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親父のほほえみ

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「 魂が震える話 」というメルマガ(ブログ)から。感じ方は人によって違うと思いますが、私は泣きました。 ◇ 父親のお弁当 小1の秋に母親が男作って家を出ていき、 俺は親父の飯で育てられた。 当時は親父の下手くそな料理が嫌でたまらず、 また母親が突然いなくなった寂しさもあいまって俺は飯のたびに癇 癪おこして大泣きしたりわめいたり、 ひどい時には焦げた卵焼きを親父に向けて投げつけたりなんてこと もあった。 翌年、小2の春にあった遠足の弁当もやっぱり親父の手作り。 俺は嫌でたまらず、 一口も食べずに友達にちょっとずつわけてもらったおかずと持って いったお菓子のみで腹を満たした。 弁当の中身は道に捨ててしまった。 家に帰って空の弁当箱を親父に渡すと、 親父は俺が全部食べたんだと思い涙目になりながら俺の頭をぐりぐ りと撫で、 「全部食ったか、えらいな!ありがとうなあ!」 と本当に嬉しそうな声と顔で言った。 俺は本当のことなんてもちろん言えなかった。 でもその後の家庭訪問の時に、 担任の先生が俺が遠足で弁当を捨てていたことを親父に言ったわけ 。 親父は相当なショックを受けてて、 でも先生が帰った後も俺に対して怒鳴ったりはせずにただ項垂れて いた。 さすがに罪悪感を覚えた俺は気まずさもあってその夜、 早々に布団にもぐりこんだ。 でもなかなか眠れず、 やっぱり親父に謝ろうと思い親父のところに戻ろうとした。 流しのところの電気がついてたので皿でも洗ってんのかなと思って 覗いたら、 親父が読みすぎたせいかボロボロになった料理の本と遠足の時に持 ってった弁当箱を見ながら泣いていた。 で、俺はその時ようやく、 自分がとんでもないことをしたんだってことを自覚した。 でも初めて見る泣いてる親父の姿にびびってしまい、 謝ろうにもなかなか踏み出せない。 結局俺はまた布団に戻って、 そんで心の中で親父に何回も謝りながら泣いた。 翌朝、 弁当のことや今までのことを謝った俺の頭を親父はまたぐりぐりと 撫でてくれて、 俺はそれ以来親父の作った飯を残すことは無くなった。 親父は去年死んだ。 病院で息を引き取る間際、 悲しいのと寂しいのとで頭が混乱しつつ涙と鼻水流しながら 「色々ありがとな、飯もありがと...

大学情報公開の現状と課題(2)

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川嶋太津夫 (神戸大学教授)さんが書かれた「 教育情報公表の現状 」( IDE-現代の高等教育 No.542  2012年7月号 )を抜粋してご紹介します。 ◇ 2 教育情報公表の課題 平成22年6月に文部科学大臣政務官名で出された学校教育法施行例の一部改正の通知文書によれば、改正の趣旨は「大学等が公的な教育機関として、社会に対する説明責任を果たすとともに、その教育の質を向上させる観点から、公表すべき情報を法令上明確にし、教育情報の一層の公表を促すこと」である。 しかし、教育情報の公表の現状を見る限り、社会に対する説明責任も質の向上への効果も道半ばの感が強い。特に、今回対象とした国立大学の現状には、筆者自身が国立大学に勤務している当事者として強い不満を感じざるを得ない。公立大学は、「教育情報公表ガイドライン」をいち早く策定し、各大学ウェブのトップページの分かりやすい場所に、同じフォーマットで教育情報を公表することとし、すでに実施するとともに、公立大学協会のウェブから各大学の教育情報の公表サイトへのリンクを張っている。「国民への約束」として機能強化を謳う国立大学こそ、率先して国民への説明責任を果たすべきであろう。 最後に、設置形態に関わらず、教育情報の公表をめぐる課題を整理して、小論を終えることとしたい。 第一に、今回の改正の趣旨のポイントは、「公開」ではなく「公表」にある。公開は、「情報公開」と言われるように、情報を必要とする側が情報を利用できる状態にしておくことである。たとえば、学生による授業評価の報告書を図書館の参考図書コーナーに置いておけば「公開」したことになる。評価結果を知りたいと思う人は、図書館に行けば情報を入手できる。言い換えれば、図書館に行く人だけが情報を得ることができ、図書館に行かない限り情報を入手できない。それに対して、「公表」とは、その情報を必要とするかどうか に関わらず、世間に発表し、広く周知することである。つまり、情報を有する側が、積極的に情報を提供することが「公表」である。このように考えると、多くの大学の現状は、「公表」には程遠く「公開」の状態に止まっている。 第二に、受験生、保護者、企業などのステークホルダーが求めている「情報」とは何であろうか。法定の情報はステークホルダーの希望を満たしているのであろ...

