2011年12月28日水曜日

教員養成系大学・学部の就職状況

まだ、文部科学省のホームページには掲載されていないようですが、昨日、「国立の教員養成大学・学部(教員養成課程)等の平成23年3月卒業者の就職状況」のとりまとめ結果が報道発表されています。

詳細は、追って文部科学省のホームページでご確認いただくこととして、ここでは、主なポイントを速報としてご紹介します。


報道発表資料前文

小、中、高等学校等の教員養成を目的とする国立の教員養成大学・学部卒業者(44大学・学部)の教員養成課程の就職状況については、毎年、文部科学省において取りまとめ公表しています。
今回、平成23年3月に教員養成課程を卒業した者についての平成23年9月末までの就職状況を、別紙1(略)のとおり取りまとめましたのでお知らせします。
また、今年度より、教職大学院を平成23年3月に修了した者についての就職状況を、別紙2(略)のとおり取りまとめましたので併せてお知らせします。

調査結果の概要

国立の教員養成大学・学部(教員養成課程)卒業者の教員就職率は、少子化による児童生徒数の減少等に伴い教員採用者数が減少したことから、平成11年3月卒業者の教員就職率は32%にまで低下したが、その後、教員採用者数の増加や、教員養成大学・学部の入学定員減などにより、近年は50%台後半を維持しており、今年は62.0%(前年比2.4ポイント増加)であり、前年よりやや高い教員就職率となっている。
なお、卒業者数から保育士への就職者と大学院等への進学者を除いた場合の教員就職率は、70.6%(前年比2.8ポイント増加)となっている。

教員就職率が高い大学
  • 鳴門教育 77.9%
  • 兵庫教育 74.7%
  • 愛知教育 71.8%
  • 京都教育 70.1%
  • 岐阜    69.5%

教員就職率が低い大学
  • 秋田   44.5%
  • 琉球   47.2%
  • 鹿児島  47.2%
  • 岩手   49.1%
  • 福井   50.5%

平成23年3月卒業者大学別就職状況(教員養成課程)(発表資料の一部を抜粋)


国立の教員養成大学・学部(教員養成課程)の卒業者数等の推移

笑う門には福来る

明日から帰省(パソコンのない環境)のため、今年の日記は今回でひとまず休憩です。今年の日記を振り返って眺めてみますと、東日本大震災をはじめ、いろんなことがありました。

来年は、過日閣議決定された来年度の予算(国立大学法人関係)にも表れておりますように、国立大学改革の推進強化、とりわけ「改革の加速化」が一層強力に求められる年になりそうです。予算に関する文部科学省の会見でも、大臣から「国立大学の大規模な再編成については、国立大学の成果や需給バランスなどを見極めながら機能強化を図っていく」との見解が示されました。これまで以上に、緊張感を持って、自らを成長させ、考え、行動し、大学や社会に貢献していかなければなりません。

さて、この日記をお読みいただきました皆様、今年も大変ありがとうございました。来年も皆様にとりまして、今年以上に笑いの絶えない明るく幸せな年になりますようお祈りいたします。

今年最後にご紹介する記事は、広島大学高等教育研究開発センター長の山本眞一氏が書かれた「大学の危機-年の終わりに考える」(文部科学教育通信 No282 2011.12.26)からの引用です。


マクロ・メゾ・ミクロの危機

さて、大学を巡る昨今の状況を何と表現したらよいだろうか、と思いを巡らせているうちに思ったのは「大学の危機」である。もちろん、危機はこれまでにもあった。しかし改めてこのことを考えておくことは、来年以降のわれわれの立ち位置を明確にするためにも必要なことであり、年末ということもあってすこしまとめて考えてみたい。

大学の危機といっても、いろいろなレベルがある。論者によってはさまざまな問題を分類するとき、マクロ(大問題)、メゾ(中問題)、ミクロ(小問題あるいは各論)と三つの概念を使われるようであるが、それに倣うとすれば、大学の危機は、1)大学全体としての危機、2)国立や私立など設置者別の大学の危機、3)皆さんがお勤めのそれぞれの大学の危機、の三つに分けて考えるとよい。

第一のマクロレベルのすなわち大学全体としての危機は、こうである。今、世界は知識基盤社会に向けて大きく変貌中であり、その中でグローバル化の動きが著しい。新興国や途上国には300万人にも及ぶ留学生やその予備軍がいるそうであるが、彼らはより有利な留学先を求めて、世界の大学をみつめている。世界の主要大学は、いまや彼らの厳しい評価の眼にさらされているといっても過言ではない。また、国によっては大学セクターを主要な輸出産業と捉え、自国の高等教育のメリットの売り込みに余念がない。わが国としても無関心ではいられない。


世界の潮流に関心をもつ

これらの動きの背景には、世界レベルでの高学歴化、あるいは学歴社会化の進行がある。明治の昔を振り返れば、われわれ自身も封建的身分社会を脱却して、学問によって身を立てる道を選んだはずであるが、いつの間にか学歴社会は悪であるかのような風潮が蔓延して、それとともに、学校で得られた教育や学歴が実力と一致しないという空疎な教育システムを抱えるに至った。わが国の大学は、その厳しい入試で人材選抜(スクリーニング=ふるい分け)を果たすことによって、ようやく社会的機能を果たしてきたが、十八歳人口の減少の中でその選抜機能も大きく低下した。いまや多数の高校生は受験勉強とは無縁の中で大学入学を果たす時代である。

しかし、選抜機能をあきらめて実質的な教育で勝負するのは、大学にとっても容易なことではない。分野によって異なるとはいえ、個々の教員の大幅な裁量に委ねられている教育研究活動の中で、社会が大学教育の中身の有用性を無視すれば、教員はますます「虚学」としてのアカデミズムに傾くという悪循環を招く。政府が「教育の質保証」を最大の政策課題に挙げ始めているのも、大学の実態と世界の現実とのギャップに対する危機感の現れであろう。

また1990年代から、大学が研究活動や研究人材養成を通じて、各国の経済発展に大きな貢献をしているという認識が高まり、各国において大学院教育が重視され、これらのことはOECDなど国際機関においても優先検討課題であり続けているが、わが国においては博士課程修了者の就職難を始め、さまざまな問題が浮き彫りになって、むしろ博士課程の縮小論すら叫ばれている。これは全く世界の傾向に逆行するものと言わざるを得ないが、もともとの原因が、大学院出を評価しないわが国社会の現状にあるとすれば、その解決は容易ではない。


社会に意味ある強い存在として

第二に、メゾレベルの危機である。まず私立大学においては、十八歳人口が減少する中で、学生確保を巡る競争的環境が激化し、すでに4割の大学では定員割れをきたしている。わが国の経済が低迷状況にあって、以前ほど学生が豊かではないという現実を考えると、この先の進学率の大幅上昇は期待できない。わが国の私学は、明治以来これまで、国民の旺盛な進学意欲に依拠しつつ発展を遂げてきたが、ここへきて大きな転換点を迎えている。進学率の上昇や若者人口にのみ依拠することなく、これからの発展方策を考えなければならない。当然それは教育分野やその内容のあり方にも及ぶことであろう。

一方、国立大学においては、政府財政の緊縮が進む中、いかにして資源を確保するかという問題がますます深刻化の度合いを深めつつある。資源不足は教育研究活動そのものに加えて、教職員の多様化や数の減少に伴う組織の大幅改編にも及ぶであろう。もともと戦前の旧制大学や専門学校等を母体として発足した新制国立大学である。伝統的任務をいかにして新たな存在意義に転換するかが、危機脱出のポイントではないか。今年6月、国立大学協会が「国立大学の機能強化~国民への約束」と題する文書を公表したが、文科省以外に応援団が少ない国立大学にとって、国民の支持を取り付けられるか否かが国立大学の運命を左右する。また政策当局には、国立大学の意義を、高等教育システムの中でより積極的に位置づける努力を望みたい。なお、公立大学については、設置自治体との関係が近いだけ、危機と好機が同居している状況であり、経営には最新の注意が必要と思われる。

第三に、ミクロレベルの危機である。学生数の不足が、多くの私立大学を苦しめているのは、何よりも当事者の皆さんがよくご存じである。対応方策はそれぞれの学校によって異なることは承知であるが、いかにして学生を集めるか、いかにして若者にのみ依拠する現状を脱却して留学生や社会人にも魅力のある大学づくりをするか、これは危機であるとともに自大学改革のための大きな試金石である。改革に成功した大学のみが、発展のチャンスを掴めることを再確認しなければならない。

国立大学においては、競争的環境の中で、いかにして評価・評判を勝ち取るかが、法人化後の各大学の経営にとって大きな関心事であろう。国立大学はもはや一枚岩ではない。本来ならば、すべての国立大学全体が結束して、政治家や行政、産業界など関係者に強力に働きかけ、かつ交渉することが、発展戦略としては有利と思われるが、多様化する現実には抵抗できなくなっているのが現状である。このため、遺憾ながら結束を断念して、自大学の他大学とは異なる特色を鮮明にし、私学以上にしっかりとした教育研究の成果を発信し続けることによって、個別に社会の支持を取り付けていく以外にこの危機を脱する道はない。それは公立においても同様であり、つまりはそれぞれの大学が大学としての本質を見失うことなく、社会に意味ある強い存在となるよう努力をし続けることではないだろうか。来年が少しでも良い年になることを祈らざるを得ない。(文部科学教育通信 No282 2011.12.26])

2011年12月27日火曜日

入試広報の腕をみがく(4)

「大学の広報戦略」に関する日本私立大学協会私学高等教育研究所・岩田雅明氏の論考をシリーズでご紹介していますが、今回は最終回「効果的な広報表現のポイント」です。

(関連過去記事)
  • 入試広報の腕をみがく(1)-広報活動の効果的な組み立てと点検を-(2011年11月28日)
  • 入試広報の腕をみがく(2)-受験へとつなげていく広報-(2011年11月29日)
  • 入試広報の腕をみがく(3)-広報活動の具体的展開-(2011年12月19日)


広報表現のポイント

広報戦略の最後として、広告表現の技術的な点、特に平素、自分の学校のパンフレット等の制作に当たっている中で留意している広告表現のポイントを述べていきたい。

最も効果があると思われる手法は、「自分と同じ立場の人からの情報は受け入れやすい」ということの活用である。健康食品などの新聞広告によく掲載されている、自分と同じ症状に悩んでいた人が、その健康食品で改善されたという声に共感するというのが、これにあたる。大学側から一方的に教育内容の有用性や学生生活をきちんと支援するということをパンフレット等で伝えても、観念的には理解されても、自分が得られるメリットとして具体的には伝わっていかないと思われる。得られるメリットを具体的に実感してもらうためには、その大学の教育サービスを受けている、あるいは既に受け終わった人たちの声、すなわち利用者の声を伝えることが最も効果的である。

したがって、パンフレット等には在学生や卒業生をできるだけ多く登場させ、自分がこの大学でどのように成長したかということを、できるだけ具体的に語ってもらうことが大切である。そして、できるだけ多くのターゲットの共感を得られるようにするため、いろいろな立場の学生(勉強に頑張っている人、スポーツに頑張っている人、入学前は勉強が嫌いだったが、この大学で好きになった人など)を登場させると良い。オープンキャンパスで、学生が大学の教育プログラムや支援体制を説明し、その良さをアピールすることも同じく効果的である。

二番目は、「未来のイメージ」を抱かせるという手法である。その大学でどんなことを学べるのかということだけでなく、学んだ結果、どんな力がどれだけついて、大学卒業後にどのような人生を送れるのかという明るい未来を描いてもらうことが、大学の魅力をアピールする手法として有効である。人は将来の明るいゴールイメージを与えられることで、意欲的になるものである。そして、そのような希望を持たせてくれる大学に対して、自分の将来に関してのサポート感を感じることになるのである。

未来のイメージを描きやすくするためには、希望の進路に進むことのできた四年生や、社会で生き生きと活躍している卒業生などに登場してもらい、大学の教育プログラムや支援体制と希望の進路に進めたこと、社会での活躍との因果関係を語ってもらうことである。この場合に、より具体性、客観性を持たせるために、成長を裏付ける数値データがあるとさらに良いであろう。

三番目は「フィアアピール」といわれているものである。「現状のままでいいのですか」という感じで、こちら側が提供するサービスを受け取らないことにより生じるかもしれない、受け取り手の将来の不安を煽る手法である。この手法は少し過激なものであるので、やり過ぎると大学の広報としては品位を欠く不適切な表現となってしまうおそれがあるが、正しい方向に導くために用いることで効果的なアピールとすることのできる手法である。例えば、「国際化の進むこれからの社会において、英語の力を身につけなくて大丈夫ですか」というような表現である。このような表現にすることで、単に「これからの国際化社会では英語が必要です」というよりも、より強力なアピールとなるのである。保険商品のコマーシャルでよく聞くフレーズ、「いざという時、あなたは家族を守れますか」は、まさしくこのフィアアピールを使った例である。「保険に加入すれば安心ですよ」という表現に比べると、その有効性は明らかであろう。料理における香辛料と同じで、適切に使うことで鮮明なアピールが可能となる手法である。

四番目は「限定条件下の事実」という手法である。これは、アピールしたいジャンルで自分の大学が上位にくるようになるまで、条件を絞り込むというやり方である。身近な例でいえば、食堂のメニューによく書かれている「当店人気ナンバー1」というのが、これにあたる。これなどは自分の食堂のメニューに限定しているのであるから、必ずどれかがナンバー1になるのであるが、それでもつい、そのナンバー1のメニューに客は魅かれてしまうのである。大学の例でいえば、就職に強いということを強力にアピールするために、「北関東地区の人文・社会系大学で就職率トップ」と表現する手法がその例である。単に就職に強い大学であるとして実績を羅列するよりも、このように表現した方が、見る方には鮮明に伝わるのである。ただしあまり限定条件が多いと、逆に鮮明さが失われるおそれがあるので、二つ程度の限定条件にとどめるのが適切であろう。

五番目は、「権威効果」といわれている手法である。人間は、ある分野の事柄に関しては、その分野の専門家、権威者といわれている人の言うことを信じやすいという特性を持っている。かつてのテレビの人気番組で、いろいろな食品の効能を専門家が実証するという手法でアピールし、放送の翌日には取り上げられた食品が品切れになるという社会現象を引き起こすことで話題となった番組が懐かしく思い出されるが、これなども権威効果を上手に活用した例である。大学でも、この効果を活用した広告が見られるようになってきている。一例では、法学部を新設する女子大学が、著名な女性法律家に登場してもらい、女性にとっての法律の有用性を説くといった広告である。このような形で大学の教育プログラム等をアピールすると、普通に有用性を伝えるよりも説得力が増すことになるのである。

最後は、「視覚の優位性を活用する」という手法である。「百聞は一見に如かず」といわれているように、文字での説明よりも絵や写真の方が分かりやすいし、アピール力があるというケースは少なくない。人間が物事を判断する際に、視覚情報、聴覚情報、言語情報から、それぞれどのような比率で影響を受けるかを分析した『メラビアンの法則』でも、最も影響を受けるのは視覚情報だとされている。拙著『実践的学校経営戦略』の中でも書いたことであるが、「面倒見の良い学校です」と書くよりも、夕日の差し込む教室の中で生徒が机に向かい、先生が教えている写真があり、そこに「分かるまで付き合うよ」というコピーが書かれている方が、何倍もアピール度が高くなるのではないだろうか。大変美しいキャンパスを持っていながら、パンフレットにキャンパスの写真が全く載っていないという例も見ている。パンフレットやポスターでは、この視覚の優位性を活用することを、お勧めしたい。


広報戦略の最後に

以上、広報の基本的な考え方や、その展開と点検、そして技術的な留意点について述べてきたが、広報戦略も他の戦略と同じく、これさえしていれば大丈夫というような万能策は、残念ながらないといえる。遠回りのようではあるが、対症療法的な広報戦術に飛びつくのでなく、自分の大学の広報の基本的な方向性をきちんと固め、その線に沿って、少しでも効果があると思われる戦術を立案し、それを一つ一つ実施していくことが大切である。その積み重ねが、その大学のイメージをつくり、ひいては大学の内容をより充実させるということにつながっていくのである。本来は建築の用語であるが、それを広報に転用させていただくならば、まさに『神は細部に宿る』のである。(文部科学教育通信 No.282 2011.12.26)

2011年12月26日月曜日

大学職員は成長する

慶應義塾大学信濃町キャンパス事務長(元東京大学理事)の上杉道世氏がIDE-現代の高等教育(No.535 2011年11月号)に寄稿された論考からの引用です。

上杉さんの書かれた論考は、これまでたくさん読みましたが、いつも他の学者に比べ、とてもわかりやすく自然に脳裏に染みてきます。文部科学省職員、そして大学職員としての現場の経験が生きているのでしょう。

成長する大学職員

1 現在はどのような段階だろうか

大学を取り巻く環境が厳しくなるにつれ、この難関を乗り切っていくためには、各大学が学生や国民の期待に応えて教育研究の質を向上させ、それを支える大学経営を改善していく必要があることは、ほぼ共通理解になってきているだろう。そしてそのためには、各大学の目指すあり方に応じて、あるべき教員と職員の育成確保が必要であることも当然であろう。しかし残念なことに、各大学の現状を見ると、あるべき教員と職員の育成確保について、明確なポリシーと実行プランを持ちつつ取り組んでいる大学は少ないように見える。アンケート調査をすれば、大学の人材の育成確保に取り組んでいると答える大学は多いかもしれないが、実は本当に必要な取り組みになっていないと思われることが多い。その人材の育成確保の問題は教員と職員の双方を視野に入れて論じるべきと考えるが、ここではもっぱら職員について論じることにしたい。

職員の力を大学マネジメントの向上に生かす必要性は、国立大学にあっては法人化に伴い、私立大学にあっては少子化の中での経営困難に伴い、大きくクローズアップされてきた。職員の力量を高め生かす大学は発展し、そうでない旧態依然たる大学は没落するといっても過言でない。

そうは言っても成長しようとする職員はどこの大学でもまだ少数派でしかない。多数の職員は変化を簡単には受け入れないが、彼らには彼らにふさわしいルーティンが依然として残っているのも現実である。だから、意識を変えるというだけでは変わらないので、行動を変えるように導かなければならない。

また、大学マネジメントの向上と大学職員の成長は相互作用するものであり、職員だけでなく、大学マネジメントのあり方も、教員のあり方も同時に変わらなければならない。そのためには、大学の業務の現実を見つつ、将来の大学マネジメントのあるべき姿を描いていく必要がある。

現在は、大学職員の成長が、人により大学により、ばらついている状態であり、そのばらつきはますます大きくなるであろう。基礎能力の高い者を大学職員に参入させ、大学職員が自ら成長して行くしかけを日々の業務のあり方の中に埋め込み、業務外の成長への刺激をうまく取り込み、大学職員が成長するとともに大学もよくなる方向に舵取りしていかなければならない。

2 有能な人材が大学職員を目指し始めた(略)

