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記事紹介丨モラールアップ

モラールアップ経営とは、たんなるテクニックで成りたつものではありません。 いわば、社長の考え方や生きざまそのものです。 ここで肝心なのは、社長の考え方や生きざまを、どうやったら社員すべてに浸透させるかということです。 一人で威張っているだけでは、社員たちに理解させ、行動につなげることはできません。 そこで、「知らしめること」の重要さが出てきます。 たとえば、会社を訪れたお客様から、職場の環境が「きれいだね」、「美しいわね」というお褒めのことばをいただいた場合、一部の関係者だけが喜ぶのではなく、全員にこの事実が伝わる仕組みができていることが、大切なのです。 社員旅行に出かけたときに、当社の社員がバスのなかにピーナツ一つ落とさないので、バスガイドさんから「これだけ騒いで、これだけバスをきれいに使う団体さんはほかにない」と褒められる、といったことも同様です。 褒められたことを、全員が知ることが大切だと思います。 こうしたことの積みかさねが、社員自身のなかに誇りを育てていきます。 社員一人ひとりの日々の言動が向上し洗練されていくと、幸福感が高まり、やがて結果的に業績にも反映されていくように思います。 私は、経営とは「知らしめること」であると思います。 経営者は、話し上手、伝え上手でなければなりません。 伝えることがうまくいかないと、経営はうまくいきません。 経営とは伝えることであると言ってもよいでしょう。 どんなに高い志も、話が下手では伝わりません。 古今東西、人間は、伝えることにどれほどのエネルギーを費やしてきたことでしょう。 企業も行政も、「伝える」ために大きな費用を使い、情報産業は巨大なものに育っています。 会社として、お客様に向けては多大な費用と労力を使って伝えていますが、それと比較して会社の内部に伝えることに重きをおいている経営者は少ないのではないでしょうか。 トップの理念や考え、指示やその目的を社員に伝え知らせることは、モラールアップの最大の手段であると思います。 組織のトップは、組織を構成する人たちに徹底して自分の考えを知らせる努力をしたいものです。 情報を、バラバラでなく系統立てて伝え、それを必要とする社員が等しく共有するということをきちんとやっていれば、おのずから社員の行動様式...

記事紹介|僕たちができることがあるはずだ

前回はフェイスブックの創設者であるマーク・ザッカーバーグ氏が5月末に米ハーバード大学の卒業式で行った祝辞を取り上げました。 彼は祝辞の中で「目的」の大切さを強調し、次のように語りかけました。心にとまった表現の一部を、私なりの解釈でご紹介します。 □ 僕らは、大きな目的に向かって進むことが必要だ。大きな目的に進もうとすると、狂人扱いをされてしまう。「何をやっているのかわかっていない」と非難される。でも、事前に全部わかっているなんてことは不可能だ。ミスを恐れるあまり、何もしないでいたら、結局何もできなくなる。 僕らは僕らの世代の課題に取り組むべきだ。気候変動問題(温暖化問題)に取り組むのも、すべての病気に関する遺伝子データを集めるのも、オンラインで投票できるようにして民主主義を現代化することも、やる価値がある。みなが目的を持って取り組むこと。みなが目的を持てるようにすること。それが大切なのだ。 そして、誰もがその目的に参加する自由を持てるようにすることだ。 しかし今日、僕らの社会は深刻な格差の問題を抱えている。その格差のために、誰かがアイデアを実行に移すことができなかったら、それはみんなにとっての損失になる。 僕は大学を中退して何十億ドルも稼げたけれど、その間に何百万もの学生が学費ローンの支払いに困り、自分たちのビジネスを始めることができないでいる。そんな社会は間違っている。 よいアイデアを持ち、頑張って働いたからといって、誰もが成功するわけではない。運も必要になる。新しい挑戦を始められるような余地がなければ、起業は成功しない。人々が安心して起業に取り組めるような余裕が社会に必要なのだ。 誰もがミスをする。だからこそ、一度失敗したら、それで社会的に抹殺されることがない社会が必要だ。 ミレニアル世代(1980~2000年ごろに生まれた世代)にアイデンティティーを問うと、一番多い回答は国籍でも民族でもなく、「世界市民」だという調査結果があるという。 世界の人々と協力して、僕たちは世界から貧困や病気を終わらせることができる世代でもある。気候変動問題や世界的な感染症の拡散について、どの国も一国だけでは対処できない。グローバルな協力関係が必要なのだ。 人々が自分自身の人生に目的と安定を感じて生きられるとしたら、人類は、他の地域の人...

