2015年1月27日火曜日

科研費改革

私と科研費」(No.69 2014年10月号 日本学術振興会)から「科研費改革、今後の課題」(自然科学研究機構機構長 佐藤勝彦)を抜粋してご紹介します。


激動している国際社会、また我が国の少子高齢化社会の状況で学術研究のあり方も問われており、科研費制度もそれに応じてさらに改革が必要である。近年、日本経済の不調から出口指向の研究が必要と広く喧伝されている。科研費を減額し他の科学技術関係予算に変えようとする議論もされている。科研費は学術研究を通じて「知」の創造を進め人間社会に貢献するものであり、目先の出口を求めるものではない。しかしこれは当然ながら日本社会の基盤である科学技術の根幹を強化することであり、同時に研究活動を通じて人材の育成を図っていることから、日本のイノベーションに大きく貢献しているのである。企業人からも直接出口に向けた技術改良を望むような希望はほとんど聞くことはなく、研究者の独創性に基づいて、思いもつかないところに出口を新たに発見することや、さらに新たな入り口を発見することを求めている。これらこそ日本の国力を強めることに他ならない。科研費はまさにその役割を果たしているのである。

国の予算の半分が国債、借金であることを考えれば、研究費の成果を最大化するために研究費制度の不断の改革が求められている。平成26年7月に発行されたサイエンスマップ2010&2012によるならば、世界の国々と比較したとき、日本の研究分野は伝統ある確立した分野で引用数の上位論文が多いが、新しく生じた分野、分野融合的分野では相対的に少ない。将来を見据えたとき、分野融合的新分野の創生は不可欠である。科研費では、研究種目として「挑戦的萌芽研究」も設けられ、また分野分類表「系・分野・分科・細目表」も時々見直しがおこなわれ、融合分野などが時限付き分科細目として加えられ、融合分野の振興も図られている。しかしながら、そもそも細目表があまりにも細かくこれが近隣分野との融合的研究の妨げになっているのではないかと思われる。分科細目の大括り化が行われれば、自然と融合的研究も進むのではないかと思われる。もちろん大括り化は容易なことではない。分村細目は諸学会の中で年会の分科会名にもなっていることもしばしばで、研究者にとって自分の居城でもあるからである。また、大括り化したとき審査をいかに行うのかも大問題で、審査方式の大幅な変更も伴わざるを得ない。

現在私は科学技術・学術審議会学術分科会(平野分科会長)の下に設けられている研究費部会の長を務めている。学術分科会では、学術研究の意義など根本にさかのぼって審議を行い、平成26年5月に「学術研究の推進方策に関する総合的な審議について」(中間報告)を取りまとめた。その中で学術研究は、イノベーションの源泉そのものであり、まさに「国力の源」であることが強調されその碁盤を支える科研費の充実を求めている。この議論を受け、研究費部会では科研費改革の基本的な考え方と具体的な改革方策の一定の方向性を取りまとめ、9月に「我が国の学術研究の振興と科研費改革について(中間まとめ)」として公表している。この部会に新たに設けられる作業部会と日本学術振興会学術システム研究センターとの連携により次回研究費部会の為の具体案が作成される。是非多くの研究者から科研費改革について意見を発信していただきたい。

2015年1月26日月曜日

大人は救いの手を差し伸べられなかったのか

誰も少年を助けなかった 祖父母殺害し強盗、懲役15年」(2015年1月8日朝日新聞)をご紹介します。


祖父母を殺害し金品を奪ったとして、強盗殺人などの罪に問われた少年(18)が昨年暮れ、さいたま地裁で懲役15年の判決を受けた。法廷で明らかにされたのは、少年の「無援の日々」だった。裁判長は問うた。大人は救いの手を差し伸べられなかったのですか。


事件があったのは、昨年3月26日正午ごろ。少年は埼玉県川口市のアパートに暮らす祖父母の背中を包丁で刺すなどして殺害し、母親(42)=強盗罪などで服役中=と共謀して現金約8万円やキャッシュカードなどを奪った-とされる。

昨年12月に6回開かれた裁判員裁判で、検察と弁護側の冒頭陳述や少年、母親の証言で明らかにされた事件までの経緯はこうだ。

小学4年。

生活が大きく変わった。別居を続けていた母親と父親が離婚。少年を引き取った母親は知人男性から金銭的な支援を受けるかたわら、ホストクラブ通いを続けた。1カ月帰宅しないこともあった。「捨てられたかと思った」。少年は弁護人から問われて答えた。