大学情報公開の現状と課題(1)

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黒田壽二 (金沢工業大学学園長・総長、日本私立大学協会副会長、中央教育審議会大学分科会大学教育部会副部会長)さんが書かれた「 日本における大学情報公開の理念と展開 」( IDE-現代の高等教育 No.542  2012年7月号 )を抜粋してご紹介します。 ◇ 1 大学の情報開示を求める社会的背景 社会は情報化時代になり、国際化、グローバル化の急速な進展により社会活動のあり方が大幅に変革してきた。国内では少子化、高齢化が深刻さを増している。そのような中で大学の教育研究活動も大きな改革を求められるようになり、平成3年に始まった大学設置基準の大綱化は数次に亘り実施され、各大学の画一化から多様化、個性化、特色化へと舵が切られた。このことにより大学が従来から社会一般に理解されていた大学像に大きな変革が起きてきた。もはや、大学の実態が社会から見えなくなってきたといっても過言ではない。同時に日本での少子化の影響も出始め、定員充足率が問われるようになり、一方では大学進学率は先進諸国に近づき50%を越え、所謂ユニバーサル段階の時代に至っている。大学は、「学生を選ぶ立場」から「学生に選ばれる立場」となってきた。このような時代には、大学自らが発する情報の質が重要な意味を持つようになる。 また、今回行われた教育基本法改正では、大学の項が設けられ、その第7条において、「大学は、学術の中心として、高い教養と専門的能力を培うとともに、深く真理を探究して新たな知見を創造し、これらの成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与する者とする」と規定された。また、学校教育法83条には大学の目的として、「大学は学術の中心として、広く知識を授けるとともに'深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする。大学は・・・その成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする。」と規定され、大学は研究・教育に加え社会貢献が求められるようになった。一般社会活動の一つに大学が位置づけられ、これまでのような社会と係わりが希薄な「象牙の塔」的振舞いが出来なくなった。 2 大学教育改革の促進 前述した大学設置基準の大綱化や簡素化によって大学自身での改革が可能になったのを受けて、大学設置基準や学校教育法では、大学が自ら行う自己点検・...

大学改革を困難にしているものは何か(3)

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前回に続き、 黒木登志夫 (日本学術振興会学術システム研究センター相談役、前岐阜大学長・名誉教授、東京大学名誉教授)さんが書かれた「 大学は自らの力で改革できるか 」( IDE-現代の高等教育 No.545 2012年11月号 )を抜粋してご紹介します。 ◇ 5 旧帝大はガバナンスの模範になっているか。 わが国の大学の中で、旧帝大系の7大学は圧倒的な存在である。しかし、大学のガバナンスという観点から見たとき、自ら改革を重ね、社会に開かれた新たな大学像を造るべく努力をしているであろうか。残念ながら、むしろ他の大学よりも遅れている点が少なくない。いくつかの例をあげてみよう。 東北大を除く旧帝大では、過半数に至るまで選挙を行い、学長(法人法には「総長」という呼称はない)を選考している。このため、学長選考に外部の意見が入る余地はなく、選考会議は形骸化している。東北大は、学長選考にあたり意向投票を排除しているように思われているが、実際には、教育研究評議会が意向投票を実施している。外部からの理事を置かず、文科省の移動官職を外部理事として扱っている旧帝大も、複数存在する。 部局の力、教授会の力が一番強いのも旧帝大ではなかろうか。部局の圧力のため、人事管理に関しても、いまだ定員制にしばられ、戦略的な人員配置のできない大学が少なくない。私が知っている限り、学長を初めとする執行部はみな改革に熱心であるが、部局の壁に妨げられ、ほとんど実行できないでいる。 旧帝大は、教育と研究だけではなく、ガバナンスにおいても他の大学の模範となって欲しい。 6 事務局は専門家集団になれるか 大学のガバナンスの中心となるのは、事務官である。事務がしっかりしていなければ大学は動かない。しかし、事務システムの制度改革は、まだほとんど手がつけられていない。ジェネラリストを養成するという方針によって、専門家が育たないのも大きな問題である。 法人化により、病院は企業的経営をせまられた。しかし、病院経営についてきちんとしたトレーニングを受けた事務官は非常に少ない。私が学長の時、病院経営専門の公認会計士を病院長補佐として、週の半分来てもらった。国立大学中第3位という巨額な借金(557億円)を抱えながら、病院が何とか経営できたのは、外部から来た専門家の力が大きかった。 英語で仕事...

大学改革を困難にしているものは何か(2)

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前回に続き、 黒木登志夫 (日本学術振興会学術システム研究センター相談役、前岐阜大学長・名誉教授、東京大学名誉教授)さんが書かれた「 大学は自らの力で改革できるか 」( IDE-現代の高等教育 No.545 2012年11月号 )を抜粋してご紹介します。 ◇ 3 戦略的な予算と人事が実行されているか 私は、法人化の最大のメリットは、運営交付金に積算根拠がなくなった(つまり「袋」でくる)ことと、非公務員化により定員制がなくなったことだと思っている。「袋」でくる予算は、大学が自らの判断で戦略的に使える。しかし、その額が年々減っているため、戦略よりも大学を維持するのがやっとというのが現状である。これ以上予算が減ったときには、大学は教職員をカットし、組織を「リストラ」するという困難な決断を迫られることになりかねない。そのような状況に備えるためには、大学教職員が危機感を共有し、部局よりも大学全体のガバナンスを考え、教育と研究の質を維持しなければならない。同時に、文科省も、様々な規制,たとえば上述したような予算と学生定員に関する規制を緩和し、迫りつつある困難な状況に、大学自らの考えで対応できるようにしなければならない。 そもそもの問題は、教育予算が一方的に減額され続けていることである。国が財政的に困難な状況にあることは十分に理解しているが、財務当局は、高等教育に対するグランドデザインを明らかにすべきである。われわれは、将来に対する展望をもてないのでいるのだ。 法人化前、非公務員化が問題になったとき、私にはその是非が判断できなかった。しかし、法人化してすぐに、非公務員化は定員制の廃止につながることを理解した。そのようななかで考えたのが「ポイント制」である。すなわち、教授100ポイント、准教授78ポイント、講師73ポイント、肋数60ポイントとし、定員の代わりに、ポイント数を各部局に割り当てるのである。 「ポイント制」は、全国の大学に普及しつつある。しかし、「ポイント制」により、承継職員定員以上に教職員数が増えたときには、退職金が手当てできなくなるのではないかと危惧するあまり実行できない大学もあると聞く。私の理解するところでは、大学の職員には背番号がついているのではなく、人数に見合った「座布団」が積まれているだけである。したがって、たとえ人数が増えても退職...

