2012年10月31日水曜日

生き残りをかけた改革の加速を

立命館アジア太平洋大学副学長・大学マネジメント研究会会長の本間政雄さんが書かれた論考「大学改革実行プランの帰趨にかかわらず改革必須の情勢の認識を」(Betwee 2012年10-11月号)をご紹介します。(下線は拙者)


なぜ今、唐突に「大学改革実行プラン」か

文部科学省の政策は、中央教育審議会を中心にさまざまな角度から議論され、大臣に提出された答申をベースとして形成される。文科省は答申を、政(与野党政務調査会、議連など)、官(予算を握る財務省、交付税を握る総務省)、関連団体(国立大学協会、日本私立大学連盟など)との調整・協議を経て、逐次法令化、予算化する。教育課程のあり方などの「重い」課題は国民的な合意が得られないとなかなか実行できないので、時間はかかるが、このプロセスは合理的である。

一方、短期的な、あるいは緊急性の高い課題は、このプロセスを経ず、文科省内部での議論だけで、あるいはせいぜい「調査協力者会議」等の専門家会議から、短期間で結論を得る。

6月4日に国家戦略会議に報告された「大学改革実行プラン」(以下、「プラン」)は、上記からすると異例である。プランには、中教審で議論されてきた政策だけでなく、国立大学の「ミッションの再定義」に基づく「国立大学改革プラン」の策定、大学の教育力などを測る「客観的評価指標の開発」といった重要施策も列記されている。にもかかわらず、2か月足らずの間に省内の課長級のワーキンググループでまとめられた。水面下で国大協と事前に調整した形跡はない。

こうしたプロセスは異例ではあるが、初めてではない。2001年6月に、文科省は「大学(国立大学)の構造改革の方針(遠山プラン)」を公表した。これは、①大胆な再編・統合による国立大学の数の大幅な削減、②国立大学の法人化、③競争原理の導入による国公私トップ30大学の形成という3つの政策を柱とし、既定路線の②は別として、①③は唐突に発表された。

今回のプランと「構造改革プラン」には共通点がある。いずれも、(国立)大学のあり方に対する強烈な不満が政官財界にあり、中教審を通じた緩慢かつ微温湯的な改革に不信・不満を募らせていたことが背景にある。破綻寸前の国家財政に危機感を募らせる財務省は、大学の削減によって毎年1兆1000億円を超える国立大学への交付金や3000億円超の私立大学への補助金の削減を企図しているし、グローバル化が急速に進行する産業界は、グローバルな人材の育成が進まない大学に苛立ちを強め、学長の権限強化などのガバナンス改革を求めている

国立大学の法人化は、産学連携による大学発ベンチャーの育成を進めていた通産省(当時)が仕掛けたと巷間ささやかれているが、今回のプランは財務省がシナリオを描いているのはほぼ確実である。消費税増税に見られるように財務省の政治力は侮り難く、与野党、財界に万遍なく根回しを行ったうえで、首相が議長を務める国家戦略会議で文科省に強烈な圧力をかけたのである。わずか2か月でプランをまとめざるを得なかったのは、文科省が追いつめられていた証左であろう。

ねらいは、再編・統合と共通指標での「実力」評価

プランは、20~30年後の日本の将来像と求められる人材像をふまえ、大学改革の方向性として、①大学機能の再構築、②大学ガバナンスの充実・強化の2つを挙げ、具体的には、①で大学教育の質的転換と入試改革、グローバル人材育成、地域再生の核としてのセ ン タ ー・オブ・コ ミ ュ ニ テ ィ(COC)構築、研究力強化、②で国立大学改革、改革を促すシステム・基盤整備、メリハリある資金配分、大学の質保証の徹底推進という計8つの政策領域を提示。各領域で具体的な方策が2~4ずつ列挙されている。2012年度を改革始動期、13、14年度を改革集中実行期、15~17年度を改革検証・深化発展期と位置付けて、6年間でPDCAサイクルを回すとしている。

ここでは、多岐にわたる改革方策をいちいち紹介する紙幅もないので、インパクトが大きいと考えられる3つに絞って、ねらいを考えてみたい。

まず、国立大学改革である。プランは、全国立大学・学部の「ミッションを再定義」し、2013年度から「大学・学部の枠を越えた再編成等」、すなわち「リサーチ・ユニバーシティ」群の強化や機能別・地域別の大学群の形成に進むとしている。このために、「1法人複数大学」や国公私立大学等の共同による「教養教育実践センター」等の教育研究組織を可能にする制度的枠組みを整備するとしている。

「再定義」が 何を意味するかは、個々の大学に即して考えてみればわかりやすい。プランでは、2012年度中にまず教員養成、医学、工学の3分野で「再定義」を行い、存在意義を「見える化」するとしている。

少子高齢化が進む中で教員養成大学・学部の存在意義を問い直せば、縮小・統合再編という方向性が明確にならざるを得ないし、教員養成コースの縮小によって余剰となった教員を集めてつくった「ゼロ免課程」の存在意義には大きな疑問符がつくだろう。明確な人材ニーズに基づく構想・設置ではなく、まず教員がいて、その専門分野で可能な教育・研究組織を考えるという全く転倒した論理でできあがったからだ。例えるなら、原子力工学の技術者がいるから原子力発電所が必要と言うようなものだ。

工学といえば、室蘭工業大学(鉄鋼、造船)、京都工芸繊維大学(工芸、織物)など、地元の産業と密接に結び付いて設立された大学は、その産業が衰退した現在、ミッションはどのように再定義されるのか。当初、国立大学自身が再定義するとしていたが、「既存のすべての機能が必要」という結論になることを見越し、文科省自らが再定義に乗り出すと聞く。中途半端に終わった「構造改革プラン」による再編・統合の第二幕になるか、国立大学はかたずをのんで見守っている。

第二に注目すべきは、「大学ポートレート」による情報公表の徹底と大学の教育力などを客観的に評価する指標の開発である。従来、高校生の大学選択の基準は、偏差値、立地、授業料、「ブランド」であり、教育・研究機関としての「実力」を示すデータが公表されることはまずなかった。企業も、「大学教育に関心はない」と公言し、銘柄大学の学生かどうかや「人間性」といった曖昧な基準で採用してきた。

プランでは、大学の教育力、研究力、地域貢献、国際性に関する特徴を明らかにするため、比較可能な指標を開発し、公表を促すとしている。ねらいは、共通の指標に基づく大学の「実力」の公表により、根拠が曖昧だった従来の指標での社会的評価を覆し、教育で実績を挙げている大学・学部が高校生や企業から正当に評価され、選ばれるようにすることであろう。

第三は、実績に基づく資金の重点配分であり、国立大学には「潜在力のある大学に対し、エビデンスに基づいて重点的支援を行い」、私立大学には、成長分野の人材育成、国際化、社会人受け入れに取り組む大学と、大学情報を積極的に発信したり「先進的ガバナンス」改革を行ったりする大学への特別補助の充実を図るとしている。これらは「メリハリある資金配分」によって改革を促す施策であるが、支援の基準として「潜在力」や「先進的ガバナンス改革」が入った点が注目される。

経営効率化こそが再編・統合の真の課題

果たして、プランは実行されるのだろうか? 答えはイエス&ノーである。これまでも中教審のそ上にあった「大学ポートレートの公表」「客観的評価指標の開発・活用」、GPや特別補助など、実績のある政策の延長線上のものは着実に実施されるだろう。

他方で、紆余曲折が予想されるのは国立大学の「ミッションの再定義」の先にある再編・統合である。「1法人複数大学」方式は、既に統合した大学で実質的に採用済みと言っても良く、比較的容易に実現しそうだ。問題は、「規模のメリットを生かした経営の効率化と重点分野の強化」が図れるかどうかである。統合大学では、距離的な障害もあって経営の効率化は進まず、教育研究組織の融合による重点分野の強化も形だけの場合が多い。

九州大学、長崎大学、鹿児島大学などの統合による大九州大学構想があるやに聞くが、重複する工学部、法学部、水産学部などはどこかに集約という話になり、議論が起こるであろう。

「国立大学は多すぎる」とする財務省や、行政の無駄排除を掲げる民主党が構造改革プランのときのような見せかけの再編・統合で黙っているとは思えない。プランの帰趨にかかわらず、各大学はそこで投げかけられた課題を正面から捉え、生き残りをかけて改革を加速しなければならない。


インデックス・コミュニケーションズ
発売日:2008-04-05

2012年10月30日火曜日

成長が重視される組織風土の形成

東京大学大学院教育学研究科大学経営・政策コース講師の両角亜希子さんが書かれた論考「単年度計画への反映と学内共有が将来計画の実質化のカギ」(Betwee 2012年10-11月号)を抜粋してご紹介します。(下線は拙者)


実質化のための4つのポイント

中長期的な観点から計画を策定する私立大学は増えているが、単に策定するだけで改革推進に効果があるわけではない。計画や政策を立案するだけでなく、それが浸透し、教職員の行動に結び付いてこそ、効果を上げていることがわかってきた。このように将来計画を「実質化」するには、何に注意を払うべきか。ポイントを挙げる。

①自学の状況を把握する

自学の実態を知るために分析している情報を、図表3(略)に示した。受験生推移や志願者動向、授業評価、就職状況、財務分析、学生満足度などの基本情報は多くの大学で分析されている。しかし、「地元の高校生のニーズ」(32%)、「卒業生を採用する企業の意見」(37%)など、ステークホルダーのニーズと自学の現状の関係は、十分な分析を行っていない大学も多い大学に対する厳しい意見も含めて実態を把握して、その乖離を埋めるための情報を集め、生かすことが重要だ。

また、「学生の学習実態調査」(40%)もそれほど高くないが、学生の満足度や就職状況等との関連性を含めて分析することも有効だと考えられる。大学では自己点検評価や認証評価など、さまざまな情報収集・評価活動が行われているが、こうした価値ある情報を有機的に結び付けておらず、したがって十分に活用できていないケースも多いのではないか。学内に眠っている貴重な情報の収集・活用はトップのイニシアチブによって進める必要があるだろう。

②財政計画と結び付ける

図表4(略)には、将来計画を策定するうえで重視する点をまとめた。67%の大学が計画の財政的裏付けや見通しを「とても重視」と回答しているとおり、財政計画と結び付けることが重要である。私高研の調査(2009年)では、中長期計画が財政計画と関連している大学(101校)の帰属収支差額比率は8.3%、そうでない大学(57校)は-1.9%で、財政と結び付いた計画が収支の健全さにつながっていることが明らかになっている。なお、この結果は大学の規模などの諸条件による影響を除外して分析しても同様であった。

私高研の最新調査では、財政状態が悪い大学ほど、「全学のあらゆる課題を盛り込む」ことを重視する傾向が見られるが、優先課題を絞り込み、計画を学内資源の適切な配分につなげることが一部の大学では重要であろう。

③単年度計画に反映する

将来計画の具体性を確保するために、単年度計画に反映することも重要だ。実際に、78%の大学がこれを行っている。

さらに、将来計画では「いつまでにやるのかのスケジュールを明確にすること」や、「毎年、計画の進捗状況を評価、確認すること」が重要であるが、前者は66%、後者は60%の大学しか行っていない。単年度計画に反映しても将来計画の進捗状況が思わしくない大学は、このあたりを再確認することが必要だろう。

④構成員が課題を共有する

計画を実際に行動に移し、改革を推進していく主体は、経営陣ではなく、学内の構成員である。将来計画は、教職員の間で課題を共有・浸透させるための手段として考えることもできる。将来計画の浸透状況は、経営陣の間では56%の大学が「十分に浸透している」と答えているが、全構成員についてはわずか8%に過ぎず、きわめて多くの大学が構成員への浸透に課題を残している

構成員の間に浸透している大学ほど、将来計画の策定効果を強く実感しており、定員充足率や中退率は、ほかの諸条件による影響を除外して分析した結果でも、望ましい状況にある。

では、構成員との課題共有を進めるためにはどうしたらよいのか。66%の大学が行っているが、数値目標を掲げることも効果的である。大学の現状や課題をわかりやすい指標で示すことが構成員の周知に役立っているようだ。

数値目標を掲げている大学のみに対象とする項目を尋ねたところ、定員充足率(77%)や財務指標(76%)を掲げるケースが多く、これらに比べると就職率(52%)、中退率(35%)、学生満足度(16%)はそれほど多くない。その大学にとって重要な項目を厳選することが重要で、やみくもに多くの項目に数値目標を掲げても構成員の頭に残らないだろう。

計画策定の過程で、「情報を公開し、意見等を受け付ける仕組み」も、課題の浸透・共有を進めるうえで有効だ。22%しか実行されていないが、これらの大学における全構成員への将来計画の浸透は、18%が「十分」、76%が「ある程度」という状況だ。なお一般的には、小規模大学ほど大学の課題は共有しやすく、浸透が進んでいると考えられるが、実際には、どの調査データを用いて分析してもこのような傾向は見られない。つまり、規模に関係なく、大学の努力いかんによって浸透度は変わり得るということだ。

当時者意識の醸成を

将来計画の策定は、すでに一般的になりつつあるが、重要なのは、このプロセスを通じて学生募集の安定化と教育力の向上を図ることである。そのためには、計画がその大学の現状や課題に合っているかという内容の適切性や実現性が重要であることは、言うまでもない。これに加え、個々の教職員の意識と行動をいかに大学の改革へと向かわせるかが成否を分ける将来計画の策定によって、めざすべき方向性の決定と共有、構成員の間での当事者意識の醸成こそが、まずは重要である。

最終的には、教育力向上のために教職員が同じ方向をめざして行動することが当然とされ、個々の構成員の成長が重視される組織風土の形成こそが、改革の実現に結び付くのではないか。


2012年10月27日土曜日

リーダーシップの本質

経営者の政治

私が知っている偉大な経営者達はだいたい政治と距離を置きます。政治は経営の邪魔さえしなければよいと考えているからです。しかし、私が知っている偉大な経営者達は見事な政治力を持っています。彼らの政治力は社内の結束と社外のマーケティングに大変な威力を発揮しています。

一見矛盾のようですが、そうではありません。政治家達の政治と経営者達の政治が違うのです。本来、政治には一つの意味しかありませんが、「経済は一流、政治は三流」と言われる中、政治家の政治と経営者の政治がどんどんかけ離れて行きます。

