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記事紹介|一人も取り残さず

2020年は、コロナ禍の陰で、教育格差の解消という課題にスポットライトが当たった年だったと個人的には認識しているが、この点に関して文科省の動きが鈍いことは大いに不満である。彼らにとって目下一押しの政策らしいGIGAスクールでは、一人も取り残さないなどと威勢の良い口上が大臣からもあったが、それが具体的に何を意味するのかはよく分からない。一般的に、霞が関で成果目標を明示しない政策は、実現の責任を負わないと宣言しているようなものである。 教育格差の解消は、憲法第26条に由来する、国に対して積極的な作為を請求する権利(それに対応する国の配慮義務)に基づく課題だと思っている。深まり行く経済格差の拡大が、日本社会の基本構造を掘り崩し、国民の分断を押し進めることは、もはや明らかである。教育は、そんな危険をはらむ社会の安定装置にならなければならない。今や、教育格差の解消は、文科省の存在意義といっても過言ではないはずである。菅政権の一丁目一番地であるデジタル化の推進も結構だが、より本質的な教育格差の解消について、文科省から包括的な政策が打ち出されるべきであろう。特に、高校から高等教育段階におけるキャリア教育(雇用可能性を高める基本的な知識技能の習得)、社会に出てからのリカレント教育(産業構造の転換に即した実践的スキルの習得)について、経済支援を含む具体的な社会システムの構築が急がれる。あえて政策と言っているのは、単発の施策でやっているふりをしたところで、教育格差の解消には程遠いからである。単発の施策は、思い付きで、脈絡なく、打ち上げて終わりになることが大半である。予算に見合う成果は残らず、施策の残骸と虚しさだけが残る。そんなやったふりで、時間が無駄になり、教育格差はより深刻になり、相対的な弱者にとっては、社会での生きにくさが増していく。この分野の不作為は、国としての破滅への道だと理解すべきであろう。その意味で、文科省には、日本という国の未来が託されているのである。その割に危機感が薄い印象であり、失望を禁じ得ない。 重点となっているGIGAスクール構想に関しても、デジタル教科書の機能、その利用による学習効果などについて、ロジカルな説明がない上に、肝心のデジタル教育に関する教員のスキルアップをどうするのか、いまだに施策らしいものがない。一つの政策として、肝心な箇所に穴が開いたままで、スト...

記事紹介|コロナ禍における授業の在り方

大学が文科省に対して嘘の回答をするとは思いたくないが、12月24日の朝刊各紙に掲載されている標記の調査結果は、真実性にかなり疑問がある。大学からの回答に関して裏付けを取らずに、鵜呑みにしているからである。対面授業の割合が低いとする回答をしている大学については、一応、額面通りに受け取って構わないだろう。調査前に対面授業の割合が低い大学は名前を公表することがあるとされていたこと、それらの大学には、学長からのメッセージや学生の理解度など付加的な情報についても回答が求められたことから、大学の方針として、あえてオンライン教育を選択していることを明らかにしているからである。他方で、比較的小規模な大学で、後期には、感染対策を講じながらの対面授業を選択したという事情も理解できる。 恐らく真実性を問うべきは、規模が大きな大学で、「半々」という回答をしているところである。すべてを疑うわけではないが、オンラインか対面かは、教育に係る方針の問題なので、原則としてどちらかの方法を選択するはずである。したがって、基本的にどちらかに偏るのが自然であろう。「半々」というのは、対面への切り替え方針が、学部に浸透せず、まったく徹底できなかったという意味になるのであろうか? 私が調査を担当するならば、そのあたりの事情を詳しく聴くだろう。方針の転換に関する一連の経緯のほか、どういう授業科目で、何ゆえに対面に切り替えられなかったのか、確認する。主としてオンラインを選択している大学の付加的な記述の中にも、そうした学内事情らしいものが垣間見える。今はオンラインが主だが、次年度からは、対面を原則とするなどの方針を述べている大学も相当ある。文科省へのリップサービスかもしれないが・・・。「半々」と回答した大学に、付加的な記述を求めなかったのは、真実性の確保という意味で、調査側の手落ちとしか思えない。もっとも、真実性を重視しているならば、バイアスをかけておいて回答を求めたこと自体が、正しい手続きではなかった。大学名を公表されるのを避ける意味で、回答の担当者が平気で嘘をつく大学があるとは思わなかったのだろうか? あるいは、授業があった期間に、幾つかの大学を選んでキャンパスを訪問すれば、どの程度の学生が来ているか、容易に実感できただろう。大学の回答を信用しすぎると、真実性が低いデータを報道機関に提供してしまう。後で真相が明...

記事紹介|霞が関が学びきれていない失敗の本質

大学の現場感覚としては、大学入試センター試験は、標準的な学力の測定という意味で、問題作成の質が高く、高校学習指導要領への配慮も十分で、総合的に高評価を得ていると感じていた。確かに英語のリスニング試験は無理をしながらの実施だったが、何とか定着をみたと考えていた。何よりも、答案を短期間に正確に採点をするとともに、受験生側も自己採点で結果の予想が精度よく可能だったので、この種の試験としては、大学や高校の教育関係者からも評判がよく、国から褒められてしかるべき実績を残していた。 しかし、文科省は、トップダウンで、高校教育の改善を念頭に、高大接続部分に当たる大学入試を、外国(主にアメリカ)のシステムをモデルにして「改革」すると言い出した。うまくいっている大学入試センター試験を「改革」する必要はなかったはずだが、1点刻みの合否判定は不合理、複数の受験機会を設けるべき、記述式の設問も必要、英語は民間試験に代替することが可能などなど、種々の理由を持ち出して、センター試験を廃止して、新たな試験システムを構築する方向で、学識者らを集めて、急ピッチで検討を行ったのである。 その結果については、大きな目玉とされた記述式の採用が、採点の技術的問題で見送られ、英語の民間試験の導入も、得点換算の公平性の観点から先送りになっていると理解している。文科省にも、言い分は色々とあるだろうが、ここまでボロボロになって撤退した「改革」はあまり記憶にない。この「改革」を含めて大学入試の諸課題について幅広く論じている「大学入試がわかる本」(中村高康編、岩波書店)所収の荒井克弘「高大接続改革の現在」論文には、現場の学識者としての無念さがにじみ出ており、その優れた分析とともに、共感を禁じ得ない。 ここでは、なぜ、こうした失敗が繰り返されるのか、失敗から何を学ぶのか、考えてみたい。簡単に言えば、この分野の古典である「失敗の本質」(戸部、寺本、鎌田、杉之尾、村井、野中著、中公文庫)から、いまだに霞が関が学びきれていないということになる。霞が関の病理は、日本軍の組織的病理と同根である。以下に、私が考える今回の失敗の要因を挙げてみたい。なお、ケースとしては、文科省の事例だが、現在の霞が関に広く蔓延している傾向であると感じている。 第1に、現場、現実を踏まえない計画を立案してしまうことである。よくあるのは、背景も状況も異なる外...

記事紹介|私立大学における学生納付金の意義と役割

学生納付金の要件とは 私立大学の学費は、文部科学省の省令である学校法人会計基準の中で「学生生徒等納付金(以下、「学納金」と言う。)」という勘定科目(大科目)で扱われる。この学生納付金の小科目として、授業料、入学金、実験実習料、施設設備資金(施設設備費)などが同会計基準の記載様式として例示される。これ以外に教育充実費などの小科目を追加している法人も多く見られる。かつて筆者が、日本私立学校振興・共済事業団で学校法人の会計基準の担当をしていた時に、全国の大学法人の計算書類の科目名称を調査した。先述の小科目のほか、課外活動費、学生生徒の個別指導費、教育充実費、補講費、図書費、教材費、厚生補導費、暖冷房費、維持費、校費、管理費、在籍料など100種以上の多様な小科目が見られた。様々な教育活動に対応する実費徴収的又は付加的な教育サービスの趣旨で設定されている(昭和62年私学事業団経営相談回答集)。 学生納付金は学校教育法施行規則第4条によると、授業料、入学料その他の費用徴収に関することとして、学則に記載すべき事項に指定されている。これらを変更しようとするときには、学則の変更届出を文部科学大臣に提出することが必要となっている。昭和52年の文部省通知では、学生納付金に関する措置として、第1に、徴収の必要性を明確にすること、第2に、その額の抑制に努めること、第3に、学生納付金のすべてを募集要項等にあらかじめ明記すること、第4に、学生の負担軽減を図るため分割納入、奨学事業や減免措置を積極的に講ずることが求められている。私立大学の学生納付金は所轄庁の認可制ではなく届出制とされているが、高額な納付金の抑制と保護者負担の軽減を図るために、通知や行政指導又は補助金配分等によって所轄庁からの一定の規制がなされている。 これらの点を踏まえると、学則等に学部学科等ごとに一律に定められた金額が記載されており、その学則が所轄庁に届けられているものが学生納付金と言える。この「学則記載性」と「学部学科等ごとの一律性」が学生納付金の形式的な要件とみなすことが出来る。 教育サービスの対価が学生納付金 私立大学の学生納付金の基本的な性格は、学生が入学して卒業するまでに受ける様々な教育活動に要する経費に充当すべき費用と考えることが出来る。これを「教育サービスの対価性」とも言う。大学が学生のために提供する教育活動の本来...

