2017年8月31日木曜日

記事紹介|定型の沖縄論の空疎さ

世上の沖縄論は「平和の島」「癒(いや)しの島」などの定型句が目立つ。かたやネット上には「基地で潤っている」「補助金泥棒」といった偏見もある。この種の沖縄論は、なぜかくも空疎なのか。

理由の一つは、単なる知識不足だ。米軍基地の7割が集中する沖縄だが、県民総所得に占める基地関連収入は5%にすぎない。基地返還跡地を再開発した地区では、直接経済効果が返還前の平均28倍であり、基地はむしろ発展を阻害している〈1〉。国からの財政移転は都道府県中12位で、特段に高くはない〈2〉。

一方で沖縄の貧困は深刻だ。1人当たり県民所得は最下位、非正規雇用は45%で全国一。沖縄に多いコールセンターや観光業、飲食業は一般に賃金が低い。本土労働者の典型像は「年収300万~400万」の製造業従事者だが、沖縄のそれは「年収55万~99万」の飲食・宿泊業だ〈3〉。沖縄在住の作家である仲村清司は、「子どもの貧困率が全国平均の2倍に達し、3人に1人が貧困状態」と述べ、貧困に起因する家庭内暴力や不登校、いじめの頻発を指摘する〈4〉。

また沖縄戦で住民の4分の1が死に、1972年まで米軍の軍政下で基地が膨張した。多くの沖縄論は、これが単なる歴史ではなく、現在でも癒えない生傷であることを踏まえていない。

新聞記者の木村司が2015年に取材した女性は、高校2年生の1984年に米兵3人に乱暴された〈5〉。「被害を家族にも話せなかった。事件を再現させられると聞き、警察に被害届も出せないまま、原因不明の体の痛みに耐えてきた」。95年に女子小学生が米兵に暴行された事件をニュースで知ったこの女性は、「明かりをつけるのも忘れ、真っ暗な部屋で泣き続けた」。そして「こんな幼い子が犠牲になったのは、私があのとき黙っていたから」と考え、抗議集会に参加した。

木村はこのほか「人知れずアメリカ兵の子どもを産んだ知人がいる」「苦しみが癒えてきたと思う頃にまた事件が起きる。忘れたくても忘れられない」といった声も紹介している。こういう事例は沖縄では珍しくなく、「現場を歩けば、驚くほど、何らかの『経験』を身辺にもつ人に出会う」と木村はいう。こうした事情が、思想信条を超えた反基地感情の背景にあることは、いうまでもない。

だが一方で、沖縄の現実は、「平和の島」という定型句には収まらない。

前述の仲村は、沖縄の若い世代の関心事は貧困問題なのに、年長論者は基地問題に傾斜しており、そのギャップが「沖縄問題を語る大人への無関心と無視」を招いているという。国仲瞬は、沖縄の若者にみられる基地容認論の背景に、形骸化した平和学習への反感があると指摘する〈6〉。もっとも仲村は、そうした世代間対立の背景は「莫大(ばくだい)な金と利権をばらまくことによって沖縄の不満を抑え込み、沖縄内に既得権益層とそうでない層の間に著しい経済格差を作りだしている政府の存在」だとも述べているのだが。

外部の来訪者は、こうした状況に戸惑うことも多い。ネットニュース編集者の中川淳一郎は、沖縄の訪問体験を記している〈7〉。基地反対を明確に唱える人もいるが、「昔から基地のある生活が普通でした」と語る人もいる。本土から基地建設への抗議にくる人を「なんでナイチャー(本土の人間)が来て、混乱させているんだ」と否定的に見る人もいる。

以前の中川はネット上の言説を読み、「沖縄に対しては右派的論調を取っていた」。それは単なる偏見だったが、「平和の島」というだけでもない。今では、「本土の人間は本当に沖縄のことを知らずに勝手なことを言っていた」「この問題は複雑すぎて生半可な気持ちでは取り組めない」と思うようになったという。

定型の沖縄論の空疎さを脱しようとする姿勢は評価できる。だが、私は思う。沖縄の状況は複雑だろうか。

考えてみよう。貧困、性暴力、平和学習の形骸化、迷惑施設をめぐる葛藤などは、各地でみられる現象だ。沖縄も自分と同じ生身の人間が生きている土地だと考えれば、理解可能なはずだ。それが複雑に見えるとすれば、沖縄に関する知識不足以前に、もともと社会の現実に向きあう姿勢が欠けているのではないか。

そもそも私たちは、沖縄以前に、「本土」や「東京」を知っているか。20代単身転入者の平均年収が241万円にすぎない豊島区や、地上戦の遺骨が何千も残る硫黄島も「東京」だ。東京を含む空襲被害者救済法も止まっている〈8〉。米軍基地も60年代より前は本土の方が多かった。沖縄まで行かずとも、類似の問題は「本土」や「東京」にすでにあるのだ。

こうした問題以外でも、理不尽な抑圧や不本意な沈黙には、誰もが直面している。だが、自らの現実に向きあい、それを打開する努力を無意識に避けようとする人間は、他者の苦痛にも目を閉ざしたり、抑圧的にふるまったりするものだ。それこそ、沖縄の現実にも想像力が及ばず、定型句に流れる原因ではないか。

親川志奈子は、沖縄問題が伝わらないのはなぜかと問い、「ひとえに『当事者性の欠如』だと考える」という〈9〉。自分の現実に向きあう勇気がないとき、人は他者を語ることに逃避し、安易な期待や勝手な偏見をその他者に投影する。それこそ、多くの沖縄論が空疎である最大の理由だ。まず、自らの現実の当事者になること。それが「沖縄」と「本土」の境界を壊すことにつながるはずだ。

