憲法23条は、誰のために「学問の自由」を保障しているのだろうか。
直接には「学問をする人」、つまり学者や研究者を対象にした条文だ。だがその土台には、自由に支えられた学術の進展こそが、広く社会に健全な発展をもたらすという思想がある。
明治憲法には学問の自由の保障はなかった。戦前、時の政権や軍部は一部の学説を「危険思想」「不敬」と決めつけ、学者が大学から追われるなどの弾圧が相次ぐなかで日本は戦争への坂道を転げ落ちていった。
法人化が影を落とす
その歴史への反省が、現行憲法が独立の条文で学問の自由をうたうことにつながった。
具体的な表れが大学の自治である。
教員人事や研究・教育内容の決定、構内への警察立ち入りの制限などで、大学が公権力を含む学外の勢力から独立し、自主・自律を保つ。学問の自由はそれらの自治を保障している。
日本は戦後、科学技術をはじめ学術が花開くにつれ、経済発展を果たした。学問の自由に関しては、憲法の理念が実を結んだように見えた時期もあった。
ところがいま、大学、とりわけ税金に頼る割合の高い国立大学が身もだえしている。
発端は、2004年に実施された国立大学の法人化だ。
経営の自由度を高め、時代の変化に対応できる大学への脱皮を促す。文部科学省はそう説明する。
しかし背景に透けて見えるのは、少子高齢化と財政難のなかで、競争強化によって大学のぬるま湯を抜き、お金をかけずに世界と渡り合える研究水準を維持したい。そんな思惑だ。
実際には多くの大学で「改革疲れ」が起きた。
主体的に議論し、自ら描いた将来像に向けて改革を着実に進めるというより、文科省の意向を探り、それに沿って上乗せ予算を確保しようとする動きが広がった。情報収集などの名目で官僚の天下りを受け入れた大学もあった。
日本発の貢献が低下
国立大学の自治は、資金の面からも揺さぶられている。
政府は人件費や光熱費、研究費などの「運営費交付金」を毎年1%ずつ減らす一方、応募して審査を通れば使える「競争的研究資金」を増やしてきた。
だが、世界の主要学術誌への論文で日本発の貢献は質、量とも減り続けている。中国など新興国が伸び、欧米先進国は地位をほぼ維持している状況でだ。
次々に生まれる新たな学問領域への参入も限られ、貢献分野が狭まりつつある。
運営費交付金削減の矛先は、比較的削りやすい経常的な研究費や若手研究者のポストに向かった。一方で競争的資金の応募倍率は上がり、成果のチェックも厳しくなった。
そのあげく、結果が見通せない野心的な研究や、研究費の配分者に理解されにくい新分野への挑戦が減ったとされる。
他方、政府は政策課題研究への誘導は熱心だ。
端的な例が、大学での軍事研究に道を開く「安全保障技術研究推進制度」の拡充である。
防衛省が15年度に始めたこの制度について、日本学術会議は軍事研究に携わるべきではないという観点に加え、「政府による研究への介入が著しい」として学問の自由の面からも各大学に慎重な対応を求めた。
大学と研究者の鼻先に研究費をぶら下げるような政府の手法は、学問の自由の基盤を掘り崩すものだ。
研究者の側も「何をしてもいいのが学問の自由」などと考えるとすれば誤りだ。倫理面を含め、その研究が許されるかどうか、常に多角的に吟味することが社会への責任である。
果実は多様性にこそ
学術会議は05年に「現代社会における学問の自由」という報告をまとめた。
そのなかで、学問研究の世界について、多数決原理が適用できない世界だと指摘している点に注目したい。
真理を探究するうえで、従来の学問にない新たな発見や学説は必ず少数意見として登場するという意味だ。だからこそ学問は公権力と緊張関係をもちやすい。憲法が学問の自由を保障する意味の一つはそこにある。
どんなに民主的な政府であっても、学術の世界に過剰に介入すれば、少数意見の誕生を阻害し、真理の探究、ひいては社会の健全な発展を遅らせかねない落とし穴がある。
「文系不要論」に象徴される近視眼的な実利志向は論外だ。たとえ善意に基づく政策課題だとしても、過度に資源を集中させれば学問の命である多様性を損ない、より豊かな果実を失うことにつながる。
学問の自由の重要性を多くの人々が実感できるよう、社会との対話をさらに活発にする。学問の自由を負託された学術界には、そうした努力も求めたい。
憲法70年 学問の自由は誰のために|2017年5月28日 朝日新聞 から
2017年5月31日水曜日
2017年5月30日火曜日
記事紹介|がんとの共生を妨げる負の連鎖を断ち切る
「がん対策は進んでも理解は深まっていない。だから、政治家があんな発言をする」
「がんになってもより良く生きる『共生の時代』になったことが、知られていない」
自民党の大西英男衆院議員が、受動喫煙対策をめぐる党会合で、たばこの煙に苦しむがん患者に関して「(がん患者は)働かなくていい」とやじを飛ばしたことに、本県の患者の落胆は深い。
がん医療は、2006年成立のがん対策基本法を契機に大きく進歩。医療機関の整備などが進み、患者の長期生存や通院での治療が見込めるようになってきた。
昨年12月に成立した改正法は「患者が安心して暮らせる社会の構築」を掲げ、治療と仕事が両立できる環境整備の推進や、がんへの理解促進を打ち出している。
がん対策の歩み、患者の置かれた状況に無知をさらけ出した大西議員。謝罪したが、発言は撤回しないという。厚顔無恥ぶりにはあきれる。
仕事を続けているがん患者は推計32万5千人。職場への気兼ねなどで退職する患者は多い。改正法は事業主に、患者の雇用継続への配慮を求めている。だが、内閣府の世論調査では、治療と仕事を両立できる環境が整っていないとの回答が6割を超えた。
政治家は率先して、がん対策の現状を知るべきだ。患者の痛みを敏感に受け止め、受動喫煙対策を含めた就労支援などの充実が求められる。
4月には、山本幸三地方創生担当相が「(観光振興の)一番のがんは文化学芸員。この連中を一掃しないと駄目」と発言した。文化財への無理解はもとより、がん患者への配慮を欠いたとして批判を浴び、撤回し謝罪した。
がんの例えが、どれだけ患者を苦しめるか。米国の批評家、故スーザン・ソンタグ氏の名著「隠喩としての病い」(1978年)に詳しい。
近代の全体主義で、ユダヤ人はがんに例えられ、除去せよと言われたことなど、古今東西の言説を引き合いに「ある現象を癌(がん)と名づけるのは、暴力の行使を誘うにも等しい。…この病気は必ず死にいたるとの俗説をさらに根強くしたりもする」と指摘する。
無知、無理解に基づく発言が患者を傷つけ、安直ながんの例えが偏見を強め、患者と社会を分断する…。大西発言と山本発言は、がんとの共生を妨げる負の連鎖の典型例を示したと言える。
私たちは「こんな政治家こそがん」との形容は慎まなければならない。近年は多くのがん患者が、自らの闘病生活をブログなどで発信する時代になった。より良く生きようとしている患者の声に耳を傾け、その思いを知ることから負の連鎖を断ち切りたい。
政治家のがん発言 無知と偏見の連鎖断て|2017年5月29日 岩手日報 から
「がんになってもより良く生きる『共生の時代』になったことが、知られていない」
自民党の大西英男衆院議員が、受動喫煙対策をめぐる党会合で、たばこの煙に苦しむがん患者に関して「(がん患者は)働かなくていい」とやじを飛ばしたことに、本県の患者の落胆は深い。
がん医療は、2006年成立のがん対策基本法を契機に大きく進歩。医療機関の整備などが進み、患者の長期生存や通院での治療が見込めるようになってきた。
昨年12月に成立した改正法は「患者が安心して暮らせる社会の構築」を掲げ、治療と仕事が両立できる環境整備の推進や、がんへの理解促進を打ち出している。
がん対策の歩み、患者の置かれた状況に無知をさらけ出した大西議員。謝罪したが、発言は撤回しないという。厚顔無恥ぶりにはあきれる。
仕事を続けているがん患者は推計32万5千人。職場への気兼ねなどで退職する患者は多い。改正法は事業主に、患者の雇用継続への配慮を求めている。だが、内閣府の世論調査では、治療と仕事を両立できる環境が整っていないとの回答が6割を超えた。
政治家は率先して、がん対策の現状を知るべきだ。患者の痛みを敏感に受け止め、受動喫煙対策を含めた就労支援などの充実が求められる。
4月には、山本幸三地方創生担当相が「(観光振興の)一番のがんは文化学芸員。この連中を一掃しないと駄目」と発言した。文化財への無理解はもとより、がん患者への配慮を欠いたとして批判を浴び、撤回し謝罪した。
がんの例えが、どれだけ患者を苦しめるか。米国の批評家、故スーザン・ソンタグ氏の名著「隠喩としての病い」(1978年)に詳しい。
近代の全体主義で、ユダヤ人はがんに例えられ、除去せよと言われたことなど、古今東西の言説を引き合いに「ある現象を癌(がん)と名づけるのは、暴力の行使を誘うにも等しい。…この病気は必ず死にいたるとの俗説をさらに根強くしたりもする」と指摘する。
無知、無理解に基づく発言が患者を傷つけ、安直ながんの例えが偏見を強め、患者と社会を分断する…。大西発言と山本発言は、がんとの共生を妨げる負の連鎖の典型例を示したと言える。
私たちは「こんな政治家こそがん」との形容は慎まなければならない。近年は多くのがん患者が、自らの闘病生活をブログなどで発信する時代になった。より良く生きようとしている患者の声に耳を傾け、その思いを知ることから負の連鎖を断ち切りたい。
政治家のがん発言 無知と偏見の連鎖断て|2017年5月29日 岩手日報 から
2017年5月29日月曜日
記事紹介|人間を利益を生み出す道具のように評価しとり扱う態度
人間の価値は稼ぐ力で決まるのか。重い問いを巡る裁判が東京地裁で始まりました。障害の有無にかかわらず、法の下では命の尊厳は平等のはずです。
2年前、東京都内の松沢正美さん、敬子さん夫妻は、15歳の息子和真さんを福祉施設での事故で失いました。重い知的障害のある自閉症の少年。施設から外出して帰らぬ人となって見つかった。
その損害賠償を求めた訴訟が動きだし、最初の口頭弁論でこう意見を述べました。
逸失利益ゼロの衝撃
「過去の判例や和解は、被害者の収入や障害の程度によって加害者に課せられる賠償額に差をつけてきましたが、到底納得できません。不法行為に対する賠償は、当然、公平になされるべきです」
施設側は事前の交渉で、事故を招いた責任を認めました。けれども、提示した賠償額は、慰謝料のみの2千万円。同年代の健常者の4分の1程度にすぎなかった。
障害を理由に、将来働いて稼ぐのは無理だったとみなして逸失利益をゼロと見積もったのです。慰謝料まで最低水準に抑えていた。
逸失利益とは、事故が起きなければ得られたと見込まれる収入に相当し、賠償の対象となる。
同い年の健常者と同等の扱いをと、両親が強く願うのは当然でしょう。男性労働者の平均賃金を基に計算した逸失利益5千万円余をふくめ、賠償金約8千8百万円の支払いを求めて提訴したのです。
同種の訴訟は、実は全国各地で後を絶たない。なぜでしょうか。
最大の問題は、逸失利益という損害賠償の考え方に根ざした裁判実務そのものにあるのです。高度経済成長を背景に、交通事故や労働災害が増大した1960年代に定着したと聞きます。
司法界の差別的慣行
死亡事故では、生前の収入を逸失利益の算定基礎とし、子どもら無収入の人には平均賃金を通常は用います。ところが、重い障害などがあると、就労は困難だったとみなして逸失利益を認めない。
人間は平等の価値を持って生まれてくるのに、不法行為によって命を絶たれた途端、稼働能力という物差しをあてがわれ、機械的に価値を測られるのです。重い障害のある人はたちまち劣位に置かれてしまう。
逸失利益を否定するのは、生きていても無意味な存在という烙印を押すに等しい。昨年7月、相模原市で多くの障害者を殺傷した男が抱いていた「障害者は不幸を作ることしかできない」という優生思想さえ想起させます。
この差別的な理論と実践を長年積み重ねてきたのは、本来、良心に従い、公正を貫かねばならないはずの司法界そのものなのです。
正美さんは「障害者の命を差別してきた司法の慣行を覆さねばなりません。差別の解消に貢献できる判決を勝ち取りたい」と語る。
すでに半世紀前、逸失利益をはじく裁判実務について「人間を利益を生み出す道具のように評価しとり扱う態度」として、厳しく批判した民法学者がいた。元近畿大教授の西原道雄さんです。
65年に発表した「生命侵害・傷害における損害賠償額」と題する論文は、こう指摘する。
「奴隷制社会ならばともかく、近代市民社会においては人間およびその生命は商品ではなく交換価値をもたないから、一面では、生命には経済的価値はなく、これを金銭的に評価することはできない、との考えがある。しかし他面、人間の生命の価値は地球より重い、すなわち無限である、との観念も存在する。生命の侵害に対しては、いくら金を支払っても理論上、観念上、これで充分とはいえないのである」
それでも、民法は金銭での償いを定める。法の下の平等理念をどう具現化するか。生命の侵害をひとつの非財産的損害と捉え、賠償額の定額化を唱えたのです。
同じ電車の乗客が事故で死亡した場合、一方は100万円、他方は2千万円の賠償に値するとみるのは不合理ではないか。100万円の生命二つより2千万円の生命一つを救う方が重要なのでしょうか。
西原理論の核心はこうです。
被害者個々人の境遇は、収入はもとより千差万別なので考慮する必要はないのではないか。むしろ、賠償の基本額を決め、加害者の落ち度の軽重によって増減する仕組みこそが理にかなう、と。
かけがえのなさこそ
障害の有無で分け隔てしない社会を目指し、日本は障害者の権利条約を結び、差別解消法を作った。西原さんの考え方は今、一層重みを増していると思うのです。
稼ぐ力ばかりが称賛される時代です。存在のかけがえのなさを見つめ直すべきではないか。そういう問いかけが、社会に向けられているのではないでしょうか。
人間の価値は稼ぐ力か|2017年05月21日 東京新聞 から
2年前、東京都内の松沢正美さん、敬子さん夫妻は、15歳の息子和真さんを福祉施設での事故で失いました。重い知的障害のある自閉症の少年。施設から外出して帰らぬ人となって見つかった。
その損害賠償を求めた訴訟が動きだし、最初の口頭弁論でこう意見を述べました。
逸失利益ゼロの衝撃
「過去の判例や和解は、被害者の収入や障害の程度によって加害者に課せられる賠償額に差をつけてきましたが、到底納得できません。不法行為に対する賠償は、当然、公平になされるべきです」
施設側は事前の交渉で、事故を招いた責任を認めました。けれども、提示した賠償額は、慰謝料のみの2千万円。同年代の健常者の4分の1程度にすぎなかった。
障害を理由に、将来働いて稼ぐのは無理だったとみなして逸失利益をゼロと見積もったのです。慰謝料まで最低水準に抑えていた。
逸失利益とは、事故が起きなければ得られたと見込まれる収入に相当し、賠償の対象となる。
同い年の健常者と同等の扱いをと、両親が強く願うのは当然でしょう。男性労働者の平均賃金を基に計算した逸失利益5千万円余をふくめ、賠償金約8千8百万円の支払いを求めて提訴したのです。
同種の訴訟は、実は全国各地で後を絶たない。なぜでしょうか。
最大の問題は、逸失利益という損害賠償の考え方に根ざした裁判実務そのものにあるのです。高度経済成長を背景に、交通事故や労働災害が増大した1960年代に定着したと聞きます。
司法界の差別的慣行
死亡事故では、生前の収入を逸失利益の算定基礎とし、子どもら無収入の人には平均賃金を通常は用います。ところが、重い障害などがあると、就労は困難だったとみなして逸失利益を認めない。
人間は平等の価値を持って生まれてくるのに、不法行為によって命を絶たれた途端、稼働能力という物差しをあてがわれ、機械的に価値を測られるのです。重い障害のある人はたちまち劣位に置かれてしまう。
逸失利益を否定するのは、生きていても無意味な存在という烙印を押すに等しい。昨年7月、相模原市で多くの障害者を殺傷した男が抱いていた「障害者は不幸を作ることしかできない」という優生思想さえ想起させます。
この差別的な理論と実践を長年積み重ねてきたのは、本来、良心に従い、公正を貫かねばならないはずの司法界そのものなのです。
正美さんは「障害者の命を差別してきた司法の慣行を覆さねばなりません。差別の解消に貢献できる判決を勝ち取りたい」と語る。
すでに半世紀前、逸失利益をはじく裁判実務について「人間を利益を生み出す道具のように評価しとり扱う態度」として、厳しく批判した民法学者がいた。元近畿大教授の西原道雄さんです。
65年に発表した「生命侵害・傷害における損害賠償額」と題する論文は、こう指摘する。
「奴隷制社会ならばともかく、近代市民社会においては人間およびその生命は商品ではなく交換価値をもたないから、一面では、生命には経済的価値はなく、これを金銭的に評価することはできない、との考えがある。しかし他面、人間の生命の価値は地球より重い、すなわち無限である、との観念も存在する。生命の侵害に対しては、いくら金を支払っても理論上、観念上、これで充分とはいえないのである」
それでも、民法は金銭での償いを定める。法の下の平等理念をどう具現化するか。生命の侵害をひとつの非財産的損害と捉え、賠償額の定額化を唱えたのです。
同じ電車の乗客が事故で死亡した場合、一方は100万円、他方は2千万円の賠償に値するとみるのは不合理ではないか。100万円の生命二つより2千万円の生命一つを救う方が重要なのでしょうか。
西原理論の核心はこうです。
被害者個々人の境遇は、収入はもとより千差万別なので考慮する必要はないのではないか。むしろ、賠償の基本額を決め、加害者の落ち度の軽重によって増減する仕組みこそが理にかなう、と。
かけがえのなさこそ
障害の有無で分け隔てしない社会を目指し、日本は障害者の権利条約を結び、差別解消法を作った。西原さんの考え方は今、一層重みを増していると思うのです。
