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記事紹介|咲いた花見て喜ぶならば、咲かせた根元の恩を知れ

新年の初日の出を拝む人は多いけれど、大晦日の夕日に感謝する人は少ない。 今年は後何回夕日を拝めるでしょうか。 天気によっては1〜2回ということもあるかもしれません。 だからこそ、私達の日常を照らし、暖かさを与え、また様々な命を育ててくれた太陽に、一年の総決算として感謝をする時間を持ちましょう。 日の出のように新しいことだけを有り難がるのではなく。 そして、咲いた花見て喜ぶならば、咲かせた根元の恩を知れ の言葉のように、感謝を忘れない人でありたいですね。 今年はどんなことに感謝が出来ますか? 来年はどんな目標を設定しますか? 感謝|今日の言葉  から

記事紹介|共有するということ

《SNSやスマホがインフラとして定着し、情報の透明化が進んだ環境では、人を意のままに動かそうとしても、その「仕掛け」はすぐにバレてしまう》 操作されて動くか? インスパイアされて動くか? 自分自身を振り返ってみれば、誰かの言葉や人柄や生き方にインスパイアされて動いたことのほうが圧倒的に多いことに気づきます。 テクニックで操作されて動きたい人は少ないが、インスパイアされて動きたい人は大勢います。 人と人のコミュニケーションでは、共鳴したものが伝わるというのが原則です。 そもそもコミュニケーションの語源は「共有する」ですから。 情報が頭に届いた程度では、あっという間に忘れますが、心に伝わった言葉や情報は記憶に残ります。 従来の理論ベースの戦略論や操作系のテクニックが役に立たなくなってきていることは、多くの人が薄々感じはじめています。 役に立たなくなっているというより、信頼を失いはじめているという事実を、昨今、私たちは目撃するようになりました。 裏で「戦争用語」や「心理テクニック」を使っている人と、お客様と感動を共有できるスキルを磨いている人…あなたはどちらから買いたいと思うでしょうか? 情報の透明化が進む世界では、「裏が見えると信頼を失うもの」と、「裏が見えると信頼が増すもの」に分かれていきます。 もうそろそろ、20世紀の遺物のような操作系テクニックを覚えるエネルギーと時間を、人間力と表現力を高める方向へ使い、心の時代のマインドセットへシフトしましょう。 私が演劇の役者として現役だった頃、芝居の演出家から何度も言われた言葉があります。 「どんないい演技も、観客に伝わらなければ意味がない」 演技を他の言葉に置き換えると、言葉のすごみがわかると思います。 どんないい話でも、伝わらなければ意味がない。 どんないい商品も、伝わらなければ意味がない。 どんなに愛があっても、伝わらなければ意味がない。 人は、物事に意味を見出すことを大切にする存在です。 かつてないほどの情報が飛び交う現代においては、伝わらないものは、そもそも覚えていません。 つまり、売れない。 売り込み、説得されて、モノを買いたい人はいない。 欲しければ並んででも買うし、欲しくなければタダでもいらない。 《伝えたいメ...

記事紹介|近視眼的な科学技術関係予算

弊紙の過去の新聞を見ていたら、平成22年5月14日号に「戦略なき予算削減に危惧」の見出しで、日本化学会をはじめとした国内の科学・技術関連の26学会がまとめた提言の記事が載っていた。 当時は連立の民主党政権が予算編成で事業仕分けを導入した時代で、提言では純減された科学技術関係予算を危惧し、日本の中長期的国家戦略として科学力・技術力強化などのため、研究教育予算・投資の改善を求めている。 しかし、その後の科学技術関係予算の推移を見ると、大型の補正予算などを組み、平成23年度と24年度は伸び続け、24年度には5兆円超に拡大した。 そのまま伸びが継続すれば、第4期科学技術基本計画(23~27年度)での5年間25兆円という目標達成の実現も可能かと期待感も抱かせた。 ところが24年度途中から再び自民党政権に戻ったものの、25年度に再び前年度より減少。第5期計画が始まっても26、27年度と減少した。28年度にはやや回復したが、29年度当初予算は前年度横ばいで、大型補正予算でもない限り伸びは望めない状況である。 最近は世界の大学ランキングで日本の凋落が指摘されるなど、研究開発力や科学技術力の低下が危惧されており、再度、科学技術関係予算を増額すべきという声が上がっている。 日本は有望な資源を持たない国で、産業を生み貿易で稼ぐために科学技術は重要な国家基盤だ。そこへの投資は将来への投資であり惜しんではならない。長く続くこの問題への対応は近視眼的にでなく、国家百年の計としてとらえ配慮すべきではないか。 科学新聞コラム|29年12月1日号  から

記事紹介|知識と見識と胆識

単なる大脳皮質の作用に過ぎぬ薄っぺらな識は「 知識 」と言って、これは本を読むだけでも、学校へのらりくらり行っておるだけでも、出来る。 しかしこの人生、人間生活とはどういうものであるか、或(あるい)はどういう風に生くべきであるか、というような思慮・分別・判断というようなものは、単なる知識では出て来ない。そういう識を「 見識 」という。 しかし如何(いか)に見識があっても、実行力、断行力がなければ何にもならない。その見識を具体化させる識のことを「 胆識 」と申します。 けれども見識というものは、本当に学問、先哲・先賢の学問をしないと、出て来ない。 更にそれを実際生活の場に於(お)いて練らなければ、胆識になりません。 安岡 正篤 ◇ 知識、見識、胆識と見ていくと、だんだんと体の下の方に下がって来ているのが分かります。 単に頭で覚えて理解するだけではなく、色々なものを見聞きして咀嚼して自分の血肉とし、肝を座らせて行動に移せるまでの知恵にする。 ちょうどヘソの下の丹田に気を溜めて、活力を生み出すように。 安岡先生は昭和の時代から、知識、見識を持つ人はいても、胆識まで持つ人は殆どおらず、それが現代の憂いの一つであるとも話されています。 本当に今やっていることを極めようと思えば、行動と勉強とその両方が必要なのですね。 識|今日の言葉  から

記事紹介|成果を生み出す人の特徴

1 できる人は常に謙虚に相手の話を聞く <できる人> 会話が楽しくて仕方ありません。ご自分の実績や経験に飽き足らず、新しい観点や示唆、違ったことを少しでも吸収しようとされているので、いつでも謙虚に、こちらが萎縮したり、過度に緊張したりしないように気づかってくださる。 <できない人> 自分が海外で経験してきたこと、自分が実績を挙げた話、自分の領域の著名人とのつながりなどをひけらかし、自分を強く見せようとします。 2 できる人は目の前の人に集中する <できる人> 今対面している相手との間で何が特にホットトピックで、どんなことがお互いの興味関心事項なのかに焦点を当て、この時間を最大限に活用し、お互いにとっていい時間にしようと努力します。 <できない人> 相手の話をきちんと聞かず、資料を読んだり動画を見れば終わってしまうようなこの場でなくてもできることを延々と繰り返します。 3 できる人は何を与えることができるかを先に考える <できる人> 自分がどういう形でこの場に貢献できるか、話している相手に対して何ができるかを常に考えています。「それは今の自分には要りません」と言われることをまったく気にせず、いろんな提案や切り口を提示してくれます。 <できない人> 自分にとってのメリットが明確でない話を出されるとイラッとしたり、露骨に拒否したり、「こっちが参加するメリットって何ですかね?」とか言ってきたりします。搾取することで成果を出し続けてきたので、搾取される側に回るおそれを強く抱いています。 4 できる人は相手が誰であってもスタンスが変わらない <できる人> 話をする相手が中学生でも大学生でも、若いビジネスパーソンでも、重鎮でも、VIPでも、とにかくスタンスや態度が変わりません。自分の軸がしっかりしているため、外的なものに左右されてそれがゆらいだりしないのです。 <できない人> 相手が自分よりも上だったり、利用価値が高いと考えると媚びへつらいます。なまじっか賢いとそのへつらいを謙虚さに見せることもうまく、特定の相手から高評価を得たりします。投稿などで「あの◯◯先生とご一緒させていただきます」など、相手の有名度などに応じてSNSへの露出量を変化させたりします。 5 できる人はスキがあり愛嬌があり自然体である <できる...

記事紹介|こういう人は絶対に成功しないという条件

以前、ある経営者に、人生で一番大切なものは何かと尋ねたことがある。 その人は「それは自分にもわからないが、こういう人は絶対に成功しないという条件はある」と答えられ、次の四項目を挙げられた。 一つは、言われたことしかしない人 二つは、楽をして仕事をしようとする…そういうことが可能だと思っている人 三つは、続かないという性格を直さない人 四つは、すぐ不貞腐(ふてくさ)れる人 省(かえり)みて、深くうなずけるものがある。 多くの人生の達人が教える人間学のエキスは、いつ、いかなる状態においても、常に精神を爽(さわ)やかに奮(ふる)い立たせることの大切さである。 精神爽奮(せいしんそうふん)。 いつも颯爽(さっそう)とした気分でいること。 そこに幸運の女神もほほえんでくるということだろう。 「言われたことしかしない人」は、気づきの少ない人。 気づきや好奇心がないから、自ら動こうとはしない。 指示待ち人間でもある。 リーダーとは最も対極にある人。 「続かないという性格を直さない人」は、忍耐や我慢が出来ない。 よき習慣を身につけることこそが続けるコツ。 どんな凡人も、長く続けることができれば、本物になる。 「すぐ不貞腐(ふてくさ)れる人」は、自分が甘えていることに気づかない。 不貞腐れることによって、自分の欲求を、言わなくても分かってほしいとアピールする。 だから、気に入らないことがあると、すぐに不貞腐れる。 「精神爽奮すれば則(すなわ)ち百廃倶(ひゃくはいとも)に興(おこ)る」(呂新吾) 精神がさわやかになって奮い立てば、多くのものが一斉に健全さを取り戻す。 その反対に、身体が弛緩(しかん)すれば、すべてに緩(ゆる)みが出て、ダメになっていく。 「いつも颯爽とした気分でいること」は、とても大事だ。 いつも颯爽とした気分でいること|人の心に灯をともす  から

記事紹介|大学は目先の実利に傾きすぎていないか

大学の授業料の減免や奨学金制度の拡充は、大学改革とセットで――。首相が議長を務める「人生100年時代構想会議」でそんな声が高まっている。 無償化は格差の固定化を防ぐための政策であり、対象はそれに役立つ大学、つまり「企業が雇うに値する能力」の向上にとり組む大学に限るべきだといった考え方である。内閣官房の担当者は「真理の探究をやるので実務は関係ないという大学に、公費で学生を送るのは説明がつかない」と解説する。 税金を使う以上、それに見合う質を求めることは誤りではない。だが政府が進めてきた大学政策を重ね合わせると、この割り切りには危うさが漂う。 今春の経済財政諮問会議で、文部科学省は大学改革の狙いに「イノベーション(技術革新)創出と生産性向上」を掲げた。予算の配分でも、大学や研究者間の競争を重視する傾向が強まっている。いきおい、基礎研究より実用、人文社会より自然科学に有利に働くだろう。 2年前の文科相通知を思いおこす。後に軌道修正されたものの、文系学部の廃止や転換を進めると読める内容で、大きな社会問題になった。 大学にも選択と集中が必要だとしても、実利に傾きすぎていないか。目先の利益ばかり求めていては教育も研究も早晩やせ細る。国が学問分野によって有益・無益をあらかじめ判断し、選別するようなことにならないよう、慎重を期すべきだ。 そもそも大学で学んだ何が、どう役に立つかは、教育を受けた本人が、それをどう消化するかによる。国の都合で学生の進む道を縛るべきではない。 構想会議のメンバーはまた、大学の再編統合による教育の質の向上を訴える。学生を確保できない大学の撤退を唱える文科省の主張と重なるが、留意すべきは定員割れに苦しむ大学は地方に多いということだ。 競争による淘汰(とうた)に任せれば、都会と地方の進学格差はさらに広がる。そうさせないよう、財政や運営面で地方を支える手立てを急がなくてはならない。 気になるのは、こうした議論の底に「大学教育は役に立たない」という経済界の不信が見え隠れすることだ。だが当の企業も学生を採用する際、何を学んだかを重視してこなかったのではないか。それでは実社会を意識した授業改善が進むはずもない。大学での学びを正当に評価する選考方法を探るべきだ。 多様な人材を世に送り出す。そのためには、学問の多様さと大学の個性が欠...

