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資金調達-発想を転換する
日本の高等教育への公的支出は、対GDP比でOECD諸国平均の半分以下だということは、よく知られた事実である。その少ない予算で日本は私学助成を行い、また一方では国費留学生を受け入れている。私に言わせればどちらの政策もすでに時代遅れだ。
私大の半分近くが定員割れだというなら、それらへの助成をすべて止め、自己責任に任せるべきではないか。その分の資金は、競争的奨学金に振り向けたほうが意味がある。そうした奨学金を、日本人・外国人の区別なく私大の受験生に与えることで、国立大との学費の差を縮め、強い私大をさらに強化することに役立つ。同時に退場すべき弱い私大も選別されるのである。
私が横浜市立大学の学長だったとき、横浜市民が、市外から来た学生の授業料を年間100万円も負担していることに、どうしても納得がいかなかった。これらの学生が、卒業後も横浜に残って住民税を納めてくれるならまだ理解できるが、実際そういう学生はどれだけいるか。市民の税金で彼らの教育費を賄うことを正当化するには到底足りない数だろう。
国立大学ではもっとひどい。外国人留学生が他の大学でなら払うであろう高額な学費と、日本の安い国立大学の学費との差を、日本の納税者が補填しているのだ。つまり、東大で学ぶ外国人留学生は、奨学金をもらう以前に、ハーバードやオックスフォードで学ぶ場合と比べて既に数百万円の学費の「割引き」を受けているのである。同じアジア太平洋の国立大、シンガポール国立大やオーストラリア国立大では、外国人学部生に対し自国民向けの約1.2~2倍の学費を設定している。日本も学ぶところがあるのではないか。
日本の留学生政策は、いまだ開発途上国援助という文脈の延長線上にあるように思える。国のお金で勉強させ、卒業したら母国に帰ってがんばれという発想のままでは、日本は世界的な大学間競争にも、また企業間競争にも、到底勝つことはできないだろう。
日本の大学は、公的支出に頼っていては飛躍的前進は不可能だ、ということに気づくべきである。補助金と授業料以外の収入を増やすスキームをつくり、組織のための富を生み出すという考え方を、学内の文化革命を通じて浸透させなければならない。政府の役割は、規制改革を通じてそれを支援することだ。
以上に述べたような「日本の大学の課題とその解決策」に、真新しいものはあっただろうか。そうでなければあとは実行あるのみである。(おわり)