2017年10月29日日曜日

記事紹介|助教という仕事の苦悩

2007年に「助教」という職種が新たに制定された。これは、従来の助手が教授の下請け仕事になりがちなことに対して、教授から独立した大学教員の職種として位置づけられた。任期付ではあるが、その後、その機関での採用の可能性をもつテニュア・トラック制度も制定された。大学における教員ポストが減少するなか、若手教員のキャリア形成にプラスの効果をねらった策である。

昨年、勤務する職場でようやく1名の助教のポストを獲得した。全学管理がなされている教員数のなかでは、助教1名の獲得は大いなる功績である。それはともかく、助教は、筆者の勤務機関では任期2年、1年ごとの再任も可であるが5年を超えることができないという規程がある。このポストに1名について公募したところ40名強の応募があった。履歴書や業績リストなどを読み進めて面接対象者を絞り込む作業をするなかで、いろいろなことに気付かされた。

その1つは、助教を渡り歩く者の多いことである。応募者の多くが、専任講師や准教授に進めず、再度助教のポストに応募しているのである。それは、助教として公募する職の多くが、職務内容を限定していることによるところが大きい。たとえば、FD、IR、学生支援など、大学において新たに必要とされるようになった職務には、助教を当てることが多い。これらは、大学としては必要な職務であるが、助教自身にとっては必ずしもその後のキャリアにつながるとは限らない。というのも、以前の職場での仕事や研究業績と、応募した職場が求める職務や研究とに連続性がないことが多く、適性やポテンシャリティの判断が容易ではないからである。職務の限定性が壁になって、以前の業績がプラスに働かない。こうした循環が、助教職を転々とする若手研究者を産みだしているようだ。

加えて言えば、職務が特定されたポストの場合、職務として研究を行っても、そこで得た知見を自身の研究成果として公表できるか否かという壁もある。研究上では意味がある結果であっても、大学のプレゼンスを考えると公表が許されないケースもあり、特に職員からの転ばぬ杖的な規制は大きい。

では、限定的な職務にあたる助教をテニュア・トラック制度の導入によって救うことができるかと言えば、そうでもない。そもそも職務そのものが、教員と職員の中間に位置づく専門職的な仕事であり、ディシプリンに依拠して教育研究に従事しているこれまでの大学教員とは異なるからである。

助教という仕事の苦悩は大きい。これはひいては、若手研究者を養成できていない日本の学術界の問題に結びつくのだが、どこに解決の糸ロがあるのだろう。

助教の苦悩と日本の学術界|IDE 2017年10月号 から