大学改革を困難にしているものは何か(1)

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黒木登志夫 (日本学術振興会学術システム研究センター相談役、前岐阜大学長・名誉教授、東京大学名誉教授)さんが書かれた「 大学は自らの力で改革できるか 」( IDE-現代の高等教育 No.545 2012年11月号 )を抜粋してご紹介します。 ◇ カリフォルニア大学の名学長といわれたクラーク.カー(Clark Kerr. 1911-2003)は、大学改革が困難であることを嘆いて、次のように言ったという。 「大学を改革するのは、墓地の移転と同じで、内発的な力に頼ることはできない」。 確かに、改革の必要性が繰り返し言われながら、大学の改革は遅々として進んでいない。大学に期待している政府、行政、財界のいらだちも分からないわけではない。しかし、正直な話、ガバナンスに一番問題があるのは、国会であり、政治家ではなかろうか。「政局」と「選挙区」という一字違いの二つの「キョク」にしか関心のない政治家が、国会という墓場の改革に取り組むなど期待できない。しかしこの問題にはこれ以上触れないでおこう。 カーが言うように、大学のガバナンスが一向に変わらないのは、大学の内部に改革への意欲がないためであるのは事実だが、同時に、それを困難にしているシステムがあるのも確かである。ここでは、それらの問題を、私なりの観点で考察してみたい。 1 文科省・大学の相互依存関係から抜け出せるか 大崎仁(元文化庁長官)著『 国立大学法人の形成 』は、国立大学法人化についての正史とも言うべき内容である。この本の中で、法人化によって、大学が「法人格」を獲得したことが繰り返し強調されている。「法人格」とは、権利義務が法律によって保証されていることを意味している。すなわち、国立大学は、一つの独立した存在として法律的に認められたことになる。法人化前、国立大学は、文科省の一地方組織に過ぎなかったことを考えれば、これは大きな進展である。 問題は、法人格の獲得を、文科省、大学の双方がどの程度認識し、実行しているかである。少なくとも、国立大学法人の発足当時は、多くの大学、学長たちには、文科省に対して新たな関係を樹立しようという意気込みがあったし、事実、文科省と緊張関係になったことも少なくない。『 落下傘学長奮闘記 』(中公新書ラクレ、2009)にも書いたように、私はそのような立場から、文科省に対して...

国立大学の予算を考える

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財政制度等審議会・財政制度分科会 (財務省)により行われた「 財政について聴く会 」(文教・科学技術関係予算、平成24年11月1日開催)に係る「 記者会見概要 」及び「 議事要旨 」が公表されていますので、 国立大学関係部分 について抜粋してご紹介します。 ちなみに、当日の 配付資料 は、次の2点。 文教・科学技術関係資料 (参考資料)文教・科学技術関係 記者会見(分科会長会見の模様) (田近分科会長代理) 26ページからが国立大学の問題です。ここに書かれたように、国立大学における人的資源、物的資源の配分の見直しを促す仕組み。それから、資金配分の現状と国立大学運営費交付金のめり張りのある配分。それから、セグメント情報等の開示、授業料ということです。これはさっと行かせてもらいますけれども、別に国立大学の人間だからというわけではないのですけれども、27ページ、これが国立大学が目指してきたもの。皆さんもご存じだと思いますけれども、平成13年、遠山プランというのがありました。これは大学をある意味で集約化して、公私トップ30を世界最高水準にと。それから平成16年に国立大学が法人化して、第1期というのが6年間だと思いますけれども、16年から21年。そして、現在は第2期に入っていると。そうした法人化の成果がどれだけ国立大学の運営に反映されたのかというのが、このペーパーのポイントになります。 ポイントだけですけれども、28ページに、国立大学というのは、評価されます。例えば教育水準の評価で、下ですね、教育の実施体制、内容、方法云々で、実は期待される水準を下回るものというのは、どれも1%。就職状況が1.8ですか。基本的にわずか1%で、これが評価になっているのかというような話。つまり何を言っているかというと、予算のめり張り、法人化した後、国立大学がどれだけ改善されたのかということです。 29ページが、メリハリの話になります。この表の一番左が一般運営費交付金。これが平成16年から24年度の合計で、したがって、非常に大きな額になるのですけれども、これは3兆になって、トップ10のシェアが42%。というか、見ていただきたいのは、右側に特別運営費交付金と書いてあって、これは各大学が文科省にこういうことをしたいということで申請して、ある意味で文科省から選ばれてと、こ...