記事紹介|授業をオンラインで行うこと

オンライン授業への突貫的移行を経て 今年度前期は、世界的なCOVID-19の感染拡大が続く中、日本の大学の約9割が授業をオンラインで提供することを余儀なくされた。開講予定であった授業がどの程度をオンライン化できたかは、各大学や各授業科目によって異なったものの、オンライン授業への移行に要する対応や支援については、大学・教職員各々のレベルで、様々な努力や苦労があったに違いない。 筆者の所属する京都大学高等教育研究開発推進センターも、3月下旬からオンライン授業支援サイト「 Teaching Online@京大 」や、20回近く開催した各種の学内講習会・相談会を通じ、教育・研究に関連するICT環境の運用・支援を行っている情報環境機構と共に、全学の教職員や非常勤講師に対して、オンライン授業実施のための教育的・技術的な支援に尽力してきた。このように、教育面・技術面をサポートする2つの全学的支援組織が緊密に連携・協力を図り、車の両輪のようにバランス良く各部局・教員に必要とされる支援を継続的に提供できたことに加え、今回、学内の多くの学部・研究科等において、教育支援組織や教職員による支援グループが自助的に活動・機能したことにより、トップダウン・ボトムアップの双方向からの支援の相乗効果が図れたことは幸いであった。 約8年半前に日本に帰国するまで、筆者はアメリカに約20年間在住し、財団や大学で高等教育の進展・振興にかかわる研究開発や実践、特にテクノロジーを活用した高等教育のイノベーションに携わっていた。その経験を踏まえて、日本の大学におけるテクノロジーの利用やその浸透は、欧米に比べると約10年は遅れており、おそらくもう20年間以上、その差はほとんど縮まっていないという認識を持っているが、その中で、このような半ば強制的なオンライン授業への移行という事態を日本の多くの大学が受け入れざるを得なかったことについては、正直なところ、非常に複雑な心境である。 この半年間を振り返ってみれば、「オンライン授業によって、大学生・大学院生の学びを継続させられた」、「教職員や学生は、無理矢理ながらも、教えたり学んだりするためのICT利用のリテラシーを身に付けられた」、「工夫しながらオンラインで授業を行う中で、対面で行う授業に比べ、教授・学習の観点からより効果的な側面も見出せた」など、ポジティブなことも多々あっ...

記事紹介|学歴証明のデジタル化

加盟国では学習者がどこで何を学び、どんな資格や技能を持っているかを電子履歴の形で、大学や企業にオンラインで送ることができる。発行元や発信・送信記録も確認でき、私が25年前に経験したような紙の書類の真正性の確認はとうに不要になっている。 紙文化の日本は、こうした潮流から完全に取り残されている。海外赴任中、大学の卒業・成績証明書を取り寄せるのに苦労した経験がある方もいるだろう。コロナ禍によるキャンパス閉鎖や事務局のリモートワークで、卒業証明書の発行が遅れるなどの問題も起きた。 証明書類のデジタル化は、海外留学する日本人や来日する留学生だけでなく、就職や転職で学修歴の証明書を必要とする全ての学生や卒業生にメリットがある。特にこれからは終身雇用が崩れ、1つの職場に在籍する期間が短くなり、転職機会が増えることが予想される。デジタル化の必要性は一段と高まる。 実証実験は1年間の試行を経て21年秋から本格運用に移行する予定だ。主要国で使われているものの中から日本の大学の実情に合ったシステムを選んでおり、多くの大学の参加を期待したい。 新政権の誕生で各分野のデジタル化に弾みがつきそうだが、大学も遅れを挽回する必要がある。学修歴証明書のデジタル化は、優秀な外国人材や留学生の獲得に寄与すると確信している。 ◇ 大学でも脱・紙文化の動きが始まった。東北大は6月、「オンライン事務化」を宣言。学内の申請や決裁の手続きをデジタル化するとした。押印(ハンコ)の原則廃止により、年に約8万時間分の作業が減るという。 デジタル化は大学の国際化とも密に関わる。9月入学の拡大などをしても、海外からオンラインで直接出願できる仕組みが整わないと、外国の若者にとって日本の大学は身近な存在にならない。 学生の国際流動性を高めるには、事務手続きなども含めた総合的な改革が必要だ。(抜粋引用) 出典|学歴証明のデジタル化、5大学で実証実験へ|日本経済新聞  

記事紹介|成長に最大の責任を持つ者は、本人

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P・Fドラッカー氏の心に響く言葉より… 成長に最大の責任を持つ者は、本人であって組織ではない。 自らと組織を成長させるためには何に集中すべきかを、自ら問わなければならない。 《非営利組織の経営》 これは、「組織」という言葉を「学校」や「家庭」に置き換えてもそのまま通用する。 成長に責任を持つ者は、本人であって「学校(家庭)」ではない。 組織や学校や家庭は、本人が成長したくなったり、勉強しやすい環境を作る必要はあるが、あくまでも勉強し、成長するのは本人だ。 しかし、その環境にしても、万全なものを与えればよいというものでもない。 古今より、ひどい環境の中で成功した者は多くいる。 どんなに頼まれても、ダイエットを代わりにすることはできない。 つまり、ダイエットも勉強も、その結果は他の人にではなく、必ず本人に戻ってくる。 それを、ドラッカーはこう語る。 『私が13歳のとき、宗教の先生が生徒一人ひとりに「何によって人に憶えられたいかね」と聞いた。 誰も答えられなかった。 先生は笑いながらこう言った。 「いま答えられるとは思わない。 でも、50歳になって答えられないと問題だよ。 人生を無駄に過ごしたことになるからね。」 今日でも私は「何によって人に憶えられたいか」を自らに問い続ける。 これは自らの成長を促す問いである。 なぜならば、自らを異なる人物、そうなりうる人物として見るよう仕向けてくれるからである。』《非営利組織の経営》 鉄鋼王アンドリュー・カーネギーの墓碑銘にはこう書いてある。 「おのれよりも優れた者に働いてもらう方法を知る男、ここに眠る」 墓碑銘や新聞の死亡記事には、「何によって人に憶えられたいか」が書いてある。 また、葬式や通夜での本人紹介でもそれはアナウンスされる。 人生100年時代、「何によって人に憶えられたいか」は、どれほど成長したか、という人生の通信簿だ。 あの世に逝く直前までいかに、倦(う)むことなく前のめりになって自らの魂を磨いたか。 「成長に最大の責任を持つ者は、本人」という言葉を心に深く刻みたい。 出典: 成長に最大の責任を持つ者は、本人 |人の心に灯をともす

記事紹介|安部教育改革の成果と課題

大学の側の課題も多い。外圧も時に必要だろう。しかし、財源を誘因にした改革ばかりで、本当に大学は強くなるのだろうか。 近年の大学界は、予算獲得で不利になることを恐れて政府に物言わぬ雰囲気が濃い。大学が知の府として自主的に改革を進める素地は、10年代に急速に弱くなったように思える。教育内容に実用性を求める風潮が強まり、学問の多様性の確保も危うくなっている。 大学と社会、地域と学校といった教育界の内と外との対話がもっと必要だ。次代を担う若者を育てる狙いの大学入試改革では、21年1月の大学入学共通テストへの英語民間試験の活用が土壇場で見送られ、多くの高校生らが振り回された。 国が専門家や高校現場の異論、懸念に耳を貸さず、理念先行で突き進んだ末に起きた失敗といえる。こうしたことを繰り返してはならない。(引用) 出典|強まった大学への関与 安倍教育改革の成果と課題|日本経済新聞  

記事紹介|弱くなった日本人

 豊かさと便利さとは、異なるものなのですが、それを今は混同していますよね。過ぎた便利さは、感性を鈍らせ、創造力を育てませんから。先人が築いてくれた便利な社会は、実は今日を生きる若者にとってはハンディキャップなのかもしれない。そして便利さのために管理され過ぎている分、問題を起こしにくい仕組みが出来上がってしまっている。失敗への許容度が低くなった社会では、挑戦心や冒険心は育たないし、創造も生まれないでしょう。(引用) 出典|安藤忠雄氏「日本の停滞は、インテリが闘わないから」|日本経済新聞 

記事紹介|教育に対する公財政支出

 「日本」は2.9%と比較可能な38か国中で最下位から2番目。OECD諸国平均は4.1%、EU23か国平均は3.9%だった。 OECDは「新型コロナウイルスのパンデミックが教育支出に及ぼしている影響の全貌はまだ明らかになっていないが、各国政府は経済の停滞、税収の減少、医療費と社会保障費の増大により公的資金の配分を巡って難しい決断を迫られることになる」と指摘。 アンヘル・グリアOECD事務総長は、パリで行われた発表会見で「教育制度の強化は、政府の危機回復計画の中心に据えるべきで、若者には成功するために必要な技能と能力を身に付けさせる必要がある。この危機によって、多くの国々ですでに明らかになっている教育の不平等を拡大させないように、できる限りの取り組みをしなければならない。我々は、現在の危機によって大規模な混乱に対処する能力があるかを試されている。今、この危機の遺産として危機対応能力が高い社会を構築できるか否かは、我々にかかっている」と述べた。(引用) 出典|教育への公的支出、日本は38か国中37位…OECD調査|リセマム  

