2021年1月15日金曜日

記事紹介|政権が操る大学政策

 (1/)14日の一部朝刊で、地方国立大学の定員増が2022年度にも認められることが記事になっていた。既に7日の時点で「抜いた」社もあった。気になるのは、主語が「文部科学省」であることだ。

もちろん今後は文科省側で要件を検討し、国立大学の中期計画の変更を認可することによって定員増が認められる。最終的に文科省が決める、ということに間違いはない。

事情を知る者が一部報道をよく読めば区別できようが、一般読者にはあくまで文科省が方針転換したと受け止めるだろう。しかし、そもそもの主語が違う。

14日の報道は、前日に開かれた中教審の大学分科会を受けたものである。しかし、この議題が同分科会に掛けられた昨年9月の段階で永田恭介分科会長(筑波大学長)は「われわれがここで述べなければいけない意見は、増員に賛成か反対かということではなくて」と、極めて消極的な姿勢から議論を始めている。

それもそのはずで、そもそもの出どころが「文科省」の方針ではない。20年7月の骨太方針に「地方国立大学を含めた定員増」が盛り込まれてから、内閣官房の検討会議で議論されてきた。13日の会合でも、12月21日閣議決定の「まち・ひと・しごと創生総合戦略」や同22日の検討会議取りまとめが報告された上で「今後の流れ」が既定方針として示されている。

「まち・ひと・しごと」といえば、16~19年度に大都市圏の私立大学で入学定員が厳格化された。それによって確かに地方私大では定員充足率が上がったが、有名大学の難易度が上がるなど受験生にとっては混乱もあった。

大学の規模に関して中教審は18年11月に「2040年に向けた高等教育のグランドデザイン」答申をまとめているが、これが政府方針を左右した形跡は全くない。加計学園の獣医学部問題と同様、いずれも官邸主導で進められたものだ。

もちろん、地方国立大学の定員増に反対しているわけではない。ただ、デジタルトランスフォーメーション(DX)だのSTEAM(科学、技術、工学、芸術、数学)だの余計な条件が付いていることを見逃してはならない。けちをつける必要はないかもしれないが、問題は文科省や大学関係者とは別のところから「改革」が迫られているという点である。

首相の座が替わっても、アベ=スガ政権の本質は変わらない。既に政権に陰りがみられるにもかかわらず、各官庁は委縮した行政運営を余儀なくされている。「文科省」を主語にしたとたん、その本質が覆い隠されてしまいかねない。

出典|【池上鐘音】改革の「主語」: 教育ジャーナリスト渡辺敦司の一人社説

記事紹介|大学のオンライン教育について考える

世界の大学において、コロナ禍で否応なくオンライン教育が進んでいる。我が国では、後期には対面授業を増やそうとしたが、第2波の感染拡大により、リスクを避けて、オンライン教育の割合が維持されているようである。一部の例外を除いて、大学による情報公開が不十分なので、実態はいまだ藪の中である。その中で、国立情報学研究所によるオンラインの研究会(シンポジウム)が、この1月14日までに24回も開催されて、大学間の情報交換の場になっているのは、特筆すべき貢献であろう。これまでに認識されている課題、今後の課題、やや長期の将来的な課題について、私なりに整理してみたい。

まず、これまでの実施状況に鑑みての課題である。先進的な大学において、解決策を模索する試みが行われており、その成果が、後続の心ある大学に生かされることが期待される。

第1に、大学ごとの学生の能力、環境、気質による違いを踏まえた授業の工夫である。一般的には、自学自習の能力が高い学生であれば、オンライン教育の成果は、対面授業と同レベルと考えて良さそうである。演習を含めて、遜色がないとの報告もある。ただ、学生同士で教えあう機会が減った関係で、仲間と学ぶスタイルを好む学生には、孤独な学習が負担になっている。結局、オンライン教育を実りあるものにするためには、個々の学生の学習支援を今まで以上に丁寧に行う必要がある。学生の学習ICT環境への支援も大学によって大きな違いがあるようだが、最低限の環境の確保は無視できない課題である。

第2に、オンライン教育の得失を分析して、欠点を補う取り組みをすることである。対面授業との最大に違いは、学生が集中して聴いているのか、内容を理解しているのか、反応が得にくいことである。極端な場合は、学生がパソコンの前に居ないかもしれない。重要なポイントを追加で提示する、クイズを出して回答させる、簡単な作業をさせる、チャット機能で質問を受けるなど、双方向性を生かして、学生に能動的な参加を促す試みがなされているが、Zoomなどのツールを使用していない教員は、こうしたことが全くできていないだろう。

第3に、教員及び学生への技術的支援である。先進的な大学は、教員のスキルアップに関して、当初の段階で注力している。これが中途半端だと、オンライン教育とは名ばかりの授業が増えてしまう。また、授業開始後も、適宜、技術的な問題を解決するためのヘルプデスク機能が重要である。これがしっかりしている大学は、学生にとっても安心できる。教員への支援が充実した暁には、学生への技術的支援(環境整備への援助を含む)への取り組みをレベルアップさせる必要があろう。我が国の大学は、技術を提供するスタッフが非常に手薄で、負担が一部の若手の教員へ集中しているので、中期的には技術サービス業務部門を整備することが望まれる。

第4に、教員のICTスキル格差の解消である。コロナ禍への対応で、短期間にオンライン授業を立ち上げる必要があったために、スキルの低い教員については、初歩的な手法による遠隔授業(厳密にはオンライン授業とは言えない)を認めざるを得なかった事情がある。多くの大学からの情報公開が不十分なのは、こうした状況を白日の下にさらしたくない学内事情があるものと考えられる。

