2015年9月27日日曜日

社会から支持される大学であるためには(2)

さて、文部科学省は、現在、国立大学に文系学部の改組や廃止を求めた通知に対する反発の強まりを受け、火消しに追われています。

去る9月11日には、下村文部科学大臣が記者会見で、人文社会科学系については廃止ではなく見直しを求めたものだったとして「誤解を与える表現だった」と釈明。

また、9月18日には、日本学術会議の幹事会で、文部科学省の高等教育局長が「通知は大学の変革を促すのが目的で、人文社会科学系の学問を軽視しているわけではない」などと説明を行っています。(幹事会説明資料|資料3「新時代を見据えた国立大学改革」

国立大学の人文社会系については、従前から、ガバナンスの在り方など様々な問題が指摘されてきたところであり、文部科学省の考え方にも一理あるのは確かですし、「国立大の人文社会系学部は、学生や社会の側に立って授業の魅力を十分説明できていない面もある。また、分野によって専門知識の習得や社会問題への関心の喚起が乏しいなどそれぞれ課題があり、カリキュラムの偏りを正す工夫の余地がある。財政事情が苦しい中、投資に見合った人材育成を求める国の考えにもそれなりの背景はある。ただ、教員が減るなどして結果的に人文社会系分野の研究が衰退するとすれば問題だ。これ以上国に改革の口実を与えないよう、大学院などで研究機能を維持しつつ、教育では組織や内容を工夫するなどバランスの取れた改革が必要だ」(本田由紀・東京大大学院教授(教育社会学))(2015年9月22日朝日新聞)といった意見にも素直に耳を傾ける必要があるでしょう。

また、京都造形芸術大学の寺脇さん(元文部科学官僚)が「結局今回の騒動の責任がだれにあるのかうやむやで終わらせようとしている。そもそも今回の大学の組織見直しの問題も国立大だけではなく私立も含めた大学全体の問題としてとらえるべきで拙速感は否めない」(2015年9月26日毎日新聞)と語っているように、このたびの混乱について、文部科学省は、自らの責任をうやむやにしない真摯な対応が求められます。


関連して、「文教ニュース」(平成27年9月7日号)という文部科学省関係の業界誌に掲載された、国立大学法人支援課長の寄稿(全文)をご紹介します。

批判に対する火消しの効果をねらったのか、あるいは、大学関係者の理解を得るための説明責任を果たすための行動なのか、動機は定かではありませんが、問題となった”通知”の意図が説明されてあります。

なお、読んでいただければわかりますが、全体としては、役人特有の堅苦しい美辞麗句の連続です。特に気になるのは、「自己改革が必要」「自ら変わっていかなければならない」「自ら転換して」「主体的に取り組んで」といった大学に求めるキーワードが多用されており、「文部科学省は命令や指導はするが、責任は自分でとれ」といった相変わらずの役所特有の突き放す表現が気になります。読み手(私)の問題かもしれませんが。
本年6月8日付けで文部科学大臣通知「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」が発出され、『ミッションの再定義』を踏まえた組織の見直し」における教員養成系や人文社会科学系の学部・大学院の記述が注目を集めているが、この通知の意義・財的について氷見谷国立大学法人支援課長に聞いた。
平成28年度から始まる国立大学法人等の第3期中期目標・中期計画(平成28~33年度)の策定に向け、各大学での検討に資するため、6月8日付けで「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」の通知を発出した。その内容は、組織の見直し、教育研究の質の向上、業務運営等多岐にわたるが、いずれも第2期中期目標期間(平成22~27年度)、特に平成25年度からの3年にわたる「改革加速期間」における取組の進捗や、国立大学に対する社会の要請の高まりを踏まえたものである。
国立大学に求められている社会的役割
では、国立大学に対する社会の要請とは何か。今、我が国は、世界規模で急激に変化する社会の中で、いくつかの大きな課題に直面している。世界における日本の競争力強化、産業の生産性向上、我が国発の科学技術イノベーションの創出、グローバル化を担う人材の育成、震災の経験を活かした防災対策、地球温暖化等の環境問題への対応、今後ますます進行する高齢化と人口減少の克服、活力ある地方の創生、そして、こうした現代社会に飛び立っていく若者の育成。これらは、国民一人一人が生きがいを持ち、豊かに安心して生活を送ることができる持続的な社会を形成していくために避けて通ることができない課題である。未来が予測しにくくなっている現代社会の中で、これらの諸課題に立ち向かっていくためには、現代を生きる一人一人の個人や各種組織体が、それぞれの立場から可能な行動を取っていくことが求められる。これらの課題に対する挑戦なくしては、我が国の社会を次世代に対して誇れるものとして受け継いでいくことがで巷ないのではないだろうか。

これらの大きな変化とそれに伴う諸課題は、我が国社会の現在と未来に対する不安をもたらす一方で、今後の新たな社会の展望を開く大きな可能性も秘めている。知識基盤社会を迎え、我が国社会の活力や持続性を確かなものとする上で決定的に重要なものは、新たな価値を生み出す礎となる「知」とそれを担う「人材」であることには疑いがない。18歳人口が今後減少していく状況の中、これからの時代を担う入材の育成と、より充実した教育研究水準を確保しつつ、各国立大学がいかにその役割を果たすかが問われている。全国に配置され、高い潜在能力を有する国立大学が、その機能を一層強化し、卓越した教育力や研究力を通じて、地域、我が国、そして世界が直面する課題解決に最大限貢献することが、これまで以上に求められているのである。

特に教育については、現在、文部科学省を挙げて「高大接続改革」に取り組んでいるが、近未来に対して三人の学者による次のような分析がある。「子供たちの65%は、大学卒業後、今は存在していない職業に就く」(キャシー・デビットソン氏、ニューヨーク市立大学大学院センター教授)、「今後10~20年程度で、約47%の仕事が自動化される可能性が高い」(マイケル・A・オズボーン氏、オックスフォード大学准教授)、「2030年までには、週15時間程度働けば済むようになる」(ジヨン・メイナード・ケインズ氏、経済学者)。

世の中の流れは予想よりはるかに早く、将来は職業の在り方も様変わりしている可能性が高い。こうした変化の中では、これまでと同じ教育を続けているだけでは、新しい時代に通用する「真の学ぶ力」を育むことはできない。こうした課題を高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の改革による新しい仕組みによって克服し、子供一人一人が、高等学校教育を通じて様々な夢や目標を芽吹かせ、その実現に向けて努力した積み重ねを、大学入学者選抜でしっかりと受け止めて評価し、大学教育や社会生活を通じて花開かせるようにする必要がある。「高大接続改革」は、高等学校、大学、そして社会へと、一貫して育てていくための一体的な教育改革である。

このうち大学教育に関して言えば、その質の転換を図ることが重要な課題となる。我が国の大学生の学修時間は、米国と比べて依然として短いという調査がある。いまだ答えのない課題に向き合う力、先の予想が困難な時代を生きる力を育成するためには、教育内容、指導方法、評価方法も含めて、どのような大学教育を行い、学生をどう鍛えて社会へ送り出すか、そのための組織は今のままでよいのかということに、大学は真摯に向き合い自ら問い直す責務を負っている。
具体的には、各大学において、学生に身に付けさせるべき資質・能力を明確にし、それに基づく学位授与の方針(ディプロマ・ポリシー)や教育課程の編成の方針(カリキュラム・ポリシー)が適切に設定されてきたか、能動的学習(アクティブ・ラーニング)、科目番号制(ナンバリング)の導入や教育課程の体系化等を通じて全学的な教学マネジメントを確立するとともに、学修成果の把握、厳格な成績評価に取り組むなど、特色ある教育研究を行う体制がとられてきたか、という観点から、現在行っている教育内容・方法やその基盤となる組織のあり方等を点検し、変化する社会の中で学生が生涯を通じて活躍することができる力を養うことができる教育を目指していく必要がある。
これに関し、既に複数の国立大学においては、「ミッションの再定義」を踏まえるなどして、既存の教育研究組織を廃止して新たな組織を設置することにより、社会的要請の高い分野の教育研究活動を行おうとする意欲的な取組が行われるようになっている。例えば、山口大学では、教育学部と経済学部の組織を見直し、カリキュラム設計をデイシプリン・ベースドからアウトカム(人材像)・ベースドに転換した新しい文理融合型教育を行う新学部「国際総合科学部」を平成27年度から開設し、科学技術リテラシーと英語によるコミュニケーション能力、課題解決能力を併せ持った国際的に活躍できる人材を養成するため、1年間の留学の必修化、文系と理系の幅広い知識の修得、学修成果を数値化した評価方法を導入するなどの特色ある教育を展開している。また、宇都宮大学では、社会制度、まちづくり、防災・減災などの重層的・複合的な地域課題に対応できる入材を養成するため、教育学部と工学部の組織を見直して新たな学部を設ける準備を進めている。新たな学部では、地域をフィールドに学科を越えて学生が参加する課題解決型演習を必修化するとともに、全ての専門科目をアクティブ・ラーニングで実施するなどの教育の展開が予定されている。長崎大学では、経済学部と環境科学部の組織を見直し、人文社会系諸分野を「多文化社会」の観点から再編・統合した学際性に富むカリキュラムを構成する、「多文化社会学部」を平成26年度に開設し、多様な文化的背景を持つ人々と協働し、グローバル化する社会を担う人材を養成しようとしている。その他にも、東京大学では、文学部の現行の4学科を1学科に改組することにより、専門領域内での学修に自足する傾向を解決し、俯瞰的な視野から「人間」と「社会」をめぐる知を活用しうる人材を育成しようとする構想を予定している。
このように、社会のニーズと各大学が培ってきたリソースを踏まえ、幅広い知識や能力を活用できる人材を育成するため、「文」や「理」というこれまでの枠組みを超えて、自然科学、人文学、社会科学が連携し、総合的な知を形成し、グローバル化の取組、地方創生への貢献などに対応した新たな学部に改組する動きなどが着実に進んでいる。ミッションの再定義が行われた平成25年度以降、平成28年度新設見込みの学科等までを含めると、全体の約15%に相当する学科(226学科(うち教員養成、人文社会科学系は89学))で組織見直しの構想が進められている。また、東京芸術大学や一橋大学では、自らの強みを生かして海外大学と連携し、国際的な教育研究拠点を形成する構想を進めている。こうした複数の国立大学における改革の機運を全ての国立大学で共有し、それぞれの強みや特色、社会的役割等を踏まえつつ、教育研究の質向上や刷新に向けた取組を進めていくことが、現代社会において大きく期待されているのである。
なぜ特に教員養成系・人文社会科学系で見直しに取り組むことが求められるのか
こうした背景の中で、先般、「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」の通知を発出した。ここでは、全ての組織を見直しの対象としつつ、「特に教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、18歳人ロの減少や人材需要、教育研究水準の確保、国立大学としての役割等を踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めることとする。」とした。
この点に関して、一般に、「人文社会科学系学部・大学院を廃止し、社会的要請の高い『自然科学系』分野に転換すべきというメッセージだ」、「文部科学省は人文社会科学系の学問は重要ではない」として、「すぐに役立つ実学のみを重視しようとしている」、「文部科学省は、国立大学に人文社会科学系の学問は不要と考えている」との受け止めがある。
果たしてそうなのかと間われれば、いずれもノーである。すなわち、文部科学省は、人文社会科学系などの特定の学問分野を軽視したり、すぐに役立つ実学のみを重視していたりはしない。人文社会科学系の各学問分野は、人間の営みや様々な社会事象の省察、人間の精神生活の基盤の構築や質の向上、社会の価値観に対する省察や社会事象の正確な分析などにおいて重要な役割を担っている。また、社会の変化が激しく正解のない問題に主体的に取り組みながら解を見いだす力が必要な時代において、教養教育やリベラルアーツにより培われる汎用的な能力の重要性はむしろ高まっている。すぐに役立つ知識や技能のみでは、陳腐化するスピードも速いと言えるだろう。
では、なぜ、特に教員養成大学・学部、人文社会科学系について、「組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換」に積極的に取り組む努力が必要であると考えるのか。その背景には我が国社会を取り巻く環境の大きな変化があり、国立大学には社会の変化に柔軟に対応する自己変革が必要と考えているためである。
特に、教員養成大学・学部については、平成24~25年度に文部科学省が各国立大学とともに、専門分野ごとにその強み・特色・社会的役割を明らかにするために実施した「ミッションの再定義」において、今後の人ロ動態・教員採用需要等を踏まえた量的縮小を図りつつ、初等中等教育を担う教員の質を向上させるため機能強化を図ることとし、学校現場の指導経験のある大学教員の採用の増加、実践型のカリキュラムへの転換、組織編成の見直し・強化を推進することとしている。このような教員養成大学・学部が今後向き合うべきミッションにより注力していくため、そのミッションに必ずしも合致しない、いわゆる「新課程」は既に廃止の方針としており、そのリソースを活用するなどして」より質の高い教員養成を実現していくことが必要と考えている。
他方、これまでの人文社会科学系の教育研究については、専門分野が過度に細分化されているのではないか(たこつぼ化)、学生に社会を生き抜く力を身につけさせる教育が不十分(学修時間の短さ、リベラルアーツ教育が不十分)なのではないか、養成する人材像の明確化や、それとの関連性を踏まえた教育課程に基づいた人材育成が行われていないのではないか、という指摘が社会一般や学術界からもしばしばされており、「ミッションの再定義」の過程でも、同様の課題が認められた。先述した東京大学文学部の1学科構想は、こうした課題を受けての大学側からの自主的な改革による取組と考えられる。
先般の通知において、全ての組織の見直しを求める中で特に教員養成大学・学部や人文社会科学系を取り上げているのは、このような課題を踏まえ、教育の面から改善の余地が大きいと考えているためである。「組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換」とは、例えば、いわゆる「新課程」を廃止するとともに、その学内資源を活用して、学生が生涯にわたって社会で活躍するために必要となる能力を身に付けることのできる教育を行う新たな教育組織を設置すること等を想定している。
各国立大学には、教育研究の質をより高める観点から、学部や研究科(大学院)などの再編制を通じ、「社会的要請の高い分野への転換」に積極的に取り組むよう努めていただきたいと考えている。大学で行われる学術や科学技術の研究教育は未知の世界を切り拓くものである。このことを踏まえれば、各大学にはむしろ社会的要請をリードするような積極的な提案をいただきたいところである。見直しの具体的内容は、各大学の学部・研究科が果たす、あるいは今後果たすべき役割(ミッション)として再確認したことを踏まえ、必要な戦略と計画を立てて実行していただくこととなる。
国立大学も社会とともにある。そしてそのステークホルダーは国民全体といえる。新しい時代の大学教育の形をどのように創っていくか、各国立大学は英知を絞っていただきたい。それは、それぞれの国立大学自身が魅力ある大学であり続けるための重要な課題でもある。現状を維持するだけでは、学生に新しい時代に通用する力を付けることができない。
社会が大きく変貌している現在、国立大学も「社会変革のエンジン」として「知の創出機能」を最大限に高められるよう、自ら変わっていかなければならない。今こそ、新たな社会を展望した大胆な発想の転換の下、学問の進展やイノベーション創出に最大限貢献する組織へと自ら転換していかねばならない。
文部科学省は、平成25年11月の「国立大学改革プラン」の策定以降、その強み・特色・社会的役割を踏まえながら、これからの時代の新たなニーズと真摯に向き合う国立大学を目指し、機能強化の取組を進めてきた。これからも、全ての国立大学が主体的に取り組んでいただくごとを期待しており、このような大学を積極的に支援していく考えである。

最後に、筑波大学ビジネスサイエンス系教授の吉武博通氏の論考社会から支持される
大学であるためにー仕事との関係における大学教育の意義と課題ー」(リクルート カレッジマネジメント194 / Sep. - Oct. 2015)を抜粋してご紹介します。

大学が今置かれている状況、つまり、”経済成長”の観点から求められる大学の役割と、大学本来のあるべき姿とのギャップをどう考えていくべきなのかについてのヒントが隠されているような気がします。
高等教育に関する政策が次々に打ち出され、国公私立を問わず、大学はそれに翻弄されている面も否めない。リーダーシップの発揮を求められる学長は、国の政策動向を学内に伝え、それに沿った改革を促そうとする。役職教員や幹部職員等にはその意思が多少は伝わるものの、現場に行けば行くほど何のための施策かの理解も不十分なまま、ただ忙しく働かされているといった感覚だけが増していく。このような状況が際限なく繰り返されているように思えてならない。
言うまでもなく、大学における教育研究の目的は経済成長への貢献にとどまるものではない。個人の精神的豊かさ、社会の文化的豊かさ、人類社会の未来を拓くことへの貢献は大学の大きな使命であるが、成長なしにその活動を支えることが一層難しくなりつつある現実も踏まえておく必要がある。

社会から支持される大学であるためには(1)

下村文部科学大臣が、新国立競技場の整備計画が白紙撤回されるに至った一連の混乱の責任を取り、9月25日に辞任を表明しました。しかし、安倍首相から慰留を受け、10月の内閣改造までは続投するようです。まさに「10月改造を事実上の引責とし、誰も深手を負わない茶番劇」(報道)です。

計画の白紙撤回により、多くの時間と税金の無駄を生み、あげくには国際的な信用を失墜した責任は極めて重大であるにも関わらず、遅きに失した今回の無責任な対応は、納得のできるものではありません。

さて、その下村大臣がこれまで力を入れてきた政策の一つが「国立大学改革」でした。

文部科学省が、国立大学の第三期中期目標・中期計画の策定に当たって、全国立大学に対し留意を求めるため6月に発出した「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」と題する通知を巡って、大きな論争が巻き起こりました。

問題となったのは、この通知の中に書かれた組織の見直しに関わる記述『「ミッションの再定義」で明らかにされた各大学の強み・特色・社会的役割を踏まえた速やかな組織改革に努めることとする。 特に、教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、18歳人口の減少や人材需要、教育研究水準の確保、国立大学としての役割等を踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めることとする』の後段(太字)部分です。

一部の国立大学ではこれに即応する形で、教員養成学部(新課程)を廃止し新学部を構想、あるいは、人文社会系学部の見直しを行うなど、教育組織の再編を進めています。

例えば文部科学省は、次のような資料を公表しています。



より詳細にお知りになりたい方は、「平成28年度 国立大学の入学定員について(予定)」(文部科学省ホームページ)をご覧ください。平成28年度開設予定の学部等の内容(財務省への概算要求ベース)が記載されてあります。

なお、余談ですが、上記通知文の前段に書かれてある「「ミッションの再定義」で明らかにされた各大学の強み・特色・社会的役割を踏まえた速やかな組織改革に努めることとする」についても大きな問題をはらんでいると個人的には考えています。

文部科学省の「国立大学改革プラン」に基づき策定された「ミッションの再定義」について、文部科学省は「各国立大学と文部科学省が意見交換を行い、・・・各大学の強み・特色・社会的役割(ミッション)を整理しました」とホームページで述べています。

しかし、実のところ、その策定は、ほとんどが文部科学省主導で進められ、最終的には、文部科学省の意向に沿った文章でなければ認めてもらえないというありさまだったこと、また、文部科学省の上から目線の指導の下、無理をして特色めいた事柄を抽出したり、いくばくかの目立った実績をあたかも強みとして見せることに大学の労力が費やされたと聞いています。

そのような過程で策定された「ミッションの再定義」を踏まえた改革に努めることが求められていることにも留意しておく必要があるでしょう。

さて、話を戻しましょう。上記通知については、既にご承知のとおり、文系軽視との批判が、マスコミはもとより、日本学術会議、日本経済団体連合会(経団連)などから噴出しました。

印象深かったいくつかの記事を抜粋して時系列にご紹介します。(全文をお読みになりたい方は、各見出しをクリックしてください。)

