2019年7月31日水曜日

記事紹介|情報と人をつなぐ力がイノベーションには必要

一つの事柄について全てを知るよりも、

全ての事柄について何らかのことを知るほうがずっとよい。

知識の多面性が最上である。

パスカル

***

現代日本でもリベラル・アーツを学ぶことの重要性が謳われるようになりました。

リベラル・アーツとは、教養とも訳され、

人文科学・社会科学・自然科学や学際分野にわたる基礎分野を横断的に学ぶこと。

昨今でも一つのことも深くたくさん研究できるようになったからこそ、

研究者の蛸壺化という問題が指摘されています。

そのことを中世に生きたパスカルがすでに指摘していたのですね。

そんなパスカルの肩書きは、哲学者、自然哲学者、物理学者、思想家、数学者、キリスト教神学者、発明家、実業家でした。

イノベーションを生むためには、知識の深化と探求が必要だと言われています。

遠いところの情報と人をつなぐ力がイノベーションには必要。

深化は一つのことを深く知ること。

探求は探検と同義で新しい新天地を求めるかのように、新しい知識を探していくこと。

その両方のバランスが大事なのでしょう。

2019年7月30日火曜日

記事紹介|努力は報われると思う人はダメですね

「好きだからやってるだけよ、で終わっといたほうがぇぇね。

これが報われるんだと思うと良くない。

こんだけ努力しているんい何でってなると腹が立つやろ。

人は見返り求めるとろくなことないからね。

見返りなしでできる人が一番素敵な人やね」

***

職業を道楽化している人は、自分が努力をしているとは思わない。

苦労も、努力もしないで、楽しみや道楽として仕事をする。

そういう境地になった人は、ますます成功する。

反対に、「努力しなければならない」という「ねばならぬ」状態で仕事をしている人は、苦しくなる。

どんな仕事に対しても…

「好きだからやってるだけよ」と淡々という人には限りない魅力がある。

2019年7月29日月曜日

記事紹介|チャンスの女神は前髪しか掴めない

小さなことを疎かにする人は、大きなことも成し遂げられないと言われます。

チャンスが来ないから全力が出せないのではなく、

全力を出さないからチャンスが来ないように見えるのでしょう。

本当は今でもチャンスと同席しているかもしれないのに。

チャンスの女神は前髪しか掴めないとも言われます。

後から追うのではなく、自ら動くことが大事なのですね。

2019年7月28日日曜日

記事紹介|科学技術は両刃の剣

平成の30年間で、生命科学は飛躍的に進歩した。一方で原発事故にも直面し、科学技術の使い方を誤れば大きな打撃になることも痛感した。人類が手にした大きな力をどのように使えば幸せな未来につながるのか。私たちはその選択をすべき「分水嶺(ぶんすいれい)」に立っているのではないか。日本の科学技術研究を牽引する山中伸弥さんに聞いた。

――元号を決める懇談会のメンバーを務め、新元号を「伝統を大切にしつつ、新しい時代をつくることに通じる」と表現しました。

「昭和を含め何度か使われている『和』に、初めてで響きも今までにない『令』という組み合わせから、そう思いました。これは研究にも通じます。伝統というか、知識の成果、蓄積がないと研究は始まりません。加えて、常識、通説、通念に疑問を持ち、違うのではないかという試みを続けることが大切です」

――平成の30年間、生命科学は大きく進歩しました。

「平成の少し前から、米国を中心に遺伝子工学が発達したことが非常に大きかったと思います。平成に入ってゲノム(全遺伝情報)解析技術が予想をはるかに上回る速度で進み、後押ししました。一方で、昭和の終わりぐらいは、がんが10年、20年で完全に克服できるとも予想されていましたが、まだ日本の死因の1位です。科学の進展は予想しにくいものです」

――何が技術発達の原動力になったのでしょうか。

「米国を中心にバイオ関連のベンチャー企業が次々に生まれ、バイオや医療が投資対象になりました。その影響で製薬、創薬を中心に、それまでの何倍、何十倍も速く、研究開発が進むようになったのです。昭和のころの医学研究は職人的な技術や、アイデアを持つ研究室が成果を上げていました。技術が進み、お金も集まるようになり、やり方が変わりました。ひとつの遺伝子を時間をかけて探すのではなく、かたっぱしから解読する手法です。お金と人をつぎ込み、ブルドーザーのように一気に進む研究が広がりました」