一人でも多くの社員に理解されるように、一人でも多くの顧客に評価されるように、一人でも多くの株主に魅力を感じてもらえるようにと、良い経営者は日々頑張ります。これは政治家の数の原理とまったく同じです。自分側の人数を増やし、ライバル側の人数を減らすことは経営の政治の基本であり、本来、これは政治家の政治の基本とまったく同じです。ただ、経営者たちは知らずにやっているだけです。

サルやオオカミの群れにも政治が存在する訳です。政治は何も難しいことや汚いことではありません。群れで行動する時に、社会が形成する時に必要最低限の仕組みに過ぎないのです。

政治力が一番求められるのは群れのリーダーです。ゆえにリーダーシップの本質は政治力です。本来、政治は「大人の汚い権力闘争」でもなければ、人間特有のものでもありません。政治は生命現象の一部であり、社会形成のツールなのです。

漢字から考察しても「政治」の本来の意味が見えてきます。「政」は「正しい文人、文化」です。「治」は「台」を築き上げて水をおさめるという意味です。

古代の黄河流域では、民の最大の脅威は洪水でした。氾濫した黄河が大切な農作と農地を台無しにするだけではなく、家や家族の命も奪ってしまうからです。この時のリーダーは農民をまとめ上げ黄河の水を治める人でした。

「大禹」という人が最初に土堤(台、ダム)を築き上げて洪水を治める限界を看破したリーダーです。いくらダムを高く造っても、洪水が運んできた土砂で底が上がってくるのでいずれ決壊します。彼は住民や農地の少ないところのダムを敢えて決壊させ、洪水を導く方法を提案しました。

総論に賛成しても決壊場所に家と農地があった民は、その具体論に反対するのです。彼らを説得し、反対を抑えたことこそ、「大禹」のリーダーシップでした。「決断」という漢字はこのことを表現するための言葉です。ダムの「央」の一部を無くして、水を流すのは「決断」の「決」です。

泥をかぶっても一部の人間を説得したり、抑えたりして全体利益のために決断を下し、それを実行させるのが政治なのです。この力は全てのリーダーに必要であることは言うまでもありません。

周知のように、理念と建前だけで経営が上手く行くならば、良い経営者の必要がなくなります。経営理念と建前を掲げながらも、結果を出すために、葛藤、苦闘、妥協、孤独などの泥臭い部分と付き合うのが経営者です。

しかし、多くの政治家は結果責任を取らず、その時々の国民の人気だけをとって当選を目的にしているのです。これが経営者達の政治と根本から違うところであり、「経済は一流、政治は三流」の原因でもあるでしょう。

出典:宋文洲のメルマガの読者広場


2012年10月26日金曜日

子どもの夢

中山和義氏の心に響く言葉より…

「江ノ電の運転手になりたいという病気の子どもの夢を叶えてもらえないでしょうか?」
ある日、こんな手紙が江ノ電の会社に届きました。
難病と戦う子どもたちの夢を叶えることを支援している団体「メイク・ア・ウィッシュ」からの手紙でした。
その手紙に書かれていた子どもは「拡張型心筋症」という先天性の難病で入院していた16歳の新田明宏君でした。

「江ノ電を運転したい」と男の子が強く思うようになったのには、理由があります。
幼い頃から病気のために、運動が思いきってできない男の子を癒してくれたのが電車でした。

お母さんが「外で遊べない息子のために」と思って買ってくれた電車のおもちゃが大好きでした。
お父さんもそんな男の子を、休日のたびに電車に乗せてあげていました。
電車の中でも、ゆっくりと街中を走る江ノ電が特にお気に入りでした。
中学生の頃になると男の子の電車への思いは、ますます強くなります。

ところが、男の子が15歳の時、病状が悪化します。
入院した男の子は、大好きな鉄道にも乗れなくなってしまいました。
それどころか、男の子の病状は、もはや治療する方法がない状態でした。

病院の先生はベッドの上でも時刻表を離さない男の子を見て、「もう、この子を助ける方法はない。
こんなに鉄道が好きで、運転手になりたいと心から思っているこの子の夢を、何とか叶えてあげたい」と思い、メイク・ア・ウィッシュに連絡しました。

運転の当日、この日は11月にしてはとても暖かい日でした。
救急車で藤沢駅に到着した男の子が、運転手の制服に着替え、付き添われながら運転席に座ると、江ノ電がゆっくりと駅を出発しました。
普段は無人の駅もありましたが、この日はすべての駅に駅員が待機して、運転席にいる男の子に直立不動で敬礼しました。

またスタッフは運転免許を持たない男の子に、運転席に座るだけではなくて、何とか本当に電車を運転してほしいと強く思っていました。
スタッフが用意した免許を必要としない検車区間に電車が進むと、男の子はレバーを握り、自分の力だけで電車を動かしました。
その間、男の子は病気だとは思えないような笑顔で、目を輝かせながら電車を運転していました。

その3日後、夢を叶えた男の子は遠くに旅立ちます。
その後、男の子の話は「小さな運転手 最後の夢」というドラマになってテレビに放映されました。

江ノ電の本社には、男の子が描いた絵が飾られています。
自分が江ノ電を運転しているところを描いたものです。
江ノ電を愛してくれた男の子がいたことを、社員全員が忘れないために掛けられています。

『涙を幸せに変える 24の物語』フォレスト出版

多くの大人は、知らず知らずのうちに、子どもたちの夢をつぶしている。
子どもが、「宇宙飛行士になりたい」「野球の選手になりたい」と夢を語ると、「そんな夢見たいなことばかり言ってないで、さっさと勉強しなさい」と。
「それは無理」、「これはダメ」、と、すぐに否定する。

だから、難病の子どもたちの夢を必死で叶えようとするメイク・ア・ウィッシュのような活動が光る。
そして、大人が真剣になればなるほど、子どもはそれに向き合ってくれる。

制服をそろえ、運転席で実際に運転させ、整列して直立不動で敬礼をする…
子どもの夢を心から応援できる大人でありたい。

出典:江ノ電の運転手(人の心に灯をともす 2012-10-25)


2012年10月25日木曜日

統計分析能力の開発

北陸先端科学技術大学院大学大学院教育イニシアティブセンター特任准教授の林透さんが書かれた論考「大学職員に求められる統計知識」(文部科学教育通信 No.302  2012.10.22)をご紹介します。


必要不可欠な知識

大学は管理運営の時代から経営の時代を迎えたとよく言われる。大学経営人材として期待される大学職員に求められる知識・能力等に関する価値観も大きく変化しているように思われる。しかし、そのような価値観の変化に適応した力量形成の機会の設定や提供がまだまだ少ないことも確かであろう。

国立大学法人化以前であれば、法律・規則に関する業務が重要視され、人事担当者であれば人事院規則9-8を理解して給与決定に長けること、会計担当者であれば予算決算及び会計令(予決令)に基づいた予算執行に長けることが尊重された。教務・学生生活担当者においても様々な内規に縛られながら定形的な対応に終始することが多かったのではないか。そのような日常業務において、旧文部省を中心とした関係省庁が刊行するハンドブックや質疑応答集が重要な参考書となっていたように思われる。最近刊行された『国立大学法人法コンメンタール』や『大学の教務Q&A』などは、今日の大学現場にとって非常に役立つ書であることは間違いない。

一方において、大学経営の必要性が叫ばれる中で、大学現場を掌る大学職員の力量形成に役立つ書は、まだまだ意外に少ないのではないか。教科書的なものとしては、山本眞一著『大学事務職員のための高等教育システム論』や早田幸政・諸星裕・青野透編著『高等教育論入門』などがあるが、高等教育制度に関する体系的知識や大学職員としての基本的心構えを解説する域に留まっている感が否めない。

近年の大学経営の展開や大学職員を取り巻く環境について詳細に眺めてみると、大学職員が担う職務が、単なる行政的事務処理から高等教育リテラシーを要する企画分析業務に移行しつつある中で、大学職員の専門性を支える知識・能力として「統計分析に関する基礎知識」の修得が不可欠となっているのではないか。それを裏付けるものとして、東京大学大学経営・政策研究センターが行った『全国大学事務職員調査』において、大学職員が必要とする知識・能力として、「データを収集し、分析する能力」(次ページ回答集計表参照)(略)と回答した割合が一番多かったことに着目しておく必要がある。

2004年度の認証評価制度の導入や国立大学法人化に伴う法人評価制度の対応に伴い、大学経営や教育研究活動に関する様々なデータがエビデンスとして必要な状況が生じ、当該データを蓄積し、統計分析する作業が日常的に必要不可欠となっている現実がある。さらには、高等教育研究の分野では、Institutional Research(IR)に関する調査研究が進み、実践的取組も広がりつつある。最近では、教学マネジメントの強化と学生個々の学習成果把握の側面から、教務や学生支援を掌る部署におけるデータ収集・分析のニーズが高まっている。磯田文雄 文部科学省高等教育局長(当時、現・東京大学理事)は、現状における大学職員の統計分析能力の不足に言及しながら、日本におけるIR人材養成について、「人材を養成する必要はあります。特に事務の面、例えば財政の面を運動しながら見る意味では、事務方から育てることが必要です」(一橋大学大学教育研究開発センター2012)と述べ、大学職員に期待を寄せている。

今まさに、大学職員のための統計分析能力の向上が急務である。かって、大学行政管理学会がまとめた「SDプログラム検討委員会最終報告」(福島2010、資料①(略)参照)においても、大学職員に求められる知識・能力等として、「統計」「統計スキル」が明記されている。

このような状況を踏まえ、「大学経営人材のための専門能力育成シリーズ-統計分析に関する基礎知識-」と題した連載を企画することとした。統計分析に関する基礎知識については、『実践アンケート調査入門』(2001)、『例解データマイニング入門』(2002)、『すぐわかるEXCELによる統計解析(第二版)』(2000)、『すぐわかるSPSSによるアンケートの調査・集計・解析(第四版)』(2010)など、多数の著書を執筆されている東京情報大学 内田治先生に連載をお願いした。その内容は、(1)統計の基礎知識(平均、偏差など)、(2)アンケート調査の基本、(3)単純集計、(4)クロス集計と平均値比較、(5)相関分析、(6)多変量解析を扱う予定である。次号以降をご期待願いたい。

参考文献

  • 福島一政(2010)「SDプログラム検討委員会最終報告」『大学行政管理学会誌第13号』225-263
  • 早田幸政・諸星裕・青野透編著(2010)『高等教育論入門-大学のこれから』ミネルヴァ書房
  • 一橋大学大学教育研究開発センター(2012)『単位実質化マキシマムモデルの実践と普及-評価、教育、支援をつなぐカタリストとしてのIR-(平成23年度活動報告書)』17-30
  • 国立大学法人法制研究会編著(2012)『国立大学法人法コンメンタール』ジアース教育新社
  • 中井俊樹・上西浩司(2012)『大学の教務Q&A』玉川大学出版部
  • 東京大学大学経営・政策研究センター(2010)『大学事務職員の現状と将来-全国大学事務職員調査』
  • 山本眞一(2012)『大学事務職員のための高等教育システム論(新版)~より良い大学経営専門職となるために』東信堂

















2012年10月24日水曜日

大学におけるリーダーシップ-信頼と対話

日本私立大学協会私学高等教育研究所研究員の岩田雅明さんが書かれた論考「大学におけるリーダーシップとは」(文部科学教育通信 No.302  2012.10.22)をご紹介します。


リーダーシップの現状は

取り巻く環境が厳しさを増し、先行きの不透明感が強くなってくると、大学業界においてもリーダーシップに対しての関心が高くなってくる。ただしその関心は、主として外部の関係機関等から寄せられるものであって、肝心の内部ではリーダーシップを待ち望む声というのは、そう多くはないように思われる。もともと大学という組織は命令一下、皆が同じ方向を向いて進み出すという風土が最も欠けている組織の一つといえる。以前、ある大学の学長がこんなことを話していた。「学長というのは、野球でいえば監督のようなものだろうと考えて就任した。ところが、こちらがバントのサインを出しているのに、選手は平気で普通に打っていってしまう。監督と違うんだなと思った」と。また、別の大学では、学長が一生懸命に考えだした教育のコンセプトに対して無関心な教員が多く、ほとんどの教員が自分の授業の中にそのコンセプトを全く取り入れていないと嘆いていた。

確かに自然に学生が集まってきていた恵まれた時代にあっては、教員は研究と授業を自分のやり方で担当していればよかったし、職員も与えられた業務をルールに従って正確に処理するいうことで十分であった。そこには特に上からの指示というようなことは必要ではなく、管理者としても、不満を持たない程度の職場環境と待遇の維持を図ることで順調な経営が保てたのである。したがって、これまでの大学においてはリーダーシップを発揮する場はほとんどなく、また求められてもいなかったのである。

それが少子化の進行と、それにもかかわらずの大学の増加という社会の変化により、大学は選ぶ立場から選ばれる立場へと、立ち位置の変更を余儀なくされた。そうなってくると、これまでの業務の繰り返しということでは他大学との差別化を図ることができなくなってきて、顧客のニーズや社会の求人ニーズの動向といったマーケティング情報や、自大学変革認識といったことを意識していくことが、いきおい必要になってきた。このような事態への対応は、、個人レベルの問題ではなく、組織全体で取り組まなければ効果は出てこない。誰かが率先して教職員に対して現状起きている変化を理解させ、必要な行動を明示し、それを適切に分担し、着実に実行していくようにしなければならない。それが、今、大学に求められているリーダーシップということになる。

大学のリーダーがなすべきこと

創立者等がリーダーで、その強い情熱で運営されている大学の場合には、強力なリーダーシップが発揮され、成果を上げている例も多いと思われる。ただし個人の判断が常に正しいということは望みがたいので、リーダーは周囲の声を聞く耳を持つことと、現場に対していつも関心を持ち、情報を得ていく努力が求められる。それ以外の、同僚からリーダーに選出されたり、外部から招かれたりしてリーダーになっている大学(このほうが多いと思うが)の場合には、強力なリーダーシップを発揮するというスタイルよりも、いろいろなことに積極的に取り組む風土をつくることに力を入れるほうがやりやすいであろうし、成果も挙がるのではないかと考えている。