記事紹介|大学の国際化

83年に始まった留学生10万人計画以来、なぜ東大を始め歴史のあるトップ大学では、留学生増など表面的な国際性を高められても、大学を本質的に転換させる国際化ができないのか。 『大学はもう死んでいる?』(苅谷剛彦・吉見俊哉著、集英社新書・20年)は、変化を避けるムラ社会としての大学の内実と、毅然とした態度をとれず中途半端な国の政策の問題を、現役の東大教員と元東大、現オックスフォード大学の教員が解説する。 限られた成功例として、専任教員に占める外国出身者の比率が高いAPU、国際教養大学、国際基督教大学などを挙げ、知的共同体では意図的に多様性を作り出すことが最も重要だと指摘する。 日本の高等教育のグローバル化対応には、学生、教職員双方で多様性を高めることが喫緊の課題だ。そして外国人を一時の助っ人や便利屋ではなく、共同体の一員として受け入れられるか、その覚悟と本気度が日本人に問われている。(引用) 出典|日本の大学は国際化するか 求められる多様性の確保|日本経済新聞 

記事紹介|コロナ禍と大学

コロナ禍の第2波は、経済社会に更なるインパクトを及ぼしており、首都圏の大規模大学は後期もオンライン授業を継続せざるを得ないと判断するところが多くなっている。直近の新規感染者数が急増したために、対面授業を可能な限り実施しようかと考えていた大学も、オンラインを原則とする方向に再度転換している。文科省は、こうした判断に介入することはないと思うが、かりに、後期も現状維持が続くとすれば、次に述べるような影響が負の遺産として長く社会に残っていくので、見過ごしにできないと考える。 第1に、学生の学習面への影響である。実施されているオンライン授業の学習効果に関して、学生自身の学習能力が高い大学は大きな問題にならないだろうが、個々の大学からデータに基づく質保証の実態が明らかにされていないため、極めて疑わしいと感じている。これに関する説明責任は個々の大学が負うべきである。オンライン授業自体の可能性については、否定的に見るべきではないが、現在行われている授業については、準備期間も短く、教員のスキルはピンキリで、単に間に合わせた程度のものに過ぎない。著作権をはじめとするコンプライアンスについても、きちんとチェックされていない。授業料に対する学習保証という意味では、機関としての大学が責任を持ちうるのか、極めて疑問である。この点について、私学助成を受けている大学は、実施状況、分析結果・データを積極的に公表してもらいたい。その際、授業料のコストパフォーマンスがどの程度下がったのかも、分析してほしい。アメリカの主要大学では、学生からの声に押されて、10%程度の学納金返還が行われつつある。我が国でも、オンライン授業への対応を支援するなどの理由で、一定額を学生(保護者)に支給した大学があるが、対価としての授業料をどの程度下げるべきなのかどうか、学問の府として、きちんと論理的に説明すべきであろう。 第2に、学生のメンタル面への影響である。特に、1年次の学生は、通常ならば、既に仲間もできて学生生活を楽しむフェーズに入っているはずだが、大学に入構する機会もほとんどなく、サークル活動も実質的に停止した状態で、図書館その他の大学施設さえも利用できないので、学生は一種の社会的孤立状態を余儀なくされている。例年なら、地方から上京して東京にも慣れてきたころだが、故郷に戻っている学生も多い。後期もその状態が続くなら、大...

経済財政運営と改革の基本方針2020 |大学関係

第3章 「新たな日常」の実現 3.「人」・イノベーションへの投資の強化 ― 「新たな日常」を支える生産性向上 (1)課題設定・解決力や創造力のある人材の育成 ②大学改革等   STEAM人材の育成に向けて、教育・研究環境のデジタル化・リモート化、研究施設の整備、国内外の大学や企業とも連携した遠隔・オンライン教育を推進するとともに、データサイエンス教育や統計学に関する専門教員の早期育成体制等を整備する。医工連携をはじめとする分野融合人材の育成、高等専門学校の高度化・国際化、専門職大学、専門学校、大学院等における企業等と連携・協働した社会のニーズに応える実践的な職業教育や博士課程教育をはじめとする高度人材教育の構築等を推進する。 優秀な人材を日本に惹きつける国際的な頭脳循環、トビタテ!留学JAPAN、大学間交流協定による単位互換や共同研究、教育プログラムの国際連携などを拡大する。 国立大学法人改革について、戦略的な大学経営を可能とする新たな法的枠組みを検討し、年内に結論を得る。国と新たな自律的契約関係を結ぶ国立大学法人は、グローバルな評価・処遇制度の下、人事の独立性を確保し、学生定員を自律的に管理、デジタル化を活かした質の高い教育を実践、リモート留学生・教員も含めたグローバルキャンパスを実現する。あわせて、戦略的経営を促す財務・会計の在り方等について具体的な検討を行う。国立大学法人運営費交付金の客観・共通指標による成果に基づく配分対象割合・再配分率を順次拡大しつつ、第4期中期目標期間の新たな配分ルールを検討する。大学の連携・統合の推進、地域に貢献する公立大学への地方財政措置を含めた支援の実施、私学助成のメリハリある配分の強化を図る。 感染症による影響を含め、高等教育無償化等の実施状況の検証を行い、中間所得層における大学等へのアクセス状況等を見極めつつ、その機会均等について検討する。 ③リカレント教育 遠隔・オンライン学習、働く個人向けの教育訓練給付や事業主向けの人材開発支援助成金の活用、大学等によるプログラムの拡充も進めながら、例えば40歳を視野にキャリアの棚卸しを行うことにも資するよう、いくつになっても再チャレンジできるリカレント教育を全国的に推進する。産業界との連携・接続を強化した幅広い分野の実践的プログラムやデジタル・デバイドを...

紫陽花づくし

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今年の紫陽花も見納め。いろんな場面で癒してくれました。感謝。

記事紹介|真に支援が必要な学生とは

2020年度の文科省2次補正予算案を見て、がくぜんとした。生活に困っている学生等の支援として、授業料減免等に▽国立大学45億円▽国立高専2.3億円▽私立大学94億円――が計上されている他、私立高校生にも8.6億円、専門学校生への実証研究事業費としても2.6億円が盛り込まれている。これらの総額は152.5億円となる。 これが平時なら、大いに評価できる額だ。しかし新型コロナウイルス感染症の影響でアルバイトもままならず、おまけにオンライン授業などで通信費などもかさんでいる。国民一律の10万円支給があるとはいえ、食費にさえ困る学生生活に対する支援として十分なのだろうか。 がくぜんとしたのには、もう一つ理由がある。全世帯に布マスク2枚を配る「アベノマスク」は当初見込まれた466億円ではなく260億円で済むそうだが、2次補正の学生支援はそれを100億円以上も下回っている。 本社にも10日前やっとアベノマスクが届いたが、抗議の意を示すため送り返した。そのため品質がどうか実際には分からない。しかし見た目はうわさに違わず小さいもので、既に自前で10枚以上調達した布マスクに比べても使いづらそうだった。こんなものに血税を浪費されたかと思うと、怒りしか感じない。 もっとやるかたないのは、今回の学生支援はそれ以下の評価しかされなかったということだ。 安倍政権は高等教育の無償化を実現したと胸を張るが、「真に支援が必要な、所得が低い家庭の子どもたち」という限定が付いている。裏を返せば、それ以外の学生は「真に必要」ではないと言っているに等しい。しかし、いま生活に困っているのは、そんな「真に必要」と見なされなかった学生たちである。 東京私大教連の調査によると、首都圏私立大学の19年度新入生は毎月の仕送り額が8万5300円で、家賃を除いた1日当たりの生活費は730円になる計算だという。保護者世代はこれをどう思うだろうか。もしかすると祖父母世代は「高い。今どきの学生は、われわれのころより恵まれている」とさえ思うかもしれない。 しかし実態は違う。そもそも授業料は国立大学(標準額)が53万8000円、私立大学が18年度平均で90万4146円(文部科学省調査)と、30年前に比べて1.7~1.8倍になっている。私大は他に学生納付金もある。その間、物価が大幅に...

デンマークのメッテ首相が若者に向けて行ったスピーチ

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記事紹介|オンライン授業を制する大学が近未来の覇者となる

2020年度前期は、大学の授業の大半がオンラインで行われている。テレビ会議で使用されるZoomを使用すれば、双方向性が担保され、ある程度の数の学生への授業に支障を感じない教員も増えてきていると思うが、それぞれの大学により、ほぼ同時並行で試行錯誤によって経験が積み重ねられてきたこともあって、その実態に関しては、大学間格差が甚だ大きいと感じている。取り組みに関して、大学としての統一的なビジョンのもとに進められているか、準備段階から工程を管理しながら計画的に進められてきたか、オンラインによる教育効果を最大化するために努力がなされてきたか、コンプライアンスの観点から著作権等が適切に保護されているか、学生の受信環境の整備について支援を含めて適切な配慮がなされてきたかなど、総合的な評価が行われるべきだろう。 こうした点に関して、合格点を取れる大学は、おそらく全体の20%以下ではないか?コロナ禍への対応は、全世界の大学にとって事業継続=キャンパスに来られない学生への教育活動の維持という難題を突き付けたが、我が国の大学のうち、歴史的転換点になるという意識をもって、オンライン授業に取り組んでいる大学はどれほどあるだろうか?こうした課題への対処に後れを取れば、世界の大学や潜在的顧客である学生からは相手にされなくなる。特に、学生一人一人を取り残さずに授業に参加させるために大学として何をしてきたのかについては、大学の本質にかかわる重要なポイントである。新たな事態に向き合って、あるべき教育を考えるのではなく、一時凌ぎさえできればよいと形を整えるだけの姿勢の大学は、この際、退場させる方が世の中のためだろう。公衆送信されたといっても、資料だけ提示して、後は自学自習させるようなやり方では、大学の授業とはとても言えない。それでは、学生や保護者がかわいそうである。そんな大学には進学してはいけない。 コロナ禍による制約条件によって、オンライン授業の実験が大規模に行われる機会が生まれた以上、その結果を将来に生かすべきである。その意味で、次の諸点を提案しておきたい。 第1に、各大学で、オンライン授業のコンテンツ全てを可能な限り保存することである。授業は、大学の知的財産であるので、当然の措置なのだが、きちんとしたビジョンがない大学では、ここまで気が回らない。このデジタルアーカイブの中に、改善のヒントが隠されて...