――研究室のトップが企業経営者のようになってきましたね。

「平成初期の日本の有力研究室は、自前ですべてできました。いまは、すべてを理解し自分たちだけでやるのは不可能です。チーム力というか、個々の技術を持つ人をバーチャルにつなげ、巨大な組織にして、一日も早く進める能力が求められています。日本の苦戦は、大学の研究者がそういう研究のやり方が苦手で、一国一城の主(あるじ)という研究室の枠を超えられないこともあると思います」

――科学の進歩で寿命が延び、社会的な弊害も指摘されます。

「私たちは平均寿命と健康寿命の差を1年でも短くすることを目指しており、ただ寿命を延ばす研究はしていません。30代の初めのころ、留学先の米国の指導者がこう言いました。『シンヤ、一生懸命研究すると、心筋梗塞(こうそく)で亡くなる人は減るだろう。個人にはいいことだが、社会として本当に幸せなのか』。当時、そんなことは政治家とかに考えてもらえばいいと思い、一生懸命研究することしか考えませんでした。それから25年。医療技術の発達もあり平均寿命は延びました。教授の定年も65歳になり、将来は70歳になるかもしれない。若者の職を奪うことになりかねません。どこの組織でも同じです」

――iPS細胞研究所も9割以上が有期雇用だそうですね。

「有期雇用が多いのは、研究所の財源のほとんどが期限付きだからです。でも研究成果を実用化して患者さんに貢献するには、長い期間がかかります。そこで、長期支援をしてくださる応援団が必要になるのです。寄付を募って、長期雇用するための財源や、若手研究者の育成、知財の確保や維持に使っています」

――若手とシニアの研究者の役割分担をどう考えますか。

「これまで日本は人生が1サイクルという考え方が中心でした。教育を受けて会社に入り、終身雇用で、定年後に20年ぐらい生きる。単に定年を延ばすと、若い人にしわ寄せがいき、ゆがみが生じます。シニアは2サイクル目の人生を考えるべきでしょう。同じことを続けて若い人と競争するのは、マイナス面の方が大きいです。日本はアイデアや発想より、人脈とかが重視されるから、研究費の獲得でも年長者が有利になります。若い人と競争するのではなくサポートにまわり、メンター(助言者)的な役割を果たしていきたいと思います。同じ業界でなくてもよいのです。人生経験は生きますから」

――日本の研究開発力の低下が深刻な問題になっていますが、その解決にもつながりますか。

「研究力の低下は、非常に大きな問題です。研究はアイデアや想像力が非常に大切です。この能力は若い方が非常に高く、年を重ねると減ります。特に基礎研究で新しい概念を打ち出すなら、若くて優秀な人に早く独立した研究室を持たせ、自分で自由に差配できる研究をしてもらう必要があります。しかし、独立したもののサポートが受けられないと、研究以外の雑事に忙殺され、才能がつぶれる危険性が高くなります。経験やマネジメント能力は年齢を重ねることで得られますから、シニアがサポートして若い人が研究に集中できる組織や体制を作ればいいと思います」

――学者が研究に使える時間の少なさも問題ですね。

「日本は研究者に高い事務能力が求められますが、研究能力とは必ずしも比例しません。米国ではそこまでは求めない。事務仕事をサポートする人がおり、その分、創造性が求められます。米国の研究者は一見、暇そうに見えます。夕方5時、6時になると帰り、夏に2、3週間休みます。成功したら、いい家に住み、ポルシェとかに乗っている。学生が研究者に憧れる雰囲気にあふれています」

――研究者を魅力ある職業にすれば、優秀な若者が増えますね。

「ただ目利きが難しいのです。大きな可能性がある研究者かどうかは、短い申請書ではわからない。過去の業績は評価できても、新しいアイデアや人となりは評価できません。しっかりした人は5年間成果がなくても支援する価値があります。研究には作法があります。失敗や予想外の結果もしっかり記録に残して解析している研究者であれば、その繰り返しにより驚く成果がでることがあります。そういった努力は書類だけではわからないので、組織が日常的に客観的な評価をしないと、埋もれている才能を発掘できません」

「例えば大学院生の時に有力科学誌に論文が載った人は、書類上は素晴らしい評価となります。でも運良く研究室が蓄積した成果が出る時期だっただけかも知れない。地味な雑誌にしか論文がなくても、きちんとしたビジョンを持ち、自らアイデアを考え、実験した成果がある人の方が、将来活躍する可能性が高いのです」