以前に聞いた、ある地方大学の話である。定員は確保していたが、入学試験で相当程度の倍率が出るという状況ではなかった時に、新しい理事長が就任した。新理事長は、18歳人口が減るのは分かっているのだから、今のうちに基盤を固める必要があることを教職員に力説し、自分が責任を取るから何でもやってみなさいという指示を出した。その当時、中心となって動いた教員の一人が話していたが、「自分が責任を取るから何でもやってみなさい」というように、信頼されて任されると、なんだか急にやる気が出てきたそうである。教職員がそれぞれの興味や得意分野によりプロジェクトチームをいくつか編成し、テレビCMの作成、ロゴマークづくり、高校訪問の工夫などなど、自分で振り返ってみても、あの当時は本当によく働いたと驚くほどであると。その結果、その大学の志願者は、それまでの三倍に増加し、難易度も大きく上昇したそうである。成果が安定して出るようになったところで、その理事長は去って行ったという。まるで西部劇のヒーローのような、大変格好良い理事長の話であるが、聞いていて、これが大学におけるリーダーシップのあり方を示しているように感じたものである。

前述のとおり、大学の教員には組織人という意識は弱いように思う。それぞれが独立した働きをしている面も多いため、表現は適切でないかもしれないが、一匹狼的な要素も少なくない。このため、リーダーというポストによる権威で無理に動かそうとしても反発を招くばかりで、なかなか前に進んでいかないということになりがちである。自主的に動いてもらうためには、前述の事例のように信頼して任せるという方策が効果的であると思う。その意味で、大学におけるリーダーシップは、人間関係の構築や相手の気づきを促していくという忍耐強さが大きな要素になるといえる。

行く先を決めること

リーダーシップとマネジメントの違いということが議論されることがあるが、ごく簡単にいえば、リーダーシップは行き先を決めること、マネジメントはそこまでの行き方を考えることである。したがって、リーダーには行く先を決めることが求められる。五年後にどのような大学にしたいのかといった、なりたい姿を描くことである。そしてここでも、大学の独自性を考えた描き方の工夫が必要となる。

一般的にはリーダーがあるべき姿を描き、それを教職員に示すというやり方が考えられる。スピードという点では、これが一番早い方法である。ところが、前述のとおり学長が考えたコンセプトが無視されるという大学の風土を考えた場合、この方法がうまくいく確率は低いように思われる。かといって、皆で考えてくださいといっても動き出すものではないであろう。

ではどうしたらいいのかといえば、対話でつくりあげることである。とにかくあらゆる機会を利用して、大学の将来ビジョンについて意見交換をしてもらうのである。最初は全く興味を示さない教職員でも、幾度となく話し合いが繰り返されれば、発言せざるをえなくなる場面も出てくるであろう。そして、人間、一度話に加わってしまうと、徐々にその流れに巻き込まれていくものである。ここでも忍耐強く、教職員がビジョンを形づくっていくのをリーダーは待たなければならないわけであるが、このようなプロセスでつくりあげたビジョンでないと、教職員一人ひとりにとってのビジョン、すなわち自分のビジョンとならないのである。

ビジョンは描いただけでは、まさしく絵に描いた餅になってしまう。皆がそのビジョンに納得し、共有していなければ、実現に向けての行動が起きてこないのである。計画は毎年立てているが、いつも未達成に終わっている。そんな大学はないであろうか。そのようなことにならないために、絶えず対話を繰り返し、その中でビジョンを描いていく。そして各自が自分で絵筆を持って、あるべき姿の線を描いたり、色を塗ったりしていく。これを演出することが大学のリーダーの仕事ではないだろうか。


2012年10月23日火曜日

大学入学者選抜の課題

桜美林大学大学院・大学アドミニストレーション研究科教授の山本眞一さんが書かれた論考「高大接続について考える」(文部科学教育通信 No.302 2012.10.22)をご紹介します。


大学入試の容易化の中で

大学入学は、今も昔も若者にとって将来を左右する人生の大きな通過点である。まして進学率が50%を超え、マーチン・トロウの分類でいうユニバーサル段階に入ってからは、大学進学は権利というよりは義務のようなものになって、学ぶ意欲に乏しい者までもが大学に行かざるを得ないような状況になってきている。学校基本調査のデータを見れば分かるが、いまや企業や公務の事務職に就く新規学卒者の8割は大学卒業ということで、半世紀前の高卒者とほぼ同じ割合にまで上昇してきた。逆に言えば、高等学校卒業だけで事務職に就くことが、近年とみに困難になってきている。もちろん販売職や生産工程・労務作業職としての仕事があるではないかと言われることもあろうが、これも産業構造の変化に伴い企業が工場を海外に移したり、あるいは販売職への大学卒業者の進出によって、予断を許さない。

もちろん大学へ進学する者が増えることは、グローバル化・知識社会化の中で、ある意味では必然であり、かつ望ましいことでもあろうが、問題は近年、大学生の学力低下が叫ばれるようになってきたことである。その原因にはいろいろあるだろうが、ひとつの大きな原因に大学入試の容易化があると言われている。かつての大学入試は相当な激戦であった。

たとえば比較的最近の1990年代初頭でも、入学志願者(現役・浪人)120万人に対して入学者(短大を含む)は80万人、3人に2人しか入学できないという難しいものであった。これに対して本年の入学志願者は73万人で、入学者は67万人であり志願者の9割以上が入学する時代になっている。この数字だけを見ても入学はきわめて容易化していることが分かる。

入学が容易化するとどうなるか? 必然的に大学入試そのものが容易化することになる。それは定員割れの私学が四大で4割を超え、短大では7割に及ぶという厳しい現実がこれをあらわしている。当然のことであるが、定員割れあるいはこれに近い大学は、入学者の選抜を行うのではなく、入学者を確保するという方策を採らざるを得ない。したがって、当初は厳しい入学者選抜試験の緩和を目指して行われたはずの入試の多様化が、逆に入学者を呼び込むための手段に転じてしまっている。文部科学省の調査によれば、平成12年度には一般入試が66%、推薦入試が32%、アドミッション・オフィス(AO)入試その他はわずかに2%であったものが、平成23年度にはそれぞれ56%、35%、9%へと変化しており、AO入試の割合が飛躍的に増加していることが分かる。また、これは私立大学においてとくに顕著であり、一般入試で入学する者の割合は50%を切っている。またその一般入試でも実施する教科・科目数はきわめて限定的である。

受験地獄に代わる学力低下

このようにして、入学志願者の学力の確かな担保のないままに学生を入れてしまうと、後が大変になることは、当然のことである。初年次教育や学修指導の充実が重要ということが真面目に言われ始めて久しいが、もともと入試がそのような形で崩れてきているのだから仕方のないことなのかもしれない。マスコミや世間の一部さらにいわゆる受験産業の業界では、いまだに入試地獄のことを言い立てる向きもあるが、現状認識の甘さにはあきれるばかりである。戦後のわが国の教育問題の基本中の基本であった「受験地獄」問題は、国立大学を中心とする一部難関校と医学部など一部の専門分野の入試に限られたものに縮小してしまった。

代わりに登場したのが、大学生の学力不足という現実である。この問題は大学の手間になるばかりでなく、結局のところ大学生の就職状況にも影響を与えるものである。企業はコミュニケーション能力とか語学力とかいうように、特定の専門分野との結びつきの薄いところでの能力不足を指摘することが常であるが、そもそも大学入学時点での学力問題を鋭く観察しているからこその批判であるのかもしれない。そうなると問題はより深刻であり、早速大学教育の信用回復のためにも、大学は学力対策をとらなければならないということになる。先頃でた中教審答申で、学修時間の増加が問題になったのもそのような文脈があるいはあったからかもしれない。

それと同時に、高校でもう少し教育をしてくれたらというのが、多くの大学関係者の希望あるいは高校に対する批判であろう。しかし、高校教育、大学入試、大学教育の三つは、入試を中心にお互いに複雑に関係し合っているから、その改善は容易ではなかろう。なぜなら、高校生が勉強しなくなったのは、ゆとり教育のせいだけではなく、大学入試が容易化したからであり、かといって大学が入試を厳しくすると、入学者の確保に困難をきたすから、多くの大学関係者は表立ってこのことを言い出すことには蹟謄を覚えるだろう。同じことが高卒認定の共通試験のようなものの導入論議でも起こりうる。これは高校側にとってデメリットになるだけではなく、大学側にとっても、入学志願者の減少に結びつく恐れがあると思えば、にわかに賛成はできかねるというのが本音であろう。

さらに、一般入試で学力を確認しているから安心ということもできない。近頃の若者は習わないことは知らないで当たり前という態度であり、これは学部生だけではなく、研究者の卵たるべき大学院生でも同じなのには驚かされる。高等教育分野に限っても、歴史的・地理的知識の欠如ははなはだしいし、数理的あるいは論理的思考能力にも問題のある者がいる。まさか語学能力だけで将来の高等教育研究者になれるとは、当の院生も思ってはいるまいが、要するに高校や大学で幅広い勉強をしてこなかった、そしてその背景に入試科目数の縮小や入試そのものの容易化があると思えば、事情には納得がいくものだ。

中教審への新たな諮問

ところで、8月に答申があったばかりの中教審に対し、早速「大学入学者選抜をはじめとする高等学校教育と大学教育の円滑な接続と連携の強化のための方策について」という諮問があったようだ。諮問理由は、これからの時代に求められる力を確実に身に付けるために、高等学校教育、大学入学者選抜、大学教育の在り方を一体としてとらえ、高等学校教育の質保証、大学入学者選抜の改善、大学教育の質的転換を進めることが喫緊の課題となり、そのための議論を深める必要があるからだとされている。

周知のとおり、高等学校は初等中等教育システムの中に、大学は高等教育システムの構成要素として位置付いており、教育内容・方法に関する法的規制、教員免許制度の有無、学校管理の制度などさまざまな点で取扱いが異なり、また前者が直接的には都道府県レベルでの管理監督、後者は文部科学省が責任を持つというように、行政のあり方まで違っている。当然、教職員はじめ関係者の持つカルチャーも違う。私などは、旧文部省の庁舎の3階(大学学術局)と4階(初等中等教育局)とであまりにも様子が違うことにショックを受けたことを、今でも思い出すくらいである。

新聞記事によると、9月末の会議には両局の局長が同時に出席したとあり、またこれが記事になるほど「画期的」であったとされるような状況であり、また審議する委員の顔ぶれを見る限り、さまざまな利害関係者を満遍なく集めているという印象もあり、どこまで思い切ったことが議論できるかが問題であるが、ぜひこれまでの発想とは異なる柔軟な思考によって、妙案を提示してもらいたいもの
だと思う。


2012年10月22日月曜日

言葉というもの

最近日常生活で聞く日本語に唖然とすることが多い。

例えば、「ワタシ的には」、「文部科学省的には」という「的」の使い方である。二十代の部下から言われ新人類の言葉かと思っていたが、五十過ぎの同僚までこう言うので驚いている。「私は」というのを婉曲に言いたいのだろうか。それとも英語の”as far as I am concerned”のような調子で、自分の見解だということを強調したいからだろうか。日本人の心性からして多分前者かと思うが、よく分からない。確か柳田國男が何かの文章で「最近の人はやたら『的』を使う。『悲愴的』などと言われると虫唾が走る」と書いていた。柳田翁は天国で現在の「的」をどう見ておられようか。

もう一つの例は、ファストフード店、コンビニエンスストア(それにしてもカタカナというのはなんと我々の語彙を豊富にしてくれるのだろう!)等で聞く「これでよろしかったでしょうか」という対応である。昔なら「これでよろしゅうございますか」と言うところなのだが。恐らく、多国籍企業の顧客マニュアルあたりにある丁寧表現の”Would it be suitable for you?”を過去形に誤訳したからではないかというのが筆者の推測。

さらに、東日本大震災後よく聞く「元気をもらいました」「力をもらいました」という言い方。以前ならば「元気づけられました」「力づけられました」と言ったところだが、最近は元気や力はもはや我々の内にはなく、授受の対象になったかのようである。もっとも、これには大震災の惨禍とそれにもかかわらず努力する人々への応援の気持ちが背景としてあるのかもしれない。

言葉は時代と共に変わる。しかし言語の規範性を担保しておかないと、一部の者しか分からぬ表現が横行することになりかねない。その意味で国語政策は重要である。正確な言葉の使い方についての啓発パンフレットや、ウェブサイトを作ったらよいのである。表現の自由は重要だが、誰もが理解できなければコミュニケーションの手段としての言語の役割を果たせない。また、言語は我々の思考方法を規定し条件付けるのだから、明晰な思考のためには厳密な言語の使用が求められる。

言語の使用法に注意しなければならないのは、マスコミの脚光を浴びる人たちのみではない、我々一人一人なのだとワタシ的には思う。(出典:文教ニュース「文部科学時評」 第2210号 平成24年10月15日)


2012年10月21日日曜日

「本業」に専念させてくれ

学校現場で日々起こる問題に、いちいち国が出て直接対応するのは無理な話だ。

マンパワーが足りる筈が無いし、もっと意地悪いことを言えば、そもそも国に現場の問題を解決できる能力のある人材がどれだけいるのか。

後ろから「やれ、やれ」と言うだけなら素人でもできる。現場で苦闘している人間からすれば、「だったらお前らがやってみろ」と言いたくなるだろう。

国が最優先でやるべきことは、はっきりしている。現場の力を高めることだ。

そのためには、教員が子どもたちと直接向き合う、いわば「本業」に専念できる時間を増やし、それ以外の仕事を減らすことだ。調査や会議を減らし、部活動や家庭支援や地域行事などの負担を軽減し、事務職員やスクールカウンセラーなど周辺の体制を強化することだ。

大学についても「評価疲れ」という話をよく聞く。評価が無用とは言わないが、評価の作業のために教員の「本業」である教育研究の時間が削られているというなら、それは文字通りの本末転倒だろう。

国の仕事でも、行革や無駄の削減が重要なのは間違いないが、今のように「仕分け」や「独法見直し」などで毎年毎年同じような作業を繰り返しやらされるのは、時間とエネルギーのロスであるだけでなく、職員の「本業」である政策立案の能力を高める上でもマイナスだし、士気も高まる筈がない。せめて、一度やったテーマは向こう5年間は取り上げないといったルールくらいできないものか。

国も地方も現場も、金も人も足りないのは明らかなのだから、少ない人員とコストでより多くの仕事ができるようにする道を考える他はない。そのためには、今いる職員がそれぞれの場で可能な限り「本業」に集中できるようにするしかない。

「金がない、人も増やせない、無駄を省け」と言う割に、どうしてそういう方向での発想が出てこないのか、全く不思議だ。もしかすると皆、本業以外の仕事が忙し過ぎて、そんな本筋の思考をする余裕さえ無くなりてしまっているのだろうか。恐ろしい話である。

〔以下、実につまらない補足〕

念のため断わっておくが、筆者は調査や部活動などが教員の「本業」でないと考えている訳ではない。しかし仕事には「ど真ん中」のものと周辺のものがある。その「ど真ん中」のものを本稿では「本業」と表現したまでである。くだらないイチャモンを付けないように。(出典:文教ニュース「文部科学時評」 第2209号 平成24年10月8日)


2012年10月20日土曜日

何のための大学改革?