時論公論「国立大学をどうするのか」|2015年7月3日 NHK解説委員室ブログ
全国86の国立大学に文部科学省が求めた組織の見直しはどのようなものだったのか。先月、国立大学に出した通知の中で、文部科学省は、教員養成系や人文社会科学系学部は、組織の廃止や社会的要請が高い分野に転換することを求めました。文部科学省が通知で大学の特定の分野の廃止や転換を求めたのは、初めてのことです。
文部科学省は、単に文学や社会学、経済などを学ぶ人文社会科学系の学部をやめて理系に転換することを促すものではないと説明しています。しかし、大学関係者からすると、国の財政状況が厳しい中、国立大学を類型化し、国立大学にかける税金を効果が見えやすい分野に集中的に投機しようというのではないかと心配するのはもっともです。
国立大学は、平成16年度に今の国立大学法人となりました。ただ、収入は、3割から4割程度が国の運営費交付金で賄われています。運営費交付金は、国立大学が6年ごとに見直して文部科学省に提出する「中期目標」をもとに、大学の規模や教育内容などに応じて配分されてきました。今年度の運営費交付金の総額は、1兆945億円。国の財政状況の悪化に伴って、毎年1%程度減り続けていて、この10年間で1300億円減らされました。一方、支出にあたる経常経費は、人件費が法人化の年には40%以上を占めていましたが、業務の効率化などで一昨年度は33%まで下がりました。経営努力で交付金の減額をしのいできましたが、限界だという声が聞かれます。「中期目標」の見直しは、今まさに行われていて、各大学は、先月末までに素案を文部科学省に提出しました。今年度中に素案を訂正した原案の認可を受け、来年4月から実施します。国立大学にしてみれば、食費を切り詰めるだけ切り詰めた状態で、方針に従わなければ今度は運営費交付金という、いわば主食を減らされることを突きつけられ、従わざるを得ないという声もあります。
では、なぜ今回こうした方針が示されたのでしょうか。大学が社会のニーズに十分対応していないという強い意見があります。背景にあるのは、経済界からの要望と、大学改革を成長戦略の1つとして位置づけようという政府の思惑です。
政府の産業競争力会議の中でも大学改革が議論され、「世界一技術革新に適した国を目指す」という方向性が示されました。議論の中では、運営費交付金の配分が一律であることが競争原理に基づいた改革が国立大学で進まない原因だといった意見や、今の大学の教育方法ではグローバル化に向けて突出した人材を育てるという視点が不十分であるといったことが指摘されてきました。経済界側からしてみれば、大学は企業に有能な人材を輩出できていない、経済成長のためには、企業側と大学側のミスマッチは、当然見直してもらわなければならないというわけです。
大学には企業とともにイノベーションの原動力になって欲しいとの考えは理解できます。しかし、バーターとして、ほかの分野に比べて専門性や将来の進路との結びつきが見えにくい人文社会科学系の学部に地域や産業界のニーズにあわせた人材の育成を目指すよう再編を求めることに問題はないのでしょうか。
大学側は、どう受け止めているのでしょうか。
先月開かれた国立大学協会の総会では、懸念の声が相次ぎました。国立大学協会会長で、東北大学の里見進学長は、「社会の役に立つ人材育成のスパンが、今は近視眼的で短期の成果をあげることに世の中が性急になりすぎていると危惧する。今すぐには役に立たなくても将来的に大きく展開できる人材育成も必要だ」と話しました。
文系学部の教員の1人は、大学では「難しい理論より企業現場の生きた知識を学ばせるべきだ」という意見には賛同する部分もある一方で、こうした「現場の知識」は、賞味期限の短い「事実」や「現状」を知ることにとどまり、将来長期間にわたって活用できる「学び」につながらないことも多いと指摘します。いくら即効性があっても応用の利かない講義ばかりでは長期的には意味がないということです。
声高に言われるグローバル人材の育成に際しても、文部科学省の示した考えはマイナス面が大きいという指摘もあります。異なる宗教観や倫理観を持つ諸外国の人たちと相互理解を深めるためには、英語が話せればいいというものではありません。異文化理解の欠如が企業に大きな損失をもたらすこともあります。そうした理解を進めるために不可欠なのが人文科学系の学問です。
地方の社会科学系の学部の中には、地元の企業に多くの学生が就職しているところもあります。地元の経済界が必要とする人材を輩出しているにもかかわらず、一律廃止と受け止められるような文部科学省の通知に、実態を知らない乱暴な意見だと反発する関係者もいます。
国立大学は税金を使う以上、野放図な経営が許されませんが、大学は職業向けの技能を学ぶ専門学校ではなく、学問の自由という観点から見れば、国は「金は出すが学問の中身までは口は出さない」というのが本来の姿です。逆に文部科学省は、金も出さずに「入試も変えろ」「学部も変えろ」と言うだけ。文部科学省の言うとおり、国立大学法人になったのに自立した大学運営は一向に進まず、運営費交付金を巡ってますます縛りが厳しくなるのではないかとの心配ももっともなことです。現場の不安をあおり、混乱を生じさせるようでは前向きな改革は進まないと思います。

「競争原理」と「大学は国力」ー。最近の高等教育政策のキーワードであろう。
競争原理の背景には、企業が世界的な競争にさらされているのに、大学は象牙の塔でのんびりしているという不信感がある。放っておくと大学は限りなくだらしなくなる。小泉純一郎政権の経済財政諮問会議以降、「大学を競争させる」という考えが定着した。
大学改革とは競争力の強化であり、大学力強化は国力強化という考えが強まった。大学は、次々と出てくる改革要請に疲れ切っている。
文科省は、高等教育の目標を(1)グローバル競争に打ち勝つ人材の育成(2)社会が求める多様で役に立つ人材の育成・供給ーだと言う。だが、これは国や企業側のニーズであって、最も大切な学生側の視点が欠けている。
大学は教育機関である。大学の務めは、グローバル人材を育て国家や企業のニーズを満たすことだけではない。若者一人ひとりが自分の将来を切り開けるように、力を伸ばしてあげることである。その教育力をどうやって評価し、競争させるというのか?
文科省は何もしないでいてくれた方がいい。高等教育はどうあるべきか、ビジョンをきちんと示し、あとは大学に自由にやらせてほしい。自由にさせた上で、7年に1回の認証評価でキチンと評価・指導すればいい。
ところが最近は、「競争的な資金」や「メリハリの付いた資金配分」などといって、文科省が示す要件に合致し採択された事業に補助金を出す政策が増えた。その補助金の取り合いに、かなりの精力を割かれる。
文科省が示す要項に沿って各大学が一斉に頑張ったということだが、奇妙な話である。同じ方向の改革を進めるだけで、その改革が本当に正しい改革なのか、誰も分からない。個性ある大学づくりという文科省方針とも合わない。そもそも改革とは自分の責任と工夫で進めるものではないか。
大学設置基準は学生数に応じた教員数や卒業に必要な単位数を定めている。そうした条件で大学をつくらせ、国立なら運営費交付金、私立なら経常費助成を補助金として出している。それなのに役所の意向に沿った改革の取り組み具合で、補助金に差を付けるという。審査の過程でダメと言われた大学は潰れても仕方ないということだ。
宇沢弘文氏は、地方における大学は私学も含めて共通社会資本だと指摘した。病院や道路と同じで、地方で人が生きていくのに欠かせない。若者が地域の大学で学べる環境は必須である。
国立大は法人化したにもかかわらず、改革の嵐の中で年々減らされる運営費交付金に振り回されている。最近は、教員系や人文社会系を見直し、社会的な要請が高い分野への転換まで求められている。国立大学の主体性はどこに行ってしまったのか。
18歳人口の減少で高等教育を取り巻く環境は激変する。国は過剰介入をやめ、今こそ、真に必要な高等教育の将来ビジョンを示すべきである。

文部科学省が全国の国立大学に対し、人文社会科学系の学部・大学院のあり方を見直すよう求めた通知に反発が強まっている。ことさらに「組織の廃止」に言及するなど問題の多い内容であり、批判が高まるのは当然だろう。
時代の変化のなかで大学がその役割を自らに問い、改革を続ける必要があるのは言うまでもない。しかしこんどの要請は「すぐに役に立たない分野は廃止を」と解釈できる不用意なものだ。文科省は大学界を混乱させている通知を撤回すべきである。
かねて文科省は国立大に、旧態依然たる横並びから脱し、グローバル化や大学ごとの特色を出すための取り組みを求めてきた。その方向性自体は理解できる。
しかし今回、人文社会科学だけを取り上げて「廃止」にまで踏み込んだのは明らかに行き過ぎである。文科省は「廃止」に力点は置いていないと釈明するが、大学側への強い威圧と受け止められても仕方があるまい。
また、通知にある「社会的要請」とはそもそも何か。実学的なスキル育成だけでなく、歴史や文化を理解する力、ものごとを批判的に思考する力を持つ人材を育てるのも大学の役割ではないか。そうした機能を失った大学は知的な衰弱を深めるに違いない。
さきの国立大学協会の総会では、文科省の姿勢に多くの懸念が示されている。日本学術会議も今月23日に「教育における人文社会科学の軽視は、大学教育全体を底の浅いものにしかねない」と強い調子で批判する声明を出した。
文科省は、国立大の運営費交付金の配分権を握っている。この権限をバックに大学に画一的な「改革」を押しつけても真の成果は期待できまい。11年前の国立大法人化のとき、文科省は大学の自主性を高めると説明していた。その約束はほごになったのだろうか。

国立大学改革に伴って持ち上がった“文系不要論”の衝撃は大きかった。文部科学省は「誤解」と否定していますが、それでも疑念は拭えないのです。
文科省が去る6月に全国の国立大あてに出した通知が発端でした。教員養成系や人文社会科学系のリストラを求めたのです。
確かに、社会の変化はすさまじい。子どもの人口は先細りですし、地方は過疎化が進み、都市との格差は広がる一途です。人間活動は情報化、グローバル化し、国際競争はし烈を極めています。
大学はレジャーランドでは許されない。それなりの教育研究の成果を社会に還元しなくては、存在意義さえ問われます。時代の情勢に見合った組織への脱皮は急務という文科省の理屈は分かります。
では、そのような改革がどうして“文系不要論”と映るのか。
それは政府の成長戦略と連動しているからでしょう。産業界の利益追求や社会的有用性に奉仕する学問を優遇し、成果を競わせるという発想が読み取れるのです。
科学技術振興やイノベーションの土台となる理系人材の育成はいうに及ばず、文系人材の育成でも職業能力の開発や実践力の向上に主眼が置かれているといえます。いわば、稼ぐ力の強化という視点のみからの改革というほかない。
とすると、実利実益との結びつきが見えにくい人文社会科学は切り捨てられるという懸念が強まるのも当然です。これは学問の自由にかかわる問題でもあるのです。
幕末の開国以来、激動期の為政者は国家の命運を科学技術に託してきた面があります。
「高等生徒を訓導するには、之(これ)を科学に進むべくして、政談に誘うべからず」。明治の元勲伊藤博文の言葉です。西欧列強に対抗して近代化を急いだ時代でした。
大戦中には、文系の高等教育機関は理系への転換を強いられ、科学技術の即時戦力化が推進されました。学徒出陣で戦地に送られたのは、主に文系の学生でした。
「文系の学問は国にとって有害無益なのでしょう」と手厳しいのは、滋賀大学長で経済学者の佐和隆光さん。「社会にどう役立つかで学術的価値をはかる、あしき慣行が国にはある」というのです。
高度成長期の1960年、岸信介内閣の松田竹千代文部相は、国立大は理系を担い、文系は私立大に任せたいとの意向を示したという。多くの国立大文系の学生が安保闘争に参加していたという背景があった、と指摘しています。
「文系の学識とは批判精神です。それで自由や民主主義も守られてきた」と説くのです。
とすれば、昨今の異論排除の風潮と文系軽視の風潮とは、必ずしも無縁ではないのかもしれません。国家が知的資源を一元管理して成長戦略に投入する姿は、開発独裁体制すら想像させます。
科学技術はまた独り歩きする面もあります。その日進月歩ぶりを目の当たりにして、夏目漱石は大正期に著した小説「行人」で登場人物にこう語らせている。
「人間の不安は科学の発展から来る。進んで止(とど)まる事を知らない科学は、かつて我々に止まる事を許してくれた事がない。(中略)どこまで伴(つ)れて行かれるか分(わか)らない。実に恐ろしい」
現代にも通じるような話です。ITやロボット、人工知能、遺伝子工学…。利便性や効率性ばかりを追求した果てに、どういう社会が待ち受けるのか。全ては科学技術の赴くままにという実情です。
最近では、このような将来予測も公表されています。
・2011年度に米国の小学校に入った子どもたちの65%は、大学卒業時にいまは存在しない職業に就く(米ニューヨーク市立大学のキャシー・デビッドソン氏)。
・今後10~20年程度で、米国の雇用者の約47%の仕事が自動化されるリスクが高い(英オックスフォード大学のマイケル・A・オズボーン氏)。
しかし、科学技術文明には公害や環境破壊、地球温暖化、大量破壊兵器といった負の遺産を生み出してきた歴史がある。その功罪を含めて人間の生存や社会の発展、継承のための「知」を探究するのは人文社会科学の使命なのです。
名古屋市で先週、市民手づくりの哲学カフェが開かれました。教育をテーマに、見知らぬ人同士10人余りが意見を交わした。結論を出すのではない。互いの違いを認め合い、思索を深めるのです。
今やこうした「対話の場」は全国に広がる。稼ぐ力ではなく、本物の「知」に飢えているのではないでしょうか。本来、学問は国家のものではなく、市民のもの。無論、理系と文系を隔てる垣根など最初から存在しないのです。

幹事会声明「これからの大学のあり方-特に教員養成・人文社会科学系のあり方-に関する議論に寄せて」|平成27年7月23日 日本学術会議

日本学術会議は7月、「人文・社会科学の軽視は大学教育全体を底の浅いものにしかねない」と批判する声明を発表しています。


国立大学改革に関する考え方|2015年9月9日 日本経済団体連合会

経団連は9月、文部科学省の通知について「即戦力を求める産業界の意向を受けたものであるとの見方があるが、産業界の求める人材像はその対極にある」との文書を発表しています。ただし、ここで留意しなければならないのは、「経団連が声明を出した背景には、文科省の通知が「文系つぶし」と受け止められ、それが「経団連の意向」との批判が広がっていることがある。就職活動中の学生らに誤解を与えかねないとの懸念があった」(2015年9月10日朝日新聞)、「企業が即戦力を求め過ぎることが背景にあるという経済界への批判もあり、経団連としてはそういった懸念を払拭する狙いもあり、今回の提言をまとめた」(2015年9月9日産経新聞)に十分留意しておく必要があると思われます。

政治の貧困と政治家の気概(2)

このたびの安全保障関連法案の委員会採決(参議院)をご覧になりましたか。情けない、あきれてものが言えない醜態でした。これが国権の最高機関のあるべき姿でしょうか。一国民として、とてもこの国の未来を託す子どもたちに説明できるものではありません。


国会議員の資質の劣化については、これまでも幾たびも指摘されてきましたし、国民の政治離れの大きな要因の一つにもなっています。

今回もそうでした。次の三つの記事(抜粋引用)は、当を得ていると私は思います。(全文をお読みになりたい方は、各見出しをクリックしてください。)

政治家の劣化と政治権力の空洞化|2015年7月20日 YamaguchiJiro.com
今、 安保法制と並んでいくつかの重要な政策決定が行われようとしている。それらに共通しているのは、かつて丸山真男が日本の戦争に至る政策決定を分析する中で析出した「無責任の体系」である。丸山によれば、日本における無責任な政策決定には次のような特徴がある。
第一に、現実を直視せず、希望的観測で現実を認識したような自己欺瞞に陥る。第二に、既成事実への屈服。事ここに至っては後戻りできないと諦め、誤った政策をずるずると続ける。第三に、権限への逃避。 誤った政策が事態を悪化させることを認識しても、自分にはそれを是正する力はないと、自分の立場、役割を限定したうえでそこに閉じこもり、政策決定の議論 から逃避する。こうした特徴を持つ無責任な政策決定によって、日本は70年前、敗戦という破局にいたった。
それから70年、最近の重要な政策決定を見るにつけ、政治家、官僚というエリートの無責任体質は変わっていないと痛感する。その悪しき意味での持続性には、驚嘆、嘆息するしかない。
安保法制について言うべきことは多いが、ここでは一点だけ批判しておく。自衛隊の海外における他国軍への後方支援活動は安全だと政府は 言い張る。しかし、野党や多くの識者が指摘しているように、後方支援は武器、弾薬、燃料等の補給活動、すなわち兵站である。兵站は戦闘そのものである。これを安全な後方支援と名付けるのは日本政府の勝手ではあるが、国際的に通用する論理ではない。日本の同盟国と戦っている敵国は遠慮なしに自衛隊を攻撃するに違いない。集団的自衛権を行使して戦闘に参加するならば、最初からその本質を自衛隊員と国民に説明し、覚悟を求めるのが指導者の責務である。自衛隊は武力行使をしているわけではないのだから、敵国やテロリストはこれを攻撃しないというのは、犯罪的な欺瞞である。
皮肉なことに安倍晋三首相は指導者として決断を下すことが大好きである。憲法解釈については私が最終的責任者だと主張し、安保法制については時期が来れば採決しなければならないと言う。決定への意欲が無責任な政策の選択をもたらすのはなぜか。それは政治家や官僚が問題の本質を理解する知力を持っていないからである。日本政治を毒している反知性主義の弊害といってもよい。反知性主義について、佐藤優氏は「実証性や客観性を軽視もしくは無視して、自分が欲するよ うに世界を理解する態度」と定義している。件の自民党の懇話会で百田尚樹という作家が行った講演は、自分が欲するように世界を理解することの典型例であ る。それをありがたがる議員が安倍首相の親衛隊だというのだから、病は深刻である。
安倍首相は、選挙で勝利し、国会で多数を握っていることで、自分の行為をすべて正当化している。いまや、首相と自民党は多数派であることによって、自分たちの持つ偏見や先入観をも正当化しようとしている。安保法制に関して国会で野党の追及を受けても、最後は、安保法制は合憲で、自衛隊の活動は安全だと「確信している」と言って議論を打ち切る。中世の欧州人は太陽が地球の周りを回っていると信じていた。確信の強さは信条の中身の正しさとは無関係である。確信の根拠と論理を説明するのがまっとうな議論である。
希望的観測や先入観をもとに政策を考えれば、失敗するに決まっている。戦後70年の今、国を滅ぼした無責任の体系を反省するのではなく、反知性主義に染まった政治家と官僚がそれを繰り返し、一層無責任な政策決定を進めようとしている。この風潮をいかに止めるか。反知性主義者に知的になれと説教をすることには意味がない。しかし、偏見をむき出しにして権力を使う政治家を次の選挙で落選させることはできる。また、反知性主義の蔓延をこれ以上広げないために、野党やメディアがなすべきことは多い。沖縄の二つの地方紙がそうしたように、無知や偏見に対してメディアと言論人は徹底的に戦わなければならない。また、野党が今なすべきこと は、中途半端な対案を出すのではなく、政府の欺瞞をあくまで追求し続けることである。

もう前を向いて進もう!・・・自民党に代わる受け皿づくりを|2015年9月22日 江田憲司
自民党が慢心するのも、世論調査で安倍内閣の支持率が一時的に下がっても、法案の衆院通過時にそうだったように、ひと月後にはまた元に戻る。「熱しやすく冷めやすい」「人のうわさも75日」「のど元過ぎれば何とやら」ということわざに象徴されるように、「世論なんてそんなものさ」と高をくくっているのだ。
ましてや、来年夏の参院選までには、国民なんて今回のことはすっかり忘れてしまっているだろう、これからは経済に万全を期していくとでも言っておけば簡単に 国民は騙せるだろう。それが自民党の魂胆なのだ。そういう意味では、これからは、政治家だけでなく「民度」も問われているとも言えよう。

