今回から数回に分けて、リクルート・カレッジマネジメント161 Mar-Apr.2010号に掲載された「スタッフ・デイベロップメント(SD)の体系化と実践」(吉武博通 筑波大学大学研究センター長・大学院ビジネス科学研究科教授著)(抜粋)をご紹介します。
SDの重要性を強調する段階から実践の段階へ
教育研究の質の向上や経営基盤の強化を進める上で大学職員の果たす役割の重要性が飛躍的に増していることは、大学関係者の多くが認識するところとなり、大学ごとにあるいは大学を超えて職員の職能開発(スタッフ・ディベロップメント、以下SD)のための様々な取組みが展開されている。
各機関・団体が実施する研修事業への参加や大学院での学習などを通して自身の能力向上を目指す職員も急速に増えており、学ぶ機会の面でも意識の面でもSDの基盤は整いつつある。(途中略)
2008年12月中教審答申「学土課程教育の構築に向けて」において大学職員の職能開発の重要性が示されたことは注目に値するが、具体策にまでは踏み込めていない。
本稿では、これからの大学を担う職員をどのように育成すべきか、SDの体系を明らかにするとともに、それを実践に移すための考え方や方法論について述べることにする。
大学職員に求められる能力を構成する3つの要素
最初に大学職員に求められる能力とは何かを考えてみたい。大学職員も組織の構成員である以上、求められる能力は他の組織と同様に次の3つの要素で構成されるものと考えられる。
1つめは「動機・意欲」である。使命感や責任感、仕事への情熱、職場への愛着やロイヤルティ、改善意欲、処遇や自己実現に関する欲求などが含まれる。
2つめは「スキル」である。ここでは仕事を円滑に進めるための様々な能力を総称してスキルと呼ぶ。高い成果を生み出す人材に特徴的な思考・行動特性を意味するコンビテンシー(competency)もこれに含めて考える。
3つめは「知識」である。すでに獲得した知識だけでなく、知識を得ようとする興味・関心も含む。大学の場合は、社会や学問の動向に関する興味・関心、大学業務に必要な知識、自分の大学に関する知識の3つに大別することができる。
重要なことは、それぞれの要素が相互に強く作用し合うという点である。動機・意欲が十分でなければ高いスキルは養われないし、知識も不十分なレベルにとどまる。コミュニケーションスキルが高ければ様々な人々から刺激を受け意欲も高まるだろうし、知識の獲得も促進される。大学を深く知ることが意欲につながり、知識の豊かさがスキルを磨くという面もある。3つの要素が相互に作用しながら、スパイラル的に能力が向上する状態をいかに創出するかがSDの本質である。
職員個々の価値観を重視したきめ細やかな動機づけ
次に、3つの要素が意味するところについて、さらに掘り下げて検討してみることとする。
最初は「動機・意欲」についてであるが、これまでの大学職員に関する議論の多くは、職員が担う役割や職員への期待が如何に高まっているかを説明し、その士気を鼓舞することに力点が置かれてきたように思う。そのこと自体は重要であり、引き続き強調していく必要があるが、他方で、一律的な大学職員論の段階から、よりきめ細やかに個々の職員を動機づけて意欲を高めることに力を入れる段階に進むべきではないかと考えている。
大学職員といっても、就職の動機、職務や処遇への期待、ロイヤルティなど人によって違いがあるのは当然である。自身が卒業した大学に対する親しみや愛校心から就職した者、教育にかかわることや学生・留学生と接することに魅力を感じ職員を志した者、勤務条件や処遇などから安定した職業としての大学職員を選択した者など様々である。就職後、経験を重ねるに従って、興味・関心や職務・処遇への期待が変化することも十分にあり得る。
職員個々の価値観の違いや変化を理解した上で、それぞれにふさわしい方法で動機づけを行い、意欲を高める。それはあたかも顧客の欲求を理解した上で、それに応じたサービスを提供するというマーケティングの発想と同様であることから「モチベーション・マーケティング」と呼ばれることもあるが、このようなアプローチに力を入れる必要がある。(モチベーション・マーケティングはモチベーションにフォーカスしたコンサルティングを展開する小笹芳央氏が提唱するコンセプト)(続く)
2010年5月31日月曜日
2010年5月30日日曜日
沖縄の痛み 目背ける国
「誰かが亡くならない限り、基地はなくならないのでしょうか」。6年前に起きた普天間飛行場の米軍ヘリ墜落事故の現場近くに住む主婦は思い詰めたように語った。
今もヘリの音に身をこわばらせる彼女にとって、名護市辺野古を移設先とする日米共同声明は、普天間飛行場の存続と同義にみえる。
県内移設を前提にしている限り、普天間返還は実現しない。それが沖縄に暮らす多くの人々の実感だ。
「自民党政権では、解決できなかった。政権が代われば、変わるかもしれない。」そんな望みを託した鳩山由紀夫首相に裏切られた今、沖縄でよく耳にする言葉がある。「また沖縄を切り捨てるのか」
学校や老人までも動員された末に「捨て石」にされた沖縄戦。1952年には主権を回復した日本から切り離され、米軍統治下に。米軍の強権下で基地は拡張され、米兵による犯罪が頻発した。基地の重圧は72年の復帰後も変わらない。戦争から続くすべての記憶が今につながっている。
鳩山首相は2度の沖縄訪問で、県外移設を断念する理由を、普天間のヘリ部隊を海兵隊の他の地上部隊と切り離せないから、と説明した。確かに沖縄の海兵隊すべてを移せる基地を本土で確保するのは容易ではないだろう。ならば、なぜ、沖縄ならいいのか。1月の市長選で移設反対の稲嶺進氏を当選させた名護市の民意をなぜ無視するのか。
日米合意を優先し、沖縄との約束を捨て去った首相への不信は深い。最後の最後に筋を通したとはいえ、県内移設に突き進む首相を止められなかった社民党も同罪だろう。
それでもなお首相へのかすかな期待を口にする人もいる。望みを託すべき相手を見出せない中での苦渋の選択とでも言えよう。絶望することさえ許されない、基地を抱え続ける沖縄の現実だ。
名護市ではすでに移設容認派の市議や前市長への政府関係者の接触が始まっている。普天間移設と引き換えに巨額の振興策が投じられてきた名護市に、基地建設への期待があるのも事実だ。だが、寂れたままの名護の町並みは、基地と引き換えの振興策の限界を示している。
「カネをばらまけば何とかなると思っているのかもしれないが、沖縄を見下すのはやめてもらいたい」。最も恩恵を受けるはずの大手土建業者さえそう話す。
遠く離れた南の島に基地を封じ込めていても、何の解決にもならない。日米関係を本当に危機にさらすのは、その恩恵を享受しても、決して痛みを共有しようとしない国のありようである。(2010年5月29日 朝日新聞 那覇総局長 後藤啓文)
今もヘリの音に身をこわばらせる彼女にとって、名護市辺野古を移設先とする日米共同声明は、普天間飛行場の存続と同義にみえる。
県内移設を前提にしている限り、普天間返還は実現しない。それが沖縄に暮らす多くの人々の実感だ。
「自民党政権では、解決できなかった。政権が代われば、変わるかもしれない。」そんな望みを託した鳩山由紀夫首相に裏切られた今、沖縄でよく耳にする言葉がある。「また沖縄を切り捨てるのか」
学校や老人までも動員された末に「捨て石」にされた沖縄戦。1952年には主権を回復した日本から切り離され、米軍統治下に。米軍の強権下で基地は拡張され、米兵による犯罪が頻発した。基地の重圧は72年の復帰後も変わらない。戦争から続くすべての記憶が今につながっている。
鳩山首相は2度の沖縄訪問で、県外移設を断念する理由を、普天間のヘリ部隊を海兵隊の他の地上部隊と切り離せないから、と説明した。確かに沖縄の海兵隊すべてを移せる基地を本土で確保するのは容易ではないだろう。ならば、なぜ、沖縄ならいいのか。1月の市長選で移設反対の稲嶺進氏を当選させた名護市の民意をなぜ無視するのか。
日米合意を優先し、沖縄との約束を捨て去った首相への不信は深い。最後の最後に筋を通したとはいえ、県内移設に突き進む首相を止められなかった社民党も同罪だろう。
それでもなお首相へのかすかな期待を口にする人もいる。望みを託すべき相手を見出せない中での苦渋の選択とでも言えよう。絶望することさえ許されない、基地を抱え続ける沖縄の現実だ。
名護市ではすでに移設容認派の市議や前市長への政府関係者の接触が始まっている。普天間移設と引き換えに巨額の振興策が投じられてきた名護市に、基地建設への期待があるのも事実だ。だが、寂れたままの名護の町並みは、基地と引き換えの振興策の限界を示している。
「カネをばらまけば何とかなると思っているのかもしれないが、沖縄を見下すのはやめてもらいたい」。最も恩恵を受けるはずの大手土建業者さえそう話す。
遠く離れた南の島に基地を封じ込めていても、何の解決にもならない。日米関係を本当に危機にさらすのは、その恩恵を享受しても、決して痛みを共有しようとしない国のありようである。(2010年5月29日 朝日新聞 那覇総局長 後藤啓文)
2010年5月29日土曜日
文科省が国立大学法人の在り方に係る検証結果を公表
文部科学省は、去る5月27日(木曜日)、昨年11月に実施された行政刷新会議の事業仕分けを契機として、今年1月から進めてきた「国立大学法人の在り方に係る検証」の結果を、「国立大学法人化後の現状と課題について」(中間まとめ(案))という形で公表しました。
文部科学省ホームページ
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/22/05/1294218.htm
この検証は、国立大学法人に関する様々なデータを収集・分析するとともに、1)文部科学省ホームページでの国民の皆様からの意見募集、2)政務三役による有識者からの意見聴取、3)国立大学法人(規模別数大学)への実地調査、4)全国立大学法人への書面による意見聴取、5)国立大学法人評価委員会からの意見聴取の5つの方法により進めてきたもので、最終的には政務三役で取りまとめたということです。
今後この「中間まとめ(案)」は、文部科学省が行っている「熟議」プロセスによる議論や、鈴木副大臣・高井政務官宛メールを通じ意見募集を実施するとともに、関係団体からの意見聴取も行った上で、「中間まとめ」として取りまとめ公表する予定のようです。
このたび取りまとめられた「中間まとめ(案)」は次のようなものです。個人的感想ですが、全国立大学法人の「現場」から寄せられた多くの生の声がどれだけ拾われ反映されたのか、文部科学省にとって都合のよい声だけが拾われているのではないか、甚だ疑問の感が否めません。
いずれにせよ、この検証結果は、今後の国立大学法人の在り方を左右する重要なものであり、国立大学法人関係者はもとより、多額の税金が投資されている国立大学法人の今後の在り方について、多くの国民の皆様に関心をもっていただき、忌憚のないご意見が寄せられることを心から願っています。
国立大学法人化後の現状と課題について(中間まとめ(案))概要http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/22/05/__icsFiles/afieldfile/2010/05/27/1294221_1_1.pdf
国立大学法人化後の現状と課題について(中間まとめ(案))http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/22/05/__icsFiles/afieldfile/2010/05/27/1294221_2_1.pdf
国立大学法人化後の現状と課題について(中間まとめ(案))参考資料http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/22/05/__icsFiles/afieldfile/2010/05/27/1294221_3_1.pdf
文部科学省ホームページ
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/22/05/1294218.htm
この検証は、国立大学法人に関する様々なデータを収集・分析するとともに、1)文部科学省ホームページでの国民の皆様からの意見募集、2)政務三役による有識者からの意見聴取、3)国立大学法人(規模別数大学)への実地調査、4)全国立大学法人への書面による意見聴取、5)国立大学法人評価委員会からの意見聴取の5つの方法により進めてきたもので、最終的には政務三役で取りまとめたということです。
今後この「中間まとめ(案)」は、文部科学省が行っている「熟議」プロセスによる議論や、鈴木副大臣・高井政務官宛メールを通じ意見募集を実施するとともに、関係団体からの意見聴取も行った上で、「中間まとめ」として取りまとめ公表する予定のようです。
このたび取りまとめられた「中間まとめ(案)」は次のようなものです。個人的感想ですが、全国立大学法人の「現場」から寄せられた多くの生の声がどれだけ拾われ反映されたのか、文部科学省にとって都合のよい声だけが拾われているのではないか、甚だ疑問の感が否めません。
いずれにせよ、この検証結果は、今後の国立大学法人の在り方を左右する重要なものであり、国立大学法人関係者はもとより、多額の税金が投資されている国立大学法人の今後の在り方について、多くの国民の皆様に関心をもっていただき、忌憚のないご意見が寄せられることを心から願っています。
国立大学法人化後の現状と課題について(中間まとめ(案))概要http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/22/05/__icsFiles/afieldfile/2010/05/27/1294221_1_1.pdf
国立大学法人化後の現状と課題について(中間まとめ(案))http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/22/05/__icsFiles/afieldfile/2010/05/27/1294221_2_1.pdf
国立大学法人化後の現状と課題について(中間まとめ(案))参考資料http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/22/05/__icsFiles/afieldfile/2010/05/27/1294221_3_1.pdf
2010年5月28日金曜日
国立大学法人化の成否
国立大学法人化の成否-4人の評論から考える (広島大学高等教育研究開発センター長 山本眞一)
国立大学が法人化して、今年度は7年目、第二期中期計画期間に入ったが、最近、これまでの6年間の総括を特集する企画があちらこちらで見られるようである。毎週月曜日に掲載される日経新聞の教育欄においても、今年3月から4月にかけて4人の有識者が「国立大学法人化を考える」という標題で寄稿し、法人化の現状やその問題点を論じていた。これらの記事を読んで、改めて国立大学の法人化を考えてみたい。
法人化が国立大学にもたらしたもの
まず4人の有識者の主張は以下のようなものであった。一人目は東京大学(当時)の金子元久氏で、法人化は行政改革の一環として行われた政治的産物であったともいえるが、長期的には法人化は必然であったとし、しかしながら政府の統制と大学への評価が大学という組織の特性に合ったものであるのか、また部局の独立性が学長の経営能力の制約になっているのではないか、などの問題点を指摘し、他方でグローバル化時代の人材養成に大学が大きな役割を果たすべきことを主張している。
2人目の青野敏博氏(徳島大学長)は、法人化によって大学の独立性が担保され、学長のリーダーシップも発揮されやすくなり、予算 の仕組みが大学の弾力的自主経営を支え、社会への説明責任の増大によって社会貢献には力を入れるようになった等の点でよい面があっ たが、他方で、法人化したとはいえ依然「文部科学省の指導を受ける立場」にあること、運営費交付金の毎年削減が大学の経営を圧迫 していること、評価対応に膨大な作業が要求されるが結果の運営費交付金への反映は微々たるものであったこと等の問題点もあったことを指摘している。
3人目は、前岐阜大学長の黒木登志夫氏であるが、記事の見出しにある「活性化と疲弊の6年」という言葉が代表するように、法人化によって予算と人事の制度が改革され、戦略的な大学運営が可能になって、教育、研究、社会貢献という大学の ミッションに向けて活性化したと評価しつつも、国からの財政支援の縮減や大学間格差の拡大などの問題が生じており、法人化の設計においても大学のさらなる自律性のもとに「活性化し充実した」大学にすることの大切さを訴えている。
4人目に登場した法政大学元総長の清成忠男氏は、国立大学は法人化によって初めて「自治」への道を歩みだしたが、独立性は制限されていて「親方日の丸」体質を完全に払拭することはできていないこと、全般的に「安上がり」の高等教育政策そのものにも問題があり、その中ですでに資源を持っている大学にさらに資金が投入され、大学間格差が広がっていることなどの課題を指摘し、政策的にはまず国立大学の自由度を拡大させて活性化を進め、体質強化を図ること、その上で運営費交付金の削減を検討するのがよいとする。
以上、4人の論調を私なりの解釈も交えて概括してみたが、要するに「国立大学の法人化には、その趣旨において優れたものがありまた成果も上がりつつあるが、大学経営や財政支援を中心に、現状には問題点も多い」というのが共通する主張ではないだろうか。そこで、これらの主張を踏まえつつ、以下の問題を考えてみたい。
法人化と政府からの独立性
第一に、法人化が国立大学さらにはわが国の高等教育全体にどのような効果を及ぼしたか、という根本問題に関してである。この点多くの論者が「法人化は不可避であった」との立場を取っている以上、法人化と大学改革とは一見不可分のようにも思える。しかし、法人化以前の1990年代初めからわれわれは大きな大学改革に直面し、そのつど、大胆な選択・決断をしてきたことを思い出すべきである。つまり、時代が大学改革を要求し続けてきたことが、この20年間の大きな特徴であった。
したがって、仮に法人化がなくても大学改革は進行せざるを得ず、法人化は大学改革と確かにかかわりがあるが、それとは別の要因によって起こった面も大きいと考えるのが自然である。つまり、法人化の是非を冷静に分析するには、法人化と大学改革とを分けて考えてみることも重要なのである。
第二に、法人化後の政府と国立大学との関係である。多くの論者がこの点について、国立大学の独立性は不十分なままだとする。私は、この点に関しては、そもそも独立行政法人の発想は、政府が司令塔、法人が実行部隊という図式にあるのだから、政府の仕事の中でも現業的部門には、つまり「何をすべきか」よりも「どのように実施するか」が問題となるような部署には適した設計であるが、高度に知的でかつ創造的な仕事が要求される大学にこれを適用するのには、さまさまな問題があるのは当然だと思う。金子氏が「政治的産物」と述べているのは、この点でまさに正鵠を射ている。国立大学法人制度下においてもこの「司令塔と実施部隊」という図式は完全には払拭できそうにない。