〈1〉照屋剛志「欠かせない『基地依存』誤解の解消」(Journalism8月号)
〈2〉「(よくある質問)沖縄振興予算について」(沖縄県庁ホームページから)
〈3〉前泊博盛「四〇年にわたる政府の沖縄振興は何をもたらしたか」(世界2012年6月号)
〈4〉仲村清司「埋めるべき溝、沖縄内部に」(Journalism8月号)
〈5〉木村司「本土に広がる『沖縄疲れ』の空気」(同)
〈6〉国仲瞬・インタビュー「修学旅行生と平和教育」(同)
〈7〉中川淳一郎「『本土の人間』として反省を込めて思う」(同)
〈8〉NHKスペシャル取材班『縮小ニッポンの衝撃』/栗原俊雄『遺骨』(15年5月刊)/記事「全国空襲連のつどい 救済法の早期実現を」(本紙8月15日〈都内版〉、http://digital.asahi.com/articles/ASK8G447PK8GUTIL018.html?rm=415#Continuation)
〈9〉親川志奈子「植民地・沖縄を前に、日本人の選択は?」(Journalism8月号)

2017年8月30日水曜日

記事紹介|すぐ役に立つ人間はすぐ役に立たなくなる

「即戦力」となる人材がほしいと大学に迫る財界人らに対して気骨ある教育者はこう切り返した。「すぐ役に立つ人間はすぐ役に立たなくなる」。明治生まれの工学者・谷村豊太郎の言葉だ。

海軍の技術将校を経て1939年、藤原工業大(慶応大理工学部の前身)の初代工学部長に就いた谷村は、基礎の徹底と人格向上を工学教育の柱に据えた。

時流を追うだけの知識や技術はすぐに色あせる。時代に左右されない基礎理論を習得してこそ応用力が生まれる。同時に工学が兵器を生む怖さも忘れてはならない-という精神だった。

当時、慶応義塾塾長だった小泉信三は50年に著した「読書論」の中で、谷村の言葉を「至言」と振り返り、読書でも時代を超えて読み継がれる「古典的名著」に親しむことが大切と説いた。

志願者増を狙った学部・学科の改廃、短絡的な文系学部不要論、相次ぐ入試制度の見直し…と現代の大学教育は迷走気味。政府は東京一極集中の是正に向け都心の大学の定員を抑制するとも言いだした。

これがどこまで「役に立つ」のか。そもそも学問の自由や大学の自立精神が揺らいでないか。肝心の議論が聞こえてこない。目先の利に走らず、地道に人を育て、時代の変化にも耐えうる技術や製品を生み出していく‐。谷村の戒めを“応用”することは企業経営の要諦(ようてい)でもあろう。小泉の「読書論」は岩波新書版で今なお読み継がれている。

「即戦力」となる人材がほしいと大学に迫る財界人らに対して気骨ある教育者はこう切り返した…|西日本新聞 から

2017年8月23日水曜日

記事紹介|ヤジロベエのように

人生の真実とは、理想ばかり追い求めたり、現状に甘んじることではない。鈴木秀子

知り合いの70歳の女性の話です。

彼女は戦争で父親を失い、母親と祖父母の手で育てられました。

家は貧しく中学を卒業すると働きに出ました。

社会に巣立つ日の朝、お祖母さんが彼女を座らせて社会で生きる心構えを諭しました。

「中学を出たばかりのおまえは、これから様々な辛い経験をするかもしれない。でも決して羨ましがってはいけないよ」

すると、それを聞いていたお祖父さんが「いや、この若さで、人を羨ましがらないですむことはあり得ないな」とまるで独り言のように呟いたといいます。

少し間をおいてお祖母さんが「あなたより物質的に豊かな人が沢山いるけれども、人の物を欲しがるような気持ちは起こしてはならない」と話します。

するとまたお祖父さんが「こんな若い子が、人が良い物を持っていたら欲しがるのは当たり前じゃないか」とポツンと囁くのです。

お祖母さんが「何があっても、決して人に迷惑を掛けてはいけないよ」と三つ目の心得を話した時も、「だけど、人間というものは迷惑をかけながら、お互いに支え合って生きていくものだ」とお祖父さんの独り言が続きました。

彼女は2人の餞(はなむけ)の言葉を常に心の支えにしながら、生きてきました。

そして70歳のいま、過去を振り返りながら「もしお祖母さんの言葉しか聞いていなかったら、"こうあらねば"という思いに縛られて精神的に行き詰まっていたでしょう。お祖父さんの言葉だけで生きていたら怠け者になっていたかもしれない。2人が共に人生の真実を伝えてくれたからこそ、ここまでくることができました。」としみじみ語ってくれたことがあります。

「こうあるべき」というべき思考が強すぎてもいけない。でも怠けすぎてもいけない。

人生には場面に応じてどちらもあるという中庸さを知っていることが大事なのですね。

ヤジロベエが左右に振れながら真ん中に戻って来るように。

2017年8月22日火曜日

記事紹介|変化対応能力を磨くこと

《高校生諸君へ》

君たちは親と違う人生を歩むと言うけれど、どこが決定的に違うのか?