記事紹介|働けど貧しい

日本の失業率は、先進国でも最低の2%台だ。欧州には10%を超える国もあり、世界がうらやむ「完全雇用」を実現している。しかし、働く人々はうれしそうではない。 国税庁によると、民間企業で働く社員やパートらが昨年手にした給与は平均約422万円で前年より1万円以上多かった。とはいえ、世界経済が一気に冷え込んだリーマン・ショックの前年2007年の約437万円には届いていない。 そして、雇用形態による格差がある。正社員は約487万円で非正規社員は約172万円と、立場の違いが315万円の差を生んでいる。正規・非正規の分類が始まった12年以降、格差は年々広がっている。 厚生労働省の調査によると、働く人の数はこの間、5161万人から5391万人に増えた。だが、企業はもっぱら低コストの雇用拡大に力を入れ、非正規が1816万人から2023万人に増加している。 一人親世帯の貧困50% 政府が民間に正規雇用増や春闘での賃上げを働きかけ、圧力をかけても限界がある。4年連続のベースアップは、経団連加盟の大手企業の正社員に限った話なのだ。 そして、年172万円あれば、将来の生活設計を描けるかという現実問題が立ちはだかる。 厚労省は「国民生活基礎調査」で日本の貧困状況を明らかにしている。15年の相対的貧困率は3年前の16・1%から15・6%に下がった。だが、一人親世帯に限れば50・8%と経済協力開発機構(OECD)加盟国で最悪の水準にある。 この調査は生活の状況も聞いており、母子家庭では38%が「貯蓄がない」と答え、「生活が苦しい」は83%にのぼる。OECDによれば、日本の一人親世帯は親が働いていても貧困に陥る率が高く、多くの国でそうした世帯の貧困率が10~25%なのに比べ対照的だという。 困窮を象徴する悲劇が3年前、千葉県内で起きた。40代の母が中学2年の娘を殺した事件である。 給食センターのパート収入と児童扶養手当をあわせ手取りは月約12万円。だが、娘に不自由をさせたくない思いで制服や体操着を買うために借金をする一方、県営住宅の家賃1万2800円を滞納した。 裁判では、勤め先に「掛け持ちのアルバイトは無理と言われていた」と話し、生活保護を相談した市役所では「仕事をしているなどの理由で断られ頼れなかった」と説明した。 部屋を明け渡す強制執行の日、心中...

記事紹介|涙の意味も理解出来る人でありたい

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あなたが生まれたとき、あなたは泣いていて、周りの人は笑っていたでしょう。 だから、いつかあなたが死ぬとき、あなたが笑っていて、周りの人たちが泣いている。 そんな人生を送りなさい。 ネイティブ・アメリカンの言葉 ◇ 今日はなんとなく「涙」をキーワードに選んでみました。 溢れそうな感情があるときに、泣いても良いんだよというメッセージを込めたくて。 一方で化学者のファラデーの 『慈母の涙も化学的に分析すれば、ただ少量の水と塩分だが、あの頬を流れる涙の中に、化学も分析し得ざる尊い深い愛情のこもっていることを知らねばならぬ。』 という言葉のように他人の涙の意味も理解出来る人でありたい。 ときには悔し涙を流すほどの仕事もしてみましょう。 涙|今日の言葉  から

記事紹介|科学界に広がる精神汚染

論文至上主義を懸念する筆者であるが、科学研究者は何のために論文を発表するのか。元来、精神の高揚を旨とし、実利には距離を置く学術共同体の中で、同好者たちが互いに思想、知見、意見を交換し合い、いわば自己表現する手段であった。加えて、時を経た現代では、社会が多大な公的財政支援による成果の証として論文発表を求めるためとされる。研究者にとっては評価対象ともなるが、さらに競争的に職業的地位と生活の糧の獲得、名誉栄達のための利己手段でもあることも否めない。その結果である過剰な論文偏重主義とそれを助長する科学論文出版の商業化が、アカデミアのみならず周辺社会にも深刻な歪みをもたらしている。 ブランド科学誌の威光 「XX大学のYY教授によるこの研究成果は、最近Nature誌に発表されて高い評価を受けた非常に優れたものです」。昨今、学術賞選考会や研究費審査会でしばしば耳にするこの発言には、大きな違和感を覚える。むしろ絶対的な禁句ではないか。審査の過程と結果は研究社会に受容されるものでなければならないが、定められた目的に関し評価を委嘱された委員には、研究者の職歴や論文の外観ではなく、研究内容と質を自らの専門的見識で精査、説明して欲しい。研究の本質は国籍、所属機関、職位や論文誌に依存しないはずではないか。人については出自や資産、容姿ではなく、「人物本位」で評価する。街の建造物に例えれば、美しいタイル張りの斬新な外装に見とれることなく、構造の強靭性や内部の居住性、機能性を吟味することが求められる。 読者が目にする科学論文は研究者と査読者、出版組織の共同作品である。科学研究は主に公的資金に支えられるが、成果発信の相当部分は民間が担う。伝統を誇る英国Nature誌は、現在ドイツ商業出版社Springerの傘下にある。広い科学分野を取り扱うが、進展する専門分野に特化した多くの姉妹誌をもつ。Cell誌は世界最大のオランダ出版社エルゼビアが発行する生物医学専門誌である。ちなみに、広く社会的影響力をもつScience誌は、2万人の会員を擁する米国の非営利団体AAASが発行するが、相当の収益事業という。 科学技術政策や大学組織の経営方針は、断固として自らの理念に基づく主体性を堅持すべきである。しかし、いまや出版界は研究者の人事、研究費のみならず、いくつかの分野では科学の行方にまでに影響力をも...

記事紹介|子どもの貧困-なぜ子どもが涙しなければいけないのか

あなたは、子どもの貧困という言葉を聞いてどのように感じますか? 昔と比べて日本は経済的に豊かな時代となり、あまり実感が沸かない人もいるかもしれません。もしくはパッと聞くと「みんな大変な中で暮らしているのに何を言ってるんだ」と、贅沢や甘えに感じてしまう人もいるかもしれません。 子どもは未来ある豊かな存在 子どもの貧困は、その定義の難しさや見えにくさなどから論争が起こっています。「本当にそんな子いるの?」。「何とかしなければいけない」。「いや、自己責任だろ」。それらのなかには、必死に生き抜こうとしているからこその冷たい言葉を聞くこともあります。小6で母親を自殺で亡くし「自分のことは自分でやってね」と言われて独りあがき続けた身として、何だか気持ちが分かってしまう部分もあります。 それでも、ひっかかる言葉がいくつかあります。そのひとつは、「心の貧困」です。心の貧困とは、経済的な貧しさと対比して心が貧しい意味合いで使われています。支援者の人からも、悪気なく「お金の問題だけじゃないよね」と、この言葉を聞くこともあります。 本心は違ったとしても、聞くたびに「問題なのはお金じゃなくて、心が貧しいことが問題なんだ」と聞こえて、もやもやします。今まで様々な子どもたちと出会ってきましたが一人として心が貧しいと感じる子どもはいませんでした。 春休みに開いたキャンプでは、大雪となりスタッフはひやひやとしたのですが、子どもたちは雪合戦や雪のすべり台、雪だるまをつくって思い切り楽しんでいました。キャンプに参加した子どもたちは、普段は我慢を強いられることも多く、使い余しているエネルギーをスタッフのお兄さん・お姉さんたちに遠慮なくぶつけてきます(笑) むしろ、子どもは本当に豊かな存在です。生まれ育つ環境によって、その豊かな育ちを奪われてしまう状態が「子ども(が育つ環境)の貧困」なのではないでしょうか。問題の所在は子どもを取り巻く環境など支える私たち社会側にあるのに、心の貧困はその所在を子ども個人に向けてしまう危険性があります。 心の貧困は貧困によって辛い思いをさせてしまっていることを言いたいのだとしても、誤解を生むかもしれない言葉です。 必要なのは、諦めない力より諦めずに済む環境 「報道で高校生に批判があり、冷たい言葉を聞くと、お金がないなら部活を辞めろと言わ...

記事紹介|自分自身を磨く

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鈍刀(どんとう)をいくら磨いても 無駄なことだというが 何もそんなことばに 耳を貸す必要はない せっせと磨くのだ 刀は光らないかも知れないが 磨く本人が変わってくる つまり刀がすまぬすまぬと言いながら 磨く本人を光るものにしてくれるのだ そこが甚深微妙の世界だ だからせっせと磨くのだ 坂村真民 物事を惰性で行なっていたら、磨かれるものも磨かれない。 一見無駄に思われること、自分ではなくてもいいようなことに真面目に取り組むこと、 人の嫌がることを率先して引き受けることで、 やってることそのものが光らなくとも、 それに取り組んでいる自分自身が磨かれてくるのですね。 そのことを知っているか知らないかで、取り組み姿勢も変わってくるでしょう。 『自ら変えられるものは変化を起こし、変えられないものは受け入れること。』 物事に対峙したときは、このどちらかの姿勢で臨むと良い。 そして後者だった場合には、鈍刀を磨くつもりで取り組むことが大事なのです。 今日の言葉  から

記事紹介|学び直しと大学の役割

安倍内閣が設けた「人生100年時代構想会議」は、社会人が仕事に必要な知識や技術を身につける「学び直し」をテーマの一つにかかげる。 受け皿に想定されているのは大学だ。だが適任かどうかは、教員の専攻分野や人数、地域の事情などによって異なる。視野を大学以外にも広げて、議論を進めるべきだ。 一方、少子化による学生減で厳しい状況にある多くの大学にとって、社会人の受け入れは以前からの課題だった。投じられたボールを受けとめ、自校の針路や将来像を考える機会にしてもらいたい。 政権が描くのは産業を担う人材の能力向上だ。IT分野などは働きながら新しい知識を取り入れていかないと、技術革新のテンポに追いつかない。社会全体をみても、終身雇用は崩れ、企業の盛衰も激しい。転職や再就職をしたい人や、正社員をめざす非正規労働者への再教育がますます必要になる。 経済界や政権の思惑を離れても、自分の仕事や生活を充実させるために、学び直しを志向する人は少なくないはずだ。 育児で仕事を休んでいたが、復職前に最新の専門知識を勉強したい。シニア世代になっても腕をみがき、新たな仕事に挑みたい。町づくり活動に役立つノウハウを学びたい――。 こうした声に応えてくれる場が地域にあれば心強い。 日本の大学(学部)入学者のうち社会人は推計2・5%で、諸外国よりかなり低い。 理由の一つは、企業実務などに対応した教え方ができる教員が少ないことだ。だが、そうした人材を新たにスタッフに迎えるには経費がかかる。ただでさえ苦しい研究費にしわ寄せがいくのを避けるためにも、大学間で提携の方法を探るなど、知恵をしぼる必要がある。 もう一つの理由は、個人や企業がコンサルティング会社を使った社内研修や通信教育、資格学校の利用などで、個別に対応してきたことだ。こうした既存のサービスと大学との間で、どう役割を分担するか。その検討も課題になる。 地方都市は都会に比べ、どうしても学び直しの場が少ない。だからこそ大学が大きな役割を果たせる可能性がある。地元で働く人に耳を傾け、地域に貢献する講座を工夫してほしい。 社会人のニーズは「土日か夜間に、短い期間で、安く、実践的な勉強がしたい」と明確だ。教室での対面講義ばかりでなく、ネットによる動画配信なども有効活用できるに違いない。 学び直し 大学の針路探る機会に|...