また多くの論者は、それでもかつての国立大学は政府の一部局であったので、法人化によって独立性は強まったというが、私はそれには若干の疑問がある。それはわが国のように政府機能が強く、また政府を信頼し、これに依存する国民性がある中では、政府中枢に近い方がかえって自由度があるという面もあるからである。この点については、私がこの連載記事として昨年3月(2009年3月9日号 No215)に書いた「国の一部局」という論考を参照してもらいたい。
かといって、いまさら法人化を元に戻すことは、政治的には不可能であろう。結局は、法人化の趣旨に沿いつつもできるだけ制度の弊害を抑えるようにするか、あるいはかつて盛んに論じられたように一部の国立大学の「民営化」の方向を模索するかのどちらかあるいはその両方ではないだろうか。
われわれはいつも、制度は単純で画一であることを好む傾向があるが、さまさまなタイプの大学があることによって、高等教育システムが総体として活性化することを忘れてはならない。複雑さも使いようによっては大きなメリットをもたらすものである。
強化された学長権限を実質的に支える
第三に、大学のガバナンスの問題である。端的に言えば、強くなった学長権限と従来からの部局自治との関係をどのように調整するかである。
多くの論者は、学長権限の強化を歓迎し、部局自治の後退を当然のように考えているようであるが、私は、部局自治を、かつてのような硬直的な教授会自治ではなく、専門分野ごとの事情の違いを踏まえた弾力的な大学運営として再評価するとともに、強化された学長権限を実質的に支える仕組みを工夫しなければならないのではないかと考えている。清成氏が指摘しているように、学長には「経営構想力やオペレーション能力」が求められる以上、学長の経営力を向上させる仕組みを大学界として構築しなければならない。
その点で、学長を補佐するスタッフの役割は重要である。すでに各国立大学ではさまざな工夫があるようだが、大学事務職員の能力開発と並んで、現実には多くの教員が大学運営に動員されていることを踏まえて、彼ら教員のアドミニストレータとしての位置付けや能力開発についても配慮することが必要だと、私は考えている。
第四に、大学に対する財政支援のあり方とその金額の問題である。基盤的経費から競争的資金への重点の移行が、近年の傾向であり、そのことはなかなか変わりそうにもないが、そもそも国立大学はじめ大学に対する公費投入が、現状でよいかという点については、OECDなどの国際比較の点からも、あるいはわれわれが見聞する先進諸国の個別大学の観察からも、もはや議論の余地があるとは思えない。これを一日も早く政治のルートに乗せて、官邸や財務当局の意思を変えさせるしか、もはや道はないのではあるまいか。この問題は、個別の国立大学の生き残りというレベルを超えて、グローバル化・知識社会化の中で、わが国そのものの生死に関わる問題であるからである。(文部科学教育通信 No244 2010.5.24)
国立大学が法人化して、今年度は7年目、第二期中期計画期間に入ったが、最近、これまでの6年間の総括を特集する企画があちらこちらで見られるようである。毎週月曜日に掲載される日経新聞の教育欄においても、今年3月から4月にかけて4人の有識者が「国立大学法人化を考える」という標題で寄稿し、法人化の現状やその問題点を論じていた。これらの記事を読んで、改めて国立大学の法人化を考えてみたい。
法人化が国立大学にもたらしたもの
まず4人の有識者の主張は以下のようなものであった。一人目は東京大学(当時)の金子元久氏で、法人化は行政改革の一環として行われた政治的産物であったともいえるが、長期的には法人化は必然であったとし、しかしながら政府の統制と大学への評価が大学という組織の特性に合ったものであるのか、また部局の独立性が学長の経営能力の制約になっているのではないか、などの問題点を指摘し、他方でグローバル化時代の人材養成に大学が大きな役割を果たすべきことを主張している。
2人目の青野敏博氏(徳島大学長)は、法人化によって大学の独立性が担保され、学長のリーダーシップも発揮されやすくなり、予算 の仕組みが大学の弾力的自主経営を支え、社会への説明責任の増大によって社会貢献には力を入れるようになった等の点でよい面があっ たが、他方で、法人化したとはいえ依然「文部科学省の指導を受ける立場」にあること、運営費交付金の毎年削減が大学の経営を圧迫 していること、評価対応に膨大な作業が要求されるが結果の運営費交付金への反映は微々たるものであったこと等の問題点もあったことを指摘している。
3人目は、前岐阜大学長の黒木登志夫氏であるが、記事の見出しにある「活性化と疲弊の6年」という言葉が代表するように、法人化によって予算と人事の制度が改革され、戦略的な大学運営が可能になって、教育、研究、社会貢献という大学の ミッションに向けて活性化したと評価しつつも、国からの財政支援の縮減や大学間格差の拡大などの問題が生じており、法人化の設計においても大学のさらなる自律性のもとに「活性化し充実した」大学にすることの大切さを訴えている。
4人目に登場した法政大学元総長の清成忠男氏は、国立大学は法人化によって初めて「自治」への道を歩みだしたが、独立性は制限されていて「親方日の丸」体質を完全に払拭することはできていないこと、全般的に「安上がり」の高等教育政策そのものにも問題があり、その中ですでに資源を持っている大学にさらに資金が投入され、大学間格差が広がっていることなどの課題を指摘し、政策的にはまず国立大学の自由度を拡大させて活性化を進め、体質強化を図ること、その上で運営費交付金の削減を検討するのがよいとする。
以上、4人の論調を私なりの解釈も交えて概括してみたが、要するに「国立大学の法人化には、その趣旨において優れたものがありまた成果も上がりつつあるが、大学経営や財政支援を中心に、現状には問題点も多い」というのが共通する主張ではないだろうか。そこで、これらの主張を踏まえつつ、以下の問題を考えてみたい。
法人化と政府からの独立性
第一に、法人化が国立大学さらにはわが国の高等教育全体にどのような効果を及ぼしたか、という根本問題に関してである。この点多くの論者が「法人化は不可避であった」との立場を取っている以上、法人化と大学改革とは一見不可分のようにも思える。しかし、法人化以前の1990年代初めからわれわれは大きな大学改革に直面し、そのつど、大胆な選択・決断をしてきたことを思い出すべきである。つまり、時代が大学改革を要求し続けてきたことが、この20年間の大きな特徴であった。
したがって、仮に法人化がなくても大学改革は進行せざるを得ず、法人化は大学改革と確かにかかわりがあるが、それとは別の要因によって起こった面も大きいと考えるのが自然である。つまり、法人化の是非を冷静に分析するには、法人化と大学改革とを分けて考えてみることも重要なのである。
第二に、法人化後の政府と国立大学との関係である。多くの論者がこの点について、国立大学の独立性は不十分なままだとする。私は、この点に関しては、そもそも独立行政法人の発想は、政府が司令塔、法人が実行部隊という図式にあるのだから、政府の仕事の中でも現業的部門には、つまり「何をすべきか」よりも「どのように実施するか」が問題となるような部署には適した設計であるが、高度に知的でかつ創造的な仕事が要求される大学にこれを適用するのには、さまさまな問題があるのは当然だと思う。金子氏が「政治的産物」と述べているのは、この点でまさに正鵠を射ている。国立大学法人制度下においてもこの「司令塔と実施部隊」という図式は完全には払拭できそうにない。
また多くの論者は、それでもかつての国立大学は政府の一部局であったので、法人化によって独立性は強まったというが、私はそれには若干の疑問がある。それはわが国のように政府機能が強く、また政府を信頼し、これに依存する国民性がある中では、政府中枢に近い方がかえって自由度があるという面もあるからである。この点については、私がこの連載記事として昨年3月(2009年3月9日号 No215)に書いた「国の一部局」という論考を参照してもらいたい。
かといって、いまさら法人化を元に戻すことは、政治的には不可能であろう。結局は、法人化の趣旨に沿いつつもできるだけ制度の弊害を抑えるようにするか、あるいはかつて盛んに論じられたように一部の国立大学の「民営化」の方向を模索するかのどちらかあるいはその両方ではないだろうか。
われわれはいつも、制度は単純で画一であることを好む傾向があるが、さまさまなタイプの大学があることによって、高等教育システムが総体として活性化することを忘れてはならない。複雑さも使いようによっては大きなメリットをもたらすものである。
強化された学長権限を実質的に支える
第三に、大学のガバナンスの問題である。端的に言えば、強くなった学長権限と従来からの部局自治との関係をどのように調整するかである。
多くの論者は、学長権限の強化を歓迎し、部局自治の後退を当然のように考えているようであるが、私は、部局自治を、かつてのような硬直的な教授会自治ではなく、専門分野ごとの事情の違いを踏まえた弾力的な大学運営として再評価するとともに、強化された学長権限を実質的に支える仕組みを工夫しなければならないのではないかと考えている。清成氏が指摘しているように、学長には「経営構想力やオペレーション能力」が求められる以上、学長の経営力を向上させる仕組みを大学界として構築しなければならない。
その点で、学長を補佐するスタッフの役割は重要である。すでに各国立大学ではさまざな工夫があるようだが、大学事務職員の能力開発と並んで、現実には多くの教員が大学運営に動員されていることを踏まえて、彼ら教員のアドミニストレータとしての位置付けや能力開発についても配慮することが必要だと、私は考えている。
第四に、大学に対する財政支援のあり方とその金額の問題である。基盤的経費から競争的資金への重点の移行が、近年の傾向であり、そのことはなかなか変わりそうにもないが、そもそも国立大学はじめ大学に対する公費投入が、現状でよいかという点については、OECDなどの国際比較の点からも、あるいはわれわれが見聞する先進諸国の個別大学の観察からも、もはや議論の余地があるとは思えない。これを一日も早く政治のルートに乗せて、官邸や財務当局の意思を変えさせるしか、もはや道はないのではあるまいか。この問題は、個別の国立大学の生き残りというレベルを超えて、グローバル化・知識社会化の中で、わが国そのものの生死に関わる問題であるからである。(文部科学教育通信 No244 2010.5.24)
2010年5月27日木曜日
事業仕分けに文科省がパブコメ
行政刷新会議による事業仕分けは、4、5月の独立行政法人、公益法人を対象とする事業仕分けをもって一応の日程を終了しました。
文部科学省では、このたび、事業仕分けの対象となった事業について、広く国民から意見を聴くためのパブリックコメントを開始したようです。期限は6月15日まで。
事業仕分けの対象となった事業の今後については、未だ不透明ですが、「独立行政法人の抜本的な見直しについて」(平成21年12月25日閣議決定)等に基づく厳格な対応を望みたいところです。
行政刷新会議事業仕分け対象事業についてご意見をお寄せ下さい(平成22年5月26日文部科学省)
行政刷新会議は4月下旬と5月下旬に、独立行政法人及び政府関連公益法人の事業について事業仕分けを行い、文部科学省関係の事業についても以下の表のとおり対象となったところです。この事業仕分けを契機として、多くの国民の皆様の声を独立行政法人及び政府関連公益法人の見直しに生かしていく観点から、今回の事業仕分けの対象となった事業について、広く国民の皆様からご意見を募集いたします。6月15日までに以下のリンク先よりご意見をご提出下さい。・・・
http://www.mext.go.jp/a_menu/kouritsu/detail/1294165.htm
仕分け結果の概要等が上記ホームページに整理されてありますが、このうち、高等教育に密接に関連すると思われるいくつかの事業についての評価結果(事業仕分けとりまとめコメント)を抜粋してご紹介します。
仕分け結果の詳細については上記ホームページをご覧ください。
国立大学財務・経営センター
1 施設費貸付事業、承継債務償還
施設費貸付事業及び承継債務償還については、12名中、8名が当該事業の廃止であるので、これを結論とする。なお、ガバナンスの強化が3名、事業主体の一 元化が2名であった。国立大学については、各大学が自立していくことが重要であり、独自のファイナンスをする方式にできるだけ早く改めていくべきではないか。基本的には、民間金融機関で対応できるように国としてもバックアップをするなど、改善をしていただきたい。
2 施設費交付事業、旧特定学校財産の管理処分、財産管理・処分・有効活用に関する協力・助言
施設費交付事業、旧特定学校財産の管理処分及び財産管理・処分・有効活用に関する協力・助言については、12名中、8名が当該事業の廃止という意見であり、これを結論とする。なお、一般会計で行い必要な予算措置を行った方が適切という意見もあった。また、不要資産の国庫返納、仮に新たな制度で対応する場合にはガバナンスの強化も併せて行っていただきたい。
3 高等教育に係る財政及び国立大学法人等の財務・経営に関する調査及び研究、経営相談事業(財務・経営の改善に資する助言等)
高等教育に係る財政及び国立大学法人等の財務・経営に関する調査及び研究及び経営相談事業(財務・経営の改善に資する助言等)については、当該事業の廃止が12名中11名であり、これを結論とする。ガバナンスの強化を求める意見も付されている。現状では、経営の相談は職員が対応しており、専門家が対応しているわけではない。各大学が民間のコンサルタントを利用すべきである。
大学評価・学位授与機構
1 認証評価事業(大学等の教育研究等の総合的状況に関する評価)
当WGとしては、全員の一致で、事業の実施は民間の判断に任せるという結論とする。既に民間で実施可能な事業となっており独立行政法人が行う必要はない。1年以内に業務移行の具体策を提示すべき、移行期間を具体的に 設定し、2~3年で税金を投入しないこととすべき、などの意見が付されている。
2 国立大学法人評価(中期目標期間の評価)における教育研究評価
当WGとしては、国が実施機関を競争的に決定し、事業規模は縮減するとの結論とする。これは、当該事業を独占的に国が事業を実施する必要はないという趣旨であり、同じ趣旨で、他の法人で実施すべきという意見も多くあった。独立行政法人を含め、実施機関を競争的に決定し、資金の流れを透明化して、ガバナンスを強化すべきである。
大学入試センター
大学入試センター試験の実施、大学の入学者選抜方法の改善に関する調査研究
当該法人が実施し、事業規模を縮減との結論とする。縮減の意味は運営費交付金に頼らないような構造で運営をやっていただきたいということである。ただ、その一方で受験料が上がっては困るので、印刷の問題を含めコスト縮減を徹底的に行ってほしい。さらに、自己収入の拡大については、利用者である大学の負担が本当に適正かどうかを含めて再検討していただきたい。また、将来的な入試制度のあり方についても、これだけのコストを要して研究していることも踏まえ、きちんとしたビジョンを出してほしい。
日本学術振興会
科学研究費補助金
当WGの結論としてはガバナンスの強化とさせていただく。科学研究費補助金は、多くの方がガバナンスの強化を求めている。科学技術振興機構における競争的資金との違いとして、科学技術振興機構がトップダウン型、日本学術振興会がボトムアップ型、という役割があるというのは一定の理解はあると思われる。しかし、実施に当たり、他機関等と協力してコストを下げるというのは、意見の一致するところである。文部科学省から完全に移行できていない、財政的な問題がある、という点についても、独立行政法人として独立性をもって資金配分すべきであり、早急な独立性強化も必要である。
日本学生支援機構
1 国際交流会館等留学生寄宿舎等の設置及び運営
評価者12人のうち半分の6人が事業の廃止、4人が不要資産の国庫返納を求めており、当WGの結論としては事業の廃止とするが、現在入居している留学生や、入居が決まっている留学生に迷惑がかからないようにしていただきたい。数年以内に一旦事業を廃止し、今後のことは自治体や民間、大学に任せていくべきであるとの意見が出されている。また、留学生13万人のうち2,600人のみを対象に国費を投入することは不公平ではないか、むしろ国としては民間のアパートを留学生が今まで以上に借りやすくするよう連帯保証人の問題を解決したり、様々なサービス向上のために法改正や制度を整えていくことが大切ではないか、との意見もあったので併せて検討願いたい。
2 留学情報センターの運営
評価者12人のうち10人が事業の廃止を求めており、事業の廃止を結論とする。不要資産の国庫返納も3人が求めている。当該事業は既に民間が実施しており、事業費6,700万円、人件費5,200万円を投じて当該法人が実施すべき事業ではないという意見が大勢である。
3 私費外国人留学生等学習奨励費制度
評価者12人のうち9人が当該法人で実施とし、事業の規模については、うち5人が現状維持、3人が事業規模の拡充を求め、ガバナンスの強化も3人が求めている。優秀な学生の選抜には一層注力すべきであること、給付予約制の適切な拡充を行うべきであること、今までの検証が不十分であることが浮き彫りになり、当該法人で実施する意義が国民に明らかにされなかった。こういう点も含めて全体的に見直し・検証をしていただきたい。日本に留学を希望する留学生を応援していこうという政策の理念には賛同するものであるが、手法がまだまだ不十分であるということを付言しておく。結論としては、当該法人が実施し、事業規模は現状維持とする。ただし厳しい成果検証等を求めるものとする。
文部科学省では、このたび、事業仕分けの対象となった事業について、広く国民から意見を聴くためのパブリックコメントを開始したようです。期限は6月15日まで。
事業仕分けの対象となった事業の今後については、未だ不透明ですが、「独立行政法人の抜本的な見直しについて」(平成21年12月25日閣議決定)等に基づく厳格な対応を望みたいところです。
行政刷新会議事業仕分け対象事業についてご意見をお寄せ下さい(平成22年5月26日文部科学省)
行政刷新会議は4月下旬と5月下旬に、独立行政法人及び政府関連公益法人の事業について事業仕分けを行い、文部科学省関係の事業についても以下の表のとおり対象となったところです。この事業仕分けを契機として、多くの国民の皆様の声を独立行政法人及び政府関連公益法人の見直しに生かしていく観点から、今回の事業仕分けの対象となった事業について、広く国民の皆様からご意見を募集いたします。6月15日までに以下のリンク先よりご意見をご提出下さい。・・・
http://www.mext.go.jp/a_menu/kouritsu/detail/1294165.htm
仕分け結果の概要等が上記ホームページに整理されてありますが、このうち、高等教育に密接に関連すると思われるいくつかの事業についての評価結果(事業仕分けとりまとめコメント)を抜粋してご紹介します。
仕分け結果の詳細については上記ホームページをご覧ください。
国立大学財務・経営センター
1 施設費貸付事業、承継債務償還
