ブログ「今日の言葉」から「沈む夕日に」(2014-12-26)をご紹介します。
初日の出を拝むよりも前に、
大晦日の夕日に感謝を表しましょう。
いよいよ年の瀬が近付いてきました。
この時期になるといつも思い出すのがこの言葉です。
上る朝日、初日の出をありがたく拝むことは多いでしょうが、
その日一日をしっかり照らしてくれた太陽への感謝を表すのが、
沈む夕日をありがたく拝むことなのだと思います。
ありがたいとは、「有り難い」と書く。
すなわち「有る」ことが「難しい」ものであり、
当たり前のものなんて何もないんだということ。
心臓を始めとする内臓器官も見えないけれど、
不平不満も言わずに毎日頑張って働いてくれているからこそ、
私たちの日々の命の営みとなっているのですね。
感謝の棚卸しをしてみましょう。
心にオアシスを持って。
お おかげさま
あ ありがとう
し しあわせです
す すみません
2014年12月31日水曜日
2014年12月30日火曜日
まず自分を磨け、自分を成長させろ
「自分を再教育できない人はお荷物になる-アサヒグループHD社長 泉谷直木氏」(PRESIDENT 2012年2月13日号)をご紹介します。
己の中心に理念や哲学はあるか
私は新しい人材育成論を展開しようと思っている。従来の育成論が「あるべき論」であったのに対し、会社が社員に求めている能力を役割、等級にわたって絶対値で示すのだ。
経営目標を達成するためには機能と能力の両方が必要である。経営者がそれを明確に示し、社員がキャリア開発に取り組む。それらが適合したとき、初めて社員と企業の成長が一致するが、現在の人材育成論は両者が噛み合っていない場合が多々生じている。
たとえば、グローバル人材にはどういう能力が求められるのか。それを考えるとき、グローバルの現場も知らず本社の机の上で「かくあるべき」という議論をしてもまったく意味がない。
グローバル企業の経営者と日本企業経営者の違いを見てみると、前者は常に経営課題を明確に認識し、意思決定が戦略的できわめてスピードが速い。グローバル人材はそんな経営者と渡り合う、あるいはその下で働く人である。まずこの点を押さえなければならない。
一方で相手企業の歴史や風土、文化をよく理解して違いを受容する能力も必要である。さらに、もし我々が相手を買収したケースでは、違いを受容しつつ我々の理念を組織に浸透させなければならない。とくに幹部層として赴く場合には、株主としての立場とビジネスパートナーとしての立場、一緒に思考していく立場という3つの立場に1人で立てなければいけない。
「国際感覚が豊か」「戦略構築力がある」といったありきたりの言葉ではなく、どこにいるときはどういう役割でどんな素養が必要かと具体的な基準を定めていかなければ、せっかくの人材を送り出しても「海外では使い物にならなかった」という事態も起こりうる。別の言い方をすればミッションを明確に与えないまま「おまえ、何とかしてこい」と全部個人任せにしてはいけない、ということだ。
グローバルに出ていくと初めての部下、商品、お客様を相手に仕事をすることになる。国内で慣れた部下、商品やお得意様と仕事をするような、いわゆるコンフォートゾーンでするような仕事は許されなくなってくる。常に自分自身を再教育し、イノベーションを起こしていく意欲が必要だ。しかも、その中心にはわが社の理念、哲学という柱がなければいけない。
そうした意欲のある人に、より多くの支援を提供するのは当然だろう。日本人のチャンス論は棚からぼた餅式で何の努力もせず「私は恵まれていない」という人が多いが、機会をつかまえるのは個人の能力である。私はどんどん機会を提供するので、社員にはどんどん手を挙げてほしい。
刺激を与えていかないと組織は平均化してしまい、競争に勝てない。勝つためにはいろいろなところにずば抜けた力を持つ人間をつくる必要があり、各部門に私よりできる人がいっぱいいるのが私の望みである。十種競技なら私の点数が一番高く金メダルを取るかもしれないが、個々の種目においては私よりもっと高い記録を出す人がいる。そんな集団が一番強いのだ。だから、各部門で私を超える社員をつくることが私の社員教育の基本方針である。もしすべての種目で私を超える人が現れたら、その人に社長の役割を渡そう。
成長している上司の背を見せよ
己の中心に理念や哲学はあるか
私は新しい人材育成論を展開しようと思っている。従来の育成論が「あるべき論」であったのに対し、会社が社員に求めている能力を役割、等級にわたって絶対値で示すのだ。
経営目標を達成するためには機能と能力の両方が必要である。経営者がそれを明確に示し、社員がキャリア開発に取り組む。それらが適合したとき、初めて社員と企業の成長が一致するが、現在の人材育成論は両者が噛み合っていない場合が多々生じている。
たとえば、グローバル人材にはどういう能力が求められるのか。それを考えるとき、グローバルの現場も知らず本社の机の上で「かくあるべき」という議論をしてもまったく意味がない。
グローバル企業の経営者と日本企業経営者の違いを見てみると、前者は常に経営課題を明確に認識し、意思決定が戦略的できわめてスピードが速い。グローバル人材はそんな経営者と渡り合う、あるいはその下で働く人である。まずこの点を押さえなければならない。
一方で相手企業の歴史や風土、文化をよく理解して違いを受容する能力も必要である。さらに、もし我々が相手を買収したケースでは、違いを受容しつつ我々の理念を組織に浸透させなければならない。とくに幹部層として赴く場合には、株主としての立場とビジネスパートナーとしての立場、一緒に思考していく立場という3つの立場に1人で立てなければいけない。
「国際感覚が豊か」「戦略構築力がある」といったありきたりの言葉ではなく、どこにいるときはどういう役割でどんな素養が必要かと具体的な基準を定めていかなければ、せっかくの人材を送り出しても「海外では使い物にならなかった」という事態も起こりうる。別の言い方をすればミッションを明確に与えないまま「おまえ、何とかしてこい」と全部個人任せにしてはいけない、ということだ。
グローバルに出ていくと初めての部下、商品、お客様を相手に仕事をすることになる。国内で慣れた部下、商品やお得意様と仕事をするような、いわゆるコンフォートゾーンでするような仕事は許されなくなってくる。常に自分自身を再教育し、イノベーションを起こしていく意欲が必要だ。しかも、その中心にはわが社の理念、哲学という柱がなければいけない。
そうした意欲のある人に、より多くの支援を提供するのは当然だろう。日本人のチャンス論は棚からぼた餅式で何の努力もせず「私は恵まれていない」という人が多いが、機会をつかまえるのは個人の能力である。私はどんどん機会を提供するので、社員にはどんどん手を挙げてほしい。
刺激を与えていかないと組織は平均化してしまい、競争に勝てない。勝つためにはいろいろなところにずば抜けた力を持つ人間をつくる必要があり、各部門に私よりできる人がいっぱいいるのが私の望みである。十種競技なら私の点数が一番高く金メダルを取るかもしれないが、個々の種目においては私よりもっと高い記録を出す人がいる。そんな集団が一番強いのだ。だから、各部門で私を超える社員をつくることが私の社員教育の基本方針である。もしすべての種目で私を超える人が現れたら、その人に社長の役割を渡そう。
成長している上司の背を見せよ
では、ずば抜けた力を持つ人になるにはどうすればよいか。そこで重要になるのがミッションとパッション、ファッションの3つである。
ミッションとは、その人が自分の役割をどう認識しているか、逆に経営側がどういう役割を与えるのかということである。ミッションはきちんとした評価と連動しないとおかしな事態が生じる。100キログラムしか担げない人に120キログラムの石を持たせると最初はヨロヨロするかもしれないが、やがてしっかり担げるようになるだろう。しかし500の能力が必要なポジションへ年功序列で60の能力しかない人をつけると、部下はみんな迷惑する。
パッションとは情熱である。いかなる仕事をやるにしても、挑戦心や自分を変えていこうという改革心がないと人は成長していかない。
ファッションとは仕事のスタイルである。たとえば日本では少し余裕があると「みんなの意見を聞こう」となるが、海外では意思決定が遅いと株主が「取締役の仕事が遅い」とみなす。しかも間違った判断をすれば首が飛ぶ。このように国内と海外では仕事スタイルが大きく異なり、それぞれの実情に応じて適応させることが必要である。
また、各分野の仕事そのものも大きく変化している。かつて広報は社内にある事実を集め外部に発信するのが仕事だったが、現在のコーポレートコミュニケーションは会社の考え方を発信しながら、それを具体的事実で証明していくという情報戦略を担う仕事になっている。こうした変化に対応し、個人、企業それぞれがファッションの水準を向上させなければならない。
人の育成には上司が自分自身を磨くことも必須である。OJTで部下は上司の背中を見て育つというが、上司自身が成長していなければ部下はついてこない。だから部下を育てるなんて言う前にまず自分を磨け、自分を成長させろと私は言っている。「あの人の仕事ぶりはレベルが違う」「勉強し幅広い教養も持っている」と思わせる魅力なくして何が上司の背中だと言いたい。
自分が伸びていない上司は部下をかまうが、面倒は見ていない。部下とよく接触しているように映っても、単にかまっているのと伸ばしているのとでは大きく異なる。逆に自分が伸びている人ほど部下の面倒を見ている。
その差を見分けるポイントは毎日部下をきちんと見ているかどうか。そうすれば部下の特徴を把握でき、弱みを引き上げたり強みを伸ばしたりできる。弱みを引き上げるのは平均点を上げて全体を浮上させる方法で、強みを伸ばすのは組織全体を引っ張る牽引力をつける方法である。いま重要なのは牽引力をつけるほうである。桃太郎軍団のようにイヌやサル、キジなどいろんなタイプの牽引力の持ち主がいることで、変化に素早く対応できるからだ。
世の中の水準以上の能力をそれぞれの社員が持たないと競争には勝てない。たとえば、私は社長として同業者の社長よりも力がなければいけない。グローバルで戦うためには、私がグローバル経営者と正面から戦える力を持っている必要がある。組織は組織の長の能力以上に強くならないのだ。これは各部門も同様で、それぞれの部門長が世の中の水準以上でなければならない。
ところが権力を持つと、人は並の水準で仕事を流してしまいがちになる。そうでなく、常に自分がベストと思える水準で仕事をすることを当たり前にしなければいけない。部下から見ると流しているか、当たり前にベストを尽くしているかは一目瞭然。成長が止まった上司の背中を見る価値はない。
2014年12月29日月曜日
ホスピタリティのある人
ブログ「人の心に灯をともす」から「歓迎の気持ち」(2014-12-22)をご紹介します。
いつも一緒に仕事をしている人に「ありがとう。あなたのおかげでとても助かっている」と声をかけていきましょう。
家族との日常会話でも、頻繁に「ありがとう」を口にしましょう。
ごはんを食べながら「おいしいなあ。ママはホントに料理上手だ、ありがとう」。
仕事で夜遅く帰ってきたパパには「おかえりなさい。私たち家族のために頑張ってくれているのね。ありがとう」。
子供が何かを一生懸命にやっている姿を見て「あ、やってる、やってる!楽しそうだね。ありがとう」。
そんなふうに言われたら、最初はみんな驚くでしょう。
「どういう風の吹き回しだ。なにか後ろめたいことでもあるんじゃなかろうか」と怪しむ場合だってあるかもしれません。
それでも構わず「ありがとう」と言い続けていれば、周囲のあなたを見る目が変わります。
はっきり口に出すことはあまりなくても、「あの人のそばにいると楽しい気分になる」と心の中で歓迎してくれるのです。
職場の人間関係、友人とのつきあい、家族の仲がうまくいきだすのは、この「歓迎の気持ち」があるかないかにかかっていますよね。
あなたのほうから「どうか私を歓迎してください」と頼み込むのではなく、「いてくれて、ありがとう。私のほうこそ歓迎していますよ」と示せばいいんです。
高いお金を払って特別な贈り物を用意しなくても、言葉一つでそれができてしまうのですから、なんともお得な話じゃありませんか。
「ありがとう」の言葉も褒め言葉も、声にして発したとき、その影響力はぐんと強まります。
心中ひそかに思っているだけのときと比べたら、少なくとも10倍は影響力を増しているはずです。
誰か人と会ったとき、歓迎されているか、歓迎されていないかは、雰囲気ですぐにわかる。
こちらがニコニコしながら握手を求めているのに、相手はこちらも見ないで握手もおざなりだとしたら、誰もが歓迎されていないと感じるだろう。
歓迎や歓待が上手な人は、お迎えや、おもてなしが上手な人。
それは、人に喜んでもらうのが大好きな人、つまり、ホスピタリティのある人のこと。
いつもほほ笑みを絶やさず、感謝の言葉を伝え、常に相手の立場に立って、どうやったらもっと喜んでくれるかを考える。
「あの人のそばにいると楽しい気分になる」
どんなときも、歓迎の気持ちを忘れない人でありたい。
いつも一緒に仕事をしている人に「ありがとう。あなたのおかげでとても助かっている」と声をかけていきましょう。
家族との日常会話でも、頻繁に「ありがとう」を口にしましょう。
ごはんを食べながら「おいしいなあ。ママはホントに料理上手だ、ありがとう」。
仕事で夜遅く帰ってきたパパには「おかえりなさい。私たち家族のために頑張ってくれているのね。ありがとう」。
子供が何かを一生懸命にやっている姿を見て「あ、やってる、やってる!楽しそうだね。ありがとう」。
そんなふうに言われたら、最初はみんな驚くでしょう。
「どういう風の吹き回しだ。なにか後ろめたいことでもあるんじゃなかろうか」と怪しむ場合だってあるかもしれません。
それでも構わず「ありがとう」と言い続けていれば、周囲のあなたを見る目が変わります。
はっきり口に出すことはあまりなくても、「あの人のそばにいると楽しい気分になる」と心の中で歓迎してくれるのです。
職場の人間関係、友人とのつきあい、家族の仲がうまくいきだすのは、この「歓迎の気持ち」があるかないかにかかっていますよね。
あなたのほうから「どうか私を歓迎してください」と頼み込むのではなく、「いてくれて、ありがとう。私のほうこそ歓迎していますよ」と示せばいいんです。
高いお金を払って特別な贈り物を用意しなくても、言葉一つでそれができてしまうのですから、なんともお得な話じゃありませんか。
「ありがとう」の言葉も褒め言葉も、声にして発したとき、その影響力はぐんと強まります。
心中ひそかに思っているだけのときと比べたら、少なくとも10倍は影響力を増しているはずです。
◇
誰か人と会ったとき、歓迎されているか、歓迎されていないかは、雰囲気ですぐにわかる。
こちらがニコニコしながら握手を求めているのに、相手はこちらも見ないで握手もおざなりだとしたら、誰もが歓迎されていないと感じるだろう。
歓迎や歓待が上手な人は、お迎えや、おもてなしが上手な人。
それは、人に喜んでもらうのが大好きな人、つまり、ホスピタリティのある人のこと。
いつもほほ笑みを絶やさず、感謝の言葉を伝え、常に相手の立場に立って、どうやったらもっと喜んでくれるかを考える。
「あの人のそばにいると楽しい気分になる」
どんなときも、歓迎の気持ちを忘れない人でありたい。
2014年12月28日日曜日
官僚組織に地方創生はできるのか
「一等地にビルを構える官僚組織、地方活性化に自治体は必要か? 致命的に欠けている「経営」の概念」(2014-12-22JBPRESS)をご紹介します。
地方で最も建物が大きい組織とは
現在の日本の地方都市を概観すると、たいてい一番大きな建物が県庁や市役所で、一番大きな収入と支出をしている事業体も県庁か市役所であるという。当然、従業者が一番多いのも県庁か市役所であるという。
つまり、市民の下僕たる公務員が一番大きなビルで仕事をし、一番多くのお金を扱い、一番多く税金から給与をもらっているのである。こんなことで地方活性化なんてできるのか、と思うのは当然だろう。
そもそも民間企業が稼いだ利益の一部を税金として預かり、公共に費やすのが公務員の本来の仕事である。それが民間企業を差し置いて地方で最大の事業体であること自体、本末転倒ではないか。
筆者は地方活性化の主役は民間企業であると考えている。企業の利益向上が第一であり、次いで雇用増大となり、賃金の向上という循環になり、最後に公務員が税金を徴収し、それを公共のために効果的に配分するということではないか。それなのに、自治体が前面に出て一体何ができるというのであろう。
官との関わりが深い組織は衰退する
数年前に日本航空の経営破綻があった。負債総額は2兆円を超えていたらしい。なぜ、日本を代表する歴史ある航空会社が経営破綻したのか、当時は疑問を感じる人も多かったと思う。大きな理由として、労働組合が強く、年金を含めた人件費を柔軟に削減できなかったことが挙げられた。また、歴代の経営トップの放漫経営も理由に挙げられている。
しかし、根本的な原因は、官との関係が深い企業だったからであろう。官に依頼されて地方空港の不採算路線に飛行機を飛ばしたり、日本航空が参入するという条件で、地方空港を開設し、地域ぐるみで日本航空の関連企業と事業展開したりしてきた。
つまり、官に頼り頼られるという関係の下で、採算を守るという経営の大原則が忘れられてしまったのである。
こうしたケースは日本航空に始まったことではない。昔の国鉄、日本債権銀行、住宅金融専門会社といった官との関わりが深い組織は、すべて莫大な負債を抱えて整理された。また、自治体との関わりの深い産業と言われる規制産業は、大半が国際競争に遅れた産業であったり、赤字体質の産業であったりする。例えば農林水産業や水道事業、土木建設業、通信事業などある。
経営概念の欠落した自治体
自治体には経営の概念が乏しい。その自治体が主導的な立場で関わりを持つ民間企業は、「お上が守ってくれる」という錯覚に陥り、依存体質が生まれ、経営がおろそかになる。
そもそもなぜ自治体に経営の概念が乏しいのかを指摘しなければならない。その元凶になっているのは、以下の4点と考える。
こうしたことから「経済は一流だが政治は三流だ」とか「日本の企業の技術は高いが、国全体としての競争力は低い」などと言われるのである。
一人ひとりの能力を封じる官僚組織
日本企業の採用の特徴は「新卒一括採用」である。戦力としてはゼロに等しい新卒を一気に大量採用し、給料を払い、教育を施す。海外の企業は基本的に即戦力と思われる人を採用し、人材育成にそこまでの投資はしない。
昨今はこの新卒一括採用のデメリットが叫ばれているが、振り返ってみれば、大量の新卒の社員に手厚く教育を施し、長い目で戦力化するという文化が、戦後の日本経済をここまで成長させてきたのである。
