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7月, 2009の投稿を表示しています

地方国立大学と地域貢献

前回の日記では、「国立大学の存在意義」について触れましたが、現在我が国には86の国立大学が設置され、規模・教育研究分野・立地条件等により、それぞれの使命や役割が異なっています。特に、地方に位置する国立大学は、大都市圏に立地する大学と異なり、立地する地域に根ざした取り組みを一つの特色としてその存在意義を確かなものにする戦略を考えていかなければなりません。また、国立大学の教育研究成果の地域への還元の期待は高く、地方国立大学における地域貢献は、大学が生きていく上で不可欠な存在意義のひとつになっています。 地方国立大学は、大都市圏にある大学に比べ、寄付金や研究資金など外部からの資金獲得面において劣性に立たされています。このため、大学経営は、税金を原資とした運営費交付金へ依存せざるを得ません。しかし、そういった資金獲得面の制約の中でも、地方国立大学は、他大学にはない特色や個性を発揮しながら様々な改革努力を重ね、いわゆるリージョナルセンターとしての役割を果たしていかなければなりません。 現在、中央教育審議会など政府レベルでは、少子化など今日の大学を取り巻く状況を踏まえ、「質の保証」、「国際競争力の向上」など様々な課題について、我が国の大学の将来展望と対策についての議論が進められています。中でも、「人口減少期における我が国の大学の適正規模」といった課題の解決策として、いわゆる「機能別分化」を超えた取り組みの一つとして、今後、経営上危機的な状態にある私立大学や、国の政策に適合しない分野を有する国立大学については、収容定員の適正化のほか、組織的連携、つまり大学の統合・再編といった大胆な改善手法を求められる可能性は十分にあります。 こういった状況を踏まえれば、地方大学における地域貢献は、当該大学の存在意義をより強力に主張していくためにも、より積極的な方向に変容していくことになっていくことでしょう。しかし、このことが一方では、国立大学の存在意義に疑問を呈することにもなりかねないことを注意しておかなければなりません。 最近では、立地する地域の自治体や企業等との間で、連携協力のための協定を締結する大学が多く見受けられるようになりました。特定の事項に関する協定もあれば、総合的相補的関係を主眼とした包括的な協定を締結する大学もあります。こういった動き、つまり協定締結の結果として、...

国立大学の存在意義と学納金

少子化に伴う全入時代の到来に伴い、大学には様々な改革努力が求められるようになりました。 特に大学経営に関わるマネジメントは重視され、私立大学では、予定された学生確保がままならない状態、つまり定員割れを起こしている大学が全体の約半数に迫る危機的な状況となっており、学生募集停止の報道が後を絶ちません。 また、運営費交付金という税金が投入され、安定した経営が保障されている国立大学であっても、授業料・入学料・検定料といった学生納付金が予定どおり確保できない場合は、その減収分の事業展開あるいは人の雇用を停止しなければならず、結果的には教育研究の質の低下に直結することになります。 したがって、学生の収容定員の確保は、新入生はもとより、入学後の休学・除籍・退学者数の抑制を含め、大学にとって極めて重要な経営課題の一つとなります。 先日、国立大学の事務職員への就職を希望し就職活動を行っている学生達と話をする機会があり、面接試験対策と称して「国立大学の存在意義、役割・使命についてどう考えるか」という質問をしてみたことがありました。 多くの学生にとっては想定外の質問のようでしたが、中には間髪を入れず的を得た明確な回答をした学生もいました。想定外の質問であっても、日頃から社会の様々な動きについて問題意識を持って考える習慣をつけている学生は、おそらくこういう時に力が発揮できるのだろうと改めて教えられました。 さて、彼らの回答の中で、国立大学の存在意義について、特に私立大学との比較において最も多かった回答が、「高等教育の機会均等の保障」でした。家計や経済の状況によって、能力や意欲がある学生が、大学への進学の道をあきらめることのないよう、私立大学に比べれば低廉な授業料が設定されていることが、国立大学の存在意義の大きな柱の一つです。もちろん学費が安いだけではなく、税金が投入されていることに関わって、国立大学には公的な機関としての社会的責任、つまり社会への貢献などの使命も課せられています。 このように、教育の機会均等の保障をはじめ、国立大学の存在意義を理解していた学生が予想以上に多かったことは、国立大学に勤務する者としては、大変うれしく、一方では責任の重大さを改めて感じたところです。 これまでも、この日記では、就学や進学のための学生支援の重要性について何度か触れてきま...

