「学校給食と貧困」(2015-01-23天声人語)をご紹介します。
自分は中流と考える人が約9割という新聞記事を読んで、向田邦子さんは、これは学校給食の影響だろうと思った。「毎日一回、同じものを食べて大きくなれば、そういう世代が増えてゆけば、そう考えるようになって無理はない」と書いたのは1980年のことだ。
「お弁当」と題したその随筆は、戦前の小学校のお昼というのは、貧富などを考えないわけにはいかない時間だったと続く。そして、「私がもう少し利発な子供だったら、あのお弁当の時間は、何よりも政治、経済、社会について、人間の不平等について学べた時間であった」とある。
そんな一文を、あすから学校給食週間が始まると聞いて思い出した。年配者には懐かしい「ララ物資」による、戦後の学校給食再開がそのルーツだという。
困窮する日本にアメリカなどから贈られた援助物資をそう呼んだ。やがて全国に給食が普及し、小学校のお昼から表向き貧困は消えた。高度成長から80年代ごろは、世の中が最も平均化して見えた時代だろう。
いま中流は細り、子どもの6人に1人が「貧困」とされる水準で生活している。3食のうちしっかり食べているのは給食だけ、給食のない夏休みに体重が減る子がいる-深刻な話も聞こえてくる。
向田随筆ではないが、もう少し利発な政治家や官僚だったら、子どもの苦境から、不平等について学ぶのではないか。親から子へと格差は固定しがちだ。恵まれた世継ぎの多い政界だからこそ、想像力を欠かぬよう願いたい。