2013年3月29日金曜日

人は自分の鏡

鏡の法則」(今日の言葉 No.717 2013年3月27日)を抜粋してご紹介します。


人の性格は一つで言い表すことは出来なくて、どんな環境にあるか、状況にあるか、誰と相対しているか、どんな心の状態にあるのかによって出て来る性格や態度、言葉が違ってくる。

鏡の法則と言われるように、相手を変えたかったら、自分を変えるべき。

鏡に映る自分の方が勝手に動いたら、かなりミステリー。

だからどんなときも変わるなら、自分からなのです。



誉めても叱りつけても、どのように接したとしても、人は、それに応じた育ち方をする。

子を見れば、親がわかり、部下を見れば、上司がわかり、社員を見れば、社長がわかる。

人が勝手にひとりで育つことはない。人が育てたように、育っている。

自分の回りにいる人は、自分の鏡である。相手がそうしているのは、自分がそうしてきたから。

相手が本気にならないのは、自分が本気になっていないから。

怒らないとやらないのは、怒ってやらせてきたから。

まわりが助けてくれないのは、自分がまわりを助けてこなかったから。

部下が上司を信頼しないのは、上司が部下を信頼してこなかったから。

収入が少ないのは、価値を与えていないから。

つまり、得るものを変えるためには、まず与えるものを変えれば良い。

他人を変えたければ、自分を変えれば良い。

人を育てたければ、自分が育つ姿を見せることである。


2013年3月28日木曜日

ひたすら見守る

野球評論家の工藤公康さんが書かれたコラム「子供たちの「遠回り」 見守るだけの私」(2013年3月26日 日本経済新聞)をご紹介します。


私は厳しくしつけられて育ちました。食事をするときは正座でしたし、おはしの持ち方が少しおかしくても怒られました。5人兄弟の4番目で、小さいころは新しい服を買ってもらった記憶がありません。そのころ、子供心ながらに誓ったことがあります。「大人になって息子や娘が生まれたら、全員に分けへだてなく物を買ってあげられるような大人になろう」と。

今は2男3女に恵まれ、一番下の息子を除いた4人が高校を卒業しました。彼ら、彼女らの成長を見守ることができている今、心からの生きがいを感じています。

ただ、子育ては本当に難しい。それが実感です。成長するにしたがい子供なりの悩みや葛藤が出てきます。もちろん、私自身にもあったことで、親に相談できない悩み事もありました。

年ごろになれば友達との関係の方が大事に思えるもので、わずかなきっかけで道を外す危険性もあれば、逆に夢や目標を強く持って頑張れるようにもなります。

厳しさこそが大切。21年前、初めて長男の阿須加(あすか)を授かった時はそう思っていました。親からされたしつけを、そのまま子供にすることが「教育」。

それがあまりに一方的な押しつけであることに気付いたのは、3番目の子供である次女が4歳になったころでした。私は親からたたかれることで、悪いことは何かを教えられました。

それと同じことを次女にした時、急に心が痛くなったのです。泣きじゃくる娘を前に、これほど愛している子なのに、私は手をあげている。反省と後悔の思いがいっときに胸に流れ込んできました。なぜ私はたたいてしまったのか……。

私がプロ野球選手だったせいか、息子、娘たちも小さいころからスポーツをしています。今、プロの選手になっているのは、20歳になるゴルファーの長女・遥加(はるか)だけです。彼女がまだ小学生のころは、1年の半分も自宅に戻れず、会話の時間さえ十分に取れない状態でした。

それでもオフシーズンになって私がゴルフの練習に行くと遥加がついてきてくれました。別に大した会話をしたわけではありません。ただ、遥加は自然にゴルフがうまくなり、今、厳しい世界で自分を磨いています。彼女にも、私と同じような苦悩がこれからたくさんあるでしょう。どうか自分のことを信じて進んでいってほしい。そう願うばかりです。

21歳になった阿須加は私が1999年オフにダイエー(現ソフトバンク)から巨人に移籍してからテニスをはじめ、あっというまにのめり込んでいきました。そんな息子がテニスの強豪高校に行きたいと言い出しました。私には彼の実力がどれほどのものかわからなかったのですが、大阪の高校に入学できました。

合宿所に入ってテニス漬けの日々。そして、限界まで自分を追い込んだ結果、肩を壊しました。実家に戻った息子が肩の痛みをこらえていたのが、私にはわかりました。医師に診ていただいたところ、「もう少し続けていたらテニスができなくなっていたよ」。本人は相当ショックだったようです。