それに対して、難しい入職試験に合格した優秀な人材を生かし切れない組織が官僚組織である。責任回避体質になりがちな減点主義、効率性を重視しない組織風土、能力評価のない人事制度などによって、一人ひとりの能力が発揮できない仕組みになっているのだ。
マックスウェーバーは官僚制組織こそが最も合理的な組織だと指摘した。しかし同時に問題の多い組織であるということも付け加えている。それは、民主主義が発達すればする程、より広範な人々に等質なサービスを提供するために官僚組織も発達するが、同時に「被支配者集団の平均化」をますます強め、官僚支配を専制的なものにしていくからだ。
ウェーバーは、大衆の官僚への不満が頂点に達した時、カリスマ願望が呼び起こされると予言した。日本においても、大衆の不満が頂点に達した時に、初めて公務員の解体が始まるのかもしれない。逆に言えば、その時にならないと劇的な改革は期待できないということだ。
地方で最も建物が大きい組織とは
現在の日本の地方都市を概観すると、たいてい一番大きな建物が県庁や市役所で、一番大きな収入と支出をしている事業体も県庁か市役所であるという。当然、従業者が一番多いのも県庁か市役所であるという。
つまり、市民の下僕たる公務員が一番大きなビルで仕事をし、一番多くのお金を扱い、一番多く税金から給与をもらっているのである。こんなことで地方活性化なんてできるのか、と思うのは当然だろう。
そもそも民間企業が稼いだ利益の一部を税金として預かり、公共に費やすのが公務員の本来の仕事である。それが民間企業を差し置いて地方で最大の事業体であること自体、本末転倒ではないか。
筆者は地方活性化の主役は民間企業であると考えている。企業の利益向上が第一であり、次いで雇用増大となり、賃金の向上という循環になり、最後に公務員が税金を徴収し、それを公共のために効果的に配分するということではないか。それなのに、自治体が前面に出て一体何ができるというのであろう。
官との関わりが深い組織は衰退する
数年前に日本航空の経営破綻があった。負債総額は2兆円を超えていたらしい。なぜ、日本を代表する歴史ある航空会社が経営破綻したのか、当時は疑問を感じる人も多かったと思う。大きな理由として、労働組合が強く、年金を含めた人件費を柔軟に削減できなかったことが挙げられた。また、歴代の経営トップの放漫経営も理由に挙げられている。
しかし、根本的な原因は、官との関係が深い企業だったからであろう。官に依頼されて地方空港の不採算路線に飛行機を飛ばしたり、日本航空が参入するという条件で、地方空港を開設し、地域ぐるみで日本航空の関連企業と事業展開したりしてきた。
つまり、官に頼り頼られるという関係の下で、採算を守るという経営の大原則が忘れられてしまったのである。
こうしたケースは日本航空に始まったことではない。昔の国鉄、日本債権銀行、住宅金融専門会社といった官との関わりが深い組織は、すべて莫大な負債を抱えて整理された。また、自治体との関わりの深い産業と言われる規制産業は、大半が国際競争に遅れた産業であったり、赤字体質の産業であったりする。例えば農林水産業や水道事業、土木建設業、通信事業などある。
経営概念の欠落した自治体
自治体には経営の概念が乏しい。その自治体が主導的な立場で関わりを持つ民間企業は、「お上が守ってくれる」という錯覚に陥り、依存体質が生まれ、経営がおろそかになる。
そもそもなぜ自治体に経営の概念が乏しいのかを指摘しなければならない。その元凶になっているのは、以下の4点と考える。
- 国民の下僕という奉仕の精神ではなく、国民を支配するという特権階級意識が難関試験を突破したエリートに存在する。自動的に徴収される莫大な税金を自分たちの裁量で配分を決め、ある程度自由に使えるため、細かい採算など経営のことは考えなくともよいという意識に陥りやすい。
- 国や地方の難しい公務員採用試験を経て入った者は、国家に貢献してきた分、民間企業で高い報酬を受け取っている者と同等以上の報酬を受け取る権利があると考える。そこで特殊法人を温存し、そこへ天下りして高い報酬を取り戻そうとする。そのため、特殊法人や第3セクターと呼ばれるところは、経営が優先されず、大幅な人件費赤字となっている。
- 自治体会計が100年以上前の明治時代に誕生した制度のままで、その時の大陸(ドイツ)思想である「皇帝の代理を行う」という考えのために、経営が度外視されている。収支計算書だけのフロー会計で、資産表示する貸借対照表が義務化されていない(ストック会計がない)。そのため、経営分析や財務診断ができない。したがって正しい経営判断もできない。
- 人事賃金制度も100年以上前から年功序列型制度であり、人事考課制度も存在しない。こんな遅れた人事制度は民間企業ではあり得ない。この組織の人たちは退廃的となり、自己防衛的となる。なぜなら、一所懸命仕事をしても手抜きばかりの仕事であっても、公平に評価されることはなく、年功で勝手に給与が上がる仕組みだからである。そのため、昔の公務員は「遅れず、休まず、仕事せず」を守っていればだんだん偉くなれたと言われていた。これでは、経営に必要な効率性や迅速性など養われるはずがない。
こうしたことから「経済は一流だが政治は三流だ」とか「日本の企業の技術は高いが、国全体としての競争力は低い」などと言われるのである。
一人ひとりの能力を封じる官僚組織
日本企業の採用の特徴は「新卒一括採用」である。戦力としてはゼロに等しい新卒を一気に大量採用し、給料を払い、教育を施す。海外の企業は基本的に即戦力と思われる人を採用し、人材育成にそこまでの投資はしない。
昨今はこの新卒一括採用のデメリットが叫ばれているが、振り返ってみれば、大量の新卒の社員に手厚く教育を施し、長い目で戦力化するという文化が、戦後の日本経済をここまで成長させてきたのである。
それに対して、難しい入職試験に合格した優秀な人材を生かし切れない組織が官僚組織である。責任回避体質になりがちな減点主義、効率性を重視しない組織風土、能力評価のない人事制度などによって、一人ひとりの能力が発揮できない仕組みになっているのだ。
マックスウェーバーは官僚制組織こそが最も合理的な組織だと指摘した。しかし同時に問題の多い組織であるということも付け加えている。それは、民主主義が発達すればする程、より広範な人々に等質なサービスを提供するために官僚組織も発達するが、同時に「被支配者集団の平均化」をますます強め、官僚支配を専制的なものにしていくからだ。
ウェーバーは、大衆の官僚への不満が頂点に達した時、カリスマ願望が呼び起こされると予言した。日本においても、大衆の不満が頂点に達した時に、初めて公務員の解体が始まるのかもしれない。逆に言えば、その時にならないと劇的な改革は期待できないということだ。
2014年12月27日土曜日
財政審の建議
財務省から「平成27年度予算の編成等に関する建議」が公表されています。大学関係部分を抜粋してご紹介します。
平成27年度予算の編成等に関する建議(平成26年12月25日財政制度等審議会)
3 教育・スポーツ
(2)国立大学改革
①国立大学改革の目的
日本の大学進学者の大宗を占める18歳人口は、4年度をピークに減少に転じ、今後も減少傾向が続くと予想される。他方、高等教育機関の入学定員については、18歳人口の減少傾向と逆行して、4年度の473,268人から25年度には583,618人まで増加し、進学率・収容力はともに大きく伸びている。
我が国は、大学全入時代とも言われる中、グローバル化等の急激な社会変化に直面しており、改めて、国立大学には、
などの社会的役割を担うための機能強化が求められている。
文部科学省は、25年11月に「国立大学改革プラン」を策定し、ミッションの再定義による強み・特色を活かした重点化、ガバナンス強化、大学の枠を超えた連携、人材養成機能の強化などを目指して、運営費交付金の配分方法の見直しなどの様々な改革を行うこととしている。これらの取組は、国立大学の自主的な改革を促すものであり、その方向性は評価できるが、実効性ある仕組みとするための具体案の検討が十分に進んでおらず、改革プランで掲げた目的を達成する道筋が見えない。28年4月から開始される国立大学法人の第三期中期目標に向けて、改革具体案の検討を早急に進める必要がある。
大学改革は、大学自らが積極的に推し進めるべきものであり、社会的役割を担うために必要な組織改革等に取り組まなくてはならないことは、国立大学に限ったことではない。人材育成機能の確立、研究能力の向上に向けた取組みが、公立・私立大学を含む全ての大学に対して求められていることは言うまでもない。
②国立大学の現状
現在、国立大学は全国に86校設置されているが、16年度の法人化以降も、必ずしも各々の特色を活かした大学運営、教育研究機能の強化を行っているとは言い難く、競争力低下が深刻な問題であるとの懸念が各方面より示されているところである。
まず、世界トップレベルの大学と対等に渡り合うことが出来る潜在力を有する大学について、国際的な存在感が低下傾向にある。世界大学ランキング51における上位200位圏内の日本の大学5校の順位は、過去5年間で東京大学が26位から23位に上昇していることを除いて、軒並み低下している状況である。この間、これらの国立大学の事業規模は増加傾向であったところであり、資金や人的資源の一層の有効活用が求められている。
また、地方の国立大学は、地域に根差した文化的拠点としての強みを活かし、地域のニーズに応じた人材育成拠点、地域社会のシンクタンクとして様々な課題を解決する地域活性化機関としての役割を果たすことが求められている。
これらの国立大学を巡る現状を踏まえ、今後実効性のある大学改革を進めるためには、各大学の機能強化の目的と対象を明確にして、教育研究組織の再編、学内資源の再配分など、大学の自主的な取組みを促す環境整備が必要である。それは、他のあらゆる組織がそうであるように、自ら掲げた目的に基づく成果を達成するための環境整備であり、その成果は明確に社会に対して説明されなければならない。
③運営費交付金予算の配分の在り方
イ)見直しの視点
現在、我が国では、運営費交付金の大宗を占める一般運営費交付金について、教員・学生数などの規模に応じた配分方式を採っているため、学内資源の重点化・再配分に向けたインセンティブが働かない構造となっている。これに対して、諸外国における大学への交付金制度の中には、政府から独立した機関が研究成果・獲得研究収入等の成果に応じた重点配分を行うことにより、大学の自主的な取組みを促す制度がみられる。
また、世界トップレベルの大学や研究機関では、積極的に外部資金を獲得するなど多様な資金調達が行われている。我が国では、運営費交付金が各国立大学の収入財源の半分程度を占めており、多様な研究資金の獲得に向けた取組みが進んでいるとは言い難い。学生への支援を含め、教育研究環境の改善のためには、学長のリーダーシップ・適切なガバナンス体制の下で、多様な資金調達手段を確立するほか、授業料の引上げについても積極的に検討すべきである。
ロ)取組み成果を反映した予算配分及び評価手法の確立
大学の自主的な改革の取組みを促すためには、従前の一般運営費交付金の配分方式を見直し、各大学の取組み成果に応じた配分を行うことが必要である。具体的には、以下の方向を基本として、一般運営費交付金について、競争性の高いメリハリの利いた配分方式とすることを検討すべきである。
なお、特別運営費交付金についても、一層の重点化を図るため、政策課題に向けた大学の自主的取組みを評価した上で配分する仕組みに改めるべきである。また、一般運営費交付金のうち、上記改革経費を除いた部分の配分に当たっては、教員・学生数などの大学規模に加え、特別運営費交付金の各大学への配分実績を加味すべきである。これまで、政策課題に対応するために措置される特別運営費交付金の配分終了後は、一般運営費交付金の範囲内で各大学は取組みを継続してきているが、これにより、政策課題に対する円滑な継続環境が整備されるものと考える。
4 科学技術
科学技術振興費は、平成元年度比で約3倍に増加しており、社会保障関係費をも上回る伸びを確保してきた。その結果、政府・民間含めた研究開発費の対GDP比は主要国随一の水準である等、我が国の科学技術に対する資源投入は相当な高水準にある。その間、総論文数の増大や日本人研究者のノーベル賞受賞など一定の成果もあがっているが、厳しい財政事情に鑑みれば、財政資金の量的拡大をのぞむ環境にはなく、今後は「質」を向上しながら、研究開発の成果を最大化していくことが喫緊の課題である。例えば、論文の質についても、主要国に比べて低水準の被引用度を向上するなど、我が国の将来への「先行投資」として費用対効果を高めていくべきである。
(1)基礎研究分野
基礎研究分野については、質の高い研究成果が見込まれる分野融合的研究や国際共同研究といったアプローチに「選択と集中」を進めるとともに、高額な汎用大型研究設備などの共用化を促進することで研究費支出の効率化を進めるべきである。また、研究資金について、国立大学改革の動きも踏まえ、科研費、科研費以外の競争的資金のみならず、大学向け運営費交付金も含めた全体像を俯瞰し、制度全体の中でそれぞれの位置付けを明確化しつつ、制度間の連携強化・統合化を推進すべきである。その他、若手人材育成や国際共同研究といった事業についても、様々な主体が事業を行っており、全体戦略を構築した上で、重複を排除し、整理合理化を進めていく必要がある。
(2)研究不正等への対応
理化学研究所における一連の研究不正に鑑み、資源配分の固定化を防止し、PDCAサイクルを徹底するため、ガバナンス強化が不可欠である。具体的には、外部有識者による評価・助言の反映を徹底し、特段の理由なく反映されない場合は各センターに対する配分額の減額や責任者解任といった厳しいペナルティーを課すべきである。また、財務省予算執行調査における指摘を踏まえ、一括購入や単価契約を徹底し、調達改善が実施されない場合は研究費執行の一部停止等の罰則を導入し、ルール遵守の実効性を担保すべきである。なお、他の研究開発法人についてもこうしたガバナンス強化・調達改革を総点検し、徹底を図るべきである。
(3)事業化に近い研究開発や拠点事業
産業化やベンチャー創出につなげる研究分野については、資金配分に規律を働かせ、新陳代謝を図るため、現在は多くが事業開始後5~10年を目途に評価しているところであるが、原則研究開始後2年ごとに評価しプロジェクト数を絞り込むことをルール化すべきである。その際、客観性・透明性・事務負担軽減を踏まえた評価方法をもって実施する必要がある。地域拠点事業についても、過去累次にわたり展開されてきたことを踏まえ、まずは、これまでの課題を総括した上で、官民分担の在り方や効果的な手法を検証し、地に足のついた姿にしていく必要がある。
(4)大規模プロジェクトの後年度負担
次世代スパコンや宇宙開発などの大規模プロジェクトは、多額の後年度負担が生じることが多く、予算の硬直化を招きかねない。こうした一定規模以上のプロジェクトについては、要求段階において、後年度も含んだプロジェクト全体の資金計画を明らかにした上で、リース等の柔軟なファイナンス方式や官民の費用分担など財源調達の考え方を整理させることとし、自律的に財政健全化目標との整合性を確保する仕組みを作るべきである。
平成27年度予算の編成等に関する建議(平成26年12月25日財政制度等審議会)
3 教育・スポーツ
(2)国立大学改革
①国立大学改革の目的
日本の大学進学者の大宗を占める18歳人口は、4年度をピークに減少に転じ、今後も減少傾向が続くと予想される。他方、高等教育機関の入学定員については、18歳人口の減少傾向と逆行して、4年度の473,268人から25年度には583,618人まで増加し、進学率・収容力はともに大きく伸びている。
我が国は、大学全入時代とも言われる中、グローバル化等の急激な社会変化に直面しており、改めて、国立大学には、
- 世界で活躍できるグローバル人材、新たな価値を創造するイノベーション人材の育成
- 各大学の強み・特色を生かした研究を通じた地域諸課題の解決
- 地域の拠点として、産業界と一体となった地域経済の活性化
などの社会的役割を担うための機能強化が求められている。
文部科学省は、25年11月に「国立大学改革プラン」を策定し、ミッションの再定義による強み・特色を活かした重点化、ガバナンス強化、大学の枠を超えた連携、人材養成機能の強化などを目指して、運営費交付金の配分方法の見直しなどの様々な改革を行うこととしている。これらの取組は、国立大学の自主的な改革を促すものであり、その方向性は評価できるが、実効性ある仕組みとするための具体案の検討が十分に進んでおらず、改革プランで掲げた目的を達成する道筋が見えない。28年4月から開始される国立大学法人の第三期中期目標に向けて、改革具体案の検討を早急に進める必要がある。
大学改革は、大学自らが積極的に推し進めるべきものであり、社会的役割を担うために必要な組織改革等に取り組まなくてはならないことは、国立大学に限ったことではない。人材育成機能の確立、研究能力の向上に向けた取組みが、公立・私立大学を含む全ての大学に対して求められていることは言うまでもない。
②国立大学の現状
現在、国立大学は全国に86校設置されているが、16年度の法人化以降も、必ずしも各々の特色を活かした大学運営、教育研究機能の強化を行っているとは言い難く、競争力低下が深刻な問題であるとの懸念が各方面より示されているところである。
まず、世界トップレベルの大学と対等に渡り合うことが出来る潜在力を有する大学について、国際的な存在感が低下傾向にある。世界大学ランキング51における上位200位圏内の日本の大学5校の順位は、過去5年間で東京大学が26位から23位に上昇していることを除いて、軒並み低下している状況である。この間、これらの国立大学の事業規模は増加傾向であったところであり、資金や人的資源の一層の有効活用が求められている。
また、地方の国立大学は、地域に根差した文化的拠点としての強みを活かし、地域のニーズに応じた人材育成拠点、地域社会のシンクタンクとして様々な課題を解決する地域活性化機関としての役割を果たすことが求められている。
これらの国立大学を巡る現状を踏まえ、今後実効性のある大学改革を進めるためには、各大学の機能強化の目的と対象を明確にして、教育研究組織の再編、学内資源の再配分など、大学の自主的な取組みを促す環境整備が必要である。それは、他のあらゆる組織がそうであるように、自ら掲げた目的に基づく成果を達成するための環境整備であり、その成果は明確に社会に対して説明されなければならない。
③運営費交付金予算の配分の在り方
イ)見直しの視点
現在、我が国では、運営費交付金の大宗を占める一般運営費交付金について、教員・学生数などの規模に応じた配分方式を採っているため、学内資源の重点化・再配分に向けたインセンティブが働かない構造となっている。これに対して、諸外国における大学への交付金制度の中には、政府から独立した機関が研究成果・獲得研究収入等の成果に応じた重点配分を行うことにより、大学の自主的な取組みを促す制度がみられる。