3 大学という職場で学習し成長する職員

・・・私の主張するトータルプラン方式とは、優秀な大学職員の採用、人材育成の観点からの人事配置と人事異動、大学マネジメントを担うにふさわしい能力開発、コミュニケーションを基本とした評価システム、フラット化と柔軟化を基本とした組織の見直し、全員参加の業務改善を進める業務の見直し、ばらばらになりがちな大学組織の協調の基盤としての意思疎通の円滑化、そしてこれらすべてを踏まえての将来のあるべき職員像の提示、これらはすべて関連する要素をもっているので、別々に変えるのでなく全部同時並行に変えていくやり方である。・・・

今でもいろいろな大学の学長や教員から「職員を変えるためには評価を変えればいいのですか。どんな研修をしたらよいのですか」などと聞かれることがあるが、「その部分だけ変えるのではなく、全部変えましょう」と答えると、面倒なことを言う人だという顔をされることがある。しかし、一ヶ所変えれば大きな変化を引き起こすような魔法の鍵はない。労を惜しまず、来る日も来る日も様々なことに取り組んで、ようやく少し変化していくのかなというのが現実なのだ。それを続ければ10年たった時、実は大きな変化が生じていることに気がつくだろう。

職員のあり方の改善はまた、大学のマネジメントの改善とも連動している。トップの方針の明確化、長期のビジョンの提示、中期・年度の目標・計画の策定、各課各職員の業務の位置づけの明確化などが同時に行われれば、変化は本物になる。

そして仕事のやり方も変えなければならない。職員自らの提案と企画を生かしたプランづくり、ディスカッションとプレゼンテーションの活用、意欲と適性のある者を新しい仕事に生かすプロジェクト方式の活用、業務分野ごとに必要な専門的能力を養うこと、良い仕事をした職員を皆でほめたり認め合うことなどの取り組みが考えられる。

そのように成長のための工夫がされた仕事をしながら、職員は自ら学び、仲間から学び、上司から学び、仕事の相手から学び、教員から学び、学生から学び、地域から学び、大学職員として成長していく。

人材育成の場で人材育成の業務を行いながら、自らも成長していく大学職員のイメージを私は持っている。そのチャンスがありながら、現実には活用しないまま徒労の日々を送る職員が多いのは、なんと言う不幸だろう。私は大学という職場を、そこで働くすべての人にとって、成長と喜びの場にしていきたいと願っている。

4 業務を離れての学習も多様に

近年はどこの大学でも大学側で用意する研修体系を充実するとともに、自己啓発活動を奨励するようになった。

大学側で用意する研修としては、係長や課長などの階層別研修、財務や学生など業務別研修、メンタルヘルスやハラスメントなど個別課題ごとの研修などが、以前からある。とかくルーティン的に実施され、無内容で型にはまっているとの批判もあるが、大学側が職員の成長に関心をもって一定期間ごとにケアーしているのだという姿勢を示す機会であり、充実活用したい。職員同士が仲間意識を味わう場でもあり、勉強内容も大事だが、懇親会情報交換会が大事と、どの主催者も毎回言っているとおりである。ただ実施方法を、これまでのように偉い講師のお話をかしこまって聞いているだけではなく、双方向・対話型、討論・発表型にしていく方がより効果的である。私は、実務と研修は別のものではないと考えている。実務も、職員の創意を生かした討論・発表型で進めることが望ましく、研修はそのような実務を想定したトレーニングの場ととらえたい。

自己啓発は、所属大学を離れて学外に勉強の機会を求めるものであり、大学側がおぜん立てするケースもあれば、大学とは無関係に個人的に参加するケースもある。私は、できれば大学側の把握や承認や支援のもとに行われるのが望ましく、大学側も授業料などの負担、勤務時間の柔軟な取り扱い、業務負担への配慮などの措置を講じてほしいと考えている。もっとも、キャリアアップして他の大学や他の職業を目指そうというのなら、大学側に知られたくないであろう。私はそのようなケースも、今後大いに生じてくるであろうと思っている。有能な人材は不満があれば逃げ出すし、魅力があれば参入してくる、普通の職業に大学職員の仕事はなってくるのだろう。

所属大学を離れての学習機会としては、一般の大学院で学ぶ者もいるが、大学職員を対象とした正規の大学院の課程(桜美林大学、東京大学)、あるいは科目履修(放送大学)、履修証明プログラム(筑波大学)、私立大学連盟・私立大学協会などの大学団体の研修会、大学行政管理学会や大学マネジメント研究会の活動など、多様になってきている。NPO法人・学生文化創造の学生支援相談基礎研修講座は、資格認定も行っている。日本能率協会は、講座とテキストと資格認定を組み合わせようとしている。ほかにもいろいろな動きがあり、やや混沌としているが、まだまだニーズを満たすには量的に足りないと感じている。学習の機会はもっとあってよいだろう。

大学を離れての学習には、大学に関する教養を主とするもの、事例研究・ケースメソッドを重視するもの、特定の専門的能力を向上させるものなどが見られる。私は、職場での問題意識を持ち寄りながら、より広く高度な視野を訓練するタイプが大事だと考えて、筑波大学大学研究センターの大学マネジメント人材養成プログラムのお手伝いをしている。そこで成果を上げる人を見ると、学習の材料を職場の課題の中に見出し、その問題意識を学習の場で提示し分析し、一定の解決案を立案し発表し、学習の成果を職場で報告し、職場での業務の改善に生かすというポイントが見えてくる。ここでも仕事と学習の相互作用が大事である。

一方、職場外での学習が職場でのキャリアアップにつながるかというと、そう単純ではない。職場での業務でたたきあげてきた幹部で、研修嫌いの人を時々見かける。口ばかり達者な評論家は役に立たない、というしごくもっともな感覚であろう。組織で信頼される人物になるには、組織の課題を引き受けて、汚れ仕事や力仕事をこなして人物を磨き、信頼を勝ち得ていかなければならない。つまり、実務を通しての人間的成長が不可欠なのだ。しかしこれからは、実務でたたきあげると同時に、リーダーは、ある程度は口も達者で理屈も言えて、文章も書けることが必要であり、それは大学職員の業務が高度化していることの表れであろう。職場外の学習だけで、優れた職員に到達できるというのは甘いけれど、優れた職員は職場での業務の前向きな遂行を基本としつつ、職場内外での学習の効果的な組み合わせで育っていくと考える。

5 企業の人材養成との共通性

企業の仕事や人材育成と大学のそれとを比較すると、教育研究という公共的な価値の追求や教員の自主性の尊重など、相違点が強調されることが多いが、私はむしろ共通点をベースに考えたい。

日本の優れた企業を分析した研究はいろいろあるが、経済性を追求すると同時に社会的使命を重視すること、社内の切磋琢磨を促進するとともに一体感を重視すること、長期的視点からの人材確保と育成を重視していることなどがあげられることが多い。これらは、私の大学現場での経験から来る実感、および変化のためのトータルプランの提言とほぼ共通しており、興味深い。大学の職員と企業の社員は、人材開発の視点と手法はほぼ共通であり、職員のあり方を変えることと組織のあり方を変えることとは、並行して行われなければならないことも共通である。

6 学生への教育との共通性

各大学とも、あるべき自校の大学職員の将来像を描くべきである。そしてその大学職員の将来像は、その大学が育てようとする学生像と一致するはずである。コミュニケーション力を持った学生を育てようとする大学の職員は、コミュニケーション力を持っているはずである。あれはスローガンを言っているだけで、うちの職員はだめなのですという実態では、信用されるはずがない。

今日の教育のトレンドは、課題を自ら発見し、自ら解決する力を養うこと、双方向・対話型の授業で、ディスカッションとプレゼンテーションを活用することなどである。これは実は私が提唱している大学職員の力を高める方策とまったく同じである。

生涯学習時代の学習のポイントは、学生であれ、社会人であれ、その一員としての大学職員であれ、共通なのだ。

2011年12月23日金曜日

国立大学改革のスピードを加速する仕組みの導入

既に、報道等でご案内のとおりですが、平成24年度予算に係る閣僚折衝が19日から始まり、このうち文部科学省関係では、国立大学法人への運営費交付金を1%余り減らす一方、学部の再編や他の大学との連携など、大学改革を行った場合に支援する新たな補助金を創設することが固まりました。

このうち、国立大学運営費交付金については、復興特別会計分の57億円を含め、今年度予算に比べ、▲105億円減(▲0.9%)の1兆1,423億円、また、運営費交付金とは別に、今後のわが国の再生に向けて、大学改革を推進するため「国立大学改革強化推進事業」(138億円)を新設(補助金による補助事業)することになっています。

運営費交付金の内訳や「国立大学改革強化推進事業」の具体的内容等の詳細事項についてはまだ決まっていないようですが、平成24年度予算案については、12月24日(土)閣議決定の予定です。

文部科学大臣と財務大臣による大臣折衝に関連する資料が両省から発表されているようですが、WEB上ではまだ見当たりませんので、発表資料の中から主なものをご紹介したいと思います。

(関連報道)大学改革推進へ138億円 政府予算案、資金面から支援(2011年12月19日 日本経済新聞)


それにしても、今回は露骨な”財政による政策誘導”ですね。財務省してやったり! 文部科学省は打つ手なし! といった感じでしょうか。この政策によって、補助金獲得のための過度な「大学間競争」が生じ、これまで以上に「大学間格差」が拡がるのではないかと懸念するのは私だけでしょうか。


平成24年度文教予算(国立大学関係)のポイント

国立大学の改革を強力に推進するために、従来の経費を見直す一方で、大学改革をこれまでにない深度と速度で進めるための経費を新設し、大学改革に向けた予算の見直しを実施

1 国立大学法人運営費交付金 11,582億円→11,366億円(▲161億円、▲1.4%)(別途、復興特別会計計上57億円)

大学を取り巻く環境の変化に即応するために、国立大学の改革についての基本的考え方(別紙)に基づき、スピード感を持って大学改革に取り組むこととし、国立大学の教育研究の基盤経費である運営費交付金11,366億円を措置(第二期中期目標期間最大の削減額、同最大の削減率、23年度は▲0.5%)。復興特別会計計上分を加えると、11,423億円(▲0.9%)を措置。

(主な内容)
  • 提言型政策仕分けの結果を踏まえ、運営費交付金の算定の見直しにあたり第一期中期目標期間の評価結果を反映し、法人運営の活性化が図られるように一定以上の評価を受けた大学法人に対して重点的に支援(30億円)。
  • 「マニフェスト」を踏まえ、意欲と能力ある学生が経済状況にかかわらず修学の機会を得るために授業料減免枠を拡大 225億円→252億円(+27億円)(学部・修士:3.6万人(7.3%)→4.1万人(8.3%)、博士課程:0.6万人(12.5%)。更に復興特別会計計上分として14億円(0.2万人)を別途措置。また、卓越した学生に対する授業料免除として新たに2億円(349人)を創設。

2 国立大学改革強化推進事業(仮称) 138億円

国立大学の教育研究の活性化、多様性、開放性を図るとともに、世界の大学と対等に伍していくため、国立大学改革を強力に進めることとし、大規模な大学改革の取組に対して重点的に支援。

(取組例)


  • 教育の質保証と個性・特色の明確化(教員審査を伴う学部・研究科の改組等)
  • 大学間連携の推進(学部・研究科の共同設置、地域大学群の連合・連携等)
  • 大学運営の高度化(事務処理の共同化、大学情報の一元化等)




  • (別紙)今後の国立大学の改革について(基本的考え方)

    今後の我が国の再生のため、大学改革の促進が強く求められており、中央教育審議会のみならず、政府の行政刷新会議の政策提言型事業仕分けや予算編成政府・与党会議における議論などにおいても、大学改革が大きなテーマの一つとなっている。

    大学改革の課題は多様であり、大学における人材育成のビジョンづくり、グローバル人材の育成、入学から卒業までの学力の担保等の学生の質保証など、大競争時代における国際競争力の強化に加えて、少子化時代における持続可能な経営を目指した足腰の強化・合理化、財政危機における効率的な経営の努力など、国公私立大学を通じて検討すべき課題が少なからずある。

    それとともに、文部科学大臣が定める中期目標に基づき、運営費交付金の措置を受けて運営される国立大学の機能を抜本的に強化することも、大学改革の最重要課題の一つである。

    国立大学については、幅広い分野において欧米の主要大学に伍して教育研究活動を展開している大学も存在するが、それ以外にも、国際的に優れた教育研究水準にある専門分野を有する国立大学も少なからず存在しており、知の国際競争を勝ち抜くためには、これらについて重点的な強化策を講じる必要がある。また、国立大学の役割として、特化した分野・地域での卓越した人材育成の視点も必要である。

    このため、大学の枠組みを超えてオール・ジャパンの視点から、有機的な連携協力を展開出来るよう、大学間のネットワークである「大学群」の創出など連携協力システムの構築に取り組むとともに、個々の大学においては、個性や使命の明確化を図り、学部など学内の教育研究組織の大規模な再編成、外国人や実務家等の教員や役員への登用拡大など人材交流の促進などにより、知の競争力の向上に努めることが重要である。

    こうした施策を効果的に推進するためには、必要な財政措置の確保に加え、「大学群」のスケールや求められる機能、大学間の連携協力促進のための支援方策、それらを踏まえた多様な制度的選択肢の考え方(例えば、一法人複数大学方式(アンブレラ方式)、国立大学運営費交付金の配分基準などについての更なる整理が必要である。

    こうした点に関して、文部科学省内に設けられるタスクフォースにおいて、これまでの関係者の議論も参考にしながら所要の整理を行い、すみやかに改革に着手したい。



    国立大学改革強化推進事業 13,833,000千円(新規)

    1 目 的

    国際的な知の競争が激化する中で、世界の大学と対等に伍していくためには、特に国立大学改革を強化推進することで、将来を支える人材の育成や我が国の国際競争力の強化にも寄与。


    2 対 象

    国立大学改革を強化推進するため、例えば以下のような取組をこれまでにない深度と速度で行う国立大学法人に対し重点的支援を実施。

    (取組例)

    ○教育の質保証と個性・特色の明確化<
    • 教員審査を伴う学部・研究科の改組
    • 外国人や実務家等の教員や役員への登用拡大
    • 双方向の留学拡大のための抜本的制度改革
    (支援のイメージ)
    新たな教育研究組織の整備に必要となる基盤の整備と海外や産官学との人的連携強化を抜本的に推進する経費を総合的に支援


    ○大学間連携の推進
    • 互いの強みを活かした学部・研究科の共同設置
    • 地域の大学群の連合・連携
    • 大学の粋を超えた大学間連携による教育研究の活性化
    (支援のイメージ)
    新たに大学間連携を行うために必要となる基盤の整備(遠隔教育システムなど)と連携による教育研究の展開に必要な経費(連携により必要となる学生・教職員への支援を含む)を総合的に支援。


    ○大学運営の高度化
    • 効率的な大学運営のための事務処理等の共同化
    • 大学情報の一元管理と適性な活用による運営体制の強化
    (支援のイメージ)
    事務システムの統合等による改修、インターフェイス化など、連携による高度な大学運営に必要となる経費を総合的に支援。


    3 本補助金の効果
    • 組織改組の構想段階からの支援が可能となることで大学改革のスピード感が加速。
    • 本事業の実施に当たり、中期目標・中期計画の変更を課すことで、大学改革の達成目標・達成時期が明確化。

    4 補助率 定額

    2011年12月22日木曜日

    自分の火種は、自分で火をつけよ(土光敏夫)

    私たちは、ごくわずかだが、”火種のような人”がいることを知っている。自ら、カッカッと火を発し燃えている人だ。その人のそばにいると、火花がふりかかり、熱気が伝わってくるような感じを受ける。

    実は、職場や仕事をグイグイ引っぱっているのは、そんな人だ。そうして、まわりの人たちに、火をつけ燃えあがらせているのも、そんな人だ。しかし、誰にも皆、火種はある。必ずある。他の人から、もらい火するようではなさけない。自分の火種には、自分で火をつけて燃えあがらせよう。(土光敏夫 信念の言葉)


    2011年12月19日月曜日

    入試広報の腕をみがく(3)

    「大学の広報戦略」に関する日本私立大学協会私学高等教育研究所・岩田雅明氏の論考をシリーズでご紹介していますが、今回は3回目「広報活動の具体的展開」です。

    (関連過去記事)

    知恵を絞る

    ここからは少し、広報の各論的なこと、すなわち大学が具体的に広報を展開するに当たって留意すべきことを考えていきたい。

    学生募集のための広報活動の一般的な活動として挙げられるものは、受験雑誌や受験情報サイトへの大学情報の掲載、新聞広告、テレビやラジオでのCM、駅構内や電車内などへポスターや看板を掲示する交通広告、といったものであろうか。ほとんどの大学は、これらの媒体の一部、ないしは全部を活用して、広報活動を行っていると思う。

    これらの媒体は、例えば受験雑誌であれば広範囲の受験生に情報を届けることができるし、駅構内の看板や電車内のポスターといったものであれば、保護者も含めた多くの人たちに大学の存在や内容を知ってもらうことができる、有用な媒体であることは間違いない。ただし、これらの広報手段はお金さえ支払えばどの大学でも実施できるものであるし、現実に多くの大学が実施しているため、インパクトという面では弱く、大学の内容がよほど特色のあるものでないと他の大学との差別化を図ることは難しい。また、少なからぬ費用がかかるものも多いので、財政的にあまり余裕のない大学にとっては利用が制限されることにもなる。

    競争戦略において重要なことは、差別化である。差別化ができて初めて自分の大学の魅力を伝えることができるのである。広報戦略においても同じで、差別化ができて初めて強く印象付けることができるのである。そうであるならば、他の大学が実施していないもので効果が期待できるもの、しかも費用もあまりかからない広報手段というものを考え出すことが、効果的な広報活動を行うためには重要なポイントとなるであろう。大学に関する情報が、氾濫といわれるほど豊かに流れている現在のような状況では、情報の信頼度、特に当事者である大学側から発信する情報の信頼度は低下しているといえる。しかし一方では、前に述べた通り『クチコミマーケティング』の効果、重要性は増加しているのである。情報が氾濫する状況ゆえ、知っている人や同じ立場の人から伝えられる情報の有効性、信頼性が高まっているのである。このような状況を考えると、知恵の出し方次第では、お金をかけることなく大きな成果を得ることも期待できるのである。

    企業の例であるが、知恵を絞った広報ということでは、ペットボトルのお茶で有名な伊藤園の例が参考になる。「お茶はただで飲むもの」と考えている人が多い日本においては、緑茶飲料を商品として定着させていくということは大変難しいことであった。この難しい課題を与えられた担当者が、いろいろと考えた末に探った手法は、消費者から俳句を寄せてもらい、入選作をボトルのラベルに掲載するというものであった。日本の文化を代表する「お茶と俳句」という組み合わせの妙と、自分の俳句が掲載されるという魅力があいまって作戦は大当たりとなり、伊藤園のペットボトル入りのお茶は現在の確固たる地位を獲得したという。