記事紹介|自分の頭で考えることのできる人を育てる教育が、今まさに必要とされている。

出口氏は「教育の2つの目的」についてこう語る。 1.自分の頭で考える力を養う *自分が感じたことや自分の意見を、自分の言葉で、はっきりと表現できる力を育てること(人格の完成) 2.社会の中で生きていくための最低限の知識(武器)を与える *お金、社会保障、選挙など、社会人になるとすぐにでも直面する世の中の仕組みを教えること(社会の形成者として必要な資質を備えること) そして、「尖った人」に関してはこんな文章がある。 『日本の教育は、スペシャリストよりゼネラリスト(いろいろな分野の知識を広く浅く持っている人)を育てる教育です。 これは、「一括採用、終身雇用、年功序列、定年」という、人口増加と高度成長の2つを与件としたガラパゴス的な労働慣行にフィットしたものです。 ゼネラリストという概念は、日本を除けば、世界のどこの国にも存在しません。厳しい競争にさらされている世界では、「ゼネラリスト人材を育成しよう」などと悠長なことをいっていられるはずがないのです。 確固とした自分の得意(専門)分野を持ち、なおかつ企業全体を見渡せる専門人材を育成するのが世界の常識です。 アイデア勝負の時代に必要なのは、自分の好きなことを究めて高い能力を発揮するスペシャリストです。 工場モデルに最適化した「素直で、我慢強く、協調性のあるタイプ」ばかりを育てるのではなく、スティーブ・ジョブズのような尖った人材の育成が急務です。 これからの日本でイノベーションを起こそうと思うのなら、極論すれば、日本人全員が自分の好きなことを究めなくてはいけないのです。』 この混沌とした時代は、先の見えない時代であり、前例のない時代だ。 「何百年に一度」とか、「戦後初めて」というような「まくら言葉」が付くできごとが頻繁に起こる。 前例のない時代を、「想定外」と言ったりする。 想定内とか前例踏襲の事例や事件ばかりなら、過去に起きたことや覚えたことを再現する能力に長けていれば活躍できる。 しかし、前例のない想定外の時代は、自分の頭で考える力のある人しか生き延びることができない。 世界中が、近世においてありえなかった、想定外のコロナ禍に直面している今… 自分の頭で考えることのできる人を育てる教育が、今まさに必要とされている。 (出典) 自分の頭で考える力を養う|人の心に灯をともす

記事紹介|政府はこれまでの不作為を反省しデータの有効活用にかじを切るべし

今回のコロナ危機で浮かび上がった日本の弱みが、デジタル対応の遅れである。マスクの買い占めを防ぐITシステムの構築から給付金の銀行振り込みまで、様々な場面で海外に劣後した。 デジタル化の加速は利便性の向上にとどまらず、私たちの生活や健康、命を守ることにもつながる。目の前のコロナ禍を奇貨として、官民挙げて日本のデジタル実装を力強く進めるときだ。 リーマンから進化なし デジタルインフラが整っていれば、もっと素早く、的確に本当に困っている人を助けられたはず――。そう悔やまれるのが、曲折の末に決まった国民1人あたり10万円の現金給付だ。 生活に余裕のある富裕層にも一律に支給されるほか、申請から実際の入金までに時間がかかり、明日のおカネに窮する人への即効性に欠けると懸念される。 これは2008年のリーマン・ショック時の状況の再現にほかならない。当時の政府は定額給付金として1人原則1万2千円を支給したが、人々が実際に現金を手にしたのは方針決定から半年以上先の翌年だった。 高額所得者への支給についてばらまき批判も出たが、「所得制限をかけると自治体の実務作業がパンクする」などの理由から一律給付しか選択肢はなく、お金持ちには自主的な辞退を求めることでお茶を濁した。それから11年たった今も状況は変わらず、行政システムの旧態依然ぶりが露呈した。 米国は個人が持つ社会保障番号のデータをもとに、政府が各人の銀行口座に直接支給金を振り込む仕組みで、法律成立から約2週間で支給が始まった。 日本でもマイナンバーと銀行口座をひも付け、さらに納税データなどと組み合わせれば、迅速かつメリハリのきいた給付が可能だろう。情報セキュリティーを確保しながら、国民にマイナンバーの意義や機能を分かりやすく説明し、用途を広げる。政府はこれまでの不作為を反省し、データの有効活用にかじを切るときだ。 いつまでたっても解消しないマスク不足もデジタル化の遅れの反映だ。台湾の保健当局はマスクの購入時に個人識別用のICチップのついた健康保険証を示す仕組みを整えた。各人の購入履歴を管理し、買い占めや転売を防ぐ狙いだ。マスクの在庫データも把握し、どの店に行けば手に入るのか、最新の情報をネットで示す。 安倍晋三首相の約束した布マスクは多くの家庭にまだ届かない。今すぐ必要な人は感染リスクを冒してでも...

記事紹介|なぜ、世界トップクラスの人的資本に恵まれている日本の労働生産性が低いのか?

かつての日本は、ハイテクの国であった。ところが現在ではIT化が遅れ、労働生産性もイタリアやスペインといった南欧諸国より低い。 日本は高齢化による若年男性労働者数の減少を高齢者と既婚女性のパート就業率を高めることで対処したので、労働力の質が下がり、労働生産性が落ちたという人もいる。しかし、やはり超高齢化が進むドイツは日本同様、高齢男性と既婚女性のパートタイム労働の就業率を底上げしてきたが、時間当たりの労働生産性は日本よりもずっと高い。 国際成人力調査(PIAAC)という、16歳から65歳までの労働者のスキル調査によると、日本の労働者の読解力と数的思考力は国際的にもトップレベルである。加齢による能力低下を考慮しても、国際的に非常に高いレベルを維持している。 なぜ、世界トップクラスの人的資本に恵まれている日本の労働生産性が低いのか? その理由の1つはIT化の遅れだ。日本では他の先進国に比べ、職場や自宅でコンピューターを使わない労働者が(若年労働者を含めて)非常に多い。 日本は、スマホ普及率の増加に伴ってコンピューター使用率が減少した稀有な国でもある。桜田義孝前五輪担当大臣兼サイバーセキュリティ戦略本部担当大臣が、パソコンも使わず、USBが何かも知らないことで物議を醸したが、その桜田氏もスマホは使っており、「桜田現象」は日本の現状の象徴でもある。スマホのアプリ開発で日本が世界を凌駕しているわけでもない。単に教育機関や職場のIT化が非常に遅れており、せっかくの良質な労働力の真価が発揮されていないだけだ。 オンライン授業なぜできない 新型コロナウイルスによるパンデミックへの対応を見ても、日本のIT化の遅れは顕著だ。学校閉鎖になった小中高では、オンライン授業への移行が全くなされなかった。IT化がもっと進んでいる大学でも事情は他国とかなり違う。首都圏では新学期を1カ月ほど遅らせる大学も多いが、知り合いの関係者の話によると、この期間を使ってオンライン授業への移行を準備する意味合いもあるらしい。これには衝撃を受けた。 学期中にパンデミックに対応せねばならなかった欧米の多くの大学は1週間程度でオンライン授業に移行した。もともと米国の大学では授業用のオンライン・プラットフォームが整備されており、オンライン授業への移行も既存の仕組みを利用することができ、年齢層の高...

