清成忠男さん(事業構想大学院大学学長)が書かれた
「学長選考方法と教授会の権限の検討」(リクルート カレッジマネジメント186/May-Jun.2014)をご紹介します。
今日、我が国の大学は教育研究の質的向上を求められている。そのためには、大学の的確な運営が不可欠であり、より良いガバナンスへの配慮が緊急の課題になっている。
ガバナンスの問題点
大学のガバナンスには様々な問題が存在している。ただ、最近クローズアップされているのは、大学に固有のガバナンス問題である。それだけに、大学の外からは理解し難い面を有している。
大学の組織は、通常の企業組織とはかなり異なる。組織の二重性である。まず、大学法人(国立大学法人、公立大学法人、学校法人)が設立される。この大学法人が大学を設置する。
大学法人の長は理事長である。大学法人によって設立された大学の長は学長である。国立の場合には、理事長と学長が一体化されており、学長と呼ばれている。公立と私立の場合には、学長と理事長を分離することが可能である。
したがって、大学は、大学法人の内部組織である。大学は、大学法人の主要な事業である教育研究を担う内部組織であり、相対的な独立性を有している。現場として、それなりに自己決定能力を有している。
さて、最近の議論において主要な論点とされているのが、学長のリーダーシップと選任方法等、教授会の機能と権限の明確化である。この小稿においても、この 2点に検討の対象をしぼることにする。
学長の機能・権限と選任
まず、学長の機能を、経営責任との関わりで確認しておこう。
学長は、大学の長である。学校教育法第92条は「学長は、校務をつかさどり、所属職員を総督する」と規定している。ただ、国立の場合には、学校教育法の規定する職務を行うとともに、国立大学法人法第11条によって「国立大学法人を代表し、その業務を総理する」ことになる。学長は、まさに経営の最高責任者であり、公立大学法人や学校法人の理事長に相当する。
また、地方独立行政法人法第71条の規定により、「公立大学法人の理事長は、当該公立大学法人が設置する大学の学長となるものとする」とあるが、学長を理事長と別に任命することができる。この理事長とは別に任命された学長は、副理事長となる。
さらに、私立においては、学校法人の理事長は学長を兼ねる場合もあれば、そうでない場合もある。ただ、私立学校法第38条の規定により、学長は理事となる。
このように、設置形態にかかわりなく、学長は経営者でもある。とりわけ国立の場合には、学長は経営のトップであり、教学の長でもある。公立の場合には、学長は理事長または副理事長である。私立の場合には、慶應義塾大学、早稲田大学、法政大学など理事長と学長を兼ねている例が少なくない。
問題は、学長・理事長一体化の場合における学長の経営者能力である。国立大学法人の学長は僅かの例外を除いて、学長は教育者・研究者出身である。経営者としての教育・訓練を受けていないし、経営経験も皆無に等しいという人物が殆んどである。公立や私立で学長が理事長を兼ねている場合も同様である。経営能力を欠いた学長が理事長を兼ねている場合には、大学間競争が激化している今日では、経営の悪化は避けられない。学長の経営力を補強するトップマネジメント・チームの形成が不可欠であろう。
それだけに、学長の選任方法の重味が増す。かつてのような選挙方式は無意味である。国立においては、国立大学法人法第12条の規定により学長候補者は「学長選考会議」において選ばれる。「学長の選考は、人格が高潔で、学識が優れ、かつ、大学における教育研究活動を適切かつ効果的に運営することができる能力を有する者」のうちから選ぶことになる。もはや教員による選挙方式は採用されないが、教員の意向調査を行い、その結果を選考会議において参考にするという方式は経過的にはあり得る。ただ、意向調査も、学長選考にはなじまない。学長選考は、教職員の代表を選ぶことを意味しない。議会議員のように、市民の代表を選ぶわけではない。組織の長を選ぶのであり、同時に経営者を選ぶことに他ならない。労働者自主管理にも似た学長選挙が望ましくないことは明らかであろう。
こうした学長選考の考え方は、公立大学や私立大学についてもあてはまる。ただ、私立大学においては、依然として学長を選挙方式で選ぶ例が少なくない。
中央教育審議会大学分科会組織運営部会「大学のガバナンス改革の推進について(審議まとめ)案」(2013年12月)においても、次のように指摘されている。
「一部の国立大学等では、その内部規則等において、法人化以前と同様に、実質的に教職員による意向投票の結果をそのまま学長選考に反映している場合も見られる。しかしながら、学内外から幅広く人格識見共に優れた人材を学長に登用しようとする法制度の趣旨からして、過度に学内の意見に偏るような選考方法は適切とは言えない。」
