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記事紹介|国立大学が「改革疲れ」で身もだえしている

憲法23条は、誰のために「学問の自由」を保障しているのだろうか。 直接には「学問をする人」、つまり学者や研究者を対象にした条文だ。だがその土台には、自由に支えられた学術の進展こそが、広く社会に健全な発展をもたらすという思想がある。 明治憲法には学問の自由の保障はなかった。戦前、時の政権や軍部は一部の学説を「危険思想」「不敬」と決めつけ、学者が大学から追われるなどの弾圧が相次ぐなかで日本は戦争への坂道を転げ落ちていった。 法人化が影を落とす その歴史への反省が、現行憲法が独立の条文で学問の自由をうたうことにつながった。 具体的な表れが大学の自治である。 教員人事や研究・教育内容の決定、構内への警察立ち入りの制限などで、大学が公権力を含む学外の勢力から独立し、自主・自律を保つ。学問の自由はそれらの自治を保障している。 日本は戦後、科学技術をはじめ学術が花開くにつれ、経済発展を果たした。学問の自由に関しては、憲法の理念が実を結んだように見えた時期もあった。 ところがいま、大学、とりわけ税金に頼る割合の高い国立大学が身もだえしている。 発端は、2004年に実施された国立大学の法人化だ。 経営の自由度を高め、時代の変化に対応できる大学への脱皮を促す。文部科学省はそう説明する。 しかし背景に透けて見えるのは、少子高齢化と財政難のなかで、競争強化によって大学のぬるま湯を抜き、お金をかけずに世界と渡り合える研究水準を維持したい。そんな思惑だ。 実際には多くの大学で「改革疲れ」が起きた。 主体的に議論し、自ら描いた将来像に向けて改革を着実に進めるというより、文科省の意向を探り、それに沿って上乗せ予算を確保しようとする動きが広がった。情報収集などの名目で官僚の天下りを受け入れた大学もあった。 日本発の貢献が低下 国立大学の自治は、資金の面からも揺さぶられている。 政府は人件費や光熱費、研究費などの「運営費交付金」を毎年1%ずつ減らす一方、応募して審査を通れば使える「競争的研究資金」を増やしてきた。 だが、世界の主要学術誌への論文で日本発の貢献は質、量とも減り続けている。中国など新興国が伸び、欧米先進国は地位をほぼ維持している状況でだ。 次々に生まれる新たな学問領域への参入も限られ、貢献分野が狭まりつつある。 運...

記事紹介|がんとの共生を妨げる負の連鎖を断ち切る

「がん対策は進んでも理解は深まっていない。だから、政治家があんな発言をする」 「がんになってもより良く生きる『共生の時代』になったことが、知られていない」 自民党の大西英男衆院議員が、受動喫煙対策をめぐる党会合で、たばこの煙に苦しむがん患者に関して「(がん患者は)働かなくていい」とやじを飛ばしたことに、本県の患者の落胆は深い。 がん医療は、2006年成立のがん対策基本法を契機に大きく進歩。医療機関の整備などが進み、患者の長期生存や通院での治療が見込めるようになってきた。 昨年12月に成立した改正法は「患者が安心して暮らせる社会の構築」を掲げ、治療と仕事が両立できる環境整備の推進や、がんへの理解促進を打ち出している。 がん対策の歩み、患者の置かれた状況に無知をさらけ出した大西議員。謝罪したが、発言は撤回しないという。厚顔無恥ぶりにはあきれる。 仕事を続けているがん患者は推計32万5千人。職場への気兼ねなどで退職する患者は多い。改正法は事業主に、患者の雇用継続への配慮を求めている。だが、内閣府の世論調査では、治療と仕事を両立できる環境が整っていないとの回答が6割を超えた。 政治家は率先して、がん対策の現状を知るべきだ。患者の痛みを敏感に受け止め、受動喫煙対策を含めた就労支援などの充実が求められる。 4月には、山本幸三地方創生担当相が「(観光振興の)一番のがんは文化学芸員。この連中を一掃しないと駄目」と発言した。文化財への無理解はもとより、がん患者への配慮を欠いたとして批判を浴び、撤回し謝罪した。 がんの例えが、どれだけ患者を苦しめるか。米国の批評家、故スーザン・ソンタグ氏の名著「隠喩としての病い」(1978年)に詳しい。 近代の全体主義で、ユダヤ人はがんに例えられ、除去せよと言われたことなど、古今東西の言説を引き合いに「ある現象を癌(がん)と名づけるのは、暴力の行使を誘うにも等しい。…この病気は必ず死にいたるとの俗説をさらに根強くしたりもする」と指摘する。 無知、無理解に基づく発言が患者を傷つけ、安直ながんの例えが偏見を強め、患者と社会を分断する…。大西発言と山本発言は、がんとの共生を妨げる負の連鎖の典型例を示したと言える。 私たちは「こんな政治家こそがん」との形容は慎まなければならない。近年は多くのがん患者が、自らの闘病...