稼ぐ力ばかりが称賛される時代です。存在のかけがえのなさを見つめ直すべきではないか。そういう問いかけが、社会に向けられているのではないでしょうか。
人間の価値は稼ぐ力か|2017年05月21日 東京新聞 から
2017年5月28日日曜日
記事紹介|人は命令では動かない
多くの人がカン違いしているのだが、「おれのいうことを黙って聞いていればいい」という日本でありがちなリーダーのやり方は、決して「トップダウン」ではない。
では、真のトップダウンとは何か。
情報を隠すことなくオープンにしてすべての人と共有すれば、誰もが同じ判断にいたる。
すべての情報を上から下まで共有することで、誰もが同じ判断のもとで動き、社が一丸となって同じ目的に邁進する状況をつくり出せる。
その上で、早い判断をしていく「トップダウン」なのである。
アブラショフ氏は、艦長時代、同じようにすべての情報を部下に対して開示し、情報を共有した。
無線で上司と話をするとき、全艦にそのやりとりをオープンにして部下に聞かせた。
上司を説得してくれと、部下たちは手に汗を握りながら聞いていただろう。
説得できなければ、「残念だな!」となるし、うまくやったら全員がワ―ッと声を上げ、手を叩いて喜ぶ。
その一体感が、全員の士気を上げ、艦全体を盛り上げていったのである。
アブラショフ艦長は、与えられた環境を最大限に活かし、味方につけていく天才であり、同時に艦の成果を何倍にもする素晴らしいリーダーであった。
日本のリーダーシップのあり方というのは、いまだ「GPS指導型」が主流だ。
「ホウ・レン・ソウ」、つまり「報告・連絡・相談」を重視する。
「現状を報告しなさい」「では、まずこの問題に、このように対処して、できたらまた報告しなさい」といった調子で、上司はさながら部下の「GPS」であるかのように、現在地点から次のステップへ行く方向も、手順も、すべて導いてしまうのである。
部下は「GPS」にしたがうだけ。
みずから考えて行動する機会を与えられず、答えだけを知ってしまう。
その仕事で成果を出したとしても、なにも学べず、なにも身につかない。
まさに「指示待ち人間」を一生懸命につくり出しているのだ。
本来、リーダーシップとは、「AI育成型」であるべきなのだ。
「AI」とは文字どおり、「人工知能」のこと。
人工知能は、そこに人間が知識を詰め込んだだけでは、人工知能たり得ない。
知識をもとに、AI自身に「学習」させるというプロセスを踏む必要がある。
人間も同じなのだ。
その仕事に明確な正しい解があるなら、マニュアル化して誰でも間違いなくこなせるようなしくみをつくればいい。
いわゆる「形式知」である。
しかし、「暗黙知」、つまり言語化できない、経験やカンをもとにした知識を自分のものにするには「AI」のごとく自分で習っていくしかない。
仕事における暗黙知の比重は、とても大きい。
「舵をとれ。ただし航路は外れるな」と、アブラショフ氏は書いている。
リーダーは部下に対して、自由に裁量できる権利を増やすと同時に、絶対に越えてはならない一戦を示さなければならない、という意味だ。
「ここへ到達するまではお前に任せるから、やりたいように舵をとれ。ただし、航路から外れないようにチェックは入れるぞ」
これこそ「AI育成型」のリーダーだ。
しかし、「GPS指導型」の上司は、「おい、ちょっと右に行きすぎだぞ」「今のうちに、左に舵を切っておけ」と、途中でいちいち指示を出す。
いわれたとおりに動くだけの部下は、なにも学べない。
この「AI育成型」のやり方で仕事を叩き込まれた人間は、自分で考え、行動し、失敗も成功もその経験を糧にしながら、着実に成長していく。
昨日反発していた部下たちが急に慕ってくるような、速効性のある一発逆転の“魔法”のようなリーダーシップなどこの世に存在しない。
彼は、日々、地道にコツコツと、部下のことを思い、部下のためにできることを考えて、前例のない行動を起こし続けた。
海軍兵学校を出たばかりの新人は、配属される艦が決まると、自己紹介をかねて艦長に手紙を書き、返事をもらうのが習わしなのだそうだ。
しかし、彼は新人のとき、艦長から手紙の返答をもらえず、不安な日々を過ごした。
その経験から、自身が艦長になったとき、彼は新任の乗組員の配属が決まると、彼らの便りをまたずして、自分から歓迎の手紙を送った。
仕事の内容や配属までに準備をしておくこと、赴任地の情報、それに艦名入りのキャップまで送ったそうだ。
こうして迎え入れられる新人たちは、どれだけ心強かっただろう。
艦に足を踏み入れ、艦長と言葉を交わすその日を楽しみに待ったのではないか。
アブラショフ艦長は、このように地味で手間のかかるやり方を各方面で貫いて、部下を味方につけていった。
軍隊には、強烈なトップダウンが必要、と思ってしまう。
しかし、軍隊も会社も、およそ組織という組織の基本は変わらない。
部下やチーム全員と揺るぎない信頼関係をつくることにより、その組織の方向性や理念に従って、個々人が自律的に考え、学習し、行動する組織をつくることだ。
ただ上から命令し、「黙って俺の言うことを聞いておけばいい」というような組織からは、ギスギスした冷たい関係しか生まれない。
本当のところは、人は命令では動かないからだ。
「ロバを水辺まで連れていくことはできるが、ロバに水を飲ませることはできない」ということわざのごとく、のどが渇いていなければ無理矢理水を飲ませることはできない。
つまり、人が動きたくなるような状況に持っていく、このことこそがリーダーシップの要諦だ。
最強のリーダーとは|2017年05月21日 人の心に灯をともす から
では、真のトップダウンとは何か。
情報を隠すことなくオープンにしてすべての人と共有すれば、誰もが同じ判断にいたる。
すべての情報を上から下まで共有することで、誰もが同じ判断のもとで動き、社が一丸となって同じ目的に邁進する状況をつくり出せる。
その上で、早い判断をしていく「トップダウン」なのである。
アブラショフ氏は、艦長時代、同じようにすべての情報を部下に対して開示し、情報を共有した。
無線で上司と話をするとき、全艦にそのやりとりをオープンにして部下に聞かせた。
上司を説得してくれと、部下たちは手に汗を握りながら聞いていただろう。
説得できなければ、「残念だな!」となるし、うまくやったら全員がワ―ッと声を上げ、手を叩いて喜ぶ。
その一体感が、全員の士気を上げ、艦全体を盛り上げていったのである。
アブラショフ艦長は、与えられた環境を最大限に活かし、味方につけていく天才であり、同時に艦の成果を何倍にもする素晴らしいリーダーであった。
日本のリーダーシップのあり方というのは、いまだ「GPS指導型」が主流だ。
「ホウ・レン・ソウ」、つまり「報告・連絡・相談」を重視する。
「現状を報告しなさい」「では、まずこの問題に、このように対処して、できたらまた報告しなさい」といった調子で、上司はさながら部下の「GPS」であるかのように、現在地点から次のステップへ行く方向も、手順も、すべて導いてしまうのである。
部下は「GPS」にしたがうだけ。
みずから考えて行動する機会を与えられず、答えだけを知ってしまう。
その仕事で成果を出したとしても、なにも学べず、なにも身につかない。
まさに「指示待ち人間」を一生懸命につくり出しているのだ。
本来、リーダーシップとは、「AI育成型」であるべきなのだ。
「AI」とは文字どおり、「人工知能」のこと。
人工知能は、そこに人間が知識を詰め込んだだけでは、人工知能たり得ない。
知識をもとに、AI自身に「学習」させるというプロセスを踏む必要がある。
人間も同じなのだ。
その仕事に明確な正しい解があるなら、マニュアル化して誰でも間違いなくこなせるようなしくみをつくればいい。
いわゆる「形式知」である。
しかし、「暗黙知」、つまり言語化できない、経験やカンをもとにした知識を自分のものにするには「AI」のごとく自分で習っていくしかない。
仕事における暗黙知の比重は、とても大きい。
「舵をとれ。ただし航路は外れるな」と、アブラショフ氏は書いている。
リーダーは部下に対して、自由に裁量できる権利を増やすと同時に、絶対に越えてはならない一戦を示さなければならない、という意味だ。
「ここへ到達するまではお前に任せるから、やりたいように舵をとれ。ただし、航路から外れないようにチェックは入れるぞ」
これこそ「AI育成型」のリーダーだ。
しかし、「GPS指導型」の上司は、「おい、ちょっと右に行きすぎだぞ」「今のうちに、左に舵を切っておけ」と、途中でいちいち指示を出す。
いわれたとおりに動くだけの部下は、なにも学べない。
この「AI育成型」のやり方で仕事を叩き込まれた人間は、自分で考え、行動し、失敗も成功もその経験を糧にしながら、着実に成長していく。
昨日反発していた部下たちが急に慕ってくるような、速効性のある一発逆転の“魔法”のようなリーダーシップなどこの世に存在しない。
彼は、日々、地道にコツコツと、部下のことを思い、部下のためにできることを考えて、前例のない行動を起こし続けた。
海軍兵学校を出たばかりの新人は、配属される艦が決まると、自己紹介をかねて艦長に手紙を書き、返事をもらうのが習わしなのだそうだ。
しかし、彼は新人のとき、艦長から手紙の返答をもらえず、不安な日々を過ごした。
その経験から、自身が艦長になったとき、彼は新任の乗組員の配属が決まると、彼らの便りをまたずして、自分から歓迎の手紙を送った。
仕事の内容や配属までに準備をしておくこと、赴任地の情報、それに艦名入りのキャップまで送ったそうだ。
こうして迎え入れられる新人たちは、どれだけ心強かっただろう。
艦に足を踏み入れ、艦長と言葉を交わすその日を楽しみに待ったのではないか。
アブラショフ艦長は、このように地味で手間のかかるやり方を各方面で貫いて、部下を味方につけていった。
軍隊には、強烈なトップダウンが必要、と思ってしまう。
しかし、軍隊も会社も、およそ組織という組織の基本は変わらない。
部下やチーム全員と揺るぎない信頼関係をつくることにより、その組織の方向性や理念に従って、個々人が自律的に考え、学習し、行動する組織をつくることだ。
ただ上から命令し、「黙って俺の言うことを聞いておけばいい」というような組織からは、ギスギスした冷たい関係しか生まれない。
本当のところは、人は命令では動かないからだ。
「ロバを水辺まで連れていくことはできるが、ロバに水を飲ませることはできない」ということわざのごとく、のどが渇いていなければ無理矢理水を飲ませることはできない。
つまり、人が動きたくなるような状況に持っていく、このことこそがリーダーシップの要諦だ。
最強のリーダーとは|2017年05月21日 人の心に灯をともす から
2017年5月27日土曜日
記事紹介|そんな大学に、国民の血税から投資を増やしますか
教育無償化政策の哲学
思うに、教育の無償化に代表される投資増加策の根本にある発想は大きく二つでしょう。一つは、21世紀という時代が知識や情報が人々の生活に直結する時代であるということ。この時代には、教育にこそ投資をし、教育の機会をこそ均等にすることが国家の興隆にも、格差の是正にも最も効果があるという発想があります。この大きな時代認識は、おそらく正しい。現に主要国のほとんどが類似の発想と政策にたどり着いています。
もう一つは、少子高齢化社会の人口構造の下で、日本が高齢者の発想に引きずられた社会となっていることへの危機感でしょう。シルバー・デモクラシーにおいて圧倒的な多数派を形成している高齢層の有権者は高齢者福祉の減額を許容しません。高齢化社会の弊害が叫ばれてすでに何十年も経っていますが、改革の必要性が叫ばれても、実際の改革はほとんど前に進まないわけです。
教育への投資増加を訴えるウラには、そんな膠着状態に風穴を開けたいという願望があり、それは正しい思いであると私も思います。ただ、結論から言うと、現在の日本の制度における、①義務教育以前の幼児教育、②義務教育以後の高校教育、③大学や大学院などの高等教育、のうち、①や②の無償化には賛成でも、③の無償化には反対というのが私の考えです。
大学教育の無償化には反対
では、何故に大学教育の無償化には反対なのか。理由は大きく3つあります。第一は、高卒で働く者との間の不公平を正当化できないからです。現在の日本の大学進学率は約5割です。これを高いと見るか低いと見るかは論者によって異なるでしょうが、現に、国民の半分しか大学には行っていません。そんな中で、大学教育を無償化することは、高校を卒業して働き納税もしている層から、大学へ通っている層へと所得移転することになります。子女が大学に通っているのは相対的には恵まれた層ですから、何とも頓珍漢で不公平なことではないでしょうか。
推進論者からは、大学を無償化することですべての人が大学に通えるようにしたいのだと反論があるかもしれません。この点については、すべての人が高等教育を受ける必要があるかという点に帰着します。少々乱暴に言ってしまえば、文系にせよ理系にせよ、大学教育の意義は抽象思考を養うか、専門教育を施すかのどちらかです。抽象思考とは、高校までに身に着けたその時代なりの「読み書き算盤」というツールを使って考えるための訓練を行うことです。抽象思考を行う適性と必要があるのは、どれだけ社会が複雑化してもそれほど大きな割合ではありません。
専門教育については、果たして大学という形態によって担われるのが最適なのかという疑問があります。この辺りが、大学教育の無償化に反対な第二の理由とつながっています。21世紀は、確かに教育の重要性が高まっている時代です。ただ、専門教育については大学以外にも、企業内教育、生涯にわたって社会において行われる生涯教育や社会教育、労働者への教育として行われる職業訓練など多様なものを含みます。大切なのは、国民各層が自らの人生を豊かなものとするために必要な時期に、必要な教育を受けられることであり、大学教育に偏重して国家資源の投入を増やすことではないのです。
もちろん、投資を増やすには現在の日本の大学が多くの問題を抱えているという現状認識もあります。指標に多少のバイアスがかかっているにしても、世界的な競争力は右肩下がり、中高年の研究者には必ずしも競争原理が働かない中で若手研究者は不安定な身分の下で本筋の研究になかなか時間を割けない。研究の点からも、教育の点からも学問の足腰はどんどん弱くなっています。個別には改革の努力が行われているし、キラリと光る成功例もあるけれど、全体としては現状に利益を見出す教授会という互助会組織によって抜本的な改革の芽を摘まれていく。当の本人たちを含め、日本の大学教育の未来は明るいと胸を張って言える人はほとんどいないでしょう。問われているのは、そんな組織に、国民の血税から投資を増やしますかということです。
大学教育の無償化に反対する第三の理由は、不必要な国家の拡大を招くからです。教育は、人にとっても、社会にとっても不可欠の営みです。自由に思考し、行動できる市民を作るのは教育によってです。私から言わせると、そんな重要な分野は政府には任せておけないという感覚があります。教育への国費投入の増加は間違いなく、国家による介入と統制を伴うでしょう。現状においてさえ、文科省から大量のお役人さんが大学に天下っています。政府という仕組みは、議論にもイノベーションにも向かないのです。国費投入の拡大と、政府によるコントロールの強化は、大学から自由さも斬新さも奪う結果になるのではないでしょうか。
教育無償化と加計学園問題をつなぐもの|2017年05月21日 山猫日記 から
思うに、教育の無償化に代表される投資増加策の根本にある発想は大きく二つでしょう。一つは、21世紀という時代が知識や情報が人々の生活に直結する時代であるということ。この時代には、教育にこそ投資をし、教育の機会をこそ均等にすることが国家の興隆にも、格差の是正にも最も効果があるという発想があります。この大きな時代認識は、おそらく正しい。現に主要国のほとんどが類似の発想と政策にたどり着いています。
もう一つは、少子高齢化社会の人口構造の下で、日本が高齢者の発想に引きずられた社会となっていることへの危機感でしょう。シルバー・デモクラシーにおいて圧倒的な多数派を形成している高齢層の有権者は高齢者福祉の減額を許容しません。高齢化社会の弊害が叫ばれてすでに何十年も経っていますが、改革の必要性が叫ばれても、実際の改革はほとんど前に進まないわけです。
教育への投資増加を訴えるウラには、そんな膠着状態に風穴を開けたいという願望があり、それは正しい思いであると私も思います。ただ、結論から言うと、現在の日本の制度における、①義務教育以前の幼児教育、②義務教育以後の高校教育、③大学や大学院などの高等教育、のうち、①や②の無償化には賛成でも、③の無償化には反対というのが私の考えです。
大学教育の無償化には反対
では、何故に大学教育の無償化には反対なのか。理由は大きく3つあります。第一は、高卒で働く者との間の不公平を正当化できないからです。現在の日本の大学進学率は約5割です。これを高いと見るか低いと見るかは論者によって異なるでしょうが、現に、国民の半分しか大学には行っていません。そんな中で、大学教育を無償化することは、高校を卒業して働き納税もしている層から、大学へ通っている層へと所得移転することになります。子女が大学に通っているのは相対的には恵まれた層ですから、何とも頓珍漢で不公平なことではないでしょうか。
推進論者からは、大学を無償化することですべての人が大学に通えるようにしたいのだと反論があるかもしれません。この点については、すべての人が高等教育を受ける必要があるかという点に帰着します。少々乱暴に言ってしまえば、文系にせよ理系にせよ、大学教育の意義は抽象思考を養うか、専門教育を施すかのどちらかです。抽象思考とは、高校までに身に着けたその時代なりの「読み書き算盤」というツールを使って考えるための訓練を行うことです。抽象思考を行う適性と必要があるのは、どれだけ社会が複雑化してもそれほど大きな割合ではありません。