――働き方改革の時代、研究者の意識改革も必要でしょうか。

「先日、大学院時代の恩師にお会いして『あんまり無理するなよ、体に気をつけなあかんで、適当に手抜きや』と言われ、すぐに『あっ、心配せんでも、あんた昔から手抜くの上手やったな』と続けられました。ばれてた。研究においても、ワーク・ライフ・バランスは非常に大切です。大学院のころ言われたのは、普段はいいけれど、ここっていう時があるんや、そこでがんばれるかどうかで人間の価値が決まる、と。研究者はプロです。スポーツでも、将棋や囲碁、芸術でもプロの世界は、ここという時に頑張れなかったら負けます。遅くまで職場にいても、見せかけの頑張りでは、健康にも家族にもよくないと思います」

――「プロ」から見て、近年の科学の進歩をどうとらえますか。

「生命科学は、研究が飛躍的に進み、遺伝子の書き換えもできるようになりました。全人類の知能を上回るAIも登場するでしょう。原子力はすでにできてしまっています。私たちは、地球の40億年あまりの歴史において、クリティカルな時代にいるのではないでしょうか。人間はわずか数十年で深海にも宇宙にも行けるようになりました。地球が始まって以来のモンスターです。科学技術に携わる者として、今を生きる人々の幸せも大切ですが、長い目でみて、地球の運命を左右する大変な時代にいると自覚しています」

――令和はどんな時代になるでしょう。

「いまは山頂で、どちらかに転がってもおかしくない状況だと思っています。科学技術は両刃(もろは)の剣です。iPS細胞の発見もパンドラの箱と言われることがあります。これからが幸せになるのか、とんでもないことになるのか。令和は、どっちに行くかが決まる時代になると思います。いったん決まると逆戻りはとても難しいでしょう。1万年後、今を振り返る知的生命体が地球に残っていれば、『2030年、2040年くらいがターニングポイントだったね』と思うかも知れません」