記事紹介|今日は、記憶の継承「慰霊の日」

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沖縄は今日(6月23日)、20万人を超える人が亡くなった沖縄戦から72年となる「慰霊の日」を迎えました。関連記事をご紹介します。 沖縄 あす慰霊の日 大田元知事を偲んで|2017年6月22日東京新聞 沖縄県の大田昌秀元知事が亡くなりました。鉄血勤皇隊として激烈な沖縄戦を体験し、戦後は一貫して平和を希求した生涯でした。沖縄はあす慰霊の日。 人懐っこい笑顔の中に、不屈の闘志を感じさせる生涯でした。 今月12日、92歳の誕生日当日に亡くなった大田さん。琉球大学教授を経て1990年から沖縄県知事を8年間、2001年から参院議員を6年間務めました。 ジャーナリズム研究の学者として沖縄戦の実相究明に取り組み、知事時代には「絶対に二度と同じ悲劇を繰り返させてはならない」との決意から、平和行政を県政運営の柱に位置付けます。 「平和の使徒」として 敵味方や国籍を問わず戦没者の名前を刻んだ「平和の礎(いしじ)」を建立し、沖縄県に集中する在日米軍基地の撤去も訴えました。 「全ての人々に、戦争の愚かさや平和の尊さを認識させるために生涯を送った『平和の使徒』だった」。長年親交のあった比嘉幹郎元県副知事は告別式の弔辞で、大田さんの生涯を振り返りました。 大田さんはなぜ、学者として、そして政治家として一貫して平和の大切さを訴えたのでしょうか。 その原点は、大田さんが「鉄血勤皇隊」として、凄惨(せいさん)な沖縄戦を体験したことにあります。 太平洋戦争末期、沖縄県は日本国内で唯一、住民を巻き込んだ大規模な地上戦の舞台と化します。当時、40万県民の3分の1が亡くなったとされる激烈な戦闘でした。 鉄血勤皇隊は、兵力不足を補うために沖縄県内の師範学校や中学校から駆り出された男子学徒らで編成された学徒隊です。 旧日本軍部隊に学校ごとに配属され、通信、情報伝達などの業務のほか、戦闘も命じられました。女子学徒も看護要員として動員され、学校別に「ひめゆり学徒隊」などと呼ばれます。 醜さの極致の戦場で 沖縄県の資料によると、生徒と教師の男女合わせて1987人が動員され、1018人が亡くなりました。動員された半数以上が犠牲を強いられたのです。 沖縄師範学校2年に在学していた大田さんも鉄血勤皇隊の一員として動員され、沖縄守備軍の情報宣伝部隊に配属されました...

改めて悟れ、文科省の覚悟を

初代文部大臣森 有禮(もり ありのり)が職員の心構えを記した「自警」 自警 文部省ハ全国ノ教育学問ニ関スル行政ノ大権ヲ有シテ其任スル所ノ責随テ至重ナリ 然レハ省務ヲ掌ル者ハ須ラク専心鋭意各其責ヲ盡クシテ以テ学政官吏タルノ任ヲ全フセサル可カラス 而テ之ヲ為スニハ明ニ学政官吏ノ何モノタルヲ辨ヘ決シテ他職官吏ノ務方ヲ顧ミ之レニ比準ヲ取ルカ如キコト無ク一向ニ省務ノ整理上進ヲ謀リ若シ其進ミタルモ苟モ之ニ安セス愈謀リ愈進メ 終ニ以テ其職ニ死スルノ精神覚悟セルヲ要ス 明治19年(1886)1月 有禮自記 (解釈)   文部省は、全国の教育学問に関する行政の大権を有しているので、その責任は大変に重いものである。 したがって、文部省の職務を担当する者は、専心誠意その責任を尽くして、学問をつかさどる行政官吏の任をまっとうしなければいけない。そしてそのためには、学問をつかさどる行政官吏であることをわきまえ、決して他の官吏と比べることはせず、ひたすら文部省の職務に熟達することを計り、ある程度になったからといっても満足しないで、もっと、もっと上に進むよう努力し、最後にはその職に死んでもいいくらいの精神を自覚することが必要である。

