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いつまで続く模索と試行錯誤

天野郁夫さんが書かれた「国立大学の法人化-現状と課題-」(名古屋高等教育研究第6号)をご紹介します。 この論考は、国立大学が法人化して2年目に入った2006年(6年前)に書かれたものですが、この中で指摘された多くの課題が、今なお未解決のまま残存しています。 該当すると思われる部分を抜粋します。関係者は、改めて制度面、運用面について検証及び改善に向けた努力を深める必要がありそうです。 4 法人間の差異と格差-人的な資源 学長は法人化後、経営協議会と教育研究評議会から同数選ばれる委員からなる、学長選考会議によって選任されることになった。いいかえれば最高経営者としての学長は、「同輩集団」の直接選挙によらず、経営協議会委員という学外者を加えた学長選考会議が、大学の内外を問わず最適任者を選任できる仕組みになったのである。 しかし現状では学長は、学長選考会議で選任されるとは言っても、ほとんどの場合、選考手続きの一環として行われる教職員の意向投票を参考に、しかも学内から選任されるケースが圧倒的に多い。また、理事等の役員についても、一部学外から財務・人事等の専門家を任用する例がないわけではないが、一般的には、学内の教授陣のなかから任期付きで選任される場合がほとんどである。つまり現状では、国立大学法人の経営管理層の供給基盤は、それぞれの大学の現有する人的資源の量と質によって、大きく規定されていることになる。 法人化によって、文部科学省の直接的な「統制と庇護」から解き放された、一般の事務職員の場合にも、法人職員としての意識変革だけでなく、新しい経営体制に対応した職務の遂行能力の形成や向上が、重要な課題のひとつとなっている。しかし現状では、法人化からまだ2年ということもあるだろうが、どの大学法人とも、研修等を含む職員の人事政策の本格的な検討や策定を進めているようにはみえない。新しい任用試験制度の導入や、大学独自の方針による職員の新規採用、外部者の中途採用、地方自治体・企業等との交流人事も、一部の大学でようやく始まったばかりである。とくに、小規模の大学法人の場合、限られた数の職員を対象に、新しい試みを導入する余地はきわめて小さい。 大学の側からはしばしば厳しく批判されてきたことだが、これまでは、文部科学省の主導下に行われてきた本省と各大学、大学と大学の間の事務系管理職や一般職員の人事交流が...

「体験」と「承認」の実践

「 社会につなげる人材育成 」(日本私立大学協会私学高等教育研究所研究員 岩田雅明)(文部科学教育通信 No.285 2012年2月13日号)をご紹介します。 社会が求める人材 聞き飽きている言葉とは思うが、社会が大学生に求める能力・資質といったものについて改めて考えてみたい。2011年12月に就職情報関連の企業が「学生に求めるもの」というテーマで調査を行っている。それによると文系・理系ともトップは相変わらず「コミュニケーション能力」となっている。2位、3位は文系・理系とも共通で「熱意」、「基礎学力」と続いている。大学教育の中心といえる専門知識はどうかといえば、理系では4位となっているものの、文系では20位と重視される度合いは非常に低いものとなっている。 基礎学力や専門知識といったものは、これまでの大学教育でも養成してきたものであるが、コミュニケーション能力や熱意といった社会力、人間力といったものは、養成の対象とは考えられていなかった。それが最近の低い就職率や、就業後、比較的短期間での高い離職率といった状況が社会的な課題として注目されるようになり、社会の要請と大学教育との間に不整合があるのではないかということがいわれるようになってきてから、大学教育の対象として見直され出したものである。 キャリア教育 大学と社会とのつながりを円滑にするためのものとして出てきたのが、キャリア教育である。働くということを中心にして、自分に合った将来を設計させることをねらいとした教育プログラムである。キャリア教育が注目された直接の契機は、終身雇用の崩壊やフリーターの増加といったことであろうが、大学で教えてくれない人生にとって大事な二つのことは将来を考える方法とお金の儲け方だといわれるように、一般的な感覚としても、将来を考える機会というのは、教育の各段階に応じて設けられるべきであるという意識がベースにあったものと思われる。そして今年度からは、大学でのキャリア教育を義務付ける設置基準の改正も行われている。 現状、全国の大学で様々なキャリア教育が実施されているが、その内容を整理すると3つに分けられるのではないかと思う。 一つは自分を把握するということである。いろいろなアセスメントツールも開発され、それらを使って過去から現在までの自分を見つめ、自分の興味や関心の在り方、適性、強みや弱みといったこと...

