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2 教育情報公表の課題
平成22年6月に文部科学大臣政務官名で出された学校教育法施行例の一部改正の通知文書によれば、改正の趣旨は「大学等が公的な教育機関として、社会に対する説明責任を果たすとともに、その教育の質を向上させる観点から、公表すべき情報を法令上明確にし、教育情報の一層の公表を促すこと」である。
しかし、教育情報の公表の現状を見る限り、社会に対する説明責任も質の向上への効果も道半ばの感が強い。特に、今回対象とした国立大学の現状には、筆者自身が国立大学に勤務している当事者として強い不満を感じざるを得ない。公立大学は、「教育情報公表ガイドライン」をいち早く策定し、各大学ウェブのトップページの分かりやすい場所に、同じフォーマットで教育情報を公表することとし、すでに実施するとともに、公立大学協会のウェブから各大学の教育情報の公表サイトへのリンクを張っている。「国民への約束」として機能強化を謳う国立大学こそ、率先して国民への説明責任を果たすべきであろう。
最後に、設置形態に関わらず、教育情報の公表をめぐる課題を整理して、小論を終えることとしたい。
第一に、今回の改正の趣旨のポイントは、「公開」ではなく「公表」にある。公開は、「情報公開」と言われるように、情報を必要とする側が情報を利用できる状態にしておくことである。たとえば、学生による授業評価の報告書を図書館の参考図書コーナーに置いておけば「公開」したことになる。評価結果を知りたいと思う人は、図書館に行けば情報を入手できる。言い換えれば、図書館に行く人だけが情報を得ることができ、図書館に行かない限り情報を入手できない。それに対して、「公表」とは、その情報を必要とするかどうか に関わらず、世間に発表し、広く周知することである。つまり、情報を有する側が、積極的に情報を提供することが「公表」である。このように考えると、多くの大学の現状は、「公表」には程遠く「公開」の状態に止まっている。
第二に、受験生、保護者、企業などのステークホルダーが求めている「情報」とは何であろうか。法定の情報はステークホルダーの希望を満たしているのであろうか。たとえば、保護者や受験生が必要としているのは、就職者数や就職率といった単なる「データ」ではなく、就職先が大企業なのか、中小企業なのか。大学の地元の企業なのか、それとも東京なのか、といったより具体的な情報である。また、なぜ、A大学は、他の大学より中退者が多いのかについての「説明」であり、就職率は、何を意味するのか。どのように算出されるのかについての「知識」である。現状は、せいぜい「データ」の公開に止まっているのではないだろうか。
第三に、これまでも何度も指摘してきた、3つのポリシーと教育情報公表の義務化との関係の曖昧さが依然として存在する。アドミッション・ポリシーの公表は既に義務化されているが、ディプロマ・ポリシーとカリキュラム・ポリシーについては、公表は制度化されていない。これについては、国あるいは大学団体での検討が必要であろう。
それに関連して、第四に、教育情報の「比較可能性(標準性)」の要求と大学の「機能別分化(個性)」の強化をどのようにして折り合いをつけるのかという問題がある。現在、一覧性や比較可能性を重視した「大学ポートレート(仮称)」の構築が検討されているが、このシステムによって、比較可能性は実現されるかもしれないが、教育情報の公表について、機能別分化(個性化)の観点からどのように実現していくのか。この点は、米国での大学団体ごとの教育情報の公表の取組が参考になるであろう。
最後に強調したいのは、教育情報の「公表」は、教育機関に本質的に存在する「情報の非対称性」を解消するためには不可欠の要素だということである。学生は、実際に大学に入学し、教育を受けてみないと、その大学の教育の質の評価ができない。その意味で、経済学では教育は「経験財」と位置付けられる。特に、高等教育は、高額の費用を必要とする。100万円以上の入学金と授業料を支払って、入学してみたところ、その大学の教育に満足できないからといって、すぐに他の大学に再入学することはできないし、一度支払った入学金や授業料は戻ってこない。受験生ができる限り適切な進路選沢を可能にし、大学間で公正な競争を促すためには、各大学がその教育活動について、正確で適正な情報を積極的に公表することが避けては通れないのである。