大きく3点あります。

ものすごく大きな違いがね。

1つめは、君たちが社会人になる2020年代の半ばには、多くの親が体験した「標準的な人生モデル」は追求できないということ。

会社で正社員にはなれないかもしれないし、大手企業に入社したとしても一生そこで働くのは珍しくなるでしょう。

新卒の一括採用が残っているかどうかさえ怪しい。

結婚して子育てし、マイホームを持つかどうかもわかりませんよね。

だから、親の人生モデルを前提として君たちに説教しても通じない。

2つめは、言わずと知れたスマホと、それにつながったネット世界の広がりです。

いまの高校生は1998年以降の生まれになりますが、グーグルも1998年生まれなんです。

グーグル以前とグーグル以降は人種が違うと思ったほうがいいでしょう。

君たちの世代は、人生の半分をネット上で暮らすことになるでしょう。

ネットゲームの中毒患者でなくても、社会人としてちゃんと仕事をしようとすれば、そうなるんです。

たとえば、SNSで仲間を募る「魔法の杖(つえ)」は最強ですよね。

親世代には、学校の枠を超えて仲間を集めようとすれば、駅の伝言板くらいしかなかったんです。

自分の存在の半分は、ネットのなかで広がりながら他人とつながりを持つことになります。

そして、その存在を評価されることで、自分の居場所が保障される感覚がある。

ネット世界から個人がクレジット(信用と共感)を与えられることになるからです。

リアルかバーチャルかは関係ありません。

リアルな場はますます複雑怪奇になり、居場所がなかったり、存在を脅かされることも増えるでしょう。

だから、仮にフェイスブックやツイッターが衰退することがあっても、新しいSNS的なサービスは次々と現れる。

グーグル以降の人間は、ネット上で自己肯定感を得られる気持ちの良さからもはや逃れられないと思います。

3つめは、人生の長さ(ライフスパン)が決定的に異なること。

明治・大正を生きた世代と比較すると、君たちの世代は平均寿命が2倍に延びることになります。

いまの親世代もあと40~50年の人生が残っているから、十分に長いんだけどね。

親世代が生きている昭和・平成の時代は、1997年までは高度成長期でした。

子ども時代には掃除や洗濯機をロボットがやってはくれませんでしたから、面倒なことや手間のかかる仕事がまだまだ多かった。

不便な社会を知っている世代なんです。

でも、君たちは違います。

そうした面倒な手間を人工知能(AI)やロボットがやってしまう時代を生きているんです。

切符を買って改札で駅員さんにハサミを入れてもらっていた時代から、カードやスマホで自動改札を素通りできる時代へ。

世間話や値段交渉をしながら肉屋さんや八百屋さんでいちいち買い物をしていた社会から、加工食品を黙ってレジへもっていきレンジでチンしてもらえばすぐに食べられる社会へ。

そんな、なにかと便利な「コンビニ社会」に生まれてきたから、好きなことでもして時間をつぶさなければ暇で困ってしまう。

「人生とはいかに時間をつぶすか」という感覚が強くなるはずです。

だからこそ、君たちの世代が成熟社会を進化させ、日本のスポーツ・文化・芸術を花開かせる可能性は高いと思います。

このように、世界観、自分観、人生観が、親の世代とは決定的に異なることになるのです。

だから、理解されなかったとしても安心していいんですよ(笑)。

2020年に開催される東京五輪。

アテネ五輪のあとのギリシャや北京五輪のあとの中国など、世界の歴史を振り返れば、オリンピックを大々的に開催するために競技場や道路整備などに投資しすぎた国は、閉幕後、景気が大幅に落ち込むことが予想できるからです。

これらの理由から、2020年代にはおそらく求人も半減することになるでしょう。


この文章は、高校生に向けて書かれているが、このことは、そっくりそのまま親世代にも通じる大事な事実。

ITやAI、ロボットなどの大きな変化に対して、生きていくための方策は同じだからだ。

10年後、多くの仕事が消滅していくかもしれない中で、どんな勉強をしたらいいのか、何を身につけたらいいのか。

未来はもうすでに始まっている。

働き方改革。

SNSによるつながりの世界。

人生100年時代の生き方。

「10年後、君に仕事はあるのか?」

時代の変化に対して、変化対応能力を磨きたい。

2017年8月21日月曜日

記事紹介|憲法から取り残されてきた沖縄

日本国憲法から最も遠い地。それは間違いなく沖縄だ。

「憲法施行70年」の最初の25年間、沖縄はその憲法の効力が及ばない米軍統治下にあった。沖縄戦を生き抜き、6月に亡くなった元知事の大田昌秀氏は、戦後の苦難の日々、憲法の条文を書き写して希望をつないだ。

それほどにあこがれた「平和憲法のある日本」。だが本土復帰から45年が経ったいま、沖縄と憲法との間の距離は、どこまで縮まっただろうか。

重なりあう不条理

米軍嘉手納基地で今年4月と5月に、パラシュート降下訓練が強行された。過去に住民を巻き込む死亡事故があり、訓練は別の基地に集約されたはずだった。米軍は嘉手納での訓練を例外だというが、何がどう例外なのか納得ゆく説明は一切ない。

同じ4月、恩納村キャンプ・ハンセン内の洪水調整ダム建設現場で、民間業者の車に米軍の流れ弾が当たる事故が起きた。演習で木々は倒れ、山火事も頻発して森の保水力が低下。近くの集落でしばしば川が氾濫(はんらん)するため始まった工事だった。

航空機の騒音、墜落の恐怖、米軍関係者による犯罪、不十分な処罰、環境破壊と、これほどの不条理にさらされているところは、沖縄の他にない。

普天間飛行場の移設問題でも、本土ではおよそ考えられない事態が続く。一連の選挙で県民がくり返し「辺野古ノー」の意思を表明しても、政府は一向に立ち止まろうとしない。

平和のうちに生存する権利、法の下の平等、地方自治――。憲法の理念はかき消され、代わりに背負いきれないほどの荷が、沖縄に重くのしかかる。

制定時からかやの外

敗戦直後の1945年12月の帝国議会で、当時の衆院議員選挙法が改正された。女性の参政権を認める一方で、沖縄県民の選挙権を剥奪(はくだつ)する内容だった。交通の途絶を理由に「勅令を以(もつ)て定める」まで選挙をしないとする政府に、沖縄選出の漢那憲和(かんなけんわ)議員は「沖縄県に対する主権の放棄だ」と激しく反発した。

