企業、特にグローバル化した企業としては、日本人で優秀な人を採りたいという気持ちは山ほどあるにも関わらず、ますますノンジャパニーズを採用する方向に向かわざるを得ません。対象は違いますけれども、国内バイオベンチャーに投資する先がないから海外ベンチャーを買収せざるを得ないということと理屈は同じですので、是非大学教員の改革もお考えいただきたいと思います。


野田内閣総理大臣

第一に、教育システムの抜本改革につきまして、本日、取組方針の御報告がございました。小中一貫教育制度の創設等による六三三制の柔軟化、国立大学の再編成や私立大学の質保障の徹底推進、世界で戦える大学の倍増など、教育改革は次世代の戦略的な育成の上で極めて重要です。
本日の議論も踏まえまして、平野大臣の下で改革の道筋を一層明確にし、数値目標や工程等について更に検討を深めていただきたいと思います。


2012年6月11日月曜日

「大学改革実行プラン」について考える


去る6月5日(火曜日)、文部科学省から「大学改革実行プラン」が公表されました。これは、昨年11月の政策提言仕分け「教育(大学)」における議論等を踏まえ、実効性のある大学改革をスピード感を持って推進するため、昨年12月に文部科学省内に「大学改革タスクフォース」が設置され、これまで議論されてきた結果をとりまとめたものです。

6月4日(月曜日)に開催された国家戦略会議においては、その基幹となる部分について、平野文部科学大臣より総理に対して説明が行われています。


詳細は、文部科学省のホームページをご覧ください。ここでは、「国立大学改革」に関し気になった3つの資料について抜粋してご紹介します。




平成24年度中に、国としての改革の方向性である「国立大学改革基本方針」が策定されます。
特に、「教員養成」「医学」「工学」のミッションの再定義(大学・学部の設置目的を明確化し、公的教育機関としての存在意義を「見える化」)が行われます。
そして、平成25年度半ばまでに、全ての大学・学部ごとにミッションを再定義し、改革の工程表「国立大学改革プラン」が策定されます。確定した改革プランを、平成28年度から始まる第三期中期目標・中期計画へ反映させることになります。




大学改革を促すため、「アンブレラ方式」など、大学の枠・学部の枠を超えた再編成についての検討が行われます。




政策目的を明確化し、人材育成上活性化が必要な分野や、当該分野におけるトップ大学と伍して高いレベルを維持している大学には、エビデンス(科学研究費補助金の採択件数、引用論文数、卒業生の進路等)に基づいた重点的財政支援が行われます。また同時に、既配分額の減額も行われます。


「大学教育の質を向上させる」ためには、まず「大学の存在意義を明確化する」ことが必要であり、その促進手段として、組織の再編成や重点的資源配分が行われるものであることを十分認識する必要があります。このことは、「大学改革実行プラン」発表後の文部科学大臣会見においても言及されています。


平野博文文部科学大臣記者会見録(平成24年6月5日)

(記者)
ちょっとまた大学に関係することなんですけれど、国立大学のミッションを再定義して、その上で再編等を進めていくということですが、場合によっては地域から大学がですね、あるいは学部がなくなるとか、そういったことも考えられてですね、地域にとっては反発・抵抗も予想されますけれども、これはそのクリアできるとお思いでしょうか。それともそのクリアするためにどういうふうに説得したり、対応していくとお考えでしょうか。 

(大臣)
これもこの後やりたいと思っていますが、やっぱりじゃあもう今あるものはずっとあるという考え方では物事っていうのは律しきれなくなっていく、来ておるわけですから、そこに存在するということは、それなりの価値がどれだけあるのかということも含めてしっかりとミッションを見直すと、こういうことだと思っております。したがって、そこから大学をどこかへ移していくとか、そういうことありきではありません。改めて本当に必要な大学であるかどうかということと、大学自身もそういうミッションを帯びて頑張っているというところがしっかり出てこなければ、私はいけないと思います。これやっぱり税金を投入しているところでございますから、そういう観点でこれからの時代に合った人材をどう輩出していくか、あるいはその地域にどれだけ開かれた大学になっているか、あるいは地域との連携が十分に取られている大学であるのか、ということを含めてしっかりそのミッションを見るということで、その中で統廃合という再編をどういうふうにする、そのことの方がその地域にとってプラスになっていくのかどうか、このこともやっぱり両面見ないといけない、こう思っていますから、具体的なやっぱり工程設計はこれから具体的に詰めていきたいと思います。

