2011年5月30日月曜日

国立大学の機能強化(中間まとめ案)が見えてきました

現在、国立大学協会に置かれた「国立大学の機能強化に関する委員会」では、国立大学が果たすべき役割や特色等について第1期中期目標期間の検証を踏まえながら、今後の国立大学の機能強化のあり方についての検討が行われています。

(過去記事)国立大学の機能強化へ始動(2011年2月18日 大学サラリーマン日記)

このたび、以下のような「中間まとめ(案)」が取りまとめられ、先週末を期限として、各国立大学からの意見聴取が行われました。今後各大学からの意見等を踏まえ、6月初旬に開催される委員会及び理事会を経て、最終的な「中間まとめ」が決定されるようです。

意見聴取された案の段階のものですがご紹介します。


国立大学の機能強化 -国民への約束-(中間まとめ)(案)【抜粋】

国立大学協会は、国立大学がとりわけ責任をもって果たすべき役割や機能等について、第1期中期目標期間の検証を踏まえながら、それらの今後の国立大学の機能強化のあり方を検討してきた。本報告は、その中間まとめである。
各国立大学法人は、本「中間まとめ」を踏まえて、それぞれの個性・特色を最大限に活かした機能強化の速やかな実現に全力を挙げることを国民に約束し、その成果をもとに、ステークホルダーへの的確な情報発信と対話を通じて国立大学の教育研究への十分な理解と強い支持を得ることによって、日本の希望ある未来と世界の人々が希求する安定的で持続的な社会の構築を導く原動力として、中核的な役割を果たす。

1 はじめに -国立大学の責務と約束

わが国は、長期にわたる経済の停滞や財政構造の悪化、少子高齢化の進行など、活力の再生が求められる困難な課題を抱えている。これらに加え、20111年3月11日に宮城県沖で発生した巨大地震・津波とそれに伴って起きた福島第一原子力発電所の事故により重大な危機に直面し、すべての国民は一日でも早く安全で安心な生活を送ることのできる環境の構築を強く願っている。

この度の大震災を通して、自然に関する人類の知識とそれを活かす人の力は未だ不十分であることが痛感された。私たちは、地震・津波・火山噴火、あるいは異常気象などによる自然災害への備え、資源・エネルギー、食料の安全で安定的な確保、社会的インフラストラクチャーのあり方など、地球規模で解決していかなければならない多くの課題に直面している。

こうした課題は、同時に、洋の東西を問わず、すべての国の安全・安心の保障と持続可能社会構築のプロセスに直接影響する、現代社会の構造的課題でもある。世界各国は、日本が現下の困難をどのように克服するのか、そして日本は人類が新たな価値社会を建設する真のリーダーとなりうるのかを、固唾を飲んで見守っている。

国立大学は、わが国の知識基盤としての役割を担い、優れた人材の育成、先端研究の推進、地域への貢献などを通して、これまで日本の近代化、成長発展のために確固とした実績を残してきたと自負している。また、国民の生命を守る最後の砦として、このたびの地震と津波の発生直後から、全国の国立大学附属病院が連携して被災地において緊急医療活動を開始し、中長期的な計画的医療支援体制を整え支援にあたっている。このほか、国立大学の数多くの研究者が、都市計画や、通信や環境基盤等の再生と構築、超高齢化社会の持つ複合的課題への挑戦など、それぞれの専門分野を生かして、救援と復興のために被災地域で多様な活動を展開している。

この度の震災は、地震や津波に関する研究の更なる強化、原子力制御に関する基礎研究と安全工学の不退転の挑戦はもとより、放射線健康リスク制御研究や、化学、環境科学、社会学、経済学、政治学、あるいは心理学など諸科学の有機的連携が不可欠であることを強く示唆している。これまで国立大学は、科学技術化した現代社会においては、先端的な科学技術や自然科学の知見を日本の社会システムや地域社会のなかに適切に根づかせていくための人材の配置や環境整備が必須であること、そのために「文理融合」あるいは「学際的アプローチ」が喫緊の課題であり、人材育成が重要であることを折に触れて指摘し、挑戦を試みてきた。しかしながら、継続的な研究と人材育成を推進するための資金を欠き、環境を十全に構築できなかったこともあり、結果として「知の共同体」として国立大学がその力を存分に発揮しえなかった。このことを、国立大学として痛恨の思いで受けとめている。国立大学は、いま、知的立国の拠点として、そして次世代を担う優れた人材の育成機関として、改めておのれの責務の重さを痛感している。

わが国が直面しているこのきわめて厳しい困難を克服し、安全かつ安心な社会を構築するためには、社会のあらゆる分野において知の継続的な革新を図り、次世代を担う卓越した人材の育成を計画的に実現できる公的な教育研究組織を確実に整備し、維持することが不可欠である。

全国に満遍なく設置され、国と各地域の双方のレベルで日本の教育研究の高い水準を担保する国立大学の責務は、大震災という重大な危機のなかで、いよいよ重いものとなっている。国立大学にあっては、自らの責務を果たすために個々の大学が不退転の決意をもって邁進するとともに、相乗効果の高い多様な連携を可能にする「有機的な連携共同システム」として総力を結集し、日本の希望ある未来と世界の人々が希求する安定的で持続的な社会の構築を導く原動力として、教育研究機能の抜本的な強化を実現する覚悟である。

2 国立大学の公共的な役割

大学は、教育、学術研究、文化・芸術振興、地域貢献、国際貢献を通じて、わが国ならびに人類社会の持続的発展に寄与するという公共的な役割を担っている。政府が国立大学を設置・維持するのも、まさしくこの公共性に由来している。ふり返れば、日本の大学はその創設期以来、欧米の大学をモデルとしながら発展した後、学術研究において厳しい国際競争下で主導的な地位を築き、わが国の産業の発展と人材育成、地域の産業・文化社会振興においてきわめて重要な役割を果たしてきた。しかしながら、近年の世界的な大学間競争の激化のなかで、新たに急激な経済成長を遂げつつある国々における大学の躍進はめざましく、また、欧米諸国は財政的に困難ななかにあっても国の発展の基盤をなす大学への投資を着実に確保している。これと比べると、わが国の高等教育への公財政投資は長らく停滞もしくは削減傾向にあり、日本の大学の地位もあきらかに相対的低下の重大な危機にあると言わざるをえない。

この状況が続けば、わが国の人材育成機能と学術研究機能は急速に劣化し、急務である日本再生を不可能にすることはもちろん、継続的なイノベーションを必須とする国の活力の著しい衰退に繋がることは言うまでもない。

現代社会は「知識基盤社会」と称されるように、知識基盤を欠く国家はおよそ存続することができず、とりわけ、天然資源に乏しいわが国は、卓越した人材を国として責任をもって輩出する高等教育機関を持たないかぎり、自立した国家として生き延びる途はない。ここでいう「卓越した人材」とは、研ぎ澄まされた専門的な知識を身につけているのみならず、それらを活かした確かな社会的判断力を持ち、国境の無いボーダーレスな現代社会において指導的な役割を果たしうる幅広い教養と感性、忍耐強い行動力、豊かなコミュニケーション能力を備えた人材であり、国内においてはもちろんのこと、国際社会においても厚い信頼と尊敬を寄せられる人材のことである。

国立大学は、こうした次世代を担う卓越した人材の育成を中心となって担い、新たな知の継続的な創造拠点として国内外のイノベーションを先導し、国民の健康と医療と教育の維持充実を図り、地域社会の活性化や文化・芸術振興の中核拠点としての機能を更に強化することで、その公共的な役割を果たしていく。このことを国立大学は共通認識として共有し、その実現のために全力を傾注する。

3 国立大学として強化すべき機能 -ナショナルセンター機能とリージョナルセンター機能の強化

わが国の再生と持続的発展を実現するためには、全国に満遍なく設置されている国立大学が、何よりもそれぞれの個性と特色を明確にしながら、まずは、国際的な教育研究のネットワークの一員として、高度の教育研究とイノベーションの推進に中核的な役割を果たしているナショナルセンターとしての機能を徹底して強化しなければならない。そして同時に、地域の産業・経済活動、教育・文化・芸術活動、医療活動、歴史・文化の保存・伝承など、地域振興の全般にわたって地域社会に不可欠なリージョナルセンターとしての機能を抜本的に強化する必要がある。

そのために、国立大学は今後、第2期中期目標期間中に、下記に示した機能を重点的に強化すべく全力を挙げる。強化にあたっては特に、各大学のそれぞれの個性と特色を最大限に活かし、個々の大学において人的・物的リソースをもっとも効果的に活用できるような運営を行うとともに、相互に連携協力しながら、国立大学が一つの「有機的な連携共同システム」として総力を結集して、人類の課題に真正面から取り組んで、新たな学術知の創出を図り、わが国の再生と継続的な成長発展のために先頭に立って、危機対応も含めたあらゆる場面で国民の負託に応えていくことを社会的責務とし、共通の方針とする。