5年生になると、母親が交際する別の男性と3人で静岡県内へ。学校に通ったのは2カ月間。その後、住民票を静岡に残したまま埼玉県内などを転々とし、自治体も居場所を把握できなくなった。

金があるときはホテルに泊まり、ないときは公園で野宿をする生活。男性からは理由もわからないまま、暴行を受けた。「(母親は)様子を見て笑っていた」と少年は言った。

中学校にも行かなかった。この間に13歳年下の妹ができた。母親は少年に親戚に金を無心するよう強く求めるようになった。「中学で野球部に入って道具が必要なんだ」。少年は、うそを重ね、実父のおばから現金400万~500万円を借りた。

男性が失踪すると、母親は少年への依存を強めた。

16歳だった少年は母親と2歳の妹を養うために塗装会社に就職し、会社の寮に家族で住み込んだ。ゲームセンターなどで浪費する母親からせがまれて給料の前借りを始めると、「(相手を)殺してでも金を持ってこい」と母親にたびたび言われるようになった。給料の全てが前借りの穴埋めに充てられるようになった。

そして事件当日。

「殺してでも金を持ってこい」。母親はこの日も自身の父母から金を借りてくるように迫った。1人で祖父母宅に行ったが、祖父に強い口調で断られた。「母親から言われた言葉を思い出した」。法廷で少年はそう振り返った。証人として出廷した母親は「殺害は指示していません」と言った。

殺害以外に方法があったのではないか。

検察側に問われた少年は「それ以外、考えられなかった」と言った。弁護人が「昔から母親の指示に従って生活しており、自ら考えて行動することができなかった」と言葉を継いだ。少年は母親と目を合わせようとしなかった。

一番の味方であるはずの母親に追い詰められ、肉親から嫌がられながら借金を重ねた。少年の親族に裁判長は言った。「あなただけではないが、周りに大人がいて、誰かが少年を助けられなかったのですか」。少年の情状証人に立ったのは10年以上前に別れた実父だった。

懲役15年-。

判決を言い渡した裁判長は前を向く少年に「君のことを思う人と一緒に、社会に帰ってくるのを我々も待っていようと思う」と語りかけた。少年は「はい」と、小さな声で答えた。この日、判決を不服として東京高裁に控訴した。

正月、少年に年賀状が1通届いた。事件の弁護人からだった。「年賀状をもらうのは小学校以来。うれしかった」。少年は差出人の弁護士に笑顔を見せたという。

2015年1月25日日曜日

もう少し利発な政治家や官僚だったら

学校給食と貧困」(2015-01-23天声人語)をご紹介します。


自分は中流と考える人が約9割という新聞記事を読んで、向田邦子さんは、これは学校給食の影響だろうと思った。「毎日一回、同じものを食べて大きくなれば、そういう世代が増えてゆけば、そう考えるようになって無理はない」と書いたのは1980年のことだ。

「お弁当」と題したその随筆は、戦前の小学校のお昼というのは、貧富などを考えないわけにはいかない時間だったと続く。そして、「私がもう少し利発な子供だったら、あのお弁当の時間は、何よりも政治、経済、社会について、人間の不平等について学べた時間であった」とある。

そんな一文を、あすから学校給食週間が始まると聞いて思い出した。年配者には懐かしい「ララ物資」による、戦後の学校給食再開がそのルーツだという。

困窮する日本にアメリカなどから贈られた援助物資をそう呼んだ。やがて全国に給食が普及し、小学校のお昼から表向き貧困は消えた。高度成長から80年代ごろは、世の中が最も平均化して見えた時代だろう。

いま中流は細り、子どもの6人に1人が「貧困」とされる水準で生活している。3食のうちしっかり食べているのは給食だけ、給食のない夏休みに体重が減る子がいる-深刻な話も聞こえてくる。

向田随筆ではないが、もう少し利発な政治家や官僚だったら、子どもの苦境から、不平等について学ぶのではないか。親から子へと格差は固定しがちだ。恵まれた世継ぎの多い政界だからこそ、想像力を欠かぬよう願いたい

2015年1月15日木曜日

6人に1人

格差社会で育った子どもたち 上と下、2人の人生」(2015年1月13日朝日新聞)を抜粋してご紹介します。


■母からの虐待、施設を経て…孝典さんの場合

「僕たちは、すごく狭い世界にいた。今になって、よくわかります」。東洋大2年の久波(くば)孝典さん(21)は言う。

幼い頃、両親は互いに暴力をふるっていた。小2の時、父はマンションから飛び降りた。母は働かず、久波さんへの態度は、激しさを増す。何時までにドリルを終わらせないと食事抜き。できるわけのない課題を出され、できないと殴られ、首を絞められ、下着姿で家から出される。家出を繰り返すようになった。

