「東大の秋入学-その意味を考える」(広島大学高等教育研究開発センター長 山本眞一)(文部科学教育通信 No.285 2012.2.13)から抜粋してご紹介します。
秋入学と大学の多様化
東大の案は、しかしそのような対策の意味もあってか、過去に議論されてきたような純粋な意味での秋入学よりは複雑な仕掛けである。つまり、高等学校以下の教育に与える影響を最小限にとどめるには、入試の時期は現行から大幅に変えることは難しい。そのためもあろうが、「ギャップ・ターム」という半年間の余裕を入学前に持たせてある。この半年は「入学前」とあるから、まだ大学生ではないがしかし浪人ではなく、入学が約束された「予定者」である。この間に何をやるかは、実際には東大が考えているよりもはるかに多様なものになるであろうが、それが高等学校までの受動的な学習と大学入学後の能動的学習とのギャップを埋めるものになるかどうかは、依然として議論の余地が大きいと考える。あまりに過剰に大学が関与すれば、学部教育の期間が実質4年半に延びるだけということになって秋入学のメリットの半分が損なわれるであろう。しかし学生の自己責任だけであれば、学生の学力問題に加え、東大など有力大学ならともかく、多くの大学にとって半年後の入学者数の予測が立ちがたくなる心配もあろう。
それよりも、一番大きな問題は、今回の東大のプランが実行された場合、大学の多様化を推し進める決定的要因になるのではないかということである。東大の中間まとめでは国際化の必要性とくに学生の多様性や海外大学院への留学の容易化を強く主張しているが、そのようなことが言えてかつ実行に移せるのは、選抜性が高い研究中心大学だけであろう。多くの大学は大衆化の中で、かつ18歳人口の減少に苦しみつつも、国内市場での生き残りをかけて頑張っている。高校卒業後に空白ができることに不安を抱くのは、学生だけではなく、学生確保が何より大事な多くの大学の方ではあるまいか。私学では秋入学以降による授業料収入の減少問題をどのように解決するかという難問もある。就職時期の弾力化、通年化も就職に強い有力大学にますます有利に働くだけという、影の声があることも忘れてはならない。したがって、秋入学に移行できる有力大学とそれに関心を示しつつも結局は踏み切れない多くの大学とに分かれて、これが意図しない、しかし目に見える形での多様化のボタンを押す結果となってしまうのではないか。その意味で、東大が今回協議の対象としている11大学が、いずれも研究中心大学であることが気がかりである。
いずれにしても、動かないと思われていた山が動く可能性がでてきた。そのこと自体は決して悪いこととは思わない。秋入学をテクニカルな問題の議論に終わらせるのではなく、東京大学が意図しているごとく、わが国大学の国際化さらには大学改革全般の問題に関わらせるよう、幅広い議論が巻き起こることを望むものである。