だが、連合国軍総司令部の同意が得られないとして、異議は通らなかった。翌年、沖縄選出の議員がいない国会で、憲法草案が審議され成立した。

52年4月には、サンフランシスコ講和条約の発効により沖縄は本土から切り離される。「銃剣とブルドーザー」で強制接収した土地に、米軍は広大な基地を造った。日本国憲法下であれば許されない行為である。

そして72年の復帰後も基地を存続できるよう、国は5年間の時限つきで「沖縄における公用地暫定使用法」を制定(その後5年延長)。続いて、本土では61年以降適用されず死文化していた駐留軍用地特別措置法を沖縄だけに発動し、さらに収用を強化する立法をくり返した。

「特定の自治体のみに適用される特別法は、その自治体の住民投票で過半数の同意を得なければ、制定できない」

憲法95条はそう定める。ある自治体を国が狙い撃ちし、不利益な扱いをしたり、自治権に介入したりするのを防ぐ規定だ。

この条文に基づき、住民投票が行われてしかるべきだった。だが国は「ここでいう特別法にあたらない」「沖縄だけに適用されるものではない」として、民意を問うのを避け続けた。

復帰後も沖縄は憲法の枠外なのか。そう言わざるを得ない、理不尽な行いだった。

軍用地の使用が憲法に違反するかが争われた96年の代理署名訴訟で、最高裁が国側の主張をあっさり追認したのも、歴史に刻まれた汚点である。

フロンティアに挑む

それでも95条、そして「自治体の運営に関する事項は、地方自治の本旨に基づいて法律で定める」とする92条をてこに、沖縄が直面する課題に答えを見いだそうという提案がある。

基地の存立は国政の重要事項であるとともに、住民の権利を脅かし、立地自治体の自治権を大幅に制限する。まさに「自治体の運営」に深くかかわるのだから、自治権を制限される範囲や代償措置を「法律で定める」必要がある。辺野古についても立法と住民投票の手続きを踏むべきだ――という議論だ。

状況によっては、原発や放射性廃棄物処理施設などの立地に通じる可能性もある話で、国会でも質疑がかわされた。

憲法の地方自治の規定に関しては、人権をめぐる条項などと違って、学説や裁判例の積みあげが十分とはいえない。見方を変えれば、70年の歩みを重ねた憲法の前に広がるフロンティア(未開拓地)ともいえる。

憲法から長い間取り残されてきた沖縄が、いまこの国に突きつけている問題を正面から受けとめ、それを手がかりに、憲法の新たな可能性を探りたい。

その営みは、沖縄にとどまらず、中央と地方の関係を憲法の視点からとらえ直し、あすの日本を切りひらく契機にもなるだろう。

2017年8月19日土曜日

記事紹介|人と違うことをすることを恐れない

天皇陛下の心臓手術は東京大学と順天堂大学の合同チームにより行われた、「異例のケース」といわれた。

その手術を執刀して以来、私の生い立ちや、これまでの歩みをたくさんの記事にしていただいた。

過分なおほめの言葉も頂戴し、テレビでも、「天野篤」というひとりの医師が、どのようにして陛下の手術に携わるようになったのかを幾度も紹介していただいた。

そこでの「人となり」を数行に要約すると、天野篤という人間はだいたい次のようなことになる。

「落ちこぼれだった高校生が、心臓病で闘病する父親を助けようと医師を志し、三浪して日大の医学部に入った。

やがて心臓外科医になるが、自分も立ち会った3度目の手術で父親を失う。

自分にもっと力があればと、一念発起し、ひたすら腕を磨いていき、6000例を超える心臓手術を行うまでになった」

三浪という不名誉なことも含めて、たしかに事実はそのとおりだ。

今は順天堂大学医学部の心臓血管外科教授というポジションに押し上げていただいたが、もともとは出身大学の医局にも属さずに、一匹狼ともいえるような道のりを歩いてきたノンエリートだ。

ここに私の原点がある。

生来、人と同じことをするのが嫌いな反骨精神もある。

だが、30年医者をやってきて、本音でいいたい思いもある。

たとえば、受験難関校から旧帝大医学部に合格した秀才だけが医師になって本当によいのだろうか?