    私の大学でも大ヒットとはならなかったが、知恵を絞っていく中でいくつかの新しい広報手段が出てきた。その一つが、本に挟む栞である。「大学と本」という、アカデミックという点で共通性を持つ両者を組み合わせることで大学のイメージアップを図ること、本屋には高校生が多く立ち寄ること、栞だったら制作費が余りかからないという三つの点から、読書の有用性と大学のアピールポイントを記載した栞をつくり、県内の約30の書店に置いてもらった。その栞を、本を買った人に挟みこんで渡してもらうのである。この栞の効果を図ることはできないが、私自身は良いアイディアではないかと思っている。

    知恵を絞ることで、その大学に相応しい広報手段は必ず出てくると思う。特に規模があまり大きくない大学、地域性の強い大学では、これからはマス媒体というよりは手づくりの広報が重要になると考えられる。また、皆で知恵を絞り合うことは、よりよい広告手段を考えだすという成果のほかに、組織の一体感を醸成するという効果も期待できる。ぜひ、実施してほしいことである。


    繰り返し、語り尽くす広報

    次は、広報活動の姿勢について述べたい。大学の交通広告やパンフレットを見ていて感じることは、まだまだ抽象的・定型的な内容が多いということである。出張の際などに、駅構内に掲げられている大学の看板をよく目にするが、ほとんどが大学名と学部名、所在地が記載されているだけのものである。駅構内に看板を掲出している目的は何かと言えば、大学名を知ってもらうことだけでなく、ターゲットである高校生や保護者に興味を持ってもらうことであろう。そのためには、インパクトのあるコンパクトな表現で、相手が受けられるメリットを伝えることが必要である。

    高等学校内で掲示してもらうことを目的としてつくるポスターについても、同じことがいえる。大学名、学部名のほかに、時期によりオープンキャンパスの日程や、入試日程だけが記載されているものが多い。人気のある学部、学科であれば、それだけで見る人の興味を喚起できるであろうが、そうでない場合には、そのポスターだけで興味を覚える可能性は低いといえる。広告は、その大学の良いところを伝えるためのツールである。いうなれば、広告はセールスパーソンと同じなのである。セールスパーソンが高等学校の廊下に立って宣伝する機会を与えられたならば、高校生たち何を伝えるだろうか。大学名と学部名、オープンキャンパスや入試の日程だけを伝えるだろうか。もちろんそんなことはない。当然ながらその大学の特色や、入学したら得られるメリット等について、語り尽くすであ
    ろう。

    そうであるならば、いろいろな広告の内容についても、その大学の強みや、与えることのできるメリットを語り尽くすという姿勢が大切である。もちろん表現は簡潔な方が良いが、セールスパーソンに対して話す言葉数を制限しないのと同じように、広告にも必要なものは盛り込むべきである。なぜなら出会いは見てもらったその時だけであり、しかも見るのは多少なりとも関心のある人なのだから、余すところなく伝える方が効果的だからである。そういう意味で、広告でしか消費者との接点が持てない通信販売の広告には、語り尽くすという点で学ぶところが多いと感じている。通販広告をぜひ一度、じっくりとご覧いただきたい。

    見る側に情報をきちんと受け取ってもらうためには、語り尽くすという姿勢とともに、繰り返し伝えるという姿勢を持つことも重要なポイントとなる。普段の生活でも経験していると思うが、伝えたはずなのに相手には伝わっていないというケースは少なくない。むしろ、こちらの言いたいことはなかなか伝わらない、というスタンスで臨むことが大切である。また、繰り返し伝えることで、接触効果を得ることもできる。接触効果とは、繰り返し接触することで好感度や印象が強まる効果のことをいう。オープンキャンパスのりピート率を高めることもそうであるし、資料請求者に対して定期的にいろいろな資料を送付することも、この効果を生むことになる。この効果が生じるためには、7回から25回の接触が必要だといわれている。くれぐれも一回パンフレットを送付しておしまい、というようなことのないように気をつけたい。(文部科学教育通信 No.281 2011.12.12)

    2011年12月18日日曜日

    成果を明らかにする(ドラッカー)

    成果は組織の内部ではなく外部にある。救世軍の成果は、アルコール中毒者、売春婦、飢えた人に現れる。教師の成果は生徒に現れる。

    意図さえよければ成果はなくともよいか。17世紀から18世紀初めにかけて、イエズス会の修道士が大勢中国に渡った。優れた人たちだった。迫害、苦難、危険に耐えた。懸命に働いたが成果はなかった。たとえわずかの人でも改宗させようとした。天文学、数学、画業において秀でた者もいた。しかし、それは成果のないところへの資源の配賦だった。

    神の国では一人の罪人でも悔い改めれば喜びがあるという。だが、神の国でも、資源がミッション、目標、成果に正しく配賦されれば、それだけ喜びも大きくなるはずである。事実、イエズス会も、優れた人たちを空しい夢に注ぎ込むことは、とうの昔にやめている。

    もちろん、ミッションからスタートしなければならない。ミッションこそ重要である。組織として人として、何をもって憶えられたいか。ミッションとは、今日を超越したものでありながら、今日を導き今日を教えてくれるものである。ミッションを失った瞬間、われわれは迷い、資源を浪費する。ミッションが明らかでありさえずれば、目標を設定して進むこともできる。

    しかし、非営利組織は成果を明らかにして初めて目標を設計することができる。そのとき初めて「なすべきことをなしているか。活動は正しいか。ニーズに応えているか」を判定することができる。何よりも「優れた人材に見合う成果をあげているか」を考えることができる。そうしてようやく、次に大切なこととして「われわれはいまも正しい分野にいるか。変えるべきではないか。いまやっていることは廃棄すべきではないか」を考えることができる。

    非営利組織は活動分野ごとに成果を定義しなければならない。主な活動分野を一つひとつ精査していく必要がある。


    2011年12月16日金曜日

    成功は成功の母である(土光敏夫)

    大きな事業でも小さい仕事でも、一つの成功がそれだけでとまってしまうことがある。どうしてそうなるかといえば、企業にしろ個人にしろ、その成功の上にアグラをかき鼻を高くしてしまうからだ。一回限りの成功は、まだほんものの成功とはいえない。第一の成功が呼び水となって、第二第三の成功を生みだしてこそ、企業の成長、個人の成長がある。それゆえ「成功は成功の母」である。

    大きな事業でも小さい仕事でも、一つの失敗がそれだけで命取りになることがある。どうしてそうなるかといえば、企業にしろ個人にしろ、その失敗にくじけ尻尾を巻いてしまうからだ。一回限りの失敗は、実はまだ失敗とはかぎらぬ。肝心なことは、その失敗を足がかりとして将来にどう生かすかである。とことんまで失敗の原因を窮め、同じ失敗を二度と繰り返さないことだ。そうすると「失敗は成功の母」となる。(経営の行動指針)


    2011年12月14日水曜日

    求められる教職員の意識改革

    先日、国立大学法人福岡教育大学の事務職員・寺田浩一氏が書かれた「大学のガバナンスの強化に向けた取組事例」という連載記事の一部をご紹介しました。その後もこの連載をウオッチしていましたが、改めて最終回(文部科学教育通信 No281 2011.12.12)の記事の中から抜粋してご紹介します。

    (関連過去記事)求められる責任と権限の明確化(2011年10月24日)

    前回の記事をご紹介した際、この記事に対する批判的(建設的な批判)なコメントがこの日記に寄せられましたが、読み手によってこの記事の評価は分かれるところだと思います。この記事を書いた筆者のねらいは知る由もありませんが、いずれにせよ、何かの論を外部に発するということは、賞賛、賛同、共感、批判(ためにする批判・建設的な批判等)等が当然ありえます。所見を外部に発して、なんらの反応もないものほど価値が低いものはないと思います。

    この記事は、一部の教員の方々にとっては、異論、異議、批判の対象になってしまうかもしれません。しかし、読者が、この記事に何がしかの関心を抱いて読んだということは事実ですし、それはとても良いことですし、重要なことではないかと思います。

    「父親とは、男の親のことである」と言えば、間違いなく正しいことであり、批判されることもありません。しかし、そこには何も議論が発展しないし何も生まれることはありません。一方、「男親とは強いものである、働く者である」と言ったならば、議論百出、糾弾されるかもしれません。こうして議論が活性化し、何かが生まれるかもしれません。摩擦を起こし、過熱状態にならなければ、組織は変わらないと思います。国立大学法人は、変わらなければなりません。この記事が、火付け役や過熱器の役割を果たすことがあってもいいのではないかと個人的には思います。

    「私はあなたの言うことに一言も賛成できない。でも、あなたにはそれを言う権利があることは、命をかけて守ります」とボルテールは言っています。より正常な大学運営のために、未来ある学生のためにも、議論の質の高まりにこそ留意すべきではないかと思います。


    最後に-求められる教職員の意識改革

    これまで、福岡教育大学が取り組んできた「運営組織改革」「事務組織改革」「業務改革」の三つの改革についてご紹介してきた。いずれも所期の目的は果たすことができたのではないかと考えている。

    しかし、決定に至る経過は必ずしも順調とは言えなかった。改革を進める上で、最も課題となったのが「意思決定に時間や労力がかかりすぎること」である。なぜこれほどまでに検討や審議に時間と労力をかけなければならないのだろうか。「合意形成」を重視するあまりに、本来であれば、学長・理事が自らの責任と権限において決定すべきことや、担当者等現場の判断で迅速に対応すべき些細なことが会議に諮られる、あるいは、会議のための会議など屋上屋を架すプロセスを経なければ前に進まないといったことが、結果として意思決定の遅さを生んでいるのではないだろうか。

    時間や労力だけではない。会議では、委員・列席者・資料等作成者の人件費とともに、照明・冷暖房費、資料印刷費、記録用消耗品費等が消費され、大学に存在する全ての会議に要する費用(税負担)は膨大な金額に上る。国からの税金投入が年々削減されている中で、議論の重点化・集中化・迅速化の観点から会議を厳選し、必要最小限の会議についての有効活用に向けた取り組みを進めるべきではないだろうか。

    大学には、従来から一般社会や民間企業とは異なる「特殊な組織風土」が存在し、この特殊性が経営を改革・強化する上で大きな障壁となってきたと言われている。国立大学の法人化によってはじめて可能になった制度改革の一部は、実は昭和四十年代から既に国会において議論されていたという。

    国立大学法人化と時を同じくして設立されたわが国初の公立大学法人である国際教養大学の中嶋理事長兼学長は、その著書「なぜ、国際教養大学で人材は育つのか」(祥伝社)の中で、国立大学の学長経験を踏まえ、「大学とは本来、時代の変化にもっとも敏感に対応すべき場所」であるとした上で、「カリキュラムの後ろには教員がついていて、少しでもいじろうとすれば、たちまち抵抗する。このため、カリキュラム一つなかなか変えられない」「思い切ったカリキュラムの導入や大学運営をするには、大学自身の大変革が必要であり、しかし、大学教員の意識は極めて保守的、閉鎖的で、その多くが変革を望んでいない」と述べ、教員の意識に起因する問題点を指摘している。

    国立大学法人は、今、学長のリーダーシップの下で自主的・自律的な大学経営に努め、魅力ある教育研究や活力ある大学運営を目指した改革を進めていかなければならない。しかし、大学経営に最終的な権限と責任を担う学長のリーダーシップの発揮が求められて久しいにもかかわらず、相変わらず困難な状況にある。その理由の一つに「学長は単なる同僚教員の代表者であるとする風土に大きな変化が見られない」ことを挙げる大学人もいる。確かにこれでは、学長と教員との対等関係の意識が維持され、経営責任者としてのトップマネジメントは難しい。

    寺尾学長は、教職員との対話を重視し開催した「大学運営方針の全学説明会」(2010年4月22日)において、教職員の意識改革の重要性を次のように訴えている。

    「大学の業務や運営は、中期計画・年度計画に従って展開されます。それらは無理なく円滑に実行されることが重要ですが、同時に、教職員の意識を高め、各組織の創意工夫のある自主的・積極的な取り組みによって、一層の成果を上げることが求められています。端的に言って、内向き目線で物事を考える傾向を改め、社会からの要請に目を向ける必要があります。そのためには、物事を、常に、『本学に何が問われているか。何をすべきか。何ができるか。それをすれば何がよくなるか』という思考様式に則って考え、判断していくことが重要になってきます。」

    また、「大学経営戦略に関する全学説明会」(2010年10月7日)で寺尾学長は、「大学改革は教職員、学生の意識に依るところが大きい」と述べ、社会や地域の期待に応える大学となるため、「教員中心の発想から学生中心の発想へ」「講座の人間としての意識から大学人としての役割の自覚へ」「学内目線の論議から社会・国民目線の論議へ」という三つの転換を教職員に強く求めている。

    これからの大学経営、とりわけガバナンスの強化にとって大切なことは、時代や社会の要請に即応し、学長、理事、教員、事務職員といった大学の構成員がそれぞれの立場を尊重、あるいは連携し自らの役割を責任持って果たしていくことである。そのためには、大学を閉ざす内向きの視点・発想は直ちにやめて、社会の常識を常に意識しながら自らを厳しく律し不断の改善努力を行い、そのことを社会に対して正直に説明していくこと、社会の常識から見て、いかに頭末で生産性のない無駄な議論を貴重な時間やコストをかけてやっているかをさらけだすこと、そういった透明化、見える化が何より必要である。そうすることにより、自らの存在価値を示し、社会から信頼される大学になっていくのではないだろうか。

    私たちには、「大学は学生のためにある」ことをあらゆる価値判断の基準に据え、「大学が何をしてくれるかではなく、自分が大学に何ができるか」を常に自問していく姿勢が求められているのではないだろうか。(文部科学教育通信 No.281 2011.12.12)

    2011年12月12日月曜日

    国立大学法人の二次評価結果

    このたび、総務省政策評価・独立行政法人評価委員会が、国立大学法人評価の二次評価結果を公表しましたのでご紹介します。(以下において「貴委員会」とあるのは「国立大学法人評価委員会」と読み替えてください。)


    平成22年度における国立大学法人及び大学共同利用機関法人の業務の実績に関する評価の結果等についての意見

    平成22年度における国立大学法人及び大学共同利用機関法人の業務の実績に関して、貴委員会においては、各法人における業務運営の実態把握に精力的に取り組み、評価を行っているところであるが、以下のとおり改善すべき点がみられた。
    • 経営協議会について、貴委員会の評価結果をみると、経営協議会の議事録等の公表及び学外委員からの意見を基に具体的に改善した取組事例等について評価を行い、議事録等の公表が行われていない法人については、公開を促す評価が行われている。しかし、議事録等を公開している法人においては、学外委員から具体的にどのような意見が出され、その意見を基に具体的にどのように法人運営が改善されたのかは必ずしも明らかではない状況がみられる。今後の評価に当たっては、引き続き、経営協議会の議事録等の公表状況及び公表内容について確認を行い、学外委員の意見及びその具体的な法人運営への反映状況について公表が行われていない場合は、その公表を促すような評価を行うべきである。

    • 各法人は、「研究活動の不正行為への対応のガイドラインについて」(平成18年8月研究活動の不正行為に関する特別委員会報告)なども参考に公的研究費の不正使用の防止に取り組んでおり、貴委員会は、公的研究費の不正使用の防止のための体制・ルール等の整備状況及び運用状況について評価を行っているが、最近においても複数の法人において公的研究費の不正使用が指摘されている。今後の評価に当たっては、指摘された公的研究費の不正使用の発生原因を検証した上で、各法人における公的研究費の不正使用を防止するための取組について、その有効性の観点から評価を行い、引き続き必要な改善を促すべきである。

    • 保有資産については、「国立大学法人の組織及び業務全般の見直しについて」(平成21年6月文部科学大臣決定)及び「大学共同利用機関法人の組織及び業務全般の見直しについて」(平成21年6月文部科学大臣決定)において、保有資産の不断の見直し及び不要とされた資産の処分に努めること、さらに、既存施設の有効活用、施設の計画的な維持管理の着実な実施等に努めることとされており、貴委員会は、各法人における資産の保有の必要性についての見直しや不要とされた資産の処分に向けた取組、既存施設の有効活用等の状況について評価を行っているとしている。しかし、貴委員会の評価結果をみると、当委員会が平成21年度業務実績の評価において指摘した保有資産の不断の見直しや処分等に向けた取組の適切性については評価結果において言及されていない法人もみられる。今後の評価に当たっては、各法人における資産の利用実態を的確に把握した上で、法人による資産の保有の必要性についての不断の見直しや不要とされた資産の処分に向けた取組、既存施設の有効活用等の適切性について評価し、必要な改善を促すべきである。

    国立大学法人及び大学共同利用機関法人の中期目標期間における業務の実績に関する評価の結果についての意見

    国立大学法人及び大学共同利用機関法人については、「国立大学法人及び大学共同利用機関法人の主要な事務及び事業の改廃に関する勧告の方向性について」(平21年5月21日付け政委第19号政策評価・独立行政法人評価委員会通知。以下「勧告の方向性」という。)の取りまとめに当たり、その組織及び業務の全般にわたる見直しの中で、個々の中期目標の達成状況をも判定する観点から併せて検討を行ったところであり、国立大学法人法(平成15年法律第112号)において準用する独立行政法人通則法(平成 11年法律第103号)第34条第3項の規定に基づく所要の意見については、勧告の方向性を通じて指摘したものである。なお、勧告の方向性を踏まえて策定された新中期目標等に沿った業務の質の向上及び効率化が、的確な業務の進捗と併せて推進されるよう、貴委員会は、毎年度の厳格かつ的確な評価に努められたい。

    2011年12月11日日曜日

    成果のあるところに資源を投入する(ドラッカー)

    あらゆる組織にとって成果こそが判定基準である。非営利組織はすべて人と社会を変えることを目的にする。しかるに成果こそ、非営利組織にとって最も扱いの難しい問題である。

    私はよく企業と非営利組織の違いを聞かれる。違いは多くない。しかし最も重要な違いが成果である。企業は、成果を狭く定義しがちである。その典型が財務上の収支である。だが、もし企業が財務上の収支だけを成果の測定尺度とし活動の目的とするならば、長期にわたって繁栄することはもちろん、生き残っていくことも覚つかなくなるに違いない。収支だけを尺度としたのではあまりに狭い。

    しかし企業の尺度が具体的であることは認めざるをえない。市場シェア、イノベーション、キャッシュフローにしても、数値化は容易である。改善しているか否かについて議論の余地はほとんどない。

    非営利組織にはそのような数値はない。そのうえ非営利組織にはもともと成果を軽視する傾向がある。「われわれは大義を奉じている。神の仕事をしている。人の人生をよりよいものにしている。したがって仕事そのものが成果である」という。

    だが、それではよい仕事はできない。企業が成果のありえないところで資源を浪費すれば、失うのは自社の資金である。ところが非営利組織では失うのは人の金である。寄付してくれた人の金である。したがって非営利組織といえども、寄付した人に寄付金の使途を説明できなければならない。