記事紹介|国立大学の将来像

提言の趣旨 本提言は、我が国及び世界の高等教育の歴史と現状、高等教育を取り巻く社会構造の変化について確認し、我が国における今後の高等教育の一層の重要性を強く再認識した上で、将来の我が国の高等教育全体の在り方を考察し、その中で国立大学に求められる使命を確認して、自らの将来像を提言し、その実現に向けた方策を示すものである。 特に重要と考えるポイントは、将来の国立大学の方向性について、①全国的な高等教育機会の提供及び今後の地域・地方活性化の中核として期待される役割を踏まえること、②高い水準の研究を推進し、大学院の充実を基盤とした高度の教育研究を国際的競争力を持って展開すること、③産業界及び自治体との連携を強化し、地域との教育研究両面における本格的な協働による社会のイノベーションを先導すること、④優れた日本型教育システムの輸出を含む国際貢献を強化すること、を示した上で、⑤これらを支える大学運営・経営の効率化と基盤強化を図るために、「全国各都道府県に国立大学を置く」との原則を維持しつつ、各種大学間等の多様な経営的な連携・融合の在り方について、今後検討すべきモデルを提示したことである。 国立大学の今後の使命とその実現のステップ 国立大学は、今後、少なくとも10数年後以降の将来(2030年頃)の我が国と世界が直面する状況を把握した上で、それまでに、①現在の国立大学が持つ機能を最大限に発揮できる環境を整備しつつ(国立大学の機能の最大化)、②将来の状況に対応できる準備を確実に進める必要がある(将来に向けての準備)。 「国立大学の機能の最大化」とは、新たな価値創造の基盤となる先進的な研究の高度化と地域や産業界の変革や成長分野を切り拓きイノベーション創出を牽引できる人材を育む教育の充実である。 「将来に向けての準備」とは、留学生や社会人を含む多様な入学者の受入れ拡大と教育の充実のための国立大学総体としての連携・協働、経営力の強化と国・地域・産業界等からの戦略的な投資の呼び込みなどである。 国立大学の将来像 教育 学部・大学院教育においては、学士・修士・博士などの学位に着目したプログラムの体系的整備と学生の大学間の流動性の向上、大学間や地域・産業界とも連携した教養教育や学生の主体的学習を含む実践活動・課外活動の充実を推進する。 特に大学院につい...