また、世界トップレベルの大学や研究機関では、積極的に外部資金を獲得するなど多様な資金調達が行われている。我が国では、運営費交付金が各国立大学の収入財源の半分程度を占めており、多様な研究資金の獲得に向けた取組みが進んでいるとは言い難い。学生への支援を含め、教育研究環境の改善のためには、学長のリーダーシップ・適切なガバナンス体制の下で、多様な資金調達手段を確立するほか、授業料の引上げについても積極的に検討すべきである。
ロ)取組み成果を反映した予算配分及び評価手法の確立
大学の自主的な改革の取組みを促すためには、従前の一般運営費交付金の配分方式を見直し、各大学の取組み成果に応じた配分を行うことが必要である。具体的には、以下の方向を基本として、一般運営費交付金について、競争性の高いメリハリの利いた配分方式とすることを検討すべきである。
- 各国立大学を、ミッションの再定義を通じた自らの選択により、①世界最高の教育研究拠点、②全国的な教育研究拠点、③地域活性化の中核的拠点の3つの大学群(機能強化の方向性)に機能分化する。
- 一般運営費交付金全体の3割程度を改革経費として位置付けた上で、学長のリーダーシップを発揮した活用を促すとともに、上記3大学群の中で改革経費を重点配分する。改革経費の配分にあたっては、客観的成果指標を設定の上、2年程度ごとの短期間で取組み成果を評価する方式とする。
- 客観的指標については、大学群ごとに設定する。例えば、世界最高の教育研究拠点を目指す大学については、国際競争力強化の視点が、地域活性化の中核的拠点を目指す大学は地域人材育成の視点が重視される。
- 客観的指標の設定にあたっては、定量的・定性的指標が考えられるが、研究成果、人材育成などの客観的な取組み成果のほか、競争的資金獲得状況や寄附金等外部資金獲得状況など、大学自らの資金獲得努力に関する指標も採り入れる。
なお、特別運営費交付金についても、一層の重点化を図るため、政策課題に向けた大学の自主的取組みを評価した上で配分する仕組みに改めるべきである。また、一般運営費交付金のうち、上記改革経費を除いた部分の配分に当たっては、教員・学生数などの大学規模に加え、特別運営費交付金の各大学への配分実績を加味すべきである。これまで、政策課題に対応するために措置される特別運営費交付金の配分終了後は、一般運営費交付金の範囲内で各大学は取組みを継続してきているが、これにより、政策課題に対する円滑な継続環境が整備されるものと考える。
4 科学技術
科学技術振興費は、平成元年度比で約3倍に増加しており、社会保障関係費をも上回る伸びを確保してきた。その結果、政府・民間含めた研究開発費の対GDP比は主要国随一の水準である等、我が国の科学技術に対する資源投入は相当な高水準にある。その間、総論文数の増大や日本人研究者のノーベル賞受賞など一定の成果もあがっているが、厳しい財政事情に鑑みれば、財政資金の量的拡大をのぞむ環境にはなく、今後は「質」を向上しながら、研究開発の成果を最大化していくことが喫緊の課題である。例えば、論文の質についても、主要国に比べて低水準の被引用度を向上するなど、我が国の将来への「先行投資」として費用対効果を高めていくべきである。
(1)基礎研究分野
基礎研究分野については、質の高い研究成果が見込まれる分野融合的研究や国際共同研究といったアプローチに「選択と集中」を進めるとともに、高額な汎用大型研究設備などの共用化を促進することで研究費支出の効率化を進めるべきである。また、研究資金について、国立大学改革の動きも踏まえ、科研費、科研費以外の競争的資金のみならず、大学向け運営費交付金も含めた全体像を俯瞰し、制度全体の中でそれぞれの位置付けを明確化しつつ、制度間の連携強化・統合化を推進すべきである。その他、若手人材育成や国際共同研究といった事業についても、様々な主体が事業を行っており、全体戦略を構築した上で、重複を排除し、整理合理化を進めていく必要がある。
(2)研究不正等への対応
理化学研究所における一連の研究不正に鑑み、資源配分の固定化を防止し、PDCAサイクルを徹底するため、ガバナンス強化が不可欠である。具体的には、外部有識者による評価・助言の反映を徹底し、特段の理由なく反映されない場合は各センターに対する配分額の減額や責任者解任といった厳しいペナルティーを課すべきである。また、財務省予算執行調査における指摘を踏まえ、一括購入や単価契約を徹底し、調達改善が実施されない場合は研究費執行の一部停止等の罰則を導入し、ルール遵守の実効性を担保すべきである。なお、他の研究開発法人についてもこうしたガバナンス強化・調達改革を総点検し、徹底を図るべきである。
(3)事業化に近い研究開発や拠点事業
産業化やベンチャー創出につなげる研究分野については、資金配分に規律を働かせ、新陳代謝を図るため、現在は多くが事業開始後5~10年を目途に評価しているところであるが、原則研究開始後2年ごとに評価しプロジェクト数を絞り込むことをルール化すべきである。その際、客観性・透明性・事務負担軽減を踏まえた評価方法をもって実施する必要がある。地域拠点事業についても、過去累次にわたり展開されてきたことを踏まえ、まずは、これまでの課題を総括した上で、官民分担の在り方や効果的な手法を検証し、地に足のついた姿にしていく必要がある。
(4)大規模プロジェクトの後年度負担
次世代スパコンや宇宙開発などの大規模プロジェクトは、多額の後年度負担が生じることが多く、予算の硬直化を招きかねない。こうした一定規模以上のプロジェクトについては、要求段階において、後年度も含んだプロジェクト全体の資金計画を明らかにした上で、リース等の柔軟なファイナンス方式や官民の費用分担など財源調達の考え方を整理させることとし、自律的に財政健全化目標との整合性を確保する仕組みを作るべきである。
2014年12月21日日曜日
2014 四字熟語
「天声人語:今年の創作四字熟語」(2014年12月18日朝日新聞)をご紹介します。
なぜいま衆院選か、その「晋三心理」に首をひねった。「自公堅持」欲は満たしたのだろうが、「死票膨大(しにひょうぼうだい)」で棄権も半数近くとはいかがか。住友生命が募った創作四字熟語は11月が締め切りなので、師走の一大事にも材を求め、我流を試みた。
以下は年末恒例、本物の秀作で1年を振り返る。4月、消費税が8%になり、さあ「五八至十(ごはしじゅう)」かと思いきや、アベノミクスは10%への引き上げを先送り。とはいえ円安のおかげで食材は軒並み値上がりだ。「日本低円(にほんていえん)」の光景に寒さが募る。
デング熱の広がりに「蚊無(かない)安全」を祈った夏の終わり。続く御嶽(おんたけ)山の噴火には、多くの人が「安山(あんざん)祈願」をした。自然のみならず、人も次々と災いを起こす。危険ドラッグをやって車を運転するとは何とも「危草千害(きそうせんがい)」な。
本とペンが一番強い武器。「剣嫌学学(けんけんがくがく)」のマララさんが17歳でノーベル平和賞に。だが、彼女の故郷や「瞬火中東(しゅんかちゅうとう)」の各地で争乱がやまない。中国の会社が期限切れの肉を使っていた「怪鶏(かいけい)処理」にも驚いた。
略してアナ雪、ディズニーのアニメが大ヒットした。ありのままの~と、世は「雪歌繚乱(せっかりょうらん)」に。笑っていいとも!が「放送笑了(しょうりょう)」、8054回の長寿を全う。子どもが熱狂する妖怪ウォッチの関連グッズは品薄が続き、「難買妖怪(なんかようかい)」。
今年届いたうれしい知らせでは、富岡製糸場が快挙を達成。「世界遺蚕(いさん)」というべきか。青色LEDを開発、実用化した3人はノーベル物理学賞に。長年の努力への「青光褒祝(せいこうほうしゅう)」だった。
なぜいま衆院選か、その「晋三心理」に首をひねった。「自公堅持」欲は満たしたのだろうが、「死票膨大(しにひょうぼうだい)」で棄権も半数近くとはいかがか。住友生命が募った創作四字熟語は11月が締め切りなので、師走の一大事にも材を求め、我流を試みた。
以下は年末恒例、本物の秀作で1年を振り返る。4月、消費税が8%になり、さあ「五八至十(ごはしじゅう)」かと思いきや、アベノミクスは10%への引き上げを先送り。とはいえ円安のおかげで食材は軒並み値上がりだ。「日本低円(にほんていえん)」の光景に寒さが募る。
デング熱の広がりに「蚊無(かない)安全」を祈った夏の終わり。続く御嶽(おんたけ)山の噴火には、多くの人が「安山(あんざん)祈願」をした。自然のみならず、人も次々と災いを起こす。危険ドラッグをやって車を運転するとは何とも「危草千害(きそうせんがい)」な。
本とペンが一番強い武器。「剣嫌学学(けんけんがくがく)」のマララさんが17歳でノーベル平和賞に。だが、彼女の故郷や「瞬火中東(しゅんかちゅうとう)」の各地で争乱がやまない。中国の会社が期限切れの肉を使っていた「怪鶏(かいけい)処理」にも驚いた。
略してアナ雪、ディズニーのアニメが大ヒットした。ありのままの~と、世は「雪歌繚乱(せっかりょうらん)」に。笑っていいとも!が「放送笑了(しょうりょう)」、8054回の長寿を全う。子どもが熱狂する妖怪ウォッチの関連グッズは品薄が続き、「難買妖怪(なんかようかい)」。
今年届いたうれしい知らせでは、富岡製糸場が快挙を達成。「世界遺蚕(いさん)」というべきか。青色LEDを開発、実用化した3人はノーベル物理学賞に。長年の努力への「青光褒祝(せいこうほうしゅう)」だった。
2014年12月20日土曜日
研究者をいかに育てるか
「(耕論)STAPの教訓 郷通子さん、榎木英介さん」(2014年12月19日朝日新聞)をご紹介します。
この1年、科学界を揺るがしたSTAP細胞の「発見」は、誰も存在を証明できない事態に暗転した。大きな教訓は、研究者をいかに育てるか。競争の激しい生命科学の分野で後進を育成してきたベテランと一線の若手は、どう考える?
■多額研究費は逆に人材育てぬ 郷通子さん(前お茶の水女子大学学長)
今回の問題を通じて浮上した大きな課題の一つは、研究者の育成、つまり、大学院での教育はどうなっているか、ということでしょう。私は、このままでは日本の科学は危うい、と思っています。
実験ノートが話題になりましたが、そうした研究に関する基本的なことは、大学院に入って最初に教わるべきことです。
私自身が指導していたとき、学生とは必ず毎週1回、1対1で話をしていました。生データと研究ノートを持ってきてもらって、見ながら議論する。それをやっていれば、独立した研究者になっても基本的なことを知らない、などということにはならないはずです。
<考えさせること>
最初にどう学ぶか、は非常に重要です。私はお茶の水女子大から名古屋大の物理の大学院に進みました。ノーベル賞を受賞した益川敏英さんと同期でした。今年のノーベル賞の赤崎勇さん、天野浩さんも含め、なぜ名古屋大からの受賞が多いのかとよく聞かれます。旧帝大の中で最後にできた若い大学ということもあり、上下関係もあまりなく、自由な雰囲気があったと思います。
博士論文は、早稲田大の指導教員のもとで書きましたが、名古屋大と共通していたのは、先生は決して研究テーマを与えずに学生に考えさせることです。学生の側にも、たとえ大変でも面白い研究をやるんだ、簡単なものはやるまい、という気概がありました。
最近は、研究テーマを先生が与えることが多くなっているようです。「すぐ論文が書ける」「面白いが5年がかりになるかも」などいくつか並べると、多くの学生はすぐ論文が書けるテーマを選ぶ。
先生も学生も、早く成果を出さなければと、迫られています。
論文もそうです。一流誌に何本も論文を発表している大学院生に聞くと、先生が書いた、という。そのほうが効率がいいからでしょう。私が指導していたとき、最初は論理構成もめちゃめちゃで、どうやって論理を組み立てるか、何のための研究か、などと議論しながら自分で書かせました。データがそろってから1年くらいかかります。でも、そうして自分で書かないと、本人のためにならない。自分できちんと論文が書けることは、博士の最低条件です。
<多様性を大切に>
しかし、こうした指導スタイルは大学院でも研究機関でも、とくにこの10年ほど、変わってきたことが気がかりです。
とりわけ、多額の研究費をもらっている研究室ほど、早く成果を出し、多くの論文を発表することが求められる。お金があればできることはだれでもできるから、いかに早くやるかが勝負になる。ボスも忙しいから若手とじっくりつきあっている時間は取りにくく、若手もさっさと論文を仕上げないと次のポストが得られません。
研究費が重点的に支給されている大学や研究機関ほど、そうした傾向が強くなります。研究費が少なければ、工夫がいるし、何をやるか、頭も使う。多額の研究資金が投じられるほど、人が育ちにくい、という皮肉な結果です。
基盤的な研究費は減っているため、たとえば科学研究費補助金(科研費)に応募しても採択率は4分の1ほどです。小さい大学で研究をすることはますます難しくなっています。一部の大学への過度の集中は改め、幅広く支援していく必要があると思います。
ユニークな研究を育むには何より、多様性が大切だからです。
若手研究者を対象とする賞でも、はやりのテーマで一流誌に論文をたくさん発表している人が選ばれがちです。その人ならではの思い切った挑戦をもっと評価すべきです。
若い研究者に、研究とは何か、研究の本当の面白さとは何か、きちんと教えることが、指導する者の役目です。それを再確認する必要があります。
現在、大学と大学院との一貫教育が議論されていますが、これには反対です。囲い込みを強めて流動性を損ない、多様性を失う結果になります。
小保方晴子さんのように、新しい分野への挑戦は奨励されるべきです。もっと上手に育てることもできたのでは、と残念です。
(ごうみちこ)
39年生まれ。専門は生物物理学。名古屋大、長浜バイオ大の教授、お茶の水女子大学長などを経て名古屋大名誉教授、情報・システム研究機構非常勤理事。
■若手追い詰める競争の緩和を 榎木英介さん(近畿大学医学部病理学教室講師)
生命科学の分野で最近、研究不正が特に目立っています。重点分野としてポストや研究費が増えているため、多くの研究者が参入し激しい競争を繰り広げていることと無関係ではないと思います。
競争に勝つには、いい論文を数多く発表し、権威ある雑誌に掲載されなければなりません。そのためには捏造(ねつぞう)したデータの使用も、いとわなくなってしまう。また、実験結果の撮影にデジタルカメラを使うと、デジタル技術で画像を鮮明にしたり、コントラストを強調したりすることが簡単にできる。研究不正が生み出される素地が広がっているのです。
<ピペドと呼ばれ>
このような事情から、世界的に生命科学の分野で研究不正が起きやすくなっているのですが、日本では、教授などのボスに権限が集中する、上下関係の強い研究風土の弊害が強く出ています。
特に、「ポスドク」といわれる博士号取得後も不安定な有期雇用で働く人たちや大学院生は、強いプレッシャーを受けています。微量の試薬を測るマイクロピペットという道具を握って朝から晩まで実験を繰り返す姿は、奴隷になぞらえて「ピペド(ピペット奴隷)」と呼ばれるほどです。
大学院生は1991年から2000年にかけて倍増しました。でも教員は増えていないので、博士課程の学生はまともな教育を受けられず、単なる労働力として酷使されています。「大学院生はタダで使える」と放言する教授さえいる。すべての若手研究者がピペドというわけではありませんが、その置かれた境遇はひどい。監視カメラで行動を監視する研究室も存在する。女性研究者が教授から「結婚や出産をするなら、研究室から出ていけ」と言われたケースもあった。生命科学系のポスドクの15%が週80~100時間働いているという日本学術会議の調査結果もあります。
追い詰められた境遇から抜け出すには、いい論文を書かなければなりません。そんなとき、「ちょっとぐらい画像をいじっても誰も気が付かないよ」と悪魔がささやくのです。
研究不正に手を染めるぐらいなら、ピペドをやめればいいと思うかもしれません。でも、やめようとしても、教授が就職のための推薦状を書いてくれないとか、次の行き先がないため、やめるにやめられないということがあります。
実際、私の知人でピペドをやめてみたものの、就職先がなく、40歳近い年齢で今もアルバイト生活をしている元ポスドクがいます。
<研究者を減らせ>
大学院における学生への指導の欠如の問題もあります。教員も激しい研究競争に勝つため、学生の指導をしている暇がないのです。どうしているかというと、一つは大学院生を放置してしまう「放牧型」。もう一つは厳しく管理して、どんな研究を行うべきか、そのためにはどんな実験が必要か、細かく指示してやらせる「ブロイラー型」です。そして両方の悪いところを取ってできるのが「放牧ブロイラー型」。その実態は教員がテーマを決めてしまいます。しかし、指導はなく、学生はほったらかされる一方で、早く論文を書けとせかされます。
これでは、形だけ取り繕って研究結果が出ているように装うようになっても不思議ではありません。実験がうまくいかなければ、うまくいったときの画像を使う。データの切り貼りや、文章の引き写しも平気になります。
現在の生命科学研究における競争は、明らかに不健全なレベルに達しています。これを健全なレベルまで緩和しなければならない。
そのためには、増えすぎた研究者の数を減らす必要があります。生命科学系の大学院の定数やポスドクの数を減らすのです。
一方で、若手の研究者に安定的なポストを提供することも欠かせません。ノーベル賞級の研究は30代に行われたものが圧倒的に多いのですが、日本では30代のときに自分の裁量で研究ができる安定したポストが少ない。40代、50代になって安定したポストに就いたときには、才能が枯渇してしまっている状況です。日本の将来のためにも、若手研究者に安定した仕事を提供することが重要です。
(えのきえいすけ)
71年生まれ。東京大学理学部生物学科卒業、同大学院博士課程中退後、神戸大学医学部に編入学。著書に「博士漂流時代」「嘘(うそ)と絶望の生命科学」など。
<STAP細胞問題>
理化学研究所の小保方晴子氏らは1月末、記者会見を開き、弱い酸などの刺激で「STAP細胞」という全く新しい万能細胞をつくったと発表。若い女性研究者による画期的な成果と注目されたが、論文の画像に不自然な点があると指摘され、理研は不正と認定。論文は撤回された。小保方氏はSTAP細胞の存在を主張して再現実験を11月末まで行っていたが、理研関係者によると存在を確認できなかったという。教育や研究のあり方、研究不正の防止などの課題を残した。
この1年、科学界を揺るがしたSTAP細胞の「発見」は、誰も存在を証明できない事態に暗転した。大きな教訓は、研究者をいかに育てるか。競争の激しい生命科学の分野で後進を育成してきたベテランと一線の若手は、どう考える?