大学のガバナンス(2)

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前回に続き、 大崎仁 (人間文化研究機構 機構長特別顧問・IDE大学協会 副会長)さんが書かれた「 大学のガバナンスとは 」( IDE-現代の高等教育 No.545 2012年11月号 )を抜粋してご紹介します。 ◇ 4 国立大学のガバナンス 国立大学のガバナンスの構造は、大学自治を軸に形成されてきた。日本の大学自治の原型は、戦前、東京、京都両帝国大学で形成された強固な学部教授会自治である。その基本は、教授全員が参加する学部教授会の決定を教員人事はじめ大学運営の基盤とするところにある。全学的事項を審議する評議会は、各学部教授会の代表による調整機関であり、総長・評議会が学部教授会の意に反して学部の運営に干渉することはない。総長は全学の教授の選挙によって選ばれ、学部長は学部教授会が選任する。日本の大学自治が学部教授会自治と言われた所以である。注目すべきは、このような自治の在り方は法令に基くものではなく、教授側の要求を設置者である政府が容認する形で形成されてきたことである。 戦後の新制大学形成を主導した米占領軍は、この教授会自治を大学が自らの特権を守る仕組みとして強く批判し、国家代表、自治体代表、同窓会代表、教授会代表各3名と学長で構成する管理委員会を大学の意思決定機関として各国立大学に置く、「大学法試案」を文部省に発表させた。しかし、教授会自治と180度異なるこの案はず大学関係者・関係団体の一致した強い反対と学生の反対運動により、棚上げとなる。以降、国立大学の内部管理の法制化が何回が試みられたが、実を結ぶにはいたらなかった。 その一方、学校教育法で教授会が大学の重要審議機関として法定され、教育公務員特例法で教授会による教員人事の慣行が法制化されて、戦前に形成された教授会自治が、新制大学全体に定着していった。 この学部教授会中心の自治体制は、1960年代半ばに始まる激しい大学紛争により大きく揺さぶられる。学部教授会にはこのような事態に対応する能力のないことが露呈され、学長を中心とする執行部強化の必要性が、広く認識されるようになる。それとともに、大学に対する社会のそれまでの寛容な態度が一変し、学部の閉鎖的な縦割り体制が批判され、大学の社会的責任が問われるようになってきた。 紛争に触発された大学改革構想を実現するため新構想大学として創設された筑...

大学のガバナンス(1)

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大崎仁 (人間文化研究機構 機構長特別顧問・IDE大学協会 副会長)さんが書かれた「 大学のガバナンスとは 」( IDE-現代の高等教育 No.545 2012年11月号 )を抜粋してご紹介します。 ◇ 2 大学ガバナンスの構造 本稿では、大学のガバナンスとは、大学運営の意思決定と執行手段の構造と考える。そこでまず頭に浮かぶのは、学校教育法第5条の「設置者管理原則」である。「学校の設置者は学校を管理し、法令で特別の定めのある場合を除いては、その学校の経費を負担する」という規定を鵜呑みにすれば、国立大学の運営は国立大学法人が、公立大学の運営は設置者である地方自治体あるいは公立大学法人が、私立大学の運営は設置者である学校法人が決めるということになる。しかし、ことはそう単純ではない。設置者のみならず、国と大学が大学のガバナンスの重要な主体だからである。 国は、国立大学の設置者であるだけではなく、国、公、私を通じて大学の公共性を保障する責任を負う。そのため大学の管理運営の枠組みとなる大学制度を設定し、制度の運用に責任を持つ。大学は、大学自治を保障された独立性の強い組織であり、大学の運営に関する意思決定の多くは大学自身が下している。大学の学内管理体制を大学のガバナンスという場合も少なくない。設置者が大学の運営を一方的に管理するのではなく、国、設置者、大学の三者の意思が相互に関連して、大学のガバナンスを形成していると見なければならない。その中で、特に、国・公・私を通じて大学のガバナンスを特徴づけているのは、大学の自治的性格、独立性の強さである。大学のガバナンスの解明は、まず、大学の自治的性格をどう理解するかにかかっている。 3 大学自治とは 大学は、単なる設置者の教育事業ではない。大学の運営は大学自身が決めるという大学自治の尊重は、先進諸国に共通する原則である。 ヨーロッパ大学協会(EUA)は、2009(平成21)年、「大学が社会により良く奉仕するためには、自治の強化が必要である。特に、大学のリーダー達が、大学のミッションと特色に即して学内組織を効率的に構成し、スタッフを選任・訓練し、教育・研究のプログラムを策定し、財政資源を使用することを許容する適切な規制の枠組みが必要である」と宣言し、ヨーロッパ34か国の大学自治の状況を調査した。昨2011年に...