桜美林大学大学院・大学アドミニストレーション研究科教授の山本眞一さんが書かれた論考「再び学修時間の確保について-大学教員セミナーでの議論-」(文部科学教育通信 No301 2012.10.8)から抜粋してご紹介します。(下線は拙者)



何のための大学改革?

最後の講演者は、朝日新聞専門記者の山上浩二郎氏である。同氏は「近年の大学改革をどうみるか」という題で、中教審答申と大学改革実行プランを中心として、ジャーナリストの目から見た考えを述べた。今回の答申をとりまとめた中教審大学教育部会では、テーマ探しに苦労した結果、当初の「大学の機能別分化」の議論から「大学教育改革」へ移っていったこと、答申内容は三月の審議まとめよりも内容が薄まった印象があるが、大学や教員側の問題よりも学生の責任に向けられてはいないか、大学改革実行プランについては、近年の大学改革が財務省による財政問題に主導されているように、文科省自身が外圧の中にあること、打開のためには財政を増やすことや教育の密度を濃くすることが大事で、今の大学改革がどこを向いているのかという観点から今一度の整理が必要であること、など外部の人間だからこその直言が聞けた。

四つの講演を受けた後は、分科会に分かれて夜遅くまで参加者の間で議論が行われ、二日目には全体討論となった。討論ではまず、学修時間の確保の方策について話し合われた。参加教員はいずれもこれには、ひとかどの意見と実績があるようで、授業のさまざまな工夫についての紹介があった。他方、大学の多くの教員は過去の答申を含めて中教審の動きに無関心であり、この答申の実行には困難を伴うとの声もあった。また、単位制の趣旨はともかく、理工系や医療系では目いっぱいのカリキュラムが組まれているので、これ以上学生に学修時間を求めても無理ではないかとの意見があった。これはかなり現実を踏まえた意見であって、問題の核心は専門職との関連の薄い人文簿社会科学系の問題であることがよくわかる。他方、人文・社会系では学生の就職と大学時代の学修との関係を疑問視する意見も出て、結局、企業が求める人材像に大学が合わせることがいかに難しいか、正課の時間の充実よりも正課外の活動をもっと評価しなければ現実に合わないのではないか、などかなり厳しい意見もあった。

全体会を司会して感じたのは、多くの教員の教育に対する熱意である。もちろん熱意のある教員だからこそ、学修時間をテーマとするこのセミナーに参加したのであろうから、むしろ普通の大学教員がどのような意識でいるか、ということの方が重要かもしれない。しかし、かつてであれば中教審答申というものに随分批判的な意見も数多く出されただろうが、今回思ったことは、答申の中身に対する根源的な反対意見はなかったということである。それだけ、大学教員は時代の流れに忠実であるようだ。忠実であるからこそ、答申の立案者はその置かれた責任の犬なることを自覚すべきである。大学教育の実行役は大学に集まる教員集団であり、そのまとまり方にはこれまで多々批判はあったであろうが、教員の役割の重要なことは、教育が個々の教員の自由裁量から大学としての学生や社会に対する責任ある活動に変わったとしても、減じることはないだろう。大学の教育内容や方法を一片の通知で決めるような時代が来ないことを祈るものである。


2012年10月19日金曜日

大学ポートレートの先行実施

「大学ポートレート(仮称)」につきましては、文部科学省に設置された「大学における教育情報の活用支援と公表の促進に関する協力者会議」の「中間まとめ」において整備を進めることが確認され、現在、独立行政法人大学評価・学位授与機構に設けられた「大学ポートレート(仮称)準備委員会」において、具体化に向けた検討が精力的に行われています。

このたび、平成24年度中に行う「先行実施」に関し、文部科学省高等教育局長、大学ポートレート(仮称)準備委員会委員長の連名により、各国公立大学長に対し、以下のような依頼がありましたのでご紹介します。(下線は拙者)


「大学ポートレート(仮称)」先行実施への御協力について(学校基本調査の回答で使用したデータの提供について)(依頼)

1 「大学ポートレート(仮称)」に関する検討の経緯

今日、大学における教育研究の質の保証・向上や、財政投資に対する説明責任、国内外の大学間連携等の観点から、大学が自ら教育研究活動の状況を公表し、情報発信を進めることが強く要請されています。

諸外国(米国、英国、EU、韓国等)でも、これらについて、データベースやウェブサイトを通じた情報発信の取組が進んでいることは御存じのとおりです。

我が国では、文部科学省の「大学における教育情報の活用支援と公表の促進に関する協力者会議」の「中間まとめ」(平成23年8月5日)において、大学団体等の自主的な連携を通じて、教育情報の活用・公表のための共通の基盤として「大学ポートレート(仮称)」の整備を進めることが提言されました。

これを受けて現在、大学団体等の関係者の参画を得て、独立行政法人大学評価の学位授与機構に設けられた「大学ポートレート(仮称)準備委員会」で、具体化に向けた検討を進めていただいている段階です。

この準備委員会においては、「大学ポートレート(仮称)」の実施時期について、
  1. 平成26年度からの本格展開を図る。
  2. それに先立ち、学校基本調査の回答に含まれる基礎的な情報について、各大学の協力を得て、平成24年度中に先行実施を行う。
との方針が示され、本年5月10日の中央教育審議会大学分科会大学教育部会に御報告いただきました。

この方針は、本年6月に文部科学省が公表した『大学改革実行プラン』にも盛り込まれ、また8月28日の中央教育審議会答申「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて(答申)」でも言及されているところです。

2 「大学ポートレート(仮称)」の「先行実施」について

平成24年度中に行う「先行実施」については、準備委員会での検討を踏まえ、御協力いただく各大学にできるだけ負担をおかけしないという観点から、①国公立大学に対し、「学校基本調査」の回答で使用するデータの提供について協力をお願いし、②提供いただいた情報を独立行政法人大学評価・学位授与機構で整理した上で、同機構のホームページ上にて、③平成25年3月を目途に公表することを想定しています。

つきましては、本事業の趣旨を御理解いただき、別紙「データの提出方法等について」(略)を御参照の上、御協力くださいますようよろしくお願い申し上げます。

公立大学におかれては、「平成24年度公立大学実態調査表の作成について(依頼)」(平成24年6月26日公立大学協会)に基づいて、公立大学協会を通じて御提出いただいた場合は、改めて御提出いただく必要はありません。

なお、今回提供いただいたデータは、平成26年度からの「本格実施」でも利用させていただく予定であることを御了承ください。

また、「大学ポートレート(仮称)」構想、又は今回のデータの提供等について御不明の点がございましたら、下の担当(略)までお問い合わせくださるようお願いいたします。


2012年10月18日木曜日

国立大学運営費交付金の執行を可能に

相変わらず政治は機能不全状態です。特例公債法案が未成立のため、去る8月31日の閣議において、財務大臣より、9月以降の執行抑制について要請があったことは報道等によりご案内のとおりです。

執行抑制については、基本的に全ての経費が対象となっており、国立大学法人運営費交付金も含まれています。既に、文部科学省から各国立大学法人に対し、具体的な運営費交付金の執行抑制金額(3か月ごとに予算額の50%以上の支払を留保)、請求手続き等についての通知が行われており、その中で、現下の厳しい財政事情を理解のうえ、内部資金の活用を含めた資金繰りにつての検討と、執行抑制についての協力要請が行われています。

なお、この執行抑制は、特例公債法成立までの間、国の予算の支出時期の調整を行うものであり、予算を削減するものではないとのことですが、給与等人件費比率の高い大学においては、資金の交付を抑制される期間によっては、短期借入等を余儀なくされる状況も想定されるところです。

9月14日付で、文部科学省の担当部署から各国立大学の財務担当部課長宛に、国立大学法人運営費交付金の執行抑制に伴う対応について、次のようなアンケート調査が行われています。


1 今回の執行抑制における9~11月の対応について

  1. 定期預金等の解約
  2. 国債等の売却
  3. 寄付金等の内部資金の一時融通
  4. 支払時期の先送り
  5. 短期借入
  6. その他

2 上記で「短期借入」と回答した大学はその理由

  1. 定期預金等の解約、国債等の売却、支払時期の先送り等を行うが、これらの内部資金融通は、限界があるため
  2. 定期預金等の解約、国債等の売却を行えば、短期借入をする必要はないが、逸失利益等が大きいため、短期借入を行う。
  3. その他


集計結果が公表されていないため、各国立大学の資金繰りがどのような状態になっているのかわかりませんが、いずれにせよ、政治家は政争にかまけていないで、国民のために優先すべき仕事に汗を流すべきではないでしょうか。


(関連報道)

予算:執行抑制策を閣議決定(2012年9月7日毎日新聞)

政府は7日の閣議で、赤字国債の発行に必要な特例公債法案の今国会での成立が見込めなくなったことを受け、地方交付税の支払い延期を柱にした予算の執行抑制策を決めた。政府が予算執行の抑制に踏み切るのは初めて。総額約5兆円程度の支出の先送りで、財源の枯渇時期を当初想定していた10月末から11月末へ先延ばしする。
抑制策によると、9月4日に道府県に渡す予定だった地方交付税2.1兆円のうち、約1.4兆円の支払いを延期。10月と11月に約7000億円ずつ支払う。市町村分(約1.9兆円)と道府県分の残り(約0.7兆円)は今月10日に交付する。また、国立大学や独立行政法人向けの補助金などの支払いを50%以上留保するほか、政務三役の海外出張や備品購入の抑制で各省庁の行政経費を半分以下にする。一方、生活保護などの社会保障費や警察、防衛関係費、災害対策や震災復興費などは予定通り執行する。
財務省によると、執行抑制を続けても12月に入ると財源の残額は2兆円程度に落ち込む。同月は国債の利払い費などが膨らみ、10兆円近い支出が見込まれ、法案が成立しない状況が長引くと執行抑制の対象を拡大する必要に迫られる。安住淳財務相は「与野党が協力し、法案を早期に成立させてほしい」と改めて訴えた。


政府 予算執行の抑制を閣議決定(2012年9月7日NHKNEWS)

政府は、今の国会で「赤字国債発行法案」が成立しないことを受け、今のまま予算の執行を続ければ、今後、財源が足りなくなるおそれがあるとして、今月予定していた地方交付税の支出を一部先延ばしするなどとした予算の執行抑制を閣議で正式に決めました。
今年度予算の執行に必要な「赤字国債発行法案」は、8日に会期末を迎える今の国会で成立せず、一般会計90兆円のうち、38兆円余りの財源が確保できない事態になっています。
これを受け、政府は「従来どおりの予算執行を続ければ、財源が枯渇する懸念が現実のものとなりかねない」として、可能なかぎり予算の執行を後ろにずらす「予算執行の抑制」を、7日、閣議決定しました。
この中では、▽自治体の財源不足を補う地方交付税の支出を一部先延ばしするのをはじめ、▽国立大学への交付金と私学助成を半分以下に減額するほか、▽一般会計から特別会計への繰り入れの抑制などを行うとしています。
一方で、安全保障や司法・治安関係、災害対策、医療や介護など、支払時期が決まっているものについては、抑制の対象から外すとしています。
財務省によりますと、こうした措置によっておよそ5兆円の支出が抑制され、ことし11月末までの財源が確保できるということですが、国会が閉会して赤字国債発行法案の成立の見通しが立たない中で、追加の措置も予想され、対応によっては、今後、国民生活に直接影響が及びかねないことも懸念されます。
“さらなる抑制の可能性も”
安住財務大臣は閣議のあとの記者会見で、医療や介護といった国民生活や経済活動には、極力、影響が出ないよう配慮していく考えを示したうえで、「11月までに赤字国債発行法案が成立しない場合は、12月の支払いの請求に政府が応えられないので、10月に入った段階でさらなる抑制を行う可能性が高い。残念ながら今の国会が無理である以上、与野党で話し合いをしていただいて、臨時国会などで早期の成立をお願いしたい」と述べ、秋の臨時国会を念頭に、赤字国債発行法案の早期の成立を求める考えを重ねて示しました。
“赤字国債発行法案の早期成立を”
川端総務大臣は閣議のあとの記者会見で、「今月分の地方交付税は、市町村分については、財政力が弱いところもあるので全額の1兆9143億円を交付する。一方、道府県分の2兆1551億円は、今月から11月まで3回に分けて交付する。こうした異例の事態がないよう、赤字国債発行法案を早く成立させて欲しい」と述べました。
“国民の生活を中心に考えて”
全国知事会会長で、京都府の山田知事は東京都内で記者会見し、「地方側に何ら問題がないのに、兵糧攻めのようなことが突然起きることは、地方交付税制度の不信にもつながる。赤字国債発行法案の成立のめどは立っていないが、与野党問わず、国民の生活を中心に考えて解決すべき問題であり、安定した国政運営を強く望みたい」と述べました。


予算執行抑制策を閣議決定 3カ月で5兆円捻出(2012年9月7日日本経済新聞)

政府は7日、赤字国債発行法案が廃案になる現状を踏まえ、今年度予算の執行抑制策を閣議決定した。地方交付税や国立大学向けの補助金などの支払いを遅らせることが柱。9月から11月までの3カ月間で、最大5兆円を捻出する。財務省は11月末には「国の財源が枯渇する」との見通しを示し、赤字国債法案の早期成立を強く求めた。
今年度の一般会計90.3兆円のうち約4割の事業は、赤字国債に財源を依存する。国債発行に必要な法案が今国会で成立せず、政府は戦後初めてとなる予算の執行抑制を迫られた。
生活保護費の支給など国民生活に直結する分野は、執行抑制の対象外とした。地方交付税(抑制額は2.3兆円)や国立大学など独立行政法人向け補助金(同0.3兆円)、年金特別会計への繰り入れ措置(同1.1兆円)などを対象にし、支払時期や一般会計からの拠出時期を延期し、9月に3兆円、10~11月で各1兆円を捻出できるとした。
赤字国債ではなく、税収や税外収入でまかなえる歳出の限度額は46.1兆円にすぎない。財務省は10月末にはその限度額に限りなく近づくと強調してきたが、今回の抑制策で1カ月先延ばしできると見通しを修正した。ただ、12月には10兆円弱の支出が予定されているため「財源は枯渇する」という。
安住淳財務相は7日の記者会見で、赤字国債法案の早期成立を訴えるとともに「今後の状況次第ではさらなる対応が必要となりかねない」と述べ、追加的な抑制策の検討に含みを持たせた。


