会議の議題は、「科学技術人材の育成の在り方について」ですが、冒頭、委員の一人である、宮田満(日経BP社特命編集委員)さんから、プレゼンテーションが行われています。
少し長文になりますが、大変示唆に富む内容ではないかと思いますので、どうぞご覧ください。
これは皆さんの議論のための、自分のエッセイのようなものをお示しする結果になります。
きょうは、『博士人材の活用による日本活性化』をタイトルにお話ししますけれども、これは必ずしも博士人材とは限らないと思っております。修士でも学部でも、高度人材を活用して、日本を何とか活性化したいという思いがこもっております。
2年前に名古屋大学で開催されたポスドクのキャリアパスのシンポジウムの資料を拝借してまいりましたので、具体的にポスドクや博士が、企業や社会に出て、新規事業創出に本当に貢献をし始めたという実例を皆さんにお示ししたいと思っています。
皆さんの資料の真ん中にある、上原君の実例を示します。この方は今セイコーエプソンの主任研究員をやっております。同時に信州大学と大阪大学の招聘研究員もやられております。一応、彼の新規事業は地域イノベーション戦略支援プログラムや、経産省の信州メディカルシーズ育成拠点に採択されて、エプソンが新規事業として信州大学に医療研究施設をつくっており、今、そこの担当者になっております。彼のキャリアを見てみますと、大阪大学医学系研究科の博士課程の研究内容は、この発生生物学、メタモルフォーシスを分子レベルで明らかにするというものでした。私も実は、東大の植物のときにこれをやっていたので、絶対に就職口がないというのはよくわかっておりました。
ある遺伝子を欠損させたマウスをつくると、形態形成あるいは器官形成に異常を示す。こういったことはすごく面白いのですけれども、余り企業には理解していただけない状況があります。彼の博士課程は悲惨だったと言っております。今回の人材委員会ではこういうことがないように、私たちは工夫しなければいけないということです。まず、いろいろ手法上の問題があります。様々な遺伝子をノックアウトしても、普通はピンピンしています。異常が出ないと研究成果にならないという手法において、これは本当に大変です。学位論文は6回もリジェクションを受ける、オーバードクターになる、貧乏で、安いアパートにいて栄養失調になる、研究室に引きこもり。担当教官との確執もあったが、現在は良好と言っているところは社会性を示していると思います。これらは結局、体調不良、ネガティブ思考、将来への悲観につながります。結構こういうポスドクを、私は実際に知っております。
それで彼はどうしたかというと、大阪大学産学連携本部のCLICというところに相談に行くわけです。そうすると、哲学専攻から工学系、知財系、もう、とにかくものすごく多様な人材がいて、「あなたが今行き詰まっていることは、こうやればいいんじゃない?」というアイデアがものすごく出てくるわけです。そこで多分、彼は救われて、企業へ共同研究を提案して、いろいろな企業担当者との面談が実現していきます。細胞チップというものを彼が提案して、それをエプソンが非常に評価し、人材ごと彼を引き抜いてくれたというのが現実です。ただし、そう甘くなくて、彼の話を聞くと、面接を10回以上やったそうです。何回も何回も呼び出されて、それでもめげない人材かどうかというのを実は試されていたらしく、そういう苦難を乗り越えて、今、彼は非常にハッピーだということになります。
最後に彼は自分のことを言っています。自分自身の価値が最大限発揮できるポジションを自ら生み出すということに彼は気がつくわけです。本当は、こういったことを博士課程の間に気がつき、自分の価値を社会に貢献するときに、どういうキャリアパスを示せば自分の価値が高くなるのかということを考えるような人材をつくっていただきたいのです。今の博士人材の多くは、まだキャリアパスとして、アカデミックパスから踏み外すと脱落者だと思っているような人たちが多い。ですから、ここを何とか変えるような教育をしていただきたいし、社会や企業との出会いの場をどんどんつくっていただきたいと考えています。