大学の自主・自律と教特法

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国立大学の法人化移行の際検討された「 教職員の身分の扱い 」について、興味深い記事( 文部科学教育通信 No.303  2012.11.12  国立大学法人法コンメンタール(歴史編)第39回 )がありましたので抜粋してご紹介します。 ◇ 残された課題 ・・・(文部科学省の調査検討会議が公表した)中間報告では、法人化後の運営組織のあり方や中期目標の作成手続などについていくつかの選択肢が並び、結論は最終報告まで持ち越しとなったが、大学関係者以外からも高い関心が寄せられていた法人化後の教職員の身分の扱いについても結論が出ず、最終報告に向けての論点として残されていた。・・・ 教特法の適用問題 その一つは、非公務員型になったとしても、教員には教育公務員特例法と同趣旨の規定を適用すべきかどうか、という問題であった。 教育公務員特例法は、法人化前の国立大学の教員に対し、国家公務員の一般法である国家公務員法が適用されることを前提に、大学という機関の特性を考慮し、国家公務員法の一部の規定を修正して適用させるための特例法であった。特に、各学長の任命権が文部科学大臣にあることを前提に、実質的な学長選考の権限を各大学に置かれる評議会に付与することや、個別教員の任命権が文部科学大臣ないし学長にあることを前提に、実質的な選考権限を各学部の教授会に付与することなど、いわゆる「大学の自治」を人事面で保障するものであった。 国立大学協会からは、この問題に関連して、急遽追加意見書が提出されたが、そこには、「制度設計において、仮に教員の身分が非公務員型になったとしても、国が設置者・管理者である大学においては『学問の自由』を担保する仕組みとして、教員人事に関する最小限の基本的事項は、各法人の就業規則等内部規則に委ねるのではなく、実質的な設置者たる国民全体の意思の表現として、法律の形で明確に規定されるべき」と主張していた。 連絡調整委員会での主要なやり取りは、次のようなものであった。 ○(事務局の)説明では非公務員型では教特法を特例として規定ということは困難であるということであった。国大協では、これについて国立大学法人法等で規定することが必要ではないかと主張している。 (事務局)教育公務員特例法の規定は、基本的には文部科学大臣が人事権をもっというこ...

リーダーたる姿勢

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日本私立大学協会私学高等教育研究所研究員の 岩田雅明 さんが書かれた「 リーダーの機能とは 」( 文部科学教育通信 No.303  2012.11.12 )をご紹介します。 ◇ リーダーはスピードを上げる 大学という組織の特徴の一つとして、物事を決定したり、実行したりするスピードが遅いということが挙げられる。「今年度は間に合わないので、次年度からにしましょう」ということで、せっかくの施策が先送りされるのを目にしたことのある人は多いのではないだろうか。これも大学が長い間、常夏ともいえる恵まれた環境にあったため、無理をしてスピードを上げる必要性がなかったためといえる。 ところが大学を取り巻く環境が常夏から氷河期といわれるまでに急変し、今後も激しい変化と競争が予測されるようになってくると、それに合わせて大学のスピード感も変わらざるを得なくなる。十年経たないうちに十八歳人口は、再度、減少し始めることになる。そして大学の成果というものは、出るまでにある程度の時間がかかるものであるから、今回の減少期に生き残っていくことができるかどうかは、ここ何年かの大学の戦略と行動にかかっているといえる。ここで環境の変化に対応した行動を起こすのか、それとも一年先送りにするかどうかが、勝敗を分けるといってもいいと思う。 人間というものは、自分の部門のことを中心に考えやすいので、組織はどうしても部分最適になりやすい。大学全体としてどうした方がいいのかという視点は、なかなか持ちにくいといえる。このため、全体を見るべきリーダーが、全体の視点から各部門の行動のスピードを調節していくことが必要となる。その一つのやり方が、行動に期限を設定するということである。これが無いと、行動に移せなかった事情の説明さえうまくできれば、いつまでも行動を起こさなくても済んでしまうからである。また、リーダーが行動のスピードを上げていくことで、スピード重視の組織風土をつくっていくことにもなる。組織風土がスピード志向に変わってくると、そこでなかなか行動を起こさないでいるということは難しくなってきて、おのずと各人の行動速度も速くなってくることになる。 リーダーは決断する 組織のスピードとも関係することであるが、リーダーには組織の進む方向についての決断が求められる。これからどうなっていくのかが分...

教員としての真の力量を高めるためには

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文教ニュース ・文部科学時評(平成24年11月5日、第2213号)に掲載された「 教員養成の修士レベル化 」をご紹介します。 ◇ 8月末に中央教育審議会から「教職生活の全体を通じた教員の資質能力の総合的な向上方策について」と題する答申が出され、これを具体化するための議論が始まっている。答申が打ち出した「学び続ける教員像」や「教育委員会と大学との連携・協働」の理念は、今後の学校や教員のあり方を考えれば理に通った方向性であると思う。 議論が分かれるのは、教員養成の修士レベル化だろう。一部に批判もあるが、学校現場に山積する諸課題の幅広さと対応の難しさ、各種資格の高学歴化や諸外国の動向などを考えれば、養成期間の延長は自然な流れだと思う。それに大学の教員養成系のお寒い内情を見ると、失礼ながら学部四年間だけをいくら改革しても実効が上がるかどうか。 反対意見で多いのは「大学院で学ぶより、早く現場に出て実践力を鍛えるべき」という声だ。一理あるが、これでは今と変わらない。それでは不十分だからこそ見直すのではないか。教育活動は多様で複雑であり、不登校児への対応一つをとってみても、本人や家庭・学校の状況によって大きく異なってくる。いわゆる暗黙知の比重が高く、単純なマニュアルは通じない。それゆえ教員としての真の力量を高めるためには、経験を積むだけでなく、それらを通じて本質的な要素を一般化・普遍化し、理論的に深化させる営みが必要になる。経験則だけでなく理論に裏打ちされた実践を伴ってこそ、初めて高い視点から備轍して多様で複雑な課題に効果的に対処できるのではなかろうか。 だが、こうした営みは、多忙を極める現場に席を置いたままでは難しい。退職校長を雇用して新人教員を個別に指導すれば相応の効果も期待できようが、慌ただしい現場にあっては目の前の問題への対応に追われ、自らの実践を振り返る余裕は殆どないはずだ。多忙な日常から切り離され、学びを深めることのできる時間と空間が必要である。 そのような学びに相応しい場が大学院ではないか。ともすると現実の課題とかけ離れた研究に陥りがちな従来の“アカデミックな“ 大学院とは一線を画し、「理論と実践の架橋」を目指す教職大学院こそ、その中核として期待される。現に兵庫教育大学や福井大学などの教職大学院は意欲的な取組を進めており、教員採用実績でも成...