    金は成果のあるところに投入しなければならない。したがって成果の問題は非営利組織にとって厄介な問題である。よき意図だけでは転落の道をたどる。

    非営利組織にとっては「われわれにとっての成果は何か」という問いに答えることはきわめて難しい。しかし答えなければならない。事実成果は測定できるものであることもある。救世軍は宗教団体であるが、肉体的、精神的に立ち直らせたアルコール中毒者のパーセンテージや、更生させた犯罪者のパーセンテージを把握している。いずれも優れて定量的である。

    ところが非営利組織の多くは、いまだに成果を具体的な形で把握することを避ける。たとえ評価できたとしても質でしかできないとする。「資源を有効に使ったか、いかなる成果を得たか」などと聞こうものならば、木で鼻をくくった返事しか返ってこない。『新約聖書』のタラントの教えを思い出させたくなる。人と金という資源は、見返りが大きなところに投入しなければならない。

    成果は一種類ではない。直ちに得られる成果もあれば長期的な成果もある。いかなる成果があるかを正確に把握することは難しい。しかしわれわれは、「事態はよくなっているか」「成果があるところに資源を投じているか」は問わなければならない。


    2011年12月9日金曜日

    学歴偏重は親のエゴ(土光敏夫)

    ぼくは学歴なんか問題にしない。一流校を出たからといって、それで世の中に通じると思ったら大間違いだ。

    そもそも学校というのは、社会に出るためのウオーミングアップの場所にすぎない。今、どの学校がいいとかなんとか、みんなが目の色を変えているのは、ありゃ、たんなる親のエゴにすぎない。なんでも自分の子どもをいい学校-名前のある-に入れればよいという考え方には賛成できない。企業サイドでも、それは考えなければならない問題だね。

    ぼく自身は、大学に行く気なんてまったくなかった。好きな機械をつくっていれば、それでよかったんだ。(土光敏夫 信念の言葉)


    2011年12月7日水曜日

    国立大学に対する地方公共団体からの寄付が緩和

    先日(12月1日付で)、文部科学省から各国立大学法人宛に「地方公共団体の財政の健全化に関する法律の一部改正について」と題する事務連絡が届きました。

    内容は、これまで、地方公共団体から国等(国立大学法人含む)への寄付について原則禁止を規定していた地方公共団体の財政の健全化に関する法律附則第5条が、地域主権一括法の施行に伴い削除されたため、地方公共団体の自主的な判断に委ねられることとなったというものです。

    いわゆる「規制緩和」ですが、このことにより、これまで以上に国立大学法人と地方公共団体との連携が深まることが期待されますし、何より財政事情厳しい地方の国立大学法人にとっては、地方公共団体からの寄付を受け安くなることによる財政的なメリットは計り知れないのではないでしょうか。

    法律改正に伴い、国と地方の財政規律を確保すべく、地方公共団体から国等に対する寄附金等の取扱いについて、閣議決定がなされています。文部科学省が示した関連資料をご紹介します。


    「地方公共団体からの国等に対する寄附金等の取扱いについて」(平成23年11月29日閣議決定)について

    1 経緯及び内容
    • 地域の自主性及び自立性を高めるための改革の推進を図るための関係法律の整備に関する法律(平成23年法律第105号)において、地方公共団体の財政の健全化に関する法律(平成19年法律第94号。以下「健全化法」という。)附則第5条の規定が廃止されたところ。

    • 同条は、地方公共団体から国、独立行政法人、国立大学法人等への寄附金等の支出を原則禁止している規定であるが、この改正により地方公共団体から国立大学法人等への寄附については、地方公共団体の判断に委ねられることとなる。

    • しかしながら、地方公共団体から同条を廃止するに当たっては国等と地方公共団体との財政秩序等を確保するための措置が必要との意見が表明されていることを踏まえ、国と地方公共団体との財政規律を維持する観点から、地方公共団体の寄附に関する自発的な意思決定に影響を及ぼさないよう一定のルールを設ける「地方公共団体からの国等に対する寄附金等の取扱いについて」が閣議決定された(平成23年11月29日。以下「平成23年閣議決定」という。)。

    • 平成23年閣議決定においては、

      1. 地方公共団体との関係において、「官公庁に対する寄附金等の抑制について(昭和23年1月30日閣議決定。以下「昭和23年閣議決定」という。)」を引き続き遵守するとともに、

      2. 国と地方公共団体との財政規律を維持する観点等から地方公共団体の寄附金等に関する自発的な意思決定に影響を及ぼすような行為の禁止、

      3. 地方公共団体から寄附があった場合の各省庁(寄附先が国立大学法人の場合は、同法人)による金額、経緯及び内容の公表、

      4. 担当大臣から、1、2、3に準ずるよう、国立大学法人等に要請すること、が盛り込まれている。

    2 地方公共団体からの国立大学法人等に対する寄附金の取扱について
    • 従来、地方公共団体が国立大学法人等へ寄附を行う場合には、総務大臣との協議・同意を経ることが必要であったが、不要となる。ただし、国立大学法人が、地方公共団体から寄附金等を受領した際には、国立大学法人等において、寄附金等の金額、経緯及び内容の公表に努めることとなる。

    • 地方公共団体から寄附金等の支出があった場合の公表については、各法人において、総務省事務連絡中の別紙6の様式例を参考に、例えば、寄附を受領したときから3月以内であるとか、寄附受領した年度の翌年度にまとめて速やかに公表することが適当である。

    • なお、「地方公共団体の自発的な寄附金等の支出」の意思が確認できるよう、協定書等において地方公共団体が要請した旨記載する等の対応をとることが適当である。

    (関連過去記事)大学経営改革の促進剤(2008年1月15日)

    2011年12月6日火曜日

    教学経営のマネジメント

    日本私立大学協会 アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)No.458からの引用です。


    「教学経営」の確立を目指して 改革前進に向けた組織・運営課題(篠田道夫 日本福祉大学常任理事)

    「学士力」答申の意義

    2008年の中央教育審議会答申「学士課程教育の構築に向けて」は、困難に直面する多くの大学の教育改革にとって重要な課題が提起されている。

    「学士力」自体が、単なる専門知識の習得ではなく、今日求められる学生育成の要につながるものである。三つのポリシーの提起も、バラバラの個別改革ではなく、入口から出口に至る一貫した流れで育成を図ろうとしている。学習成果や成長度合で教育評価を行おうとする試みも、学生を中心に置いて教育改革を進めるという視点でとらえれば、意義がある。また、システムだけでなくその担い手、教員や職員の力量向上、FDやSDを提起している点も重要だ。大学教育の質向上を図るという点で、教育改革の全体構造、改革の基本方向の重要な柱が示されていると言える。

    しかし、その実行システムや推進組織の在り方、マネジメントやガバナンスという点では一層の具体化が必要だと思われる。教育改革全体に及ぶ提起だけに、従来型の教学運営システムをそのままにしては、これらの実現は難しい。答申の実質化に向けては、実行力ある大学・教学運営の確立、それを統合する法人全体のマネジメントが求められる。


    「教学経営」への着目

    この点で、答申が提起する「教学経営」という言葉に着目したい。答申では「もっとも重要なのは、各大学が、教学経営において…三つの方針を明確にして示すこと…」「三つの方針に貫かれた教学経営…」「教学経営のPDCAサイクルの中にFDの活動を位置づけ…」などの形で使われている。「教学経営」は、「教育目標を達成するために教育課程を編成し、その実現のための教育指導の実践・結果・評価の有機的な展開に向け、内部組織を整備、運営すること」のような定義で使われてきたが、答申の提起はそれより広い大学運営全体にわたる教学の「経営」をイメージしていると思われる。


    教学運営の再構築

    そもそも「学士力」という提起自体が、学部レベルに分断された取り組みでは実現できない。学部横断、全学一体の取り組みや共通教育の改革が必要で、そのためには全学教育改革推進システム、学部を跨る権限と実行責任を持った機関や責任体制の構築、各教学機関の決定権限の明確化等が不可欠だと思われる。学長機構や全学の教学運営責任者、教育開発組織やそれを担う専門スタッフ、学部やその教育担当者、個々の教員の教授過程や学習運営、この相互関係の再構築、効果的な運営システムの整備が課題となる。

    三つのポリシーも、これを個別に立案するだけでなく、これらが有機的に連携し、一人の学生を人材養成目標に沿って成長するよう機能させなければ意味がない。三つそれぞれに委員会等を設置しても、縦割りで連携がなければ、それぞれのポリシーは優れていても、育成には結実しない。入口から出口まで、教学の一貫したPDCAサイクルを担う責任体制、学生を卒業まで系統的に支援する事務機構の整備が求められる。

    学生の成長の度合い、学習成果から教育の到達を評価し改善を図ろうとする試みは、当然に学生の各種の実態調査、データ、ポートフォリオなど現実の姿から出発し、そこから教育システムの機能や適切性を検証しなければならない。その点で最近はIR機能が注目されている。しかしこれも評価・分析には重要な役割を果たしても、問題は政策に生かされるかどうかで、大学執行部が如何にこの機能を教学運営に位置づけるかが肝心な点だ。これなしには学生実態調査が改善に結び付く保証はない。学生の学習、満足度、就職実態から来る課題を、実際の教育改革や教職員の教育力・教育支援機能の向上に結び付けるためのシステムや手法の強化が問われている。


    内部質保証システム

    答申の第四章では、質保証の仕組みの強化が提起され、設置認可、第三者評価、自己点検評価、情報公開等の重要性が指摘されている。それぞれの仕組みはもちろん大切だが、最後、実際に改善を実行するのはそれぞれの大学である。自らの大学の教学マネジメントの中に、評価に向き合い、真剣に改善につなげる仕組みが根付き、実際に機能することが最も重要である。最近、私ども私学高等教育研究所の経営実態調査で伺った大学では、バランススコアカードを応用し、定員充足率、離籍率、進路決定率、授業改善・授業公開率等々の目標を学科レベルで掲げ、教職一体で持続的に評価と改善に取り組み、成果を上げていた。こうした実効性ある自己改革システムをそれぞれの大学運営の中にいかに作り出すかが問われている。評価は評価、政策・方針を出すのは別というように、評価と意思決定が分離しては改善が進まない。認証評価制度一クールの到達と総括を踏まえ、次のサイクルでは、とりわけ大学現場での内部質保証システムと呼ばれる機能の実質化が求められている。大学自身が評価を改善に繋げること、認証評価機関の改革支援システムやアフターケアのあり方、さらには大学団体の改革事例の情報交流など、総合的な仕組みが求められる。


    職員参加の前進

    答申は、FDやSDを重視している。FD自体もイベント型から教育力向上につながる実効性あるものへ、個々の授業開発から組織・制度開発へ、深化が求められている。また教育の現場を支える職員が果たす役割、SDに着目しているのは画期的なことだ。しかし、職員が教育づくりに関与する度合は、我々私高研の調査でも大学によってずいぶん差があり、教職一体で教育づくりを行う大学が増えている半面、教員が決定権を強く保持し、教育への関与がタブー、あるいは限定されている大学もある。例えば答申ではインストラクショナル・デザイナーの人材養成等が例示されているが、こうした力量を生かすためには、教学組織に適切な形で職員を正規メンバーとして参画させ、教職の実効性ある協働を前進させる組織改革が求められる。


    新たなマネジメント

    こうした大学の管理運営の改革にかかわっては、大学審議会答申、平成七年の「大学運営の円滑化について」、平成10年「21世紀大学像」答申(第二章「責任ある意思決定と実行」)があり、基本的考え方は出ている。しかしその内容は、学長と学部自治との関係、学長選任システムの在り方や教員人事、理事会との関係等運営の基本原理にかかわるものが柱となっている。

    改めて、今日の到達と課題を踏まえ、「教学経営」の具体的なあり様、本格的な教学組織運営の改革方針と改革推進組織の編成やその権限のあり方の検討が求められている。「教学経営」が、大学が掲げる人材養成目標・教育方針とセットで機能することで、教学改革の実質化、学びの充実が進むと思われる。

    さらに「教学経営」は、学校法人全体の経営と一体化し、その中核のひとつとなることで力が倍加する。法人の意思決定システムや理事長、理事会権限と連結し、財政や人事、施設・設備を含む資源の投下計画、再編計画と結合することで基盤と実行力を持つ。学校法人全体の戦略目標の柱に教学が位置づくことが、新たな教育づくり、大学の評価向上、そして強い経営を担保する。「教学経営」という新たな視点に基づく、統合的な大学、法人マネジメントの再構築が求められている。
    http://www.shidaikyo.or.jp/riihe/research/arcadia/0458.html

    2011年12月5日月曜日

    反省することは帳面につけろ(土光敏夫)

    失敗は終わりではない。それを追求してゆくことによって、初めて失敗に価値が出てくる。だから、ボクは失敗という言葉をあまり使ったことがない。人間は、ある瞬間とか、一つの区切りにおいて、毎回、失敗をいくつかしている。それを自分が、失敗である、これはちょっとまずいぞ、と反省しなければいけない。毎日、反省することは、帳面をつけろということだ。そうすることによってまた先へ伸びて行く。一年前はバカなことをしたな、と思うことが必要なのだ。

    失敗という言葉はあるけれど、それは失敗でなく道ゆきである。一つの経験であると考えるわけだ。人間は失敗してはいかんと思うと、元気がなくなる。失敗してもいいんだ、すぐそいつを取り返せばいいんだ。しくじってよろしい。しくじったとき、うまくいかなかったとき、投げ出してはいけない。大いにそいつを盛り返してやろう。ボクはそういうふうに考えて、今までやってきた。


    2011年11月29日火曜日

    入試広報の腕をみがく(2)

    前回に続き、日本私立大学協会私学高等教育研究所研究員の岩田雅明氏が、文部科学教育通信(No280 2011.11.28)に寄稿された「受験へとつなげていく広報」をご紹介します。


    アクセス者を承認する

    学生募集にとって、資料請求者といったアクセス者を受験者、入学者につなぎ止めていくプロセスが非常に重要であり、このプロセスを強化することで、相当程度の改善を図れることを前稿で述べた。

    では、アクセス者を受験生へとつなぎ止めていくためには、具体的にはどのようにしたらいいのかについて考えていきたい。つなぎ止めるためには、関係性を常に保つことが必要となる。人間関係でも、顔を合わせる機会が無くなるとその人に対する意識が薄れてくるのと同じで、アクセスをした高校生も大学からの働きかけがないと、その大学に対する興味が薄れてくる可能性は高くなると考えられる。したがって、つなぎ止めるプロセスにおいて不可欠なのは、大学からの継続したフォロー活動である。

    私も勉強のために他の大学の資料を請求することがあるが、パンフレットが一度送られてきただけで、その後は何のフォローもないという大学も少なくない。確かに表面的な依頼内容は「パンフレットを送付してください」ということであるが、パンフレット送付を希望した背景には、その大学に多少なりとも関心がある、場合によっては受験するかもしれないという気持ちも含まれているのである。その気持ちに対応しないということは、資料請求者の欲求に対して、きちんと応えていないことになる。これは非常にもったいない話である。同じ程度に関心を持った大学が二つあったとして、一方の大学は継続して資料が送られてくるのに対して、もう一方の大学はパンフレットが一度送られてきただけというような状況であれば、どちらの大学を受験先として選択する確率が高いのかは自明のことであろう。

    組織づくりや、モチベーション・アップという場面で重要な働きをするものとして、『承認』という概念がある。文字通り、その人を認めるということである。人間、誰しも自分の存在や行動を認められたいという欲求を持っている(マズローの欲求五段階説でも、四段階目の人間らしい欲求として「承認の欲求」が挙げられている)。自分のことを認めてもらえれば意欲も湧くし、行動も積極的になるものである。また、人は認めてくれた相手に対しては、好感を持っものである。研究調査の結果からも、承認の存在とモチベーションの向上には相関関係が認められたということである。したがって学生との信頼関係を構築し、学生の意欲を引き出し、高いパフォーマンスを発揮させるためには、この『承認』を活用することが効果的である。

    この『承認』を、在学生だけでなく、在学生候補者であるアクセスしてきた高校生に対しても活用するのである。そうすることにより、大学とアクセス者との間に、好ましい関係が構築されることが期待できるのである。承認の基盤は相手を尊重するということである。自分の大学に興味を示すという行動をとった高校生を尊重するということはどういうことかといえば、関心があるという、その高校生の気持に誠実に対応して、パンフレットだけでなく、いろいろな時期における大学の状況や、教育の特色が分かる資料を継続的に送付するということである。具体的には、新入生の大学生活についての感想や海外研修参加者の体験談、普段の生活情報、就職内定者が語る大学の就職サポート、卒業生の四年間の学生生活を振り返っての感想、といったものが掲載された資料をタイムリーに送付するのである。そうすることでアクセスしてきた高校生は、関心を持った大学の詳細な内容を理解することができ、受験するかどうかについて適切な判断を下すことができるようになるのである。

    もちろん、その判断において選択してもらう確率をできるだけ高くするようにするためには教育内容の充実が最も大切なことではあるが、広報活動としては大学の内容、特に強みや特色といったことに関しては、十分に語り尽くすという姿勢が不可欠である。大学の内容を十分に知ってもらった上で選んでもらえなかったのは仕方ないことで、内容のより充実を図るしかないわけであるが、十分に知らなかったため選ばれなかったという事態は広報活動の責任ということになる。


    アクセス者の行動をデザインする

    最近注目されているマーケティング手法に、感性マーケティングというものがある。人の心と行動を読み解くことで、顧客をつかむマーケティング手法である。『「感性」のマーケティング』(小阪裕司著)で紹介されている、酒屋さんの事例がある。お正月向けに販売される日本酒で、普通に店に置いておいただけでは20本ほどしか売れない銘柄の酒を、感性マーケティングを活用することで売り上げを600本に伸ばし、その翌年には1080本もの売り上げをあげたという。どんなことをしたかといえば、既存の顧客に毎月毎月、ニューズレターを送ったり、蔵元を招いて試飲会を開いたりといったことで、特別な秘策を実施したわけではない。その日本酒を買うという行動を顧客に起こしてもらうためには、どうしたらいいかということを考え続け、そこから生まれてきた施策を実行したのである。

    「若者を中心に日本酒離れが進んでいるから、日本酒が売れない」という言葉はよく聞く。売れない原因は「日本酒離れ」、と捉えてしまうと、そのあとの行動は生じてこない。同じように、大学の場合であれば、学部が時代遅れだからとか、立地が悪いから、大学に対する社会の評価が低いから受験生が集まらないのだというように考えてしまうと、何とかしようという行動は生じてこない。どのような状況にあっても、受験という行動をとってもらうためには何をしたらいいのかということを考えて、対応していくことが大切なことである。どの大学でも、一つぐらいは誇れる強みはあるものである。それを根気強く、分かりやすく、丁寧に伝えていくことである。これにより、必ず受験につながる比率は増えるはずである。得意とするシャンプーだけを宣伝した美容室が、売り上げを二倍とした例も前述の書籍に紹介されていた。


