2016年5月28日土曜日

オバマ大統領の広島スピーチ

オバマ米国大統領が、現職の大統領として初めて被爆地・広島を訪問しました。

オバマ氏は、声明を発表し、亡くなった被爆者を追悼するとともに、「核兵器のない世界」を将来にわたって追求していく必要性を世界に訴えました。




オバマ大統領のスピーチ全文

71年前の晴れた朝、空から死が降ってきて世界が一変しました。せん光が広がり、火の海がこの町を破壊しました。
そして、人類が自分自身を破壊する手段を手に入れたことを示したのです。

なぜ、私たちはこの場所、広島を訪れるのでしょうか?
私たちは、それほど遠くはない過去に、恐ろしいほどの力が解き放たれたことを深く考えるためにここにやってきました。
この場所に来て10万人を超える日本の男性、女性、そして子どもたち、数千人の朝鮮半島出身者、数十人のアメリカ人などの犠牲者の死を悼みます。

犠牲になった人たちの魂が、私たちに語りかけています。
もっと内側を見て、私たちはいったい何者かを振り返り、今後、どのようになろうとしていくべきか、私たちに語りかけています。

戦争は広島だけが特別なのではなく、暴力的な紛争は古くから行われています。われわれの祖先は火打ち石で刃を、木片からやりを作る方法を覚えました。こうした道具は、ただ単に狩りのためではなく、人類を殺すための武器として使われてきました。

どの大陸でも、あらゆる文明は戦争の歴史に満ちています。
穀物の不足や、金への欲望、あるいは国粋主義や宗教的な理由から戦争が起こってきました。帝国は台頭し、衰退しました。人々は支配され、解放されました。

それぞれの歴史の転換点で罪のないひとが苦しみ、多くが犠牲となりました。
そして、犠牲となった人たちの名前は、時がたつと、忘れられていきました。

広島と長崎で残忍な終わりをみた世界大戦は、裕福で力のある国によって戦われました。
これらの国の文明は、すばらしい都市を築き、壮大な技術を生み出しました。思想家たちは正義、調和、真実の考えを生み出しました。

しかし、支配したい、制覇したいという思いは、小さな部族でも、争いを生みました。
古くからある思考の在り方が、新しい能力によって、増幅されてきましたが、そこには制約するものはありませんでした。ほんの数年の間に6000万人の人たちが亡くなりました。
私たちと同じ、男性、女性、子どもたちです。
撃たれ、殴られ、行進させられ、拘束され、飢え、毒ガスで殺されています。

世界中には、戦争を記しているところや、勇ましく英雄的な行動を伝える慰霊碑があり、墓場やからっぽになった収容所などが、声にならない悪行を伝えています。
しかし、この空に上がったキノコ雲のイメージのなかに、私たちは人類の矛盾を強く突きつけられます。

私たちを人類たらしめている思考、想像力、言語、道具を作る能力、そして、私たち自身を自然から区別し、思いどおりに自然を変える能力。
そういったものが、私たちに度を超えた、大きな破壊力を与えるのです。

物質的進歩や、社会的革新は、こうした真実を見えなくさせるのでしょうか。
どれだけたやすく暴力を正当化してきたのでしょうか。
すべての偉大な宗教は、愛や慈しみ、公正さを説いていますが、決して、信仰が殺す理由になってはいけないのです。

国は台頭し、人々が結束できる理由を探し、犠牲や協力、偉業が生まれますが、同じ理由が人類を抑圧し、異なる人たちを非人間的に扱ってきました。

科学によって、私たちは海を越えてコミュニケーションを図り、空を飛び、病を治し、宇宙を理解しようとしますが、また、その同じ科学が、効率的に人を殺す道具として使われることもあるのです。
近代の戦争は、この真実を、私たちに教えてくれます。
そして、広島は、この真実を私たちに教えてくれます。

私たちの人間社会が、技術の進歩と同じスピードで進歩しないかぎり、技術はいずれ、私たちを破滅させかねません。
原子を分裂させることを成功させた科学の革命は、私たちの道徳の革命をも求めています。だからこそ、私たちはここに来ました。

広島の中心にある、この場に立つことで、原爆が落ちた瞬間を想像せざるをえません。私たちは、あの日、目にした光景に恐れおののき、困惑した子どもたちの気持ちに、思いをはせなければなりません。

私たちは、彼らの悲鳴にも耳を傾けます。あの酷い戦争、その前に起きた数々の戦争、そして、あの酷い戦争の後に起こりうる、あらゆる戦争で殺害された、罪のないすべての人たちのことを思います。

彼らの苦しみとその声は、どんなことばであっても表現しきれないものです。
しかし、私たちは、みな、歴史を直視する責任があります。そしてこのような苦しみを再び起こさないためにも、私たちは何を変えなければならないのかを、自問すべきなのです。

被爆者の方々から、証言を直接うかがうことは、いずれできなくなるでしょう。
しかし、1945年8月6日の記憶は、風化させてはなりません。
その記憶によって、私たちは現状に甘んじてしまうことに、あらがうことができます。その記憶は道徳的な思索を後押ししてくれます。

そして、変わることも可能にするのです。
あの運命の日以来、私たちは希望を持つことのできる選択をしてきました。

アメリカと日本は同盟を結んだだけでなく、友情で結ばれました。その同盟と友情は、戦争が奪う命の数よりも、はるかに多くの人たちに恩恵をもたらしました。
ヨーロッパの国々も連合をつくり、かつての戦場を商業と民主主義で結ばれた場所に変えました。

迫害されている人や国々は自由を求めています。
そして、国際社会は国際機関や国際条約を成立させ、戦争を回避するとともに、核兵器を制限し、減らし、究極的には、廃絶させることを追求してきました。

とはいえ、国家間のあらゆる対立、テロ、腐敗、残虐、迫害といった、世界各地でいまも見られる出来事が、私たちの任務に終わりがないことを示しています。
私たちは、人間が悪を行う可能性を完全に消し去ることはできません。

だからこそ、国家と、それらの間で結ぶ同盟は、自分たちを守る術を持たなければならないのです。
しかし、わが国アメリカのように、核兵器をみずから持つ国は、恐怖の論理から脱する勇気を持ち、核兵器のない世界を追求しなければなりません。

私が生きているうちに、この目標を達成することはできないかもしれませんが、破滅から世界を遠ざける努力を続けなければなりません。
そのために、核兵器を廃絶するための道筋をつけることができるし、核兵器が新たな国家や狂信者たちの手に渡るのを防ぐこともできるはずです。

ただ、それでも足りません。どんなに粗雑な銃や爆弾であっても、すさまじい規模の暴力を可能にするさまを、私たちは今も、世界の各地で目の当たりにしています。

私たちは、戦争に対する考え方を変え、外交によって、紛争を回避し、すでに始まった紛争についても、それを終えるための努力を怠ってはなりません。世界の国々は、ますます相互に依存するようになっています。
しかし、それを暴力的な競争ではなく、平和的な協力につなげるべきです。

起こすことのできる破壊の大きさではなく、何を作り出すことができるかで国の価値を判断すべきです。
もしかすると、何よりも必要なのは、私たちがいかに世界の人々と互いにつながっていて、人類の一員であるのか、改めて思いをいたすことなのかもしれません。

このことこそが、私たちの種の特別さなのです。私たちの運命は、遺伝子で決まっているわけではありません。だから、過去の過ちを再び犯す必要はないのです。

私たちは学ぶことができます。選ぶことができます。子どもたちに、これまでとは違う話を伝えることができます。人類に共通の価値観があり、戦争が起こりにくく、今よりも残酷な行いを許さない世界の話を。

そうしたものを、私たちは被爆者の方々の話しの中にみることができます。最も憎んでいるのは戦争そのものだとして、原爆を落とした爆撃機のパイロットを許した女性の被爆者の話。肉親を失ったのは自分と同じだとして、広島で原爆の犠牲になったアメリカ人の遺族を探した男性の被爆者の話。

アメリカという国は、シンプルなことばで始まりました。「すべての人は平等で、生まれながらにして生命、自由、そして幸福を追求する権利を持っている」と。
ただ、こうした理想を現実のものにすることは、アメリカ国内であっても、そしてアメリカ人どうしであっても、決して簡単なことではありません。

しかし、この理想は大陸や海を越えて共有されるもので、追い求めること自体に大きな価値があるのです。

どの人もそれぞれの価値があり、誰の命も貴重なものです。私たちが伝えなければならないストーリーは、私たちはみな、人類という1つの家族の一員だということです。
それが、私たちが広島に来た理由です。

愛する人たちのことを考えるために。朝、子どもたちが見せる最初の笑顔。妻や夫といったパートナーがキッチンのテーブル越しに見せてくれる気遣い。そして、安心をくれる両親からの抱擁。

私たちは、同じような大切な瞬間の数々が、ここ広島で71年前、多くあったことに思いをはせることができます。

亡くなったのは、私たちと同じような人たちです。普通の人たちには理解できると思います。人々はこれ以上の戦争は求めていません。彼らは、科学のすばらしさが人生を終わらせるためではなく、向上させるために使われることを望むでしょう。

国々が選択をするとき、リーダーたちの選択にこのシンプルな英知が反映されれば、広島の教訓は生かされます。

ここで、世界は永遠に変わってしまいましたが、きょう、この町の子どもたちは平和な日々を過ごすことができます。
それはなんと尊いことでしょうか。それは、守り、すべての子どもたちに広げていくべきことです。それは、私たちが選択しうる未来です。

広島と長崎を核戦争の始まりとして記憶するのではなく、私たち自身の道徳的な目覚めにしなければならないのです。

2016年5月22日日曜日

日本人は琉球人を同等とみなしていない

怒りを記憶に留め、多くの方々に共有していただきたく、全文転載します。

沖縄20歳女性の死は、日米両政府の無作為の罪だ|2016年5月21日沖縄タイムス

沖縄県うるま市で行方不明になっていた会社員の女性(20歳)が19日、遺体でみつかった。米軍嘉手納基地勤務の軍属、ケネス・シンザト・フランクリン容疑者(32)が死体遺棄容疑で逮捕された。フランクリン容疑者は元海兵隊員だった。沖縄県民を犠牲にする米軍基地問題は終わらない。

日米両政府が繰り返す再発防止はもはや意味がない。アメリカ兵みんなが悪者ではない、という意見が必ず出てくるが、沖縄にこれほど米軍基地が集中するから事件・事故が多いという事実に議論の余地はない。アジアに展開するアメリカ兵の人数のうち、沖縄に配備されている割合はすさまじい。

0.6%の国土面積に75%の米軍基地が集中している実態はよく知られている。では、アジア全域に視野を広げてみよう。米軍はアジア太平洋全域に約10万人を前方展開している。このうち沖縄には2万5000人を駐留させているので全体の25%になる。アジアに展開する米軍の役割は自国の利益保護と同盟国の安全保障である。

日本、韓国、オーストラリア、フィリピン、タイの同盟5カ国に対し、アメリカは条約上の防衛義務を負う。この5カ国の国土面積は合計890万平方キロメートルで、沖縄は2300平方キロメートル、率にすると0.025%でしかない。アジアの中でみると針の先ほどの0.025%の場所に25%の兵力を押し込めている異常な状態こそが、沖縄の米軍基地問題だ。ビジュアル的に説明すると、5000人が100トンの荷物を担ごうとした場合、このうちのたった1人に25トンを背負わせている計算になる。世界でこれほど軍事化された場所はないだろう。

この不公平で不正義な状態の中で過去から現在にかけて終わらない犠牲の積み重ねがある。

ところが日本国内でこの実態は的確に認識されないばかりか、お金のため沖縄自らが基地を欲していると主張する人たちが増えている。日本の安全と平和、繁栄のために沖縄の犠牲はやむを得ないと考え、沖縄を人身御供にするときの免罪符として、沖縄の地理的優位性を持ち出す。神様がこの場所に島をお造りになったから、仕方ないでしょ、と創造主に責任をなすりつける。だから沖縄の犠牲に後ろめたさを感じないで済む。

名護市辺野古を埋め立てないでください、と何度お願いしても政府は地元の民意を踏みにじって平気で青い海を埋めようとする。東京の政治エリートたちは「沖縄の感情論も分かるけど、地理的優位性であり、抑止力であり、安全保障なんだよ」と反対派の主張を稚拙だと見下す。開発段階で墜落事故が頻発したオスプレイを住民地域の真ん中にある普天間飛行場に配備することについても当時の野田政権(民主党)は平気だった。

この差別構造を米国は利用してきた。沖縄戦の前年、1944年に海軍省作戦本部が沖縄占領に向けた「民事ハンドブック」をまとめている。歴史、言語、文化、政治、経済などあらゆる角度から沖縄を分析し、占領政策の資料とした。その中の日本と琉球の関係性についてこう書いている(抜粋・省略)。