沖縄・子乞いの島

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「誰でもいいから殺して自分も死にたかった。」 最近、ガソリンをまいて放火し人の命を奪ったいたましい犯罪が起こりました。職がない・生活していけない・夢も希望も失った人間が自暴自棄になって、いとも簡単に無差別殺人に走る恐ろしい時代になりました。自殺者も激増しているといいます。 こういった死に直面した人の原因や動機は様々でしょうが、彼らが生きる力を失っていることは確かです。では、彼らの中に再び生きる力を蘇らせるためにはどうしたらいいのでしょうか。 私達の国は、戦争に敗れて以来、国民の懸命な努力によって今日のような世界のリーダーとしての立派な国に成長しました。敗戦時の荒廃と貧困から必死になって抜け出してきたという実績、それを支えた国民の生きる力は、今日社会問題化している課題の解決にとって一つの手がかりになるのではないかと思います。特に、あの戦争で我が国最大の悲劇が繰り広げられた沖縄に目を向け考えてみることも必要かと思います。 戦争の傷跡が未だに残っている、騒音を響かせる米軍基地が島の主要部分を占める、米軍人による人権を無視した犯罪が耐えないなど、沖縄の人々にとって戦争はまだ終わっていません。しかし、戦争のために全てを失った沖縄の人々が、今も犠牲者として暗く悲しい生き方をしているでしょうか。いいえそうではありません。あの戦争の悲劇を二度と繰り返さないという誓いを心に秘め、悲しみや悔しさを乗り越え今という時を懸命に生きています。また、沖縄は、海・空・山という大自然に恵まれ、子ども達は、この雄大な自然に包まれ生きるとともに、人情味ある多くの年老いた村人たちによるコミュニティが、平和の大切さや命の大切を教え伝えてくれます。 私はこんな沖縄に接したくて、毎年家族とともに沖縄を訪問することにしていますが、年に一度のわずかな時間の滞在であっても、沖縄の人々と交わるうちに、心が癒され、人間としての生き方を学ぶことができているような気がしています。 そんな沖縄にも、少子化の波が押し寄せています。日本人として、沖縄の心の文化が損なわれようとしている厳しい現実に目を背けるわけにはいきません。 子乞いの島(2009年7月8日 朝日新聞 論説委員室から) 沖縄本島から南西約450キロ。鳩間島はイリオモテヤマネコで知られる西表島の北に浮かぶ周囲3.9キロ、面積がわずか1平...

公務員叩きもほどほどに

公務員とは因果な商売だなあと痛感することがあります。税金を生活の糧とし、そのおかげでどんな経済不況が来ようとも失職はしないし、贅沢をしなければ安定した生活を維持することができるという恵まれた立場にあることが前提となって、何かにつけて批判の的にされ、時として犯罪者呼ばわりされるようなこともあります。 確かに、全ての公務員が国民の公僕として、日夜、報酬見合いの、あるいはそれ以上の成果を生み出すような仕事をしているのかと問われれば、自信を持ってそうだと断言することはできません。事件・不祥事を引き起こす公務員が後を絶たない報道がそれを裏付けています。 多くの国民の皆様が持っておられる公務員のイメージは、おそらく、そのような報道に代表される公務員や、最寄りの市町村の役所、国の出先機関、警察署など普段の生活に関わりの深い場所での対応の悪い公務員ではないかと思います。しかし、国や自治体で働く全ての公務員が、このような公務員としての資質に劣る人間だけではなく、大半の公務員は、与えられた使命を達成すべく半ば自己を犠牲にしながら額に汗して働く勤勉な労働者ではないかと思います。 そんな勤勉な公務員を一部の劣悪な公務員と十把一絡げにして論じるのは、決して賢いことではありません。最近も ノンキャリアの公務員を犯罪者扱いした国会議員 がいましたが、このような国民の代表者たる国会議員がいる限り、あるいは、正確さを欠いた公務員批判を国民の前に報じるマスコミがいる限り、国民の公務員に対するイメージはいつまでたっても事実に反したままです。 このような国会議員やマスコミの行為は、公務員を叩くことによる国民受けをねらったものとしか思えず、思慮なき悪意に満ちた国民のマインドコントロールをやっているとしか言いようがありません。極めて少数の公務員の悪行・愚行によって、全ての公務員がそうであるかのような誤解を誘引する軽率な言動や報道は、発信者の資質や品格が問われるだけで、何の得にもならないと思います。 最近、「中央官庁に勤める公務員が過労死直前」だとの報道がなされました。過剰な労働が彼らの命を縮じめています。何を隠そう多忙さの一因は国会議員にもあるのです。 霞が関の公務員「4千人が過労死ライン」(2009年7月1日 産経新聞) 東京・霞が関の中央官庁に勤める国家公務員のうち、過労死の...