それはなぜかというと、博士を取り巻く環境に変化が起こっているためです。人口がふえれば、アカデミックに対する需要もふえていきます。アカデミックの再生産をやっていけば学生もふえていきますので、ポジションも十分にあります。また教育も、非常にありきたりな教育をするだけで、あとは企業が教育しますというのが、今までの、人口がふえているときの製造業・資本主義型の教育だったと考えていますけれども、それが変わってしまったのです。大学に対して非常に大きな期待が出てまいりました。1995年ぐらいから単なる人口増による、人口ボーナスによる企業成長、社会成長というのが期待できなくなりました。それから10年後、教育基本法が改正されて、人材と研究というのが今までの大学のミッションだったのですけれども、それを通じた社会に対する貢献ということが基本法上も明示されたわけです。
問題は、この法律を大学がまだ咀嚼(そしゃく)できていないということです。どういうふうに教育と人材をつくることによって貢献していくのかというイメージを持てないというところに大きな問題があるだろうと思います。私は、人口が減少して、人口オーナスという時代になったときに、我々が我々の生活水準を維持するためには、製造業・資本主義だけではなくて、やはりイノベーションを創出し、国富をふやしていく。そのための人材をつくるというのがここの条文の背景にあることだろうと思っています。
実はアメリカでも同じようなことが起こっていて、2001年7月から米国の科学財団I-CORPSというのが発動して、基礎研究から製品化を加速するための教育システムをつくってきています。基礎研究者にベンチャー企業、起業のノウハウを教授するためのチームをつくって、今100チームに対してそれぞれに約5万ドル出しています。例えばKauffman Foundationというのはベンチャーキャピタルのファウンデーションですけれども、そういったところから、どうやって基礎研究を発展させて、起業するのかというようなことを教えていくという教育プログラムが始まっています。
もう一つ重要なのは、リーマン・ショック以後のGDP、BRICsというものが台頭してきたことです。私たちが、今の生産、製造業・資本主義を維持できない。つまり、もっと人口ボーナスがあり、インフラのコストも高いような企業と、同じ製造業で争うことがかなり難しくなってきたという現実もあります。実際アメリカの製薬市場は、今縮小していて、どんどんジョブカットが行われてきています。そのジョブをカットした結果、世界の製薬企業は、新興国市場に人材や予算をどんどん振り向けているという形になっております。
結局、人口がふえているところはアジアです。今後私たちは世界経済の成長の牽引(けんいん)力として、アジア市場にどうやって貢献していくか、あるいはほかのBRICs市場にどうやって貢献していくかというのが、私たちの成長要因のひとつになってまいります。もちろんそれだけでは価格競争に必ず負けますので、貢献するためにもイノベーション、新しい価値の創造というものが重要になってくるだろうと考えております。
また、実は我々メディアが苦労していることですけれども、インターネットというものが登場し、大学の地域独占が崩れてしまいました。ですから、今や東大も世界各国のトップの大学も、インターネット上に無料で授業を放映し、知の流通システムが変わり始めています。実はこれはメディアも巻き込んだ、大きな社会インフラの変化であり、大学もその渦中にあるということに気をつけなければいけません。今までは東大をはじめ関東周辺の大学や名古屋大などを目指していた本当に優秀な高校生たちが、一挙にアメリカのスタンフォードや、英国のオックスフォードに向かうというようなこともできるし、日本にいながらにして、その人たちの授業を受けて、自分が受けている授業と比較することができるというのが現状になってしまったと考えています。そういう意味では、地域独占が崩れ、グローバルな競争の中に我々が投げ込まれたときに、日本の大学における人材育成の強み、弱み、それから今後どうやって強化するかということをもう一度整理する必要があるだろうと考えています。
それからもう一つ重要なのが、共有される知識量がものすごく増大していることです。今までの記憶中心の教育というのは全く役に立ちません。うちの新人記者も、修士ぐらいは出てくるのですけれども、知識の半減化は6か月です。ですから学習する、あるいは問題を発見するという新しい能力をきちんと身につけてこないと、全く使えない人材が今どんどん出てきている。そのくせ古い知識はいっぱい持っているので、その知識に縛られる。なおかつプライドだけは高いという人間を皆さんがつくっているということになってしまいます。