記事紹介|新型コロナウイルスの感染拡大は大学や学生に何をもたらしているのか

新 型コロナウイルスの感染拡大は、全国の大学にも大きな影響を与えています。多くの大学が入学式を取りやめたり授業の開始を遅らせたりすることを余儀なくされる中で、前期の授業については本格的に行うことは無理との声も上がり始めています。 ▽大学で何が起きているのか ▽授業再開の決め手と見られたオンライン授業の問題点 ▽行き場を失う学生をどうフォローするのか 以上、3点を中心に、この問題について考えます。 全 国の大学は今、どうなっているのでしょうか。緊急事態宣言の中では、多くの大学が休業要請の対象となっています。新型コロナウイルスの感染拡大に伴って、大学側は、宣言が出される前から対応に追われ、多くは入学式を取りやめました。首都圏や近畿地方を中心に、今年度の授業の開始はもとより、学生も教員も学内への立ち入りが禁止となるなど、大学の機能そのものが停止状態というところも少なくないのが現状です。 文部科学省のまとめでは、全国の大学のうち授業の開始を遅らせることを決めたのは、8割に上るということです。政府の緊急事態宣言が全国に拡大されたことで、こうした状況は当面解消される見通しが立たなくなったというのが大学関係者の共通の見立てです。 こ うした厳しい状況の中でも授業を行っている大学もあります。そうした大学が取り組むのが、パソコン等の情報端末を利用したオンライン授業です。いち早く夏休みまでの授業をオンラインに切り替えることを決め、学生に周知する対応を取った大学があります。東京・三鷹市にある国際基督教大学は、入学式は中止したものの、新入生も含め当初の予定通り今月9日から授業をオンラインで始めました。また、秋田市の国際教養大学は、授業の開始は今月20日まで遅らせましたが、すべての学生向けにオンラインでの授業を始めています。ともに先進的にこうした授業に取り組んできたことが功を奏した形です。ほかにも今週からオンラインで授業を始めた大学があります。文部科学省の調査では、全体では8割の大学が何らかの形でオンライン授業の実施を決めたり、実施を検討したりしているということです。ただ、オンライン授業を行うには、大学・学生双方に課題が顕在化しています。 ま ずは、大学側の問題です。そもそも日本の大学の中で、こうした授業に取り組んだことがある大学は、25%にとどまるという実状がありま...

記事紹介|反省はしても後悔はしない

失敗して、やる気がなくなるのが敗者 失敗して、やる気になるのが勇者 福島 正伸 * 人生を映画のように、ドラマのようにと捉えれば、困難があった方が面白くなる。 困難を乗り越えた話はもっと面白い。 だから、失敗したとき、困難が来たときに使う言葉は、 「ますます面白くなってきたぜ!」 Welcome 困難です。 松下幸之助氏が語るように、 「困っても、困ったらあかん」のです。 反省はしても、後悔はしない。 躓くのは、足を前に出している証しだから。 (出典) 失敗|今日の言葉

記事紹介|運命は与えられるものではなく、自分から動いてデザインしていくもの

自分のやりたいことに 挑戦する勇気を持っている人の未来には、 自分が考えている以上に 楽しいことであふれた毎日が待っている。 * これを後押ししてくれる言葉として、日野原先生のこんな言葉があります。 『自分の人生に起こることを「運命だ」と受け身的に捉える人が多いようですが、 私はいつも「あなたの運命をデザインしなさい」と言うのです。 人生はよいことばかりではありませんが、誰かとの出会いを契機によい方向に変えていくこともできる。 運命は与えられるものではなく、自分から動いてデザインしていくものだというのが私の考え方です』 運命は決まっているものではなく、自らデザインしていくもの。 そうであるならば挑戦の多い運命でありたいですね。 そして失敗を恐れないこと。 なぜなら、 『失敗は行動しない者が引き起こすのであって、 失敗を覚悟してあえて行動しようとする者によって起きるのではない』 ということのようです。 今年の挑戦は何ですか? (出典) 挑戦|今日の言葉

記事紹介|逆境や問題から学ぶことができ成長することができる人は、それを人のせいにしない

逆境や問題から学ぶことができ、成長することができる人は、それを「人のせいにしない」。 そして、まわりのせいや、政治や時代のせいにはしない。 政府が悪い、トップが悪いといくら言っても、今まで起きてしまったことの状況は変わらない。 ダメな経営者が「景気が悪いから我が社も悪い」と言っているようなものだ。 つまり逆に、「景気がいいから我が社も良い」というなら、その経営者はいらないことになる。 すべて景気任せだからだ。 声高に誰かを非難している人は、自分の胸に手を当てて考えた方がいい。 もし、自分がそのトップの座にあったらどんな手を打つかと。 もっとましな手が打てたのかと。 決断を下すには、様々な条件が重なり、何かを選べば何かを捨てなければならない。 全員がオッケーになってハッピーになることなどこの世に一つもない。 そして、状況は刻々と変わり、昨日打った手は今日は正解ではない。 その中で決断するのだ。 結果を非難するのは誰でもできる。 それは、冷暖房の効いたテレビの前で、死闘を繰り広げるボクサーを見て罵(ののし)るようなもの。 「逆境に対する姿勢で人は問われる」 今、生かされていることに感謝し… 人のせいにせず、さわがず、 目の前のやるべきことを淡々とまっとうする人でありたい。 (出典) 逆境に対する姿勢で人は問われる|人の心に灯をともす

記事紹介|現状維持とは後退していること

組織の内部の変化が外部の変化についていけなくなったとき、終わりはすぐそこに来ている。 ジャック・ウェルチ 先日3月1日に亡くなったGE伝説の経営者ジャック・ウェルチの言葉をお届けします。 「現状維持とは、後退していること」とも言われますが、井の中の蛙にならないことが大事ですね。 また、『変革せよ。変革を迫られる前に』ともウェルチは語っています。 英語では、“Change before you have to.”となっています。 自らが変化のきっかけになれ、時機を逸するなということでしょう。 さらに、『自分の運命は自分でコントロールすべきだ。さもないと、誰かにコントロールされてしまう』とも語っています。 世の中に対しても、自分自身に対してもイニシアチブとリーダーシップを取ること。 どちらも意識的に自ら働きかけるからこそ出来ることですね。 変えるべきもの、変えるべきではないものの見極めが大事です。 (出典) 変化|今日の言葉

記事紹介|肯定の哲学

国家全体が受ける危機という国難が襲ってきても、心配することはない。 むしろ、心配しなければならないのは、人々の心に気力や気迫という「生気」がなくなってしまうことだ。 SNS上も、マスコミも、否定の哲学にあふれている現代… まさに、国民にこの「生気」が問われている。 「ダメだと言うなら、それよりいい案を出しなさい」  (出典) ダメだと言うなら、それよりいい案を出しなさい|人の心に灯をともす

記事紹介|身の丈に合った教育

本来、学校とは「平等をつくるための装置」なのに、そこには組み込まれない活動を評価することは、国が「教育の平等」を放棄するようなもの。安倍晋三政権が進めようとしている大学入試改革は、貧困の連鎖を拡大させる改革でしかない。 貧困の最大の問題は「機会の略奪」である。 教育を受ける機会、仲間と学ぶ機会、友達と遊ぶ機会、知識を広げる機会、スポーツや余暇に関わる機会、家族の思い出をつくる機会、親と接する機会……といった「普通だったら経験できることができない」のが貧困である。 とりわけ幼少期の「機会奪略」はその後の人生の選択にも大きな影響を与える。私たちは幼少期にこういったさまざまな経験を積む中で、80年以上の人生を生き抜く「リソース」を獲得する。ところが低所得世帯の子供はそういった機会を経験できず、進学する機会、仕事に就く機会、結婚する機会などについて、「機会略奪のスパイラル」に入り込む。 その機会略奪のスパイラルを、唯一阻むことができるのが、本来、学校の役目だった。学校では親の社会経済的地位に関係なく、同じ教科書で同じ教育を受け、同じ制服を着て登校し、同じ食事を食べ、同じ行事に参加できる。それはまさに「主体性を持って多様な人々と協働して学ぶ態度」というフレーズの、“多様な(家庭)の人々”との協働作業だ。 だが、その「平等をつくるための装置」も中学まででジ・エンド。高校になると間接的に親の社会的経済的地位でふるい分けられる。子供の学力と親の社会経済的地位は関係性が深いため、学校の学力レベル=親の社会経済的地位となってしまうのだ。 それでも何とかして大学に行きたいと思う子供は、主体的に勉強をし、高卒認定を受けるなどして、大学受験することができた。いじめなどで学校に行けなくなり「学ぶ機会」を略奪された子供も、主体的に勉強をし、高卒認定を受けるなどすれば大学受験できた。 大学受験というのは、ふるい分けを再び、リセットできる大きな機会だった。その機会を「子供たちの未来」を考える立場の人たちが、奪おうとしているとしか私には思えない。 家庭の経済格差が教育格差につながっていることは、さまざまな調査が明らかにしているが、これに拍車をかけるような制度を文科省が進めてどうするというのだ。 「身の丈に合った教育を受ければいい」と、マジで思っているのだろうか。 ...