小5の冬、母はビニールテープで輪を作り、天井からつるして言った。「死ねよ」。死んでもいいかと、ぶら下がった。気が付いたら、テープは切れていた。

それからすぐ、小平市の児童養護施設「二葉むさしが丘学園」に入った。天国だと思った。だって、自由に遊べる。ご飯も出る。

「俺ら税金で暮らしてるからなあ」。自分や施設の他の子が時々口にした言葉だ。学校の同級生を見て、普通は両親がいて、欲しい物をねだると買ってもらえるらしい、と知った。うらやましくはなかった。

できるわけがないから、最初から望むこともない。目の前にあるものを受け取るだけ。他の世界を知ろうとも思わない。受け身の姿勢が、自分と周りの子には共通していたように思う。「大学に行きたい」と言いつつ、何もしないまま高校を卒業し、18歳で施設を出た。

施設出身者を支援する「自立援助ホーム」に移って1年。コンビニのバイトで月収10万円の生活の中、知人から、あるコンテストを見に行こうと誘われた。「私はこんな夢に取り組んでいる」と発表し、魅力を競うというもの。新しい乗り物の開発、途上国の支援……。壇上の人々は、目を輝かせて熱く語っていた。

ふと「自分に足りないのは、これだ」と感じた。この人たちは「できるわけない」なんて考えていない。「できる」と信じている。

自分にも「できる」ことを探そうと、大学に行くことを決めた。働きながら通える夜間の学部に合格。施設出身者が受けられる給付型の奨学金を三つ受け、巣鴨で1人で暮らす。

久波さんは、お金の心配なく大学で学ぶ今を「恵まれている」と言う。友人の多くは、今も「恵まれない」まま。「恵まれた」世界を知らないまま。その差はなんだったのか。「運です」。短い答えだった。

■6人に1人の子どもが貧困

日本の子どもの貧困率(17歳以下)は、上がり続けている。

厚生労働省の調査では、2012年の子どもの貧困率は16.3%で、6人に1人。ひとり親世帯に限ると2人に1人だ。

子どもの教育格差の解消に取り組む公益社団法人「チャンス・フォー・チルドレン」(本部・兵庫県西宮市)の今井悠介代表(28)は「多くの人は『本当に6人に1人もいるのか』と実感を持てずにいる。子どもの貧困は見えにくい」と語る。

「百円均一」店や低価格ファッションがあるため、外見では経済的な差がわかりにくい。今井さんは「貧困層と富裕層で住む地域やコミュニティの分断が進んでいて、違う境遇の子に出会う機会が減っている。特に都市部は格差が大きいと感じる。東京は、地域ごとに貧困家庭と裕福な家庭が分かれて集中している印象だ」と指摘する。

貧困によって、子どもたちは、進学など多くの人には当たり前にある機会を奪われている。

ただ、時代によって多くの人にとって「当たり前にあるべきもの」は変わる。例えば、第2次世界大戦時は、多くの人が衣食住に困った。しかし今は、塾に通うのが当たり前で、都内の大学進学率は7割にもなる。その中で、自分の努力ではどうしようもない理由で進学や夢をあきらめるのは、子どもにとって精神的なストレスが大きい。

国立社会保障・人口問題研究所の阿部彩・社会保障応用分析研究部長らのチームは、2008年、市民1800人を対象に「現在の日本社会ですべての子どもに与えられるべきもの」に関する意識調査を実施した。

半数以上が「全ての子どもに絶対に与えられるべきである」と答えた項目は、全26項目のうち「朝ご飯」「医者に行く」「手作りの夕食」など8項目のみ。このほかは、半数以下だった。例えば、「短大・大学までの教育」42.8%、「誕生日のお祝い」35.8%、「子ども用の勉強机」21.4%、「親が必要と思った場合塾に行く」13.7%など。