戦争法案可決。あの日、傍聴席から見えたすべて。の巻|2015年9月23日 雨宮処凛 
「アメリカと経団連にコントロールされた政治はやめろ! 組織票が欲しいか? ポジションが欲しいか? 誰のための政治をやってる? 外の声が聞こえないか?  その声が聞こえないんだったら、政治家なんて辞めた方がいいだろう! 違憲立法してまで自分が議員でいたいか? みんなでこの国変えましょうよ。いつまで植民地でいるんですか? 本気出しましょうよ!」
9月18日の深夜2時過ぎ。参議院・本会議場に山本太郎議員の「魂の叫び」が響いた。騒然とする議場。野次。怒号。傍聴席からその様子を見ていた私は、涙を堪えることができなかった。
それから数分後、安保関連法案は可決された。傍聴席に、啜り泣きの音が響いた。本会議場から外に出ると、参議院議員会館前に集まった人々の「廃案!」という 叫び声は一層大きくなっていた。長くて熱い、戦後70年の夏が終わった。だけど、不思議と悲壮感はまったくなかった。ここから、この夏に繋がった人たちとまた始めればいいのだ。それはものすごく簡単なことで、私は春よりも、ずっとずっとたくさんのものを手にしていることに気がついた。
それにしても、怒濤の日々だった。
いよいよ参議院での強行採決が迫った9月16日からは、ほとんど「現場」にいた。午後に開催された地方公聴会に傍聴に行くと、会場の新横浜プリンスホテル 周辺には、びっくりするほどたくさんの人が集まり、「強行採決反対!」と声を上げていた。公聴会の席で、公述人の一人・弁護士の水上貴央氏は、この日の18時からとりまとめの審議・そして強行採決という流れになっていることに対して釘を刺した。
公聴会が採決のための 単なるセレモニーに過ぎず、茶番であるならば、私はあえて申し上げるべき意見を持ち合わせておりません。委員長、公述の前提としておうかがいしたいのですが、この横浜地方公聴会は、慎重で十分な審議をするための会ですか? それとも採決のための単なるセレモニーですか?」。これに対して鴻池委員長は「この件につきましては、各政党の理事間協議において本日の横浜の地方公聴会が決まったわけです。その前段、その後段についてはいまだに協議は整っておりません」 と回答。しかし、この公聴会、結局「派遣報告」も何もなされず「アリ バイ」作りのためのものでしかなかったことは、今は誰もが知る通りだ。
翌17日、委員会で大混乱の中、なりふり構わぬ「強行採決」がなされてしまったことは周知の通りだ。これを受けて、この日の夜から国会で本会議が続いた。野党が抵抗のため、問責決議案を連発したからだ。
あの時(13年12月の「特定秘密保護法」の強行採決)も、そうだった。委員会の議事録には一言も「採決」なんて書いていないのだ。なんの記録にも残っていないのに、ああやってなされてしまう採決。そして更に今回は「開会宣言」すらなく、野党議員は質問権も討論権も票決権も奪われた。「丸裸の暴力」。何人もの野党議員が本会議の討論で使った言葉だ。あまりにも、汚いやり方である。 しかし、これが通ってしまうのだ。憲法違反の法律が、あんな暴力的な方法で通ってしまうのが今の日本の現状なのだ。あまりにも空しい「数」の力である。
この日、傍聴を終えて午前2時過ぎに外に出ると、議員会館前には冷たい雨の中、傘をさして座り込んでいる人たちが大勢いた。また、胸が熱くなった。
そうして、18日午後2時過ぎ。この日も本会議を傍聴していると、山本太郎議員が突然「ひとり牛歩」を開始! 誰一人続く人のいない牛歩は計5回なされ、最後、安保法案へ反対する投票をする直前に叫ばれたのが、冒頭の「魂の叫び」だ。
このひとり牛歩については、いろんな意見があると思う。しかし、私はたった一人、あの空気の中で牛歩をやり遂げた山本議員に、心からの拍手を送りたい。外で連日声を張り上げる人々を思うと、いても立ってもいられなくなったのだろう。
5回の牛歩は、傍聴席から見ると残酷と言っていい光景だった。自民党席からの激しい野次、怒号。「そこまでして目立ちたいのかよ!」「お前いい加減にしろよ!」などの罵声。牛歩をしている山本議員の後ろから、「邪魔!」とばかりにわざとぶつかってくる自民党の女性議員もいた。そんな時は、自民党席からワーッという歓声が起きる。対して山本議員には、野党からの拍手もなく、応援の言葉もほとんどない。ただ、時々牛歩をする山本議員の背中や肩を「頑張れよ」というふうに叩いていく野党議員はいて、そんな時だけ、ほっとする。だけど、本当に本当に「ザ・針のむしろ」な空気感。あれをできる人は、この国に何人くらいいるだろう。しかし、ひとり牛歩する山本議員の後ろには、国会前や全国で声を上げている無数の人々の切実な思いがあるのだ。それを背負っての、牛歩なのだ。
戦後70年の終戦記念日の翌月、この国は、根底から大きく変わってしまった。しかし、それを押し返す力を、今の私たちは既に持っている。その力を、次の闘いで存分に発揮すればいいだけなのだ。




さて、とあるTV番組で、政治家の気概について、政治学者の姜尚中(カン サンジュン)さんはこう語っていました。
政治家になるのは3つの要素が必要になる。
一つめは、気概(情熱、意志の力)
二つめは、見識(歴史がどう動いているかを見定める)
三つめは、責任(応答能力がある、きちんと質問に答えられる)
だんだん政治家が無い無い尽くしになってきたのは、どうしてか。
政治が天職ではなく家業になっている。
家の業を継ぐというか、あるいは、そうでない人はビジネスになっている。
それは、全部(自民)党中央に、お金もポストも公認権もいろんなものが独占化されて、それから世襲化が進んでいく。
こういう状況になっているので、結局、普通の政治家は、票集めの陣笠、イエスマンにならざるを得なくなっているというところに最大の問題がある。

私たち国民は、戦後70年の大切な節目のこの年に、この国の歩むべき道を誤らせた未熟な政治家達の行動を鮮明に記憶に留め、次の国政選挙では、必ずや安全保障関連法の成立に賛成した議員を落選させ、法律の廃止に向け民意を示す必要があると思います。

そして、政治家は、立憲政治に対する国民の信頼を取り戻すためにも、太平洋戦争への突入を目前にして、軍部の独走を許すまじと国­会で時の政府の暴挙をいさめた、あの「反軍演説」の精神を今一度肝に銘じてほしいと思います。


政治の貧困と政治家の気概(1)

過去最長の95日間の延長幅をとった第189通常国会は、本日(9月27日)閉会しました。去る9月19日未明には、この国の形を決める重要なことがありました。安全保障関連法案の可決・成立です。皆さんはどのように受け止めておられますか。

国の将来を決める極めて重要な法律でしたが、その成立過程は混乱の連続でした。成立後、安倍首相は「将来の子供たちに平和な日本を引き渡すために必要な法的基盤が整備された」と語っています。

果たしてそうでしょうか。私にはそうは思えません。70年もの間、憲法の下で平和を堅持してきたこの国を容易に戦争ができる国にし、未来ある子ども達を戦争に巻き込み、戦闘や殺戮を繰り返す大きなリスクを背負わせることにしたのではないでしょうか。そして、野党民主党の岡田代表が語ったように「憲法の平和主義、立憲主義、民主主義に大きな傷跡を残した」のではないでしょうか。

安倍政権は、これまで、着々と憲法を空洞化させる行動を進めてきました。日本版NSC、特定秘密保護法、防衛装備移転三原則、そして仕上げは今回の安保関連法です。

今回の法律の成立過程では、様々な問題が指摘されてきました。特に、憲法違反の法律を与党政府が数の力で押し切った(憲法違反を国会が堂々とやってのけた)こと、憲法解釈を変えて戦争をやれるようにした(政権交代があるたびに、解釈がどんどん変わってしまうことになる)ことなど。そして、このような問題が、ほとんど議論されずに法律が成立してしまったこと。もはや、立法も司法も行政のために死滅してしまったのではないかと残念でなりません。

最近、驚愕のニュースが飛び込んできました。 防衛省が始めた軍事技術研究資金の公募で、なんと東京工業大学(国立)など計9件が採択されたとのこと。報道では、研究予算不足を背景に防衛省研究への関心が高まっているとのことでしたが、先の戦争への反省が消し去られ、歯止めが利かない恐ろしい国へ変質しつつあるように思えてなりません。

さて、安全保障関連法の成立過程で報道された様々な記事のうち、自分の心に留め置きたいと考えた記事をいくつか抜粋してご紹介します。(全文をお読みになりたい方は、各見出しをクリックしてください)




今、日本政府は名護市辺野古の海を埋め立てて、新しいアメリカ軍基地を造ろうとしています。戦争はしないと誓った憲法9条も骨抜きにしようとしています。私は、70年前の悲惨な体験が風化して、また戦争の準備が進んでいると危ぶんでいます。だます政府と、だまされる国民がそろった時に起こるのが戦争です。どんなに残酷か…。もめごとは鉄砲や爆弾ではなく、英知で話し合って解決してほしいです。

テレビのニュースは今も日々、世界の各地で起きる戦争を伝えています。妹たちが亡くなった糸満市摩文仁に立つ沖縄県平和祈念資料館には「戦争をおこすのはたしかに人間です しかし それ以上に戦争を許さない努力のできるのも 私たち人間ではないでしょうか」と記されています。一人ひとりが心の中に「平和のとりで」を築きましょう。


戦争とは何なのか? 焼け跡世代からのメッセージ~養老孟司|2015年8月8日 PRESIDENT Online

世間は形を変えて、自発的に暴走していきます。そして、その渦中にいるときは、異変に気付くことができません。学生運動もそうでした。

いまの若い親世代、子供世代には、平和なときに「自分にとって、何が一番大事なことなのか」を考えてほしい。戦争が始まると、それがわからなくなってしまい、社会の暴走に巻き込まれてしまいます。平和なときにこそ、考える軸を養ってほしい。

太平洋戦争で、誰も社会の暴走にブレーキをかけられず、その先に待っていたのは、多くの国民が道具として使い捨てられる社会でした。

残念なことですが、戦争体験はいくら言葉を尽くしても伝わりません。しかし、言葉が無力であるということは、同時に私たちに何を見るべきかを教えてくれます。大事なのは言葉ではなく、行動です。権力者が何を言っているかではなく、何をやっているかをよく見てください。そして、世の中をつくるのも、私たちが何をするかにかかっているのです。


あす終戦の日 不戦の原点から考える|2015年8月14日 毎日新聞

満州事変から太平洋戦争に至る日本の「自爆戦争」の背景には、憲法解釈の乱用があった。軍は、天皇による統帥権が三権の枠外にあるとして神聖化した。その下で言論統制が強まった。戦争に異論を唱える人間は「非国民」として排除され、社会の自由は窒息していった。

もう一つは、外交の失敗だ。中国侵略のあと、国際連盟脱退で世界から孤立した日本は戦線を東南アジアに拡大し、米国の対日石油禁輸で追い詰められると、真珠湾攻撃へと走った。外交努力を放棄して国際協調路線を踏み外し、米国の戦略と米中関係の大局を読み誤った。

6割が餓死だったとされる、戦地での230万の死。確実に死ぬことを前提とした特攻作戦。国民の命が羽毛のように軽かった時代の反省から、日本は再出発した。全ての人が自由に発言する基盤を尊重し、多様な考えが社会に生かされ、国が国民を駒として使い捨てるのではなく、国民が国の主人公である、当たり前の民主主義を持ったことが、戦後の日本の支柱だったはずだ。

昨今、憲法を頂点とする法体系をことさら軽視し、自由な言論を抑圧するような言動が政治の世界で相次いでいる。安全保障関連法案を巡って「憲法守って国滅ぶでいいのか」「日本人は軍事知らず」という物言いも、しばしば耳にする。

だが、かつてあったのは「憲法守って国滅ぶ」ではなく、憲法をないがしろにして戦争に突入した歴史である。「軍事知らず」ではなく「外交知らず」で、破滅に追い込まれたことを忘れてはならない。

戦争の「負の歴史」をいかに真摯(しんし)に振り返り、明日に生かすか。その認識において政権と国民の間に断層があっては、戦後70年の民主主義は土台から揺らぎかねない。

安倍晋三首相は、広島での被爆者との面会で「二度と戦争の惨禍を繰り返してはならないという不戦の誓い」を口にした。安保法案も、戦争をせず、平和を守るためと説明されている。平和と不戦の誓いを原点にしている点では、首相も、法案に反対の世論も変わりはない。

不戦の誓いと平和という「未来」を語る言葉は、政権と国民の間で既に共有されているのである。求められるのはそれを繰り返すことではなく、「過去」を語る言葉を政権と国民が共有することだろう。

戦争には、国の中枢でそれを決める側と、殺したり殺されたりする運命を背負わされる側がある。だからこそ政治指導者は、過去の侵略と過ちを認め、再びあの時代には戻さないという強いメッセージを、信頼のおける言葉と態度で、国民に向かって語る義務があるはずだ。

「未来」をいくら雄弁に語ったところで、「過去」との決別があいまいなままでは、国民の心にも国際社会にも、決して響くまい。

日本は、二つの原爆という史上最悪の戦争被害を体験した。また、同じアジアの国々に土足で上がり込んで支配した。紛争を解決する手段として戦争がいかに愚かで、自国民も他国民も不幸にするか。被害と加害の理不尽さをどの国よりも肌で知る日本は、戦争の不条理を世界に伝え続ける、人類史的な使命があると言えるのではないだろうか。

他国を侵さず、自国を侵されず、無用な戦争に加わったりしないということ。軍事に抑制的で、可能な限り平和的手段を追求する国としての誇りを持つこと。国際情勢の変化にただ便乗するのではなく、広く長期的な視野で見極め、信頼醸成に基づく国際協調を大事にすること。それらが、戦後70年で築き上げた日本の国柄ではないかと考える。

あの敗戦を原点とする、国民の健全な国際感覚と民主主義の土壌は、「平和ぼけ」と冷笑されるような、ひ弱なものではない。政権は国民のまっとうさに信を置き、平和国家としての道を、国民とともに自信を持って歩いていってほしい。

戦後70年が重く迫るのは、戦後80年に向け、歴史を風化させてはならないとの思いがあるからだ。20世紀初めにフランスの詩人が残した「我々は後ずさりしながら未来に入っていく」という言葉のように、過去を見る視線の先にこそ、私たちの確かな未来があると信じたい。



歴代内閣が「憲法を改正しなければできない」と明言してきた憲法解釈を覆し、安倍内閣が集団的自衛権の行使を認める閣議決定をしたのは昨年7月。以来、憲法学者や元内閣法制局長官らの専門家が、そのおかしさを繰り返し指摘してきた。

なぜ、集団的自衛権を行使できるようにしなければ、国民の生命や財産を守ることができないのか。この根本的な問いに、安倍首相は日本人が乗った米艦の防護や中東ホルムズ海峡の機雷掃海を持ち出したが、その説明は審議の過程で破綻(はたん)した。

それでも政権は法成立へとひた走った。これは、安倍内閣が憲法を尊重し擁護する義務を守らず、自民党や公明党などがそれを追認することを意味する。法治国家の土台を揺るがす行為だと言わざるを得ない。

2012年末に政権復帰した安倍氏は、9条改正を視野に、まず憲法改正手続きを緩める96条改正を唱えた。ところが世論の理解が得られないとみると、9条の解釈変更へと転換する。有権者に改憲の是非を問う必要のない「裏道」である。

真っ先に使ったのが、違憲立法を防ぐ政府内の関門であり、集団的自衛権は行使できないとの一線を堅持してきた内閣法制局の長官を、慣例を無視して交代させる禁じ手だ。

法制局の新たな体制のもと、政権は集団的自衛権の「限定容認」を打ち出した。根拠としたのは、59年の砂川事件最高裁判決と72年の政府見解だ。

だが、砂川裁判では日本の集団的自衛権は問われていない。72年見解は集団的自衛権の行使は許されないとの結論だ。「限定」であろうとなかろうと、集団的自衛権が行使できるとする政府の理屈は筋が通らない。

その無理を図らずも裏付けたのが「法的安定性は関係ない」との首相補佐官の言葉だった。そのおかしさにあきれ、怒りの声が国会の外にも大きく広がったのは当然である。

安倍首相は「安全保障環境の変化」を理由に、日米同盟を強化して抑止力を高め、国民の安全を守ると繰り返してきた。こうした安全保障論にうなずく人もいるだろう。

一方、自衛隊を出動させるという大きな国家権力の行使にあたっては、政府は極めて抑制的であるべきだ。どんなに安全保障環境が変わったとしても、憲法と一体となって長年定着してきた解釈を、一内閣が勝手に正反対の結論に変えていい理由には決してならない。

そんなことが許されるなら、社会的、経済的な環境の変化を理由に、表現の自由や法の下の平等を政府が制限していいとなってもおかしくない。

軍事的な要請が憲法より優先されることになれば、憲法の規範性はなくなる。つまり、憲法が憲法でなくなってしまう。

これは、首相が好んで口にする「法の支配」からの逸脱である。自衛隊が海外での活動を広げることを歓迎する国もあるだろう。だが、長い目で見れば、日本政府への信頼をむしばむ。

裁判所から違憲だと判断されるリスクを背負った政策をとることが、安全保障政策として得策だとも思えない。

首相は「夏までに成就させる」との米議会での約束をひとまず果たすことになりそうだ。

一方で、法制局長官の交代に始まるこの2年間を通じて明らかになったのは、たとえ国会議員の数のうえでは「一強」の政権でも、憲法の縛りを解こうとするには膨大なエネルギーを要するということだ。憲法は、それだけ重い。

憲法学者や弁護士の有志が、法施行後に違憲訴訟を起こす準備をしている。裁判を通じて違憲性を訴え続け、「もう終わったこと」にはさせないのが目的だという。

憲法をないがしろにする安倍政権の姿勢によって、権力を憲法で縛る立憲主義の意義が国民に広まったのは、首相にとっては皮肉なことではないか。

改めて問い直したい。憲法とは何か、憲法と権力との関係はどうあるべきなのか。法が成立しても、議論を終わりにすることはできない。



2015年9月19日未明、与党自由民主党と公明党およびそれに迎合する野党3党は、前々日の参議院特別委員会の抜き打ち強行採決を受け、戦争法案以外の何ものでもない安全保障関連法案を参議院本会議で可決し成立させた。私たちは満身の怒りと憤りを込めて、この採決に断固として抗議する。

国民の6割以上が反対し、大多数が今国会で成立させるべきではないと表明しているなかでの強行採決は、「国権の最高機関」であるはずの国会を、「最高責任者」を自称する首相の単なる追認機関におとしめる、議会制民主主義の蹂躙(じゅうりん)である。

また圧倒的多数の憲法学者と学識経験者はもとより、歴代の内閣法制局長官が、衆参両委員会で安保法案は「違憲」だと表明し、参院での審議過程においては最高裁判所元長官が、明確に憲法違反の法案であると公表したなかでの強行採決は、立憲主義に対する冒瀆(ぼうとく)にほかならない。

歴代の政権が憲法違反と言明してきた集団的自衛権の行使を、解釈改憲にもとづいて法案化したこと自体が立憲主義と民主主義を侵犯するものであり、戦争を可能にする違憲法案の強行採決は、憲法9条のもとで68年間持続してきた平和主義を捨て去る暴挙である。

こうした第3次安倍政権による、立憲主義と民主主義と平和主義を破壊する暴走に対し、多くの国民が自らの意思で立ち上がり抗議の声をあげ続けてきた。戦争法案の閣議決定直前の5月12日、2800人だった東京の反対集会の参加者は、衆院強行採決前後の7月14日から17日にかけて、4日連続で、国会周辺を2万人以上で包囲するにいたった。そして8月30日の行動においては12万人の人々が、国会周辺を埋めつくした。

戦後70年の節目の年に、日本を戦争国家に転換させようとする現政権に対し、一人ひとりの個人が、日本国憲法が「保障する自由及び権利」を「保持」するための「不断の努力」(憲法第12条)を決意した主権者として立ち上がり、行動に移したのである。私たち「学者の会」も、この一翼を担っている。

私たちはここに、安倍政権の独裁的な暴挙に憤りをもって抗議し、あらためて日本国憲法を高く掲げて、この違憲立法の適用を許さず廃止へと追い込む運動へと歩みを進めることを、主権者としての自覚と決意をこめて表明する。
 

