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大切な日本の精神

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NHK解説委員室ブログから、羽衣国際大学准教授の にしゃんた さんが書かれた 「 おかげさまで 」(2013年7月22日) をご紹介します。 ◇ はじめまして、にしゃんた、と申します。今日皆さんの前でお話する御縁を頂いたことに心より厚く御礼を申し上げます。 私はスリランカ出身です。生まれたのは、国の真ん中らへんにある、キャンディーという街。実は、街そのものが世界遺産でもあります。 ここには、お釈迦さんの歯を祀る「仏歯寺」というお寺があったり、毎年8月には、何百頭という象さんが、綺麗なおべべを着て、優雅に道を練り歩くペラヘラ祭なんかも有名です。 私たち小さい時は、牛さんが引っ張る、牛車に乗って学校通ってました。学校行く時は、道端で沢山の象さんに会いまして、象を数えるのが日課でした。子どもの間には奇数の象さんに会うと良いことが起きて、偶数に会うと悪いことが起きる。そんなジンクスがありました。ですから学校で先生に怒られた時なんかは自分が悪いんじゃなくて象さんの数のせいだと思っていました。 そんな私が日本を最初に知るきっかけになったのは、小学校の教科書。「日本からの手紙」という一章がありました。内容は、お父さんに付いて日本にやって来たスリランカ人のお嬢さんが、国の友達宛てに、日本の様子を書いた手紙です。そこには日本人は、お箸でご飯を食べるんだとか、日本人はみんな忙しそうに生活しているんだとか、書いてあるような面白い文章でした。次、中学生になると、ちょうどスリランカにテレビが流行る時でして、丁度そこに「おしん」が放送されました。おしんは、人気でした。なんでかというと、おしんの中で映る日本と当時のスリランカが似てました。物はないのだけれども、笑顔絶やさず、一生懸命に前向きに生きている姿が「同じだね」と親近感をもって日本を見てました。 しばらくすると、また新しい日本の象徴がスリランカにやって来ました。それは、日本の中古車。スリランカ人は最初戸惑いました。というのも、「おしん」の映像には車のくの字も出てこない。とても同じ国とは思えない。でもどうやら同じだと解った瞬間、スリランカでは、日本人気が爆発しました。「あの貧しい日本が車を作れるようになった。私たちも頑張れば日本のようになれる」と。私にとってその機会がまさに、親近感を覚えていた日本が、夢を与えてく...

心の中にある“命”の力を引き出す

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ブログ「人の心に灯をともす」から 「 誰かに認められること 」(2013年7月18日) をご紹介します。 ◇ 東京のある学校の卒業式の1週間前に、一人の不良学生が校長に呼び出された。 常日頃悪行を重ねていた学生は、叱られるのを覚悟して、校長室のドアを叩いた。 「入れ」という威厳のある声と共に、 「鍵をかけなさい」といって鍵を渡しながら校長は、自らカーテンを閉めた。 学生は逃げられないようにして殴られると観念した。 「腰をかけ給え」といいながら、校長は、右に左にと歩きつつ、 「お前のいたずらは有名であり、他の先生の手もやき…云々」と切り出した。 学生は「きたなあ…」と奥歯をかみしめて身構えた。 「然しよくよく考えてみるに、君はお母さんを亡くし、その後に来たお母さんにいじめられ、本当に可哀想だと世間のうわさだが、大変だったなあ…。 思えば、そのうっ憤ばらしに、悪いと知りながら、やった事であると私は思う。 そうだな」 学生はおもわず拳を握りしめ、うなずきつつ、胸の熱くなるのをおぼえた。 「然し、ここでよく考えてみなさい、今さらお母さんの死を悔いても仕方がない。 人間は、必ず死ぬ。 いずれの日か死ぬという人生を、今日一日を価値高く生きよと、母の死は教えているのだ。 君のお母さんは、若くしてこの世を去ったが、立派なお母さんだった。 君のお父さんが、“まま母”と、君との間に立って、どれほど、気を遣い、心を痛めていられるかを考えたことがあるかい。 人間だけが、神の立場や相手の立場に立って考えることが出来るのだ。 自分を捨てて、心から親孝行をすれば、どんなひどい“まま母”でも、必ず感動するときが来る。 今、君が、すぐやるべきことは親孝行だ。 これは人間だけにある行為なのだよ。 こんな話をするのも、亡くなった君のお母さんが、草葉の陰から手を合わせて、私を通じて話をしているような気がしてならない。 まして、君は数多い卒業生の中で、将来大人物になる素質がある。 長年教育をやって来た私の立場から、それはよく判る。 だが一歩誤れば犯罪者にもなる。 今が大切な分岐点だ。 だから、これからは、本来の君に返り、心を明るくして朗らかにし、清く正しくもつことを心がけ、人の為、母の為になるよ...