1999年の英国の同様の調査では、「趣味やレジャー活動(90%)」「おもちゃ(84%)」といった教育に直接結びつかない項目でも、「必要である」との回答が多い。

2015年1月10日土曜日

親に感謝、親を大切にする

ブログ「今日の言葉」から最後の授業」(2015-01-09)をご紹介します。


私が考える教育の究極の目的は、「親に感謝、親を大切にする」です。

高校生の多くはいままで自分一人の力で生きてきたように思っている。

親が苦労して育ててくれたことを知らないんです。

これは天草東高時代から継続して行ったことですが、このことを教えるのに一番ふさわしい機会として、私は卒業式の日を選びました。

式の後、三年生と保護者を全員視聴覚室に集めて、私が最後の授業をするんです。

そのためにはまず形から整えなくちゃいかんということで、後ろに立っている保護者を生徒の席に座らせ、生徒をその横に正座させる。

そして全員に目を瞑らせてからこう話を切り出します。

「いままで、お父さん、お母さんにいろんなことをしてもらったり、心配をかけたりしただろう。それを思い出してみろ。

交通事故に遭って入院した者もいれば、親子喧嘩をしたり、こんな飯は食えんとお母さんの弁当に文句を言った者もおる……」

そういう話をしているうちに涙を流す者が出てきます。

「おまえたちを高校へ行かせるために、ご両親は一所懸命働いて、その金ばたくさん使いなさったぞ。そういうことを考えたことがあったか。

学校の先生にお世話になりましたと言う前に、まず親に感謝しろ」

そして

「心の底から親に迷惑を掛けた、苦労を掛けたと思う者は、いま、お父さんお母さんが隣におられるから、その手ば握ってみろ」と言うわけです。

すると一人、二人と繋いでいって、最後には全員が手を繋ぐ。

私はそれを確認した上で、こう声を張り上げます。

「その手がねぇ! 十八年間おまえたちを育ててきた手だ。分かるか。……親の手をね、これまで握ったことがあったか?