2012年10月17日水曜日

国立大学のミッションの再定義

去る10月11日(木曜日)、学術総合センター一橋講堂(東京都)において、「国立大学のミッションの再定義に関する説明会」が開催されました。

この説明会は、本年6月に文部科学省が示した「大学改革実行プラン」を具体化するための「ミッションの再定義」を文部科学省と各国立大学間で進めるに当たり、文部科学省からその趣旨や必要となるデータ等の提出についての説明が行われたものです。


説明会の概要は以下のとおりです。(出典:文教速報 第7785号 平成24年10月15日)

国立大学の「ミッションの再定義」で説明会
板東高等局長「ビジョンを示し強み・特色を打ち出す」

国立大学の機能強化の充実へ-。文部科学省は、国立大学の機能強化に向けた大学改革実行プランに基づく「国立大学のミッションの再定義」に関する説明会を10月11日午前10時30分から学術総合センター2階の一橋講堂で開催した。

説明会の冒頭、板東高等教育局長は、今回のミッションの再定義について「国立大学のそれぞれの分野の果たしている役割を明らかにし、“強み、特色”を打ち出していく。将来に向けてのしっかりとしたビジョンに立って、これからどういう社会的な機能を果たしていくのかを明らかにしていくことが求められている」と意義を強調した。

また、大学改革実行プランの策定の背景には、大学全体に対する社会、経済の切実な期待があり、期待の裏腹としての厳しい意見があると指摘。様々な課題を抱える産業界が求める人材育成のミスマッチ、依然としてある敷居の高さ、国際的な視点からみたときの我が国の大学全体の競争力の低下傾向-などがあり、昨年の東日本大震災を契機として、改革のスピード、規模の充実が求められているとの認識を示した。

その上で、国立大学には、国の中核となる人材育成、国際水準の研究、産業、地域の課題など、様々な対応が期待され、教育研究の成果を通じた社会貢献、地域貢献、国際貢献が求められ、激しい変化の中でどう機能の再構築のためのガバナンスの改革充実に取り組んでいくのかが問われていると訴えた。

引き続いて高等教育局の芦立国立大学法人支援課長が国立大学改革の概要について説明。この中で芦立課長は、「国立大学運営費交付金は法人化以降、900億円減ってしまったけれども、現状において、1兆2千億円を超える経費として今も存続している。他の経費が大幅にシュリンク(縮小)している中で、単一の事業で1兆円を超える経費というのは今、霞が関では、非常に少ない状況になっている。財政的に見て、ある意味ですごく目立っている。1兆円を毎年投下するだけのコストパフォーマンスはどうかなんだという視点が今、むき出しで問われるようになってしまっている」と現状を分析。

さらに、「受身のままだとずるずるとお金を減らすモーメントになってしまう」と述べ、「この厳しい風を“大学の機能強化”というロジックで、いかに社会に打ち返していくかが求められている」とし、ミッションの再定義によって、社会に向かって「“国立大学が大きく変わろうとしているんだ”と情報発信していくことが大事だ」と指摘し、「対財務省だけでなく、大学セクター以外の多くの人々に、国立大学が機能をより一層強化して、社会に貢献するのだということを見せていきたい」と文科省の考え方を強調した。

ミッションの再定義の進め方について高等教育局の合田企画官は、「今月中に多様性や強み、重視する特色や社会的役割についてのデータを提出していただき、11月から大学と文科省との双方向の意見交換を行う。教員養成、医学、工学の先行3分野は平成25年3月までに確定、公表する」と今後のスケジュールなどについて説明した。また、他の分野も並行して準備を進め、今年度中に国立大学改革基本方針を示し、平成25年央までに国立大学改革プランを策定するとの文科省の方針を説明した。


合田高等教育局企画官の説明に用いられた資料のうち、「『ミッションの再定義』について」をご紹介します。(下線は拙者)


1 ミッションの再定義の位置づけ

(1)国立大学の機能強化

大学改革実行プラン」(平成24年6月、文部科学省)及び「日本再生戦略」(平成24年7月31日閣議決定)は、「ミッションの再定義」、「国立大学改革基本方針」(本年度中)及び「国立大学改革プラン」(平成25年央まで)といった国立大学改革のロードマップを提示している。

国立大学は、総体として、高度な学術研究の推進、計画的な目的養成、全国的に均衡のとれた配置による地域活性化への貢献及び大学教育の機会均等の確保といった重要な役割を果たしている。平成16年の国立大学の法人化以降、各大学は拡大した自律性を活用し、特色ある教育研究の推進や国内外の大学等との連携の推進などに取り組んでいる。他方、未曾有の国難である東日本大震災、グローバル化などの法人化以降さらに顕著となっている社会経済の構造的な変化の中で、国立大学がその機能を再構築の上さらに強化し、社会変革のエンジンという能動的な役割を果たすことが求められている。前述のロードマップは国立大学の機能強化のためのプロセスであり、機能強化の必要性という点において、「国立大学の機能強化-国民との約束-(中間まとめ)」(平成23年6月22日、国立大学協会)や中央教育審議会答申「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて」(平成24年8月28日)などと共通の認識を有している。

(2)信頼と支援の好循環の確立

大学の自律性は社会制度としての大学の本質であり、国立大学が自主的・自律的に自らの機能の再構築により機能強化を図ることが必要である。他方で、文部科学省は、我が国の高等教育及び学術研究の水準の向上と均衡ある発展を図るために、国立大学の組織の在り方や各専門分野の振興について、上記のような社会的要請等を踏まえつつ、一定の責任を果たすことが求められている

それぞれの大学が、国立大学や各専門分野の振興に関する政策的な方向性を踏まえながら、一層の機能強化に主体的に取り組むことを社会に対して分かりやすく発信することは、社会と大学との間に信頼と支援の好循環をさらに確立していくことにつながるものである。

(3)ミッションの再定義を始点とする国立大学の機能強化のプロセス

このような観点から、国立大学の機能強化は次のようなプロセスにより文部科学省と各国立大学が共同して行う。

①下記3以降で示す進め方に沿って、文部科学省においては、各大学からデータ等の資料を得て、意見交換を行いながら、各大学の専門分野ごとに、当該専門分野にかかわる教育研究組織の設置目的、全国的又は政策的な観点からの強みや大学として全学的な観点から重視する特色、国立大学として担うべき社会的な役割を把握する(「ミッションの再定義」)

教員養成、医学及び工学を先行して実施し、本年度中にとりまとめを行う。それ以外の分野についても、先行実施の分野の状況を勘案しつつ並行して準備を進め、平成25年央までにとりまとめる。

各大学においては、①のプロセスで把握されるそれぞれの専門分野の強みや特色を伸ばし、その社会的な役割を一層果たしていくための戦略(例えば、学内外の資源の有効な活用や教育研究組織の再編成等)を、学長を中心に御議論、御検討願いたい

③文部科学省においては、国立大学全体の機能強化のための政策的方向性、①のプロセスで把握されるそれぞれの専門分野の強みや特色、社会的な役割を踏まえた当該専門分野の振興、②の各大学の戦略を支援するための財政的・制度的な工夫、充実の在り方等を検討の上、明確化しその実施を図る。

④本年度中に、先行実施の分野について、各大学の強みや特色、社会的な役割及び当該専門分野の振興の在り方等をとりまとめた国立大学改革基本方針を策定する。

⑤平成25年度央までに、すべての分野についての各大学の強みや特色、社会的な役割、②の各大学の戦略及び③の文部科学省としての検討結果等をとりまとめた国立大学改革プランを策定する。

このような各大学と文部科学省の共同作業により明確になるそれぞれの国立大学の強みや特色、社会的な役割及びこれらを踏まえた各大学の機能強化のための戦略は、第二期中期目標期間の中期目標・中期計画の変更や第三期の中期目標・中期計画の立案・策定の際の前提となることが考えられる。

2 ミッションの再定義を踏まえた各専門分野ごとの振興の観点

このように国立大学改革基本方針や国立大学改革プランに盛り込む各専門分野ごとの振興については、今後、文部科学省において、各大学ごとの強みや特色を伸長し、社会的な役割を一層果たすといった観点から、中央教育審議会や科学技術・学術審議会等において示されている高等教育の将来像、国立大学の担うべき役割、学士課程教育の質的転換、大学院教育の実質化、教員養成課程の改善、学術研究の振興等の政策的方向性を踏まえ、国立大学関係者や有識者、地域社会や企業の関係者等の御意見も聴きつつ検討を行った上でその在り方をとりまとめることとしている。その際、例えば、

○将来にわたる人口動態や産業構造等の変化を踏まえ社会変革をリードするための国立大学全体の機能強化の方向性(学士課程教育や大学院教育のバランス、社会人の学修需要を含む教育研究上の需要への対応、部局や大学の枠を超えた組織運営システム改革の推進等)

○科学研究費補助金の獲得状況や論文被引用数などが示す研究活動の状況、入学者選抜、教育課程、学位授与、就職などが示す教育活動の状況を踏まえた教育研究活動の活性化

それぞれの専門分野固有の課題(例えば、教員養成については、教員養成の修士レベル化や今後の教員需要を踏まえた教員養成課程及び大学院の課程の在り方、学習指導要領改訂など教育改革に対応した教育研究の推進等。医学については、超高齢社会やイノベーションに対応した教育研究の実施、地域医療への貢献等。工学については、地域・産業界等との一層緊密な連携や社会人の学修需要に積極的に対応した大学院教育の充実等)への対応

などのほか、国際的通用性や将来を見通して大学として全学的な観点から重視する特色の可変性といった要素も含めた幅広い観点を踏まえることが必要と考えている。

3 ミッションの再定義の進め方

(1)データ等の資料の収集

各専門分野ごとの強みや特色、社会的な役割を把握するに当たっては、それぞれの学部等には、創設の由来やその後の教育研究活動の展開に応じた多様性があることに留意する必要がある。

また、強みや特色、社会的な役割については、社会に対してわかりやすく説明できるようにしておくことが必要であり、各種のデータ等の資料を整理して示していくことが必要である。

このため、下記の(イ)及び(ロ)に示す各学部等の沿革、創設時の設置目的、中期目標・中期計画の関係する記述、データ等の資料を文部科学省と大学との連携により収集の上、意見交換を行うという形でミッションの再定義を進めていくこととしたいと考えており、各大学の御協力をお願いしたい。

(イ)沿革及び設置目的等

沿革や創設時の設置目的等は、設立根拠となった法令の目的規定、法令改正の提案理由説明、中期目標・中期計画の関連の記載などをもとに文部科学省において整理するので、各大学に内容の御確認をお願いしたい。

文部科学省において沿革や創設時の目的等を整理する際には、文部科学省が保存している資料とともに、各大学において保存されている資料も参照させていただくことで、創設の由来や理念をより明らかにしたいと考えており、各大学からも関連資料等の提供をお願いしたい。

(ロ)データ等の資料

以下のようなデータ等の資料を文部科学省と各大学との連携により収集、検討していくこととしたい。

①科学研究費補助金の交付や被引用論文数等に関して文部科学省及び関係機関において保有する既存のデータ等の資料

②文部科学省から各大学に提供を依頼するデータ等の資料

○各大学から毎年度、独立行政法人大学評価・学位授与機構(以下「評価機構」という。)に提出しているデータ(平成23年度まで「大学情報データベース」に入力していたデータ)のうち、資料2「提出いただきたいデータについて」に掲げるもの

○その他、必要に応じ、文部科学省から各大学に別途専門分野ごとに提出を依頼するデータ等の資料

③上記2で例示した幅広い観点を踏まえ、各大学の判断に基づき提出いただくデータ等の資料

○全国的又は政策的な観点からの強みについてのデータ等の資料

○大学として全学的な観点から重視する特色や国立大学として担うべき社会的な役割についてのデータ等の資料

(2)大学と文部科学省の意見交換

専門分野ごとの強みや特色、社会的な役割の把握は、前述のとおり、文部科学省と各大学との間の緊密な意見交換によって進めることとしたい。

具体的には、各学部等の沿革、創設時の設置目的、中期目標・中期計画及びデータ等の資料を踏まえ、文部科学省においては各大学の専門分野ごとの強みを中心に、各大学においては特色や社会的な役割を中心に、それぞれ整理した上で、双方向の意見交換を重ね、各大学における専門分野ごとの強みや特色、社会的な役割を確定する。意見交換は対面や電話等により必要に応じ適時行い、双方向の丁寧なプロセスを通して各大学の強みや特色、社会的な役割を把握したいと考えている。

(3)公表

先行実施の各分野の強みや特色、社会的な役割は、別添の様式(略)により、平成25年3月までに確定、公表する。その際、関連するデータ等の資料についても必要に応じ添付する。

4 大学に提供をお願いしたいデータ等の資料と提出方法

各大学に提出をお願いしたい先行して実施する分野に関するデータ等の資料とその提出先、提出方法等は以下のとおりである。御不明な点や御相談等がある場合には、提出先の区分ごとに下記7(略)に記載している担当までお問い合わせいただきたい。

(イ)ミッションの再定義に関する連絡担当者の登録

ミッションの再定義に関する各大学の全学及び各専門分野の連絡担当者の御名前や御連絡先等を資料3「資料の提出方法等について」に示す様式により、10月18日(木)までに国立大学法人支援課支援第四係まで提出をお願いしたい。

(ロ)沿革及び設置目的等に関する資料

各学部等の沿革、設置目的の説明、中期目標・中期計画の記載等の関連資料について、資料3「資料の提出方法等について」に示す手順に則って、10月25日(木)までに国立大学法人支援課支援第四係に提出をお願いしたい。