リーダーを育てる(ドラッカー)

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人の育成にあたって最も有効な方法が、先生役をしてもらうことである。先生になることほど多くを学べることはない。先生役を頼むことは最高の評価である。営業マンであれ赤十字のボランティアであれ、「どうして成績がよいのか、話してください」と頼まれるほど、うれしいことはない。 有給のスタッフについては、内向きになることを防ぐために、意識的に外の風に当てなければならない。大学の社会人向けの講座にも出させるべきである。 企業では、脅威になるがゆえに部下を育てないとは、よく耳にする問題である。しかし一流の組織は仕事のできる人間を必要としている。ここにも非営利組織の強みがある。ボランティアは有給の役員のポストが欲しくて働いているわけではない。したがって脅威でも何でもない。 19世紀の終わりに大作曲家グスタフ・マーラーがウィーンに交響楽団を設立した。メンバーへの要求が厳しかったため、パトロンである皇帝が「やりすぎではないか」と下問したのに対し、彼はこう答えたという。「彼らの腕が上がって、彼らからの要求のほうが厳しいのです」 非営利組織のリーダーたる者、仕事のできる部下からのプレッシャーを歓迎しなければならない。「どうしてわれわれはもっとやれないのか。もっとよくやれないのか」といわれることを欲しなければならない。 ドラッカー名著集 4 非営利組織の経営 P.F.ドラッカー ダイヤモンド社 発売日:2007-01-27 ブクログでレビューを見る»

社員をクビにしない(土光敏夫)

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人は、すぐあれはこの点が駄目だと欠点をいうじゃないですか。神様はそんなことしませんね。誰だって長所があるもんだ。長所をみないで人事をやるなんておかしいですよ。そういうところで外れた人はぼくの直属にします。それがぼくのやり方ですよ。 意見はいいますよ。これは対等だから大きな声でやり合います。新入社員が相手でもね。熱を入れて喋るから社長は怒ったなんて誤解されることもあるが、ぼくは怒ったことなんてないんだ。 [新装版]土光敏夫 信念の言葉 PHP研究所 PHP研究所 発売日:2009-09-17 ブクログでレビューを見る»

Heroes 2011, Japan

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2011.03.11 東日本を大きな地震が襲いました。その後すぐ、海外から多くの支援が届けられました。日本を思うすべての方々へ、感謝の気持ちを。(You Tubeから) 楽譜のダウンロードはこちら http://hatamariko.com/2011%20Japan.mus.pdf 15ヶ国語での歌詞はこちら http://www.hatamariko.com/information/heroes-2011japan-lyrics/ We will stand strong again 仙台の八幡小学校 海外からの支援に感謝の歌(2012年2月24日 産経新聞) 東日本大震災で校舎にひびが入るなどの被害が出た仙台市青葉区の市立八幡小学校の6年生が、外国からの支援に感謝の気持ちを伝えるため、英語の歌の合唱に取り組んでいる。 2月には国際放送を通じて世界各地に発信された。 教師たちは「大人になっても、自然に海外の人に感謝の気持ちを伝えられるようになってほしい」と願っている。 Thank you, friends for away For all you think, feel and pray for me and my family (遠くにいる友達へ 私たちの家族のために思ってくれてありがとう) 6年生約110人がひしめく音楽室に歌声が響きわたる。子供たちが真剣なまなざしで追っている英語の譜面にふりがなを書くのは禁止だ。指導する学年主任の深瀬光子教諭(48)は「耳から覚えたそのままの音で、外国の人に語りかけるように口ずさんでほしいから」と話す。 昨年4月、別の小学校から転勤してきた深瀬教諭は担任する6年2組の子供たちの前に初めて立ったときのことが忘れられない。「なんでこの子たち笑わないの…」。暗い表情に驚き、子供が何げなく発した言葉に衝撃を受けた。 「6年生は教室が1階だから地震が来たらすぐ逃げられるね」 震災時、5年生の教室は4階にあり、この子供たちはそこで大きな揺れに遭遇していた。「普通なら、休み時間に校庭に一番に出られるとか、そういう喜び方をするのに…」 この子たちに何か前向きになれる取り組みをさせたい。そんな時、保護者を通じてある歌を知った。「Heroes 2011, Japan」。音楽家の秦万...