    コミュニティーを構築する

    前述の「承認の欲求」と同じく、人間にはどこかに属していたいという「所属の欲求」がある。行きつけの居酒屋を持つということも、そこに行くと落ち着ける空間があるということであると思うし、1000円床屋が出てきても行きつけの床屋に行くというのも、この所属の欲求に起因していると思われる。

    大学に入学するということは、ほとんどの人の場合、初めての体験である。どの程度のサービスを受けられるかは、本来は入学してみないとわからないのである。したがって、入学前に、大学というコミュニティーの一員として有用なサポートが得られるということを確信できるということは、受験という行動をとってもらうためには非常に大切な要素である。

    アクセス者に対するフォロー活動やオープンキャンパスでの対応で大切なことは、このコミュニティーの構築である。そのためには、資料請求などのアクセスをした高校生が大学生活を疑似体験できるような情報提供をすることが大切である。例えば、在学生用の海外研修や就職ガイダンスの資料を送付したり、オープンキャンパスでゼミナールを体験してもらったりすることも有用である。

    未成熟な消費者である高校生に対して、責任を持ってサポートするという決意の伝達は、高校生に対して信頼感を与えるだけでなく、大学内容の改善の決意につながる重要なことである。(文部科学教育通信 No.280 2011.11.28)

    2011年11月28日月曜日

    入試広報の腕をみがく(1)

    いよいよ受験シーズン到来です。新聞・雑誌に大学の広告が目に付くようになりました。大学広報の腕の見せどころといったところでしょうか。

    限られた財源でいかに効果的な広報を行うか、いかに質の高い学生を確保するかは、少子化時代における大学の重要な戦略的課題の一つです。そこで、今回は、日本私立大学協会私学高等教育研究所研究員の岩田雅明氏が、文部科学教育通信(No279 2011.11.14)に寄稿された「広報活動の効果的な組み立てと点検を」をご紹介します。


    「AISAS」に対応した広報活動

    最初の「A=Attention、大学を知ってもらう」ためには、高校生が進学先選択に際して見る媒体、または日常的に目に触れる媒体に大学の情報を掲載することが必要である。具体的には受験雑誌、新聞、ポスター、看板などを使っての大学情報の提供ということになる。存在を知ってもらわなければ選ばれようがないので、広報のスタートに当たる活動である。そしてこの段階から次の「I=Interest、興味を持つ」につなげるためには、知ってもらう段階でターゲットの興味を引くことのできる情報の掲載が必要となる。この意味では、学校名、学部名と所在地だけが記載されている大学の交通看板などは、「I」につなげる機能としては不十分であるといえる。

    「I=興味を持つ」につなげるためには、ターゲットにとってのメリットが情報として提供されている必要がある。メリットとして何をアピールするかについては、前述の大学の現状認識、ターゲットのニーズ把握、競合校に対しての優位性を検討するプロセスの中から出てくることになる。皆さんの周りにある看板やポスターを点検してみると、メリットとなる情報が何も掲載されていない、抽象的な表現のものが多いことに気づくと思う。それは、このプロセスをきちんと経ていないことに大きな原因があるといえる。

    次の「S=Search、検索する」の段階では、アピールポイントをより具体的に、より詳細に、かついろいろな切り口で伝えることが重要となる。具体的にはパンフレットやホームページで何をアピールするかということと、オープンキャンパスをどのように実施するかということになるであろう。いろいろな大学のパンフレットを見ていると、大学が伝えたいことと、ターゲットが知りたいことの間にギャップがあると感じられるケースも少なくない。例えば、伝統のある大学はその点を強調したくなるものであるが、伝統が生徒にとってどの程度のメリットがあるものなのかについては、吟味する必要があるであろう。ターゲットが大学選択の際に重視する事項について、日頃からアンケート等で把握していれば、パンフレットに掲載する事項や、そのボリュームもおのずから決まってくるであろう。

    オープンキャンパスに関しては、ビフォー・アフターのアフターである学生の成長した姿を見せることが最も効果的である。また、学んでいる立場からの説明の方が、高校生には受け入れられやすいので、学部・学科内容の説明を学生に担当してもらうということも効果的である。在学生を活用する場合には、ある程度の事前指導は必要であるが、命令通りに動くということでなく、ある程度裁量を持たせた形で協力してもらう方が、高校生に近い立場にある学生ならではの工夫が生まれ、活性化したオープンキャンパスになるように思う。またオープンキャンパスは、その大学の熱心さが最もよくターゲットに伝わる機会なので、来場者の立場に立った対応が必須である。ある受験産業の調査によると、オープンキャンパスの日に最寄りの駅に出迎えのスタッフを配置していた大学は、調査した38大学中、わずか4大学であったという。不親切さをアピールしているようなものである。ここまでの段階での対応状況により、生徒は「A=Action、受験する」へと、行動を続けていくかどうかを決定することになる。

    最後の「S=Share、分かち合う」は、入学後、大学の内容を知人等に話したりして評判を広めるという行動である。これは入学後のことであるが、最初の「A=大学を知ってもらう」や「I=興味を持つ」につながる、大事な広報プロセスである。ここは、その大学のさまざまな学生サポートサービスにかかっているところであるが、良いサービスを提供していてもそれが伝わらないということもある。そのようなことのないようにするため、在学生に評判を広めてもらうシステム、例えば定期的に出身校を訪ねてもらうとか、ホームページや受験生に送る資料に在学生を頻繁に登場させ、大学の良いところを伝えてもらうといった方法も実施するとよいであろう。

    大学マーケットの需給関係からして、選択権は完全に受験生側に移っている。そのような状況の中では、一般的な商品の場合と同じく、「クチコミ」マーケティングが不可欠なものとなっている。これは費用もかからず、しかも大変強力な手段である。上手に活用することが広報活動における重要ポイントの一つといってもいいであろう。


    広報活動の点検

    以上のような広報のプロセスが順調に流れていれば、学生募集は所期の効果を上げられるはずである。そのような結果になっていない場合には、広報プロセスのどこかに課題があるといえる。この点を点検し、修正することが必要である。

    「A=大学を知ってもらう」の部分が弱いのであれば、大学を知ってもらうための媒体を増やすなど、大学名が広く知られるための活動を展開する必要がある。ここは大学に対して資料を請求してくる生徒、すなわち受験者予備軍といえる母集団を形成する段階なので、ある程度の数を確保することが必要である。どのくらいの資料請求者があればいいのかという明確な基準はもちろんないが、首都圏にある大学、短大の場合で入学定員の15から20倍程度、近畿圏で20倍程度、それ以外の地方では15倍前後あれば合格ではないだろうか。

    大学名を知り、多少の興味を持った結果、資料を請求してきた生徒に対して、大学のパンフレット等を送ることになる。それを見て、ある程度の強い興味を覚えた受験生は、ホームページを頻繁に閲覧したり、オープンキャンパスに参加したりという段階にまで進んでくることになる。すなわち「I=興味を持つ」の段階を経て、「S=検索する」の段階に入ってきたことになる。この段階まで進んできた受験生は、オープンキャンパスに参加して良い印象を感じたり、大学からのいろいろな働きかけに熱意を感じたりすることで、受験へとつながることになる。この段階で受験者予備軍が受験者となるのである。これも明確な基準はないが、大学、短大では資料請求者の10から15%がオープンキャンパスに参加し、そのうちの40から50%が受験につながれば、標準的と判断してよいだろう。

    このプロセスが弱い場合には、弱い部分に応じてパンフレットやホームページの内容や表現方法、オープンキャンパスの内容、実施方法等を再点検していく必要がある。高校生や保護者のニーズに対応した、その大学ならではの特色がきちんとパンフレットでアピールされているだろうか。ホームページでは、高校生、保護者に伝えたい事柄が、分かりやすく、漏れなく盛り込まれているだろうか、といったことを再点検することが不可欠である。その結果、アピールポイント自体が不十分という場合は、それを創り出すことも必要になってくる。また、オープンキャンパスの内容、実施方法についても、参加者の立場に立って企画・実施されているかどうかをチェックする必要がある。

    私の個人的な感覚ではあるが、学生募集に課題のある大学は、このアクセス者を受験者へとつなぎ止めていくプロセスが弱いように感じている。逆にいえば、ここを強化することで、ある程度の改善を図れる重要なプロセスと考えられる。(文部科学教育通信 No.279 2011.11.14)

    2011年11月26日土曜日

    廃棄のシステムをつくる(ドラッカー)

    顧客を知ることによって、いかなる成果を得られるかが明らかになる。目標を明らかにし、何を現実のものにできるかを知ることができる。

    「われわれは何をしようとしているのか」「大学の質と規模を継続するには、どれだけの学力の入学者をどれだけ確保しなければならないか」

    これを知っておけば結果からフィードバックすることができる。そのとき、「あれはうまくいっているが、これはあまりうまくいっていない。これにもう少し力を入れよう」あるいは「もう少し強力な者に担当させよう」「入って欲しい学生に入ってもらうには何を考えなければならないか」ということができる。

    イノベーションのための戦略を成功させるには、機能しなくなったもの、貢献しなくなったもの、役に立たなくなったものを廃棄するシステムが必要である。

    これを行わないかぎり、いかなる組織といえども、肥大化の挙げ句、重要な資源を成果の望みえないところへ注ぎ続けることになる。

    非営利組織が常に考えるべき問題が、「顧客にとって大事な何を行うことができるか」である。そのあとで、提供できるサービスの構造を考え、提供の仕方を考え、人の手配を考える。そして再び基本に返り、何を、いつ、どこで行うかを考える。さらに重要なこととして、誰が行うかを考える。

    非営利組織が応えようとするニーズのほとんどは、いつになっても消えることのないものである。人間がいるかぎり存在するものである。しかしそのニーズの現れ方は変化する。それを見つけることがマーケットリサーチの役割である。

    特に、顧客であるべきなのに、サービスの提供のされ方が合っていないために顧客になっていない者にとって、それがどのようなニーズかを明らかにする。マーケットリサーチが明らかにするものは、「われわれの強みに合い、顧客を満足させるサービスを開発できるか」である。そして「動くべき時はいつか」である。

    戦略があれば、行動にコミットしたも同様である。戦略の真髄は行動にある。ミッション、目標、マーケット、そして「その時」を統合したものとしての行動である。

    戦略の成否は成果にかかっている。戦略はニーズに始まり満足に終わる。したがって顧客にとっての満足が何であるかを知る必要がある。

    非営利組織たるものは、顧客と寄付者に敬意を払い、彼らにとって価値あることを聞き、彼らの満足を理解することができなければならない。万が一にも、仕えるべき相手に、自らの考えを押しつけることがあってはならない。


    2011年11月24日木曜日

    人をトレーニングする (ドラッカー)

    非営利組織の戦略にとって、重要なことは人のトレーニングである。

    これは、説教ではなくトレーニングによって身につけさせるべきものである。態度の問題ではない。行動の問題である。態度はトレーニングでどうこうすべきものではない。人のトレーニングは行動に関して行わなければならない。「これが行うべきことである」といわなければならない。

    新しいことを始めるための戦略、イノベーションのための戦略においては、どこから誰が始めるかについて十分な思考とプランが必要である。その新しいものを成功させたがっている者から始めなければならない。最初から組織の中の者全員を関わらせてはならない。それでは必ず問題にぶつかる。機会のターゲットを探さなければならない。それを求め、信じ、コミットする者を探さなければならない。

    イノベーションの戦略とは、最初の段階からこれらのプロセスを考え抜くことである。そして新しいものを成功させるために積極的に動く者、その成功が組織に乗数効果をもたらす者を確保しなければならない。

    世界を変えるとの大いなる望みのもとに大々的にスタートしておきながら、五年後には「まあよくいっている。ちょっと特殊なプログラムだが」というようでは、戦略として最低である。それでは失敗である。資源の使い方を誤っている。


    2011年11月23日水曜日

    政策仕分け結果の十分な精査と着実な政策への反映を

    既に報道等で承知されていると思いますが、去る11月20日~23日の4日間にかけて、行政刷新会議ワーキンググループによる「提言型政策仕分け」が実施されました。

    この「提言型政策仕分け」は、無駄や非効率の根絶といったこれまでの視点にとどまらず、主要な歳出分野を対象として、政策的・制度的な問題にまで掘り下げた検討を行い、改革を進めるに当たっての検討の視点や方向性を整理することを目的に実施されているものですが、折角の貴重な議論の結果を、国政や予算配分に確実に反映していただきたいというのが多数の国民の願いではないでしょうか。

    さて、この仕分けの様子は、インターネットを通じてライブ中継されましたが、平日の場合は、多くの方々は勤務中でご覧になることができなかったのではないでしょうか。そこで今回は、「教育:大学改革の方向性の在り方」をテーマとして行われた仕分け(11月21日開催)関係の論点等を整理した資料(文部科学省、財務省がそれぞれ提出)や評価結果を行政刷新会議のホームページから国立大学関係を中心に引用抜粋してご紹介します。

    なお、論点の捉え方は、相変わらず文部科学省、財務省の双方で異なります。この”VS”構造をどう理解し、今後将来の大学の在り方をどう考えるかは、政治家、学識経験者、官僚、そして大学関係者だけに依存するのではなく、まさに国民一人ひとりにその責任があると思います。この政策仕分けを契機に、広く国民的な議論が展開されることを願わずにはいられません。


    行政刷新会議-提言型政策仕分け「大学改革の方向性の在り方」

    論点
    1. 大学の総収入・総支出は増加しているのに、世界の中で日本の大学のレベルは低下しているのではないか。

    2. 少子化の傾向にも関わらず、大学数や入学定員、教職員数が増えているのではないか。

    3. 定員割れによる学力低下等や赤字経営の大学の増加等をどう考えるか。

    4. 大学は、将来を見据えた明確な人材育成ビジョンを持っているのか。

    5. 大学が社会の実情と乖離し、社会のニーズに十分な対応ができていないのは、大学改革が進んでいないからではないか。どのように改革を進めるべきか。

    とりまとめ(提言)
    • 大学の国際通用力の向上の在り方については、「教育分野」における向上などその具体的な達成目標と達成時期並びにその評価基準について明確化を図る。まずは各大学による自己改革によってその実現を図る。

    • 少子化傾向の中での大学経営の在り方については、教育の質の確保と安定的な経営の確保に資するため、大学の教育の内容、例えば、生涯教育の拡充などへの転換を含む自律的な改革を促すとともに、寄付金税制の拡充等自主的な財源の安定に向けた取組を促す仕組みを整備する。

    • 法科大学院の需給のミスマッチの問題については、定員の適正化を計画的に進めるとともに、産業界・経済界との連携も取りながら、法科大学院制度の在り方そのものを抜本的に見直すことを検討する。

    • 大学改革の全体の在り方については、国は大学教育において如何なる人材を育成するかといったビジョン及びその達成の時期を明示した上で、その実現のため第三者による評価などの外部性の強化に加え、運営費交付金などの算定基準の見直しなどの政策的誘導の在り方について検討する。加えて政策評価の仕組みの改善についても併せて検討する。

    論点別シート

    (論点1)大学の総収入・総支出は増加しているのに、世界の中で日本の大学のレベルは低下しているのではないか。

    文部科学省(考え方)
    • 限られた財政状況の中で予算効果を最大限発揮するため、各大学で、特色ある機能を発揮・強化するための組織運営改革を加速化させる。また、基盤的経費(運営費交付金・私学助成)や国公私を通じ たプロジェクト補助を通じて、メリハリのある資源配分を更に強化。
    財務省
    • 大学の総収入・総支出は増加

      • 国立大学法人運営費交付金や私学助成の減少はわずかなもの(法人化後△385億円)である一方で、競争的資金等の補助金の増(同+1,711億円)等により大学全体の総収入は、大幅に増加(同+4,155億円)している。その結果、総支出も2.4兆円から2.7兆円に約14%増となり、特に教育経費は56%(同+585億円)増、研究経費は24%(同+549億円)増と著しく増加した。(注:公表されている21年度決算までのデータによる。)

      • 世界的にみても国立大学生一人当たりの公財政支出をみれば、日本は公財政支出が多い(日345万円、米232万円、英116万円、仏239万円、独165万円)。また、G5の国立大学1校当たりの公財政支出をみても遜色なく、1校あたりの規模が日本は他国に比べ小さいことを考えるあわせると、十分な支援とも言える。

    • 世界的にみても日本の研究力は低下

      • 成果を検証する一つの指標として世界大学ランキングをみると、世界のトップ100に入る大学はわずかであり、ランキングも下がってきている現状である。

      • 世界大学ランキング400位までにランクインされている大学数は、2006年に27校であったが、2010年は16校に4割減少。(注1:Times Higher Education 最新版によれば、世界大学トップ100に入っているのは、わずか東大と京大の2校のみであり、日本トップの東大でさえ30位どまりである。注2:QS社の世界大学ランキング最新版では、100位以内に日本の大学が6大学入っているが、アジアのトップは香港大学)

      • 論文数、トップ10%論文数ともに世界シェア、順位が低下している。

    • 研究力は必ずしも予算の問題ではない

      • 大学の研究力を図る指標として、世界大学ランキングの算出要因の一つでもある論文の被引用数と予算の関係を検証(例1:東京工業大学は筑波大学の予算の約半分であるが、論文の被引用数は約1.3倍、例2:予算の少ない大学の方が論文の被引用数が多い)

      • 検証の結果、両者の相関性は明確でない。

    (論点2)少子化の傾向にも関わらず、大学数や入学定員、教職員数が増えているのではないか。

    文部科学省(考え方)
    • 大学間の競争の中で社会からの評価と選択を受ける質保証システムの仕組みを確立し、大学はその教育内容・方法の不断の改善を図り、大学の質的充実を図る。

    • 大学の質保証を徹底しつつ、学ぶ意欲と能力を持つ若者の大学進学意欲の高まりに応えられるよう、高等教育への進学機会の確保を図る。
    財務省
    • 18歳人口は減少してきており、私立大学の定員割れは約4割

      • 平成初期には200万人を超えていた18歳人口は、それから20年経た今では120万人台に減少。更に、平成35年には110万人を切る見込み。

      • 一方、大学(短大含む)の収容力(当該年度の入学者数/進学希望者)を見ると年々増加してきており、23年度は96%となり、ほぼ全入時代を迎えたと言える状況になった。これからは、大学が学生の獲得争いをしなくては生き残れなくなってきた。

      • 我が国の大学の約8割を占める私立大学をみると、少子化にもかかわらず、平成になってから大学数は1.6倍、入学定員は1.5倍となったため、現実には定員割れの大学が4割となっている。今の大学入学定員では持続可能と言えないのではないか。

      • 現在、6大学、24短大が募集停止に至っている中で、24年度から7大学、5大学院、2大学院大学が開設する予定となっているが、大学を増やしても大丈夫か。今後の大学開設には、より慎重な検討が必要であり、むしろ、統廃合を加速すべきではないか。