(ハ)データ等の資料

○各大学から毎年度、評価機構に提出しているデータ(平成23年度まで「大学情報データベース」に入力していたデータ)のうち、資料2「提出いただきたいデータについて」に掲げるもの→ 資料3「資料の提出方法等について」(略)に示す手順に則って、10月25日(木)までに国立大学法人支援課支援第四係に提出をお願いしたい。

○専門分野ごとに別途各大学に提供をお願いするデータ等の資料→ 専門分野ごとに下記7(略)に記載する担当宛に別途お示しする方法で提出をお願いしたい。なお、意見交換の過程で、追加でデータの提供をお願いする場合があることをお含み置き願いたい。

○各大学の判断に基づき提出いただくデータ等の資料→ 資料3「資料の提出方法等について」(略)に示す手順に則って、10月31日(水)を目途に専門分野ごとに下記7に記載する担当宛にお送りいただきたいと考えているが、意見交換の過程で必要があれば随時追加して提出をお願いしたい。

5 対象となる教育研究組織

ミッションの再定義は、国立大学のすべての専門分野を対象にして行い、先行して教員養成、医学、工学について実施する。

中期目標別表の記載事項となっている学部、研究科等、共同利用・共同研究拠点のうち先行実施の対象となる分野に係るものは、学校基本調査における分野の区分、当該学部等の名称や組織編制等を考慮し、資料4「中期目標別表に記載する各専門分野の対象組織(教員養成、医学、工学)」の一覧(略)のとおりとしている。これ以外の学内の教育研究組織(例:共同利用・共同研究拠点以外の附置研究所、センター等)についても、専門分野ごとの強みや特色、社会的な役割の把握の観点から必要な場合は、当該教育研究組織に関するデータ等の資料の提出をお願いしたい。また、複数の専門分野を複合的に対象としている教育研究組織については、先行して実施する専門分野にかかわりの深い教育研究に関するデータ等の資料の提出をお願いしたい。

なお、対象となる教育研究組織について御不明な点がある場合には、国立大学法人支援課支援第四係までお問い合わせいただきたい。

6 スケジュール

先行実施の分野については、おおむね以下のスケジュールで実施する予定である。

(イ) 説明会の実施【10月11日(木)】

(ロ) 大学からの資料・データ提出

①各大学におけるミッションの再定義担当者の御名前等【締切:10月18日(木)】
②各学部等の沿革、設置目的等に係る資料【締切:10月25日(木)】
③評価機構への提出データで別紙に掲げるもの【締切:10月25日(木)】
④各大学の判断に基づき提出いただくデータ等の資料【締切:10月31日(水)】
※ 同日以降も提出可能であり、必要に応じ随時提出願いたい。

(ハ) 意見交換【11月~】

(ニ) 先行実施の分野の確定、公表【平成25年3月】

先行実施の分野以外の分野についても、先行実施の分野の状況を勘案しつつ、並行して準備を進めることとしており、詳細については改めて御連絡させていただきたい。

7 文部科学省の担当部署(略)


致知出版社
発売日:2011-07-30

2012年10月16日火曜日

大学のブランディング

日本私立大学協会私学高等教育研究所研究員の岩田雅明さんが書かれた論考「マーケティングミックス」(文部科学教育通信 No301 2012.10.8)をご紹介します。


ポジショニングが決まると

前稿の最後で、大学の立ち位置であるポジショニングについて述べたが、ポジショニングが決まると、おのずと差別化のポイントも決まってくる。例えば食堂でいえば、大衆的な食堂というポジショニングを取ると決めた場合、量や価格といった実質的な点が差別化のポイントとなってくるという具合である。そうなってくると、ターゲットとしている顧客への訴求ポイントも決まってくることになる。すなわち、いい雰囲気にするために内装等に凝るということでなく、盛りの良さや低価格設定ということに店のパワーを集中し、そのことを顧客へのアピールポイントしていくこととなる。

また自組織のポジショニングが明確になるということは、同時に誰を顧客とするかを決めるターゲッティングも決まるということになる。そうなると、魅力をアピールする際にも、対象となる顧客のニーズを踏まえたアピールが可能となり、誰を対象としているのか分からない、焦点の定まらないアピールとならずに済むことになる。

このようにポジショニングを決めるということは、差別化を図り、その魅力を適切に対象顧客に伝えていくためには不可欠のことといえる。この点を大学の場合で考えてみると、意外とこのポジショニングができていないケースが多いように思われる。すなわちユニクロのごとくすべての学生をターゲットとしているのではないかと思われるケースや、自学に対しての客観的な評価とずれているポジショニングをとっている例が見受けられる。自学の持てる有限の資源を効果的に活用するためには、力を入れる分野を選択し、そこにパワーを集中させることが不可欠である。そのためにも、どのような立ち位置で教育を実践していくかを決めるポジショニングが重要になってくるのである。ポジショニングがきちんと決まれば、ターゲットとする受験生のニーズに合致した広報活動の展開も可能となる。

マーケティングの4P

マーケティングといえば、この4Pが連想されるというほどポピュラーなものになっているが、内容はProduct(製品、商品)、Price(価格)、Place(販売方法)、Promotion(販売促進)の四つである。大学でいえばProductは教育内容、Priceは学費、Placeは通学や通信といった学習方法、Promotionは広報・宣伝ということになる。

教育内容については建学の精神や自学の資源、社会のニーズといったことで決まってくるし、その品質については教育力や教育設備に関わってくる。最近は大学の教育の質保証と、それを裏付ける学習成果に対して社会の関心が高くなってきているが、大学の最も重要な機能であるから当然といえば当然である。ここをいかに充実させるかということが、選ばれる大学、社会で必要とされる大学となるためには不可欠なことである。ここに手を付けずに、広報など周辺分野をいくら強化しても成果は望めない。

学費に関しては、他の業界のように大胆な値下げを断行する大学は残念ながら見当たらないようである。ただしそれに代わるものとして、特待生や奨学金といった学費減免制度は多くの大学でバラエティに富んだ形で実施されている。これに関しては既述のとおり、自学が欲しい学生を呼び込める仕組みにすることが重要である。また学費に関しても厳しい経済環境に対応して、自学の採算と競合との関係という要素に加え、負担者側が納得できる学費制度という要素も考慮して決めていくことが望まれる。

学習方法に関しては教員との直接の触れ合いや、学生同士の交流により成長していくということを考えれば、通学というスタイルが中心であることは間違いないであろう。ただし、情報技術の急速な進歩によりインターネット大学も出現していて、これからはこのような大学が増加することも十分考えられる。直接の対話や交流が持てないという不十分さはあるが、キャンパス等が不要で運営コストが抑えられることから、低価格で学べる大学という強みを発揮できる可能性は高いといえる。今後、このような大学が増えていく可能性があるということも競争環境の認識としては持たなければならないことである。

広報・宣伝については広報戦略で詳しく述べたので多くは触れないが、いかに伝えるかという技術的な面だけでなく、伝えるべきものは何なのか、それが自学にどの程度あるのかといった観点から、大学内容の改善・充実を図るきっかけをつくっていくという機能を重視することが大切である。

ブランディング

4PのProduct、そしてPromotionとも少し関係してくるが、最近、よくいわれる大学のブランディングについて考えてみたい。ブランディングとは、自分のところの商品やサービスが、そのジャンルにおいては他と差別化された優位性を獲得できるようにするための中長期的なイメージ創造活動である。バッグといえば何々、というようになることがブランディングの目的である。大学の場合でいえば、英語といえば○○大学、栄養について学ぶならば○○大学という具合に、高校生や高校の先生が、学問分野からその大学の名前をすぐに思い浮かべてもらえるようになることがブランディングの目的ということになる。そうなることができたならば、その学問分野では優先的なシード権、すなわちブランドを獲得できたといえる。

では、ブランドとなるためにはどういった条件が必要なのであろうか。世の中でブランドであるといわれているものを思い浮かべてみると、共通しているものとして、他と同じようなものではない独自性があることとか、単なる商品ということでなく、その裏には魅力的なストーリーがあるなど、いくつかの点が挙げられる。これらもブランドの要素として重要なものであると思うが、大学のプランディングということに限定して考えるならば、大切な要素は一貫性、継続性と実質ではないかと考えている。

その理由は、次のとおりである。まずブランドとなるためには、該当の商品やサービスにおいて顧客が最も重視している要素が充実していることが必須条件となる。大学の場合で考えるならば、それは社会からの信頼性ということと、それを裏付ける教育の成果であると思う。やっていることの一貫性がなかったり、すぐに教育方針や人材育成の志向性が変わったりするような大学では、社会からの信頼を得ることはできない。この意味で、以前述べたように、中心となる学部を確立しないまま、人気のありそうな学部を脈絡なく開設していくやり方は、大学のブランディングという面からは好ましくないといえる。また、言っていることは立派であるが、肝心の成果が伴っていないということでは、誰もがその大学をその学問分野の第一人者であるとは評価しないであろう。

常に変わらぬ姿勢で教育に臨み、着実に成果を出していく。このような状態が一定程度続いていくことで、高校生や保護者、高校の先生といったターゲットがその大学に対して抱くイメージは形づくられていくのである。この意味で、大学のブランディングとは、非常に地道な作業の積み重ねであるといえる。人間の内面を磨きあげる場である大学のブランディングであるから、華々しいビジュアルイメージや派手な広告ということで創りあげることはできないと思う。大学のプランディング、それは、学生一人一人の成長を願う心の結晶なのである。


イースト・プレス
発売日:2011-05-14

2012年10月4日木曜日

国立大学の改革

文部科学省が策定し、本年6月に公表した「大学改革実行プラン」については、改めて詳細にご紹介する必要もないと思いますが、次の2つの大きな柱と8つの基本的な方向性から構成されています。

1 激しく変化する社会における大学の機能の再構築
  1. 大学教育の質的転換、大学入試改革
  2. グローバル化に対応した人材育成
  3. 地域再生の核となる大学づくり(COC (Center of Community)構想の推進)
  4. 研究力強化(世界的な研究成果とイノベーションの創出)
2 大学のガバナンスの充実・強化
  1. 国立大学改革
  2. 大学改革を促すシステム・基盤整備
  3. 財政基盤の確立とメリハリある資金配分の実施【私学助成の改善・充実~私立大学の質の促進・向上を目指して~】
  4. 大学の質保証の徹底推進【私立大学の質保証の徹底推進と確立(教学・経営の両面から)】


このうち、「国立大学改革」では、全国に86ある国立大学法人の全ての大学・学部の使命・役割を再定義し改革策を打ち出すほか、大学や学部の枠を超えた再編成も促すことになっています。

また、一つの国立大学法人が複数の大学を運営したり、国公私立大学が共同で教養教育を行う組織を設置したりすることが可能となる制度を整備することも掲げられています。

国立大学の再編については、ご存じの方も多いと思いますが、今回のプランで初めて言及されたのではなく、2004(平成16)年度の法人化の際にも検討が行われています。

また、実際に法人化前に100校以上あった国立大学は、同一県内にある国立大学と国立医科大学などの統合等により、現在では86校(大学院大学を含む)になっています。

このたびのプランの具体的実行過程において、どのようなことが起きるのか予想だにできませんが、法人化への移行を経験された方の中には、疑心暗鬼の目で見ている方も少なくないのではないでしょうか。

今後の動向を注視していかなければなりませんね。


参考までに、法人化直前に文部科学省により取りまとめられた、いわゆる「遠山プラン」に関する記事(出典:文部科学教育通信「国立大学法人法コンメンタール(歴史編)」)と、「遠山プラン」に関する天野郁夫さんの論考を抜粋してご紹介します。

よく読むと、当時と今回の状況に類似点があることに気が付きます。国立大学の再編統合は繰り返されるのでしょうか・・・。


大学(国立大学)の構造改革の方針(遠山プラン)

経済財政諮問会議における遠山大臣の説明

本日は骨太の方針のとりまとめに当たりまして、発言の機会を与えていただきまして、感謝を申し上げます。この会議が我が国の経済情勢が非常に厳しい中にあって、構造改革を行いながら、人材育成と科学技術振興への投資を重視されている点を高く評価したいと思います。この方針に沿って、来年度予算から重点配分が実現することが肝要と考えております。そうした投資が経済再生を始め、我が国の発展に真に結び付きますためには、投資対象となるべき大学は創造的人材育成と、研究開発の役割をしっかり果たすべきでありまして、この観点から痛みを恐れず、過去の経験にとらわれず、新しい発想で構造改革を断行することが重要であり、また、それが私の責務と考えております。今日はその大学の構造改革の方針について御説明をいたしたく存じます。

(中略)大学の構造改革は、活力に富み、国際競争力のある国公私立大学の一環として行うことが必要でありまして、第一に、国立大学活性化と基盤強化のために、再編・統合を大胆にやることとしたいと思います。まず来年度に一つでも二つでも実現させてまいりたい。これは国立大学史上初の減となるわけでありまして、言わば来年度を国立大学にとっての歴史の転換点とし、個性と実力を持つ大学に集約してまいりたいと考えます。第二に国立大学は、独立行政法人そのものとは違う民間的な経営手法を取り入れた新しい法人にしたいと考えます。そのポイントは機動性、戦略性、能力主義にあります。また、今の公務員とは違う民間的経営形態を考えております。先行しております独立行政法人そのものよりも、ずっとよいものと申しますか、大学の社会的任務と合致したよいものにしたいと考えております。第三に、徹底した第三者評価で競争させることによってメリハリを付けてまいりたい。その結果、努力しない大学は競争で淘汰されるようにして、逆によい大学は国公私を問わず、世界のトップクラスに育ててまいりたいと考えております。(中略)以上、大学の構造改革のための方針と、私の方からの決意を簡単に御説明いたしましたが、全体を一言で言えば、要は世界で勝てる大学というのをつくっていきたいということであります。それによって、これなら大学に重点投資してもよいだろうと皆さんに安心していただけるように、私の責任で確実に実行してまいりたいと考えております。