手術するのは学者ではない。

組織で偉くなる人でもない。

今後の医療現場では、かつての医師と現代の医師とでは求められる力が違うということもある。

最先端の医療現場では、医師が「ダヴィンチ」という手術支援ロボットを操作して、出血の少ない外科手術を行う時代にもなった。

つまり、小さい頃からコンピーターゲームの得意だった子が、優秀な外科医になりうる時代になっている。

私のように、小さい頃、プラモデル作りが得意だった子どもが患者さんのために役立つような時代だ。

プラモデルでは、部品のはがし方だって相当に集中してやった。

ひとつひとつの部品は、ニッパーできれいにはがさないとうまく仕上がらない。

1個部品を壊すだけで台無しになり、後戻りしなければならない。

そういうことが、熱中してきたことを通じてわかる。

だから、若い人のいろいろな経験を否定しないことが大切だ。

お母さんが我が子に、「ゲームばっかりして」と怒ることもあるだろうが、私は否定してはいけないと思う。

「ダヴィンチ」以上の手術支援機器が登場してくると、その技術的な進歩が、これまでの不可能を可能にするきっかけになったりする。

実際、医学部で教授という立場で、意思を育てるという側に立つと、弾力性ある若い力を、そのまましなやかに伸ばすには、どうしたらいいのかと、日々考えさせられる。

次世代のそれぞれの「思い」をどのように磨いていき、未来を切り拓(ひら)いていくのか…これからサポートしたいことでもある。


「禍福(かふく)は糾(あざな)える縄(なわ)の如(ごと)し」ということわざがある。

災いと幸福はまるで、より合わせた縄のように、かわるがわるやってくる、という意味。

失敗だと思っていたことが、成功する原因になったり、子どものころの無駄だと思っていた経験が、大人になって役に立つ、というようなことは多い。

これからの世の中はすさまじい勢いで変化する。

今までの技術が一瞬にして役に立たなくなるような、新技術も登場するだろう。

大事なことは、これからは、暗記したり、それを再生するというようなデジカメ的能力はまちがいなく必要なくなってくるということだ。

つまりたとえば、受験勉強で必要な記憶再生能力のようなこと。

現在は、それがスマホ一つでこと足りるからだ。

みんながやるから、自分もやる、というような生き方では、確実に取り残される。

人と違うことをすることを恐れない人でありたい。

生き方|人の心に灯をともす から

2017年8月18日金曜日

記事紹介|行政が学問の成果を評価するということ

「評価は主観である」とする私の主張に対して、客観的な数値をもってなすべきとする人がいる。そこで力を得るのが「論文至上主義」で、かつては発表論文数、近年では「論文被引用数」の比較である。しかし、マックス・ウェーバーが唱えたように「科学は進歩し続ける宿命にある」。従って、成果の評価にあたっては、まだ見ぬ将来への波及可能性が最重要な視点となる。論文が全てではないことは当然であるが、ましてや認識論や総合的批判による洞察を避けて、過去の成果発表の分析の一軸に過ぎない論文被引用数を唯一の評価手段として用いることは、あまりに安易である。運動競技とは異なり、むしろ芸術におけると同じく、まずは創造性を尊ぶべきであり、個人の論文生産能力、優勝劣敗を決めることではない。論文指標偏重の評価システムは明らかに不見識、かつ若い世代の価値観を拘束し、生き方を誤った方向に導くため、強く再考を求めたい。全体統計的にも、また個々の評価についてはなおさら問題は大きい。実は、研究社会が自らの見識をもって評価することを怠ってきたことが、規格化された評価制度への過度な依存を引き起こし、その結果、自らを疲弊に追い込んでいる。

「自治の府」としての研究社会における評価

この数値の背後にある理性、科学的意味は何か。今日では米国のクラリベイト・アナリティック社のWeb of Science(旧トムソン・ロイターズ社の時価35.5億ドルの事業)、オランダのエルセビア社のScopusなどの商業的情報提供事業がコンピュータ技術を駆使し、引用データを集計する。そして多様複雑に加工した数値結果を高価に売りつけ、個人評価や組織の格付けなどに最大限活用すべく促す。もう60年以上も昔に「研究成果の計測」を試みたユージン・ガーフィールドの創造性は特筆に値する。しかし現状は、この創始者自身による「その内在的価値を評価するのが科学的知性」との戒めにもとるものである。

アカデミアは自治の府であり、人間疎外のソフトウエアが一義的に規定する社会(Software-defined Society)ではない。学術、科学技術の実践のみならず、成果の評価についても、自らの判断基準を設定すべきであり、自己決定権を安易に情報企業に売り渡すことがあってはならない。優れた研究者を効率的な論文製造機と定義することは不適切である。科学的批判力をもって断固対峙すべき学術会議、学協会、大学や公的研究機関などの甚だしい怠慢、無責任は目に余る。営利目的の商業出版社が由々しき論文引用数至上主義を喧伝し続ける結果、有力ジャーナルのImpact Factor(IF)神話が、若い研究者に学問の本来の価値を見失わせ、せっかくの精神高揚の機会を損なわせていることは、甚だ残念である。

加えて、行政機関、研究費配分機関の安易な追従が、この非人間的独善の横暴を許している。大学には教員人事制度があり、また社会には研究に対するさまざまな顕彰の仕組みがあるが、かつて評価はアカデミアの主観的かつ多様な判断に委ねられていた。旧文部省が非公式に研究評価を考え始めたのは1980年代初頭である。当時、学術行政に尽力された誇り高い碩学が、ある内輪の集会で「行政が学問の成果を評価するという」と気色ばんでいらしたことを思い出す。科学への期待が変容する中で、ことの是非はともかく、識者による研究の独自性、希少性、多様性の尊重の風土は薄れ、容赦なき画一的数値比較主義へ傾きつつあることは間違いない。今や、この評価制度化により成果報告提出ごとに精神的圧迫を感じる若い研究者たちは、まことに気の毒である。さらに、大学組織の活動評価を一律に所属教員の論文指標の集計、総和でもって行うことも、好ましくない。それぞれに特色ある教育研究理念に沿う大学の自律的統治を損なうことになるからである。

大学教員人事も研究費配分も未来の科学を開くためにある。行政とその委嘱を受けた人たちは、単に権限を行使するのではなく、むしろ自らが評価主体者であることを再認識して欲しい。30年かけてつくり上げた現行システムの実践結果が、如何にわが国の科学者たちを鼓舞し、研究の質を向上させたか、あるいはその逆であったかを検証すべきではなかろうか。

