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心にオアシスを

ブログ「 今日の言葉 」から「 沈む夕日に 」(2014-12-26)をご紹介します。 初日の出を拝むよりも前に、 大晦日の夕日に感謝を表しましょう。 いよいよ年の瀬が近付いてきました。 この時期になるといつも思い出すのがこの言葉です。 上る朝日、初日の出をありがたく拝むことは多いでしょうが、 その日一日をしっかり照らしてくれた太陽への感謝を表すのが、 沈む夕日をありがたく拝むことなのだと思います。 ありがたいとは、「有り難い」と書く。 すなわち「有る」ことが「難しい」ものであり、 当たり前のものなんて何もないんだということ。 心臓を始めとする内臓器官も見えないけれど、 不平不満も言わずに毎日頑張って働いてくれているからこそ、 私たちの日々の命の営みとなっているのですね。 感謝の棚卸しをしてみましょう。 心にオアシスを持って。 お おかげさま あ ありがとう し しあわせです す すみません

まず自分を磨け、自分を成長させろ

「 自分を再教育できない人はお荷物になる -アサヒグループHD社長 泉谷直木氏」(PRESIDENT 2012年2月13日号) をご紹介します。 己の中心に理念や哲学はあるか 私は新しい人材育成論を展開しようと思っている。従来の育成論が「あるべき論」であったのに対し、会社が社員に求めている能力を役割、等級にわたって絶対値で示すのだ。 経営目標を達成するためには機能と能力の両方が必要である。経営者がそれを明確に示し、社員がキャリア開発に取り組む。それらが適合したとき、初めて社員と企業の成長が一致するが、現在の人材育成論は両者が噛み合っていない場合が多々生じている。 たとえば、グローバル人材にはどういう能力が求められるのか。それを考えるとき、グローバルの現場も知らず本社の机の上で「かくあるべき」という議論をしてもまったく意味がない。 グローバル企業の経営者と日本企業経営者の違いを見てみると、前者は常に経営課題を明確に認識し、意思決定が戦略的できわめてスピードが速い。グローバル人材はそんな経営者と渡り合う、あるいはその下で働く人である。まずこの点を押さえなければならない。 一方で相手企業の歴史や風土、文化をよく理解して違いを受容する能力も必要である。さらに、もし我々が相手を買収したケースでは、違いを受容しつつ我々の理念を組織に浸透させなければならない。とくに幹部層として赴く場合には、株主としての立場とビジネスパートナーとしての立場、一緒に思考していく立場という3つの立場に1人で立てなければいけない。 「国際感覚が豊か」「戦略構築力がある」といったありきたりの言葉ではなく、どこにいるときはどういう役割でどんな素養が必要かと具体的な基準を定めていかなければ、せっかくの人材を送り出しても「海外では使い物にならなかった」という事態も起こりうる。別の言い方をすればミッションを明確に与えないまま「おまえ、何とかしてこい」と全部個人任せにしてはいけない、ということだ。 グローバルに出ていくと初めての部下、商品、お客様を相手に仕事をすることになる。国内で慣れた部下、商品やお得意様と仕事をするような、いわゆるコンフォートゾーンでするような仕事は許されなくなってくる。常に自分自身を再教育し、イノベーションを起こしていく意欲が必要だ。しかも、その中心にはわが社...

ホスピタリティのある人

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ブログ「 人の心に灯をともす 」から 「 歓迎の気持ち 」(2014-12-22) をご紹介します。 いつも一緒に仕事をしている人に「ありがとう。あなたのおかげでとても助かっている」と声をかけていきましょう。 家族との日常会話でも、頻繁に「ありがとう」を口にしましょう。 ごはんを食べながら「おいしいなあ。ママはホントに料理上手だ、ありがとう」。 仕事で夜遅く帰ってきたパパには「おかえりなさい。私たち家族のために頑張ってくれているのね。ありがとう」。 子供が何かを一生懸命にやっている姿を見て「あ、やってる、やってる!楽しそうだね。ありがとう」。 そんなふうに言われたら、最初はみんな驚くでしょう。 「どういう風の吹き回しだ。なにか後ろめたいことでもあるんじゃなかろうか」と怪しむ場合だってあるかもしれません。 それでも構わず「ありがとう」と言い続けていれば、周囲のあなたを見る目が変わります。 はっきり口に出すことはあまりなくても、「あの人のそばにいると楽しい気分になる」と心の中で歓迎してくれるのです。 職場の人間関係、友人とのつきあい、家族の仲がうまくいきだすのは、この「歓迎の気持ち」があるかないかにかかっていますよね。 あなたのほうから「どうか私を歓迎してください」と頼み込むのではなく、「いてくれて、ありがとう。私のほうこそ歓迎していますよ」と示せばいいんです。 高いお金を払って特別な贈り物を用意しなくても、言葉一つでそれができてしまうのですから、なんともお得な話じゃありませんか。 「ありがとう」の言葉も褒め言葉も、声にして発したとき、その影響力はぐんと強まります。 心中ひそかに思っているだけのときと比べたら、少なくとも10倍は影響力を増しているはずです。 ◇ 誰か人と会ったとき、歓迎されているか、歓迎されていないかは、雰囲気ですぐにわかる。 こちらがニコニコしながら握手を求めているのに、相手はこちらも見ないで握手もおざなりだとしたら、誰もが歓迎されていないと感じるだろう。 歓迎や歓待が上手な人は、お迎えや、おもてなしが上手な人。 それは、人に喜んでもらうのが大好きな人、つまり、ホスピタリティのある人のこと。 いつもほほ笑みを絶やさず、感謝の言葉を伝え、常に相手の立場に立って、どうやった...