■多額研究費は逆に人材育てぬ 郷通子さん(前お茶の水女子大学学長)
今回の問題を通じて浮上した大きな課題の一つは、研究者の育成、つまり、大学院での教育はどうなっているか、ということでしょう。私は、このままでは日本の科学は危うい、と思っています。
実験ノートが話題になりましたが、そうした研究に関する基本的なことは、大学院に入って最初に教わるべきことです。
私自身が指導していたとき、学生とは必ず毎週1回、1対1で話をしていました。生データと研究ノートを持ってきてもらって、見ながら議論する。それをやっていれば、独立した研究者になっても基本的なことを知らない、などということにはならないはずです。
<考えさせること>
最初にどう学ぶか、は非常に重要です。私はお茶の水女子大から名古屋大の物理の大学院に進みました。ノーベル賞を受賞した益川敏英さんと同期でした。今年のノーベル賞の赤崎勇さん、天野浩さんも含め、なぜ名古屋大からの受賞が多いのかとよく聞かれます。旧帝大の中で最後にできた若い大学ということもあり、上下関係もあまりなく、自由な雰囲気があったと思います。
博士論文は、早稲田大の指導教員のもとで書きましたが、名古屋大と共通していたのは、先生は決して研究テーマを与えずに学生に考えさせることです。学生の側にも、たとえ大変でも面白い研究をやるんだ、簡単なものはやるまい、という気概がありました。
最近は、研究テーマを先生が与えることが多くなっているようです。「すぐ論文が書ける」「面白いが5年がかりになるかも」などいくつか並べると、多くの学生はすぐ論文が書けるテーマを選ぶ。
先生も学生も、早く成果を出さなければと、迫られています。
論文もそうです。一流誌に何本も論文を発表している大学院生に聞くと、先生が書いた、という。そのほうが効率がいいからでしょう。私が指導していたとき、最初は論理構成もめちゃめちゃで、どうやって論理を組み立てるか、何のための研究か、などと議論しながら自分で書かせました。データがそろってから1年くらいかかります。でも、そうして自分で書かないと、本人のためにならない。自分できちんと論文が書けることは、博士の最低条件です。
<多様性を大切に>
しかし、こうした指導スタイルは大学院でも研究機関でも、とくにこの10年ほど、変わってきたことが気がかりです。
とりわけ、多額の研究費をもらっている研究室ほど、早く成果を出し、多くの論文を発表することが求められる。お金があればできることはだれでもできるから、いかに早くやるかが勝負になる。ボスも忙しいから若手とじっくりつきあっている時間は取りにくく、若手もさっさと論文を仕上げないと次のポストが得られません。
研究費が重点的に支給されている大学や研究機関ほど、そうした傾向が強くなります。研究費が少なければ、工夫がいるし、何をやるか、頭も使う。多額の研究資金が投じられるほど、人が育ちにくい、という皮肉な結果です。
基盤的な研究費は減っているため、たとえば科学研究費補助金(科研費)に応募しても採択率は4分の1ほどです。小さい大学で研究をすることはますます難しくなっています。一部の大学への過度の集中は改め、幅広く支援していく必要があると思います。
ユニークな研究を育むには何より、多様性が大切だからです。
若手研究者を対象とする賞でも、はやりのテーマで一流誌に論文をたくさん発表している人が選ばれがちです。その人ならではの思い切った挑戦をもっと評価すべきです。
若い研究者に、研究とは何か、研究の本当の面白さとは何か、きちんと教えることが、指導する者の役目です。それを再確認する必要があります。
現在、大学と大学院との一貫教育が議論されていますが、これには反対です。囲い込みを強めて流動性を損ない、多様性を失う結果になります。
小保方晴子さんのように、新しい分野への挑戦は奨励されるべきです。もっと上手に育てることもできたのでは、と残念です。
(ごうみちこ)
39年生まれ。専門は生物物理学。名古屋大、長浜バイオ大の教授、お茶の水女子大学長などを経て名古屋大名誉教授、情報・システム研究機構非常勤理事。
■若手追い詰める競争の緩和を 榎木英介さん(近畿大学医学部病理学教室講師)
生命科学の分野で最近、研究不正が特に目立っています。重点分野としてポストや研究費が増えているため、多くの研究者が参入し激しい競争を繰り広げていることと無関係ではないと思います。
競争に勝つには、いい論文を数多く発表し、権威ある雑誌に掲載されなければなりません。そのためには捏造(ねつぞう)したデータの使用も、いとわなくなってしまう。また、実験結果の撮影にデジタルカメラを使うと、デジタル技術で画像を鮮明にしたり、コントラストを強調したりすることが簡単にできる。研究不正が生み出される素地が広がっているのです。
<ピペドと呼ばれ>
このような事情から、世界的に生命科学の分野で研究不正が起きやすくなっているのですが、日本では、教授などのボスに権限が集中する、上下関係の強い研究風土の弊害が強く出ています。
特に、「ポスドク」といわれる博士号取得後も不安定な有期雇用で働く人たちや大学院生は、強いプレッシャーを受けています。微量の試薬を測るマイクロピペットという道具を握って朝から晩まで実験を繰り返す姿は、奴隷になぞらえて「ピペド(ピペット奴隷)」と呼ばれるほどです。
大学院生は1991年から2000年にかけて倍増しました。でも教員は増えていないので、博士課程の学生はまともな教育を受けられず、単なる労働力として酷使されています。「大学院生はタダで使える」と放言する教授さえいる。すべての若手研究者がピペドというわけではありませんが、その置かれた境遇はひどい。監視カメラで行動を監視する研究室も存在する。女性研究者が教授から「結婚や出産をするなら、研究室から出ていけ」と言われたケースもあった。生命科学系のポスドクの15%が週80~100時間働いているという日本学術会議の調査結果もあります。
追い詰められた境遇から抜け出すには、いい論文を書かなければなりません。そんなとき、「ちょっとぐらい画像をいじっても誰も気が付かないよ」と悪魔がささやくのです。
研究不正に手を染めるぐらいなら、ピペドをやめればいいと思うかもしれません。でも、やめようとしても、教授が就職のための推薦状を書いてくれないとか、次の行き先がないため、やめるにやめられないということがあります。
実際、私の知人でピペドをやめてみたものの、就職先がなく、40歳近い年齢で今もアルバイト生活をしている元ポスドクがいます。
<研究者を減らせ>
大学院における学生への指導の欠如の問題もあります。教員も激しい研究競争に勝つため、学生の指導をしている暇がないのです。どうしているかというと、一つは大学院生を放置してしまう「放牧型」。もう一つは厳しく管理して、どんな研究を行うべきか、そのためにはどんな実験が必要か、細かく指示してやらせる「ブロイラー型」です。そして両方の悪いところを取ってできるのが「放牧ブロイラー型」。その実態は教員がテーマを決めてしまいます。しかし、指導はなく、学生はほったらかされる一方で、早く論文を書けとせかされます。
これでは、形だけ取り繕って研究結果が出ているように装うようになっても不思議ではありません。実験がうまくいかなければ、うまくいったときの画像を使う。データの切り貼りや、文章の引き写しも平気になります。
現在の生命科学研究における競争は、明らかに不健全なレベルに達しています。これを健全なレベルまで緩和しなければならない。
そのためには、増えすぎた研究者の数を減らす必要があります。生命科学系の大学院の定数やポスドクの数を減らすのです。
一方で、若手の研究者に安定的なポストを提供することも欠かせません。ノーベル賞級の研究は30代に行われたものが圧倒的に多いのですが、日本では30代のときに自分の裁量で研究ができる安定したポストが少ない。40代、50代になって安定したポストに就いたときには、才能が枯渇してしまっている状況です。日本の将来のためにも、若手研究者に安定した仕事を提供することが重要です。
(えのきえいすけ)
71年生まれ。東京大学理学部生物学科卒業、同大学院博士課程中退後、神戸大学医学部に編入学。著書に「博士漂流時代」「嘘(うそ)と絶望の生命科学」など。
<STAP細胞問題>
理化学研究所の小保方晴子氏らは1月末、記者会見を開き、弱い酸などの刺激で「STAP細胞」という全く新しい万能細胞をつくったと発表。若い女性研究者による画期的な成果と注目されたが、論文の画像に不自然な点があると指摘され、理研は不正と認定。論文は撤回された。小保方氏はSTAP細胞の存在を主張して再現実験を11月末まで行っていたが、理研関係者によると存在を確認できなかったという。教育や研究のあり方、研究不正の防止などの課題を残した。
2014年12月17日水曜日
評論家はいらない
ブログ「人の心に灯をともす」から「言い訳はいらない」(2014-12-16)をご紹介します。
これは偉大な政治家であり発明家でもあったベンジャミン・フランクリンの言葉である。
「こうすればいい、ああすればいい」と評論家のようなせりふを口にするのだが、さっぱり実行が伴わない人はあなたのまわりにもたくさんいることだろう。
本当の成功者は、実行した経験をもとに話をするものだ。
あなたは口先だけの人物か、実行する人物か、どちらだろうか。
あなたがうまくやり遂げられる可能性のあることは何だろうか。
あなたが立派に実行できれば、人々はあなたのアイデアに敬意を抱くようになる。
「言い訳が得意で、他のことも得意だという人を、私は一人も知らない」
これもフランクリンの名言である。
物事を最後まできちんとやり遂げない人を表現する言葉として、これ以上に的確なものはない。
「忙しい」「やり方がわからない」「時間がない」「お金がない」などというのは正当な理由にはならない。
それをするだけの勇気や能力、技術が自分にはないことを認めたくない人が思いつく言い訳にすぎないのだ。
何かをやってみるのに言い訳はいらない。
さあ、やってみよう。
ただ口先だけで文句を言ったり、批判したりする評論家のような人は多い。
言い訳が得意な人も同じで、自分が行動しない理由、評論家である理由を情熱をこめて説明できる。
行動の人は、できない理由ではなく、できる方法を一つでも多く探す。
そして、それを一つづつ実行する。
「言い訳はいらない」
実行する人にだけ幸せの女神は微笑む。
「立派なことを言うより立派なことをするほうが立派だ」
これは偉大な政治家であり発明家でもあったベンジャミン・フランクリンの言葉である。
「こうすればいい、ああすればいい」と評論家のようなせりふを口にするのだが、さっぱり実行が伴わない人はあなたのまわりにもたくさんいることだろう。
本当の成功者は、実行した経験をもとに話をするものだ。
あなたは口先だけの人物か、実行する人物か、どちらだろうか。
あなたがうまくやり遂げられる可能性のあることは何だろうか。
あなたが立派に実行できれば、人々はあなたのアイデアに敬意を抱くようになる。
「言い訳が得意で、他のことも得意だという人を、私は一人も知らない」
これもフランクリンの名言である。
物事を最後まできちんとやり遂げない人を表現する言葉として、これ以上に的確なものはない。
「忙しい」「やり方がわからない」「時間がない」「お金がない」などというのは正当な理由にはならない。
それをするだけの勇気や能力、技術が自分にはないことを認めたくない人が思いつく言い訳にすぎないのだ。
何かをやってみるのに言い訳はいらない。
さあ、やってみよう。
◇
ただ口先だけで文句を言ったり、批判したりする評論家のような人は多い。
言い訳が得意な人も同じで、自分が行動しない理由、評論家である理由を情熱をこめて説明できる。
行動の人は、できない理由ではなく、できる方法を一つでも多く探す。
そして、それを一つづつ実行する。
「言い訳はいらない」
実行する人にだけ幸せの女神は微笑む。
2014年12月15日月曜日
名を残さず、行いを残せ
ブログ「今日の言葉」から「残すもの」(2014-12-12)をご紹介します。
名を残さず、行いを残せ
二宮 尊徳
昨日の時々振り返りたい言葉と同様、時々読み返したいお話があります。
『小学生のとき、少し足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅いA君がいた。
でも、絵が上手な子だった。
彼は、よく空の絵を描いた。
抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。
担任のN先生は算数の時間、解けないと分かっているのに答えをその子に聞く。
冷や汗をかきながら、指を使って、
「ええと・ええと」
と答えを出そうとする姿を周りの子供は笑う。
N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。
私はN先生が大嫌いだった。
クラスもいつしか代わり、私たちが小学6年生になる前、N先生は違う学校へ転任することになったので、全校集会で先生のお別れ会をやることになった。
生徒代表でお別れの言葉を言う人が必要になった。
先生に一番世話をやかせたのだから、A君が言え、と言い出したお馬鹿さんがいた。
お別れ会で一人立たされて、どもる姿を期待したのだ。
私は、A君の言葉を忘れない。
「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」
A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。
水彩絵の具の色の使い方を教えてくれたこと。
放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。
その間、おしゃべりをする子供はいませんでした。
N先生がぶるぶる震えながら、嗚咽をくいしばる声が、体育館に響いただけでした。』
名を残さず、行いを残せ
二宮 尊徳
昨日の時々振り返りたい言葉と同様、時々読み返したいお話があります。
『小学生のとき、少し足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅いA君がいた。
でも、絵が上手な子だった。
彼は、よく空の絵を描いた。
抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。
担任のN先生は算数の時間、解けないと分かっているのに答えをその子に聞く。
冷や汗をかきながら、指を使って、
「ええと・ええと」
と答えを出そうとする姿を周りの子供は笑う。
N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。
私はN先生が大嫌いだった。
クラスもいつしか代わり、私たちが小学6年生になる前、N先生は違う学校へ転任することになったので、全校集会で先生のお別れ会をやることになった。
生徒代表でお別れの言葉を言う人が必要になった。
先生に一番世話をやかせたのだから、A君が言え、と言い出したお馬鹿さんがいた。
お別れ会で一人立たされて、どもる姿を期待したのだ。
私は、A君の言葉を忘れない。
「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」
A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。
水彩絵の具の色の使い方を教えてくれたこと。
放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。
その間、おしゃべりをする子供はいませんでした。
N先生がぶるぶる震えながら、嗚咽をくいしばる声が、体育館に響いただけでした。』
2014年12月14日日曜日
運は人が運んできてくれるもの
ブログ「人の心に灯をともす」から「運に巡り合いたいのなら」(2014-12-11)をご紹介します。
自分の好きなことを仕事としてやっていくことができる人は、本当に幸運だと思います。
僕自身、そんなことはほとんどできていません。
やりたくもない予備校講師を長年やってきたことで、ようやく自分が一番やりたい本を書くという仕事の依頼を次々といただけるようになりました。
ところが、本を書くより好きだとはとても言えないテレビの出演の依頼も多数いただけるようになり、肝心な本を書く時間をほとんど捻出できない状況です。
だったら、テレビの仕事を断ればいいではないか、という声も聞こえてきそうです。
それはもっともですが、「それはちょっと違う」と言いたいのも事実です。
みなさんは、自分の「交換可能性」ということについて考えたことがありますか?