専門教育については、果たして大学という形態によって担われるのが最適なのかという疑問があります。この辺りが、大学教育の無償化に反対な第二の理由とつながっています。21世紀は、確かに教育の重要性が高まっている時代です。ただ、専門教育については大学以外にも、企業内教育、生涯にわたって社会において行われる生涯教育や社会教育、労働者への教育として行われる職業訓練など多様なものを含みます。大切なのは、国民各層が自らの人生を豊かなものとするために必要な時期に、必要な教育を受けられることであり、大学教育に偏重して国家資源の投入を増やすことではないのです。
もちろん、投資を増やすには現在の日本の大学が多くの問題を抱えているという現状認識もあります。指標に多少のバイアスがかかっているにしても、世界的な競争力は右肩下がり、中高年の研究者には必ずしも競争原理が働かない中で若手研究者は不安定な身分の下で本筋の研究になかなか時間を割けない。研究の点からも、教育の点からも学問の足腰はどんどん弱くなっています。個別には改革の努力が行われているし、キラリと光る成功例もあるけれど、全体としては現状に利益を見出す教授会という互助会組織によって抜本的な改革の芽を摘まれていく。当の本人たちを含め、日本の大学教育の未来は明るいと胸を張って言える人はほとんどいないでしょう。問われているのは、そんな組織に、国民の血税から投資を増やしますかということです。
大学教育の無償化に反対する第三の理由は、不必要な国家の拡大を招くからです。教育は、人にとっても、社会にとっても不可欠の営みです。自由に思考し、行動できる市民を作るのは教育によってです。私から言わせると、そんな重要な分野は政府には任せておけないという感覚があります。教育への国費投入の増加は間違いなく、国家による介入と統制を伴うでしょう。現状においてさえ、文科省から大量のお役人さんが大学に天下っています。政府という仕組みは、議論にもイノベーションにも向かないのです。国費投入の拡大と、政府によるコントロールの強化は、大学から自由さも斬新さも奪う結果になるのではないでしょうか。
教育無償化と加計学園問題をつなぐもの|2017年05月21日 山猫日記 から
2017年5月26日金曜日
記事紹介|民衆の憎しみに包囲された軍事基地の価値はゼロに等しい
沖縄は5月15日、本土復帰45年の節目を迎えた。基地問題をめぐり、亀裂が深まる「本土」との関係修復は可能なのか。
5月初めの沖縄は、梅雨入り間近を予感させる特有の湿気をまとっていた。静寂が覆う密林地帯。うっそうとした茂みの中で、そこだけが柔らかな光に包まれていた。献花台を埋め尽くす花々やお菓子、ぬいぐるみ、ペットボトル……。数日前、この現場で一周忌の法要が営まれた。
元海兵隊員の米軍属による暴行殺人事件が発生したのは昨年4月29日。犠牲者は20歳の女性会社員だった。自宅近くでウォーキング中、事件に巻き込まれた。
一周忌の法要で女性の父親は、遺体が遺棄された雑木林に向かって、娘の名前を何度も呼び、「一緒に帰るよ」と呼び掛けた。父親は4月27日、書面で現在の心境を明らかにしている。
「今なお、米兵や軍属による事件事故が相次いでいます。それは沖縄に米軍基地があるがゆえに起こることです。一日でも早い基地の撤去を望みます。それは多くの県民の願いでもあるのですから」
献花台のすぐ近くを通る県道104号線は、「キセンバル闘争」で知られる反基地闘争の象徴的な場所だ。復帰翌年の1973年から97年まで180回にわたって実弾砲撃訓練が繰り返された。その都度、県道は封鎖され、砲弾が着弾地の山肌をえぐり続けた。
森の奥から響く射撃音 復帰は間違いだったか
森の奥から乾いた射撃音が響く。一帯は米軍演習場のレンジが幾重にも連なる。この演習場内の工事現場で、工事車両や水タンクが破損し、車両付近や水タンク内から銃弾のような物が見つかったのは、つい先月のことだ。5月2日、沖縄県議会が原因究明や再発防止を求める抗議決議と意見書を全会一致で可決した。
こうした異常な出来事が、沖縄では日常的に起きる。演習場周辺の民間地への被弾などは今回を除き復帰後27件繰り返されているが、日米地位協定の「壁」に阻まれ、いずれも立件には至っていない。ほかにも、復帰後の米軍機の墜落・不時着は709件、米軍関係者による事件は5919件、事故は3613件(昨年末現在)に上る。
敗戦と占領の残滓が色濃くにじむ沖縄で、復帰は何だったのか、との問いが繰り返されるのは必然といえる。「祖国復帰運動」は、基本的人権や平和憲法を明記した「憲法の下への復帰」がスローガンだった。
「だれもが評価する『戦争放棄』はピカピカに輝いていましたからね。しかし結局、ピカピカの平和憲法の下に帰るということをもって、復帰の真相が覆い隠された面もあったのではないでしょうか」
復帰運動を牽引した屋良朝苗主席の下、琉球政府職員として「復帰措置に関する建議書」の策定に携わった宮里整さん(84)=那覇市=は、淀みない口調でこう続けた。
「私は今、冷静に振り返れば、復帰運動は間違いだったという結論に行き着いています」
危機感訴える「建議書」 缶詰めになり作成
「建議書」は、復帰準備作業が本土政府ペースで進められ、県民の意向が反映されていないことに危機感を抱いた当時の琉球政府が、沖縄側の反論と要望を日本政府に訴えるためにつづった全132ページの文書だ。
復帰を翌年に控えた71年10月。那覇市の八汐荘の畳敷きの大広間は男たちの熱気に包まれていた。顔を真っ赤にして議論する者、食事時間も惜しんでどんぶり鉢を片手に黙々と資料をあさる者……。顔ぶれはさまざまだったが、共通の使命を負っていた。琉球政府の若手職員ら約30人と学識経験者からなる「復帰措置総点検プロジェクトチーム」の中に、行政管理課から選ばれた宮里さんもいた。建議書は彼らが缶詰め状態で1カ月足らずでまとめた。
翌11月17日、屋良主席は建議書を携えて東京に向かう。しかし、羽田空港に到着する直前、衆院特別委員会で自民党が沖縄返還協定を強行採決した。これが、のちに「幻の建議書」と呼ばれるゆえんとなる。
建議書の印象的な一節を紹介したい。
「県民が復帰を願った心情には、結局は国の平和憲法の下で基本的人権の保障を願望していたからにほかなりません。(中略)復帰に当たっては、やはり従来通りの基地の島としてではなく、基地のない平和の島としての復帰を強く望んでおります」(建議書「はじめに」)
97年11月の沖縄の施政権返還25周年を記念する復帰式典。大田昌秀知事は「当時、政府が建議書を真剣に受け止め、県民の願いをその後の沖縄政策に生かしていたら、わが県はもっと違った姿になっていたのではないかと思われてならない」と発言した。
宮里さんは13年前の筆者の取材に、建議書をこう総括している。
「復帰時点に指摘された問題は積み残しの状態で、本質の解決は図られないままメッキを塗ってごまかして今があるのではないでしょうか」
今やメッキもはがれ落ちてしまった感が否めない。沖縄県内の全市町村長や議会議長が参加した要請団が2013年1月、米軍普天間飛行場の県内移設断念などを求める「建白書」を政府に提出した。しかし、その後の選挙でも示された民意はことごとく踏みにじられ、先月25日、政府は辺野古埋め立ての第1段階である護岸工事に着手した。
「政府は沖縄を領土の観点でのみ捉え、いかに軍事利用するかということだけに集中しているように見えます。ただ、こうした政府の処遇は今に始まったことではありません」(宮里さん)
信託統治か潜在主権か 独立への道も存在した
日本政府は明治期に、安全保障上の所要を満たすため、武力威嚇を伴う「琉球処分」によって沖縄を日本国家の版図に組み込んだ。太平洋戦争で沖縄は、本土決戦のための時間稼ぎの「捨て石」として住民が根こそぎ動員された揚げ句、4人に1人が亡くなる地上戦に引きずり込まれた。そうした歴史の連なりの中に今がある。
そう捉える宮里さんの視座は、政府批判にとどまらない。矛先は自身を含む「沖縄」にも向けられている。
敗戦時、宮里さんは12歳だった。軍国主義一辺倒の皇民化教育を受け、島くとぅば(沖縄方言)の使用も禁止されていた宮里さんは、沖縄にかつて王政が存在したことや、独自の文化や歴史が育まれてきたことも知らなかった。
戦後沖縄の教育は、収容所での青空教室に始まり、米軍の指示で沖縄独自の教科書編集が行われた時期もあった。沖縄の歴史が記述されたガリ版刷りの教科書が配られるまで、宮里さんは「首里城」の「首里」という文字を、「みやざと」という自分の姓と重ね、「くびさと」と黙読していたという。
日本という国家の中で沖縄は取るに足りない地域──。「そういう頭づくり」がされた延長のまま復帰運動に接続した、と宮里さんは振り返る。
「つまり、親元に帰る、祖国復帰という言葉で、私も一緒になって復帰運動に傾注しました。そういう範囲でしか物の判断ができなかったというのが、今の沖縄の状況を生み出す背景にあったと思うんです」
宮里さんが「歴史的な反省点」に挙げるのが、52年発効のサンフランシスコ講和条約の第3条に関する解釈だ。講和条約と日米安保条約の発効によって日本本土は「独立」し、沖縄は米軍占領の継続・再編成という状況に置かれた。
講和条約第3条はこう規定する。沖縄などは米国を「唯一の施政権者とする信託統治制度の下におく」との提案が国際連合に対してなされた場合、日本はこれに同意する。さらに、この提案までは、米国が沖縄などに対して「行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有する」。そのうえで、日本には「潜在主権」が残るとされていた。
宮里さんは「信託統治制度」についてこう言及する。
「敗戦までは日本が南洋諸島を委任統治していましたから、その感覚が頭にあって、南洋諸島みたいに差別された地域にされる、という反発が先に立ったのです」
一方で、「日本の潜在主権」が認められた点は、「希望」だったという。
「潜在主権が認められたことで、いずれ日本に復帰できるんだ、それが沖縄県民にとっては救いだという錯覚を起こしてしまったんですよ」
「錯覚」という言葉に、筆者は内心動揺した。宮里さんの心域はそこまで「日本」から離れてしまったのか。
かつての南洋諸島は戦後、米国の信託統治を経て独立している。
「つまり当時、沖縄自らが信託統治を欲し、そこから独立につなげる道を選んだほうがよかったんじゃないかということです。そのチャンスを逃がしたばかりに、沖縄は本土に軍事利用され続ける、今日の混迷と不幸があるのです」
沖縄を守らない9条と 憎しみに包囲された基地
宮里さんは今、戦後沖縄のテクノクラートの一人として沖縄社会を「日本復帰」に誘導する一端を担った過去を心の底から悔やんでいるのだ。
安倍晋三首相は5月3日、「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」と明言。戦争の放棄を定めた9条に自衛隊の存在を明記した条文を追加することなどを挙げた。
「日本を軍事国家にしたいのでしょうが、結局、本土による沖縄の軍事利用強化につながるのでは」
そう受け止める宮里さんの視点は、本土の改憲派、護憲派のどちらにもくみしない。
「そもそも9条は沖縄に適用されてきたのか。本土は9条を生かすために沖縄を利用してきた、という解釈もありますよね。そういう意味では、これからも9条にぶら下がるというのは、私は非常に違和感をもっています」
沖縄の政治潮流に詳しい獨協大学地域総合研究所の平良好利特任助手は『戦後日本の歴史認識』(東京大学出版会)で、「沖縄と本土の溝」の章を担当。かつてないほど沖縄と本土の政治空間に隔たりが生じてしまった根本要因として、沖縄に偏在する基地負担を戦後日本が解決できなかったことにある、と分析している。
本土で米軍基地が縮小されていった50年代後半に、本土から沖縄に移駐した米海兵隊が在沖米軍基地の約7割を占める現状を、本土のどれだけの人が知っているだろうか。
平良氏は言う。
「日米同盟の本質は、基地を提供する代わりに守ってもらうことです。しかし、基地という最も重要な『実』の部分の大半が沖縄に局地化されて見えなくなり、その『実』の部分を脇に置いたまま、『日米同盟』は深化・発展していったのではないでしょうか」
米軍統治下の沖縄で弾圧と闘った政治家、故瀬長亀次郎氏の軌跡を展示する資料館「不屈館」が那覇市にある。
「復帰して良かったことはいっぱいあります。パスポートなしで本土に行けるし、医療保険制度や年金の恩恵も受けられます。基地付きの復帰になったことで、すべてダメだと言って、本土の人と喧嘩しても始まりません」
そう話す館長の内村千尋さん(72)は亀次郎氏の次女だ。内村さんは辺野古新基地建設など政権の強権的な姿勢に強い反発を覚えながらも、本土の人たちにも粘り強く理解を得る努力が必要だと考えている。
亀次郎氏が残した言葉は今も沖縄の反基地闘争を鼓舞する力をもつ。今年3月の辺野古のキャンプ・シュワブゲート前での集会。大会決議文で引用された「弾圧は抵抗を呼ぶ。抵抗は友を呼ぶ」もその一つだ。
帰り際、内村さんが亀次郎氏の言葉をもう一つ、教えてくれた。
「民衆の憎しみに包囲された軍事基地の価値はゼロに等しい」
本土に向けられた言葉でもある。
本土復帰45年の沖縄で「幻の建議書」関係者が語る「復帰は間違いだった」|AERA 2017年5月22日号 から
5月初めの沖縄は、梅雨入り間近を予感させる特有の湿気をまとっていた。静寂が覆う密林地帯。うっそうとした茂みの中で、そこだけが柔らかな光に包まれていた。献花台を埋め尽くす花々やお菓子、ぬいぐるみ、ペットボトル……。数日前、この現場で一周忌の法要が営まれた。
元海兵隊員の米軍属による暴行殺人事件が発生したのは昨年4月29日。犠牲者は20歳の女性会社員だった。自宅近くでウォーキング中、事件に巻き込まれた。
一周忌の法要で女性の父親は、遺体が遺棄された雑木林に向かって、娘の名前を何度も呼び、「一緒に帰るよ」と呼び掛けた。父親は4月27日、書面で現在の心境を明らかにしている。
「今なお、米兵や軍属による事件事故が相次いでいます。それは沖縄に米軍基地があるがゆえに起こることです。一日でも早い基地の撤去を望みます。それは多くの県民の願いでもあるのですから」
献花台のすぐ近くを通る県道104号線は、「キセンバル闘争」で知られる反基地闘争の象徴的な場所だ。復帰翌年の1973年から97年まで180回にわたって実弾砲撃訓練が繰り返された。その都度、県道は封鎖され、砲弾が着弾地の山肌をえぐり続けた。
森の奥から響く射撃音 復帰は間違いだったか
森の奥から乾いた射撃音が響く。一帯は米軍演習場のレンジが幾重にも連なる。この演習場内の工事現場で、工事車両や水タンクが破損し、車両付近や水タンク内から銃弾のような物が見つかったのは、つい先月のことだ。5月2日、沖縄県議会が原因究明や再発防止を求める抗議決議と意見書を全会一致で可決した。
こうした異常な出来事が、沖縄では日常的に起きる。演習場周辺の民間地への被弾などは今回を除き復帰後27件繰り返されているが、日米地位協定の「壁」に阻まれ、いずれも立件には至っていない。ほかにも、復帰後の米軍機の墜落・不時着は709件、米軍関係者による事件は5919件、事故は3613件(昨年末現在)に上る。
敗戦と占領の残滓が色濃くにじむ沖縄で、復帰は何だったのか、との問いが繰り返されるのは必然といえる。「祖国復帰運動」は、基本的人権や平和憲法を明記した「憲法の下への復帰」がスローガンだった。
「だれもが評価する『戦争放棄』はピカピカに輝いていましたからね。しかし結局、ピカピカの平和憲法の下に帰るということをもって、復帰の真相が覆い隠された面もあったのではないでしょうか」
復帰運動を牽引した屋良朝苗主席の下、琉球政府職員として「復帰措置に関する建議書」の策定に携わった宮里整さん(84)=那覇市=は、淀みない口調でこう続けた。
「私は今、冷静に振り返れば、復帰運動は間違いだったという結論に行き着いています」
危機感訴える「建議書」 缶詰めになり作成
「建議書」は、復帰準備作業が本土政府ペースで進められ、県民の意向が反映されていないことに危機感を抱いた当時の琉球政府が、沖縄側の反論と要望を日本政府に訴えるためにつづった全132ページの文書だ。
復帰を翌年に控えた71年10月。那覇市の八汐荘の畳敷きの大広間は男たちの熱気に包まれていた。顔を真っ赤にして議論する者、食事時間も惜しんでどんぶり鉢を片手に黙々と資料をあさる者……。顔ぶれはさまざまだったが、共通の使命を負っていた。琉球政府の若手職員ら約30人と学識経験者からなる「復帰措置総点検プロジェクトチーム」の中に、行政管理課から選ばれた宮里さんもいた。建議書は彼らが缶詰め状態で1カ月足らずでまとめた。
翌11月17日、屋良主席は建議書を携えて東京に向かう。しかし、羽田空港に到着する直前、衆院特別委員会で自民党が沖縄返還協定を強行採決した。これが、のちに「幻の建議書」と呼ばれるゆえんとなる。
建議書の印象的な一節を紹介したい。
「県民が復帰を願った心情には、結局は国の平和憲法の下で基本的人権の保障を願望していたからにほかなりません。(中略)復帰に当たっては、やはり従来通りの基地の島としてではなく、基地のない平和の島としての復帰を強く望んでおります」(建議書「はじめに」)
97年11月の沖縄の施政権返還25周年を記念する復帰式典。大田昌秀知事は「当時、政府が建議書を真剣に受け止め、県民の願いをその後の沖縄政策に生かしていたら、わが県はもっと違った姿になっていたのではないかと思われてならない」と発言した。