記事紹介|沖縄が戦後70年間ため込んだ思いの重み

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沖縄に国吉勇氏という方がいらっしゃる。60年以上にわたってガマと呼ばれる洞窟(沖縄戦中に防空壕や病院壕などとして沖縄県民・日本軍などに使用されていた)に潜り、たった一人で遺骨・遺品を収容してこられた方である。戦後70年以上が経過した今、私たちは国吉氏の活動を未来に継承できるかどうかの岐路に立たされている。若者として自分は何が出来るか、私見を述べさせて欲しい。 "Most ignorance is vincible ignorance. We don't know because we don't want to know."(拙訳:大半の無知は克服可能だ。我々が知らないのは、知りたくないからである。) 引用したのはイギリス出身の作家オルダス・ハクスリーの金言である。私たちは知らぬ間に不都合な事実を看過し、独善的な無知へと堕落していく。そのような無知は他者にとって極めて暴力的なものになり得る-1年半前に沖縄を訪れたとき、私はそう痛感した。 2015年冬、私は国吉勇氏の戦争資料室を訪れた。そこには十数万点にも上る遺品が保管されている。陶器製地雷・炭化米・曲がった注射器・杯... 異様で不気味な遺品の数々を鷹揚に手に取りながら、国吉氏は私に各々の遺品の説明をして下さった。 「地雷が陶器で出来ているのは鉄が足りなくなったから。日本軍は兵站を軽く見ていたんよ。」 「米が焦げてるのは火炎放射器のせい。アメリカが壕の中に火炎を放ったでしょ? そのせいで食べ物は炭になるし、ガラスは融けて曲がる」 「日本軍の陣地にいた兵士が切り込みを命じられたとき、死を覚悟して酒を呷った時の杯だと思う。天皇陛下万歳って叫びながらね...」 一言一言をかみしめつつ、虚空を向いて物語る国吉氏をじっと見ていると、まるで彼の境界線が融け遺品と混じり合うかのような印象に取り憑かれる。遺品から読み取られる事実を淡々と語る彼の言葉からは、沖縄戦の苦しみの中で尊い命を失うことになった多くの魂が遺品に託した怨言と内省がにじみ出ているのだ。全体主義に狂乱し、浅薄な作戦に組み込まれ、最後は国体護持のための捨石として総勢20万人が命を落とす苛烈な地上戦の舞台となった沖縄が戦後70年間ため込んだ思いの重みに、私はただ絶句するばかりだった。 国吉氏のお話を伺う...

記事紹介|研究界への社会教育が不十分

わが国の科学研究は高価格体質をもつ。様々な非合理的要素の累積によるが、一つの大きな理由は、機器や消耗品費などの直接研究費の過大さにあり、主として外国製品の席巻の結果である。大学においてこの非効率性を相殺するのが労務費の低さ、つまり前述(コラム4)の大学院学生の無償ないし超低賃金による知的労働奉仕である。しかし、これでは不都合の重複と言わざるをえない。 このいびつな状況で、例えば100億円の経費をかけての論文生産力など、研究成果の国際比較を問うことは、まったく意味をなさない。また文科省の予算獲得努力も水泡に帰し、状況の抜本的改善なくして、研究振興政策も持続性を失うことは明らかである。日本学術振興会などの研究資金配分機関、諸分野の学協会はこの状況をいかに把握しているであろうか。 研究の海外製品依存 例えば、有機合成化学で用いる3万種以上にのぼる化学薬品、多様な触媒や酵素類は特定の外国企業の寡占状態にあり、商品カタログを比較すると数十%から2倍の価格の違いがある。ビーカーさえ2倍の値段である。この状況は少なくとも20数年来変わっていない。 より深刻なのは、世界全体で年間5兆円、国内で5,000億円規模とされる実験用分析機器の市場である。電子顕微鏡、核磁気共鳴装置、表面分析装置などの汎用分析機器の開発力については、欧米勢が優位にたつものの、わが国企業も健闘し、現在でも9%程度の世界シェアを保つ。一方、生命科学関係の新鋭機器開発については、1990年代から分野の急速な勃興、潮流をいち早く読んだ海外、とくに米国ベンチャー企業が覇権を握る。わが国の存在感は極めて乏しく、世界シェアは1%以下に過ぎない。全科学分野では日本製と外国製が拮抗するが、生命科学分野では外国製が大勢を占める。 分析機器市場は、機器販売(50%)、消耗品販売などのアフターマーケット(37%)、保守サービス(13%)の3事業からなる。購入価格はほぼ輸入代理企業の言いなりであり、たとえばDNA解析装置では、付随して必要な高額の試薬の購入も同時に強いられる。さらに、パッケージ化された機器は、購入後も自ら保守、内部検査、故障修繕することも許されない。技術の高度化とともに研究費の高騰が続く中、彼我の差は開く一方である。 海外製品依存のわが国の生命科学研究は、個人的に聞いた話で...