施設費貸付事業及び承継債務償還については、12名中、8名が当該事業の廃止であるので、これを結論とする。なお、ガバナンスの強化が3名、事業主体の一 元化が2名であった。国立大学については、各大学が自立していくことが重要であり、独自のファイナンスをする方式にできるだけ早く改めていくべきではないか。基本的には、民間金融機関で対応できるように国としてもバックアップをするなど、改善をしていただきたい。
2 施設費交付事業、旧特定学校財産の管理処分、財産管理・処分・有効活用に関する協力・助言
施設費交付事業、旧特定学校財産の管理処分及び財産管理・処分・有効活用に関する協力・助言については、12名中、8名が当該事業の廃止という意見であり、これを結論とする。なお、一般会計で行い必要な予算措置を行った方が適切という意見もあった。また、不要資産の国庫返納、仮に新たな制度で対応する場合にはガバナンスの強化も併せて行っていただきたい。
3 高等教育に係る財政及び国立大学法人等の財務・経営に関する調査及び研究、経営相談事業(財務・経営の改善に資する助言等)
高等教育に係る財政及び国立大学法人等の財務・経営に関する調査及び研究及び経営相談事業(財務・経営の改善に資する助言等)については、当該事業の廃止が12名中11名であり、これを結論とする。ガバナンスの強化を求める意見も付されている。現状では、経営の相談は職員が対応しており、専門家が対応しているわけではない。各大学が民間のコンサルタントを利用すべきである。
大学評価・学位授与機構
1 認証評価事業(大学等の教育研究等の総合的状況に関する評価)
当WGとしては、全員の一致で、事業の実施は民間の判断に任せるという結論とする。既に民間で実施可能な事業となっており独立行政法人が行う必要はない。1年以内に業務移行の具体策を提示すべき、移行期間を具体的に 設定し、2~3年で税金を投入しないこととすべき、などの意見が付されている。
2 国立大学法人評価(中期目標期間の評価)における教育研究評価
当WGとしては、国が実施機関を競争的に決定し、事業規模は縮減するとの結論とする。これは、当該事業を独占的に国が事業を実施する必要はないという趣旨であり、同じ趣旨で、他の法人で実施すべきという意見も多くあった。独立行政法人を含め、実施機関を競争的に決定し、資金の流れを透明化して、ガバナンスを強化すべきである。
大学入試センター
大学入試センター試験の実施、大学の入学者選抜方法の改善に関する調査研究
当該法人が実施し、事業規模を縮減との結論とする。縮減の意味は運営費交付金に頼らないような構造で運営をやっていただきたいということである。ただ、その一方で受験料が上がっては困るので、印刷の問題を含めコスト縮減を徹底的に行ってほしい。さらに、自己収入の拡大については、利用者である大学の負担が本当に適正かどうかを含めて再検討していただきたい。また、将来的な入試制度のあり方についても、これだけのコストを要して研究していることも踏まえ、きちんとしたビジョンを出してほしい。
日本学術振興会
科学研究費補助金
当WGの結論としてはガバナンスの強化とさせていただく。科学研究費補助金は、多くの方がガバナンスの強化を求めている。科学技術振興機構における競争的資金との違いとして、科学技術振興機構がトップダウン型、日本学術振興会がボトムアップ型、という役割があるというのは一定の理解はあると思われる。しかし、実施に当たり、他機関等と協力してコストを下げるというのは、意見の一致するところである。文部科学省から完全に移行できていない、財政的な問題がある、という点についても、独立行政法人として独立性をもって資金配分すべきであり、早急な独立性強化も必要である。
日本学生支援機構
1 国際交流会館等留学生寄宿舎等の設置及び運営
評価者12人のうち半分の6人が事業の廃止、4人が不要資産の国庫返納を求めており、当WGの結論としては事業の廃止とするが、現在入居している留学生や、入居が決まっている留学生に迷惑がかからないようにしていただきたい。数年以内に一旦事業を廃止し、今後のことは自治体や民間、大学に任せていくべきであるとの意見が出されている。また、留学生13万人のうち2,600人のみを対象に国費を投入することは不公平ではないか、むしろ国としては民間のアパートを留学生が今まで以上に借りやすくするよう連帯保証人の問題を解決したり、様々なサービス向上のために法改正や制度を整えていくことが大切ではないか、との意見もあったので併せて検討願いたい。
2 留学情報センターの運営
評価者12人のうち10人が事業の廃止を求めており、事業の廃止を結論とする。不要資産の国庫返納も3人が求めている。当該事業は既に民間が実施しており、事業費6,700万円、人件費5,200万円を投じて当該法人が実施すべき事業ではないという意見が大勢である。
3 私費外国人留学生等学習奨励費制度
評価者12人のうち9人が当該法人で実施とし、事業の規模については、うち5人が現状維持、3人が事業規模の拡充を求め、ガバナンスの強化も3人が求めている。優秀な学生の選抜には一層注力すべきであること、給付予約制の適切な拡充を行うべきであること、今までの検証が不十分であることが浮き彫りになり、当該法人で実施する意義が国民に明らかにされなかった。こういう点も含めて全体的に見直し・検証をしていただきたい。日本に留学を希望する留学生を応援していこうという政策の理念には賛同するものであるが、手法がまだまだ不十分であるということを付言しておく。結論としては、当該法人が実施し、事業規模は現状維持とする。ただし厳しい成果検証等を求めるものとする。
2010年5月26日水曜日
国立大学法人の評価の実際
国立大学法人の評価の実際 (日本福祉大学常任理事 篠田道夫)
中期計画の達成度評価
国立大学のマネジメントは、中期計画を軸とした目標を鮮明にした運営と、それを遂行する強力な学長権限を軸とする体制によって機能し、また成果を上げつつある。そしてこの改革を強く後押しし、推進する仕組みが国立大学法人の評価システムだと言える。
中期目標の設定とその達成度評価は国立大学法人制度の根幹をなす。この目標管理システム、PDCAサイクルの機能化こそが、国立大学を確実に変えてきたことは間違いない。これまでの国の直接管理・統制から評価による間接的管理に移行したとも言えるが、それが国立大学の自律的改革やマネジメントの確立を促してきた。
高等教育評価機構の一員として国立大学の評価システムにかかわる調査に加わった経験から、訪問した東京工業大学と岡山大学の事例をもとに、評価がいかに改革に結び付き、また、中期計画の具体化や推進に役割を果たしているかを見てみたい。調査結果については、『認証評価に関する調査研究』(平成20年度文部科学省調査研究委託事業、日本高等教育評価機構)に詳しい。
中期計画における評価の位置
両大学とも評価方針は、中期目標、中期計画に示されている。
東京工業大学では、1)「評価を評価室に一元化すると共に、評価結果に対応する改善策等を講じる組織を充実する」、2)「教職員個々を公正に評価する評価システムを確立する」、3)「個人が特定されない範囲で、点検・評価結果を公表する」である。評価を学長のもとに一本化するとともに、評価結果を処遇や資源配分にも反映させる方策を策定・実施し、意欲の向上とその公表による改善促進を謳っている。
岡山大学でも、1)「教員の個人評価の実施や評価データ等の一元的管理システムの確立により、評価の学内体制を整備し、外部評価や第三者評価を積極的に取り入れて評価の充実を図る」、2)「自己点検・評価、外部評価、第三者評価、学生による授業評価等の学内評価結果を、教育研究の向上、大学運営の改善等に十分に反映させる」とし、評価センターを軸とした恒常的な評価体制の強化と評価を改善へ生かす方針を明確にしている。
例えば「教育の成果・効果(目標達成度)を厳密に検証するため、入試成績と入学後の成績の追跡調査、学生・同僚による授業評価、就職先企業・団体等に対するアンケート、外部評価機関による第三者評価、卒業生、外部有識者による教育評価等を実施する」としている。
両大学とも評価を目標の達成、教育の改善につなげていこうとする強い意志が感じられるとともに、教育の到達度(アウトカム)評価、教員評価など困難なテーマに挑戦している。
評価を改革に活かす取り組み
両大学とも学長直轄機関として評価センター、評価室が置かれ、副学長等が直接所管し、多くの専門家教員や職員幹部をメンバーとし、数名の専属職員を置く強力な布陣を敷いている。そして目標達成度を厳密に検証するため、成績の追跡調査、授業評価、各種資格試験の合格率推移、就職率推移、就職先企業へのアンケート調査、卒業生評価の実施等を義務付けている。
教育活動の評価基準を確立し、教員の個人評価を実施、授業評価、自己評価、第三者評価を積極的に活用して、教育の質の改善を図ることを明記している。
東京工業大学では、評価室の中に置かれた、評価活用班が評価結果の改善・指摘事項を検証し、改善策の具体化、提案を行っている。この改善案は、分野別業務の企画・実施部門である教育推進室、研究戦略室などに示され、これらの室を通して恒常的改善が進められる体制となっている。
また、こうした改善実施状況を一元的に把握・管理する点検・報告システム、その学内やステークホルダーヘの公表の準備も進んでいる。さらに、中期計画の策定、推進を担う企画室とも連携して、評価をダイレクトに基本政策に反映させている。
岡山大学でも、自己評価規則で、評価の結果、改善が必要と指摘された場合は、学長、学部長に改善の実施が義務付けられている。「評価センターからの提言」の中には、11の基準すべてにわたって具体的な改善事項が示されており、これを実際の改善行動に結び付ける点に特に留意している。評価を業務上担当する学長室が、他方で中期計画の策定の推進も担っており、こちらも評価が基本政策に直接反映される仕組みとなっている。
両大学とも、各種データを教員個人評価にもつなげ、活用しようとしており、評価を通じて、組織や制度、システム改革にとどまらず教員個人の教育改善につなげようとしているところが特徴的である。
評価の取り組みからの課題
国立大学では、認証評価、法人評価、自己評価をある意味で厳密に区別している。
すなわち認証評価は、規制緩和と連動する質保証システムであり、掲げた目標への到達度評価ではなく、現状のデータを積み上げそれが基準を満たしているかの評価とする。
法人評価は経営評価に軸足があり、中期目標・中期計画の達成度が評価される。
自己評価は、学校教育法に定められた自己評価条項に根拠を持ち、経営、教学の全分野にわたって、自ら掲げた目標にしたがって、その前進の状況と課題をトータルに明らかにする取り組みで、三者は別者と位置付けている。これが改革を促進する半面、負担増となり評価の効率化という点では障害になっているようにも見える。
全学評価と部局評価の関係は微妙で、評価機関の位置付けとしても上下の関係にはなく、評価方法や評価基準、データの集め方や分析方法も、必ずしも共通とはなっていない。改革すべき課題についての温度差もあり、全学機関で推進している分野は改善が進むが、部局レベルでは一律には進まない現状もある。部局の自立性を前提としつつ、いかに統一的に改革を前進させるかが課題だと言える。
評価による学長方針の浸透
学長権限が及ぶ範囲での事業の推進、全学共通システムの改革は、法人化後かなり進んでいると見ることができる。しかし、部局レベルの教育の学生支援、組織運営や業務・予算の改革となるとその進行はまちまちである。教員の個人評価もシステムは進んでいると言えるが、具体的な評価の実施は、部局に任されているところもある。
しかしながら、確定された中期計画、中期目標の存在が、到達評価の指標としても、改革を前に進めるうえでも、直接、間接に強力に機能している。
国立大学の場合、評価は、大学のポジションに直接結び付き、交付金や補助金に連動している点で、大学の生命線である。その点で評価は重い位置付けを持ち、私学とは比較にならない厚い人の配置、専任体制と資金投下で、恒常的なデータ集約と分析、改善方策の検討と推進が行われている。
そして、この外圧を伴った評価の推進が、学長権限の拡大と定着、中期計画の全学浸透とその実践に強く連動していると思われる。評価の積極的な取り組みが、中期目標の推進、学長主導による全学改革の進展につながっているのが見て取れる。
国立大学法人の根幹をなす中期目標・中期計画とその評価システムは確実にその成果と前進を作り出していると言える。(文部科学教育通信 No244 2010.5.24)
中期計画の達成度評価
国立大学のマネジメントは、中期計画を軸とした目標を鮮明にした運営と、それを遂行する強力な学長権限を軸とする体制によって機能し、また成果を上げつつある。そしてこの改革を強く後押しし、推進する仕組みが国立大学法人の評価システムだと言える。
中期目標の設定とその達成度評価は国立大学法人制度の根幹をなす。この目標管理システム、PDCAサイクルの機能化こそが、国立大学を確実に変えてきたことは間違いない。これまでの国の直接管理・統制から評価による間接的管理に移行したとも言えるが、それが国立大学の自律的改革やマネジメントの確立を促してきた。
高等教育評価機構の一員として国立大学の評価システムにかかわる調査に加わった経験から、訪問した東京工業大学と岡山大学の事例をもとに、評価がいかに改革に結び付き、また、中期計画の具体化や推進に役割を果たしているかを見てみたい。調査結果については、『認証評価に関する調査研究』(平成20年度文部科学省調査研究委託事業、日本高等教育評価機構)に詳しい。
中期計画における評価の位置
両大学とも評価方針は、中期目標、中期計画に示されている。
東京工業大学では、1)「評価を評価室に一元化すると共に、評価結果に対応する改善策等を講じる組織を充実する」、2)「教職員個々を公正に評価する評価システムを確立する」、3)「個人が特定されない範囲で、点検・評価結果を公表する」である。評価を学長のもとに一本化するとともに、評価結果を処遇や資源配分にも反映させる方策を策定・実施し、意欲の向上とその公表による改善促進を謳っている。
岡山大学でも、1)「教員の個人評価の実施や評価データ等の一元的管理システムの確立により、評価の学内体制を整備し、外部評価や第三者評価を積極的に取り入れて評価の充実を図る」、2)「自己点検・評価、外部評価、第三者評価、学生による授業評価等の学内評価結果を、教育研究の向上、大学運営の改善等に十分に反映させる」とし、評価センターを軸とした恒常的な評価体制の強化と評価を改善へ生かす方針を明確にしている。
例えば「教育の成果・効果(目標達成度)を厳密に検証するため、入試成績と入学後の成績の追跡調査、学生・同僚による授業評価、就職先企業・団体等に対するアンケート、外部評価機関による第三者評価、卒業生、外部有識者による教育評価等を実施する」としている。
両大学とも評価を目標の達成、教育の改善につなげていこうとする強い意志が感じられるとともに、教育の到達度(アウトカム)評価、教員評価など困難なテーマに挑戦している。
評価を改革に活かす取り組み
両大学とも学長直轄機関として評価センター、評価室が置かれ、副学長等が直接所管し、多くの専門家教員や職員幹部をメンバーとし、数名の専属職員を置く強力な布陣を敷いている。そして目標達成度を厳密に検証するため、成績の追跡調査、授業評価、各種資格試験の合格率推移、就職率推移、就職先企業へのアンケート調査、卒業生評価の実施等を義務付けている。
教育活動の評価基準を確立し、教員の個人評価を実施、授業評価、自己評価、第三者評価を積極的に活用して、教育の質の改善を図ることを明記している。
東京工業大学では、評価室の中に置かれた、評価活用班が評価結果の改善・指摘事項を検証し、改善策の具体化、提案を行っている。この改善案は、分野別業務の企画・実施部門である教育推進室、研究戦略室などに示され、これらの室を通して恒常的改善が進められる体制となっている。
また、こうした改善実施状況を一元的に把握・管理する点検・報告システム、その学内やステークホルダーヘの公表の準備も進んでいる。さらに、中期計画の策定、推進を担う企画室とも連携して、評価をダイレクトに基本政策に反映させている。
岡山大学でも、自己評価規則で、評価の結果、改善が必要と指摘された場合は、学長、学部長に改善の実施が義務付けられている。「評価センターからの提言」の中には、11の基準すべてにわたって具体的な改善事項が示されており、これを実際の改善行動に結び付ける点に特に留意している。評価を業務上担当する学長室が、他方で中期計画の策定の推進も担っており、こちらも評価が基本政策に直接反映される仕組みとなっている。
両大学とも、各種データを教員個人評価にもつなげ、活用しようとしており、評価を通じて、組織や制度、システム改革にとどまらず教員個人の教育改善につなげようとしているところが特徴的である。
評価の取り組みからの課題
国立大学では、認証評価、法人評価、自己評価をある意味で厳密に区別している。
すなわち認証評価は、規制緩和と連動する質保証システムであり、掲げた目標への到達度評価ではなく、現状のデータを積み上げそれが基準を満たしているかの評価とする。
法人評価は経営評価に軸足があり、中期目標・中期計画の達成度が評価される。
自己評価は、学校教育法に定められた自己評価条項に根拠を持ち、経営、教学の全分野にわたって、自ら掲げた目標にしたがって、その前進の状況と課題をトータルに明らかにする取り組みで、三者は別者と位置付けている。これが改革を促進する半面、負担増となり評価の効率化という点では障害になっているようにも見える。
全学評価と部局評価の関係は微妙で、評価機関の位置付けとしても上下の関係にはなく、評価方法や評価基準、データの集め方や分析方法も、必ずしも共通とはなっていない。改革すべき課題についての温度差もあり、全学機関で推進している分野は改善が進むが、部局レベルでは一律には進まない現状もある。部局の自立性を前提としつつ、いかに統一的に改革を前進させるかが課題だと言える。
評価による学長方針の浸透
学長権限が及ぶ範囲での事業の推進、全学共通システムの改革は、法人化後かなり進んでいると見ることができる。しかし、部局レベルの教育の学生支援、組織運営や業務・予算の改革となるとその進行はまちまちである。教員の個人評価もシステムは進んでいると言えるが、具体的な評価の実施は、部局に任されているところもある。
しかしながら、確定された中期計画、中期目標の存在が、到達評価の指標としても、改革を前に進めるうえでも、直接、間接に強力に機能している。
国立大学の場合、評価は、大学のポジションに直接結び付き、交付金や補助金に連動している点で、大学の生命線である。その点で評価は重い位置付けを持ち、私学とは比較にならない厚い人の配置、専任体制と資金投下で、恒常的なデータ集約と分析、改善方策の検討と推進が行われている。
そして、この外圧を伴った評価の推進が、学長権限の拡大と定着、中期計画の全学浸透とその実践に強く連動していると思われる。評価の積極的な取り組みが、中期目標の推進、学長主導による全学改革の進展につながっているのが見て取れる。
国立大学法人の根幹をなす中期目標・中期計画とその評価システムは確実にその成果と前進を作り出していると言える。(文部科学教育通信 No244 2010.5.24)
2010年5月24日月曜日
がんばれ 宮崎県・川南町 支援の輪を広げよう!