機能1 卓越した教育の実現と人材育成

国立大学は、教育の機会均等の保障機能を果たすとともに、国際的に高い水準を満たす教育を通じて、地域社会の指導的人材、国際社会で活躍する人材、高度専門職業人など、知性、感性、行動力に優れた「卓越した人材」の育成に対して責任をもつ。

国立大学の使命の実現と、後期中等教育との適切な接続を担う公共的制度としての入学者選抜制度を整え、それぞれが自らのアドミッション・ポリシーに基づいた個性ある入学者選抜を実施する。

また、教養教育及び専門教育の質を更に向上させるとともに、科学技術知と社会文化知の融合などに対する現代社会の要請も踏まえて、学士課程教育、大学院教育の抜本的な改革を行う。

  • 高等教育の機会均等を保障する体制の維持・拡充
  • 各大学のアドミッション・ポリシーに基づいた多様で個性的な入学者選抜制度の確立
  • 科学技術知と社会文化知の融合を図る教育の推進
  • 教養と国際的素養の涵養を重視する教育へのカリキュラム改編
  • 医療、法曹、教育、芸術等、専門分野で活躍する高い倫理観と使命感をもった人材の育成


機能2 学術研究の強力な推進

国立大学は、これまで世界最高水準の研究、着実な基礎研究、先導的・実験的な研究の実施等を通じ、多様な学問分野を網羅した学術研究に力を注いできた。このことにより、現在の日本の発展に貢献することができたが、今後さらに、人文・社会・自然諸科学等の学術研究の強力な推進と、それを担う研究者の育成に邁進する。

特に、国立大学が全体としてみれば一つの有機的な連携共同システムをなすという特性を活かして、国内はもちろん、国際的な学術研究のネットワークの更なる高機能化を図り、高度な研究とイノベーションの中核拠点としての機能を徹底的に強化し、世界の学術研究分野における日本の存在意義をこれまで以上に高める。

  • 知的創造の源泉となる基礎的・基盤的研究の蓄積
  • 持続的発展社会の創生のための先端研究、並びに文理融合型研究の推進
  • 人類社会の課題をよく理解し、課題解決に結びつく研究活動をバランスよくマネージできる人材の育成
  • 学術上の成果を専門外の人たちに的確に伝えることのできる能力をもつ人材の育成


機能3 地域振興の中核拠点としての貢献

地域の産業・経済活動、教育・文化・芸術活動、医療活動、歴史・文化の保存・伝承など、地域振興の全般にわたって地域社会に不可欠な競争力ある中核拠点機能を強化するとともに、それを担う人材の育成に対して、高等教育へのアクセス保障を含め、明確な責任をもつ。

  • 産学官が緊密に連携したイノベーションの推進と、教育や地域文化社会発展への貢献
  • 地域の高度医療、先端医療の砦としての附属病院の機能強化
  • 上記の地域振興を担う感性豊かで、高い専門性と幅広い視野をもった人材の育成


機能4 積極的な国際交流と国際貢献活動の推進

わが国が国際社会の一員として重要な役割を果たすためには、外国人研究者、留学生の積極的受入れによる人材育成、新興国の教育研究基盤形成支援と、それを担う人材の育成を推進することが不可欠である。これらを可能にする国際貢献活動と人材育成を強化し、強い国際競争力を実現する。

  • 国際貢献活動を推進できる環境整備と、国際貢献を担う専門性を有する人材の育成
  • 外国人研究者・留学生の積極的受入れと交流による国際的な人的・知的ネットワークの構築
  • 新興国の行政官、教員等、専門分野の人材育成と教育研究力の向上支援


4 機能強化のための方策

各国立大学は、それぞれの個性と特色をみずからの競争力の根幹として機能強化に全力を挙げるものとし、その際、とりわけ下記の諸方策を効果的に組み合わせて活用する。

方策1 各大学の個性・特色の明確化と不断の改革の実行

各国立大学は、設置以来の歴史と伝統、学問分野、規模、各々が重視する機能などの違いからそれぞれに個性・特色をもち、それを活かして地域や社会からの要請に応えるとともに、国際的に期待される役割を果たしてきた。今後は、各大学の存在意義と誇りをかけた自律的な判断に基づいて、それぞれの個性・特色をより一層明確にし、ミッション・ビジョンを明示して、大学の構成員が一丸となってその実現に向けて全力を尽くす体制を構築する。

同時に、未曾有の大震災と財政悪化の中にあって、限りある財源で引き続き国立大学の社会的使命を維持・発展させるために、これまで以上に各大学の個性・特色を踏まえた不断の改革の取組を促進し、機能強化を図る。

  • 大学の個性と特色の明確化
  • ミッション・ビジョンの設定と明示
  • 大学構成員によるミッション・ビジョンの共有と責任の自覚
  • 大学の個性・特色を発揮するための大学統治機能の強化


方策2 教育研究等に関する内部質保証システムの確立と質の向上

わが国の基幹的な教育研究機関としての役割を果たし、それぞれのミッション・ビジョンを実現するために、各大学は、PDCA(Plan・Do・Check・Action)サイクルを確立し、それを社会に広く可視化することを通じて、その特色を活かした教育力・研究力強化のための改革を行う。これにより、新しい学問の創造、社会における指導的人材の育成はもとより、教育・研究・社会貢献・国際貢献の面における強い競争力をもつ「質の向上」を実現して、その成果を社会に問う。

  • PDCAサイクルの確立
  • 社会的重要課題の解決への貢献をめざした各分野の叡智結集による新たな文理融合分野の教育研究体制の整備
  • 学問の発展を支える基礎研究の充実
  • それぞれのミッション・ビジョンを実現するための教育研究組織の構築
  • その他、教育力・研究力を強化する取組


方策3 厳格な自己評価と大学情報の積極的開示、及びステークホルダーに対する説明責任

責任ある自己評価の実施を徹底し、わが国はもちろん、国際社会に対しても情報公開を適切に行うことにより、公的資金によって運営している国立大学としての説明責任を果たす。

その際、教育活動、研究活動、社会貢献活動のいずれの活動においても、ステークホルダーが十分に理解することのできる、具体的成果に裏付けられた情報として発信する。

それぞれのミッション・ビジョンにのっとった教育研究や社会貢献の実績の可視化を確実に行う体制を整え、着実な発信を積み重ねることを通して、国内外のステークホルダーが国立大学の機能強化を支援することの意義と価値への理解を深めることのできる環境を実現する。

  • 自己評価や外部評価の確実な実施と国内外への発信体制の整備
  • ステークホルダーの特性に応じた大学情報発信体制の充実
  • その他、大学情報の発信力を強化する取組


方策4 国内外の教育研究機関との連携の推進

各大学は、国際水準の教育研究と地域のイノベーションをリードする運営基盤の一層の強化を図るために、ミッション・ビジョンの再構築も視野に入れながら、スケールメリットなど最も効果的・効率的に「質の向上」を実現する方策に留意しつつ、国境や都道府県の境界、あるいは設置形態を越えた大学間の積極的連携や、自治体等との協同等も強力に推進する。

  • 学部、大学院研究科の共同設置
  • コンソーシアム等地域の大学群の連携による取組
  • 大学附属病院と地域医療機関との連携を強化する取組
  • 海外大学とのダブルディグリー、ジョイントディグリー等の教育プログラムの構築
  • その他、大学間連携を強化する取組


方策5 大学運営の効率化・高度化の推進、及び外部資金の有効活用

大学の自治と学長を中心としたリーダーシップの確立により、意思決定の速度を上げ、各大学の個性あるミッション・ビジョンの速やかで確実な実現のために、国立大学の施設の共同利用や事務の共同運営、FD(Faculty Development)やSD(Staff Development)などの各種事業の共同実施等を更に積極的に推進するとともに、大学業務の効率化を徹底的に行う。また、役員や教職員の意識改革をいっそう推進し、その資質を計画的に高めていく。

外部資金の獲得やその有効利用を促進し、経営基盤の強化を図る。

  • 研究所、図書館、宿舎等大学資源の共同利用
  • 共同のFD、SDプログラムの実施
  • 事務処理等の共同化
  • 大学情報の一元管理とIR(Institutional Research)機能の整備による運営体制の強化
  • 国籍を問わない高度人材の役職員への登用など多様な人材交流の促進
  • 外部資金の獲得努力の強化
  • その他、大学運営の効率化・高度化を図る取組