宮里さんは13年前の筆者の取材に、建議書をこう総括している。
「復帰時点に指摘された問題は積み残しの状態で、本質の解決は図られないままメッキを塗ってごまかして今があるのではないでしょうか」
今やメッキもはがれ落ちてしまった感が否めない。沖縄県内の全市町村長や議会議長が参加した要請団が2013年1月、米軍普天間飛行場の県内移設断念などを求める「建白書」を政府に提出した。しかし、その後の選挙でも示された民意はことごとく踏みにじられ、先月25日、政府は辺野古埋め立ての第1段階である護岸工事に着手した。
「政府は沖縄を領土の観点でのみ捉え、いかに軍事利用するかということだけに集中しているように見えます。ただ、こうした政府の処遇は今に始まったことではありません」(宮里さん)
信託統治か潜在主権か 独立への道も存在した
日本政府は明治期に、安全保障上の所要を満たすため、武力威嚇を伴う「琉球処分」によって沖縄を日本国家の版図に組み込んだ。太平洋戦争で沖縄は、本土決戦のための時間稼ぎの「捨て石」として住民が根こそぎ動員された揚げ句、4人に1人が亡くなる地上戦に引きずり込まれた。そうした歴史の連なりの中に今がある。
そう捉える宮里さんの視座は、政府批判にとどまらない。矛先は自身を含む「沖縄」にも向けられている。
敗戦時、宮里さんは12歳だった。軍国主義一辺倒の皇民化教育を受け、島くとぅば(沖縄方言)の使用も禁止されていた宮里さんは、沖縄にかつて王政が存在したことや、独自の文化や歴史が育まれてきたことも知らなかった。
戦後沖縄の教育は、収容所での青空教室に始まり、米軍の指示で沖縄独自の教科書編集が行われた時期もあった。沖縄の歴史が記述されたガリ版刷りの教科書が配られるまで、宮里さんは「首里城」の「首里」という文字を、「みやざと」という自分の姓と重ね、「くびさと」と黙読していたという。
日本という国家の中で沖縄は取るに足りない地域──。「そういう頭づくり」がされた延長のまま復帰運動に接続した、と宮里さんは振り返る。
「つまり、親元に帰る、祖国復帰という言葉で、私も一緒になって復帰運動に傾注しました。そういう範囲でしか物の判断ができなかったというのが、今の沖縄の状況を生み出す背景にあったと思うんです」
宮里さんが「歴史的な反省点」に挙げるのが、52年発効のサンフランシスコ講和条約の第3条に関する解釈だ。講和条約と日米安保条約の発効によって日本本土は「独立」し、沖縄は米軍占領の継続・再編成という状況に置かれた。
講和条約第3条はこう規定する。沖縄などは米国を「唯一の施政権者とする信託統治制度の下におく」との提案が国際連合に対してなされた場合、日本はこれに同意する。さらに、この提案までは、米国が沖縄などに対して「行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有する」。そのうえで、日本には「潜在主権」が残るとされていた。
宮里さんは「信託統治制度」についてこう言及する。
「敗戦までは日本が南洋諸島を委任統治していましたから、その感覚が頭にあって、南洋諸島みたいに差別された地域にされる、という反発が先に立ったのです」
一方で、「日本の潜在主権」が認められた点は、「希望」だったという。
「潜在主権が認められたことで、いずれ日本に復帰できるんだ、それが沖縄県民にとっては救いだという錯覚を起こしてしまったんですよ」
「錯覚」という言葉に、筆者は内心動揺した。宮里さんの心域はそこまで「日本」から離れてしまったのか。
かつての南洋諸島は戦後、米国の信託統治を経て独立している。
「つまり当時、沖縄自らが信託統治を欲し、そこから独立につなげる道を選んだほうがよかったんじゃないかということです。そのチャンスを逃がしたばかりに、沖縄は本土に軍事利用され続ける、今日の混迷と不幸があるのです」
沖縄を守らない9条と 憎しみに包囲された基地
宮里さんは今、戦後沖縄のテクノクラートの一人として沖縄社会を「日本復帰」に誘導する一端を担った過去を心の底から悔やんでいるのだ。
安倍晋三首相は5月3日、「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」と明言。戦争の放棄を定めた9条に自衛隊の存在を明記した条文を追加することなどを挙げた。
「日本を軍事国家にしたいのでしょうが、結局、本土による沖縄の軍事利用強化につながるのでは」
そう受け止める宮里さんの視点は、本土の改憲派、護憲派のどちらにもくみしない。
「そもそも9条は沖縄に適用されてきたのか。本土は9条を生かすために沖縄を利用してきた、という解釈もありますよね。そういう意味では、これからも9条にぶら下がるというのは、私は非常に違和感をもっています」
沖縄の政治潮流に詳しい獨協大学地域総合研究所の平良好利特任助手は『戦後日本の歴史認識』(東京大学出版会)で、「沖縄と本土の溝」の章を担当。かつてないほど沖縄と本土の政治空間に隔たりが生じてしまった根本要因として、沖縄に偏在する基地負担を戦後日本が解決できなかったことにある、と分析している。
本土で米軍基地が縮小されていった50年代後半に、本土から沖縄に移駐した米海兵隊が在沖米軍基地の約7割を占める現状を、本土のどれだけの人が知っているだろうか。
平良氏は言う。
「日米同盟の本質は、基地を提供する代わりに守ってもらうことです。しかし、基地という最も重要な『実』の部分の大半が沖縄に局地化されて見えなくなり、その『実』の部分を脇に置いたまま、『日米同盟』は深化・発展していったのではないでしょうか」
米軍統治下の沖縄で弾圧と闘った政治家、故瀬長亀次郎氏の軌跡を展示する資料館「不屈館」が那覇市にある。
「復帰して良かったことはいっぱいあります。パスポートなしで本土に行けるし、医療保険制度や年金の恩恵も受けられます。基地付きの復帰になったことで、すべてダメだと言って、本土の人と喧嘩しても始まりません」
そう話す館長の内村千尋さん(72)は亀次郎氏の次女だ。内村さんは辺野古新基地建設など政権の強権的な姿勢に強い反発を覚えながらも、本土の人たちにも粘り強く理解を得る努力が必要だと考えている。
亀次郎氏が残した言葉は今も沖縄の反基地闘争を鼓舞する力をもつ。今年3月の辺野古のキャンプ・シュワブゲート前での集会。大会決議文で引用された「弾圧は抵抗を呼ぶ。抵抗は友を呼ぶ」もその一つだ。
帰り際、内村さんが亀次郎氏の言葉をもう一つ、教えてくれた。
「民衆の憎しみに包囲された軍事基地の価値はゼロに等しい」
本土に向けられた言葉でもある。
本土復帰45年の沖縄で「幻の建議書」関係者が語る「復帰は間違いだった」|AERA 2017年5月22日号 から
2017年5月24日水曜日
記事紹介|日本の大学は、ゆでガエル状態
「高大接続」という言葉が独り歩きしている。目まぐるしく変わる世界で、私たちの子どもはどんな力を求められるのか、それにふさわしい教育を創っていこう。そんな思いで始めた改革だったが、その方向に進んでいるのだろうか。議論を進めてきた責任者の一人として、改革に込めた思いを語りたい――中央教育審議会会長として改革を世に送り出した安西祐一郎氏が語り始めた。
心のスイッチを切り替える
先日、人工知能の性能を競うコンテストで審査委員長を務めた。料理の写真を見て、人工知能に料理名を当てさせるのだ。
人が料理の写真を見てその名前を当てるときには、画像だけでなく、今まで食べてきた経験がものをいう。だが、料理を食べたことも、作ったことも、買ったこともない人工知能が、写真を見せられただけでその料理の名前を当てられるものだろうか。5月22日に大阪で開かれる人工知能のシンポジウムで表彰式が行われるので、結果は次回に譲るとしよう。
人間はその経験に横串を刺し、知識として体系化し、さらに枝葉をどこまでも広げることができる。人工知能は、いったいどうすれば「多様な経験を積む」ことができるのだろう? 多様に広がる世界の情報にどうやって「横串を刺す」ことができるのだろう? これらの問いへの答えは、まだ出ていない。
人工知能にまだできない多様性への対応こそ、主体性と並ぶ「2045年の学力」の大きな柱だ。
一瞬で情報が地球の裏側まで届くこれからの時代に求められるのは、多様性への対応だ。画一的にものごとをとらえ、狭い社会の規範や前例だけで判断していては、思考の広がりは望めない。だから、2014年の中央教育審議会答申「新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革について」には、「主体性をもって多様な人々と協働して学ぶ」という字句を盛り込んだ。学校教育法には「主体性をもって学習する態度」とあるが、「多様性」ということばはどこにもない。画一的から脱するためには、主体性だけでなく、「多様な人々」と学び合う環境が大切だ。国籍や言語、文化など全く異なる人々と学び合うことが、学びの場を大きく変え、子どもたちの心を広く豊かにし、柔軟な判断力を育ててくれる。
だが、そうした人々を育てるには、今の大学はあまりに「画一的」だ。たとえば国立大学の関係者は、口を開けば「運営費交付金」という。2004年に国立大学が法人化された後、収入の不足分を補うため、学生数などをもとにそれぞれの大学に金額をはじき出し、機械的に分配されてきた。それでは不合理だという政財界からの指摘などもあり、「頑張っている大学には手厚い」重点配分が始まったが、そのため、国立大学関係者の口から「運営費交付金」の言葉が飛び出す頻度がますます上がっているようにみえる。「部局」も同様だ。国立大学関係者は「部局」ということばを頻繁に使う。しかし、この用語は国立大学あるいは公立大学以外の大学には通用しない。「部局の壁を越えられない」「部局のタテ割り」「部局の合意を得る」.........否定的な場面に使われるケースもあるが、関係者の間での用語の使い方はともかくとして、使う言葉が同じ人々は思考の方法もそう変わらない、ということだ。ともあれ、国立86大学の中だけで通用する用語を使っていると、その中だけの思考法になってしまう、という点は、当の国立大学の関係者はあまり気づいていないように見受けられる。
では、私立大学はどうだろうか。国立大学を凌駕するほどに個性的といえるかといえば、やはり「画一的」を否定できない。私立大学の個性は、建学の精神にあるはずだ。なのに、建学の精神に基づいて入学者受け入れの方針を定め、入試をしている大学がどれほどあるだろうか。大量の入学者を短時間の画一的な試験によって無造作に入学させ、ところてんのように押し出すところが目に付いてならない。
「日本の大学は、ゆでガエル状態」と自嘲気味に語る、心ある大学人が少なくない。曰く、徐々に温度が上がっても「いい湯だな」とのんきに構えているうちに、すっかりゆであがってしまう......。前を見ても、横を見ても、「画一的」にのほほんと温泉につかっている仲間と一緒であれば、安心していられるのかもしれない。あるいは安心していることにさえ気づいていないのかもしれない。つまり、「画一的」とは、思考停止の結果なのだ。
そうした大学の姿は、これまでもたびたび問題視されてきた。哲学者で批評家の三木清が1936年2月に、以下のような指摘をしている。
「試験制度はまた我が国における教育機関の画一化によって強化されている。(略)各学校の特色がもっと明瞭であり、各々その特色を発揮することに努力するならば、試験の激烈さも緩和され、その弊害も減少するであろう。ところが現在では、例えば官立学校と私立学校とにおいて教授内容は同一であり、ただ後者は設備その他の点で劣っているというだけで前者と相違するといった状態であるために、試験制度も強化されるのである。画一主義の教育と試験制度とは相互に関連している。そして今日我が国の風潮が教育における制度主義、画一主義を強化しつつあることは見遁せない」(「三木清 大学論集」講談社文芸文庫より)
激烈な試験が次世代の育成にどれほどの弊害をもたらすか、という問題指摘の中で書かれている。2・26事件の起きた時期に書かれた三木の指摘がやや特殊だという言い方はあるにしても、「官立学校と私立学校とにおいて教授内容は同一」と大学の画一性を強調しているところに目をひかれてしまう。中身が同じであれば、受験生は設備や、ここには書かれていないが「知名度」「官立か私立か」など外形的なことで選ぶのは当然だというわけだ。
教育の自由化・多様化を全面に打ち出した1971年の「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策について」(四六答申)では、大学の体質改善を迫っている。
「高等教育の大衆化は、単にその進学率の上昇というだけでなく、現に社会で働いている人が、その学歴水準にかかわらず再教育の必要を感じているという事実が示すとおり、さまざまな年齢や職業の人にまで拡張して考えなければならない。それは、急激に変化する社会が、たえず人間能力の再開発を求めているからである。このような国民の要請にこたえるためには、多様な資質を持つ学生のさまざまな要求に即応する教育の内容と方法を備えた高等教育機関が必要となる」と問題提起をしている。
その16年後、1987年の「臨時教育審議会」の最終答申でも「高等教育の個性化・多様化」が強調されている。「高等教育の個性化、多様化、高度化、社会との連携、開放を進める、また、学術研究を積極的に振興する。これらを裏付ける条件として、組織・運営における自主・自律の確立、教職員の資質の向上、経済的基盤の整備を図る」と提言する。
大学の個性化、多様化を妨げる要素は、受験生側にも根深く横たわっている。依然として偏差値で大学選びをする傾向だ。偏差値とは、ある試験を受けた受験者全員を母集団として、その中でどの程度の位置にいるかを示した数値で、それ以上のものではない。「難易度」に使われているのは、「入試合格者」の偏差値で、「入学者」の数値ではない。にもかかわらず、それで「行ける大学」が決められ、人生が決まってしまうかのような仕組みが社会に埋め込まれている。
偏差値ばかりを気にして若い人たちの一生を台無しにしているのが、今の高大関係だ。健康を維持するために体重ばかりを気にしていたら、摂食障害を起こしたり、精神的に病んだりもする。食事や運動、生活リズムなどのバランスの中での体重管理、たった1本のものさしだけで健康を測らないことが大切だろう。
いまの試験制度自体にも大きな問題がたくさんある。社会では多様な能力を持った多様な人たちが必要なのに、覚えたことの多寡を1本のものさしで測って優劣をつける仕組みになっているからだ。それぞれ異なる能力を磨いてきた人たちの優劣を同一の試験で判断するのはそもそも意味がない。
18歳人口は1992年約205万人、現在は約120万人。にもかかわらず、大学生の数は減っていない。高校を出て就職する人たちの数が25年間で激減した。したがって今は、大学に進んで何をどう学ぶのかがより重要な問題になる。大学には50%以上の高校生が進学する時代だから、大学を出ただけではもはや「価値が高い」といえないからだ。進路は実に多様なはずだ。だが、社会全体が「大学にいけば何とかなる」、もっといえば「いい大学に入れば、いい会社に入れて、幸せな人生を過ごせる」と画一的に思い込んでいる。その結果、画一的な高校と、その延長の大学がシステムとして用意されることになる。社会では多様性への対応が要求されている。この矛盾をどうとらえるかが問題だろう。
「画一的」は、新卒一括採用で入試合格者の「偏差値」を重視する企業にも当てはまる。この偏差値は入学前の偏差値だから、その大学でどのような教育をしているかとは全くかかわりがない。にもかかわらず、偏差値を使うのは、効率がいいと踏んでいるからだろう。1人ひとりを丁寧に面談し、どの業務に向いているか、社風と合うかを考えて選ぶのは大変手間がかかる。それで妙な新人を入社させたりしたら、人事担当者は責任を問われることになると心配し、「とりあえず東大卒業生」を重く見て採用する風潮があるようだ。
平時はそれでいいかもしれないが、いまは「乱世」。かつて有名大学卒業者をぞろぞろと集めていた企業が危機的状況に陥っている。それを、企業は、またこれから大学を選ぶ受験生やその保護者、進路指導の教員は、やはりぬくぬくとぬるま湯につかりながら見ているのだろうか。
「1億総ゆでガエル」――想像もしたくない。
「1億総ゆでガエル」にならないために|2017年5月19日 読売新聞 から
◇
心のスイッチを切り替える
先日、人工知能の性能を競うコンテストで審査委員長を務めた。料理の写真を見て、人工知能に料理名を当てさせるのだ。
人が料理の写真を見てその名前を当てるときには、画像だけでなく、今まで食べてきた経験がものをいう。だが、料理を食べたことも、作ったことも、買ったこともない人工知能が、写真を見せられただけでその料理の名前を当てられるものだろうか。5月22日に大阪で開かれる人工知能のシンポジウムで表彰式が行われるので、結果は次回に譲るとしよう。
人間はその経験に横串を刺し、知識として体系化し、さらに枝葉をどこまでも広げることができる。人工知能は、いったいどうすれば「多様な経験を積む」ことができるのだろう? 多様に広がる世界の情報にどうやって「横串を刺す」ことができるのだろう? これらの問いへの答えは、まだ出ていない。
人工知能にまだできない多様性への対応こそ、主体性と並ぶ「2045年の学力」の大きな柱だ。
一瞬で情報が地球の裏側まで届くこれからの時代に求められるのは、多様性への対応だ。画一的にものごとをとらえ、狭い社会の規範や前例だけで判断していては、思考の広がりは望めない。だから、2014年の中央教育審議会答申「新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革について」には、「主体性をもって多様な人々と協働して学ぶ」という字句を盛り込んだ。学校教育法には「主体性をもって学習する態度」とあるが、「多様性」ということばはどこにもない。画一的から脱するためには、主体性だけでなく、「多様な人々」と学び合う環境が大切だ。国籍や言語、文化など全く異なる人々と学び合うことが、学びの場を大きく変え、子どもたちの心を広く豊かにし、柔軟な判断力を育ててくれる。