僕は、このことに絶えず自覚的です。
仕事を断ることは簡単ですが、僕でなければできない仕事などほとんどありません。
そう、僕にできる仕事は、基本的には他の誰でもできるのです。
にもかかわらず、相手はぜひ僕に、と依頼してくれた…。
どこに断る理由があるのでしょうか?
ありがたくお受けして、そこで全力を尽くすだけです。
そして、依頼してくれた相手が、「やっぱり林さんにお願いしてよかった」とほほ笑んでくれれば、それでよいではありませんか。
こういった「交換可能性」は、すべての人に当てはまる話なのです。
「オレがいなかったら、この会社は立ち行かないよ」
こんな妄言はありません。
その人がもしいなくなっても、おそらくその会社はしっかり営業を続けるでしょう。
組織とはそういうものであり、また、そういうふうに組織づくりを行うべきなんです。
そんなふうに、誰しもが「交換可能性」に脅かされるように生きているなかで、『アンパンマン』の作者であるやなせたかしさんは、次のようにおっしゃっています。
『運に巡り合いたいのならば、なんでも引き受けてみるといい』
自分の好き嫌いなどという小さな物差しにこだわらないことが、運に巡り合う秘訣だ。
そう読み替えることもできるでしょう。
そういうものなんですよ。
これは、僕がいただいたテレビの仕事に全力で向き合ったからこそ出会えた言葉なんです。
『やりたくない仕事に全力で打ち込むことが、やりたい仕事に自分を近づけてくれるという逆説』
そんなふうにも言えるのではないでしょうか。逆に、
『やりたいことにこだわりすぎるがゆえに、逆にやりたいことができなくなってしまうという逆説』
これもまた真実のような気がします。
会社に入って、最初に配属されたのが希望した部署ではなかったと、モチベーションが下がってしまう人がいます。
ひどい場合は、それだけで会社を辞めてしまう人さえいます。
「僕にはそれはできません」「私はこれしかやりません」と拒否することが、結果的には自分の可能性を狭めることになる場合が少なくないのです。
自分にどんなポテンシャルが眠っているのかは、案外自分ではわからないもの。
第三者が客観的に見たうえでの、「この人にはこの仕事をやらせてみよう」という判断は、意外に正しい場合が多いのです。
ですから、自分のモノサシにこだわって、まだわからない未知の才能が花咲く可能性をつぶしてしまうのはもったいない。
やなせさんのような、こんな仕事もやってみるか、という柔軟な姿勢から好結果は生まれるものなのです。
幸運も不運も、人が運んでくるもの。
運の悪い人と巡り合えば運は悪くなり、運のいい人と巡り合えば運はよくなる。
「運は自分が引き寄せるもの」、と考えるより、「運は人が運んできてくれるもの」と考えた方が謙虚で可愛げがあり、運の女神には好かれやすい。
もちろん、自助努力なしの、口をあけてただ待っているだけの人頼りの姿勢では、運はやってこないのは言うまでもない。
人から頼まれたり、やる羽目になったことは、テストのようなもの。
頼まれたこと以上のことをして、相手を驚かせたり、喜ばせたらテストは合格。
そこから、運がやってくる。
自分の幅を大きく広げてくれるのは、多くは、人からの無茶な頼みや、無理難題にも思えるオーダー。
運は予期せぬ方角からやってくる。
そして、自分の枠を超えたところに運は存在する。
人からの頼みごとを全力でやり遂げる人に、運は巡ってくる。
自分の好きなことを仕事としてやっていくことができる人は、本当に幸運だと思います。
僕自身、そんなことはほとんどできていません。
やりたくもない予備校講師を長年やってきたことで、ようやく自分が一番やりたい本を書くという仕事の依頼を次々といただけるようになりました。
ところが、本を書くより好きだとはとても言えないテレビの出演の依頼も多数いただけるようになり、肝心な本を書く時間をほとんど捻出できない状況です。
だったら、テレビの仕事を断ればいいではないか、という声も聞こえてきそうです。
それはもっともですが、「それはちょっと違う」と言いたいのも事実です。
みなさんは、自分の「交換可能性」ということについて考えたことがありますか?
僕は、このことに絶えず自覚的です。
仕事を断ることは簡単ですが、僕でなければできない仕事などほとんどありません。
そう、僕にできる仕事は、基本的には他の誰でもできるのです。
にもかかわらず、相手はぜひ僕に、と依頼してくれた…。
どこに断る理由があるのでしょうか?
ありがたくお受けして、そこで全力を尽くすだけです。
そして、依頼してくれた相手が、「やっぱり林さんにお願いしてよかった」とほほ笑んでくれれば、それでよいではありませんか。
こういった「交換可能性」は、すべての人に当てはまる話なのです。
「オレがいなかったら、この会社は立ち行かないよ」
こんな妄言はありません。
その人がもしいなくなっても、おそらくその会社はしっかり営業を続けるでしょう。
組織とはそういうものであり、また、そういうふうに組織づくりを行うべきなんです。
そんなふうに、誰しもが「交換可能性」に脅かされるように生きているなかで、『アンパンマン』の作者であるやなせたかしさんは、次のようにおっしゃっています。
『運に巡り合いたいのならば、なんでも引き受けてみるといい』
自分の好き嫌いなどという小さな物差しにこだわらないことが、運に巡り合う秘訣だ。
そう読み替えることもできるでしょう。
そういうものなんですよ。
これは、僕がいただいたテレビの仕事に全力で向き合ったからこそ出会えた言葉なんです。
『やりたくない仕事に全力で打ち込むことが、やりたい仕事に自分を近づけてくれるという逆説』
そんなふうにも言えるのではないでしょうか。逆に、
『やりたいことにこだわりすぎるがゆえに、逆にやりたいことができなくなってしまうという逆説』
これもまた真実のような気がします。
会社に入って、最初に配属されたのが希望した部署ではなかったと、モチベーションが下がってしまう人がいます。
ひどい場合は、それだけで会社を辞めてしまう人さえいます。
「僕にはそれはできません」「私はこれしかやりません」と拒否することが、結果的には自分の可能性を狭めることになる場合が少なくないのです。
自分にどんなポテンシャルが眠っているのかは、案外自分ではわからないもの。
第三者が客観的に見たうえでの、「この人にはこの仕事をやらせてみよう」という判断は、意外に正しい場合が多いのです。
ですから、自分のモノサシにこだわって、まだわからない未知の才能が花咲く可能性をつぶしてしまうのはもったいない。
やなせさんのような、こんな仕事もやってみるか、という柔軟な姿勢から好結果は生まれるものなのです。
◇
幸運も不運も、人が運んでくるもの。
運の悪い人と巡り合えば運は悪くなり、運のいい人と巡り合えば運はよくなる。
「運は自分が引き寄せるもの」、と考えるより、「運は人が運んできてくれるもの」と考えた方が謙虚で可愛げがあり、運の女神には好かれやすい。
もちろん、自助努力なしの、口をあけてただ待っているだけの人頼りの姿勢では、運はやってこないのは言うまでもない。
人から頼まれたり、やる羽目になったことは、テストのようなもの。
頼まれたこと以上のことをして、相手を驚かせたり、喜ばせたらテストは合格。
そこから、運がやってくる。
自分の幅を大きく広げてくれるのは、多くは、人からの無茶な頼みや、無理難題にも思えるオーダー。
運は予期せぬ方角からやってくる。
そして、自分の枠を超えたところに運は存在する。
人からの頼みごとを全力でやり遂げる人に、運は巡ってくる。
2014年12月12日金曜日
政治に問われる子どもの貧困問題
「「夕食は「おにぎりパーティー」 子どもの貧困6人に1人」(2014年12月9日朝日新聞)をご紹介します。
給料日前の月末になると、夕食の食卓に連日、おにぎりだけが数個並ぶことがある。
都内の母親(50)は、小6の長女(12)に「さあ、おにぎりパーティーの始まりよ」と声をかける。
「だって『おにぎりしかない』って言うと暗くなっちゃうでしょ」。具は何がいいか、リクエストも聞く。「おかかとみそ、塩の3種類しかないけどね」
母子家庭になったのは、長女が生まれてすぐだった。母親は専業主婦だったが、介護の仕事を始め、資格もとった。
週4日、病院で介護士としてパートで働く。もっと働きたいが、周りになじめず低学年から不登校になった長女を放ってはおけない。パートの収入は月12万~13万円。生活保護も一部受ける。生活費にあてられるのは月7万2千円。うち食費は2万円ほどだ。
長女は昨年からようやく、フリースクールに通えるようになった。給食は出ないので、昼ご飯を食べずに過ごすことが多い。帰り道の夕方、100円で9個入りの小さなシュークリームを買うのが楽しみだ。
夕食は、午後7時すぎに帰宅する母親と食べる。モヤシだけの焼きそば、肉のかわりに12個で87円のウズラの卵が入ったカレー。「育ちざかりなのに。虐待じゃないかと思うこともある」と母親は打ち明ける。
7月は電気、8月はガス、9月は水道などと数カ月に1回順ぐりに払う。それでも払えないこともあり、昨年のクリスマスには水道が止められた。炊飯器の釜やペットボトルを手に公園へ行き、水をくんだ。
長女はいう。「わたしはがまんしてない。お母さんの方ががまんしてる」
国民1人の平均所得の半分に満たない家庭の子どもは、6人に1人。子どもの貧困が広がっている。
留守番の夜、夕飯は児童館で
タラとキノコの酒蒸し、ニンジンとホウレン草のサラダ。「いただきまーす」。夕方6時、小学生3人と、学生らボランティアの大人たち7人の夕食が始まった。東京都豊島区のお寺の施設を利用し、地元のNPO法人が毎週火曜日に開く「夜の児童館」だ。
子どもたちは午後4時から8時まで、夕食を食べ、宿題をしたり遊んだりして過ごす。「なんの魚か分かる?」「骨があるから気をつけて」。会話も楽しむ。
通うのは、ひとり親や共働きの家庭の子たちだ。児童館を開くNPO法人「豊島子どもWAKUWAKUネットワーク」事務局長の天野敬子さんによると、こうした家庭では学童保育のあと、子どもが家で1人で過ごすことが少なくない。夕食は菓子パンなど簡単なもので済ませがちだ。
「栄養面だけではない。家族とごはんを食べたり、おしゃべりしたりという経験が抜け落ちていく。働かなければいけない親が帰ってこられないのなら、地域で支える場所が必要だ」と天野さんは話す。
このNPOは3年前、不登校や引きこもりの子の支援をしてきた天野さんらが立ち上げた。夜、家で1人ですごす子の話を聞き、夕食の場を提供しようと、11月から児童館を始めた。
小学2年の長男(8)が通うシングルマザーの母親(38)は「児童館のある火曜日だけは少し残業もできて、助かる」と話す。
旅行会社でパートで働き、時給は950円。月の収入は13万~15万円ほどだ。午後5時半に会社を出て、学童保育のお迎えに駆け込む。パートでボーナスもなく、「ぎりぎりで生活は回っているけど、貯金ができないのが悩み」。
経済的な貧しさは、子どもたちが受けられる教育の問題につながり、「貧困の連鎖」を生む。
福岡県の公立高3年の男子生徒(18)は中学3年のときに母を亡くし、姉と生活保護で暮らす。すべり止めの私立を受けられず、志望校のランクを下げていまの高校に入った。母を失ったショックや学校への不満から、1~2年のころはあまり学校に行けなかった。
大学の夜間部に進みたいが、お金や学力など不安だらけだ。塾や予備校に通う余裕もない。「いま勉強して意味があるのかな、と考えてしまう」
名古屋市に住む女性(20)はこの春、愛知県立の夜間定時制高校から県内の専門学校に入学した。
中学時代に両親が離婚した。母は恋人をつくって留守がちになり、祖父母宅に身を寄せた。大学進学を考え、喫茶店やライブ会場などのアルバイトを掛け持ちして働き、高校卒業までに100万円以上をためた。
昼に働いた後で学校に行き、深夜再び働いたこともある。入試に失敗し、専門学校に通いながら来春の大学編入試験を目指す。
担任だった高校の教師(60)は「定時制にはひとり親で生活保護を受けている生徒が多い」という。幼い弟妹の面倒を見るため中学に通えなかったという生徒もいた。「祖父母の代から生活保護という子もいる。貧しい層の固定化が顕著になっている」と話す。
子どもの貧困率、悪化続く
子どもの貧困率はデータを取り始めた1985年以降、悪化が続いている。厚生労働省の調べでは、2012年には国民1人あたりの平均所得の半分(12年は122万円)にも満たない家庭で暮らす子どもたちの割合が、過去最悪の16・3%になった。
政府が子どもの貧困率を公表したのは、民主党政権になった直後の09年秋。安倍政権下で昨年、貧困の連鎖に歯止めをかける対策を国の責務とする「子どもの貧困対策法」が成立した。今年8月には、学校を支援の拠点に位置づけるなどの重点施策を示した「子供の貧困対策大綱」ができた。
法律や大綱ができたのは評価できる。ただ、大綱には子どもの貧困率をどれだけ削減するかの数値目標すら盛り込まれなかった。児童扶養手当の増額や返済のいらない奨学金の創設など有識者の検討会が求めた策も見送られた。
そもそも実態調査は遅れている。いまは家庭の所得を元に貧困率を出しているが、都道府県別や年齢別などのくわしい調査は進んでいない。これでは、子どもの状況に応じたきめ細かな対策は難しい。
あしなが育英会など17団体が今回の衆院選を前に、政党にたずねたアンケートでは「子どもの貧困について多面的な実態調査をする」との項目に全党が「取り組む」と答えた。
子どもの貧困は、日本が直面する「格差」の問題でもある。詳しい実態調査に加え、低賃金の非正社員が増える雇用の問題、教育への支援など対策は多岐にわたる。政治のリーダーシップが問われている。
給料日前の月末になると、夕食の食卓に連日、おにぎりだけが数個並ぶことがある。
都内の母親(50)は、小6の長女(12)に「さあ、おにぎりパーティーの始まりよ」と声をかける。
「だって『おにぎりしかない』って言うと暗くなっちゃうでしょ」。具は何がいいか、リクエストも聞く。「おかかとみそ、塩の3種類しかないけどね」
母子家庭になったのは、長女が生まれてすぐだった。母親は専業主婦だったが、介護の仕事を始め、資格もとった。
週4日、病院で介護士としてパートで働く。もっと働きたいが、周りになじめず低学年から不登校になった長女を放ってはおけない。パートの収入は月12万~13万円。生活保護も一部受ける。生活費にあてられるのは月7万2千円。うち食費は2万円ほどだ。
長女は昨年からようやく、フリースクールに通えるようになった。給食は出ないので、昼ご飯を食べずに過ごすことが多い。帰り道の夕方、100円で9個入りの小さなシュークリームを買うのが楽しみだ。
夕食は、午後7時すぎに帰宅する母親と食べる。モヤシだけの焼きそば、肉のかわりに12個で87円のウズラの卵が入ったカレー。「育ちざかりなのに。虐待じゃないかと思うこともある」と母親は打ち明ける。
7月は電気、8月はガス、9月は水道などと数カ月に1回順ぐりに払う。それでも払えないこともあり、昨年のクリスマスには水道が止められた。炊飯器の釜やペットボトルを手に公園へ行き、水をくんだ。
長女はいう。「わたしはがまんしてない。お母さんの方ががまんしてる」
国民1人の平均所得の半分に満たない家庭の子どもは、6人に1人。子どもの貧困が広がっている。
留守番の夜、夕飯は児童館で
タラとキノコの酒蒸し、ニンジンとホウレン草のサラダ。「いただきまーす」。夕方6時、小学生3人と、学生らボランティアの大人たち7人の夕食が始まった。東京都豊島区のお寺の施設を利用し、地元のNPO法人が毎週火曜日に開く「夜の児童館」だ。
子どもたちは午後4時から8時まで、夕食を食べ、宿題をしたり遊んだりして過ごす。「なんの魚か分かる?」「骨があるから気をつけて」。会話も楽しむ。
通うのは、ひとり親や共働きの家庭の子たちだ。児童館を開くNPO法人「豊島子どもWAKUWAKUネットワーク」事務局長の天野敬子さんによると、こうした家庭では学童保育のあと、子どもが家で1人で過ごすことが少なくない。夕食は菓子パンなど簡単なもので済ませがちだ。
「栄養面だけではない。家族とごはんを食べたり、おしゃべりしたりという経験が抜け落ちていく。働かなければいけない親が帰ってこられないのなら、地域で支える場所が必要だ」と天野さんは話す。
このNPOは3年前、不登校や引きこもりの子の支援をしてきた天野さんらが立ち上げた。夜、家で1人ですごす子の話を聞き、夕食の場を提供しようと、11月から児童館を始めた。
小学2年の長男(8)が通うシングルマザーの母親(38)は「児童館のある火曜日だけは少し残業もできて、助かる」と話す。
旅行会社でパートで働き、時給は950円。月の収入は13万~15万円ほどだ。午後5時半に会社を出て、学童保育のお迎えに駆け込む。パートでボーナスもなく、「ぎりぎりで生活は回っているけど、貯金ができないのが悩み」。
経済的な貧しさは、子どもたちが受けられる教育の問題につながり、「貧困の連鎖」を生む。
福岡県の公立高3年の男子生徒(18)は中学3年のときに母を亡くし、姉と生活保護で暮らす。すべり止めの私立を受けられず、志望校のランクを下げていまの高校に入った。母を失ったショックや学校への不満から、1~2年のころはあまり学校に行けなかった。
大学の夜間部に進みたいが、お金や学力など不安だらけだ。塾や予備校に通う余裕もない。「いま勉強して意味があるのかな、と考えてしまう」
名古屋市に住む女性(20)はこの春、愛知県立の夜間定時制高校から県内の専門学校に入学した。
