憲法記念日に考える 汝、平和を欲すれば…|2016年5月3日東京新聞
「在任中に成し遂げたい」と首相が憲法改正に意欲的です。国防軍創設など9条改憲案を自民党は掲げています。平和主義の未来が心配でなりません。
ラテン語で表題が書かれた文章があります。訳せば「『汝(なんじ)、平和を欲すれば、戦争を準備せよ』と『汝、平和を欲すれば、平和を準備せよ』」です。1933年に書かれた論文で、筆者は東大法学部教授の横田喜三郎でした。
「平和を欲すれば、戦争を準備せよ」という標語は昔、オーストリア・ハンガリー帝国の陸軍省の扉に書いてありました。
強大な軍備を用意しておけば、他国は戦争を仕掛けてこないだろうから、平和を得られる。そんな論法です。横田は記します。
<標語に従つて、各国はひたすら戦争の準備を行い、互(たがい)に強大な軍備を用意することに努力した。そこに猛烈な軍備競争が起(おこ)つた。その結果は世界大戦であつた>
第一次世界大戦のことです。14年にオーストリア・ハンガリー帝国の皇太子が暗殺されたのをきっかけに、戦争が始まり18年まで続きました。「戦争を準備せよ」とした同帝国は崩壊しました。皮肉です。
この後に「不戦条約」が28年にパリで結ばれます。戦争を放棄し、紛争は平和的手段により解決しようという約束です。横田はこう記します。
<『汝、平和を欲すれば、平和を準備せよ』 世界戦争後に、不戦条約がパリで記名されようとしたとき、こう金ペンに書いて、フランスのアーヴルの市民はケロツグに贈つた。ケロツグはこの金ペンで不戦条約に記名した>
満州事変は自衛権か
「ケロツグ」とは米国の国務長官だったケロッグで、フランス外相とともに条約を提唱しました。
<アーヴル市民の金言が世界の指導原理となつた。平和を準備するために、各国は協力して、軍備を縮少(小)し、戦争を禁止し、紛争の平和的解決に努力した>
横田の論文は東大法学部の学生向けの雑誌に寄せたものでしたが、中には「横田先生万才(歳)! 横田教授頑張れ!!」と書き込みをした人もいました。感激したのでしょう。31年の満州事変を批判した学者としても横田は有名な存在でした。
1896年に現在の愛知県江南市に生まれ、旧制八高から東大に進み、国際法学者となりました。名古屋新聞(中日新聞)の配達をした経験もあった人です。
満州事変とは中国・奉天(現在の瀋陽)で鉄道爆破をきっかけに、関東軍が中国の東北部を占領した出来事です。横田は帝国大学新聞に「はたして軍部のいっさいの行動が自衛権として説明されるであろうか」と書きました。
鉄道破壊が事実であったとしても、それから6時間のうちに北方4百キロ、南方2百キロもの都市を占領したことまで、自衛のためにやむをえない行為であったと言い得るか。鋭い疑問を呈したのです。
さっそく右翼の新聞が「売国奴の帝大教授」として攻撃しました。ある会議で上海に行きましたが、「コウベハキケン」と電報を受け取り、帰りは長崎に寄りました。それから福岡、別府(大分)…。なかなか東京に戻れなかったそうです。
その横田が東大法学部の大教室に再び立つと、満員の学生から割れるような拍手を浴びました。再び33年の論文に戻ります。
<歴史は繰り返すと言う。人は忘れ易(やす)い。(中略)満州事件を契機として、まず太平洋の舞台に戦争の準備が開始され、軍備の拡張と競争が展開しようとしている>
戦争の歴史は繰り返す-。横田は懸念しています。満州国が生まれたのが32年。犬養毅首相が暗殺された五・一五事件もありました。ドイツでヒトラーの独裁政治が始まるのは33年です。この論文はきな臭い空気を吸って書かれていることがわかります。
非常時には金言を胸に
横田は非常時の国民に向かって最後を締めくくります。平和を欲するならば、戦争を準備するのか、平和を準備するのか、「いずれを選ぶべきかを三思せよ」と…。三思とは深く考えるという意味です。歴史の教訓に立てば、答えは明らかでしょう。
横田の論文については、樋口陽一東大名誉教授が著書で紹介しています。昨年には東大でのシンポジウムでも取り上げました。改憲が現実味を帯びているからでしょう。今もまた“非常時”です。軍備の拡張と競争になれば…。猜疑(さいぎ)と不安の世界になれば…。ケロッグのペンに書かれた金言を忘れてはなりません。
戦後と寄りそうように長い歩みを刻んできた日本国憲法は、今年11月で公布から70年を迎える。
振り返れば、憲法を巡る激しい論争がいくつもあった。それは、世界における日本の立場や国民意識の変化を反映するものだった。
公布70年の節目に先立つ夏には、参院選挙がある。在任中の憲法改正に意欲を示す安倍晋三首相が、ここで改憲発議に必要な3分の2の議会勢力確保を目指している。
選挙結果次第では、憲法改正が初めて現実味を帯びるかもしれない。そんな可能性をはらむ中で迎えた、今年の憲法記念日である。
内面には立ち入らず
改憲問題は新たな段階に入ろうとしている。こういう時だからこそ、望ましい憲法論議とは何なのか、原点に戻って考えてみたい。
首相や自民党などからは、改憲への積極発言が相次いでいる。長い歳月がたてば、国民に不都合な部分も出てくるだろう。憲法の手直し論議自体は自然なことである。
ただ、今の政治や政治家に改憲論議を任せられるのかどうか、疑問を感じることが少なくない。
集団的自衛権を行使可能にする強引な憲法解釈変更、報道の自由への圧力、1票の格差を最高裁から再三「違憲状態」と指摘されながら、真摯(しんし)に受けとめようとしない政党と国会。憲法への冷笑的な態度、無理解がはびこっているからだ。