    • 国立大学は学生数が増えない中でも、教職員数は増加

      • 国立大学の学生数は、近年増えていない中で、教員は国立大学法人化以降、1,785人増、職員は12,066人増となっている。

    • 設置基準に比べ、教員の数は多過ぎないか

      • 国立大学は設置基準の数倍の教員を配置している。特に理系学部においては、設置基準上の教員数と実際の教員数の乖離が多い。

    • 国立大学の数は多過ぎないか

      • 近隣に同じ工学系や教員養成系等の大学が存在しており、その存在意義が問われる。また、少子化、過疎化の中で共倒れのリスクが懸念される。(例1:工学部:東京大学工学部と東京工業大学と東京農工大学、名古屋大学工学部と名古屋工業大学と豊橋技術科学大学など、例2:教員養成系:京都教育大学と奈良教育大学と大阪教育大学と兵庫教育大学など)

    (論点3)定員割れによる学力低下等や赤字経営の大学の増加等の問題をどう考えるか。(省略)

    (論点4)大学は、将来を見据えた明確な人材育成ビジョンを持っているのか。

    文部科学省(考え方)
    • 産業界など社会の要請を踏まえた大学教育の重視

      • 国レベルでは、産学のトップの協働による「円卓会議」を開催

      • 各大学では、地域企業などとの連携を、カリキュラム作成から行い、社会ニーズを組み込む。また、カリキュラムの体系化、厳格な成績評価(例:GPA)による出口管理を徹底

    • 大学の教育情報の公表を徹底

      • 大学がどのような教育を行っているか、社会に分かりやく示すデータベース整備。また、企業、学生・保護者の評価やニーズを大学教育の改善に反映させる。
    財務省
    • 人材育成ができていないのではないか-専門教育を行っても効果があげられない例が多くみられる。
    (例1)法科大学院
      • 法科大学院の入学定員は、平成21年度までは約5,800人前後であったが、定員割れの現状から22年度、23年度と段階的に定員を削減し、来年度は21年度までと比べ2割以上減の4,500人程度となった。しかし、法科大学院の入学者は23年度で3,620人で定員充足率は8割を切っている状況である。定員削減は定員割れの現状の追認でしかなく、人材育成のビジョンが見えない。

      • 法科大学院の平成23年度入学者のうち、10人以下であった法科大学院が14校(うち国立大3校)あり、教育環境の充実と効率的な経営の両面を考え合わせれば、統廃合も考えていく必要がある。

      • 新司法試験の合格率は年々減少を続け、平成23年度の合格率は23.5%となり、約6,700人の不合格者を出した。また、退学や休学により法科大学院を終了しなかった人が約1,400人(平成22年度)、更に修了者の受験率が約8割程度であることを考えると、相当数の人が希望通りになっていない状況であり、年々増加を続けている。

      • 平成23年度の新司法試験合格者数が10人以下の大学が74大学中半数以上の39校に上っている。さらにそのうち、合格者が5人以下の法科大学院が23校もあり、このような状況では、大学も社会も、そして何より学生が不幸であり、その存在意義が問われる。
    (例2)教員養成系大学
      • 公立学校の新規教員採用者のうち教員養成系大学・学部の占める割合は3割程度まで減少してきた。この結果、公立学校教員総数における教員養成系大学出身者の占める割合が小学校で6割、中学校で4割、高校においては2割程度となり、一般大学・学部卒出身者の占める割合が高くなった。教員養成系大学の存在意義が問われる状況になってきている。

    • 計画的に人材を育成しているのか-将来見通しが甘く、計画的な人材育成がされていない事例が多くみられる。
    (例1)法科大学院
      • 前年に司法試験合格者の弁護士希望の司法修習生のうち就職先が未定のものは43%(7月末現在)であり、弁護士数の増大による就職難が発生
    (例2)教員養成系大学
      • 卒業生のうち教員になった人数の割合は約45%にとどまる。
    (例3)薬学部
      • 厚生労働省の調べでは平成18年に25万人いる薬剤師が、平成28年頃には37万人になる一方で薬剤師のニーズは約30万人程度という推計もあるが、薬学部の入学定員は平成13年は7,910人であったが、平成23年には13,029人となっており、10年で5,119人(65%増)となっている。(6年制だけみても11,792人で1.5倍となっている。)
    (例4)歯学部
      • 1970年代に計画性なく歯学部を開設・増員した一方、少子化に加え子供が虫歯にかかる率が減少したため、歯科医師過剰時代が到来し、平成10年の厚生省の報告書によれば、入学定員の削減と歯科医師国家試験の見直しを行うことにより、新規参入歯科医師を10%程度抑制としている。平成10年度の入学定員2,714人から平成23年度2,459人と9%程度削減しているが、23年度の入学者が2,158人で300人ほど定員に達していないことや4割近い大学で定員割れになっていることを考えるとまだ不十分と言える。
    (例5)医学部
      • 厚労省の「安心と希望の医療確保ビジョン」具体化に関する検討会資料によれば、前提条件によって幅があるものの、2010年代後半から2030年頃にかけて医師の需要と供給の関係が逆転するという報告もされているが、近年、医学部の入学定員を大幅に増加させている。問題の本質は、地域偏在や診療科目偏在であり、本当に将来を見据えた人材育成になっているのか疑問である。

    (論点5)大学が社会の実情と乖離し、社会のニーズに十分な対応ができていないのは、大学改革が進んでいないからではないか。どのように改革を進めるべきか。

    文部科学省(考え方)
    • 改革を実質化し、大学の強みを伸ばす環境整備のため、次のような方向で改革を進める。
    1 機能別分化の推進とガバナンスの強化
      • 質の高い教育のため、国公私の設置形態や地域・国境を超えた大学間連携を加速

      • 学長のリーダーシップによる全学体制を確立し、ガバナンスを強化
    2 グローバル化社会で活躍できる人材育成の体制整備
      • 卒業時の学修成果を重視した学部教育への転換

      • リーディング大学院等産学官共同での修士・博士一貫教育

      • 日本人学生の海外留学促進や外国語能力の強化
    3 世界標準の質保証の仕組みを整備
      • 大学の活動や特色の公開を徹底する仕組みを整備(大学情報の可視化)

      • 産業界・学生の視点を踏まえた評価軸の検討
    財務省
    • 国民の大学教育に対する評価は低い

      • 世論調査によれば、世界に通用する人材を育てられないとの回答が63%、企業や社会が求める人材を育てられないとの回答が64%。一方、人材育成ができるとの回答は、わずか4人に1人程度に過ぎず、大学教育に対する評価は低い結果となっている。

    • なぜバーバード大など外国の大学は強いのか

      • 例えば、ハーバード大学と東京大学の教授を比較した場合、ハーバード大学の教授にはハーバード大学出身者が少ない。一方、東京大学の場合はほとんどが東京大学出身者である。つまり、外国の大学の場合は、経歴でなく実績社会であり、多様な人材による大学の活性化が図られている。

      • 学の財務体質について他国の主要な国公立大学と比較すると、政府からの収入がケンブリッジ大学17%、オックスフォード大学23%、カリフォルニア大学バークレー校22%に対して、日本の国立大学は収入の約4割が政府支援(運営費交付金及び施設整備費補助金)となっている。

      • 一方、競争的資金については、収入に占める割合がオックスフォード大学42%、UCバークレー32%に対して、日本の国立大学は12%に過ぎない。私立大学においてもハーバード、イェール、プリンストン等の有力大学をみると、競争的資金が収入の20~25%を占めており、日本の大学に比べ競争的資金の獲得が大学の財務体力となっている。また、外国の大学の場合は、企業からの研究支援や投資収入、出版事業など多様な財源が多く、とりわけ、民間研究資金の割合が日本の大学より多い。

      • つまり、外国の大学は競争原理が大学の内外で働いており、厳しい環境下に置かれているが、日本の大学は競争原理が機能しておらず大学改革が遅れていると言える。

    • 国際競争力を高めるには、統廃合が必要

      • 大学定員の規模別に充足率を見た場合、入学定員が600人以上の大学は定員を充足している。一方、600人未満の大学は定員を充たせず、規模が小さいほど充足率が低くなる。このため、少子化時代において大学が生き残っていくには、統合により大学規模を大きくする必要がある。他方、生涯教育の充実による学生規模と多様性の確保も有用である。

      • 1校当たりの学生数を国際比較してみると、日本の場合1校あたり3万7千人となり、G5のうち日本が一番小さい結果となっている。つまり、小さい大学が数多くある姿であるため、国際競争力を高めていくには、大学の統合を図り、諸外国に対抗できるような大学に組み立てなおす必要がある。

    • 大学倒産時代に向え、統廃合や大学間連携、産学連携等の多様な自己財源確保が必要

      • 大学経営(財務体力)を考えても、国大法人運営費交付金や私学助成に頼らず、大学間連携等による事務の効率化、または産学連携等による多様な財源の確保が必要

      • 事務の効率化や多様な財源の確保ができない場合は、大学の統合による体力強化、または廃止も検討する必要がある。なお、大学の閉鎖に関しては、その仕組み作りが必要

      • 国立大学の法人化は、事務機構と財政基盤の国からの独立と責任あるマネジメント体制の確立であったはずである。

      • 短期的な実現は困難でも、中長期的な大学のあり方をいつまでにどうするのか明確にすべき。昨年の予算編成過程で今年末までに大学改革の方向性を打ち出すこととされているところ。例えば、トップレベルの国際競争力が期待できる大学・学部(地方大学にも世界的な学部や講座が存在)に国費を集中投資する一方、地方の人材育成を担う大学は、大学間連携、統廃合により持続可能性を強化しつつ、コミュニティ・カレッジとして生き残れるようにしてはどうか。

      • このような改革のインセンティブとして、大学の教育研究能力のプロファイリングと実績の情報公開の充実が必須。

    2011年11月20日日曜日

    壁を毎日破れ(土光敏夫)

    ボクらの生活は、毎日が行き詰まりだ。行き詰まらん方がおかしい。前に進んでいれば必ず行き詰まる。
    「壁を毎日破れ」といったら「私には壁はありません」という人がいた。
    「そうかないか、君は座っているじゃあないか。立って歩いてみろよ。四畳半だろうと六畳だろうと、立ってあるけば、壁にすぐにぶつかる」といったんだ。
    つまり、この人には問題意識がないのだ。
    だから、「歩いて毎日ぶつかれ」といったんだ。(土光敏夫 21世紀への遺産)


    2011年11月12日土曜日

    一日も早く”地力”をつけよ、サラブレッドより野ネズミの方が強い(土光敏夫)

    この日記を始めて、11月9日で丸4年が経ちました。読者の皆様のおかげでなんとか続けることができています。心からお礼申し上げます。
    最近は、ニュースなどの”情報提供型”に偏ってしまって、少々魅力のない内容が続いておりますが、なるべく自分の意見なども取り入れていきたいと思っています。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。


    今日から、時折、土光敏夫さんの言葉を紹介していきたいと思います。

    よく若い人に言うのだが、一日も早く”地力”をつけよ、と。僕はこの”地力”という言葉が好きで、これは人間の足腰を鍛え、少々のことではへこたれない本物の力を意味する。地力をつけるには、苦労を体験するのが必須条件だ。苦労を知らぬ人間は、端から見れは一にしかみえぬ打撃が十にも二十にも感じられ、そのショックひとつで潰れてしまうことがある。学校秀才型の、いわゆるエリートにその傾向が多くみられる。

    土産物店などで、”上げ底”がよく問題になるが、人間もそれと同じで底辺を知らぬ「上げ底人間」は総じて弱い。叩かれ踏まれた体験がないものだから、僕らがなんとも思わないことでも、なにか問題が起きたとき、その対応に右往左往する。しっかりと受けとめて、冷静に対処することができないんです。

    一のショックを十に感じる者もいれば、十のショックを毛ほどにも思わぬ者もいる。厚顔無恥は困るけれども、そのくらいの根性がないと、長いサラリーマン生活はやっていけません。いつも自分を最低の線、つまり社会の底辺に置いておけば、何が起こったって怖くはない。矢でも鉄砲でも持ってきやがれ--と、そのくらいの気概で生きることですよ。

    サラブレッドはカッコいいが、僕はそれよりも野ネズミのほうが、より強いと思うわけです。サラブレッドは、みんなが寄ってたかってエリート馬に仕立てあげる。しかし、役目が了わればそれまでだ。が、野ネズミは踏まれても蹴られても、へこたれない生命力を持っている。人間だって、その本質に変わりはなく、いざとなれば野ネズミのしぶとさを持つ者が、サバイバル戦争に勝ち残る。

    目先の現象に一喜一憂せず、どんと構えて正面から物事を受けとめる、そういう根性のある人こそが生き残る時代だと思うのだが、はたしてこれは極論すぎるのでしょうか。(土光敏夫大辞典)

    昭和人間記録 土光敏夫大事典

    2011年11月8日火曜日

    国立大学法人の決算から垣間見えるもの

    国立大学法人の中期評価や年度評価を行う国立大学法人評価委員会の下に、「国立大学法人分科会 業務及び財務等審議専門部会」というものが設置されています。このたび、国立大学法人の平成22事業年度の財務諸表の承認に係る議論等の概要が文部科学省のホームページに掲載されましたので読んでみました。

    国立大学法人の会計処理は「国立大学法人会計基準」に基づいて行われていますが、企業会計や学校法人会計とは異なる特殊な会計処理が多々あることから、アウトプットとしての財務諸表ほか決算関係資料は、一般の国民の皆様にはとりわけわかりずらい構造になっています。このため、各国立大学法人では、独自の財務レポートなどを作成し、各大学のホームページ等を通じて説明しています。

    今回の議事録を見る限り、議論を行っている委員の方々は、大学教員出身者が多く、国立大学法人の会計に必ずしも精通している方々だけではないようですが、その分、一般の国民と同様の目線での質疑も垣間見え、あるいは意外と鋭い意見も出されており、興味深く読ませていただきました。委員の意見をいくつか抜粋してご紹介します。事務局(文部科学省)とのやり取りについては、WEBサイトをご参照ください。


    国立大学法人の財務諸表の承認及び剰余金の繰越承認について

    【宮内委員】

    決算書を見てちょっと感じた点で、これは昨年もたしか言ったかと思うのですが、概要の参考1の2ページで寄附金債務がこれは2,214億で、前年度対比で139億増加しています。大学としては、これはバッファーとして持っていたいというのは非常に個別事情としてはよくわかるのだけれども、寄附金をいただいておいて研究をやらないのですかという素朴な意見もあります。そんなにいただいたのに、やらないで腰だめしているのですかという社会的な指摘を受けたときに、大学が本当にきちんとした説明ができるのだろうかということです。研究体制がまだできておりませんという説明をしてしまって、研究体制もできないものを寄附金もらっているのですかと言われたときに返す言葉が次にあるのかないのか、その辺も含めて、この寄附金債務の執行というのはやっぱり、まじめにと言っては失礼かもわからないけれども、執行するということを前提にして考えていただかないと、多分これは、ずっとたまっていくと思います。個々の健全な感覚が全体としては合成の誤謬ではないけれども、その辺はやっぱり気をつけていただきたいと思うのです。

    【宮内委員】

    特殊な会計処理というよりは中期計画の最終年度における特殊事情として目的積立金の執行をかなり大幅に活用されたということなのだろうと、会計処理そのものではないのだろうと思いますので、そこは整理していただいたほうがよいと思います。
    これも感想で申しわけないのですが、附属病院収益が増加したことについて、世の中の病院等がみんな減収減益に悩んでいるところで附属病院収益が上がっていくということは、それだけ大変に頑張っているという証左なのだろうと思うのですが、逆にそのことによって教員の方々が疲弊してしまって、結果として研究論文が減ってしまうというような事態になるほど、ここがあまり頑張り過ぎるというのも決していい話ではありません。だから、その辺の大学側におけるよいバランスというのですか、その辺を模索するための何らかのガイドなり何なりというのを、これは多分大学によって状況が違いますから、研究中心の大学で附属病院収益がどんどん上がっていくということは多分ないのだろうとも思うのですけれども、中核病院等においては、役割を期待されているところはやっぱり増えてしまうのだろうと思うのです。ただ、それをやっていったときに人件費との関係で、どういうバランスを保ちながらやられていくのかというのは今後の重要なテーマに多分なっていくのだろうと思いますので、そこも何かコメントをいただきたいと思います。

    【金原委員】

    去年もちょうど9月のころ、新聞報道で、先ほど出ました、会計検査院の目的積立金の使途についての話です。私がいつも感じているのは、現場にいて、やっぱり本来やるべき事業というのはたくさんあるということです。それは、すべて年度計画で吸い上げられているとは限りません。しかし、例えば学生の寮は、昭和40年代にできた古いのがあるのです。それも、夏は暑いのにクーラーも入っていません。あるいはお風呂場も、例えばお湯を張る浴槽が壊れたままである場合は、真冬でも学生さんはシャワーで過ごしているわけです。私は、これはひどいではないかと思います。やっぱり早急に資金繰りをきちんとしてやってあげなさいということも申し上げたこともあるのですけど、そうすると、予算がないという話なのです。結果的には剰余金を出しているわけです。ですから、いつも感じるのは、資金管理のプロがいないのかなというような感じがします。
    例えば月別の資金需要、あるいは年度末までの資金需要、あと収入の見通し、そういうのが的確にできるプロの会計者を育てないと、学長さんに、こういう状況です、ですから年度末までにはこのぐらい、間違いなく使えそうなのが出てきますと、そういうのが頭に入っていれば、学長さんもそういう現場の声を聞けば、やっぱりそこにお金を振り向ける、やっぱり学生のために、そういうこともできると思うのです。結果として剰余金が出てしまうのです。その辺のその改善というのは何か、文部科学省で指導するとかということはありますか。

    【金原委員】

    外部資金の非常に多いところはいいのですけれども、やっぱり文系の大学はどうしても外部資金に頼る部分が厳しいのですよね。一方においては、運営費交付金も年々減っています。そういった中で剰余金が出てくるということは、今言ったような背景があるというか、どこの大学も目的積立金をつくるのが第一命題のような、極端に言えばそういうことですが、そういうふうになされてもちょっと困るなという気がします。

    【稲永委員】

    中期目標期間の間に何を整備するのかといったマスタープランのようなものがきちんとあって、これを実現していくためのものが剰余金、目的積立金と思うのです。交付金で措置がすぐできるものは、どんどんそれでやっていく。それでも整備できないものは剰余金でやるのだときちんとしておけば、先ほどの寄附金にしても、1つの期間の中で、こういう目的にここまで達したときに順位をつけて使うのだとかという説明がしやすくなると思うのですが、大学の現場はどうなのですか。

    【宮内委員】

    使うべき目的についても、絵にかいたもちで終わる可能性があるわけですよ。そんなものがいっぱい出てきてしまったら、何だ、絵にかいたもちで今まで会計をやっていたのかというふうに言われかねません。僕は事実に基づいて会計はやるべきだと思っていますから、出てしまった利益に対してどう使うかというのは一度社会的批判を受けた上で決めていく話ですから、それはそれでちゃんと世の中のフィルターを通っていると思うのだけど、ここはフィルターにかからないようにしてしまっていますから、社会との関係でいくと危険な感じがします。