中学時代に両親が離婚した。母は恋人をつくって留守がちになり、祖父母宅に身を寄せた。大学進学を考え、喫茶店やライブ会場などのアルバイトを掛け持ちして働き、高校卒業までに100万円以上をためた。
昼に働いた後で学校に行き、深夜再び働いたこともある。入試に失敗し、専門学校に通いながら来春の大学編入試験を目指す。
担任だった高校の教師(60)は「定時制にはひとり親で生活保護を受けている生徒が多い」という。幼い弟妹の面倒を見るため中学に通えなかったという生徒もいた。「祖父母の代から生活保護という子もいる。貧しい層の固定化が顕著になっている」と話す。
子どもの貧困率、悪化続く
子どもの貧困率はデータを取り始めた1985年以降、悪化が続いている。厚生労働省の調べでは、2012年には国民1人あたりの平均所得の半分(12年は122万円)にも満たない家庭で暮らす子どもたちの割合が、過去最悪の16・3%になった。
政府が子どもの貧困率を公表したのは、民主党政権になった直後の09年秋。安倍政権下で昨年、貧困の連鎖に歯止めをかける対策を国の責務とする「子どもの貧困対策法」が成立した。今年8月には、学校を支援の拠点に位置づけるなどの重点施策を示した「子供の貧困対策大綱」ができた。
法律や大綱ができたのは評価できる。ただ、大綱には子どもの貧困率をどれだけ削減するかの数値目標すら盛り込まれなかった。児童扶養手当の増額や返済のいらない奨学金の創設など有識者の検討会が求めた策も見送られた。
そもそも実態調査は遅れている。いまは家庭の所得を元に貧困率を出しているが、都道府県別や年齢別などのくわしい調査は進んでいない。これでは、子どもの状況に応じたきめ細かな対策は難しい。
あしなが育英会など17団体が今回の衆院選を前に、政党にたずねたアンケートでは「子どもの貧困について多面的な実態調査をする」との項目に全党が「取り組む」と答えた。
子どもの貧困は、日本が直面する「格差」の問題でもある。詳しい実態調査に加え、低賃金の非正社員が増える雇用の問題、教育への支援など対策は多岐にわたる。政治のリーダーシップが問われている。
2014年12月11日木曜日
心を込めて聴く
ブログ「今日の言葉」から「傾聴」(2014-12-04)をご紹介します。
人には口が一つなのに、
耳は二つあるのは何故だろうか。
それは自分が話す倍だけ
他人の話を聞かなければならないからだ。
ユダヤの格言
「傾聴」という言葉が最近注目されています。
聞くのではなく、聴く。
「聴」という漢字には「心」が含まれていますから、
心を込めて聴くということになるのでしょう。
相手に興味を持って話を聴く。
相手の話を途中で遮らない。
相づちを打つ。
良し悪しを判断しない。
腕組みや反り返った姿勢にならない。
などなど、傾聴の技術が様々紹介されています。
時に自分の存在感を証明するためのごとく、
自分の主張をしてしまうこともあるでしょう。
そんなときには「今、それを言うことに本当に価値があるか?」
と自問自答してみることも大切ですね。
そして話す方もそうして相手が傾聴してくれていることを意識して、
相手に伝わりやすい方法で伝えることを意識すること。
それは決して自分が話したい様に話すこととは違う。
そうしたお互いの配慮があって、
良質なコミュニケーションが生まれていくのです。
ただし時にはただ聞いてほしいという時もあるでしょうから、
そういう時はまず、「何も言わず話だけ聞いて!」
と前置きすることが大事ですね。
人には口が一つなのに、
耳は二つあるのは何故だろうか。
それは自分が話す倍だけ
他人の話を聞かなければならないからだ。
ユダヤの格言
「傾聴」という言葉が最近注目されています。
聞くのではなく、聴く。
「聴」という漢字には「心」が含まれていますから、
心を込めて聴くということになるのでしょう。
相手に興味を持って話を聴く。
相手の話を途中で遮らない。
相づちを打つ。
良し悪しを判断しない。
腕組みや反り返った姿勢にならない。
などなど、傾聴の技術が様々紹介されています。
時に自分の存在感を証明するためのごとく、
自分の主張をしてしまうこともあるでしょう。
そんなときには「今、それを言うことに本当に価値があるか?」
と自問自答してみることも大切ですね。
そして話す方もそうして相手が傾聴してくれていることを意識して、
相手に伝わりやすい方法で伝えることを意識すること。
それは決して自分が話したい様に話すこととは違う。
そうしたお互いの配慮があって、
良質なコミュニケーションが生まれていくのです。
ただし時にはただ聞いてほしいという時もあるでしょうから、
そういう時はまず、「何も言わず話だけ聞いて!」
と前置きすることが大事ですね。
2014年12月8日月曜日
どんな教育を目指すか
「衆院選 教育改革 時代が求める人材は」(2014年12月6日朝日新聞社説)をご紹介します。
安倍政権はこの2年間、経済と並ぶ重要課題として、「教育再生」を掲げてきた。
日本人としてのアイデンティティーを育てる、とのかけ声で様々な施策を進めている。
教科書の検定基準を変え、政府見解を書くよう促した。領土問題も、政府の主張通りに教えるよう指導の指針を改めた。
道徳を教科に格上げし、「愛国心」を掲げた教育基本法に基づく教科書を導入する。高校で日本史必修化の検討も始めた。
自民党はそれらを公約とし、「スーパーグローバル大学」の整備などもうたう。安倍首相が語る大学改革の目標は、「世界で勝つ」人材育成だという。
だが必要なのは、世界で勝つ人材ではなく、国内外の問題解決の道を探れる人材ではないのか。それには多種多様な価値観の人々と対話する力が肝要だ。
野党は、公約の力点を教育の条件整備に置く党が多い。民主党は、少人数学級の拡充や高校無償化を挙げる。社民党も「30人以下学級」「給付型奨学金」などの支援策が中心だ。
そこからは、これからの時代にふさわしい人間像や教育の進むべき方向性は読み取れない。
維新の党は「多様性こそ国家の活力」とし、「多様な教育提供者の競い合い」を強調する。ただ、子ども一人ひとりがどう学ぶかまでは触れていない。
これからはグローバル化と情報化が一層進む。今日の知識が明日も正しいとは限らない。一人の力では限界がある。言語や文化、分野の異なる人々と力を合わせ、答えが一つではない課題に取り組む力が求められる。
日本人としての意識は大切だが、それだけでは足りない。相手を知ることで自らを問い直す力も欠かせない。
日本人そのものも一色ではない。多様な見方や考え方を認め合う姿勢が必要だ。教室のいじめも、「みんな一緒」を求める同調圧力から生まれているのではないか。自分たちと違う者を排斥する先にあるのが、ヘイトスピーチだろう。
この間の政策の過程も多様化する社会にふさわしいとは言い難い。与党の方針を政府の「教育再生実行会議」が権威づけ、文部科学相の諮問機関「中央教育審議会」が具体化する――。そんな与党判断が政策に直結する手続きではなく、幅広い意見を集めるプロセスが必要だ。
教育は子どもを通じて新しい時代をつくりだす営みだ。どんな教育を目指すかは、どんな社会を描くかに直結する。だからこそ、各党は教育をめぐる議論を活発に戦わせてほしい。
安倍政権はこの2年間、経済と並ぶ重要課題として、「教育再生」を掲げてきた。
日本人としてのアイデンティティーを育てる、とのかけ声で様々な施策を進めている。
教科書の検定基準を変え、政府見解を書くよう促した。領土問題も、政府の主張通りに教えるよう指導の指針を改めた。
道徳を教科に格上げし、「愛国心」を掲げた教育基本法に基づく教科書を導入する。高校で日本史必修化の検討も始めた。
自民党はそれらを公約とし、「スーパーグローバル大学」の整備などもうたう。安倍首相が語る大学改革の目標は、「世界で勝つ」人材育成だという。
だが必要なのは、世界で勝つ人材ではなく、国内外の問題解決の道を探れる人材ではないのか。それには多種多様な価値観の人々と対話する力が肝要だ。
野党は、公約の力点を教育の条件整備に置く党が多い。民主党は、少人数学級の拡充や高校無償化を挙げる。社民党も「30人以下学級」「給付型奨学金」などの支援策が中心だ。
そこからは、これからの時代にふさわしい人間像や教育の進むべき方向性は読み取れない。
維新の党は「多様性こそ国家の活力」とし、「多様な教育提供者の競い合い」を強調する。ただ、子ども一人ひとりがどう学ぶかまでは触れていない。
これからはグローバル化と情報化が一層進む。今日の知識が明日も正しいとは限らない。一人の力では限界がある。言語や文化、分野の異なる人々と力を合わせ、答えが一つではない課題に取り組む力が求められる。
日本人としての意識は大切だが、それだけでは足りない。相手を知ることで自らを問い直す力も欠かせない。
日本人そのものも一色ではない。多様な見方や考え方を認め合う姿勢が必要だ。教室のいじめも、「みんな一緒」を求める同調圧力から生まれているのではないか。自分たちと違う者を排斥する先にあるのが、ヘイトスピーチだろう。
この間の政策の過程も多様化する社会にふさわしいとは言い難い。与党の方針を政府の「教育再生実行会議」が権威づけ、文部科学相の諮問機関「中央教育審議会」が具体化する――。そんな与党判断が政策に直結する手続きではなく、幅広い意見を集めるプロセスが必要だ。
教育は子どもを通じて新しい時代をつくりだす営みだ。どんな教育を目指すかは、どんな社会を描くかに直結する。だからこそ、各党は教育をめぐる議論を活発に戦わせてほしい。
2014年12月7日日曜日
幸せとは、ごくあたりまえの恵みに目覚めること
「幸せとは気付くことである」(2014-11-29 PRESIDENT Online)をご紹介します。
このところ、幸せとは何か、という問題を考えていると、思わず手をたたきたくなる。
日本語の楽曲としては、現在まで唯一の全米チャート1位という偉業を達成した『上を向いて歩こう』。この大ヒットで知られる坂本九さんが歌っていたのが、『幸せなら手をたたこう』。いまだに歌い継がれているこの曲が、大好きだという人は多いだろう。
2014年のグラミー賞で複数の賞に輝いた米国の歌手、ファレル・ウィリアムスのヒット曲『Happy』。この楽曲は、繰り返し、「幸せなら手をたたこう」と歌っている。
「幸せの意味がわかったら」「幸せこそ真実だと思ったら」「自分が、屋根のない部屋のように感じたら」手をたたこうと呼びかけるのだ。
手をたたくって、そんなにシンプルなことでいいのか、と思うだろう。幸せになるって、もっと複雑な、難しいことではなかったか、と思う人がいるかもしれない。
しかし、そうではない。幸せとは、「気付く」ことであると、さまざまな研究結果が示している。自分の人生の中の、ごくあたりまえの恵みに目覚めることが、汲めども尽きぬ幸せの泉となるのだ。
ある程度の経済的裏付けは、もちろん必要である。しかし、お金さえあれば、幸せになるというわけではない。
今日はどのシャンパンにしよう、フレンチにしようか、イタリアンにしようか、という生活は贅沢で羨ましいようにも思える。しかし、そのような人が、今晩はどの発泡酒にしようとコンビニの棚の前で考えている若者に比べて、幸せであるとは限らない。
「隣の芝は青く見える」という。他人を羨ましく思うことが、明日への活力につながることもあるし、国全体としての経済成長を促すこともあるだろう。
しかし、それがいきすぎると、こだわりや執着を生む。何よりも日々の生活が、「いつか幸せ」になるためのプロセス、手段になってしまう。
本当は、今日という日は、二度と帰ってこない。だからこそ、日々の足元を見直すことが、幸せにつながる。つまり幸せとは、一つの「発見」であり、「認知」なのだ。
そのことを表しているのが、メーテルリンクの「幸せの青い鳥」の寓話だろう。幸せを求めてさまざまな場所を旅し、家に戻ってくると、幸せの青い鳥は、実は最初から自分たちの家にいたのだった。
この寓話が意味するところは、幸せの条件は、すでに足元にあることが多い、ということであるが、もう一つ、大切なポイントがある。
それは、他人の人生、別の生き方を知ることが、自分自身の幸せを見直すきっかけになるということ。幸せの青い鳥は、最初から家にいたのかもしれない。しかし、家に閉じこもっていたままでは、その意味に気付くことはできなかっただろう。
さまざまな場所を旅して、いろいろな人と話すことは、だから、決してムダにはならない。外国を旅した人が、日本の良さに目覚めるように、他者との出会いがあって初めて、身近にある幸せの泉に気付くことができるのだ。
結論。幸せの青い鳥は、すぐ身近にいる。しかし、その存在に気付くためには「旅」をすることが必要。幸せは、手をたたくくらい簡単なことなのだが、そのためにこそ、他人との出会いが大切だ。
さあ、そこのあなた、身近な幸せを見つけて、いっしょに手をたたきませんか。
このところ、幸せとは何か、という問題を考えていると、思わず手をたたきたくなる。
日本語の楽曲としては、現在まで唯一の全米チャート1位という偉業を達成した『上を向いて歩こう』。この大ヒットで知られる坂本九さんが歌っていたのが、『幸せなら手をたたこう』。いまだに歌い継がれているこの曲が、大好きだという人は多いだろう。
2014年のグラミー賞で複数の賞に輝いた米国の歌手、ファレル・ウィリアムスのヒット曲『Happy』。この楽曲は、繰り返し、「幸せなら手をたたこう」と歌っている。
「幸せの意味がわかったら」「幸せこそ真実だと思ったら」「自分が、屋根のない部屋のように感じたら」手をたたこうと呼びかけるのだ。
手をたたくって、そんなにシンプルなことでいいのか、と思うだろう。幸せになるって、もっと複雑な、難しいことではなかったか、と思う人がいるかもしれない。
しかし、そうではない。幸せとは、「気付く」ことであると、さまざまな研究結果が示している。自分の人生の中の、ごくあたりまえの恵みに目覚めることが、汲めども尽きぬ幸せの泉となるのだ。
ある程度の経済的裏付けは、もちろん必要である。しかし、お金さえあれば、幸せになるというわけではない。
今日はどのシャンパンにしよう、フレンチにしようか、イタリアンにしようか、という生活は贅沢で羨ましいようにも思える。しかし、そのような人が、今晩はどの発泡酒にしようとコンビニの棚の前で考えている若者に比べて、幸せであるとは限らない。
「隣の芝は青く見える」という。他人を羨ましく思うことが、明日への活力につながることもあるし、国全体としての経済成長を促すこともあるだろう。
しかし、それがいきすぎると、こだわりや執着を生む。何よりも日々の生活が、「いつか幸せ」になるためのプロセス、手段になってしまう。
本当は、今日という日は、二度と帰ってこない。だからこそ、日々の足元を見直すことが、幸せにつながる。つまり幸せとは、一つの「発見」であり、「認知」なのだ。
そのことを表しているのが、メーテルリンクの「幸せの青い鳥」の寓話だろう。幸せを求めてさまざまな場所を旅し、家に戻ってくると、幸せの青い鳥は、実は最初から自分たちの家にいたのだった。
この寓話が意味するところは、幸せの条件は、すでに足元にあることが多い、ということであるが、もう一つ、大切なポイントがある。
それは、他人の人生、別の生き方を知ることが、自分自身の幸せを見直すきっかけになるということ。幸せの青い鳥は、最初から家にいたのかもしれない。しかし、家に閉じこもっていたままでは、その意味に気付くことはできなかっただろう。
さまざまな場所を旅して、いろいろな人と話すことは、だから、決してムダにはならない。外国を旅した人が、日本の良さに目覚めるように、他者との出会いがあって初めて、身近にある幸せの泉に気付くことができるのだ。
結論。幸せの青い鳥は、すぐ身近にいる。しかし、その存在に気付くためには「旅」をすることが必要。幸せは、手をたたくくらい簡単なことなのだが、そのためにこそ、他人との出会いが大切だ。
さあ、そこのあなた、身近な幸せを見つけて、いっしょに手をたたきませんか。
2014年12月6日土曜日
原因は必ず結果を生む
ブログ「人の心に灯をともす」から「因果応報の法則」(2014-11-27)をご紹介します。
因果応報の法則とは、善いことをすればよい結果が生じ、悪いことをすれば悪い結果が生まれる。
善因は善果(ぜんか)を生み、悪因は悪果(あくか)を生むという法則のことです。
善因悪因の「因」とは、自分が生きている間に思ったこと、行ったことです。
自分自身が思い、考え、実行すること、それらが因、つまり原因となります。
思ったり、考えるだけで原因になるのか、と疑問に思われる方もいるかもしれません。
また、単に思っただけでしかないと、我々は軽く考えがちです。
しかし、思うということは決して軽いものではありません。
恨み、つらみなどを考えただけで、それが原因をつくってしまいます。
そして、原因は必ず「結果」を生みます。
原因が原因のままで残り続けることはありません。
このことをお釈迦さまは、「縁によって果が生ずる」とおっしゃっています。
ところが、因果応報の法則は、必ずしもその通りの結果が出ているようには見えません。
周囲を見渡せば、いいことをしてきた人が病気で苦しんでいる、悪いことをしている人が幸せそうに暮らしている例は、いくらでもあります。
このような状況では、いくら因果応報の法則を説かれても、我々のような凡人にはなかなか信じられません。
世の中は、因果応報の法則の通りになっていない、とつい思ってしまいます。
因果応報の法則は、結果が出るまでには時間がかかることがあります。
原因に対して結果がすぐ出ることもあるにはありますが、多くの場合はなかなか結果が出てこないのです。
しかし、20年、30年といった長いスパンで見ると、必ず因果応報の法則通りの結果になっています。