官僚組織に地方創生はできるのか

「 一等地にビルを構える官僚組織、地方活性化に自治体は必要か? 致命的に欠けている「経営」の概念 」(2014-12-22JBPRESS) をご紹介します。 地方で最も建物が大きい組織とは 現在の日本の地方都市を概観すると、たいてい一番大きな建物が県庁や市役所で、一番大きな収入と支出をしている事業体も県庁か市役所であるという。当然、従業者が一番多いのも県庁か市役所であるという。 つまり、市民の下僕たる公務員が一番大きなビルで仕事をし、一番多くのお金を扱い、一番多く税金から給与をもらっているのである。こんなことで地方活性化なんてできるのか、と思うのは当然だろう。 そもそも民間企業が稼いだ利益の一部を税金として預かり、公共に費やすのが公務員の本来の仕事である。それが民間企業を差し置いて地方で最大の事業体であること自体、本末転倒ではないか。 筆者は地方活性化の主役は民間企業であると考えている。企業の利益向上が第一であり、次いで雇用増大となり、賃金の向上という循環になり、最後に公務員が税金を徴収し、それを公共のために効果的に配分するということではないか。それなのに、自治体が前面に出て一体何ができるというのであろう。 官との関わりが深い組織は衰退する 数年前に日本航空の経営破綻があった。負債総額は2兆円を超えていたらしい。なぜ、日本を代表する歴史ある航空会社が経営破綻したのか、当時は疑問を感じる人も多かったと思う。大きな理由として、労働組合が強く、年金を含めた人件費を柔軟に削減できなかったことが挙げられた。また、歴代の経営トップの放漫経営も理由に挙げられている。 しかし、根本的な原因は、官との関係が深い企業だったからであろう。官に依頼されて地方空港の不採算路線に飛行機を飛ばしたり、日本航空が参入するという条件で、地方空港を開設し、地域ぐるみで日本航空の関連企業と事業展開したりしてきた。 つまり、官に頼り頼られるという関係の下で、採算を守るという経営の大原則が忘れられてしまったのである。 こうしたケースは日本航空に始まったことではない。昔の国鉄、日本債権銀行、住宅金融専門会社といった官との関わりが深い組織は、すべて莫大な負債を抱えて整理された。また、自治体との関わりの深い産業と言われる規制産業は、大半が国際競争に遅れた産業であったり、...

財政審の建議

財務省から「平成27年度予算の編成等に関する建議」が公表されています。大学関係部分を抜粋してご紹介します。 平成27年度予算の編成等に関する建議(平成26年12月25日財政制度等審議会) 3 教育・スポーツ (2)国立大学改革 ①国立大学改革の目的 日本の大学進学者の大宗を占める18歳人口は、4年度をピークに減少に転じ、今後も減少傾向が続くと予想される。他方、高等教育機関の入学定員については、18歳人口の減少傾向と逆行して、4年度の473,268人から25年度には583,618人まで増加し、進学率・収容力はともに大きく伸びている。 我が国は、大学全入時代とも言われる中、グローバル化等の急激な社会変化に直面しており、改めて、国立大学には、 世界で活躍できるグローバル人材、新たな価値を創造するイノベーション人材の育成 各大学の強み・特色を生かした研究を通じた地域諸課題の解決 地域の拠点として、産業界と一体となった地域経済の活性化 などの社会的役割を担うための機能強化が求められている。 文部科学省は、25年11月に「国立大学改革プラン」を策定し、ミッションの再定義による強み・特色を活かした重点化、ガバナンス強化、大学の枠を超えた連携、人材養成機能の強化などを目指して、運営費交付金の配分方法の見直しなどの様々な改革を行うこととしている。これらの取組は、国立大学の自主的な改革を促すものであり、その方向性は評価できるが、実効性ある仕組みとするための具体案の検討が十分に進んでおらず、改革プランで掲げた目的を達成する道筋が見えない。28年4月から開始される国立大学法人の第三期中期目標に向けて、改革具体案の検討を早急に進める必要がある。 大学改革は、大学自らが積極的に推し進めるべきものであり、社会的役割を担うために必要な組織改革等に取り組まなくてはならないことは、国立大学に限ったことではない。人材育成機能の確立、研究能力の向上に向けた取組みが、公立・私立大学を含む全ての大学に対して求められていることは言うまでもない。 ②国立大学の現状 現在、国立大学は全国に86校設置されているが、16年度の法人化以降も、必ずしも各々の特色を活かした大学運営、教育研究機能の強化を行っているとは言い難く、競争力低下が深刻な問題であるとの懸念が各...