記事紹介|学位の価値

文部科学省元職員らによる大学への天下り問題には、これまでに報じられた違法性の問題以外にも、教育行政上の重要な論点がある。学位の価値という問題はその一つ。それに気づかせてくれたのは、3月の参議院予算委員会のやりとりだった。 質問した野党議員が、大学の教授職に就いた文科省の元職員は最近3年半で15人おり、全員が博士号を持っていないという事実を指摘した。続いて国土交通省の事例も明らかになったが、大学教授になった26人のうち少なくとも23人が博士号保持者で、この点で我が国の高等教育行政をつかさどる文科省との差が際立った。この問題はマスコミにほとんど顧みられなかったが、問題を三つに分けて整理してみたい。 第一に、平成に入って以降文科省が推進してきた大学院重点化政策を文科省自らが否定している。この政策は、大学教員全体の博士号保有率を引き上げる意図が含まれていたはずだ。博士号を持たない文科省の元職員15人が大学教授となったのはそれと相反する行為ではないのか。 第二に、大人が抜け駆けしたという情けない事実である。大学院重点化政策は一面で成功を収め、大量の若い博士を誕生させた。けれども、若い博士の雇用創出に政府は無頓着だったため、結果として博士号を持っていても働き口がない、やっと見つけた就職先は期限付きばかりという、いわゆる高学歴ワーキングプアという負の側面を生じさせている。 最後の問題は、大学教授の資格を規定した大学設置基準第14条が、大学や文科省によって恣意(しい)的に運用されている疑いがあることである。 条文には大学教授の資格として、博士号及び研究業績を有することという原則に続き、いわば補助的・例外的な「準ずる」規定がある。博士号がなくても、何か特別な能力を持っていたり、博士号取得者に準ずるような専門知識や研究業績があったりする場合には、それらを同等に扱おうという規定である。 かつて我が国の大学には、文系を中心として極端なまでに博士号授与を制限するという慣習や文化があったため、「準ずる」規定には歴史的な役割があった。けれども、大学院重点化が進み、多くの博士号取得者が生まれた今、この規定の持つ肯定的な意義は薄れている。逆に縁故などで規定が恣意的に運用され、本来は教授としてふさわしくない人物を採用してしまうリスクが高まっているのではないか。 国交省の場合...

記事紹介|世界に開かれた強い大学システムを作る

先日、競合する複数の会社が運搬コストを節減するため貨物列車を共同使用する、というニュースを見た。 限られた資源を共同利用して、効率的に新しい価値を生み出す経済活動(広い意味でのシェアリング・エコノミー)が盛んになっている。カーシェアリングやシェアハウス的な試みが様々な分野に拡がる。例えば、岡山県真庭市では、芸術家が長期滞在し創作活動を行う「アーティストインレジデンス」に加えて、芸術家だけでなく異業種の外国人が同居するインターナショナル・シェア・ハウス方式を導入した。 大学の世界でも、効率的運営と成果最大化を狙って、複数大学参加によるベンチャーファンド、留学生支援などこれまでも様々な連携が進んできた。また、「大学が多すぎる」との指摘は周期的に強くなり、それに伴って大学統合も行われた。昨今、「国公私立の枠を超えた大学再編」が、政府の骨太方針や成長戦略に盛り込まれそうな勢いで、地方大学振興等有識者会議、中教審などで議論が行われている。 大学再編を想定する場合、その背景・目的によって、(1)地方の経営困難な私学救済策や人材確保策としての公的組織化、(2)県内の高等教育基盤強化のための連携、(3)県域を越えた経済圏などを想定した大学システム構築、の3つのパターンに分類できるのではないか。 (1)と(2)は、地方創生にとって重要な論点で、三重県・三重大学などから積極的な提案がされている。しかし、下手すると一県単位のビジョンしか描けず、各県が資源を取り合うこととなり、縮小均衡へと陥る危険性がある。世界との繋がりも視野に入れた発展モデルとなるかどうかが鍵だ。 (3)のパターンは、産学官の力を結集して、首都圏以外の地域での世界に開かれた強い大学システムを作ることができれば、大きなインパクトを持つ。(1)と(2)に留まるのでは無く、(3)も含めて現場からの前向きな提案が欲しい。 折しも、加計学園獣医学部新設を巡って官邸・内閣府VS文科省前事務次官の構図が注目を浴び、未曽有の政治問題となっている。高等教育局を始め文部科学省は、本来行うべき業務に全力を尽くせないかもしれない。こんな時こそ、従来に増して大学人が日本の大学全体の発展のために奮起するべき時ではないか。 大学間の連携から世界と戦う大学再編へ|平成29年6月5日文教ニュース  から