ここには、法人化後の学長選考方式の積極的な意義が述べられている。ただ、問題は、現在の我が国に学長適任者が社会的に蓄積されているとは思えない。現行の選考方式は、必ずしも的確に機能しているとはいえない。
なお、私立大学については、経済同友会「私立大学におけるガバナンス改革」(2012年3月)が、次のように述べている。
「大学(学校)のガバナンスは、学長又は、学長をトップとして学部長などで構成される学部長会議において、教育・研究やその他校務に関する事項が決定され、このうち、学校法人の経営に関するものは理事会に諮られる。しかし、学長は教員による選挙で選ばれるため、教員の意に沿わない改革、例えば人事評価制度の導入や学部の改廃等は行い難い。学長による改革の強行は、次の学長選挙においてマイナス材料となる。」
この指摘は学長選挙の問題点を明らかにしている。こうした問題の解決のために、次のように述べている。
「執行部門のトップである学長に、教育と研究に関する権限と責任を付与することが望ましいとの観点から、理事会が大学(学校)の最高執行責任者である学長に、大学(学校)における教育・研究に関する人事権・予算配分権を与える。」
以上のような経済同友会の見解にも一理はあるが、問題は教学部門のトップである学長のマネジメント能力ではあるまいか。現行の学長選考制度の下でも、学部の改廃を進めた例は少なくない。筆者自身も、法政大学の総長・理事長時代に2学部の廃止を含む4学部の設置を2年間で実施した。選挙制度の下でもこれが可能になったのであり、多くの教職員の協力の結果でもあった。筆者の3期目は無投票当選であり、選挙制度は事実上空洞化した。
逆に、制度を変え権限を与えても、学長にマネジメント能力が欠如すれば、改革は進まない。
この点と関連することであるが、設置形態にかかわらず、学長を学外から公募してはどうかという提案がある。だが、学長適任者が社会的に蓄積されていない現状では効果は期待できない。学長を経験してみたいという希望者が応募するだけであろう。また、大学の教育・研究を十分に理解していない経営者が応募するというマイナス面もある。むしろ、数少ない学長適任者をスカウトする方が望ましい。
いずれにしても、学長適任者を育成する仕組みを、大学界を超え、各界との協力を得て確立すべきであろう。
教授会の機能・権限の明確化
このところ、教授会の権限に関する議論が活発化している。
学校教育法第93条は、「大学には、重要な事項を審議するため、教授会を置かなければならない」と規定している。この規定において、「重要な事項」とは何か、「審議する」といっても、どこまで決定権が含まれるのか。現実の運用は、慣習に依存している。したがって、実態は様々である。
中央教育審議会「大学のガバナンス改革の推進について(素案)」(2013年11月)は、次のように指摘している。
学校教育法第93条は、「大学の特質を踏まえて『重要な事項』の詳細を規定せずに、各大学の裁量に委ねているが、その解釈については、教授会が、学校教育法に基づいて設置されている機関であることに立ち返って考える必要がある。そもそも学校教育法は、教学面を規定する法律であり、国立大学法人法や私立学校法等のように経営面について規定するものではない。したがって、学校教育法に基づいて設けられた機関である教授会の審議事項に、当然に教育研究に関することに限られると解される。」
ただ、教育研究に関する事項と経営に関する事項を明確に峻別することが困難な面がある。また、本来学長や理事会に最終決定権がある事項でも、教授会の議決によって否定されることがあるという。そこで、「学校教育法に規定する、教授会が審議すべき『重要な事項』の具体的な内容として、①教育課程の編成、②学生の身分に関する審査、③学位授与、④教員の研究業績等の審査等については、教授会の審議を十分に考慮した上で、学長が最終決定を行うことが望ましいと考えられる。」
これが新聞等で話題になった教授会の権限の明確化である。
また、私立大学について、経済同友会は前掲の報告書において、「大学の場合、教育・研究に関する事項と経営に関する事項が重複していることが多いため、教授会による経営事項への関与が日常的に行われている。」と指摘している。こうした問題の解決策として次のように述べている。
「教授会の本来的機能・役割とは、大学(学校)における教育・研究上の重要な事項に関して、学長、学部長が現場を担当する教授たちの意見を聴取する機会を提供することであり、また、理事会や学長、学部長会議等での決定事項を情報共有する場でもある。学長は、教授会で聴取した様々な意見を自らの判断で大学の運営に適切に反映させることができる。その点では、教授会は学長の諮問機関的な役割を担っているとも言える。」