口蹄疫 「街が消えてしまう・・・」 日本3大開拓地・川南町ルポ (2010年5月24日産経新聞)
口蹄(こうてい)疫問題で、町内にいる牛や豚の全頭殺処分が決まった宮崎県川南(かわみなみ)町。通りから人影は消え、商店街はさながらゴーストタウンと化している。ウイルスの拡散防止のため、行政が不要不急の外出自粛を呼びかけているためだ。「このままでは、街が消えてしまう」-。住民らはやりきれない思いにさいなまれている。
第4日曜日の23日。本来なら役場に面した商店街は、1万人近い人々でにぎわうはずだった。
予定されていたのは毎月1回の「軽トラ市」。近隣農家がトラックの荷台に積んだ作物を直売する名物行事だ。集まるトラックは130台にもなり、「他の市町村の羨望(せんぼう)の的となっている」(住民の女性)という。
当然イベントは中止。静まりかえった通りには「がんばっどぉ!!川南」の横断幕。その下を、家畜の死骸(しがい)を埋める重機を積んだ自衛隊車両が通り抜けていく。
隣の都農(つの)町で4月20日に確認された口蹄疫。翌21日には川南町でも確認され、町民の生活は一変した。「何でこんなことになってしまったのか・・・」。長年、この街で暮らしてきた真田正良さん(87)は、そうつぶやいた。
町の人口は約1万7千人。戦後、全国から集まった入植者が旧軍用地を苦労して切り開いた歴史を持つ。青森・十和田市、福島・矢吹町と並ぶ「日本3大開拓地」の1つとしても知られる。約15万頭の牛、豚生産で農業産出額の5割超を占め、宮崎ブランドを支えてきた。
「50年前、父の代に始めて、庭先養豚からようやく中小企業の仲間入りをしたのに。誇りを持ってやってきたが、『口蹄疫の街』になってしまった」。約8千頭を飼う養豚業、香川雅彦さん(52)は、あきらめ半分の口調で語った。
獣医師が足りないため殺処分の順番はまだ回ってこない。いずれ処分される運命の豚にエサをやり、熱を出したら世話をする。それでも1日100頭ずつ子豚が死んでいくという。
「防疫のため人が入ってこれなくて、最後においしいエサをやることもできなかった」。そう振り返る本多栄明さん(28)は、一家で約7百頭の牛を飼育してきた。2日前に殺処分と埋却処理が終わり、3月に完成したばかりの新牛舎も、いまや空っぽだ。
農大を卒業し、父親が始めた畜産を本格的に継ごうとした矢先だった。「先のことは考えられない」
「壊滅的な打撃です。だが、是非再起しなくてはいけない」。蓑原敏朗副町長(60)は、防疫用の作業服姿で疲れた表情をみせた。
殺処分、過酷な作業 獣医ら「終わりが見えない」(2010年5月24日朝日新聞)
家畜の伝染病、口蹄疫(こうていえき)との闘いが続く宮崎県。4月20日に始まった殺処分の対象の牛や豚は5月23日時点で14万4千頭を超えた。獣医師や県職員、自衛隊員らが連日、作業を続けているが、処分を終えたのは半分超の約7万5千頭にとどまる。国がワクチン接種後の全頭処分を決めたことで、新たに14万6千頭が対象に加わる。終わりの見えない過酷な作業に、焦りと疲労が募る。職員らに話を聞いた。
県土整備部に勤める50代の男性職員は、5月のある土曜日、午前7時に出勤した。県庁前には、事務職員も含め、各部局からかり出された男性約100人が集まり、4台のバスで口蹄疫が猛威をふるう同県川南町に向かった。
男性は殺処分をする獣医師の補助員をすることになり、約1200頭の豚を飼う農場に向かった。白い防護服に身を包み、「立ち入り禁止」の農場に足を踏み入れた。ウイルスを持ち出さないように、作業中は原則として、一度入れば、作業が終わるまで出ることができない。
男性は、他の職員と豚を追い立て、逃げないように板を持って「壁」をつくり、10頭ほどを豚舎の通路の隅に寄せた。動き回る豚に押され、何度も倒れそうになった。「手袋に豚の鼻が当たると、柔らかくて温かかった」
獣医師が、大きな剪定(せんてい)ばさみのような器具で豚の腹を左右から挟み、電気を流した。「豚は一瞬、金縛りのように硬直して、これまで聞いたことのない、悲鳴のような鳴き声を上げた」
排泄(はいせつ)物が防護服に飛び散り、マスクをしていても、強烈なにおいがした。息絶えるまでに、1~2分。「つらい時間だった」
獣医師は電気を通すとき、一呼吸置いて、逃げようとする豚を器具でしっかり押さえた。本来なら、動物の命を助ける仕事。「苦しめないように、せめて短時間で済ませようとしていたんだと思う」。1頭を処分するたびに、獣医師は汗だくになっていた。
農場主の男性は、畜舎の外で座り込み、ぼうぜんとした表情で作業を見ていた。県職員が豚の扱いにてこずっているのを見ると、豚の追い込みを手伝ってくれた。「農場主には、豚もおとなしく従った。それが切なくて・・・」
午前中は50頭を処分するのがやっとだった。食欲はわかなかったが、体力を保つため、弁当をかき込んだ。
午後は効率を上げるため、二酸化炭素による殺処分に切り替えた。2トントラックの荷台に豚25~26頭を乗せ、シートをかぶせてボンベからホースでガスを送る。10人がかりでシートを押さえた。しばらくすると中で豚が一斉に暴れて、鳴き始めた。シートを突き破ろうと当たってくる豚を、必死に押さえた。シャツも下着も、汗でぐっしょりぬれていた。
午後6時半までに処分したのは約300頭だった。
発生農場での防疫作業を一刻も早く終わらせることが、感染拡大の阻止につながる。「見たくないし、聞きたくないが、目をそらすわけにはいかない」と男性は語った。
家畜への「医療行為」が伴う殺処分は、獣医師でなければできず、県外からも約120人が派遣されている。
応援に来た40代の男性獣医師は、1日約600頭を薬殺する。必死にもがく豚を2人1組で押さえつけ、注射針を刺す。「仕事とはいえ、生き物を殺すのは、つらい」
作業を終えると、町役場に帰り、全身を丁寧に消毒する。周りは皆疲れ果て、言葉数も少ない。
「終わりが見えない。肉体的にも精神的にも、通常業務の3~5倍は大変」という。
口蹄疫被害に対する義援金を募集します(宮崎県)
宮崎県では、4月20日の本県における口蹄疫発生以来、口蹄疫防疫活動により影響を受けた畜産農家に対する支援を行うため、5月14日から「宮崎県口蹄疫被害義援金」を下記により募集しておりますので、ご協力をお願いします。・・・
http://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/fukushi/fukushi/shakai_fukushi/html00165.html
宮崎県口蹄疫被害義援金の課税上の取扱いについて(国税庁)
宮崎県口蹄疫被害義援金(以下「義援金」といいます。)につきましては、所得税法第78条第2項第1号及び法人税法第37条第3項第1号に規定する地方公共団体に対する寄附金に該当します。したがって、個人の方が義援金を支払った場合には、特定寄附金として寄附金控除(所得控除)の対象となり、法人が義援金を支払った場合には、その支払額の全額が損金算入の対象となります。・・・
http://www.nta.go.jp/sonota/sonota/osirase/data/h22/kouteieki/02.htm
川南町口蹄疫対策支援金について(川南町)
川南町では全国各地から寄せられる善意の声をもとに「川南町口蹄疫対策支援金」の受付をしています。・・・
http://www.town.kawaminami.miyazaki.jp/soumuka/soumukakari/koho/kouteieki-sien.jsp
インターネット募金「宮崎県口蹄疫被害義援金」(Yahoo!ボランティア)
宮崎県内で発生した口蹄疫は、懸命の防疫対策にもかかわらず発生以来拡大の一途をたどり、畜産農家等に甚大な損害をおよぼしています。殺処分等により今後の生活の糧を失った農家では、現在も不安な日々を過ごしています。中央共同募金会では、宮崎県、宮崎県共同募金会と連携し、口蹄疫防疫活動により影響を受けた畜産農家に対する支援を行うため、「宮崎県口蹄疫被害義援金」を募集しています。皆さまのご協力よろしくお願いいたします。・・・
http://volunteer.yahoo.co.jp/donation/detail/341007/
口蹄疫被害義援金の受付窓口開設について(はてな義援金窓口)
宮崎県における家畜伝染病の口蹄疫(こうていえき)被害が深刻な事態となっています。宮崎県は被害を受けた畜産農家への義援金募集を始めました。はてなではこうした状況を受け、はてなポイントによる「口蹄疫被害義援金の受付窓口」を新たに開設いたします。集まったポイントは、送付いただいた際のポイント送信手数料も含め、上記宮崎県が開設する義援金募集口座へはてながまとめて振込をおこないます。・・・
http://d.hatena.ne.jp/hatenacontrib/20100519/1274233369
宮崎県内における口蹄疫被害に対する支援について(ソフトバンクモバイル)
ソフトバンクモバイル株式会社は、宮崎県内で拡大している家畜伝染病の口蹄疫(こうていえき)被害に対する支援のため、以下の取り組みを行います。ソフトバンクモバイル携帯電話から義援金を募金できる「口蹄疫被害支援プロジェクト」特設ページを開設しました。・・・
http://mb.softbank.jp/scripts/japanese/information/topInfo/detail.jsp?oid=537221275
口蹄(こうてい)疫問題で、町内にいる牛や豚の全頭殺処分が決まった宮崎県川南(かわみなみ)町。通りから人影は消え、商店街はさながらゴーストタウンと化している。ウイルスの拡散防止のため、行政が不要不急の外出自粛を呼びかけているためだ。「このままでは、街が消えてしまう」-。住民らはやりきれない思いにさいなまれている。
第4日曜日の23日。本来なら役場に面した商店街は、1万人近い人々でにぎわうはずだった。
予定されていたのは毎月1回の「軽トラ市」。近隣農家がトラックの荷台に積んだ作物を直売する名物行事だ。集まるトラックは130台にもなり、「他の市町村の羨望(せんぼう)の的となっている」(住民の女性)という。
当然イベントは中止。静まりかえった通りには「がんばっどぉ!!川南」の横断幕。その下を、家畜の死骸(しがい)を埋める重機を積んだ自衛隊車両が通り抜けていく。
隣の都農(つの)町で4月20日に確認された口蹄疫。翌21日には川南町でも確認され、町民の生活は一変した。「何でこんなことになってしまったのか・・・」。長年、この街で暮らしてきた真田正良さん(87)は、そうつぶやいた。
町の人口は約1万7千人。戦後、全国から集まった入植者が旧軍用地を苦労して切り開いた歴史を持つ。青森・十和田市、福島・矢吹町と並ぶ「日本3大開拓地」の1つとしても知られる。約15万頭の牛、豚生産で農業産出額の5割超を占め、宮崎ブランドを支えてきた。
「50年前、父の代に始めて、庭先養豚からようやく中小企業の仲間入りをしたのに。誇りを持ってやってきたが、『口蹄疫の街』になってしまった」。約8千頭を飼う養豚業、香川雅彦さん(52)は、あきらめ半分の口調で語った。
獣医師が足りないため殺処分の順番はまだ回ってこない。いずれ処分される運命の豚にエサをやり、熱を出したら世話をする。それでも1日100頭ずつ子豚が死んでいくという。
「防疫のため人が入ってこれなくて、最後においしいエサをやることもできなかった」。そう振り返る本多栄明さん(28)は、一家で約7百頭の牛を飼育してきた。2日前に殺処分と埋却処理が終わり、3月に完成したばかりの新牛舎も、いまや空っぽだ。
農大を卒業し、父親が始めた畜産を本格的に継ごうとした矢先だった。「先のことは考えられない」
「壊滅的な打撃です。だが、是非再起しなくてはいけない」。蓑原敏朗副町長(60)は、防疫用の作業服姿で疲れた表情をみせた。
殺処分、過酷な作業 獣医ら「終わりが見えない」(2010年5月24日朝日新聞)
家畜の伝染病、口蹄疫(こうていえき)との闘いが続く宮崎県。4月20日に始まった殺処分の対象の牛や豚は5月23日時点で14万4千頭を超えた。獣医師や県職員、自衛隊員らが連日、作業を続けているが、処分を終えたのは半分超の約7万5千頭にとどまる。国がワクチン接種後の全頭処分を決めたことで、新たに14万6千頭が対象に加わる。終わりの見えない過酷な作業に、焦りと疲労が募る。職員らに話を聞いた。
県土整備部に勤める50代の男性職員は、5月のある土曜日、午前7時に出勤した。県庁前には、事務職員も含め、各部局からかり出された男性約100人が集まり、4台のバスで口蹄疫が猛威をふるう同県川南町に向かった。
男性は殺処分をする獣医師の補助員をすることになり、約1200頭の豚を飼う農場に向かった。白い防護服に身を包み、「立ち入り禁止」の農場に足を踏み入れた。ウイルスを持ち出さないように、作業中は原則として、一度入れば、作業が終わるまで出ることができない。
男性は、他の職員と豚を追い立て、逃げないように板を持って「壁」をつくり、10頭ほどを豚舎の通路の隅に寄せた。動き回る豚に押され、何度も倒れそうになった。「手袋に豚の鼻が当たると、柔らかくて温かかった」
獣医師が、大きな剪定(せんてい)ばさみのような器具で豚の腹を左右から挟み、電気を流した。「豚は一瞬、金縛りのように硬直して、これまで聞いたことのない、悲鳴のような鳴き声を上げた」
排泄(はいせつ)物が防護服に飛び散り、マスクをしていても、強烈なにおいがした。息絶えるまでに、1~2分。「つらい時間だった」
獣医師は電気を通すとき、一呼吸置いて、逃げようとする豚を器具でしっかり押さえた。本来なら、動物の命を助ける仕事。「苦しめないように、せめて短時間で済ませようとしていたんだと思う」。1頭を処分するたびに、獣医師は汗だくになっていた。
農場主の男性は、畜舎の外で座り込み、ぼうぜんとした表情で作業を見ていた。県職員が豚の扱いにてこずっているのを見ると、豚の追い込みを手伝ってくれた。「農場主には、豚もおとなしく従った。それが切なくて・・・」
午前中は50頭を処分するのがやっとだった。食欲はわかなかったが、体力を保つため、弁当をかき込んだ。
午後は効率を上げるため、二酸化炭素による殺処分に切り替えた。2トントラックの荷台に豚25~26頭を乗せ、シートをかぶせてボンベからホースでガスを送る。10人がかりでシートを押さえた。しばらくすると中で豚が一斉に暴れて、鳴き始めた。シートを突き破ろうと当たってくる豚を、必死に押さえた。シャツも下着も、汗でぐっしょりぬれていた。
午後6時半までに処分したのは約300頭だった。
発生農場での防疫作業を一刻も早く終わらせることが、感染拡大の阻止につながる。「見たくないし、聞きたくないが、目をそらすわけにはいかない」と男性は語った。
応援に来た40代の男性獣医師は、1日約600頭を薬殺する。必死にもがく豚を2人1組で押さえつけ、注射針を刺す。「仕事とはいえ、生き物を殺すのは、つらい」
作業を終えると、町役場に帰り、全身を丁寧に消毒する。周りは皆疲れ果て、言葉数も少ない。
「終わりが見えない。肉体的にも精神的にも、通常業務の3~5倍は大変」という。
◇
口蹄疫被害に対する義援金を募集します(宮崎県)
宮崎県では、4月20日の本県における口蹄疫発生以来、口蹄疫防疫活動により影響を受けた畜産農家に対する支援を行うため、5月14日から「宮崎県口蹄疫被害義援金」を下記により募集しておりますので、ご協力をお願いします。・・・
http://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/fukushi/fukushi/shakai_fukushi/html00165.html
宮崎県口蹄疫被害義援金の課税上の取扱いについて(国税庁)
宮崎県口蹄疫被害義援金(以下「義援金」といいます。)につきましては、所得税法第78条第2項第1号及び法人税法第37条第3項第1号に規定する地方公共団体に対する寄附金に該当します。したがって、個人の方が義援金を支払った場合には、特定寄附金として寄附金控除(所得控除)の対象となり、法人が義援金を支払った場合には、その支払額の全額が損金算入の対象となります。・・・
http://www.nta.go.jp/sonota/sonota/osirase/data/h22/kouteieki/02.htm
川南町口蹄疫対策支援金について(川南町)
川南町では全国各地から寄せられる善意の声をもとに「川南町口蹄疫対策支援金」の受付をしています。・・・
http://www.town.kawaminami.miyazaki.jp/soumuka/soumukakari/koho/kouteieki-sien.jsp
インターネット募金「宮崎県口蹄疫被害義援金」(Yahoo!ボランティア)
宮崎県内で発生した口蹄疫は、懸命の防疫対策にもかかわらず発生以来拡大の一途をたどり、畜産農家等に甚大な損害をおよぼしています。殺処分等により今後の生活の糧を失った農家では、現在も不安な日々を過ごしています。中央共同募金会では、宮崎県、宮崎県共同募金会と連携し、口蹄疫防疫活動により影響を受けた畜産農家に対する支援を行うため、「宮崎県口蹄疫被害義援金」を募集しています。皆さまのご協力よろしくお願いいたします。・・・
http://volunteer.yahoo.co.jp/donation/detail/341007/
口蹄疫被害義援金の受付窓口開設について(はてな義援金窓口)
宮崎県における家畜伝染病の口蹄疫(こうていえき)被害が深刻な事態となっています。宮崎県は被害を受けた畜産農家への義援金募集を始めました。はてなではこうした状況を受け、はてなポイントによる「口蹄疫被害義援金の受付窓口」を新たに開設いたします。集まったポイントは、送付いただいた際のポイント送信手数料も含め、上記宮崎県が開設する義援金募集口座へはてながまとめて振込をおこないます。・・・
http://d.hatena.ne.jp/hatenacontrib/20100519/1274233369