記事紹介|人間を利益を生み出す道具のように評価しとり扱う態度

人間の価値は稼ぐ力で決まるのか。重い問いを巡る裁判が東京地裁で始まりました。障害の有無にかかわらず、法の下では命の尊厳は平等のはずです。 2年前、東京都内の松沢正美さん、敬子さん夫妻は、15歳の息子和真さんを福祉施設での事故で失いました。重い知的障害のある自閉症の少年。施設から外出して帰らぬ人となって見つかった。 その損害賠償を求めた訴訟が動きだし、最初の口頭弁論でこう意見を述べました。 逸失利益ゼロの衝撃 「過去の判例や和解は、被害者の収入や障害の程度によって加害者に課せられる賠償額に差をつけてきましたが、到底納得できません。不法行為に対する賠償は、当然、公平になされるべきです」 施設側は事前の交渉で、事故を招いた責任を認めました。けれども、提示した賠償額は、慰謝料のみの2千万円。同年代の健常者の4分の1程度にすぎなかった。 障害を理由に、将来働いて稼ぐのは無理だったとみなして逸失利益をゼロと見積もったのです。慰謝料まで最低水準に抑えていた。 逸失利益とは、事故が起きなければ得られたと見込まれる収入に相当し、賠償の対象となる。 同い年の健常者と同等の扱いをと、両親が強く願うのは当然でしょう。男性労働者の平均賃金を基に計算した逸失利益5千万円余をふくめ、賠償金約8千8百万円の支払いを求めて提訴したのです。 同種の訴訟は、実は全国各地で後を絶たない。なぜでしょうか。 最大の問題は、逸失利益という損害賠償の考え方に根ざした裁判実務そのものにあるのです。高度経済成長を背景に、交通事故や労働災害が増大した1960年代に定着したと聞きます。 司法界の差別的慣行 死亡事故では、生前の収入を逸失利益の算定基礎とし、子どもら無収入の人には平均賃金を通常は用います。ところが、重い障害などがあると、就労は困難だったとみなして逸失利益を認めない。 人間は平等の価値を持って生まれてくるのに、不法行為によって命を絶たれた途端、稼働能力という物差しをあてがわれ、機械的に価値を測られるのです。重い障害のある人はたちまち劣位に置かれてしまう。 逸失利益を否定するのは、生きていても無意味な存在という烙印を押すに等しい。昨年7月、相模原市で多くの障害者を殺傷した男が抱いていた「障害者は不幸を作ることしかできない」という優生思想さえ想起させます。 ...