新しい安全保障法制が成立した「安保国会」が事実上閉幕した。立憲主義を蔑(ないがし)ろにし、「国権の最高機関」の名を汚(けが)した国会だった。猛省を促したい。

いくら議会の多数派が内閣を構成する議院内閣制とはいえ、政府が提出した法案を唯々諾々と通すだけなら、単なる「採決装置」に堕す。とても、日本国憲法に定められた「国権の最高機関」「唯一の立法機関」の名には値しない。

新しい安保法制の最大の問題点は、集団的自衛権の行使を憲法違反としてきた歴代内閣の憲法解釈を、安倍内閣が一内閣の判断で変えてしまったことにある。

歴代内閣が踏襲してきたこの憲法解釈は、国会での長年の議論を通じて定着してきた。ましてや、集団的自衛権を行使せず、「専守防衛」に徹する平和主義は、戦後日本の「国のかたち」でもある。

一内閣の恣意(しい)的な解釈を許すのなら、憲法は法的安定性を失い、国民が憲法を通じて権力を律する「立憲主義」は根底から覆る。

集団的自衛権の行使を可能にするのなら、その賛否は別にして、憲法改正手続きを経て、国民に賛否を委ねるのが筋ではないか。

王道でなく覇道を歩み、立憲主義を蔑ろにするようなことを、国会がなぜ許してしまったのか。

議論の質も、とても高いものとは言えなかった。例えば、集団的自衛権の行使例である。

政府は中東・ホルムズ海峡での機雷除去と、避難する邦人を輸送する米艦の防護を挙げていたが、成立間際になって、機雷除去の必要性が現実に発生することは想定せず、米艦防護も邦人乗船は絶対的条件でないと答弁を変えた。

立法の必要性を示す立法事実が根底から崩れたのだから、本来廃案とすべきだが、なぜそのまま成立させたのか。そもそも実質11本の法案を2つの法案に束ねて提出した政府の強引さをなぜ許したのか。国権の最高機関としての矜持(きょうじ)はどこに行ってしまったのか。

新しい安保法制が成立した後に行われた共同通信社の全国世論調査によると安保法制「反対」は53・0%。「憲法違反」は50・2%と、ともに半数を超えた。報道各社の世論調査も同様の傾向だ。

こうした国民の思いにも国会、特に与党議員は応えようとしなかった。国会周辺や全国各地で行われた安保法制反対のデモに対して「国民の声の一つ」(首相)と言いながら、耳を十分に傾けたと、胸を張って言えるのだろうか。

憲法は国会議員を「全国民を代表する」と定める。支持者はもちろん、そうでない有権者も含めた国民全体の代表であるべきだ。

安保法制が日本の平和と安全に死活的に重要だと信じるのなら、反対者にも説明を尽くし、説得を試みるべきではなかったか。反対意見を切り捨てるだけなら、とても全国民の代表とは言えない。

各議員は全国民の代表という憲法上の立場を強く自覚しなければならない。さもなければ国民は、国会に対して「憲法違反」の警告を突き付けるであろう。


参考までに、

民主主義の原則とは、

民主主義は、多数決原理の諸原則と、個人および少数派の権利を組み合わせたものを基盤としている。民主主義国はすべて、多数派の意思を尊重する一方で、個人および少数派集団の基本的な権利を熱心に擁護する。ほか(米国大使館ホームページから)

2015年9月13日日曜日

難民問題で浮き彫りになった日本の閉鎖性

報道によれば、去る9月10日(木曜日)にISIL(アイスィル)(いわゆる「イスラム国」)の機関誌において、日本の「在外公館」への攻撃呼びかけがなされたことを受け、翌11日(金曜日)の内閣官房長官記者会見において、当該機関誌で言及されたインドネシア、マレーシア、ボスニア・ヘルツェゴビナの3か国を含む全ての在外公館に警備の強化を指示するとともに、在留邦人に対しても注意喚起を行っている旨の発言が行われています。

また、既に外務省は、海外の全ての大使や総領事に対し、現地の情報機関や警備当局と連携を密にし、情報収集に当たることなどを指示する訓令を出すとともに、特に攻撃の対象として挙げられた3か国の大使には、現地に住む日本人や日本人学校と連絡を取り、安全確保に万全を期すよう指示したということです。

大学関係では、11日(金曜日)に、文部科学省高等教育局学生・留学生課留学生交流室から、各国公私立大学、各国公私立高等専門学校宛にメールが配信され、各大学等においては、危険情報が発出されていない地域等であっても、学生等が引き続き海外に滞在又は新たに派遣される場合は、報道及び渡航先最寄りの日本国大使館又は総領事館から最新の情報を入手するとともに、外務省が実施している渡航登録サービス(たびレジ、在留届け)への登録を学生等に周知徹底するなど、学生等の安全の確保に十分御配慮するよう注意喚起が行われています。

近時、大学のグローバル化が強力に推進される一方で、このようなリスク管理が益々重要になってきています。


さて、現時点では大学に直接に関係するものではありませんが、我が国のグローバル化の進展に関わって、気になる記事がありました。

最近、シリアやハンガリーなどからヨーロッパへ大挙して流入する難民問題が大きく報道されています。もとより一部地域の問題ではなく、世界的に解決しなければならない大きな課題の一つですが、記事によれば、我が日本は、非常に微妙な立ち位置にあるようです。

自分のこととしてよく考えたいものです。抜粋してご紹介します。(全文は、こちら「難民問題が浮き彫りにする諸矛盾:グローバルな負のインパクトの連鎖反応」

日本にとっての難民問題(下線は拙者)

難民問題はグローバルな国際秩序の負の側面を象徴しており、各国間での協力が欠かせない問題といえます。ただし、どの国も自国の負担はできるだけ小さくしようとします。そのなかで、「公平な負担」が俎上に上ることは不思議ではありません。

しかし、この問題に関する日本政府の立場は、総じて消極的と言わざるを得ません。難民の多くが紛争発生国の周辺で受け入れられているにせよ、そしてできるだけ自らの負担を軽くしようとしているにせよ、図4(略)で示したように、昨年段階で米国、フランス、ドイツは20万人以上の難民を受け入れていますが、昨年段階で日本が受け入れていた難民は約1万4,000人に止まります

日本の場合、難民審査は極めて厳格で、例えば2013年には3,260人が難民申請をしたのに対して、受け入れられたのは6人だけでした。これに関して、例えば米国務省は、子どもの性的虐待や刑務所における人権侵害などとともに、難民申請における弁護士の関与に関する公的支援の不足などを指摘しています(日本弁護士会が独自に支援制度を設けている)。また、先進国のなかで日本と韓国の難民審査が突出して厳しいことは、米国以外のメディアでも折々伝えられています。これに鑑みれば、UNHCRや欧米諸国から、難民の受け入れに消極的な日本が「負担の分担」を求められてきたことは不思議ではありません。

2014年度のUNHCRへの拠出金のうち、日本のそれは全体の6パーセントにのぼり、これは国単位でいえば米(39パーセント)についで、英国とともに第2位です(EUが8パーセント、民間からの寄付の合計がやはり6パーセント)。国際機関といえども、資金がなくては活動もままなりません。その意味で、日本が難民問題に貢献していないとも言えません。

ただし、難民条約が現代の難民問題に必ずしも適応できていないことも、既に述べた通りです。また、少なくとも受け入れ人数から見れば、どうひいき目にみても、日本が率先して難民問題に関わっていないことも確かです。UNHCRに資金協力をしながらも、自国でほとんど難民を引き受けていない状況は、外部から「寄付はするが祭に顔を出さない金持ち」といった風情に目されても、全く不思議ではありません。

日本政府は折に触れ、日本が平和国家として国際協力に積極的であると世界で公言しています。しかし、欧米諸国が自らの負担を減らそうとしながらも、それでも数十万人単位で難民を受け入れていることに鑑みれば、日本政府の「国際平和に積極的」という言葉があまりに空疎に響くように感じるのは、私だけでしょうか。

もっとも、これはひとり政府に還元できる問題ではありません。日本文明そのものがインド文明や中国文明などの成果を受容して発達した歴史を踏まえると、日本には様々な外来の要素を受け入れる素地があるはずですが、移民問題だけでなく、日本人同士でも、福島から避難してきた人々に対する嫌がらせが各地で発生した(している)ことからも、その排他性は根深いものがあると言わざるを得ません。メディアで支配的な「ヨーロッパに難民が押し寄せて大変」という対岸の火事のような見方は、基本的に自らの問題と認識していないことを示します。その意味で、グローバルな変動の一つの象徴である難民問題は、日本の閉鎖性をも浮き彫りにしているといえるでしょう。

2015年7月6日月曜日

変貌する国立大学の概算要求

第三期中期目標期間の始まりである来年度から、国立大学法人に対する運営費交付金の配分方式が大きく変更されます。

変更の考え方や大まかな内容は既に次のとおり公表されています。

第三期中期目標期間における国立大学法人運営費交付金の在り方について(審議まとめ)(平成27年6月15日)ほか

また、文部科学省からは、各国立大学に対して、上記「審議まとめ」の翌日付で「平成28年度における国立大学法人運営費交付金概算要求における留意点等について」(平成27年6月16日付文部科学省国立大学法人支援課、学術機関課連名事務連絡)と題する通知が行われ、各国立大学は、この通知を参考に概算要求に向けた検討を進めるよう指示されています。

これまで、概算要求に関する具体的な情報提供も少なく、さらには、提出までの時間のない中での大作業が求められることもあり、関係者は多忙を極める夏になりそうです。

文部科学省からの通知の詳細について、ご紹介します。


平成28年度における国立大学法人運営費交付金の重点支援について

第3期中期目標期間における国立大学法人運営費交付金の在り方については、「第3期中期目標期間における国立大学法人運営費交付金の在り方に関する検討会」において「審議まとめ」が平成27年6月15日にとりまとめられた。

本通知は、「審議まとめ」を踏まえ、平成28年度概算要求における重点支援に向けた観点や留意点等について、あらかじめ示すものである。


Ⅰ 機能強化の方向性に応じた重点支援

<国立大学法人>

1 基本的な考え方

国立大学法人における教育研究活動は、それぞれの目標・理念や経営戦略に則り、中期目標及び中期計画に沿って、自主性・自律性を発揮しながら取り組むべきものである。その際には、中央教育審議会など国の各種政策提言を踏まえ、各大学において積極的に取組を進めるとともに、各大学が形成する強み・特色を踏まえた機能強化の方向性に沿った取組を更に進めていくことが求められる。

このため、各大学が国の各種政策との関連性・整合性も踏まえ、機能強化の方向性に沿った戦略を明確にした上で、学内資源の再配分を前提としつつ、機能強化に向けて行う取組に対して、次の観点から重点支援を行うこととする。

強み・特色を踏まえた機能強化に積極的に取り組む国立大学に対し運営費交付金を重点配分する仕組みを導入し、第3期中期目標期間における各国立大学の機能強化の方向性に応じた取組をきめ細かく支援するため、運営費交付金の中に次の三つの重点支援の枠組みを設ける。

各大学は、それぞれの機能強化の方向性や、第3期中期目標期間を通じて特に取り組む内容を踏まえ、自ら選択したいずれか一つの枠組みにより重点支援を受けることになるため、各大学のビジョンを策定し、ビジョンの実現に向けた具体的な改革の方針(「戦略」)、各「戦略」の達成状況を判断するための「評価指標」、「戦略」の実行に必要となる具体的な取組をとりまとめ、機能強化に沿った取組構想として概算要求するものとする。

【重点支援①】

主として、人材育成や地域課題を解決する取組などを通じて地域に貢献する取組とともに、専門分野の特性に配慮しつつ、強み・特色のある分野で世界ないし全国的な教育研究を推進する取組等を第3期の機能強化の中核とする国立大学を重点的に支援する。ここでいう「地域」の捉え方は、各国立大学の事情に応じて柔軟に設定することができるものとする。この枠組みについては、運営費交付金の重点支援の仕組みを通じて、人材育成や研究力の強化の取組を推進できるよう支援を行う。

【重点支援②】

主として、専門分野の特性に配慮しつつ、強み・特色のある分野で地域というより世界ないし全国的な教育研究を推進する取組等を第3期の機能強化の中核とする国立大学を重点的に支援する。この枠組みについては、当該分野に重点を置いた人材育成や研究力の強化の取組を推進できるような支援を行う。

【重点支援③】

主として、卓越した成果を創出している海外大学と伍して、全学的に世界で卓越した教育研究、社会実装を推進する取組を第3期の機能強化の中核とする国立大学を重点的に支援する。この支援の枠組みについては、国際レベルの競争的な環境下で、人材育成や研究力の強化の取組を推進できるような支援を行う。

各国立大学は、それぞれの機能強化の方向性や第3期を通じて重点的に取り組む内容について、全体のパッケージ(イメージ図参照)により機能強化の取組構想を提案するものとする。



なお、機能強化の方向性に応じて重点支援を受ける取組構想は、国立大学法人等として特に重視する取組であることから、その取組構想は、当然に中期目標・中期計画に記載され、また、中期計画に書き込まれるべき「検証することができる指標」は、重点支援を受ける取組構想の評価指標を踏まえて設定されることが想定される。

また、第3期中期目標・中期計画については、その素案を平成27年6月末までに文部科学省に提出することとされているが、概算要求の時期等を踏まえ、本取組構想にかかる中期目標・中期計画の素案の変更等については、弾力的な取扱いを行うものとする。

2 概算要求に当たっての留意点

各国立大学法人は、第3期中期目標・中期計画の素案の策定と併せて、各大学のビジョンと具体的な戦略を明確にした上で、学内資源の再配分を行うことを前提としつつ、三つの重点支援の枠組みに応じた取組構想を提案するとともに、取組を着実に実行することが必要である。

また、各大学が自ら選択した一つの枠組みに応じた取組構想の具体的な内容や工程等に加えて、その成果を検証するための測定可能な評価指標(KPI)等を設定し、各大学が自ら達成状況を確認・分析・改善できる体制を構築する。

これらを踏まえつつ、平成28年度概算要求に向けた各国立大学法人の取組構想の検討においては、次の点に留意することが必要である。

(1)概算要求の内容について

  • 要求においては、上記「1基本的な考え方」のイメージ図のとおり、重点支援を受ける枠組みに応じた取組構想を一つのパッケージとして整理し、「ビジョン」の実現に向けて「戦略」を設定し、戦略を実行する具体的な「取組」を盛り込むこと。
  • 経費としては、教育研究組織の再編成に必要な基盤的経費(基幹教員の人件費、物件費、設備費)、教育研究活動(関連する教育研究プロジェクトを含む)に必要な事業費や設備費とする。
  • 教育研究組織の再編成に当たっては、学内資源の再配分(振替等)を原則とし、新たに必要な経費については、新たに加える領域等に係る教員の配置に必要な経費など、既存組織からの財源捻出だけでは対応が困難な場合とすること。
  • 教育研究活動(関連する教育研究プロジェクトを含む。)の具体的な取組については、各大学が設定した戦略に必要な内容を厳選して盛り込むこと。
  • 平成27年度予算の特別経費(教育研究組織の再編成等を見据えた構想プロジェクトは除く。)として支援を受けている事業についても、各大学が自ら選択した三つの重点支援の枠組みとの関連性を整理した上で取組に含めて要求することも可能とする。
  • 連携・ネットワークに係る構想については、各国立大学法人の選択した重点支援の枠組みの違いに関わらず構築することができる。

(2)選定と配分方法

ア 基本的な考え方

  • 各大学から提案された取組構想については、有識者の意見を踏まえ、重点支援の対象とする取組構想を選定し、「機能強化促進係数(仮称)」による財源等を活用して、主として改革の取組構想に応じて加算して配分する。
  • 選定に当たっては、機能強化の方向性との適合性に加えて、取組構想の戦略性・発展性・実現可能性等とともに、意欲的な達成目標及び評価指標が設定されているかについて確認することを想定している。

イ 選定の観点

  • 取組構想全体が、各大学の現在有する又は今後形成される強みや特色を十分にいかしたものであるとともに、社会ニーズや人材需要、学問の進展を踏まえたものとなっているか。
  • 各大学の機能強化に向けたビジョンと戦略が明確に提示され、それを実現するための取組の目的、達成目標、工程が具体的かつ明確に設定されるとともに、取組構想の進捗及び達成状況を把握できるものとなっているか。この際、全体構想の評価指標、取組ごとの進捗状況を組み合わせることにより、総合的な評価を行うことが可能となっているか。
  • 教育研究活動の個々の取組が、ビジョンの実現に向けた戦略を実行するための手段として体系的に整理されているか。また、その内容が総花的になっていないか。
  • 各大学の機能強化に向けたビジョンに基づき、学長のリーダーシップの下で限られた教育研究資源を有効に活用し、取組構想の実現に向けた教育研究組織の再編成や見直し、学内資源(予算、人材や施設・スペース等)の再配分が行われているか。
  • 各大学の財政基盤の確立や財源の多元化を図るため、自己収入を増加させるための工夫が積極的に含まれているか。

(3)評価の方法及び評価指標の設定

ア 評価の方法

  • 平成28年度においては、重点支援ごとに設定する支援の観点を重視した評価を行うことを想定している。
  • 評価においては、取組構想を全体として確認することとする。
  • なお、平成29年度以降については、原則として、年度ごとに取組構想の進捗の状況を確認するとともに、あらかじめ設定した評価指標等を用いて、その向上の度合いに応じて段階的な評価を実施し、予算配分における重点支援に反映するものとする。

イ 評価指標について

  • 評価指標については、各国立大学法人の取組構想の多様性に配慮し、各国立大学法人が、取組構想の内容に応じて、中期目標期間を見通した取組の成果を検証するため、原則として測定可能な評価指標(KPI)等を独自で設定するとともに、支援の観点ごとに3に示す指標から関連する指標を設定するものとする。
  • また、各国立大学法人が設定する指標は、各国立大学の規模や専門分野の特性を踏まえる観点から、教員一人当たりの状況等や学部・研究科等の単位で評価を行うことができることとする。
  • なお、文部科学省が提示する評価指標については、今後追加する可能性がある。

3 重点支援の枠組みごとの観点及び留意点

(1)重点支援①

重点支援①は、次に示す支援の観点等を踏まえつつ、機能強化の取組構想を提案するものとする。

ア 支援の観点について

○全学的かつ組織的な体制の下で、社会的なニーズ(地域の発展、グローバル化、社会人の学び直し、地域の産業構造への対応など)を捉えた人材育成に取り組むもの。
(例)
・社会ニーズを踏まえた教育研究組織の再編成
・教育カリキュラムの刷新や学位プログラムの構築
・地域フィールドの実践型実習やアクティブラーニングの強化
・社会的要請の強い分野における社会人向け教育コースの構築(「職業実践力育成プログラム」認定制度を活用した取組を含む。)

○地域の政策課題の解決に向けた活動に取り組み、産学官の連携の強化、新しい産業の創出や雇用の拡大、地場産業の振興及び行政の支援等に取り組むもの。
(例)
・産学官の連携による教育研究運営組織の形成
・企業等との共同研究プロジェクトの実施・中長期のインターンシップの充実

○大学等間ネットワークを強化し、ネットワークの中核的役割を担い、教育研究力の強化や事務体制の効率化に取り組むもの。
(例)
・各国立大学の枠組みを越えた教育研究プロジェクトの実施
・地域内における高等学校等との連携強化(高大接続)
・共通的な業務・事務等の共同実施

○強み・特色のある分野において体系的な教育研究体制を構築し、地域も含め国内外で広く活躍できる人材の育成に取り組むもの。
(例)
・当該分野の強化に向けた教育研究組織の再編成
・当該分野におけるモデルコアカリキュラムの構築
・当該分野における産学官連携体制の強化と共同プロジェクトの実施

○強み・特色のある分野を更に伸長する新興・融合分野の形成に取り組むもの。
(例)
・新たに形成される振興・融合分野の教育研究組織の設置
・研究領域の異なる学際的な研究者ユニットの形成
・特色ある海外大学等との連携を通じた国際共同研究の実施

○強み・特色のある分野における国内外の大学等間共同利用・共同研究やネットワーク構築による拠点機能の強化に取り組むもの。
(例)
・国内外の大学等との共同研究や共同教育プログラムの実施
・研究者や学生の派遣・受入れに伴う流動性の強化