ここには企業の方もいらっしゃいますけれども、企業、特に日本の大企業は急速にグローバル化しています。新規採用で、日本人社員より外国人社員の方が多い日本の優良企業がどんどんふえてきています。昔は製造業だけだったのですけれども、最近では医薬品企業までこういった傾向になってきています。例えば、第一三共というのは08年にインドのランバクシー・ラボラトリーズを買収しましたけれども、国籍別に並べるとインド人が60%ぐらいいる。これはもう、インドの企業と言ってもいいような状況になっています。武田薬品でも同じような状況が出ています。そうすると、いきなり学生たちが、こういうグローバル企業に勤める、あるいはこれからグローバル化する中堅・中小企業に勤めたときに、雑多な言語領域、雑多なカルチャーな人たちと一緒に働くという能力がどうしても要求されてくるのです。そういう教育を大学が果たしてやっているかどうか。ここが大きな問題だと思っております。
もう一回繰り返しますけれども、こういった大きな変化の背景には少子化があります。コスト削減を幾ら繰り返しても、国内市場はどんどん収縮するだけです。私たちは、デフレのスパイラルから脱却するためには、やはり価値を創造しなければいけない。
また、中国の今の大気汚染の状況を見ても明白ですけれども、量的な製造業による、資源を多消費して成長するという成長モデルはBRICsでも成り立たないと考えています。したがってそういう意味ではもっと、製造業にしても知恵を使う、環境対応のような新しいイノベーションが要求されてくるだろうと考えています。同じモデルの拡大はできないので、イノベーションがなくてはじり貧になる。これが今の日本ですし、日本の大学である。つまり、今までの学問の継承というだけでは、実は私たちの社会は豊かになれない、あるいは、学生は幸せになれないという状況になってきているということになります。
加えて、東日本大震災という試練を私たちは与えられてきています。こういった試練に対応できる人材というものの育成が、私たちには必要になってきていると思います。この場合、1種類だけの知識をいっぱい持っている人材は役に立たない。むしろ、何とか復興をするために、多くの人たちとコミュニケーションして、多くの能力を発揮して、新しい問題をオーガナイズして、プロダクトをマネジメントして、PDCAサイクルをきちんと回せるような人たちをつくっていかなければいけない。では、そういう人材を大学が供給しているのか。日本の企業も本当に供給しているのかという疑問も実はあり、大学だけの責任ではございませんけれども、社会としてそういう人材を育成する体制はやはりつくらなければいけないと思っています。
もう一つ困ったこととして、教育の内容が変わってきているということをもう一度強調したいと思います。記憶力に頼るような教育が本当にもつのだろうかということです。
例えば、去年の10月1日にオリンパスとソニーの合弁企業ができました。今、日本のエレクトロニクス産業は医療機器、あるいは医療技術に殺到しています。シーメンス、フィリップス、GEという欧米の医療機器メーカーもみんな同じところに参入してきています。これはシーメンスがなぜ医療機器に出るかという一つの理由を示したスライドです。横軸はどれだけイノベーションができるか、縦軸は国内市場から海外市場に進出しているのかということを示しています。黄色がインド、ブルーが中国の企業ですけれども、家電領域における2002年のマッピングを見ると、まだまだドメスティックマーケットにBRICsの企業たちがとどまっていてコピー商品をつくっていたことがわかります。でも、2010年にどうなったか。もう、この家電領域ではインターナショナルな市場にアクセスもできるし、イノベーションもできるようになってしまった。これは、皆さんの努力の結果、デジタル化し、技術がポータブル化したということを示しています。したがって、GEやシーメンスやフィリップス、あるいは日本の企業群が、より価値の高い産業分野を狙うとしたら、複合的な技術の結合や、それに対する、もう一段上のビジネスモデルのイノベーションを要求される医療技術というところにせざるを得ないということを示しています。