宮崎県内における口蹄疫被害に対する支援について(ソフトバンクモバイル)
ソフトバンクモバイル株式会社は、宮崎県内で拡大している家畜伝染病の口蹄疫(こうていえき)被害に対する支援のため、以下の取り組みを行います。ソフトバンクモバイル携帯電話から義援金を募金できる「口蹄疫被害支援プロジェクト」特設ページを開設しました。・・・
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2010年5月23日日曜日
教員養成大学・学部にメス-財務省予算執行調査
平成22年度の財務省による予算執行調査の対象事案の一つとして「教員養成系大学」が選定され、国立の11教育大学及び33の教員養成系学部を対象に、現在書面調査が行われ、加えて関西の3大学(京都教育、大阪教育、奈良教育)を対象に実地調査が行われています。
平成22度予算執行調査の対象事案を選定しました(2010年4月6日 財務省)
当初の予定では、11教育大学だけが対象とされていましたが、急遽学部を含む44大学が対象となり、全国的に動揺が広がっているようです。
財務省が各大学・学部に提出を求めている調査票は、次のような項目で構成されています。
1 入学定員数等の状況
教員養成課程及び新課程ごとの受験倍率・定員充足率等、平成22年度入学定員見直しの考え方、平成23年度以降の入学定員見直しの検討状況
2 卒業者の状況
1)教員養成課程及び新課程ごとの教員免許状(免許別)の取得状況、2)卒業者の履修(教科別)状況、3)教員養成課程及び新課程ごとの就職先(学校種別ごと)、4)教員養成課程及び新課程ごとの地元都道府県への教員採用状況
3 教員数の状況
1)教員養成課程教員のうちの専任教員数、2)教員養成課程と新課程を兼務する教員数、3)小学校教諭免許状に係る教科専門科目担当教員のうち常勤教員、4)小学校教諭免許状に係る教科専門科目担当教員のうち非常勤教員
4 他大学との連携状況
他大学との教育課程の共同実施・統合の有無等
5 新課程の意義
1)新課程の設立目的、2)新課程の見直し、3)新課程の廃止理由
6 地方公共団体との連携状況
1)都道府県教育委員会等との連携状況、2)大学運営に対する地方公共団体からの財政負担の有無
7 教育の質の向上のために実施している取組状況
財務省の思惑やいかに。予算執行調査の結果に注目です。
平成22度予算執行調査の対象事案を選定しました(2010年4月6日 財務省)
当初の予定では、11教育大学だけが対象とされていましたが、急遽学部を含む44大学が対象となり、全国的に動揺が広がっているようです。
財務省が各大学・学部に提出を求めている調査票は、次のような項目で構成されています。
1 入学定員数等の状況
教員養成課程及び新課程ごとの受験倍率・定員充足率等、平成22年度入学定員見直しの考え方、平成23年度以降の入学定員見直しの検討状況
2 卒業者の状況
1)教員養成課程及び新課程ごとの教員免許状(免許別)の取得状況、2)卒業者の履修(教科別)状況、3)教員養成課程及び新課程ごとの就職先(学校種別ごと)、4)教員養成課程及び新課程ごとの地元都道府県への教員採用状況
3 教員数の状況
1)教員養成課程教員のうちの専任教員数、2)教員養成課程と新課程を兼務する教員数、3)小学校教諭免許状に係る教科専門科目担当教員のうち常勤教員、4)小学校教諭免許状に係る教科専門科目担当教員のうち非常勤教員
4 他大学との連携状況
他大学との教育課程の共同実施・統合の有無等
5 新課程の意義
1)新課程の設立目的、2)新課程の見直し、3)新課程の廃止理由
6 地方公共団体との連携状況
1)都道府県教育委員会等との連携状況、2)大学運営に対する地方公共団体からの財政負担の有無
7 教育の質の向上のために実施している取組状況
財務省の思惑やいかに。予算執行調査の結果に注目です。
2010年5月20日木曜日
輝く人
NHK総合テレビに 「こころの遺伝子-あなたがいたから-」 という番組があります。 西田敏行さん、黒崎めぐみアナウンサーが司会をしていて、毎回変わるゲストとのトークが中心になっています。私のお気に入りの番組の一つです。
番組の趣旨についてホームページには次のように書かれています。
誰にでもひとりは存在する、人生を決定づけてくれた“運命の人”。悩みを解きほぐしてくれた先生、一緒に目標を目指してくれたコーチ、技の全てを伝えてくれた師匠、あるいは全身全霊をかけて競い合ったライバルや共に励まし合った親友・・・。人は別の誰かの生き方や信念を、いわば“遺伝子”として受け継ぎながら、自分の人生を歩んでいます。
「こころの遺伝子」は、様々な分野で活躍する人々の“運命の人”を探り出し、影響を与えた言葉や生き方を 解き明かすことで、視聴者にも前向きに生きるヒントを受け取ってもらう新番組。現在の活躍の影にあった苦悩の日々と、そこに光を与えてくれた人物との出会 いの物語をVTRとスタジオトークでドラマチックにあぶり出します。
放送日時
総合テレビ 毎週月曜 午後10:00~10:48
再放送
総合テレビ 毎週水曜(火曜深夜) 午前0:15~1:03 ※近畿・北海道エリアは別番組
BS2 毎週月曜 午前11:00~11:48
http://www.nhk.or.jp/idenshi/index.html
この番組のテーマソングが、アンジェラ・アキさんの「輝く人」です。アンジェラ・アキさんは、番組へ次のようなメッセージを寄せています。
NHKの新番組「こころの遺伝子」のテーマソングを担当させていただき、とても光栄に思っています。また、私も第3回目のゲストと して出演させていただくことになっており、すでに取材も始まっています。その中で、この番組は、「人の繋がり」をテーマにしたものであると感じました。
『輝く人』という曲の中に「輝く人は自分の中に 必ずいると信じている」というフレーズがあります。これは「自分を信じて生きていく」というメッセージを込めたものですが、これまで私を支えてくれた人々からの励ましの言葉や愛が、音楽として結実したものだと感じています。私がミュー ジシャンとしてデビューできるかどうか、迷い、もがいていた時期に、周囲の人々がくれた言葉が『輝く人』という曲になったと思うのです。
テーマソング『輝く人』を通じて、「自分を信じて生きていく」という想いを伝えられたら、これほど幸せなことはありません。番組を通じ、視聴者の方々との間に、新しい「人の繋がり」が生まれることを願っています。(2010年 春 アンジェラ・アキ)
番組の趣旨についてホームページには次のように書かれています。
誰にでもひとりは存在する、人生を決定づけてくれた“運命の人”。悩みを解きほぐしてくれた先生、一緒に目標を目指してくれたコーチ、技の全てを伝えてくれた師匠、あるいは全身全霊をかけて競い合ったライバルや共に励まし合った親友・・・。人は別の誰かの生き方や信念を、いわば“遺伝子”として受け継ぎながら、自分の人生を歩んでいます。
「こころの遺伝子」は、様々な分野で活躍する人々の“運命の人”を探り出し、影響を与えた言葉や生き方を 解き明かすことで、視聴者にも前向きに生きるヒントを受け取ってもらう新番組。現在の活躍の影にあった苦悩の日々と、そこに光を与えてくれた人物との出会 いの物語をVTRとスタジオトークでドラマチックにあぶり出します。
放送日時
総合テレビ 毎週月曜 午後10:00~10:48
再放送
総合テレビ 毎週水曜(火曜深夜) 午前0:15~1:03 ※近畿・北海道エリアは別番組
BS2 毎週月曜 午前11:00~11:48
http://www.nhk.or.jp/idenshi/index.html
この番組のテーマソングが、アンジェラ・アキさんの「輝く人」です。アンジェラ・アキさんは、番組へ次のようなメッセージを寄せています。
NHKの新番組「こころの遺伝子」のテーマソングを担当させていただき、とても光栄に思っています。また、私も第3回目のゲストと して出演させていただくことになっており、すでに取材も始まっています。その中で、この番組は、「人の繋がり」をテーマにしたものであると感じました。
『輝く人』という曲の中に「輝く人は自分の中に 必ずいると信じている」というフレーズがあります。これは「自分を信じて生きていく」というメッセージを込めたものですが、これまで私を支えてくれた人々からの励ましの言葉や愛が、音楽として結実したものだと感じています。私がミュー ジシャンとしてデビューできるかどうか、迷い、もがいていた時期に、周囲の人々がくれた言葉が『輝く人』という曲になったと思うのです。
テーマソング『輝く人』を通じて、「自分を信じて生きていく」という想いを伝えられたら、これほど幸せなことはありません。番組を通じ、視聴者の方々との間に、新しい「人の繋がり」が生まれることを願っています。(2010年 春 アンジェラ・アキ)
輝く人-アンジェラ・アキ (作詞・作曲:アンジェラ・アキ)
安全地帯の家を出て 鞄を両手に抱えて
毎朝歩く孤独の一本道(Um)
太陽が僕を見捨てて 自分の影が薄れていく
誰も気づかないけれど この胸は泣いている
輝く人になりたくて
目を閉じて想像してみる
たくさん笑い 恋もしたり
きっと幸せだろう 幸せだろう
言葉が僕を見捨てて 届かぬ思いだけを残す
誰も聞こえないけれど この胸は叫んでいる
輝く人になりたくて
目を閉じて想像してみる
たくさん笑い 夢も見たり
きっと幸せだろう 幸せだろう
鏡に映る自分が嫌いですか、好きですか?
(You gotta learn to love yourself)
人に見られる自分は 鏡に映る自分だから
輝く人になりたくて 目を閉じて想像してみる
輝く人は自分の中で
見つけ出さなきゃいけないから
透き通る瞳を逸らさないで 逸らさないで
輝く人は自分の中に 必ずいると信じてる
たくさん笑い 夢も見たり きっと幸せになれるだろう
いつの日か この僕も
安全地帯の家を出て 鞄を両手に抱えて
毎朝歩く孤独の一本道(Um)
太陽が僕を見捨てて 自分の影が薄れていく
誰も気づかないけれど この胸は泣いている
輝く人になりたくて
目を閉じて想像してみる
たくさん笑い 恋もしたり
きっと幸せだろう 幸せだろう
言葉が僕を見捨てて 届かぬ思いだけを残す
誰も聞こえないけれど この胸は叫んでいる
輝く人になりたくて
目を閉じて想像してみる
たくさん笑い 夢も見たり
きっと幸せだろう 幸せだろう
鏡に映る自分が嫌いですか、好きですか?
(You gotta learn to love yourself)
人に見られる自分は 鏡に映る自分だから
輝く人になりたくて 目を閉じて想像してみる
輝く人は自分の中で
見つけ出さなきゃいけないから
透き通る瞳を逸らさないで 逸らさないで
輝く人は自分の中に 必ずいると信じてる
たくさん笑い 夢も見たり きっと幸せになれるだろう
いつの日か この僕も
2010年5月19日水曜日
不平を言わずに行動を起こす
人は誰でも、ときには不平を言うものだ。問題はどれくらいひんぱんに不平を言うかである。周囲の人たちから「不平不満が多い」とよく言われるのなら、あなたは自分がよく不平を言っていることを認めるべきだ。
不平を言うことは生産的ではない。いくら不平を言っても状況は変わらないからだ。たとえば、「仕事が楽しくない」と不平を言っても、仕事が楽しくなるわけではない。それどころか、不平を言うことで心がネガティブになってしまい、ますます仕事が苦痛になる。景気や気候についても同様だ。
不平を言うことのもうひとつの問題は、そうすることで自分のエネルギーを消耗し、周囲の人たちのエネルギーも低下させてしまうことである。誰もあなたのネガティブな発言を聞きたくはない。
状況について不平を言うのではなく、自分の状況を改善するのに役立つポジティブなことをしよう。仕事が楽しくないなら、やり方を工夫したり自分のスキルを磨いたりして、仕事が楽しくなるような行動を起こすことが大切だ。
不平を言うことは生産的ではない。いくら不平を言っても状況は変わらないからだ。たとえば、「仕事が楽しくない」と不平を言っても、仕事が楽しくなるわけではない。それどころか、不平を言うことで心がネガティブになってしまい、ますます仕事が苦痛になる。景気や気候についても同様だ。
不平を言うことのもうひとつの問題は、そうすることで自分のエネルギーを消耗し、周囲の人たちのエネルギーも低下させてしまうことである。誰もあなたのネガティブな発言を聞きたくはない。
状況について不平を言うのではなく、自分の状況を改善するのに役立つポジティブなことをしよう。仕事が楽しくないなら、やり方を工夫したり自分のスキルを磨いたりして、仕事が楽しくなるような行動を起こすことが大切だ。
2010年5月18日火曜日
国立大学法人の中期計画
国立大学法人の中期計画 (日本福祉大学常任理事 篠田道夫)
中期目標と中期計画の関係
4月より、2010年度からの新たな中期目標、中期計画がスタートした。法人・大学が達成すべき中期目標は、文部科学大臣が定める。これに対し、その達成のための具体的な方針である中期計画は、各法人が定める。これが6年間の法人の進むべき道筋を指し示すものであり、これに基づいて評価され、資源配分の基準ともなる。その意味で、法人運営の根幹である。
しかしこれは、法人化にあたっての大きな論点の一つであり「文部科学大臣は、中期目標を定め、またこれを変更しようとするときは、あらかじめ国立大学法人等の意見を聞かなければならない」と明文化することで決着したいきさつがある。
大学の側から見ればこれまでの強い管理や制約から各大学の個性に見合った自由な運営に転換したいところだし、国からみれば、全体改革推進のための目標を定め、評価・管理すること、そのための自律的管理体制の確立だということだ。しかし、国の政策目標達成の対象とすべき目標設定と大学内部の教学運営にかかわる目標設定とは自ずと異なり、あらゆる事項を目標管理の対象とすべきではないという意見は今でも根強い。
中期計画策定作業の改善
ただ、法人化スタートに当たっての、実際の計画策定作業は、中期目標の原案が示されてからわずか2カ月の猶予しかなく、至上命令である提出期限に向けて、目標項目に計画を当てはめていく作業にならざるを得なかったようだ。そのため、名前を隠せばどの大学の中期計画かわからない、とも言われるように、大学ごとのミッションや特性を鮮明に打ち出す点では不十分だった。当然、現場の実情や課題を良く分析し、大学構成員の知恵を集めて作成するという点でも限界を持っていた。しかも項目数は、最小でも70、最大で350にのぼり、それをさらに年度計画に落とし込んでいくと、膨大な量にならざるを得ない。それが評価作業に跳ね返って、膨大な資料と関連データの準備という悪循環につながっている。
このあたりが第二期の目標設定ではずいぶん改善された。文科省の「第二期の目標設計」によると、「一定の目標を設定し、これを達成すべく自律的な業務運営を行っていく」点で「中期目標・中期計画は大きな意義を有して」り、「大学の機能別分化も視野に入れつつ、それぞれのミッションに照らした役割を踏まえ」たものに改善していくと提起した。このため計画は、特色・個性化を図るべき事項を中心とし、すべての活動分野の記載は不要としたこと、「記載事項の例」を示さないことによって横並びを防ぐこと、項目数の目安を約100項目としたこと、大学全体の目標を中心とし、部局ごとの計画提示は精選すること、などとした。これにより第一期と比較して、1)各大学の個性化の促進、2)精選化により質の高い評価の実現、3)計画化や評価の作業量の軽減を目指す。本来の中期計画、戦略形成の方向に確実に前進していることが見て取れる。
計画に基づく先進的改革
しかし、限界があると言われた第一期の中期計画も多くの先進的側面を持っている。公開されている各大学のホームページで見ると、私学でもなかなか実施が難しい教員の任期制や評価制度の導入、あるいは学生の就職率など数値を掲げた目標設定がされているものも多い。さらには、キャリアセンターや学習相談センターの設置、学生の個人指導・援助の徹底や授業公開など改革の最先端を行くもので、決して私学の後追い、などと侮れるものではない。すべての国立大学が一斉に改革目標を掲げ、実践している状況は、明確な目標や計画を持つのが半数程度という私大と対比しても、想像以上に大きな力を持つことは確かだ。
年度ごとの国大法人評価委員会による経営計画達成度評価でも、総じて計画は順調に実施されているとのことだ。「特筆すべき進捗状況にある」と評価された法人も多く、例えば新潟大学では、学内の組織ごとに収入目標額を設定し、達成度に応じて翌年の予算を増減させる仕組みをつくり上げたとか、岐阜大学は、教員の定員管理をポイント制というものに移行をさせて、計画的な管理と圧縮を図る仕組みをつくったとか、教員の個人評価に基づいて選択定年制を導入するなど教員人事制度改革を実施した等。
また、九州大学は研究者の評価情報をインターネットで公開し、福井大学は若手教員に学内公募で配分する研究費枠を新たに設けるなど、いずれも先進的な改革を行い、優れた成果を挙げている。
先述の「第二期の目標設定」でも「学長のリーダーシップのもとで、法人化のメリットを生かして」改革が進み「教職員の新たな人事評価制度を構築し、評価結果を給与等処遇に反映させる」「先進的に財務分析を行い、その結果を法人運営の改善に活用する」「ITを活用して中期計画・年度計画の進捗状況管理や評価作業の効率化を先進的に実施する」など全体として成果を上げていると評価している。
目標達成を支える経営、財政計画
しかし、実際にこの計画なり目標をやりとげていくためには、いくつかの条件がある。
第一に、こうした政策が全学に共有され、構成員の活動の指針として機能しているかどうか、第二に、財政や人事が、計画が掲げる目的実現に向かって統制されているか、第三には、前号でも述べた改革を決定し、執行する経営体制、管理運営機構が有効に動いているのかどうかなどである。
中期目標が全学の旗印として役割を果たすためには、やはり、トップのリーダーシップとともに、構成員の知恵を集め、現場実態を踏まえた実行性のある内容にするための策定過程が大切で、これが政策を共有するベースにもなる。