無限の力を信じる

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ブログ「今日の言葉」から 「 無限の力 」(2013年7月17日) を抜粋してご紹介します。 突然、それは本当に突然でした。4年前になります。  お正月を過ぎてほどない日の午後、息子の功が意識を失って倒れたのです。不整脈から心肺停止状態に陥ったのでした。 小学生から野球に熱中し、中学生になると、浦安リトルシニアに入り、やがては甲子園出場、巨人入団を夢見ていました。そんな作文を小学6年の時に書いています。 中学3年で身長176センチ、体重63キロ、鍛えた筋肉質の身体は頑健で、学校は無遅刻無欠席、病気らしい病気を知らずにきた子でした。それだけに突然の異変は驚きでした。 それから4か月、何度も訪れた危篤状態を驚くような生命力で乗り越え、平成12年5月20日、功は天国に旅立ちました。15歳8か月の人生でした。 振り返ると、1日24時間では、とても足りないような毎日を過ごした子でした。 中学生になると、土日は野球の練習や試合でいっぱい。学校では生徒会役員を一年生からやり、三年では学級委員長も務めました。 それだけでも手いっぱいなのに、部活動ではバスケット部に入りました。 苦手の英語も、英会話で進める授業の面白さに引かれ、その勉強もしなければなりません。 野球の仲間、クラスメートとの遊びもあります。 あれもやりたい。これもやりたい。 でも、功はこだわりの強い性格なのでしょうか。中途半端が大嫌いで、どれ一つとして疎かにはできません。徹底してやるから、時間がいくらあっても足りないはずです。 「ああ、時間が欲しいよォ」 いまでも功の声が聞こえるような気がします。 あんなふうに生きたのも、自分に与えられた時間の短さを予感していたからなのかもしれません。 といって、功は特に才能に恵まれた子ではありませんでした。いささか恵まれているといえば背の高さぐらい。まず運動神経も人並み、頭脳のほうも人並みというのが率直なところです。 だから、何かを達成しようと思えば、努力しなければなりません。 野球でレギュラーになるのも努力、生徒会役員の務めを果たすのも努力という具合です。 そして、目標を立て努力すれば夢は叶うという確信を、小さい営みの中で功なりにつかんだのでしょう。 いつごろからか、功はそのことを「無限の力」と...

人間の法則

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「 思考に気をつけなさい 」( 2013年7月9日 人の心に灯をともす )を抜粋してご紹介します。 潜在意識には善と悪の区別はなく、とにかく感情をそのまま受け止めるというのが特徴。 ですから大切なのは、潜在意識にポジティブな発想で働きかけること。 とにかくネガティブな発想を手放すことから始めましょう。 ネガティブな発想があなたの運命を確実に悪い方向へと誘っていくというメッセージを伝えたものに、マザー・テレサの、「思考に気をつけなさい」という言葉があります。 「思考に気をつけなさい それはいつか言葉になるから 言葉に気をつけなさい それはいつか行動になるから 行動に気をつけなさい それはいつか習慣になるから 習慣に気をつけなさい それはいつか性格になるから 性格に気をつけななさい それはいつか運命になるから」 これが人間の法則です。 逆説的に捉えれば、ポジィティブな発想を持ち、いい言霊の言動を心がけ、積極的に接していれば、それはやがて優しさや犠牲的精神、利他的精神となって心の中に定着する。 愛に溢れた人は、豊かな人生を送ることができるということなのですから。 たとえあなたが、今は人間関係の暗闇の中にいたとしても大丈夫。 未来を変えることはいくらでもできます。 人間の法則、宇宙の法則ともいうべき潜在意識の法則を活用し、ストレスのない充実した人生を手に入れることは誰にでもできるのです。 人生は、「思った通りになる」、と言うと、「それでうまく行くなら苦労はいらぬ」、と鼻で笑う人がいる。 しかし、どんな些細なことでも、願ってすぐに実現することなどひとつもない。 努力に努力を重ね、あきらめずに何年も、いや何十年もコツコツと続けることによって成就する。 「思考は現実化する」という、ナポレオン・ ヒルの言葉がある。 それは、すなわち、思考は言葉に、言葉は行動に、行動は習慣に、習慣は性格に、性格は運命に、ということ。 思考の方向性は二つに一つしかない。 それは、「積極思考かマイナス思考か」、「現状打破か現状維持か」という二者択一。 中村天風師は、「蒔いた種のとおり花が咲く」という「善因善果、悪因悪果の法則」があるという。 よい種をまけばきれいな花が咲き、悪い種をまけば悪の花...