例えば、中国のバイオテクノロジーで、香港のバイオクラスターがあります。建物も非常に立派ですが、もちろん中身も、今どんどん充実しています。例えば2006年、この組み換えTPOというのを、世界で初めて中国が認可しています。それから去年、1月11日に組み換えのE型肝炎ワクチンというものも出てきています。つまり中国が新薬を開発できるようになってきた。今までBRICsというのは、製造業・資本主義のコストだけで闘っていたと思っていたのですけれども、今、彼らもイノベーションに入ってきています。それは当然のことです。資源制約がありますから、環境負荷を与えるような産業だけで彼らが成長できないということは明白ですので、中国の政府首脳はイノベーション戦略をとり始めていると思っております。
次に、これは日本の製造業の就労人口や生産額の比率を示していますけれども、この10年ぐらい、製造業は猛烈に雇用を失ってきています。その70%が、実は医療サービスと介護サービスに吸収されています。ですから、今までの大学や高等教育機関を出た後の就職先が随分変わってきている。それに対応するような教育を私たちはできているのかということも、一つ問われてくるだろうと思います。 そういうような時代に至って、今、大学の知恵が本当に求められてきています。皮肉な言い方をさせていただきますと、明治以来、初めて大学の知恵を社会が求めているのではないかと思います。ここでこれに対応できなければ、大学の真価が問われると思っております。
これは製薬企業が既にやり始めたオープンイノベーションです。自分たちの医療技術や新薬の開発技術がマルチディシプリンにわたってきたために、1社の内部だけでの研究では不可能になり、外に資源を求めるようになってきています。例えば我が国でも医師主導治験というものを、京都大学が中心になってやりまして、塩野義製薬が組み換えヒト型レプチン(メトレレプチン)というものを実用化しています。今までは、全ての医薬品の開発は、企業が全部やっていたのですけれども、これは大学が初めて臨床治験をやって、その治験データに基づいて去年新薬が開発されたという初めての例です。大学が、非常に難病の患者さんの人生を助けたということの実例になっているわけであります。
香川大学では、希少糖というごくわずかに含まれている糖の成分を、今までのように基礎研究するのではなく、クラスター政策で松谷化学という伊丹の企業参入したことによって、抗肥満の異性化糖というものの開発に結びつけました。今や、アメリカでは8年連続で、炭酸飲料の消費が減少していますがこれは肥満の問題によるものです。肥満税というものをニューヨークがかけて、これが違憲だという話題もあります。ところで、実は異性化糖というものは食欲中枢に働かないために幾らでも飲めてしまう、満腹感がないものなのです。今回、香川のクラスターが開発したD-プシコース入りの異性化糖というのは、まさに抗肥満異性化糖ということで世界製品になる可能性があります。つまり大学の知恵が地域のイノベーションを実現し始めたということになります。
私が今、客員教授をやっている慶應の先端生命科学研究所が、日本海側の山形県鶴岡市に研究所を持っています。何と、20年間で山形県と鶴岡市に170億円も慶應へ寄附していただいており、そのおかげで私たちはここで先端のメタボロームという技術を開発できております。世界最大のメタボローム、つまり代謝産物の分析能力を持つ研究所であるここから新しいベンチャービジネスが誕生してきています。
スパイバーというところでは、遺伝子組み換えでクモの糸を生産しています。このクモの糸というのは鋼鉄のピアノ線よりもはるかに強くて、しかも弾性があるというとてもすばらしい素材です。実は今年の2月にトヨタ系の小島プレスという会社と工場をつくる契約が結ばれて、この秋にいよいよ試験工場ができるということになります。まさに、大学の知恵から、人口14万人しかいない町に、近い将来100人ぐらいの若者の雇用が誕生し始めているということになります。今こそ、こういったイノベーションを起こすような人材を大学が供給する。あるいは、一度企業を卒業した人たちが大学に行って、再びイノベーションを起こすような社会的な人材の還流を私たちは整える。日本でもできるのです。こういったものを日本全体に広げるような施策を打っていかなければいけないのではないかと思っております。御清聴ありがとうございました。