その後、再びテニスに打ち込む生活に戻ったのですが、疲労性の目まいなどで入院することになり、妻とも話し合ってつらい結論を出しました。「これ以上テニスを続けても、高校に迷惑をかける。やめるしかない」。ただ、その後、阿須加は千葉の高校に転校しプロテニスプレーヤーを目指すと強く言っていました。それが今では東京農業大学に進学しています。

きっかけは「奇跡のリンゴ」で知られる農家の木村秋則さんの講演を聴いたことでした。今は農業の流通について学ぶ一方、俳優としても一生懸命汗を流しています。

子どもたちと過ごして痛感したことがあります。それは同じ一日でも、24時間が過ぎ去る速度は子どもたちの方がずっとゆっくり流れている、ということです。失敗も成功も経験した大人は、つらい思いをさせまいという気持ちが先走り、とかくレールに乗せようとするものですが、未来を決めるのは子供本人なのです。

大人ができるのは、せいぜいアドバイス程度。もし、「何がしたいか僕にはわからない」という状態だったら、一度社会に出て、世の中を見てから人生の方向性を決めてもいいと私は思っています。

子供には「今この時」を大事にしてほしい。「やりたいこと」を見極めるには、時に遠回りをもあるはずです。でも、そのもどかしい時間が肥やしになって、初めて子供なりの「やりがい」が生まれてくるのではないでしょうか。

私は勉強ができる方ではありませんでした。家も豊かではなく、ノートも満足に買ってもらえませんでした。だから鉛筆で書いては消し、書いては消しが普通。野球をすることでしか生きていくすべがない、と思っていました。だからこそ、息子や娘には自分が本当に好きで夢中になれることを探してほしいと願うのです。

現時点でそれがないのなら、1年や2年、アルバイトをしながら世間の風に吹かれて見つければいい。世界を旅して見聞を広げてもいい。本当にやりたいことが見つかったとき、誰かの押しつけではない真の努力というものを学ぶでしょう。「やりたいこと」「なりたい自分」がないまま、ただ周りに流されて大学に進学して、それで人生が楽しかったと思えるのでしょうか?

4番目の子(3女)の話です。通っている高校の進学相談があり、私と妻と娘、それに先生2人で面談しました。

先生は「今の成績では、これから勉強を頑張ったとしてもこの辺の大学でしょう」とおっしゃる。こちらも「そうですか」となりますが、本人には入りたい大学があったのです。

長い面談の終わりがけに、私は少し話をさせてもらいました。「そのご指摘はわかります。でも私が知りたいのは娘がどうすれば変われるのか、なのです」。例えば、レベルの高い大学に入りたいのなら、まずは専門学校に進んで勉強し、それから大学進学を考えてみたらどうか、といったような言葉が欲しかった。

うちの子に限らず子供たちには驚くほどの潜在能力が眠っています。数字で輪切りにするのでなく、若者の可能性をいかに引き出していくのか。しんどい作業でしょうが、難しい時代だからこそ学校教育に求められている気がします。

工藤家は常に私中心に回っていて、子供たちには本当に苦労をかけてきました。私がチームを移籍するたびに学校も変わり、仲の良かった友達と分かれ、また最初から新しい人間関係をつくることになりました。それでも愚痴ひとつ漏らしたことがありません。

5人の子供たちに、どれだけやりたいことをやらせてあげられたのか、と考え込むこともあります。だからこそ思うのです。1回しかない人生でチャレンジしたいことがあるなら、親が一歩踏み出す勇気を与えてあげよう、と。子供の人生が後悔の少ない、充実感にあふれたものになるにはそれしかないのではないか。時にハラハラしながら、ひたすら見守る。ダメな部分も含め、じっと見続ける。私はそれこそが親としての自分の役割だと信じています。



2013年3月18日月曜日

報道の姿勢

教育評論家の梨戸茂史さんが書かれた「退職金騒ぎ」(文部科学教育通信 No.311 2013.3.11)をご紹介します。


退職金引き下げで地方公務員、特に教員に駆け込み退職者が続出したことを巡って、議論になっている。典型的な例が埼玉県。2013年2月からの退職金引き下げを決め、100人以上が1月末で辞める問題。