二つめには改革推進型の財政運営の確立という点だ。国立大学は、私大に比して強い財政力を持つが、問題はこうした財政の投下の仕組みが、単なる割り振り型の予算配分から、政策目標の実現にシフトした重点型になっているか、という点だ。
また、こうした財源をつくりだす仕組みが通り一遍の経費削減から、本丸の人件費削減に踏み込んでいるのか、あるいは全体のどんぶり勘定の財政ではなくて、部門別の収支管理だとか、財政指標に基づいた運営や評価がなされているかどうかが問われる。学費以外の収入がほとんど無い私学では、この点が常に問われる経営の中枢課題だ。
天野郁夫氏は、日経新聞で「中期計画とは別途に、長期的な経営計画を策定することが差し迫って必要」としてバックボーンとなる経営政策の重要性を指摘した。どんな立派なプランもそれを実現させていく財政・人事や決定・遂行システムなしには機能しない。中期計画はいわば表の顔で、それを実践するためには、どうしてもヒト・モノ・カネを再配分、重点投下しなければならない。
ところが、国立大学も毎年予算が削減され、私学もまた入学者減で同じ状況にある。こうした右肩下がりの時代の重点課題への資源の集中には、経費削減とか、人員減とか、事業の見直し、圧縮とかが不可欠となる。既得権益や利害に絡む提起をせざるを得ず、当然抵抗も大きいが、これをやり遂げない限り、中期目標の達成はおぼつかない。
重点課題に、資金や人員を集中するための経営計画の確立と断行が勝負の要となる。(文部科学教育通信 No243 2101.5.10)
中期目標と中期計画の関係
4月より、2010年度からの新たな中期目標、中期計画がスタートした。法人・大学が達成すべき中期目標は、文部科学大臣が定める。これに対し、その達成のための具体的な方針である中期計画は、各法人が定める。これが6年間の法人の進むべき道筋を指し示すものであり、これに基づいて評価され、資源配分の基準ともなる。その意味で、法人運営の根幹である。
しかしこれは、法人化にあたっての大きな論点の一つであり「文部科学大臣は、中期目標を定め、またこれを変更しようとするときは、あらかじめ国立大学法人等の意見を聞かなければならない」と明文化することで決着したいきさつがある。
大学の側から見ればこれまでの強い管理や制約から各大学の個性に見合った自由な運営に転換したいところだし、国からみれば、全体改革推進のための目標を定め、評価・管理すること、そのための自律的管理体制の確立だということだ。しかし、国の政策目標達成の対象とすべき目標設定と大学内部の教学運営にかかわる目標設定とは自ずと異なり、あらゆる事項を目標管理の対象とすべきではないという意見は今でも根強い。
中期計画策定作業の改善
ただ、法人化スタートに当たっての、実際の計画策定作業は、中期目標の原案が示されてからわずか2カ月の猶予しかなく、至上命令である提出期限に向けて、目標項目に計画を当てはめていく作業にならざるを得なかったようだ。そのため、名前を隠せばどの大学の中期計画かわからない、とも言われるように、大学ごとのミッションや特性を鮮明に打ち出す点では不十分だった。当然、現場の実情や課題を良く分析し、大学構成員の知恵を集めて作成するという点でも限界を持っていた。しかも項目数は、最小でも70、最大で350にのぼり、それをさらに年度計画に落とし込んでいくと、膨大な量にならざるを得ない。それが評価作業に跳ね返って、膨大な資料と関連データの準備という悪循環につながっている。
このあたりが第二期の目標設定ではずいぶん改善された。文科省の「第二期の目標設計」によると、「一定の目標を設定し、これを達成すべく自律的な業務運営を行っていく」点で「中期目標・中期計画は大きな意義を有して」り、「大学の機能別分化も視野に入れつつ、それぞれのミッションに照らした役割を踏まえ」たものに改善していくと提起した。このため計画は、特色・個性化を図るべき事項を中心とし、すべての活動分野の記載は不要としたこと、「記載事項の例」を示さないことによって横並びを防ぐこと、項目数の目安を約100項目としたこと、大学全体の目標を中心とし、部局ごとの計画提示は精選すること、などとした。これにより第一期と比較して、1)各大学の個性化の促進、2)精選化により質の高い評価の実現、3)計画化や評価の作業量の軽減を目指す。本来の中期計画、戦略形成の方向に確実に前進していることが見て取れる。
計画に基づく先進的改革
しかし、限界があると言われた第一期の中期計画も多くの先進的側面を持っている。公開されている各大学のホームページで見ると、私学でもなかなか実施が難しい教員の任期制や評価制度の導入、あるいは学生の就職率など数値を掲げた目標設定がされているものも多い。さらには、キャリアセンターや学習相談センターの設置、学生の個人指導・援助の徹底や授業公開など改革の最先端を行くもので、決して私学の後追い、などと侮れるものではない。すべての国立大学が一斉に改革目標を掲げ、実践している状況は、明確な目標や計画を持つのが半数程度という私大と対比しても、想像以上に大きな力を持つことは確かだ。
年度ごとの国大法人評価委員会による経営計画達成度評価でも、総じて計画は順調に実施されているとのことだ。「特筆すべき進捗状況にある」と評価された法人も多く、例えば新潟大学では、学内の組織ごとに収入目標額を設定し、達成度に応じて翌年の予算を増減させる仕組みをつくり上げたとか、岐阜大学は、教員の定員管理をポイント制というものに移行をさせて、計画的な管理と圧縮を図る仕組みをつくったとか、教員の個人評価に基づいて選択定年制を導入するなど教員人事制度改革を実施した等。
また、九州大学は研究者の評価情報をインターネットで公開し、福井大学は若手教員に学内公募で配分する研究費枠を新たに設けるなど、いずれも先進的な改革を行い、優れた成果を挙げている。
先述の「第二期の目標設定」でも「学長のリーダーシップのもとで、法人化のメリットを生かして」改革が進み「教職員の新たな人事評価制度を構築し、評価結果を給与等処遇に反映させる」「先進的に財務分析を行い、その結果を法人運営の改善に活用する」「ITを活用して中期計画・年度計画の進捗状況管理や評価作業の効率化を先進的に実施する」など全体として成果を上げていると評価している。
目標達成を支える経営、財政計画
しかし、実際にこの計画なり目標をやりとげていくためには、いくつかの条件がある。
第一に、こうした政策が全学に共有され、構成員の活動の指針として機能しているかどうか、第二に、財政や人事が、計画が掲げる目的実現に向かって統制されているか、第三には、前号でも述べた改革を決定し、執行する経営体制、管理運営機構が有効に動いているのかどうかなどである。
中期目標が全学の旗印として役割を果たすためには、やはり、トップのリーダーシップとともに、構成員の知恵を集め、現場実態を踏まえた実行性のある内容にするための策定過程が大切で、これが政策を共有するベースにもなる。
二つめには改革推進型の財政運営の確立という点だ。国立大学は、私大に比して強い財政力を持つが、問題はこうした財政の投下の仕組みが、単なる割り振り型の予算配分から、政策目標の実現にシフトした重点型になっているか、という点だ。
また、こうした財源をつくりだす仕組みが通り一遍の経費削減から、本丸の人件費削減に踏み込んでいるのか、あるいは全体のどんぶり勘定の財政ではなくて、部門別の収支管理だとか、財政指標に基づいた運営や評価がなされているかどうかが問われる。学費以外の収入がほとんど無い私学では、この点が常に問われる経営の中枢課題だ。
天野郁夫氏は、日経新聞で「中期計画とは別途に、長期的な経営計画を策定することが差し迫って必要」としてバックボーンとなる経営政策の重要性を指摘した。どんな立派なプランもそれを実現させていく財政・人事や決定・遂行システムなしには機能しない。中期計画はいわば表の顔で、それを実践するためには、どうしてもヒト・モノ・カネを再配分、重点投下しなければならない。
ところが、国立大学も毎年予算が削減され、私学もまた入学者減で同じ状況にある。こうした右肩下がりの時代の重点課題への資源の集中には、経費削減とか、人員減とか、事業の見直し、圧縮とかが不可欠となる。既得権益や利害に絡む提起をせざるを得ず、当然抵抗も大きいが、これをやり遂げない限り、中期目標の達成はおぼつかない。
重点課題に、資金や人員を集中するための経営計画の確立と断行が勝負の要となる。(文部科学教育通信 No243 2101.5.10)
2010年5月17日月曜日
国立大学法人のマネジメント
国立大学法人のマネジメント(日本福祉大学常任理事 篠田道夫)
国立大学法人化の3つの柱
国立大学の法人化は、規制緩和と競争激化の流れの中で、自律的に改革を推進するシステムとして登場してきたと言える。その運営は、三つの柱から成り立っている。
第一は学長への権限の集中によるマネジメントであり、第二は中期計画を軸とする政策に基づく自律的運営の拡大であり、第三はそれに基づく目標管理と評価である。三回の連載で、この三つをテーマにマネジメント改革としての法人化の意義と課題を考えてみたい。
学長権限の確立、選任制度
法人化により学長は法人の長となり、教学・経営両面での最高責任者として強い権限を持つこととなった。法人化以前の、大学を代表しながらも人事権も予算編成権も不十分で、学部長や事務局長が強い影響力を持っていた時代とは大きく変わった。
新設の役員会は決定機関として、年度計画、予算、さらに今までは主に教学側で審議されていた「学部、学科その他の重要な組織の設置」(国立大学法人法第11条2の4)など重要事項を審議、決定できるようになった。経営協議会の半数は学外委員による構成となり、企業等の最新の経営管理手法が導入できる。意思決定の複雑な階層化の中でダイナミックな改革の難しかった国立大学にとって、トップの強い権限の確保と法人機関の専決・執行領域の拡大は、改革の前進に大きな意義を持つ。
国立大学の学長は、私立大学でいう理事長・学長兼務体制で、政策統一や一元的な運営にとって、人を得られれば強い力を発揮する仕組みだ。東北大学のように学長選挙をなくして学内、学外者で構成する学長選考会議が中心的役割を果たすところも現れた。経営能力のある実力派リーダーを選び出すシステムが、学内の声をうまく取り入れながら機能すれば、現在の私学のトップの育成や選抜よりさらに進んだ仕組みとなりうる。ただ、ほとんどの大学が意向投票を行っており、その点では法人化以前と変わらないとも言える。しかし、意向投票の結果にもかかわらず、一位以外の人を学長選任した大学もあり、裁判になってもいるが、選考会議の力は確実に強まりつつあると言える。
役員会、経営協議会の強化
学長機能を支える役員会は重要だ。学長任命で編成できるため、部局の代表者だけでなく、中期計画の理念を共有できる実力のある教員、そして職員や外部人材も加えられる。学長の政策決定を支えるとともに、特にその執行管理をサポートし、学長の意思を実現する先に立たなければならない。
その点では、理事の構成とその分担責任体制も大切だ。大学の規模により理事定数は2人から8人の間だが、私立大学のような創立以来のしがらみがない分、経験や得意分野を生かした強力なスタッフ編成や業務分担ができる。
経営協議会は、半分を学外委員で構成することが法律で定められており、ここを通さねば経営案件の決定ができないことから、積極的に経営改革に活用すべきだ。経営協議会の学外委員は、アンケート(2008年5月9日付日本経済新聞)によると、重要事項の審議に意見が反映されたという声が60%なのに対し、十分でないとしたのも35%近くに上った。理事の20%近くは企業などから起用されているが、多くは非常勤で、必ずしも経営中枢の政策遂行に影響を及ぼす形にはなっておらず、学外者の活用が課題だ。
教授会や部局長会への政策浸透
中期目標に沿って事業を遂行していく点で、法人化前まで、大学の実質的決定に大きな力を持っていた教授会や部局長会が、どのような役割を担い運営されているか、また、教学トップとこの現場との政策統合を機構上どう位置づけるか、この統治の仕組みが極めて重要だ。しかし、この教授会や部局長会についての定めが、法人法ではなされていないのが致命的弱点だ。慣例のまま部局長会を設置しているところも多いようだが、法的位置づけがなければ、評議会と学部をつなぐ橋渡し機能も果たせないし、議論がいたずらに時間の浪費となる場合もある。学長や役員会でいかに迅速な意思決定ができても、それが教学や業務遂行の現場(部局)に貫徹されなければ意味がない。
この点では、学長が統括する「教育研究評議会」などトップと現場を結ぶ機関が、学内教学の基本方向を定め、具体化していく上でいかなる権限と実効性を持ち得るのか、この教学統治の実質化が重要だ。私立大学でも経営と教学の一体的な政策立案とその貫徹は、常に大学運営の中心問題の一つであり続けた。役員と現場をどうつなぐか、部局の自律性を適切に担保しながらも、大学全体の政策にどう効率的に統合できるか、本部と部局の関係は、引き続き法人運営の中心問題の一つである。
集中と分散のマネジメント
『IDE・現代の高等教育』2006年1月号は「学長の可能性」という特集で、学長の役割やリーダーシップについて東京大学の小宮山宏前総長や慶應義塾大学の安西祐一郎前塾長、『落下傘学長奮戦記』(中公新書ラクレ)の著者で岐阜大学前学長の黒木登志夫氏などが語っているが、結局トップダウンとボトムアップの接合なり、バランスという点が共通して強調されている。
厳しい経営環境の中では、当然ながら各学部の利益を超えて、長期的視野で大きな方向を定め、ビジョンを提起し、痛みの伴う改革を揺ぎなく進めるトップのリーダーシップが非常に重要だ。他方、大学はトップダウンだけでは駄目で、個人の能力や意欲という要素が大切であり、集中型と分散型のマネジメントを上手くバランスさせていかなければならない。小宮山氏の「自律・分散・協調系」という提起も、自律して存在し、分散して動いているのだけれども、最終的には、一つの目的に向かって協調していくような仕掛けづくり、リーダーシップが求められているという。
しかし、それを実際どうつくるのか、具体論の展開は不十分だ。つまりトップと部局をつなぐシステムや権限の有り様がはっきりしない。トップの政策とボトムの現実を接合させる結び目にいる機関が、どのような形で学内を統合し、また構成員の知恵も集められるか、この具体的な仕組みづくりが求められる。
業務遂行責任体制の確立
それからもう一つは、基本政策と現場の業務を結び合わせる幹部の役割だ。東京大学の佐々木毅元総長が日経新聞で述べた言葉を引用すると、「各法人の経営力を左右する具体的課題での改革推進には、『憎まれ役』を担う人材がなければ極めて困難であり、私の体験によれば、細部の議論になればなるほど、執行部の評判は芳しくなかった」(『国立大学の法人化から1年』2005年4月25日)。「憎まれ役」、つまり、その課題を実際に責任を持って執行する、そういう人材が不足しているということだ。
総論は賛成だけれども各論になると反対では、具体化が進まない。これを打ち破るには政策と業務の結び目にいる役員の責任体制だとか、幹部職員の経営力量や政策力量が、非常に大きな課題として出てくる。政策に掲げた課題や目標が、実際に現場で働く職員、部課長の確信になり、業務課題に落ちているのか、目標の実現に向かって業務や人事が組織されているのかが問われている。もちろん、これも私学と共通の課題だ。(文部科学教育通信No242 2010.4.26)
国立大学法人化の3つの柱
国立大学の法人化は、規制緩和と競争激化の流れの中で、自律的に改革を推進するシステムとして登場してきたと言える。その運営は、三つの柱から成り立っている。
第一は学長への権限の集中によるマネジメントであり、第二は中期計画を軸とする政策に基づく自律的運営の拡大であり、第三はそれに基づく目標管理と評価である。三回の連載で、この三つをテーマにマネジメント改革としての法人化の意義と課題を考えてみたい。
学長権限の確立、選任制度
法人化により学長は法人の長となり、教学・経営両面での最高責任者として強い権限を持つこととなった。法人化以前の、大学を代表しながらも人事権も予算編成権も不十分で、学部長や事務局長が強い影響力を持っていた時代とは大きく変わった。
新設の役員会は決定機関として、年度計画、予算、さらに今までは主に教学側で審議されていた「学部、学科その他の重要な組織の設置」(国立大学法人法第11条2の4)など重要事項を審議、決定できるようになった。経営協議会の半数は学外委員による構成となり、企業等の最新の経営管理手法が導入できる。意思決定の複雑な階層化の中でダイナミックな改革の難しかった国立大学にとって、トップの強い権限の確保と法人機関の専決・執行領域の拡大は、改革の前進に大きな意義を持つ。
国立大学の学長は、私立大学でいう理事長・学長兼務体制で、政策統一や一元的な運営にとって、人を得られれば強い力を発揮する仕組みだ。東北大学のように学長選挙をなくして学内、学外者で構成する学長選考会議が中心的役割を果たすところも現れた。経営能力のある実力派リーダーを選び出すシステムが、学内の声をうまく取り入れながら機能すれば、現在の私学のトップの育成や選抜よりさらに進んだ仕組みとなりうる。ただ、ほとんどの大学が意向投票を行っており、その点では法人化以前と変わらないとも言える。しかし、意向投票の結果にもかかわらず、一位以外の人を学長選任した大学もあり、裁判になってもいるが、選考会議の力は確実に強まりつつあると言える。
役員会、経営協議会の強化
学長機能を支える役員会は重要だ。学長任命で編成できるため、部局の代表者だけでなく、中期計画の理念を共有できる実力のある教員、そして職員や外部人材も加えられる。学長の政策決定を支えるとともに、特にその執行管理をサポートし、学長の意思を実現する先に立たなければならない。