少し長文になりますが、大変示唆に富む内容ではないかと思いますので、どうぞご覧ください。
これは皆さんの議論のための、自分のエッセイのようなものをお示しする結果になります。
きょうは、『博士人材の活用による日本活性化』をタイトルにお話ししますけれども、これは必ずしも博士人材とは限らないと思っております。修士でも学部でも、高度人材を活用して、日本を何とか活性化したいという思いがこもっております。
2年前に名古屋大学で開催されたポスドクのキャリアパスのシンポジウムの資料を拝借してまいりましたので、具体的にポスドクや博士が、企業や社会に出て、新規事業創出に本当に貢献をし始めたという実例を皆さんにお示ししたいと思っています。
皆さんの資料の真ん中にある、上原君の実例を示します。この方は今セイコーエプソンの主任研究員をやっております。同時に信州大学と大阪大学の招聘研究員もやられております。一応、彼の新規事業は地域イノベーション戦略支援プログラムや、経産省の信州メディカルシーズ育成拠点に採択されて、エプソンが新規事業として信州大学に医療研究施設をつくっており、今、そこの担当者になっております。彼のキャリアを見てみますと、大阪大学医学系研究科の博士課程の研究内容は、この発生生物学、メタモルフォーシスを分子レベルで明らかにするというものでした。私も実は、東大の植物のときにこれをやっていたので、絶対に就職口がないというのはよくわかっておりました。
ある遺伝子を欠損させたマウスをつくると、形態形成あるいは器官形成に異常を示す。こういったことはすごく面白いのですけれども、余り企業には理解していただけない状況があります。彼の博士課程は悲惨だったと言っております。今回の人材委員会ではこういうことがないように、私たちは工夫しなければいけないということです。まず、いろいろ手法上の問題があります。様々な遺伝子をノックアウトしても、普通はピンピンしています。異常が出ないと研究成果にならないという手法において、これは本当に大変です。学位論文は6回もリジェクションを受ける、オーバードクターになる、貧乏で、安いアパートにいて栄養失調になる、研究室に引きこもり。担当教官との確執もあったが、現在は良好と言っているところは社会性を示していると思います。これらは結局、体調不良、ネガティブ思考、将来への悲観につながります。結構こういうポスドクを、私は実際に知っております。
それで彼はどうしたかというと、大阪大学産学連携本部のCLICというところに相談に行くわけです。そうすると、哲学専攻から工学系、知財系、もう、とにかくものすごく多様な人材がいて、「あなたが今行き詰まっていることは、こうやればいいんじゃない?」というアイデアがものすごく出てくるわけです。そこで多分、彼は救われて、企業へ共同研究を提案して、いろいろな企業担当者との面談が実現していきます。細胞チップというものを彼が提案して、それをエプソンが非常に評価し、人材ごと彼を引き抜いてくれたというのが現実です。ただし、そう甘くなくて、彼の話を聞くと、面接を10回以上やったそうです。何回も何回も呼び出されて、それでもめげない人材かどうかというのを実は試されていたらしく、そういう苦難を乗り越えて、今、彼は非常にハッピーだということになります。
最後に彼は自分のことを言っています。自分自身の価値が最大限発揮できるポジションを自ら生み出すということに彼は気がつくわけです。本当は、こういったことを博士課程の間に気がつき、自分の価値を社会に貢献するときに、どういうキャリアパスを示せば自分の価値が高くなるのかということを考えるような人材をつくっていただきたいのです。今の博士人材の多くは、まだキャリアパスとして、アカデミックパスから踏み外すと脱落者だと思っているような人たちが多い。ですから、ここを何とか変えるような教育をしていただきたいし、社会や企業との出会いの場をどんどんつくっていただきたいと考えています。