介護とは、生きるとは、何か

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母親の遠隔介護をしている立場から、心打たれた記事がありましたのご紹介します。 ◇ 寄り添うことも介護 認知症の母に学んだこと 詩人 藤川幸之助氏(2012年11月9日 日本経済新聞) 母親の介護をテーマに詩を書き続けている詩人がいる。藤川幸之助氏(50)。介護をまだ経験していない人たちは、介護の美しい部分だけをすくい取ったり、つらい部分から目をそむけたりしがちだが、藤川氏はつらいことも、楽しかったことも、すべてを詩にして伝えてくれる。藤川氏の母親は、長い闘病生活の末、先ごろ亡くなった。藤川氏の様々な詩から、「介護とは、生きるとは、何か」が伝わってくる。 「じっと見つめる」ことでコミュニケーション - まず、藤川さんのお母様に対する思いのこもった一編の詩をご紹介します。 「そよ風のような幸せ」 母が死に向かって 一歩一歩 歩いている 私は見えない幸せを探して 一歩一歩 歩いている 時には私の道を 母の道に重ねて歩く いつか必ずと言える 幸せが見つからない 死に向かっている母の中に どんな幸せを 見つけていけばいいのか 母の死を見つめている私の中に 母とのどんな幸せを 願えばいいのか 食べ物を飲み込めなくなった母 やせ衰えてしまっている母 胃瘻を通すことになった母 こんな毎日に どんな幸せが待っているというのか 死が待っているだけじゃないか 口を閉ざし、何も食べない母と それを見て困惑している私に 寝たきりの隣のお婆ちゃんが 「心配ですね お母さんもがんばってね」 と励ましてくれた 母が私を見て笑った そよ風のような微かな幸せを感じた 目指す幸せなどいらない 母が死にたどり着くまで 母と一緒に 生きていることに 幸せを感じていけば これが幸せなのだ そよ風のような幸せを 感じていけばいい それでいいのだ - 藤川さんのお母様は闘病の末に9月30日に亡くなられました。 ( 続き ) 沖縄密約―「情報犯罪」と日米同盟 (岩波新書) 西山太吉 岩波書店 発売日:2007-05-22 ブクログでレビューを見る»

汝なんぞ指をみてしかも月をみざると

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朝日新聞の 天声人語(2012年11月9日) をご紹介します。 ◇ 月を指(ゆび)さしているのに、肝心の月を見ないで指ばかり見ている。つまり、目の先のものにかまけて、ことの本質に目が向かない。分かりやすいからか、似た例えは世界にあるようだ。親鸞にも「汝(なんじ)なんぞ指をみてしかも月をみざると」のくだりがある。 高名な宗祖と暴走大臣を並べるのも何だが、田中真紀子文科相をめぐる騒動にも同じことがいえないか。非難の声は高く、野党からは問責決議の声も上がる。だが政争の具にするばかりでは、指の先の月を見ないことになる。 たとえば、大学を新設するプロセスも一般にはわかりにくい。認可が下りる前から建物が造られて、募集のPR活動が行われる。これを奇異に感じる人も多いのではないか。 大学の設置認可制度の手引を文科省が作っている。見ると、「新規参入のハードルは格段に低くなっている」「不認可とされる事例は極めてまれ」といった文言がある。これでは乱立もやむを得なく思われる。 そして今、総定員が進学希望者より多い全入時代である。独自の試験をせずにセンター試験ですませ、中には学力審査がない大学もある。仮に学生の頭数がそろえばいいという了見なら、学ぶ者のための大学か、経営者のための大学か、わからなくなる。 迷惑きわまる真紀子台風だが、暴君キャラをあげつらって終わり、にはしたくない。政治もメディアも、「文教ムラ」の空にかかる月を、一度よく吟味する必要があろう。教育は国の基(もとい)だから、くすんだ月であってはいけない。 斎藤一人 愛される人生 [CD2枚付] 斎藤一人 ロングセラーズ 発売日:2011-02-24 ブクログでレビューを見る»