弱者の共倒れ

震災の影響もあってか、多くの人が、人間の”絆”の大切さを強く意識するようになってきたような気がします。しかし、一方では、相変わらず「孤立死」といった悲劇が連日紙面を賑わせています。 社会全体で弱者を救うためには、一人一人が慈愛の心を持つ、持つように心がけることが肝要かと。言葉だけでなく行動で。 天声人語(2012年2月24日付) 一つ屋根の下、という表現がある。そこにあるべきは一家だんらんであり、つましいけれど幸せな日々だろう。しかしこの現実を前に、ありきたりの言葉は意味を失う。 東京都立川市のマンションで、45歳の女性と4歳の息子らしき遺体が見つかった。床に倒れた母親の死因はくも膜下出血。知的障害がある坊やは一人では食事ができず、手つかずの弁当はあるも胃は空だった。2人ぐらしのお母さんを突然失い、空腹のうちに息絶えたらしい。 一家の亡きがらが、時を経て自宅で発見される事例が相次いでいる。さいたま市では、60代の夫婦と30代の息子。家賃と水道代が滞り、電気とガスも止められていた。近所づきあいも、生活保護の申請もなかったという。所持金は1円玉が数枚だった。 札幌市では姉(42)と障害のある妹(40)、釧路市では妻(72)と認知症の夫(84)。いずれも、病気や高齢などのハンディを抱えた「弱者の共倒れ」である。なんとか救えなかったか。 衰弱の末の死は緩やかに訪れるはずで、複数が同時に事切れたとは考えにくい。一つ屋根の下、残された人の落胆や焦りを思う。札幌で姉に先立たれた妹さんは、携帯電話のキーを何度も押していた。 こうした悲劇には、公共料金の滞納、たまる郵便物などの前兆がある。微弱なSOSが、プライバシーの壁を越えて行政に届く策を巡らせば、かなりの孤立死は救えよう。懸命に生きようとした人の終章を、天井や壁だけが見届ける酷。きずな社会への道は険しい。

秋入学移行問題

「 東大の秋入学-その意味を考える 」(広島大学高等教育研究開発センター長 山本眞一)(文部科学教育通信 No.285 2012.2.13)から抜粋してご紹介します。 秋入学と大学の多様化 東大の案は、しかしそのような対策の意味もあってか、過去に議論されてきたような純粋な意味での秋入学よりは複雑な仕掛けである。つまり、高等学校以下の教育に与える影響を最小限にとどめるには、入試の時期は現行から大幅に変えることは難しい。そのためもあろうが、「ギャップ・ターム」という半年間の余裕を入学前に持たせてある。この半年は「入学前」とあるから、まだ大学生ではないがしかし浪人ではなく、入学が約束された「予定者」である。この間に何をやるかは、実際には東大が考えているよりもはるかに多様なものになるであろうが、それが高等学校までの受動的な学習と大学入学後の能動的学習とのギャップを埋めるものになるかどうかは、依然として議論の余地が大きいと考える。あまりに過剰に大学が関与すれば、学部教育の期間が実質4年半に延びるだけということになって秋入学のメリットの半分が損なわれるであろう。しかし学生の自己責任だけであれば、学生の学力問題に加え、東大など有力大学ならともかく、多くの大学にとって半年後の入学者数の予測が立ちがたくなる心配もあろう。 それよりも、一番大きな問題は、今回の東大のプランが実行された場合、大学の多様化を推し進める決定的要因になるのではないかということである。東大の中間まとめでは国際化の必要性とくに学生の多様性や海外大学院への留学の容易化を強く主張しているが、そのようなことが言えてかつ実行に移せるのは、選抜性が高い研究中心大学だけであろう。多くの大学は大衆化の中で、かつ18歳人口の減少に苦しみつつも、国内市場での生き残りをかけて頑張っている。高校卒業後に空白ができることに不安を抱くのは、学生だけではなく、学生確保が何より大事な多くの大学の方ではあるまいか。私学では秋入学以降による授業料収入の減少問題をどのように解決するかという難問もある。就職時期の弾力化、通年化も就職に強い有力大学にますます有利に働くだけという、影の声があることも忘れてはならない。したがって、秋入学に移行できる有力大学とそれに関心を示しつつも結局は踏み切れない多くの大学とに分かれて、これが意図しない、しかし目に見える形で...