5 機能強化を実現するために -政府への要請

要請1 日本の知の革新を担う国立大学の充実を

国立大学は、国の組織として、その発足以来、国や地域のイノベーションを支えるとともに、わが国の人材育成を体系的に担ってきた。わが国の現下の困難を克服し、日本の再生と安全の確保を図り、地域を活性化し、国の持続的安定的な発展を確実にかつ計画的に実現するためには、その基盤として、人と知恵の源泉であり、継続的な知の革新を中心的に担う国立大学が行う機能強化の努力を、政府があらゆる側面から全力で支えるべきである。

要請2 高等教育へのアクセス保障を

国立大学による教育の機会均等の実現を支援するため、国立大学の学生納付金については、授業料標準額を上げることなく、また、学部・分野別の差を設けない現在の方針を堅持することを求める。奨学金や授業料免除の一層の拡充を求める。

要請3 機能強化を促進するための様々な環境整備を

各大学による自主的な連携や共同運営、共同利用等の大学の機能強化に向けた積極的な取組を支援するため、大学の規模・学問分野や所在地域にも留意しつつ、必要な環境整備を進めることを求める。例えば、一層の連携促進のための制度の弾力化など、必ずしも設置形態にとらわれない制度的な支援、また、効率化の努力によって産み出された資源を予算の減額に導くのでなく、改善努力分として教育研究の更なる質の向上や将来の投資に充てることができる制度に改めることや、外部資金の導入を促進するような環境整備を行う必要がある。

要請4 評価システムの改善を

大学評価制度は、国立大学が自らの説明責任を果たすとともに、教育研究活動や大学運営の改善を進める上で重要な役割を果たしている。一方で、必要以上に詳細で画一的な目標・評価手法によって、目標・評価活動だけが自己目的化し、大学の教育研究活動に支障が生じ、大学運営の改善に必ずしも有効に活用されず、さらに国民にも大学の実態を十分に伝えられていないなどの課題がある。

各評価制度の意義・目的を踏まえつつ、大学の個性伸長・機能強化に真に資するとともに、大学関係者をはじめ国民に「見える」ものとなるよう、認証評価との関係を含め、目標・評価システムを評価機関等と協議、連携して抜本的に見直す必要がある。

要請5 財政基盤の安定化と財務システムの見直しを

各大学の自主的な機能強化の取組を積極的に評価し、継続的に支援するため、長期的視点からの国立大学法人運営費交付金を含めた継続的・安定的な財源の確保、教育研究力強化のための施設・設備の整備充実、機能強化を促進するための国公私を通じた支援の拡充や大学を支援する法人の強化など、大学の機能強化の努力を真に支える強力な政策を求める。

また、各大学の教育研究・社会貢献を更に高度化し、より実効性あるものとするために、国立大学法人運営費交付金の配分方法の改善、人件費等の弾力的な執行、大学の運営資金・資産の弾力的な運用、大学附属病院の経営基盤の強化など財務システムの見直しを求める。

6 国立大学協会として

国立大学協会は、各国立大学と協力し、国民をはじめステークホルダーの期待に応えるべく、国立大学にかかわる情報の収集とそれらの分析に基づく提言などを通じ、各国立大学の果たすべき機能の強化に向けた取組を促し、それぞれの自己改革の状況を公開する。特に、各国立大学が期待される役割を十全にかつ速やかに果たすことが出来るように、国立大学が全体として、一つの有機的な連携共同システムをなしているという観点からも、積極的に支援を行う。

同時に、特色を活かした存在感のある大学の創生と機能強化を促進するために、本協会は、第1期中期目標期間の検証を通じて掲げた課題を踏まえつつ、資源配分や中期目標、国立大学法人評価や認証評価などの評価システム、大学間連携、人事・給与等の処遇、予算執行、資産管理などに関する制度の柔軟性の拡大、入学者選抜制度の改善・改革などについて更なる検討を行い、政府や各国立大学に対し、制度や運用の見直しを強く求めていく。

2011年5月29日日曜日

第二期中期目標期間の法人評価要領固まる

文部科学省から、去る5月24日(火曜日)に開催された国立大学法人評価委員会総会(第38回)の資料が送付されてきました。

この中に、「国立大学法人及び大学共同利用機関法人の第2期中期目標期間の業務実績評価に係る実施要領(素案)」がありました。

もう第二期中期目標期間に係る評価が動き始めているんです。

この資料、まだ、文部科学省のホームページには掲載されていないようですので、概要、スケジュール、評価における共通の観点を抜粋してご紹介します。

(概要)
  • 中期目標期間終了時の評価は、各法人の自己点検・評価に基づいて行う。具体的には、各法人の中期計画の実施状況等に基づき、中期目標の各項目の達成状況 を確認(項目別評価)し、その結果等を踏まえ、各法人の特性に配慮しつつ、中期目標の達成状況の総合的な評価(全体評価)を行う。

  • 各法人の質的向上を促す観点から、戦略性が高く意欲的な目標・計画等は、達成状況の他にプロセスや内容を評価する等、積極的な取組として適切に評価する。

  • 各法人の自己点検・評価が着実に行われているかどうか確認する。

  • 評価に当たっては、例えば、世界最高水準の研究・教育の実施、計画的な人材養成等への対応、大規模基礎研究や先導的・実験的な教育・研究の実施、社会・ 経済的な観点からの需要は必ずしも多くはないが重要な学問分野の継承・発展、全国的な高等教育の機会均等、地域や国際社会への貢献、教育・研究の国内外連 携を通じた実施等、法人の多様な役割に十分配慮する。また、教育研究の定性的側面、中長期的な視点に留意する。

  • なお、別添1の「共通の観点」について、第2期中期目標期間における取組状況を評価する。

(スケジュール)

平成28年6月30日まで
各法人が「平成27年度及び中期目標期間の実績報告書」を提出

7~8月頃
実績報告書を調査・分析(業務運営等)

9~10月頃
1)平成27年度の業務実績に係る評価結果案に対する各法人の意見申立て、2)平成27年度の業務実績に係る評価結果の決定、各法人に通知・公表

平成29年1~3月頃
1)教育研究の状況の評価結果案に対する各法人の意見申立て、2)教育研究の状況の評価結果の決定、評価委員会に提出、各法人に通知、3)評価委員会の評価結果案に対する各法人の意見申立て

3~4月頃
評価結果の決定、各法人に通知・公表


(共通の観点)

1 業務運営の改善及び効率化

=戦略的・効果的な資源配分、業務運営の効率化を図っているか=

各法人の総合的な戦略や状況に応じた柔軟かつ迅速な物的・人的資源の配分が進められているかどうかという観点から評価することが必要である。また、法人内のコンセンサスの確保に留意しつつ、教育研究活動の進展や社会のニーズに機動的に対応するため、迅速かつ効率的な意思決定と業務執行がより一層求められており、業務運営の合理化や管理運営の効率化が進められているかどうかという観点から評価する。
(指標例)法人の経営戦略に基づく経費及び人員枠等、資源配分の措置状況

=外部有識者の積極的活用や監査機能の充実が図られているか=

外部有識者の活用により運営の活性化が図られているかどうかという観点から評価する。また、内部監査の組織が適切に整備され監査が実施されると共に監事や会計監査人による監査結果を適切に運営に反映させるなど、監査機能の充実が図られているかどうかという観点から評価する。
(指標例)1)外部有識者の活用状況、2)経営協議会の審議状況・運営への活用状況及び関連する情報の公表状況

2 財務内容の改善

=財務内容の改善・充実が図られているか=

国費の投入により支えられている法人において、財務内容を改善することは重要な課題であり、法人の目的に照らして経費の節減、自己収入の増加及び資金の運用が図られているかどうか、財務分析を実施し、その分析結果を運営の改善に活用しているかどうかという観点から評価する。(附属病院を置く法人は、継続・安定的な病院運営のために必要な取組も含む。)
(指標例)1)経費の節減、自己収入の増加、資金の運用に向けた取組状況、2)財務情報に基づく財務分析結果の活用状況

3 自己点検・評価及び情報提供

=中期計画・年度計画の進捗管理や自己点検・評価の着実な取組が図られているか=

法人が中期計画・年度計画を計画的に実行するとともに、自己点検・評価の着実な取組が図られているかどうかという観点から評価することが必要である。
(指標例)1)中期計画・年度計画の進捗状況管理の状況、2)自己点検・評価の着実な取組及びその結果の法人運営への活用状況

=情報公開の促進が図られているか=

法人が社会的使命を果たしつつ、その活動を行っていくため、教育研究等の状況について積極的な情報提供が求められており、情報公開の促進が図られているかどうかという観点から評価する。
(指標例)情報発信に向けた取組状況