報道によると、埼玉県の標準的な教職員の例では、早く辞めると年度末の3月末より、退職金が140万円多くなるとか。3月まで働いた場合の給与分が失われるがそれを差し引いても、58万円多い計算となるそうだ。これを大きいと見るかどうか。個人的な観点から言えばこれは「大損」の部類でしょう。

これに対して、駆け込み退職をすることについて、批判が起こった。典型例は下村文科大臣。大臣は、クラス担任らがいるとして「決して許されない」と言ったとか。やれやれ。いろいろな発言がある。当人が精神的に一番こたえそうなのは、「生徒を放り出した」という批判。反対に「センセイも人の子」という意見もなきにしもあらず。NHKのキャスターは「こういう現象を生むような引き下げのやり方が悪い」といったニュアンスの発言をしたとか。正論かも。

これらの批判について、ネット上でも、「確かにこういう見方もあるな」などと共感の声はある。しかし、現場の公務員だけに責任をなすりつけることや、そもそもこういった事態になるだろうことの「想定」はなかったのか。報道は、想像力に欠ける「典型的な小役人」と批判したいのか。もっとも総務省の強い”指導”があったからかもしれない。「そもそも退職金制度を猶予期間も置かずポンといじること自体がおかしい」とか「これは結局はそうなるだろうと想定してなかったのが問題」やら「先生にも人生とか生活があるんだもの」という同情もある。皮肉な?視点からは、(嫌いな先生なら)「生徒もかえって清々する」とか「教師たちの最後の教えなのかもしれない」(反面教師論?)といった見方もあるそうだ。

現場への影響について、埼玉県教委は、駆け込み退職する教員については、臨時任用職員で補うめどがついたと言う。病欠などに備えた教職希望者が多数登録しているのを活用する。子どもたちへの影響が少ないように、担任については、校内で担任をしていなかった教員をあてがうようだ。担当者は、「校長からの慰留はあったはずで、最後までやってほしかったという思いはあります」と言う。「辞める先生にも、個々に事情があると思いますので、強くは言えません」とは現場の感覚ですよね。

でも、ちょっと待ってよね。報道の姿勢は正しいか?「子どもを置き去りにする悪い先生」という結論ありきの記事だったのではないか。これではまるで大本営発表とそのお先棒を担いで戦争に引っ張っていった昔の新聞と同じではないか。客観報道をめざし正義をかざすなら、事実を淡々と語るべきであり、仮に意見を言うなら両者の言い分を公平に示して、その上で新聞社としての意見を述べ、世論の批判を受けてたつべきでしょう。さらに、新聞も三面では「住宅のローンを抱えておりこの損失は少なくない」などという実際の教員の意見を載せたりしているから”悪質”だ。

他の公務員はこんなケースはないのかな?消防や警察官はどうでず?一般職は?センセイだけ批判するならへンですよね。さらなる後日談は、あんまり騒がれて、「退職取り消し」という先生も出たそうだ。それまたマスコミの圧力ではないか?いろいろ何度も記事が書けて紙面が埋められ良かったですね。

なんだか騒々しい騒ぎだったけれど、ちょっと時間がたったら誰も言わない。話題が下世話で、人の「ふところ」という嫉妬が絡むお話。マスコミは、「正義の味方」ぶって清々しだかな?

(以下は私見です。)

下世話ついでで恐縮なのですが、そういえば、国立大学法人でも例年より多くの方が年度途中の昨年末で辞められましたね。退職金の減額だけが退職の理由ではないのでしょうが、文科省から天下っておられる理事や事務局長も含まれていました。

高給取りなので減額幅も大きいでしょうし。でも文科省のお計らいにより、皆さん立派に私立大学等へ渡っていかれたようです。

こういった文科省ムラの特待生の方々には、早い時期から退職金減額の情報が伝えられ、渡り先の斡旋も行われていたとのうわさ話もありましたが、事実のほどは・・・。


2013年3月16日土曜日

美しいスポーツマンシップ

ブログ「ニューヨークの遊び方」から「WBC日本対台湾戦の素晴らしさ」をご紹介します。


延長10回4-3で日本が勝利し、アメリカの報道でも「信じられないほど良い試合」とか「過去2回優勝したチャンピオンとしての誇りと決意を日本人選手から感じる」などと報じられた8日のWBC日本対台湾戦。

その素晴らしい試合内容に加え、負けた台湾チームやファンの方々から日本へ向けられた心あたたまる言動に、今、インターネット上で大きな感動が広まっています。(続きはこちらをどうぞ)