だが、そうした人々を育てるには、今の大学はあまりに「画一的」だ。たとえば国立大学の関係者は、口を開けば「運営費交付金」という。2004年に国立大学が法人化された後、収入の不足分を補うため、学生数などをもとにそれぞれの大学に金額をはじき出し、機械的に分配されてきた。それでは不合理だという政財界からの指摘などもあり、「頑張っている大学には手厚い」重点配分が始まったが、そのため、国立大学関係者の口から「運営費交付金」の言葉が飛び出す頻度がますます上がっているようにみえる。「部局」も同様だ。国立大学関係者は「部局」ということばを頻繁に使う。しかし、この用語は国立大学あるいは公立大学以外の大学には通用しない。「部局の壁を越えられない」「部局のタテ割り」「部局の合意を得る」.........否定的な場面に使われるケースもあるが、関係者の間での用語の使い方はともかくとして、使う言葉が同じ人々は思考の方法もそう変わらない、ということだ。ともあれ、国立86大学の中だけで通用する用語を使っていると、その中だけの思考法になってしまう、という点は、当の国立大学の関係者はあまり気づいていないように見受けられる。
では、私立大学はどうだろうか。国立大学を凌駕するほどに個性的といえるかといえば、やはり「画一的」を否定できない。私立大学の個性は、建学の精神にあるはずだ。なのに、建学の精神に基づいて入学者受け入れの方針を定め、入試をしている大学がどれほどあるだろうか。大量の入学者を短時間の画一的な試験によって無造作に入学させ、ところてんのように押し出すところが目に付いてならない。
「日本の大学は、ゆでガエル状態」と自嘲気味に語る、心ある大学人が少なくない。曰く、徐々に温度が上がっても「いい湯だな」とのんきに構えているうちに、すっかりゆであがってしまう......。前を見ても、横を見ても、「画一的」にのほほんと温泉につかっている仲間と一緒であれば、安心していられるのかもしれない。あるいは安心していることにさえ気づいていないのかもしれない。つまり、「画一的」とは、思考停止の結果なのだ。
そうした大学の姿は、これまでもたびたび問題視されてきた。哲学者で批評家の三木清が1936年2月に、以下のような指摘をしている。
「試験制度はまた我が国における教育機関の画一化によって強化されている。(略)各学校の特色がもっと明瞭であり、各々その特色を発揮することに努力するならば、試験の激烈さも緩和され、その弊害も減少するであろう。ところが現在では、例えば官立学校と私立学校とにおいて教授内容は同一であり、ただ後者は設備その他の点で劣っているというだけで前者と相違するといった状態であるために、試験制度も強化されるのである。画一主義の教育と試験制度とは相互に関連している。そして今日我が国の風潮が教育における制度主義、画一主義を強化しつつあることは見遁せない」(「三木清 大学論集」講談社文芸文庫より)
激烈な試験が次世代の育成にどれほどの弊害をもたらすか、という問題指摘の中で書かれている。2・26事件の起きた時期に書かれた三木の指摘がやや特殊だという言い方はあるにしても、「官立学校と私立学校とにおいて教授内容は同一」と大学の画一性を強調しているところに目をひかれてしまう。中身が同じであれば、受験生は設備や、ここには書かれていないが「知名度」「官立か私立か」など外形的なことで選ぶのは当然だというわけだ。
教育の自由化・多様化を全面に打ち出した1971年の「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策について」(四六答申)では、大学の体質改善を迫っている。
「高等教育の大衆化は、単にその進学率の上昇というだけでなく、現に社会で働いている人が、その学歴水準にかかわらず再教育の必要を感じているという事実が示すとおり、さまざまな年齢や職業の人にまで拡張して考えなければならない。それは、急激に変化する社会が、たえず人間能力の再開発を求めているからである。このような国民の要請にこたえるためには、多様な資質を持つ学生のさまざまな要求に即応する教育の内容と方法を備えた高等教育機関が必要となる」と問題提起をしている。
その16年後、1987年の「臨時教育審議会」の最終答申でも「高等教育の個性化・多様化」が強調されている。「高等教育の個性化、多様化、高度化、社会との連携、開放を進める、また、学術研究を積極的に振興する。これらを裏付ける条件として、組織・運営における自主・自律の確立、教職員の資質の向上、経済的基盤の整備を図る」と提言する。
大学の個性化、多様化を妨げる要素は、受験生側にも根深く横たわっている。依然として偏差値で大学選びをする傾向だ。偏差値とは、ある試験を受けた受験者全員を母集団として、その中でどの程度の位置にいるかを示した数値で、それ以上のものではない。「難易度」に使われているのは、「入試合格者」の偏差値で、「入学者」の数値ではない。にもかかわらず、それで「行ける大学」が決められ、人生が決まってしまうかのような仕組みが社会に埋め込まれている。
偏差値ばかりを気にして若い人たちの一生を台無しにしているのが、今の高大関係だ。健康を維持するために体重ばかりを気にしていたら、摂食障害を起こしたり、精神的に病んだりもする。食事や運動、生活リズムなどのバランスの中での体重管理、たった1本のものさしだけで健康を測らないことが大切だろう。
いまの試験制度自体にも大きな問題がたくさんある。社会では多様な能力を持った多様な人たちが必要なのに、覚えたことの多寡を1本のものさしで測って優劣をつける仕組みになっているからだ。それぞれ異なる能力を磨いてきた人たちの優劣を同一の試験で判断するのはそもそも意味がない。
18歳人口は1992年約205万人、現在は約120万人。にもかかわらず、大学生の数は減っていない。高校を出て就職する人たちの数が25年間で激減した。したがって今は、大学に進んで何をどう学ぶのかがより重要な問題になる。大学には50%以上の高校生が進学する時代だから、大学を出ただけではもはや「価値が高い」といえないからだ。進路は実に多様なはずだ。だが、社会全体が「大学にいけば何とかなる」、もっといえば「いい大学に入れば、いい会社に入れて、幸せな人生を過ごせる」と画一的に思い込んでいる。その結果、画一的な高校と、その延長の大学がシステムとして用意されることになる。社会では多様性への対応が要求されている。この矛盾をどうとらえるかが問題だろう。
「画一的」は、新卒一括採用で入試合格者の「偏差値」を重視する企業にも当てはまる。この偏差値は入学前の偏差値だから、その大学でどのような教育をしているかとは全くかかわりがない。にもかかわらず、偏差値を使うのは、効率がいいと踏んでいるからだろう。1人ひとりを丁寧に面談し、どの業務に向いているか、社風と合うかを考えて選ぶのは大変手間がかかる。それで妙な新人を入社させたりしたら、人事担当者は責任を問われることになると心配し、「とりあえず東大卒業生」を重く見て採用する風潮があるようだ。
平時はそれでいいかもしれないが、いまは「乱世」。かつて有名大学卒業者をぞろぞろと集めていた企業が危機的状況に陥っている。それを、企業は、またこれから大学を選ぶ受験生やその保護者、進路指導の教員は、やはりぬくぬくとぬるま湯につかりながら見ているのだろうか。
「1億総ゆでガエル」――想像もしたくない。
「1億総ゆでガエル」にならないために|2017年5月19日 読売新聞 から
2017年5月23日火曜日
”植民地”国立大学への出向(天〇り)に関わるQ&A
役人言葉の見事な文章。信じるか信じないかはあなた次第です。
国立大学法人への文部科学省職員の派遣および出向等の状況に関する質問主意書|衆議院
国立大学法人は、国立大学法人法第1条で「大学の教育研究に対する国民の要請にこたえるとともに、我が国の高等教育及び学術研究の水準の向上と均衡ある発展を図る」ことが目的であると示され、国立大学法人法第3条では、「国は、この法律の運用に当たっては、国立大学及び大学共同利用機関における教育研究の特性に常に配慮しなければならない」と規定されている。
政府は、このように国立大学法人の教育研究の特性に常に配慮すべきであるにもかかわらず、文部科学省職員の国立大学法人への派遣および出向等の実態は不透明であり、国民は不信を抱かざるを得ない。このような観点から、以下質問する。
1 文部科学省職員の身分を有する者、あるいはかつて文部科学省職員の身分を有していた者が、派遣、出向など形式の如何を問わず、国立大学法人で教育職、研究職、事務職あるいは理事などの役員として勤務されていると承知しているが、何を目的にして、政府はそうした勤務を行わせているのか。教育職、研究職、事務職および役員のそれぞれについて、政府の見解を示されたい。
2 1の勤務は、どのような法的根拠で行われているのか。政府の見解を示されたい。
3 全国の国立大学法人で、教育職、研究職、事務職および役員として勤務する者のうち、文部科学省職員の身分を有する者、あるいはかつて文部科学省職員の身分を有していた者は、現在、何名なのか。政府の見解を示されたい。
4 文部科学省職員の身分を有する者、あるいはかつて文部科学省職員の身分を有していた者が、国立大学法人で継続的かつ特定の職種で勤務することは、国立大学の自主性を失わせるなど弊害があると考えるが、政府の見解を明らかにされたい。
国立大学法人への文部科学省職員の派遣および出向等の状況に関する質問に対する答弁書
1から4までについて
御指摘の「文部科学省職員の身分を有する者」、「かつて文部科学省職員の身分を有していた者」、「派遣」及び「教育職、研究職、事務職」の具体的に意味するところが必ずしも明らかではないが、文部科学省から国立大学法人への出向は、国立大学協会の平成21年6月15日付け「国立大学法人の幹部職員の人事交流について(申合せ)」を踏まえ、任命権を有する国立大学法人の学長からの要請に基づいて行われており、同省から推薦された職員を実際に採用するか否か、あるいは採用した者を学内でどのように活用するかについては学長が判断していると承知している。
同省からの出向者は、国立大学法人法(平成15年法律第112号)第10条第2項の理事である「役員」又は同法第35条において読み替えて準用する独立行政法人通則法(平成11年法律第103号)第26条の「職員」として、それぞれ学長の指揮監督の下で職務を遂行することから、同省からの出向によってお尋ねの「国立大学の自主性」が損なわれることはないと考えている。
同省職員の国立大学法人への出向は、同省における業務を通じて得た知見を学長の意向に沿って大学改革や機能強化に役立てることができる一方、国立大学法人での業務を経験することにより現場感覚を養い、その後の同省での業務に反映することができると考えている。
お尋ねの「1の勤務は、どのような法的根拠で行われているのか」の趣旨が必ずしも明らかではないが、当該「役員」については国立大学法人法第13条第1項の規定に基づき、当該「職員」については同法第35五条において読み替えて準用する独立行政法人通則法第26条の規定に基づき、国立大学法人の学長がそれぞれ任命していると承知している。
国立大学法人の学長の要請に基づき同省から当該国立大学法人へ出向し、平成29年1月1日現在、当該「役員」又は「職員」として、当該要請において遂行することを求められた職務を引き続き遂行している者は、276名である。
国立大学法人への文部科学省職員の派遣および出向等の状況に関する質問主意書|衆議院
国立大学法人は、国立大学法人法第1条で「大学の教育研究に対する国民の要請にこたえるとともに、我が国の高等教育及び学術研究の水準の向上と均衡ある発展を図る」ことが目的であると示され、国立大学法人法第3条では、「国は、この法律の運用に当たっては、国立大学及び大学共同利用機関における教育研究の特性に常に配慮しなければならない」と規定されている。
政府は、このように国立大学法人の教育研究の特性に常に配慮すべきであるにもかかわらず、文部科学省職員の国立大学法人への派遣および出向等の実態は不透明であり、国民は不信を抱かざるを得ない。このような観点から、以下質問する。
1 文部科学省職員の身分を有する者、あるいはかつて文部科学省職員の身分を有していた者が、派遣、出向など形式の如何を問わず、国立大学法人で教育職、研究職、事務職あるいは理事などの役員として勤務されていると承知しているが、何を目的にして、政府はそうした勤務を行わせているのか。教育職、研究職、事務職および役員のそれぞれについて、政府の見解を示されたい。
2 1の勤務は、どのような法的根拠で行われているのか。政府の見解を示されたい。
3 全国の国立大学法人で、教育職、研究職、事務職および役員として勤務する者のうち、文部科学省職員の身分を有する者、あるいはかつて文部科学省職員の身分を有していた者は、現在、何名なのか。政府の見解を示されたい。
4 文部科学省職員の身分を有する者、あるいはかつて文部科学省職員の身分を有していた者が、国立大学法人で継続的かつ特定の職種で勤務することは、国立大学の自主性を失わせるなど弊害があると考えるが、政府の見解を明らかにされたい。
国立大学法人への文部科学省職員の派遣および出向等の状況に関する質問に対する答弁書
1から4までについて
御指摘の「文部科学省職員の身分を有する者」、「かつて文部科学省職員の身分を有していた者」、「派遣」及び「教育職、研究職、事務職」の具体的に意味するところが必ずしも明らかではないが、文部科学省から国立大学法人への出向は、国立大学協会の平成21年6月15日付け「国立大学法人の幹部職員の人事交流について(申合せ)」を踏まえ、任命権を有する国立大学法人の学長からの要請に基づいて行われており、同省から推薦された職員を実際に採用するか否か、あるいは採用した者を学内でどのように活用するかについては学長が判断していると承知している。
同省からの出向者は、国立大学法人法(平成15年法律第112号)第10条第2項の理事である「役員」又は同法第35条において読み替えて準用する独立行政法人通則法(平成11年法律第103号)第26条の「職員」として、それぞれ学長の指揮監督の下で職務を遂行することから、同省からの出向によってお尋ねの「国立大学の自主性」が損なわれることはないと考えている。
同省職員の国立大学法人への出向は、同省における業務を通じて得た知見を学長の意向に沿って大学改革や機能強化に役立てることができる一方、国立大学法人での業務を経験することにより現場感覚を養い、その後の同省での業務に反映することができると考えている。
お尋ねの「1の勤務は、どのような法的根拠で行われているのか」の趣旨が必ずしも明らかではないが、当該「役員」については国立大学法人法第13条第1項の規定に基づき、当該「職員」については同法第35五条において読み替えて準用する独立行政法人通則法第26条の規定に基づき、国立大学法人の学長がそれぞれ任命していると承知している。
国立大学法人の学長の要請に基づき同省から当該国立大学法人へ出向し、平成29年1月1日現在、当該「役員」又は「職員」として、当該要請において遂行することを求められた職務を引き続き遂行している者は、276名である。
2017年5月22日月曜日
記事紹介|「希望職種は大学職員」が意味するもの
「希望職種は大学職員」が意味するもの
「今の若手に人気なのは、大学職員なんですよ」
先日、ある転職エージェントのキャリアアドバイザーから聞いた話です。第二新卒の人たちは、どんな求人に興味を持つのか、という話になった時に真っ先に出てきたのがこのセリフでした。多くの若手社員が、今の会社を辞めて、大学職員になりたいと思っているのだそうです。
かつての若手社員の人気職種といえば、「新3K」が思い起こされます。企画、広報、国際の頭文字をとった用語です。バブル時の80年代後半から2000年代中頃までは、こうした華やかな職種、舞台で働きたい、と考える若手が主流を占めていました。外資系企業や急成長しているメガベンチャー企業も人気を博していました。大きな舞台やビジネスの最前線で、自分の持てる力を使って活躍したい、という意識がはっきりと感じられました。
しかし、少しずつ様相は変わっていきました。バリバリと働き、前向きに挑戦していく志向が減退し、ほどほどの無難な生き方を志向する若手が増えてきたのです。世界を舞台に働きたいという人が激減し、地元で職を得たい、という人が増えたのは好例です。
その典型は、公務員志望の増加でしょう。昔から、不況時には安定志向が高まり、公務員志望が増える、という傾向が顕著にありましたが、リーマンショック前の好景気の時から、公務員志望はじわじわと増え始めていました。大手企業志向も高まりました。
こうした変化を考えれば、若手の中で、大学職員が人気というのも頷ける話です。大学は公共財に近い存在ですから、公務員同様に雇用が安定していると考えているでしょうし、公務員のように試験があるわけではありませんので、ハードルも低いと感じているのでしょう。大学は全国にありますから、地元志向にもかなっています。
さらに、第二新卒たちが大学職員の仕事に惹かれるのは、「残業がなさそうだから」「定時に帰ることができるから」なのだそうです。自身のプライベートな時間を大切にしたい、という意識の表れでしょう。
若手は、「生き生きと働いている」か?