それでも私は、因果応報の法則に合わないケースがあるように見えるのは、どうしてなのかと以前は悩んでいました。
そのときに読んだのが、『シルバー・バーチの霊訓』です。
昔、ロンドンのある町医者が友人10人ほどを呼んで、毎週末、自宅で交霊会をやっていました。
町医者自身が、自分の身体に霊魂を呼び入れられる霊媒(れいばい)だったのです。
その交霊会には、いつもシルバー・バーチと名乗るアメリカインディアンの霊が出てきます。
その霊の言葉を集め出版されたのが『シルバー・バーチの霊訓』です。
私は当時から先進国であったイギリスの首都ロンドンで、しかもインテリである医者が霊媒になって交霊会をしていたという事実に興味を引かれてこの本を入手したのですが、その中にわずか数行ではありますが、因果応報について述べているところがありました。
シルバー・バーチの霊は言います。
「因果応報を疑っている人もいるだろう。だが、私がいるところから、みなが生きている現世を見ると、一分一厘(いちぶいちりん)の狂いもなく、原因の通りの結果が出ている」
すごいことだと思いました。
私はこの年齢になってもシルバー・バーチの霊ほど長いスパンで人生を見通せるわけではありませんが、納得することができるようになりました。
自己啓発のバイブルと呼ばれている本、「原因と結果の法則」を書いた、ジェームズ・アレンの言葉に次のようなものがある。
「行いは思いの花であり、喜びや悲しみはその果実です。私たちは、ときには甘く、ときに苦い果実を、自分で育て、収穫するのです」
強烈な思いは、必ず行動となってあらわれる。
そして、その思いが善きことなら、善い結果が生まれ、悪しきことなら、悪しき結果が生まれる。
その結果がどんなものであれ、それは自分自身が引き受けなければならない。
「一分一厘の狂いもなく、原因の通りの結果が出ている」
善きことを思い、善き行動を起こしたい。
因果応報の法則とは、善いことをすればよい結果が生じ、悪いことをすれば悪い結果が生まれる。
善因は善果(ぜんか)を生み、悪因は悪果(あくか)を生むという法則のことです。
善因悪因の「因」とは、自分が生きている間に思ったこと、行ったことです。
自分自身が思い、考え、実行すること、それらが因、つまり原因となります。
思ったり、考えるだけで原因になるのか、と疑問に思われる方もいるかもしれません。
また、単に思っただけでしかないと、我々は軽く考えがちです。
しかし、思うということは決して軽いものではありません。
恨み、つらみなどを考えただけで、それが原因をつくってしまいます。
そして、原因は必ず「結果」を生みます。
原因が原因のままで残り続けることはありません。
このことをお釈迦さまは、「縁によって果が生ずる」とおっしゃっています。
ところが、因果応報の法則は、必ずしもその通りの結果が出ているようには見えません。
周囲を見渡せば、いいことをしてきた人が病気で苦しんでいる、悪いことをしている人が幸せそうに暮らしている例は、いくらでもあります。
このような状況では、いくら因果応報の法則を説かれても、我々のような凡人にはなかなか信じられません。
世の中は、因果応報の法則の通りになっていない、とつい思ってしまいます。
因果応報の法則は、結果が出るまでには時間がかかることがあります。
原因に対して結果がすぐ出ることもあるにはありますが、多くの場合はなかなか結果が出てこないのです。
しかし、20年、30年といった長いスパンで見ると、必ず因果応報の法則通りの結果になっています。
それでも私は、因果応報の法則に合わないケースがあるように見えるのは、どうしてなのかと以前は悩んでいました。
そのときに読んだのが、『シルバー・バーチの霊訓』です。
昔、ロンドンのある町医者が友人10人ほどを呼んで、毎週末、自宅で交霊会をやっていました。
町医者自身が、自分の身体に霊魂を呼び入れられる霊媒(れいばい)だったのです。
その交霊会には、いつもシルバー・バーチと名乗るアメリカインディアンの霊が出てきます。
その霊の言葉を集め出版されたのが『シルバー・バーチの霊訓』です。
私は当時から先進国であったイギリスの首都ロンドンで、しかもインテリである医者が霊媒になって交霊会をしていたという事実に興味を引かれてこの本を入手したのですが、その中にわずか数行ではありますが、因果応報について述べているところがありました。
シルバー・バーチの霊は言います。
「因果応報を疑っている人もいるだろう。だが、私がいるところから、みなが生きている現世を見ると、一分一厘(いちぶいちりん)の狂いもなく、原因の通りの結果が出ている」
すごいことだと思いました。
私はこの年齢になってもシルバー・バーチの霊ほど長いスパンで人生を見通せるわけではありませんが、納得することができるようになりました。
◇
自己啓発のバイブルと呼ばれている本、「原因と結果の法則」を書いた、ジェームズ・アレンの言葉に次のようなものがある。
「行いは思いの花であり、喜びや悲しみはその果実です。私たちは、ときには甘く、ときに苦い果実を、自分で育て、収穫するのです」
強烈な思いは、必ず行動となってあらわれる。
そして、その思いが善きことなら、善い結果が生まれ、悪しきことなら、悪しき結果が生まれる。
その結果がどんなものであれ、それは自分自身が引き受けなければならない。
「一分一厘の狂いもなく、原因の通りの結果が出ている」
善きことを思い、善き行動を起こしたい。
2014年12月5日金曜日
小さな実践が人を変える
ブログ「今日の言葉」から「実践」(2014-11-28)をご紹介します。
小さな実践が人を変え、地域を変える。
鍵山秀三郎
「こんなこと位ならしなくてもいいだろう。」ではなく、
「こんなこと位ならやってみよう」と行動に移す。
それは結構勇気のいることですが、その実践の積み重ねが環境を変えていくことになる。
そんな実践の大切さを教えてくれる新渡戸稲造のお話を紹介します。
彼はクラーク博士で有名な札幌農学校を卒業後、アメリカとドイツに留学し、教育者として研鑽を積んでいきます。
彼がドイツのボン大学で学んでいたときのこと。
近くの公園を散歩していると、カトリックのシスターが大勢の孤児を連れて歩いているのを見つけました。
孤児たちは、同年代の子が親と楽しそうに遊んでいるのを見て、悲しそうな顔を浮かべています。
その日は、ちょうど新渡戸の母親の命日でした。
そこで、彼は母親に供え物をする代わりに、あの子たちにプレゼントを贈ろうと考え、近くにいたミルクを売っている女性に、代金を払うから、あの孤児たちにミルクをあげてほしいと頼みます。
もちろん、彼からのプレゼントだということは秘密にしてもらいました。
ミルク売りの女性はシスターにこの申し出を伝え、孤児たち全員にミルクが配られました。
突然のプレゼントに子どもたちは大喜び。
そして、全員が飲み終わると、シスターは孤児たちに話します。
「私たちに施しを下さった方が、どなたかはわかりません。
ですが、感謝の気持を伝えるために、全員で賛美歌を歌いましょう」
公園内に響く子どもたちの歌声。
彼は、母親の命日によいことができたと満足し、シスターと孤児が公園から去るのを見届けると、代金を払うためにミルク売りの女性のもとへ向かいました。
ところが、ミルク売りの女性は、代金を半額しか受取ろうとしません。
「私も孤児たちにミルクをあげたいと思っていましたが、商売のことを考えると、なかなか行動を起こすことはできませんでした。なので、ミルク代は原価だけを受取らせてください。今日は本当にありがとうございました」
ミルク売りの女性もまた、温かな心を持っていたのです。
小さな実践が人を変え、地域を変える。
鍵山秀三郎
「こんなこと位ならしなくてもいいだろう。」ではなく、
「こんなこと位ならやってみよう」と行動に移す。
それは結構勇気のいることですが、その実践の積み重ねが環境を変えていくことになる。
そんな実践の大切さを教えてくれる新渡戸稲造のお話を紹介します。
彼はクラーク博士で有名な札幌農学校を卒業後、アメリカとドイツに留学し、教育者として研鑽を積んでいきます。
彼がドイツのボン大学で学んでいたときのこと。
近くの公園を散歩していると、カトリックのシスターが大勢の孤児を連れて歩いているのを見つけました。
孤児たちは、同年代の子が親と楽しそうに遊んでいるのを見て、悲しそうな顔を浮かべています。
その日は、ちょうど新渡戸の母親の命日でした。
そこで、彼は母親に供え物をする代わりに、あの子たちにプレゼントを贈ろうと考え、近くにいたミルクを売っている女性に、代金を払うから、あの孤児たちにミルクをあげてほしいと頼みます。
もちろん、彼からのプレゼントだということは秘密にしてもらいました。
ミルク売りの女性はシスターにこの申し出を伝え、孤児たち全員にミルクが配られました。
突然のプレゼントに子どもたちは大喜び。
そして、全員が飲み終わると、シスターは孤児たちに話します。
「私たちに施しを下さった方が、どなたかはわかりません。
ですが、感謝の気持を伝えるために、全員で賛美歌を歌いましょう」
公園内に響く子どもたちの歌声。
彼は、母親の命日によいことができたと満足し、シスターと孤児が公園から去るのを見届けると、代金を払うためにミルク売りの女性のもとへ向かいました。
ところが、ミルク売りの女性は、代金を半額しか受取ろうとしません。
「私も孤児たちにミルクをあげたいと思っていましたが、商売のことを考えると、なかなか行動を起こすことはできませんでした。なので、ミルク代は原価だけを受取らせてください。今日は本当にありがとうございました」
ミルク売りの女性もまた、温かな心を持っていたのです。
2014年12月4日木曜日
人生の要素
ブログ「今日の言葉」から「素直な心」(2014-11-27)を抜粋してご紹介します。
素直な心の内容10カ条
第一条 私心にとらわれない
素直な心というものは、私利私欲にとらわれることのない心、私心にとらわれることのない心である
第二条 耳を傾ける
素直な心というものは、だれに対しても何事に対しても、謙虚に耳を傾ける心である
第三条 寛容
素直な心の内容の中には、万物万人いっさいをゆるしいれる広い寛容の心というものも含まれている
第四条 実相が見える
素直な心というものは、物事のありのままの姿、本当の姿、実相というものが見える心である
第五条 道理を知る
素直な心というものは、広い視野から物事を見、その道理を知ることのできる心である
第六条 すべてに学ぶ心
素直な心というものは、すべてに対して学ぶ心で接し、そこから何らかの教えを得ようとする謙虚さをもった心である
第七条 融通無碍
素直な心というものは、自由自在に見方、考え方を変え、よりよく対処してゆくことのできる融通無碍の働きのある心である
第八条 平常心
素直な心というものは、どのような物事に対しても、平静に、冷静に対処してゆくことのできる心である
第九条 価値を知る
素直な心というものは、よいものはよいものと認識し、価値あるものはその価値を正しくみとめることのできる心である
第十条 広い愛の心
素直な心というものは、人間が本来備えている広い愛の心、慈悲の心を十二分に発揮させる心である
松下幸之助
上に立つ人は、自分の欠点をみずから知るとともに、それを部下の人たちに知ってもらい、それをカバーしてもらうようにすることが大事だと思う。
素直な心の内容10カ条
第一条 私心にとらわれない
素直な心というものは、私利私欲にとらわれることのない心、私心にとらわれることのない心である
第二条 耳を傾ける
素直な心というものは、だれに対しても何事に対しても、謙虚に耳を傾ける心である
第三条 寛容
素直な心の内容の中には、万物万人いっさいをゆるしいれる広い寛容の心というものも含まれている
第四条 実相が見える
素直な心というものは、物事のありのままの姿、本当の姿、実相というものが見える心である
第五条 道理を知る
素直な心というものは、広い視野から物事を見、その道理を知ることのできる心である
第六条 すべてに学ぶ心
素直な心というものは、すべてに対して学ぶ心で接し、そこから何らかの教えを得ようとする謙虚さをもった心である
第七条 融通無碍
素直な心というものは、自由自在に見方、考え方を変え、よりよく対処してゆくことのできる融通無碍の働きのある心である
第八条 平常心
素直な心というものは、どのような物事に対しても、平静に、冷静に対処してゆくことのできる心である
第九条 価値を知る
素直な心というものは、よいものはよいものと認識し、価値あるものはその価値を正しくみとめることのできる心である
第十条 広い愛の心
素直な心というものは、人間が本来備えている広い愛の心、慈悲の心を十二分に発揮させる心である
松下幸之助
上に立つ人は、自分の欠点をみずから知るとともに、それを部下の人たちに知ってもらい、それをカバーしてもらうようにすることが大事だと思う。
部下の人が全知全能でないごとく、上に立つ人とても完全無欠ではない。
部下の人よりは欠点は少ないかも知れないが、それでも何らかの欠点を持たないという人はいないだろう。
その欠点多き上司が自分の知恵、自分の力だけで仕事をすすめていこうとすれば、これは必ずといっていいほど失敗するだろう。
やはり、自分の欠点を部下の人に知ってもらい補ってもらってこそ、はじめて上司としての職責が全うできるのである。
2014年12月3日水曜日
できなかった親孝行
「母への思いが変わった瞬間(きょうも傍聴席にいます)」(2014年11月18日朝日新聞)をご紹介します。
やせ細っていく、優しかった母。息子は1人で介護を続けた。体力がなくなってきたからか、母は入浴や食事を嫌がり始めた。2人で孤立するなか、息子の心配は、いつしかいら立ちに変わり、そして、暴力へとつながっていった。
東京地裁の715号法廷。10月28日、中野雅昭被告(39)は初公判に、緑色のネクタイをしめ、スーツ姿で現れた。母親に暴力を振るい、死なせたとして傷害致死罪に問われた。裁判員らの視線が集まるなか、緊張した面持ちを見せた。
検察側の冒頭陳述などから、事件をたどる。
中野被告は両親とともに、東京都中野区のマンションで暮らしていた。高校卒業後、スーパーで11年間勤務。だが、上司のパワハラを理由に辞職した。その後、別のスーパーで働いたが、5年前からは無職だった。
父親は15年前に他界。以来、母のれい子さん(当時64)と、2人で生活してきた。定職につかない息子を、母が責めることはなかった。「自分のやりたいことが見つかるまで、待っていいよ」。そう言って、見守ってくれていた。
一方で、れい子さんは骨粗鬆症(こつそしょうしょう)を発症。2011年から入退院を繰り返し、次第にやせ細っていった。
ほぼ毎日の通院には、中野被告が付き添った。食事は中野被告が用意したが、レトルト食品やスーパーの総菜が多かったという。
事件の1年前。れい子さんは雪で滑って、大腿(だいたい)骨を骨折してしまった。入浴やトイレも、1人では難しくなった。時折、尿や便を漏らすこともあったが、中野被告が下着などを手洗いした。
いつも寄り添う2人の姿を、マンションの住民がたびたび見かけている。
被告人質問。
弁護人「1人で介護をするのは、負担だったのでは」
被告「正直、負担でした。でも、仕方のないことだと思っていました」
小さな声で、こうも言った。
被告「とても優しい母でした」
なぜ、暴力が始まったのか。きっかけは、事件のほぼ半月前だ。
被告「1月13日です。おかゆを用意したが、母が食べず、顔を、平手打ちしてしまいました」
弁護人「なぜ暴力を」
被告「朝の『打ち合わせ』で、食べると言っていた。約束を守らなかったので、カッとなってしまいました」
人付き合いが苦手だった2人は、毎朝、れい子さんが集めていたキューピーの人形をそれぞれが持って、人形劇のように「打ち合わせ」をしていた。
ご飯を食べるか、散歩に行くか、お風呂に入るか。
心配性できちょうめんだった中野被告は、打ち合わせで決まったことを守ろうとした。だが、れい子さんは次第に、打ち合わせに反して、「食べない」「しんどいから風呂には入らない」と言うようになった。
被告「日に日に弱っていく母を見て、疲れていました」
「母のため」を思い、食事や入浴の準備をした。だが、応じてもらえない。「打ち合わせ」で決めたことも守ってもらえず、ストレスがたまっていった――。中野被告はそう説明した。
3~4日に一度、れい子さんに暴力を振るうようになった。
そして、1月29日。
中野被告は、れい子さんのためにレトルト食品のおかゆをあたためた。だが、れい子さんは「食べない」。カッとなって、顔をたたいた。
夜、風呂場に連れて行ったが、「しんどいからやめとく」。
布団が敷いてあった台所まで戻って、寝かせた。だが、怒りは収まらなかった。背中を強く蹴った。何回蹴ったか、覚えていない。
れい子さんは、「うぅ」と小さなうめき声を上げた。中野被告は心配になり、「ごめんね、大丈夫?」と聞いた。「大丈夫」。小さな声が返ってきたという。
自分を鎮めるため、中野被告は自室にこもった。10分ほど経ったころか。心配になり、様子を見に行った。れい子さんは薄目を開けたまま、動かなかった。慌てて119番通報したが、病院で死亡が確認された。
検察官「暴力を振るったとき、申し訳ない、とは思わなかったのか」
被告「そのときは、怒りの方が勝ってしまいました」
検察官の口調が、さらに強くなった。
検察官「暴力を振るったのは、あなたの感情によるもの。やむにやまれず、という状況ではない」
被告「……、感情任せの、短絡的な行動でした」
れい子さんは、生活の一部で支援が必要な「要支援1」に認定されていた。だが、デイサービスなどは利用していなかった。