4 その他の業務運営

=法令遵守(コンプライアンス)体制が確保されているか=

法人が社会的使命を果たしつつ、その活動を行っていくため、法令遵守(コンプライアンス)体制が確保されているかどうかという観点から評価する。
(指標例)1)法令遵守(コンプライアンス)に関する体制及び規程等の整備・運用状況、2)災害、事件・事故等の危機管理に関する体制及び規程等の整備・運用状況

2011年5月28日土曜日

強みを総動員する (ドラッカー)

成果をあげるには、人の強みを生かさなければならない。
弱みからは何も生まれない。
結果を生むには、利用できるかぎりの強み、すなわち同僚の強み、上司の強み、自らの強みを総動員しなければならない。


2011年5月22日日曜日

国立大学法人の経営努力は果たして十分か

国立大学法人では現在、6月末を期限とする財務諸表等の文部科学大臣への提出に向けた決算作業が大詰めを迎えています。その中で、特に気になるのが決算剰余金、つまり翌年度へ繰り越して使える額がいかほどになるのかです。

今回決算の対象となるのは平成22事業年度で、第二期中期目標期間の初年度に当たります。第一期中期目標期間から第二期中期目標期間への繰り越しが原則として認められなかった、認められたとしてもかなり厳しい条件の下での繰り越しであったこと、さらには、会計検査院の指摘により、今後翌年度への繰越申請に当たっては、その使途を明確にすることが求められるようになったことから、単年度予算制度の弊害である”予算の使いきり”が復活する気配はあるものの、予算の弾力的使用を可能とする法人化のメリットを活用することの意義も捨てがたく、おそらく今回の決算でも、各大学で多額の剰余金が発生することは間違いないでしょう。

大事なことは、翌年度への繰越承認を受けたお金の使い方です。民主党発足当時は”コンクリートからヒトへ”という言葉が流行りましたが、国立大学法人では相変わらず”コンクリート”重視の風土に変化はなく、教育研究環境の整備という名目により、国民や学生から見ると必要性、必然性の感じられない投資が続いているような気がします。

さて、ずいぶん前になりますが、ある新聞が報じた全国の国立大学長アンケート結果によれば、92%(77大学)の学長が、「法人化により国立大学間の格差が広がった」と回答し、「過去の資産のある大規模大に資金が集中している」「旧帝大は余裕があるため、新たな展開を可能にしている、格差拡大は『地力の差』にある」といった意見を寄せていました。

また、法人化後の問題点として、「各大学とも毎年1%を目安に教育研究経費の効率化が求められ、全体として法人化後700億円を超える運営費交付金が減額されたこと、一律削減により、もともと財政基盤の異なる旧帝大と地方大(特に教育系単科大)の格差が広がった」ことなどを指摘していました。

このような厳しい状況の中、各大学は、例えば、運営費交付金の削減分を外部の研究資金や寄付金などで補う努力を続けてきているわけですが、ある学長が「外部資金獲得は大規模有名大学あるいは医理工系分野に有利に働く」と指摘しているように、地方大学の限界も垣間見えています。

国立大学法人に身を置く者の一人として申し上げれば、確かに法人化前に比べれば、いわゆる「人、物、金、スペース」といった資源の不足感は否めませんし、声を大にして社会に訴えることも必要なことだと思います。しかし、それでは国立大学法人(の学長)は、国立大学法人とは縁もゆかりもない社会の人々、あるいは、私立大学に多額の授業料を負担している保護者からいただく運営費交付金という名の税金を無駄なく効果的に使っているのかと問われた時に、果たして1円単位できちんと説明や証明ができるのか甚だ疑問の点があります。

国立大学法人の経営トップである学長は、これまで、運営費交付金の削減で「資金が足りなくなり、教育研究や学生サービスに悪影響が出た」「教職員の定年退職後不補充により、特に卒業研究指導など教育への悪影響(が出ている)」「交付金の削減をやめ増大に転じることが必要」「高等教育の公財政投資を欧米並みに、現在の国内総生産(GDP)比0.5%から1%に増加させることが必要」といった国民の心に全く響かない具体性のない言葉のつながりを、教員出身者らしく能弁に語ってきましたが、それだけでは全く説得力がありません。「私達はここまでこういった努力や改革をやってきた、しかしそれもこういった点で限界域に達している」ということを、客観的なデータなど、誰もが納得できる具体的なエビデンスに基づいて説明しなければ誰も理解してくれないのではないかと思います。多額の税金や学費によって賄われていることの意味を大学のホームページ等できちんと説明している国立大学法人はまだまだ少数のような気がします。

大学の中には、学長や役員の目には留まらない、留まってもあえて放置されている「あるべき姿と実態との大きな乖離」(=緊急に解決すべき課題)がいくつもあります。また、上記のように、大学の外からみた評価や会計検査院による無駄遣い検査において、毎年のように指摘されているにも関わらず手をこまねいている課題も少なくありません。今の国立大学法人には、予算(税負担)の増額を国民に求める前に改善しなければならない課題が山ほどあるのではないでしょうか。

法人化後、国立大学の財務会計制度が格段に改善されました。年度内に消化できない予算については、「経営努力」という美名のもとに翌年度に繰り越して使用することが可能になりました。文部科学省が国立大学に繰り越しを承認した金額は、キャッシュベースで1千億円以上に上ります。国立大学法人は、予算消化(予算の無駄遣い)に奔走するという悪弊の時代に逆戻りすることのないよう、また、多額の剰余金を毎年度生じさせることと、予算が厳しく教育に支障を来しているというコメントを発することとの整合性を国民に対してきちんと説明する必要があります。

2011年5月21日土曜日

自らの貢献を考える (ドラッカー)

成果をあげるには、自らの果たすべき貢献を考えなければならない。
手元の仕事から顔をあげ、目標に目を向ける。
組織の成果に影響を与える貢献は何かを問う。
そして責任を中心に据える。


2011年5月17日火曜日

負けないで

記憶に残したいと思いましたので転載させていただきます。


「母さん用意してくれた舞台…」負けないで、東京で吹く(2011年5月15日 朝日新聞)

震災から1カ月後の4月11日、津波に流された岩手県陸前高田市の自宅跡に立ち、トランペットを奏でる少女がいた。その少女が東京都内で今月20日に催される被災地支援のチャリティーコンサート「故郷(ふるさと)」に招かれた。鎮魂の曲は、あの日、がれきに囲まれながら天国の母らに捧げたZARD(ザード)の「負けないで」。

岩手県立大船渡高3年の佐々木瑠璃さん(17)は、母宜子さん(43)と祖母隆子(りゅうこ)さん(75)、叔母、いとこを亡くした。祖父廣道(こうどう)さん(76)は今も不明。「私は元気。心配しないで」。自宅跡で海に向かい、泣きながら旋律に託した。


写真:朝日新聞


翌日の朝日新聞(東京本社発行)に載った涙を拭きながら楽器を抱きしめる写真を、東京フィルハーモニー交響楽団のトランペット奏者安藤友樹さんらが見た。宮城県石巻市出身でコンサートの呼びかけ人。「写真から悲しい音色が聞こえるようだった。何かのきっかけにしてほしくて」と出演を依頼した。

コンサートに参加するのは、被災地出身者を中心としたプロばかり。最初、瑠璃さんは戸惑った。「私で大丈夫かな」。でも、数日考えて心を決めた。「津波の怖さ、被災者の悲しみが一人でも多くの方に伝わるのなら」と。


3月11日午後2時46分。

瑠璃さんは学校で吹奏楽部の練習中だった。教室の天井が落ち、校庭へ逃げた。3時21分、宜子さんから携帯電話にメールが届いた。「落ち着いて。あなたはそこにいなさい」

家族が迎えに来た生徒から下校が始まった。瑠璃さんの自宅は海岸から2キロ近く離れていたから、津波は届かないと信じ切っていた。「お母さん、早く来ないかな」

体育館で一夜を明かし、翌日の昼過ぎ、親戚が迎えに来た。「家族は」と尋ねると、言葉を濁された。

親戚宅で待っていたのは、父の隆道さん(48)。自宅2階にいて家ごと流され、窓から投げ出された。流れる畳にしがみつき、がれき伝いに高台へ逃れた。頭と左目は包帯でぐるぐる巻き。ぽつりと言った。「母さんが見つからないんだ」

市嘱託職員の宜子さんは、避難所となっていた市民会館で被災者の世話をしようとした時、濁流にのまれた。

「現実を受け入れられなくて」と瑠璃さん。空っぽの心で天井を見つめる夜が続いた。3月16日に宜子さんの財布、翌17日に遺体が見つかった。布団に潜ると涙が止まらなくなった。