    【宮内委員】

    これから使います、使うから、まだ使っていませんから収益には上げません。基本的に期間進行基準にするということは、いただいたものについてはこの年度で使うということを前提に、多分運営費交付金の積算も、この年度で使うということを前提に積算されているはずなのです。なのに、そのうち使わないものを自分で決めてしまうというのはおかしくないかというのが私の指摘です。
    これはこれで、そういうやり方を今回導入してきたのか前からあったのかわかりませんけれども、出てきて、これがどんどん増えていってしまうと、これはまたやっぱり問題にされる可能性は大いにあると思います。

    【金原委員】

    隠し財源ではないですけど、キャッシュフローでいわゆる有価証券の部分が、かなり額が大きいですよね。購入と売却です。この辺も一般国民からするとかなり、これも余裕があるのではないかという話になるのではないでしょうか。

    http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/kokuritu/004/gijiroku/1312910.htm

    2011年11月7日月曜日

    親と就活

    「教育ななめ読み」梨戸茂史(文部科学教育通信 No278 2011.10.24)からの引用です。


    入学式に親が出て話題になったがもうずっと昔のこと。考えてみれば、中学受験あるいは、小学校や幼稚園などの「お受験」から、親が叱咤激励して、一緒になって勝ち取った「ゴール」が超難関大学の合格だったのだから、親が晴れがましく思ったとて無理のないところ。ところが今や大学全人時代で、普通の大学合格くらいでは感動はない。次なるターゲットはちゃんと就職できるかだ。

    まずは、雇用条件が大きく変化している。昔のように「大卒印エリート」ではなくなった。もちろん同世代の五割が大学に行く時代、かつての高卒市場を大卒者が占めることにいささかの敗北感もない。就職が難しいというのには、不況もあるが、雇用形態の変化も大きい。親の時代の終身雇用から、今は一時雇用、派遣社員など形態が変化した。その上、工場が海外に移転して就職しようにも職場がない。事務系だって仕事はコンピューターやら集約化など人が多くはいらない時代。いきおい販売など入手のいる部門に流れる。

    親の役割は、会社選びから始まって、自分の経験を踏まえた面接アドバイスなど、これも「受験」パターンに近いものがある。ただし、親の知っている「有名企業」やテレビなどのコマーシャルで名前の売れた企業を”推薦”してしまう危険や、その結果、子どもが大都会に就職して親元に帰らない心配も出る。

    だから晴れて「地元」の一流企業などに入れたら、子どもは地元に住んでくれるし、うれしくなって入社式まで行こうという気持ちにもなるのであろうか。九月二日付の読売新聞によると、静岡銀行の頭取の入社式のあいさつが「新人社員の皆様、ご家族の皆様、本日はおめでとうございます・・・」と始まったのを紹介している。大学生を見ていると、幼くて高校生の延長に見えるし言動はまだ子どもを引きずる。でも、この銀行、考え方が面白い。そこまで親が出てくるならと逆手に取ったかどうか知らないが、二OO七年から入社式に親を招き始めた。発想は「社員の成長には家族の支援が不可欠だ」という。親を見れば子がわかるというから、そのうち面接で親も一緒にするところも出るかもしれぬ。

    同記事では、兵庫県の大手前大学のキャリアサポート室が「保護者のための就職ガイドブック」を二OO九年に作成、配布したそうだ。

    帝京大学の八王子キャンパスは、新入生の親を対象にした説明会まで開いているとのこと。そこでは「・・・入学前の三月、「就職戦線を勝ち抜くための『親の就活学』」と題し、キャリア教育担当教員らが企業が求める人材像や親の心得などを伝えている」。”入学前”というのは恐れ入る。もっともその時期に出席して話を聞いたら”面倒見がいい”と思ってしまいますよね。

    大学も、学生より親にアッピールするほうが学生を集めやすい。親も授業料を払う以上、言いたいことも言うし要求もする。でも実際に就職が内定するのは四年生も後半になってからということも少なくない。

    国立大学で就職率一番は福井大学だ。それも四年連続。卒業生が一千ニ百人という規模は学生を細かくフォローできる。携帯に求人情報を流したり、返信がなければ呼び出したり訪問して面談までしているそうだから相当力が入っている。

    それと地元企業との連携も効果がありそうだ。学生はテレビコマーシャルなどで有名企業を志望するけれど、実際は地元にも優秀な面白い企業が少なくないのが福井県だ。そこを上手に紹介したり、インターン制度などを使うと学生も新たな目が開かれるのだろう。この地元の優良会社探しというのは、親もよく知っているし、良いアイディアだ。まだ「親」まで出てこないが、「就活」にも、国立大学は対応の時代ですね。

    2011年11月6日日曜日

    しあわせ運べるように

    東日本大震災:被災地応援歌、心一つに合唱-神戸市立盲学校文化祭(2011年11月4日 毎日新聞)

    ◇音楽の力で元気届けたい♪

    音楽の力で被災地に元気を送りたい--。神戸市中央区の市立盲学校で3日に行われた文化祭で、全校生徒ら54人に歌詞を募集して作った東日本大震災の被災地応援歌「歌おう一つになれるように」を生徒と教職員らが合唱、集まった保護者や卒業生ら約200人を前に、心を一つにして歌い上げた。近く録音し、岩手、宮城、福島3県の盲学校へ届けられる。

    阪神大震災(95年)では、全国の盲学校職員らが同校を訪れ支援した経緯から「今度は自分たちができる支援でお返ししなければ」と生徒らが歌での支援を提案。生徒らから集めた詞を生徒会が歌詞にまとめ、以前から交流のあったNPO法人「国際音楽協会」の張文乃理事長に作曲を依頼した。

    この日は文化祭の一環で、同校の幼稚部から高等部の生徒らと教職員約100人が参加。張理事長の伴奏に合わせて歌声を披露した。音楽の授業や休み時間などを使って練習した息の合った歌声に、来場者からは大きな拍手が送られた。

    <歌おう一つになれるように/きみが前に進めるように>

    生徒らはこの歌と、被災地の校歌や阪神大震災の復興歌「しあわせ運べるように」など計8曲を録音し、12月上旬に被災地の盲学校へ送る。同校の増田和幸教頭は「生徒らが心を込めて歌った歌が、被災地の生徒らの心を少しでも癒やしてくれればうれしい」と話していた。

    iv>

    東北の皆さん、今はまだ『復興』なんて信じられないかも知れませ­んが、十六年前の神戸もそうでした。大阪から大好きだった神戸の­街に支援に入った時『神戸が死んでしまった』と思ってしまいまし­たが、深く深く傷付いたけど決して死んではいませんでした。だか­ら『希望』を持って、少しづつ少しづつでいいから一歩一歩前に進­んでいけるように祈っています。不幸にも亡くされた命の多さを知­るに皆様の辛さを思い涙を禁じえませんが、この曲の歌詞にもある­ように生きている皆様が一日一日を大切に生きて行かれる事が何よ­りの供養だと思います。皆様が持った『希望』が次世代の子供達に­受け継がれ、地震にも津波にも負けない絆を創り、傷付いた街を強­く蘇らせてくれると信じています。そして本当に『幸せを運んでく­れる東北』になってくれる日を信じて待っています。(You Tubeから)

    2011年11月4日金曜日

    国立大学法人の改革推進状況(平成22年度)

    国立大学法人等の平成22年度に係る業務の実績に関する評価の結果が確定したことについては、既にこの日記でもご紹介したところですが、この評価結果の確定に合わせ、文部科学省は、各国立大学法人の平成22年度の各種取組みのうち、注目すべき取組みをまとめて公表しています。

    (関連過去記事)国立大学法人の2010年度評価結果決定(2011年10月28日)

    各国立大学法人が国立大学法人評価委員会に提出した平成22年度の実績報告書に記載された膨大な取り組みの中から抽出されているだけあって、いずれも素晴らしい改革事例です。多くの大学で実施可能なものも多く、他大学の事例と割り切らずに、積極的に取り入れてはいかがでしょうか。

    国立大学法人・大学共同利用機関法人の改革推進状況(平成22年度)(平成23年10月27日 国立大学法人評価委員会)

    (参考)
    国立大学法人・大学共同利用機関法人の改革推進状況(第1期中期目標期間)(平成23年5月24日 国立大学法人評価委員会)

    2011年11月2日水曜日

    国立大学の復興と再生に向けて

    東日本大震災の発生から7か月ほど経ちましたが、テレビの画面から見る変わらない現地の姿に、あらためて被害の甚大さを実感させられます。港にあった大きな倉庫や事業所などは津波で流され、未だにコンクリートの基礎だけになっていたり、ねじ曲がって赤さびた鉄骨だけになっています。ガレキを満載したトラックが頻繁に行き交っています。被災地の復興に向けた取り組みが少しでも早く進むことを願ってやみません。

    さて、東日本大震災では、被災地にある国立大学も大きな被害を受けました。しかし、多くの関係者が力を結集して再生に向け取り組んでいます。このたび、国立大学協会から、「復興と再生に向けて」と題する協会情報誌 JANU の「震災特別号」が発行されました。まだ、国立大学協会のホームページに掲載されていないようですので、少々見づらいかもしれませんが、全ページご紹介したいと思います。

    被災大学からのメッセージ



    2011.3.11 東日本大震災により被災地にある国立大学も被害を受けました。






    大学は、被災者の救援活動に努めるとともに、
    被災地への緊急的な支援のために、
    全国から集まる支援物資を届け、
    被災者たちを構内に受け入れました。
    生活が安定を取り戻しつつある中、
    大学では講義や研究等を再開するための準備を進めました。
    また、被災地の復旧のために学生たちは
    被災直後から活発にボランティア活動を行いました。
    5月には全ての大学で教育・研究活動が再開し、
    これまでどおりの活動を行っています。






    被災地の国立大学は、未来に向けて立ち上がり、
    地域社会の復興と再生に向けて
    引き続き努力していきます。



    東日本大震災と国立大学の医療支援




    全国の国立大学は、医療支援活動のために、
    多くの医療チームを、被災地に派遣しました。






    国立大学は、震災直後から救急医療チームを派遣し、
    その後も継続的に多彩な医療人材を派遣することで、
    被災地の医療を支えています。



    国立大学の学生ボランティア




    国立大学生たちは、被災直後より積極的に
    ボランティア活動を行っています。






    教員養成系大学をはじめとして各国立大学の学生達は、
    被災地の学習支援のためにボランティア活動を行っています。



    被災地の復興を支えるための人材を
    国立大学は輩出しています。

    2011年11月1日火曜日

    希望の種を蒔く

    今日から11月。今年もわずかになりました。今日は、昨日アップされた「野田総理官邸ブログ」にとてもいい記事がありましたので抜粋してご紹介します。タイトルは「希望をつくる覚悟と器量」です。


    希望を失わず、困難を乗り越え、試練を乗り越えていく、そんな人生を歩んでいきたいものです。

    今回の演説の最後で、大越桂(おおごえ かつら)さんの詩を引用させていただきました。

    私がこの詩を知ったのは、震災から二ヶ月後頃だったでしょうか、とある新聞記事で彼女のことが載っていたのを拝見してからです。彼女のことを知れば知るほど、畏敬の念を感じずにはいられませんでした。障害を抱え、声も失い、十三歳で筆談を知るまで、言葉で意思を伝えることができなかったそうです。それまでの頃を「私は石だった」としつつ、「でも、母や周りのおかげで、人にしてもらった」と語った言葉を忘れることができません。

    演説で引用させていただいた「花の冠」という詩ですが、一読して、その中の言葉が実に温かいな、という印象を受けました。合唱曲になったこの詩を聴いて、改めてそうした思いを強くしました。そして、こうした境遇のもとにありながらも、これだけ温かい言葉を紡ぐことができることに強く心を打たれました。ご家族の献身的な支えとそれに対する感謝の念が確かに響きあっているように思います。

    人が生きることへの確かな希望は、互いに支え合う中で生まれるということではないでしょうか。「希望」は、そのことを確認する中で生まれていくように思います。

    演説の後、大越さん御本人から、「希望の種を蒔き、花を咲かせる総理大臣は『はなさかそうり』ですね!」と激励のメッセージが届きました。そうした存在になれるように、私自身も含め、政治家としての「覚悟と器量」を、これからの国会審議や「実行」の中で明らかにしていければ、と思っています。平成23年10月31日 内閣総理大臣 野田佳彦

    http://kawaraban.kantei.go.jp/2011/10/20111031.html




    (関連記事)

    2011年10月31日月曜日

    財務省の論理は国民に理解されうるものか

    去る10月18日、「予算編成に関する政府・与党会議」が設置され、「日本再生重点化措置」要望に係る作業が動き始めるなど、政府の平成24年度予算の編成作業もそろそろ山場を迎えつつあるようです。

    そのような中、国立大学協会など文教関係団体の予算獲得に向けた動きも目に付くようになりました。来年度の当初予算は、東日本大震災の復興予算の確保をはじめ、取り巻く経済財政状況も加味した極めて厳しいものになることが当然ながら予想されるため、文部科学省関係予算、とりわけ高等教育関係予算も、これまでのように、“結果としてはそこそこ満足いくものになった”というわけにはいかないように思われます。

    さて、国の予算を実質的に編成する力を持っているのはご存じのとおり「財務省」ですが、編成に当たって財務省はどのような考え方を持っているのかを知っておくことは、予算の要求省庁のみならず、一般国民にとってもとても重要なことではないかと思います。特に教育予算の動向は、家計にも大きな影響を与える可能性が高く注視しておく必要があります。

    そこで、今回は、財務省主計局主計官の神田眞人さんが、財務省の広報誌「ファイナンス」(2011年6月)に寄稿した論考「強い文教、強い科技 序説-客観的視座からの土俵設定-」を抜粋してご紹介したいと思います。

    この論考、どれだけの国民の皆さんが目を通されたかはわかりませんが、個人的な感想をまず申し上げれば、様々なバックデータを基にした論理展開に、いちいち納得はできるものの、何か釈然としない後味の悪さが残るものでした。主張は、相変わらず一貫して財務省特有の経済原理主義に基づくもので、裕福な家庭に育ち、高い教育をうけてきた官僚的発想としてはこんなものだろうという感じがしました。厳しい社会経済情勢の中で、明日の仕事や生活をどうしていくかといったことに日々悩む国民の目線からはほど遠い内容だったと思います。

    財務省をはじめ、霞が関のお役人さん方は、我が国の将来を背負う素晴らしい仕事を、昼夜の別なく懸命に行っておられると思います。しかし、今回の論考は、よく言われる机上論で物事を考えたもの、現場をおもんばかる気持ちを感じ取ることができないものではなかったかと思います。財務省の主計官という立場にあり、このような内容にならざるを得ないのかもしれませんが、数理的な発想だけではなく、もっと生身の人間の心に染み透るような元気のでる言葉がほしかったと思います。

    財務省の役人として、この国や政治家を動かしているという気概があるのであれば、また、予算の規模ではなく配分された予算の使い方に問題があると認識されておられるのならば、霞が関詣でをする一部の学者や団体等の話を聴くだけでなく、ぜひとも教育現場へ自ら出向いて、次代を担う人間を一生懸命育てている親、教員、職員、地域住民、そして何より子ども本人や学生本人から、生の声、真実の声を聴いてほしいと思います。そのうえで、今回のような論考を書かれるべきではなかったかと思います。霞が関の空気や水だけで生きていては、現場のことはわかったつもりになるだけで、現場で生きたお金の使い方ができるようにはならないと思います。

    今回ご紹介する論考は、神田主計官の私見をベースに書かれてあるようですが、ここ数代の主計官の論理とさほど変わっていないように思えます。したがって、財務省の公式見解と受け止めても大きな問題はないでしょう。教育予算に関する論理は、こういった業界誌において一方的に主張するのではなく、新聞などの公共的媒体を通じて広く国民に開陳すべきだと思います。そして財務省の論理と国民の目線が乖離していないかどうかについて、国民から意見を聴き検証することを通じて、税金が生き金として使われるようになっていくのではないでしょうか。

    総 論

    1 はじめに

    (1)文教、科学技術が大切なのは当然だ。(以下略)

    (2)それにしても、これだけの重要性がありながら、どうしてこれまで議論が深まりにくかったのだろうか。戦後、イデオロギー対立が激しく、具体的な政策論を建設的に闘わせる土俵が見出せなかったこと、GHQ・GSによる教育改革が極めて「民主的」、分権的であり、大きな方向転換が困難な構造となったこと、そもそも、戦中・戦前の「国家教育」と戦後の「民主教育」の非連続性が著しく、一般国民が虚無的になると共に、物質的成功に関心を集中したことなどが挙げられる。

    この分野の特殊性は、小生の経験から整理すると、下記の通りである。

    1)いずれも「偉い先生」の世界であり、外部からの批判も内部の相互批判によるピアプレッシャーも他に比べると難しいところがある。文教・科技に関わる方々は、大学の学長、ノーベル賞学者、文化勲章受章者、オリンピックメダリスト、そして、学校の先生方と、卓越した存在であり、社会的地位も高い。また、学問が専門化、細分化される中、昔の博物学者の時代と異なり、分野外からの批判が困難になってきている。更に、学者にしろ、芸術家、スポーツ選手にしろ、日本の名誉を背負って世界でトップを目指してもらわなくてはならないが、逆に、それぞれ、自分のやっていることがこの世で最も重要だと考えがちになってしまうのもやむをえないことである。高度な専門性や大学の自治、学問の自由といった概念に守られ、情報開示も不十分なところがある。

    そのため、競争や優先順位づけが難しい構造にある。このままでは、横並び、水脹れの膨張になったり、質を高めるインセンティヴを弱めてしまうので、成果(アウトカム)についてアカウンタブルな世界に転換し、情報公開も充実することによって、健全な競争環境にすることが必要ではないか。そして、その競争の際に、長期的な視座を失わず、リスクアバースにもならないようにし、また、価値観の多様性も育むべきではないかと思われる。

    2)これまで投入量(予算の「高さ」)の議論に逃げ、資源配分や質の議論が蔑ろにされる傾向があった。危機的状況にある財政にもかかわらず、かなりの優遇をしてきたものの、成果がよくみえないし、資源制約を前提としない環境であると、効果的、効率的な施策を考えるインセンティヴが弱くなる。昔、防衛費やODAでGDP何%という議論があったが、今、そのような主張が残っているのは、教育や科学技術だけであり、選択と集中、質の向上といった議論がみえにくい点でかなり異質な世界となっている。また、量的保証の下で分配すると、施策の重複、モラルハザード、逆選択のリスクも高くなる。