「日本人と琉球人は人種的、言語的な類似性にもかかわらず、日本人は琉球人を同等とみなしていない。したがっていろいろな方法で差別されている。これに対し琉球人は劣等感を持つわけでもなく、むしろ独自の伝統と中国との長い文化的な関係に誇りを持っている。日本と琉球の間には政治的に利用し得る軋轢がある。」

筆者なりにこの日琉関係の分析を読み解くと、日本は沖縄を差別しているから、沖縄で少々犠牲が出ても日本国内では大きく問題化しない、ということだ。外国軍の駐留は古今東西、受入国で政治圧力を強く受ける。米軍駐留の安定的に維持するためには政治圧力を小さくする必要があり、沖縄ではそれが比較的弱いだろう、と見ていたことがうかがえる。この米国の分析が正しかったことは、戦後繰り返し立証された。普天間飛行場のヘリコプターが沖縄国際大学に墜落したとき、全国メディアはプロ野球読売巨人軍の渡辺恒雄オーナーが辞任した、という話題がトップで、その次がオリンピックで柔道の柔ちゃん金メダル、その次も柔道・野村の金メダル、そしてようやく沖縄でヘリ墜落のニュースが報じられた。

71年前、米軍が放つ「鉄の暴風」で沖縄が玉砕の島となろうとしていた6月、東京では大相撲夏場所が開かれていた。海軍沖縄根拠地隊司令官だった大田実中将は「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後生特別ノゴ高配ヲ賜ランコトヲ」と海軍省次官に電報を送り、その一週間後の13日に壕の中で拳銃自殺した。ちょうどその日、両国国技館で夏場所の千秋楽があった。戦後の日本は、大田中将が打電した「ご高配」どころか、沖縄を米軍に差し出して独立した。1972年にようやく祖国復帰を実現するのだが、基地の形は変わらなかった。

そしていま中国に尖閣諸島が狙われているから、沖縄の米軍基地は動かせないと日本政府は考えている。この思考は世情を見誤っている。沖縄に駐留する最大兵力の海兵隊は毎年、中国人民解放軍とも定期訓練を行い、軍事外交を展開しているのだが、この現状を日本人は知らされていない。毎年2月にタイ、そして4月にフィリピンで開催される共同訓練には全世界から20〜30カ国の軍隊が参加し、人道支援や災害救援に対する国際協力体制の構築に取り組んでいる。これに参加する中国軍司令官らは「米中協力はアジアの安全保障に大きく貢献している」と自らの存在を誇示する。これが沖縄を拠点に海兵隊が取り組むアジアの安全保障である。

この米中関係の深化は憲法改正を志向する安倍内閣にとっては不都合な現実だろう。安倍首相は口を開けば、「日本を取り巻く安全保障環境が一層厳しくなっている」と危機感を煽り、米軍と自衛隊の一体化を進めようとしている。ところが中国軍は米軍やアジア各国の軍とともに人道支援、災害救援の共同訓練に積極的に関与し、「米中協力でアジア安保だ」と主張している。中国を仮想敵とする安倍流の安保観はフィクションどころかジョークにさえ聴こえてくる。

仮想敵を想定した軍事強化なのか、それとも仮想敵とも関係改善を探る安全保障のいずれを選択するのか―。憲法改正で軍事強化路線を進む安倍政権を抱えた日本の有権者は、その選択を突きつけられている。いずれかを判断する上で知っておきたいのは、米軍は日本だけの守護神ではないということだ。アジア太平洋地域全体の海が穏やかであれば、結果として日本も安全だという理屈だ。それは警察と同じで、地域の警察署があなたの家だけを警護しているではなく、所轄する地域で犯罪を防止すれば、結果としてあなたの家も安心だ、ということだ。だから中国軍を積極的に引き入れて、人道支援や災害を想定した国際共同訓練を定例化させている。

沖縄が地理的に優位だからでも、日本防衛だけのために米軍が駐留しているわけでもない。アジア全体の安全保障体制を構築し、冷戦後の秩序を構築していくグローバルな課題のために米軍は忙しくしているのだ。望遠鏡でアジア全域を見渡す米国。顕微鏡で尖閣を覗き込む日本。この2つの国は視野も度量もまるで違う。このギャップの中で沖縄の犠牲が沈殿していく。

若い命を奪った今回の事件は、沖縄の叫びを無視してきた日米両政府の無作為の罪でもある。軍事を動かすのは政治である。日米安全保障体制を維持しながら、基地の配置(態勢)を変えることは可能だ。米軍再編で海兵隊の主力部隊がグアムへ移転することが、何よりの証拠だ。体制(システム)を変えなくても、態勢を変えるのは難しいことではない。沖縄の基地問題は態勢を調整するだけの問題であり、基地を動かす不動産の類だ。そんな基地問題を放置する政治の責任は重いということだ。

米大統領選で共和党指名を確実にしたドナルド・トランプ氏が、日本が米軍駐留経費をもっと上乗せしなければ撤退する、と発言している。これに民進党の長妻昭代表代行は7日の民放番組で、「日本も駐留経費を出していることや、沖縄が極東の重要な拠点であることを外務省が早急に説明しないといけない」と述べている。

日本が差し出せるのは、金か沖縄くらいなのか。長妻氏だけでなく、多くの政治家がそう考えているかもしれない。日本はいつまで沖縄を人身御供として差し出せば気がすむのか。

日本の政治は若い女性の死を誠実に受け止めるべきだ。自民党や民進党など基地容認派は沖縄の基地集中を解消するため、本土移転を真剣に考えるべきだ。海兵隊は普天間だけを本土へ持っていくことは、機能的に難しいが、全部隊セットで動かすのはわけもない。海兵隊を運ぶ船は長崎県佐世保港に配備されているのだから、始発駅の長崎を出た電車の乗車駅はどこでもいい。基地容認派が持続可能な日米同盟を主張するなら、海兵隊だけでも本土へ持っていく責任を自覚すべきだ。

他方、米軍削減を主張する政党は、どのように減らすのかを具体的にプラン化し、論理的なオルタナティヴ(選択肢)を国民に提示し、広く賛同を求めるべきだ。「日米アンポ」に対する賛成・反対、右・左、保守・革新の対決は冷戦崩壊で終わった。「アンポ反対」の主張は聞くが、軍事に頼らない側から新たな安全保障政策が出てこないのが、日本の政治を脆弱化させる一因と思う。米軍再編を分析すれば、軍隊の配置はいかようにも調整可能であることはすぐに分かるはずだ。その調整ができるかどうかは政治力の問題だ。

海兵隊の機能、特性を知れば具体策はいくらでも出てくるのだが、不思議なことに日本では実態論がないまま、おかしな「沖縄論」がメディアに氾濫する。例えば、沖縄は基地で食っているから本当は基地を欲しがっている、沖縄の新聞は偏向しているからぶっつぶせ、もともと基地があったところに住民が近づいてきた―。解決策を懸命に探る知的作業より、反対者を潰そうという攻撃性が言論空間に蔓延する。仮に一部の生活者が基地収入に依存している現実があるにせよ、それがどうした、と言いたい。70年以上も住民は基地と同居するのだから、当然利害が派生する。当たり前のことを、「誰も語らなかった沖縄の真実」と書き立てる低劣な書籍が書店に並ぶ。問題の本質は、沖縄の基地集中は不公正であり、是正すべき政治課題であるということだ。自民党の中にも低劣な議論に乗せられて沖縄メディアを罵り、広告を止めろと言い放つ国会議員がいるのだから、政治の劣化は凄まじい。

政治の現状はお寒いのだが、それでも軍事を変えられるのは政治しかない。

政治は知恵を出して代替策を提示できなければ、女性の死に報いることはできない。中国脅威論、抑止力、平和、環境といった定型の論争はもはや合理性を持ち得ないし、聞き飽きたし、具体的な解決策を生み出さないことも知っている。私たちは安保賛成・反対、保守・革新、右・左といった不毛な議論を忌避する。今度こそ具体的な政策を提示するよう政治に求める。その取り組みを評価の基準にすべきだろう。

事件を受けて沖縄ではおそらく、政府への抗議行動が激しくなる。そして嵐が通り過ぎるのを為政者はじっと待つのだ。政策に犠牲は付きものだ、というのが東京の政治エリートの冷徹な思考回路だ。そして日常に流されていく沖縄では、ある時突然、別の悲劇に襲われる。

この連鎖を止める責任は政治にある。普天間を辺野古に移転すれば、犠牲は止まるというのなら、その根拠を示すべきだ。選挙カーで未来を語るのもいいが、女性の死にどう報いるかも明らかにすべきだ。

沖縄は日米の植民地ではない

怒りを記憶に留め、多くの方々に共有していただきたく、全文転載します。

守れなかった命 第2の容疑者は日米政府 オバマ氏は沖縄で直接謝罪を|2016年5月22日琉球新報

最悪の結末を迎えた米軍属の元海兵隊員による女性遺棄事件で、容疑者は女性を乱暴し、残忍な手口で殺害したと供述している。

米軍基地問題の不条理に対し、沖縄社会は尊厳を懸けて抗う強さを増している。しかし、私たちは、成人式を終え、希望に満ちていた20歳の女性の命を守れなかった。

痛恨の極みと言うしかない。

名護市内で告別式が執り行われた21日午後、遺体発見現場に出向いた。多くの花束と飲み物がたむけられ、告別式を終えて駆け付けた同年代の女性たちが悲しみに暮れていた。化粧品のスペシャリストの資格を得る夢と結婚を控えていた人生を瞬時に奪われた被害者は、亜熱帯の樹種が重なる薄暗い雑木林の中に遺棄された。その無念さ、一人娘を突然奪われた両親の悲しみを思うと、猛烈な怒りが沸いた。こうべを垂れ、立ち尽くすしかなかった。

米統治下の1955年9月、6歳の幼女を米兵が車で連れ去り、嘉手納基地内で何度も暴行して殺害し、基地内のごみ捨て場に捨てた。苦痛に顔をゆがめて歯を食いしばり、ぎゅっと結んだ小さな手には雑草が握られていた。立法院は「沖縄人は、殺され損、殴られ損で、あたかも人権が踏みにじられ、世界人権宣言の精神が無視されている」と抗議決議した。

61年前の由美子ちゃん事件、1995年の少女乱暴事件、そして今回の事件は、軍隊組織で培われたむきだしの暴力が弱い女性の尊厳を容赦なく蹂躙(じゅうりん)する構図で共通する。基地がなければ、奪われることのなかった命は数え切れない。

米軍基地の過重負担は、12万2千人余の県民が犠牲になった沖縄戦を起点とし、米軍統治下の27年間で積み重ねられた人権侵害が縦糸になっている。泣き寝入りした被害者を含め、無数の無念が戦後史に陰影を刻み、沖縄の施政権返還後も続く基地被害が横糸を紡ぐ重層的構造になっている。

日本軍が駐留していたからこそ沖縄は戦場になった。不戦を誓う県民にとって、沖縄戦と今回の許し難い事件、そして名護市辺野古の新基地建設は地続きの問題だ。

被害者にたむけるために花を購入した花屋の女性店主が「私の思いも届けて」と倍の花を包んでくれた。店主は「基地は仕方ないと思っていたが、基地があるから犠牲者が出る。考えを改めないといけないですね」と声を詰まらせた。

過重負担の是正を求め、辺野古新基地を拒む沖縄の民意は民主主義的正当性を宿す。それを一顧だにせず、虚飾と印象操作に満ちた「負担軽減」の文言を繰り返すだけの無策の末、新たな犠牲者を生み出した日米両政府は、まぎれもなく第2の容疑者である。

翁長雄志知事が国連人権理事会で「県民の人権と自己決定権が侵害されている」と世界に訴えた後、菅義偉官房長官は基地問題は人権問題ではないと批判していたが、今回の事件は最たる人権侵害以外の何ものでもなかろう。県内に渦巻く激しい怒りは、これまでの米軍事件とは全く次元が異なる。それを安倍政権は自覚せねばならない。

2000年7月の沖縄サミットで、当時のクリントン米大統領は県民向けの演説で「米軍の足跡を減らす」と約束したが、空証文でしかなかった。同じ民主党出身のオバマ大統領は今月末の広島訪問に際して沖縄を訪れ、基地の島・OKINAWAに犠牲を強い続けていることを明確に謝罪し、辺野古新基地断念を表明すべきだ。

沖縄は日米の植民地ではない。私たちには、子や孫の世代に新たな犠牲者を出す構造を立ち切る責務があり、「第3の容疑者」になることを拒む。そのために立ち上がるべき時が来ている。