人生前半の社会保障

教育は「人生前半の社会保障」として社会生活を送る上での機会均等を図る営みである。社会経済のあらゆる面で変動の激しいこれからの時代において、一人一人が充実した人生を送るためには、まずは人生のスタートである若年期を大事にして「生きる力」を身につけられるようにすることが必要であり、教育が担う役割はますます大きくなっている。 政府の経済財政諮問会議や安心社会実現会議などにおいても、安心社会の実現に向けて今後の政府全体がとるべき方策について検討がなされてきている。そこでは、「機会の平等」が確保されていないことで生まれる格差(親の所得、資産等による格差の固定化・再生産)は、「希望喪失社会」につながるなどの懸念が指摘され、今後の方向性として、階層化を回避し日本の強みである社会的一体性を堅持すること、厳しい生活状況にある人に対し、時代に応じたセーフティーネットを確保することなどの必要性が議論されたところである。 この点、教育が担う役割は極めて大きい。つまり、国民一人一人が生活を送る上で、個人の努力や能力による格差が一定程度生じることはあり得るとしても、その努力や能力を発揮する機会は、経済的・社会的な事情にかかわらず誰もが等しく与えられるべきであり、この前提条件として、次代を担う子ども全てが共通のスタートラインに立って能力を最大限に高められるようにすることが教育に求められる。誰もが、十分な教育を受け、自らを磨きながら「確かな学力」「豊かな心」「健やかな体」に裏打ちされる「生きる力」を身につけることができれば、その一人一人にとって、より高次元の経済的・社会的活動が促されるため、結果として所得分配の公平化や自己実現が図られ、ひいては社会全体の成長や安心をもたらす。 教育がこのような役割を十全に果たすためには、雇用、年金、医療、福祉などの他の社会保障政策と同様に、教育を「生活安全保障」(セーフティーネット)あるいは「人生前半の社会保障」と位置づけ、全ての子どもたちが安心して教育を受けることのできる「教育安心社会」を実現するための取組が重要である。折しも、教育再生懇談会においては「教育安心社会」の実現に向けて、先般、第4次報告がとりまとめられたところであり、今後、政府が一丸となって施策の充実を図ることが期待される。 そして、意欲と能力のある誰もが教育にアクセスできる社会が実現...