記事紹介|多くの人が何気なくできることなのに、 意識しなければその価値に本当に気付くことはない

何も感じられなくるうつの世界に一度行ったからこそ、私は皆さんに伝えたいことがあります。 手が動くのであれば、大切な人を抱きしめてください。 耳が聞こえるのであれば、親しい人の声を聴いてください。 口が動くのであれば、誰かに「いつか話そう」と思っていることを素直に伝えてください。 体が動くのであれば、日本中の行きたいところへ出かけましょう。 好きなものを好きなだけ感じる大切さを、私はうつを克服して初めて知りました。 どうか、健康な心と体を、我慢して苦しいことをするためだけに使わず、一度きりの人生を精いっぱい楽しんでください。 後生川 礼子 (出典) 五感を使う|今日の言葉

記事紹介|遠くを見る力

迷った時ほど遠くを見よ 近くを見れば見るほど船酔いする あらが見えてくる 遠くまで見ていると、実はそんなものは誤差だとわかる 孫 正義 遠くというのは物理的な視野を指す場合もあれば、時間的な尺度を指すこともあるでしょう。 だから人は悠久の歴史から学ぶことも大事なのです。 「賢者は歴史から学び、愚者は経験に学ぶ」という言葉もあります。 または大きな目標を見据えることも、遠くまで見ることになるでしょう。 ソニー創業者の井深大氏の言葉に、「鍬を持って耕しながら、夢を見る人になろう」と語っています。 最後にサン・テグジュペリの言葉も紹介します。 「船を作りたいのなら、材木を集めるために人を集めたり、彼らに仕事や作業を割り当てたりしてはいけません。 彼らに、海の無限の広さを夢見るように教えてあげなさい」 夢を見る力が大事ですね。 (出典) 遠く|今日の言葉

記事紹介|野村克也語録

勝ちに不思議の勝ちあり 負けに不思議の負けなし 野村克也 先日2月11日に亡くなられた野村元監督の言葉です。 元々は剣術の達人でもあった平戸藩主の松浦静山の言葉だそうです。 故人を偲び、過去にご紹介した野村氏の言葉をお届けします。 プロの世界は、当たり前ですが、どこまでも自分との闘いです。夜、僕が素振りをしていると、先輩が若い奴を連れて繁華街に行くんです。“おまえもどうだ”とよく声を掛けられましたが、お金もないし、着ていく服もないから、“僕はいいです”って言って残って、自分でつくった個人メニューをこなしていました。 素質は一流でも、思想が二流の人間は伸びない。 人生に大きな夢を持っている人というのは敏感である。目標意識がはっきりしている人は敏感である。目標がしっかりしていると、物事に肯定的になるから、それが敏感にするのであろう。人間の最大の悪はなんであるか、それは「鈍感」である。 不器用を恥じる必要はありません。不器用なことを認識していれば熱心に研究するし、対策を考える。それに第一手抜きをしません。この手抜きをしないことこそ一流選手への必要条件。 努力、思想、熱心さ、夢、目標、手抜きをしない。 そうした一貫した姿勢が野村氏の魅力だったのでしょう。 (出典) ぼやき|今日の言葉

記事紹介|知識と行動は表裏一体

中国の朱子学の考え方の一つに「先知後行(せんちこうこう)」がある。 先知後行とは、先に正しい知識を得たのち、それをもとに行動しなさい、という考え方。 それに対する概念として、王陽明は「知行合一(ちこうごういつ)」を唱えた。 知識と行動は、分けることのできないものであり、表裏一体であるとの考え方だ。 本当の知とは実践を伴うものであるということ。 正しい知識や思想を得るために、まずは勉強しなければいけない、という人は多い。 今の学校教育がまさにそれだ。 知識を得るのがいけないと言っているのではない、ただ頭に知識を詰め込むだけ詰め込んで、それをアウトプットしない人が如何に多いかということだ。 本来は、知識と行動というアウトプットは表裏一体のもの。 準備もなしに「とにかく走り出せ」というのは少し乱暴ではあるが、現代人はそのくらいのスピード感でちょうどいい。 薩摩には、西郷隆盛や大久保利通らをつくり上げた、郷中教育というのがあった。 その中にこんな言葉が残されている。 「泣こかい 飛ぼかい 泣こよか ひっ飛べ」 高いところから、飛び降りようかどうしようか迷って泣く子供に向かって、「泣くくらいなら、サッサと飛び降りろ」と言ったのだ。 ぐずぐず考えてないで行動しろ、ということだ。 「地球は行動の星」 ぐずぐず考えていないで、さっさと行動できる人でありたい。 (出典) 武器は走りながら拾え!|人の心に灯をともす

記事紹介|政治に屈した思考停止や政府方針の忖度の中でしか政策を考えられず、ねじ曲げられた文教行政が定着してしまうことを恐れる

文部科学省の「大学入試のあり方に関する検討会議」が7日、第2回会合を開催した。まずは経緯の検証ということで、英語と記述式の別に報告書が示された。12人もの外部弁護士が協力したという詳細なものだ。 ただ、これには大きな限界がある。「議事録や報告書等から整理した」(各報告書)ということだ。もっとも会議の間や背景に何があったのか、ますます疑念を浮かび上がらせることができると評価することもできよう。  実際に議論でも、まず益戸正樹・UiPath特別顧問が民間企業人の立場から「どうも結論が先にありきで、20年度というターゲットイヤーに縛られすぎていたのではないか」と口火を切った。それに続いて末冨芳・日大教授が、必ずしも英語民間活用に積極的ではなかった高大システム改革会議最終報告の2016年3月から8月までに積極的な流れが形作られたことを指摘。検討組織体が位置付けられない中の5カ月間にどのような意思決定がなされたことをただした。 これに対して文科省事務局は、「英語力評価及び入学者選抜における英語の資格・検定試験の活用促進に関する連絡協議会」(14年12~17年9月)と「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)検討・準備グループ」(16年5月~、現「大学入学共通テスト」検討・準備グループ)で流れができたと説明した。 しかし、事務方の説明を素直に聞くことはできない。その間、まさに省内でどういう「意思決定」と指示があったかこそが問われなければならないだろう。審議会は行政の「隠れみの」とも言われる通り、資料提出や進行・質疑応答、裏表の調整で役人がいかようにもコントロールできる。今回の一件も議事録や報告書等の「表」を見るだけでなく、まさに「裏」で何があったかを解明しなくてはならない。 となれば、話は簡単だ。第2次安倍政権の発足から文部科学相(12年12月~15年10月) として強力に英語教育や入試改革を推し進めた下村博文氏や、「5カ月」の間に文科相(15年10月~16年8月)を務めた馳浩氏に問いただせばよい。14年7月から文部科学審議官、16年6月から文部科学次官を務めていた前川喜平氏を呼ぶのも一興である。 第2次政権以降、政務三役主導の文科行政が進行したことは明らかだ。ならばその「責任」は、政治が負わなければならない。しかし萩生田光一・現文部科...

記事紹介|「運」は「動」より生ず

小林正観さんは、「「運」は「動」より生ず」と言う。 これを「運動」と呼んだ。 実践すること、行動することが、「結果」を生むからだ。 実践すれば必ず、「運」がやってきて、楽しく、おもしろい現象が起こるという。 あの伊藤博文が「一たび動けば雷電のごとく、発すれば風雨のごとし。周りの者は、ただただ驚き、呆然とするばかりで、敢えて正視する者すらいない。それこそ我らが高杉さんのことだ」と評した、高杉晋作はこんな唄を残している。 「真(しん)があるなら今月今宵(こんげつこよい) あけて正月だれも来る」 このままでは幕府によって長州はつぶされる、もし、国を思う気持ちがあるなら、今集まれ、という思いを込めて即興で作った唄だと言われる。 それを、幻冬舎の見城徹氏は翻訳してこう言った。 「情けあるなら今宵来い。明日の朝なら誰も来る」 人は、2回、3回と誘っても来ない人は、二度と誘おうとは思わない。 情けが感じられないからだ。 人と人との関係は、すべからく「情」によって動く。 理論や理屈ではない。 情の人は、動の人だ。 「行動範囲を広げること」 まわりから誘われ、声をかけられる人でありたい。 (出典) 行動範囲を広げること|人の心に灯をともす

記事紹介|文部科学省の能力

私立学校法改正に伴う学校法人の寄付行為改正の手続きが進められているが、学校法人に対して他の法人類型の制度を押し付けるような法改正に対して、私学の経営者たちは、反発を隠そうとしていない。私学の独自性を否定されているとまで表現する向きもある。 また、文部科学省は、結局のところ、地方及び小規模の私立大学から切り捨てる方針なのではないかと私学関係者は危惧している。財政支援は抑制する一方、統治ばかり強化するとして、文部科学省への不満は高まるばかりである。 さらに、修学支援措置の対象機関となる要件に対しても不満は強い。学生への個人補助であるにもかかわらず、学生と関係がない要件を持ち出して、私学の自主性に介入することへの不当性を指摘する声は大きくなっている。 この件では、既存の個人補助との整合性に不安を述べる関係者も多い。教育無償化が修学支援に変質し、既存制度との整合性を示さないままに、当面は既存制度も維持という程度でみなが納得するわけがない。 文部科学省には、官僚=テクノクラートとしての信用もないのである。加えて、国公私立の役割見直しは店ざらしのままで、やるべきことを先送りし、やるべきでないことばかり急いでいる国=文部科学省への批判は留まることを知らない。 文部科学省は、高等教育の規模について、中教審においても明確な指標を示せていない。人口減少⇒経営環境の悪化⇒競争の激化⇒優勝劣敗で統廃合⇒大学数・入学定員の減少という暗黙のシナリオは意識せざるを得ないが、国立を含めて、正々堂々と2040年までの縮小目標を提示すべきではなかったのか? こうした重要な議論を避けていながら、官邸主導で決まってしまった新規施策だけは、命令通りに何も考えず実施しようとするのでは、高等教育の8割を担う私学からは迷惑以外の何物でもない。 人口減少期に入っているために、私学経営は、未来が見通せず余裕が持てなくなっている。私財を投げ打って法人を設立しているので、破綻すれば、経営者には地位も財産も残らない。もっとも、国立大学からも、同様に好意的な評価を聴かない。大学業界からの不審の眼を、文部科学省の幹部はどう考えているのだろうか? 国連が推進するSDGs(持続的開発目標)の17ゴールのうち、日本は、教育分野では達成度合いが高いとされているが、経営環境の悪...