2016年5月10日火曜日

人の役に立つということ-熊本地震・災害ボランティアに参加して

GW連休中の5月5日(木曜日)に、熊本県の西原村というところに、妻とともに、災害ボランテイアに行ってきました。

ずいぶん昔になりますが、転勤で熊本に住んでいたことがあり、熊本の皆さんには大変お世話になりました。ご恩返しに少しでも何かお役に立てることはないかと思い、今回、「日本九援隊」というNPO法人の企画に参加しました。

この企画は、「日本九援隊」が、熊本地震災害ボランティア用の大型バスをチャーターし、希望者が応募・便乗して被災地に向かうものです。

被災地では、「日本九援隊」のスタッフ、参加者のうち経験豊富なリーダー、地元自治体等の皆さんによる調整・指示の下、ボランティア経験に合わせた内容の作業を行います。

私は、全くの素人でしたので、内心不安でしたが、参加された方々の心温まるご協力によりなんとか無事に一連の作業を完了することができました。

1 準備は怠らず

目的地は、熊本県阿蘇郡西原村。最も被害の大きかった益城町の隣にある地区でした。

主なスケジュールは、
06:00 JR博多駅前出発
06:30 JR大野城駅前出発(九州道太宰府IC~熊本IC)
09:00 西原村災害ボランティアセンター到着
09:30 活動開始(途中、昼食時間を含め適宜休憩)
16:00 活動終了、西原村災害ボランティアセンター出発(九州道熊本IC~太宰府IC)
18:00 JR大野城駅前到着
19:00 JR博多駅前到着

まず、出発前に、近くの社会福祉協議会に行って、ボランティア活動保険に入りました(¥650)。

バス(チャーター代は参加者全員による割勘、今回は¥3000)の中で、NPO法人の方から、ボランティア(作業)に当たっての心構え、被災者の方々への配慮事項、各自の準備状況等についての丁寧な説明・確認がありました。予備知識のない(無謀な)初心者の私にとってはとても役立つ情報でした(正直なところ助かりました)。

聞くところによると、各自が常備することが望ましいものとしては、1)ヘルメット、2)作業手袋(ガラスの破片を扱うので革製)、3)安全靴があります(必須ではなく、服装に合わせた作業をすれば可)。私の場合、ヘルメットと作業手袋は、現地でお借りしました。安全靴は、自分の登山靴で代用しました。

また、車中で、ガムテープと太字マジックが回され、自分の苗字を書いて、腕又は胸に張りました。



2 いざ現地へ

バスを降り、まずは、現地の集合場所(体育館が避難所にもなっている西原中学校)へ向かいました。そこで、作業対象や内容がチームごとに違うので、ボランティア経験に合わせた10人ほどのチーム(当日は4チーム)に編成され、それぞれのチームのリーダーとサブリーダーが指名されました。



私たちのチームの担当は、「危険」の”赤紙”が張られている2つの民家のがれきの片づけと運搬でした。”赤紙”とは被害を受けた建物の倒壊危険性を調べる「応急危険度判定」の結果で、当時3割近くが立ち入り「危険」と判定(住民が2次被害に遭わないよう注意を促すための応急措置で、全半壊などの被害認定の調査とは別)されていました。

Yahooニュースから引用

担当する作業場所へ向かう途中の田園風景は、今の季節を反映して若葉一色の素晴らしいの景色でした。しかし、一転、点在する家屋は見るも無残な状況でした。テレビや新聞で見るのと自分自身の目で見るのとでは全く異なる地獄絵図です。

徒歩で数分後、作業場所に到着しました。既に家の中では、家族の皆さん総出で、部屋に散乱した家具や食器の片づけ、ごみ捨て場への運び出しを行っていました。軽トラックに載せては運び、再び戻って同じ作業の繰り返しです。残念ながら、”赤紙”の張られた建物の中では、安全確保のため、私たちボランティアはお手伝いをすることができません

私たちは、まず、ご家族に作業を開始する挨拶をして、建物周辺に散乱したがれきの整理を始めました。整理とは、屋根から落ちたかわら、倒壊した窓など飛散したガラス、ブロック塀などのコンクリート、その他の大きく4つに分類することです。混ざりあったがれきの中から4種類に分類し、それぞれを運搬用の袋に詰めていきます

当日の最高気温は26度ほどでしたが、ヘルメットやけがを防止するための長袖・長ズボン、登山靴を着用しているため、30分もすると、頭から顔にかけて水のような汗がボトボトと流れてきます。休憩時間にはペットボトルの水をがぶのみしました。

現地では、まだ水道が復旧していないため、トイレが使えませんでした。チームを編成した西原中学校か、対策本部のある役場まで徒歩で戻るしかありません。女性の方は大変だったと思います。

ようやくお昼の休憩がやってきました。持参したおにぎりをぱくつき、残りの時間は、ひたすらじっと体を休めました。暑さや疲労のせいか、思いのほか体力を消耗していたからです。

滞在時間も少なくなったところで、2つめの建物に作業場所を移動しました。先発隊がいたものの、一つ一つの家屋が大きい(立派なお家の)ため、落下して破損した屋根瓦も多く、予想以上に作業に時間がかかりました。


NPO法人「日本九援隊」がチャーターした大型バス



私たちのチームががれきの撤去を担当した民家屋(1番目)



上記家屋の裏手にもがれきが散乱



隣家の間の擁壁が崩壊



がれきを分類し袋詰め



最終的には、家の周りにこの数倍の袋が山積みに



がれきの撤去を担当した民家屋(二番目)



壊滅的な隣家は未だ手つかず状態



上記家屋の裏手



ブロック塀が全面倒壊



押しつぶされた家屋



壁が崩落した家屋



1階部分が潰れて見えない状態



家屋の土台が崩落



そこらじゅうの家屋がこのような状態



屋外で生活している家の台所か


時間も無制限ではありません。とうとう帰路につかなければならない時間が来てしまいました。がれきの袋詰めは概ね終わったものの、それらをごみ捨て場に運ぶトラックに移す作業を行うことは残念ながらできませんでした

ボランティアの皆さんは、最後までやり遂げられななかったことに虚しさやくやしさを感じているようでしたが、被災者のご家族に作業終了のご挨拶をした際に、おばあちゃんから”ありがとう”の感謝の言葉をいただいたことで、ようやく少し満足な表情に変わりました。

一連の作業を終了し、分散していた各チームが汗みどろになって集合場所の西原中学校に戻ってきました。一堂に会して、それぞれの今日の作業内容と結果の報告が行われました。作業がスムーズに進まなかったこと、その原因、そして今後どうすべきか、最後に、参加したボランティアの安全を確認し、互いの健闘を称えあって、帰りのバスに乗り込みました。


自衛隊により避難所(西原中学校)の裏手に設営されたお風呂


3 ボランティアを経験して感じたこと

私にとって初めての災害ボランティア経験でしたが、いろんなことを勉強させていただいたような気がします。

まずは、「復旧支援の地域間格差」についてです。

今回伺ったのは、熊本県阿蘇郡西原村という、熊本市内に比べ、一人暮らし又は夫婦二人暮らしの高齢者が多い地区です。

”赤紙”の張られた家屋内では、ボランティアは作業を行うことができないことになっているため、高齢者の多い地区での今後の復旧の遅れが懸念されます。

また、聞くところによると、交通網が遮断されている南阿蘇地区では、ボランティアによる復旧支援が未だ手つかずの状態とのこと。

報道によれば、連休中、熊本市内では、ボランティアの受付を中止するほどの申し込みがあったようですが、連休明けのこれからは、このような地域では、ますます人手不足に見舞われることが予想されます。

次に、「被災した子どもたちの心のケア」の問題があります。

避難所となっている西原中学校の校庭の片隅で一人の女の子が遊んでいました。気になって声をかけてみると小学校3年生でした。”自宅がつぶれて、体育館に寝ている”とぽつりと答えました。

思えば、この震災は4月に新学期が始まったばかりのできごとでした。友だちまで失った多くの子どもたちが避難所に孤立している現実。同世代の子どもを持つ親としていたたまれなくなりました。

妻が、持参してきたお古の絵本を女の子に手渡していました。”水や食糧などの生活必需品ではないけれど、本に救われる時があるかもしれない”。そう考えて、自宅から持ってきた絵本でした。女の子は喜んで避難所にいる家族のもとに戻っていきました。

もし、保存する必要のなくなった本がある方は避難所に送ってあげてはいかがでしょうか。学校宛でもいいかもしれません。学校教育にしかできない、あるいは子ども同士でなければできない心のケアというものもあると思います。皆が自分や自分の周りいる子どもと重ね合わせて考えてみれば何かできることがあるかもしれません。

このように、地元自治体等、行政だけの力では乗り越えることができない壁が目の前に立ちはだかっており、”できる人が、できるときに、できることをやる息の長い、そして計画的・効率的な復旧・復興支援”が必要だと感じました。

次に、「これからのボランティア」についてです。

素人の私が、割とすんなり災害ボランティアに参加できたのは、一緒に参加した妻の勧めもありますが、なんといってもNPO法人の存在があります。

個人で被災地に乗り込んでいくには、それなりの勇気と準備が必要ですが、今回、最小限の装備と食糧と水(簡単に言えば登山やハイキングの準備)だけで参加しやすくしてくれたのは、NPO法人の企画のおかげだと思います。

移動手段のバスは、NPO法人がチャーターし、道中で希望者をピックアップしてくれるしくみでした。また、現地で必要な資材(スコップ、竹ぼうき、一輪車、がれきを入れる袋など)や、作業場所・内容の調整・手配は、すべて、NPO法人又はNPO法人と連携した現地の行政が準備してくれました。

そして、重要だと思ったのは、いろんな意味で目配りや指示のできる経験豊富なリーダーの存在です。災害ボランティア経験の有無、社会人・学生など多様なバックグラウンドを持つ大勢の人を束ね一つの目的を達成することができる能力は、これまで培ってきた経験から生まれてくるものだと思います。

最後に、「是非とも若い方や学生に災害ボランティアを経験していただきたい」ということ。

今回、見ず知らずの方々との即席のチームを組みました。博多駅(福岡県)発のバスでしたので、近隣県の参加者だと思いきや、わざわざ東京都、神奈川県など遠方から空路かけつけた方々もおられ、頭の下がる思いでした。

最初はたどたどしい雰囲気ではありましたが、協働していく中で、次第に会話が生まれ、作業が終わるころには、一つの達成感を共有する友人になっていました。年齢も性別も出身地も無関係に、一人の人間として

こういったポジティブに生きる意志を持つ方々の中に身を置く経験をすることは、職場や学校で学ぶものとは異なる、ある意味ではそれ以上の価値ある学びができるのではないか、また、自分の人生にとって得難い経験をすることができるのではないかと思います。

さらに、被災者(大人と子どもたち)、被災自治体、自衛隊など支援者の方々との会話・交流を通じて、耐えるということ、自立するということ、強く生きるということ、そして命の大切さなど、人として必要な力とは何かを考えるよい契機になるかもしれません。

連休も明け、これからボランティアの減少が予想されています。今後、職場や大学としても、物資の提供以外の復旧・復興に向けた支援について検討されることもあるでしょう。

熊本では未だ余震が続いており、かわらの落下、ガラスの飛散など二次災害の危険性があります。また、気温の高い季節に入りますので、熱中症にも十分な備えが必要です。そして、日帰りであっても、移動と作業の連続で、体力も消耗します。

私の場合、お世話になった熊本に少しでも恩返しできるよう、年甲斐もなく精一杯がんばりましたが、要領を得なかったためか、帰宅後は疲労困憊で足腰が思うように動きませんでした。以後十分気をつけたいと思っています。

国立大学の教職員場合、ほとんどの大学に「ボランティア休暇制度」が整備されていると思います。制度を持つことで満足するのではなく、”実際に活用すること”、そのために、”運用しやすい職場の文化を醸成すること”が必要ですね。


ともにがんばりましょう! 西原村のみなさん!
(追記)5月12日付朝日新聞に上記メッセージが紹介されていました。記事によると「熊本県西原村の緒方登志一さん(60)が、「取り壊すなら、再起を誓ってから」と、被害を受けた自宅の壁に「がんばるぞ」とメッセージを書いたところ、ボランティアや地元消防・警察にも感謝を伝えたいと次女の晶さん(25)が「ありがとう」と書き加えた」そうです。


自然豊かな阿蘇を有する熊本には、時折家族で旅行してきました。

以下の写真は、5年前に撮影した南阿蘇鉄道の風景です。

一日も早く、再びこのような景色を見ることができる日がくることを、心からお祈りしています。






(西原村関連動画)

 

(西原村関連記事)

祖母が倒壊家屋の下敷きに…私が見た熊本地震(1)
先祖代々の墓所も壊滅…私が見た熊本地震(2)
繁華街にも爪痕、自粛ムードも…私が見た熊本地震(3)