記事紹介|時は誰も待ってくれない

一番多忙な人間が、一番多くの時間をもつ|アレクサンドル・ビネ 忙しい人ほど時間のやりくり上手なのは、わずかな時間の価値を知って無駄にしないからでしょう。 隙間時間も有効に使うし、優先順位付けも上手く出来る。 それは先のVisionが見えているから、逆算思考が出来るからとも言えるでしょう。 以前もご紹介しましたが、時間を意識するときにはこのお話が参考になります。 今日という日に、最大限のものを作り出しましょう。 1年の価値を理解するには、浪人した学生に聞いてみるといいでしょう。 1ヶ月の価値を理解するには、未熟児を産んだ母親に聞いてみるといいでしょう。 1週間の価値を理解するには、週刊誌の編集者に聞いてみるといいでしょう。 1時間の価値を理解するには、待ち合わせをしている恋人たちに聞いてみるといいでしょう。 1分の価値を理解するには、電車をちょうど乗り過ごした人に聞いてみるといいでしょう。 1秒の価値を理解するには、たった今、事故を避けることができた人に聞いてみるといいでしょう。 10分の1秒の価値を理解するためには、オリンピックで銀メダルに終わってしまった人に聞いてみるといいでしょう。 あなたの持っている一瞬一瞬を大切にしましょう。 そして、あなたはその時を誰か特別な人と過ごしているのだから、十分に大切にしましょう。 その人は、あなたの時間を使うのに十分ふさわしい人でしょうから。 そして、時は誰も待ってくれないことを覚えましょう。 昨日は、もう過ぎ去ってしまいました。 明日は、まだわからないのです。 今日は、与えられるものです。 だから、英語では「今」をプレゼント(= present)といいます。 時間|今日の言葉  から

記事紹介|大学が果たすべき社会貢献

昨年6月の熊本地震では、立命館アジア太平洋大学(APU)がある大分県別府市も震度6弱の揺れを観測した。APUは最も国際化が進んだ大学の1つだ。本田明子教授(言語教育センター長)は、地震直後の留学生の行動調査などから災害時の情報提供が大きな課題だと話す。 本田教授によると、地震発生直後、5割弱の留学生が指定避難場所などに避難したが、多くはテレビニュースよりもロコミや学生仲間などが発信するLINEやフェイスブックの情報に頼っていた。テレビニュースを見ても日本語を正しく理解している自信がない。インターネットの英語ニュースは理解できるが、最新情報なのか疑わしい。結局、留学生仲間や日本人学生らの情報に左右されてしまう。だから、テレビがいくら「津波の心配はない」と伝えても、LINEで「津波が来る」と言われれば信じてしまう。家族や先輩に言われるまま、県外や国外に避難した学生もいる。 災害時の用語は特殊で、英語に翻訳すれば通じるわけではない。多くの留学生にとって自国の「避難所」は公園や広場など周囲に何もない屋外を指す。日本の避難所が学校の体育館などであることに驚き、建物内に「避難する」ことが理解できない。 不安や誤解を解消するには、災害時の情報は極めて平易な日本語で提供しなければならない。改めて有効性を確信したのは、阪神淡路大震災の教訓から生まれた「やさしい日本語」(初級日本語話者にも理解できる平易な日本語)だった。「エレベーターは絶対に使わないでください」ではなく、「エレベーターはだめです。かいだんを使ってください」とやさしく丁寧に示す。「キャンパス内の避難場所は、来客用駐車場および噴水前です」は「キャンパスにいるときは、駐車場(ちゅうしゃじょう)かふんすいの前が安全です」と言い換える。 地震後、APUは避難情報を平易に言い換え、市役所と共催のワークショップや市民参加型の交流会などを通じて地域に普及させる活動を続けている。話を聞いて、大学が災害大国・日本で大量の留学生を受けいれるためにやるべき事は、まだまだ多いと思った。日本で暮らす外国籍の人は今後、さらに増える。こうした地道な活動が大学の果たすべき重要な社会貢献だと思う。 やさしい日本語|IDE 2017年10月号  から

記事紹介|健全な地方大学の振興

6月号で「順番が逆では?」と題して、東京23区内での大学新設を規制する政府方針の問題点を書いた。大学関係者からも批判の声が相次ぐ。だが政府は、規制に向けた手続きを着々と進めている。 政府は6月9日、「まち・ひと・しごと創成基本方針」を閣議決定、地方創成に資する大学改革として23区内の定員抑制を盛り込んだ。これを受けて文科省は8月14日、23区内の私立大・短大の定員増を今後認めないとする大学設置に関する告示の改正案を公表した。年内に具体的な制度成案をまとめる事を前提に、暫定措置として2018年度の収容定員増及び19年度の大学設置・学部等設置・収容定員増に関する方針を定めたのだ。それによると、原則として東京23区の収容定員増は認めないが、①機関決定済み②23区内の専門学校がその定員を活用して専門職大学を設置③医学部の地域枠による臨時定員増一は例外とする。パブリックコメントを募集後9月中に公布する段取りだ。 23区規制を巡る議論は、東京都とそれ以外の地域のバトルに発展している。全国知事会は8月末の総会で、23区内の大学定員増を抑制する立法措置を政府に求める決議を採択したが、当初は「認めない」としていた決議案を、東京都の小池百合子知事らの反対で「抑制」に修正した。8月末には23区の特別区長会が改正案に反対する要望書を提出、小池百合子知事も9月初め、梶山弘志地方創生相に政府方針の見直しを求める要望を出した。ただ、今までの経緯を見る限り、規制の流れは変わりそうにない。 小池知事は過去の記者会見で23区規制に対し、「秋田の国際教養大学は大変な人気だが、それはカリキュラムの充実や学長が命がけで日本の教育を引っ張っていこうという迫力が相まって素晴らしい学校ができたと認識している。教育とはどうあるべきかという根本から問い直すべきであり、ロケーションではなく教育内容で競い合うことの方が健全ではないか」と述べているが、まさに正論だ。前回も書いたが、いくら23区の大学を規制しても、それで地方大学の教育が充実するわけではない。 「基本方針」には、23区内の定員抑制以外にも、「地方の特色ある創成のための地方大学の振興」という一節がある。「首長の強力なリーダーシップの下、地域の産業ビジョンや地域における大学の役割・位置付けを明確化し、組織レベルでの持続可能な産官学連携体制の構築を推...

記事紹介|海外留学の現状と企業ニーズとのミスマッチ

総務省が「グローバル人材育成の推進に関する政策評価」という行政監察の勧告書を公表した。その中の日本人大学生の海外留学促進に関する記述が興味深い。 勧告によると、2014年に海外の大学に在籍する日本人留学生は5万3,197人(文部科学省がOECDやユネスコ、米国国際教育研究所などの統計を基に集計)で2012年の約6万人から減少した。一方、日本学生支援機構の調査では、日本の大学に在籍する日本人海外留学生数は、12年度の6万5,373人から15年度は8万4,456人に増えた。60.7%が1ヶ月未満、81.6%が6ヶ月未満で、圧倒的に短期留学生が多い。 また、海外進出企業に理想的な留学期間を聞いたところ、「1年以上」が47.1%、「6ヶ月以上1年未満」が35.4%で、語学力を養い、海外の文化を理解し、多様な価値観を受容する能力を養うには、一定以上の留学期間が必要との意見が示された。 そこで勧告は、海外留学の現状と企業ニーズとの間にミスマッチが存在すると指摘、短期留学、特に1ヶ月未満のような極めて短期の留学が、グローバル人材育成にどのような効果を持つのか、十分検証する必要があると結論づけた。 近年の留学は海外大学に在籍する"本格派"が漸減し、代わって短期の"プチ留学"が増えている。前者は日本の学術水準の維持向上に極めて深刻な問題で、世界で武者修行する若者を増やす施策が急務だ。 問題は後者の評価だ。日本人学生が留学に目を向けない背景には、内向き志向と揶揄される若者気質もあるが、それ以上に、安くはない留学費用、春入学・春卒業で就職活動期間が長く4月に一斉入社する日本の学事暦・採用慣行という2大障壁がある。だからこそ、多くの大学が学事暦の見直しや留学プログラム、奨学金の充実などで、まずは外の空気を吸わせる短期留学制度を積極的に取り入れているのだ。実際、「夏休みに海外大学に行くだけで学生が変わる」「短期留学から本格的な留学をめざす学生も少なくない」などの声をよく聞く。ともかく海外に出て異文化に触れ、異国の学生と机を並べる。それだけでも学生の何かが変わる。進学率が50%を超え、社会の大学観は大きく変わりつつある。伝統的な"留学生観”も変わって当然だと思う。 一方で、大学は「短期聞の留学では単なる物見遊山に終わり、...