記事紹介|「総理のご意向」文書問題

遅きに失したとは、まさにこのことだ。加計(かけ)学園の獣医学部新設をめぐる「総理のご意向」文書などについて、松野文部科学相が再調査を表明した。 朝日新聞がその存在を報じてから3週間余。この間、政権の対応は、国民を愚弄(ぐろう)するもの以外の何物でもなかった。 菅官房長官は「怪文書」と切り捨て、文科省は短期間の調査で「存在を確認できなかった」と幕引きを図った。前川喜平前次官らが文書は省内で共有されていたなどと証言し、それを裏づけるメールのコピーを国会で突きつけられても「出所不明」と逃げの姿勢に終始した。 突然対応を変えたのは、強まる世の中の批判に、さすがに耐えきれないと判断したのか。 あきれるのは、文科相が「安倍首相から『徹底した調査を速やかに実施するよう』指示があった」と説明したことだ。 怪文書呼ばわりしたうえ、前川氏に対する人格攻撃を執拗(しつよう)に続け、官僚がものを言えない空気をつくってきたのは首相官邸ではないか。反発が収まらないとみるや、官房長官は「再調査しないのは文科省の判断」と責任転嫁も図った。 こんなありさまだから、再調査に対しても「情報を漏らした職員を特定する意図があるのでは」と疑う声が出ている。 また「徹底した調査」と言いながら、文科省に「ご意向」を伝えたとされる、国家戦略特区担当の内閣府の調査は不要だというのは納得できない。 特区は首相肝いりの政策であり、国民が知りたいのは、そこに首相の個人的な思いや人間関係が入り込んだか否かにある。行政が公正・公平に行われたことを説明する責任は政権全体にあり、内閣府についても調査を尽くすのは当然である。 再調査では、前川氏をふくむ関係者に協力を依頼するのはもちろん、以下のような取り組みが求められる。 まず、信頼性を担保するために外部識者を調査に加えることだ。このような場合、第三者にすべて委ねるのが筋だ。それが難しいとしても「外の目」の存在は必須だ。文科相は消極的だが、世間では常識である。 次に、調査を最大限急ぐことだ。拙速はよくない。しかし、国会は会期末が迫る。再調査を口実に、ずるずる日を過ごすようなまねは許されない。 そして調査結果がまとまったら、首相らも出席して報告と検証の国会審議を行うことが不可欠だ。そのための会期延長も検討されてしかるべきだ。 政権の姿...

記事紹介|人文・社会科学に求められる役割

提言 学術の総合的発展をめざして - 人文・社会科学からの提言 - 平成29年(2017年)6月1日 日 本 学 術 会 議 第一部 人文・社会科学の役割とその振興に関する分科会  要 旨 1 本提言の背景-人文・社会科学から見える学術の危機 国立大学法人に対する平成27年(2015年)6月8日の文部科学大臣通知(以下、「6.8通知」)を受け、日本学術会議は二度にわたって幹事会声明を公表した。これらの二つの幹事会声明を継承し、かつ日本学術会議がこれまでに発出した原則や指針とも関連させながら、本提言では、日本の学術が直面する諸状況、解決すべき喫緊の課題を整理し、学術振興のために人文・社会科学が果たすべき役割と課題を検討した。 人文・社会科学には、時間と空間の視座を組み合わせ、多様なアプローチを駆使して諸価値を批判的に検証するという特質がある。学術の発展のためには、取り分け中長期的な社会的要請に応えるためには、人文・社会科学のこの特質を活かすことが欠かせない。人文・社会科学と自然科学の双方が協働して学術の危機を克服し、人類が直面する諸問題の解決に当たらなければならない。 2 本提言の位置づけ-2001年声明と2010年提言の継承と発展 平成23年(2011年)の東日本大震災と福島第-原発事故は、科学・技術のコントロールには学術の総合的考察が不可欠であることを再認識させた。この年に始まった日本学術会議第22期(平成23年10月~平成26年9月)は、福島第一原発事故がもたらした深刻な諸問題の解決と復興課題に組織をあげて取り組んだ。この経験を踏まえ、本提言は、21世紀に入って日本学術会議が発出した二つの意思(声明および提言)「21 世紀における人文・社会科学の役割とその重要性」[2001 年声明]及び「日本の展望-人文・社会科学からの提言」[2010 年提言]を継承・発展させつつ、改めて人文・社会科学が果たすべき役割と課題を論じ、その実現のための要点を五つにまとめた。 3 学術の総合的発展のために-人文・社会科学からの提言 人文・社会科学は教育・研究における自己改革をいっそう進めるとともに、学術の総合的発展を目指して、人文・社会科学の立場から以下の5点を提言する。 (1)教育の質向上と若者の未来を見据えて高...