2016年5月5日木曜日

こどもの日に思うこと

今日は、こどもの日。こどもの健全な発達を願う日とされています。

「こどもの日」を前に総務省が4日まとめた人口推計(4月1日時点)によると、外国人も含めた14歳以下の子供の数は前年と比べて15万人減の1605万人で、35年連続の減少となったとのこと。

総人口に占めるこどもの割合は12.6%で、42年連続の低下。比較可能なデータのある1950年以降、人数、割合ともに過去最低を更新し、少子化に歯止めがかからない現状が改めて浮き彫りになったとのこと。(2016年5月4日日本経済新聞

朝日新聞提供

少子化は、世界的な問題でもありますが、放置すると、人口減少、経済力の衰退、社会保障制度の崩壊など、経済・社会全体に及ぼす悪影響は計り知れません。

近時、待機児童の問題、子どもの貧困・虐待の問題、奨学金をはじめとする教育費の問題など、国を挙げて取り組まなければならない喫緊の課題が山積している中、私たち大人は、今日一日を、将来を担う子どもたちのために、何をどうしなければならないか、そして子どもたちをどう受け止めどう寄り添うかについて真摯に考える契機にしたいものです。

こどもの日に新聞各紙が訴えたことをまとめてみます。


若者と子を見捨てぬ世界と日本に|2016年5月5日日本経済新聞

若者や子どもがしっかりと教育を受け、定職に就く。かつては当たり前だったこのことが、難しくなっている世界の現実がある。きょう5月5日のこどもの日に考えてみたい。

持続可能な経済と社会の安定の実現には、若者や子どもを見捨てず、その健全な成長と自立を後押しする必要がある。世界と日本は支援を惜しんではならない。

国際労働機関(ILO)によれば、世界の15~24歳の若年層の失業率は2015年に13%超と12年ぶりの水準となったようだ。

テロ生む高失業に手を

経済危機が起きると若年層は最初に職を失い、景気が回復局面に転じても仕事に就くのは最後になる、といわれる。すでにリーマン危機から7年半あまり過ぎたが、危機の後遺症は若者に重くのしかかったままだ。

欧州はその典型だ。ギリシャやスペインの25歳未満の失業率は今も40%を超えている。

パリとブリュッセルは過激派組織「イスラム国」(IS)によるテロに見舞われた。実行犯の多くは北アフリカなどからの移民2世、3世だったとされる。

学校や就職での差別や疎外感に苦しみ、過激思想に傾倒した移民系の若者は多い。シリアとイラクに渡った若者の一部が戦闘員として欧州に潜伏しているならば、テロ再発の危険は残る。

テロ対策の強化はもちろん重要だ。しかし、中長期でみて大事なのは、移民系の若者を地域社会に包摂していく対策だ。差別や偏見を取り除く地道な取り組みが教育現場や地域で求められている。

同時に、南欧を中心とする国は硬直的な労働市場を柔軟にして、若者が仕事に就きやすくする改革を急がなくてはならない。

移民系若者の高失業がテロの温床になっていた可能性がある。彼ら彼女らにきめ細かな職業訓練を実施し、職を見つけやすくすることはテロ対策でもある。

中東・北アフリカでも若年者対策は急務だ。この地域の若者を対象にした世論調査によると、ISが人材を引き寄せる理由として最も多かった回答が「雇用機会の欠如」だった。

影を落とすのが、地域の若年人口の急膨張だ。たとえば、イエメンでは24歳以下が総人口の約6割を占める。人口爆発を吸収できる雇用の場が少なく、若年失業率が20~40%台に高止まりしている。

ドイツの社会経済学者であるグナル・ハインゾーン氏は「ユース・バルジ」(過剰なまでに多い若い世代)と呼び、行き場を失った若者が犯罪や戦争などに走る可能性に警鐘を鳴らしていた。

こうした人材がISなどに流れ、シリア内戦や欧州のテロに加担する動きは看過できない。

中東・北アフリカ諸国は資源に過度に依存しない経済構造をつくりつつ、もっと若年層に雇用の受け皿を用意する努力をすべきだ。先進国も一部は難民や留学生として受け入れてほしい。

米経済は先進国の中では比較的堅調だ。だが学生ローンの負担が若者を苦しめている。全米で約4千万人の学生と卒業生が借金を抱え、総額は1兆ドルを超えている。

所得や資産の格差は広がり、大学進学をあきらめる若者も少なくない。ローンを借りやすくしたり、金利負担を軽減したりするといった対策は要る。次期大統領は学生ローン問題解決に有効な対策を実施してほしい。

過度な負担増を避けよ

少子化が進む日本で忘れてならないのは、社会保障の効率化だ。増え続ける高齢者を支える社会保険料や税の負担が増え続ければ、若者がこの国で暮らすことにますます息苦しさを感じるだろう。

先進国で最悪の財政を立て直す必要があるのも、いまの子どもや、これから生まれる将来世代に過大な借金のツケを回さないようにするためだ。

日本の子ども・子育て支援などの家族関係支出は、先進国の中でも少ない。社会保障の歳出を組み替え、子ども・子育て支援にもっと予算を振り向けるべきだ。

今夏の参院選からは選挙権年齢が18歳以上に引き下げられる。各党は安易なバラマキではなく、骨太な若年支援策を競ってほしい。

「ナポレオンの登場以降の『若者が勝者の時代』が終わり、『若者が敗者の時代』が到来しつつある」とマーク・マゾワー米コロンビア大教授は指摘している。

だからといって若者に希望を与えられない世界や日本であってはいけない。各国・地域の政治指導者は勇気を持って、若者受難の局面を変えてほしい。


子どもの貧困 学び支え、連鎖断ち切ろう|2016年5月5日朝日新聞

最も貧しい家庭の子どもが、他の多くの先進国と比べて、厳しい状況に置かれている――。

4月に公表された国連児童基金(ユニセフ)の報告書は、そんな日本の現状を浮かび上がらせた。最貧困層と標準的な層との格差を国ごとに分析しており、日本の格差は41カ国の中で8番目に大きいという。

所得が真ん中の人の半分に満たない人の割合を示す「相対的貧困率」でも、日本の子どもは6人に1人が貧困層にあたり、先進国の中で悪い方だ。貧しさの広がりに加え、ユニセフの調査でその度合いも深刻であることを指摘されたと言える。

対策としてまず問われるのは、そうした家庭へのサポートだ。日々の生活を助ける各種の手当や親の就労への支援など、福祉を中心とする施策が重要であることは言うまでもない。

それ以上に考えなければならないのは、子どもたちに焦点を当てた支援だ。生活の苦しい家庭で育った子が、大きくなってもその状態から抜け出せず、世代を超えて続いてしまう「貧困の連鎖」をどう断ち切るか。

カギとなるのは教育だ。

教育で広がる将来

さいたま市内のコミュニティセンター。午後6時を回ると制服や体操着姿の中学生が次々とやって来る。経済的に厳しい家庭の子どもたちに、学生ボランティアが週2回、勉強を教える無料の「学習支援教室」だ。

4月からボランティアをしている女子学生(18)は、かつて教室で学んだ一人だ。「ここに来ると、いつでも私の話を聞いてくれる人がいる。心のよりどころみたいな場所でした」

母と2人暮らし。女子学生が中学2年生の時、家計を支えていた母が体を壊し、生活保護を受けるようになった。「進学するより働いた方が、と思った時もあった。けれど、大学生のボランティアさんから学生生活のこととか、いろんな話を聞くうちに夢がふくらんで」。今は奨学金で大学に通い、福祉の分野を学んでいる。

市の委託で教室を運営するNPO「さいたまユースサポートネット」の青砥恭(やすし)代表は言う。「子どもたちが自分自身で未来を切り開く力をつけなければ、貧困問題は解決しない。学びは貧困対策の核です」

昨年4月に始まった生活困窮者自立支援制度で、厚生労働省は学習支援事業を貧困対策の柱の一つと位置づけ、自治体に実施を促している。しかし任意事業のため、青砥さんのNPOの調査では「実施予定なし」の自治体が45%もある。

地域の実態調査を

こうした取り組みをどう加速させるか。ヒントになりそうなのが、貧困の「見える化」だ。

沖縄県は今年、都道府県で初めて独自に子どもの貧困率を29・9%と推計し、公表した。全国の1・8倍という高さだ。

「沖縄の子どもの状況がどれだけ厳しいか。それを把握しないと必要な対策も見えてこない」(喜舎場〈きしゃば〉健太・県子ども未来政策室長)。渋る市町村を説得し、協力を仰いだ。

学校で必要な教材の費用などを援助する就学援助を貧困家庭の半分近くが利用しておらず、制度を知らない人も2割近い。同時に行ったアンケートからは、既存の支援制度が十分に機能していない実態もわかった。

県は「就学援助を知らない貧困世帯ゼロ」「学習支援教室を全市町村に拡大」など34の数値目標を含む6カ年計画を作り、30億円の対策基金を設けた。調査を担当した一般社団法人「沖縄県子ども総合研究所」の龍野愛所長は「現実を突きつけられたから政策が動いた。実態把握は、政策の効果を検証する上でも欠かせない」と強調する。

大阪市も今年度、小・中学生らを対象に調査を予定する。地域ごとに実態をつかむことが、対策を前進させる大きな力になる。取り組みを急ぎたい。

社会全体で向き合う

「子どもの将来が生まれ育った環境によって左右されることのないよう、必要な環境整備と教育の機会均等を図る」。2014年に施行された子どもの貧困対策法を受け、政府が閣議決定した大綱がうたう理念だ。

言葉だけで終わらせてはならない。社会保障と教育を両輪に、対策を充実させたい。とりわけ教育分野では、経済規模と比べた公的支出が先進諸国の中で最低水準にとどまる。予算を思い切って増やすべきだ。

「義務教育は国がしっかりやるが、高校や大学は自立してがんばってもらわないと」。自民党の国会議員が奨学金制度の拡充をめぐって最近、こんな趣旨の発言をした。今も根強い主張だが、そうした単純な「自己責任論」から卒業する時だ。

子どもたちは社会の担い手になっていく。その健やかな育ちを後押しすることは、「未来への投資」にほかならない。

社会全体で子どもを支える。その合意と負担に向き合う覚悟が問われている。


こどもの日 助けての声が聞こえる|2016年5月5日毎日新聞

きょうは、こどもの日。「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」と国民の祝日法に書かれている。しかし、幸せそうに見える風景の中に小さな悲鳴が隠れている。

親から虐待されている子、生活苦で子の養育ができない親たち……。貧困だけでなくアルコール依存や障害などさまざまな要因が複雑に絡み合って、子供たちを傷つけている。子供はこうした困窮が自覚できず、なかなかSOSを言わないだけで、実態は深刻だ。

複合的な困窮から救え

学校を休みがちの中学生がいた。

まったく不登校というわけではないので誰も気付かなかったが、1年前からひとり親となった母の生活が苦しくなり、水道やガスが止められていた。風呂に入らず、駅や公園の公衆トイレを使っていた。中学の養護教員が子供たちの何気ない会話からようやく気付いたのだという。

「渦中にある子はなかなか自分から助けてと言わない。周囲が気付いてもすぐに救済されるわけではない。生活保護は申請してから受給するのに1カ月もかかる」

中学生を支援する静岡市の独立型社会福祉士の川口正義さんは指摘する。30年以上、虐待や貧困で苦しむ子供たちに寄り添ってきた。

今やどこにでもこうした子供はいる。困窮の状況が見えにくく、関心を持つ人が少ないだけだ。

札幌市の社会福祉法人「麦の子会」の保育所や放課後等デイサービスには、500人近い子供が通っている。そのうち77人はひとり親家庭の子だという。

親のアルコール依存や精神障害、虐待、近親者の自殺、触法などが何重にも絡み合うケースが多い。母の内縁の夫に暴力を振るわれている子、母がうつでゴミ屋敷の中で生活している子もいるが、「これが普通の家庭だと子供は思っている」と北川聡子総合施設長は言う。「暴力があってもお父さん、お母さんが好きで、貧しいのは自分のせいだと思ってしまうのです」

義務教育を受ける15歳までは、学校が子供の困窮を発見し支援につなげる役割を担っている。年齢が上がるにつれて教育や福祉などの公的支援は少なくなる。18歳になり、児童福祉法の適用年齢を超すと、児童養護施設や障害児入所施設が利用できなくなり、「自立」を迫られる。

現在、大学や専門学校などへの進学率は7割を超えているが、生活困窮家庭の子は高等教育を受ける機会が少なく、高校中退者も多い。部屋を借り、就職する際に必要とされる保証人を探すことが難しい。