本当に研究の質を問うているか

国民の問うところは、分かり易い論文被引用数などの数値の大小ではなく、わが国の研究活動全体の質である。そして質の向上を図る鍵は、研究者たちの自己肯定感を堅持しながら、制度を総点検し問題点を明らかにした上で、旧態依然の研究教育体制(コラム5、6など)を変革することにある。にもかかわらず、第5期科学技術基本計画は問題を棚上げした上で、論文数と被引用回数上位10%論文の増加を目標に掲げた。いかなる権力であれ自らの責任説明のために研究現場の組織や個人に数値向上の努力を強いれば、大きな負の効果を生む。この便宜的手段が目的化することは明らかで、恣意的な数値操作がまん延、アカデミアが本質にもとる「衆愚(ポピュリズム)研究の府」と化すことは必定である。一方で、研究社会が自らの信念をもとに編み出した合理的提案を行政府に届ければ、聡明な官僚たちは、必ず真摯に耳を傾けるはずである。

良い論文とは、読者にとって読み応えがあり、腑に落ちるものである。その上で研究の礎のなった先行論文こそが、高く評価されるべきである。被引用数は各分野における発表論文のいわばエコー(反響)の度合いにすぎず、決して科学的創造や進歩への貢献を反映しない。視聴率の高いテレビ番組、入場者の多い催し物、人が溢れる喧騒の都市繁華街が他に比べて質が高いとは限らない。

統計によれば、記録が維持されている5,800万論文のうち、44%が一度も引用されず、32%が9回以下であり、1,000回以上引用されるのは、僅か0.025%の1万4千論文に過ぎないという。しかし、この「民主平等的」研究社会では、この大多数を占める「低評価論文」にもやはり対等の引用権利が与えられ、その反映が被引用総数として現れる。被引用数評価の信奉者たちは、ここに自己矛盾、この増幅の仕組みを負のスパイラルとは認識しないのだろうか。逆にトップ0.1%被引用論文の特別扱いも価値偏向を助長し、好ましくないことは当然である。

もとより、巨大なエコーにそれなりの意味はあるが、せめて被引用数は対数(log)比較に止めてはどうか。桁を論じる「格」に意味はあっても、平凡な数値を「順番」に並べてみても、全く意味を見出す事は出来ないではないか。

引用行為は信頼できるか

そもそも、論文著者たちは適切な引用をしているであろうか。引用文献の選択が適切でなければ、データベースそのものの信頼性が損なわれる。仮に一論文に、関連課題論文50編を引用するとしよう。ならば、著者は前もってその5-10倍、すなわち250-500編の論文を読破しなければならないはずである。昨今、論文数を問われる研究者たちは年間に複数の論文を発表するが、実際、彼らに先行文献の検索、通読、選択の時間が十分に確保されているのか、と心配になる。

世界中で年間220万報以上の科学論文が発表され、さらに毎年累積していく。誠実な著者たちは、この溢れる情報の渦の中で、いかに適切に先行文献を選択しているのだろうか。最近米国では一人の研究者が年間に読む論文は、平均して264報に過ぎず、一報に費やす時間は32分という。進展著しい分野では、5年前の論文はすでに古くて役に立たないので読まないというが、それでも結構引用されている。ならば引用文献の選択を他人に、あるいは機械に託しているのではないかと懸念している。一般に英文読書速度が低く、また多忙で自由時間に乏しいとされる日本人研究者たちの現状はどうであろうか。

引用されなければ意味はないのか

引用数を評価指標にするならば、実際に比較対象となる具体的数値には公平性が担保されなければならない。まずは「早すぎた発見」は無視されがちで、「眠れる美女」が少なくないことである。1906年発表のH.Freundlichによる溶液中の吸着の研究は、96年後の2002年に初めて日の目を見たし、1935年の有名なEinstein-Podolsky-Rosen論文も2003年頃にようやく広く認知されたという。私は過去を振り返りながら「事実の発見」はもちろん大事だが「価値の発見」がさらに大切としてきた。科学的事実の発見の本当の意義は、当事者によってさえ認識されないこともある。創造性を洞察する目利きが必要な所以でもある。

一方で、真実との評価が定着した物理学の相対論の提唱や、分子生物学を開いたDNA二重らせん構造発見も、引用の対象外である。それほど偉大でなくとも、たとえば化学分野では、しばしば高性能な触媒や有用な材料が発明、発表される。しかし、もしもその実用性が認められ試薬会社から販売、汎用され始めるとなれば、もはや原著論文は急激に引用されなくなる傾向がある。論文誌の規定により商業行為を行う供給会社名は確実に記載されるが、恩恵に預かる利用者の多くは、科学上の発明者に対して敬意、感謝はおろか、関心さえ払わないのである。これらの「不公平な」現象を、引用数値主義者や情報販売機関はどう説明するのか。あるいは未熟な研究者たちの振る舞いを正してくれるのだろうか。

幸いにも、私は「フロンテイア分子軌道論」を創始し1981年にノーベル化学賞を受けられた福井謙一先生から「論文が引用されているうちは本物ではない」と習い、さすがと感心した覚えがある。

分野によって被引用数はもとより、論文発表そのものの価値さえ異なるので、専門家たちの意見も聞かねばならない。数学理論の評価には、論文被引用数集計よりも特別の目利きの判断がぜひとも必要で、しかも優れたものでも十分認知されるには10年近くの時間を要するものも少なくない由である。また、中国の急激な伸長に比べて、わが国の計算機科学の論文数、被引用数シェアの低さがしばしば話題になるが、指導者たちにはこの評価が気に入らない。「この分野は日進月歩なので、過去の仕事をまとめるよりも、斬新な発想の提案が大切であり、その披露は論文誌ではなく、有力な国際会議で行う。その講演録(proceeding)が大切なのだが、これは被引用数の対象とならない」という。もし優秀な研究者の多くが、本当に新規性に注力しているのであれば、心配は無用である。