2014 四字熟語

「 天声人語:今年の創作四字熟語 」(2014年12月18日朝日新聞) をご紹介します。 なぜいま衆院選か、その「晋三心理」に首をひねった。「自公堅持」欲は満たしたのだろうが、「死票膨大(しにひょうぼうだい)」で棄権も半数近くとはいかがか。 住友生命が募った創作四字熟語 は11月が締め切りなので、師走の一大事にも材を求め、我流を試みた。 以下は年末恒例、本物の秀作で1年を振り返る。4月、消費税が8%になり、さあ「 五八至十 (ごはしじゅう)」かと思いきや、アベノミクスは10%への引き上げを先送り。とはいえ円安のおかげで食材は軒並み値上がりだ。「 日本低円 (にほんていえん)」の光景に寒さが募る。 デング熱の広がりに「 蚊無 (かない) 安全 」を祈った夏の終わり。続く御嶽(おんたけ)山の噴火には、多くの人が「 安山 (あんざん) 祈願 」をした。自然のみならず、人も次々と災いを起こす。危険ドラッグをやって車を運転するとは何とも「 危草千害 (きそうせんがい)」な。 本とペンが一番強い武器。「 剣嫌学学 (けんけんがくがく)」のマララさんが17歳でノーベル平和賞に。だが、彼女の故郷や「 瞬火中東 (しゅんかちゅうとう)」の各地で争乱がやまない。中国の会社が期限切れの肉を使っていた「 怪鶏 (かいけい) 処理 」にも驚いた。 略してアナ雪、ディズニーのアニメが大ヒットした。ありのままの~と、世は「 雪歌繚乱 (せっかりょうらん)」に。笑っていいとも!が「 放送笑了 (しょうりょう)」、8054回の長寿を全う。子どもが熱狂する妖怪ウォッチの関連グッズは品薄が続き、「 難買妖怪 (なんかようかい)」。 今年届いたうれしい知らせでは、富岡製糸場が快挙を達成。「 世界遺蚕 (いさん)」というべきか。青色LEDを開発、実用化した3人はノーベル物理学賞に。長年の努力への「 青光褒祝 (せいこうほうしゅう)」だった。

研究者をいかに育てるか

「 (耕論)STAPの教訓 郷通子さん、榎木英介さん 」(2014年12月19日朝日新聞) をご紹介します。 この1年、科学界を揺るがしたSTAP細胞の「発見」は、誰も存在を証明できない事態に暗転した。大きな教訓は、研究者をいかに育てるか。競争の激しい生命科学の分野で後進を育成してきたベテランと一線の若手は、どう考える? ■多額研究費は逆に人材育てぬ 郷通子さん(前お茶の水女子大学学長) 今回の問題を通じて浮上した大きな課題の一つは、研究者の育成、つまり、大学院での教育はどうなっているか、ということでしょう。私は、このままでは日本の科学は危うい、と思っています。 実験ノートが話題になりましたが、そうした研究に関する基本的なことは、大学院に入って最初に教わるべきことです。 私自身が指導していたとき、学生とは必ず毎週1回、1対1で話をしていました。生データと研究ノートを持ってきてもらって、見ながら議論する。それをやっていれば、独立した研究者になっても基本的なことを知らない、などということにはならないはずです。 <考えさせること>  最初にどう学ぶか、は非常に重要です。私はお茶の水女子大から名古屋大の物理の大学院に進みました。ノーベル賞を受賞した益川敏英さんと同期でした。今年のノーベル賞の赤崎勇さん、天野浩さんも含め、なぜ名古屋大からの受賞が多いのかとよく聞かれます。旧帝大の中で最後にできた若い大学ということもあり、上下関係もあまりなく、自由な雰囲気があったと思います。 博士論文は、早稲田大の指導教員のもとで書きましたが、名古屋大と共通していたのは、先生は決して研究テーマを与えずに学生に考えさせることです。学生の側にも、たとえ大変でも面白い研究をやるんだ、簡単なものはやるまい、という気概がありました。 最近は、研究テーマを先生が与えることが多くなっているようです。「すぐ論文が書ける」「面白いが5年がかりになるかも」などいくつか並べると、多くの学生はすぐ論文が書けるテーマを選ぶ。 先生も学生も、早く成果を出さなければと、迫られています。 論文もそうです。一流誌に何本も論文を発表している大学院生に聞くと、先生が書いた、という。そのほうが効率がいいからでしょう。私が指導していたとき、最初は論理構成もめちゃめちゃで、どうやって論理を...