記事紹介|人は命令では動かない

多くの人がカン違いしているのだが、「おれのいうことを黙って聞いていればいい」という日本でありがちなリーダーのやり方は、決して「トップダウン」ではない。 では、真のトップダウンとは何か。 情報を隠すことなくオープンにしてすべての人と共有すれば、誰もが同じ判断にいたる。 すべての情報を上から下まで共有することで、誰もが同じ判断のもとで動き、社が一丸となって同じ目的に邁進する状況をつくり出せる。 その上で、早い判断をしていく「トップダウン」なのである。 アブラショフ氏は、艦長時代、同じようにすべての情報を部下に対して開示し、情報を共有した。 無線で上司と話をするとき、全艦にそのやりとりをオープンにして部下に聞かせた。 上司を説得してくれと、部下たちは手に汗を握りながら聞いていただろう。 説得できなければ、「残念だな!」となるし、うまくやったら全員がワ―ッと声を上げ、手を叩いて喜ぶ。 その一体感が、全員の士気を上げ、艦全体を盛り上げていったのである。 アブラショフ艦長は、与えられた環境を最大限に活かし、味方につけていく天才であり、同時に艦の成果を何倍にもする素晴らしいリーダーであった。 日本のリーダーシップのあり方というのは、いまだ「GPS指導型」が主流だ。 「ホウ・レン・ソウ」、つまり「報告・連絡・相談」を重視する。 「現状を報告しなさい」「では、まずこの問題に、このように対処して、できたらまた報告しなさい」といった調子で、上司はさながら部下の「GPS」であるかのように、現在地点から次のステップへ行く方向も、手順も、すべて導いてしまうのである。 部下は「GPS」にしたがうだけ。 みずから考えて行動する機会を与えられず、答えだけを知ってしまう。 その仕事で成果を出したとしても、なにも学べず、なにも身につかない。 まさに「指示待ち人間」を一生懸命につくり出しているのだ。 本来、リーダーシップとは、「AI育成型」であるべきなのだ。 「AI」とは文字どおり、「人工知能」のこと。 人工知能は、そこに人間が知識を詰め込んだだけでは、人工知能たり得ない。 知識をもとに、AI自身に「学習」させるというプロセスを踏む必要がある。 人間も同じなのだ。 その仕事に明確な正しい解があるなら、マニュアル化し...

記事紹介|そんな大学に、国民の血税から投資を増やしますか

教育無償化政策の哲学 思うに、教育の無償化に代表される投資増加策の根本にある発想は大きく二つでしょう。一つは、21世紀という時代が知識や情報が人々の生活に直結する時代であるということ。この時代には、教育にこそ投資をし、教育の機会をこそ均等にすることが国家の興隆にも、格差の是正にも最も効果があるという発想があります。この大きな時代認識は、おそらく正しい。現に主要国のほとんどが類似の発想と政策にたどり着いています。 もう一つは、少子高齢化社会の人口構造の下で、日本が高齢者の発想に引きずられた社会となっていることへの危機感でしょう。シルバー・デモクラシーにおいて圧倒的な多数派を形成している高齢層の有権者は高齢者福祉の減額を許容しません。高齢化社会の弊害が叫ばれてすでに何十年も経っていますが、改革の必要性が叫ばれても、実際の改革はほとんど前に進まないわけです。 教育への投資増加を訴えるウラには、そんな膠着状態に風穴を開けたいという願望があり、それは正しい思いであると私も思います。ただ、結論から言うと、現在の日本の制度における、①義務教育以前の幼児教育、②義務教育以後の高校教育、③大学や大学院などの高等教育、のうち、①や②の無償化には賛成でも、③の無償化には反対というのが私の考えです。 大学教育の無償化には反対 では、何故に大学教育の無償化には反対なのか。理由は大きく3つあります。第一は、高卒で働く者との間の不公平を正当化できないからです。現在の日本の大学進学率は約5割です。これを高いと見るか低いと見るかは論者によって異なるでしょうが、現に、国民の半分しか大学には行っていません。そんな中で、大学教育を無償化することは、高校を卒業して働き納税もしている層から、大学へ通っている層へと所得移転することになります。子女が大学に通っているのは相対的には恵まれた層ですから、何とも頓珍漢で不公平なことではないでしょうか。 推進論者からは、大学を無償化することですべての人が大学に通えるようにしたいのだと反論があるかもしれません。この点については、すべての人が高等教育を受ける必要があるかという点に帰着します。少々乱暴に言ってしまえば、文系にせよ理系にせよ、大学教育の意義は抽象思考を養うか、専門教育を施すかのどちらかです。抽象思考とは、高校までに身に着けたその時代なりの「...