国立大学法人の改革推進状況

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去る11月7日(水曜日)に開催されました国立大学法人評価委員会総会において、 国立大学法人の平成23事業年度に係る業務の実績に関する評価結果 が確定しました。 文部科学省からの通知には次のような記載があります。(下線は拙者) 平成23年度に係る業務の実績に関する評価結果等について(抄) 1 評価結果の取りまとめの考え方 (1)全体評価について 第2期中期目標期間における評価については、中期計画や年度計画に掲げられた事項が達成できたかどうかだけでなく、 いかに高い目標を掲げて意欲的に取り組んでいるか 、 機能強化に向けて各法人の個性や特色をより明確にしていくよう取り組んでいるか などについても留意し、各法人の質的向上を促す観点から、年度評価、中期目標期間評価のいずれにおいても「 戦略性が高く意欲的な目標・計画等は、達成状況の他にプロセスや内容を評価する等、積極的な取組として適切に評価する 」ものとしており、評価委員会において、これに該当する計画と判断した取組については、全体評価の中で記述しています。 (2)項目別評価 これまでは、当該年度に各法人が取り組んだ事項を幅広く、注目される事項として記載していましたが、今回からは、 取組の結果として具体的な成果が認められたものなどに精選 し、各法人の取組の進捗がより見えやすいようにしました。 これに関連して、具体的な成果が認められるに至っていないものの、他法人の参考となる取組は、「 国立大学法人・大学共同利用機関法人の改革推進状況 」に別途取り上げています。 なお、今回、以下の課題について複数の法人に対して指摘が行われています。 会計検査院の決算検査報告において、職務上行う教育・研究に対する教員等個人宛ての寄附金についての不適切な経理処理を指摘されたもの。 平成23年度中に研究費の不適切な経理処理が確認されたものや利用していない土地・建物等の処分及び有効活用に関して改善を求められたもの。 (3)東日本大震災への対応について 平成23年度においては、各法人とも 震災からの復旧・復興等に向けて様々な取組がなされていることが国立大学法人全体の取組として評価 されています。その観点から、新たに「Ⅲ 東日本大震災への対応」を設け、各法人の代表的な取組を参考に記載することとしました。 ...

文部科学省の政策目標

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このたび、文部科学省の実施する政策評価に関わって、 目標・指標シート (平成25年度に実施する施策【概算要求版】)が公表されましたのでご紹介します。 ◇ 文部科学省では、「 行政機関が行う政策の評価に関する法律 」(以下「政策評価法」という。)などに基づき、所管する政策の評価を行うとともに、客観的かつ分かりやすい評価が行われるよう、毎年評価の実施方法を改善しています。 平成13年1月の中央省庁等改革に伴い、政策評価制度が全府省に導入されました。14年4月からは、政策評価法が施行され、各府省において、政策評価の適切な実施に取り組んでいます。 政策評価は、次のような点を目的としています。 国民本位の効率的で質の高い行政を実現すること 国民的視点に立った成果重視の行政を実現すること 国民に対する説明責任を果たすこと これらの実現に向けて、政策評価を「企画立案(Plan)」、「実施(Do)」、「評価(Check)」、「企画立案への反映(Action)」というマネジメント・サイクルの中に、制度化された仕組みとして明確に組み込んで、客観的かつ厳格にこれを実施することが求められています。 実績評価の実施に当たっては、政策の体系を明らかにするため、「 文部科学省の使命と政策目標 」を設定し、政策目標、施策目標及び達成目標を設定ごとに達成度合いを測定するため、できる限り定量的データなどを用いて分析を行い、施策の効果について検証しています。(文部科学省ホームページから引用) ◇ 政策目標4 個性が輝く高等教育の振興 施策目標4-1 大学などにおける教育研究の質の向上 施策目標4-2 大学などにおける教育研究基盤の整備 その他の政策については こちら をご覧ください。 大衆の反逆 (ちくま学芸文庫) オルテガ・イガセット 筑摩書房 発売日:1995-06 ブクログでレビューを見る»

求められる官僚の自浄作用

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「会計検査院報告 増税を強いる状況か」(2012年11月5日 東京新聞社説) をご紹介します。 ◇ 会計検査院が2011年度の国の決算検査報告を公表した。税金の使われ方が問われている時に、相も変わらぬ省庁や独立行政法人の無駄遣いがあぶり出された。納税者に対する背信行為である。 財政は危機的状況と叫び、復興増税や消費税増税を強行する一方で、官僚のでたらめな予算消化や甘すぎる事業見通しがまかり通っている。増税を行う前に行政の無駄を省いてほしいという納税者の切なる思いを踏みにじるものだ。 たとえば、民主党の看板政策である農業者戸別所得補償制度で実際は対象作物を耕作・販売していないのに交付金を数千万円も配り続けていたり、防衛省では電子機器をカタログ価格の十倍で賃貸契約したり…。独立行政法人・日本原子力研究開発機構は次世代型高速増殖炉「もんじゅ」と関連事業に人件費約440億円などを計上せず、公表した総事業費(10年度までに9,265億円)は実際より1,546億円も少ないなど極めて不正確だった。 今回の検査院報告で、不適切なお金の使われ方と指摘したのは513件で、金額は過去二番目の5,296億円に達した。あらためて官僚の無軌道ぶりと、それを許してきた政治の体たらくに嘆息する思いである。 官僚は予算獲得には必死になるが、取った予算を適切かつ効果的に使おうという意識は薄い。予算が適切に使われたかをチェックする内部監査もない。民間ではとても許されない甘さだ。 本来なら税金を預かる官僚こそ、正確性や透明性はもちろんのこと、より少ない費用で実施できないかという「経済性」や同じ費用でも最大限の成果を得る「効率性」の原則が求められるべきだ。民間では当たり前の問題意識が決定的に欠けているから、漫然としたまま無駄なお金の使われ方が後を絶たない。 検査院は今回、民間にならい省庁に内部統制が機能するよう改善を求めた。検査院の担当官は約千人いるが、調べられるのは決算の一部である。指摘した案件は氷山の一角に違いない。官僚に“自浄作用”を期待するのも分かるが、過剰な期待は禁物だ。 検査院はもっと各省庁に無駄減らしを迫り、必要なら検査院の権限強化など制度の改正も求めるべきである。行政刷新会議の「事業仕分け」との連携も視野に入れるなど、納税者の期待に応える無駄削減に全力を...