かつてわが国の強みであった工学も分散的傾向が強く、論文よりも特許や実用新案などに関心が大きいのでなかろうか。先人が綿々と紡いできた「匠の技」は現代の科学技術、産業技術にいかに貢献しているのか。日本語で書かれた数多くの技術論文の実社会における評価も気になっている。

なお、爆発的な勢いで生産される中国発の高被引用数論文の相当数が、中国語で書かれている。これが何を意味するのか、中国語を読めない私には、今しばらく様子を見なければ判断できない。

野依良治の視点|研究の評価、研究者の評価 論文引用数は信頼できる評価指標か から

2017年8月17日木曜日

総理、あなたはどこの国の総理ですか

「ノーモア ヒバクシャ」

この言葉は、未来に向けて、世界中の誰も、永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、という被爆者の心からの願いを表したものです。その願いが、この夏、世界の多くの国々を動かし、一つの条約を生み出しました。

核兵器を、使うことはもちろん、持つことも、配備することも禁止した「核兵器禁止条約」が、国連加盟国の6割を超える122か国の賛成で採択されたのです。それは、被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間でした。

私たちは「ヒバクシャ」の苦しみや努力にも言及したこの条約を「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼びたいと思います。そして、核兵器禁止条約を推進する国々や国連、NGOなどの、人道に反するものを世界からなくそうとする強い意志と勇気ある行動に深く感謝します。

しかし、これはゴールではありません。今も世界には、15,000発近くの核兵器があります。核兵器を巡る国際情勢は緊張感を増しており、遠くない未来に核兵器が使われるのではないか、という強い不安が広がっています。しかも、核兵器を持つ国々は、この条約に反対しており、私たちが目指す「核兵器のない世界」にたどり着く道筋はまだ見えていません。ようやく生まれたこの条約をいかに活かし、歩みを進めることができるかが、今、人類に問われています。

核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴えます。

安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、核の脅威はなくなりません。核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください。核不拡散条約(NPT)は、すべての加盟国に核軍縮の義務を課しているはずです。その義務を果たしてください。世界が勇気ある決断を待っています。

日本政府に訴えます。

核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも関わらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。日本の参加を国際社会は待っています。

また、二度と戦争をしてはならないと固く決意した日本国憲法の平和の理念と非核三原則の厳守を世界に発信し、核兵器のない世界に向けて前進する具体的方策の一つとして、今こそ「北東アジア非核兵器地帯」構想の検討を求めます。

私たちは決して忘れません。1945年8月9日午前11時2分、今、私たちがいるこの丘の上空で原子爆弾がさく裂し、15万人もの人々が死傷した事実を。

あの日、原爆の凄まじい熱線と爆風によって、長崎の街は一面の焼野原となりました。皮ふが垂れ下がりながらも、家族を探し、さ迷い歩く人々。黒焦げの子どもの傍らで、茫然と立ちすくむ母親。街のあちこちに地獄のような光景がありました。十分な治療も受けられずに、多くの人々が死んでいきました。そして72年経った今でも、放射線の障害が被爆者の体をむしばみ続けています。原爆は、いつも側にいた大切な家族や友だちの命を無差別に奪い去っただけでなく、生き残った人たちのその後の人生をも無惨に狂わせたのです。

世界各国のリーダーの皆さん。被爆地を訪れてください。 遠い原子雲の上からの視点ではなく、原子雲の下で何が起きたのか、原爆が人間の尊厳をどれほど残酷に踏みにじったのか、あなたの目で見て、耳で聴いて、心で感じてください。もし自分の家族がそこにいたら、と考えてみてください。

人はあまりにもつらく苦しい体験をしたとき、その記憶を封印し、語ろうとはしません。語るためには思い出さなければならないからです。それでも被爆者が、心と体の痛みに耐えながら体験を語ってくれるのは、人類の一員として、私たちの未来を守るために、懸命に伝えようと決意しているからです。

世界中のすべての人に呼びかけます。最も怖いのは無関心なこと、そして忘れていくことです。戦争体験者や被爆者からの平和のバトンを途切れさせることなく未来へつないでいきましょう。

今、長崎では平和首長会議の総会が開かれています。世界の7,400の都市が参加するこのネットワークには、戦争や内戦などつらい記憶を持つまちの代表も大勢参加しています。被爆者が私たちに示してくれたように、小さなまちの平和を願う思いも、力を合わせれば、そしてあきらめなければ、世界を動かす力になることを、ここ長崎から、平和首長会議の仲間たちとともに世界に発信します。そして、被爆者が声をからして訴え続けてきた「長崎を最後の被爆地に」という言葉が、人類共通の願いであり、意志であることを示します。

被爆者の平均年齢は81歳を超えました。「被爆者がいる時代」の終わりが近づいています。日本政府には、被爆者のさらなる援護の充実と、被爆体験者の救済を求めます。

福島の原発事故から6年が経ちました。長崎は放射能の脅威を経験したまちとして、福島の被災者に寄り添い、応援します。

原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は、核兵器のない世界を願う世界の人々と連携して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。