それはなぜかというと、博士を取り巻く環境に変化が起こっているためです。人口がふえれば、アカデミックに対する需要もふえていきます。アカデミックの再生産をやっていけば学生もふえていきますので、ポジションも十分にあります。また教育も、非常にありきたりな教育をするだけで、あとは企業が教育しますというのが、今までの、人口がふえているときの製造業・資本主義型の教育だったと考えていますけれども、それが変わってしまったのです。大学に対して非常に大きな期待が出てまいりました。1995年ぐらいから単なる人口増による、人口ボーナスによる企業成長、社会成長というのが期待できなくなりました。それから10年後、教育基本法が改正されて、人材と研究というのが今までの大学のミッションだったのですけれども、それを通じた社会に対する貢献ということが基本法上も明示されたわけです。
問題は、この法律を大学がまだ咀嚼(そしゃく)できていないということです。どういうふうに教育と人材をつくることによって貢献していくのかというイメージを持てないというところに大きな問題があるだろうと思います。私は、人口が減少して、人口オーナスという時代になったときに、我々が我々の生活水準を維持するためには、製造業・資本主義だけではなくて、やはりイノベーションを創出し、国富をふやしていく。そのための人材をつくるというのがここの条文の背景にあることだろうと思っています。
実はアメリカでも同じようなことが起こっていて、2001年7月から米国の科学財団I-CORPSというのが発動して、基礎研究から製品化を加速するための教育システムをつくってきています。基礎研究者にベンチャー企業、起業のノウハウを教授するためのチームをつくって、今100チームに対してそれぞれに約5万ドル出しています。例えばKauffman Foundationというのはベンチャーキャピタルのファウンデーションですけれども、そういったところから、どうやって基礎研究を発展させて、起業するのかというようなことを教えていくという教育プログラムが始まっています。
もう一つ重要なのは、リーマン・ショック以後のGDP、BRICsというものが台頭してきたことです。私たちが、今の生産、製造業・資本主義を維持できない。つまり、もっと人口ボーナスがあり、インフラのコストも高いような企業と、同じ製造業で争うことがかなり難しくなってきたという現実もあります。実際アメリカの製薬市場は、今縮小していて、どんどんジョブカットが行われてきています。そのジョブをカットした結果、世界の製薬企業は、新興国市場に人材や予算をどんどん振り向けているという形になっております。
結局、人口がふえているところはアジアです。今後私たちは世界経済の成長の牽引(けんいん)力として、アジア市場にどうやって貢献していくか、あるいはほかのBRICs市場にどうやって貢献していくかというのが、私たちの成長要因のひとつになってまいります。もちろんそれだけでは価格競争に必ず負けますので、貢献するためにもイノベーション、新しい価値の創造というものが重要になってくるだろうと考えております。
また、実は我々メディアが苦労していることですけれども、インターネットというものが登場し、大学の地域独占が崩れてしまいました。ですから、今や東大も世界各国のトップの大学も、インターネット上に無料で授業を放映し、知の流通システムが変わり始めています。実はこれはメディアも巻き込んだ、大きな社会インフラの変化であり、大学もその渦中にあるということに気をつけなければいけません。今までは東大をはじめ関東周辺の大学や名古屋大などを目指していた本当に優秀な高校生たちが、一挙にアメリカのスタンフォードや、英国のオックスフォードに向かうというようなこともできるし、日本にいながらにして、その人たちの授業を受けて、自分が受けている授業と比較することができるというのが現状になってしまったと考えています。そういう意味では、地域独占が崩れ、グローバルな競争の中に我々が投げ込まれたときに、日本の大学における人材育成の強み、弱み、それから今後どうやって強化するかということをもう一度整理する必要があるだろうと考えています。
それからもう一つ重要なのが、共有される知識量がものすごく増大していることです。今までの記憶中心の教育というのは全く役に立ちません。うちの新人記者も、修士ぐらいは出てくるのですけれども、知識の半減化は6か月です。ですから学習する、あるいは問題を発見するという新しい能力をきちんと身につけてこないと、全く使えない人材が今どんどん出てきている。そのくせ古い知識はいっぱい持っているので、その知識に縛られる。なおかつプライドだけは高いという人間を皆さんがつくっているということになってしまいます。