(インタビュー 新時代・令和)分水嶺の科学技術 京都大学iPS細胞研究所長・山中伸弥さん|朝日新聞デジタル から

2019年7月27日土曜日

記事紹介|変化は好機

よく、人生は舞台に例えられる。

舞台では、与えられた役割を淡々と演じる。

通行人なら通行人を、主役の引き立て役なら引き立て役を。

うまく演じるためには必死で稽古するが、しかしときとして、最初に与えられた脚本も、突如として変わることがある。

だから、いままで覚えたセリフが無くなり、必死の努力がまったく無になることもたびたびだ。

急に脚本が変わった場合は、アドリブでやるしかない。

アドリブは日頃の自分の実力がモロに出る。

頭が真っ白になって、一言も言えなくなるときもある。

ぶっつけ本番でやるしかない。

人生もまったく同じだ。

予測のできない変化をどう受け止めるか。

「さあ、きたぞ」と笑ってニコニコ、ワクワクしながらそれを味わって素敵な経験とするのか、「参ったな、想定外だ」と不満を言って、不機嫌になるのか。

神さまは、舞台を面白くするために、大きく脚本を変える。

だからこそ、それを面白がったり、楽しんだりして、自分の価値を高めるための肥(こ)やしとすることが必要だ。

変化は、神さまからのプレゼント。

やってくる様々な変化をワクワク楽しめる人でありたい。

2019年7月26日金曜日

記事紹介|専門的な暗黙知を持つクリエイティブ・クラスを目指す

コンピュータが発達したいま、ホワイトカラー的な処理能力は「誰も持っていないリソース」にはなり得ません。

もちろん処理能力が高いほど成功の度合いも高まるでしょうが、その差は全体から見れば誤差の範囲にすぎないでしょう。

誰も持っていないリソースを独占している上のクラスとホワイトカラーのあいだには、ものすごく大きな差があるのです。

これまでの労働者は、「ホワイトカラー」と「ブルーカラー」の2つのクラスに大別されていました。

どちらかというとホワイトカラーのほうが上位に置かれていたわけですが、この区別にはもうあまり意味がありません。

たとえば米国の社会学者リチャード・フロリダは、それとは別に「クリエイティブ・クラス」という新しい階層が存在すると考えました。

簡単に言えば、これは「創造的専門性を持った知的労働者」のことです。

現在の資本主義では、このクリエイティブ・クラスがホワイトカラーの上位に位置している。

彼らには「知的な独占的リソース」があるので、株式や石油などの物理的な資本を持っていなくても、資本主義で大きな成功を収めることができるのです。

また、同じく米国の経済学者であるレスター・C・サローは「知識資本主義」という著書の中で、これからの資本主義は「暗黙知」が重視される世界になると訴えています。

「知識資本主義」の社会では知識が資本になるわけですが、それはどんな知識でもいいというわけではありません。

誰もが共有できるマニュアルのような「形式知」は、勝つためのリソースにはならない。

誰も盗むことのできない知識、すなわち「暗黙知」を持つ者が、それを自らの資本として戦うことができるのです。

フロリダとサローの考えを合わせると、これからは「専門的な暗黙知を持つクリエイティブ・クラスを目指すべきだ」ということになるでしょう。

ただ、これは若い人たちにとって、イメージするのが難しい。

なぜなら、クリエイティブ・クラスになるための道筋には「ロールモデル(模範となる人物)」が存在しないからです。

たとえばクリエイターの佐藤可士和さんは、間違いなくクリエイティブ・クラスでしょう。

アップル創業者スティーヴ・ジョブズも当然クリエイティブ・クラスです。

でも、それをロールモデルにして「佐藤可士和のようになりたい」「スティーヴ・ジョブズのようになりたい」といった目標を持っても、あまり意味がありません。

彼らは唯一無二の存在だからクリエイティブ・クラスなのであって、それを目指したところで、せいぜい頑張っても「もどき」にしかなれないからです。

「もどき」には、オリジナルな人が持っている暗黙知や、カリスマがありません。

見ればわかる形式知の部分だけを表面的になぞることはできても、そこには独自性がない。

要するに、「クリエイティブ・クラス」ではないのです。

ところが多くの大人たちは、しばしば子供たちに成功者の存在を教えて、「この人みたいになりなさい」とロールモデルを提示します。

しかし大事なのは、成功したクリエイティブ・クラスをそのまま目標にすることではなく、その人が「なぜ、いまの時代に価値を持っているのか」を考えることです。

それを考えれば、「誰かみたいになる」ことに大した価値がないことがわかるはず。

その「誰か」にだけ価値があるのですから、別のオリジナリティを持った「何者か」を目指すしかありません。

「誰か」を目指すのではなく、自分自身の価値を信じられること。

自分で自分を肯定して己の価値基準を持つことが大切です。

2019年7月25日木曜日

記事紹介|諦める口実を探すより、やれることに着手せよ

心的態度として、人には二つの姿勢しかない。

一つは、現状を打破しようとする姿勢。

もう一つは、現状維持の姿勢だ。

何か事があったとき、多くの人は、現状維持の姿勢を取りがちだ。

生物の習性として、どうしても現状を守るという本能が働いてしまう。

しかし、かつて地球において、急激な気候変動などで環境が激変したとき、恐竜のように、その変化に対応できなかった生物は絶滅した。

現状打破の姿勢がなければ、変化には対応できないからだ。

それは言いかえれば、「できない理由を探さない」こと。

できない理由を探すのではなく…

どうしたらできるのかと、少しでも前に進む方法を探す人でありたい。

2019年7月24日水曜日

記事紹介|大学は知識を手に入れる学びの場ではなくなった

私の学生の頃は知識を手に入れるには大学へ来なければならなかった。知識を持つ人間から伝達されるか、図書館で本を読んでその知識を得るしかない。今の時代は密室にいてもインターネットで基本的な情報なら手に入る。そういった意味では大学は知識を手に入れる学びの場ではなくなった。

生きた知識は対話を通じて生の情報をやり取りすることで初めて得られる。言ったことが誤っていれば、間違っていると言い返せる。これによって情報や知識を変えることもできる。情報になったものを受け取るだけだと勝手に解釈されてしまう。インターネットでは情報は伝達できても、情報から得る大切なものはやり取りできない。講義も聞くだけでは意味がない。対話によってやりとりするアクティブラーニングで、考え方や考えたこと、考えることを学ぶ。実験やフィールドワークを通じ、生の経験を共有しながら学んでいく。

多くの人は「わかること」が「学び」だと勘違いしている。「わからない」ということを「知る」ことが学びだ。友達ならずっと付き合っていけばわかりあえると思っている人がいるが、人間なんてわかりあえない。わかりあえないことをいろいろやり取りしていることこそが学びだ。知識だって同じで、いくら得てもわからないことはたくさんある。わからないということを学びながら、高みに上がる、深みに入っていくということを面白いと感じなければ学びではない。

人間は言葉によって、世の中に因果関係があるという物語を作った。原因と結果を理解する長大なプロセスを短くするため、知識を利用する。知識が誤っていたり未熟だったりすると、結果は本物ではなくなる。結果をすぐに求めようと、都合のいい知識を当てはめても、世界はわからない。世界はそれだけ謎に満ちている。

一人ひとりが情報化される時代

わからなくなったときに原点に立ち返らず、先へ先へと進もうとする。変化を追いさえすれば良くなると考えるのは、現代資本主義、新自由主義の悪弊かもしれない。日本も明治以降、とにかく変化を求めてきた。そのために科学技術は使われてきた。今は大きな転換期。私たちが捨て去った19世紀や20世紀に起きていたものをもう一度見直して再現する方が幸せかもしれない。そういう考えも学びの結果だろう。