    3)長らく、入り口のイデオロギー対立に閉ざされて、抽象論が走り、具体的な議論が低調であったのではないか。施策と成果についてデータに基づいた議論も論文も著しく少ない。そもそも、学力についての経年データが十分に存在しない。しかも、政策の方向についての議論も不十分であり、例えば、就学支援というとき、裕福な家庭や怠惰な生徒を含めたバラマキではなく、貧困家庭でも頑張って良い成績をとれば、社会が教育の機会を守る、といった真の公平性が追求されても良いはずだが、そういった議論は低調であった。こうした状況の中で、デジタル教科書等、教育のICT化といった議論が、商業的要請からも強く主張されることもあったが、コンピュータディスプレイではなく人間どうしで向き合う機会の大切さ、特に集団的に共存しあう訓練の必要性、読み書き算盤といった基礎修練の重要性も認識され、文科省でもしっかりした議論がなされる可能性がでてきたことは歓迎できる。要は、政策のプロコンをしっかりと丁寧に議論していくことに尽きる。

    4)凝集力が高く閉鎖的なプロの世界で議論が完結することが多く、幅広い視座が欠如する嫌いがあった。例えば、地域の主体性(オーナーシップ)から生まれる革新のダイナミズムを惹起できないか、民間企業も科学技術にもっと貢献する余地があるのではないか、といった議論は、最近ようやく惹起してきたにすぎない。

    各 論

    2 高等教育

    次に高等教育について考えてみたい。我が国は高等教育に十分な公財政支出をしていないとの論調が時に聞かれる。確かに、GDP比で見た場合、我が国の高等教育に関する公財政支出は低い水準のように見えるが、私費負担も併せて考えれば、主要先進国と遜色のない水準であり、国全体としてみれば、決して高等教育を蔑ろにはしてはいないことが見て取れる。

    予算的にみても、高等教育に厳しい削減を行っているわけでは全くない。平成16年の我が国の国立大学の法人化以降の主要な高等教育予算の増減について、社会保障関係費を除いた一般歳出と比較すると、他の歳出よりも高等教育予算に対して多大の配慮がなされてきているのがわかる。

    しかし、一方で高等教育に対して、社会のニーズを汲み取っていない、魅力的な大学になっていない、国際競争力の低下等の批判や研究費等の基盤的経費が不足している等の不満も聞こえてきている。

    そこで、平成23年度から特に国立大学を対象に、時代の要請に応える人材育成及び限られた資源を効率的に活用し、全体として質の高い教育を実施するため、大学における機能別分化・連携の推進、教育の質保証、組織の見直しを含めた大学改革を強力に進めることとした。以下では、その背景、改革の必要性等について詳述することとしたい。

    (1)国立大学

    1)まず、国立大学について述べると、大学の経営は苦しい、これ以上の運営費交付金の削減は大学の基盤そのものを劣化させる等とよく耳にするが、決算ベースの収入金額を見てみると実は毎年増加している。平成16年度の国立大学法人化時は2兆4,707億円であったが、直近の決算データの平成21年度は2兆8,862億円となっており、4千億円も増加している。これは、自己収入、補助金収入や競争的資金等による大学の資金獲得努力によるところが大きいと思われる。

    2)支出ベースで見ても、国大法人化以降3,400億円増加しており、特に基盤となる教育研究費は平成16年度約3,400億円から平成21年度約4,500億円と約1,100億円増加している。同様に支出の太宗を占める人件費や事務処理上必要な一般管理費も増加している。

    しかし、使える金額が増えているのに大学側の不満は減らないどころか寧ろ増えているのが実情である。何故不満が減らないかといえば、つまるところ配分の問題ではないかと思われる。わかりやすくいえば、競争的資金の獲得しやすい一部の理工系や医薬系は増加するが、文系学部や教育系あるいは理系でも基礎研究系の一部については競争的資金が回って来にくい。では、競争的資金等を減らして、使途が自由な運営費交付金を増やせばよいのかといえば、そう単純に事が解決するわけではない。競争原理が薄れてしまい、研究意欲の衰退の虞があるばかりか、今後の大学を取り巻く状況からメリハリの効いた効率的な配分による大学改革を進めなくてはいけないが、これにも水を差すこととなりかねない。限られた資金を如何に有効に使うか問われているのであり、現在、文部科学省、各大学法人及び国大協等で検討している大学改革の方策が待たれるところである。

    3)教職員数についてみてみると、学校基本調査によれば、少子化の影響もあり国立大学の学生数は減少しているにもかかわらず、教員も職員も増加を続けている。

    諸外国に比べて教職員の数が少ないのではという主張もあるが、OECD「図表でみる教育2010版」によれば、教員と学生の割合でみれば、むしろ日本の教育環境は恵まれている。

    4)諸外国との比較について、財政面でみると、国立大学生1人当たりの公財政支出等はG5の中でもトップクラスである。

    5)このように見ていくと、我が国の財政支出が少ないというよりも、何処かに無駄があり、効率的な体制がとられていないのではないか、配分に問題があるのではないかとの疑問も浮かびあがる。よくいわれている具体例をあげてみることにしよう。

    ア)まず、学生に対する教員割合が他学部に比べ2倍となっている教員養成系大学である。公立学校教員採用者のうち教員養成系大学卒業者のシェアを平成13年と平成22年で比較してみると小学校59%→41%、中学校35%→27%、高等学校16%→となっており、公立学校の教員採用における人材供給ルートの観点で見た場合でも国立大学の教員養成学部より一般大学の方が全ての区分において上回り、全体で採用者のうち教員養成系国立大学の占める割合は31%程度にしか過ぎず、その存在意義は明らかに低下している。一方、卒業者の進路をみると平成22年3月教員養成系大学卒業者15,899人のうち教員就職者は7,113人であり教員就職率は44.7%であった。また、大学所在都道府県の教員となった割合でみれば、27.5%(4,372人)に過ぎず、各都道府県に一つ以上教員養成大学を設置しておく必要性が問われてきている。

    イ)次に法科大学院である。後で述べる私大も含めた話となるが、昨年の司法試験合格率は25.4%であり、法科大学院志願者数や募集定員に対する志願倍率は、低下傾向に歯止めがかからない状況にある。司法試験合格者率が10%未満の大学が17校、司法試験合格者が10人未満の大学が35校、中には合格者がゼロだった大学も複数あり、既に深刻な問題となっている。文部科学省において今年度の司法試験の結果から法科大学院への公的支援の見直しを行うことを発表しているが、結果の出ない大学は、受験生からも見放され自然淘汰に向かうのが必然的な流れとなっている。

    6)以上の例に限らず、選択と集中によって統廃合も視野に入れて大学改革をしていかないと受験生や社会のニーズに応えられないし、効率的な運営もできない。その一つの表れとして国際競争力の話がある。タイムズ・ハイヤーエジュケーション(THES)で世界大学ランキングを公表しているが、2010年の資料によると東京大学が26位に落ち、香港大学(21位)に抜かれアジアで1番でなくなった。京都大学を始めとして他の大学は50番以下に落ちている。ちなみにトムソン・ロイターが発表している被引用論文数の世界研究機関ランキングにおいても今年4月公表されたものをみると東京大学が11位から13位へ後退しているのを始めとして各大学軒並みランキングを落としている。もちろん、ランキングはその順位を決めるファクターによるので、一概に大学の良し悪しを言うこともできないが、少なくとも国際競争力や大学としての存在意義を持ち続けるためには、各都道府県に同じような大学をつくるのでなく、競争力を持った先端の教育研究を行う大学と地域に根ざしたコミュニティカレッジのような大学とに分化・特化していくことも含め大胆な大学改革が必要となってきている。

    7)大学評価については、国立大学の法人化以降、国立大学法人評価委員会や独立行政法人大学評価・学位授与機構等の認証評価機関による事後評価の比重が高まっている。国立大学法人の場合は、国の政策としての中期目標、各国立大学法人が定める中期計画等に対してその達成度から評価が行われている。

    評価の重要性はどの分野においても言われていることであるし、膨大な文献が出ているので、本稿ではごく簡潔に記すが、重要なことは、評価は大学の教育・研究の質の保証をするものであり、その質の向上に繋げていくものでなくてはならないことである。従って、留学生の数や論文数といった指標による量の問題は客観的指標として不可欠ではあるが、それだけでは不十分であり、大学が進化していくための大学改革の指針となるものにしていかなくてはならない。

    日本より高等教育の評価についての歴史と実績のあるイギリスにおいては、研究評価(Research Assessment Exercise:RAE)を実施し、高等教育が最も効率的に効果をあげる方法は、研究費の重点配分であるとして、評価成績に応じて政府の研究費が傾斜配分されている。これについては、賛否両論あるが、高等教育の質の向上につながったという見解が多い。

    日本の国立大学法人においても第1期中期目標期間終了に合わせ、文部科学省において平成22年度からの運営費交付金に対して評価反映を行い、一般管理費相当額の約1%程度(16億円)を評価反映分の原資として再配分したところであるが、トップの評価を受けた奈良先端科学技術大学院大学ですら400万円の増額に過ぎず、最下位の評価を受けた弘前大学も700万円の減額程度であったこともあり、評価の反映という観点からすれば、対外的な評判以外には大学運営上の効果が少なかったという意見もある。次回の評価反映時には、もっとメリハリを効かせ大学改革をより強力に推進する必要があろう。

    また、日本の評価制度は、欧米諸国に比べて歴史も浅く、評価手法も発展途上であり、公正な評価ができるのかという不満も耳にするが、第三者評価による競争原理を導入した客観的評価が、不完全でも現状では他に変わりうるものがない最良の手法と考えられている。高等教育の更なる活性化のため、限られた条件の下では一部の大学の学長が行っているような学内資源の再配分を決定するインセンティブ方式(予算執行の自由と責任を部局に持たせ、その業績を評価して予算を増減していく方式)等による競争的評価がこれからは重要となってくる。事後評価だけでなく、科学技術研究費補助金やGP予算等の競争的資金の採択のための事前評価も競争的評価であり、高等教育の質の向上に貢献しているといえよう。

    8)昨年12月英国で大学の授業料を3倍にする法案が可決されデモが起き、イタリアでも同様なことが起きた。日本の財政事情からすれば、将来日本でも起こらないとはいえないことであった。日本の国立大学の場合は、「国立大学等の授業料その他の費用に関する省令」に定める標準額(535,800円)の120%の範囲内で授業料等を決定できることとなっているが、全ての国立大学の学部が標準額をそのまま授業料としている。先端施設を用意して国際的にもトップを目指し、良質かつ高度な教育を行うということであれば、多少授業料が高くても学生が集まるだろう。ちなみに、貧しいけれど学習意欲と能力のある学生は授業料減免や奨学金の制度があるから授業料の値上げはさほど問題にはならないと考えられる。このように単に値上げするのでなく、目的をもって大学改革を進めていけば、英国や伊国のようなデモが起きないだけでなく、大学のイニシアティブを持った競争化が進むかもしれない。

    3 奨学金

    次に奨学金の問題について考えてみたい。教育機会を広く国民に保証し、教育の機会均等を実現していく上で、奨学金制度が重要な役割を果たすことは言うまでもない。近年、奨学金制度は格段に充実が図られてきており、足元で学生数が既に減少に向かう中で、大学生等の3人に一人は日本学生支援機構が提供している奨学金を受給しているのが実態である。

    この水準を十分と見るか否かについては、色々な議論があるが、現状を正しく認識することが議論の出発点であり、以下で基礎的なデータに基づいて、奨学金を巡る論点を紹介しておくこととしたい。

    1)まず、大卒と高卒で、どれほどの生涯賃金の差が生ずるかを見てみよう。大学を卒業すれば、8,000万円程度余分に自分の収入に帰着する点に着目すれば、大学進学は、一種の自己投資の側面を有することとなる。大学における教育のあり方そのものが社会への貢献度という点で真に評価すべきものとなっているかについては、前項でも述べたとおり議論の余地はあるが、少なくとも社会全体として、大卒者に対して相応の価値を置いていることは否定しがたい。既に大学進学率は5割を超え、少子化の進行に伴う大学全入時代もすぐそこに来ていることも勘案すれば、大学進学者の増加に伴う社会的な付加価値の増加による国力の増加という側面もあるにせよ、大学在籍に伴う費用を国民からの税金で全て負担すべきとの議論には、受益者負担の原則からやはり組みしがたいこととなる。

    2)次に奨学金受給者の実態を見てみよう。日本学生支援機構の提供する奨学金事業は、無利子と有利子から構成されるが、いずれも年収要件等の受給要件を課している。限られた財源事情の下で、資源を最大限有効に活用し、真に支援すべきものに重点的に資源配分を行うとの観点から、受給資格を制限することが合理的であるが、問題はその制限のあり方である。

    年収制限については、国大私大の別、自宅通学かそれ以外か、世帯の家族構成がどうであるか等によりきめ細かく設定されているが、私大、自宅通学、給与所得者4人世帯のモデルケースをとれば、無利子で収入966万円、有利子で1,218万円以下であることが要件となっている。総務省の家計調査による平成22年の平均世帯収入は625万円(月平均52万円)、より厳密に大学生の両親の年齢も考慮した40代から50代の給与所得者世帯の平均世帯収入は、これより更に高く、それぞれ698万円(月額58万円)、700万円(月額58万円)となっており、これらよりもかなり高いところが上限とされていることになる。

    実際の受給者の家計の状況を見ると、こうした平均収入以上の世帯が半数近く占めているのが実態となっている。

    学費や特に自宅外の場合の仕送り等に相応の保護者負担が生じていることはよく指摘されるが、例えば、「東京」で学びたい、学費が高くても、少しでも有名な大学に通わせたいといった本人或いは保護者の選好による大学選択の側面も一概には否定できない。そうしたブランド選好的な負担に対してまで、奨学金でカバーできるようにすべきというのは、貴重な血税を原資とする以上、行き過ぎた主張の感がある。実際に、地方大学等の改革が伴わないままで、奨学金の対象範囲を拡充することが、却って首都圏等の大学への進学傾向を強め、却って地方大学等の活力や地域における人材養成のダイナミズムを難しくしてしまうといった悪循環が起きてしまうとすれば、それは決して望ましい結果とは言えないのではなかろうか。寧ろ、医学部に地域枠を設けて、地元での地域医療に卒業後、従事して頂く代わりに、受益する地方が奨学金を出すといった取組みを推進する方が好ましいのではないか。

    また、あくまで家計基準は、直近の年収をベースとした基準であり、我が国においては、一般に自分の子どもに対して自分の責任、負担で大学に進学させたいという親の意向が強いとも考えられる中で、どれだけ親が子どもの大学進学を予想して、貯蓄行動に出ているかといった実証的なデータもあわせて本来考えるべきとも考えられる。

    いずれにしても、奨学金の支給に係る年収制限のあり方が適正なものであるかどうかについては、「教育機会を広く保証する」との抽象論に留まることなく、絶えず実証的なデータに基づいて検証されるべきであろう。

    この点、東京大学に入学する学生の両親の年収が高く、1,000万超が半分ということが殊更に強調されて報道されることもあってか、貧しい層の高等教育機会の確保をもっと図るべきといった主張もありうるが、そうであれば、年収要件を更に強化する選択肢も検討されて然るべきと考えられよう。

    更には成績要件のあり方についても議論の余地がある。特に、貸与条件の良い無利子貸付の場合、成績要件は、入学時に高校成績のGPAが3.5以上、その後は学部内で上位3分の1以内とされている。大学の教育の質といった面で全く異なる大学、学部間で、どの大学の学部内でも上位3分の1以内であれば可とする現行の方式が本当に良いのかは、成績優秀者の絶対的な尺度、基準をどのように設定するのかといった技術的困難さの問題はあるにせよ、国民目線に立てば、公平な成績要件を追求すべきであろう。

    3)最後に、奨学金が本当に有効に使われているのかといった観点の分析も重要となる。奨学金自体に使途の制限はないが、奨学金の存在自体が、余計な支出を誘引しているとすれば問題であり、この点に関しての分析も必要ではなかろうか。現に、奨学金受給者の方が、非受給者より海外旅行等の遊興費に支出する傾向が見られることを指摘する研究もあり、こうした分析の精緻化についても奨学金を巡る議論に当たっては、留意すべきと考えられる。

    以上、奨学金拡充論に係る論点をいくつか提示してきたが、重要なことは、要すれば、どういう層がどういう面で、教育機会の喪失というリスクに晒されているのか、逆の視点からすれば、奨学金政策が教育の機会均等の観点から具体的にどのような政策効果を齎しているのかといった観点から、単なる抽象論に留まらない、実証的で説得力のある分析の上に立った政策論議が求められるということである。この点で、奨学金政策に関して、我が国で十分な議論がこれまで積み重ねられてきたかについては、正直心許ないのではないかというのが筆者の率直な思いである。私見では、奨学金は社会構造の格差是正と向学心改善に寄与すべきであり、限られた資源は、可能な限り、貧しい家庭でありながら、頑張って非常に良い成績をとった方に集中することが、公正に適うと共に、効果的なインセンティヴとなると考えるが、いかがであろうか。

    2011年10月28日金曜日

    動物実験に係る体制の整備を

    動物実験の適正な実施や実験動物の飼育及び保管については、文部科学省が行った「研究機関等における動物実験に係る体制整備の状況等に関する調査」により、一部の国立大学において動物実験に係る体制整備が不十分である現状が判明しています。

    これらのことから、昨日(10月27日)付で、国立大学協会から各国立大学宛、動物実験に係る体制整備の徹底について、以下のような依頼が行われていますのでご紹介します。


    動物実験に係る体制の整備について(依頼)

    動物実験の適正な実施や実験動物の飼育及び保管に関しては、「研究機関等における動物実験等の実施に関する基本指針」(平成18年文部科学省告示71号)に基づき適正に実施することが求められております。

    この実施状況について、本年6月に文部科学省が「研究機関等における動物実験に係る体制整備の状況等に関する調査」を行い、一部国立大学において、必要な学内規定の策定やそれに基づく組織や計画の策定、また、教育訓練の実施、自己点検評価、情報公開等への取組が不十分な状況が散見されます。

    現在、文部科学省から9月28日付でこの指針に沿った体制整備について依頼がされている所ですが、本委員会としても、改めて動物実験や実験動物の飼育及び保管の適正な実施について強くお願い申し上げます。

    また、政府の中央環境審議会動物愛護部会で、動物愛護管理の制度の見直しに係る検討が行われており、国立大学に関する論点としては、実験動物生産業者の動物取扱業への業種追加の検討、3Rの更なる推進(代替法、使用数の削減、苦痛の軽減の実効性確保の検討)、動物実験施設の届出制等の検討が含まれています。

    今後、検討結果をもとに本年11月にパブリックコメントを行った上で、12月に「動物愛護管理のあり方検討報告書」として決定し、必要がある場合には、報告書の内容を反映した「動物の愛護及び管理に関する法律」の改正を、平成24年の通常国会に提出することとなっております。

    前述の大学における基本指針の対応が不徹底な状況が続けば、この改正に合わせて、動物実験等に関し厳しい制約や運用を求められる可能性が高く、すべての大学・研究機関の研究活動に大きな影響が出て、国際競争が著しい中、わが国の研究力の大幅な低下も懸念されますので、重ねて体制整備の徹底を頂きますようお願い申し上げます。