試合に敗れて、このお辞儀の深さ・・・


2013年3月15日金曜日

官民イノベーションプログラム

平成24年度補正予算に1,800億円計上された「官民イノベーションプログラム」が動き出しました。

このプログラムは、大学や科学技術振興機構(JST)に対して国が出資を行い、研究成果を経済再生に活用し、利潤に応じて国庫納付を行うもので、”成長による富の創出”のための国の新たな試みです。

このたび、出資にかかる審議を円滑に進めるため、国立大学法人評価委員会に「官民イノベーションプログラム部会」が設置されることになりました。

大学に対する出資事業の予算は1,200億円。各大学は、出資金と企業等からの3分の1から2分の1程度の費用負担を得て、実用化に向けた共同研究を実施して5~10年で事業化を行い、最終的には付加価値を共同出資企業に売却。リターンが生じた場合は一定割合を国庫納付することになっています。

支援を行う研究は数十億から百数十億円程度の20課題ほどを想定しており、これまでの高い(共同)研究実績、研究室単位を越えて大学レベルで研究者の組織化が可能となる多様性、共同研究事業をきめ細かに支援する外部の専門人材の確保等を満たす東北大学、東京大学、京都大学、大阪大学の4大学が出資対象として想定されています。

また、JSTに対する出資事業の予算は600億円。国公私立すべての大学等を対象として優れた研究成果の企業化を加速します。支援は、3~50億円程度の20課題ほどが想定されています。(出典:文部科学教育通信 No311  2013.3.11)


(関連資料)

2013年3月14日木曜日

大学図書館の役割

筑波大学大学研究センター長の吉武博通さんが書かれた「教育研究と大学運営のあり方と関連づけて大学図書館のあるべき姿を追求する」(リクルートカレッジマネジメント 179 /Mar.-Apr.2013)を抜粋してご紹介します。

全文をご覧になりたい方は、こちらをどうぞ


教育改革全体の枠組みの中で図書館を考える

大学設置基準は第38条において、図書、学術雑誌、視聴覚資料その他の教育研究上必要な資料を、図書館を中心に系統的に備えるものとしたうえで、図書館はこれらの資料の収集・整理・提供を行うほか、情報の処理・提供のシステムを整備して学術情報の提供、他の大学の図書館等との協力に努めるものとし、これらの機能を十分に発揮させるために必要な専門的職員その他の専任の職員を置くことなどを定めている。

このことを踏まえたうえで、大きな構造的変化の中で、大学図書館が如何なる役割を果たすべきかについて、教育・学習と学術情報の2つの視点から考えてみたい。

科学技術・学術審議会の学術情報基盤作業部会は平成22年12月に「大学図書館の整備について(審議のまとめ)-変革する大学にあって求められる大学図書館像-」をとりまとめ、その中で、大学図書館に求められる機能・役割の第一に「学習支援及び教育活動への直接の関与」を挙げている。具体的に示されているのはラーニングコモンズ、レファレンスサービス、情報リテラシー教育である。

24年8月の中央教育審議会答申「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて」においても、主体的な学修を支える図書館の充実や開館時間の延長などが課題に挙げられている。

このような方向に沿った取り組みとして最も注目されているのがラーニングコモンズである。公立はこだて未来大学国際基督教大学が早くから同趣旨の取り組みを開始していたことは周知の通りであり、その後、お茶の水女子大学東京女子大学などでも開設され、次第に広がりを見せつつある。

学生支援GPにも採択された東京女子大学の「マイライフ・マイライブラリー」は、図書館のフロアを改修してラーニングコモンズにふさわしいハード面の整備と併せて、学生スタッフが学生を支援する学生協働サポート体制、情報リテラシー講習などの学習支援プログラムといったソフト面の整備も行っており、学生からの評価も高く、入館数も大幅に増加しているという。

これらの先進事例がある一方で、多くの場合、ハード面の整備だけが先行し、機能やコンテンツなどのソフト面が追い付いていないとの指摘もある。自学自習や共同学習に対するサポートシステムの整備に加えて、情報リテラシー教育やアカデミックスキル育成などの機能を充実させていくことで、ラーニングコモンズ導入を契機とした学習の場としての図書館の構築を進めていく必要がある。

そのためには、新たな状況や要請に対応して図書館をどう変えていくかという図書館を起点とした発想と、教育の質的転換が強く求められる中、全学的な教育の枠組みの中に図書館をどう位置付けるかというもう一方からの議論を十分に噛み合わせることが不可欠である。