記事紹介|助教という仕事の苦悩

2007年に「助教」という職種が新たに制定 された。これは、従来の助手が教授の 下請け仕事になりがちなことに対して、教 授から独立した大学教員の職種として位置 づけられた。任期付ではあるが、その後、 その機関での採用の可能性をもつテニュ ア・トラック制度も制定された。大学にお ける教員ポストが減少するなか、若手教員 のキャリア形成にプラスの効果をねらった 策である。 昨年、勤務する職場でようやく1名の助 教のポストを獲得した。全学管理がなされている教員数のなかでは、助教1名の獲得は大いなる功績である。それはともかく、助教は、筆者の勤務機関では任期2年、1 年ごとの再任も可 であるが5年を超えるこ とができないという規程 がある。このポストに1 名について公募したとこ ろ40名強の応募があった。 履歴書や業績リストなどを読み進めて 面接対象者を絞り込む作業をするなかで、 いろいろなことに気付かされた。 その1つは、助教を渡り歩く者の多いこ とである。応募者の多くが、専任講師や准 教授に進めず、再度助教のポストに応募 しているのである。それは、助教として公 募する職の多くが、職務内容を限定してい ることによるところが大きい。たとえば、FD、IR、 学生支援など、大学において新 たに必要とされるようになった職務には、 助教を当てることが多い。これらは、大学と しては必要な職務であるが、助教自身に とっては必ずしもその後のキャリアにつな がるとは限らない。というのも、以前の職 場での仕事や研究業績と、応募した職場が 求める職務や研究とに連続性がないことが 多く、適性やポテンシャリティの判断が容 易ではないからである。職務の限定性が壁 になって、以前の業績がプラスに働かない。 こうした循環が、助教職を転々とする若手 研究者を産みだしているようだ。 加えて言えば、職務が特定されたポスト の場合、職務として研究を行っても、そ こで得た知見を自身の 研究成果として公表で きるか否かという壁も ある。研究上では意味 がある結果であっても、 大学のプレゼンスを考えると 公表が許されな いケースもあり、特に職員からの 転ばぬ杖的 な規制は大きい。 では、限定的な職務 にあたる助教をテニュア・トラック制度の 導入によって救うことができるかと言えば、 そうでもない。そもそも職...

記事紹介|夢のような日々を生きている自分に気づく

僕は小児がん病棟の子どもたちのカウンセリングもやっています。 「ボク、今日一日生きていられるかな? いつ死ぬのかな? 頑張るからもう少し生きたい」 そういう子たちばかりです。 「恋人にふられたから死にたい」とご相談に来られる方がいます。 でもあの子たちは、そんな苦しい恋をすることもできません。 「上司にこんなひどいことを言われました」とおっしゃる方もいる。 でもあの子たちはそんな上司とやり合ってでも生きたいはずです。 皆さんはあの子たちにとっての夢のような日々を生きているのです。 ◇ 自分の行動範囲、交友範囲が限定的だと、すでに自分が夢のような生活を送っていることを忘れてしまいがち。 時間を遡れば、かつてのお殿様よりも良い生活をしている現代の私たち。 幸せは人と比べて認識するべきものではないですが、比較することで何を「当たり前のこと」だと勘違いしているのかに気付けるのであれば、自分より過酷な環境下で努力されている人の話を聞いたり、本を読んだりすることはとても大事になる。 明日も目を覚ますことが出来るかなと心配することがない日々を過ごしているのであれば、それは十分幸せなことなのですね。 夢のような日々|今日の言葉  から

記事紹介|心は「苦労」という磨き粉を使わなくては磨けません

京セラ、KDDIを創業し、日本航空(JAL)を再建した稲盛和夫氏。1984年にKDDIの前身であるDDI(第二電電企画)を立ち上げたとき、「できるわけがない」と散々に言われたといいます。それでも通信事業の自由化に挑戦したのはなぜか。稲盛氏は「『人間として何が正しいのか』を考えた結果」といいます。どういうことか。「稲盛哲学」の具体例を紹介します。 1984年に新規参入した「第二電電」の挑戦 私は、1984年に、通信事業の自由化に伴って、第二電電企画(DDI)という会社をつくりました。 現在では、KDDと日本移動通信(IDO)を合併しまして、KDDIという、NTTに次ぐ国内第2位の通信会社になっています。そのKDDIの売上は、約3兆円。京セラとKDDIをあわせた売上は、4兆円を超えるまでになっています(※売上などについては2001年7月時点のもの)。 これが、27歳で会社をはじめて42年間(当時)、「人間として何が正しいのか」ということだけを座標軸にして人生を歩いてきた結果です。 よく、国内外の評論家の方々や経済学者の方々から「どうして京セラはここまで発展したのですか」と聞かれます。また、「稲盛さんは優秀な技術屋で、しかもちょうどセラミックスというものが流行するような時代にたまたま遭遇されたから、大成功を収められたのですね」とも言われますが、そのとき私は「そうではありません。時流に乗ったわけでもなければ、私の技術が優秀だったからでもないのです。一番大事なのは、私が持っていた考え方、哲学が正しかったからだと思います。そして、それを私だけではなく、従業員が共有してきたからです」と言っています。 立派な哲学さえ持っていれば、誰がやっても成功する、そのように私は考えています。 通信事業が自由化される以前、日本の通話料金は非常に高く、庶民はたいへん困っていました。私は、かなり昔からアメリカで仕事をしていましたので、アメリカの通話料金は日本と違って非常に安いということを知っていました。 カリフォルニアからニューヨークへ電話をかけて長話をしても、電話代が非常に安い。一方、日本では出張中などに、東京から京都の本社に公衆電話を使って電話をしようというとき、100円、200円を10円玉に替えて、次から次へととにかく大量に入れる、というくらい通話料が高かったの...

記事紹介|意識を改めれば行動を変えられる

時間に遅れだす。 約束を自分の方から破りだす。 挨拶が雑になりだす。 他人の批判や会社の批判をしだす。 すぐに怒り出す(寛容さがなくなる)。 他人の話を上調子で聞き出す。 仕事に自信が出てきて、勉強しなくなる。 ものごとの対応が緩慢になる。 理論派になりだす(屁理屈を言う)。 打算的になる(損得勘定がしみつく)。 自分が偉く思えて、他人がバカに見えてくる。 目下の人に対して、ぞんざいになる。 言い訳が多くなる。 「ありがとうございます」という言葉が、少なくなる(感謝の気持ちがなくなる)。 謙虚さがなくなる兆候|今日の言葉  から

記事紹介|成功する人は偶然を味方にする

ときには、不運に思えるものでさえ、成功のきっかけになることがある。 グラッドウェルは、20世紀初めニューヨークに移住して、被服産業で成功したユダヤ人について触れている。 彼らの子どもたちは、ロースクールを卒業しても、ニューヨークの一流法律事務所には採用されなかった。 当時そうした事務所は、裕福なプロテスタントの家庭出身の弁護士を雇っていたからだ。 そこで、ユダヤ人弁護士は自力で小さな事務所を開き、企業の敵対的買収訴訟など一流事務所が敬遠する案件をもっぱら扱った。 その結果専門スキルを身につけて、1970年代から80年代の敵対的買収訴訟の急増に乗じることができた。 この新市場で優位に立った彼らは、以前自分たちを煙たがった大手事務所の弁護士よりはるかに多く稼いだ。 「小さな偶然のできごとはきわめて重要だ」と認めることは、「成功は才能や努力とは無関係だ」と主張するのとは違う。 競争が激しい分野で成功する人は、とても優秀でたいへんな努力家だ。 ウォーレン・バフェットが会長を務めるバークシャー・ハサウェイの副会長チャーリー・マンガーはこう記している。 「望むものを手に入れるためのいちばん確かな方法は、それにふさわしい人になろうと努力することだ」。 成功を求める人にとってなにより役立つ助言は、他者に高く評価される仕事において深い専門知識を身につけろ、ということだろう。 専門知識は運ではなく、何千時間もの努力によって身につく。 それでも、偶然のできごともまた重要だ。 成功は大きな幸運に恵まれなければほとんど不可能だからだ。 ◇ 一見すると不幸な出来事が、後になって考えてみると、それが幸せになるきっかけだった、と思うことは多い。 「幸せは、不幸の顔をしてやってくる」と言われるゆえんだ。 それを、「ピンチはチャンス」ともいう。 《成功は“ランダム”にやってくる! 》(阪急コミュニケーションズ)の中にこんな言葉がある。 『成功者は、偶然の出会い、突然のひらめき、予期せぬ結果などを経験している。彼らは運命を変えた瞬間のことを振り返り、「あの瞬間がすべての始まりだった」と言う』 何か予期せぬことがあったとき、そこに何か意味があ...

記事紹介|力を蓄える

人は一時期下積みになっても、 それは将来の土台づくりであり、 一時の左遷や冷遇は、次への飛躍への準備期であり、 忍耐力・持久力の涵養(かんよう)期として 隠忍(いんにん)自重(じちょう)して、 自らの与えられたポストにおいて、 全力発揮を怠らなかったら、 いつか必ずや日の目を仰ぐ日のあることを確信して疑わないのでありまして、 これが八十有余年の生涯を通してのわたくしの確信して疑わないところであります。 森 信三 ◇ 人生においては自分が予想していなかった不遇を経験することがあるでしょう。 しかしながらそれは、そのときにしか経験できない、または修得できない忍耐力・持久力を養うとき。 その場所からしか見えない景色を見つめるとき。 自分の人生という物語において一つのクライマックスへ向けての序章になるとき。 大きく飛び立つ前には、その分、膝を曲げて沈みこむことが必要なように、力を蓄える時期というのが人生には必ず訪れるのでしょう。 片目では遠くを見据えつつ、もう一方の目では目の前のことを見つめて、全力を注いでいれば、その蓄えは非常に大きなものとなるでしょう。 日の目|今日の言葉  から

記事紹介|私たちは沖縄戦犠牲者の魂が鎮まる社会を築いてないのではないか

沖縄戦で住民らが「集団自決」(強制集団死)に追い込まれた洞窟「チビチリガマ」で、9月12日、犠牲者の遺品などが壊される事件が起きた。沖縄県警嘉手納署は15日、地元の16~19歳の少年ら4人を器物損壊容疑で逮捕した。取り調べに対して、少年らが「肝試し」で洞窟に入り、「悪ふざけで壊した」と話していることが20日までに分かった。琉球新報が報じた。 事件を受けて、沖縄県民の間に波紋が広がっている。 琉球新報によると、遺族会の与那覇徳雄会長は16日、「少年たちの気持ちが分からない。肝試しで遺品を壊すなんて、どう受け止めたらいいか」と言葉を詰まらせて話したという。また、翁長雄志沖縄県知事は19日、「沖縄の持ついろいろな平和に対する思いが若い人たちに伝わっておらず、その中での出来事なのかなと危惧している。とても残念だ」と話した。 80人以上が死に追い込まれた洞窟 チビチリガマは、沖縄県西海岸の読谷村波平区に位置する自然壕(ごう)。1945年4月1日、アメリカ軍が西海岸から沖縄本島に上陸した当時、波平区の住民ら約140人がチビチリガマに逃げ込んでいた。 4月2日、米兵に虐殺されるとの恐怖心などから、壕の中で83人が「集団自決」(強制集団死)に追い込まれた。読谷村史によると、犠牲者のおよそ6割が18歳以下の子どもだったという。 村史は、壕の中に、中国戦線を経験して日本軍の蛮行を知る男がいたとしている。男は、米軍が、中国で日本軍がしていたような虐殺をしに来ると思い込み、「自決」を覚悟して毛布などに火を付けた。燃え広がる炎と煙が、多くの住民らを死に追いやった。当時、壕の中は「自決」の賛否を巡り激しく混乱していたという。 平和認識の揺らぎに危機感の声も チビチリガマは、遺族らにとっては墓場に当たる。悲惨な沖縄戦を象徴する洞窟として、市民らが平和を祈る場でもあった。 少年らが「肝試し」で壕を訪れていたことについて、沖縄市に住む20代の男性は、沖縄が積み上げてきた平和思想が弱くなっていると指摘し、次のように話した。 戦争に対する絶対的否定の気持ちが緩み始めている。これまで沖縄には、沖縄戦に関係するものをバカにしてはならないという共通認識があった。悪さをする少年らにも、そういう認識があったはず。 今回は、肝試しという幼稚な動機が、沖縄戦をバカにしてはい...