憲法とは何か。その根本をゆるがせにしたまま、改憲発議権を持つ政治家が改憲熱をあおるのは好ましいことではない。それは、国家や社会の安定を損ないかねない。
現行憲法は、敗戦の産物だ。戦前の日本は国民の思想を取り締まり、自由を窒息させ、戦争で多大な犠牲を強いた。そんな社会には戻らないという決意と希望を、国民は新しい憲法に見いだしたはずだ。
取り入れたのは、西欧近代国家がよって立つ原理である。国家は倫理や道徳など個人の内面に立ち入らない。憲法は権力を縛る鎖、国民を守るとりで、という考えだ。
歴史や文化の違いはあっても、同じ理念を大事にする国家として、日本は再出発した。国民がその憲法を70年間、育んできたのだ。
だが、自民党の改憲論の基盤となる憲法改正草案は、立脚点が違う。敗戦で押しつけられた憲法を自分たちで書きかえたいという、戦後レジーム脱却論が基調である。
改正草案の中でとりわけ目につくのは、現行憲法の土台となっている基本的人権の規定に手を入れ、個人の自由や権利よりも公益・公の秩序を優先させていることだ。
その理由を自民党のQ&A集は、憲法には西欧の天賦人権説に基づくものが散見されており、日本の歴史や文化、伝統を踏まえたものに変えることも必要だ、とする。
歴史や伝統は確かに大切だ。しかし、国境や国籍を超える基本的人権の理念よりも優先される歴史や価値観が、あるとは思えない。
雇用不安や格差拡大で生活を脅かされる人が増えている。基本的人権の確立は道半ばである。憲法の価値体系を変えるような改憲案を示すより、積み上げてきたものをさらに拡充させる努力の方が先だろう。自主憲法論にとらわれ改憲に過度のイデオロギー色をつけるのは、国民本位の改憲論議とはほど遠い。
国論の分裂を招くな
安倍首相は、改憲に慎重な考え方を「思考停止」だと語る。
だが、憲法を巡る意見や論議のあり方は多様だ。改憲派か護憲派かという色分けは、もう古い。
単純な構図に矮小(わいしょう)化し、対立をいたずらにあおる物言いは、いずれの政治家も慎むべきだろう。自分の正義だけを主張し、相手を否定する姿勢は、極論と極論の衝突に陥りやすい風潮を助長してしまう。
3年前、改憲の発議要件を緩和する96条改正を政権が持ち出した時、私たちは反対し、「国会が審議を尽くして3分の2の合意を形成することと、その後の国民投票が補完しあって初めて、改憲は説得力を持ち社会に浸透する」と書いた。世論も96条改正を支持しなかった。
改憲論議は性急さを避け、社会の広範な同意と納得を目指すのが本来である。憲法の掲げる理念を堅持しながら、多くの国民から理解を得られるものにするのがいい。
それには、基本的人権の領域には入り込まず、衆参両院のあり方の見直しなど、代議制民主主義の質の向上につなげる議論に絞ってみるのも一案ではないか。自民党が改憲の入り口に考えている緊急事態条項の追加は、基本的人権の概念とぶつかる懸念が強く、適切でない。
政治に求められるのは、何よりも国民本位の憲法論議であり、そのための優先順位を誠実に模索する態度だ。与野党はともに、憲法の持つ意味と重さを正しく受け止め、時間をかけ熟議を重ねてほしい。
「自由とはいったい何であろうか。一口にいえば自分の良心に従って生きることである」
「私たちはどんな考えを持ってもよい」「どんな会合をやっても、どんな団体をつくっても自由である」
これは、いまの憲法が施行された69年前のきょう、憲法普及会(芦田均会長)が全国の家庭向けに2千万部発行した小冊子「新しい憲法 明るい生活」が説明する「自由」だ。
「長い間私たちには、その自由さえも制限されていた。私たちは何とかしてもっと自由がほしいと願っていた。いまその願いが果(はた)されたのである」。冊子には、戦時下の息苦しさからの解放感に満ちた言葉が並ぶ。
国政の権威は国民に由来し、権力は国民の代表者が行使し、その福利は国民が受け取る――。憲法前文が明記するこの主権在民と代表民主制の原理は、フランス革命など近代の市民革命によって獲得された「人類普遍の原理」だ。
70年近くがたち、新たな社会のしくみは戦後日本に定着した。ただ一方で、国家が個人の自由に枠をはめたり、特定の価値観を押しつけたりしようとする動きがちらつき始めた。
改憲のさきがけか
10年前にさかのぼる。
憲法と同じ年に施行され、「教育の憲法」と言われた教育基本法が、初めて、そして全文が改正された。「戦後レジームからの脱却」を掲げて政権についたばかりの安倍首相が、最重要課題としていた。
「我が国と郷土を愛する」「公共の精神に基づき、社会の発展に寄与する」。改正法には、個人や他国の尊重に加え、こうした態度を養うという道徳規範が「教育の目標」として列挙された。教育行政と学校現場との関係にかかわる条文も改められ、「個」よりも「公」重視、行政を律する法から国民に指図する法へとその性格が変わった、といわれた。
安倍首相は当時、教育基本法を改正しても「国家管理を強めることにはならない」と国会で答弁していた。ところが、下野をへて政権に復帰した安倍氏は、「改正教育基本法の精神」を前面に掲げ、新たな教育政策を次々と繰り出している。
その最たるものが、教科書検定の新しいルールだ。改正法で新たに盛り込まれた「教育の目標」に照らし「重大な欠陥」があれば不合格にできる。政府見解がある事柄には、それに基づいた記述を求める。