ここまでをお読みいただいて、何を思われたでしょうか? 「これが、今の若手のホンネなのか」と、ショックを受けられたでしょうか。「やる気が感じられない」「今の若手が使えないわけだ」と思われたでしょうか。
確かに、若者らしい前向きさのようなものは、ここからは感じられないかもしれませんが、実は彼らは、やる気がないわけではありません。自分がやる気を出せる場所を、真剣に探しています。
しかし、今働いている会社、職場では、やる気になれてはいません。むしろ彼らは、今いる会社、職場でのやりがいや成長といったものを、最初から放棄しているように見えます。やる気はあるのに、やりがいや成長を放棄している―これは一体どういうことなのでしょうか。
私は、現代の若手社員を、高い可能性を秘めた貴重な人材だと考えています。意欲、能力が低いとは、まったく思っていません。しかし、彼らの多くが、残念ながら、「生き生きと働いている」とはいえない状況にあると思っています。
そして、その原因の多くは、彼らの側にあるのではない、と考えています。彼らの中に「希望職種は大学職員」という意向を持つ人が少なからずいる、という実態は、もっと奥深いことを物語っている、と思っています。彼らは、大学職員の仕事を、単に楽な仕事だ、などと考えてはいないのです。大学職員の仕事であれば、「生き生きと働ける」のではないかと思っているのです。
社会は変わる、人も変わる。でも会社は変わっていない
社会人となって以来、私は30年以上にわたって日本の若者たちを見つめてきました。キャリアの前半は、求人広告、就職情報誌を作る仕事に携わり、大学生や若手社員が、会社や仕事に何を期待しているのか、どのような情報を求めているのかを探索してきました。
キャリアの後半は、研究者として、大学生、若手社会人の就業意識や行動をリサーチしてきました。多くの若手社会人、大学生にインタビューし、対話を重ねてきました。講演・講義という形での接点も、数多くありました。
多くの日本企業も、見つめてきました。従業員数十万を超える超大手企業から社員3人の超零細企業まで、数百の企業の実態を見てきましたし、採用や育成にかかわる人事の方々との出会いの数は、数千人に及んでいると思います。
そうした探索を続ける中で、ある時から、大きな問題意識が生まれました。それは「多くの若手社員が、職場で活かされていない」「企業が、若手社員を潰している」という想いです。
いつの時代も、新たに社会にデビューする若者は、「今どきの若者は……」と、批判されてきました。最近であれば、「これだから、ゆとりは……」と、ゆとり世代を非難する言説が繰り広げられています。そして、そのように問題を抱えた若者が、社会に適応できるように対策を講じる、ということが繰り返されてきました。
会社という舞台においては、仕事ができる人材になるように、上司や先輩が指導したり、研修を受けさせてきました。会社の中で、「使える人材」となるために、能力を高めたり、大切なものの考え方、仕事に対する姿勢を植え付けてきました。
「組織社会化」という言葉があります。会社などの組織に、新たな人材が入ってきた時に、その人材に、組織の一員として必要な意識、行動などを身につけさせていくプロセスを指す言葉です。新入社員研修を実施する、新人にインストラクターやメンターをつける、先輩に同行させて仕事を覚えてもらう、上司が面談する、職場のメンバーで飲み会をする……こうしたことすべてが、組織社会化のプロセスです。
この構図は、今日的な言い方でいえば、「上から目線」です。変わらなくてはならないのは新人・若手であり、会社が彼らにあわせて変わる必要はない、という図式の上に成り立っています。
私も、ある時までは、そのようなとらえ方をしていました。会社の側にも、いろいろと問題はあるけれど、そうはいっても、新人・若手の側に、大きな問題があるのだから、そちら側を変えなくては、と考えていました。
しかし、ある時から、「会社の側にある、いろいろな問題」のほうが、実は大きな問題なのだと考えるようになりました。社会は変わる、人の意識・行動も変わる、なのに、会社は変わっていない。その変化のずれが、特に新しく会社に入ってくる人たちとの間で、大きな問題になっているのではないかと、考えるようになりました。
会社は「今どきの新人・若手は、どうにも使えない」と見ています。しかし、新人・若手は「こんなところでは、生き生きと働くことができない」と、息苦しさを覚えているのです。彼らは今の仕事で「力を持て余している」のです。それは、若手社員の問題なのでしょうか。それとも、彼らの職場や上司が抱える問題なのでしょうか。
変わるべきは、どちらか一方ではないでしょう。双方が変わる必要があります。しかし、先に変わらなくてはいけないのは、会社の側です。特に、新人・若手を預かるマネジャーが、考え方や行動を変えることが急務です。
変わるべきは社員か? 会社か? 成長を放棄する若手社員たち|2017年5月16日 PHP人材開発 から
「今の若手に人気なのは、大学職員なんですよ」
先日、ある転職エージェントのキャリアアドバイザーから聞いた話です。第二新卒の人たちは、どんな求人に興味を持つのか、という話になった時に真っ先に出てきたのがこのセリフでした。多くの若手社員が、今の会社を辞めて、大学職員になりたいと思っているのだそうです。
かつての若手社員の人気職種といえば、「新3K」が思い起こされます。企画、広報、国際の頭文字をとった用語です。バブル時の80年代後半から2000年代中頃までは、こうした華やかな職種、舞台で働きたい、と考える若手が主流を占めていました。外資系企業や急成長しているメガベンチャー企業も人気を博していました。大きな舞台やビジネスの最前線で、自分の持てる力を使って活躍したい、という意識がはっきりと感じられました。
しかし、少しずつ様相は変わっていきました。バリバリと働き、前向きに挑戦していく志向が減退し、ほどほどの無難な生き方を志向する若手が増えてきたのです。世界を舞台に働きたいという人が激減し、地元で職を得たい、という人が増えたのは好例です。
その典型は、公務員志望の増加でしょう。昔から、不況時には安定志向が高まり、公務員志望が増える、という傾向が顕著にありましたが、リーマンショック前の好景気の時から、公務員志望はじわじわと増え始めていました。大手企業志向も高まりました。
こうした変化を考えれば、若手の中で、大学職員が人気というのも頷ける話です。大学は公共財に近い存在ですから、公務員同様に雇用が安定していると考えているでしょうし、公務員のように試験があるわけではありませんので、ハードルも低いと感じているのでしょう。大学は全国にありますから、地元志向にもかなっています。
さらに、第二新卒たちが大学職員の仕事に惹かれるのは、「残業がなさそうだから」「定時に帰ることができるから」なのだそうです。自身のプライベートな時間を大切にしたい、という意識の表れでしょう。
若手は、「生き生きと働いている」か?
ここまでをお読みいただいて、何を思われたでしょうか? 「これが、今の若手のホンネなのか」と、ショックを受けられたでしょうか。「やる気が感じられない」「今の若手が使えないわけだ」と思われたでしょうか。
確かに、若者らしい前向きさのようなものは、ここからは感じられないかもしれませんが、実は彼らは、やる気がないわけではありません。自分がやる気を出せる場所を、真剣に探しています。
しかし、今働いている会社、職場では、やる気になれてはいません。むしろ彼らは、今いる会社、職場でのやりがいや成長といったものを、最初から放棄しているように見えます。やる気はあるのに、やりがいや成長を放棄している―これは一体どういうことなのでしょうか。
私は、現代の若手社員を、高い可能性を秘めた貴重な人材だと考えています。意欲、能力が低いとは、まったく思っていません。しかし、彼らの多くが、残念ながら、「生き生きと働いている」とはいえない状況にあると思っています。
そして、その原因の多くは、彼らの側にあるのではない、と考えています。彼らの中に「希望職種は大学職員」という意向を持つ人が少なからずいる、という実態は、もっと奥深いことを物語っている、と思っています。彼らは、大学職員の仕事を、単に楽な仕事だ、などと考えてはいないのです。大学職員の仕事であれば、「生き生きと働ける」のではないかと思っているのです。
社会は変わる、人も変わる。でも会社は変わっていない
社会人となって以来、私は30年以上にわたって日本の若者たちを見つめてきました。キャリアの前半は、求人広告、就職情報誌を作る仕事に携わり、大学生や若手社員が、会社や仕事に何を期待しているのか、どのような情報を求めているのかを探索してきました。
キャリアの後半は、研究者として、大学生、若手社会人の就業意識や行動をリサーチしてきました。多くの若手社会人、大学生にインタビューし、対話を重ねてきました。講演・講義という形での接点も、数多くありました。
多くの日本企業も、見つめてきました。従業員数十万を超える超大手企業から社員3人の超零細企業まで、数百の企業の実態を見てきましたし、採用や育成にかかわる人事の方々との出会いの数は、数千人に及んでいると思います。
そうした探索を続ける中で、ある時から、大きな問題意識が生まれました。それは「多くの若手社員が、職場で活かされていない」「企業が、若手社員を潰している」という想いです。
いつの時代も、新たに社会にデビューする若者は、「今どきの若者は……」と、批判されてきました。最近であれば、「これだから、ゆとりは……」と、ゆとり世代を非難する言説が繰り広げられています。そして、そのように問題を抱えた若者が、社会に適応できるように対策を講じる、ということが繰り返されてきました。
会社という舞台においては、仕事ができる人材になるように、上司や先輩が指導したり、研修を受けさせてきました。会社の中で、「使える人材」となるために、能力を高めたり、大切なものの考え方、仕事に対する姿勢を植え付けてきました。
「組織社会化」という言葉があります。会社などの組織に、新たな人材が入ってきた時に、その人材に、組織の一員として必要な意識、行動などを身につけさせていくプロセスを指す言葉です。新入社員研修を実施する、新人にインストラクターやメンターをつける、先輩に同行させて仕事を覚えてもらう、上司が面談する、職場のメンバーで飲み会をする……こうしたことすべてが、組織社会化のプロセスです。
この構図は、今日的な言い方でいえば、「上から目線」です。変わらなくてはならないのは新人・若手であり、会社が彼らにあわせて変わる必要はない、という図式の上に成り立っています。
私も、ある時までは、そのようなとらえ方をしていました。会社の側にも、いろいろと問題はあるけれど、そうはいっても、新人・若手の側に、大きな問題があるのだから、そちら側を変えなくては、と考えていました。
しかし、ある時から、「会社の側にある、いろいろな問題」のほうが、実は大きな問題なのだと考えるようになりました。社会は変わる、人の意識・行動も変わる、なのに、会社は変わっていない。その変化のずれが、特に新しく会社に入ってくる人たちとの間で、大きな問題になっているのではないかと、考えるようになりました。
会社は「今どきの新人・若手は、どうにも使えない」と見ています。しかし、新人・若手は「こんなところでは、生き生きと働くことができない」と、息苦しさを覚えているのです。彼らは今の仕事で「力を持て余している」のです。それは、若手社員の問題なのでしょうか。それとも、彼らの職場や上司が抱える問題なのでしょうか。
変わるべきは、どちらか一方ではないでしょう。双方が変わる必要があります。しかし、先に変わらなくてはいけないのは、会社の側です。特に、新人・若手を預かるマネジャーが、考え方や行動を変えることが急務です。
変わるべきは社員か? 会社か? 成長を放棄する若手社員たち|2017年5月16日 PHP人材開発 から
2017年5月15日月曜日
記事紹介|日本の新分野開拓力を妨げているのは大学組織の慣習である
オープンサイエンス時代の到来
交通手段の発達、情報通信技術の進展が時空間の制約を解き、新たな「知の共創」が可能になりつつある。かつては個人による思索、知識創造の営みであった科学研究も、いよいよオープンサイエンスの時代を迎えた。
最も個人知が冴える数学界にさえ、フィールズ賞受賞者T.ガウアーズが2009年に創設したPolymath Projectの動きがある。証明困難な数学問題を多くの数学者のコミュニティで協働して解決策を導き出そうとする活動で、発想は「一人のダ・ビンチが世界を変えた。しかし、もし千人のダ・ビンチを集めたら?」であった。すでに大きな効果をもたらし、与えられた問題の答を出すだけではなく、この熟議で新たな問題をつくり出せることも明らかになった。さらに、インターネットの発展は、遺伝子研究、天文学、鳥類観測、環境モニタリング、古文書解読などデータ駆動型のさまざまな分野で、一般市民参加の「シチズン・サイエンス」の成功例をもたらした。もとより人数の多寡ではなく、目標に応じて一定の秩序が必要で、広い視野をもつ優れたリーダーの存在と多様な才能の参加が不可欠である。
「科学は一つ」であるが、わが国では科学者たちの縄張り意識があまりに強い。「知の共創」の重要性の認識が欠けるため、「分野連携」「分野融合」が遅々として進まない。さらに「地球は一つ」の流れの中で、長年にわたる国際交流の不調は依然として続き、国際共同研究は30%以下にとどまり、他の先進国の平均値50-60%に全く及ばない。文科省科学技術・学術政策研究所がつくるサイエンスマップによれば、日本は全844領域の32%にしか参画しておらず、新領域の共同的開拓力が著しく不十分という。
現代社会が求める複雑系の問題の解決は、いかなる天才、秀才といえども一人では難しい。誰が解決するかではなく、いかにすれば解決できるかを考えるべきで、近年の社会との関係の深まりを考えれば、文理融合は不可避である。わが国の問題はすでに文理選択を促す中等教育に発しているが、多様な優秀人材を擁する総合国立大学は、なぜに組織的協調を試みないのか。公的資源配分の方法や専門家たちの評価、学協会のあり方が邪魔をしてはいないか。もはや事態は待ったなしである。近くNature、Science誌も世界の趨勢を見据えて、この方向の姉妹誌を相当数創刊するが、この新たな潮流の中で、特徴ある文化をもつ日本からの注目される成果発表を期待している。
生活共同体(グループ)と社会的組織(チーム)
日本は民族的均質性が高く、異質を排除する風土がある。研究体制においても「グループ」と「チーム」の違いの根本認識がない。英語由来のグループとは「群れ」のことである。蟻や蜂、魚、鳥、動物など同一種の生き物、あるいは血縁、地縁、同質の人たちの集団であって、その形成は環境に適応して生存するために有効であるとされる。一方、チームは明確な行動目的をもち、社会的に意図してつくられる組織である。スポーツでわかるように、明晰な指揮官のもとに勝利に必要な優れた専門技能をもつ選手を集めて戦う。たまたまそこに居住する人たちの力だけでは、到底勝ち目はない。
かつての日本の大学は、平穏な群れ的風土を尊重した。その特色ある学術研究や後継者育成は、牧場経営にも例えられた。しかし、慣れ親しんだ牧場で安定した生涯を送り、群れを存続することは、乳牛たちが望むところかもしれないが、時を経て草原が劣化し、また有限の投入資源と出荷額が不均衡となれば、酪農自身が成り立たない。個人はもとより社会的に同質の集団の力はごく限定的であり、喫緊の重要課題が山積する現代は、牧畜式体制だけでは成り行かない。現代の研究体制には、静的な「構造秩序」から動的な「機能秩序」への転換が強く求められる。対象が科学であれ、技術であれ、より広い社会であれ、多くの課題の解決は均質ではない、異能チームの編成による総合機能力の発揮なくしてあり得ない。
日本の新分野開拓力を妨げているのは大学組織の慣習である。継続性の偏重、新陳代謝の欠如が、重要課題研究の本格着手に10年の遅れをとらせている。思い切って新たな潮流に生きる若者の育成を促進すべきである。まず、すべての教員の独立性の保証であり、筆者が繰り返し2007年の改正学校教育法の遵守を求めるのはそのためである。大学教員たちの「独立」は決して「孤立」を意味せず、むしろ自律的な研究ネットワーク形成の前提である。諸外国で共同作業が盛んなのは、個人の独立に根ざしており、わが国のような同学科内での類似価値観者による共同研究は極めてまれである。
最適化チームが価値を創る
大学とは異なり、公的機関や企業の科学技術研究の多くは、明確な戦略目標をもつ。これらはスピード感あるプロジェクト方式で行われるが、旧来の自前主義、全日本(All Japan)方式への執着は、大きく競争力を損なう。価値の共創にむけたチーム形成に不可欠なものは、見識あるリーダーの存在、国内外の頭脳循環の促進である。わが国のラグビー、サッカーの大学、高校選手権大会は素晴らしいが、ワールド・カップ戦は日本人ヘッド・コーチ、選手だけでは戦えないのと同様である。
昨今、世界は移民問題に揺れるが、優秀なグローバル人材獲得の絶好機である。外国籍の高度人材は、決して平凡な技能提供者ではなく、名誉と信頼をもって処遇されるべきであり、米国、英国、スイス、オランダ、シンガポールなどの科学界の活力の源はここにある。博士研究員に圧倒的に外国人が多いことは当然であるが、まず指導者の選定が最重要である。ドイツのマックス・プランク協会も、研究所長(Director)は四人に一人は外国人である。わが国では内閣府傘下の沖縄科学技術大学院大学(OIST)が先行するが(現学長は実績あるペーター・グルース前マックス・プランク協会会長)、文部行政下にある一般の大学の動きは何故か全く鈍い。
フリーランス研究社会は訪れるか
いかにすれば目標達成のための最適人材を選抜、採用できるか。米国シリコンバレーのベンチャー企業が一歩先んじるが、「自らが持たざるが故に」野心的目的に合わせて、いずこからでも、いかなる人にでも好条件を提示して獲得できる。今後は、あらゆる研究組織で偶然の機会への依存ではなく、広く「ヒューマン・クラウド」を活用するといわれる。
情報通信技術の進展によるが、具体的な挑戦的課題研究の中核が、現在の(好ましいとされる)定年制機関所属者、正社員たちから、優れた専門的職能をもつフリーランスに移る可能性がある。彼ら、彼女らは多様な国籍や背景をもち、研究機関への所属意識は薄く、むしろ自らの専門能力を誇りに生きる。課せられた目的の達成意識は高く、プロジェクトは才気あふれるリーダーのもとで迅速に進む。産官学の壁は確実に低くなり、国際連携も密になる。研究者、技術者の複数機関、組織への関与、「副業」ならぬ「複業」も増えることになる。
しかし、生産効率性の重視は、必ず労働環境に厳しい競争性を引き起こす。社会の健全性を維持すべく、個人能力の格差拡大に対するセーフティネットの用意が必要となる。人工知能を含む技術革新が、真摯に働く、しかし旧来型の教育を受けた機関所属研究者や学位取得者たち、さらに機能性を欠く大学、研究機関自体を「負の社会的存在」におとしめることがあってはならない。たゆまぬ再教育が、環境順応力を高める。
このハイブリッド型の知識基盤社会に、伝統的大学は知の府であり続けられるか。日本の命運を握る若い世代が憧れ、納得する多様な教育研究の場を構築する必要がある。