どうやって自立しろというのか。

寝る場所や食べ物がないため、インターネットのサイトで援助してくれる男性を求める少女たちがいる。「神待ち少女」と呼ばれる。

警察庁によると2015年に非出会い系サイトで児童買春や児童ポルノの被害にあった子供は1652人に上る。性風俗にしか居場所を見つけられないという少女も多い。

こうした子供たちが求めるのは、今すぐ寝るところ、食べるもの、お金だが、子供の福祉を担う公的機関はほとんど頼りにならない。

国政の最優先課題に

政府の対策が遅れてきたのは、親の養育責任を重視する考えが根強いからでもある。「甘やかすとためにならない」と子供にも努力を求める意見がよく聞かれる。

だが、親族や近所などの支え合いが格段に厚かった時代に比べ、現在は子供を保護し育てる近隣の補完的な機能が極めて弱い。

幼少期に虐待やネグレクトに遭うと、自分自身や社会に関心が持てなくなり、生活習慣を身に着けたり学習したりする意欲が阻害される。ひどい虐待を受けた子の中には、脳が萎縮する例があるとの研究報告もある。努力するために必要な土台がない子に努力を求める理不尽さを認識すべきである。

母子家庭の8割の母親は就労しており、先進国の中でひとり親の就労率は日本が突出して高い。その半数は低収入の非正規雇用で、複数の仕事を掛け持ちしている人も多い。

社会的格差が以前よりはるかに大きくなり、社会の底辺でもがいている人に自己責任を求めて解決できる状況ではないのだ。

「子供はうそをつく。自立のために部屋を確保し、仕事を見つけてきても、家賃を踏み倒して逃げていく。幼いころに虐げられた子は簡単に立ち直ることはできない」。困窮家庭の子供や非行少年を支援している造園業の男性はそう言う。

しかし、何度だまされても辛抱して支援し続けると、数年が過ぎてから、子供が変わっていく。そんな経験を何度もしたという。この男性自身が幼いころ父から激しい虐待を受け、非行に走った過去がある。

福祉制度の隙間(すきま)で、公的な助成を受けずに必死に子供たちを救っている人々がいる。こうした民間の活動にこそ公的支援がもっと必要だ。

子供の困窮対策は国政の最優先課題に位置づけるべきである。財源や人材を確保し、福祉や教育の支援を厚くしないといけない。官民を挙げた取り組みが求められている。


こどもの日 誰もが輝いてこそ祝える|2016年5月5日産経新聞

子を殴(う)ちしながき一瞬天の蝉(秋元不死男)。わが子に思わず手を上げてしまったときの後悔や自責の念などで茫然(ぼうぜん)とした心境を象徴的に表現した名句である。子を持つ親なら誰しも思い当たるふしがあるはずだ。

殴った手の痛みより心のうずきが強かったに違いないが、昨今多発する子供への虐待事件でははたして、虐待に及んだ大人に心のうずきがあったのだろうか。

日本小児科学会は、虐待で死亡した可能性のある15歳未満の子供が全国で年間約350人に上るとの推計を初めてまとめた。厚生労働省による集計の数倍にもなっており、学会は「多くの虐待死が見逃されている恐れがある」として国に対応強化を求めている。

死に至らなかったり、明るみに出なかったりする水面下の虐待に苦しむ子供はさらに増えよう。

きょうのこどもの日は、子供の人格を重んじ、子供の幸福を図る趣旨の祝日とされるが、あまりにもひどい虐待の現状に鑑みれば大人はまず、短い命を余儀なくされた子供らの悲痛を思いやり、薄幸の子が一人でも多く救われるよう祈る機会であってもよいのではなかろうか。

忙しい生活の中ではときに、子供を煩わしく感じることがあるかもしれない。しかし大抵の親は、普段の子供のあどけないしぐさや言葉によって自らがどれだけ癒やされ、幸福感を与えられているかをよく知っている。だからこそ煩わしさにも耐えて精いっぱいの子育てができるのである。

いまネット上では「てぃ先生」のツイッターがちょっとした人気だ。保育園勤務の現役男性保育士という「てぃ先生」は連日、園児らのささいな言動の中に子供らしい無邪気な輝きを見いだしては、「すごい」「かわいい」…と感動をつづる。共感がフォロワーの間で大きく広がっている。

子供の魅力の発見に努める「てぃ先生」のような優しいまなざしを、保護者は言うに及ばず周囲の大人もぜひ持ちたい。

最近は、児童相談所などがもう一歩踏み込んでいたら助かった命もあったろうにと思われる例も目につくだけに、輝きを失い、救いを求めている子供を見つけ出す周囲のまなざしが欠かせない。

一人の例外もなく、全ての子供が幸福であることを祝える日であってほしい。


こどもの日 未来切り開く力を育てたい|2016年5月5日読売新聞

〈その笑顔 未来を照らす 道しるべ〉。「こどもの日」から始まる児童福祉週間の今年の標語である。福島県の13歳の女の子の作品だ。

自分たちの可能性を信じ、未来を切り開いていこうとする気概が感じられる。夢に向かって挑戦する心を育てていきたい。

子供は、成長しようとするパワーに満ちている。

そう実感させるのがカリスマ小学校教諭「ぬまっち」こと沼田晶弘さんのクラスの風景だ。東京学芸大学付属世田谷小学校で子供のやる気を引き出すユニークな指導法を展開し、教育界だけでなくビジネス界からも注目を集める。

子供が興味のあるテーマごとにチームを作って授業を行うティーチャー制度、地理の学習で好きな都道府県の魅力をアピールして競い合う「勝手に観光大使」など、子供が主役になって楽しめる仕掛けを編み出してきた。

信頼して任せると、子供たちは自ら動き出す。課題を徹底的に調べ、パソコンで発表資料を作り、説明の構成や表現を工夫する。学びの範囲がどんどん広がる。

クラス中で作文などの小学生向けコンクールに次々と応募して賞金を獲得し、目標にしていた豪華な卒業遠足も実現させた。

子供たちに「自分はできる」という自信を持ってもらいたい。それが、大人になって困難に直面しても、くじけず、チャレンジする力になる。型破りな試みの背景にある沼田さんの思いだ。

内閣府の調査では、日本の青少年は「自分に満足している」という自己肯定感が諸外国に比べて低く、将来への希望も乏しい。

「自分は認められている」「必要とされている」。子供たちがそう思えるように導くことが、大人の責任だろう。

夢を持ちにくい環境で育つ子供たちからも、目を背けてはならない。家庭が経済的に苦しい子供は6人に1人に上る。ひとり親家庭の半数以上が貧困状態だ。悲惨な児童虐待も後を絶たない。

困難な状況にある子供を支えるため、食事の提供や学習支援を行う「居場所」作りを各地のNPOなどが進めている。信頼できる大人とのふれ合いは、子供の意欲や自信を育む上でも重要だ。

政府も、子供の貧困と児童虐待の対策強化プランをまとめた。ひとり親家庭への手当の充実や児童相談所の機能強化が柱だ。

2日には改正児童扶養手当法が成立した。その他の施策についても、着実な実施が求められる。

2016年5月3日火曜日

憲法記念日、問われる立憲主義

日本国憲法は施行から69年を迎えました。

今年7月の参院選では”改憲”が大きなテーマになることが予想されます。

この国の在り様が決まる重要な選挙だけに、国民一人一人が今こそ憲法について真剣に考えてみることが重要ですね。

憲法記念日に関する新聞各紙の社説と各党の談話をまとめてみました。


-各紙社説-

憲法記念日に考える 汝、平和を欲すれば…|2016年5月3日東京新聞

「在任中に成し遂げたい」と首相が憲法改正に意欲的です。国防軍創設など9条改憲案を自民党は掲げています。平和主義の未来が心配でなりません。

ラテン語で表題が書かれた文章があります。訳せば「『汝(なんじ)、平和を欲すれば、戦争を準備せよ』と『汝、平和を欲すれば、平和を準備せよ』」です。1933年に書かれた論文で、筆者は東大法学部教授の横田喜三郎でした。

「平和を欲すれば、戦争を準備せよ」という標語は昔、オーストリア・ハンガリー帝国の陸軍省の扉に書いてありました。

強大な軍備を用意しておけば、他国は戦争を仕掛けてこないだろうから、平和を得られる。そんな論法です。横田は記します。

<標語に従つて、各国はひたすら戦争の準備を行い、互(たがい)に強大な軍備を用意することに努力した。そこに猛烈な軍備競争が起(おこ)つた。その結果は世界大戦であつた>

第一次世界大戦のことです。14年にオーストリア・ハンガリー帝国の皇太子が暗殺されたのをきっかけに、戦争が始まり18年まで続きました。「戦争を準備せよ」とした同帝国は崩壊しました。皮肉です。

この後に「不戦条約」が28年にパリで結ばれます。戦争を放棄し、紛争は平和的手段により解決しようという約束です。横田はこう記します。

<『汝、平和を欲すれば、平和を準備せよ』 世界戦争後に、不戦条約がパリで記名されようとしたとき、こう金ペンに書いて、フランスのアーヴルの市民はケロツグに贈つた。ケロツグはこの金ペンで不戦条約に記名した>

満州事変は自衛権か

「ケロツグ」とは米国の国務長官だったケロッグで、フランス外相とともに条約を提唱しました。

<アーヴル市民の金言が世界の指導原理となつた。平和を準備するために、各国は協力して、軍備を縮少(小)し、戦争を禁止し、紛争の平和的解決に努力した>

横田の論文は東大法学部の学生向けの雑誌に寄せたものでしたが、中には「横田先生万才(歳)! 横田教授頑張れ!!」と書き込みをした人もいました。感激したのでしょう。31年の満州事変を批判した学者としても横田は有名な存在でした。

1896年に現在の愛知県江南市に生まれ、旧制八高から東大に進み、国際法学者となりました。名古屋新聞(中日新聞)の配達をした経験もあった人です。

満州事変とは中国・奉天(現在の瀋陽)で鉄道爆破をきっかけに、関東軍が中国の東北部を占領した出来事です。横田は帝国大学新聞に「はたして軍部のいっさいの行動が自衛権として説明されるであろうか」と書きました。

鉄道破壊が事実であったとしても、それから6時間のうちに北方4百キロ、南方2百キロもの都市を占領したことまで、自衛のためにやむをえない行為であったと言い得るか。鋭い疑問を呈したのです。

さっそく右翼の新聞が「売国奴の帝大教授」として攻撃しました。ある会議で上海に行きましたが、「コウベハキケン」と電報を受け取り、帰りは長崎に寄りました。それから福岡、別府(大分)…。なかなか東京に戻れなかったそうです。

その横田が東大法学部の大教室に再び立つと、満員の学生から割れるような拍手を浴びました。再び33年の論文に戻ります。

<歴史は繰り返すと言う。人は忘れ易(やす)い。(中略)満州事件を契機として、まず太平洋の舞台に戦争の準備が開始され、軍備の拡張と競争が展開しようとしている>

戦争の歴史は繰り返す-。横田は懸念しています。満州国が生まれたのが32年。犬養毅首相が暗殺された五・一五事件もありました。ドイツでヒトラーの独裁政治が始まるのは33年です。この論文はきな臭い空気を吸って書かれていることがわかります。

非常時には金言を胸に

横田は非常時の国民に向かって最後を締めくくります。平和を欲するならば、戦争を準備するのか、平和を準備するのか、「いずれを選ぶべきかを三思せよ」と…。三思とは深く考えるという意味です。歴史の教訓に立てば、答えは明らかでしょう。

横田の論文については、樋口陽一東大名誉教授が著書で紹介しています。昨年には東大でのシンポジウムでも取り上げました。改憲が現実味を帯びているからでしょう。今もまた“非常時”です。軍備の拡張と競争になれば…。猜疑(さいぎ)と不安の世界になれば…。ケロッグのペンに書かれた金言を忘れてはなりません。



戦後と寄りそうように長い歩みを刻んできた日本国憲法は、今年11月で公布から70年を迎える。

振り返れば、憲法を巡る激しい論争がいくつもあった。それは、世界における日本の立場や国民意識の変化を反映するものだった。

公布70年の節目に先立つ夏には、参院選挙がある。在任中の憲法改正に意欲を示す安倍晋三首相が、ここで改憲発議に必要な3分の2の議会勢力確保を目指している。

選挙結果次第では、憲法改正が初めて現実味を帯びるかもしれない。そんな可能性をはらむ中で迎えた、今年の憲法記念日である。

内面には立ち入らず

改憲問題は新たな段階に入ろうとしている。こういう時だからこそ、望ましい憲法論議とは何なのか、原点に戻って考えてみたい。

首相や自民党などからは、改憲への積極発言が相次いでいる。長い歳月がたてば、国民に不都合な部分も出てくるだろう。憲法の手直し論議自体は自然なことである。

ただ、今の政治や政治家に改憲論議を任せられるのかどうか、疑問を感じることが少なくない。

集団的自衛権を行使可能にする強引な憲法解釈変更、報道の自由への圧力、1票の格差を最高裁から再三「違憲状態」と指摘されながら、真摯(しんし)に受けとめようとしない政党と国会。憲法への冷笑的な態度、無理解がはびこっているからだ。