評論家はいらない

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ブログ「 人の心に灯をともす 」から 「 言い訳はいらない 」(2014-12-16) をご紹介します。 「立派なことを言うより立派なことをするほうが立派だ」 これは偉大な政治家であり発明家でもあったベンジャミン・フランクリンの言葉である。 「こうすればいい、ああすればいい」と評論家のようなせりふを口にするのだが、さっぱり実行が伴わない人はあなたのまわりにもたくさんいることだろう。 本当の成功者は、実行した経験をもとに話をするものだ。 あなたは口先だけの人物か、実行する人物か、どちらだろうか。 あなたがうまくやり遂げられる可能性のあることは何だろうか。 あなたが立派に実行できれば、人々はあなたのアイデアに敬意を抱くようになる。 「言い訳が得意で、他のことも得意だという人を、私は一人も知らない」 これもフランクリンの名言である。 物事を最後まできちんとやり遂げない人を表現する言葉として、これ以上に的確なものはない。 「忙しい」「やり方がわからない」「時間がない」「お金がない」などというのは正当な理由にはならない。 それをするだけの勇気や能力、技術が自分にはないことを認めたくない人が思いつく言い訳にすぎないのだ。 何かをやってみるのに言い訳はいらない。 さあ、やってみよう。 ◇ ただ口先だけで文句を言ったり、批判したりする評論家のような人は多い。 言い訳が得意な人も同じで、自分が行動しない理由、評論家である理由を情熱をこめて説明できる。 行動の人は、できない理由ではなく、できる方法を一つでも多く探す。 そして、それを一つづつ実行する。 「言い訳はいらない」 実行する人にだけ幸せの女神は微笑む。 1分間でやる気が出る146のヒント (ディスカヴァー携書) 著者 : ドン・エシッグ ディスカヴァー・トゥエンティワン 発売日 : 2013-09-22 ブクログでレビューを見る»

名を残さず、行いを残せ

ブログ「 今日の言葉 」から 「 残すもの 」(2014-12-12) をご紹介します。 名を残さず、行いを残せ 二宮 尊徳 昨日の時々振り返りたい言葉と同様、時々読み返したいお話があります。 『小学生のとき、少し足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅いA君がいた。 でも、絵が上手な子だった。 彼は、よく空の絵を描いた。 抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。 担任のN先生は算数の時間、解けないと分かっているのに答えをその子に聞く。 冷や汗をかきながら、指を使って、 「ええと・ええと」 と答えを出そうとする姿を周りの子供は笑う。 N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。 私はN先生が大嫌いだった。 クラスもいつしか代わり、私たちが小学6年生になる前、N先生は違う学校へ転任することになったので、全校集会で先生のお別れ会をやることになった。 生徒代表でお別れの言葉を言う人が必要になった。 先生に一番世話をやかせたのだから、A君が言え、と言い出したお馬鹿さんがいた。 お別れ会で一人立たされて、どもる姿を期待したのだ。 私は、A君の言葉を忘れない。 「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」 A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。 水彩絵の具の色の使い方を教えてくれたこと。 放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。 その間、おしゃべりをする子供はいませんでした。 N先生がぶるぶる震えながら、嗚咽をくいしばる声が、体育館に響いただけでした。』

運は人が運んできてくれるもの

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ブログ「 人の心に灯をともす 」から 「 運に巡り合いたいのなら 」(2014-12-11) をご紹介します。 自分の好きなことを仕事としてやっていくことができる人は、本当に幸運だと思います。 僕自身、そんなことはほとんどできていません。 やりたくもない予備校講師を長年やってきたことで、ようやく自分が一番やりたい本を書くという仕事の依頼を次々といただけるようになりました。 ところが、本を書くより好きだとはとても言えないテレビの出演の依頼も多数いただけるようになり、肝心な本を書く時間をほとんど捻出できない状況です。 だったら、テレビの仕事を断ればいいではないか、という声も聞こえてきそうです。 それはもっともですが、「それはちょっと違う」と言いたいのも事実です。 みなさんは、自分の「交換可能性」ということについて考えたことがありますか? 僕は、このことに絶えず自覚的です。 仕事を断ることは簡単ですが、僕でなければできない仕事などほとんどありません。 そう、僕にできる仕事は、基本的には他の誰でもできるのです。 にもかかわらず、相手はぜひ僕に、と依頼してくれた…。 どこに断る理由があるのでしょうか? ありがたくお受けして、そこで全力を尽くすだけです。 そして、依頼してくれた相手が、「やっぱり林さんにお願いしてよかった」とほほ笑んでくれれば、それでよいではありませんか。 こういった「交換可能性」は、すべての人に当てはまる話なのです。 「オレがいなかったら、この会社は立ち行かないよ」 こんな妄言はありません。 その人がもしいなくなっても、おそらくその会社はしっかり営業を続けるでしょう。 組織とはそういうものであり、また、そういうふうに組織づくりを行うべきなんです。 そんなふうに、誰しもが「交換可能性」に脅かされるように生きているなかで、『アンパンマン』の作者であるやなせたかしさんは、次のようにおっしゃっています。 『運に巡り合いたいのならば、なんでも引き受けてみるといい』 自分の好き嫌いなどという小さな物差しにこだわらないことが、運に巡り合う秘訣だ。 そう読み替えることもできるでしょう。 そういうものなんですよ。 これは、僕がいただいたテレビの仕事に全力で向き合ったからこそ出...