2017年5月13日土曜日
記事紹介|憲法は義務教育以外の教育の無償化を禁じているわけではない
教育費の無償化を巡る議論が与野党間で加速している。生まれた家庭の経済状況などに左右されず、教育の機会を得られる環境を整えようというものだ。子どもの貧困が社会問題となる中、重要なテーマである。
3日の憲法記念日には、安倍晋三首相が新憲法を2020年に施行したい考えを唐突に表明し、その中で高等教育無償化に言及した。
家庭の経済的理由で、進学を諦めたり、中途退学したりするケースは少なくない。所得の低い家庭の子どもが十分な教育を受けられずに育ち、その結果、低所得の仕事に就くという「貧困の連鎖」は社会問題化している。
国内総生産(GDP)に占める教育の公的支出割合で、日本は経済協力開発機構(OECD)加盟国で最低水準という現実もある。意欲ある子どもがきちんと学べる仕組みづくりに異論はあるまい。
問題は財源である。文部科学省によると、無償化に必要な費用は、幼稚園、保育所、認定こども園で計7千億円、高校は全日制だけでも3千億円、国公私立大分が3兆1千億円で、計4兆円を超す。
捻出方法を巡って、自民党の文教族らが考えているのが「教育国債」だ。使途を教育に限り、財政法で発行が認められた建設国債の考え方を応用する。だが、これだと危機的水準にある国の借金はさらに膨らむ。親世代が負担を逃れ、次世代につけを回すだけだとの批判もある。
小泉進次郎衆院議員ら自民党の若手は「こども保険」を提言した。企業と労働者が保険料を負担して子育て世代に分配する。会社勤めなら、労使折半の厚生年金保険料率に将来的に1%を上乗せして1兆7千億円を確保する。これなら借金の膨張は抑えられるが、子どもがいない人、子育てを終えた世代に理解が得られるかが課題だろう。
消費税率を10%に上げる際にその一部を回す案もあるが、増税分を充てる予定の社会保障に支障が出かねない。
各党は、国民に受けが良いテーマと考えて踏み込んでいるように見受けられる。とはいえ、現実的な財源の裏付けをしっかりと示せなくては理解は広がるまい。
旧民主党政権では、高校授業料無償化が実施された。自民党はその際、選挙向けのばらまきだと批判してきただけに整合性が問われよう。
無償化は首相が改憲項目に挙げたほか、日本維新の会も改憲での実現を主張する。ただ、憲法に踏み込むまでもなく、一般の法律で可能だとの異論は多い。憲法は義務教育の無償制を定めるが、それ以外の教育の無償化を禁じているわけではないからだ。
国民の多くの賛同が得られそうなテーマで改憲の突破口を開こうというのなら筋違いだろう。いたずらに憲法論議とからめず、子どもがよりよく学べる環境づくりへ真摯(しんし)な議論を進めていくべきだ。
2017年5月11日木曜日
記事紹介|文科省によって歪められた大学や研究者のあり方を正常化する
前川喜平事務次官が引責辞任する事態に発展した、文部科学省の組織ぐるみの「天下り斡旋」。このような事態を招いた“温床”として、自民党行革推進本部長の河野太郎氏が問題視するのが、現役の文科省職員による国立大学への「現役出向」だ。理事だけで75名、役員・幹部職員全体で241名にのぼる「現役出向」の驚くべき実態を明らかにする。
文部科学省をめぐる「天下り斡旋」問題が、世間を騒がせています。
国会でも審議されたのは、吉田大輔元高等教育局長が早稲田大学に教授として再就職したケースです。文科省人事課が組織的に斡旋していたという、明らかに違法と認定できるケースでした。この問題で、前川喜平事務次官が引責辞任する事態に発展しました。
さらに2月21日には、文科省による全容解明調査の中間報告が発表されました。そこで、新たに17件の違法な天下りがあったことがわかりました。事務次官から人事課員まで16名もの文科省職員が関与する大規模な構図が明らかになったのです。
早大のケースを聞いたときから「1人だけのはずがない」と思っていましたが、まさかここまで堂々とやっているとは――。長年公務員制度改革や行政改革にかかわってきた私にも想像すらできませんでした。
「隠蔽マニュアル」「引継ぎ文書」の存在が明らかに
中間報告で明らかになった具体的な手口は、きわめて悪質でした。
筑波大学、上智大学などを舞台に、文科省OBを求める大学に文科省側がリストを提供したり、文科省人事課職員が再就職の条件を大学側と協議するなど、文科省が天下りを組織的にバックアップしていたのです。さらには、天下りの仲介役を務めていた文科省OB・嶋貫和男氏の存在も判明しました。文科省内では、彼の名前が表に出ないようにするための「隠蔽マニュアル」や「引き継ぎ文書」まで作っていたのです。
そもそも「天下り」とは、国家公務員を辞めた人間が、その省庁と関連する企業や公益法人、団体等に再就職することです。
その中で、国家公務員法で違法とされているのは、現役職員が同僚やOBの再就職を斡旋するケースや、現役職員自らが在職中に補助金や許認可などで関係のある企業・団体に求職活動するケースなどです。文科省をめぐっては、中間報告までに27件が違法と認定されました。
私は、2015年10月から昨年8月まで、国家公務員制度担当大臣を務めていました。当時のことで鮮明に覚えているのは、中央官庁の幹部たちに「いま天下りはどうなっているの? 斡旋はあるの?」と問い質したときのことです。彼らは一様に「それはもう違法ですからできません」と、堂々と答えていました。
ところが、それからときを置かずして、今回の事態が判明しました。残念なことですが、公務員制度担当大臣であった私は、明らかな「嘘」をつかれていたわけです。
文科省職員の1割以上が「現役出向」
私はいま、この「天下り斡旋」問題の温床ともいうべき、ひとつの慣例を問題視しています。
それは、国立大学への「現役出向」です。現役の文科省職員が、本来は独立したはずの全国の国立大学に出向という形で数多く“派遣”されているのです。
昨年来、私は現場の研究者との対話を続けてきました。その中では、現役出向に関して数多くの証言が寄せられました。そこで、自民党行革推進本部として文科省に事実関係を問い合わせたのです。その詳細が、次頁に掲載した表です。
驚くのはその数です。理事だけで75名、役員・幹部職員全体では、実に241名が計83大学に出向しています。北海道から沖縄まで、全国津々浦々の大学に文科省職員が出向している。その数は文科省職員の1割以上にあたります。
国立大学が「文科省の植民地」になっている
さらに問題なのは、出向先の大学で就いているポストです。
表を見ても分かる通り、理事や副学長、事務方のトップである事務局長、さらには財務部長、学務部長といった、大学運営の中枢を担う役職が目立ちます。表の冒頭にある北海道大をみても「理事(兼)事務局長」「学務部長」「総務企画部人事課長」「財務部主計課長」などの要職を文科省からの出向者が占めています。旧帝大を中心とした大規模の大学は出向者数も多く、最多の東京大、千葉大は10名ずつ受け入れている。
彼らが主要なポストを担っている全国の国立大学は、いわば「文科省の植民地」ともいえる状態なのです。
そもそも国立大学は、文科省の内部組織でした。それを大学の自由裁量を増やし、独立性を高めることを目的に、2004年に「国立大学法人」に衣替えしました。学長の権限を強めて、民間組織のようにトップダウンで変化できる体制を目指したのです。ところが実態としては、文科省による強固な国立大学支配が続いているのです。
※「現役出向者数」「役職」は2017年1月1日現在のデータ。
※運営費交付金は、平成29年度予算案の各目明細書より見込額を抜粋、四捨五入した。
60件以上もの違反事例が発覚した、文部科学省をめぐる「天下り斡旋」問題。自民党行革推進本部長・河野太郎氏は、現役の文科省職員による国立大学への「現役出向」が、「天下り斡旋」の温床となっていると指摘(第1回参照)、241名が計83大学に出向していた実態を明らかにした。2004年に「国立大学法人」に衣替えし、独立したはずの国立大学が文科省からの出向を受け入れる理由とは――。
「大学の自治」を逆手に
なぜ独立したはずの国立大学は、文科省の出向を受け入れるのでしょうか。
文科省は、「各大学の学長からの要請に基づいて送っています」という説明を貫いています。国会でも、文科省は同様の答弁をしています。
大学側に人材を求められて派遣している――「大学の自治」を逆手にとった建前論です。昨日今日に独立した組織ならば人材不足という事態も想定できます。しかし、各国立大学法人は発足して10年以上が経過しています。それでもなお「事務局長になる人材が内部にいません」と言うのであれば、育成できなかった学長の職務怠慢以外のなにものでもありません。
文科省からの現役出向を受け入れる本当の理由は、私は「お金」だと考えています。
国立大学には、年間1兆円を超える「運営費交付金」が国費から投入されています。各大学の収入の3割から4割を占める、この運営費交付金を配分するのは、相変わらず文科省です。
運営費交付金は各大学が自由に使途を決められる安定的な補助金です。文科省に設置された「国立大学法人評価委員会」が各大学の中期目標を評価し、その評価が交付金に反映されます。2016年度からは大学間でさらに競わせようと、運営費交付金の約1%にあたる100億円程度を、各大学が定めた改革の実行状況に応じて、配分し始めたのです。
私は、複数の大学教授から直接、「文科省から来ている人が大学にいると、情報が早いから補助金を取りやすい」という話を聞いています。つまり「補助金を配分する評価基準」という情報を持っているのは文科省です。それを早く耳にすることができれば、大学側も迅速に対応することができるわけです。
今日、教育分野での競争的資金が増え続けています。その結果、本省との橋渡しができて、また情報を持っている文科省官僚の価値が高まってしまったのです。
事実上の天下り支援制度
教育現場を文科省の支配下に置きたい――その意識は、現役出向の問題でも、天下り斡旋の問題でも共通しています。
実際に「現役出向」と「天下り」がリンクしていることも明らかになりました。
東京新聞の報道によれば、2008年末から昨年9月末までの間に、文科省から大学などへ現役出向した管理職経験者26人が、現役出向から文科省に復職した当日に文科省を退職。翌日に大学などに再就職していたのです。うち4人は出向先の大学にそのまま天下っていた。つまり、「現役出向」という名で事実上の天下りが行われていたのです。
かつては、文科省以外でも同じようなケースが続発していました。霞が関の「官民人事交流制度」の悪用です。若手官僚に民間企業での経験を積ませることが狙いだったこの制度。実際調べてみると定年間際の50代が民間企業に出向しているケースが多かったのです。そして、今回の報道と同じように一旦官庁に戻ってきて、即日退職して出向先に再就職する。民間への出向が役所ぐるみの天下り支援制度になっていました。
20代、30代の職員はスキルを磨くために積極的に外に出るべきですが、50代は明確な必然性がなければ認めないルール変更を自民党の行革推進本部の提案で実現しました。しかし、国立大学への現役出向からの直接再就職に関しては、ルールが徹底されておらず、温存されてきたのでしょう。
学会で看板と「記念撮影」
現役出向者や文科省からの天下りOBが大挙して国立大学に押し寄せている割には、彼らが「本省との橋渡し」以上の役に立ったという話は聞きません。
現役出向している事務方の幹部が活躍しているおかげで国立大学の研究環境は向上しているとか、文科省とのパイプを生かして、現場の問題点を吸い上げて業務を効率化したなどという事例は、私の知る限り皆無です。
むしろ、文科省からきた事務方の指導の下、補助金を差配する文科省の顔色を窺っている大学事務局の話ばかり耳にします。現役出向している大学職員の多くは、研究者や学生の方を向いて仕事をしているとは思えません。文科省や会計検査院から指摘を受けないように、どんどん自主規制を進めています。
その結果生まれるのが、実にバカバカしい“ローカルルール”です。
例えば、購買分野。研究に必要な海外の専門書を研究費で購入する場合、インターネットで注文すれば数日で届きます。しかし、ある大学では「大学の指定業者を通して買いなさい」と指示してくるといいます。すると届くまでに1カ月かかる。文具にしても、隣のコンビニなら500円で買えるものが、指定業者を通すと2週間後に1000円の請求がくる。どれも法律や政令で決められているわけではありません。あくまで管理を強めたい大学の事務方が、自主的に定めた非合理的なルールです。
学会への出張に関しては、とりわけ細かい規則の宝庫です。大学ごとに「始発で間に合う場合には、前泊は認められない」「特急列車を利用した場合は、改札で無効印を押してもらった特急券を提出すること」などと定められています。
もっとも厳しいのは、過去にカラ出張による研究費不正請求があった東京工業大学。学会に参加したことを証明するために「隣に座った人と一緒に写真を撮る」、もしくは「学会の看板の前で写真を撮る」ことが義務付けられているそうです。この子どもじみた特異なルールは学会では有名で、最近は隣席の人に写真撮影をお願いしても、「あ、東工大の先生ですね」と応じてくれるのだとか。
こうしたローカルルールや研究環境の効率化についての情報提供を求めたところ、研究者から山のようにメールが届きました。とにかくフラストレーションが溜まっているのです。文科省とやりとりしていても、こうした現場の声は入ってきません。
241名、計83大学の文部科学省職員の国立大学への「現役出向」の実態を明らかにした(第1回参照)自民党行革推進本部長の河野太郎氏は、「現役出向」が事実上の天下り支援制度と化し、教育行政に負の側面をもたらしていると指摘する(第2回参照)。「文科省不要論」を唱える河野氏がこれからの教育行政の在り方を提言する。
文科省不要論
私は、これまで「文科省不要論」を唱えてきました。昨今の惨憺たる有様を見るにつけて、その考えをより強くしています。
文部科学省は、解体して国の教育行政をスリム化すべきです。初等中等教育は、財源とともに地方自治体へ移行させる。また、高校についても、都道府県に委譲する。大学については、国が管轄するしかありませんが、文科省からの現役出向は禁じて、本当に必要ならば出向ではなく「転籍」させる。現在のように、文科省にお伺いを立てなければならないようなシステムは壊し、国立大学法人化したときに目指した原点に立ち返るべきです。
科学技術行政についても、文科省が足を引っ張っています。私は、科学技術政策は文科省から引きはがし、官邸主導の国家戦略とすべき分野だと考えています。すでに、省庁の垣根を超えた司令塔となるべき内閣府の総合科学技術・イノベーション会議があります。
文科省は「ナショナル・プロジェクト」と銘打って新しい予算をどんどん獲得しようとしています。ときに文科省が「こういう方向性の研究が大事だ」などと力説しますが、それは文科省が判断すべき事項なのでしょうか。また、文科省にその能力があるのでしょうか。例えば、高速増殖炉の原型炉「もんじゅ」に、毎年200億円を垂れ流し続けてきた責任官庁は、まぎれもない文科省です。
科学研究費補助金(科研費)に象徴される競争的資金の本質は、研究者自身が「こういう研究をやりたい」と計画を立てる点にあります。
今日、一部の研究者の間でも誤解されていますが、我が国の科学技術研究予算の総額は決して減っていません。むしろ、科学技術振興費は平成元年比で3倍以上に増加しており、これは社会保障費の伸び率より高くなっています。科学技術立国を目指して予算を配分してきた結果です。「日本は基礎研究の予算を削っている」という指摘も俗説にすぎません。つまり、文科省は研究者に誤解されるようなお金の使い方しかできていないのです。
基礎研究はプロジェクトを1000件やって発見が一つあるかどうか。そこには継続的に予算を投入する必要があります。
研究とは関係のない無駄な書類記入のような非生産的な作業を増やしている間に、日本の大学や研究機関の国際競争力はどんどん低下しています。
文科省によって歪められた大学や研究者のあり方を正常化するに当たっては、まずは効率的な研究環境を整備する必要があります。
研究者が使う競争的資金のルールを統一
自民党の行革推進本部が再三申し入れを行った結果、動き出したこともあります。
研究者が使う競争的資金は、文科省だけではなく各省庁が予算を持っていますが、すべてルールが違いました。書類の提出期限、出納整理期間、消耗品を買っていいかどうか、そしてもちろん書式も省庁ごとにバラバラでした。提出する研究者からすれば、そのたびに書類も作成し、ルールを把握しなくてはいけませんでした。
そこで大学を管轄する文科省を呼び出して統一を迫りましたが、「他省庁については、うちからは言えません」。そこで内閣府の担当者を問い質しても「統一を図ろうと思って3年やっていますが失敗しています」。
まったく埒が明かないので、全省庁の競争的資金担当者を行革推進本部に呼び出しました。そして、私から「来週までに統一ルールを決めなければ、こちらで決めたルールに従ってもらう」と告げました。すると、翌週にはキチンと案が出てきました。2015年度の募集から、各省の競争的資金は統一ルールで運用されています。そうやって一歩一歩、変えていくしかありません。
バッシングで終わらせない
今回明らかになった天下り斡旋を防ぐためには、退職後2年間は関係団体に再就職してはいけないという外形的な行為規制をもう一度、きちんと導入するべきです。
違反者に対するペナルティは、民主党政権時代に「懲戒処分だけ」と決まりましたが、役所を辞める人間への抑止力にはなりません。刑事罰を盛り込むべきでしょう。
唯一の救いは、早稲田大学のケースが再就職等監視委員会の調査によって明らかになったことです。同委員会が一応、機能していることが分かりました。
監視委員会の調査に対して、文科省と早稲田大学は当初口裏を合わせていましたが、微妙な矛盾点を突っ込んでいったら、早稲田側が「申し訳ありません」と折れてしまったといいます。早稲田側も、天下りを押し付けられて内心では困っていたから、「これ幸い」とばかりに厄介払いをしたのかもしれません。ただ、文科省との関係がより深い国立大学のケースでは、そう簡単に進むとは思えません。
再就職等監視委員会には常勤監察官が実は1人しかいません。継続的な調査を行うためには、政令改正でできる監察官の増員を図るべきだと思います。
私がいま懸念しているのは、いたずらに霞が関バッシングが盛り上がることです。
もちろん法律違反は論外です。しかし、「天下り」が必要とされてしまう、霞が関の人事の仕組みを改革する必要があります。
年功序列を維持し、ピラミッド型の組織を守るために、定年前の肩叩き、天下りが行われてきました。定年まで本省で働けるのはほんの一部、40代、50代で肩叩きにあって役所から放り出され再就職をすべて禁止されれば、食うにも困ってしまいます。
天下り規制の強化を受けて、2008年、国家公務員の再就職を一元化して支援する内閣府の「官民人材交流センター」が設置されています。しかし、民主党政権下で制度変更されて、利用できるのは、組織がなくなった場合と早期退職制度に応募したときに限られ、自主的な退職や定年退職では利用できなくなりました。その結果、ほとんど利用された実績がありません。