記事紹介|民衆の憎しみに包囲された軍事基地の価値はゼロに等しい

沖縄は5月15日、本土復帰45年の節目を迎えた。基地問題をめぐり、亀裂が深まる「本土」との関係修復は可能なのか。 5月初めの沖縄は、梅雨入り間近を予感させる特有の湿気をまとっていた。静寂が覆う密林地帯。うっそうとした茂みの中で、そこだけが柔らかな光に包まれていた。献花台を埋め尽くす花々やお菓子、ぬいぐるみ、ペットボトル……。数日前、この現場で一周忌の法要が営まれた。 元海兵隊員の米軍属による暴行殺人事件が発生したのは昨年4月29日。犠牲者は20歳の女性会社員だった。自宅近くでウォーキング中、事件に巻き込まれた。 一周忌の法要で女性の父親は、遺体が遺棄された雑木林に向かって、娘の名前を何度も呼び、「一緒に帰るよ」と呼び掛けた。父親は4月27日、書面で現在の心境を明らかにしている。 「今なお、米兵や軍属による事件事故が相次いでいます。それは沖縄に米軍基地があるがゆえに起こることです。一日でも早い基地の撤去を望みます。それは多くの県民の願いでもあるのですから」 献花台のすぐ近くを通る県道104号線は、「キセンバル闘争」で知られる反基地闘争の象徴的な場所だ。復帰翌年の1973年から97年まで180回にわたって実弾砲撃訓練が繰り返された。その都度、県道は封鎖され、砲弾が着弾地の山肌をえぐり続けた。 森の奥から響く射撃音 復帰は間違いだったか 森の奥から乾いた射撃音が響く。一帯は米軍演習場のレンジが幾重にも連なる。この演習場内の工事現場で、工事車両や水タンクが破損し、車両付近や水タンク内から銃弾のような物が見つかったのは、つい先月のことだ。5月2日、沖縄県議会が原因究明や再発防止を求める抗議決議と意見書を全会一致で可決した。 こうした異常な出来事が、沖縄では日常的に起きる。演習場周辺の民間地への被弾などは今回を除き復帰後27件繰り返されているが、日米地位協定の「壁」に阻まれ、いずれも立件には至っていない。ほかにも、復帰後の米軍機の墜落・不時着は709件、米軍関係者による事件は5919件、事故は3613件(昨年末現在)に上る。 敗戦と占領の残滓が色濃くにじむ沖縄で、復帰は何だったのか、との問いが繰り返されるのは必然といえる。「祖国復帰運動」は、基本的人権や平和憲法を明記した「憲法の下への復帰」がスローガンだった。 「だれもが評価する『戦争放...

記事紹介|日本の大学は、ゆでガエル状態

「高大接続」という言葉が独り歩きしている。目まぐるしく変わる世界で、私たちの子どもはどんな力を求められるのか、それにふさわしい教育を創っていこう。そんな思いで始めた改革だったが、その方向に進んでいるのだろうか。議論を進めてきた責任者の一人として、改革に込めた思いを語りたい――中央教育審議会会長として改革を世に送り出した安西祐一郎氏が語り始めた。 ◇ 心のスイッチを切り替える 先日、人工知能の性能を競うコンテストで審査委員長を務めた。料理の写真を見て、人工知能に料理名を当てさせるのだ。 人が料理の写真を見てその名前を当てるときには、画像だけでなく、今まで食べてきた経験がものをいう。だが、料理を食べたことも、作ったことも、買ったこともない人工知能が、写真を見せられただけでその料理の名前を当てられるものだろうか。5月22日に大阪で開かれる人工知能のシンポジウムで表彰式が行われるので、結果は次回に譲るとしよう。 人間はその経験に横串を刺し、知識として体系化し、さらに枝葉をどこまでも広げることができる。人工知能は、いったいどうすれば「多様な経験を積む」ことができるのだろう? 多様に広がる世界の情報にどうやって「横串を刺す」ことができるのだろう? これらの問いへの答えは、まだ出ていない。 人工知能にまだできない多様性への対応こそ、主体性と並ぶ「2045年の学力」の大きな柱だ。 一瞬で情報が地球の裏側まで届くこれからの時代に求められるのは、多様性への対応だ。画一的にものごとをとらえ、狭い社会の規範や前例だけで判断していては、思考の広がりは望めない。だから、2014年の中央教育審議会答申「新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革について」には、「主体性をもって多様な人々と協働して学ぶ」という字句を盛り込んだ。学校教育法には「主体性をもって学習する態度」とあるが、「多様性」ということばはどこにもない。画一的から脱するためには、主体性だけでなく、「多様な人々」と学び合う環境が大切だ。国籍や言語、文化など全く異なる人々と学び合うことが、学びの場を大きく変え、子どもたちの心を広く豊かにし、柔軟な判断力を育ててくれる。 だが、そうした人々を育てるには、今の大学はあまりに「画一的」だ。たとえば国立大学の関係...