政治に問われる子どもの貧困問題

「「 夕食は「おにぎりパーティー」 子どもの貧困6人に1人 」(2014年12月9日朝日新聞) をご紹介します。 給料日前の月末になると、夕食の食卓に連日、おにぎりだけが数個並ぶことがある。 都内の母親(50)は、小6の長女(12)に「さあ、おにぎりパーティーの始まりよ」と声をかける。 「だって『おにぎりしかない』って言うと暗くなっちゃうでしょ」。具は何がいいか、リクエストも聞く。「おかかとみそ、塩の3種類しかないけどね」 母子家庭になったのは、長女が生まれてすぐだった。母親は専業主婦だったが、介護の仕事を始め、資格もとった。 週4日、病院で介護士としてパートで働く。もっと働きたいが、周りになじめず低学年から不登校になった長女を放ってはおけない。パートの収入は月12万~13万円。生活保護も一部受ける。生活費にあてられるのは月7万2千円。うち食費は2万円ほどだ。 長女は昨年からようやく、フリースクールに通えるようになった。給食は出ないので、昼ご飯を食べずに過ごすことが多い。帰り道の夕方、100円で9個入りの小さなシュークリームを買うのが楽しみだ。 夕食は、午後7時すぎに帰宅する母親と食べる。モヤシだけの焼きそば、肉のかわりに12個で87円のウズラの卵が入ったカレー。「育ちざかりなのに。虐待じゃないかと思うこともある」と母親は打ち明ける。 7月は電気、8月はガス、9月は水道などと数カ月に1回順ぐりに払う。それでも払えないこともあり、昨年のクリスマスには水道が止められた。炊飯器の釜やペットボトルを手に公園へ行き、水をくんだ。 長女はいう。「わたしはがまんしてない。お母さんの方ががまんしてる」 国民1人の平均所得の半分に満たない家庭の子どもは、6人に1人。子どもの貧困が広がっている。 留守番の夜、夕飯は児童館で タラとキノコの酒蒸し、ニンジンとホウレン草のサラダ。「いただきまーす」。夕方6時、小学生3人と、学生らボランティアの大人たち7人の夕食が始まった。東京都豊島区のお寺の施設を利用し、地元のNPO法人が毎週火曜日に開く「夜の児童館」だ。 子どもたちは午後4時から8時まで、夕食を食べ、宿題をしたり遊んだりして過ごす。「なんの魚か分かる?」「骨があるから気をつけて」。会話も楽しむ。 通うのは、ひとり親や共働きの家庭の...

心を込めて聴く

ブログ「 今日の言葉 」から 「 傾聴 」(2014-12-04) をご紹介します。 人には口が一つなのに、 耳は二つあるのは何故だろうか。 それは自分が話す倍だけ 他人の話を聞かなければならないからだ。 ユダヤの格言 「傾聴」という言葉が最近注目されています。 聞くのではなく、聴く。 「聴」という漢字には「心」が含まれていますから、 心を込めて聴くということになるのでしょう。 相手に興味を持って話を聴く。 相手の話を途中で遮らない。 相づちを打つ。 良し悪しを判断しない。 腕組みや反り返った姿勢にならない。 などなど、傾聴の技術が様々紹介されています。 時に自分の存在感を証明するためのごとく、 自分の主張をしてしまうこともあるでしょう。 そんなときには「今、それを言うことに本当に価値があるか?」 と自問自答してみることも大切ですね。 そして話す方もそうして相手が傾聴してくれていることを意識して、 相手に伝わりやすい方法で伝えることを意識すること。 それは決して自分が話したい様に話すこととは違う。 そうしたお互いの配慮があって、 良質なコミュニケーションが生まれていくのです。 ただし時にはただ聞いてほしいという時もあるでしょうから、 そういう時はまず、「何も言わず話だけ聞いて!」 と前置きすることが大事ですね。

どんな教育を目指すか

「 衆院選 教育改革 時代が求める人材は 」(2014年12月6日朝日新聞社説) をご紹介します。 安倍政権はこの2年間、経済と並ぶ重要課題として、「教育再生」を掲げてきた。 日本人としてのアイデンティティーを育てる、とのかけ声で様々な施策を進めている。 教科書の検定基準を変え、政府見解を書くよう促した。領土問題も、政府の主張通りに教えるよう指導の指針を改めた。 道徳を教科に格上げし、「愛国心」を掲げた教育基本法に基づく教科書を導入する。高校で日本史必修化の検討も始めた。 自民党はそれらを公約とし、「スーパーグローバル大学」の整備などもうたう。安倍首相が語る大学改革の目標は、「世界で勝つ」人材育成だという。 だが必要なのは、世界で勝つ人材ではなく、国内外の問題解決の道を探れる人材ではないのか。それには多種多様な価値観の人々と対話する力が肝要だ。 野党は、公約の力点を教育の条件整備に置く党が多い。民主党は、少人数学級の拡充や高校無償化を挙げる。社民党も「30人以下学級」「給付型奨学金」などの支援策が中心だ。 そこからは、これからの時代にふさわしい人間像や教育の進むべき方向性は読み取れない。 維新の党は「多様性こそ国家の活力」とし、「多様な教育提供者の競い合い」を強調する。ただ、子ども一人ひとりがどう学ぶかまでは触れていない。 これからはグローバル化と情報化が一層進む。今日の知識が明日も正しいとは限らない。一人の力では限界がある。言語や文化、分野の異なる人々と力を合わせ、答えが一つではない課題に取り組む力が求められる。 日本人としての意識は大切だが、それだけでは足りない。相手を知ることで自らを問い直す力も欠かせない。 日本人そのものも一色ではない。多様な見方や考え方を認め合う姿勢が必要だ。教室のいじめも、「みんな一緒」を求める同調圧力から生まれているのではないか。自分たちと違う者を排斥する先にあるのが、ヘイトスピーチだろう。 この間の政策の過程も多様化する社会にふさわしいとは言い難い。与党の方針を政府の「教育再生実行会議」が権威づけ、文部科学相の諮問機関「中央教育審議会」が具体化する――。そんな与党判断が政策に直結する手続きではなく、幅広い意見を集めるプロセスが必要だ。 教育は子どもを通じて新しい時代をつくりだす...