電子ジャーナルと研究評価

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金沢大学附属図書館長の 柴田正良 さんが書かれた論考「 電子ジャーナル問題は解決できるのか? 」( 日本私立大学協会 教育学術オンライン 平成25年4月 第2521号 )をご紹介します。 ◇ 日本に限らず世界的にも大学図書館で大きな問題になっているのが学術誌の価格高騰問題である。問題の深刻さを受けて、平成22年には日本学術会議が「学術誌問題の解決に向けて―「包括的学術誌コンソーシアム」の創設」という提言もとりまとめている。問題の背景には何があるのか。柴田正良金沢大学附属図書館長・人文学類教授に寄稿してもらった。 1 シジフォスの岩の如く この間ずっと大学図書館の関係者を苦しめているものの一つに、電子ジャーナルの価格高騰問題がある。こう言うと、電子ジャーナル問題とは図書館が抱える「財布」の問題にすぎないように聞こえるかもしれないが、実はそうではない。この問題には電子技術的な側面から国家の科学政策的な側面まで実にさまざまな論点が含まれているが、きわめて素朴に言えば、本質は、「人類がいかに自らの知的成果を公平かつ効率的に共有しうるか」ということである。とはいえ、これが大げさだと言うなら、「研究者は今、どうしたら自分たちの成果を取り戻すことができるのか」と言い直すこともできる。 「取り戻す」という言い方は、この問題がここ20年ほどの間に爆発的に膨張してきたという事実を訴えたいためである。17世紀の中頃から20世紀の中頃まで学術共同体の間に存在していたという「贈与の円環」(関係者の応分の負担による学術情報受発信システム)が崩れたあと、なぜ電子ジャーナルの価格高騰問題がこうも急速に先鋭化したのか。以下では、いまや複雑怪奇となったこの問題を素朴な視点から捉え直し、解決の方向に何が見えてくるのかを考えてみたい。 まず、電子ジャーナルを含めた電子資料の現状を見るために、幾つかの数字を拾ってみよう。電子ジャーナルの発行タイトル数は、全世界で、1990年を出発点として2006年には4万5000タイトルにまで膨れあがっている(Ulrich,s Periodicals Directory)。2008年には、全世界でSTM(理学・工学・医学)系の学術誌の約96%、人文・社会科学系の約87%が電子ジャーナルとなっている(Association fo...

キャリア教育とは

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学生支援に関わるテーマを議論する学内の会議に出席して時折気になることは、「キャリア教育」と「就活支援」を混同して議論していること、あるいは、教員が本来責任をもって成すべき「キャリア教育」の議論をほとんどせずに、「就活支援」というテクニカルなことばかりを議論していることです。 挙句の果てには、自らの指導力の無さを棚に上げての学生批判のオンパレード。本質から全くかけ離れた先生方の不毛な議論には付き合いきれません。 さて、今回は、教育評論家の 梨戸茂史 さんが書かれた「 キャリア教育とゼミ 」( 文部科学教育通信 No319 2013.7.8 )をご紹介します。 ◇ いわゆる「アベノミクス」で景気が回復してきているらしい。そのうち給料もあがり、学生の就職難も解消されるかもしれない。所詮、経済は「気分」だからか? さて、景気が悪くて正規の仕事に就けない若者が多かったリ、三年勤めたら辞める新入社員がいたりと、これはきちんとした労働観や職業に対する意識を学ぶべきではないかと、大学までもが取り組んだのは「キャリア教育」だった。 そもそもキャリア教育とは、表向きには「社会人としてのキャリアを在学中に学ばせる教育」だが、実質的には「就職指導」といった方が当を得ている。大学の増設、少子化で今や大学は供給過多。だから、あれこれと学生向けのサービスをやっているのだけれど、これは、「出ロ」のサービスのひとつ。きちんと就職させようとするプログラム。今や集客(学生募集)には必要不可欠な要素とみなされている。 そのキャリア教育で行われているのは自己診断、自分の見つけ方、コミュニケーションの取リ方、果ては就活の仕方、作法までいろいろ。もし仮に、これをまじめに学んで就活に出たとしても、それは”付け焼刃”。面接で「きわめて礼儀正しい、紋切リ型の答えをする、無能なリクルート学生」になる。そんな中身の無い学生、たいていの企業の人事担当者には「使えない」と見抜かれてしまうのがオチだろう。 しかL本来、キャリア教育の中核は、「労働とは何か」、「市場とは何か」、「資本とは何か」、「共同体とは何か」、「貨幣とは何か」…といった人間社会の成り立ちについての原理的な教育かもしれない。そして、働く意義と労働を通じて自分の社会における位置について自分で考えることだろう...