人間の脳は意識と知能でできている。2つは異質のものだが、脳の中で操ることで生の会話や付き合いができてきた。しかし、AIは知能の部分を外部化する。意識の部分はデータ化できない。情報社会で意識の部分は置き去りにされている。共感するよりは知識で解決した方がいいという知能至上主義は危うい。

情報社会ではそれぞれの人間が1つの情報になっている。中国のアリババ集団による「信用スコア」は人間が情報化される時代の先駆けといっていい。人間は自ら情報になりたがっているようだ。誰もがデータ化できるとなれば、人間はもう生物ではなくなる。生物は一個一個違うものだから。

学んでも学んでも、情報社会のなかに絡め取られる。昔は学べばそれだけ頭がよくなって、世界を知って広がった。しかし、今は莫大な量の情報の中に浮かんでしまう。絶望的ですらある。だからこそ、違う人間のことをわかろうとするのではなく、違うことを前提に自分1人ではできないことを一緒に作りあげていく、という社会のあり方を学ばなければならない。

京大総長「わからないを受け止めよ」|日本経済新聞 から

2019年7月23日火曜日

記事紹介|分断は、“無理解”から生まれる。

もしかすると、ぼくは母親の胎内にいたとき、国に“殺されて”いたかもしれない――。

そう考えると、いまこうして原稿を執筆できている状況が、まるで奇跡のように思えた。

2018年9月、衝撃的なニュースを目にした。ろう者である兵庫県の夫婦2組が、国を相手取り訴訟を起こしたのだ。

その理由は、旧優生保護法による“強制不妊手術”。旧優生保護法とはいまはなき法律で、その第1条には「不良な子孫の出生を防止する」と記されていたという。

これは、“障害者から障害のある子どもが生まれてこないように”という歪んだ認識により、強制的に中絶・不妊手術を受けさせるというものだ。

件のろう者夫婦は、“聴覚障害”を理由に、国によって子どもを産めない身体にされてしまった。

同様の訴訟は、2018年1月に提訴された宮城県のものが初。以降、全国から“強制不妊手術”という差別的な行為の被害者となった障害者たちが立ち上がった。

障害があることで、差別を受ける。これは絶対にあってはならないことだ。

健常者のなかには、障害者をことさら特別視する人たちがいる。それが悪意のある差別や偏見として表出することもあれば、過剰な親切心という逆説的なカタチで表れてしまうこともある。

けれど、忘れないでほしい。障害者は別世界の人間ではない。ぼくら健常者と同じ世界に生き、同じように笑い、怒り、哀しむ、ぼくらの隣人なのだ。

ただし、ぼく自身がそう考えられるようになったのは、大人になってからだった。幼少期の頃のぼくは、障害者、特にろう者のことを嫌っていた。

そう、かつてのぼくは、母のことが大嫌いだったのだ――。

耳の聴こえない母親に対する嫌悪が生まれた日

ぼくの両親はろう者である。母は生まれながらにして音が聴こえず、父は後天的に聴力を失った。

彼らはぼくのことを非常に愛してくれた。結婚してなかなか子どもができなかった両親にとって、ぼくは待望の息子だったのだろう。欲しいものはなんでも買い与えてくれ、食卓には事あるごとにぼくの大好物が並んだ。

休日には、父の運転する車でドライブに出かけ、母が作ってくれた弁当を食べる。特に母が作る甘い玉子焼きは絶品で、ぼくはいつもそればかり食べていた。そんなぼくを見て、母はうれしそうに笑っていた。

傍目から見れば、“ふつう”の家族だったと思う。けれど、成長するにつれて、ぼくは自分の家庭が“ふつう”ではないのだと思い知らされていった。

小学生の頃、クラスメイトから言われた言葉でいまでも忘れられないものがある。

「お前んちの母ちゃん、喋り方おかしくない?」

後天性の障害である父とは異なり、母は生まれつき音を知らない。そのため、言葉をうまく発声できないのだ。けれど、ぼくが友人を家に招くと、母は笑顔で「よく来たね」と対応する。

ただし、この「よく来たね」は、「おういあね」とくぐもった言葉となってその場に響く。なにも知らない子どもにとってみれば、「おかしい喋り方」に聴こえるのも無理はない。