その点では、理事の構成とその分担責任体制も大切だ。大学の規模により理事定数は2人から8人の間だが、私立大学のような創立以来のしがらみがない分、経験や得意分野を生かした強力なスタッフ編成や業務分担ができる。
経営協議会は、半分を学外委員で構成することが法律で定められており、ここを通さねば経営案件の決定ができないことから、積極的に経営改革に活用すべきだ。経営協議会の学外委員は、アンケート(2008年5月9日付日本経済新聞)によると、重要事項の審議に意見が反映されたという声が60%なのに対し、十分でないとしたのも35%近くに上った。理事の20%近くは企業などから起用されているが、多くは非常勤で、必ずしも経営中枢の政策遂行に影響を及ぼす形にはなっておらず、学外者の活用が課題だ。
教授会や部局長会への政策浸透
中期目標に沿って事業を遂行していく点で、法人化前まで、大学の実質的決定に大きな力を持っていた教授会や部局長会が、どのような役割を担い運営されているか、また、教学トップとこの現場との政策統合を機構上どう位置づけるか、この統治の仕組みが極めて重要だ。しかし、この教授会や部局長会についての定めが、法人法ではなされていないのが致命的弱点だ。慣例のまま部局長会を設置しているところも多いようだが、法的位置づけがなければ、評議会と学部をつなぐ橋渡し機能も果たせないし、議論がいたずらに時間の浪費となる場合もある。学長や役員会でいかに迅速な意思決定ができても、それが教学や業務遂行の現場(部局)に貫徹されなければ意味がない。
この点では、学長が統括する「教育研究評議会」などトップと現場を結ぶ機関が、学内教学の基本方向を定め、具体化していく上でいかなる権限と実効性を持ち得るのか、この教学統治の実質化が重要だ。私立大学でも経営と教学の一体的な政策立案とその貫徹は、常に大学運営の中心問題の一つであり続けた。役員と現場をどうつなぐか、部局の自律性を適切に担保しながらも、大学全体の政策にどう効率的に統合できるか、本部と部局の関係は、引き続き法人運営の中心問題の一つである。
集中と分散のマネジメント
『IDE・現代の高等教育』2006年1月号は「学長の可能性」という特集で、学長の役割やリーダーシップについて東京大学の小宮山宏前総長や慶應義塾大学の安西祐一郎前塾長、『落下傘学長奮戦記』(中公新書ラクレ)の著者で岐阜大学前学長の黒木登志夫氏などが語っているが、結局トップダウンとボトムアップの接合なり、バランスという点が共通して強調されている。
厳しい経営環境の中では、当然ながら各学部の利益を超えて、長期的視野で大きな方向を定め、ビジョンを提起し、痛みの伴う改革を揺ぎなく進めるトップのリーダーシップが非常に重要だ。他方、大学はトップダウンだけでは駄目で、個人の能力や意欲という要素が大切であり、集中型と分散型のマネジメントを上手くバランスさせていかなければならない。小宮山氏の「自律・分散・協調系」という提起も、自律して存在し、分散して動いているのだけれども、最終的には、一つの目的に向かって協調していくような仕掛けづくり、リーダーシップが求められているという。
しかし、それを実際どうつくるのか、具体論の展開は不十分だ。つまりトップと部局をつなぐシステムや権限の有り様がはっきりしない。トップの政策とボトムの現実を接合させる結び目にいる機関が、どのような形で学内を統合し、また構成員の知恵も集められるか、この具体的な仕組みづくりが求められる。
業務遂行責任体制の確立
それからもう一つは、基本政策と現場の業務を結び合わせる幹部の役割だ。東京大学の佐々木毅元総長が日経新聞で述べた言葉を引用すると、「各法人の経営力を左右する具体的課題での改革推進には、『憎まれ役』を担う人材がなければ極めて困難であり、私の体験によれば、細部の議論になればなるほど、執行部の評判は芳しくなかった」(『国立大学の法人化から1年』2005年4月25日)。「憎まれ役」、つまり、その課題を実際に責任を持って執行する、そういう人材が不足しているということだ。
総論は賛成だけれども各論になると反対では、具体化が進まない。これを打ち破るには政策と業務の結び目にいる役員の責任体制だとか、幹部職員の経営力量や政策力量が、非常に大きな課題として出てくる。政策に掲げた課題や目標が、実際に現場で働く職員、部課長の確信になり、業務課題に落ちているのか、目標の実現に向かって業務や人事が組織されているのかが問われている。もちろん、これも私学と共通の課題だ。(文部科学教育通信No242 2010.4.26)
2010年5月13日木曜日
読書する
成功するための最善の投資の一つは、本を読んで心を豊かにすることである。仕事で昇進する人たちは、ほとんどが読書家だ。彼らは自分を鼓舞してくれる自己啓発書や伝記、仕事のスキルを伸ばすのに役立つビジネス書を読んでいる。
成功者から学べることはたくさんある。彼らが成功を手にするために使った方法を記した本を読んで学べば、自分で試行錯誤しなくても済む。成功者がすでに持っている知識を生かすのは理にかなっている。
一日の初めに、ポジティブな本を読むといい。そうすれば、新しい一日を過ごすにあたって、ポジティブな気分になることができる。テレビやラジオ、新聞などを通じてネガティブな話にふれるよりははるかにいい方法だ。
先ほどは挙げなかったが、小説を読むこともなんら間違ってはいない。人間の心の動きについて洞察を深めることができるからだ。しかし、心の持ち方をポジティブにしたり仕事のスキルを伸ばしたりできるわけではない。自己啓発書やビジネス書を読む時間をとることが重要なのは、そういうわけである。
成功者から学べることはたくさんある。彼らが成功を手にするために使った方法を記した本を読んで学べば、自分で試行錯誤しなくても済む。成功者がすでに持っている知識を生かすのは理にかなっている。
一日の初めに、ポジティブな本を読むといい。そうすれば、新しい一日を過ごすにあたって、ポジティブな気分になることができる。テレビやラジオ、新聞などを通じてネガティブな話にふれるよりははるかにいい方法だ。
先ほどは挙げなかったが、小説を読むこともなんら間違ってはいない。人間の心の動きについて洞察を深めることができるからだ。しかし、心の持ち方をポジティブにしたり仕事のスキルを伸ばしたりできるわけではない。自己啓発書やビジネス書を読む時間をとることが重要なのは、そういうわけである。
2010年5月12日水曜日
実りある大学評価とするために
大学人であれば誰しも、何がしかの評価は必要と考えています。でも、それは、将来に向かって意義のあるものでなければなりません。その光が見えていれば多少の苦労はいとわないと思います。
文部科学省所管の独立行政法人大学評価・学位授与機構が、国立大学法人評価委員会の下請け評価や高等教育機関の認証評価を実施することになった際懸念されたことの一つに、文部科学省による政策誘導というものがあります。
現に、評価を行う機構側にも、国立大学法人の現場にも、多くの文部科学省からの出向者が配置されており、評価という手法を使った文部科学省による実質的な支配が行われているとの見方があっても不思議ではありません。
そうならないための工夫や説明責任は、評価をする側にも受ける側にも必要です。せっかくの評価を徒労に終わらせないためにもそれぞれが真剣に考えていくべき課題の一つだろうと思います。
【正論】精神科医、国際医療福祉大学教授・和田秀樹(2010年5月11日産経新聞)
「大学評価」の基準が分からない
国立大学86法人の教育研究活動や業務運営について文部科学省が具体的な数値で総合評価を行い、その結果が明らかにされた。同省は次年度から大学への運営費交付金の配分に、この評価結果を反映させるとのことだ。
トップになった奈良先端科学技術大学院が一躍注目を浴びる一方で、すでに潤沢な予算が与えられている東京大学が6位、京都大学は10位にとどまる。弘前大学が最下位の汚名に甘んじた。
≪交付金からめる手法に疑問≫
わが国ではこれまで、きちんとした大学評価が行われていなかった。毎年のランキング発表でトップ校がめまぐるしく変わるアメリカと異なり、偏差値による大学序列化が続く現状を考えると好ましいことかもしれない。しかし、今回の大学評価には、いくつかの疑問が残る。
最大の問題点は、3月の発表以来いまだに評価基準や具体的な評価方法が明らかにされていないことだ。評点のみが独り歩きし、何を基準に、どんな成果でいかなる評点が得られるのかが、現時点では明らかになっていない。
実際のところ、今回は教育内容や研究業績の優劣の評価ではないようだ。各大学の中期目標計画に照らし合わせ、2004~07年度の取り組みを個別に評価した、と発表しているだけである。この文面を読む限りでは、目標や計画が高邁(こうまい)なものであっても、達成度が低ければ悪い評価がつくようにも読める。つまり、客観基準でもないものをいたずらに発表し、さらに交付金に影響を与えると表明するのはいかがなものだろうか。
≪科学的・客観的なものでない≫
評価を行ったのは、国立大学法人評価委員会と文科省管轄の特殊法人である大学評価・学位授与機構とのことであるが、少なくとも後者について、筆者はこれまでも、その主観的な評価姿勢に疑問を持ったことがある。
かつて京都大学の医学部が、短時間の面接で医師の適性など分からないと、入試面接をしなかったところ、大学評価・学位授与機構が最低の評価をつけると公言したことがあった。結果的に京都大学は入試面接を始めたが、依然として、入試面接に対する疑問がぬぐい去られていない。
実際のところ、数分の面接で医師としての適性を判断することは困難であろう。われわれ精神科医でさえ短時間面接では患者さんの人となりはおろか、診断も困難なのだから当然のことである。また医学部への入試の場合は、医師国家試験とは異なり、すべての受験者が臨床医になるわけではない。研究医を目指す受験生にまで面接が必要かどうか疑問が残る。
現在では、東京大学をはじめとして、いくつかの大学医学部で入試面接が廃止されている。入試面接が名医養成に寄与するという有力な証拠や調査研究もないのだ。つまり、そうしたところに重きを置いて、正当な大学の評価、少なくとも数値化した科学的、客観的評価ができるのだろうか。
≪文科省の支配力強める心配≫
さらに心配なのは、文部科学省の大学支配がますます強まる兆しのあることである。そのことによって今後、各大学が個性や特色を出さなければならない時代に、文科省の顔色を窺(うかが)うようになるのではないかということである。
各省庁の天下りについて批判が高まっている。ところが、文部科学省のお役人たちが簡単に大学教授として迎え入れられるケースが少なくない。なかなか就職口が見つからない優秀な大学院生や博士号取得者の、いわゆるオーバードクターの問題を尻目に、学位も持たない、論文もあまり書いていないような文科省OBが大学教授に就任するというのは天下りといわれても仕方ないだろう。
国立大学は独立法人化によって、文科省からの交付金をあてにしないと経営が成り立たない。その交付元の人たちが簡単に、大学の重職につく構図は天下りそのものではないか。そして、その交付元であるお役所が評価基準も曖昧(あいまい)なまま、それによって交付金に反映させるのであるから、大学側の複雑な心理は痛いほどわかる。
実際に、東北地方のある大学では事実上、教育歴のない文科省の高級幹部だった人が学長に就任した。選考手続きは踏んでいるものの、国家の支配が強かった戦前でも異例のことである。
世界の趨勢(すうせい)を考えると、大学の外部評価は必須のものになりつつある。しかし、日本のこのような現状の中では、その信頼性は強く疑われてしまう。
筆者は早急に取り組む課題として次の3点を提言したい。
(1)大学の外部評価は、交付金を決める文部科学省から離れた第三者機関が行う。
(2)外部評価の判定基準、採点基準をオープンにし、できる限り国際標準に準じたものにする。
(3)当面、顕著な業績が認められない限り、文科省の官僚の大学への天下りを禁止する。
以上によって、せっかくの大学評価を実りあるものにすることをぜひとも望みたい。
http://sankei.jp.msn.com/life/education/100511/edc1005110408000-n1.htm
文部科学省所管の独立行政法人大学評価・学位授与機構が、国立大学法人評価委員会の下請け評価や高等教育機関の認証評価を実施することになった際懸念されたことの一つに、文部科学省による政策誘導というものがあります。
現に、評価を行う機構側にも、国立大学法人の現場にも、多くの文部科学省からの出向者が配置されており、評価という手法を使った文部科学省による実質的な支配が行われているとの見方があっても不思議ではありません。
そうならないための工夫や説明責任は、評価をする側にも受ける側にも必要です。せっかくの評価を徒労に終わらせないためにもそれぞれが真剣に考えていくべき課題の一つだろうと思います。
【正論】精神科医、国際医療福祉大学教授・和田秀樹(2010年5月11日産経新聞)
「大学評価」の基準が分からない
国立大学86法人の教育研究活動や業務運営について文部科学省が具体的な数値で総合評価を行い、その結果が明らかにされた。同省は次年度から大学への運営費交付金の配分に、この評価結果を反映させるとのことだ。
トップになった奈良先端科学技術大学院が一躍注目を浴びる一方で、すでに潤沢な予算が与えられている東京大学が6位、京都大学は10位にとどまる。弘前大学が最下位の汚名に甘んじた。
≪交付金からめる手法に疑問≫
わが国ではこれまで、きちんとした大学評価が行われていなかった。毎年のランキング発表でトップ校がめまぐるしく変わるアメリカと異なり、偏差値による大学序列化が続く現状を考えると好ましいことかもしれない。しかし、今回の大学評価には、いくつかの疑問が残る。
最大の問題点は、3月の発表以来いまだに評価基準や具体的な評価方法が明らかにされていないことだ。評点のみが独り歩きし、何を基準に、どんな成果でいかなる評点が得られるのかが、現時点では明らかになっていない。
実際のところ、今回は教育内容や研究業績の優劣の評価ではないようだ。各大学の中期目標計画に照らし合わせ、2004~07年度の取り組みを個別に評価した、と発表しているだけである。この文面を読む限りでは、目標や計画が高邁(こうまい)なものであっても、達成度が低ければ悪い評価がつくようにも読める。つまり、客観基準でもないものをいたずらに発表し、さらに交付金に影響を与えると表明するのはいかがなものだろうか。
≪科学的・客観的なものでない≫
評価を行ったのは、国立大学法人評価委員会と文科省管轄の特殊法人である大学評価・学位授与機構とのことであるが、少なくとも後者について、筆者はこれまでも、その主観的な評価姿勢に疑問を持ったことがある。
かつて京都大学の医学部が、短時間の面接で医師の適性など分からないと、入試面接をしなかったところ、大学評価・学位授与機構が最低の評価をつけると公言したことがあった。結果的に京都大学は入試面接を始めたが、依然として、入試面接に対する疑問がぬぐい去られていない。
実際のところ、数分の面接で医師としての適性を判断することは困難であろう。われわれ精神科医でさえ短時間面接では患者さんの人となりはおろか、診断も困難なのだから当然のことである。また医学部への入試の場合は、医師国家試験とは異なり、すべての受験者が臨床医になるわけではない。研究医を目指す受験生にまで面接が必要かどうか疑問が残る。
現在では、東京大学をはじめとして、いくつかの大学医学部で入試面接が廃止されている。入試面接が名医養成に寄与するという有力な証拠や調査研究もないのだ。つまり、そうしたところに重きを置いて、正当な大学の評価、少なくとも数値化した科学的、客観的評価ができるのだろうか。
≪文科省の支配力強める心配≫
さらに心配なのは、文部科学省の大学支配がますます強まる兆しのあることである。そのことによって今後、各大学が個性や特色を出さなければならない時代に、文科省の顔色を窺(うかが)うようになるのではないかということである。
各省庁の天下りについて批判が高まっている。ところが、文部科学省のお役人たちが簡単に大学教授として迎え入れられるケースが少なくない。なかなか就職口が見つからない優秀な大学院生や博士号取得者の、いわゆるオーバードクターの問題を尻目に、学位も持たない、論文もあまり書いていないような文科省OBが大学教授に就任するというのは天下りといわれても仕方ないだろう。
国立大学は独立法人化によって、文科省からの交付金をあてにしないと経営が成り立たない。その交付元の人たちが簡単に、大学の重職につく構図は天下りそのものではないか。そして、その交付元であるお役所が評価基準も曖昧(あいまい)なまま、それによって交付金に反映させるのであるから、大学側の複雑な心理は痛いほどわかる。
実際に、東北地方のある大学では事実上、教育歴のない文科省の高級幹部だった人が学長に就任した。選考手続きは踏んでいるものの、国家の支配が強かった戦前でも異例のことである。
世界の趨勢(すうせい)を考えると、大学の外部評価は必須のものになりつつある。しかし、日本のこのような現状の中では、その信頼性は強く疑われてしまう。
筆者は早急に取り組む課題として次の3点を提言したい。
(1)大学の外部評価は、交付金を決める文部科学省から離れた第三者機関が行う。
(2)外部評価の判定基準、採点基準をオープンにし、できる限り国際標準に準じたものにする。
(3)当面、顕著な業績が認められない限り、文科省の官僚の大学への天下りを禁止する。
以上によって、せっかくの大学評価を実りあるものにすることをぜひとも望みたい。
http://sankei.jp.msn.com/life/education/100511/edc1005110408000-n1.htm
2010年5月11日火曜日
公益法人仕分け 徹底した切込みを
事業仕分け第2弾(後半戦)の対象となる公益法人などの候補が昨日報道されました。
国が所管する公益法人は約6600あると言われていますが、このうち、1)国や独立行政法人からの収入が半分以上を占める、2)官僚OBの天下りを受け入れている などの条件から仕分け対象を絞込み、結果として12省庁の78法人が選ばれたようです。