29日に火葬が終わった。気持ちに区切りをつけるため、宜子さんが好きな「負けないで」を遺骨に聴かせようと思い立った。

「私はホルンを吹いていたのよ」。瑠璃さんが9歳で小学校のバンドに入ってトランペットを始めると、宜子さんはうれしそうだった。今も使う楽器はその時、祖母の隆子さんが「ずっと続けてね」と買ってくれたものだった。

2人は演奏会に熱心に来てくれた。「すごくよかった」「次も頑張ってね」。演奏が終わると、宜子さんは必ず声をかけてくれた。

身を寄せる親戚宅から自転車で往復3時間かけ、学校へトランペットを取りに行った。久しぶりに吹いた音色は「初心者みたいにフラフラ」。これでは聴かせられないと、練習して迎えた4月11日だった。


最近、やっと寝つけるようになった。徐々に、こう思えるようになった。

「亡くなった幼なじみがいる。両親を失い、転校した友人がいる。それに比べれば、私なんて……。この体験を語り継ぐ責任があるような気がするんです」

参加を決めたコンサートも「お母さんたちが用意してくれた舞台なのかも」。

将来は医師になりたいという。「最初は獣医師に憧れたけど、今の目標は救命救急医。人の命を助ける仕事をめざします」

コンサートは新宿区の東京オペラシティで、午後7時開演。入場料5千円。収益は被災地の学校への楽器提供などに充てられる。問い合わせは実行委員会(03・5449・1331)へ。(中川文如)

2011年5月15日日曜日

風化させるな米軍による沖縄支配

今日5月15日は、「沖縄(本土)復帰記念日」です。
第二次大戦後アメリカの統治下にあった沖縄が、「沖縄返還協定」(1971年6月17日締結)に基づき、1972年5月15日午前0時をもって日本に返還されました。


写真:沖縄復帰記念式典(沖縄県ホームページ


沖縄返還についての詳細は、こちら(ウイキペディア)をご覧ください。

きょう復帰39年/今も続く基地の集中 差別の解消は国の責務だ(抜粋)(2011年5月15日 琉球新報)

1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから満39年を迎えた。米国統治の矛盾と不合理の根本的な解決を望んだ県民の期待に反し、現在も全国の米軍専用施設面積の74%が存在する。安保の負担を沖縄だけに押し付ける「差別の構図」は全く変わっていない。
沖縄は太平洋戦争で本土防衛の捨て石にされ、全国で唯一、おびただしい数の住民を巻き込んだ地上戦が繰り広げられた。日米の死者20万余のうち一般県民は約9万4千人に達する。戦後は米軍施政下に置かれ、広大な土地が米軍基地建設のため強制的に接収された。憲法の恩恵を受けた本土と異なり、自治権などさまざまな権利を制限され、戦後も苦難の道を余儀なくされたのが沖縄だ。・・・
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-177096-storytopic-11.html

弱者に押し付ける傲慢 沖縄米軍基地と原発(抜粋)(2011年5月16日 東京新聞)

多くの人が好まない施設を、経済基盤が脆弱(ぜいじゃく)な地域に交付金や雇用、ハコモノなどの「アメ」とともに押し付ける。この構図は沖縄の米軍基地だけでなく、原子力発電所の立地にも共通する。
安全保障も電力も、国民の生命と財産を守り、暮らしを豊かにするために欠かせない社会インフラであることは、誰しもが認める。
本来なら、それに伴う負担は、その恩恵に浴する人々が、可能な限り公平に負担すべきだ。しかし、実際はそうなっていないところに問題の本質がある。
沖縄の過剰な基地負担の上に成り立つ日本全体の安全保障。原発の電力は地元で使われることはなく、多くは人口密集地向けだ。
民主党政権の公約破りは沖縄県民の、原発事故は福島県民や原発立地他県住民の、なぜ自分たちだけが負担を強いられているのかという不公平感を呼び覚ました。
こうした地域の労苦は、負担を直接負ってこなかった多くの国民にとって他人事(ひとごと)であり、負担を押し付けることに、あまりにも無神経で傲慢(ごうまん)だったのではないか。
政府ばかりを批判できない。それを許してきたのは、われわれ国民自身であるからだ。
弱い立場に立つ人に押し付けて豊かさを享受する生き方を、そろそろ改めた方がいいのだろう。基地問題や原発事故の教訓は、そこにこそ見いだしたい。
沖縄の米軍基地も原子力発電所も、今すぐに撤去することは現実的でないことは理解する。それにより雇用が生まれ、地域経済に組み込まれているのも事実だ。
まずは、基地も原発も過渡的な施設と位置付けることから始めたい。その上で、新しい安全保障政策やエネルギー政策を議論し直し、実現のための工程表をしっかりと描かねばならない。
アジア・太平洋地域の安定に実力組織はどこまで必要で、自衛隊と米軍は役割をどう分担するのか。その維持にはどのような施設が必要で、日本国内にどう配置するのか。その際、一地域に過重な負担を押し付けてはならない。
また、原発をいつまで維持し続けるのか。新しいエネルギー源開発はどこまで可能か。電力供給に限りがあるのなら、電力に頼る生活の見直しも避けられない。
国会議員や官僚、専門家だけでなく国民全体が当事者意識を持って議論に積極的に参加すべきだ。さもなくば、基地や原発の問題はいつまでたっても解決しない。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2011051602000035.html


日本には未だにアメリカ軍の基地が置かれ、その約70%が沖縄にあります。復帰記念日を通してさらに平和を考える日としたいものです。

(参考)沖縄関連過去記事(大学サラリーマン日記)

2011年5月14日土曜日

自ら変化をつくりだす (ドラッカー)

組織が生き残りかつ成功するには、自らがチェンジ・エージェントすなわち変革機関とならなければならない。
変化をマネジメントする最善の方法は、自ら変化をつくりだすことである。


2011年5月13日金曜日

東日本大震災から学ぶこと

東日本大震災の発生から2か月が経ちました。犠牲者の方々のご冥福をあらためてお祈りいたします。

被災地では、いまだ行方不明者が1万人近くいる中、多くのボランティアや義援金などの支援が続けられています。息の長い支援を心から希望したいと思います。



写真:資料画像


さて、このたびの震災により日本人が学んだことはたくさんあると思います。そのなかで、大学のリスクマネジメントという観点から、吉武博通さん(筑波大学大学研究センター長、大学院ビジネス科学研究科教授)がリクルート カレッジマネジメント(168/May-Jun. 2011)に寄稿されている「東日本大震災に際しての危機対応と大学がこの経験から学ぶこと」(抜粋)をご紹介したいと思います。
全文は、こちらをご覧ください。


大震災を機にこれからの大学を考える

大震災とそれに続く原発事故は、社会における大学の役割や教育研究のあり方など、これからの大学を考える上で重要な様々な課題や視点を投げかけている。
最も重要と思われる点は、知識の獲得・蓄積・活用についてである。専門家も一般人も知識の獲得にいま以上に貪欲になり、社会全体で知識の厚みを増していかなければならない。知識を一部の専門家が囲い込むことで馴れ合いが生じ、異なる見方も黙殺されることになる。その上で、確かな部分と不確かな部分の境界を明確にし、不確かな部分に危険が潜む可能性があれば、それが顕在化した時に対処できる術を社会や個人が身につけておかなければならない。
大学や高校の授業で地震・津波や原発・放射能の基礎を学ばせる必要もあろう。日本を知ると言いながら、日本史の学習は繰り返されるが、日本列島の地質構造や地震・津波災害の歴史などは学ぶ機会が限られている。電力の3割近くを原子力に依存しながら原発や放射能の知識はマスコミ報道頼みでは心もとない。
大学は教員ポストという既得権を守ることで、学問構成に大きな変更を加えることなく時を刻んできた面がある。火山国であり、噴火被害が繰り返されるにもかかわらず、火山学者は全国でも少数という。
未曾有の体験をしたからこそ、求められる知識とは何かについて、あらためて考え直してみる必要もあるのではなかろうか。
最後に、地震予知連絡会委員を務める若手地震学者の八木勇治筑波大学准教授に寄せてもらったメッセージを紹介し、本稿を締め括ることにしたい。
「東日本大震災を引き起こしたのは、日本の近代観測史上最大のマグニチュード9.0の巨大地震であった。この巨大地震の震源域は、地殻変動データから歪みが蓄積していることが明らかになっていた領域と一致している。残念ながら、多くの地震学者は、過去の地震活動のみに注目し、地殻変動から発せられている危険信号を十分に認識することができなかった。今回の地震は、自然現象を理解し、将来を予測するために、学際的な研究を深めていく重要性をあらためて教えてくれた。これから大学が果たすべき役割は大きい。」