記事紹介|絶対に失敗しない人というのは、何も挑戦しない人のこと

小惑星探査機「はやぶさ」プロジェクトリーダーの川口氏が自らの失敗経験を語られている中で、切羽詰まるような状況下でのチャレンジの大切さを説かれています。 「それは、いま見ているページの理解度は関係がありません。ページを開いて先に進まないことのほうがリスクがある。不完全でボコボコの穴だらけのページでもいい。自分が楽しんでチャレンジを続けることに意義があるのです。」 何でも安全にコントロールできる状態の中で物事を考えていては、新しいものは生まれてこない。 米女優のイルカ・チェース氏も『絶対に失敗しない人というのは、何も挑戦しない人のことです。』と語っているように。 開く|今日の言葉  から

記事紹介|叱る、叱られるということ

人はだれでも、厳しく叱られたり、注意を受けたりするということは、あまり気持ちのよいものではありません。 当然叱られるだけの理由があった場合でも、上司に呼びつけられて叱られるというようなことがあれば、その日一日中、なんとなくわだかまってすっきりしない。それがいわば人情で、叱られるより叱られないほうを好むのは、人間だれしもの思いでしょう。 それは叱るほうにしても同じです。部下を叱ったあとの、あのなんともやりきれない気持ちは、管理職の人であれば、たいてい経験していると思います。 しかし、人情としてはそうだからといって、その叱られたくない、叱りたくないという人情がからみあって、当然叱り、叱られなければならないことでも、うやむやのうちに過ごされてしまったならば、どういうことになるでしょうか。一度でもそのような考えで物事が処理されると、あとのけじめがまったくつかなくなってきます。仕事や職場に対する厳しさというものが失われ、ものの見方、考え方が甘くなり、知らず識らずのうちに人間の弱い面だけが出てきて、人も育たず成果もあがらず、極端にいえば会社がつぶれるということにも結びつきかねません。 もとより今日よくいわれるように、個人の自主性を重んじ、自発的にのびのびと仕事に取り組むことは大切です。しかしそれは、厳しく叱られることが不必要だということではないと思います。むしろお互いの自主性なり個性というものは、厳しく叱られるということがあってこそ、よりたくましく発揮され、その人の能力もいちだんと伸びるのだと思います。 私も、まだ若くて第一線で仕事をしていたころは、よく社員を叱ったものです。それも血気盛んな時分ですから、一人だけ呼んでそっと注意をするといったなまやさしいものでなく、みんなの前で机を叩き、声を大にして叱るというようなことがたびたびでした。 ところが、私からそのように目の玉がとび出るほどに叱られた社員が、それで意気消沈していたかというと、そうではありません。むしろそのことを喜び、いわば誇りとするといった姿でした。 それはどういうことかといいますと、創業当初はともかく、会社がしだいに大きくなり、社員の数も増えてきますと、私のほうも社員一人ひとりにいちいち注意を与え、叱るということができなくなりました。そうなると、どうしても限られた...

記事紹介|ポジティブに生きる

かつてシェイクスピアは「いいとか悪いというのはなく、そのように考えるからそうなるのだ」と言った。 これは名言である。 どんなに悪く見える経験でも、その中に隠されたいいことを探し求めよう。 いかなる状況でも悲観主義に陥らず、つねにいいことを見つける習慣を確立すれば、人生の質を飛躍的に高めることができる。 経験それ自体は中立的だが、それに対する物の見方がそれをよいことにしたり悪いことにしたりするのだ。 物の見方を改善する1つの方法は、ポジティブな表現を使うことである。 たとえば、「失敗」を「学習経験」と言い換えるのがそうだ。 ポジティブな表現を使って、自分が置かれている状況に対する解釈を変える具体例を紹介しよう。 私は失業者だ。→ 私は自分に合う仕事を見つけるために時間をとっている。 私は病人だ。→ 私は健康を取り戻すためにしばらく休養を必要としている。 私は問題を抱えている。→ 私は成長するための機会に恵まれている。 私は失敗してしまった。→ 私はこの素晴らしい学習経験を今後に生かす。 私は何をしてもダメだ。→ 私はこれから飛躍を遂げるために全力を尽くす。 ■楽観主義者はドーナツを見て喜び、悲観主義者はドーナツの穴を見て悲しむ(オスカー・ワイルド) ■悲観主義者とは、チャンスがドアをノックしても「うるさい」と嘆く人のことだ。(オスカー・ワイルド) ◇ 「過去は変えられるが、未来は変えられない」 過去に起きた出来事が「不幸だった」「つらい経験だった」と思えばそうなるし、あのおかげで「自分は成長した」「今の自分がある」「だからすべてがよかった」と思えばそうなる。 つまり、見方一つ、考え方一つで、過去は変えられるということ。 「幸福は、不幸の顔をしてあらわれる」という言葉がある。 何かが起きたその時は、「嫌なことが起きてしまった」と一瞬思う。 しかし、少したってみてそれを考えると「あのことが幸せを運んでくれたんだ」と思えることは多い。 ただし、「不幸の顔」があらわれたときに、文句や不平不満、グチ、泣き言を言ってしまうと、後から「幸福」はあらわれない。 なぜなら、口から発した言葉は現実化するからだ...

記事紹介|研究は人間の営みそのもの

人の営みであれば、形而上学的な洞察が不可欠である。数値が無意味というつもりはない。もとより、科学界が客観かつ正確な計量、数値解析を尊び、また世はデータ駆動の時代であることは間違いない。しかし、対象はあくまで明確な物理的単位、科学的意義をもつものに限定される。適正な評価を得るには、あらゆる意味ある指標(入手可能な、ではない)を総合すべきはずであるので、将来は、人工知能(AI)による徹底した総合的ご託宣を望む向きがいるかもしれない。しかしその時、果たして科学は精神高揚の営みであり続けるであろうか。多くの研究者の挙動が画一的に誘導され、AI判断におもねることになりはしまいか。 なぜ数量化を好むのか 数値偏重が研究評価における問題の原点ともいえるが、その病理の根底には、現世代の多数決民主主義、なぜか意味を問うことなく、一票でも多い方が正しいとの信仰がある。わが国の悪名高い入学試験の呪縛のまん延が、主観を疎み、一点刻み、総点の0.1%程度に過ぎない無効数字であっても、客観比較こそが最も公平とする価値観を醸成している。 18歳時の入試勝者たちは、総じてスコア化を好み、この「厳密かつ公正な」仕分け判定で、人生が決定、安定した地位を得たとの勘違いさえする大学入試が青年たちの将来性を占う仕組みであれば、1、2割の違いがあってもほぼ同等であろう。かつての勝者の集団たる教員組織は後継者の選抜に多大のエネルギーを傾注するが、その分解能はいかほどのものか。もっと人事専門家の力を借りて教科以外の要素を十分勘案すべきであろうが、あるいは「松竹梅」と格付けした上で、「竹」をくじ引きして合否決定してはどうか。悲しいかな、100点満点と0点の間の規格化された、あるいは秀才にとっては100点と80点位の狭い評価空間を右往左往する習性のために、世界の桁違いの存在、ましてや「負の存在」に出合う機会に乏しく、価値の相対化能力を喪失する結果となっている。 この傲慢が、長じて科学社会における他を顧みない「勝者総取り(winner-takes-all)」文化を醸成することにもなる。競争的資金の獲得はたまさか幸運であっても、最高の研究を意味するとは限らない。過去の採択課題を追跡すれば明白である。米国ではトップ20%を選び、あとはくじ引きにする方が合理的との主張もある。 研究者に降...

記事紹介|定型の沖縄論の空疎さ

世上の沖縄論は「平和の島」「癒(いや)しの島」などの定型句が目立つ。かたやネット上には「基地で潤っている」「補助金泥棒」といった偏見もある。この種の沖縄論は、なぜかくも空疎なのか。 理由の一つは、単なる知識不足だ。米軍基地の7割が集中する沖縄だが、県民総所得に占める基地関連収入は5%にすぎない。基地返還跡地を再開発した地区では、直接経済効果が返還前の平均28倍であり、基地はむしろ発展を阻害している〈1〉。国からの財政移転は都道府県中12位で、特段に高くはない〈2〉。 一方で沖縄の貧困は深刻だ。1人当たり県民所得は最下位、非正規雇用は45%で全国一。沖縄に多いコールセンターや観光業、飲食業は一般に賃金が低い。本土労働者の典型像は「年収300万~400万」の製造業従事者だが、沖縄のそれは「年収55万~99万」の飲食・宿泊業だ〈3〉。沖縄在住の作家である仲村清司は、「子どもの貧困率が全国平均の2倍に達し、3人に1人が貧困状態」と述べ、貧困に起因する家庭内暴力や不登校、いじめの頻発を指摘する〈4〉。 また沖縄戦で住民の4分の1が死に、1972年まで米軍の軍政下で基地が膨張した。多くの沖縄論は、これが単なる歴史ではなく、現在でも癒えない生傷であることを踏まえていない。 新聞記者の木村司が2015年に取材した女性は、高校2年生の1984年に米兵3人に乱暴された〈5〉。「被害を家族にも話せなかった。事件を再現させられると聞き、警察に被害届も出せないまま、原因不明の体の痛みに耐えてきた」。95年に女子小学生が米兵に暴行された事件をニュースで知ったこの女性は、「明かりをつけるのも忘れ、真っ暗な部屋で泣き続けた」。そして「こんな幼い子が犠牲になったのは、私があのとき黙っていたから」と考え、抗議集会に参加した。 木村はこのほか「人知れずアメリカ兵の子どもを産んだ知人がいる」「苦しみが癒えてきたと思う頃にまた事件が起きる。忘れたくても忘れられない」といった声も紹介している。こういう事例は沖縄では珍しくなく、「現場を歩けば、驚くほど、何らかの『経験』を身辺にもつ人に出会う」と木村はいう。こうした事情が、思想信条を超えた反基地感情の背景にあることは、いうまでもない。 だが一方で、沖縄の現実は、「平和の島」という定型句には収まらない。 前述の...