高校の教科書に初めて適用された今年の検定では、戦後補償や世論が割れる集団的自衛権の行使容認などで、政権の主張が反映された記述になった。
また、文科相による国立大への「国旗・国歌」の要請は、学問の自由や大学の自治にかかわる問題だが、そのきっかけは「教育基本法の方針にのっとって正しく実施されるべきだ」との首相の国会答弁だった。
前面にせり出す国家
自民党が12年にまとめた憲法改正草案は、改正教育基本法のめざす方向と一致する。
草案では国家が過剰なまでに前面にせり出す。後退するのは個人の自由や権利だ。
草案前文の憲法制定の目的は「良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため」だ。現憲法の「自由の確保」や「不戦」とは様変わりだ。
また、「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する」と規定する。
一方で、国民の自由や権利の行使には「常に公益及び公の秩序に反してはならない」(12条)との枠をはめている。
「憲法は立憲主義だけでなく、国柄をきちんと反映したものにもしたい」(礒崎陽輔前首相補佐官)というのが党の考えだ。だが、たとえどんなに多くの人が「道徳的に正しい」と考える内容であっても、憲法によってすべての国民に強いるべきものではない。
教育現場に詳しい広田照幸・日大教授は、政治の動きを踏まえて警鐘を鳴らす。「『こういう生き方をさせたい』という教育の場での政治的欲望が、こんどは憲法改正を通じて国民全体にふってくるかもしれない」
押しつけは筋違い
個人あっての国家か、国家あっての個人か。安倍首相は、自著でこう述べている。
「個人の自由を担保しているのは国家なのである。それらの機能が他国の支配によって停止させられれば、天賦の権利が制限されてしまうのは自明であろう」(『新しい国へ』)
他国の攻撃から国民を守るのは国家の役割だ。かといって権力が理想とする国家像や生き方を、「国柄だから」と主権者に押しつけるのは筋が違う。
それを許してしまえば、「普遍の原理」を社会に根付かせてきた歴史の歩みを、後戻りさせることになる。
「緊急事態」を優先的に論じたい
日本国憲法はきょう、施行69周年を迎える。
この間、憲法は一字一句変わっていない。様々な劇的な変化があった内外情勢との乖離かいりが拡大してきたのは否定しようがない。
国の最高法規であるからこそ、「不磨の大典」として飾っておくのではなく、より良い内容に見直す作業が求められる。
国民主権、平和主義、基本的人権の尊重の3大原則を堅持しながら、21世紀にふさわしく、多くの目前の課題に的確に対応できる憲法にしていく必要がある。
より良い最高法規に
集団的自衛権の行使の限定容認のような現行憲法の枠内の見直しは、政府の憲法解釈を変更し、国会の法律制定で担保する。
枠外のものは、憲法96条の改正手続きに則のっとって改正する。
こうした取り組みは、まさに立憲主義を体現するものだ。
憲法改正は、夏の参院選でも重要な論点となろう。
残念なのは、国会の憲法審査会の停滞だ。
昨年6月、衆院で参考人が安全保障関連法案を「憲法違反」と断じ、法案審議が混乱したことに懲りたため、本来は論議を主導すべき与党が慎重姿勢を取り続けている。
参院選は、改正論議を深め、有権者に判断材料を提供する格好の機会だ。どの条項を、どう改正するのか。各政党は、自らの立場を明確に示さねばなるまい。国の基本に関する問題で、曖昧な主張を繰り返すのは無責任である。
民進党の枝野幹事長が「憲法を政局的テーマから外すべきだ」と唱えることには、違和感がある。「安倍政権下では改正論議に応じない」などと政局と絡めているのは、民進党自身ではないか。
安倍首相は、参院選で憲法改正に前向きな勢力の合計で、改正発議に必要な3分の2以上の議席獲得を目指す意向を示した。自民、公明両党に、おおさか維新の会、日本のこころを大切にする党などが加わることを想定している。
民進を含む合意形成を
だが、改正には、国民投票で過半数の賛成を得ねばならない。
自民党の谷垣幹事長が指摘するように、野党第1党の民進党も含めた、より幅広い合意が可能なテーマを選び、改正を発議するのが現実的なアプローチだろう。
3月施行の安全保障関連法は、日米同盟を強化し、日本と地域の平和を確保するうえで重要な意義を持つが、集団的自衛権の行使は存立危機事態に限定される。
北朝鮮の核ミサイルの脅威や中国の軍備増強を踏まえれば、本来、憲法9条を改正し、集団的自衛権を完全に行使できるようにすることが望ましい。ただ、直ちに国会で合意できる状況にはない。
当面、優先すべきは、大規模災害時などへの効果的な対処を可能とする緊急事態条項の創設だ。
多くの国の憲法がこうした条項を備えている。日本も、より多くの国民の生命と財産を守り、国会機能を維持する危機管理を強化するため、憲法に明記すべきだ。
野党などには「法改正で対応すれば良い」との反対論がある。だが、大災害の度に想定外の事態が発生し、その都度、法改正する受動的対応では限界がある。
熊本地震では、予想を超える余震の頻発で避難者が大量に発生した。南海トラフ巨大地震では、東日本大震災より格段に大きな被害が想定される。
大災害時の規定がない憲法は、災害列島の国として不十分だ。