2011年5月12日木曜日

日本のために団結しよう

俳優の渡辺謙さんが東日本大震災の被災者支援のための募金を集めるためにつくったサイト「UNITE FOR JAPAN」をご紹介します。
A few months have passed since the deadly earthquake struck Japan, but hundreds of thousands are still living in shelters and many are reporting increased rates of fatigue, stress, and insomnia. In addition, a growing number of children are developing mumps, asthma, and pneumonia and other illnesses related to stress. Two months later, Japan still needs your help. If you haven’t already done so, please support by making a donation. No contribution is too small, and if we work together, we can make a difference

Ken Watanabe

渡辺さんの呼びかけに応じたハリウッドの著名俳優、映画監督、ミュージシャンのほか日本にゆかりのあるスポーツ選手らが、東日本大震災の被災者への支援を訴えています。


Stars Unite for Japan's Earthquake Relief Effort (PSA part 1)


D

PSA Participants: (In order of appearance) Ken Watanabe, Jamie Lee Curtis, Apolo Ohno, Paula Abdul, Ben Stiller, Johnny Depp, Maggie Q, Ben Affleck, Rob Marshall, Zac Brown, Sharon Lawrence, Masi Oka, Hideki Matsui, Cillian Murphy, Jonah Hill

Executive Producer, Ken Watanabe; Producer, Satch Watanabe, Aya Tanimura; Co-Producer, Chris Frey; Coordinator, Minako Kudo, Tom Kudo; Camera, Tadashi Tawarayama, Stacy Toyama, Takuro Ishizaka, Shingo Murayama, Polly Morgan, Christian Baker, Henry Lu, Nico Engelbrecht; Music, Jake Shimabukuro; Make-up, Akiko Matsumoto; Editing, Teru Haruta, Yoshio Kohashi, Color correction, Ken Locsmandi; Compositor, Go Aoyama; Sound mixing, Richard “Tricky” Kidding; Publicist, Alia Quart Khan, Craig Bankey

Special Thanks to Morgan Ahlborn, Yoshi Abe, Sarah Adolphson, Sarah Balog, Alec Boehm, Russell Brand, Francie Brown, Bernard Cahill, Tasha Carter, Christina Cattarini, Peter H. Chang, Eric Cruz, Robert Dehn, Christi Dembrowski, Akiko Fujino, Kazusa Flanagan, Bradley Gordon, Noah Hawthorne, Ilana Heller, Isao Hirooka, Nathan Holmes, Jaja Ishibashi, Q Ishizaka, Skylar James, Mayumi Kaneyuki, Sarah Lin, Rob Lorenz, Angie Losito, Sarah Lum, Emma Moffat, Ryusuke Okajima, Elizabeth Ricin, Caroline Roberts, Greg Seese, Rebecca Tubby, Edwin Ushiro, Will Ward, Sumiko Watanabe, Justin Winters, Yuki Yoshida, Michael Zimmer, Tortoise, Asia Society, CAA, Center for Asian American Media, ICM, Infinite SealCinefugue Productions, MLB, Oakland Athletics, ROAR, WME.


Stars Unite for Japan - Part 2


D

In order of appearance: Aisha Tyler, William Shatner, Jamie Lee Curtis, Apolo Ohno, John Travolta, Jennifer Morrison, John Legend, Katy Perry, Masi Oka, Rob Marshall, Sharon Lawrence, Richard Lewis, Paula Abdul, Hideki Matsui, Steph Song, Amaury Nolasco, Robert Patrick, Maggie Q, Philp Seymour Hoffman, Ayako Fujitani, Jonah Hill, Julian McMahon, Ellen DeGeneres, Mikael Hafstrom, Muramasa Kudo, Cobie Smulders, Jake Shimabukuro, Zoe Saldana, Cillian Murphy, Cameron Diaz, Matt Damon, Charlize Theron, Mark Wahlberg, Leonardo Dicaprio, and Clint Eastwood

2011年5月11日水曜日

大学運営への職員参加を進めるためには

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菜の花に囲まれた列車の車窓から見える風景はきっとすばらしいでしょうね。


大学運営への職員参加が期待されているほど進んでいない現状を踏まえ、日本福祉大学常任理事の篠田道夫さんは、文部科学教育通信(No266 2011.4.25)において、職員の経営や管理運営、教学参加の必要性について次のように主張されています。


職員の大学運営参加の意義



教員統治の伝統からの脱却

まずは職員参画について明確な課題設定と方向性を示した孫福弘氏の2002年の論文から始めたい。教員統治からの脱却なくして職員の力の発揮はあり得ないことを明確に示すとともに、それは職員の権利獲得のためなどではなく、大学の生存と進化に必須の条件であることを端的に述べている。
「『教員ギルドによる統治』の伝統から抜け出ていない大学組織運営の通念をそのままにして、まともなSDの理念は構築し得ない。大学における職員のあり方を、教員統治下での単なる事務処理官僚(=事務屋)から、政策形成に係わる経営のプロフェッショナルや、教育・学習・研究の現場を支援し実り豊かなものに育て上げる高度専門スタッフなどの新たな定義に向かって、パラダイムシフトできるか否かが鍵となる。それはまた、職員の、権利獲得運動などという矮小なレベルの話ではなくて、21世紀における大学の生存と進化にとって必須条件なのである。・・・そのような認識が『大学行政管理学会』の設立へと私を駆り立てていった」(孫副弘「経験的SD論」IDE、2002年)


職員の教学役職への抜擢

次に山本眞一氏の提起を見ていきたい。
「激変する情勢の下、大学を維持発展させていくためには、もはや古典的な教授会中心の運営では持ちこたえられない・・・」「事務組織は、これまでのような行政処理や教員の教育研究活動の支援事務を中心とする機能から、教員組織と連携しつつ大学運営の企画立案に積極的に参画し、学長以下の役員を直接支える大学運営の専門職能集団としての機能を発揮するよう、組織編成を見直す」「現在の事務局長職は、財務や管理担当の副学長に昇格させることが適当であろう」(山本眞一「改革を支えるアドミニストレーター養成の方策」『カレッジマネジメント』110号、2001年)「教員と職員の間は、明らかに身分格差とも思えるような状況にあり『教授会決定』という錦の御旗のもとに、大学の重要事項は全て教員が決め、職員はそれに従うだけでよいとされていた・・・」しかし「もはや大学は、教員あるいは教員集団の『素人経営』で済ませるわけにはいかない」(山本眞一『大学力』ミネルバ書房、2006年)
教授会による管理の限界を指摘し、職員の位置付けの向上、とりわけ教学上のポストへの就任による教員との対等な協働関係の構築を提起した。


職員からの経営トップへの登用

清成忠男氏の提起は、教員と職員は対等であることを前提に、職員は経営トップを目指すべきだし、経営のプロとして職務の連続性が認められるというものである。
「教員と職員は車の両輪であり、対等の関係にある」「職員は・・・どのような職種においても、企画力が求められる。動機付けと達成経験を繰り返し、自己形成的に企画力を蓄積させることが必要で・・・大学運営のプロを育成することが望ましい」「長期的に見れば大学法人の内部から専門的経営者を登用することが望ましい。その際、CEOには、教員よりも職員のほうからの登用が期待できる。それというのも、職員としての大学経営のプロと専門的経営者の間には連続性が認められるからである。登用への道が明確になれば、目標ができ職員の励みになる」(清成忠男「変化の時代には、変化対応の人事が求められる」『カレッジマネジメント』140号、2006年)


教員・職員同数の役員構成

筑波大学の吉武博通氏も、同様に対等関係を強調した上で、役員は教・職が同数程度で構成するのが理想とし、強固な協力関係で教育や経営にあたる職務構造の構築が不可欠だとしている。
「まず、大学が職員に何を期待すべきかについて考えて見たい。1)経営スタッフとしての役割、2)教員と協力して教育・研究を企画・推進する役割、3)将来の経営予備軍(役員候補)としての役割、の3点ではないだろうか。・・・筆者は、役員ポストを教員出身者と職員出身者が同数程度シェアし合い、それに若干名の学外者を加えるのが理想的なトップマネジメントの構造ではないかと考えている。職員のゴールとなる役職到達点が部長までとか課長までとかあらかじめ決められていては、志の高い人材は集まらない・・・。教員が主役、職員は脇役と言う図式を払拭し、・・・協力して教育・研究や経営に当たるという職務構造を作り上げていかなければならない」(吉武博通「プロフェッショナル人材にどうやって育成するか」『カレッジマネジメント』133号、2005年)