憲法とは何か。その根本をゆるがせにしたまま、改憲発議権を持つ政治家が改憲熱をあおるのは好ましいことではない。それは、国家や社会の安定を損ないかねない。

現行憲法は、敗戦の産物だ。戦前の日本は国民の思想を取り締まり、自由を窒息させ、戦争で多大な犠牲を強いた。そんな社会には戻らないという決意と希望を、国民は新しい憲法に見いだしたはずだ。

取り入れたのは、西欧近代国家がよって立つ原理である。国家は倫理や道徳など個人の内面に立ち入らない。憲法は権力を縛る鎖、国民を守るとりで、という考えだ。

歴史や文化の違いはあっても、同じ理念を大事にする国家として、日本は再出発した。国民がその憲法を70年間、育んできたのだ。

だが、自民党の改憲論の基盤となる憲法改正草案は、立脚点が違う。敗戦で押しつけられた憲法を自分たちで書きかえたいという、戦後レジーム脱却論が基調である。

改正草案の中でとりわけ目につくのは、現行憲法の土台となっている基本的人権の規定に手を入れ、個人の自由や権利よりも公益・公の秩序を優先させていることだ。

その理由を自民党のQ&A集は、憲法には西欧の天賦人権説に基づくものが散見されており、日本の歴史や文化、伝統を踏まえたものに変えることも必要だ、とする。

歴史や伝統は確かに大切だ。しかし、国境や国籍を超える基本的人権の理念よりも優先される歴史や価値観が、あるとは思えない。

雇用不安や格差拡大で生活を脅かされる人が増えている。基本的人権の確立は道半ばである。憲法の価値体系を変えるような改憲案を示すより、積み上げてきたものをさらに拡充させる努力の方が先だろう。自主憲法論にとらわれ改憲に過度のイデオロギー色をつけるのは、国民本位の改憲論議とはほど遠い。

国論の分裂を招くな

安倍首相は、改憲に慎重な考え方を「思考停止」だと語る。

だが、憲法を巡る意見や論議のあり方は多様だ。改憲派か護憲派かという色分けは、もう古い。

単純な構図に矮小(わいしょう)化し、対立をいたずらにあおる物言いは、いずれの政治家も慎むべきだろう。自分の正義だけを主張し、相手を否定する姿勢は、極論と極論の衝突に陥りやすい風潮を助長してしまう。

3年前、改憲の発議要件を緩和する96条改正を政権が持ち出した時、私たちは反対し、「国会が審議を尽くして3分の2の合意を形成することと、その後の国民投票が補完しあって初めて、改憲は説得力を持ち社会に浸透する」と書いた。世論も96条改正を支持しなかった。

改憲論議は性急さを避け、社会の広範な同意と納得を目指すのが本来である。憲法の掲げる理念を堅持しながら、多くの国民から理解を得られるものにするのがいい。

それには、基本的人権の領域には入り込まず、衆参両院のあり方の見直しなど、代議制民主主義の質の向上につなげる議論に絞ってみるのも一案ではないか。自民党が改憲の入り口に考えている緊急事態条項の追加は、基本的人権の概念とぶつかる懸念が強く、適切でない。

政治に求められるのは、何よりも国民本位の憲法論議であり、そのための優先順位を誠実に模索する態度だ。与野党はともに、憲法の持つ意味と重さを正しく受け止め、時間をかけ熟議を重ねてほしい。

憲法は社会の安定のためにある。にもかかわらず、改憲論議が国論の分裂を招き、社会を不安定にしては本末転倒である。政治家のための憲法ではなく、国民のための憲法に。憲法の議論は、そのまっとうな感覚を持つことから始めたい。


個人と国家と憲法と 歴史の後戻りはさせない|2016年5月3日朝日新聞

「自由とはいったい何であろうか。一口にいえば自分の良心に従って生きることである」

「私たちはどんな考えを持ってもよい」「どんな会合をやっても、どんな団体をつくっても自由である」

これは、いまの憲法が施行された69年前のきょう、憲法普及会(芦田均会長)が全国の家庭向けに2千万部発行した小冊子「新しい憲法 明るい生活」が説明する「自由」だ。

「長い間私たちには、その自由さえも制限されていた。私たちは何とかしてもっと自由がほしいと願っていた。いまその願いが果(はた)されたのである」。冊子には、戦時下の息苦しさからの解放感に満ちた言葉が並ぶ。

国政の権威は国民に由来し、権力は国民の代表者が行使し、その福利は国民が受け取る――。憲法前文が明記するこの主権在民と代表民主制の原理は、フランス革命など近代の市民革命によって獲得された「人類普遍の原理」だ。

70年近くがたち、新たな社会のしくみは戦後日本に定着した。ただ一方で、国家が個人の自由に枠をはめたり、特定の価値観を押しつけたりしようとする動きがちらつき始めた。

改憲のさきがけか

10年前にさかのぼる。

憲法と同じ年に施行され、「教育の憲法」と言われた教育基本法が、初めて、そして全文が改正された。「戦後レジームからの脱却」を掲げて政権についたばかりの安倍首相が、最重要課題としていた。

「我が国と郷土を愛する」「公共の精神に基づき、社会の発展に寄与する」。改正法には、個人や他国の尊重に加え、こうした態度を養うという道徳規範が「教育の目標」として列挙された。教育行政と学校現場との関係にかかわる条文も改められ、「個」よりも「公」重視、行政を律する法から国民に指図する法へとその性格が変わった、といわれた。

安倍首相は当時、教育基本法を改正しても「国家管理を強めることにはならない」と国会で答弁していた。ところが、下野をへて政権に復帰した安倍氏は、「改正教育基本法の精神」を前面に掲げ、新たな教育政策を次々と繰り出している。

その最たるものが、教科書検定の新しいルールだ。改正法で新たに盛り込まれた「教育の目標」に照らし「重大な欠陥」があれば不合格にできる。政府見解がある事柄には、それに基づいた記述を求める。

高校の教科書に初めて適用された今年の検定では、戦後補償や世論が割れる集団的自衛権の行使容認などで、政権の主張が反映された記述になった。

また、文科相による国立大への「国旗・国歌」の要請は、学問の自由や大学の自治にかかわる問題だが、そのきっかけは「教育基本法の方針にのっとって正しく実施されるべきだ」との首相の国会答弁だった。

前面にせり出す国家

自民党が12年にまとめた憲法改正草案は、改正教育基本法のめざす方向と一致する。

草案では国家が過剰なまでに前面にせり出す。後退するのは個人の自由や権利だ。

草案前文の憲法制定の目的は「良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため」だ。現憲法の「自由の確保」や「不戦」とは様変わりだ。

また、「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する」と規定する。

一方で、国民の自由や権利の行使には「常に公益及び公の秩序に反してはならない」(12条)との枠をはめている。

「憲法は立憲主義だけでなく、国柄をきちんと反映したものにもしたい」(礒崎陽輔前首相補佐官)というのが党の考えだ。だが、たとえどんなに多くの人が「道徳的に正しい」と考える内容であっても、憲法によってすべての国民に強いるべきものではない。

教育現場に詳しい広田照幸・日大教授は、政治の動きを踏まえて警鐘を鳴らす。「『こういう生き方をさせたい』という教育の場での政治的欲望が、こんどは憲法改正を通じて国民全体にふってくるかもしれない」

押しつけは筋違い

個人あっての国家か、国家あっての個人か。安倍首相は、自著でこう述べている。

「個人の自由を担保しているのは国家なのである。それらの機能が他国の支配によって停止させられれば、天賦の権利が制限されてしまうのは自明であろう」(『新しい国へ』)

他国の攻撃から国民を守るのは国家の役割だ。かといって権力が理想とする国家像や生き方を、「国柄だから」と主権者に押しつけるのは筋が違う。

それを許してしまえば、「普遍の原理」を社会に根付かせてきた歴史の歩みを、後戻りさせることになる。



「緊急事態」を優先的に論じたい

日本国憲法はきょう、施行69周年を迎える。

この間、憲法は一字一句変わっていない。様々な劇的な変化があった内外情勢との乖離かいりが拡大してきたのは否定しようがない。

国の最高法規であるからこそ、「不磨の大典」として飾っておくのではなく、より良い内容に見直す作業が求められる。

国民主権、平和主義、基本的人権の尊重の3大原則を堅持しながら、21世紀にふさわしく、多くの目前の課題に的確に対応できる憲法にしていく必要がある。

より良い最高法規に

集団的自衛権の行使の限定容認のような現行憲法の枠内の見直しは、政府の憲法解釈を変更し、国会の法律制定で担保する。

枠外のものは、憲法96条の改正手続きに則のっとって改正する。

こうした取り組みは、まさに立憲主義を体現するものだ。

憲法改正は、夏の参院選でも重要な論点となろう。

残念なのは、国会の憲法審査会の停滞だ。

昨年6月、衆院で参考人が安全保障関連法案を「憲法違反」と断じ、法案審議が混乱したことに懲りたため、本来は論議を主導すべき与党が慎重姿勢を取り続けている。

参院選は、改正論議を深め、有権者に判断材料を提供する格好の機会だ。どの条項を、どう改正するのか。各政党は、自らの立場を明確に示さねばなるまい。国の基本に関する問題で、曖昧な主張を繰り返すのは無責任である。

民進党の枝野幹事長が「憲法を政局的テーマから外すべきだ」と唱えることには、違和感がある。「安倍政権下では改正論議に応じない」などと政局と絡めているのは、民進党自身ではないか。

安倍首相は、参院選で憲法改正に前向きな勢力の合計で、改正発議に必要な3分の2以上の議席獲得を目指す意向を示した。自民、公明両党に、おおさか維新の会、日本のこころを大切にする党などが加わることを想定している。

民進を含む合意形成を

だが、改正には、国民投票で過半数の賛成を得ねばならない。

自民党の谷垣幹事長が指摘するように、野党第1党の民進党も含めた、より幅広い合意が可能なテーマを選び、改正を発議するのが現実的なアプローチだろう。

3月施行の安全保障関連法は、日米同盟を強化し、日本と地域の平和を確保するうえで重要な意義を持つが、集団的自衛権の行使は存立危機事態に限定される。

北朝鮮の核ミサイルの脅威や中国の軍備増強を踏まえれば、本来、憲法9条を改正し、集団的自衛権を完全に行使できるようにすることが望ましい。ただ、直ちに国会で合意できる状況にはない。

当面、優先すべきは、大規模災害時などへの効果的な対処を可能とする緊急事態条項の創設だ。

多くの国の憲法がこうした条項を備えている。日本も、より多くの国民の生命と財産を守り、国会機能を維持する危機管理を強化するため、憲法に明記すべきだ。

野党などには「法改正で対応すれば良い」との反対論がある。だが、大災害の度に想定外の事態が発生し、その都度、法改正する受動的対応では限界がある。

熊本地震では、予想を超える余震の頻発で避難者が大量に発生した。南海トラフ巨大地震では、東日本大震災より格段に大きな被害が想定される。

大災害時の規定がない憲法は、災害列島の国として不十分だ。

より迅速な被災者救助・支援のため、憲法で政府の権限を強め、一時的かつ必要最小限の範囲で国民の財産権などを制限することに問題はないはずだ。政府が違憲訴訟を恐れて、必要な措置を躊躇ちゅうちょするリスクの方が大きい。

国会改革も重要テーマ

国政選が実施できないような被害が生じた際における国会議員任期の暫定的な延長とともに、具体的な規定の議論を深めたい。

国会改革も大切なテーマだ。

参院選での鳥取・島根などの合区導入を機に、各都道府県で最低1人を改選できるよう憲法に明記すべきだとの意見が出ている。

地方の人口減少が加速する中、いずれ合区の拡大は避けられず、地方の声が国政に一層反映されにくくなる、との危機感がある。

固有の歴史や伝統、文化を有する都道府県という行政単位を重視し、参院議員の地域代表の性格を強めることは検討に値しよう。

「ねじれ国会」で政治の停滞を避けるため、衆院の再可決の要件を3分の2以上の多数から過半数に引き下げることと合わせて、論議を本格化させてもらいたい。



日本国憲法は、施行から69年を迎えた。

現憲法は、一度も改正されていない。それは内容が完全だからというわけでは、決してない。憲法と現実世界の乖離(かいり)は、年々、大きくなるばかりだ。その最たる分野が安全保障である。