ぼくはそれが恥ずかしかった。その感情はやがて怒りや嫌悪となって、胸の内を暴れまわった。

どうして、ぼくの両親は“ふつう”じゃないんだろう。どうして、母は“ふつう”に喋れないんだろう。どうして、ぼくは“ふつう”じゃない家に生まれてしまったのだろう。

もう二度と、友人の前で喋らないで。授業参観にも運動会にも来ないで。ぼくと一緒に外を歩かないで。

このまま、どこかにいなくなって。

ぼくは母にやり場のない想いをぶつけた。そのたびに母は、弱々しく微笑み、「わかった」と頷いた。それが彼女をどんなに傷つけていたのか、そのときは1ミリも理解できていなかった。

「手話を使って話してくれて、ありがとう」と言われた

そんな母の真意を知ることとなったのは、ぼくが二十歳の頃だ。

間近に迫った成人式用に、ぼくは母とふたりでスーツを買いに出かけた。その帰り道、電車に乗っていたときのこと。街から最寄り駅までは、30分ほど電車に揺られることになる。

その間、ぼくは手話を使い、母と他愛のない会話をしていた。

スーツに身を包むことの気恥ずかしさ、バイト先で出会った面白いお客さんのこと、最近ハマっているドラマの展開について。どれもこれもくだらない内容だったけれど、母は楽しそうに頷いていた。

それは、最寄り駅に到着し、電車を降りた瞬間のことだった。母が立ち止まり、「ありがとうね」と手を動かした。ぼくは意味がわからず、「なにが?」と訊き返した。

「電車のなかで、大勢の人たちが見ている前で、手話を使って話してくれて、本当にうれしかった」

母は、そのようなことを手話で表現し、さっさと歩きだしていった。

けれど、ぼくはその後ろ姿を追いかけられなかった。

ぼくは駅のホームに突っ立ったまま、号泣した。周りの人たちは不審そうにぼくを見ている。そんなことを気にする余裕もなく、ぼくはただひたすらに泣いた。

子どもが親と会話をするなんて、当たり前のことだ。けれど、そんな些細なことに喜びを感じるくらい、ぼくは母を追い詰めていたのだ。

「ありがとうね」の裏に隠されている「寂しかった」という感情。この日、ぼくは過去の自分がしてきたことを恥じた。いくら謝ったとしても足りない。

「お母さん、ごめん。いままで傷つけてしまって、それに気が付かずにいて、ごめんなさい。本当は、誰よりもお母さんのことが好きだったのに」。ぼくは、心の中で何度もくり返した。

障害者への無理解が、分断を生み出している

口話、筆談、手話、点字、ボディランゲージ……。この世にはさまざまなコミュニケーション方法がある。共通するのは、“伝えたい”という気持ちだ。それが人と人とをつなぎ、相互理解を促す。

耳の聴こえない両親のもとで生まれ育ったぼくは、その大切さを身にしみて実感した。だからこそ、ぼくは、ライターという職に就いた。言葉の力をもって、分断されているものをつなぎたいと思うからだ。

分断は、“無理解”から生まれる。

“知らないこと”は、恐怖や不安へとつながっていく。

障害者への偏見にまみれた旧優生保護法という悪法が生み出されたのも、障害者に関する知識のなさが一因だろう。もう二度と、あのような偏見があってはならない。

そのためにぼくは、まずは最も身近にいたろう者や難聴者、そして彼らを取り巻く現実について、広く知ってもらうための記事を執筆していきたいと思う。

音が聴こえないことが、どんな不便さをもたらしているのか。彼らにとって、この社会はどれほど生きづらいのか。いったいなにに苦労しているのか。同時に、彼らの人生がいかに幸せなものなのか、可能性に満ち溢れているのか、豊かなのかについても綴っていきたい。 