イ 選定に当たっての留意点について

  • 地域の活性化や持続的な発展に資するため、地域とのネットワーク形成や連携協力体制が十分に構築されているか。
  • 地域の期待に応え、貢献していくための方策が明確であり、教育研究活動に地域の声を反映する仕組みが整備されているか(外部委員会の設置や地方自治体の意見を聴取するなどにより、広くステークホルダーのニーズを取り入れる機会を設けるよう配慮する。)。
  • 強み・特色のある分野の教育研究における取組の卓越性や、世界的・全国的なネットワークの中核的な機能が、これまでの実績や今後の将来性に鑑みて十分に発揮できるような取組になっているか。また、当該分野の強化等と併せて他分野の見直し等が検討されているか。

ウ 評価指標について

文部科学省が提示する指標については、次のとおりとする。

○「人材育成」に関する取組の指標
・学生の就職状況(教員採用も含む(教員養成学部の場合))や就職先での評価の状況

○「地域活性化」に関する取組の指標
・共同研究・受託研究の実施状況

○「地域の政策課題の解決」に関する取組の指標
・地域との対話の場の設定や協定等による取組の実施状況

○「強み特色のある分野の研究の卓越性」に関する取組(ベンチマークの設定に当たっては、分野の特性を考慮する。)
・論文(「著書等」を含む。以下同じ。)数
・論文の被引用数の状況
・研究成果に基づく受賞状況(学術賞、学会賞、芸術・文化賞、出版賞等)

○「優れた教育研究を実施するための教職員体制の整備」に関する取組の指標
・国際通用性を見据えた人事評価制度の導入、評価結果を処遇に反映する取組の実施状況

○「連携・ネットワークの構築」に関する取組の指標
・大学・大学共同利用機関等との機能的・効果的なネットワークの状況

(2)重点支援②

重点支援②は、次に示す支援の観点等を踏まえつつ、機能強化の取組構想を提案するものとする。

ア 支援の観点について

○強み・特色のある分野において体系的な教育研究体制を構築し、国内外で広く活躍できる人材の育成に取り組むもの。
(例)
・当該分野の強化に向けた教育研究組織の再編成
・当該分野におけるモデルコアカリキュラムの構築
・当該分野における産学官連携体制の強化と共同プロジェクトの実施
・当該分野における国内外の大学等との連携を通じた教育研究体制の構築

○強み・特色のある分野を更に伸長し、独自性のある新興・融合分野の形成に取り組むもの。
(例)
・新たに形成される振興・融合分野の教育研究組織の設置
・研究領域の異なる学際的な研究者ユニットの形成
・特色ある海外大学等との連携を通じた国際共同研究の実施

○強み・特色のある分野における国内外の大学等間共同利用・共同研究やネットワーク構築による拠点機能の強化に取り組むもの。
(例)
・国内外の大学等との共同研究や共同教育プログラムの実施
・研究者や学生の派遣・受入れに伴う流動性の強化

○強み・特色のある分野において社会的・政策的要請に基づく研究の推進、人材の育成に取り組むもの。
(例)
・当該分野における政府関係機関等との連携体制の強化と共同プロジェクトの実施
・国内外の大学等との共同研究や共同教育プログラムの実施

イ 選定に当たってのの留意点について

  • 強み・特色のある分野の教育研究における取組の卓越性や、世界的・全国的なネットワークの中核的な機能が、これまでの実績や今後の将来性に鑑みて十分に発揮できるような取組になっているか。
  • 強み・特色のある分野における我が国の国際的な存在感を高めるための方策が明確になっているか。

ウ 評価指標について

文部科学省が提示する指標については次のとおりとする。

○「人材育成」に関する取組の指標
・教育目的に合った就職先の状況、就職先での評価の状況

○「当該分野の研究の卓越性」に関する取組の指標(ベンチマークの設定に当たっては、分野の特性を考慮する。)
・論文数・論文の被引用数の状況
・研究成果に基づく受賞状況(学術賞、学会賞、芸術・文化賞、出版賞等)

○「国際的な存在感を高める研究」に関する取組の指標
・国際共著論文の状況
・外国の大学や研究機関等との共同・受託研究の状況
・外国人留学生の状況

○「当該分野において優れた教育研究を実施するための教職員体制の整備」に関する取組の指標
・国際通用性を見据えた人事評価制度の導入、評価結果を処遇に反映する取組の実施状況

○「政策的要請に基づく研究の推進」に関する取組の指標
・各府省、国際機関からの研究委託に基づく政策提言、政策データ作成の状況

○「連携・ネットワークの構築」に関する取組の指標
・大学・大学共同利用機関等との機能的・効果的なネットワークの状況

(3)重点支援③

重点支援③は、次に示す支援の観点等を踏まえつつ、機能強化の取組構想を提案するものとする。

ア 支援の観点について

○国際的な教育研究システムを全学的に導入することにより、国際通用性のある人材の育成に取り組むもの。
(例)
・世界トップレベルの海外大学とのチューニング
・授業科目の抜本的な見直しによる教育カリキュラムの高度化
・英語のみで卒業・修了可能な教育プログラムの充実

○学術研究を推進するため、大学院を中心とした高度専門職業人や研究者の養成の機能強化に取り組むもの。
(例)
・学部及び大学院の再編成に伴う大学院の教育研究体制の強化
・学部から大学院までを通じた教育カリキュラムの構築
・研究指導体制の強化、産学官連携を通じた研究体制の構築

○我が国の強みである研究分野の更なる強化と新たな強みとなる新領域・融合分野の形成に取り組むもの。
(例)
・分野・領域に着目した全学的かつ戦略的な研究マネジメントの確立
・強みとなる研究領域の強化に向けた大学に設置する研究所及びセンターの再編成
・基礎から社会実装を見据えた共同研究の実施
・新たな産業創出への貢献、ベンチャー支援

○世界トップレベルの海外大学等とのネットワークを構築し、国際競争力の強化に取り組むもの。
(例)
・海外大学とのジョイントディグリーの構築
・世界トップレベルの研究ユニットとの国際共同研究の実施
・教員の業績評価に連動した年俸制拡大など人事給与システムの改革
・国内の大学との相乗効果のある連携体制の構築

イ 選定に当たっての留意点について

  • 全学的な教育研究活動において、世界での卓越性や国際性が十分に期待できるものとなっているか。
  • 研究に特に強みのある大学として大学院の高度化に向けた方策が明確であり、大学全体として教育研究組織の再編や規模等の見直しが計画されているか。
  • 年俸制の拡大などの人事給与システム改革も活用しつつ、若手研究者や大学院生の国内外を通じた流動性が十分に期待できるものとなっているか。

ウ 評価指標について

文部科学省が提示する指標については次のとおりとする。

○「全国的な国際レベルの人材育成」に関する取組の指標
・外国人留学生や外国の大学との交流状況
・教員に占める特別研究員(PD、SPD)・海外特別研究員等の優れた実績を持つ者の採用状況

○「世界最高水準の研究」に関する取組の指標(ベンチマークの設定に当たっては、分野の特性を考慮する。)
・論文数・論文の被引用数や質の高い論文の状況
・一定金額以上の共同研究・受託研究の実施状況
・共同利用・共同研究や国内ネットワークを通じた全国的な研究レベルの向上に対する寄与の状況

○「国際的な存在感を高める研究」に関する取組の指標(ベンチマークの設定に当たっては、分野の特性を考慮する。)
・国際共著論文の状況
・国際学会での基調講演・招待講演や国際シンポジウム等の開催状況
・外国の大学や研究機関等との共同・受託研究の状況

○「研究成果の社会実装」に関する取組の指標
・知的財産の実用化や企業等との特許の共同出願状況

○「世界最高水準の教育研究を実施するための教職員体制の整備」に関する取組の指標
・国際通用性を見据えた人事評価制度の導入、評価結果を処遇に反映する取組の実施状況

○「連携・ネットワークの構築」に関する取組の指標
・国内外の大学等との人材交流・共同研究のハブとなる連携の実施状況


Ⅱ 高等教育に関する政策課題のうち国立大学に共通する課題等に関する重点支援

1 重点支援の観点について

各国立大学法人における教育研究活動は、各法人の個性や特色に応じて意欲的かつ重点的に取り組まれるものであるが、同時に、社会経済の変化や学術研究の進展等を踏まえた我が国の高等教育政策、学術政策の推進の観点からも、その中核を担う重要な活動である。そのため、平成28年度概算要求においては、次の(1)から(6)までに掲げる事業について必要な支援を行う。

その際、中期目標・中期計画や国の各種政策との関連性・整合性も勘案した上で、各法人の自助努力を求めつつ、支援を行う。

(1)入学者選抜改革の実現に向けた取組の支援

学力の三要素(「知識・技能」「思考力・判断力・表現力」「主体性・多様性・協働性」)を多面的・総合的に評価する入学者選抜への転換・充実に向けた取組を支援

(2)大学間の連携・協力に基づく取組の支援

文部科学大臣が認定する「共同利用・共同研究拠点」及び「教育関係共同利用拠点」で実施される大学全体の機能強化に貢献する教育・研究の取組を支援

(3)教育・研究・診療基盤設備の老朽化対応への支援

各法人が保有する教育・研究・診療用の基盤的な設備の更新等を支援

(4)教育研究設備の共同利用化等への支援

設備サポートセンターを整備し、教育研究設備の共同利用化や設備の再利用等を一層促進し、全国的な観点でモデルとなるような新たな仕組みによる取組を支援

(5)学術資料の保存等への支援

図書館や史料館などが保存する全国的な教育・研究活動に資する文化的・学術的に貴重な資料の保存・修復の取組等を支援

(6)附属病院の機能強化の取組等への支援

地域医療における高度医療拠点としての教育・研究・診療機能の強化、地域医療を担う医療人の養成や卒後臨床研修センターの体制整備など医師不足対策への積極的な取組、先進医療技術の開発や治験等の教育研究環境の整備、医師や看護師の過剰な勤務環境の改善、医学生等に対する教育指導体制の充実の取組等を支援

※(1)~(5)については、各大学からの提案に基づき、支援を実施する。

2 選定に当たっての留意点について

(1)共通する留意点

①事業区分との適合性等

  • 事業区分に対応した取組として具体的かつ明確に事業内容が設定され、社会ニーズや学問の進展を踏まえたものとなっているか。
  • 事業内容が中期目標及び中期計画の記載事項と整合性が図られ、具体的に関連のあるものとなっているか。

②実現可能性等

  • 事業の目的、目標が具体的かつ明確に設定されるとともに、取組の成果を検証するため、測定可能な評価指標(KPI)等が設定されているか(「教育・研究・診療基盤設備の老朽化対応への支援」、「附属病院の機能強化の取組等への支援」は除く)。また、取組は実現可能な内容となっているか。
  • 組織、経費、実施体制等について、事業の推進にふさわしい計画となっているか。
  • 事業を確実に実現するため、学内外の協力体制の構築等の具体的な工夫は行われているか。
  • 他大学等の諸機関との連携により推進する事業については、i)連携先との調整や役割分担の明確化が図られ、連携による事業効果が期待できるものとなっているか、ii)それぞれが分担する経費の内容が明確になっているか、iii)法人の主体性が確保されているか。

③社会的効果等

  • 事業成果の具体的な活用方法や、事業成果による波及効果が十分に期待できるものとなっているか。
  • 事業が教育研究活動の改善をもたらすものとなっているか。

(2)各事業区分ごとの留意点

①入学者選抜改革分

  • 多様な評価方法(小論文、面接、集団討論、プレゼンテーション、調査書その他の資料の活用など)を組み合わせて、学力の三要素(「知識・技能」、「思考力・判断力・表現力」、「主体性・多様性・協働性」)を多面的・総合的に評価する入学者選抜の拡大・充実や、適切な評価手法を開発するものとなっているか。
  • アドミッション・オフィスの整備・強化など、多面的・総合的な入学者選抜を推進するための入学者選抜実施体制の充実を伴うものであるか。
  • 入学者の追跡調査等による選抜方法の妥当性の検証・改善など、入学者選抜に関する企画・立案機能を強化するものとなっているか。

②全国共同利用・共同実施分

【共同利用・共同研究拠点の強化】

  • 研究の卓越性を有するとともに、共同利用・共同研究機能を向上させる仕組みを有しているか。
  • 組織や人材の流動性を高める内容となっているか。
  • 上記を前提としつつ、大学全体の機能強化に資するとともに我が国における研究のモデルとなるような取組を、以下の方向性により重点支援する。

1)卓越した成果を創出している国内外の研究機関等と連携して、国際的に顕著な成果を創出するための活動
(例)
・国際的な枠組みでの大型プロジェクトの推進
・国際的に強み・特色を発揮できる取組等

2)組織・機関間で効果的なネットワークを形成し、新たな学問分野の創成やイノベーションの創出に資する活動
(例)
・大学共同利用機関や研究開発用法人、産業界等との連携
・ネットワーク型拠点の形成を見据えた拠点間の連携等

3)国内外の研究組織と連携して、特定分野の研究環境基盤の構築・強化に資する活動
(例)
・学術資料・データベース等の我が国全体を見据えた基盤構築・強化
・研究や研究基盤を支える人材育成等のための新たな仕組みの構築等
・なお、科学技術・学術審議会における第3期中期目標期間の共同利用・共同研究拠点の認定に係る審議の内容を踏まえ、拠点の認定に伴う支援を行うこととする。

【新たな共同利用・共同研究体制の充実】

将来的に共同利用・共同研究拠点となり得るような先端的かつ特色ある研究を推進する研究所等の形成・強化に資する取組について重点支援の対象とする。
(例)

  • 共同利用・共同研究拠点を目指す研究所等の機能強化に資する取組の強化
  • 国際的研究水準や連携体制のもとで国際的なハブとして活動を推進する研究拠点の形成・強化
  • 新たな学問分野の創成に資する全学的な研究組織の形成
  • 研究の卓越性は高いが組織レベルでの研究体制については強化を要する学問分野の研究体制の構築等
  • なお、本支援の対象は、全国的なモデルとなる研究システムの構築を前提として、全学的研究施設(研究所・研究センター)における取組(※全学的な研究施設の形成を含む)とする。

③教育関係共同実施分

教育関係共同利用拠点における教育活動は、拠点としての機能発揮を存分に期待できるものであり、かつ、利用する全ての大学の教育の改善に資するものであるか。

④基盤的設備等整備分

設備マスタープランにおいて現有設備の状況を分析し、更新等が予定される設備の範囲を把握するとともに、継続的に設備整備に充てる学内資源の額等を明示しているか。

⑤設備サポートセンター整備分

  • 設備マネジメントに係る独立した組織(設備サポートセンター)を設置し、マネジメントスタッフのほか、コーディネーターや技術職員など事業の推進体制の充実を図り、全学的な活動を推進する内容となっているか。
  • 自大学のみならず、共同利用の学外展開や、近隣大学等との共同利用ネットワーク体制を構築する等、共同利用体制の推進に資するものであり、かつ、全国的なモデルとなるものであるか。

⑥文化的・学術的な資料等の保存等

特別な価値を有する文化的・学術的な資料等の保存、収集、修復であり、全国的な研究活動に資するものとなっているか。

2015年7月5日日曜日

国立大学長会議における高等教育局長説明ー情報セキュリティ対策など

(続き)

情報セキュリティ対策について

ご存じのとおり、先般、日本年金機構において、サイバー攻撃により約125万件もの個人情報が漏えいするという重大な事案が発生した。

各大学におかれては、学生や教職員、附属病院の患者に関する個人情報等、機密性の高い情報を多数有している。また、各大学の保有する個人情報漏洩を防止するということに限らず、昨今では、第三者への攻撃の仲介拠点として大学のサーバが利用されるような事案も発生しており、十分な対策が必要。

今回の年金機構の件を決して対岸の火事と見なすことなく、大学には、厳重なセキュリティ体制が求められるということを認識いただき、改めて、各大学のセキュリティ対策が十分されているかという見直しを徹底して行っていただきたい。

また、情報セキュリティ対策は、ウイルス対策ソフトや侵入検知機器を導入したところで、100%防御できるものではない。報道によれば、日本年金機構の事案については、攻撃者が用意した標的型メールを職員が開いてしまったことでウイルスに感染したことが原因であると言われている。最後は、システムを利用する教職員の日頃からの心がけが重要となる。

また、国立大学のサーバが簡易なパスワードを設定していたために、不正アクセスを受け、そのサーバから外部へ多量の通信が行われるという事案も発生している。各大学内における、教職員への研修・訓練の実施等を併せて徹底していただくようお願いする。

今回、情報セキュリティ対策の考え方に関する資料をお配りさせていただいている。最後のページにあるように、情報セキュリティ対策について、大学内の情報システム部門だけで判断していると、どうしても予算面の制約や、担当部署、担当者からの業務効率化要求を受ける形で、セキュリティ対策が甘くなってしまう可能性がある。

各大学におかれては、組織全体で守るべき情報資産を明確化するとともに、必要となる情報セキュリティ対策を明確化していただきたい。また、その対策に必要な予算・時間・リスクを組織内で共有し、組織としての経営判断をしていただきたい。

今後、今回の年金機構と同様の事案を発生させないよう、各大学におかれては、くれぐれも注意いただくよう強くお願いする。

学位論文不正及び補助金不正について

※  研究不正、研究費の不正使用については、研究振興局長から説明

学位論文不正についても、研究倫理教育の実施、及び厳正な研究指導や論文審査体制の確立などを実施していただくようお願いする。

また、高等教育局が措置している大学改革の補助金についても、不正使用があった場合の対応方針を昨年4月にお示ししたところ。

各大学におかれては、これらの不正を未然に防止する取組を進めていただくようお願いする。

学生への経済的支援について

意欲と能力のある学生等が経済的理由に関わらず、安心して進学できるよう、大学等奨学金事業について、「有利子から無利子へ」の流れを加速して無利子奨学金の充実を図るとともに、平成29年度進学者から適用を予定している、より柔軟な「所得連動返還型奨学金制度」の導入に向けた制度設計等の対応の加速などに ついて、引き続き着実に取り組んでいく。

また、地方創生の観点から、内閣官房や総務省等の関係省庁と連携し、地方大学等の活性化を図るとともに、奨学金を活用した大学生等の地方定着の促進に取り組んでいく。

就職・採用活動時期の変更について

学生の学修時間の確保や留学等の多様な機会を確保するため、一昨年の「日本再興戦略」において、現在の大学4年生から就職・採用活動時期を後ろ倒しすることを政府の方針として明記した。同年11月には、主要経済・業界団体等約450団体に対し、就職・採用活動開始時期の変更の円滑な実現について文書で要請し、今年から実施されている。各大学等におかれては、学生への周知・指導を行っていただきたい。

文部科学省としては、就職問題懇談会、関係府省及び経済界等との密な連携のもと、秩序ある就職・採用活動がなされるよう、就職・採用活動時期の後ろ倒しについて検証するとともに、必要な調整・周知を行っていく。

海外留学支援制度の拡充について

意欲と能力のある若者全員に留学機会を付与し、日本人留学生の倍増を目指すため、奨学金等の拡充による留学経費の軽減等に取り組んでいる。

国費による海外留学支援に加え、民間資金を活用した「官民協働海外留学支援制度~トビタテ!留学JAPAN日本代表プログラム」を昨年度より開始し、第1期派遣留学生323人、第2期派遣留学生256人が順次留学を開始した。また、平成27年度の後期に留学する第3期派遣留学生について、現在選考中であり、 6月末をメドに採否決定予定となっている。各大学関係者のこれまでの御協力に感謝申し上げるとともに、引き続き、本制度に対する御理解と御協力をお願い する。

障害学生支援について

障害学生支援については、平成28年4月1日から いわゆる「障害者差別解消法」が施行され、障害者への合理的配慮の不提供の禁止等が法的義務となる。本法律に基づく「国等職員対応要領」については、今 後、国大協が雛形を作成予定であるが、各大学においても法律の施行に向けた準備を進めていただきたい。

職業実践力育成プログラム認定制度の策定について

今年3月、教育再生実行会議の第6次提言が出され、大学等が社会人等のニーズに応じた実践的・専門的な教育プログラムの提供を推進し、国がそうした実践的・専門的プログラムを認定、奨励する仕組みを構築することが提言された。