職員は分野が違うだけで対等

川本八郎氏(前立命館理事長)は、職員出身のトップの立場からさらにストレートに提起する。
「大学職員のあり様というものを、我々は根本的に考え直して、職員の力量向上、言い換えますと職員が学園の全ての分野において主要な主人公として登場する大学を作らなければだめであると考えます。大学の職員は先生の下僕ではありません。立場が違うけれど、自分の仕事に堂々と確信を持って提起しなければだめです」「学部長は選挙によって2年か3年で交代します。では総体としての大学の社会的・歴史的な視野から学生実態を、誰が整理・分析し、問題を提起するかといえば、私は事務局であると思います。事務局ということは職員です」(川本八郎『21世紀の大学職員像』かもがわ出版、2005年)


「車の車輪」論の実態化

最後に私自身のこの問題に対する主張を載せさせていただく。
重要なのは「職員は学園・大学の意思決定過程に参加し、ふさわしい権限を持って責任ある業務を遂行するという点だ。これなしには、いかに素晴らしい業務提案も実際の大学運営、戦略遂行に生かせないばかりか、事務局の主体性も、自覚も成長しない。教員のみを中心とする運営から教職のコラボレーションによる改革推進へ、明確な転換が求められる。
職員参加には、経営組織参加、数学組織参加、政策審議組織参加の大きく3分野があるが、最もハードルが高いのが数学参加だ。その背景には、『教授会自治』の理念や、職員の人事権が理事会にあり、形式的には学長ライン系列にない点などがあげられる。しかし、大学教育も教員の教授労働と職員の教学業務の結合によって成り立つ以上、職員組織がきちんと意思表明でき、率直な提案が出来る運営が望ましい。こうした職員の位置づけによって、大学改革のテーマを共に担う、真の教・職協働の前進、改革の前進へと繋がる。・・・現場業務に従事する職員が把握する問題点やニーズを踏まえる事なしに、真の改革的な、現実問題に立脚した戦略形成は不可能である。そしてそのためにも、事務局の問題分析力量や政策形成力量が厳しく問われる」「職員の位置づけや役割の重要性の提起から、経営組織や大学機構への職員参加のあるべき姿、そこでのポストや権限など具体策が不可欠だ。これを語らない職員論には限界がある。『車の両輪』論を学内機構に実体化する取り組み、方法論なしに、職員の主体性の確立、急速な力量形成、真の教職協働は難しい。・・・教学との関係では、現在副学長など重要ポストへの職員配置は徐々にではあるが広まり、大学各機関への職員参加も前進しつっある」(篠田道夫『大学アドミニストレーター論』学法新書、2007年)

2011年5月8日日曜日

真摯さこそ不可欠 (ドラッカー)

人を管理する能力、議長役や面接の能力を学ぶことはできる。
管理体制、昇進制度、報奨制度を通じて人材開発に有効な方策を講ずることもできる。
だがそれだけでは十分ではない。
スキルの向上や仕事の理解では補うことのできない根本的な資質が必要である。
真摯さである。


2011年5月7日土曜日

文部科学省の広域人事に関する問題

東京電力の原発事故処理が遅々として進まない状況の中、所管官庁と業界との「癒着」の温床ともなる”天下り”が問題になっています。
読売新聞(2011年5月2日)によれば、過去50年の間に、経済産業省から電力会社12社へ再就職した数は68人。経産省での最終ポストは、次官6人、エネルギー庁長官3人。社長に就任したのは北海道電力と沖縄電力、電源開発で1人ずつのようです。
不祥事が起こるたびに問題視されている”天下り”ですが、相変わらずキャリア官僚の権力は堅守されているようです。


資料画像


関連して、文部科学省から国立大学法人への出向者について触れてみたいと思います。

国立大学の事務組織は、法人化前からそうでしたが、一般的に「事務局長-部長-課長-副課長(課長補佐)-係長-主任-係員」といった多層のヒエラルキーによって構成され、その弊害として、「タテ割り、硬直化した組織、年功序列、低給与水準」等が指摘されてきました。

そこで法人化後多くの大学では、組織と人の力を最大限に発揮できる組織づくりに力を注いできました。特に、「組織のフラット化と柔軟化」は重要なテーマとされ、例えば、迅速な意思決定をより可能にするため、経営トップである学長と現場との距離をできるだけ近づける、具体的には、役員の下に担当事務組織を直接配置する方式に変更するなどの取り組みを行っています。

その結果、文部科学省からの“天下りと批判されている事務局長”や、“定年までの待機職である部長”を廃止する大学も少しずつですが増えてきています。実質的には役員と現場を抱える課長とのラインが太く強固であれば仕事はうまく進むわけで、その間に屋上屋を重ねるような階層はもはや不要なのかもしれません。

大学改革を一層進めていくためには、このような“官僚体制としての事務組織”を再構築するとともに、業務の必要性など根本に立ち返った見直し、SD(スタッフ・ディベロップメント)など職務能力の開発(専門化)、努力した者が報われる厳格な職員評価・人事考課の確立といった多様な課題の解決に向け取り組んでいかなければなりません。

そして、こういった諸改革の成否は、結局は「人」に依存します。改革成就のためには、多くの職員が一丸となって経営者(学長)の掲げるビジョンと戦略を共有し、各々がその役割・責任を全うすることが何より大事になってくるわけですが、その職員達を迷わすことなく引っ張っていける力量のある管理職の存在がカギになります。

特に、“腰掛人事”と揶揄される文部科学省の命令によって各地を2~3年ごとに転々とする課長以上の管理職と違い、副課長(課長補佐)さん方は、基本的には当該大学の生え抜きであり、深い愛校心と広い人間関係を持った人達です。中には、いわゆる年功序列によってその地位を築いた方もいらっしゃいますが、最近では、大学におけるキャリアパス制度の充実などから、優秀な人材層が整いつつあります。また、法人化以前には不可能だった「プロパー職員の管理職(課長以上)への内部登用制度」も定着しつつあり、今後10~20年先が楽しみです。

事業仕分けで指摘された文部科学省からの役員・管理職への出向が、いわゆる“天下り”あるいは“渡り”に当たるのかどうかの判断はなかなか難しいところですが、「国立大学の法人化によって、国立大学の人事権が学長に移行した(法律によって保証された)にも関わらず、相変わらず文部科学省が国立大学の役員及び事務系幹部職員の人事を行っている」ことは事実です。

諸事情あって国の時代の制度が未だに生き続けていることは理解しつつも、このことは法人制度の根幹に関わる重要な事項であり、文部科学省は直ちに法律に書かれた制度の趣旨と実態との乖離を一日も早く無くす取り組みを進めるべきだと考えます。


参考までに、「国立大学法人における外部人材の活用方策に関する調査研究報告書」(法人化後の国立大学運営における外部人材活用方策に関する調査研究プロジェクト 研究代表者:本間政雄)に示された「文部科学省の広域人事の問題」に関する指摘をご紹介します。これが現場の概ねの実態です。
  • 事務の合理化は、結局誰かが泥をかぶって様々な抵抗勢力と戦いながらでないとできない。例えば職員について形骸化している評価制度を実質化しようと提案すると、すぐに職員組合から反発が起きる。だから、事務局長が強い意志でもって何としてもやらなくてはいけない。学長が前へ出てしまうと、ややこしいことになってしまう。法人化の前から国立大学の学長がよく言うのは、「学長と事務局長とが本当に意気投合できるときにこそ改革をやる。それでうまくいかないときはやらない」と。局長が代わったときにまたやるということは事務局長の役割が決定的に重要ということ。

  • 理事は充分やる気があって、テーマによっては一生懸命にやっている。けれども体制、意識とかスピードということになってくると、やっぱり事務局のガードが強い。事務局長というのが常に組織を掌握している。各理事が自分の下に事務組織を持っているのだけれども、それは横できちんと事務局長が掌握している。言ってみれば一種の二重構造。

  • 広域人事で全国の大学を2~3年で回っている人達は、最初は国立大学や高専に採用された人達で、20代に見込まれて文部科学省に転任した人達。係員、係長として、政策立案、政策の実務設計、調査・分析、政策の執行、予算配分などの実務面をこなした経験を豊富に持っており、全国的、ポジションによってはグローバルな視野で仕事をしている。概ね38歳で、大学に課長として出て、半分くらいは40代前半で本省に戻り課長補佐としてさらに高いレベルで政策立案・執行に携わる。大体46~47歳で大学の部長として出る。こういう彼らだから、例外はあるが、知識、識見、仕事のスピード、人脈、判断力、実行力において大変優れている。彼らの問題は、在任期間が平均して短いことから、どうしても腰掛け的な中途半端な気持ちで仕事に取り組むことと、もう一つは、任期が短いこととも関連するが、彼らに中長期の目標がないこと。○○大学○○課長に命ずるという辞令をもらっても、やはり2~3年で代わるという気持ちがどこかにあるから、大学のこともあまり本気で勉強しないし、まして2年か3年の在任中に、リスクを冒してまで何か新しいことや改革をやろうかということがない。部課長の人事をどうするか、彼らに目標・課題を考えさせる、それを与えることは学長の責任である。