幸せとは、ごくあたりまえの恵みに目覚めること

「幸せとは気付くことである」(2014-11-29 PRESIDENT Online) をご紹介します。 このところ、幸せとは何か、という問題を考えていると、思わず手をたたきたくなる。 日本語の楽曲としては、現在まで唯一の全米チャート1位という偉業を達成した『上を向いて歩こう』。この大ヒットで知られる坂本九さんが歌っていたのが、『幸せなら手をたたこう』。いまだに歌い継がれているこの曲が、大好きだという人は多いだろう。 2014年のグラミー賞で複数の賞に輝いた米国の歌手、ファレル・ウィリアムスのヒット曲『Happy』。この楽曲は、繰り返し、「幸せなら手をたたこう」と歌っている。 「幸せの意味がわかったら」「幸せこそ真実だと思ったら」「自分が、屋根のない部屋のように感じたら」手をたたこうと呼びかけるのだ。 手をたたくって、そんなにシンプルなことでいいのか、と思うだろう。幸せになるって、もっと複雑な、難しいことではなかったか、と思う人がいるかもしれない。 しかし、そうではない。幸せとは、「気付く」ことであると、さまざまな研究結果が示している。自分の人生の中の、ごくあたりまえの恵みに目覚めることが、汲めども尽きぬ幸せの泉となるのだ。 ある程度の経済的裏付けは、もちろん必要である。しかし、お金さえあれば、幸せになるというわけではない。 今日はどのシャンパンにしよう、フレンチにしようか、イタリアンにしようか、という生活は贅沢で羨ましいようにも思える。しかし、そのような人が、今晩はどの発泡酒にしようとコンビニの棚の前で考えている若者に比べて、幸せであるとは限らない。 「隣の芝は青く見える」という。他人を羨ましく思うことが、明日への活力につながることもあるし、国全体としての経済成長を促すこともあるだろう。 しかし、それがいきすぎると、こだわりや執着を生む。何よりも日々の生活が、「いつか幸せ」になるためのプロセス、手段になってしまう。 本当は、今日という日は、二度と帰ってこない。だからこそ、日々の足元を見直すことが、幸せにつながる。つまり幸せとは、一つの「発見」であり、「認知」なのだ。 そのことを表しているのが、メーテルリンクの「幸せの青い鳥」の寓話だろう。幸せを求めてさまざまな場所を旅し、家に戻ってくると、幸せの青い鳥は、実は最初か...

原因は必ず結果を生む

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ブログ「 人の心に灯をともす 」から「 因果応報の法則 」(2014-11-27)をご紹介します。 因果応報の法則とは、善いことをすればよい結果が生じ、悪いことをすれば悪い結果が生まれる。 善因は善果(ぜんか)を生み、悪因は悪果(あくか)を生むという法則のことです。 善因悪因の「因」とは、自分が生きている間に思ったこと、行ったことです。 自分自身が思い、考え、実行すること、それらが因、つまり原因となります。 思ったり、考えるだけで原因になるのか、と疑問に思われる方もいるかもしれません。 また、単に思っただけでしかないと、我々は軽く考えがちです。 しかし、思うということは決して軽いものではありません。 恨み、つらみなどを考えただけで、それが原因をつくってしまいます。 そして、原因は必ず「結果」を生みます。 原因が原因のままで残り続けることはありません。 このことをお釈迦さまは、「縁によって果が生ずる」とおっしゃっています。 ところが、因果応報の法則は、必ずしもその通りの結果が出ているようには見えません。 周囲を見渡せば、いいことをしてきた人が病気で苦しんでいる、悪いことをしている人が幸せそうに暮らしている例は、いくらでもあります。 このような状況では、いくら因果応報の法則を説かれても、我々のような凡人にはなかなか信じられません。 世の中は、因果応報の法則の通りになっていない、とつい思ってしまいます。 因果応報の法則は、結果が出るまでには時間がかかることがあります。 原因に対して結果がすぐ出ることもあるにはありますが、多くの場合はなかなか結果が出てこないのです。 しかし、20年、30年といった長いスパンで見ると、必ず因果応報の法則通りの結果になっています。 それでも私は、因果応報の法則に合わないケースがあるように見えるのは、どうしてなのかと以前は悩んでいました。 そのときに読んだのが、『シルバー・バーチの霊訓』です。 昔、ロンドンのある町医者が友人10人ほどを呼んで、毎週末、自宅で交霊会をやっていました。 町医者自身が、自分の身体に霊魂を呼び入れられる霊媒(れいばい)だったのです。 その交霊会には、いつもシルバー・バーチと名乗るアメリカインディアンの霊が出てきます。 その...