平成29年長崎平和宣言|2017年(平成29年)8月9日 から

2017年8月16日水曜日

記事紹介|平和な社会を築くために

私はこの任務を誇りを持って旅立ちます。

お父さんお母さん先立つことをお許し下さい。

私は戦争のない世界を、未来の子ども達が創ってくれることを信じて飛び立ちます。


18歳で特攻隊に志願して飛び立った少年の手紙から紹介します。

今日の長崎原爆の日を含め8月は先の大戦について思いを馳せる月です。

政治判断の過ち、正しい考えを持った人がいても

大きな流れに抗えなかった組織の過ちを反省して参考にするとともに、

名もなき多くの市民の犠牲と、未来を信じる心の上に、

我々の今の生活があること、平和があることを忘れないようにする。

『善きことのみを念ぜよ。必ず善きことくる。命よりも大切なものがある。それは徳を貫くこと。』

とは特攻隊員の母として慕われた鳥濱トメさんの言葉です。

トメさんは鹿児島県の知覧飛行場のそばで富屋食堂を営み、多くの若き特攻隊員の出撃前の面倒を見られました。

『平和な社会を築くために、必要なものが三つあると私は思っています。

「勇気」と「行動」と「愛情」です。

「勇気」と「行動」だけでは、戦争に結びついてしまうことがある。

「行動」と「愛情」だけでは、物事を変革するのに怖気づいてしまうことがある。

「勇気」と「愛情」だけでは、きれいごとを言うだけで終わってしまうことがある。

この三つが揃って、初めて物事をなしていくことができるでしょう。』

これは被爆者の笹森恵子(しげこ)さんの言葉です。

日々徳を積み、「勇気」と「行動」と「愛情」の3つをセットにして、

挑戦していきましょう。

平和|今日の言葉 から

2017年8月7日月曜日

記事紹介|競争相手は時代の変化

社会が成熟する中、企業は非連続の成長をせざるを得ない状況です。そこに必要なのは、イノベーションです。

しかし残念ながら、従来型のリーダーシップでは、イノベーションを起こし続けるのは難しくなってきているのです。

これから企業に求められるイノベーションのためには、顧客インサイトをいかに捉えるか、しかも、1人の天才ではなく、集団天才型のチームで「顧客共創」をすることが極めて重要になってくる、というポイントです。

社会実験と市場テストを繰り返すことで、あるいは越境して離れた領域をつなぐことで、顧客の洞察、市場の洞察、社会の洞察を引き出していく。

多様な異能の能力を組み合わせて、顧客も巻き込みながら、既存のバイアスを壊し、新しい顧客価値を共創していく。

そうでなければ、見えてこないニーズ、サービス、プロダクトがあるからです。

それは、デジタル革命の経営に対する影響力が非常に高まっているためです。

ビジネスにも、企業経営にも、テクノロジー理解が欠かせないものになっている中、コンピュータやスマートフォン、インターネット、ビッグデータ、AI(人工知能)、ロボット、自動運転、EV(電気自動車)、ドローン、ブロックチェーンといったテクノロジーをいかに自社の事業開発・組織開発に活かせるかが、企業の稼ぐ力を左右するようになってきています。

こうしたテクノロジーに若い頃から自然に触れている、「デジタル・ネイティブ」世代が、すでに活躍を始めているのです。

この世代こそ、次世代を担うにふさわしいスキルと感性を持っているのです。

これ以外にも「40歳社長が必要である」理由がいくつもあります。

さらにもうひとつ、日々、多くのビジネスパーソンと触れ合う中で伝えなければいけないと感じていたのが、新しい時代のキャリアづくりです。

リンダ・グラットン教授による『ライフ・シフト』でも言及されている通り、現在、50歳未満の人は100歳を超えて生きるだろうと予測されています。

つまり、「人生100年時代」が訪れるわけですが、これはすなわち働く期間も長くなっていくことを意味します。

日本ではこれから、人口減とともに労働人口の減少が進んでいきます。

一方で、テクノロジーの進化や顧客ニーズの高速変化から、ビジネスモデル寿命はどんどん短くなっていきます。

私たちを取り巻く働く環境は激変していくのです。

つまり、これまでのようなキャリアの考え方では、もうやっていけなくなる可能性が高いのです。

それに加えて、すでに日本でも流行語となっている「ダイバーシティ推進」や「働き方改革」も、働く環境を大きく変えていくでしょう。

学生の大企業人気は相変わらずですが、これからは「安定」の意味が変わっていきます。

本当の「安定」とは、安定した会社に勤めることではなく、「いつでもどこでも自分で稼げる人間」になっておく、ということです。

おそらくこれから、新しい時代の「安定的な働き方」をする人、そいう働き方を求める人が増えていくでしょう。

AIの登場も相まって、これまでになかった職種や職業が生まれてくるでしょう。

となれば、リーダーも経営も変わることは必然です。

未来のことは不確実で誰にもわからない、と言われます。

しかし、「これから数年で大変な変化が起きる」ことだけは確かです。

これからの時代に、何が起きるのか。

何が必要になってくるのか。

とりわけリーダーにとって、これからリーダーを目指す人にとって何が重要になるのか。

今は顧客インサイトをつかむのが難しい時代です。

しかも、ニーズは高速変化していきます。


人は大きく分けると、「現状打破」の姿勢の人と、「現状維持」の姿勢の人がいる。

現状打破の姿勢の人は、変化できるが、現状維持の姿勢の人は、変化に乗り遅れてしまう。

なぜなら、自分だけ現状維持しているつもりでも、その間に世間が変わってしまうからだ。

つまり、「競争相手は時代の変化」と言われる所以(ゆえん)だ。

そして、インターネットなどの新しいテクノロジーの登場により、その変化は加速している。

「次の時代は30代から40代の人たちが創っていく」

新たな時代の変化に対応していきたい。

どうして若い人材が抜擢される必要があるのか|人の心に灯をともす から