より迅速な被災者救助・支援のため、憲法で政府の権限を強め、一時的かつ必要最小限の範囲で国民の財産権などを制限することに問題はないはずだ。政府が違憲訴訟を恐れて、必要な措置を躊躇ちゅうちょするリスクの方が大きい。
国会改革も重要テーマ
国政選が実施できないような被害が生じた際における国会議員任期の暫定的な延長とともに、具体的な規定の議論を深めたい。
国会改革も大切なテーマだ。
参院選での鳥取・島根などの合区導入を機に、各都道府県で最低1人を改選できるよう憲法に明記すべきだとの意見が出ている。
地方の人口減少が加速する中、いずれ合区の拡大は避けられず、地方の声が国政に一層反映されにくくなる、との危機感がある。
固有の歴史や伝統、文化を有する都道府県という行政単位を重視し、参院議員の地域代表の性格を強めることは検討に値しよう。
「ねじれ国会」で政治の停滞を避けるため、衆院の再可決の要件を3分の2以上の多数から過半数に引き下げることと合わせて、論議を本格化させてもらいたい。
日本国憲法は、施行から69年を迎えた。
現憲法は、一度も改正されていない。それは内容が完全だからというわけでは、決してない。憲法と現実世界の乖離(かいり)は、年々、大きくなるばかりだ。その最たる分野が安全保障である。
戦後日本の平和を守ってきたものは何か。これを「9条」だとみなすのは大間違いだ。突き詰めれば、自衛隊と、日米同盟に基づく米軍の抑止力に行き着く。
抑止力の理解が重要だ
抑止力の役割を理解しようとしない陣営は、「戦力不保持」をうたう9条を理由に、国民を守るための現実的な安全保障政策をことごとく妨げようとしてきた。実情はまるで、日本を脅かす国を利する「平和の敵」である。
真に安全保障に役立ち、国のかたちを表す憲法のあり方を論じ合うことが急がれる。主権者国民の手によって憲法が改正され、自らを守り抜く態勢を整えなければならない。そのことが、子々孫々まで日本が独立と平和を保ち、繁栄する道につながっていく。
極めて残念なことに、安全保障をめぐり、現行の憲法は欺瞞(ぎまん)に満ちている。
前文は、「日本国民は、(略)平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とうたっている。
だが日本の近隣には、公正と信義の発揮を期待できる「平和を愛する諸国民」ばかりがいるわけではない。
東シナ海や南シナ海での覇権追求を隠さない中国は、4月30日の日中外相会談で「『中国脅威論』をまき散らすな」という対日要求を突き付け、恥じなかった。
昨年9月の北京における軍事パレードでは、核ミサイルを次々に行進させた。あれは果たして、平和の祭典だったか。
北朝鮮は、国際世論の反発を顧みず、核実験や弾道ミサイルの発射を繰り返している。
ロシアは、北方領土の軍事基地化を進めている。
前文だけではない。9条は日本の防衛力に過剰な制限をかけている。政府の憲法解釈は、自衛のための日本の武力行使は「必要最小限度」としている。
このことが自衛隊に、「専守防衛」しか認めない政策につながっている。
一方で、現代の国家を守り抜くには、領土・領海・領空を守る力に加えて、核抑止力や侵略国自体へ反撃する力も欠かせない。
もちろん、日本や欧州諸国がそうであるように、米国との同盟で「核の傘」や強力な米軍を抑止力として期待するのは、現実的な政策上の選択肢ではある。
だが、現憲法は侵略国をたたく力を原則として日本に認めない。法的に、本当の「必要最小限度」の自衛力さえ禁じていることになる。防衛上の必要性を満たさない点で憲法解釈は偽りに基づく。独立国の憲法とは言い難い。
緊急事態への備え急げ
憲法には、日本の国と国民をしっかりと守り抜く方針と、そのための軍隊、自衛隊の規定がない。このこと自体が国民を危険にさらしていると考えるべきだ。
安全保障、防衛を国家の重要な役割と定めることは、諸外国の憲法においても常識である。
多額の税金が投入されている東京大学をはじめとする国立大学が、日本と国民を守る軍事研究をかたくなに拒否する異様な光景も9条と無縁ではない。
国民を守る精神がない憲法を持つ日本は、国の総力を挙げて平和を守る態勢がとれないでいる。
民進党や共産党などの野党が、集団的自衛権の限定行使を認めた安保関連法に反対しているのも、何十年も前の冷戦期にできた憲法解釈に固執しているためだ。
南海トラフの巨大地震、首都直下地震など想像を絶する被害をもたらす災害に備える、緊急事態条項の憲法への創設も急がれる。天災は待ってくれない。
政府に一時的に権限を集中させ、場合によっては私権を一部制限してでも国民の命を救うのが緊急事態条項だ。世界のほとんどの国の憲法に備わっている。
国連総会が採択し、日本も加わっている国際人権規約(B規約)も認めているのに、緊急事態条項を「ナチス」といったレッテル貼りで反対する「護憲派」の論法は誤りだ。
きょうは69回目の憲法記念日である。今年11月には現憲法が公布されて70年を迎える。
日常生活のさまざまな場面で憲法が話題になることが増えてきた。昨年は安保法が合憲か違憲かで国論を二分する論争が起きた。最高裁は女性の再婚に関する民法の規定を違憲と判断した。
そのわりに「憲法」と聞くと、いまだに身構える人が多い。戦後長く護憲派と改憲派が一般大衆と無縁の観念論争をしてきた弊害だ。もっと身近なところから憲法を眺め直してはどうだろうか。
大規模災害に備えよ