国立大学長会議における遠山大臣の説明

既に報道されておりますが、過日3日の経済財政諮問会議において私が発表した資料を用いながら、ご説明申し上げます。その第一点は、『国立大学の再編・統合を大胆に進める』という方針です。戦後、わが国の国立大学は、旧制の大学に専門学校等を含め、新制大学69校で発足いたしました。その後、経済成長に伴う人材養成の必要性や国民の進学意欲の高まりなどを背景に、一貫して拡充整備が進み、今日の99校に至っております。しかし、現下の厳しい経済、財政状況や、法人化の流れも考慮しつつ、将来への更なる発展を目指して各大学の運営基盤を強化するためには、大胆かつ柔軟な発想に立って、大学間の再編、統合等を進めることが不可欠であると考えております。すでに、山梨大学と山梨医科大学、筑波大学と図書館情報大学などを始めとして、一部の大学間では、学長のご見識とリーダーシップの下に、新しい大学づくりのための積極的かつ具体的な検討が進められており、心から敬意を表したいと思います。学長の皆様から、将来の大学像を念頭に、それぞれ特色としっかりした内実を持った、真に国民の期待に応えられる国立大学を目指して、積極的に、再編、統合等の大胆な計画をお聞かせいただきたいのでございます。皆様のご意見を伺いながら、最終的には当省の責任において具体的な計画を策定したいと思っております。

第二点は、『国立大学に民間的発想の経営手法を導入する』という方針です。国立大学の運営の在り方については、一昨年の学校教育法等の改正を踏まえ、各大学で新しい運営方法を意欲的に取りいれていただいていますが、法人化に際しては、そのメリットを最大限に生かせるよう、いわば民間的発想の経営手法を積極的に導入し、民営化しろという議論もある中で、むしろ大胆に民間型の手法を取り入れることが必要になると私は考えております。幸い、この点については、国立大学協会でも真剣な検討が行われ、先に、国立大学協会内の特別委員会から報告がまとめられております。また、当省に置かれた調査検討会議においても、具体的な検討が進んでおり、この秋にも中間まとめが予定されていますが、私としては、これらの検討状況を踏まえつつ、国立大学が社会の期待に応えて、より活性化することを願っている者でございます。

第三点は、『大学に第三者評価による競争原理を導入する』という方針です。私は、大学の教育研究の世界に、いわゆる市場原理をそのまま適用するのは必ずしも適当ではないと考えていますが、他方、第三者による評価システムを通じて、より競争的な環境を整えることは、大学の教育研究の活性化や水準の向上にとって、極めて重要なことと思います。この点、国立大学については、大学評価鱈学位授与機構等による第三者評価の本格的な導入が予定されているところですが、皆様のご協力によりしっかりした評価システムを構築し、各大学の個性や特色に留意しつつ、国公私立、各種学問分野を通じ、世界をリードするトップクラスの大学の育成に力点をおいていくことが、今、当省に求められている最大の責務の一つであると考えております。

以上、本来ならば、まず学長の皆様にお示しした上で、と思っていたのですが、経済財政諮問会議において、大変なスピードで、いわゆる『骨太の方針』が固まりつつある状況を踏まえ、我が省の責任において、大学の構造改革の方針を明らかにしたものでございます。この大きな決意の背後には、国立大学のあり方に対し、厳しい目が注がれていることを想起していただきたいと思います。いろいろなご意見もあろうかと存じますが、要は、『これなら大学に重点投資をしても良いだろう』との世上の期待と支援をとりつけて、もっと『世界を相手に勝てる大学』『国民から信頼される大学』になってほしいのであります。学長の皆様方におかれても、国立大学の更なる飛躍のために、ご理解とご協力を賜りますようお願いいたします。

大学(国立大学)の構造改革の方針(平成13年6月文部科学省)                   
-活力に富み国際競争力のある国公私立大学づくりの一環として-

1 国立大学の再編・統合を大胆に進める。
 ○各大学や分野ごとの状況を踏まえ再編・統合
  ・教員養成系など→規模の縮小・再編(地方移管等も検討)
  ・単科大(医科大など)→他大学との統合等(同上)
  ・県域を超えた大学・学部間の再編・統合など
 ○国立大学の数の大幅な削減を目指す
 →スクラップ・アンド・ビルドで活性化

2 国立大学に民間的発想の経営手法を導入する。
 ○大学役員や経営組織に外部の専門家を登用
 ○経営責任の明確化により機動的・戦略的に大学を運営
 ○能力主義・業績主義に立った新しい人事システムを導入
  ・附属学校、ビジネススクール等から対象を検討
 →新しい「国立大学法人」に早期移行

3 大学に第三者評価による競争原理を導入する。
 ○専門家・民間人が参画する第三者評価システムを導入
  ・「大学評価・学位授与機構」等を活用
 ○評価結果を学生・企業・助成団体など国民、社会に全面公開
 ○評価結果に応じて資金を重点配分
 ○国公私を通じた競争的資金を拡充
 →国公私「トップ30」を世界最高水準に育成


国立大学の構造改革(天野 郁夫)

国立大学が抱える問題について考えるには、平成13年6月に出された「遠山プラン」がいま一番重要な切り口になると思います。それを手掛かりに国立大学が抱えている問題をお話しします。

遠山プランと呼ばれる、「大学(国立大学)の構造改革の方針」は、大きく3つのキャッチコピーでできています。経済財政諮問会議の席上で、遠山大臣が説明したことからこの名がつきました。中身を見ると、非常に大胆な案が唐突に出てきたという印象があります。積年の懸案事項に大胆に切り込み、決着をつけようとしている感じです。いまなぜこういう構造改革が必要なのかについて十分議論が尽くされた結果として出てきたものではないということが、唐突だと思う点です。小泉行財政改革の一環として、いわば外圧でできた感が否めません。

それまでの文部科学省の国立大学に関する最大の改革課題は、独立行政法人化でした。ところが 2001年6月中旬に開催された国立大学協会の総会の冒頭で、その前の週に経済財政諮問会議で発表された遠山プランが登場したのです。

それまで、1年かけて独立行政法人化論を議論してきた国立大学協会側は、思いがけないかたちで改革の圧力が加速され、浮き足立った状態になりました。これは後に週刊誌等にいろいろ書かれることになりますが、確かに国立大学側が仰天したのも当然だったと思います。それは、この構造改革プランがどのように具体化されるかによって、単に国立大学が変わるというだけではなく、高等教育全体が大きく変わる可能性を持っているからです。

国立大学の類型

構造改革の方針では、「国立大学の再編・統合」の部分がもっとも具体的に書かれています。

各大学や学問分野ごとの状況を踏まえ、①教員養成系などは規模の縮小・再編、地方移管等も検討する。②単科大学(医科大など)もほかの大学との統合、地方移管も考える。③大学・学部の県域を超えた再編・統合を検討するとあります。また国立大学の数の大幅削減を目指すということも書かれています。

そこで、現状について簡単に説明しておきます。現在国立大学に99校ありますが、それをいくつかのグループに分けます。この区分は私が使っているものです。

1番目として「基幹・研究・重点大学」が13校あります。旧制の7校の帝国大学と3校の単科大学(一橋、東工大、東京医科歯科)、3校の旧官大(筑波、神戸、広島)です。

2番目のグループは、「地域拠点・地方国立・総合複合大学」で、全部で37校あります。6校の旧官医大(千葉、新潟、金沢、岡山、長崎、熊本)も含まれます。ほかに新官大と呼ばれている1県1大学原則でつくられた大学があります。戦後できた医科大学、昭和24年の新学制の発足までに医科大学になった大学、医学部を持たない大学があります。

3番目に「特殊単科大学」が24校あります。8全国単科(お茶の水女、奈良女、東京外語、大阪外語、東京芸術、東京商船、電気通信)と呼んでおきますが、女子教育、外国語教育、芸術、商船というように、ほかの大学とは異なった特殊なジャンルを持った大学が8校あります。また教育系の教員養成単科大学が8校あります。

4番目が「新構想単科大学」で、25校あります。昭和40年代以降に新設された12校の医科大学と、鳴門、兵庫、上越にある教員養成系の新構想大学が3校、高専の卒業生が入学できる浜松と長岡の技術科学大学があります。そのほかに4校の大学院大学(北陸先端、奈良先端、総合研究大学院、政策研究大学院)もあります。また、今度沖縄につくることになっている大学院もこのカテゴリーに入ります。

99校が以上のような構成になっていて、単科大学と総合大学や複合大学の比率はほぼフィフティ・フィフティになっています。一番多いのは、地域拠点大学と呼んだ、いわゆる地方国立大学です。第2次大戦後に1県1大学を原則につくられた大学で、新制大学発足時に、各県に1校、総合大学ないし複合大学を置こうという構想をもとに開学した大学です。そこには必ず教員養成学部ないし教養学部(文理学部)に相当する学部を置き、農学部、商学部、工学部などの産業関連の学部は地域の産業構造に応じて置く、医学部は地域の医療との関係で可能な限り置くという考え方がありました。つまり大学は、地域の文教の中心、核になることを目指していたのです。

昭和24年に一斉に新制大学が発足します。当時、国立の高等教育機関は全部で276校ありましたが、それを70校に統合したのです。特殊単科大学のグループに入っている大学は、この統合のときにどこにも入らなかったところです。

この再編・統合のなかで、7つの旧制帝国大学は「国立総合大学」と当時呼ばれていました。それ以外の各県に1校ある大学は「国立複合大学」と呼ばれていたのですが、「地方国立大学」と呼ばれてもいたこの大学をだんだん整備充実して地域拠点大学にしようというのが、文部省の方針でした。そして、大学が総合大学化するための、学部の新増設を50年近くかかって推進してきたわけです。

この新増設の重要な核になったのは文理学部でした。もとの旧制高等学校は統合された大学で文理学部になりました。改革、新増設のためにその文理学部の多くが人文学部と理学部になっています。

基幹・研究・重点大学はほかの大学と違って講座制で、そのほかの大学は学科目制です。講座制では、博士課程の大学院が設置でき、付置研究所も集約的につくるという政策がありました。

広島文理科大学、神戸商業大学、東京文理大学を引き継いだ東京教育大学(後の筑波大学)は、地域拠点大学から次第に格上げされ、広島大学、神戸大学、筑波大学となります。広島は第8帝国大学をつくろうという要求が古くからあり、国立総合大学に近いものにしていこうという政策的な意図から次第に整備されていったと思います。

新構想の単科大学は1970年代に入ってから、四六答申の後に次々につくられるようになりました。72年から81年の10年間に21校の国立大学がつくられていますが、そのうち、筑波を除いてすべて単科大学でした。既存の国立大学ではできないことをやるために、新しいタイプの単科大学をつくるという政策的な意図がはっきりとしていました。

国立大学政策の大転換

遠山プランに示された今回の国立大学の再編・統合は、戦後一貫して取られてきた、①基幹大学を研究大学として育成していくこと、②地方国立大学は総合化して、地域の拠点大学にしていくこと、③単科大学のなかで新構想のものはそれぞれ特色を持たせた大学として育てていくことという発想からすると、非常に大きな政策転換だと思われます。

特に地域拠点大学にとっては一大転換です。たとえば単科でつくった医科大学を地域の拠点大学、つまり地方国立大学の一部に統合しようという考え方が強く出されています。山梨大学と山梨医科大学の統合が一番早く決まりましたが、あちこちで似たような医科大学との統合構想が進んでいます。地域拠点大学を総合大学化していくという動きからすれば、戦後改革の総仕上げ的な側面を持っていると言ってもいいでしょう。

もうひとつ進んでいるのが、特殊単科大学の総合大学への統合で、たとえば神戸商船大学と神戸大学が一緒になるという話が決定しています。そのほかに図書館情報大学と筑波大学との統合もあります。特殊な性格を持った単科大学を総合大学のなかに加えていくという改革、再編も始まろうとしているわけです。しかし、別の見方をすると、これらは新構想大学の後始末とも見えます。そもそも新構想でできたときの理念は統合によってどうなるのか、また統合の理念は何かということについて、統廃合の過程でどう扱っていくのか、明確になっていないという問題を抱えているわけです。

教員養成学部は本当に不要か

さらに重要な問題として、いま嵐の目になっているのは、教員養成学部の統廃合です。これまで教員養成学部は、1県1大学原則のコアになってきました。戦後、新しい学校制度が始まったとき、一時的に教員の需要が増えたことから、1952年(昭和27年)当時の国立大学学生の約半数が教員養成学部の学生でした。1967年になっても、依然として4分の1は教員養成学部の学生でした。ところがその教員養成学部が、いまや必ず置くという原則どころではなく、不要であるという議論の真っただ中に立たされています。

すでに、教員養成学部は教員養成課程と新課程(総合課程)が併存しているところがほとんどです。なかには教員養成課程の定員が100人を切っているところも出てきています。医学部の入学定員が90名前後ですから、教員養成学部も医学部並みになっているということです。また、実際に卒業しても、約3分の1程度しか教員になれないために、もう教員養成学部はいらないという話が出ています。

しかし、この問題は複雑な性格を持っています。教員は医師と同様に、ローカルな専門職で仕事の場は地域のなかにある場合がほとんどです。また大学は決して新卒教員の養成だけをしているわけではなく、その地域の現職教員の研修等も担当しています。様々な学校等の相談にのったり、昨今の教育問題に関する研究もしているわけです。また、教員養成学部はいろいろな教科の先生たちを含んでいるので、一種の総合学部にもなっています。このように地域と密接にかかわっている教員養成学部が本当に不要なのかについては、十分な議論が必要であると考えます。卒業者が教員になれないのだから、統廃合して、学部をなくしてもいいという単純な話ではありません。今回の提案では、このような議論がないままに統廃合案が出てきているという点を、危惧しているわけです。

移管・統廃合の理念とは

地方移管論も複雑な問題で、地方の行財政システムと切り離せない関係にあります。コストのかかる国立大学を、府県に委譲することがいまの財政の状況で果たして可能なのかどうか。公立大学自身の経営が難しくなっている状況を考えると、国立大学を地方に押し付けるというようなことが現実にできるのだろうか。また、大学の管理運営の能力を、それぞれの県が持っているだろうかという問題もあります。

これまでの国立と公立の関係は、財政負担に耐えかねて、国に引き取ってもらう、つまり地方自治体が持っている大学を国に移管するというまったく逆の方向できていたわけですから、ここでも大転換が起ころうとしています。

県域を超えた統合再編についてはその必要性がよくわからない面があります。道州制が導入されるならば、それに応じた対応という意味で理解できますが、日本の地方行財政は教育を含めて、すべて県域をベースにしているので、それを超えた統合再編にはそれなりの理念が必要です。しかし、それはほとんど語られていません。

もともと独立行政法人化の議論が出てきたとき、一部の国立大学の間には複数の大学が連合して独法化するという構想もあるのではないかという話がありました。ところが当時の文部次官は、文部省は1大学1法人以外は認めないとはっきり言明し、合同で法人化することはないと言ったわけです。しかし、いまになって県域を超えた統廃合、再編はありだ、永劫不変に1県1大学ということはあり得ませんと高等教育長が言明するということになりました。