おまえたちが生まれた頃は、柔らかい手をしておられた。

いま、ゴツゴツとした手をしておられるのは、おまえたちを育てるために大変な苦労してこられたからたい。それを忘れるな」

その上でさらに

「十八年間振り返って、親に本当にすまんかった、心から感謝すると思う者は、いま一度強く手を握れ」

と言うと、あちこちから嗚咽が聞こえてくる。

私は

「よし、目を開けろ。分かったや? 私が教えたかったのはここたい。

親に感謝、親を大切にする授業、終わり」

と言って部屋を出ていく。

振り返ると親と子が抱き合って涙を流しているんです。』

照れくささを通り越しても届けるべき想いがあります。

気付いたときにはそのチャンスを逃してしまうこともあるでしょう。

この三連休でそんな時間がもし持てたら、素敵な小正月になりますね。

2015年1月8日木曜日

愚行

ブログ「今日の言葉」から言い訳」(2015-01-07)をご紹介します。


言い訳が得意で、

他のことも得意だという人を、

私は一人も知らない。

ベンジャミン・フランクリン


人は一つの瞬間に二つのことを考えたり行ったりすること出来ない。

常に何かを選択して行動しています。

言い訳をしている時間があるのであれば、その分何か具体的な行動をした方が、具体的に得られるものがある。

ベンジャミン・フランクリンは他にもこんな言葉を残しています。

『愚か者の第一段階は、自分をよりよく見せようとする事である。

第二段階は、それを他人にしゃべることである。

最終段階は、他人の考えを馬鹿にすることである。』

他人をバカにしている時間があるのだったら周りのゴミを拾うなど、一つでも世のためになることをした方が良いですね。

2015年1月7日水曜日

我以外皆我師

ブログ「人の心に灯をともす」から自分ばかりしゃべりはった」(2015-01-06)をご紹介します。


昭和36年秋、幸之助が九州のある取引先の工場を訪れたときのこと。

30分ほど工場を見学し、そのあと社長、工場長と10分間ほど歓談した。

帰りの車中で幸之助は、随行していた九州松下電器の幹部に言った。

「きみ、あそこの会社、経営はあまりうまくいっていないな」

「どうしておわかりですか」

「工場を一見したら、まあ、だいたいわかるわ。

それと、さっきのあの社長さん、あの人より経験の深いはずのわしがせっかく行っているのに、わしから何か引き出そう、何かを聞き出そうという態度にちょっと欠けとった。

自分ばかりしゃべりはったな」


人は、自分を大きく見せようと虚勢をはるとき、自分ばかりペラペラとしゃべってしまう。

弱みを見せたくないからだ。

人にモノを尋ねることができる人は、素直さと謙虚さを持っている。

そして、尋ねる側にまわるなら、どんどん情報も入ってきて、結果として運もやってくる。

反対に、自分のことばかりしゃべる人は、情報が入ってこない。

一方的に話を聞くだけの自慢話のような独演会では、誰もが楽しくなくなり、結果として運が逃げるパターンとなる。

吉川英治氏に、「我以外皆我師(われいがいみなし)」という言葉がある。

自分以外はみな、何かを教えてくれる師匠だ、ということ。

人は、昨日より今日、今日より明日と少しでも前に進まななければならない。

自分を毎日少しずつでも向上させること、このことこそが生きている意味。

老人でも、若者でも、年下でも、あるいはモノであっても、相手が誰であれ、己(おのれ)に向上心さえあれば、そこから何かを学ぶことができる。

自分ばかりしゃべるのはやめ、謙虚に聞き、学ぶ姿勢を持ちたい。

2015年1月6日火曜日

今年も生かされていることに感謝

ブログ「人の心に灯をともす」からありがたいという言葉」(2015-01-04)をご紹介します。


「ありがたい」という言葉は、日本人ならごく当たり前のように使っている言葉ですが、ほかの国の言葉では同じようなニュアンスに訳すことができない、いわば日本独特の言葉なのです。

例えば、英語なら「サンキュー」が該当しますが、実際にはニュアンスが少し違ってきます。

日本語の「ありがとう」は漢字では「有り難う」という字になりますが、読んで字のごとく、「有ることが難しい」という意味であり、深い感謝の思いだけでなく、祈りの気持ちに近い感情すら感じられる言葉だと思います。

誰かが、何かをしてくれたことに対して「ありがとう」と言うときには「サンキュー」と同じように使えますが、

「ありがたいことに、仕事は順調なんです」「いいお天気で、ありがたい」

というような表現を英語で訳すのは大変難しい。

英語圏でこうした言い方をすると、

「誰に対してサンキューと言っているのか?」と質問されます。

「ありがとう」以外にも、外国語では直訳できない日本語がいくつもあります。

「いただきます」は、料理を作ってくれた人への感謝の言葉としての使われ方をしていますが、実は動植物の命をいただくことに対して「いただきます」という意味があります。

「いただきます」には、私たち日本人が自分の命のために、ほかの動植物の命を「いただいている」ことを、食事のたびに意識し、感謝する言葉でもあるのです。

「おかげさま」という言葉も、外国人に言うと「ありがたい」と同じように「なんのおかげ?誰のおかげ?」と質問されます。

また、「もったいない」という言葉は、ノーベル平和賞を受賞したケニア人のワンガリ・マータイ氏によって、環境保護の合言葉として広めることを提唱され有名になりました。

そこには、常に「私」以外の他者へのまなざしや思いやりが透けて見えます。

自分が損をする得をする、ということではなく、他者が悲しむべき状態に置かれること、つまり、自分と他者との「調和」が損なわれることに対し「もったいない」と述べているのが分かります。

このような考え方と情緒を表現する言葉は、ほかのどの国の言語にも見当たりません。

他人だけでなく、相手が自然の草木や言葉を発しないモノであったとしても、悲しませるようなことはしたくないという日本人の気持ちの発露が、こうした言葉を育てたのではないでしょうか。

その感覚は、まるで、そこには見えない「命」が宿っているかのような扱いだと思います。

日本人は、古来から草木の一本から、火水風土あらゆる万物に神霊が宿り、そうした「ありがたい」大自然の恵みによって生かされていると考えられてきました。

キリスト教の考え方では、大自然の上に神が君臨していますが、日本人にとっては「八百万(やおよろずの)神」、つまりあらゆるものが神だったのです。

それ故我々は、どこにいても、どんなときでも、あらゆる「命」とのつながりの中で生かされているという幸せや感謝を表す、まさにありがたい「魔法の言葉」も使ってきました。

そのことを、今こそ再確認したいと思うのです。


誰かにほめられたりしたときに、「ありがたいことです」と先に言ってみると、謙虚な言葉が続く。

「ありがたいことです。まわりの人のおかげです」、「ありがたいです。たまたまツイていただけなんです」

もし、「私が頑張ったから当然です」などと言われたら、偉そうでイヤなヤツだ、と思われ、その人の運は落ちる。

私の力ではない、周りの人のおかげ、もっと言うなら、目に見えない力のおかげ、というなら、その運はまだ続く。

神さまは傲慢(ごうまん)な人より、謙虚な人を好む。

これは人も同じ。

今生きていることも、たまたまの僥倖(ぎょうこう)。

事故にも災厄にも遭わず、なんとか今生きている。

これを幸運といわずして何と言おう。

「ありがたい」「おかげさま」という言葉。

今、生かされていることに感謝したい。


著者 : 村上和雄
ソフトバンククリエイティブ
発売日 : 2011-06-27