”植民地”国立大学への出向(天〇り)に関わるQ&A

役人言葉の見事な文章。信じるか信じないかはあなた次第です。 国立大学法人への文部科学省職員の派遣および出向等の状況に関する質問主意書|衆議院 国立大学法人は、国立大学法人法第1条で「大学の教育研究に対する国民の要請にこたえるとともに、我が国の高等教育及び学術研究の水準の向上と均衡ある発展を図る」ことが目的であると示され、国立大学法人法第3条では、「国は、この法律の運用に当たっては、国立大学及び大学共同利用機関における教育研究の特性に常に配慮しなければならない」と規定されている。 政府は、このように国立大学法人の教育研究の特性に常に配慮すべきであるにもかかわらず、文部科学省職員の国立大学法人への派遣および出向等の実態は不透明であり、国民は不信を抱かざるを得ない。このような観点から、以下質問する。 1 文部科学省職員の身分を有する者、あるいはかつて文部科学省職員の身分を有していた者が、派遣、出向など形式の如何を問わず、国立大学法人で教育職、研究職、事務職あるいは理事などの役員として勤務されていると承知しているが、何を目的にして、政府はそうした勤務を行わせているのか。教育職、研究職、事務職および役員のそれぞれについて、政府の見解を示されたい。 2 1の勤務は、どのような法的根拠で行われているのか。政府の見解を示されたい。 3 全国の国立大学法人で、教育職、研究職、事務職および役員として勤務する者のうち、文部科学省職員の身分を有する者、あるいはかつて文部科学省職員の身分を有していた者は、現在、何名なのか。政府の見解を示されたい。 4 文部科学省職員の身分を有する者、あるいはかつて文部科学省職員の身分を有していた者が、国立大学法人で継続的かつ特定の職種で勤務することは、国立大学の自主性を失わせるなど弊害があると考えるが、政府の見解を明らかにされたい。 国立大学法人への文部科学省職員の派遣および出向等の状況に関する質問に対する答弁書 1から4までについて 御指摘の「文部科学省職員の身分を有する者」、「かつて文部科学省職員の身分を有していた者」、「派遣」及び「教育職、研究職、事務職」の具体的に意味するところが必ずしも明らかではないが、文部科学省から国立大学法人への出向は、国立大学協会の平成21年6月15日付け「国立大学法人の幹部職員の人事...

記事紹介|「希望職種は大学職員」が意味するもの

「希望職種は大学職員」が意味するもの 「今の若手に人気なのは、大学職員なんですよ」 先日、ある転職エージェントのキャリアアドバイザーから聞いた話です。第二新卒の人たちは、どんな求人に興味を持つのか、という話になった時に真っ先に出てきたのがこのセリフでした。多くの若手社員が、今の会社を辞めて、大学職員になりたいと思っているのだそうです。 かつての若手社員の人気職種といえば、「新3K」が思い起こされます。企画、広報、国際の頭文字をとった用語です。バブル時の80年代後半から2000年代中頃までは、こうした華やかな職種、舞台で働きたい、と考える若手が主流を占めていました。外資系企業や急成長しているメガベンチャー企業も人気を博していました。大きな舞台やビジネスの最前線で、自分の持てる力を使って活躍したい、という意識がはっきりと感じられました。 しかし、少しずつ様相は変わっていきました。バリバリと働き、前向きに挑戦していく志向が減退し、ほどほどの無難な生き方を志向する若手が増えてきたのです。世界を舞台に働きたいという人が激減し、地元で職を得たい、という人が増えたのは好例です。 その典型は、公務員志望の増加でしょう。昔から、不況時には安定志向が高まり、公務員志望が増える、という傾向が顕著にありましたが、リーマンショック前の好景気の時から、公務員志望はじわじわと増え始めていました。大手企業志向も高まりました。 こうした変化を考えれば、若手の中で、大学職員が人気というのも頷ける話です。大学は公共財に近い存在ですから、公務員同様に雇用が安定していると考えているでしょうし、公務員のように試験があるわけではありませんので、ハードルも低いと感じているのでしょう。大学は全国にありますから、地元志向にもかなっています。 さらに、第二新卒たちが大学職員の仕事に惹かれるのは、「残業がなさそうだから」「定時に帰ることができるから」なのだそうです。自身のプライベートな時間を大切にしたい、という意識の表れでしょう。 若手は、「生き生きと働いている」か? ここまでをお読みいただいて、何を思われたでしょうか? 「これが、今の若手のホンネなのか」と、ショックを受けられたでしょうか。「やる気が感じられない」「今の若手が使えないわけだ」と思われたでしょうか。 確かに、若者らし...