記事紹介|取り残される大学のSDGs

昨年からSDGsに関する著作物の出版が急速に増えている。民間企業や地方自治体へのSDGsの普及が進んでいるためであろう。 日経新聞が開催しているSDGsフォーラムも満員の盛況であった。この関心の盛り上がりは、世界的な金融の世界において、SDGs指標の活用が投資家の視野に入ってきていることも、大きな要因である。地方企業の価値評価をSDGsの観点から行って差別化を図ろうという新手法も、長野県などから始まっている。 主要な企業や地方自治体の相当数が実践を開始したことについては、政府の旗振りが功を奏したのか、世界の潮流に乗り遅れないという経営者の防衛本能のなせる技かは詳らかではないが、2030年の目標達成への具体的な取り組みが始まっていることは確かである。 しかし、学部学生の大半が席を置いている私立大学の多くは、SDGsに反応しているように見えない。経営陣にSDGsへの認識があるのかも相当怪しい。 SDGsが定める17の目標が多数の専門分野に分割されるために、教授の数だけ専門店が並ぶショッピングモールのような大学の構造上、SDGsを取りまとめて推進する中核が存在しないことも、認識の低さの原因である。 このままでは、企業や地方自治体に比して、意味のある取り組みが遅れ、社会的な落伍者になりかねない。 政府におけるSDGsの推進役は、内閣府(地方自治体対応)、外務省(国連対応)、経済産業省(産業界対応)だろうが、大学という組織体を誘導するのは、文部科学省の役割になるだろう。 しかし、今のところ、実質的に何の動きもない。東京2020大会の組織委員会のようなところでは、きちんとSDGsの観点からの計画を立案決定している。やらないわけにはいかない状況に追い込まれないと、何もしないのだろうか? 意識の高い自治体の小中高校では、SDGsを学習・実践する機会は多くなっているにも拘らず、大学業界だけが取り残される懸念がある。 大学という組織体で、SDGsへの取り組みを検討する際には、教育研究機関という事業体のインプット、アウトプット、内部のオペレーションの3領域に分けて考えると分かりやすい。 第1に、インプットについては、調達という業務に際して、契約先の選択に、SDGsの観点を加味することが考えられる。 電力さ...

記事紹介|仕事のスピードを上げる方法

大学の業務にも当てはまる経営スピードを上げるための5つの方法 1 メール文章の簡略化 日本の場合、ビジネスメールの書き方の基本として、「お世話になります。XXX社の〇〇です」から始め「よろしくお願いします」で〆ることがマナーとさている。そしてその内容もかなり丁寧に書かなければならない。 おそらくこのようなメールの書き方一つをとっても、日本全体でのGDPの1%ぐらいを浪費してしまっているのではないか、と感じてしまう。そもそも、そんなメール、モバイルのプレビューで見たら、全部「お世話になっております」しか表示されなく、可視性がかなり低くなってしまう。 アメリカでは、メールを書くときには短い方が良いとされる。というのも、読む人の時間を極力奪わないために、ごく単純にわかりやすく書く方が逆に良い印象を与えやすい。 2 スタッフを信頼し、性善説で物事を進める そもそも企業が「管理」したがるのは、スタッフを十分信頼していないから。社内のコミュニケーションにおけるスピードを上げたければ、スタッフ同士が強い信頼関係を持てるカルチャーを醸成するのが最も効果的である。報告書一つとっても、信頼度が低くなるとその分量がどうしても増えがちで、自ずと作成と読解に費やす時間も増えてしまう。 そのためには、スタッフ同士が思いやれる環境と、正しい人選が重要になってくる。例えば、どれほど優秀だったとしても、他のスタッフに嫌な思いをさせるような人間を社内にいないようにしなければならない。 信頼関係を高めていけば、「管理職」の必要性すら無くなってくる。 3 場所と時間で縛らない スタッフそれぞれに自主性を与え、結果を重視するべきであるが、ワークスタイルや場所、勤務時間などの「形」にフォーカスしすぎると無駄なストレスと時間が生まれてしまう。日本企業にありがちな日報やタイムカード、出張報告書などは、自主性を育むという点においては、弊害にしかならない。 例えば、長い時間だらだら働いて、質の低い結果を出すよりも、短時間でもすごいモノを作り出した方が良いという考え方。どのように働くかよりも、どんなアウトプットを出せるかに比重が置かれる。 そのためには、仕事中に遊ぶのも全然ありだし、むしろ楽しんでいる時間が増えれば増えるほど、プロダクティビティ (生産性) がアップするこ...

記事紹介|指示待ち大学

政治の冷酷さ、恐ろしさ 大学入試の2020年度改革が迷走している。萩生田光一文部科学相の「身の丈」発言が切掛で批判が高まり、野党が国会で取り上げて政治問題化すると、首相官邸は英語の民問試験の活用をあっさりと見送った。閣僚辞任が続いた直後だけに、政局安定最優先の政治決定だった。記述式問題にも批判が高まり、改革は風前の灯火である。 改革論義に関わった人たちは、改めて政治の冷酷さ、恐ろしさが身にしみたことだろう。民間試験も記述式も専門家が口を酸っぱくして問題点を指摘してきたのに、文部科学省は聞く耳を持たなかった。「明治以来の大改革」と大風呂敷を広げたはいいが、改革の中身は当初構想から後退に次ぐ後退だった。「最後に残ったこの2つは、面子に賭けてもやり抜く」。そんな思いがあったのだろう。文科省幹部は最後まで見送り回避に動いた。だが、政治決断で虎の子はあっけなくひっくり返された。 議論は一貫して政治主導だった。2012年10月、自民党総裁に復帰した安倍晋三氏は「経済再生」と「教育再生」を「日本再生の要」と位置付け、総裁直属の「教育再生実行本部」を設置した。実行本部は11月に「中間とりまとめ」を公表、12月の総選挙で政権を奪取すると、13年4月に第1次提言、5月に第2次提言を公表する。一連の改革は概ねこの第2次提言に端を発する。党の再生実行本部で示された方針(背後には相談に乗った文科官僚がいた)をもとに、官邸で「教育再生実行会議」が肉付けし、制度設計の詳細は「中央教育審議会」に委ねた。中教審は政治の下請け機関化した。 始まりも見送りも、決めたのは政治(官邸)。専門家が訴えた疑義は、制度設計の段階でも実施見送りの決断においても、真摯に検討される事はなかった。重視されたのは政権の目玉政策としての入試改革であり、政権のダメージ回避方策だった。 先輩の政治記者との会話を思い出す。「政治主導と言うが、政治家は本当に政策を吟味して発言しているのだろうか」と問うと、身も蓋もない答えが返ってきた。「政治家の関心は政局だけ。政策じゃない」。まさに慧眼で、それが政治のリアリズムなのだ。 しかも、こうした政治手法は文教政策だけではない。外交や社会保障分野の方が顕著だ。党や官邸が中心となり、政権の目玉政策を次々と打ち出す。確かな成果が出たかどうかの検証もないままに、次のイシューへ...

今日の心訓

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まず顔を上げなさい 夢は、 うつむいてても見えるような低い所にはありませんよ

今日の心訓

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楽あれば苦あり、苦あれば楽あり、これの繰り返し 人生は試練の連続です その試練をどう跳ね返すか。どうやりすごすか 跳ね返すもやりすごすも、ただ戦い方が違うだけで 「押しつぶされないぞ」と覚悟を決める点では同じです 人生は戦いの連続なのです 美輪明宏

今日の心訓

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素直な心とは、 寛容にして私心なき心 広く人の教えを受ける心 分を楽しむ心であります 松下幸之助

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熱く冷静にそしてひたむきに

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挑戦の先は成功か学びしかない。 でっかい挑戦の先はでっかい成功か、でっかい学びしかない。 失敗とは何もしないこと、行動しないこと。

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素直な心とは、寛容にして私心なき心、 広く人の教えを受ける心、分を楽しむ心であります。 松下幸之助

今日の心訓

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比較されるのは、魅力がないから。

記事紹介|あなたが競争すべき唯一の相手は、昨日の自分である

マーク・レクラウ氏は、改めなければならない習慣のひとつに「嫉妬と羨望を克服する」があるという。 『他人の生活やお金、外見などをうらやんでも、なんの恩恵も得られない。 たとえば、他人のお金に嫉妬しても、お金が手に入るわけではないし、他人の外見に嫉妬しても、美男美女になれるわけでもない。 そして、自分がみじめな気分になるばかりである。 こんな無意味な習慣を見つけてはいけない。 これは不幸への特急列車だ。 明確な真実を指摘しておこう。 あなたよりもっとすぐれている人、もっとお金を持っている人、もっといい車に乗っている人、もっといい家に住んでいる人はどかに必ずいる。 それを受け入れて自分の人生を歩もう。 あなたが競争すべき唯一の相手は、昨日の自分である。 自分の強みに意識を向けて、それをもっと伸ばそう。 成功している人に嫉妬や羨望を抱くのではなく、自分の成功のために全力を尽くそう。 自分が持っていないものを手に入れている人たちをうらやむのではなく、その人たちを努力目標にしよう。 複数の研究によると、嫉妬と羨望の一因としてSNSの存在があるという。 他人の人生のハイライトシーンだけを見て、それを自分の人生のNGシーンと比較してしまうからだ。 たとえば、フェイスブックで誰かが海外旅行に出かけて美しい浜辺でくつろいでいる様子を見ると、その人がそれまでの時間に一生懸命働いてきたことを忘れてしまいがちである。 私たちは他人が失敗しながら成功にたどり着いていることに気づかず、その人が恩恵を受けている場面だけを見て嫉妬と羨望を抱く傾向がある。』 「嫉妬は常に他人との比較においてであり、比較のないところには嫉妬はない」(フランシス・ベーコン) 自分と段違いに格上の人に抱く感情を羨望(せんぼう)と言い、自分が同レベルだと思っている人に抱く感情を嫉妬という。 どちらも、そこには比較がある。 人と比べる癖(習慣)をやめるには、今自分が持っている幸せに目を向ける必要がある。 自分のよいところや、うまくいっていることにスポットライトをあてる。 そして、それに感謝する。 もし、比較する必要があるなら、昨日の自分と比較する。 昨日より今日、今日より明日と少しずつでも、どれだけ進歩しているのか、と。 「習慣...