本提言を受けて、有識者による検討会を設置し、社会人の学び直しに資する実践的・専門的な教育プログラムの内容等について検討を行い、先月、報告書を取りまとめたところ。

大学等における正規課程及び履修証明プログラムのうち、社会人や企業等のニーズに応じた実践的・専門的な教育方法が担保されるような工夫がされているものにつき、申請に基づき文部科学大臣が認定を行うものとしている。

今後、有識者会議のまとめを踏まえ、来年度にも各大学等において認定されたプログラムが開始できるよう、速やかに制度設計を行っていく。各大学におかれても、本制度の活用を積極的にご検討いただきたい。

「理工系人材育成戦略」の策定について

文部科学省では、労働力人口の減少の中で、付加価値の高い理工系人材を戦略的に育成するため、平成27年3月に「理工系人材育成戦略」を策定し、当面、2020年度末までに集中して進めるべき3つの方向性と10の重点項目を整理したところ。今後は、産業界の協力も得て、産学官の行動計画を検討していくこととしている。

学位授与機構・財経センターの統合について

本年5月 19日に「独立行政法人大学評価・学位授与機構法を一部改正する法律案」が国会で可決・成立し、「独立行政法人大学評価・学位授与機構」と「独立行政法人国立大学財務・経営センター」は平成28年4月1日をもって統合することになった。統合後の法人名は「独立行政法人大学改革支援・学位授与機構」となる。

これまでに両法人が行ってきた業務は、統合後の新法人に引き継がれ、引き続き実施される。今後は両法人を中心に統合に向けた準備を進めていくことになる。(おわり)

国立大学長会議における高等教育局長説明ー高大接続改革

(続き)

高大接続改革について

昨年12月の中教審答申を受けて、文部科学省として策定した「高大接続改革実行プラン」では、「各大学の個別選抜の改革」について、アドミッション・ポリ シーの充実の観点から関係法令の改正や、入学者選抜全体の多面的・総合的な評価への転換を推進するため大学入学者選抜要項の見直し等を、

「「高等学校基礎学力テスト(仮称)」及び「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」の実施」について、学力の三要素をはじめ、これからの時代に求められる力を育成・評価するための両テストの在り方についての一体的な検討の実施等を、

「高等学校教育の改革」について、課題の発見と解決に向けた主体的・協働的な学びの推進とともに、「何を教えるか」ではなく「どのような力を身に付けるか」の観点に立ってそれらを育むことができるような学習指導要領の見直し等を、

「大学教育の改革」について、三つのポリシーの一体的な策定による、大学教育の質的転換・個々の授業科目を超えた、カリキュラムマネジメントの確立と、この中におけるアクティブ・ラーニングなどの飛躍的増大等を、

一体的に進めていくこととしている。

特に、4番目の大学教育の改革については、幅広い教養や高い専門性を備え、社会の変化に対応し、未来を切り拓く原動力となる人材の育成が求められている。

このような大学教育を実現するためには、
  1. 大学教育を通じて学生にどのような力を身に付けさせて卒業させるか
  2. そのためにどのような教育を実施するか
  3. 教育を実施するに当たってどのような学生を受け入れるのか
という点について、一貫した観点を持って教育を行うことが必要。

そのため、まず、各大学における入学者受入れの方針(アドミッション・ポリシー)、教育課程編成・実施の方針(カリキュラム・ポリシー)、学位授与の方針 (ディプロマ・ポリシー)の3つのポリシーの充実が必要。文部科学省としては、中教審での検討を経て、大学における3つのポリシーの一体的な策定について 平成27年度中に省令に位置付けたいと考えている。

その上で、各大学において、3つのポリシーに基づく全学的な改革を一体的に進め、学生の学びの質を転換していただくことが必要。

高大接続の改革は、単に大学入学者選抜の在り方にとどまらず、大学や高等学校の教育も含めて大きく変えることにつながる極めて重要なテーマであることから、 文部科学省としては、高大接続改革実行プラン、高大接続システム改革会議での議論を踏まえ、高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的な改革について全力で取り組んでまいりたい。(続く)

国立大学長会議における高等教育局長説明ー国立大学法人等の組織及び業務全般の見直し

(続き)

「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」について

6月8日付で通知した「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」は国立大学法人法に基づき、平成28年度からの第3期中期目標・中期計画の策定に資するため、国立大学法人評価委員会の意見を聴いた上で、現在の第2期における国立大学法人の組織及び業務の全般にわたる検討を行いとりまとめたもの。

その内容は、組織の見直し、教育研究等の質の向上、業務運営、財務内容など多岐にわたるが、いずれも第2期、特にその後半の改革加速期間における取組の進捗や、国立大学に対する社会の期待・要請の高まり、今後の高等教育政策、科学技術・学術政策の方向性などを踏まえたものとなっている。

すなわち、大臣から説明があったように、国立大学を取り巻く様々な改革は、教育面、研究面、経営面など各面にわたって相互に有機的なつながりを持って進められているので、本日のこの会議を通じて、政策全体の大きな方向性を十分認識していただいた上で、各大学における第3期中期目標・中期計画の検討をお願いする。

特に、組織見直しについては、「「ミッションの再定義」を踏まえた速やかな組織改革に努めることとする」とした上で、教員養成系及び人文社会科学系の学部・大学院について、「18歳人口の減少や人材需要、教育研究水準の確保、国立大学としての役割等を踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよ う努めることとする」としている。

ミッションの再定義」を踏まえ、教員養成分野については、今後の人口動態・教員採用需要等を踏まえ、量的縮小を図りつつ、教員の質的充実のための機能強化を推進することとされ、具体的にはいわゆる「新課程」の廃止等、組織編成の抜本的見直し・強化を推進することが必要と考えている。

また、人文社会科学系については、養成する人材像のより一層の明確化、身につける能力の可視化に取り組み、既存の組織における入学並びに進学・就職状況や減少傾向にある18歳人口動態も踏まえつつ、全学的な機能強化の観点から、定員規模・組織の在り方の見直しを積極的に推進し、強み・特色を基にした教育・研究の質的充実、競争力強化を図ることが必要と考えている。

文部科学省としては、教員養成系・人文社会系の学問が重要でないと考えているわけではない。また、すぐに役立つ実学のみを重視しているのではない。

今日のように、変化が激しい時代においては、すぐに役立つ知識・技術はむしろ、陳腐化のスピードも早いと言える。予測困難な社会において、答えのない問題に対して主体的に取り組み、解を見出していく上では、リベラルアーツにより培われる汎用的な力の育成が重要であると考えられる。

文部科学省は、教員養成系や人文社会系の学問が重要か重要でないかを問うているのではなく、大学において実践されている教育研究の質を問うているということ。

先程、ご説明した高大接続改革は、高等学校教育・大学教育・大学入学者選抜を一体として見直す改革である。変化が一層激しくなる社会、先を見通すことが一層難しくなる時代には、従来の教育の在り方では通用しなくなる。教育の質の転換が必要。
  1. 大学教育を通じて学生にどのような力を身に付けさせて卒業させるか
  2. そのためにどのような教育を実施するか
  3. 教育を実施するに当たってどのような学生を受け入れるのか
という点について、一貫した観点を持って教育を行うことが必要であることは、先ほど申し上げた通り。

このような教育の質的転換が求められる中で、そのための組織は、今のままでよいのか、特に教員養成系や人文社会系は今のままでよいのか、というのが今回の通知の趣旨。

教員養成系や人文社会系は、他と比べて、相対的に学修時間が少ない、また、卒業時に身につけるべき資質・能力が明確にするようなカリキュラムや学位授与の方針が必ずしも明確になっていない、などの課題がある。こうした課題を克服し、教育の質的転換を図るために、養成する人材像、身につけるべき能力などを明確にし、入学・進学・就職状況・社会のニーズを踏まえた特色ある教育研究を展開できる組織になっているかという観点から、課題を真摯に受け止め、大学教育改革を踏まえ、徹底的な見直しを行っていただきたい。

教育の質の向上に向け、具体的には、以下の4点について特に取り組んでいただきたい。

1つ目は、教育方法の改善。
アクティブ・ラーニングの充実、特に、少人数のグループワーク、集団討論、反転授業などの教育方法を実践することが求められる。

2つ目は、教育課程の体系化。
ディプロマ・ポリシーに基づき、学生が修得すべき力を身に付けられるようにするためには、個々の授業科目の関連を明らかにした体系的な教育課程を編成することが必要。また、科目間の関連や科目内容の難易度を表現する番号をつけるナンバリングなど、教育課程の構造を分かりやすく明示する工夫が必要。併せて、授業科目の整理・統合を通して、教育課程の体系化を図ることも重要。

3つ目は、教員の教育力の向上。
大学教育の質的転換のためには、授業内容やその実施に関わる教員の組織的な取組が必要であり、FD(ファカルティ・ディベロップメント)の充実等が求められる。

また、研究面だけではなく、教員の教育面での優れた業績を適切に評価することも重要。実質的な教員評価を実施するためには、教員の教育業績の記録を整理・活用するティーチング・ポートフォリオの導入、教員評価の処遇への反映、優れた教員の顕彰の実施等の取組も有効。

さらに、教員の教育活動の支援、大学院生の指導方法の修得や意識の涵養を図る観点から、TA(ティーチング・アシスタント)等の教育サポートスタッフを充実することも求められる。

4つ目は、学修成果の把握・評価。
大学教育の質的転換の断行のためには、学生の学修成果の把握を行い、その分析結果を教育課程等の見直し・改善に結び付けていくことが重要。その際、ルーブリックや学修ポートフォリオ等の方策を活用することも考えられる。

また、大学における学修の質を保証する観点から、成績評価や卒業認定の厳格化も求められる。各大学において、社会から信頼される成績評価・卒業認定の在り方について検討・実施していただきたい。

さらに、各大学において、学生の学修時間、学修行動についての調査を実施し、教育課程の改善につなげることも重要。学生の学修時間の実質的な増加・確保に努めるとともに、大学の教育活動全体の改善に向けた取組を進めていただきますようお願いする。

これら4つの取組を中心とする取組を学長のリーダーシップの下で一体的に進め、組織の見直しも含めた全学的な教学マネジメントを確立することが、大学教育の質的転換には不可欠。その上で、学生同士が切磋琢磨し、相互に刺激を与えながら成長する学修環境を創ることで、学修時間の増加・確保や学生の学びの質の転換が実現されると考えている。

また、大学においては、「学生が何を身に付けたか」を重視することが必要であり、その実現のためには、厳格な成績評価や卒業認定等による出口管理の徹底も必要。

文部科学省としては、これまでも、
  1. 私立大学等経常費補助金の制度の見直し
  2. 国立大学法人運営費交付金の運用の改善
  3. 厳格な成績評価を推進する大学への支援
を進め、大学による適切な出口管理に資する取組を推進してきたところ。

以上、申し上げたような教育の質の向上を図るための積極的な組織見直しを含め、各大学においては、強みや特色となるような明確な人材育成目標を持ち、地域の社会的ニーズを踏まえた人材育成を行うよう各大学の機能強化に向けた改革構想について適切に検討いただきたい。もとより、各大学の強み・特色を踏まえた機能強化の構想については、こうした分野も積極的に支援する考え。

その他、業務全般の見直しについてもこの見直し内容等に沿って検討いただき、その結果を中期目標・中期計画の素案や年度計画に具体的に盛り込み、各法人が一層の質的向上を目指し、高い到達目標を掲げるとともに、その目標を実現する手段や検証指標を併せて明記するなど、より戦略性が高く意欲的な目標・計画を積極的に設定していただきたい。

なお、今後のスケジュールとしては、6月末までに各大学から中期目標・中期計画の素案を提出いただき、必要な修正等を行った上で来年1月には原案を提出いただこうと考えている。その後、財務省協議等の手続きを経て、3月には中期目標の提示及び中期計画の認可を行う予定で考えている。(続く)


(関連報道)

教員養成系など学部廃止を要請 文科相、国立大に(2015年6月8日日本経済新聞)

下村博文文部科学相は8日、全国の国立大学法人に対し、第3期中期目標・中期計画(2016~21年度)の策定にあたって教員養成系や人文社会科学系の学部・大学院の廃止や転換に取り組むことなどを求める通知を出した。

通知では、各法人の強みや特色を明確に打ち出すよう求め、組織改革に積極的に取り組む大学には予算を重点配分する枠組みも盛り込んだ。

教員養成系と人文社会科学系については、18歳人口の減少などを理由に、組織の廃止、社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう要請。司法試験合格率が低迷する法科大学院についても、廃止や他の大学院との連合など「抜本的な見直し」を求めた。

(1)地域貢献(2)世界・全国的な教育研究(3)世界的な卓越教育研究-のいずれかの枠組みを選んで機能強化を進める大学には、運営費交付金を重点配分するとした。

国立大学法人は6年ごとに中期目標・中期計画を掲げており、16年春からが3期目。各法人は通知を踏まえて目標・計画を策定し、15年度中に文科相が認可する。



通知は「特に教員養成系や人文社会科学系学部・大学院は、組織の廃止や社会的要請の高い分野に転換する」ことを求めた。

文科省によると、自然科学系の研究は国益に直接つながる技術革新や産業振興に寄与しているが、人文社会系は成果が見えにくいという。国立大への国の補助金は計1・1兆円以上。子どもが減り、財政事情が悪化する中、大学には、「見返り」の大きい分野に力を入れさせるという考えだ。

《小林雅之・東大大学総合教育研究センター教授(教育社会学)の話》
これまで大学は無駄が許容されてきた側面がある。今後は社会の需要に応えるのも大事だ。通知は企業や政治の厳しい意見を反映している。ただ、すぐ成果が出ない、就職率が悪いとの理由で切り捨ててよいか。大学は広い意味の教養を身につける場なのに、工学や経営学など実学が増え、学問の幅が狭まる懸念もある。個々に状況が異なる大学が自主的に判断するべきだ。

産業競争力会議が大学改革を議論していることが象徴的です。大学はカネになる、日本が稼ぐためのタネがある、と考えているのでしょう。でも聞こえてくるのは、いま成功している主に理系の特定の分野に資源を集中させるような話ばかり。

イノベーションとは、予想もつかないところに芽が出るから革新的なわけでしょう。この辺で芽が出るだろうと、誰もが思いつくところばかりに水をやって、革新的な成果につながるでしょうか。理系の中にも、危機感を抱いている人はいるはずです。すぐには成果が上がらない研究もあるわけですから。

ガバナンスのあり方も気になります。学長を選ぶ権限は学外者が多く入る学長選考会議に移り、教職員の投票ではトップになった人が学長に選ばれない事態が起きています。その学長に権限を集中させている。トップダウンで改革を加速させたいのでしょう。

「グローバル化」や「地域貢献」を掲げた新しい学部が、今後各地に次々とできるでしょう。そこに運営費交付金の一部を政策的に配分するためには、何とか違いを見つけて評価し、序列化しなければなりません。機能別に分化を推し進めると、評価は必然的に大変な作業になる。膨大な雑務が生じるだけで、得をする人は誰もいないと思うんですが。

国立大学のあり方を考える争論「文系学部で何を教える」(3月4日付)では、経営コンサルタントの冨山和彦さんが「実践力」を重視、日比嘉高さんが「考える力」に力点を置く論を展開しました。73件の反響があり、うち「実践力」派が8件、「考える力」派が40件でした。「国立ならもっと学費を下げて」というご意見も。格差が広がる中、経済的な理由で進学をあきらめる若者を出さないような「改革」も必要ではないでしょうか。


国立大学 すぐ役立つためだけか(2015年6月10日朝日新聞)

大学は社会にすぐ役立つためだけにあるのか。

文部科学省が全国86の国立大学に対し、今ある学部や大学院を見直すよう通知を出した。特に教員養成系と人文社会科学系の学部や大学院について、見直し計画をつくり、廃止や社会的な要請の高い分野への転換に取り組むよう求めた。

なぜ文系か。文科省は言う。教員養成系は少子化で教員採用が減る。人文社会科学系は社会のニーズに応じた人材が育てられていない。即廃止ではないが、意識を変えてほしい-。

安倍政権は大学を成長戦略に位置づけ、理工系を伸ばし、国際的な競争力を高めようとしてきた。職業教育をする高等教育機関もつくる。求めるのは、大学が社会の変化に応じて、すぐ役立つ人を生み出すことである。

たしかに技術革新や産業振興の要請に応えることは大学の役割の一つだ。文系学生の多くは勤め人になる。社会人としての力を伸ばすことも必要だろう。

国立大の努力はまだまだ足りない。通知は、企業や政府のそんな見方の反映でもある。だが、だからといって効率を求めて、国が組織の廃止や転換を求めるのは乱暴過ぎる。

いまの社会を批判的にとらえ多様な価値をつくりだす研究は、激しい変化の時代にこそ欠かせない。そこから新しい発見が生まれる可能性もある。

国立大は法人化で、国の縛りが緩むはずだった。なのに実態として介入が強まっている。卒業式、入学式での国旗国歌の要請の動きもその一つだ。なんのための法人化だったのか。

国立大の使命の一つは、教育の機会均等の確保のはずだ。学びたい学部がなくなれば、学生は地元を離れなければならない。地方創生の流れにも反するのではないか。社会人の学び直しもしにくくなるだろう。

組織のあり方を決めるのは、あくまで大学自身だ。学問のあり方を考え、多様な立場の意見を広く聞いて決めてほしい。

文科省は各大学の改革への取り組みを評価し、基盤的な予算である「運営費交付金」を重点配分している。

その交付金の規模は法人化以来10年で1割以上減っている。地方の国立大からは「早晩、壊死(えし)する」との声が相次いでいる。このままだと授業料にも跳ね返りかねない。

国立大はどうあるべきか。財政難の下、どこまで国費をあてるか。住民や自治体、学生ら多角的な視点で議論を広げたい。大学は社会全体のものだ。


国立大文系改組 経済優先だけでいいか(2015年6月12日秋田魁新報)(抄)

大学の役割は多様だ。新たな技術を開発し、産業を振興させるのも確かに大事である。しかし、社会や人間を考察・分析する文系の教養や学問も欠かせない。時代が混迷すればするほど、歴史的なものの見方や哲学的な洞察力が求められる。

長いデフレの下、日本は目標を見失っているのかもしれない。安倍政権が主張しているように、再び経済成長を目指せばいいのか。それとも別の道を模索した方がいいのか。これ一つを考察するにしても文系学問の蓄積が必要だ。

文科省は文系学部・大学院の重要性を再認識してほしい。

背景にあるのは、安倍政権が強力に推し進めている大学改革だ。「大学力は国力そのものだ。大学の強化なくしてわが国の発展はない」。安倍晋三首相は第2次内閣発足後の13年2月、衆参両院で行った施政方針演説でこう明言。以後、大学改革を成長戦略の一つと位置付け、各種施策を展開している。

この改革が求めているのは結局、社会や産業界の要請に応じて、大学が即戦力となる人材を養成することだ。

理工系学部・大学院の拡充は科学技術の発展や国際競争力の向上に役立つ。19年度に開学が見込まれる特定研究大学は、まさにすぐに役立つ人材の育成が目的だ。それに比べ文系は、教養は身に付くにしろ、即戦力にはなりにくい—そんな見方が透けて見える。

しかし、大学を単に国や社会が求める「労働力」の養成機関にしていいはずがない。通知が組織改革に積極的に取り組む大学に予算を重点配分するとしている点も心配だ。

予算がつきにくいとなれば、大学独自というより、文科省の意向に沿う教員養成系や人文社会科学系の廃止・転換になる恐れが出てくるからだ。

かつて「物の豊かさから心の豊かさへ」といわれ、最近は、お金より「幸福度」を重視する考え方が注目されている。歴史、文学、哲学といった「文系の知」を大切にしないようでは、社会に不可欠な多様な価値観まで失われてしまうのではないか。


国立大学改革 人文系を安易に切り捨てるな(2015年6月17日読売新聞)(抄)

確かに人文社会系は、研究結果が新産業の創出や医療技術の進歩などに結びつく理工系や医学系に比べて、短期では成果が見えにくい側面がある。卒業生が専攻分野と直接かかわりのない会社に就職するケースも少なくない。