記事紹介|すぐ役に立つ人間はすぐ役に立たなくなる

「即戦力」となる人材がほしいと大学に迫る財界人らに対して気骨ある教育者はこう切り返した。「すぐ役に立つ人間はすぐ役に立たなくなる」。明治生まれの工学者・谷村豊太郎の言葉だ。 海軍の技術将校を経て1939年、藤原工業大(慶応大理工学部の前身)の初代工学部長に就いた谷村は、基礎の徹底と人格向上を工学教育の柱に据えた。 時流を追うだけの知識や技術はすぐに色あせる。時代に左右されない基礎理論を習得してこそ応用力が生まれる。同時に工学が兵器を生む怖さも忘れてはならない-という精神だった。 当時、慶応義塾塾長だった小泉信三は50年に著した「 読書論 」の中で、谷村の言葉を「至言」と振り返り、読書でも時代を超えて読み継がれる「古典的名著」に親しむことが大切と説いた。 志願者増を狙った学部・学科の改廃、短絡的な文系学部不要論、相次ぐ入試制度の見直し…と現代の大学教育は迷走気味。政府は東京一極集中の是正に向け都心の大学の定員を抑制するとも言いだした。 これがどこまで「役に立つ」のか。そもそも学問の自由や大学の自立精神が揺らいでないか。肝心の議論が聞こえてこない。目先の利に走らず、地道に人を育て、時代の変化にも耐えうる技術や製品を生み出していく‐。谷村の戒めを“応用”することは企業経営の要諦(ようてい)でもあろう。小泉の「読書論」は岩波新書版で今なお読み継がれている。 「即戦力」となる人材がほしいと大学に迫る財界人らに対して気骨ある教育者はこう切り返した…|西日本新聞  から

記事紹介|ヤジロベエのように

人生の真実とは、理想ばかり追い求めたり、現状に甘んじることではない。鈴木秀子 知り合いの70歳の女性の話です。 彼女は戦争で父親を失い、母親と祖父母の手で育てられました。 家は貧しく中学を卒業すると働きに出ました。 社会に巣立つ日の朝、お祖母さんが彼女を座らせて社会で生きる心構えを諭しました。 「中学を出たばかりのおまえは、これから様々な辛い経験をするかもしれない。でも決して羨ましがってはいけないよ」 すると、それを聞いていたお祖父さんが「いや、この若さで、人を羨ましがらないですむことはあり得ないな」とまるで独り言のように呟いたといいます。 少し間をおいてお祖母さんが「あなたより物質的に豊かな人が沢山いるけれども、人の物を欲しがるような気持ちは起こしてはならない」と話します。 するとまたお祖父さんが「こんな若い子が、人が良い物を持っていたら欲しがるのは当たり前じゃないか」とポツンと囁くのです。 お祖母さんが「何があっても、決して人に迷惑を掛けてはいけないよ」と三つ目の心得を話した時も、「だけど、人間というものは迷惑をかけながら、お互いに支え合って生きていくものだ」とお祖父さんの独り言が続きました。 彼女は2人の餞(はなむけ)の言葉を常に心の支えにしながら、生きてきました。 そして70歳のいま、過去を振り返りながら「もしお祖母さんの言葉しか聞いていなかったら、"こうあらねば"という思いに縛られて精神的に行き詰まっていたでしょう。お祖父さんの言葉だけで生きていたら怠け者になっていたかもしれない。2人が共に人生の真実を伝えてくれたからこそ、ここまでくることができました。」としみじみ語ってくれたことがあります。 「こうあるべき」というべき思考が強すぎてもいけない。でも怠けすぎてもいけない。 人生には場面に応じてどちらもあるという中庸さを知っていることが大事なのですね。 ヤジロベエが左右に振れながら真ん中に戻って来るように。 中庸|今日の言葉  から

記事紹介|変化対応能力を磨くこと

《高校生諸君へ》 君たちは親と違う人生を歩むと言うけれど、どこが決定的に違うのか? 大きく3点あります。 ものすごく大きな違いがね。 1つめは、君たちが社会人になる2020年代の半ばには、多くの親が体験した「標準的な人生モデル」は追求できないということ。 会社で正社員にはなれないかもしれないし、大手企業に入社したとしても一生そこで働くのは珍しくなるでしょう。 新卒の一括採用が残っているかどうかさえ怪しい。 結婚して子育てし、マイホームを持つかどうかもわかりませんよね。 だから、親の人生モデルを前提として君たちに説教しても通じない。 2つめは、言わずと知れたスマホと、それにつながったネット世界の広がりです。 いまの高校生は1998年以降の生まれになりますが、グーグルも1998年生まれなんです。 グーグル以前とグーグル以降は人種が違うと思ったほうがいいでしょう。 君たちの世代は、人生の半分をネット上で暮らすことになるでしょう。 ネットゲームの中毒患者でなくても、社会人としてちゃんと仕事をしようとすれば、そうなるんです。 たとえば、SNSで仲間を募る「魔法の杖(つえ)」は最強ですよね。 親世代には、学校の枠を超えて仲間を集めようとすれば、駅の伝言板くらいしかなかったんです。 自分の存在の半分は、ネットのなかで広がりながら他人とつながりを持つことになります。 そして、その存在を評価されることで、自分の居場所が保障される感覚がある。 ネット世界から個人がクレジット(信用と共感)を与えられることになるからです。 リアルかバーチャルかは関係ありません。 リアルな場はますます複雑怪奇になり、居場所がなかったり、存在を脅かされることも増えるでしょう。 だから、仮にフェイスブックやツイッターが衰退することがあっても、新しいSNS的なサービスは次々と現れる。 グーグル以降の人間は、ネット上で自己肯定感を得られる気持ちの良さからもはや逃れられないと思います。 3つめは、人生の長さ(ライフスパン)が決定的に異なること。 明治・大正を生きた世代と比較すると、君たちの世代は平均寿命が2倍に延びることになります...

記事紹介|憲法から取り残されてきた沖縄

日本国憲法から最も遠い地。それは間違いなく沖縄だ。 「憲法施行70年」の最初の25年間、沖縄はその憲法の効力が及ばない米軍統治下にあった。沖縄戦を生き抜き、6月に亡くなった元知事の大田昌秀氏は、戦後の苦難の日々、憲法の条文を書き写して希望をつないだ。 それほどにあこがれた「平和憲法のある日本」。だが本土復帰から45年が経ったいま、沖縄と憲法との間の距離は、どこまで縮まっただろうか。 重なりあう不条理 米軍嘉手納基地で今年4月と5月に、パラシュート降下訓練が強行された。過去に住民を巻き込む死亡事故があり、訓練は別の基地に集約されたはずだった。米軍は嘉手納での訓練を例外だというが、何がどう例外なのか納得ゆく説明は一切ない。 同じ4月、恩納村キャンプ・ハンセン内の洪水調整ダム建設現場で、民間業者の車に米軍の流れ弾が当たる事故が起きた。演習で木々は倒れ、山火事も頻発して森の保水力が低下。近くの集落でしばしば川が氾濫(はんらん)するため始まった工事だった。 航空機の騒音、墜落の恐怖、米軍関係者による犯罪、不十分な処罰、環境破壊と、これほどの不条理にさらされているところは、沖縄の他にない。 普天間飛行場の移設問題でも、本土ではおよそ考えられない事態が続く。一連の選挙で県民がくり返し「辺野古ノー」の意思を表明しても、政府は一向に立ち止まろうとしない。 平和のうちに生存する権利、法の下の平等、地方自治――。憲法の理念はかき消され、代わりに背負いきれないほどの荷が、沖縄に重くのしかかる。 制定時からかやの外 敗戦直後の1945年12月の帝国議会で、当時の衆院議員選挙法が改正された。女性の参政権を認める一方で、沖縄県民の選挙権を剥奪(はくだつ)する内容だった。交通の途絶を理由に「勅令を以(もつ)て定める」まで選挙をしないとする政府に、沖縄選出の漢那憲和(かんなけんわ)議員は「沖縄県に対する主権の放棄だ」と激しく反発した。 だが、連合国軍総司令部の同意が得られないとして、異議は通らなかった。翌年、沖縄選出の議員がいない国会で、憲法草案が審議され成立した。 52年4月には、サンフランシスコ講和条約の発効により沖縄は本土から切り離される。「銃剣とブルドーザー」で強制接収した土地に、米軍は広大な基地を...

記事紹介|人と違うことをすることを恐れない

天皇陛下の心臓手術は東京大学と順天堂大学の合同チームにより行われた、「異例のケース」といわれた。 その手術を執刀して以来、私の生い立ちや、これまでの歩みをたくさんの記事にしていただいた。 過分なおほめの言葉も頂戴し、テレビでも、「天野篤」というひとりの医師が、どのようにして陛下の手術に携わるようになったのかを幾度も紹介していただいた。 そこでの「人となり」を数行に要約すると、天野篤という人間はだいたい次のようなことになる。 「落ちこぼれだった高校生が、心臓病で闘病する父親を助けようと医師を志し、三浪して日大の医学部に入った。 やがて心臓外科医になるが、自分も立ち会った3度目の手術で父親を失う。 自分にもっと力があればと、一念発起し、ひたすら腕を磨いていき、6000例を超える心臓手術を行うまでになった」 三浪という不名誉なことも含めて、たしかに事実はそのとおりだ。 今は順天堂大学医学部の心臓血管外科教授というポジションに押し上げていただいたが、もともとは出身大学の医局にも属さずに、一匹狼ともいえるような道のりを歩いてきたノンエリートだ。 ここに私の原点がある。 生来、人と同じことをするのが嫌いな反骨精神もある。 だが、30年医者をやってきて、本音でいいたい思いもある。 たとえば、受験難関校から旧帝大医学部に合格した秀才だけが医師になって本当によいのだろうか? 手術するのは学者ではない。 組織で偉くなる人でもない。 今後の医療現場では、かつての医師と現代の医師とでは求められる力が違うということもある。 最先端の医療現場では、医師が「ダヴィンチ」という手術支援ロボットを操作して、出血の少ない外科手術を行う時代にもなった。 つまり、小さい頃からコンピーターゲームの得意だった子が、優秀な外科医になりうる時代になっている。 私のように、小さい頃、プラモデル作りが得意だった子どもが患者さんのために役立つような時代だ。 プラモデルでは、部品のはがし方だって相当に集中してやった。 ひとつひとつの部品は、ニッパーできれいにはがさないとうまく仕上がらない。 1個部品を壊すだけで台無しになり、後戻りしなければならない。 そういうことが、熱中してきたことを通じてわかる。 だから、若い人のいろいろな経験...

記事紹介|行政が学問の成果を評価するということ

「評価は主観である」とする私の主張に対して、客観的な数値をもってなすべきとする人がいる。そこで力を得るのが「論文至上主義」で、かつては発表論文数、近年では「論文被引用数」の比較である。しかし、マックス・ウェーバーが唱えたように「科学は進歩し続ける宿命にある」。従って、成果の評価にあたっては、まだ見ぬ将来への波及可能性が最重要な視点となる。論文が全てではないことは当然であるが、ましてや認識論や総合的批判による洞察を避けて、過去の成果発表の分析の一軸に過ぎない論文被引用数を唯一の評価手段として用いることは、あまりに安易である。運動競技とは異なり、むしろ芸術におけると同じく、まずは創造性を尊ぶべきであり、個人の論文生産能力、優勝劣敗を決めることではない。論文指標偏重の評価システムは明らかに不見識、かつ若い世代の価値観を拘束し、生き方を誤った方向に導くため、強く再考を求めたい。全体統計的にも、また個々の評価についてはなおさら問題は大きい。実は、研究社会が自らの見識をもって評価することを怠ってきたことが、規格化された評価制度への過度な依存を引き起こし、その結果、自らを疲弊に追い込んでいる。 「自治の府」としての研究社会における評価 この数値の背後にある理性、科学的意味は何か。今日では米国のクラリベイト・アナリティック社のWeb of Science(旧トムソン・ロイターズ社の時価35.5億ドルの事業)、オランダのエルセビア社のScopusなどの商業的情報提供事業がコンピュータ技術を駆使し、引用データを集計する。そして多様複雑に加工した数値結果を高価に売りつけ、個人評価や組織の格付けなどに最大限活用すべく促す。もう60年以上も昔に「研究成果の計測」を試みたユージン・ガーフィールドの創造性は特筆に値する。しかし現状は、この創始者自身による「その内在的価値を評価するのが科学的知性」との戒めにもとるものである。 アカデミアは自治の府であり、人間疎外のソフトウエアが一義的に規定する社会(Software-defined Society)ではない。学術、科学技術の実践のみならず、成果の評価についても、自らの判断基準を設定すべきであり、自己決定権を安易に情報企業に売り渡すことがあってはならない。優れた研究者を効率的な論文製造機と定義することは不適切である。科学的批判力をもって断...