国会が制定した法律を最高裁が違憲と判断したのはこれまで10例ある。半数の5例は21世紀になってなされた。現憲法と現実のずれが年々大きくなってきていることのあらわれといえまいか。
例えば、最高裁は2005年、在外邦人が国政選挙に参加できない状態を憲法15条などに反すると指摘した。70年前、日本人がかくもたくさん海外に住むと想定できたはずがなく、在外投票制度がなかったのは無理はない。
この判決は現憲法より後からできた公職選挙法の是正を求めたものだが、要するに憲法に規定がない問題について、その精神を読み取る作業をしたわけだ。こうした憲法の空白の穴埋め作業も、広い意味での「憲法改正」と呼んでもよいかもしれない。
憲法を読み直し、不都合があれば立ち止まってみる。さまざまな選択肢があるはずだ。新たな法律をつくれば対応できるのか。憲法解釈を変更するのか。憲法本文をいじる場合でも書き足せばすむのか、書き直すのか。必要に応じて淡々と作業していけばよい。
現憲法は米軍の占領下でつくられた。そこにGHQ(連合国軍総司令部)の意志が反映されていたことはいろいろな証言がある。他方、GHQ案が多くの国民に歓迎されたことも事実である。生存権を定めた25条のように日本側が書き足した条文もある。
そうした経緯を考慮すれば「押し付け憲法だから、全てを捨て去る」という結論にはならないはずだ。改憲の実現という外形にこだわり、国民が反対しそうもない課題で実績をつくろうとする「お試し改憲」は好ましくない。
いま憲法に足りないのは何だろうか。日本は自然災害の多い国だ。東日本大震災などの際、備えが足りなかったのは、防災インフラだけではない。交通規制その他をみても法制度の不備がもたらした混乱は数え切れなかった。
日ごろから法律づくりに努めても、常に「想定外」はある。緊急事態の際、内閣が法律に準じる効力も持つ命令を発することができるようにする仕組みをつくっておくことは検討に値する。
一定期間内に国会が事後承認しない場合は失効すると定めれば、三権の均衡は保たれる。
ただ、自民党が12年にまとめた改憲草案の緊急事態条項は問題がある。緊急事態を(1)外部からの武力攻撃(2)内乱等による社会秩序の混乱(3)地震等による大規模な自然災害その他――と定めるが、範囲が広すぎる。
自衛隊の治安出動すら実例がないのに「社会秩序の混乱」に超法規的権限が必要なのか。民進党は緊急事態条項の新設をナチスの全権委任法になぞらえ、反対している。自民党は無用な誤解を招かないように「緊急事態は自然災害に限る」と明言すべきである。
9条論争は卒業したい
自然災害で国政選挙の実施が困難になった場合の対応も、あらかじめ定めた方がよい。ほとんどの国会議員が任期切れになり、国政のかじ取り役がいなくなった、では困ってしまう。
このほか、プライバシー権や環境権など新しい権利の明記、衆参の役割分担の明確化を含む統治制度の見直し、地方自治制度の改革など課題はたくさんある。
過疎地の声を国政に届かせるため、参院は都道府県の代表を選ぶ仕組みにしてはどうかとの意見がある。1票の格差に例外をつくるのであれば、憲法本文にその旨を明記するのが筋である。
戦後の憲法論争は主に「戦争放棄」をうたう9条を軸になされてきた。今後も論点から外れることはあるまい。
ただ、憲法解釈を見直して集団的自衛権の行使を限定解除したことで、現在の国際情勢に即した安保体制はそれなりにできた。9条を抜本的に書き直す必要性はかなり薄らいだ。あとは自衛隊をどう法的に位置付けるかだけだ。9条にばかりこだわる不毛な憲法論争からはそろそろ卒業したい。
自民党 「憲法改正原案の検討・作成を目指す」
本日、憲法記念日を迎えました。
現行憲法が施行されて以来、わが国は着実に平和と繁栄を築き上げ、国民主権、平和主義、基本的人権という普遍的価値は国民のなかに定着しています。一方で、時代の変遷や国内外の情勢の変化に伴い、現行憲法で足りない部分や対応できない課題も生じており、時代に即した憲法への改正を求める国民の声が高まっています。
わが党は結党以来、一貫して自主憲法の制定を党是として掲げ、現行憲法の国民主権、平和主義、基本的人権の3つの基本原理を継承した「日本国憲法改正草案」を公表しました。
憲法改正国民投票法や公職選挙法が整備され、憲法改正のための国民投票は、現実に実施できる状況にあります。今後は、衆参両院の憲法審査会や各党との連携を図るとともに、あらゆる機会を通じて国民各層の理解を得つつ、憲法改正原案の検討・作成を目指してまいります。
憲法は、国民自らの手で、今の日本にふさわしいものとしなければなりません。憲法改正を推進するため、自由民主党は全力で取り組む所存です。これからも、わが党の主張を真摯(しんし)に訴え、国民の皆様と共に議論を進めてまいります。
引き続き国民の皆様のご理解をお願い申し上げます。
民進党 「憲法がいま、大きな危機迎えている」
日本国憲法の施行から69年。「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」という三つの基本原則を柱とする我が国憲法は、日本国民が長い年月をかけて育んできたものであり、戦後日本の自由と民主主義、平和と繁栄の礎となってきました。
民進党は、結党にあたって定めた綱領において、自由と民主主義に立脚した立憲主義を断固として守るとともに、時代の変化に対応した未来志向の憲法を国民とともに構想すると掲げています。
しかしながら、その憲法がいま、大きな危機を迎えています。