戦後日本の平和を守ってきたものは何か。これを「9条」だとみなすのは大間違いだ。突き詰めれば、自衛隊と、日米同盟に基づく米軍の抑止力に行き着く。

抑止力の理解が重要だ

抑止力の役割を理解しようとしない陣営は、「戦力不保持」をうたう9条を理由に、国民を守るための現実的な安全保障政策をことごとく妨げようとしてきた。実情はまるで、日本を脅かす国を利する「平和の敵」である。

真に安全保障に役立ち、国のかたちを表す憲法のあり方を論じ合うことが急がれる。主権者国民の手によって憲法が改正され、自らを守り抜く態勢を整えなければならない。そのことが、子々孫々まで日本が独立と平和を保ち、繁栄する道につながっていく。

極めて残念なことに、安全保障をめぐり、現行の憲法は欺瞞(ぎまん)に満ちている。

前文は、「日本国民は、(略)平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とうたっている。

だが日本の近隣には、公正と信義の発揮を期待できる「平和を愛する諸国民」ばかりがいるわけではない。

東シナ海や南シナ海での覇権追求を隠さない中国は、4月30日の日中外相会談で「『中国脅威論』をまき散らすな」という対日要求を突き付け、恥じなかった。

昨年9月の北京における軍事パレードでは、核ミサイルを次々に行進させた。あれは果たして、平和の祭典だったか。

北朝鮮は、国際世論の反発を顧みず、核実験や弾道ミサイルの発射を繰り返している。

ロシアは、北方領土の軍事基地化を進めている。

前文だけではない。9条は日本の防衛力に過剰な制限をかけている。政府の憲法解釈は、自衛のための日本の武力行使は「必要最小限度」としている。

このことが自衛隊に、「専守防衛」しか認めない政策につながっている。

一方で、現代の国家を守り抜くには、領土・領海・領空を守る力に加えて、核抑止力や侵略国自体へ反撃する力も欠かせない。

もちろん、日本や欧州諸国がそうであるように、米国との同盟で「核の傘」や強力な米軍を抑止力として期待するのは、現実的な政策上の選択肢ではある。

だが、現憲法は侵略国をたたく力を原則として日本に認めない。法的に、本当の「必要最小限度」の自衛力さえ禁じていることになる。防衛上の必要性を満たさない点で憲法解釈は偽りに基づく。独立国の憲法とは言い難い。

緊急事態への備え急げ

憲法には、日本の国と国民をしっかりと守り抜く方針と、そのための軍隊、自衛隊の規定がない。このこと自体が国民を危険にさらしていると考えるべきだ。

安全保障、防衛を国家の重要な役割と定めることは、諸外国の憲法においても常識である。

多額の税金が投入されている東京大学をはじめとする国立大学が、日本と国民を守る軍事研究をかたくなに拒否する異様な光景も9条と無縁ではない。

国民を守る精神がない憲法を持つ日本は、国の総力を挙げて平和を守る態勢がとれないでいる。

民進党や共産党などの野党が、集団的自衛権の限定行使を認めた安保関連法に反対しているのも、何十年も前の冷戦期にできた憲法解釈に固執しているためだ。

南海トラフの巨大地震、首都直下地震など想像を絶する被害をもたらす災害に備える、緊急事態条項の憲法への創設も急がれる。天災は待ってくれない。

政府に一時的に権限を集中させ、場合によっては私権を一部制限してでも国民の命を救うのが緊急事態条項だ。世界のほとんどの国の憲法に備わっている。

国連総会が採択し、日本も加わっている国際人権規約(B規約)も認めているのに、緊急事態条項を「ナチス」といったレッテル貼りで反対する「護憲派」の論法は誤りだ。



きょうは69回目の憲法記念日である。今年11月には現憲法が公布されて70年を迎える。

日常生活のさまざまな場面で憲法が話題になることが増えてきた。昨年は安保法が合憲か違憲かで国論を二分する論争が起きた。最高裁は女性の再婚に関する民法の規定を違憲と判断した。

そのわりに「憲法」と聞くと、いまだに身構える人が多い。戦後長く護憲派と改憲派が一般大衆と無縁の観念論争をしてきた弊害だ。もっと身近なところから憲法を眺め直してはどうだろうか。

大規模災害に備えよ

国会が制定した法律を最高裁が違憲と判断したのはこれまで10例ある。半数の5例は21世紀になってなされた。現憲法と現実のずれが年々大きくなってきていることのあらわれといえまいか。

例えば、最高裁は2005年、在外邦人が国政選挙に参加できない状態を憲法15条などに反すると指摘した。70年前、日本人がかくもたくさん海外に住むと想定できたはずがなく、在外投票制度がなかったのは無理はない。

この判決は現憲法より後からできた公職選挙法の是正を求めたものだが、要するに憲法に規定がない問題について、その精神を読み取る作業をしたわけだ。こうした憲法の空白の穴埋め作業も、広い意味での「憲法改正」と呼んでもよいかもしれない。

憲法を読み直し、不都合があれば立ち止まってみる。さまざまな選択肢があるはずだ。新たな法律をつくれば対応できるのか。憲法解釈を変更するのか。憲法本文をいじる場合でも書き足せばすむのか、書き直すのか。必要に応じて淡々と作業していけばよい。

現憲法は米軍の占領下でつくられた。そこにGHQ(連合国軍総司令部)の意志が反映されていたことはいろいろな証言がある。他方、GHQ案が多くの国民に歓迎されたことも事実である。生存権を定めた25条のように日本側が書き足した条文もある。

そうした経緯を考慮すれば「押し付け憲法だから、全てを捨て去る」という結論にはならないはずだ。改憲の実現という外形にこだわり、国民が反対しそうもない課題で実績をつくろうとする「お試し改憲」は好ましくない。

いま憲法に足りないのは何だろうか。日本は自然災害の多い国だ。東日本大震災などの際、備えが足りなかったのは、防災インフラだけではない。交通規制その他をみても法制度の不備がもたらした混乱は数え切れなかった。

日ごろから法律づくりに努めても、常に「想定外」はある。緊急事態の際、内閣が法律に準じる効力も持つ命令を発することができるようにする仕組みをつくっておくことは検討に値する。

一定期間内に国会が事後承認しない場合は失効すると定めれば、三権の均衡は保たれる。

ただ、自民党が12年にまとめた改憲草案の緊急事態条項は問題がある。緊急事態を(1)外部からの武力攻撃(2)内乱等による社会秩序の混乱(3)地震等による大規模な自然災害その他――と定めるが、範囲が広すぎる。

自衛隊の治安出動すら実例がないのに「社会秩序の混乱」に超法規的権限が必要なのか。民進党は緊急事態条項の新設をナチスの全権委任法になぞらえ、反対している。自民党は無用な誤解を招かないように「緊急事態は自然災害に限る」と明言すべきである。

9条論争は卒業したい

自然災害で国政選挙の実施が困難になった場合の対応も、あらかじめ定めた方がよい。ほとんどの国会議員が任期切れになり、国政のかじ取り役がいなくなった、では困ってしまう。

このほか、プライバシー権や環境権など新しい権利の明記、衆参の役割分担の明確化を含む統治制度の見直し、地方自治制度の改革など課題はたくさんある。

過疎地の声を国政に届かせるため、参院は都道府県の代表を選ぶ仕組みにしてはどうかとの意見がある。1票の格差に例外をつくるのであれば、憲法本文にその旨を明記するのが筋である。

戦後の憲法論争は主に「戦争放棄」をうたう9条を軸になされてきた。今後も論点から外れることはあるまい。

ただ、憲法解釈を見直して集団的自衛権の行使を限定解除したことで、現在の国際情勢に即した安保体制はそれなりにできた。9条を抜本的に書き直す必要性はかなり薄らいだ。あとは自衛隊をどう法的に位置付けるかだけだ。9条にばかりこだわる不毛な憲法論争からはそろそろ卒業したい。



自民党 「憲法改正原案の検討・作成を目指す」

本日、憲法記念日を迎えました。

現行憲法が施行されて以来、わが国は着実に平和と繁栄を築き上げ、国民主権、平和主義、基本的人権という普遍的価値は国民のなかに定着しています。一方で、時代の変遷や国内外の情勢の変化に伴い、現行憲法で足りない部分や対応できない課題も生じており、時代に即した憲法への改正を求める国民の声が高まっています。

わが党は結党以来、一貫して自主憲法の制定を党是として掲げ、現行憲法の国民主権、平和主義、基本的人権の3つの基本原理を継承した「日本国憲法改正草案」を公表しました。

憲法改正国民投票法や公職選挙法が整備され、憲法改正のための国民投票は、現実に実施できる状況にあります。今後は、衆参両院の憲法審査会や各党との連携を図るとともに、あらゆる機会を通じて国民各層の理解を得つつ、憲法改正原案の検討・作成を目指してまいります。

憲法は、国民自らの手で、今の日本にふさわしいものとしなければなりません。憲法改正を推進するため、自由民主党は全力で取り組む所存です。これからも、わが党の主張を真摯(しんし)に訴え、国民の皆様と共に議論を進めてまいります。

引き続き国民の皆様のご理解をお願い申し上げます。


民進党 「憲法がいま、大きな危機迎えている」

日本国憲法の施行から69年。「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」という三つの基本原則を柱とする我が国憲法は、日本国民が長い年月をかけて育んできたものであり、戦後日本の自由と民主主義、平和と繁栄の礎となってきました。

民進党は、結党にあたって定めた綱領において、自由と民主主義に立脚した立憲主義を断固として守るとともに、時代の変化に対応した未来志向の憲法を国民とともに構想すると掲げています。

しかしながら、その憲法がいま、大きな危機を迎えています。

安倍総理は、憲法改正への野心を隠すことなく、衆参で3分の2を制することを目指しています。憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認、安全保障関連法の成立強行など、立憲主義、平和主義の本質を全く理解せず、これを大きく傷付けてきた安倍自民党政権が、いよいよ憲法改正という「本丸」に手をかけようとしているのです。

そういう中で、今夏の参議院選挙は、まさに日本政治の分岐点となります。安倍自民党政権が勝利すれば、憲法9条を改正して集団的自衛権を制限なく行使可能とすることは確実で、日本は「普通の国」へと突き進むことになります。それは、国際的な紛争解決のために我が国が武力行使することはしないという、先の大戦の犠牲と反省に基づく日本国憲法の平和主義の根幹を大きく変質させるものです。

日本の国のかたちを変える安倍自民党政権のこの重大な挑戦に、民進党は正面から対峙(たいじ)します。来たる参議院選挙、更には衆議院選挙において、誤った憲法改正を目指す安倍政権の暴走を止め、日本国憲法の根幹である平和主義を守り抜くことを、憲法記念日にあたり、改めて国民の皆さんにお約束します。


公明党 「現行憲法を維持した上で条文付加する加憲を」

日本国憲法は本日、施行から69回目の憲法記念日を迎えました。憲法に基づき日本は、民主主義を定着させ、平和を守り、国際社会からの信頼も確実に広げてきました。

公明党は「人類普遍の原理」というべき、国民主権主義、基本的人権の尊重、恒久平和主義の3原理を骨格とする憲法を、優れた憲法であると積極的に評価しています。3原理は将来とも変えるべきではありません。この憲法の精神を具体化するため、公明党は真剣に努力を続けてまいります。

公明党は、5年が経過した東日本大震災の復興について「一人として置き去りにはしない」との決意で被災者に寄り添い、「人間の復興」へ全力で取り組んでいます。この姿勢は、この度の熊本地震の復旧復興でも変わりません。

また、国民主役の政治の実現では、公明党の長年の主張であった18歳選挙権が今夏の参議院選挙からいよいよ実施されます。若者の声を政治にしっかり反映させてまいります。

核廃絶でも、公明党がかねてから提案してきた世界の政治リーダーによる被爆地訪問が、4月に広島市で開催されたG7外相会合によって一歩前進しました。核保有国と非核保有国の外相が共に平和記念資料館を訪れ、原爆死没者慰霊碑に献花し、原爆ドームを視察した意義は大きく、公明党は「核のない世界」に向けてさらに努力をしてまいります。

3月には平和安全法制が施行されました。平和安全法制の目的は、憲法9条の下、専守防衛の基本理念に則(のっと)り、厳しい安全保障環境の下で国民の生命と平和な暮らしを守ることです。もっぱら他国防衛のための集団的自衛権の行使は、公明党が訴え、法律に明記された「自衛の措置の新3要件」があるため許されません。また、国際平和への貢献に関しても、人道復興支援や後方支援の分野で協力を進めます。