記事紹介|日本の新分野開拓力を妨げているのは大学組織の慣習である

オープンサイエンス時代の到来 交通手段の発達、情報通信技術の進展が時空間の制約を解き、新たな「知の共創」が可能になりつつある。かつては個人による思索、知識創造の営みであった科学研究も、いよいよオープンサイエンスの時代を迎えた。 最も個人知が冴える数学界にさえ、フィールズ賞受賞者T.ガウアーズが2009年に創設したPolymath Projectの動きがある。証明困難な数学問題を多くの数学者のコミュニティで協働して解決策を導き出そうとする活動で、発想は「一人のダ・ビンチが世界を変えた。しかし、もし千人のダ・ビンチを集めたら?」であった。すでに大きな効果をもたらし、与えられた問題の答を出すだけではなく、この熟議で新たな問題をつくり出せることも明らかになった。さらに、インターネットの発展は、遺伝子研究、天文学、鳥類観測、環境モニタリング、古文書解読などデータ駆動型のさまざまな分野で、一般市民参加の「シチズン・サイエンス」の成功例をもたらした。もとより人数の多寡ではなく、目標に応じて一定の秩序が必要で、広い視野をもつ優れたリーダーの存在と多様な才能の参加が不可欠である。 「科学は一つ」であるが、わが国では科学者たちの縄張り意識があまりに強い。「知の共創」の重要性の認識が欠けるため、「分野連携」「分野融合」が遅々として進まない。さらに「地球は一つ」の流れの中で、長年にわたる国際交流の不調は依然として続き、国際共同研究は30%以下にとどまり、他の先進国の平均値50-60%に全く及ばない。文科省科学技術・学術政策研究所がつくるサイエンスマップによれば、日本は全844領域の32%にしか参画しておらず、新領域の共同的開拓力が著しく不十分という。 現代社会が求める複雑系の問題の解決は、いかなる天才、秀才といえども一人では難しい。誰が解決するかではなく、いかにすれば解決できるかを考えるべきで、近年の社会との関係の深まりを考えれば、文理融合は不可避である。わが国の問題はすでに文理選択を促す中等教育に発しているが、多様な優秀人材を擁する総合国立大学は、なぜに組織的協調を試みないのか。公的資源配分の方法や専門家たちの評価、学協会のあり方が邪魔をしてはいないか。もはや事態は待ったなしである。近くNature、Science誌も世界の趨勢を見据えて、この方向の姉妹誌を...