ここには企業の方もいらっしゃいますけれども、企業、特に日本の大企業は急速にグローバル化しています。新規採用で、日本人社員より外国人社員の方が多い日本の優良企業がどんどんふえてきています。昔は製造業だけだったのですけれども、最近では医薬品企業までこういった傾向になってきています。例えば、第一三共というのは08年にインドのランバクシー・ラボラトリーズを買収しましたけれども、国籍別に並べるとインド人が60%ぐらいいる。これはもう、インドの企業と言ってもいいような状況になっています。武田薬品でも同じような状況が出ています。そうすると、いきなり学生たちが、こういうグローバル企業に勤める、あるいはこれからグローバル化する中堅・中小企業に勤めたときに、雑多な言語領域、雑多なカルチャーな人たちと一緒に働くという能力がどうしても要求されてくるのです。そういう教育を大学が果たしてやっているかどうか。ここが大きな問題だと思っております。
もう一回繰り返しますけれども、こういった大きな変化の背景には少子化があります。コスト削減を幾ら繰り返しても、国内市場はどんどん収縮するだけです。私たちは、デフレのスパイラルから脱却するためには、やはり価値を創造しなければいけない。
また、中国の今の大気汚染の状況を見ても明白ですけれども、量的な製造業による、資源を多消費して成長するという成長モデルはBRICsでも成り立たないと考えています。したがってそういう意味ではもっと、製造業にしても知恵を使う、環境対応のような新しいイノベーションが要求されてくるだろうと考えています。同じモデルの拡大はできないので、イノベーションがなくてはじり貧になる。これが今の日本ですし、日本の大学である。つまり、今までの学問の継承というだけでは、実は私たちの社会は豊かになれない、あるいは、学生は幸せになれないという状況になってきているということになります。
加えて、東日本大震災という試練を私たちは与えられてきています。こういった試練に対応できる人材というものの育成が、私たちには必要になってきていると思います。この場合、1種類だけの知識をいっぱい持っている人材は役に立たない。むしろ、何とか復興をするために、多くの人たちとコミュニケーションして、多くの能力を発揮して、新しい問題をオーガナイズして、プロダクトをマネジメントして、PDCAサイクルをきちんと回せるような人たちをつくっていかなければいけない。では、そういう人材を大学が供給しているのか。日本の企業も本当に供給しているのかという疑問も実はあり、大学だけの責任ではございませんけれども、社会としてそういう人材を育成する体制はやはりつくらなければいけないと思っています。
もう一つ困ったこととして、教育の内容が変わってきているということをもう一度強調したいと思います。記憶力に頼るような教育が本当にもつのだろうかということです。
例えば、去年の10月1日にオリンパスとソニーの合弁企業ができました。今、日本のエレクトロニクス産業は医療機器、あるいは医療技術に殺到しています。シーメンス、フィリップス、GEという欧米の医療機器メーカーもみんな同じところに参入してきています。これはシーメンスがなぜ医療機器に出るかという一つの理由を示したスライドです。横軸はどれだけイノベーションができるか、縦軸は国内市場から海外市場に進出しているのかということを示しています。黄色がインド、ブルーが中国の企業ですけれども、家電領域における2002年のマッピングを見ると、まだまだドメスティックマーケットにBRICsの企業たちがとどまっていてコピー商品をつくっていたことがわかります。でも、2010年にどうなったか。もう、この家電領域ではインターナショナルな市場にアクセスもできるし、イノベーションもできるようになってしまった。これは、皆さんの努力の結果、デジタル化し、技術がポータブル化したということを示しています。したがって、GEやシーメンスやフィリップス、あるいは日本の企業群が、より価値の高い産業分野を狙うとしたら、複合的な技術の結合や、それに対する、もう一段上のビジネスモデルのイノベーションを要求される医療技術というところにせざるを得ないということを示しています。