安倍総理は、憲法改正への野心を隠すことなく、衆参で3分の2を制することを目指しています。憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認、安全保障関連法の成立強行など、立憲主義、平和主義の本質を全く理解せず、これを大きく傷付けてきた安倍自民党政権が、いよいよ憲法改正という「本丸」に手をかけようとしているのです。
そういう中で、今夏の参議院選挙は、まさに日本政治の分岐点となります。安倍自民党政権が勝利すれば、憲法9条を改正して集団的自衛権を制限なく行使可能とすることは確実で、日本は「普通の国」へと突き進むことになります。それは、国際的な紛争解決のために我が国が武力行使することはしないという、先の大戦の犠牲と反省に基づく日本国憲法の平和主義の根幹を大きく変質させるものです。
日本の国のかたちを変える安倍自民党政権のこの重大な挑戦に、民進党は正面から対峙(たいじ)します。来たる参議院選挙、更には衆議院選挙において、誤った憲法改正を目指す安倍政権の暴走を止め、日本国憲法の根幹である平和主義を守り抜くことを、憲法記念日にあたり、改めて国民の皆さんにお約束します。
公明党 「現行憲法を維持した上で条文付加する加憲を」
日本国憲法は本日、施行から69回目の憲法記念日を迎えました。憲法に基づき日本は、民主主義を定着させ、平和を守り、国際社会からの信頼も確実に広げてきました。
公明党は「人類普遍の原理」というべき、国民主権主義、基本的人権の尊重、恒久平和主義の3原理を骨格とする憲法を、優れた憲法であると積極的に評価しています。3原理は将来とも変えるべきではありません。この憲法の精神を具体化するため、公明党は真剣に努力を続けてまいります。
公明党は、5年が経過した東日本大震災の復興について「一人として置き去りにはしない」との決意で被災者に寄り添い、「人間の復興」へ全力で取り組んでいます。この姿勢は、この度の熊本地震の復旧復興でも変わりません。
また、国民主役の政治の実現では、公明党の長年の主張であった18歳選挙権が今夏の参議院選挙からいよいよ実施されます。若者の声を政治にしっかり反映させてまいります。
核廃絶でも、公明党がかねてから提案してきた世界の政治リーダーによる被爆地訪問が、4月に広島市で開催されたG7外相会合によって一歩前進しました。核保有国と非核保有国の外相が共に平和記念資料館を訪れ、原爆死没者慰霊碑に献花し、原爆ドームを視察した意義は大きく、公明党は「核のない世界」に向けてさらに努力をしてまいります。
3月には平和安全法制が施行されました。平和安全法制の目的は、憲法9条の下、専守防衛の基本理念に則(のっと)り、厳しい安全保障環境の下で国民の生命と平和な暮らしを守ることです。もっぱら他国防衛のための集団的自衛権の行使は、公明党が訴え、法律に明記された「自衛の措置の新3要件」があるため許されません。また、国際平和への貢献に関しても、人道復興支援や後方支援の分野で協力を進めます。
非核三原則、他国に脅威を与えるような軍事大国にはならないとする戦後日本の平和主義の理念も変わっておらず、しっかり堅持されています。平和安全法制は日本の抑止力を高め、日本らしい国際平和貢献のあり方を明示しました。その上でさらに、他国との外交・対話を一層促し、紛争を平和的に解決できるように取り組んでまいります。いわば平和外交の推進力の裏付けとなる法整備です。
公明党は、憲法も法規範である以上、新しい時代に対応した改正があってしかるべきとの立場です。憲法の施行時には想定できず、憲法改正しか解決方法がないような課題が明らかになる可能性もあります。公明党は改正について、現行憲法を維持した上で、改正が必要になった場合に新たな条文を“付け加える”形の加憲という方法を主張しています。
公明党は加憲のテーマとして、環境権などの新しい人権、地方自治の拡大などを党内で議論してきました。今後、何を加憲の対象にすべきかについてさらに党内論議を深めるとともに、衆参両院に設置されている憲法審査会を中心に政党間の合意形成に努め、国民の理解を深めてまいります。
日本共産党 「『改憲許さぬ』一致点での共同を大きく広げる」
一、69回目の憲法記念日にあたり、日本共産党は市民・国民のみなさんと力をあわせ、野党共闘をさらに前進させ、憲法違反の安保法制=戦争法を廃止し、立憲主義を日本の政治にとりもどすために、全力をあげる決意を表明する。
戦争法が施行されたもと、日本の自衛隊が戦後初めて外国での戦闘に参加し、「殺し、殺される」危険が差し迫ったものとなっている。安倍政権が立憲主義を乱暴に踏みにじって戦争法を強行したことで、法治国家としての土台が根底から危うくされている。国家権力が憲法を無視して暴走することを許せば、独裁政治に道を開くことになってしまう。
いまこそ日本の政治に立憲主義、民主主義と平和主義を取り戻し、「個人の尊厳」を断固として守りぬく社会にするために、力をあわせることを呼びかける。