小さな実践が人を変える

ブログ「 今日の言葉 」から 「 実践 」(2014-11-28) をご紹介します。 小さな実践が人を変え、地域を変える。 鍵山秀三郎 「こんなこと位ならしなくてもいいだろう。」ではなく、 「こんなこと位ならやってみよう」と行動に移す。 それは結構勇気のいることですが、その実践の積み重ねが環境を変えていくことになる。 そんな実践の大切さを教えてくれる新渡戸稲造のお話を紹介します。 彼はクラーク博士で有名な札幌農学校を卒業後、アメリカとドイツに留学し、教育者として研鑽を積んでいきます。 彼がドイツのボン大学で学んでいたときのこと。 近くの公園を散歩していると、カトリックのシスターが大勢の孤児を連れて歩いているのを見つけました。 孤児たちは、同年代の子が親と楽しそうに遊んでいるのを見て、悲しそうな顔を浮かべています。 その日は、ちょうど新渡戸の母親の命日でした。 そこで、彼は母親に供え物をする代わりに、あの子たちにプレゼントを贈ろうと考え、近くにいたミルクを売っている女性に、代金を払うから、あの孤児たちにミルクをあげてほしいと頼みます。 もちろん、彼からのプレゼントだということは秘密にしてもらいました。 ミルク売りの女性はシスターにこの申し出を伝え、孤児たち全員にミルクが配られました。 突然のプレゼントに子どもたちは大喜び。 そして、全員が飲み終わると、シスターは孤児たちに話します。 「私たちに施しを下さった方が、どなたかはわかりません。 ですが、感謝の気持を伝えるために、全員で賛美歌を歌いましょう」 公園内に響く子どもたちの歌声。 彼は、母親の命日によいことができたと満足し、シスターと孤児が公園から去るのを見届けると、代金を払うためにミルク売りの女性のもとへ向かいました。 ところが、ミルク売りの女性は、代金を半額しか受取ろうとしません。 「私も孤児たちにミルクをあげたいと思っていましたが、商売のことを考えると、なかなか行動を起こすことはできませんでした。なので、ミルク代は原価だけを受取らせてください。今日は本当にありがとうございました」 ミルク売りの女性もまた、温かな心を持っていたのです。

人生の要素

ブログ「 今日の言葉 」から 「 素直な心 」(2014-11-27) を抜粋してご紹介します。 素直な心の内容10カ条 第一条 私心にとらわれない 素直な心というものは、私利私欲にとらわれることのない心、私心にとらわれることのない心である 第二条 耳を傾ける 素直な心というものは、だれに対しても何事に対しても、謙虚に耳を傾ける心である 第三条 寛容 素直な心の内容の中には、万物万人いっさいをゆるしいれる広い寛容の心というものも含まれている 第四条 実相が見える 素直な心というものは、物事のありのままの姿、本当の姿、実相というものが見える心である 第五条 道理を知る 素直な心というものは、広い視野から物事を見、その道理を知ることのできる心である 第六条 すべてに学ぶ心 素直な心というものは、すべてに対して学ぶ心で接し、そこから何らかの教えを得ようとする謙虚さをもった心である 第七条 融通無碍 素直な心というものは、自由自在に見方、考え方を変え、よりよく対処してゆくことのできる融通無碍の働きのある心である 第八条 平常心 素直な心というものは、どのような物事に対しても、平静に、冷静に対処してゆくことのできる心である 第九条 価値を知る 素直な心というものは、よいものはよいものと認識し、価値あるものはその価値を正しくみとめることのできる心である 第十条 広い愛の心 素直な心というものは、人間が本来備えている広い愛の心、慈悲の心を十二分に発揮させる心である 松下幸之助 上に立つ人は、自分の欠点をみずから知るとともに、それを部下の人たちに知ってもらい、それをカバーしてもらうようにすることが大事だと思う。 部下の人が全知全能でないごとく、上に立つ人とても完全無欠ではない。 部下の人よりは欠点は少ないかも知れないが、それでも何らかの欠点を持たないという人はいないだろう。 その欠点多き上司が自分の知恵、自分の力だけで仕事をすすめていこうとすれば、これは必ずといっていいほど失敗するだろう。 やはり、自分の欠点を部下の人に知ってもらい補ってもらってこそ、はじめて上司としての職責が全うできるのである。