2012年6月1日金曜日

国立大学法人法の改正

先月(5月11日)、「独立行政法人通則法の一部を改正する法律案」と「独立行政法人通則法の一部を改正する法律の施行に伴う関係法律の整備に関する法律案」が、閣議決定・国会に提出されました。これは、「独立行政法人の制度及び組織の見直しの基本方針」(平成24年1月20日閣議決定)に基づくものですが、これに伴い、独立行政法人通則法を準用している「国立大学法人法」もあわせて改正されることになっています。平成26年4月1日からの施行が予定されており、今後、学内規則の整備など諸準備を進めていく必要があります。

主な変更内容は次のとおりです。


1 国立大学法人のガバナンスの強化が図られます。

1)国立大学法人の役員は、法令や法令に基づいて行われる文部科学大臣の処分、国立大学法人が定める業務方法書その他の規則を遵守し、国立大学法人のため忠実にその職務を遂行しなければならないこと、2)国立大学法人の役員・会計監査人は、その任務を怠ったときは、国立大学法人に対し、生じた損害を賠償する責任を負うこと、またその責任は、文部科学大臣の承認がなければ免除することができないこと、3)業務方法書には、役員の職務の執行が、国立大学法人法又は他の法令に適合することを確保するための体制等を記載しなければならないこと、などが明確にされます。

また、国立大学法人(役員、職員を含む)が、不正の行為、国立大学法人法や他の法令に違反する行為をした(又はするおそれがあると認める)ときは、文部科学大臣は、国立大学法人に対し、その行為の是正のため必要な措置を講ずることを求めることができること、国立大学法人は、文部科学大臣の求めがあったときは、速やかにその行為の是正その他の必要と認める措置を講ずるとともに、措置の内容を文部科学大臣に報告しなければならないこと、などが明確にされます。

さらに、国立大学法人の役職員の公正性を担保し、給与水準の説明責任を果たすため、国立大学法人の役員に対する報酬・退職手当は、その役員の業績が考慮されるものでなければならないこと、役員に対する報酬の額は、国家公務員の給与、民間企業の役員の報酬等を勘案して文部科学大臣が定める額を超えてはならないこと、などが明確にされます。


2 国立大学法人における監査機能の強化が図られます。

1)国立大学法人の監事は、文部科学省令で定めるところにより、監査報告を作成しなければならないこと、2)監事は、いつでも、役員・職員に対して事務・事業の報告を求め、又は国立大学法人の業務・財産の状況の調査をすることができること、3)監事は、役員が不正行為をした(又はするおそれがあると認める)とき、国立大学法人法その他の法令に違反する事実や著しく不当な事実があると認めるときは、遅滞なく、その旨を学長(当該役員が学長である場合においては、文部科学大臣)に報告しなければならないこと、などが明確にされます。また、監事の任期が2年から4年に延長されます。


3 中期目標期間の4年目終了時に達成状況評価が実施されます。

年度評価では、当該年度における業務の実績評価だけでなく、中期目標の期間の最初から当該年度末までの期間に係る中期計画の進捗状況についても評価が行われるようになります。また、第三期中期目標期間(平成28年度開始)からは、中期目標期間の最後の年度の前々年度(4年目終了時)には、中期目標期間の終了時に見込まれる中期目標の期間における業務の実績評価(いわゆる「暫定評価」)が実施されることになり、文部科学大臣の責任による確実な中期目標管理が強く求められるようになります。

文部科学大臣は、国立大学法人の中期目標期間の”終了時までに”、各国立大学法人の業務を継続させる必要性、組織の在り方その他その組織・業務の全般にわたる検討を行い、その結果に基づき、当該国立大学法人に関し所要の措置を講ずるものとすることが明確にされます。(現行の準用通則法第35条では「終了時において」という表現でしたが、今回「終了時までに」という表現に改正されることになり、今後は、国立大学法人の在り方に関する検討のサイクルが短縮されていくことが想定され、十分留意する必要があります。)


4 国立大学法人評価の客観性・公正性を確保するため、総務省に「行政法人評価制度委員会」が設置されます。

行政法人評価制度委員会は、1)必要があると認めるときは、国立大学法人評価委員会に対し意見を述べることができること、2)国立大学法人の中期目標の期間の終了時までに、当該国立大学法人の主要な事務・事業の改廃に関し、文部科学大臣に勧告をすることができること、また、勧告をしたときは、文部科学大臣に対し、その勧告に基づいて講じた措置について報告を求めることができること、などが明確にされます。このほか、総務省設置法の改正により、国立大学法人は、総務省の行政評価・監視の調査対象になります。


(参考)独立行政法人通則法の一部を改正する法律案等国会提出法案の詳細