一、安倍首相は、「自民党は憲法改正草案を決めている」「(きたるべき国政選挙で)この草案をお示ししていきたい」と明文改憲への執念をあらわにしている。自民党の「憲法改正草案」は、憲法9条2項を削除し「国防軍」創設を明記し、海外で武力行使を無条件にできるようにするものである。「緊急事態条項」を創設し、事実上の「戒厳令」を可能にするなど、国民の自由と人権を奪う深刻な内容が盛り込まれている。憲法13条の「個人として尊重」を「人として尊重」という表現に置き換えようとしているが、これは一人一人の違いを認めあい、すべて個人を例外なく人格をもったかけがえのない存在として尊重するという、立憲主義の根本原理の抹殺にほかならない。「公益および公の秩序」の名による基本的人権の制限が盛り込まれており、憲法を「国民が国家権力を縛る」ものから「国家が国民を縛る」ものへと根本から変質させ、憲法を憲法でなくしてしまうという、時代逆行もはなはだしいものである。
日本共産党は「安倍政権による改憲を許さない」という一致点での共同を大きく広げ、来たるべき選挙で痛烈な審判を下し、その野望をうち砕くために全力をあげる。
一、いま日本に求められているのは、憲法9条を生かした平和外交を力強くすすめることである。テロと戦争の悪循環を断ち切り世界からテロをなくすこと、北朝鮮問題の解決、南シナ海の紛争問題の解決など、どれをとっても、軍事的対応は事態の悪循環を招くばかりである。わが党は「北東アジア平和協力構想」を提案しているが、外交交渉による平和的解決に徹することこそが、希望ある未来を開く唯一の道である。
一、日本社会は、格差の拡大と貧困の新たな広がりという重大な問題にも直面している。アベノミクスのもとで巨額の富がほんの一握りの富裕層に集中する一方、貧困の新たな広がりが深刻になっている。
貧困と格差をただし、公正・公平な社会に向かって前進していくためにも、生存権、幸福追求権、個人の尊重、教育を受ける権利などを定め、世界でも先駆的な人権条項を持っている日本国憲法に基づく政治を実現することが求められている。日本共産党は、「憲法を暮らしに生かす」政治を実現するため、いっそう力をつくす決意である。
一、いま、多くの市民・国民が主権者としての強い自覚をもって立ち上がり、「自分たちの政治だから自分たちで担う」「言うこと聞かせる番だ、私たちが」など、憲法をよりどころに声をあげ、行動に立ち上がっている。日本の戦後政治史でも初めての、「市民革命的」ともいえるうねりが、日本の政治を動かす大きな力となっている。
日本共産党は、「安保法制=戦争法廃止、立憲主義回復」という国民的大義で一致する、すべての政党・団体・個人と力をあわせ、安倍政権を打倒し、国民連合政府による新しい政治への道を開くために全力をあげる。
おおさか維新の会 「国民が必要性納得するテーマで改憲を」
日本国憲法制定が施行されて69年目となる。この間、現行憲法の3原則により、国内で自由主義、民主主義、基本的人権の尊重が定着し、経済成長が促され、国際社会での日本の地位が高められる一助となった。憲法の3原則をはじめ、良い部分は当然守っていくべきである。
一方で、現行憲法制定当時は想定していなかった種々の問題が生じており、時代にそぐわない部分もある。こうした部分については、変えていくべきである。我が党は、国民が必要性を納得できるようなテーマについて、国民的議論を深め、憲法改正を進めるべきと考えている。
以上のような考え方で、おおさか維新の会は、今年3月に憲法改正案を発表し、保育園・幼稚園から大学まで教育の無償化、道州制の実現を目標とする統治機構改革、憲法裁判所の設置について、改正案を示した。今後、国会の発議に向けて、各党との協議を行い、国民に理解を訴えていく。日本国憲法が国民にとって一層良いものになるよう、国民とともに努力していく。
社民党 「改憲の流れ押し戻す」
一、本日、69回目の憲法記念日を迎えました。軍国主義時代の反省と教訓から生まれた日本国憲法は、権力の暴走に対する抑止力であるとともに、国民生活や福祉を向上させる指針となってきました。また、日本が平和国家として歩むことを決意した不戦の誓いとして、世界各国との信頼を築く礎となってきました。しかし今、憲法の三原則である「国民主権・平和主義・基本的人権の尊重」が形骸化され、憲法破壊が公然と進められています。社民党はこれまで一貫して、「平和主義・憲法擁護」の政治信条の下に改憲勢力と対峙(たいじ)し、国民の「いのちと暮らし」を守る活動に邁進(まいしん)してきました。これからも憲法改悪を許さず、憲法の理念が活(い)かされた政治の実現に邁進することを、憲法記念日にあたり改めて誓います。
二、3月29日、多くの憲法学者や国民が憲法違反として反対してきた「戦争法」(平和安全保障法制)が施行されました。安倍首相は「さらなる理解が得られるよう丁寧な説明に努める」と述べてきましたが、社民党はじめ野党が提出した戦争法廃止法案の審議を拒否するなど、説明責任を果たそうともせず、南スーダンPKO(国連平和維持活動)への新たな任務付与やACSA(日米物品役務相互提供)協定の参院選後への先送りを図りつつ、「戦争法」の既成事実化を図っています。社民党は、「2千万署名」や「戦争法」違憲訴訟などに取り組む多くの市民の皆さんとともに、「戦争法」の発動を決して許さず、「戦争法」廃止の実現と集団的自衛権行使容認の閣議決定撤回に全力を挙げます。