記事紹介|アジアの関心は日本にあらず

大学ランキングをはじめとした日本の大学の評価あるいは評判について、日本の大学のことが世界に知られていず、十分な評価が得られていないと嘆く人が多い。だが、私は最近のいくつかの経験で、日本の大学が自分たちのことを知ってもらうための努力を十分しているのだろうかと疑問を持った。 先日ベトナムの大学に行ったとき、日本の大学の財政状況について講演してほしいとの依頼があった。そこで、英文の講演資料を作ろうと思い文科省や各大学の英文HPをいろいろ見たのだが、学生向けの学部案内などはあるものの、大学の経営や財政に関する英文資料は大変不十分だと感じた。財政状況の記述は多少あるものの、難しい行政用語を直訳したような記述ばかりで、何が課題でどうしようとしているか分からない。 これは考えてみると、日本語のHPにも同じ問題があり、財務諸表などの資料は公開しているものの、それがどのような状態であり、これからどうなるかは一般の人にはまるで分らない。素人にはわからないのは当然だと言わんばかりの対応だが、予算の獲得にせよ寄付金の獲得にせよ、一般市民の理解と支援が必要なのにその努力をしているとは思えないHPの記述となっている。 このように、日本の大学は、海外はもちろん国内でも、自分たちを理解してもらうための努力をあまりにもしていないと感じた。 次にマレーシアの大学へ行った。マレーシアの大学の国際交流のパンフレットを見ると、交流相手で大きく取り上げられているのはアメリカ、ヨーロッパ、中国、オーストラリアなどで、JAPANは資料のどこにも出てこない。説明してくれる幹部も気にして、申し訳なさそうに口頭で補ってくれたが、日本の扱いはその程度である。これは扱いが小さいのではなく、実績が小さいのでそれに応じた扱いをされているのだ。 日本の大学関係者には、日本はアジアの先進国であり、アジア各国は日本に大きな関心を持っているはずだとの思い込みがあるかもしれない。しかしアジア各国の視野は、グローバルに交流の良い相手を探しているのであり、日本はその中でどういう魅力を提供できるかが問われているのではないか。 このままでは日本の大学は、アジア各国の大学からの関心も持たれなくなってしまうのではないかと心配になった。これに対する対策は、日本の大学がこれからどうしようとしているかを明確に打ち出し、それを...