大切なのは、彼らを特別視しないこと。

フラットな目線で、彼らの喜びも哀しみも、伝えていきたいと思う。

2019年7月22日月曜日

記事紹介|努力に王道はない

『人よりがんばることなんてとてもできないんですよね。

あくまではかりは自分の中にある。

それで自分なりにそのはかりを使いながら、自分の限界を見ながらちょっと超えていくということを繰り返していく。

そうすると、いつの間にかこんな自分になっているんだという状態になって。

だから少しずつの積み重ねが、それでしか自分を越えていけないと思うんですよね。

一気に高みに行こうとすると、今の自分の状態とギャップがありすぎて、それは続けられないと僕は考えているので。

地道に進むしかない。

進むというか、進むだけではないですね。

後退もしながら、あるときは後退しかない時期もあると思うので。

でも、自分がやると決めたことを信じてやっていく』

努力に王道はない。

それは、イチロー選手のいうように、毎日の少しずつの積み重ねによって、「いつのまにかこんな自分になっている」という状態になること。

歳を重ねるごとに、多くの人の可動域は狭くなる。

思考の柔軟性がなくなり、硬くなって、新しいことや違った意見を受け入れられなくなる。

そのためには日々、考え方や意識の可動域を広げるトレーニングを繰り返すしかない。

新しいことやめずらしいこと、変わったことに触れること。

楽しいことや面白いこと、興味深いことを体験すること。

年配者だけでなく若い人たちや、男女に関わりなくコミュニケーションをとること。

そして、バカバカしいこと、くだらないことをやってみて、楽しむこと。

年齢を重ねれば重ねるほど、凝(こ)り固まってはいけない。

いくつになっても、可動域を広げる努力を重ねたい。

2019年7月21日日曜日

記事紹介|置かれた場所で咲く

幸せというものは、多くを持つことによって得られるのではなしに、今持っているもので満足することで得られるものです。

今あるがままの状態で幸せはつくれるんです。

貧乏であれば幸福な貧乏人になればいいわけで、それを初めから貧乏はダメだと決めつけ、金持ちになろうと焦るから不幸は始まる。

神様にあれこれ願い事をするのは宗教ではありません。

ああしてください、こうしてくださいと請求書をつきつけるような祈りを、私は「請求書的祈り」と名づけています。

本物の宗教心というのは、「私はこれだけのものをいただきました。どうもありがとうございました」という「領収書的祈り」なんです。

弱い者は弱い者の役割を果たし、強い者は強い者の役割を果たし、ともに助け合って生きていくのが人間社会なんです。

今の日本の平等主義は、個々の役割をわからなくし、自分の生き方を見えにくくしているのではないでしょうか。

自分の努力のほかに、大勢の縁の下の力や支えがあってこそ成功したんだという感謝の気持ちがない。

失敗した人、成功できなかった下積みの人たちのことを、あれは努力が足りないからなんだと蔑(さげす)む。

これはおかしいんじゃないでしょうか。

二歩後退一歩前進。

何歩後退しても、そこからまた一歩進めばいい。

一歩しか進めないなら、そんなに急いで歩く必要はない。

与えられた役割を懸命に演じる|人の心に灯をともす から

2019年7月20日土曜日

記事紹介|「ゆでがえるの悲劇」と「おたまじゃくしの死」

「ゆでがえるの悲劇」とは、組織変革の本では、おなじみの寓話ですね。

「一匹の生きたカエル」を「煮えたぎった鍋の湯」のなかにぶち込むと、びっくりして、鍋からは飛び出す。よって、カエルは死なない。

しかし、今度は「生きたカエル」を「鍋の水」のなかにいれて、徐々に徐々に加熱していくと、カエルは、その状況変化に気づくことなく、加熱されて、やがて死んでしまう、という話です。

このカエルと、組織のなかにいる個人を喩えて、よく組織変革本では引用されます。

すなわち、組織の中のメンバーが、組織のなかで徐々に腐っていくときも、これと同じです。

徐々に加熱されてはいるけれど、それに気づかず、「いつのまにか茹で上がっているカエル」は、「周囲で行っている変化」に気づかず、徐々に「緩慢な死」に向かっていく組織の個人に喩えられています。

ところで、この本では、この事例をさらに発展させ「オタマジャクシの死」というメタファに昇華させています。

これが素晴らしい。

つまり、こういうことです。

徐々にゆでられて「緩慢な死」を選ぼうとしているカエルのなかには、老獪なカエルがいるのです。つまり、「徐々に水の温度があがっていること」に気づいているカエルがいる。ただし、老獪なカエルは動きません。なぜなら、彼は知っているからです。

「あと数年、持ちこたえれば、自分だけは鍋の外に出してもらえる。

あとすこしだけ知らぬ存ぜぬのふりをしていれば、次の世代に責任を押しつけることができる」

おわかりでしょうか。

「動かない老獪なカエル」とは、このまま動かなければ、組織のメンバーがみな「緩慢な死」に向かうことはわかっていながら、ただただ持ちこたえているカエルなのです。それでは、このカエルは誰でしょうか。当然のことながら、老獪な年長者であり、経営陣ですね。

老獪なカエルは、あと数年すれば、問題を何一つ解決しないまま、鍋の外に自分だけ出してもらえます。

そして鍋のなかに残されるのは・・・次の世代(若い世代)=オタマジャクシです。

だから「オタマジャクシの死」(笑) 

ズドーン・・・またまた早朝バズーカ(笑)。

いやいや、この話、身震いしませんか?