できなかった親孝行

「 母への思いが変わった瞬間(きょうも傍聴席にいます) 」(2014年11月18日朝日新聞) をご紹介します。 やせ細っていく、優しかった母。息子は1人で介護を続けた。体力がなくなってきたからか、母は入浴や食事を嫌がり始めた。2人で孤立するなか、息子の心配は、いつしかいら立ちに変わり、そして、暴力へとつながっていった。 東京地裁の715号法廷。10月28日、中野雅昭被告(39)は初公判に、緑色のネクタイをしめ、スーツ姿で現れた。母親に暴力を振るい、死なせたとして傷害致死罪に問われた。裁判員らの視線が集まるなか、緊張した面持ちを見せた。 検察側の冒頭陳述などから、事件をたどる。 中野被告は両親とともに、東京都中野区のマンションで暮らしていた。高校卒業後、スーパーで11年間勤務。だが、上司のパワハラを理由に辞職した。その後、別のスーパーで働いたが、5年前からは無職だった。 父親は15年前に他界。以来、母のれい子さん(当時64)と、2人で生活してきた。定職につかない息子を、母が責めることはなかった。「自分のやりたいことが見つかるまで、待っていいよ」。そう言って、見守ってくれていた。 一方で、れい子さんは骨粗鬆症(こつそしょうしょう)を発症。2011年から入退院を繰り返し、次第にやせ細っていった。 ほぼ毎日の通院には、中野被告が付き添った。食事は中野被告が用意したが、レトルト食品やスーパーの総菜が多かったという。 事件の1年前。れい子さんは雪で滑って、大腿(だいたい)骨を骨折してしまった。入浴やトイレも、1人では難しくなった。時折、尿や便を漏らすこともあったが、中野被告が下着などを手洗いした。 いつも寄り添う2人の姿を、マンションの住民がたびたび見かけている。 被告人質問。 弁護人「1人で介護をするのは、負担だったのでは」 被告「正直、負担でした。でも、仕方のないことだと思っていました」 小さな声で、こうも言った。 被告「とても優しい母でした」 なぜ、暴力が始まったのか。きっかけは、事件のほぼ半月前だ。 被告「1月13日です。おかゆを用意したが、母が食べず、顔を、平手打ちしてしまいました」 弁護人「なぜ暴力を」 被告「朝の『打ち合わせ』で、食べると言っていた。約束を守らなかったので、カッとなってしまい...

相手の予測を上回れ

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ブログ「 人の心に灯をともす 」から 「 受けたものに、上乗せして返す気持ち 」(2014-11-28) をご紹介します。 就活に失敗し、大学は卒業したものの、フリーターになった私は、何をしたらいいのかまったくわからないまま、アルバイト先とアパートを往復する毎日でした。 そのころ私は、受験生にチラシを配るアルバイトをしていました。 地方からやってきた受験生は、合格して上京したら、まず家を借りなければいけません。 そんな受験生に、前もって仕込んでおくための不動産のチラシです。 でも、スタッフの管理がかなりゆるく、がんばっても、適当にやっても変わらない。 それどころか、チラシだけ持って帰って、家で捨ててしまってもまったくバレないような仕事でした。 そのアルバイトに、私と同年代くらいの、金髪の青年がいました。 金色に染めた髪にピアスをして、穴の開いたジーンズを履き、チャラチャラ感にあふれています。 切れ長の目をしたその青年は、その見た目とは大きなギャップがあり、まったくやる気のない人の分のチラシも配るくらいの勢いで、目の前の受験生一人ひとりに心を込めてチラシを渡しています。 「お願いします!」という、その言葉の奥からは、まるで「試験がんばってくださいね!」と聞こえてくるかのようでした。 それでも私は、「なんかがんばっちゃってる、まじめなヤツがいるなぁ」くらいにしか考えていませんでした。 そんな彼と、アルバイト後の移動で一緒になり、話をする機会がありました。 「ずいぶん一生けんめいだね」と私が言うと、その彼が私の人生を変えるひと言を雷のように頭に落とし込んだのです。 「お金をもらうんだから、ちょっとでも上乗せして返すくらいの気持ちでやらなきゃダメっしょ!!」 初めて聞いた言葉でした。 言われたことをただやっているだけ。 むしろ適当にやっていた自分が恥ずかしくなるような…。 これまでの私は、自分にとって関わりのあることには一応向き合ってはきたものの、自分の人生には関係ないと思えるものには、「これはオレには関係のないことだから、エネルギーを使うだけムダ」と選別をして生きていました。 何をやってもダメで、お先真っ暗、八方ふさがりの状態だった私は、何をやってもまったく報われない、今の現実が起きている原因...

手紙を書く習慣

朝日新聞の 天声人語「一円切手の肖像画」 (2014年11月29日) をご紹介します。 「一円玉の旅がらす」がNHKの「みんなのうた」で流れたのは1990年だった。♪一円だって 一円だって 恋もしたけりゃ夢もある……。前の年に消費税が導入されて、1円玉は脚光を浴びていた。 1円切手にも出番が回ってきた。はがきが40円から41円になったためで、補充が追いつかず売り切れの貼り紙をする郵便局も出た。だが、間もなく再び地味な存在に戻る。はて、どんな切手だったかと、首をひねる方もいるだろう。 その切手が、先ごろ話題になった。日本郵便の発行する普通切手の絵が一斉に変わる中で、1円切手だけが変わらない。「郵便の父」と呼ばれる前島密(ひそか)の肖像が刷られていて、「これだけは変えられない」そうだ。戦後間もないころから続いている。 セピア色の肖像画には明治の男の威厳が光る。今年も消費増税があった。はがきも封書も2円上がったが、エゾユキウサギの新2円切手が出てかわいいと評判になった。不足分に前島さん2枚を買った人は少なかったろう。 ともあれ今の世の中、手紙を書く習慣はとみに薄れている。小中学生の多くは宛名の書き方を知らず、郵便番号欄に電話番号を書く子もいると、かつて小欄で憂えたことがある。 英語でいうポストカードに「はがき」の訳語をあてて発行したのは明治6年だった。それが年賀状としても使われるようになっていく。電子メールの便利さは社会を変えた。だからこそ、紙に書いたひとこと、ふたことが、いっそう引き立つ時代である。