  • 学長に人事権があるわけだし、事務局長をはじめ部課長が学長のビジョンを共有して、学長のために働いてくれるかどうかは、大学改革を進める上で極めて重要。逆に言えば、漫然と事務局人事を容認しているようでは何も変わらない。特に、事務局長は学長の右腕であり、事務局長が大学改革、教育改革、事務改革に意欲を持っているかどうかは決定的に重要。学長の人事権は、なかなか教員には及ばないが、職員には直接発動することが可能なのだから、幹部職員人事、若手の抜擢、外部人材の登用などで、是非特色を出してほしい。いずれにしても、学長は、幹部職員候補に直接会って、私のビジョンはこれだと説明をした上で、協力してくれるかどうか「踏み絵」をすべき。特別な事情があれば別だが、学長がこれをしてほしいと言っているのに、そんなことはできませんとは絶対言えない。学長が無理無体な要求、理不尽なことを言っているのでない限り、文部科学省の人事課長は「君は明目から○○大学の人間になるのだから、学長の方針に従ってしっかり頑張れ」というしかない。大学に人事案を提示した段階では、もう全国の大学のポスト調整は終わっているから、今更人事の差し替えはできない。いずれにしても、学長がもっと人事権をしっかり責任持って行使をする責任がある。

  • 学長がその人を評価して、その人にいてもらいたいと思えばいてもらえばいい。ただ、学長も6年しかいない。だからその人の人事に責任を負えない。すると「45歳でお前を理事にするからこの大学に残ってくれ」と言われても、学長が代った途端に「お前はもう要らない」と言われることがあると困るわけで、結局は定年まで面倒を見てくれる文部科学省の指示に従って2年ぐらいで代わる道を選ぶ。文部科学省が理事にするのは、平均して50代半ば。いくら大学の要請だからといってそのルールを破って、若くして理事になったら、文部科学省は「じゃあ、これからは自分の人事は自分で面倒を見るということだな」となる。6年やって51歳になって、「今度学長が代わって、私クビですから、何とかしてください」と言っても、「知らん」ということになる。「お前は自分で横破りをやったんだから、あとは自分で勝手にしろ」となる。だからみんな文部科学省の人事に忠実に動いている。

  • 文部科学省は管理運営の効率化を求めているが、ひょっとするとこれは口先だけかもしれない。国立大学の幹部職員の人事を見ていると、少なくともこれまでは「改革ができるかどうか」という観点から適材適所をしているようには見えず、従来の年功序列型に戻っているように見える。具体的に言うと、改革を行っても行わなくても、具体的な成果を挙げても挙げなくても、その後の人事にあまり影響がないということ。

  • 部課長の面談をやった。事前にこちらで質問内容をいろいろ練り、来てもらって1入最低30分、長ければ1時間の個別面談を全部やった。それをやって明らかに失望した。「この人達は大学改革とか法人化ということに体を投げ打ってやるという気概はない」と痛切に感じた。この人達はもう一度面談をやってもあまり意味がないと思った。

  • 全国異動で回っている人は腰掛けが少なくなく、愛情もない。国立大学の事務部の中枢と言われ、本人達もそう考えている財務部の機能の多くは、いわゆる統制機能。言い換えれば、教育研究の現場である学部や大学院、図書館や病院などがきちんと規則、法令に則って会計処理をしているかのチェックが財務部の仕事の過半を占めていて、それはしばしば現場の教育、研究上の要求に縛りというか制約をかける動きになる。逆に、学生部や国際交流部といった学生支援、教育研究支援機能を担う組織は人的資源の面からも財政的にもおざなりになっている。だけどそれを変えようと思ったら、それこそ身内から袋叩きに遭うような改革をやらなければいけない。そういう状況の中で、どうすべきか。生え抜きの人を育て、抜擢し、広域人事で回ってくるいわば任期付きの部課長や民間から登用した外部人材を組み合わせ、有効活用しなければならないのだが、学長や教員出身の総務担当理事ではなかなか難しいし、2年、長くても3年くらいで代ってしまう文部科学省出身の理事も、それだけの意思と理解と胆力を持った人材はそうそういるわけではない。企業から優秀な人をとっても、1人や2人では、大学内におけるインパクトは限定的。学長にリーダーシップがあって大学改革にかける思いがあっても、それを形にする人、要するに教授会に出かけていって、反対意見に凝り固まっている教員を説得して勝てる人間、最後はそういう人間を育て、外部から登用するというのが1つのキーだ。

  • 最近、文部科学省の幹部に「今のような緊張感を欠いた、従来の延長型の幹部職員人事を続けているようでは、法人化は失敗する。大学の現場は、運営費交付金の削減や評価の強化、新たな業務の急増で疲弊しており、早急にガバナンス改革、事務改革、人事制度改革、財政改革を断行しないと大変なことになる。こういう改革に本気で取り組む意欲のある人材を、ある程度の期間送るようにしないと、そのうちにもう文部科学省の人はお断りしょうということになる。そのくらい、現場の学長や生え抜き職員の目は厳しい」と頼まれもしないアドバイスをしてきた。

  • 幹部職員の人事権は学長にあるわけで、学長が代わったときに部課長全員を呼んで「踏み絵」をさせるぐらいでなくてはいけない。もちろん、これは学長が大学運営に関して明確なビジョンを持っているという前提。ビジョンを持っている前提で、そのビジョンを共有できるかどうかと。学長ビジョンは全部事務職員組織に還元できるはず。それぞれ課長、部長にそれを具体化する方策を考えさせるということ。そういう具体的な目標を与えられれば、必死になって考える。文部科学省から来る人でも内部登用する人でも最低限そのポストには4年は居ていただかないときちんとした成果の見える仕事はできないし、結果責任も問われない。もちろん最初の6ヵ月は、いわゆる「試用期間」ということにして、緊張感のある仕事をしてもらう。この段階で、うちの大学の管理職としては不適格ということになれば、残念ながらお引取りをいただく。

  • 文部科学省と国立大学の関係は、世間で言う本社と支店、子会社の関係ではない。人事面で対等の、メリット・ベースの採用をする必要がある。文部科学省の人も、元々仕事はできる人が多いが、大学に出た途端に、あるいは2年ごとに大学を変っていくうちに管理職としての緊張感が薄れる人がいる。いずれにしても、幹部職員の人事に関しては、発令の2~3週間前に文部科学省から人事異動の内示があってから、適任かどうかなんて考えていたのでは間に合わない。内示から着任まで課長で2週間、部長でも3週間しかない。この段階で、本人に会って能力や意欲を確かめても、人事の差し替えはほぼ不可能。どの部課長がそろそろ変わる時期か、というのは人事課に聞けばだいたいわかるから、その前に学長自ら本省に出かけていって「うちの大学では、こういう人(例えば、「広報体制を一新し、志願者の50%増を実現する課長」、「本部事務組織の職員を3年間で10%削減する事務局長」)がほしい。最低4年間は、大学にいてもらう」という具合に、具体的な条件を出して交渉すべき。事務職員、とりわけ幹部はそのくらい重要。

  • 「若くて元気がいい」というような、抽象的で曖昧模糊とした条件は、本当に意味のある条件ではない。「若くて元気が良くて、何もしない」事務局長だっている。問題は、「改革マインドがあるかどうか」「学長のビジョンを共有してくれるかどうか」「文部科学省ではなく、大学を向いて仕事をしてくれるかどうか」であり、そのことを明らかにするために、重点課題を示した「課題リスト」を提示し、できるかどうか具体的に尋ねること。改革できるのであれば、年齢や東大を出ているかどうか、キャリアかノンキャリかなんていうことは大して意味がない。だからそれを言わない人事であれば、はっきり言うと文部科学省は楽。だからごまかしの効かない条件を出すべき。そうすれば文部科学省は、○○大学の事務局長候補として考えている人を呼んで「学長からこういう条件を出されたから、従ってほしい」と言うしかないし、当人もとんでもない条件でない限り、その段階で「できません」とは言えない。できませんと言ったって人事をはめ込んでしまったからお前はここに行くしかないと言われるだけ。何事も、最初が肝心。いったん理事や事務局長として来てもらったら、あれこれ条件をつけるわけにはいかない。

2011年5月2日月曜日

マネジメントの役割 (ドラッカー)

マネジメントには、自らの組織をして機能させ、社会に貢献させるうえで3つの役割がある。
それら3つの役割は異質ではあるが同じように重要である。
第一に、自らの組織に特有の使命を果たす。
第二に、仕事を通じて働く人たちを生かす。
第三に、自らが社会に与える影響を処理するとともに、社会の問題について貢献する。