さらに、教授といえども、雇用契約の下で従業員としての側面も当然にあり、組織運営においては原則として学長や学部長の指揮命令系統下に置かれるべきであると指摘している。
さらに、自由民主党日本経済再生本部「大学ガバナンス改革に向けての提言(案)」(2014年3月)も、教授会を次のように位置づけている。
「教授会が事実上の決議機関ではなく、学長の諮問機関としての位置づけを明確にするため、学校教育法第93条を以下のように改正。『大学には、教育及び研究に関する学長の諮問機関として教授会を置く。』」
改正理由として5点を挙げている。
①これまで通り教授会が予算配分や人事など大学運営の大半に関する決定機関であり続けると、学長がリーダーシップを発揮できない怖れが大きい。
②経営側と教授会側の役割分担、意思決定プロセスが不明確。トップが学内全体を統治(ガバーン)すべき事が明らかにされていない。
③中教審・組織運営部会には現職大学教授も多く、教授会の「諮問機関化」への慎重論が多い。
④教授会が学長の諮問機関となっても、教授会において諮問案件以外の議題を議論できない事はない。
⑤戦後60年余り、「審議」を「決議」として実態的に運用してきた教授等の意識改革の実現こそ決定的に重要で、そのためには教授会は「諮問機関」とすべきである。
この自由民主党案は、前述の中央教育審議会の審議取りまとめを踏まえた政府の学校教育法・国立大学法人法改正の原案を検討したうえで取りまとめられたものである。政府原案が教授会を「教育研究に関する専門的な観点から重要な事項を審議する」機関と位置づけた。これに対して、自由民主党は教授会から意思決定機能を排除し、「諮問機関化」を強調したのである。
なお、国立大学の学長選考についても、自由民主党案は、学内の「意向投票」を強く否定している。
いずれにしても、政府、経済界、自由民主党のいずれも、若干の違いはあるものの、大学改革を加速化するために、学長の権限の強化、教授会の役割の縮小という方向では一致しているようである。
大学ガバナンス改革の問題点
大学のガバナンス改革の論点は、学内に関する事項と学外に関する事項に大別できる。前者の中心は、経営側と教授会との関わりである。後者は大学と外部のステークホルダーに関わる問題である。
この小稿では、主として前者について述べた。問題は、学長適任人財が社会的に不足しているという事実である。いま一つは、従来の議論がともすれば経営側と教授会の対立を強調し過ぎるという傾向が問題である。
たしかに学長のリーダーシップは重要であるが、学長に権限を付与する制度を設けさえすれば良いというものではない。学長に資質や能力が欠けていればリーダーシップは発揮できない。学長育成システムを学内及び大学界において整備すべきであろう。有能な学長が数多く登場し、流動化するといった状況の創出が望ましい。
また、教授会のあり方の見直しは当然である。だが、教授会は、教育・研究の担い手である教員の組織である。
教育・研究の改革に主体的に取り組むのは、教授会メンバーに他ならない。したがって、彼等の改革意欲を重視しなければならない。だが、これまで教授会への批判が過ぎ、教授会は「諸悪の根源」だといった見方すら散見される。経営側からの一方的な「上意下達」といった発想で教授会を「諮問機関」化したのでは、教育・研究の改革は覚つかない。経営側には、教育・研究についての洞察と深い理解が不可欠である。この点が、企業経営とは決定的に異なる。
教育・研究のプロである教授会メンバーの力をいかに引き出すかが経営側の能力である。教授会が活力を失い、教育・研究の能力が低下し、自治能力を欠いた場合には、経営側が外から刺激を与えることが必要になろう。人事の公平性に配慮し、教員評価や任期制なども教員能力の質保証の手段になりうる。
教育・研究を主要な事業とする大学の的確な運営は、経営側と教授会の密接な協力・協働によって初めて可能になる。経営側が強い権限を有し、教授会を「諮問機関」化すれば的確な大学運営が行われるわけではない。逆に、教授会が自己保存本能によって改革を拒否し、経営の足枷にならないよう教授会メンバーに自覚が求められる。そうした自覚を欠き、改革が低迷すれば、被害を受けるのは学生である。
他方、経営側の能力向上も、重要な課題である。前掲の経済同友会の報告書も、経営側に甘く、教授会に厳しい。しかし、レベルの高い経営を行っている大学法人は必ずしも多くない。成功した企業経営者が大学法人の理事長に就任したからといって、レベルの高い経営が実現するとは限らない。むしろ、教授会とトラブルを起こすケースが少なくない。
なお、学外のステークホルダーに対するガバナンスについては、別の機会に検討する。