大学のセンセイは人気の商売?

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「 大学の教員になる方法・理系の巻 」(梨戸茂史)( 文部科学教育通信 No.285 2012.2.13 )から引用してご紹介します。  ◇ このページを読んでおられる方の大半は、大学の教員と推察いたします。だから関係のない方も多いでしょう。いっとき話題になった鷲田小彌太著「大学教授になる方法」、この新版が出ている。 本書が面白いのは、大学教授になることのメリットやデメリット、なるための裏技などが公開されているところ。まず、メリットは「給与が保証され、休日が多い」「研究費つき」「長期留学や学会出張の名目で、遊学や名所見物が堂々とできる」「社会的に一定度の信用がある」「定年が遅い」など。デメリットは「足の引っ張り合いは日常茶飯事」「平均して、大学卒業後10年間の準備期間が必要」「少子化」などがあるそうだ(少子化はこれから大学が定員割れから縮小、廃校など危機が来るという話。でもまあ、すぐにはそうなるまい)。また、通常、大学の教員は博士号を持っていることが前提だが、修士号すらなくとも大学教員になる方法だとかサラリーマンから転身する方法、おまけは教授になるための学術論文を書く方法なども掲載。有益な本だと思う。 前作の「大学教授になる方法」から10年だった今回の著作には、前者を読んで大学教員になったという読者の手紙が掲載されているのが特色。 しかし、理系となると話は別。ほぼ絶対に博士号が必要。そのためには学部の時代から研究室に入って実験などを手伝う必要がある。「生き物」を扱ったり、一定時間の実験を必要とする研究ならば、下宿はあっても帰れない。寝袋で研究室泊まりは日常の風景。アルバイトもままならない。博士号が取れても、その先はポスドクの悲哀が待っている。先のあてのない肉体労働者だ。それでも教授(准教授)に忠誠を誓わなければ、未来はない。 ところで、「博士号とかけて足の裏に付いた米粒ととく」という有名な話があるのも理系の世界。そのこころは、「取れないと気持ちが悪いが、取っても食えない」。 理系ポストの採用基準は、「業績=論文」。論文とはもちろん国際的な雑誌に投稿した論文で、数も込要。ただ単に数ということだけでなく、インパクトファクターという雑誌のランクも関係するそうだから大変。もっとも採用のための委員会(現場)に立ち会った経験から言えば、説明役の先生...

ミッションを感じさせる(ドラッカー)

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非営利組織の強みは、報酬のためでなく大義のために働くところにある。それだけに、組織の側に、情熱の火を燃え続けさせる責任がある。仕事を労働にさせてはならない。 情熱の維持については、非営利組織の中では病院が特に不得手なようである。あまりに多くの仕事が定型的である。辛いことから身を守るために無感覚になろうとしているということもある。 したがって病院において大事なことは、いろいろな部門の人を集め「われわれが誇りとするものは何か」「われわれはどのような素晴らしいことをしたか」と聞くことである。「心臓発作で一晩に六人運び込まれたが、みな助けた」との答えを得ることである。何事も成果に焦点を合わせなければならない。 ミッションを感じることこそが非営利組織の活力の源泉である。しかし、そこには困った問題もついている。成果をあげられない者を抱え込むという問題である。できない者もまた戦友である。そのため、仕事ができなくとも辞めさせることには二の足を踏んでしまう。 この問題についてはここでもう一度シンプルな原則を繰り返させていただきたい。挑戦してくるならばチャンスを与えるべきである。挑戦してこないならば辞めてもらうべきである。 ドラッカー名著集 4 非営利組織の経営 P.F.ドラッカー ダイヤモンド社 発売日:2007-01-27 ブクログでレビューを見る»

執念をもって仕事せよ(土光敏夫)

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仕事に困難や失敗はつきものだ。そのようなとき、困難に敢然と挑戦し失敗に屈せず再起させるものが、執念である。そればかりでない。およそ独創的な仕事といえるものも、執念の産物であることが多い。湯川博士は中間子理論のヒントを寝床の中で得たという。しかしその背後には、寝ても覚めてもその一事に凝り憑かれた長い執念の期間があったことを忘れてはなるまい。 物事をとことんまで押しつめた経験のない者には、成功による自信が生まれない。能力とは「自信の高さと幅」だといえる。自信を一つ一つ積み上げることが、能力を獲得する過程である。執念の欠如する者には、自信を得る機会が与えられない。 経営の行動指針―土光語録 土光敏夫 産能大出版部 発売日:2009-10-15 ブクログでレビューを見る»