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やったことは失敗しても20年後には笑い話となる。 やらなかったことは20年後に後悔する。 マーク・トウェイン

記事紹介|最も重大な間違いは、間違った答えを出すことではなく、間違った問いに答えることだ

答える必要のない問いに一所懸命時間を作っても徒労に終わるだけ。 または本来答えなければならない問いに答えていない分、時間的損失は大きくなる。 だからこそ、「そもそもその問いは正しいのか?」と疑いを持つ力が大事になる。 言い方を変えると、「今自分が取り組んでいることは正しいのか?」と前提を疑うこと。 条件が変われば同じことをしていても、その価値は変わっていく。 『自分が穴の中に落ちてしまったとわかったら、最初にすべきことは、これ以上穴を掘り続けることをやめることだ』 というウィル・ロジャーズ氏の言葉の通り、 今やっていることが作業だけの穴掘りになっていないかの自己認識が大事ですね。 (出典) 問い|今日の言葉

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幸せだから笑うんじゃない、笑うから幸せになる。

記事紹介|自分の器を淡々と生きる

日本は学歴偏重社会であるといわれている。 最終学歴はどこか、どの大学を出たか、そんなことがいつもついてまわる。 会社に就職するための履歴書くらいならまだ仕方がないとしても、結婚式での新郎新婦の紹介で「何々大学を優秀な成績で卒業され」というのが決まり文句のようだ。 不思議なのは、どこの大学を出たかを知りたがる人は多いが、何を学んだかを知りたがる人はあまりいないということだ。 何気ない会話の途中で「失礼ですが、どちらの大学ですか」などと無作法なことを平気で聞いている人もいるが、「どこどこです」と答えると、「ああそうですか」で終わってしまう。 そこで何を学んだかより、どこの大学を出たかに興味を持っているようで、「レッテル」と同じと考えられているのだろう。 最終学歴がどうのというのは、たかがそんな程度のもので、新しいうちはピカピカと光っているかもしれないが、そのうちに古くなり、ポロリと落ちてしまう。 人生の後半生ではそんなレッテルは通用しない。 もともと、意味がないのだから。 大学を出たとしても、学校に通っていた期間は小学校から通算すればたかだか16年。 人生、後半にでもなればそれよりも長い期間、社会で学んできたことになる。 あえていえば、大学で学んだか否かはもう関係なくなっている。 それよりも社会でどう生きてきたかに責任を持たなくてはならなくなっているはずだ。 こちらの方にもっと自信をもってみてはいかがか。 もし、ある年齢以上の人にいささかの敬意がはらわれるのだとしたら、 「失礼ですが、社会に出てどれくらいの期間学ばれました」 というのが正解だろう。 自分のレッテルにしがみついたり、人のレッテルをいつまでも気にしたりするのではなく、自然体で自分の器を堂々と生きていきたいものだ。 (出典) 一生を楽しく学ぶ|人の心に灯をともす

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日々の行動が変われば、習慣が変わる。習慣が変われば、人生が変わる。

記事紹介|「自力思考」を「他力思考」に切り替える

《人の頭を使う》 自分の頭だけでなく、成功した人に知恵を借りる 《人の時間を使う》 ブログやYouTubeで発信し、相手の時間を使って、価値を提供する 《人のお金を使う》 採用・教育にお金を使わず、コミュニティメンバーから受講料を受け取り、自律型組織をつくる 《人の手足を使う》 代行型から教育型に切り替え、自分の手足は動かさない 《人のエネルギーを使う》 成功者の自信を借りて、新しいことに挑戦する 《人の人脈を使う》 影響力のある人からキーマンを紹介してもらう 《人のモノを使う》 書籍はデキル先輩からあえて借りる。ビジネスは基本的にGoogleの無料ツールを使う あなたが自力思考を続ける限り、あなたの望むような結果を出すことはできません。 なぜなら、1日24時間、1年365日は誰がどうやっても増やせないからです。 また、自分の頭で考えるということは、「過去の延長線上」で答えを出そうとしていることであり、過去の延長線上では、現状を打破するようなビッグアイデアは生まれません。 つまり、「自分の頭と時間」をいくら使ったところで、自力には限界があるのです。 すでに結果を出している人の「頭を使い(知恵や経験をお借りし)」、自分以外の人の「時間を使う(協力していただけるようにする)」「他力思考」が必要です。 (出典) 「自力思考」をやめ「他力思考」に|人の心に灯をともす

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成功の反対は失敗ではない。成功の反対は挑戦をしないこと。

記事紹介|信頼される人になる

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「本物は続く、続けると本物になる」という言葉がある。 信用や信頼は一朝一夕にはできない。 そして、本物の人間には信用があり、人から信頼される。 しかしながら、信頼を失うときは一瞬だ。 ある程度の年齢を重ねた人が、「信頼」されていなかったとしたら、それはそれまでの生き方の結果が出たということだ。 若い頃、「約束を守らない」「学ぶことが嫌い」「仕事嫌い」「頑固、偏屈」「不平不満が多く、マイナス発想」「いつも、どこにいるか分からない」という人。 また、「問題に向き合わず逃げ出す」「後ろ向き」「損得ばかり考える」「自信がない」「悪口が多い」の人。 そして、ある程度の年齢になっても、「自分の哲学がない」「他人の足を引っ張り、言葉にとげがある」「利他ではなく利己」「いつも偉そうで、傲慢」「出処進退が見苦しい」「与えるのではなく、いつもちょうだい、ちょうだい(テイク)という態度」の人。 人から信頼を得るため… 本物の人間になりたい。 (出典) 人から信頼を得るためには|人の心に灯をともす

記事紹介|自分が自分の人生を選んでいる

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どんなにひどい環境に生まれたとしても、魂から見ると、そこが自分が一番成長する“道場”なんです。 魂がそこを選んだんだから、安心してそこで修行すればいい。 とはいっても、何も、そのままそこで我慢しろ、と言っているわけではないんですよ。 自分の「手」を変える、つまりそこにいて、生き方を変えていけばいいんです。 どうやって変えるのかというと、一番わかりやすいのは、人に喜ばれることをすればいい。 そうすれば自分の「手」が少しずつ変わっていきます。 「私は人さまに喜んでいただけるような立派なことはできません」 と言わないこと。 喜ばれることをするのは、実はとても簡単です。 たとえば昨日私がやったのは、ファミレスの駐車場でクギを拾ったことです。 お弟子さんと一緒にお昼を食べにファミレスに入ったとき、駐車場にクギが落ちていたんです。 その上を車が通ったら、パンクするかもしれない。 それじゃあかわいそうだと思ったから、私はクギを拾って、はしっこのほうによけておきました。 そして誰も気がつかなくても、人に喜んでもらえることをすると、神様がちゃんと見ていてくれるんです。 京セラの創業者稲盛和夫氏も同様のことを言っている。 「この世へ何をしにきたのか」と問われたら、私は、「生まれたときより、少しでもましな人間になる、すなわち、わずかなりとも美しく崇高な魂を持って死んでいくためだ」と答えます。 様々な苦楽を味わい、幸不幸の波に洗われながら、息絶えるその日まで、倦(う)まず弛(たゆ)まず一所懸命に生きていく。 その日々を磨砂(みがきずな)として、人間性を高め、精神を修養し、この世にやってきたときよりも少しでも高い次元の魂を持ってこの世を去っていく。 私はこのことよりほかに、人間が生きる目的はないと思うのです。 昨日よりましな今日、今日よりよき明日であろうと、日々誠実に努め続ける。 人は、自分を変えるのはとても大変だと思っている。 しかしながら、他人やまわりを変える方がよっぽど難しいし、その可能性はほぼゼロに近いかもしれない。 だからこそ、自分を変えていくしかない。 なぜなら、自分が今の環境や状況を選んで生まれてきたのだから。 毎日起こる様々なできごとを自分の「磨き砂」として、自分の魂を磨く。 ...