記事紹介|憲法は義務教育以外の教育の無償化を禁じているわけではない

教育費の無償化を巡る議論が与野党間で加速している。生まれた家庭の経済状況などに左右されず、教育の機会を得られる環境を整えようというものだ。子どもの貧困が社会問題となる中、重要なテーマである。 3日の憲法記念日には、安倍晋三首相が新憲法を2020年に施行したい考えを唐突に表明し、その中で高等教育無償化に言及した。 家庭の経済的理由で、進学を諦めたり、中途退学したりするケースは少なくない。所得の低い家庭の子どもが十分な教育を受けられずに育ち、その結果、低所得の仕事に就くという「貧困の連鎖」は社会問題化している。 国内総生産(GDP)に占める教育の公的支出割合で、日本は経済協力開発機構(OECD)加盟国で最低水準という現実もある。意欲ある子どもがきちんと学べる仕組みづくりに異論はあるまい。 問題は財源である。文部科学省によると、無償化に必要な費用は、幼稚園、保育所、認定こども園で計7千億円、高校は全日制だけでも3千億円、国公私立大分が3兆1千億円で、計4兆円を超す。 捻出方法を巡って、自民党の文教族らが考えているのが「教育国債」だ。使途を教育に限り、財政法で発行が認められた建設国債の考え方を応用する。だが、これだと危機的水準にある国の借金はさらに膨らむ。親世代が負担を逃れ、次世代につけを回すだけだとの批判もある。 小泉進次郎衆院議員ら自民党の若手は「こども保険」を提言した。企業と労働者が保険料を負担して子育て世代に分配する。会社勤めなら、労使折半の厚生年金保険料率に将来的に1%を上乗せして1兆7千億円を確保する。これなら借金の膨張は抑えられるが、子どもがいない人、子育てを終えた世代に理解が得られるかが課題だろう。 消費税率を10%に上げる際にその一部を回す案もあるが、増税分を充てる予定の社会保障に支障が出かねない。 各党は、国民に受けが良いテーマと考えて踏み込んでいるように見受けられる。とはいえ、現実的な財源の裏付けをしっかりと示せなくては理解は広がるまい。 旧民主党政権では、高校授業料無償化が実施された。自民党はその際、選挙向けのばらまきだと批判してきただけに整合性が問われよう。 無償化は首相が改憲項目に挙げたほか、日本維新の会も改憲での実現を主張する。ただ、憲法に踏み込むまでもなく、一般の法...

記事紹介|文科省によって歪められた大学や研究者のあり方を正常化する

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前川喜平事務次官が引責辞任する事態に発展した、文部科学省の組織ぐるみの「天下り斡旋」。このような事態を招いた“温床”として、自民党行革推進本部長の河野太郎氏が問題視するのが、現役の文科省職員による国立大学への「現役出向」だ。理事だけで75名、役員・幹部職員全体で241名にのぼる「現役出向」の驚くべき実態を明らかにする。 文部科学省をめぐる「天下り斡旋」問題が、世間を騒がせています。 国会でも審議されたのは、吉田大輔元高等教育局長が早稲田大学に教授として再就職したケースです。文科省人事課が組織的に斡旋していたという、明らかに違法と認定できるケースでした。この問題で、前川喜平事務次官が引責辞任する事態に発展しました。 さらに2月21日には、文科省による全容解明調査の中間報告が発表されました。そこで、新たに17件の違法な天下りがあったことがわかりました。事務次官から人事課員まで16名もの文科省職員が関与する大規模な構図が明らかになったのです。 早大のケースを聞いたときから「1人だけのはずがない」と思っていましたが、まさかここまで堂々とやっているとは――。長年公務員制度改革や行政改革にかかわってきた私にも想像すらできませんでした。 「隠蔽マニュアル」「引継ぎ文書」の存在が明らかに 中間報告で明らかになった具体的な手口は、きわめて悪質でした。 筑波大学、上智大学などを舞台に、文科省OBを求める大学に文科省側がリストを提供したり、文科省人事課職員が再就職の条件を大学側と協議するなど、文科省が天下りを組織的にバックアップしていたのです。さらには、天下りの仲介役を務めていた文科省OB・嶋貫和男氏の存在も判明しました。文科省内では、彼の名前が表に出ないようにするための「隠蔽マニュアル」や「引き継ぎ文書」まで作っていたのです。 そもそも「天下り」とは、国家公務員を辞めた人間が、その省庁と関連する企業や公益法人、団体等に再就職することです。 その中で、国家公務員法で違法とされているのは、現役職員が同僚やOBの再就職を斡旋するケースや、現役職員自らが在職中に補助金や許認可などで関係のある企業・団体に求職活動するケースなどです。文科省をめぐっては、中間報告までに27件が違法と認定されました。 私は、2015年10月から昨年8月まで、国家公務員制度担当大...