記事紹介|大学の研究力と責任

世界をリードできる研究は、結局のところ研究者一人ひとりの自由な発想とそれを実現する努力、またそれらを支える適切な環境によってもたらされる。多くの事例が明らかにしているとおりである。他入が目標を立てたお仕着せの研究からは、国内一流水準の論文や追いつき追い越せの報告書は生まれても、世界をリードする創造的な成果は得られにくい。このことは、世界水準の研究コミュニティにいる研究者であれば、誰もが肌で知っていることだ。 世界をリードする研究者とはどんな研究者なのだろうか。国際共著論文を出版しさえすれば世界をリードする研究者なのかといえば、もちろんそうではない。国際共著論文は結果に過ぎない。大切なことは、世界に先駆けた知の「生産者」かどうかということである。急速に進む情報通信技術の影響の一つは、知の生産者に比べて知の消費者が格段に増えたことだ。逆に言えば、本格派の知の生産者が以前より遥かに重要な位置を占める時代になったということだ。 世界水準の「研究力」の源は、世界水準の知を生産することのできる研究者にある。ただし、その力が十分発揮できるようにするには、「研究力」を発揮する適切な環境が必要だ。そのためには、大学や研究機関の役割、文部科学省をはじめとする政府の諸政策、日本学術振興会のような研究助成機関の役割、さらには科研費のように個々の研究者の自由な発想に基づく研究を支援する研究費の役割がきわめて大きい。 したがって、「大学の研究力」を高めるための方策は、自らの発想と目標をもとに世界水準で知の生産者たり得る研究者をできるだけ集めること、またそれらの研究者が十分に力を発揮できる「適切な環境」を創り出していくこと、これらの2点に尽きる。 ところが現実には、日本の大学、特にトップレベルと言われる大学において、もちろん個別には世界水準の研究者も多々おられるが、「大学の研究力」としては、世界の一流大学とベンチマークしたとき、上の2点はほとんど実現されていないと言ってよいのではないか。 第一に、世界水準の研究者を集めることが「大学の研究力」を高める第一の要件であるが、日本の大学は人事の流動性がきわめて小さく、常勤教員の個人評価も明確でない。このため、いったん常勤ポストを得た研究者の個人評価が大学の評価に直結していない。第二に、研究支援の専門職員がきわめ...

地方大学の生き残りのために

去る5月22日、政府の「 地方大学の振興及び若者雇用等に関する有識者会議 」による「 地方創生に資する大学改革に向けた中間報告 」が取りまとめられました。 やや産業界寄りの記述が多いように思いますが、このうち「 地方大学の振興 」に関する部分を中心に抜粋してご紹介します。 地方大学の生き残りが求められている中、当事者は何ができるかを真剣に考え、実行することが問われています。(太字は拙者) ◇ 1 はじめに 本中間報告は、 「まち・ひと・しごと創生総合戦略(2016改訂版)」(平成28年12月22日閣議決定) に基づき、 地方大学の振興 、東京における大学の新増設の抑制及び地方移転の促進、 地方における雇用創出及び若者の就業支援等についての緊急かつ抜本的な対策に向けた検討の方向 をとりまとめ、 地方を担う多様な人材の育成や産官学連携による地域の中核的な産業の振興を促進 するとともに、東京圏への人口の過度の集中を是正し、もってまち・ひと・しごと創生の実現を目指すもの。 2 基本的な問題認識 (1)大学を巡る現状と課題 ①地方の 国立大学 は、幅広い学問分野をカバーし総合的人材を育成してきたが、一方で 「総花主義」 、 「平均点主義」 のため、どの分野に重点を置いて人材育成を目指しているのか、 特色が見えない と言われている場合が少なくない。「総合デパート」としてだけでなく、 地方のニーズを踏まえた組織改革等を加速 し、それぞれの 特長や強みをさらに強化 する必要。 ②大学の大衆化(大学・短期大学進学率は約6割)の現実と、「学術の中心」という教育基本法に掲げる 大学の理念がかい離 し、 学術研究面でも、実践教育面でも、十分に応えきれていない大学が多い のではないかとの指摘。 ③日本の大学が、 産業構造の変化 (産業のサービス化、知識集約化等) に十分対応できておらず 、成長分野のビジネスや地方産業につながる人材育成、研究成果の創出といった面で、 地域のニーズや期待に十分応えていない との指摘。 ④大学経営は 企業側の人材の採用・育成、研究開発(オープンイノベーションの推進等)のあり方の改革と併せて考える 必要。また、大企業中心の発想を地域密着型の中堅企業(大学発ベンチャーも含む)中心に変える必要。一方で、大学の自主性を生かしな...