いったい何のために再編統合するのか。行財政改革の一環なのか。教育研究の活性化のためなのか。それとも大学運営の合理化のためなのか。ここで、はっきりさせる必要があるだろうと思います。下手をすると、99校は多すぎるという議論だけが横行し、たとえば60校にするという単なる数合わせになったりする恐れもあります。あるいは、統廃合すれば、人員や予算のカットの話が当然出てくるでしょう。しかしコストの問題だけで統廃合するというのは非常に問題があると思っています。

国立大学法人化の課題

構造改革の方針の2番目の柱は、「民間的発想の経営手法を導入」することです。実は戦前から、国立大学を法人化すべきだという長い議論がありました。大学という教育研究の場が強い自主性を持っていることが、その背景にあります。大学には学問の自由や大学自治が重要で、その時々の政府、あるいは議会の言い分に従って予算の変更等が行われたりしては問題であるという考え方です。

1971年の中教審のいわゆる「四六答申」で、文部省は国立大学の法人化の検討の必要性に初めて言及しました。その後、1986年の臨教審答申のなかでも法人化の問題を検討すべきだと言っています。

しかし、今回進んでいる独立行政法人化論は、いままでの流れとは全く違うものです。まず独立行政法人をつくろうという話があり、法人化によって効率的な運営を目指そうとしています。実は最初の最大のターゲットは、ご承知のように郵政の3事業で、これを独法化する案が出されました。

独法化問題は国家公務員の定員問題とも絡んでおり、当初10%だった国家公務員の定員削減が20%になり、橋本内閣のときには25%にまで達しました。これを実現するためには、これまた数合わせですが、現業部門を独立行政法人化すれば、国家公務員の大幅カットになるというわけです。しかし、3事業の法人化が見送られることになり、次に約13万5000人ほど教職員がいる国立大学がターゲットになったといういきさつがあります。したがって、明らかに行財政改革の一環として出てきた国立大学の法人化であり、大学のあり方を考えるときのひとつの選択肢としての独法化ではありません。

しかし、どうやら独法化の方向は避けられないといことで、文部省は1年以上前から大学人を中心に民間の有識者も入った大がかりな検討会議をつくりました。これに対応するかたちで国立大学協会側も検討委員会をつくり、お互いに独法化の検討をすることになりました。

この検討会議での議論や中間報告案を見ると、独立行政法人には、「通則法」という固い枠があり、それと大学の独自性とのすり合わせに大きなエネルギーを割くことになっているようです。結局、出てきた国立大学法人案というのは、独立行政法人の「通則法」と重なり合っていますが、必ずしも同じではなく、国立大学の独自性に配慮した案になっています。しかし読んでみると、中途半端な印象が否めません。人事、財務、管理運営、目標評価という4部会をつくって検討を進めてきましたが、どの部分についてもまだ十分詰められていないという感じがします。いくら読んでも具体的に、国立大学がどうなるのかというイメージを結ばないのです。

特に管理運営システム、財務に関していえば、たとえば私立大学はまさに学校法人がつくっている大学ですが、日本の法人化した大学はどうなっているかについて、討議の過程ではほとんど参考にされていません。

法人化した場合に一番重要な問題は、経営と教学の関係をどうするかだと思いますが、国立大学法人案では、それが曖昧なかたちになっている印象を受けました。

重要な組織としての役員会が置かれ、学長や副学長等から構成される。そこに外部者を入れるとなっています。では、外部者とはだれか。具体的な人数、選任手続き、常勤・非常勤の別、担うべき役割についての議論がほとんどなされないまま案はつくられ、わかりにくいものになっています。

しかし、この役員会は、私立大学にある理事会とは違います。日本の私立大学を例にとると、慶応や早稲田のような伝統的な大学は、まず教職員の選挙で学長を選び、その学長が理事長になっています。ですから、経営と教学が実は一体化してしまっているわけです。理事には、部局長がなる場合もありますし、教員出身者がマジョリティを占めている場合が多く、大学組織のなかにいる人たちが理事会を事実上構成しています。教学の関係者が経営もやっているというかたちです。

実は日本の企業もたいへんよく似ていて、取締役会には、外部重役、外部取締役はほとんどおりません。最近になって、外部から取締役を入れるべきだという話が出てくるわけですから、逆にいえば、いままでなかったということです。

財政面での一番大きな問題は予算です。どのような仕組みで資金を得るかが課題で、外部資金を大幅に導入しろという話が再三出ています。しかし、いまどき、大学に対して研究資金は出しても、教育のために寄付をする人はほとんどいないのではないでしょうか。そうすると、国立大学は、もっとも重要な教育活動に関する限り私学のように授業料収入でまかなうか、あるいはやはり国から助成を受けなければ成り立たないということになります。

改革案では、当面は国立大学に対する予算は基本的に国が責任を持つことになっています。自己収入分を除いた、総支出と自己努力で獲得した収入との差額分は国が運営費交付金というかたちでまかないます。外部資金をたくさん稼いだところは、それに応じて運営費交付金を減らすということでは、稼ぐ努力は無駄になってしまうので、各大学への配分の算定方式を決めるのが難しい問題となっています。

ほかの国を見ると、だいたいはフォーミュラ方式といって、たとえば教員数や学生数に応じて配る場合と、前年度の実績をベースにして1%増しとか2%増しというかたちで配る場合とがあります。残念ながら、今回の報告では運営費交付金を配る方式については全く書かれていません。

特に重要なのが、評価に基づいて運営費交付金の額を決める点ですが、どの部分をどれだけ競争的に配分するかについては全く触れていません。評価は「国立大学評価委員会」が別にでき、そこがかなり大きな役割を果たすという話になっています。しかし、この国立大学評価委員会なるものの構成、何をするかについても、曖昧です。本当に機動的、戦略的な大学運営が可能な設計になっているのかどうかわかりません。

国立大学には国立学校特別会計の制度があり、付属病院や研究所を除いた部分でいうと、現在、予算規模が約1兆6000億円あります。この内訳を見ると、人件費が1兆1000億円です。教育研究経費という名目になっているものが約3600億円ありますが、そのなかで教育研究基盤経費が1900億円ぐらいあり、これが運営費交付金の大部分を占めています。人件費が圧倒的に大きな部分を占めているわけですから、人件費にも運営費交付金の競争的配分がかかってくるのか、かかってこないのかを含め、まだわからないことがたくさんあります。

トップ30-競争と評価で活性化

次は「トップ30」の問題です。実はこれはそれほど新しい話ではありません。これまでもトップ30に類する、特定の大学に重点的にお金を配るという政策は、隠されたかたちで行われてきたように思われます。表面上は平等主義、画一主義で、実質的にはめりはりを付けていたやり方をやめ、文部科学省はもう護送船団方式でも平等主義でもないと言明したかたちです。

配分の過程には競争原理を導入することになりました。これまで文部科学省が所管しているお金のなかで、唯一競争的配分だったのは、個人ベースで審査される科学研究費だけでした。

ところが、トップ30を選ぶことで、個人ベースではなく、組織ベースでの競争的資金配分を進めようという考え方が、表面に強く出ています。これは国立だけでなく、公立、私立にも適用しようとしています。予算要求額は420億円で、学問分野を10に分け、人文系が1つ、社会科学系が1つ、残りはすべて理工系です。それぞれの分野のなかでトップ30ですから、30ユニットを取り出して、そこに毎年1億円から5億円の範囲内、平均で2億1000万円を5年間配るという話になっています。その結果を見て再び審査して、次回はまた違うところの配るというのが基本的な構想です。

これは補助金が欲しい大学が応募して、新たに設けられる評価委員会で客観的な基準で評価され、お金がもらえるかどうかが決まります。その評価基準のなかには、たとえば教員のなかで学位取得者が何名いるか、国際会議にどのぐらい出席しているか、国際的な学術の賞をもらった人が何人いるかなど、すでに細かい基準が示されていて、それに基づいてお金が配られることになります。

差異化の時代が到来し、資金と評価が非常に多元的な状況になってきました。

適正な評価と配分ができるのか

以上のような動きを見てきて感じていることをお話します。

ひとつは評価に関することで、公平性の問題です。日本では評価の経験が、大学についてはほとんど蓄積がありません。いま評価基準や評価尺度をどうするかという議論が始まっています。

評価者の権威に頼る方法ではボス支配になる可能性があります。しかも、似たような評価委員会ができ、特定の人があちこちの評価委員会に顔を出すようでは、ボス支配は強化されてしまうわけで、難しいところです。

負担の過重化はもっと深刻な問題で、評価ができる、だれが見ても権威と認める人が大勢いるわけではありません。同じ人がいろいろな評価に引き出され続ければ、研究が栄えるどころか自身の研究ができなくなるかもしれません。

ところが、いまや日本社会では“評価”は一種のおまじない言葉になっていて、評価をしてお金を配ると言えば、だれもが納得せざるを得ないような状況があります。評価に対する過大な期待が存在し、現に評価機構はその過大な期待にさらされているわけです。慎重にやらなければいけないと思っています。

ふたつ目は配分の問題です。放っておくと、特定大学や特定の研究者に集中する危険度が極めて高いと思います。多元化すればするほど、そういう状況が生まれます。一種のウィナー・テーク・オール状態、つまり一人勝ち状態が生じます。同時に配分方法によっては、評価に基づくと言いながら、たくさんもらったところはそれだけ優位に立つわけですから、次回も、もらわなかったところよりは優位に立つという配分先の序列の固定化が起こる恐れがあります。

もうひとつ心配なのは無駄遣いです。配分されるのは研究費が重要な部分を占めていますが、資金の投入と研究のアウトプットが常に正比例すれば問題はありませんが、そういうわけにはいかないし、必ずどこかで研究の生産性のほうが飽和すると思われます。このことはアメリカでもスプートニクショック後の 60 年代に問題になりました。

特定の大学、特定の研究者がいろいろなところにアプライし、資金が特定の研究者のところに集中的に流れてくる。流れてきても、日本の場合に難しいのはフローとしてきたお金をストックに変える方法があまりないことです。新しい人を雇ったり、新しい建物を造ったりすることは、いまのところほとんど不可能で、研究費だけがフローとして積み重なり、結局それを無駄に使ってしまうという危険性がかなりあります。

教育の空洞化への懸念

人間はみな24時間しか時間を持っていないのですが、日本の教員はこの24時間のなかで、教育・研究・管理運営・サービス、このごろはサービスのなかに評価まで入ってきましたが、この4つの役割をこなしていかなければなりません。それを見事にこなすのが英雄的教授、研究者であり、こういう人が高く評価されるわけです。

どこかが増えればどこかが減ることになりますが、しわ寄せはどこにいくのでしょうか。いまは研究のためのお金がくるわけですから、しわ寄せはどうしても教育あるいはサービスにいくことになる。1番しわ寄せがいくのは学部教育になるでしょう。国立大学のなかには研究院をつくって、教員は全員が研究院に所属し、そこから学部や大学院にいくことになっていますが、先生たちから見れば、自分と一緒に共同研究する博士課程や修士課程の学生は大事だけれど、学部の学生は邪魔だということになる可能性があるわけです。

一方、院生は研究費が増えれば増えるほど、いまの状態で研究補助者として酷使されることになるでしょう。補助者の多いところほど研究成果が高いという研究もあり、逆に言えば補助者がいなければ研究ができなくなってしまうわけです。補助者をたくさん雇えて、1、2年の期限付き採用ができるアメリカのようなシステムになっていればいいのですが、日本はそうではないために、院生を研究補助者として酷使することになります。すると教育の空洞化は大学院でも起こるということになりかねません。

そのような事態を回避するためには、単にお金をだすだけでなく、日本の大学の教育・研究組織全体をアメリカ的なものに転換するしかないのかもしれません。たとえば研究費を1億もらってきた人はそのうち1000万を自分の給料に払って、教育も管理運営も一切やらず、研究に専念できるというのがアメリカのシステムです。同時に、管理運営もだれかに任せ、教育や研究だけに専念する、研究費の取れない人は教育だけをするような仕組みに移行しない限りは、24時間の枠を破ることはできないわけです。そこまで踏み切るつもりで取り組まなければ、お金を出すだけで、国立大学の教育・研究の活性化は実現しないのではないかと考えています。

有限な資源の再配分には熟慮せよ

日本の高等教育の全体をひとつのシステムと考えると、国立大学は百数十年かかってつくりあげてきた人的、物的、あるいは知的な資源のストックであると言えます。それは無限ではなく有限なのですが、いまや全体の流れが、資源のストックは増やさずに、枠のなかで対応せよということになっていることに危惧しています。そして、そこに資源の再配分を目指す政策が登場してきました。

たとえば再編・統合というのは資源の地域的な再配分です。また、トップ30も資源の再配分で、どこかにものや人がいくというかたちになります。そのためには、どうしても大学の管理運営自体をもっとフレキシブルにしておかなければならないので、法人化は避けられない問題になってきているわけです。

結局、限られた資源を再配分するということは、いま持っている人から取り上げて、さらに持っている人のところに移すということです。私立大学の補助金の問題も3000億のうち300億をもっと重点的に配分しましょうという。トップ30も、予算総枠はあまり増えないなかで、傾斜的、重点的配分を増やしていけば、資源の再配分を引き起こすわけで、結局、不平等化や格差構造の強化をもたらすことになります。

それがいいことだという理解ももちろんあります。競争させることによって、教育・研究の活性化が進むという判断もあります。しかし、あまり極端にやって、しかも配分構造が固定化してしまうと、マジョリティを占めている大学の活性化が失われる可能性を常にはらむことになります。

いずれにしても、いま進もうとしているのは、百何十年に1度という大改革です。国民的資産としての大学をどう活用するかという話が基本にあって、そういう視点からこの一連の改革を推し進めていかなければなりません。数を減らしたり、トップ30をつくるだけが自己目的化してしまったのでは、人的、物的、知的なストックを効果的に活用することにはつながらないのではないでしょうか。

何のための構造改革なのか、理念と目標をはっきりする必要がある。そのためには時間が必要だし、英知が必要で、思い付きだけで、いろいろなことをしてもらっては困るのです。国立大学の関係者として、そういう思いを非常に強く持っていることを申し上げておきたいと思います。(「21世紀フォーラム」No.81(2002年1月刊)所収)