非核三原則、他国に脅威を与えるような軍事大国にはならないとする戦後日本の平和主義の理念も変わっておらず、しっかり堅持されています。平和安全法制は日本の抑止力を高め、日本らしい国際平和貢献のあり方を明示しました。その上でさらに、他国との外交・対話を一層促し、紛争を平和的に解決できるように取り組んでまいります。いわば平和外交の推進力の裏付けとなる法整備です。

公明党は、憲法も法規範である以上、新しい時代に対応した改正があってしかるべきとの立場です。憲法の施行時には想定できず、憲法改正しか解決方法がないような課題が明らかになる可能性もあります。公明党は改正について、現行憲法を維持した上で、改正が必要になった場合に新たな条文を“付け加える”形の加憲という方法を主張しています。

公明党は加憲のテーマとして、環境権などの新しい人権、地方自治の拡大などを党内で議論してきました。今後、何を加憲の対象にすべきかについてさらに党内論議を深めるとともに、衆参両院に設置されている憲法審査会を中心に政党間の合意形成に努め、国民の理解を深めてまいります。


日本共産党 「『改憲許さぬ』一致点での共同を大きく広げる」

一、69回目の憲法記念日にあたり、日本共産党は市民・国民のみなさんと力をあわせ、野党共闘をさらに前進させ、憲法違反の安保法制=戦争法を廃止し、立憲主義を日本の政治にとりもどすために、全力をあげる決意を表明する。

戦争法が施行されたもと、日本の自衛隊が戦後初めて外国での戦闘に参加し、「殺し、殺される」危険が差し迫ったものとなっている。安倍政権が立憲主義を乱暴に踏みにじって戦争法を強行したことで、法治国家としての土台が根底から危うくされている。国家権力が憲法を無視して暴走することを許せば、独裁政治に道を開くことになってしまう。

いまこそ日本の政治に立憲主義、民主主義と平和主義を取り戻し、「個人の尊厳」を断固として守りぬく社会にするために、力をあわせることを呼びかける。

一、安倍首相は、「自民党は憲法改正草案を決めている」「(きたるべき国政選挙で)この草案をお示ししていきたい」と明文改憲への執念をあらわにしている。自民党の「憲法改正草案」は、憲法9条2項を削除し「国防軍」創設を明記し、海外で武力行使を無条件にできるようにするものである。「緊急事態条項」を創設し、事実上の「戒厳令」を可能にするなど、国民の自由と人権を奪う深刻な内容が盛り込まれている。憲法13条の「個人として尊重」を「人として尊重」という表現に置き換えようとしているが、これは一人一人の違いを認めあい、すべて個人を例外なく人格をもったかけがえのない存在として尊重するという、立憲主義の根本原理の抹殺にほかならない。「公益および公の秩序」の名による基本的人権の制限が盛り込まれており、憲法を「国民が国家権力を縛る」ものから「国家が国民を縛る」ものへと根本から変質させ、憲法を憲法でなくしてしまうという、時代逆行もはなはだしいものである。

日本共産党は「安倍政権による改憲を許さない」という一致点での共同を大きく広げ、来たるべき選挙で痛烈な審判を下し、その野望をうち砕くために全力をあげる。

一、いま日本に求められているのは、憲法9条を生かした平和外交を力強くすすめることである。テロと戦争の悪循環を断ち切り世界からテロをなくすこと、北朝鮮問題の解決、南シナ海の紛争問題の解決など、どれをとっても、軍事的対応は事態の悪循環を招くばかりである。わが党は「北東アジア平和協力構想」を提案しているが、外交交渉による平和的解決に徹することこそが、希望ある未来を開く唯一の道である。

一、日本社会は、格差の拡大と貧困の新たな広がりという重大な問題にも直面している。アベノミクスのもとで巨額の富がほんの一握りの富裕層に集中する一方、貧困の新たな広がりが深刻になっている。

貧困と格差をただし、公正・公平な社会に向かって前進していくためにも、生存権、幸福追求権、個人の尊重、教育を受ける権利などを定め、世界でも先駆的な人権条項を持っている日本国憲法に基づく政治を実現することが求められている。日本共産党は、「憲法を暮らしに生かす」政治を実現するため、いっそう力をつくす決意である。

一、いま、多くの市民・国民が主権者としての強い自覚をもって立ち上がり、「自分たちの政治だから自分たちで担う」「言うこと聞かせる番だ、私たちが」など、憲法をよりどころに声をあげ、行動に立ち上がっている。日本の戦後政治史でも初めての、「市民革命的」ともいえるうねりが、日本の政治を動かす大きな力となっている。

日本共産党は、「安保法制=戦争法廃止、立憲主義回復」という国民的大義で一致する、すべての政党・団体・個人と力をあわせ、安倍政権を打倒し、国民連合政府による新しい政治への道を開くために全力をあげる。


おおさか維新の会 「国民が必要性納得するテーマで改憲を」

日本国憲法制定が施行されて69年目となる。この間、現行憲法の3原則により、国内で自由主義、民主主義、基本的人権の尊重が定着し、経済成長が促され、国際社会での日本の地位が高められる一助となった。憲法の3原則をはじめ、良い部分は当然守っていくべきである。

一方で、現行憲法制定当時は想定していなかった種々の問題が生じており、時代にそぐわない部分もある。こうした部分については、変えていくべきである。我が党は、国民が必要性を納得できるようなテーマについて、国民的議論を深め、憲法改正を進めるべきと考えている。

以上のような考え方で、おおさか維新の会は、今年3月に憲法改正案を発表し、保育園・幼稚園から大学まで教育の無償化、道州制の実現を目標とする統治機構改革、憲法裁判所の設置について、改正案を示した。今後、国会の発議に向けて、各党との協議を行い、国民に理解を訴えていく。日本国憲法が国民にとって一層良いものになるよう、国民とともに努力していく。


社民党 「改憲の流れ押し戻す」

一、本日、69回目の憲法記念日を迎えました。軍国主義時代の反省と教訓から生まれた日本国憲法は、権力の暴走に対する抑止力であるとともに、国民生活や福祉を向上させる指針となってきました。また、日本が平和国家として歩むことを決意した不戦の誓いとして、世界各国との信頼を築く礎となってきました。しかし今、憲法の三原則である「国民主権・平和主義・基本的人権の尊重」が形骸化され、憲法破壊が公然と進められています。社民党はこれまで一貫して、「平和主義・憲法擁護」の政治信条の下に改憲勢力と対峙(たいじ)し、国民の「いのちと暮らし」を守る活動に邁進(まいしん)してきました。これからも憲法改悪を許さず、憲法の理念が活(い)かされた政治の実現に邁進することを、憲法記念日にあたり改めて誓います。

二、3月29日、多くの憲法学者や国民が憲法違反として反対してきた「戦争法」(平和安全保障法制)が施行されました。安倍首相は「さらなる理解が得られるよう丁寧な説明に努める」と述べてきましたが、社民党はじめ野党が提出した戦争法廃止法案の審議を拒否するなど、説明責任を果たそうともせず、南スーダンPKO(国連平和維持活動)への新たな任務付与やACSA(日米物品役務相互提供)協定の参院選後への先送りを図りつつ、「戦争法」の既成事実化を図っています。社民党は、「2千万署名」や「戦争法」違憲訴訟などに取り組む多くの市民の皆さんとともに、「戦争法」の発動を決して許さず、「戦争法」廃止の実現と集団的自衛権行使容認の閣議決定撤回に全力を挙げます。

三、さらに安倍政権は、明文改憲に突き進もうとしています。昨年8月のいわゆる「安倍談話」では、「次世代に謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」として、加害者責任に終止符を打ち、米国に追従した武力による「積極的平和主義」を進める方向性を改めて打ち出しています。また安倍首相は、予算委員会において、憲法9条を改正すれば「集団的自衛権の行使を全面的に認める」、「在任中に憲法改正を成し遂げたい」と述べ、「戦争できる国、する国」への転換をめざす意思を表明しました。さらには、災害を口実にした「緊急事態条項」の新設が画策されています。自民党改憲案では、武力攻撃や災害が起きた場合に首相が閣議で「緊急事態」を宣言すると、法律と同一の効力を有する政令の制定が可能となり、国民は国や自治体の指示に従う義務が生じます。「緊急事態」に名を借りて首相に権力を集中させ、三権分立も国民の基本的人権も地方自治も民主主義も否定する「独裁条項」にほかなりません。

四、「戦争できる国」へと舵(かじ)を切る安倍政権の暴走に対し、世代や立場を超えて結集した「新たなデモクラシー」とも言える国民の怒りの炎はさらに燃え広がっています。この動きは「戦争法」反対だけではなく、辺野古新基地建設に反対する「オール沖縄」や再稼働阻止・脱原発をめざす「さようなら原発」の闘い、TPP(環太平洋経済連携協定)参加反対の闘いをはじめ、労働法制改悪・消費税増税・社会保障改悪による格差・貧困の拡大に対する怒りの輪も広げています。安倍政権のめざすものが「国民」より「国家・企業」の利益を優先するものにほかならないということを既に多くの国民が見抜いています。憲法の「生存権」を侵害し、「幸福追求権」「勤労権」「教育権」「思想・良心の自由」「表現の自由」など、国民に保障された諸権利を奪い、何より大切な「いのち」を切り捨てる暴走政治をなんとしても終焉(しゅうえん)させなければなりません。

五、私たちの「いのちと暮らし」は憲法によって支えられ守られているという、これまで当然のこととしてあった前提を、安倍政権の意のままに変えさせるわけにいきません。今夏の参院選は、平和憲法の岐路がかかった極めて重要な選挙です。社民党は、日本国憲法の貴重な価値を再認識しはじめた人々、平和を愛し憲法改悪に反対する多くの人々とともに全力で闘います。世界に誇れる日本国憲法が「栄えある70周年」を迎えることができるよう、皆さんと手を携えて改憲の流れを押し戻していきます。


生活の党と山本太郎となかまたち 「海外派兵のための改憲は許されない」

本日、日本国憲法は施行から69年を迎えました。

日常生活を送っていく上で、「自由」も「権利」も空気のように、当たり前にあるものとして感じている人も多いように思います。しかし、それは我々人類の歴史において、先人たちの不断の努力によって今日まで獲得されてきたものです。そして、その根拠、裏付け、番人として「憲法」があります。

この日本においては、大日本帝国憲法下で自由や権利が奪われ、戦争という悲劇を生むことになりました。この反省から1946年、大日本帝国憲法73条の憲法改正手続きに従い、帝国議会の審議を経て現在の日本国憲法が制定されました。実質は憲法改正ではなく、新憲法の制定でした。

ところが、今の(安倍)政権は、憲法はGHQのおしつけだとして、戦前の世の中に戻すかのような勢いで、現行憲法改正への強い意欲を示しています。

確かに現行憲法はGHQの監督下で草案が作成された経緯があります。しかし、憲法前文でうたっている「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」「国際協調」という4大原則は、現在においても守るべき人類普遍の考え方であり、引き続き堅持すべきものであります。

今の政権は、昨年の安保法制の強行採決からもわかるように、目指すところは自衛隊の海外派兵です。これは平和主義を根本から覆す大変危険なものです。その実現のための憲法改正は決して許されるものではありません。

もちろん時代の変遷、世界情勢の変化に伴い、現在の実勢には合わなくなってきているところがありますから、国民の合意があれば改正することは当然、行われてしかるべきだと思っておりますが、いまの政権の目的は違います。

私どもは、国民がより幸せに、より安全に生活ができ、日本が世界平和に貢献するためのルール作りを目指し、国民皆さんと積極的に議論してまいります。そのためにも、憲法記念日というこの日を、再び憲法と立憲主義の成立の原点に立ち返り、その現在的意義を考える大切な機会とすべきです。

自由や権利、平和のためには、我々国民一人ひとりがしっかりと考え、行動していく必要があります。全ては国民一人ひとりの判断にかかっているのです。


日本のこころを大切にする党 「自主憲法制定に邁進する」

日本のこころを大切にする党は、結党以来、国民の手による新しい憲法、自主憲法の制定を党是として、掲げて参りました。

憲法は国の最高法規ですが、時代の要請や国際情勢の変化に応じて修正することも必要です。そして何より、GHQ占領下で作られた憲法をいつまでも押しいただくのではなく、日本固有の歴史や思想、文化を踏まえ、日本国民の手によって制定されるべきと考えます。

日本のこころを大切にする党では、自主憲法起草委員会において議論を深めており、参議院選挙前を目指して自主憲法草案を策定する予定です。日本のこころを大切にする党は国民の皆様と共に、今後とも自主憲法の制定に邁進(まいしん)して参ります。


新党改革 「幅広く憲法のあり方を議論する」

国民の皆様と共に、平和主義を守りつつ、私たちの生命や人権等を守るために、さらにどうあるべきかを真剣に検討し、幅広く憲法のあり方を議論して参ります。