人材の流動化を
いまの霞が関のシステムを放置したまま、天下りだけをやみくもに厳しく取り締まれば、優秀な人材が霞が関に集まらなくなり、行政機関の能力低下を招いてしまいます。
ですから、きちんとキャリアパスを提示して、官僚のモラルを向上させることが、私たち政治家の役割です。
クリントン政権下の1993年から97年までアメリカ軍統合参謀本部議長を務めたジョン・シャリカシュヴィリという人物がいます。彼は、一兵卒として陸軍に入りましたが、入隊後に「士官学校に行ってみろ」と勧められて士官になり、大将になり、最終的には米軍全体のトップにまで上り詰めました。
ところが、22歳の試験でキャリア、ノンキャリアが一生区別される日本の国家公務員には、そんなキャリアパスは絶対にありえません。おかしな話です。
今後は、どんどん霞が関の人材の流動化を図るべきです。キャリア、ノンキャリアの区別なく採用し、能力主義で登用する、霞が関の門戸を開放して優秀な民間の人材に各省庁に転籍してきてもらう、もちろん、年功序列も廃止します。例えば、局長以上の幹部職員を政治任用にして、それ以外の職員は定年前の肩叩きを受けない終身雇用にするのも一つの手です。
今回の事件を奇貨として、文科省だけの問題で終わらせず、霞が関のキャリアシステムを大幅に見直すべきだと考えています。
文科省国立大「現役出向」241人リスト 問題は天下りだけではない。これが“植民地化”の実態だ|文藝春秋2017年4月号・全3回
文部科学省をめぐる「天下り斡旋」問題が、世間を騒がせています。
国会でも審議されたのは、吉田大輔元高等教育局長が早稲田大学に教授として再就職したケースです。文科省人事課が組織的に斡旋していたという、明らかに違法と認定できるケースでした。この問題で、前川喜平事務次官が引責辞任する事態に発展しました。
さらに2月21日には、文科省による全容解明調査の中間報告が発表されました。そこで、新たに17件の違法な天下りがあったことがわかりました。事務次官から人事課員まで16名もの文科省職員が関与する大規模な構図が明らかになったのです。
早大のケースを聞いたときから「1人だけのはずがない」と思っていましたが、まさかここまで堂々とやっているとは――。長年公務員制度改革や行政改革にかかわってきた私にも想像すらできませんでした。
「隠蔽マニュアル」「引継ぎ文書」の存在が明らかに
中間報告で明らかになった具体的な手口は、きわめて悪質でした。
筑波大学、上智大学などを舞台に、文科省OBを求める大学に文科省側がリストを提供したり、文科省人事課職員が再就職の条件を大学側と協議するなど、文科省が天下りを組織的にバックアップしていたのです。さらには、天下りの仲介役を務めていた文科省OB・嶋貫和男氏の存在も判明しました。文科省内では、彼の名前が表に出ないようにするための「隠蔽マニュアル」や「引き継ぎ文書」まで作っていたのです。
そもそも「天下り」とは、国家公務員を辞めた人間が、その省庁と関連する企業や公益法人、団体等に再就職することです。
その中で、国家公務員法で違法とされているのは、現役職員が同僚やOBの再就職を斡旋するケースや、現役職員自らが在職中に補助金や許認可などで関係のある企業・団体に求職活動するケースなどです。文科省をめぐっては、中間報告までに27件が違法と認定されました。
私は、2015年10月から昨年8月まで、国家公務員制度担当大臣を務めていました。当時のことで鮮明に覚えているのは、中央官庁の幹部たちに「いま天下りはどうなっているの? 斡旋はあるの?」と問い質したときのことです。彼らは一様に「それはもう違法ですからできません」と、堂々と答えていました。
ところが、それからときを置かずして、今回の事態が判明しました。残念なことですが、公務員制度担当大臣であった私は、明らかな「嘘」をつかれていたわけです。
文科省職員の1割以上が「現役出向」
私はいま、この「天下り斡旋」問題の温床ともいうべき、ひとつの慣例を問題視しています。
それは、国立大学への「現役出向」です。現役の文科省職員が、本来は独立したはずの全国の国立大学に出向という形で数多く“派遣”されているのです。
昨年来、私は現場の研究者との対話を続けてきました。その中では、現役出向に関して数多くの証言が寄せられました。そこで、自民党行革推進本部として文科省に事実関係を問い合わせたのです。その詳細が、次頁に掲載した表です。
驚くのはその数です。理事だけで75名、役員・幹部職員全体では、実に241名が計83大学に出向しています。北海道から沖縄まで、全国津々浦々の大学に文科省職員が出向している。その数は文科省職員の1割以上にあたります。
国立大学が「文科省の植民地」になっている
さらに問題なのは、出向先の大学で就いているポストです。
表を見ても分かる通り、理事や副学長、事務方のトップである事務局長、さらには財務部長、学務部長といった、大学運営の中枢を担う役職が目立ちます。表の冒頭にある北海道大をみても「理事(兼)事務局長」「学務部長」「総務企画部人事課長」「財務部主計課長」などの要職を文科省からの出向者が占めています。旧帝大を中心とした大規模の大学は出向者数も多く、最多の東京大、千葉大は10名ずつ受け入れている。
彼らが主要なポストを担っている全国の国立大学は、いわば「文科省の植民地」ともいえる状態なのです。
そもそも国立大学は、文科省の内部組織でした。それを大学の自由裁量を増やし、独立性を高めることを目的に、2004年に「国立大学法人」に衣替えしました。学長の権限を強めて、民間組織のようにトップダウンで変化できる体制を目指したのです。ところが実態としては、文科省による強固な国立大学支配が続いているのです。
国立大学への現役出向者(役員・幹部職員)ならびに運営費交付金
※「現役出向者数」「役職」は2017年1月1日現在のデータ。
※運営費交付金は、平成29年度予算案の各目明細書より見込額を抜粋、四捨五入した。
◇
60件以上もの違反事例が発覚した、文部科学省をめぐる「天下り斡旋」問題。自民党行革推進本部長・河野太郎氏は、現役の文科省職員による国立大学への「現役出向」が、「天下り斡旋」の温床となっていると指摘(第1回参照)、241名が計83大学に出向していた実態を明らかにした。2004年に「国立大学法人」に衣替えし、独立したはずの国立大学が文科省からの出向を受け入れる理由とは――。
「大学の自治」を逆手に
なぜ独立したはずの国立大学は、文科省の出向を受け入れるのでしょうか。
文科省は、「各大学の学長からの要請に基づいて送っています」という説明を貫いています。国会でも、文科省は同様の答弁をしています。
大学側に人材を求められて派遣している――「大学の自治」を逆手にとった建前論です。昨日今日に独立した組織ならば人材不足という事態も想定できます。しかし、各国立大学法人は発足して10年以上が経過しています。それでもなお「事務局長になる人材が内部にいません」と言うのであれば、育成できなかった学長の職務怠慢以外のなにものでもありません。
文科省からの現役出向を受け入れる本当の理由は、私は「お金」だと考えています。
国立大学には、年間1兆円を超える「運営費交付金」が国費から投入されています。各大学の収入の3割から4割を占める、この運営費交付金を配分するのは、相変わらず文科省です。
運営費交付金は各大学が自由に使途を決められる安定的な補助金です。文科省に設置された「国立大学法人評価委員会」が各大学の中期目標を評価し、その評価が交付金に反映されます。2016年度からは大学間でさらに競わせようと、運営費交付金の約1%にあたる100億円程度を、各大学が定めた改革の実行状況に応じて、配分し始めたのです。
私は、複数の大学教授から直接、「文科省から来ている人が大学にいると、情報が早いから補助金を取りやすい」という話を聞いています。つまり「補助金を配分する評価基準」という情報を持っているのは文科省です。それを早く耳にすることができれば、大学側も迅速に対応することができるわけです。
今日、教育分野での競争的資金が増え続けています。その結果、本省との橋渡しができて、また情報を持っている文科省官僚の価値が高まってしまったのです。
事実上の天下り支援制度
教育現場を文科省の支配下に置きたい――その意識は、現役出向の問題でも、天下り斡旋の問題でも共通しています。
実際に「現役出向」と「天下り」がリンクしていることも明らかになりました。
東京新聞の報道によれば、2008年末から昨年9月末までの間に、文科省から大学などへ現役出向した管理職経験者26人が、現役出向から文科省に復職した当日に文科省を退職。翌日に大学などに再就職していたのです。うち4人は出向先の大学にそのまま天下っていた。つまり、「現役出向」という名で事実上の天下りが行われていたのです。
かつては、文科省以外でも同じようなケースが続発していました。霞が関の「官民人事交流制度」の悪用です。若手官僚に民間企業での経験を積ませることが狙いだったこの制度。実際調べてみると定年間際の50代が民間企業に出向しているケースが多かったのです。そして、今回の報道と同じように一旦官庁に戻ってきて、即日退職して出向先に再就職する。民間への出向が役所ぐるみの天下り支援制度になっていました。
20代、30代の職員はスキルを磨くために積極的に外に出るべきですが、50代は明確な必然性がなければ認めないルール変更を自民党の行革推進本部の提案で実現しました。しかし、国立大学への現役出向からの直接再就職に関しては、ルールが徹底されておらず、温存されてきたのでしょう。
学会で看板と「記念撮影」
現役出向者や文科省からの天下りOBが大挙して国立大学に押し寄せている割には、彼らが「本省との橋渡し」以上の役に立ったという話は聞きません。
現役出向している事務方の幹部が活躍しているおかげで国立大学の研究環境は向上しているとか、文科省とのパイプを生かして、現場の問題点を吸い上げて業務を効率化したなどという事例は、私の知る限り皆無です。
むしろ、文科省からきた事務方の指導の下、補助金を差配する文科省の顔色を窺っている大学事務局の話ばかり耳にします。現役出向している大学職員の多くは、研究者や学生の方を向いて仕事をしているとは思えません。文科省や会計検査院から指摘を受けないように、どんどん自主規制を進めています。
その結果生まれるのが、実にバカバカしい“ローカルルール”です。
例えば、購買分野。研究に必要な海外の専門書を研究費で購入する場合、インターネットで注文すれば数日で届きます。しかし、ある大学では「大学の指定業者を通して買いなさい」と指示してくるといいます。すると届くまでに1カ月かかる。文具にしても、隣のコンビニなら500円で買えるものが、指定業者を通すと2週間後に1000円の請求がくる。どれも法律や政令で決められているわけではありません。あくまで管理を強めたい大学の事務方が、自主的に定めた非合理的なルールです。
学会への出張に関しては、とりわけ細かい規則の宝庫です。大学ごとに「始発で間に合う場合には、前泊は認められない」「特急列車を利用した場合は、改札で無効印を押してもらった特急券を提出すること」などと定められています。
もっとも厳しいのは、過去にカラ出張による研究費不正請求があった東京工業大学。学会に参加したことを証明するために「隣に座った人と一緒に写真を撮る」、もしくは「学会の看板の前で写真を撮る」ことが義務付けられているそうです。この子どもじみた特異なルールは学会では有名で、最近は隣席の人に写真撮影をお願いしても、「あ、東工大の先生ですね」と応じてくれるのだとか。
こうしたローカルルールや研究環境の効率化についての情報提供を求めたところ、研究者から山のようにメールが届きました。とにかくフラストレーションが溜まっているのです。文科省とやりとりしていても、こうした現場の声は入ってきません。
◇
241名、計83大学の文部科学省職員の国立大学への「現役出向」の実態を明らかにした(第1回参照)自民党行革推進本部長の河野太郎氏は、「現役出向」が事実上の天下り支援制度と化し、教育行政に負の側面をもたらしていると指摘する(第2回参照)。「文科省不要論」を唱える河野氏がこれからの教育行政の在り方を提言する。
文科省不要論
私は、これまで「文科省不要論」を唱えてきました。昨今の惨憺たる有様を見るにつけて、その考えをより強くしています。
文部科学省は、解体して国の教育行政をスリム化すべきです。初等中等教育は、財源とともに地方自治体へ移行させる。また、高校についても、都道府県に委譲する。大学については、国が管轄するしかありませんが、文科省からの現役出向は禁じて、本当に必要ならば出向ではなく「転籍」させる。現在のように、文科省にお伺いを立てなければならないようなシステムは壊し、国立大学法人化したときに目指した原点に立ち返るべきです。
科学技術行政についても、文科省が足を引っ張っています。私は、科学技術政策は文科省から引きはがし、官邸主導の国家戦略とすべき分野だと考えています。すでに、省庁の垣根を超えた司令塔となるべき内閣府の総合科学技術・イノベーション会議があります。
文科省は「ナショナル・プロジェクト」と銘打って新しい予算をどんどん獲得しようとしています。ときに文科省が「こういう方向性の研究が大事だ」などと力説しますが、それは文科省が判断すべき事項なのでしょうか。また、文科省にその能力があるのでしょうか。例えば、高速増殖炉の原型炉「もんじゅ」に、毎年200億円を垂れ流し続けてきた責任官庁は、まぎれもない文科省です。
科学研究費補助金(科研費)に象徴される競争的資金の本質は、研究者自身が「こういう研究をやりたい」と計画を立てる点にあります。
今日、一部の研究者の間でも誤解されていますが、我が国の科学技術研究予算の総額は決して減っていません。むしろ、科学技術振興費は平成元年比で3倍以上に増加しており、これは社会保障費の伸び率より高くなっています。科学技術立国を目指して予算を配分してきた結果です。「日本は基礎研究の予算を削っている」という指摘も俗説にすぎません。つまり、文科省は研究者に誤解されるようなお金の使い方しかできていないのです。
基礎研究はプロジェクトを1000件やって発見が一つあるかどうか。そこには継続的に予算を投入する必要があります。
研究とは関係のない無駄な書類記入のような非生産的な作業を増やしている間に、日本の大学や研究機関の国際競争力はどんどん低下しています。
文科省によって歪められた大学や研究者のあり方を正常化するに当たっては、まずは効率的な研究環境を整備する必要があります。
研究者が使う競争的資金のルールを統一
自民党の行革推進本部が再三申し入れを行った結果、動き出したこともあります。
研究者が使う競争的資金は、文科省だけではなく各省庁が予算を持っていますが、すべてルールが違いました。書類の提出期限、出納整理期間、消耗品を買っていいかどうか、そしてもちろん書式も省庁ごとにバラバラでした。提出する研究者からすれば、そのたびに書類も作成し、ルールを把握しなくてはいけませんでした。
そこで大学を管轄する文科省を呼び出して統一を迫りましたが、「他省庁については、うちからは言えません」。そこで内閣府の担当者を問い質しても「統一を図ろうと思って3年やっていますが失敗しています」。
まったく埒が明かないので、全省庁の競争的資金担当者を行革推進本部に呼び出しました。そして、私から「来週までに統一ルールを決めなければ、こちらで決めたルールに従ってもらう」と告げました。すると、翌週にはキチンと案が出てきました。2015年度の募集から、各省の競争的資金は統一ルールで運用されています。そうやって一歩一歩、変えていくしかありません。
バッシングで終わらせない
今回明らかになった天下り斡旋を防ぐためには、退職後2年間は関係団体に再就職してはいけないという外形的な行為規制をもう一度、きちんと導入するべきです。
違反者に対するペナルティは、民主党政権時代に「懲戒処分だけ」と決まりましたが、役所を辞める人間への抑止力にはなりません。刑事罰を盛り込むべきでしょう。
唯一の救いは、早稲田大学のケースが再就職等監視委員会の調査によって明らかになったことです。同委員会が一応、機能していることが分かりました。
監視委員会の調査に対して、文科省と早稲田大学は当初口裏を合わせていましたが、微妙な矛盾点を突っ込んでいったら、早稲田側が「申し訳ありません」と折れてしまったといいます。早稲田側も、天下りを押し付けられて内心では困っていたから、「これ幸い」とばかりに厄介払いをしたのかもしれません。ただ、文科省との関係がより深い国立大学のケースでは、そう簡単に進むとは思えません。
再就職等監視委員会には常勤監察官が実は1人しかいません。継続的な調査を行うためには、政令改正でできる監察官の増員を図るべきだと思います。
私がいま懸念しているのは、いたずらに霞が関バッシングが盛り上がることです。
もちろん法律違反は論外です。しかし、「天下り」が必要とされてしまう、霞が関の人事の仕組みを改革する必要があります。
年功序列を維持し、ピラミッド型の組織を守るために、定年前の肩叩き、天下りが行われてきました。定年まで本省で働けるのはほんの一部、40代、50代で肩叩きにあって役所から放り出され再就職をすべて禁止されれば、食うにも困ってしまいます。
天下り規制の強化を受けて、2008年、国家公務員の再就職を一元化して支援する内閣府の「官民人材交流センター」が設置されています。しかし、民主党政権下で制度変更されて、利用できるのは、組織がなくなった場合と早期退職制度に応募したときに限られ、自主的な退職や定年退職では利用できなくなりました。その結果、ほとんど利用された実績がありません。
人材の流動化を
いまの霞が関のシステムを放置したまま、天下りだけをやみくもに厳しく取り締まれば、優秀な人材が霞が関に集まらなくなり、行政機関の能力低下を招いてしまいます。
ですから、きちんとキャリアパスを提示して、官僚のモラルを向上させることが、私たち政治家の役割です。
クリントン政権下の1993年から97年までアメリカ軍統合参謀本部議長を務めたジョン・シャリカシュヴィリという人物がいます。彼は、一兵卒として陸軍に入りましたが、入隊後に「士官学校に行ってみろ」と勧められて士官になり、大将になり、最終的には米軍全体のトップにまで上り詰めました。
ところが、22歳の試験でキャリア、ノンキャリアが一生区別される日本の国家公務員には、そんなキャリアパスは絶対にありえません。おかしな話です。
今後は、どんどん霞が関の人材の流動化を図るべきです。キャリア、ノンキャリアの区別なく採用し、能力主義で登用する、霞が関の門戸を開放して優秀な民間の人材に各省庁に転籍してきてもらう、もちろん、年功序列も廃止します。例えば、局長以上の幹部職員を政治任用にして、それ以外の職員は定年前の肩叩きを受けない終身雇用にするのも一つの手です。
今回の事件を奇貨として、文科省だけの問題で終わらせず、霞が関のキャリアシステムを大幅に見直すべきだと考えています。
文科省国立大「現役出向」241人リスト 問題は天下りだけではない。これが“植民地化”の実態だ|文藝春秋2017年4月号・全3回
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