総理、あなたはどこの国の総理ですか

「ノーモア ヒバクシャ」 この言葉は、未来に向けて、世界中の誰も、永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、という被爆者の心からの願いを表したものです。その願いが、この夏、世界の多くの国々を動かし、一つの条約を生み出しました。 核兵器を、使うことはもちろん、持つことも、配備することも禁止した「核兵器禁止条約」が、国連加盟国の6割を超える122か国の賛成で採択されたのです。それは、被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間でした。 私たちは「ヒバクシャ」の苦しみや努力にも言及したこの条約を「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼びたいと思います。そして、核兵器禁止条約を推進する国々や国連、NGOなどの、人道に反するものを世界からなくそうとする強い意志と勇気ある行動に深く感謝します。 しかし、これはゴールではありません。今も世界には、15,000発近くの核兵器があります。核兵器を巡る国際情勢は緊張感を増しており、遠くない未来に核兵器が使われるのではないか、という強い不安が広がっています。しかも、核兵器を持つ国々は、この条約に反対しており、私たちが目指す「核兵器のない世界」にたどり着く道筋はまだ見えていません。ようやく生まれたこの条約をいかに活かし、歩みを進めることができるかが、今、人類に問われています。 核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴えます。 安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、核の脅威はなくなりません。核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください。核不拡散条約(NPT)は、すべての加盟国に核軍縮の義務を課しているはずです。その義務を果たしてください。世界が勇気ある決断を待っています。 日本政府に訴えます。 核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも関わらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。日本の参加を国際社会は待っています。 また、二度と戦争をしてはならないと固く決意した日本国憲法の平和の理念と非核三原則の厳守を世界に発信し、核兵器のない世界に向けて前進する具体的方策の...

記事紹介|平和な社会を築くために

私はこの任務を誇りを持って旅立ちます。 お父さんお母さん先立つことをお許し下さい。 私は戦争のない世界を、未来の子ども達が創ってくれることを信じて飛び立ちます。 ◇ 18歳で特攻隊に志願して飛び立った少年の手紙から紹介します。 今日の長崎原爆の日を含め8月は先の大戦について思いを馳せる月です。 政治判断の過ち、正しい考えを持った人がいても 大きな流れに抗えなかった組織の過ちを反省して参考にするとともに、 名もなき多くの市民の犠牲と、未来を信じる心の上に、 我々の今の生活があること、平和があることを忘れないようにする。 『善きことのみを念ぜよ。必ず善きことくる。命よりも大切なものがある。それは徳を貫くこと。』 とは特攻隊員の母として慕われた鳥濱トメさんの言葉です。 トメさんは鹿児島県の知覧飛行場のそばで富屋食堂を営み、多くの若き特攻隊員の出撃前の面倒を見られました。 『平和な社会を築くために、必要なものが三つあると私は思っています。 「勇気」と「行動」と「愛情」です。 「勇気」と「行動」だけでは、戦争に結びついてしまうことがある。 「行動」と「愛情」だけでは、物事を変革するのに怖気づいてしまうことがある。 「勇気」と「愛情」だけでは、きれいごとを言うだけで終わってしまうことがある。 この三つが揃って、初めて物事をなしていくことができるでしょう。』 これは被爆者の笹森恵子(しげこ)さんの言葉です。 日々徳を積み、「勇気」と「行動」と「愛情」の3つをセットにして、 挑戦していきましょう。 平和|今日の言葉  から

記事紹介|競争相手は時代の変化

社会が成熟する中、企業は非連続の成長をせざるを得ない状況です。そこに必要なのは、イノベーションです。 しかし残念ながら、従来型のリーダーシップでは、イノベーションを起こし続けるのは難しくなってきているのです。 これから企業に求められるイノベーションのためには、顧客インサイトをいかに捉えるか、しかも、1人の天才ではなく、集団天才型のチームで「顧客共創」をすることが極めて重要になってくる、というポイントです。 社会実験と市場テストを繰り返すことで、あるいは越境して離れた領域をつなぐことで、顧客の洞察、市場の洞察、社会の洞察を引き出していく。 多様な異能の能力を組み合わせて、顧客も巻き込みながら、既存のバイアスを壊し、新しい顧客価値を共創していく。 そうでなければ、見えてこないニーズ、サービス、プロダクトがあるからです。 それは、デジタル革命の経営に対する影響力が非常に高まっているためです。 ビジネスにも、企業経営にも、テクノロジー理解が欠かせないものになっている中、コンピュータやスマートフォン、インターネット、ビッグデータ、AI(人工知能)、ロボット、自動運転、EV(電気自動車)、ドローン、ブロックチェーンといったテクノロジーをいかに自社の事業開発・組織開発に活かせるかが、企業の稼ぐ力を左右するようになってきています。 こうしたテクノロジーに若い頃から自然に触れている、「デジタル・ネイティブ」世代が、すでに活躍を始めているのです。 この世代こそ、次世代を担うにふさわしいスキルと感性を持っているのです。 これ以外にも「40歳社長が必要である」理由がいくつもあります。 さらにもうひとつ、日々、多くのビジネスパーソンと触れ合う中で伝えなければいけないと感じていたのが、新しい時代のキャリアづくりです。 リンダ・グラットン教授による『ライフ・シフト』でも言及されている通り、現在、50歳未満の人は100歳を超えて生きるだろうと予測されています。 つまり、「人生100年時代」が訪れるわけですが、これはすなわち働く期間も長くなっていくことを意味します。 日本ではこれから、人口減とともに労働人口の減少が進んでいきます。 一方で、テクノロジーの進化や顧客ニーズの高速変化から、ビジネスモデル寿命はどんどん短くなっていきます。 私...

記事紹介|民意の衣

横浜市長選で与党が推薦する現職の林文子氏が3選を果たした。しかし安倍首相が姿勢を改めたことが奏功したとは想像しづらい辛勝であった。更なる悪化を押しとどめたとは言えるかもしれなが。 変化をもたらしたのは、何といっても1日の東京都議選での自民党惨敗と、内閣支持率の急落だ。それがなければ安倍首相が閉会中審査に出席することも、「丁寧な説明」をすることもなかったろう。 4日に発表された11日付の文部科学省人事では、初等中等教育局長が官房長に、高等教育局長が生涯学習振興局長に異動した。慣例からいえば屈辱的だ。しかし噂では他省庁から局長をあてがう内示が都議選前にあったというから、同省にとって最悪の事態は逃れたというべきかもしれない。 安倍首相に席上からヤジを飛ばさせたのも、低姿勢に一変させたのも、選挙結果や支持率という民意の衣である。就任以来、アベノミクスによる景気回復への期待が続いてきたが、その幻想も幻滅に変わったということか。 政権交代後、とりわけ「お友達」の下村博文氏が文部科学相になって以来、不可解な動きが省内に感じられた。端々に出てきたのは学習指導要領の「解釈改訂」、教科書検定の見直しなどだが、「ミサイル教育」は果たして教職課程コアカリキュラムにとどまらず次期指導要領解説の総則に「国民保護」を明記させるに至った。 森友・加計両学園の問題によって、ようやく不可解さに「忖度」という名が付いた。前川喜平・前事務次官に対しては「なぜ在任中に言わなかったか」という批判があるが、当時とてもそのような雰囲気になかったことは端目に見ても分かる。 首相が裸だと明らかになった7月が終わる。内閣改造後の残暑は過ごしやすいのか、はたまた止まらない汗が衆目にさらされることになるのか。 【池上鐘音】首相の衣|教育ジャーナリスト渡辺敦司の一人社説  から

記事紹介|難の有る人生が、有り難い人生

難の無い人生が、無難な人生。 難の有る人生が、有り難い人生 パッと見ると、難を避けて無難な方がいいかなと思ってしまうかもしれませんが、 「有り難い」と漢字で書くことで、困難が有ることも悪くないと思えるようになる。 エジソンもこう語っています。 『ほとんどの人が機会を逃してしまうのは、その機会が作業服をまとって、いかにもありきたりの仕事に見えるからだ。』 自分を育ててくれるものは、自分にとって都合が良かったり、すぐにありがたいと思えるような格好をしていないということ。 砥石は滑らかではないから、刃物を磨くことが出来るのと同じですね。 難|今日の言葉  から

記事紹介|足るを知る者は富む

ブッダは「嫉妬することで満足することがないから、明らかな智慧(ちえ)をもって満足するほうが優れている。明らかな智慧をもって満足している人を、嫉妬が支配することはできない」と述べておられます。 もしあなたが「足(た)る」を知る、つまり自分のもっているものの大切さを知り、ひとをうらやんでも意味がないという智慧をもつなら、もはや嫉妬があなたを支配することはないと語っているのです。 「足るを知る」ということは、「いま自分のもっているものを大切にせよ」ということです。 もともと「足るを知る」という言葉は老子(ろうし)の「足るを知れば辱(はずかし)められず」から来ています。 そして「足るを知れば辱められず」に続けて「止まるを知れば殆(あや)うからず(限度を知れば危険はさけられる)、もって長久なるべし」と語っています。 老子はこの説明として「名誉と身体とどちらが大切か、健康と財産はどちらが大切か、得ることと失うことはどちらが苦しいか、ひどく欲しいものがあれば、大いに散財する、たくさん持てばたくさん失う」といっているのです。 他人が何かをもっていても、それは健康に比べれば意味がない、もっているものは必ず失うようになるのだ、だからうらやんでも仕方がないといっているのです。 連合艦隊司令長官を経て、昭和天皇の侍従長として二・二六事件の際にあわや一命を落とすばかりの経験をし、天皇に請われて終戦時の総理大臣になった鈴木貫太郎(かんたろう)大将の座右の銘は「足るを知る者は富む」でした。 あれほどの名声地位をもつ鈴木貫太郎大将がこれを座右の銘にしていたということに深い感慨を覚えます。 堀口大学という詩人がいます。 芸術院会員で文化勲章をもらい、功成り名遂げたこの詩人に「座右銘」という詩があります。 「暮らしは分が大事です 気楽が何より薬です そねむ心は自分より 以外のものは傷つけぬ」 人をそねみ、うらやんでも、結局うらやむ自分が傷つくのだという詩です。 これはほんとうにわたしたちの心を動かす詩です。 さらに「気楽が何より薬です」という言葉には「気楽になることが人生の目的だ」という意味も含まれているように思えます。 江戸時代の禅僧で書画をよくして博多の仙厓(せんがい)和尚は「寡欲(かよく)なれば即ち心おのずから安らかなり」と...