三、さらに安倍政権は、明文改憲に突き進もうとしています。昨年8月のいわゆる「安倍談話」では、「次世代に謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」として、加害者責任に終止符を打ち、米国に追従した武力による「積極的平和主義」を進める方向性を改めて打ち出しています。また安倍首相は、予算委員会において、憲法9条を改正すれば「集団的自衛権の行使を全面的に認める」、「在任中に憲法改正を成し遂げたい」と述べ、「戦争できる国、する国」への転換をめざす意思を表明しました。さらには、災害を口実にした「緊急事態条項」の新設が画策されています。自民党改憲案では、武力攻撃や災害が起きた場合に首相が閣議で「緊急事態」を宣言すると、法律と同一の効力を有する政令の制定が可能となり、国民は国や自治体の指示に従う義務が生じます。「緊急事態」に名を借りて首相に権力を集中させ、三権分立も国民の基本的人権も地方自治も民主主義も否定する「独裁条項」にほかなりません。
四、「戦争できる国」へと舵(かじ)を切る安倍政権の暴走に対し、世代や立場を超えて結集した「新たなデモクラシー」とも言える国民の怒りの炎はさらに燃え広がっています。この動きは「戦争法」反対だけではなく、辺野古新基地建設に反対する「オール沖縄」や再稼働阻止・脱原発をめざす「さようなら原発」の闘い、TPP(環太平洋経済連携協定)参加反対の闘いをはじめ、労働法制改悪・消費税増税・社会保障改悪による格差・貧困の拡大に対する怒りの輪も広げています。安倍政権のめざすものが「国民」より「国家・企業」の利益を優先するものにほかならないということを既に多くの国民が見抜いています。憲法の「生存権」を侵害し、「幸福追求権」「勤労権」「教育権」「思想・良心の自由」「表現の自由」など、国民に保障された諸権利を奪い、何より大切な「いのち」を切り捨てる暴走政治をなんとしても終焉(しゅうえん)させなければなりません。
五、私たちの「いのちと暮らし」は憲法によって支えられ守られているという、これまで当然のこととしてあった前提を、安倍政権の意のままに変えさせるわけにいきません。今夏の参院選は、平和憲法の岐路がかかった極めて重要な選挙です。社民党は、日本国憲法の貴重な価値を再認識しはじめた人々、平和を愛し憲法改悪に反対する多くの人々とともに全力で闘います。世界に誇れる日本国憲法が「栄えある70周年」を迎えることができるよう、皆さんと手を携えて改憲の流れを押し戻していきます。
生活の党と山本太郎となかまたち 「海外派兵のための改憲は許されない」
本日、日本国憲法は施行から69年を迎えました。
日常生活を送っていく上で、「自由」も「権利」も空気のように、当たり前にあるものとして感じている人も多いように思います。しかし、それは我々人類の歴史において、先人たちの不断の努力によって今日まで獲得されてきたものです。そして、その根拠、裏付け、番人として「憲法」があります。
この日本においては、大日本帝国憲法下で自由や権利が奪われ、戦争という悲劇を生むことになりました。この反省から1946年、大日本帝国憲法73条の憲法改正手続きに従い、帝国議会の審議を経て現在の日本国憲法が制定されました。実質は憲法改正ではなく、新憲法の制定でした。
ところが、今の(安倍)政権は、憲法はGHQのおしつけだとして、戦前の世の中に戻すかのような勢いで、現行憲法改正への強い意欲を示しています。
確かに現行憲法はGHQの監督下で草案が作成された経緯があります。しかし、憲法前文でうたっている「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」「国際協調」という4大原則は、現在においても守るべき人類普遍の考え方であり、引き続き堅持すべきものであります。
今の政権は、昨年の安保法制の強行採決からもわかるように、目指すところは自衛隊の海外派兵です。これは平和主義を根本から覆す大変危険なものです。その実現のための憲法改正は決して許されるものではありません。
もちろん時代の変遷、世界情勢の変化に伴い、現在の実勢には合わなくなってきているところがありますから、国民の合意があれば改正することは当然、行われてしかるべきだと思っておりますが、いまの政権の目的は違います。
私どもは、国民がより幸せに、より安全に生活ができ、日本が世界平和に貢献するためのルール作りを目指し、国民皆さんと積極的に議論してまいります。そのためにも、憲法記念日というこの日を、再び憲法と立憲主義の成立の原点に立ち返り、その現在的意義を考える大切な機会とすべきです。
自由や権利、平和のためには、我々国民一人ひとりがしっかりと考え、行動していく必要があります。全ては国民一人ひとりの判断にかかっているのです。
日本のこころを大切にする党 「自主憲法制定に邁進する」
日本のこころを大切にする党は、結党以来、国民の手による新しい憲法、自主憲法の制定を党是として、掲げて参りました。
憲法は国の最高法規ですが、時代の要請や国際情勢の変化に応じて修正することも必要です。そして何より、GHQ占領下で作られた憲法をいつまでも押しいただくのではなく、日本固有の歴史や思想、文化を踏まえ、日本国民の手によって制定されるべきと考えます。
日本のこころを大切にする党では、自主憲法起草委員会において議論を深めており、参議院選挙前を目指して自主憲法草案を策定する予定です。日本のこころを大切にする党は国民の皆様と共に、今後とも自主憲法の制定に邁進(まいしん)して参ります。
新党改革 「幅広く憲法のあり方を議論する」
国民の皆様と共に、平和主義を守りつつ、私たちの生命や人権等を守るために、さらにどうあるべきかを真剣に検討し、幅広く憲法のあり方を議論して参ります。