学部数が少ない比較的小規模の大学にラーニングコモンズの先進事例が見られるのもこのことと無関係ではないと思われる。図書館へのアクセスなど利用しやすい物理的環境もあるが、これらの大学はそれぞれに特色ある教育方針を具体的かつ明確に打ち出しており、図書館における取り組みがその方針に沿って整合的に機能・展開していると評価することができる。

ラーニングコモンズが担うべき機能の重要性が、大学教育において一層増していくことは明らかである。それらの全てを図書館が担う必要はないし、現実的でない場合もあるだろう。重要なことは、ラーニングコモンズの本質が広く理解され、大学における教育改革の議論に図書館が組み込まれることである。そのうえで、大学の規模、学問分野、キャンパスレイアウトなどを踏まえた自校にふさわしい図書館のあり方を描く必要がある。

図書館運営の課題は大学運営の縮図

これまで述べてきた通り、大学図書館が直面する課題は大学の教育や研究の根本に関わるものが多く、多様な学内外の関係者との連携を含めた戦略的な取り組みが従来にも増して強く求められている

その一方で、国公私立を超えて大学経営は厳しさを増しており、利用者サービスの維持・向上を図りながら、図書館経費を抑制するための外部委託も拡大し、前述の通り専任職員を中心に人件費削減が進んでおり、この流れが当面続くものと思われる。

図書館に限らず大学全般にいえることだが、教育研究に直接関わる教員の人件費を維持しながら、職員人件費を削減することで、総人件費抑制を図る傾向が強く、職員中心に運営される図書館にそのことが象徴的に表れていると見ることもできる。また、図書館には運営委員会はあっても学部教授会のような組織はなく、法人理事会や大学執行部が考える施策を実行しやすいという面もある。

また、図書館業務を受託する企業も増えており、それぞれに能力と実績を蓄積しつつある。これらの企業には司書資格を有する社員も多く、企業間で厳しく競い合っている状況から、外部委託が機能の低下に直ちに繋がるとは考えにくい。その逆に、委託以前に比べて利用者サービスが向上したとの評価もあるという。

ただ、専任職員が1名や数名で他は全て受託企業社員というケースも増えており、業務委託契約であることから指揮命令もできず、戸惑いを感じている職員もいるものと思われる。外部委託を行う場合、検討段階から図書館職員を参画させるなどして、目的の明確化と共有を図るとともに、業務分担の最適化、委託後の連携のあり方などを十分に詰めておく必要がある。

大学や図書館の規模などにより状況は異なるが、司書資格の保有にとどまらず、高度な専門性を有し、図書館を巡る国内外の動向にも精通した職員は少なくない。本稿執筆にあたって関連文献を参照したが、執筆者の多くは図書館職員である。

言うまでもなく、専任職員の意識や知識・スキルには個人差があるが、高度な職務遂行能力を有する職員を、図書館という組織や物理的空間に閉じ込めず、全学的な改革検討の場に参画させ、その能力を大学として最大限に活用すべきである。

情報リテラシー教育やアカデミックスキル育成を正規科目とし、例えば講師の肩書を付与して図書館職員に担当させてもよい。さらには、教員か職員かという従来の枠組みを超えた新たな職務類型の専門職員制度(例えばadministrative faculty)導入の先駆けとして、新たな図書館員制度を検討することも考えられる。

大学図書館を巡る問題から、現在の大学教育や学術研究を考える新たな切り口が見えてくる。また、図書館運営の課題は大学運営の縮図でもある。これらの問題を図書館関係者だけにとどめず、法人・大学全体で共有することを願って稿を括りたい。



2013年3月13日水曜日

ありがとう、NYのトモダチ

ブログ「ニューヨークの遊び方」から「NYの東日本大震災追悼式典「TOGETHER FOR 3.11」詳細情報」をご紹介します。


あの日から2年。ニューヨークで開催された東日本大震災の追悼式典「TOGETHER FOR 3.11」へ・・・。

ニューヨーク在住の日本人だけでなく、米中枢同時テロの遺族や日本にトモダチがいる米国人など約550人が参加。会場は、昨年と同じく、アッパーウェストの68丁目とCentral Park Westの交差点にあるFirst Church of Christ, Scientist教会です。(続きはこちらをどうぞ