リストに目を通して驚いたのは、文部科学省関係では、「民間放送教育協会」ただ一つ。
文部科学省や傘下の独立行政法人から税金を原資とする補助金等が配分され、そこに役員のみならず役人のOBや出向者を受け入れている公益法人はかなりの数あるはずだし、投じられている税金も、使っている人件費も半端ではないはずです。
これまで、こうした天下り団体への税金のバラマキにメスを入れようとして、OB達の力技によって残念ながら実現できなかった財務省や文部科学省の心ある人達の努力を決して無にしないためにも、真の”政治主導”が今こそ機能すべきです。
ちなみに、前半戦で行われた”独法仕分け”では、以下のように組織そのものの存続を問われたケースもありました。「公益法人改革」は独法以上に厳しくなければ、仕分け事業そのものの存在意義はないと考えます。
国立大学財務センターなど11事業廃止=ダム管理は原則民間に-仕分け4日目(2010-4-28 時事通信)
国立大学財務・経営センターで廃止と判定されたのは融資事業のほか、同センターが引き継いだ旧国立学校特別会計の債務償還業務、国立大学法人の経営相談事業、国立大学法人の財務・経営調査など。作業グループは「基本的に各国立大学法人に任せる」と判断した。
国立大の経営相談など廃止・・・仕分け(2010-4-28 読売新聞)
国立大学財務・経営センターが国立大学付属病院に施設整備費を融資する施設費貸付事業など2事業については、「各国立大学に任せればよい」として、廃止と判定。経営相談事業など4事業も廃止とした。
国立大センター6事業廃止 独法仕分け最終日(2010-4-28 共同通信)
文部科学省は、大学評価・学位授与機構が行う認証評価事業に関し、民間に委ねる方向で2010年度中に検討に入ると表明、仕分けでも民間移管となった。国立大経営センターは、旧国立学校特別会計から財政融資資金への債務償還や、国立大学法人の財務・経営に関する調査研究も「廃止」対象。作業後、センター幹部は「組織が全否定された」 と記者団に述べ、組織の廃止につながりかねないとの認識を示した。
国立大学センターの6事業「廃止」 独法仕分け最終日(2010-4-28 朝日新聞)
文部科学省が所管する「国立大学財務・経営センター」の国立大学への施設費貸し付け業務や調査研究など主要な6事業について「廃止」と結論づけ、不要資産の国庫返納を求めた。同センターは、国立大学付属病院などへの貸し付け業務について、仕分け人から「センターがする必要があるのか」「国立大学が独自に借り入れればいいのでは」といった指摘が相次いだ。豊田長康理事長は仕分け後、「私どもの組織を全否定された。大変厳しい」と語った。文科省所管の「大学評価・学位授与機構」は、認証評価事業は「民間の判断に任せる」、国立大学法人の評価は「国が決定」、学位授与事業は「規模縮減」となった。
国立大センターは対象全6事業「廃止」 「組織を全否定」うなだれる新任理事長(2010-4-29 産経新聞)
「国立大学財務・経営センター」は財政融資資金を財源にした国立大病院への施設整備費の貸し付けなどを行っているが、仕分け人から「大学の面倒を見てあげるという発想では駄目」などの厳しい意見が相次ぎ、結論は対象の6事業がすべて「廃止」判定。貸し付け事業については、仕分け人が「国立大病院は貸し倒れリスクが少なく、独法がそこに特化した融資を行うことはない」。センター側は「大学病院は『第2の夕張』にならないかと懸念されるほど危機的な経営だ。支援しないと」と訴えたが、「大学病院も経営の自覚を持たないといけない」と反論され、「廃止」となった。
国が所管する公益法人は約6600あると言われていますが、このうち、1)国や独立行政法人からの収入が半分以上を占める、2)官僚OBの天下りを受け入れている などの条件から仕分け対象を絞込み、結果として12省庁の78法人が選ばれたようです。
リストに目を通して驚いたのは、文部科学省関係では、「民間放送教育協会」ただ一つ。
文部科学省や傘下の独立行政法人から税金を原資とする補助金等が配分され、そこに役員のみならず役人のOBや出向者を受け入れている公益法人はかなりの数あるはずだし、投じられている税金も、使っている人件費も半端ではないはずです。
これまで、こうした天下り団体への税金のバラマキにメスを入れようとして、OB達の力技によって残念ながら実現できなかった財務省や文部科学省の心ある人達の努力を決して無にしないためにも、真の”政治主導”が今こそ機能すべきです。
ちなみに、前半戦で行われた”独法仕分け”では、以下のように組織そのものの存続を問われたケースもありました。「公益法人改革」は独法以上に厳しくなければ、仕分け事業そのものの存在意義はないと考えます。
国立大学財務センターなど11事業廃止=ダム管理は原則民間に-仕分け4日目(2010-4-28 時事通信)
国立大学財務・経営センターで廃止と判定されたのは融資事業のほか、同センターが引き継いだ旧国立学校特別会計の債務償還業務、国立大学法人の経営相談事業、国立大学法人の財務・経営調査など。作業グループは「基本的に各国立大学法人に任せる」と判断した。
国立大の経営相談など廃止・・・仕分け(2010-4-28 読売新聞)
国立大学財務・経営センターが国立大学付属病院に施設整備費を融資する施設費貸付事業など2事業については、「各国立大学に任せればよい」として、廃止と判定。経営相談事業など4事業も廃止とした。
国立大センター6事業廃止 独法仕分け最終日(2010-4-28 共同通信)
文部科学省は、大学評価・学位授与機構が行う認証評価事業に関し、民間に委ねる方向で2010年度中に検討に入ると表明、仕分けでも民間移管となった。国立大経営センターは、旧国立学校特別会計から財政融資資金への債務償還や、国立大学法人の財務・経営に関する調査研究も「廃止」対象。作業後、センター幹部は「組織が全否定された」 と記者団に述べ、組織の廃止につながりかねないとの認識を示した。
国立大学センターの6事業「廃止」 独法仕分け最終日(2010-4-28 朝日新聞)
文部科学省が所管する「国立大学財務・経営センター」の国立大学への施設費貸し付け業務や調査研究など主要な6事業について「廃止」と結論づけ、不要資産の国庫返納を求めた。同センターは、国立大学付属病院などへの貸し付け業務について、仕分け人から「センターがする必要があるのか」「国立大学が独自に借り入れればいいのでは」といった指摘が相次いだ。豊田長康理事長は仕分け後、「私どもの組織を全否定された。大変厳しい」と語った。文科省所管の「大学評価・学位授与機構」は、認証評価事業は「民間の判断に任せる」、国立大学法人の評価は「国が決定」、学位授与事業は「規模縮減」となった。
国立大センターは対象全6事業「廃止」 「組織を全否定」うなだれる新任理事長(2010-4-29 産経新聞)
「国立大学財務・経営センター」は財政融資資金を財源にした国立大病院への施設整備費の貸し付けなどを行っているが、仕分け人から「大学の面倒を見てあげるという発想では駄目」などの厳しい意見が相次ぎ、結論は対象の6事業がすべて「廃止」判定。貸し付け事業については、仕分け人が「国立大病院は貸し倒れリスクが少なく、独法がそこに特化した融資を行うことはない」。センター側は「大学病院は『第2の夕張』にならないかと懸念されるほど危機的な経営だ。支援しないと」と訴えたが、「大学病院も経営の自覚を持たないといけない」と反論され、「廃止」となった。
2010年5月6日木曜日
こどもの日に考える
風薫る青葉の候となりました。連休最後の昨日は「こどもの日」でした。ドライブで立ち寄った郊外の町では、こいのぼりが悠然と泳いでいました。しかし、今の子ども達を取り巻く環境は必ずしも明るいとは言えません。「こどもの日」は、子どもの成長を祝い感謝する日であるとともに、私達大人が子どもの未来や家族の在り方を真剣に考える日でもあるような気がします。
【主張】こどもの日 家族で食卓囲む楽しみを(2010年5月4日産経新聞)
希薄化しているといわれる現代の人間関係が、どうやら家族の間にも及ぼうとしているようだ。ある精神医学者は、一つ屋根の下に暮らしながら心の通い合うことの少ない家族を「家庭のない家族」と呼んだ。
そんな家族の空洞化を象徴する例として、一家で食卓を囲む回数が減っていることが挙げられる。文部科学省が作成した教育のヒント集「家庭教育手帳」によれば、中学2年生の約3割が「朝食をひとりで食べた」と答えている。夕食も、夫婦の共働きや子供の塾通いなどで、めいめいの「孤食」が増えているものと思われる。
江戸時代末期の歌人、橘曙覧(たちばな・あけみ)は「たのしみは妻子(めこ)むつまじくうちつどひ頭(かしら)ならべて物をくふ時」と詠んだ。親子が寄り添って食事をする光景ほど、幸せを感じさせるものはない。
「家庭教育手帳」がさらに「家族一緒に食事をすることによって、家族のふれあい、食事のマナーなど社会性を深めることにもつながります」と示しているように、食事は単に空腹を満たすだけの場ではない。家族が濃密にふれあうなかで、子供が食事マナーや挨拶(あいさつ)のほか自然の恵みに感謝する心まで学ぶ教育の場でもある。
いまでは「孤食」や、家庭でも調理済み食品で済ます「中食(なかしょく)」など食事にまつわる新語が次々に生まれる一方で、「団欒(だんらん)」のように昔ながらの家族観を表す美しい言葉が縁遠いものとなりつつある。一家団欒の経験が少ないままに成長した子供が、結婚して新たな家庭を築くとしたら、どのような家庭になるのだろう。
あすは「こどもの日」である。祝日法には「こどもの幸福をはかる」との文言が見られるが、子供にとって「孤食」が幸福なひとときであろうはずがない。かつて貧しい時代であっても、母の手作りの料理を皆で「おいしい」と喜びながら食べる「豊かな食事」があり、心の通う「豊かな家庭」があったことを思いだそう。
「こどもの日」はまた、「母に感謝する」日でもあると定められている。行楽に出かけるにしろ家で過ごすにしろ、一家で食事を共にしながら母への感謝の気持ちを広げる日としたい。日本中に「家庭のない家族」が蔓延(まんえん)したのでは、国家も豊かにはなれまい。福沢諭吉が「即(すなわ)ち国の本は家にあり。良家の集まる者は良国にして・・・」と説く通りである。
社説:こどもの日 この笑顔を守るために(2010年5月5日毎日新聞)
闇の深さに目を背けて明るい未来を語るのはむなしいから、あえて虐待の話をしたい。
新聞で児童虐待の記事を見ない日はないほど各地で悲惨な事件が続いている。生後6カ月の長男の頭を水道の蛇口にぶつけてくも膜下出血の重傷を負わせた父を逮捕。1歳7カ月の男児の腹を何度も強く押して小腸裂傷で出血死させた母の内縁の夫を逮捕。生後1カ月の次男の頭を壁に強くぶつけた父を逮捕。自宅の壁に生後9カ月の長女を投げつけ骨折させた父を逮捕--。これらは4月に起きた事件のごく一部である。「あやしても泣きやまないのでイライラした」「取り込んだ洗濯物で遊んでいたので腹が立った」。何も言えず逃げることもできない乳幼児への暴力は、どこにでもある日常の小さなことが引き金になる。
親の悪口を言わない子どもが多い。三重県鈴鹿市で母の内縁の夫から虐待された小学1年の次男が脳内出血の大けがをした事件では、3カ月前に学校が虐待に気づいていた。長女が真冬にヨットパーカ1枚で外に出されているのを近所の人たちが目撃し警察に通報したが、「入ってはいけない部屋に入った私がいけない」と長女は話した。顔のあざや目が腫れていたことも何度かあった。「足を滑らせて転んだ」と長女は大人たちをかばっていた。
この子らにどんな罪があるというのだろう。いや、どんな親にしても憎くて子どもを虐待しているわけではないと思いたい。完全失業者350万人という社会の中で自らの存在価値を見いだせず、貧困と孤立に陥っている大人のなんと多いことか。バラバラになった家族が寄り集まった密室でストレスがか弱い子どもに向けられているのだ。
わが国の児童虐待対策は歴史が浅い。虐待の統計を厚生省(当時)が取り始めたのは1990年。その10年後に児童虐待防止法が制定され、法や公権力の家庭内不介入という原則が大転換された。急激に増え続ける虐待相談に対応するため児童福祉司が増員され、制度改正も何度か繰り返されてきた。それから10年がたった。虐待の早期発見や子どもの保護などの初期対応がまだまだ不十分であることを最近の事件は物語る。一方、虐待する親の改善や指導はほとんど手つかずだ。親子関係が修復できない場合、里親や小規模のファミリーホームなど家庭を代替する制度の整備も急がれる。
さらに重要なのは虐待が起きないように貧困と孤立をなくしていく取り組みである。カネ(子ども手当)だけでなく、人々の関心や社会的資源を子育てに向け、子どもたちの笑顔があふれる社会にしたい。
昨年も似たような記事を書いていました・・・発想が貧困な筆者です。
かけがえのない子どもたち(2009-05-06 大学サラリーマン日記)
【主張】こどもの日 家族で食卓囲む楽しみを(2010年5月4日産経新聞)
希薄化しているといわれる現代の人間関係が、どうやら家族の間にも及ぼうとしているようだ。ある精神医学者は、一つ屋根の下に暮らしながら心の通い合うことの少ない家族を「家庭のない家族」と呼んだ。
そんな家族の空洞化を象徴する例として、一家で食卓を囲む回数が減っていることが挙げられる。文部科学省が作成した教育のヒント集「家庭教育手帳」によれば、中学2年生の約3割が「朝食をひとりで食べた」と答えている。夕食も、夫婦の共働きや子供の塾通いなどで、めいめいの「孤食」が増えているものと思われる。
江戸時代末期の歌人、橘曙覧(たちばな・あけみ)は「たのしみは妻子(めこ)むつまじくうちつどひ頭(かしら)ならべて物をくふ時」と詠んだ。親子が寄り添って食事をする光景ほど、幸せを感じさせるものはない。
「家庭教育手帳」がさらに「家族一緒に食事をすることによって、家族のふれあい、食事のマナーなど社会性を深めることにもつながります」と示しているように、食事は単に空腹を満たすだけの場ではない。家族が濃密にふれあうなかで、子供が食事マナーや挨拶(あいさつ)のほか自然の恵みに感謝する心まで学ぶ教育の場でもある。
いまでは「孤食」や、家庭でも調理済み食品で済ます「中食(なかしょく)」など食事にまつわる新語が次々に生まれる一方で、「団欒(だんらん)」のように昔ながらの家族観を表す美しい言葉が縁遠いものとなりつつある。一家団欒の経験が少ないままに成長した子供が、結婚して新たな家庭を築くとしたら、どのような家庭になるのだろう。
あすは「こどもの日」である。祝日法には「こどもの幸福をはかる」との文言が見られるが、子供にとって「孤食」が幸福なひとときであろうはずがない。かつて貧しい時代であっても、母の手作りの料理を皆で「おいしい」と喜びながら食べる「豊かな食事」があり、心の通う「豊かな家庭」があったことを思いだそう。
「こどもの日」はまた、「母に感謝する」日でもあると定められている。行楽に出かけるにしろ家で過ごすにしろ、一家で食事を共にしながら母への感謝の気持ちを広げる日としたい。日本中に「家庭のない家族」が蔓延(まんえん)したのでは、国家も豊かにはなれまい。福沢諭吉が「即(すなわ)ち国の本は家にあり。良家の集まる者は良国にして・・・」と説く通りである。
社説:こどもの日 この笑顔を守るために(2010年5月5日毎日新聞)
闇の深さに目を背けて明るい未来を語るのはむなしいから、あえて虐待の話をしたい。
新聞で児童虐待の記事を見ない日はないほど各地で悲惨な事件が続いている。生後6カ月の長男の頭を水道の蛇口にぶつけてくも膜下出血の重傷を負わせた父を逮捕。1歳7カ月の男児の腹を何度も強く押して小腸裂傷で出血死させた母の内縁の夫を逮捕。生後1カ月の次男の頭を壁に強くぶつけた父を逮捕。自宅の壁に生後9カ月の長女を投げつけ骨折させた父を逮捕--。これらは4月に起きた事件のごく一部である。「あやしても泣きやまないのでイライラした」「取り込んだ洗濯物で遊んでいたので腹が立った」。何も言えず逃げることもできない乳幼児への暴力は、どこにでもある日常の小さなことが引き金になる。
親の悪口を言わない子どもが多い。三重県鈴鹿市で母の内縁の夫から虐待された小学1年の次男が脳内出血の大けがをした事件では、3カ月前に学校が虐待に気づいていた。長女が真冬にヨットパーカ1枚で外に出されているのを近所の人たちが目撃し警察に通報したが、「入ってはいけない部屋に入った私がいけない」と長女は話した。顔のあざや目が腫れていたことも何度かあった。「足を滑らせて転んだ」と長女は大人たちをかばっていた。
この子らにどんな罪があるというのだろう。いや、どんな親にしても憎くて子どもを虐待しているわけではないと思いたい。完全失業者350万人という社会の中で自らの存在価値を見いだせず、貧困と孤立に陥っている大人のなんと多いことか。バラバラになった家族が寄り集まった密室でストレスがか弱い子どもに向けられているのだ。
わが国の児童虐待対策は歴史が浅い。虐待の統計を厚生省(当時)が取り始めたのは1990年。その10年後に児童虐待防止法が制定され、法や公権力の家庭内不介入という原則が大転換された。急激に増え続ける虐待相談に対応するため児童福祉司が増員され、制度改正も何度か繰り返されてきた。それから10年がたった。虐待の早期発見や子どもの保護などの初期対応がまだまだ不十分であることを最近の事件は物語る。一方、虐待する親の改善や指導はほとんど手つかずだ。親子関係が修復できない場合、里親や小規模のファミリーホームなど家庭を代替する制度の整備も急がれる。
さらに重要なのは虐待が起きないように貧困と孤立をなくしていく取り組みである。カネ(子ども手当)だけでなく、人々の関心や社会的資源を子育てに向け、子どもたちの笑顔があふれる社会にしたい。
昨年も似たような記事を書いていました・・・発想が貧困な筆者です。
かけがえのない子どもたち(2009-05-06 大学サラリーマン日記)