検察官「なぜ、利用しなかったのか」
被告「母とも相談したのですが、人とコミュニケーションをとることが苦手で。人を家に入れることも、極端に嫌がった」
裁判員も質問した。
裁判員「自分1人で介護を続けることは難しい、と思ったことは?」
被告「ありました。でも、自分でやれることはやろうと思いました」
検察側は論告で、「やせ細った母親への暴力がいかに危険か、被告は認識していた」とし、懲役5年を求刑した。
弁護側は、執行猶予付きの判決を求めた。「現代の社会を反映した事件で、暴力行為は偶発的なもの。深く反省している」
最終意見陳述で、中野被告は用意してきた文書を読み上げた。
被告「母に対して本当に申し訳ない。人として、やってはいけないことをしてしまった。今更ですが、親孝行できなかったのが悔やまれます」
判決は10月31日に言い渡された。懲役3年の実刑判決だった。
最後に、裁判長が「裁判員、裁判官からあなたに伝えたいことがあります」と切り出した。
裁判長「被告はきまじめで優しく、きちんとした勤務もしてきたが、社会性の乏しさから不幸な事件につながった。お母さんの死という重大な結果について、さらに反省を深めてほしい。お母さんも、1人できちんと社会生活を送ることを望んでいると思います」
中野被告は、うなだれたまま聴き入っていた。
やせ細っていく、優しかった母。息子は1人で介護を続けた。体力がなくなってきたからか、母は入浴や食事を嫌がり始めた。2人で孤立するなか、息子の心配は、いつしかいら立ちに変わり、そして、暴力へとつながっていった。
東京地裁の715号法廷。10月28日、中野雅昭被告(39)は初公判に、緑色のネクタイをしめ、スーツ姿で現れた。母親に暴力を振るい、死なせたとして傷害致死罪に問われた。裁判員らの視線が集まるなか、緊張した面持ちを見せた。
検察側の冒頭陳述などから、事件をたどる。
中野被告は両親とともに、東京都中野区のマンションで暮らしていた。高校卒業後、スーパーで11年間勤務。だが、上司のパワハラを理由に辞職した。その後、別のスーパーで働いたが、5年前からは無職だった。
父親は15年前に他界。以来、母のれい子さん(当時64)と、2人で生活してきた。定職につかない息子を、母が責めることはなかった。「自分のやりたいことが見つかるまで、待っていいよ」。そう言って、見守ってくれていた。
一方で、れい子さんは骨粗鬆症(こつそしょうしょう)を発症。2011年から入退院を繰り返し、次第にやせ細っていった。
ほぼ毎日の通院には、中野被告が付き添った。食事は中野被告が用意したが、レトルト食品やスーパーの総菜が多かったという。
事件の1年前。れい子さんは雪で滑って、大腿(だいたい)骨を骨折してしまった。入浴やトイレも、1人では難しくなった。時折、尿や便を漏らすこともあったが、中野被告が下着などを手洗いした。
いつも寄り添う2人の姿を、マンションの住民がたびたび見かけている。
被告人質問。
弁護人「1人で介護をするのは、負担だったのでは」
被告「正直、負担でした。でも、仕方のないことだと思っていました」
小さな声で、こうも言った。
被告「とても優しい母でした」
なぜ、暴力が始まったのか。きっかけは、事件のほぼ半月前だ。
被告「1月13日です。おかゆを用意したが、母が食べず、顔を、平手打ちしてしまいました」
弁護人「なぜ暴力を」
被告「朝の『打ち合わせ』で、食べると言っていた。約束を守らなかったので、カッとなってしまいました」
人付き合いが苦手だった2人は、毎朝、れい子さんが集めていたキューピーの人形をそれぞれが持って、人形劇のように「打ち合わせ」をしていた。
ご飯を食べるか、散歩に行くか、お風呂に入るか。
心配性できちょうめんだった中野被告は、打ち合わせで決まったことを守ろうとした。だが、れい子さんは次第に、打ち合わせに反して、「食べない」「しんどいから風呂には入らない」と言うようになった。
被告「日に日に弱っていく母を見て、疲れていました」
「母のため」を思い、食事や入浴の準備をした。だが、応じてもらえない。「打ち合わせ」で決めたことも守ってもらえず、ストレスがたまっていった――。中野被告はそう説明した。
3~4日に一度、れい子さんに暴力を振るうようになった。
そして、1月29日。
中野被告は、れい子さんのためにレトルト食品のおかゆをあたためた。だが、れい子さんは「食べない」。カッとなって、顔をたたいた。
夜、風呂場に連れて行ったが、「しんどいからやめとく」。
布団が敷いてあった台所まで戻って、寝かせた。だが、怒りは収まらなかった。背中を強く蹴った。何回蹴ったか、覚えていない。
れい子さんは、「うぅ」と小さなうめき声を上げた。中野被告は心配になり、「ごめんね、大丈夫?」と聞いた。「大丈夫」。小さな声が返ってきたという。
自分を鎮めるため、中野被告は自室にこもった。10分ほど経ったころか。心配になり、様子を見に行った。れい子さんは薄目を開けたまま、動かなかった。慌てて119番通報したが、病院で死亡が確認された。
検察官「暴力を振るったとき、申し訳ない、とは思わなかったのか」
被告「そのときは、怒りの方が勝ってしまいました」
検察官の口調が、さらに強くなった。
検察官「暴力を振るったのは、あなたの感情によるもの。やむにやまれず、という状況ではない」
被告「……、感情任せの、短絡的な行動でした」
れい子さんは、生活の一部で支援が必要な「要支援1」に認定されていた。だが、デイサービスなどは利用していなかった。
検察官「なぜ、利用しなかったのか」
被告「母とも相談したのですが、人とコミュニケーションをとることが苦手で。人を家に入れることも、極端に嫌がった」
裁判員も質問した。
裁判員「自分1人で介護を続けることは難しい、と思ったことは?」
被告「ありました。でも、自分でやれることはやろうと思いました」
検察側は論告で、「やせ細った母親への暴力がいかに危険か、被告は認識していた」とし、懲役5年を求刑した。
弁護側は、執行猶予付きの判決を求めた。「現代の社会を反映した事件で、暴力行為は偶発的なもの。深く反省している」
最終意見陳述で、中野被告は用意してきた文書を読み上げた。
被告「母に対して本当に申し訳ない。人として、やってはいけないことをしてしまった。今更ですが、親孝行できなかったのが悔やまれます」
判決は10月31日に言い渡された。懲役3年の実刑判決だった。
最後に、裁判長が「裁判員、裁判官からあなたに伝えたいことがあります」と切り出した。
裁判長「被告はきまじめで優しく、きちんとした勤務もしてきたが、社会性の乏しさから不幸な事件につながった。お母さんの死という重大な結果について、さらに反省を深めてほしい。お母さんも、1人できちんと社会生活を送ることを望んでいると思います」
中野被告は、うなだれたまま聴き入っていた。
2014年12月2日火曜日
相手の予測を上回れ
ブログ「人の心に灯をともす」から「受けたものに、上乗せして返す気持ち」(2014-11-28)をご紹介します。
就活に失敗し、大学は卒業したものの、フリーターになった私は、何をしたらいいのかまったくわからないまま、アルバイト先とアパートを往復する毎日でした。
そのころ私は、受験生にチラシを配るアルバイトをしていました。
地方からやってきた受験生は、合格して上京したら、まず家を借りなければいけません。
そんな受験生に、前もって仕込んでおくための不動産のチラシです。
でも、スタッフの管理がかなりゆるく、がんばっても、適当にやっても変わらない。
それどころか、チラシだけ持って帰って、家で捨ててしまってもまったくバレないような仕事でした。
そのアルバイトに、私と同年代くらいの、金髪の青年がいました。
金色に染めた髪にピアスをして、穴の開いたジーンズを履き、チャラチャラ感にあふれています。
切れ長の目をしたその青年は、その見た目とは大きなギャップがあり、まったくやる気のない人の分のチラシも配るくらいの勢いで、目の前の受験生一人ひとりに心を込めてチラシを渡しています。
「お願いします!」という、その言葉の奥からは、まるで「試験がんばってくださいね!」と聞こえてくるかのようでした。
それでも私は、「なんかがんばっちゃってる、まじめなヤツがいるなぁ」くらいにしか考えていませんでした。
そんな彼と、アルバイト後の移動で一緒になり、話をする機会がありました。
「ずいぶん一生けんめいだね」と私が言うと、その彼が私の人生を変えるひと言を雷のように頭に落とし込んだのです。
「お金をもらうんだから、ちょっとでも上乗せして返すくらいの気持ちでやらなきゃダメっしょ!!」
初めて聞いた言葉でした。
言われたことをただやっているだけ。
むしろ適当にやっていた自分が恥ずかしくなるような…。
これまでの私は、自分にとって関わりのあることには一応向き合ってはきたものの、自分の人生には関係ないと思えるものには、「これはオレには関係のないことだから、エネルギーを使うだけムダ」と選別をして生きていました。
何をやってもダメで、お先真っ暗、八方ふさがりの状態だった私は、何をやってもまったく報われない、今の現実が起きている原因の一つが「自分に関係ないことには向き合わない」という、この考えなんだと、彼の言葉からなぜか感じたのです。
「受けたものに“上乗せして返す”気持ちを持つ心」
その言葉が頭の中をグルグル回り続け、そして時差はありましたが、次第に手のひらを固く握り締めるように、“ハートがグッと決まる”のを感じました。
『関係ないと思うようなことでも、“今、目の前にあること”にしっかり向き合って生きていくように、自分を変えよう』…と。
ここからなのです。
たくさんの不思議な演出が起きたり、人生を導く出逢いがむこうからやってきたりし始めたのは!
佐藤政樹氏は、23歳のフリーターから、絶対に無理といわれた、『劇団四季』のトップ、気象予報士合格というW合格を果たした。
斎藤一人さんはこう語る。
『倍働けば、お給料を倍くれる、そういうところで、「私は倍働きます」っていう人はいくらでもいるんだよね。だけど、倍働いても同じ給料しかもらえないところで「倍働きます」ってやってると、光輝いちゃうんだよ。そういう人って、めったにいないんだよな』(斎藤一人とみっちゃん先生が行く)より
誰もやらないこと、めったにないことは、燦然(さんぜん)と光り輝く。
しかし、誰もがやっていることだったら、それは埋もれてしまう。
仕事も、頼まれごとも、そして何かをしてもらったときのお礼も…。
「受けたものに“上乗せして返す”気持ちを持つ」
中村文昭さんは、それを「相手の予測を上回れ」という。
人から何かを頼まれたら、試されていると思って、相手の予測を上回って驚かせ、喜ばせる。
受けたものを、上乗せして返す人でありたい。
就活に失敗し、大学は卒業したものの、フリーターになった私は、何をしたらいいのかまったくわからないまま、アルバイト先とアパートを往復する毎日でした。
そのころ私は、受験生にチラシを配るアルバイトをしていました。
地方からやってきた受験生は、合格して上京したら、まず家を借りなければいけません。
そんな受験生に、前もって仕込んでおくための不動産のチラシです。
でも、スタッフの管理がかなりゆるく、がんばっても、適当にやっても変わらない。
それどころか、チラシだけ持って帰って、家で捨ててしまってもまったくバレないような仕事でした。
そのアルバイトに、私と同年代くらいの、金髪の青年がいました。
金色に染めた髪にピアスをして、穴の開いたジーンズを履き、チャラチャラ感にあふれています。
切れ長の目をしたその青年は、その見た目とは大きなギャップがあり、まったくやる気のない人の分のチラシも配るくらいの勢いで、目の前の受験生一人ひとりに心を込めてチラシを渡しています。
「お願いします!」という、その言葉の奥からは、まるで「試験がんばってくださいね!」と聞こえてくるかのようでした。
それでも私は、「なんかがんばっちゃってる、まじめなヤツがいるなぁ」くらいにしか考えていませんでした。
そんな彼と、アルバイト後の移動で一緒になり、話をする機会がありました。
「ずいぶん一生けんめいだね」と私が言うと、その彼が私の人生を変えるひと言を雷のように頭に落とし込んだのです。
「お金をもらうんだから、ちょっとでも上乗せして返すくらいの気持ちでやらなきゃダメっしょ!!」
初めて聞いた言葉でした。
言われたことをただやっているだけ。
むしろ適当にやっていた自分が恥ずかしくなるような…。
これまでの私は、自分にとって関わりのあることには一応向き合ってはきたものの、自分の人生には関係ないと思えるものには、「これはオレには関係のないことだから、エネルギーを使うだけムダ」と選別をして生きていました。
何をやってもダメで、お先真っ暗、八方ふさがりの状態だった私は、何をやってもまったく報われない、今の現実が起きている原因の一つが「自分に関係ないことには向き合わない」という、この考えなんだと、彼の言葉からなぜか感じたのです。
「受けたものに“上乗せして返す”気持ちを持つ心」
その言葉が頭の中をグルグル回り続け、そして時差はありましたが、次第に手のひらを固く握り締めるように、“ハートがグッと決まる”のを感じました。
『関係ないと思うようなことでも、“今、目の前にあること”にしっかり向き合って生きていくように、自分を変えよう』…と。
ここからなのです。
たくさんの不思議な演出が起きたり、人生を導く出逢いがむこうからやってきたりし始めたのは!
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佐藤政樹氏は、23歳のフリーターから、絶対に無理といわれた、『劇団四季』のトップ、気象予報士合格というW合格を果たした。
斎藤一人さんはこう語る。
『倍働けば、お給料を倍くれる、そういうところで、「私は倍働きます」っていう人はいくらでもいるんだよね。だけど、倍働いても同じ給料しかもらえないところで「倍働きます」ってやってると、光輝いちゃうんだよ。そういう人って、めったにいないんだよな』(斎藤一人とみっちゃん先生が行く)より
誰もやらないこと、めったにないことは、燦然(さんぜん)と光り輝く。
しかし、誰もがやっていることだったら、それは埋もれてしまう。
仕事も、頼まれごとも、そして何かをしてもらったときのお礼も…。
「受けたものに“上乗せして返す”気持ちを持つ」
中村文昭さんは、それを「相手の予測を上回れ」という。
人から何かを頼まれたら、試されていると思って、相手の予測を上回って驚かせ、喜ばせる。
受けたものを、上乗せして返す人でありたい。
2014年12月1日月曜日
手紙を書く習慣
朝日新聞の天声人語「一円切手の肖像画」(2014年11月29日)をご紹介します。
「一円玉の旅がらす」がNHKの「みんなのうた」で流れたのは1990年だった。♪一円だって 一円だって 恋もしたけりゃ夢もある……。前の年に消費税が導入されて、1円玉は脚光を浴びていた。
1円切手にも出番が回ってきた。はがきが40円から41円になったためで、補充が追いつかず売り切れの貼り紙をする郵便局も出た。だが、間もなく再び地味な存在に戻る。はて、どんな切手だったかと、首をひねる方もいるだろう。
その切手が、先ごろ話題になった。日本郵便の発行する普通切手の絵が一斉に変わる中で、1円切手だけが変わらない。「郵便の父」と呼ばれる前島密(ひそか)の肖像が刷られていて、「これだけは変えられない」そうだ。戦後間もないころから続いている。
セピア色の肖像画には明治の男の威厳が光る。今年も消費増税があった。はがきも封書も2円上がったが、エゾユキウサギの新2円切手が出てかわいいと評判になった。不足分に前島さん2枚を買った人は少なかったろう。
ともあれ今の世の中、手紙を書く習慣はとみに薄れている。小中学生の多くは宛名の書き方を知らず、郵便番号欄に電話番号を書く子もいると、かつて小欄で憂えたことがある。
英語でいうポストカードに「はがき」の訳語をあてて発行したのは明治6年だった。それが年賀状としても使われるようになっていく。電子メールの便利さは社会を変えた。だからこそ、紙に書いたひとこと、ふたことが、いっそう引き立つ時代である。
「一円玉の旅がらす」がNHKの「みんなのうた」で流れたのは1990年だった。♪一円だって 一円だって 恋もしたけりゃ夢もある……。前の年に消費税が導入されて、1円玉は脚光を浴びていた。
1円切手にも出番が回ってきた。はがきが40円から41円になったためで、補充が追いつかず売り切れの貼り紙をする郵便局も出た。だが、間もなく再び地味な存在に戻る。はて、どんな切手だったかと、首をひねる方もいるだろう。
その切手が、先ごろ話題になった。日本郵便の発行する普通切手の絵が一斉に変わる中で、1円切手だけが変わらない。「郵便の父」と呼ばれる前島密(ひそか)の肖像が刷られていて、「これだけは変えられない」そうだ。戦後間もないころから続いている。
セピア色の肖像画には明治の男の威厳が光る。今年も消費増税があった。はがきも封書も2円上がったが、エゾユキウサギの新2円切手が出てかわいいと評判になった。不足分に前島さん2枚を買った人は少なかったろう。
ともあれ今の世の中、手紙を書く習慣はとみに薄れている。小中学生の多くは宛名の書き方を知らず、郵便番号欄に電話番号を書く子もいると、かつて小欄で憂えたことがある。
英語でいうポストカードに「はがき」の訳語をあてて発行したのは明治6年だった。それが年賀状としても使われるようになっていく。電子メールの便利さは社会を変えた。だからこそ、紙に書いたひとこと、ふたことが、いっそう引き立つ時代である。