社内教育のゆとりが持てない企業が増える中、産業界には、仕事で役立つ実践力を大学で磨くべきだとの声が強まっている。英文学を教えるより、英語検定試験で高得点をとらせる指導をした方が有益だという極論すら聞こえる。

だが、古典や哲学、歴史などの探究を通じて、物事を多面的に見る眼や、様々な価値観を尊重する姿勢が養われる。大学は、幅広い教養や深い洞察力を学生に身に付けさせる場でもあるはずだ。必要なのは、人文社会系と理工系のバランスが取れた教育と研究を行うことだろう。

文科省は来年度以降、積極的に組織改革を進める大学に、運営費交付金を重点的に配分する方針だ。学生の就職実績や、大学発ベンチャーの活動、知的財産の実用化の状況といった指標を基に、評価するという。

厳しい財政事情を踏まえれば、メリハリをつけた予算配分も大切だろう。ただ、「社会的要請」を読み誤って、人文社会系の学問を切り捨てれば、大学教育が底の浅いものになりかねない。


国立大文系が消滅? 文科省、組織改編促す(2015年6月19日毎日新聞)(抄)

「政府は大学を工場みたいにしたいんですかね。工場やったら設計図通りに製品ができるけど、教育機関ってそんなビジネスモデルみたいにいきません」

京都大名誉教授で、関西大東京センター長も務める竹内洋さん(教育社会学)は文科省が進める国立大学改革への疑問を隠さない。

ここで問題を整理しよう。文科省は今月8日、全国にある86校の国立大に対し、文系学部の廃止などの組織改革を進めるよう通知した。同省の言い分はこうだ。「少子化で子どもの数が減少していることへの対応が必要。日本を取り巻く社会経済状況が急激に変化する中、大学は社会が必要とする人材を育てる必要がある」。財政が厳しいので、国立大に投入する税金を社会的なニーズがある分野に集中的に使いたいという狙いもある。下村博文・文科相は16日、東京都内で開かれた国立大学の学長を集めた会議で「これら(文系学部)の学問が重要ではないと考えているわけではない。だが、現状のままでいいのかという観点から徹底的な見直しを断行してほしい」と組織改編を促した。

ただ、国立大側の反発は強い。国立大学協会会長の里見進・東北大学長は15日の記者会見で、文科省の方針に対し、「非常に短期の成果を上げる方向に性急になりすぎていないか危惧している。大学は今すぐ役に立たなくても、将来大きく展開できる人材をつくることも必要です」と文系学部の必要性を強調した。

文系の学問は、理系と違って技術革新など「国益」には直結しにくい。しかし、竹内さんは「文系の学問から学べる批判する力、洞察する力は、想像力やさまざまな開発につながる」と意義を語る。

竹内さんは厳しい表情を崩さずにこう続けた。「大学が職業専門店みたいになって、学生が就職のことばっかり考えてたら、将来、どないなるやろ? 決して良い結果にはならないと思います。医者が『手術は成功しました』と言っても、その患者は死ぬことがある。手術が成功したっていうのは科学的に成功したことに過ぎないんです。それと同じように『改革は成功したが、大学は死ぬ』なんてことはあってはなりません」

「尾木ママ」の愛称で知られる教育評論家で法政大教授(臨床教育学)の尾木直樹さんに意見をうかがうと、冒頭からかなりお怒りだ。「そもそも、文部官僚の発想自体がおかしいんですよ!」と勢い込んで話し始めた。

「政府の基本的な考え方は、これからの激しい国際競争に勝つには、成果を上げられるところを効率的に伸ばし、それによって日本の苦境を打開しようとするのが狙いでしょう」。官僚らの考えを押さえた上で続ける。「混迷した時代だからこそ、これまでの延長線上にはない新しい価値観を見いだしたり、洞察力を働かせたりして解決の方法を模索する。要は第三の道を探り出すことが重要なのです。そのために役立つものが哲学であり、倫理学、文学、社会学。つまり文系の学問なんです」。スピーディーに結論や成果を求めるだけが学問ではない、と尾木ママは熱弁を振るう。

そもそも文科省はなぜ文系を見直そうとしているのか。「産業界が即戦力を持つ人材を育ててほしい、と求めている」(文科省関係者)ことが理由の一つとされる。安倍晋三政権は大学改革を成長戦略の一環と捉えて理工系の強化を掲げており、経団連も政権の方針を歓迎している。

産業界の本音はどこにあるのか。日本を代表する大手メーカーの首脳に聞いてみると、文系軽視には意外にも批判的なのだ。「国立大から文系をなくそうなんて愚の骨頂です。我々が学生に求めているのは論理的に問題を解決する力、人の話を理解する能力、つまり文系でこそ学べる教養です。英語は話せた方がいいに決まっていますが、人とコミュニケーションがとれなければ、何にもならないじゃないですか。スキルだけ持った学生なんて企業はいらない。必要なスキルなら、入社後に企業側が教えればいい」

産業界全般が賛成しているわけではなさそうだ。むしろ「文科省が大学改革を進めるために都合のいいように、産業界の一部の声をうまく使っている」(大学関係者)との見方さえ浮上している。

「政策を作る官僚たちの意識こそ問題の根源」と尾木さんは指摘する。「官僚たちは、幼い頃からの競争主義から離れられない。競争さえすれば誰でも伸びると信じていて、人間の多様性のおもしろさや、教育の可能性については、『感覚』として分かっていない。その弊害が今、国家を覆い尽くそうとしています」

国家に弊害が及ぶとはただ事ではない。どういうことなのか。「例えば、もし国立大から文系が消えれば、哲学を勉強したいと思う地方の子供は都心の私立大で学ばないといけない。下宿代など教育費がかさみ、地方に住む人たちの経済的な負担が重くなり、地域間格差は必ず広がります。憲法で保障された『学問の自由』なんて奪われてしまう!」

ただ、国立大側にも問題があるという指摘も根強い。国際医療福祉大大学院教授(臨床心理学)で精神科医の和田秀樹さんもそう主張する一人。「僕は国立大文系を廃止しろとは言わないし、受験で数学も課さない私大の文系しか残らないなら、それはマズイと思う。ただ、文科省の言い分が一つの理もないかというと、正直、そうも言い切れない」

「多くの日本の大学の文系がやっていることって、イノベーティブ(革新的)ではない。教授らは古いものにくらいついている傾向が強い。例えば精神分析でいえば、米国の教授は患者を治すため、常に研究してイノベーションしているが、日本ではいまだにフロイトがどう言ったとか教えてるだけのような人が多い」

和田さんが、日本の教授たちの対極に挙げたのが、「21世紀の資本」が世界的なベストセラーになったフランスの経済学者、トマ・ピケティ氏。「主張の新しさはもちろん、インターネットを使って膨大な量の資料を調査したことがすごい。日本の学者はそこまでの調査をやっていますか? 文科省に反対する前に文系は根本から変革すべきです」

竹内さんも大学内部の改革が必要と分かっている。「今回を契機に文系が現代の中でどういう具合にしたらリアリティーを持てるのか、考え直さなきゃいかんね」。けれども、ここだけは譲れないと強調するのだ。「発明や発見っていうのは効率主義の中で出てくるのではなく、遊びみたいなところから出てくることが非常に多い。無駄や隙間を許容しないとダメです。若者の自己成長の芽を摘んでしまったらいかん。教育っていうのは、前の世代が次の世代に渡す『贈り物』みたいなもんや」

効率だけでつくった“贈り物”は、未来を豊かにするのだろうか。



新しい考え方や発想が芽生えるためには、それを可能にする豊かな苗床が欠かせない。その苗床は、ふたつのものから成り立っている。第一は、さまざまな経験や幅広い知識、そして多様な価値観にたいする深い理解である。そうした知見や理解の習得は、みずからの「引き出し」を豊富にしてゆくことを意味している。第二は、知識を組織してゆくことを可能にする、その仕方である。さまざまな観点からものごとを立体的に把握する視座、論理的かつ柔軟な思考といったものがこれに相当するだろう。

とはいえ、その大半は、特定の目的に直結してただちに役に立つようなものではない。もしそのような観点から見たのなら、無駄にしか見えないものであるかもしれない。けれどそれは、秋の落葉を見たときに、それをゴミとしかおもわないような見方である。よい作物にはよい苗が不可欠であり、よい苗を得るためには豊かな苗床が必須であり、そして豊かな苗床はけっして速成できるような性質のものでないことを、あらためて知るべきである。

そうした苗床を養うことが、今日の大学教育が担う重要な役割のひとつであると、ぼくは信じている。多様で豊かなさまざまな苗床を養うこととは、つまり、ひとびとが、それぞれ多様で豊かなかたちに、みずからを育んでゆくことにほかならない。それを支援することが教育機関の役割というものだろう。それは、大学にかんして近年よく語られる二分法──文系と理系、実学と教養、グローバルとローカル、上位校と下位校などといったような──とはまったく関係ない。どんな分野・領域でも、表面的な表れ方はどうあれ、まともな教育であるかぎり、そのような視座を射程に入れていないはずがない。

その役割は、必ずしも大学だけが特権的に担うものではないだろう。しかし同時に、大学というセクターが、もし仮にその役割を担わなくなったのだとしたら、どうだろう? ほかにいったいどんな存在理由があるというのか。

要不要という基準から国が大学教育を弁別しようというのは、本来もちえたはずの多様な可能性をみずから破棄しようとしているに等しい。


国立大 文科省通知の波紋(下) 改革、自らの責任で 石弘光・一橋大元学長(2015年6月29日日本経済新聞)(抄)

 (略)この文書(国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて)は国立大学法人評価委員会の検討結果を踏まえたもので、大学の自主性を重んじるというより政府主導の大学改革の色彩が濃厚となっている。この通知の中には改革を方向付けるのに評価されるべき点もいくつもあるが、看過できない一文が挿入されている。

「組織の見直し」に関連して、「特に教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、18歳人口の減少や人材需要、教育研究水準の確保、国立大学としての役割等を踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めることとする」と厳しい指摘がなされている。

当然のこと、この指摘に関し大学関係者をはじめマスコミも人文社会科学の軽視、衰退につながると反発を強めている。法人化の第3期にこのままの形で突入するのは、国立大学の基盤を揺るがしかねない危険を伴う。

人文社会科学の軽視につながる最近の動きの背景には、2つの要因があると思う。第一に、現在国から2つのルートによって国立大学法人に資金が流れているが、このデュアル・サポートの仕組みに綻びが目立ってきたことである。

経常的な基盤経費に充当される国の運営費交付金は法人化以降年々1%削減の対象とされ、一方その不足分は外部からの競争的資金で補填する仕組みとなっている。しかしながら法人化が進捗するにつれ競争的資金の獲得にあたり、自然科学と人文社会科学の分野で獲得状況に格差が生じ、その結果として自然科学系の学部を持ち競争力のある大学とそうでない大学に二分化されてきた。

元来両分野の研究費の規模はその性格上大きく異ならざるを得ないが、問題は法人化以降その格差が一段と鮮明になったことである。

(略)第二の要因として、アベノミクスを受け科学技術振興やイノベーションなどが重視され産業競争力会議などでも大学改革が議論され、大学に競争力をつけ成長戦略の一環として活用しようとする最近の動きがある。

このことは当然のことながら、成長戦略と結び付き成果が明確になる自然科学の分野に研究費を優先的、重点的に配分しようという政策になる。先の文科省通知にもあるように、最近ではこのような流れの中で、経済界も要望する「社会に役に立つ」という視点のみから大学改革が行われようとしている。

「社会に役立つ」ことは、職業訓練学校に求めるべきで大学に求めるものではない。大学ももちろん、実学や職業教育といった視点からその専門性を生かし社会のニーズと向き合う必要がある。と同時に大学は学問を通じ、その時代ごとの社会的要請とは別に、普遍的に人類の存立・発展、社会経済システムの基盤のために知の創造・伝承を行う場である。人文社会科学こそが、まさにその基礎を築くことになる。

物事に対する洞察力を深め、多様な価値観を尊重し、そして自ら人格形成に努めるために、主に人文社会科学に立脚する幅広い教養こそが不可欠なのだ。相変わらず多発する研究者の様々な不祥事は、まさにこのような教育を若い時期に十分に受けてこなかったことに起因していると思う。

法人化後、大学の自主性がもっと増えると期待していた。しかしこれまでの経過を見るとそれとは逆に、政府の介入の度合いが一段と強まってきたといえよう。

文科省が提起しているような「大学の組織見直し」など、外からの圧力でなく本来大学が自らの責任で遂行すべきものである。このために学長のリーダーシップを強化する仕組みが法人化後次第に整備されてきているのだ。今般の人文社会科学の組織見直しについて、まず大学が自主的に問題点を整理し、必要に応じて改革に乗り出すべき責任があろう。


国立大に文系不要? 「すぐ役立つ」は息苦しい(2015年7月5日福井新聞)(抄)

(略)限られた予算を有効活用するため、国立大は国や地域に有用な即戦力の育成に特化すべきで、費用対効果が分かりにくい人文系は私立大に任せる―。本当にそれでいいのだろうか。

文科省の通知の基になっているのは、昨年8月に国立大学法人評価委員会が示した「視点」案である。盛り込まれた文言を見ると「持続的な競争力」「高い付加価値」「我が国の経済社会の発展に資する教育研究」「イノベーションの創出」など経済的な用語、概念がちりばめられている。

そのうえで教員養成系学部などは「廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むべきではないか」と続く。

こうした方針に対する大学関係者の危機感は強い。その1人で名古屋大大学院文学科の日比嘉高准教授は、近著「いま、大学で何が起こっているのか」(ひつじ書房)で「目先の基準でいらないものを切り捨てていった組織は、起こりうる変化に対応できない」と憂える。

そんな大学に変われば学生も同様の価値観に染まり、国や社会そのものが目先の利益や有用性だけに価値を置く息苦しい場になりかねない。「一見役に立たないけれども実は大切なことが、世の中にはごまんと」あり実際、大学が学問以外にも「実は大切なこと」を学ぶ場になっているとの主張は一般的にも理解しやすい。

それでも国の財政事情からすれば、教員養成系や人文系を残しておく余裕がないと文科省は言いたいのかもしれない。

しかし日本の場合、教育に対する公的支出がそもそも低い。経済協力開発機構(OECD)の2013年版調査によると、加盟国で比較可能な30カ国のうち国内総生産(GDP)に占める割合は3・6%で最下位。子ども1人当たりだと平均を上回り29カ国中12位だが、高等教育の授業料が5番目に高額で家庭の負担がかなり大きい。

これが家庭の経済的な格差が学歴格差を招き、さらに貧困家庭を生むという負の連鎖の一因ともなっている。社会不安につながりかねない問題である。

国立大の改革以前に「国家百年の大計」として、この教育への公的支出のあり方をまず見直すべきだろう。

(略)他大学の関係者の中からは、すでに「文科省の意向に沿わなければ予算を削られる。特に教員養成系や人文系の人件費は削減せざるを得なくなる」と悲観する声も。法人化して国の縛りから自由になるはずが、財布を握られてむしろ文科省の言いなり。それが実態なら真の教育には程遠い。

国立大学長会議における高等教育局長説明ー運営費交付金の在り方検討会審議まとめ・平成28年度概算要求

(続き)

運営費交付金の在り方検討会 審議まとめ及び平成28年度概算要求について

第3期中期目標期間における国立大学法人運営費交付金の在り方については、昨年11月から検討会を設置し、10回に亘る議論を経て、6月15日に審議まとめがとりまとめられた。ポイントを説明させていただく。

まず、第3期において、国立大学が目指す姿として、各国立大学が形成する強み・特色を最大限にいかし、自ら改善・発展する仕組みを構築することにより、持続的な「競争力」を持ち、高い付加価値を生み出していくことにある、とされている。

その上で、第3期における運営費交付金の在り方としては、
  • 運営費交付金は、国立大学法人が安定的・持続的に教育研究活動を行うために必要不可欠な経費である
  • 各国立大学法人が自らの努力で増収を図った場合に、運営費交付金を減額しない
という基本的な考え方を維持しつつ、
  • 各国立大学法人のビジョンに基づき、機能強化を迅速に実現するための手段とする
とともに、
  • 各国立大学法人の規模、分野、ミッション、財務構造等を踏まえ、きめ細かな配分方法を実現するとともに、透明性を高める必要がある
とされている。

その上で、第3期における運営費交付金の配分にあたっては、「機能強化の方向性に応じた重点配分」と、「学長の裁量による経費(仮称)」の2つの新たな仕組みを導入することとされている。

1つめの、「機能強化の方向性に応じた重点配分」については、国立大学の多様な役割や求められている期待に応える点を総合的に勘案し、機能強化の方向性に応じた 取組をきめ細かく支援するため、予算上、3つの重点支援の枠組みを新設することとされている。

2つめの「学長の裁量による経費(仮称)」については、学長のリーダーシップの発揮を予算面で支援し、組織の自己変革や新陳代謝を進めるため、教育研究組織や学内資源配分等の見直しを促進する仕組みを設けることとされている。

文部科学省としては、今後、この審議まとめを十分に踏まえ、平成28年度概算要求に向けて、具体的な検討を進めていくとともに、国立大学法人が知識基盤社会を支える中核として、今後も更なる機能強化を図るために、必要な予算の確保に努めてまいりたい。

各国立大学におかれては、学内のIR機能の強化や積極的な情報公開など、本検討会における様々な議論を踏まえ、これからスタートする第3期に向けて、積極的に改革を進めて頂くようお願いする。

審議まとめの内容等を踏まえた、平成28年度概算要求にあたっての考え方や留意点については、基本的な考え方として、
  •  各国立大学法人における教育研究活動は、それぞれの目標・理念や経営戦略に則り、中期目標及び中期計画に沿って自主性・自律性を発揮していただきながら取り組むべきもの。その際には、国の各種政策提言を踏まえ、各大学が形成する強み・特色を踏まえた機能強化の取組を更に進めていくことが求められる。
  • 強み・特色を踏まえた機能強化に積極的に取り組む国立大学に運営費交付金を重点配分する仕組みを導入し、第3期における各国立大学の機能強化の方向性に応じた取組をきめ細かく支援するため、運営費交付金の中に、①地域のニーズに応える人材育成・研究の推進、②分野毎の優れた教育研究拠点やネットワークの形成の推進、③世界トップ大学と伍して卓越した教育研究の推進の3つの重点支援の枠組みを設ける。
  • 各大学におかれては、中期目標・中期計画に記載する内容を基に、いずれか一つの枠組みを選択していただき、各大学の「ビジョン」を策定し、ビジョンの実現 に向けた具体的な改革の方針である「戦略」、各「戦略」の達成状況を判断するための「評価指標」、「戦略」の実行に必要となる具体的な「取組」を取りまとめ、パッケージとして要求していただきたい。
要求にあたっての留意点としては、
  • 各大学におかれては、それぞれの「ビジョン」と具体的な「戦略」を明確にした上で、学内資源の有効活用及び再配分を行うことを前提としつつ、3つの重点支援の枠組みに応じた取組構想を提案していただきたい。
  • また、取組構想の具体的な内容や工程等に加えて、その成果を検証するための測定可能な評価指標(KPI)等を設定し、各大学が自ら達成状況を確認・分析・改善できる体制を構築していただきたい。
これらを踏まえつつ、平成28年度概算要求の内容について申し上げる。

<要求の内容について>

概算要求の内容としては、「ビジョン」の実現に向けて設定した「戦略」を実行する「取組」として、教育研究組織の再編成に必要な基盤的経費や教育研究プロジェクト等に必要な事業費や設備費等を盛り込んでいただく。

なお、平成27年度予算の特別経費として支援を受けている事業についても、各大学が自ら選択した3つの重点支援の枠組みとの関連性を整理した上で要求していただくことは可能。

また、連携・ネットワークに係る構想については、関係する複数の大学が、重点支援の3つの枠組みのいずれを選択するかに関わらずご提案いただきたい。

<選定、配分、評価方法>

各大学から提案された取組については、文部科学省において開催する有識者会議の意見を踏まえ、重点支援の対象とする取組構想を選定し、「機能強化促進係数(仮称)」による財源等を活用して、主として改革の取組構想に応じて加算して予算要求を行う。