親の後ろ姿を見て子供は育つ(土光敏夫)

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だいたい子供は親の後ろ姿を見て育つというじゃないですか。 親が誰に恥じることなく生きていれば、何も言わなくともそれは背中に現れる。 もともと血はつながっているのだし、いちいち細かいことを言わずとも、そこは以心伝心、節目ふしめにアドバイスしてやれば、あとは自分でなんとかやっていく。 過保護が度を越すと、それはかえって子供を不幸にするだけです。 昭和人間記録 土光敏夫大事典 産業労働出版協会 発売日:1989-04 ブクログでレビューを見る»

強みに焦点を合わせる(ドラッカー)

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重要なことは実力であって見込みではない。要求は厳しくしなければならない。基準は途中で引き上げることはできない。したがって時間は与えてよい。ゆっくりやらせてよい。何度やらせてもよい。しかし質を落としてはならない。 二つの基本とすべきことがある。一つは身体障害者協会のスローガン、「できないことのために雇ってくれる必要はありません。できることのために雇ってください」である。聴覚の鋭さが必要な仕事では、むしろ目の見えないことが武器になる。 もう一つは、私が11歳のときに学んだことである。ピアノの先生が怒ってこういった。「ピーター、プロのようにモーツァルトを弾けるとは思っていません。でも音階はきちんと弾きなさい」 人事は強みを中心に行わなければならない。第二次世界大戦中に陸軍の参謀総長をつとめたジョージ・C・マーシャル将軍は、最高の人事を行い続けたことで有名である。 ここから学ぶべき教訓は「強みに焦点を合わせよ」である。そのうえで要求を厳しくしなければならない。そして時間をかけてていねいに評価しなければならない。向かい合って、約束はこうだった、この一年どうだったか、何をうまくやれたか、と聞かなければならない。 これらのことすべてに、明快でシンプルなミッションが必要である。ミッションは、どのような能力をも上回るものでなければならない。それは人の目線を引き上げるものでなければならない。世の中を変えることに貢献できたと思わせるものでなければならない。誰もが無駄に生きているわけではないといえるようにするものでなければならない。 最悪というべきは、階層的な考えを組織にもち込むことによって、人材の育成を阻害することである。その典型が、ハーバード・ビジネススクールのMBA(経営学修士)にしかポストを与えないことである。あるいは、昇進させていく者を早い段階に決めることである。 大事なのは成果である。一つの仕事ではなく一連の仕事での成果である。なぜならば、人とは、向き不向き、出来不出来があって当然だからである。人の組み合わせが悪いために仕事がうまくいかないこともある。誰とでもうまくやれるとは限らない。他の仕事も試させなければならない。 挑戦する者には機会を与えることが原則である。挑戦しない者は放っておいてよい。 ドラッカー名著集 4 非営利組織の...

教職協働と職員の能力開発

アルカディア学報 No.464(日本私立大学協会) に掲載された論考を引用しご紹介します。 教職協働は大学の特性に応じて 役員・教員・職員調査結果からの示唆(山本眞一・広島大学高等教育研究開発センター長) 望まれる職員の能力開発 近年の職員能力開発の中心課題の一つに「教職協働」がある。この意味するところには、さまざまなものがあると考えるが、私なりにこれを定義すれば「教員と職員とが目標を共有しつつ協働して業務を遂行すること」となる。つまり、単に教員と職員とが役割分担すれば済む話ではなく、お互いの能力や特質を活かしつつ、溶け合うような関係でさまざまな仕事を行うような密接な関係でなければならないと考えるのである。 職員は教員と机を並べて一緒に仕事をすれば、それだけで教職協働が成り立つものではない。目標共有を前提とした実質的な教職協働を行うには、職員はその案件について教員と同等の知識や見識を持つことが望ましく、そのためには企画力や構想力を含め格段の研鑽が求められる。もちろん、これは教員の真似をしてアカデミックな能力を磨くべしということではない。あくまで、大学の諸業務に関してのことである。 それにしても、国立大学の実情にはかなり問題がある。私がかつて1980年前後に経験した国立大学事務局では、教員主体の学内委員会で職員が内容に関わる発言をすることは、もってのほかという雰囲気があった。仮に職員側に発言するだけの能力があったとしても、それを表に出すことがはばかられていた時代であった。職員の能力開発が市民権を得た今日、そのような不文律はもはやないのではないかと考えるが、逆に委員会で職員に原案づくりを頼んでも、それは先生方の仕事だと言わんばかりの消極的な態度を示す職員がいる。霞ヶ関の審議会では、原案づくりの主導権を事務局が握って離さないのと比べると何と違いが大きいことか、と思わないでもないが、逆に職員の能力開発が、事務能力の向上などテクニカルな側面に偏っていて、内容を伴う実質的な能力開発にはまだまだ問題が多いからではないかと心配している。 役員や教員の視点からも検討 教職協働に関しては、私が2007年に全国の事務職員1400人から回答を得た意識調査のデータがある。 これによると総務系や財務系の業務(教育・研究に直接関わるものを除く。以下同じ。)について...