異文化理解

一人の地球人として自分が生きる日本以外の国々のこと、あるいはそこに生きる人々のことを考えるとき、健康で平和な暮らしをしてほしいと願うのは私だけではないでしょう。 世界には、政治、経済、文化、宗教など様々な違いの国と国民があり、残念ながら飢えや貧困と闘う人々がいます。また、独裁的政治体制の中で基本的な人権が守られず抑圧の中で生涯を終える人々もいます。 毎日のように報道される他国の様子を、自分のこととして考える、そして何か自分にできることはないだろうかと考えることは、平和な国に暮らす恵まれた私達がなすべき一つの国際貢献への第一歩のような気がします。 今日は、途上国の子ども達を伝染病から守るための取り組み、日本で生きるいわゆる「脱北者」の苦悩、そして、海外研修の経験を基に教科書だけでは学べない途上国の現状を伝える活動を行っている教師達の話をご紹介します。 ワクチン債(2009年6月29日 朝日新聞 論説委員室から) 途上国の子供たちを伝染病から守ろうと、ワクチンや予防接種を打つプロジェクト資金を賄う「ワクチン債」が静かなブームを呼んでいる。世界保健機関(WHO)や世界銀行の息がかかる国際調達機関「IFFIm」が発行する。 このプロジェクトを支えているのは、英仏伊など7ヵ国が20年分割で払い込む53億ドルの寄付だ。これを裏付けにして総額40億ドル規模の債券を発行し、まとまった資金を前倒しで調達する。この結果、ワクチンの大量購入が可能になった。それがまた大量生産につながり、価格が半値になるといった効果も出ている。 これまで世界で発行されたのは日本円にしてざっと2千億円分。うち800億円近くが日本で売られた。欧州などではもっぱら機関投資家が買うのだが、日本ではすべて個人投資家だ。購入層は60歳以上が中心で、女性も多い。 発行条件は普通の世銀債並みで格付けは最高のAAAだ。外貨建てなので、見かけの金利は高いものの、為替リスクがある。収益性や安全性だけでなく、「社会貢献を通じて満足感を得たい」という動機も働いているらしい。 日本の個人金融資産は1400兆円余り。そのうち100兆円以上が過剰貯蓄だとの推計がある。30兆円は「たんす預金」になっているともいわれる。 それらに比べると至極ささやかな動きだが、日本の個人マネーは「有意義な目的」さえあ...

骨抜きシーリングと教育予算の未来

昨日(7月1日)、来年度予算の概算要求基準が閣議決定されました。 これまで、この日記でも、概算要求基準の決定に至る重要なプロセスとして、「財政制度等審議会建議」と「骨太方針2009」についてフォローしてきましたが、高等教育予算に関しては、例年様々な議論が展開されるものの、結局は、小泉政権下における「骨太方針2006」を踏まえた「国立大学法人の運営費交付金▲1%削減」「私立大学の経常費補助金▲1%削減」が踏襲されるだけで終わってしまい、予算の確保に向けた各界における真摯な議論や行動が残念ながら徒労に終わってしまいます。一国民としては、我が国を取り巻く様々な厳しい状況を理解しつつも、大学人としては焦燥感だけが残る結果に落ち着くことになります。 平成22年度概算要求基準が閣議了解されました。(2009年7月1日 財務省ホームページ) 本日の閣議において、平成22年度概算要求基準が閣議了解されました。各省庁は、これを踏まえて平成22年度概算要求を作成することとなります。 ○平成22年度一般歳出の概算要求基準の考え方 ○平成22年度概算要求基準のポイント (参考)平成22年度予算の概算要求に当たっての基本的な方針について(閣議了解) http://www.mof.go.jp/jouhou/syukei/h22/sy210701press.htm 平成22年度予算の概算要求基準決定 歳出削減後退(2009年7月1日 産経新聞) 政府は1日、平成22年度予算の大枠を示す概算要求基準(シーリング)を閣議で了解し、正式に決めた。これまでの社会保障費の抑制方針を撤回し、一般歳出は過去最大の52兆6700億円とした。今回の決定に沿って各省庁は8月末までに予算要求を財務省に提示するが、衆院選で政権が交代すれば、シーリングが変更される可能性もある。歳出削減の流れが後退する中、衆院選に向けて各党がどういう財政政策を打ち出していくかが、今後の予算編成にも大きな影響を与えそうだ。 シーリングは、社会保障費の自然増のうち年2200億円分を抑制するという従来方針を撤回し、1兆900億円の自然増を認めた。麻生太郎首相は22年度予算に関し「社会保障の必要な修復ということが大事」としている。公共事業関係費は前年度比3%減、防衛関係費や国立大学運営費・私学助成費もそれぞれ1%削減...