選定にあたっては、各大学の機能強化の方向性との適合性に加えて、取組構想の戦略性・発展性・実現可能性等とともに、意欲的な達成目標及び評価指標が設定されているか否かについて確認することを想定している。

評価については、平成28年度においては、重点支援の枠組みごとに設定する、支援の観点を重視した評価を行うことを想定している。

詳細については、資料の「3 重点支援の枠組みごとの観点及び留意点」中の「ウ 評価指標について」をご覧ください。

また、評価にあたっては、取組構想を全体として評価対象とすることとする。

平成29年度以降については、原則として年度ごとに取組構想の進捗状況を確認するとともに、あらかじめ設定していただいた評価指標等を用いて、その向上度合に応じて段階的な評価を実施し、予算配分における重点支援に反映することとしている。

なお、「機能強化促進係数(仮称)」については、審議まとめにもあるように、予算編成過程において適切な割合を決定する。

また、3つの重点支援の枠組みに係る予算の規模感については、今後決定される政府全体の概算要求の方針に基づき、検討していく。

<共通政策課題に関する重点支援について>

また、3つの重点支援の枠組みのほか、各国立大学法人が教育研究活動を行うに当たって、社会経済の変化や学術研究の進展等による我が国の高等教育政策、学術政策の推進の観点を踏まえ、各法人の個性や特色に応じて意欲的に取り組むべきものとして、平成28年度概算要求においては、6項目について、必要な支援を行うこととする。

これらについても、文部科学省として、事業区分との適合性や実現可能性、社会的効果等を確認していくこととしている。

今年度は、第3期中期目標期間における最初の概算要求であり、より具体的な相談などあれば積極的に応じてまいるので、その際は、国立大学法人支援課まで遠慮なくご連絡いただきたい。(続く)


(関連報道)

国立大、新評価制度導入へ 政府「成長戦略の柱」(2015年4月15朝日新聞)

政府の産業競争力会議(議長・安倍晋三首相)が15日開かれ、国立大学の改革に向けた新たな評価制度の導入を決めた。全国86ある国立大の役割をはっきりさせ、運営費交付金の配分にもメリハリをつける。6月にもまとめる成長戦略の柱にする。

今夏までに文部科学省が「経営力戦略(仮称)」をつくる。「地域に貢献する教育研究」「特色ある分野で世界的な教育研究」「世界で卓越した教育研究」のいずれかから、各大学がめざす大学の特徴を選び、その大学像に沿った評価に応じて交付金を配分するようにする。

安倍首相はこの日の会議で「これまでは各大学の特徴に応じたミッション(役割)設定が不明確なままで、自律的な経営に欠けていた面があったことは否めない」と指摘。企業などからの資金獲得や資産の運用など、大学独自の取り組みを促す考えを示した。


国立大交付金地域貢献や世界水準研究で重点配分(2015年6月15日NHK)

国立大学に配分する運営費交付金について文部科学省の有識者会議は、地域に貢献する大学や世界トップ水準の研究を目指す大学など、国立大学を3つの枠組みに分類し、取り組みや実績が高く評価された大学に交付金を重点的に配分する方針をまとめました。

国立大学は平成16年度に法人化されて以降、6年ごとに中期目標を定め、その達成状況の評価などに応じて国から運営費交付金が配分されています。来年度から6年間の配分方法を検討してきた文部科学省の有識者会議は、15日、改革や機能強化に積極的に取り組む大学に交付金を重点的に配分する方針をまとめました。

具体的には、国立大学を人材育成や研究を通して地域に貢献する大学、特定の分野で優れた教育や研究の拠点となる大学、それに世界トップ水準の教育や研究を目指す大学の3つの枠組みに分類し、大学はいずれか1つを選んで取り組むとしています。そのうえで、取り組みの状況や実績を有識者の会議が評価し、翌年度の交付金の配分に反映させるということです。中期目標の策定にあたっては文部科学省が8日、国立大学に通知を出し、教員養成系や人文社会科学系の学部や大学院については廃止やほかの分野への転換に努めることなど、組織や業務全般を見直すよう求めています。各大学はこうした方針を踏まえて、今月中に中期目標の素案を提出することになっています。

国立大学長会議における高等教育局長説明-国立大学経営力戦略

前回に続き、「国立大学法人学長・大学共同利用機関法人機構長等会議」(6月16日開催)における高等教育局長の説明内容を数回に分け抜粋しご紹介します。


吉田高等教育局長説明

国立大学経営力戦略の策定について

国立大学改革に関しては、平成25年11月に国立大学改革プランを策定し、第3期中期目標期間において、持続的な「競争力」を持ち、高い付加価値を生み出す国立大学を実現することを目指し、取組を進めてきた。

来年度から始まる第3期においては、各大学において、これまでの機能強化の取組を生かしつつ、より一層、高い機能を発揮できるよう、更なる新陳代謝・自己変革の取組を押し進めていただきたい。

今日、我が国社会の活力や持続性を確かなものとする上で、新たな価値を生み出す礎となる知の創出とそれを支える人材育成を担う国立大学の役割への期待は大いに高まっており、国立大学には、「社会変革のエンジン」として「知の創出機能」を最大化していくことが求められる。

この「知の創出機能」を最大化させていくための改革の方向性を、今回、文部科学省として取りまとめたものが「国立大学経営力戦略」。

国立大学が、その役割を一層果たしつつ、今後更なる改革を進めていく上では、学長のリーダーシップやマネジメント力、多様な財源に裏付けられた財務基盤、新陳代謝・自己変革の促進といった、「経営」の視点が重要。

各学長におかれては、既存の枠組みや手法等にとらわれない大胆な発想を持ち、本年4月から施行されたガバナンス改正法の下、強いリーダーシップを発揮し、組織全体をリードする将来ビジョンを構築いただきたい。

その際、確かなコスト意識と戦略的な資源配分を前提とした経営的視点で大学運営を行うことで経営力を高め、そのことを、教育研究機能の強化につなげていただきたい。

文部科学省としては、基盤的経費である運営費交付金を確保しつつ、自己改革に取り組む大学にメリハリある重点支援を実施するとともに、財務基盤の強化のために必要な規制緩和を行うべく、検討を進めていく。

本戦略を実行するにあたっての具体的な方策については、「Ⅱ.経営力を強化するための方策」にお示ししている。

このうち、「1.」は「第3期中期目標期間における国立大学法人運営費交付金の在り方に関する検討会」の議論の内容を掲載したもの。

次頁の「2.自己変革・新陳代謝の促進」については、まず、(1)にあるように、各大学による機能強化のための学内の組織再編、大学間・専門分野間での連携・連合等を促進する。

さらに、マネジメント改革を進めるため、「学長の裁量による経費(仮称)」を新設し、各学長のリーダーシップに基づく自己改革の取組を予算面から後押しさせていただく。

次頁の(3)については、各大学が、若手が活躍する組織へと転換していくことを目指し、
・教育研究業績や能力に応じたメリハリある給与体系への転換
・中長期的な視野に立った教員の年齢構成の是正
等を促進していく。

各大学には、人事給与システム改革と業績評価に関する中期目標期間を通じた計画を、中期計画の一部として記載する等の方法により、平成27年度末までに策定いたく。

「3.財務基盤の強化」については、基盤的経費である運営費交付金を確保するとともに、
・資産活用等の規制緩和や寄附金の獲得による自己収入拡大
・民間との共同研究・委託研究等による外部資金獲得へのインセンティブの付与
を検討する。

(1)について、自己収入を拡大する観点から、国立大学法人制度内で、各大学が実施することが可能な「収益を伴う事業」の範囲について、各大学の好事例も踏まえ、ガイドラインを示すことを考えている。

(2)について、各大学においては、寄附金を獲得するための専門スタッフの配置による体制強化と獲得戦略の策定を進めていただきたい。また、そのような大学の取組を支援するために、文部科学省として、個人からの寄附に係る所得控除と税額控除の選択制の導入など寄附促進策の検討を行う。

(3)について、各国立大学においては、大学が持つ強みのある研究分野やその研究成果について、組織的に積極的な情報発信を行うとともに、民間に対する「提案型」の共同研究や大学本部のイニシアティブによる組織的な産学連携を推進し、可能な限り民間との共同研究・受託研究に関する中期目標期間中の目標を設定していただきたい。

「4.」について、特に「特定研究大学」(仮称)に関する具体的な制度設計については、今後、文部科学省内に有識者会議を設置し、検討を開始していく予定。

内容に関する御説明は時間の制約上、以上となるが、各国立大学においては、第3期中期目標期間において、本戦略に基づく取組を強力に進めていただくようお願いする。

文部科学省においても、本戦略に示された方針及びスケジュールのもと、各国立大学の改革の取組を後押しできるよう、必要な支援や検討を進めていく。(続く)

国立大学長会議における文部科学大臣挨拶

来年度から始まる3回目の国立大学法人の中期目標期間を見据えた様々な動きが活発化しています。

6月8日には、次期中期目標・中期計画への反映が求められる「組織及び業務全般の見直しについて」と題する文書が文部科学省から発出されました。このうち、特に「教員養成系や人文社会系の組織見直し」については、報道で大きく取り上げられています。

また、6月15日には、次期中期目標期間における国立大学法人運営費交付金の在り方」に関する審議まとめがとりまとめられ、これを踏まえた「平成28年度の概算要求上の留意点等」が各法人に通知されました。

さらに、6月16日には、今後の国立大学の経営力の強化に資する方針として「国立大学経営力戦略」が文部科学省により示されました。

いずれも、近時、強力に進められている国立大学改革の具体化ですが、これまでにない大きな制度変更も含まれていることから、大学現場での関係者の理解が深まるには少々手間がかかりそうです。

さて、6月16日にこの時期恒例の「国立大学法人学長・大学共同利用機関法人機構長等会議」が開催されました。国立大学を取り巻く状況変化を中心に、文部科学大臣や関係局長が説明を行っています。

大臣挨拶」と「高等教育局長説明」のメモが関係者に共有されていますので、抜粋してご紹介します。


下村文部科学大臣挨拶

国立大学は、これまで、我が国の高等教育と学術研究の水準の向上と均衡ある発展のためにその役割を果たしてきた。

他方、社会は、急速な少子高齢化、グローバル化、新興国の台頭による競争激化などの急激な変化に直面している。社会が直面する変化と未来に対する不安とそれに伴う閉塞感を打破するためには、新たな価値を生み出す礎となる知と、それを担う人材が不可欠。そこで、国立大学には「社会変革のエンジン」としての役割が期待されている。

その「エンジン」となり得るためには、国立大学は、それぞれの特色を活かし、
  • 主体的な思考力や構想力、想定外の困難に処する判断力を育成するとともに、協調性と創造性を合わせ持つことができるような人材を育てる大学教育への質的転換
  • 国内外の経済需要や産業構造の変化、雇用ニーズを踏まえた、学術研究、技術、文化などを活かし、価値やイノベーションを創出する人材の育成
  • 18歳からの入学者だけを対象とするのではなく、新たな知の獲得や学び直しを目指す社会人の学びの機会の拡充
  • 融合分野・新領域の創出の基礎となる人文社会科学から自然科学までの幅広く多様な学術研究の継承・発展
  • 研究成果の実用化や起業家人材の育成など、イノベーションを生み出すアイデアや人材を支えることによる、新しい産業の発展への貢献
  • 雇用創出や地域経済活性化を進める地方創生への貢献
などの機能を強化していく必要がある。

国立大学改革に関しては、ミッションの再定義等を踏まえ、平成25年11月に国立大学改革プランを策定し、第3期中期目標期間に向けての改革を加速させる施策を進めてきた。また、平成26年6月に成立した大学ガバナンス改革法も平成27年4月に施行され、大学のガバナンス体制が整った。

各国立大学には、旧態依然の大学運営では、厳しい国際社会の中で勝ち残っていくことができない、また、地域社会が求める人材育成を行っていくことができないことを自覚し、危機感を持って改革に臨んでもらう必要がある。

国立大学経営力戦略

このため、学長がリーダーシップとマネジメント力を発揮し、組織全体をリードしていくことにより、学問の進展やイノベーションの創出に最大限貢献する組織へと転換していただきたい。また、既存の枠組みや手法等にとらわれない大胆な発想の転換の下、産業構造の変化や雇用ニーズに対応した新たな分野の開拓や人材育成などを含め、自己変革・新陳代謝を図っていただきたい。

今般、第3期中期目標期間において、国立大学が期待される役割を果たし、その「知の創出機能」を最大化させるために、「国立大学経営力戦略」を策定した。

国立大学の経営力を強化するため、各国立大学においては、
  • 教育研究組織や事業等の見直し、将来ビジョンに基づく教育研究の戦略的機能強化
  • 人事システム改革による若手が活躍する組織への転換
  • 外部資金の獲得等、財源の多元化による財務基盤の強化
を進める必要がある。

これを支援するため、国においては、
  • 基盤的経費である運営費交付金を確保しつつ、自己改革に取り組む大学に対するメリハリある重点支援
  • 各国立大学の機能強化の方向性に応じた取組をきめ細かく支援するため、運営費交付金への3つの重点支援の枠組みの新設
  • 財務基盤の強化を促進するための規制緩和
  • 未来の産業・社会を支えるフロンティア形成のための「特定研究大学(仮称)」「卓越大学院(仮称)」「卓越研究員(仮称)」の創設
を行う。また、これらの大学改革を後押しするため、研究成果の持続的創出のための競争的研究費改革も併せて進める。

高大接続

我が国は、生産年齢人口の急減、労働生産性の低迷、グローバル化・多極化の荒波に面する厳しい時代を迎えている。世の中の流れは予想よりもはるかに早く、将来は職業の在り方も様変わりしている可能性が高いと言われている。そうした変化の中で、これまでと同じ教育を続けているだけでは、これからの時代に通用する力を子供たちに育むことはできない。

我が国が成熟社会を迎え、知識量のみを問う「従来型の学力」ではますます通用性に乏しくなる中、現状の高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜では、知識の暗記・再生に偏りがちで、思考力・判断力・表現力や、主体性を持って多様な人々と協働する態度など、「真の学ぶ力」が十分に育成・評価されていない。

先を見通すことの難しい時代において、生涯を通じて不断に学び、考え、予想外の事態を乗り越えながら、自らの人生を切り拓き、より良い社会づくりに貢献していくことのできる人間を育てることが必要。

このような現状を、高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の改革による新しい仕組みによって克服し、子供たち一人ひとりが、高等学校教育を通じて様々な夢や目標を芽吹かせ、その実現に向けて努力した積み重ねを、大学入学者選抜においてしっかりと受け止めて評価し、大学教育や社会生活を通じて花開かせるようにする必要がある。これは高等学校、大学、そして社会へと、一貫して子供たちを育てていくための改革。

昨年12月の中央教育審議会の答申も踏まえ、
  1. 「真の学ぶ力」を育成する高等学校教育の改革、
  2. 高等学校までに培った力を更に向上・発展させ、社会に送り出すため、3つのポリシーの一体的な策定や、アクティブ・ラーニングへの質的転換などの「大学教育の改革」、
  3. その両者を接続するものとして、知識量だけでなく「真の学ぶ力」を多面的に評価する大学入学者選抜の改革、具体的には、各大学の個別選抜の改革、高等学校基礎学力テスト(仮称)、大学入学希望者学力評価テスト(仮称)の実施
を本年1月に策定・公表した「高大接続改革実行プラン」に基づき一体的に進める必要がある。

文部科学省では、現在、この高大接続改革実行プランを推進するための具体的な方策等について、「高大接続システム改革会議」において検討を行っており、この夏をめどに、中間的なまとめを、年末をめどに、最終報告の取りまとめを予定している。

この高大接続の改革は、ただ単に大学入学者選抜の見直しにとどまるものではない。社会の大きな変化を見据えて、高等学校教育、大学教育を一体として見直す改革である。各国立大学におかれては、このような新たな時代に対応し、3つのポリシーの下に、入学者選抜の改革と、大学教育の質の改革を、引き続き先頭に立って進めていただきたい。

また、各国立大学においてどのような改革に取り組むのか、それに対しどのような支援策があればそれを後押しできるのかなど、各国立大学からの提案もいただきながら、着実にこの改革を進めていきたい。

第3期中期目標・中期計画について

また、来年度から開始する第3期の中期目標・中期計画の策定に資するため、去る6月8日付けで「組織及び業務全般の見直しについて」を各法人に通知した。

この通知に関して、報道では、「教員養成系や人文社会系の組織見直し」が特に取り上げられているが、各学長におかれては、この通知の内容を、先ほど申し上げた大学経営や大学教育といった改革の大きな方向性の中で受け止めていただきたい。

即ち、文部科学省としては、教員養成系や人文社会系の学問が重要でないと考えているわけでも、リベラルアーツよりもすぐに役に立つ実学を重視すべきと申し上げているわけでもない。特にリベラル・アーツについては、変化の激しい時代の中で、社会が抱える課題を解決していくなどのために必要な教養を身に付ける新しい教育を行っていく必要があると考えている。

先ほど、高等学校、大学、社会へと一貫した高大接続の改革について申し上げたことと関連して、未だ答えのない課題に向き合う力、先の予想が困難な時代を生きる力を育成するためにはどういう大学教育を行い、学生をどう鍛えるか、そのための組織、特に教員養成系や人文社会系は今のままでよいのか、という観点から、徹底的な見直しを断行していただきたいと考えている。

各法人におかれては、この通知を踏まえ、教育研究、そして経営の質的向上を図るため、自らの強み・特色や高い到達目標等を明示した、戦略性の高い意欲的な中期目標・中期計画を設定していただきたい。

国旗掲揚・国歌斉唱について

本年4月に、国会において、入学式・卒業式における国旗掲揚・国家斉唱について議論があった。

国旗及び国歌に関する法律」が成立してから15年が経過した。国旗と国歌は、いずれの国においても、国家の象徴として扱われている。

小・中・高等学校においては、学習指導要領に基づき、我が国の国旗と国歌の意義を理解し、諸外国の国旗と国歌も含めてこれらを尊重する態度を身につけることができるようにするために、入学式・卒業式においても、国旗を掲揚し、国歌を斉唱するよう指導している。

一方、大学の入学式・卒業式における国旗や国歌の取扱いについては、御承知のとおり、各国立大学の自主的な判断に委ねられている。

国旗掲揚や国歌斉唱が長年の慣行により広く国民の間に定着していること、また、平成11年8月に「国旗及び国歌に関する法律」が施行されたことも踏まえ、各国立大学におかれては、入学式・卒業式における国旗と国歌の取扱いについて、適切にご判断いただくようお願いする。


(関連報道)

国立大学協会 総会で国の方針に懸念相次ぐ(2015年6月16日NHKニュース)(抄)

入試改革や、人文社会科学系の学部の廃止を含めた組織再編など文部科学省の方針に懸念の声が相次ぎました。

学長からは最近の文部科学省の方針に懸念の声が相次ぎ、大学入試センター試験を廃止して新たなテストを導入する入試改革について、「方法論が先行して文部科学省自体に将来像がなく改革の目標が見えない」という意見が出ていました。

また、「地域や産業界のニーズに合わせた人材育成が求められている」として、教員養成系や人文社会科学系の廃止や転換を含めた組織再編を求める方針に対しては、「大学教育は職業に直結させるものではなく知のレベルを高めることが目的だ」という批判の声が上がりました。

国立大学協会の会長に再任された東北大学の里見進学長は、「人文社会科学系を廃止する流れは少し問題があると思っている。『社会の役に立つ』人材育成の議論が近視眼的で短期の成果を挙げることに性急になりすぎていると危惧する。今すぐ役に立たなくても将来的に大きく展開できる人材育成も必要だ」と述べました。

また、下村文部科学大臣が国立大学の入学式などでの国旗と国歌の取り扱いについて適切な対応を取るよう求める考えを示していることに関しては「大学では表現や思想の自由は最も大切にすべきもので、それぞれの信条にのっとって各大学が対応すると思う。萎縮しないよう頑張っていきたい」と話しました。