学長の選考はどうあるべきか

「アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)No.468」に掲載された論考を引用しご紹介します。 これからの高等教育の発展を考えた時に、大学の最高経営責任者(国立大学法人の場合)である学長の”リクルート”は極めて重要な課題であり、この論考で紹介されている隣国の事例を自分たちのこととして受け止め考えていくことは、とても意味のあることだと思います。 学長直接選挙廃止の動向 韓国における大学の構造改革(両角亜希子・東京大学大学院教育学研究科専任講師) 大学の学長をどのように育成、選出し、評価すべきなのかを正面から議論する時期が来ているのではないかと感じていたところ、韓国の大学でこれがホットイシューとなっていることを知った。韓国での議論を紹介し、日本の大学の学長問題について考えてみたい。 政府主導で国立大学の総長直接選挙廃止へ 韓国では1990年代の半ばから大学設置基準の緩和などの規制緩和が進み、大学の数が急速に増加してきた。その一方で少子化の進行は日本以上であり、地方大学や専門大学で経営の悪化、大学教育の質の低下、就職率の悪化などが社会問題となっている。こうした背景で政府は大学の構造改革に乗り出している。 私立大学については別のところでまとめたので詳しく述べないが、「経営不良大学」が指定され、自助努力で改善しない場合は認可取り消しもありうるという政策が進行中だ。全国38校の国立大学についても政府が評価を行い、下位5校を「構造改革重点推進国立大学」に指定し、総長直接選挙制の廃止、学科の統廃合や改編、大学間の統廃合などの構造改革を求め、これを履行しなければ最悪の場合、入学定員の削減や予算減額などの措置を行うことになっている(ハンギョレ新聞、2011年9月23日)。 5大学のうち、江原大学、江陵原州大学、群山大学、釜山教育大学は、評価方法や総長直選制廃止などに対する不満などもあったものの、財政的な不利益を懸念し、最終的には総長直選制廃止を受け入れた。最終決断は学内教職員の投票を経てなされたが、総長直選制の廃止に賛成したのは、江原大学で52%、江陵原州大学で67%であった。忠北大学だけは教授会メンバーの74%が廃止に反対して総長直選制を維持している(韓国大学新聞2011年12月5日、12月9日)。 また、教員養成大学の構造改革においても、総長の選...