国立大学にイノベーションは期待できるか

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ジャーナリストの 井上久男 さんが「Business Journal」に書かれた記事「 特定大学へ1000億ばらまきに異論噴出…大学迷走の背景に潜む、旧態依然な経営の実態 」を抜粋してご紹介します。 国立大学法人のふがいない実態に深く切り込んでいます。厳しくも、なかなか的を得た指摘ではないでしょうか。 ◇ 日本の国立大学法人には、マネジメントという概念がほとんどない。大学におけるマネジメントとは、社会や時代が求めるニーズに合った研究・教育を展開していくために経営者自らが戦略を構築し、ミッションを維持させるための一定の収益を確保して組織発展させていくことである。まず、国立大学法人には経営者がいない。競争が激しい民間企業(株式会社)では、適任と見られる人物が株主の付託を得て経営者に選出され、業績によって経営責任が問われる。 ところが、国立大学は法人化され、一応企業経営の発想を採り入れながら、経営トップである総長・学長といった役職は選挙で選ばれている。そして大学の学長選挙は適任者が選ばれるとは限らない。たとえば、大阪大の総長選挙は、医学部、理学部、工学部出身者が輪番でトップに就けるように話し合いによって票を融通し合っていたし、しかも、経営改革をしない人をリーダーに選ぶようにしていた。話し合いが成立しない場合は、文学部のタレント的教授を祭り上げ、陰で医学部や工学部の実力者が大学を操るシステムだった。経営改革を掲げるような総長候補者が出たケースもあるが、皆で話し合ってその候補者に票が集まらないように「裏工作」した。 こうしたシステムでもやっていけるのは、国からの補助金で運営されているからである。「国立」であるため潰れないので、前近代的な古い経営システムでもやっていけるのである。 経営者に限らず、大学で働く教員や研究者の採用も前近代的である。文部科学省が管轄する独立行政法人・科学技術振興機構(JST)が運営するサイト「研究者人材データベース」というものがある。全国の大学の研究職の公募情報が満載されているが、「ここに載る求人情報のうち9割近くは、採用する人物が事前に内定しています。国立大学の研究者採用で公正性を担保するために公募という形を取っていますが、アリバイづくり的な意味合いが強い」と、ある公立大学教授は打ち明ける。 実際、ほと...

大学のガバナンスの在り方について

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中央教育審議会大学分科会組織運営部会 において「 大学のガバナンスの在り方 」に関する議論が始まりました。 第一回(6月26日開催)の会議資料 から主なものを抜粋してご紹介します。 ◇ 資料5 第6期大学分科会におけるガバナンスに関する議論について (総論) ガバナンスの強化は、個々の大学ではなく大学全体のシステムとして確立することが必要。 大学がガバナンスを発揮できない要因には、仕組みやシステムによるものとそうでないものがあるため、そこを掘り下げて考える必要がある。 ガバナンスの在り方は多様であり、特に私学については、一律的な仕組みを作ることについては慎重であるべき。一様なガバナンスからは、多様な教育研究は生まれてこない。 大学は多様化しており、大規模校の中でもガバナンスがうまくいっている大学もあれば、単科大学でもうまくいっていない事例もあるので、具体的に要因を調べる必要がある。 国内外の現状を調査しながら、実証的なエビデンスに基づいて結論を出すべき。その際、ガバナンスと教育研究上のパフォーマンスとの関係などについても分析すべき。 (学長のリーダーシップ) 人事や予算を含め、学長がリーダーシップを発揮できる仕組みが必要。仕組みがないままに、リーダーシップの発揮を求めても仕方がない。 国立大学は法人化により学長裁量が拡大したはずだったが、実際には法人化前と比べて変わっていない。それにも関わらず、学長のリーダーシップの発揮だけが求められている。 学長・学部長がリーダーシップを発揮して方針を出したときに、その方針どおりに教員が活動しないときに、それに対する評価の仕組みも考えることが必要。 学長や学部長のリーダーシップが強くなればよいというものではなく、教員が主体的に改革に参画することが必要。 学長が交代して教育方針が大きく変わることがあるが、教育の継続性・安定性の面では問題。学長に権限を集中させれば良いというものではない。 組織の詳細も重要だが、大学のミッションを明確にし、それを実現できる人に任務を与えるのが大学のマネジメントの原点ではないか。 アメリカやフランスにおいても、学長と各部局の緊張関係が見られる。 (学長の補佐体制) アメリカのOffice of Presidentのように、学長のサ...