第5に、統一的なデジタル教科書による教材の利用など、教材の利用システムの整備である。大阪大学等では、こうしたシステムが整備されているが、多くの大学では、教材の提示は個々の教員に委ねられているために、学生にとっても、学習資源の管理が煩雑であろう。また、大学機関として、著作権法を含むコンプライアンスの遵守への取り組みができない状況となっている。SARTRASの発足により、オンライン授業で利用する著作物については個別の許諾が不要となったが、著作者の権利を不当に害する行為は違法である。個々の大学教員が、そうした認識を持って、きちんと行動しているとは限らない。

次に、まだほとんど着手されていない今後の課題について整理してみたい。

第1に、試験の公正性の担保である。恐らく、大半の授業ではレポート提出などの方法で代替しているものと思うが、きちんとした評価をするには、オンラインによる試験を実施することが求められる。これには、学生が自らの力で答案を作成していることを確認できるシステムが必要である。そうしたシステムを開発し、普通に使用している国もある。

第2に、授業の内容自体の改善である。オンライン教育への切り替え時には、対面授業で行っている授業を、通信を介して自宅にいる学生に伝えることが目標になっていた。しかし、その対面授業自体に、お粗末なものが含まれていた可能性があり、一部の学生からは、単なる知識の切り売りのような授業は無用であるとの批判の声がある。オンラインの特性を生かした教育の開発が急がれる。この取り組みは、教育コンテンツの多角的な利用にもつながるので、経営的な意義が高い。もっとも、そのことに気が付いて、いち早く実行する経営者の見識次第である。

第3に、大学全体のDXの観点からの改革との連動である。教育コンテンツを含む情報資源の利用の利便性と安全・安心の確保、窓口機能のバーチャル化など業務効率化(働き方改革)が進むことが、オンライン教育の一層の推進には必要になってくる。コロナ禍を契機としたオンライン教育は、デジタル化の最初の1ページに過ぎず、大学のDXというより大きな文脈の一つの局面だと捉えるべきだろう。いわば、大学にとって、デジタル化は歴史的な転換点であり、大きなビジョンの一環として、オンライン教育を検討すべきである。

第4に、個々の学生に寄り添った分析に基づく教育サービスの提供である。ICTを活用すれば、学生の属性、履修状況、理解度など、個々の特性に着目して、学習指導が可能になっている。それゆえ、オンラインを活用して、個々の学生へのきめ細かい教育サービスをいかに行うかという課題は、避けて通れなくなっている。この点で、真に面倒見が良い大学かどうかの評価が決まってくるだろう。

第5に、オンライン教育の充実が進むほど、大学というリアルな環境の価値を復活させる取り組みが必要になる。コロナ禍がワクチン接種による集団免疫の獲得で一応の収束を見た後に、学生がリアルな大学に戻りたいと思うのか、必ずしも自明ではない。特に、オンライン教育による授業料の低廉化を求める声も強いので、そうした新種の大学システムとの競争が起こることも十分考えられる。近未来に、オンライン教育の環境を生かして、我が国でも、ミネルバ大学のような学習者本位の教育が行われるかもしれない。既存の大学は、キャンパス生活の魅力をアピールすることで、差別化を主張することになるだろう。

第6に、大学(学部・学科)による体系的な教育の確立である。学位プログラムとして一貫性のある教育コースを構築する取り組みはすでに行われているが、多くの大学では教育活動は、個々の教員に委ねられている傾向がまだ強い。その弊害は、各方面からも指摘されており、オンライン教育によって授業内容が可視化されていけば、教育システムの構造改革は避けられないだろう。

第7に、オンライン教育の授業自体をデジタルコンテンツとしてアーカイブ化して利用することである。履修学生の復習用として録画視聴を可能にしている大学はあろう。それを越えて、質の高い授業コンテンツは、反転授業としての利用、他学部生や社会人向けのコースへの活用など、学習資源として多角的に利用することが考えられる。

最後に、中期的な観点から、将来へのビジョンとして検討が必要な課題を挙げてみたい。

第1に、授業料の価格体系の見直しである。前述の通り、オンライン教育により授業料を抑えた大学への期待が高まっている。特に、社会人のリカレント教育(リスキリングを含む)には有力な武器になると考えられる。本格的には、法改正が必要だが、遠くない未来に議論がなされると期待してもよいのではないか?

第2に、大学の地理的環境の相対化である。学生がどこにいても授業が受けられるなら、大学の所在地に大きな意味はなくなる。あるいは、特色を生かした授業を、大学キャンパスの枠を超えて提供し合うことも考えられる。学生自身は移動しなくても、オンラインで受講できるようになる。学生にとって、大学というより、魅力のある授業を提供できる個々の教員の価値が高くなる。

第3に、既存の大学施設が余剰になる。オンラインで学習する学生がキャンパスに来ないなら、設置基準の合理的な緩和が求められるだろう。今後は、施設整備よりは、デジタル学習環境への投資を進めることになるだろう。図書館についても、しかりである。

第4に、デジタル化という流れの中で、思い描く大学像を思い切ってリセットするのか、過去からの蓄積を重視して生き残ろうとするのか、大学は、大きな岐路に立たされている。これこそ、大学経営にとって最重要命題であり、選択によっては消滅の危機に瀕する大学もあろう。大学業界は、長い歴史を有する老舗が主流を占め続けているが、逆に淘汰が遅れて、社会の期待に応える人材の供給が十分とは言えない。リセットは、新たな参入者にしか期待しえないかもしれない。

出典|大学のオンライン教育への対応はどこまで進んでいるか?:|NUPSパンダのブログ