財務省による予算執行調査結果2011

少し前になりますが、財務省による平成23年度の「予算執行調査」の結果が公表されています。 予算執行調査とは(財務省ホームページより) 財政資金の効率的・効果的な活用のためには、予算の「プラン(予算編成)」・「ドゥー(予算の執行)」・「チェック(評価・検証)」・「アクション(予算への反映)」のサイクルにおける「チェック」・「アクション」機能を強化し、予算へ的確にフィードバックすることが重要であるとの観点から、予算の更なる効率化に向けた取組みの一つとして実施しています。 予算執行調査とは、財務省主計局・全国の財務局の担当者が、事業の現場に赴き、実際に予算が効率的かつ効果的に執行されているかといった観点から行う調査であり、平成14年度から毎年実施しています。 調査事業については、例年4月に選定し、調査を開始。調査結果及び翌年度への予算への反映状況についても公表しています。 http://www.mof.go.jp/budget/topics/budget_execution_audit/sikkou_gaiyou.htm このうち、国立大学法人関係では、「授業料減免」「電気料等」「特許等の管理状況」についての調査が行われています。概要は、以下のとおりですが、各国立大学法人は、調査の趣旨・結果等を踏まえ、適切に対応していくことが求められています。 1 国立大学における授業料減免 (調査の視点) 減免予算額と減免実績額の対比(減免予算額は減免実績額と比して適切な額となっているか) 授業料減免基準の改定状況等[家計基準・学力基準](法人化以降、各大学における減免基準の改定状況及び内容はどのようになっているか) 各大学における独自基準による授業料減免の実施状況(法人化以降、経済的理由・やむ得ない事情による減免以外の各大学独自の授業料減免の取組内容はどのようになっているか) (今後の改善点・検討の方向性) 減免額全体でみれば、減免予算額以上の減免実績を確認できるが、大学ごとに比較すると、減免実績額が減免予算額を上回っていない大学が存在する。これは、授業料減免に係る予算配分が減免見込額を適正に捉えていないためであり、家計基準・学力基準の要件の適正化と併せ、過大な配分とならないようにしつつ、一方、予算超過の大学に対しては減免実績も考慮した予...

今後の学校におけるキャリア教育の在り方

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キャリア教育に関する研修用動画が文部科学省のホームページで公表されています。 キャリア教育に関する研修用資料

人を育てる(ドラッカー)

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組織は人を変える。否応なしに変える。成長させもすれば、いじけさせたりもする。人格を形成させもすれば、破壊したりもする。 人を育てることについて、われわれは何を知っているか。かなりのことを知っている。特に、何を行うべきでないかについてよく知っている。行うべきでないことのほうが行うべきことよりもわかりやすい。したがって、ばかばかしい間違いは避けなければならない。 第一に、不得意なことで何かを行わせてはならない。学校は生徒のできないことに力を入れる。小学校四年生の三者面談では、「ジョニーは作文がうまい。もっと書かせましょう」とはいってくれない。「算数が弱いので九九をやらせてください」といわれる。 学校の場合はそれでよい。10年後、20年後のことはわからない。基礎を身につけさせ、はなはだしい弱みはなくさせなければならない。しかし、組織で人に働いてもらうには、弱みを気にすることなく強みを生かさなければならない。成人して働くようになった頃には、個性はできあがっている。礼儀、態度、スキル、知識は学ぶことができる。だが個性を変えることはできない。 第二に、近視眼的に育ててはならない。身につけさせるべきスキルはある。だが人を育てるということはそれ以上のことである。キャリアと人生に関わることである。仕事は人生の目標に合わせなければならない。 第三に、エリート扱いをしてはならない。かつて、新卒者から有望株を探すことがはやったことがある。私は1940年頃からいろいろな種類の組織から相談を受けている。私の経験によれば、23歳の有望株が45歳のばりばりになる保証はない。50歳で世界を舞台に活躍している者が、23の頃は薄ぼんやりした青年だったりする。逆に、ビジネススクールをトップで出た者が、6年後には早くも燃え尽きたりしている。 私が知っている中で、人を育てることがいちばん上手な人は、ある大きな教会の牧師である。彼の教会からは大勢のボランティアがリーダーとなって巣立っている。あるとき私はどうやっているのかと聞いてみた。 彼は、若い人たちには四種類の教師を用意してやっているという。第一に、導いてやる相談相手である。第二に、スキルを伸ばしてやる指導者である。第三に進歩を評価してやる評価者である。第四に励ましてやる激励者だという。 彼自身はそのうちどの役を果たしているの...

「自分だけ成績よければ」はダメ(土光敏夫)

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ボクはね、人間関係の基本は、思いやりだと言っとるんだ。近隣に困っている人がいれば助け合う。これは人間の、言ってみれば根本だよ。 教育だってそうだ。周りと競争するのは結構だが、自分のことしか考えないような子どもにしてはいかん。ボクなんかも、橘学苑の校長として多少の教育の端っくれをやっているけれども、これは人間をつくるのが目的だからね。第一番に人間の関係というものを重視して教育しているんだ。自分だけ成績がよくなればいいんじゃなくて、みんなしてお互いに助け合っていくということをね。 土光敏夫 日本への直言 土光敏夫 東京新聞出版局 発売日:1984-01 ブクログでレビューを見る»