若手人材が活かされない日本

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安西祐一郎 さんのブログから「 『ポスドク問題』について考える 」をご紹介します。 ◇ ポスドク(post-doctoral research fellow)というのは、大学院で博士号を取得したのち、大学や研究所、企業などに常勤の職を得る前に研究の腕を磨くためのポジションです。ポスドクの職にあるのは、主に20代の後半から30歳半ばぐらいまでの、これから、という人たちです。 日本人のポスドクの多くは、国内にいるか海外かを問わず、知的にきわめて優秀であるだけでなく、人柄も良く、感受性もコミュニケーション能力も優れていて、どんな仕事に就いてもおそらく一流の仕事ができる人たちです。彼らと話していると、若い研究者の夢とエネルギーが感じられて、こちらまでワクワクしてきます。 ・・・少なくともポスドクになってまもなくの人たちの場合は。。。 ところが、契約期限が近づいてきたポスドクと話をしていると、夢や理想というよりも、現実を前にした彼らの不安がひしひしと感じられることが多々あります。ポスドクは、任期が数年程度に限られている、有期契約(「非正規雇用」)職のため、研究を続けたければポスドクの間に無期契約(「正規雇用」)の研究職を見つけなければなりません。しかし、そういうポストは限られているので、契約期限が迫るにつれて不安が増してくるケースが多いのです。 企業や行政、財団などへの就職希望者ももちろん何人もいますが、多くは大学の「正規雇用」教員ポスト(教授、准教授、専任講師など; 助教の場合、最近は多くが任期付きポストのため、助教になっても将来が安定しているわけではありません)につくことを希望しています。ところが、国内の大学における正規雇用教員のポストの数は限られていて、定年で退職していく教員の数を考慮しても、ポスドクの一部しか大学の正規雇用職に就職できないのです。 しかも、とくに国立大学では、運営費交付金(国から個々の国立大学法人に毎年来る経常予算)削減の影響で正規雇用教員ポストが減り、その一方で、多額の予算を注入した短期間の大規模研究プロジェクトが急速に増え、プロジェクトの成果をあげるための短期研究要員として、ポスドクの人数が増しています。 しかも、最近の労働契約法改正によって、有期契約、つまり非正規雇用の期間が連続で5年を超えると、被雇用者が使用者に...

科学技術白書

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日本発の研究論文「質量ともに低下」…科技白書 政府は25日、2013年版の科学技術白書を閣議決定した。日本の国際競争力が低下しつつある現状を踏まえ、「科学技術力で成長と豊かさを追求する国を目指す」と明記。科学技術の実用化によるイノベーション(技術革新)創出に力を入れていく姿勢を、前面に打ち出した。 白書は、日本発の研究論文の世界的な位置づけが、「質量ともに低下している」と指摘した。09~11年の論文数は、10年前の2位から5位に低下。特に、他の論文に引用された回数が上位10%に入る「影響力の大きい論文」の数は、4位から7位に下がっている。このため、科学研究を原動力としたイノベーションの創出に向け、若手が研究しやすい環境作りや国際共同研究の戦略的な推進とともに、研究成果を事業化につなげる支援策が必要だと訴えている。(2013年6月25日読売新聞) 平成25年版 科学技術白書(文部科学省) 本文 概要版 切に生きる 著者 : 瀬戸内寂聴 扶桑社 発売日 : 2013-01-16 ブクログでレビューを見る»