記事紹介|日本の大学が国際化するには

日本の大学の国際化がなかなか進まない。世界大学ランキングで上位に顔を出すのは一握りで、留学生の受け入れ比率なども世界的に低い水準だ。東京大学で正規職の外国人教員として32年間教え、今春退官したロバート・ゲラー名誉教授は「日本の大学が国際化するにはガバナンス(統治)改革が不可欠」と訴える。 ▶外国人の目に日本の大学はどう映りますか。 「私は1984年、東大の任期なし外国人教員第1号として米スタンフォード大から招かれた。恩師が東大出身だったので、オファーを受けたときに迷いはなかった。だが当時も今も、外国人が移籍したいと思う日本の大学はほとんどない。大学運営も世界標準から大きく外れている」 外国人教員5% 「なかでも奇異に感じたのが2011年、東大が秋入学への移行を検討し始めたときだ。欧米の多くの国が秋入学なので、日本もそれに合わせれば国際化が進むという単純な発想だったようだが、議論は紛糾し、結局先送りになった」 「学内討論会が開かれたとき、私は『なぜそんなマイナーな問題にこだわるのか』と当時の学長に問いただした。国際化を目指すなら、もっとやるべきことがあると」 ▶それは何ですか。 「最も大事なのは優れた外国人教員を任期なしで多く採用することだ。英米の一流大では外国人比率が3~4割に達し、多様性の高さが研究や教育の質を高めている」 「一方、日本では外国人教員は5%程度しかおらず、大半が3~5年の任期付きだ。せっかく日本に来ても任期中から次の就職先を探さねばならず、日本語を学ぶ余裕すらない。結局定着できず日本を去ってしまう」 ▶なぜ外国人を増やせないのでしょうか。 「ひとつの理由は日本では各専攻で少人数の教授たちが人事権を実質的に独占していることだ。教授会で審査されるが、覆ることはほぼない。しかも採用基準が曖昧で、自分の弟子や仲間だけが条件に当てはまるようにしている。外部に優れた人材がいても確保できず、大学がタコツボ化している。自治に名を借りた悪平等だ」 「一方、欧米の有力大では教員を採用するとき、一流学術誌に掲載された論文数や引用数といった定量的評価と学外の第三者による定性的な評価を併用し、大学が本当に必要とする人材を国内外から選んでいる」 ▶何を改めるべきですか。 「米国の大学には学長に次ぐ『プロボスト』という職があり...

記事紹介|組織の動かし方、仕事の進め方(2)

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(続き) 知識の深さと広がりが判断の的確性と柔軟性を育む 次に、仕事の進め方について、主として大学職員を前提に考えてみたい。 近年、業務の多様化や高度化を背景に、教職協働、より高い専門性や企画・立案力等を大学職員に求める傾向が強まっている。このこと自体、決して間違いではないが、高度な専門性も企画・立案力も、的確かつ効率的に仕事を進める能力の上に積み上がっていくものであり、このような能力を持続的に高められる環境が整っているか、個々の大学の実情も含めて厳しく点検する必要がある。 下図は、仕事を進める上で必要な能力を、学士力や社会人基礎力を含むこれまでの議論も踏まえつつ、整理したものである。白地は、主として学校教育段階でその基礎を身につけるべき能力であり、網かけは、仕事や職場での経験を通して養われる部分が大きいと思われる能力である。以下では後者を中心に論じることとする。 図は、下から上に向かう構造となっており、土台としての自己管理能力から始まり、組織内で信頼を蓄積し、それに基づいてリーダーシップを発揮できる状態に到達するまでに、求められる能力要素を整理している。ここでいうリーダーシップは、役職等の地位に関係なく発揮できる能力を意味する。 自己管理能力は課外活動を含む学校教育段階で一定程度身につけることができるが、職業生活においては、職場規律、チームワーク、生産性等に影響することもあり、格段に厳しくその能力が問われることになる。就職直後に関わり合う上司・先輩の影響はとりわけ大きい。 知識については、学校教育で得るものに加えて、職務上の知識をOJTまたはOff-JTで身につけなければならない。 ここで重要なのは、表層的な知識にとどまることなく、その本質まで掘り下げるとともに、周辺領域や関係領域まで広げて知識を習得する必要があるという点である。 職務上必要な知識に深さと広がりを持たせることで、正確な理解に基づいた的確な判断が行えるようになるだけでなく、根本的な原理・原則を押さえた上で、より柔軟な判断や創意工夫を行う余地も広がる。 どのようにすればこのような深さと広がりのある知識を身につけることができるかは、育成上重要な課題である。 価値観や考え方を組織文化として定着させる 中段右側の要領、手順、段取りは、生産性に直結する要素で...

記事紹介|組織の動かし方、仕事の進め方(1)

「ハード」の変革から「ソフト」の工夫へ 「改革」を通して大学はより良き方向に向かっているのだろうか。組織や制度を変えることは改革の手段であり、目的ではない。また、組織や制度を変えたからといって、それが直ちに教育研究の高度化や経営力の強化に結びつくわけではない。 組織が目指す目的・目標を構成員が十分に理解し、その達成に向けて個々の能力を高め、最大限に発揮しつつ協働する。そして、組織内の至る所で自発的かつ持続的な改善が展開される。このような状態を創り上げることこそ改革の究極の目的である。 組織・制度の見直しは、そのための「ハード」の変革と言えるが、実際に組織をどう動かし、仕事をどう進めるかという「ソフト」とも呼ぶべき要素を重視し、その能力を高めることも極めて重要である。 例えば、学長が決定する事項と学部または学部長に委ねる事項を見直すことは、組織・制度に係るハードの問題であるが、学長が必要な情報を集め、如何なる判断を行い、下した決定をどう伝え、実行を促すかはソフトの問題と言える。近年のガバナンス改革は前者を中心としたものであり、後者は学長個人の能力や経験に委ねられたままである。 次に、職員の業務を考えてみたい。教員組織と職員組織の間の機能・権限分担、職員組織における部署間の機能分担や職階間の権限関係等はハードの問題であるが、実際の仕事をどう進めるかは、ソフトの問題である。教育研究に対する効果的な支援、学生サービスの質、業務全体の生産性等は、ハード面のみならずソフト面に左右される部分が大きい。 働き方改革や生産性向上は我が国全体の課題とされている。リーダーシップ、人材育成、仕事術、データ分析、プレゼンテーション等、組織の動かし方や仕事の進め方を扱った啓蒙書や雑誌の特集も多く、ビジネスの現場における関心の高さが窺われる。 これまで、合意プロセスや規則・前例に則った手続き的側面が重視されてきた大学においても、教育研究の質の高度化や経営力の強化を進める上で、組織の動かし方と仕事の進め方に関する実践的能力が、より求められるようになってきた。 本稿では、組織を動かすという観点から「会議」のあり方を根本的に見直すことを提案した後、仕事を進める場合の工夫・改善点を、具体的な場面に即して検討する。その上で、それらの基礎となる考え方やスキルを如何にして身につ...

記事紹介|心を届ける

土砂降りの中、濡れないように配達した郵便物をお渡しすると、おばあさんはびっくりしたように私のことを見ました。 「あらあら。すごい降りで、頭からビッチョリだね。大丈夫かい?」 優しい一言が、どんなに嬉しいか。 我々が届けているものは郵便でも荷物でもなくて、人の心だと思っているので、心の言葉をいただけると何より元気になります。 先日もご紹介した、 『「ありがとう」と言われる会社の心動かす物語』(日本経済新聞出版社) からのご紹介です。 郵便局の方が届ける手紙や小包はそのものの価値よりも、そこに込められている送り手の気持ちが本当の届けたい物。 松下幸之助氏のこんな話も有名です。 『ある日、幸之助氏が、工場でつまらなそうな顔をして電球を磨いている従業員に、「あんた、良い仕事してるで~」と言ったそうです。 「毎日、同じように電球を磨く退屈な仕事ですよ。」と愚痴を言う従業員に、幸之助氏は、「本読んで勉強してる子どもらがおるやろ。そんな子どもらが、夜になって暗くなったら、字が読めなくなって勉強したいのにできなくなる。そこであんたの磨いた電球をつけるんや。そうしたら夜でも明るくなって、子どもらは夜でも読みたい本を読んで勉強できるんやで。あんたの磨いているのは電球やない。子どもの夢を磨いてるんや。暗い夜道があるやろ、女の子が怖くて通れなかった道に、あんたが磨いた電球がついたら、安心して笑顔で通れるんや。もの作りはものを作ったらあかん。その先にある笑顔を作るんや。』 皆さんが扱っているものには、誰の、どんな心が乗っていますか。 心を届ける|今日の言葉  から

記事紹介|「協働型研究開発コモンズ」がイノベーション効果をもたらす

科学技術への多岐にわたる期待とは裏腹に、世界的に人材育成、研究活動は財政難にあえいでいる。実際、わが国も厳しい財政情勢の中で、現実に可能な経済支援は、局所的対症治療ないし現体制の延命措置を施すに過ぎない。今日のみならず次世代社会にも持続的に適合する科学技術の経営基盤を築くためには、根本的な発想の転換が求められる。あらゆる知恵を結集して、学術的、社会的目的達成のために、現状打開を図らねばならない。 わが国の研究生産性の低迷 わが国は、研究費総額18.9兆円(うち国費は3.5兆円で19%、民間資金が72%)、研究人口68万人(うち大学教員18万人で、民間が7割を超す)を投入する。生産性の一指標である科学論文数約7万5千本は世界5位であるが、残念ながら、被引用数トップ10%論文が10位、トップ1%論文は12位と低調で、ここ10年間、全分野について下振れ傾向にある。米国、中国など大国のみならず、研究開発費、研究人口の少ない国々の後塵を拝する惨状にある。これらは主に大学、公的研究機関が関わる活動状況を示すが、その充実、改善のためには、既成の体制への単純な資金の拡大、人頭の増加ではなく、当然資金配分法の改革、研究人材の内容向上が求められる。しかし、不振の主たる原因は、大学の教育研究に関わる守旧的価値観の岩盤、それがもたらすイノベーション効果の欠如であり、ぜひともこのシステム・クライシスを克服しなければならない。 新たな目標に対応すべく既存組織は戦略的に縮小すべし 今世紀に入り、わが国のみならず、世界の高等教育、研究開発システムは、社会の要請に十分に応えられていない。とりわけわが国ではその理由を公的財政支援の不足とする意見は多く、筆者も理解はするが、単なる資金増だけでは問題解決には至らない。急激に経済発展する中国を例外として、10年後の各国の公的研究開発費は、楽観的に見ても現在の2倍には届くまい。しかし、総額の制限にもかかわらず、科学技術界には現行の活動に加え、新たに「知の共創・再構成」、「第4次産業革命」、COP21の主題であった「地球温暖化問題」、国連で採択された「仙台防災枠組み2015-2030」、「持続可能な開発のための2030アジェンダ(SDGs)」などの巨大な国内的、国際的諸問題への早急な対応が求められている。 ものづくり産業に例えれば、一定量の資...