社会の変革エンジンになるということ

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文教ニュース (平成24年10月22日)に掲載された「 木を植えるというミッション 」をご紹介します。 ◇ 大学という”装置”の最大のアウトカムといえば、何と言っても「有為な人材の社会への輩出」であろう。古今東西の大学の一番の目的もそこにあると考える。つまり、教育機能である。これは、叡智が生み出し、今日まで維持されている最適の教育装置である。 現在、学部のミッションの再定義が話題になっているが、その議論の一つの出口を、まさに、「出口」の問題として考えたい。 社会人のすべてが大卒ではなく、かつ、学問と職業はすべてがつながっているとは言えないものの、国内外の各産業は、その職種・業種に関連のある、いずれかの学部なり大学院を出た人が支えていると言ってもよいであろう。議論を転回すると、当該産業を支えているのは関連する学部で、当該各産業が我が国の社会を支えているとすれば、畢竟、我が国を支えているのは各の学部教育ということになる。 そこで思うのは、宮城県や広島県で行われている牡蠣の養殖のための植樹事業だ。牡蠣の美味しさの秘密は、その湾が養殖に最適な地理的環境とともに、その好餌となる植物プランクトンが豊富ということも挙げられ、海の漁場環境を守る為には森林の環境保全が不可欠となるらしい。そこで、美味しい牡蠣を作る=植樹ということになる。 社会の変革も、もっと奥深く、泉源から醸成していくことが必要だ。いうところの「植樹」=大学教育で、そういう意味で大学が社会の変革エンジンになるということなのであろう。ただ、国立大学法人法では、大学の経営について、経営協議会や学長選考方法という装置によって社会の声を反映する仕組みが備わっているが、学部は依然閉じた箱だ。だからこその再定義なのでもあろう。 改革、そして教育の現場である学部に焦点をあて、閉塞した社会を再度切り開くための植樹事業として、世を挙げて大学・学部教育の充実方策を財政や法制度、システム、ガバナンスの面から再検討し、大学の機能強化に結びつけねばならない。 我が国の近代化は大学の「学部」のいずれかの門から始まっている訳だが、国家百年の大計の下、創設当初から各時代において、時には当時の為政者の英断により、国力不相応の財政投入までしてきた。その投資は、大学人たちの魂を揺り動かし、近代化と人類の福祉向上に貢献して...

大学改革の行方

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民主党の大学改革ワーキングチームが策定(平成24年7月20日)した 報告書 から、気になった部分を抜粋してご紹介します。 ◇ 今、成熟社会・知識社会において、我が国は、「知的創造立国」の時代、高等教育機関や学校が社会を牽引する時代になっている。民主党大学改革ワーキングチームは、さらに「頼れる(伸ばす)学修大学(ラーニングユニバーシティ)、「強い研究大学(リサーチユニバーシティ)」を形成するための次のステップに向けた戦略について審議を行った。 その結果、今直面する課題への対応だけではなく、これから5年から10年先も見通した上で、成熟社会である我が国を高等教育機関がリードするための国家戦略としての大学改革を中心に以下のとおり取りまとめた。 各論4 日本の高等教育機関の改革のための基盤形成 (4)高等教育の機能別分化と流動性の向上 大学教育の多様な機能を発揮するためには、個性や特色を明確化していく必要がある。大学といっても、真理を探究する人材を育成するための大学もあれば、高度の専門能力を身につけ、職業資格を取得するための大学もある。例えば、これから雇用増が見込まれる医療・福祉・保育・教育などの分野では、その職につくための資格として、そもそも大学卒や大学院卒を前提・標準としているものが数多くある。情報通信分野についても、大学卒業が採用の標準となっている産業分野も増えている。 このようにそれぞれの大学の機能を明確にし、機能別分化を進めることは、第一に、高度な知識基盤社会に見合ったユニバーサル・アクセスの環境、すなわち世界の常識となっている「いつでもどこでもだれもが高等教育を受けられる」環境を整備することにつながる。特に、これからの時代は、高校を卒業して一度社会に出た人がもう一度大学・短期高等教育機関に入って学び直すことが就業構造の変化に対応していくためには不可欠であるにもかかわらず、大学生のうち25歳以上の平均在籍比率は、OECD諸国の平均は20%だが、我が国はわずか2%という状況にある。大学には社会人あるいは留学生の存在が非常に大事であり、この世界の常識を日本社会の常識にしていかなければならない。日本の大学教育を「少数で特定の層」に限定するのではなく、知的基盤社会のグローバル化に耐え得るよう大学教育の質の向上を図りつつ、個性や特色ある多様な大学...