例えば、中国のバイオテクノロジーで、香港のバイオクラスターがあります。建物も非常に立派ですが、もちろん中身も、今どんどん充実しています。例えば2006年、この組み換えTPOというのを、世界で初めて中国が認可しています。それから去年、1月11日に組み換えのE型肝炎ワクチンというものも出てきています。つまり中国が新薬を開発できるようになってきた。今までBRICsというのは、製造業・資本主義のコストだけで闘っていたと思っていたのですけれども、今、彼らもイノベーションに入ってきています。それは当然のことです。資源制約がありますから、環境負荷を与えるような産業だけで彼らが成長できないということは明白ですので、中国の政府首脳はイノベーション戦略をとり始めていると思っております。
次に、これは日本の製造業の就労人口や生産額の比率を示していますけれども、この10年ぐらい、製造業は猛烈に雇用を失ってきています。その70%が、実は医療サービスと介護サービスに吸収されています。ですから、今までの大学や高等教育機関を出た後の就職先が随分変わってきている。それに対応するような教育を私たちはできているのかということも、一つ問われてくるだろうと思います。 そういうような時代に至って、今、大学の知恵が本当に求められてきています。皮肉な言い方をさせていただきますと、明治以来、初めて大学の知恵を社会が求めているのではないかと思います。ここでこれに対応できなければ、大学の真価が問われると思っております。
これは製薬企業が既にやり始めたオープンイノベーションです。自分たちの医療技術や新薬の開発技術がマルチディシプリンにわたってきたために、1社の内部だけでの研究では不可能になり、外に資源を求めるようになってきています。例えば我が国でも医師主導治験というものを、京都大学が中心になってやりまして、塩野義製薬が組み換えヒト型レプチン(メトレレプチン)というものを実用化しています。今までは、全ての医薬品の開発は、企業が全部やっていたのですけれども、これは大学が初めて臨床治験をやって、その治験データに基づいて去年新薬が開発されたという初めての例です。大学が、非常に難病の患者さんの人生を助けたということの実例になっているわけであります。
香川大学では、希少糖というごくわずかに含まれている糖の成分を、今までのように基礎研究するのではなく、クラスター政策で松谷化学という伊丹の企業参入したことによって、抗肥満の異性化糖というものの開発に結びつけました。今や、アメリカでは8年連続で、炭酸飲料の消費が減少していますがこれは肥満の問題によるものです。肥満税というものをニューヨークがかけて、これが違憲だという話題もあります。ところで、実は異性化糖というものは食欲中枢に働かないために幾らでも飲めてしまう、満腹感がないものなのです。今回、香川のクラスターが開発したD-プシコース入りの異性化糖というのは、まさに抗肥満異性化糖ということで世界製品になる可能性があります。つまり大学の知恵が地域のイノベーションを実現し始めたということになります。
私が今、客員教授をやっている慶應の先端生命科学研究所が、日本海側の山形県鶴岡市に研究所を持っています。何と、20年間で山形県と鶴岡市に170億円も慶應へ寄附していただいており、そのおかげで私たちはここで先端のメタボロームという技術を開発できております。世界最大のメタボローム、つまり代謝産物の分析能力を持つ研究所であるここから新しいベンチャービジネスが誕生してきています。
スパイバーというところでは、遺伝子組み換えでクモの糸を生産しています。このクモの糸というのは鋼鉄のピアノ線よりもはるかに強くて、しかも弾性があるというとてもすばらしい素材です。実は今年の2月にトヨタ系の小島プレスという会社と工場をつくる契約が結ばれて、この秋にいよいよ試験工場ができるということになります。まさに、大学の知恵から、人口14万人しかいない町に、近い将来100人ぐらいの若者の雇用が誕生し始めているということになります。今こそ、こういったイノベーションを起こすような人材を大学が供給する。あるいは、一度企業を卒業した人たちが大学に行って、再びイノベーションを起こすような社会的な人材の還流を私たちは整える。日本でもできるのです。こういったものを日本全体に広げるような施策を打っていかなければいけないのではないかと思っております。御清聴ありがとうございました。