NY在住の日本人だけでなく米中枢同時テロの遺族や
日本にトモダチがいる米国人など約550人が参加


2013年3月12日火曜日

国立大学の国際化戦略

国立大学の国際化に関し、次のような記事が目にとまりました。


2020年までに留学生倍増 国立大全体で初の数値目標(2013年3月9日 日本経済新聞)

国立大学協会(会長・浜田純一東京大学長)は8日、東京都内で総会を開き、2020年までに全国立大86校に在籍する外国人留学生の割合を現在の約2倍の10%に引き上げることを柱とする国際化目標を決めた。各大学が連携して留学の受け入れ・派遣の促進などを加速し、グローバル人材の育成や国際競争力の向上を目指す。

国立大全体で国際化の数値目標を示すのは初。20年までに、海外留学する学生・大学院生の割合を全体の5%と現在の2倍にするほか、現在は3%にとどまっている外国人教員比率や、英語で行う授業数(約1万2千科目)も倍増させる。

同協会は、昨年春に東大が秋入学への全面移行構想を打ち出したのを受け、国際化の推進策を検討してきた。各大学は目標の達成に向け、秋入学の導入検討や授業改革、留学生支援、奨学金の充実に取り組む。同協会も財政支援の充実などを国や産業界に要請する。


どういうことなのだろうかと、国立大学協会のホームページ(会員専用サイト)をのぞいてみたところ、総会の資料の中に、「教育・研究委員会」からの報告資料があり、「教育改革に係る国立大学の国際化について」として、「これまでの検討結果として、国立大学全体として大学の国際化に積極的に取り組んでいくことを確認し、教育の国際化を更に推進していくために取りまとめた」と説明された資料が添付されてありました。

この資料は、現在では、国立大学協会のホームページにおいて、以下のように公表されています。


国立大学における教育の国際化の更なる推進について(平成25年3月8日国立大学協会教育・研究委員会)

2013年3月10日日曜日

東日本大震災被災地の皆様へ




小さな鳥が 歌っているよ
ぼくらに朝が おとずれたよと
きのうとちがう 朝日がのぼる
川の流れも かがやいている
はじめの一歩(いっぽ) あしたに一歩
今日から
何もかもが 新しい
はじめの一歩 あしたに一歩
勇気を持って大きく 一歩 歩き出せ


信じることを 忘れちゃいけない
必ず朝は おとずれるから
ぼくらの夢を なくしちゃいけない
きっといつかは かなうはずだよ
はじめの一歩 あしたに一歩
今日から
何もかもが 新しい
はじめの一歩 あしたに一歩
生まれ変わって大きく 一歩 歩き出せ


2013年3月9日土曜日

国立大学の二極化

諸セミナー等における活発な発言により存在感を示している国立大学の学長経験者のひとりに、元三重大学長の豊田長康さんがおられます。

現在は、独立行政法人国立大学財務・経営センターの理事長をされており、学長時代から続けているブログ「ある地方大学元学長のつぼやき」や、ツイッターを通じた積極的な情報発信を続けておられます。

最近印象に残ったブログ記事としては、
があります。読んでいただくとわかりますが、「大学間の格差」についての危惧を示されています。

なかでも気になったのは、国の政策担当者、つまり文部科学省の役人の地方大学軽視の意識です。

最近、文部科学省が示した「大学改革実行プラン」をテーマとするセミナーやシンポジウムが、国公私立大学を問わず各地で盛んに開催され、文部科学省の担当者が基調講演やパネリストとして参加しています。

いくつかのものに参加しお話を聞く機会がありましたが、どうも、文部科学官僚という役人としての「上から目線」や「頭ごなしの改革」がちらついているような気がしてなりません。

これまで、各大学の真の改革を促すような政策を本当に十分にやってきたのか、度重なる高等教育政策失敗の責任をしっかりと検証し総括しているのかなど、大学人としては疑問符ばかりの政策を担当する方の話が、単なる評論家のように聞こえ、失望しているのは私だけでしょうか。

国の政策担当者である以上、まずは、我が国の高等教育の未来図を国民にしっかり示した上で、具体的な改革手法である政策を説明しなければ説得力はありません。

霞が関や虎の門という特殊な世界にのみ通用する常識を、そのまま地方に押し付けようとしても全く通用しないことを自覚し、政策の中心目線を常に現場に据える意識を持ち続けていただきたいと思います。

「地方の若者は地方以外のことを学べない」ということにならないよう、しっかりと我が国の高等教育の舵取りをしていただきたいと思います。