僕は、ホラームービーを見たかのように、身震いした。

ていうか、日本のそこら中の組織で「あるある過ぎて」、首もげそう(笑)

「動かぬ老獪なカエル」と「死んでいくオタマジャクシ」、めちゃくちゃ、いそう。

ちなみに「死んでいくオタマジャクシ」の葬式には「老獪なカエル」は出ないからね。

  
あなたの組織には、あと数年たてば鍋の外に出してもらえる「老獪なカエル」がいませんか?

あなたの組織には、水温の上昇に気づかず、無邪気に明日を夢見て泳いでいるオタマジャクシがいませんか?

あなたは、無邪気におよぎ緩慢な死をまつ「オタマジャクシ」になっていませんか?

動くことも「選択」

動かぬことも、また「選択」

組織のなかで死んでいくのは「ゆでがえる」ではなく「オタマジャクシ」であるという「ホラームービー的現実」!? |立教大学 経営学部 中原淳研究室 - 大人の学びを科学する から

2019年7月19日金曜日

記事紹介|遠きをはかる者は富み 近くをはかる者は貧す

「幸せな会社」とは、豊かな組織をつくること

最初に紹介する尊徳の言葉は、この言葉です。

「遠きをはかる者は富み 近くをはかる者は貧す。

それ遠きをはかる者は百年のために杉苗を植う。

まして春まきて秋実る物においてをや。

故に富有なり。

近くをはかる物は 春植えて秋実る物をも尚遠しとして植えず

唯眼前の利に迷うてまかずして取り

植えずして刈り取る事のみ眼につく。

故に貧窮す。」

尊徳は、目先の損得で物事をはかる者は貧窮すると言います。反対に富む者、つまり豊かになっていく者は、目先の損得ではなく将来芽吹く豊かさのために、様々な準備をしているのだとも言っています。たとえば、文中にあるような作物を育てたり苗木を植えたり、といった取り組みです。

目先の損得で物事をはかる者は、今すぐ手に入らないものに対しては労力を使いたがらないので、「その場しのぎ」「行き当たりばったり」となり、運よく一時的な豊かさが得られたとしても安定しませんし、豊かさを得続ける再現性もありません。

尊徳は上記の言葉で「者」と表現していますが、これは一個人の話ではありません。尊徳の取り組みで言えば「村」であり、また「会社組織」と置き換えても読むことができます。では、尊徳の言う「遠きをはかる者は富み 近くをはかる者は貧す」という考えが、具体的にどう「幸せな会社づくり」のヒントとなるのでしょうか。

遠きをはかるとは、将来のために投資をするということ

尊徳の言葉を「幸せな会社づくり」に置き換えて考えるならば、将来のために投資が行われる組織づくりをしましょう、ということです。それはつまり、新商品の開発や、専門分野の研究、人財育成、などが言えるでしょう。尊徳はその投資を「それ遠きをはかる者は百年のために杉苗を植う」、つまり100年という長期視点で考えよ、と説いているのです。

これはすべての投資を100年という長期視点で見なさい、という意味ではありません。それくらいの「長期的な視点」で、研究開発や人材育成といった投資をし続けるということが大切であるという意味です。

短期の成果を偏重する現代の風潮

最近は、何かというとコストパフォーマンが叫ばれ、成果の見えにくい物事には予算が与えられなかったり、あまりにも短期間で取り組みが打ち切られたりしがちです。

しかし尊徳は、すぐに成果が出る物事に対してだけ評価される現代の風潮に警笛を鳴らしています。

それは「近くをはかる物は 春植えて秋実る物をも尚遠しとして植えず 唯眼前の利に迷うてまかずして取り 植えずして刈り取る事のみ眼につく。 故に貧窮す」という言葉でも明確です。

たとえば売り上げが伸びていて、一見すると成長しているように見える組織でも、長期的な投資(新商品の開発、専門分野の研究、人財育成 など)がなされていなければ、やはり価格競争の波にのまれたり、他社商品に依存したような商売をしなければなりません。そのような組織では、社員も自分たちの仕事に誇りを持って働きにくいですし、会社の将来性が見えにくいので、幸せどころか不安を感じてしまいます。

幸せな会社をつくるためには、たくましい組織である必要があるのです。そのたくましさとは、自分たちの力で新たな商品やサービスを生み出していける力を持つということであり、尊徳の言葉にもある「遠きをはかる者は百年のために杉苗を植う」姿勢がその要となるのです。

二宮尊徳の名言「遠きをはかる者は富み 近くをはかる者は貧す」を実践する組織とは?|PHP人材開発 から