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経済財政諮問会議:人材投資と文教施策の在り方

経済財政諮問会議 (4月25日開催)において、 人材投資と文教施策の在り方 についての議論が行われています。 議事要旨 から抜粋してご紹介します。 <新原内閣府政策統括官> 資料1 をご覧いただきたい。 1ページ、ダボス会議のデータであるが、左側にあるとおり、日本の国際競争力は8位で、分解すると、インフラや初等教育の順位は5位であり、右側にあるとおり、高等教育システムの質については37位と評価が非常に低くなっている。これは経営者に対する大量アンケートに基づく順位なので、実社会からの評価が良くないことが反映されていると思われる。同じく2ページの人的資本の指標を見ても、健康、労働・雇用、制度・インフラ等環境に比べ、教育は28位と低くなっている。 他方、3ページ、民間企業の教育訓練支出は1991年をピークに減少傾向にあり、4ページ、特に従業員の少ない小企業ほど人材育成に余裕がない状況にある。5ページ、従業員自身も8割近くの人が、自分の能力開発に問題があると認識している。 以上のように、教育は会社で行うから高等教育に期待しない、といった考え方は通用しなくなってきており、就業に結びつく、役に立つ高等教育への期待が高まっている。 その一方、6ページ、25歳以上の大学入学者は、OECD平均が16.8%に対し、我が国では2.5%しかおらず、再チャレンジがしにくい構造となっている。 8ページ以下は、上位大学の研究能力についてである。アジア域内で見ると、2014年までは上位100校にランキングされている数は22校と1位で、トップの東大のランキングも1位であった。しかし、直近の2017年は中国、韓国に抜かれており、これは9ページを見ていただくと、シンガポール国立大学、北京大学、清華大学といったアジアの大学の質が大学改革で改善したことが影響している。 <伊藤議員>(学習院大学国際社会科学部教授) 資料2-1 を使って説明させていただきたい。 資料2-2 が関連する資料である。今回は大学の改革に関して、アクセスの機会の均等あるいは教育の質の向上、大学改革等をお話させていただきたい。 最初に「1.高等教育へのアクセスの機会均等」が極めて重要で、データを見ると、所得水準と大学進学率あるいは自治体レベルでも財政力と教育行...

未来投資会議:イノベーションエコシステムの構築

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少し前になりますが、政府の「 未来投資会議 」(3月24日開催)において、「 イノベーションのエコシステム構築 」について議論が行われていますので、 議事概要 から抜粋してご紹介します。 <五神議員>(東京大学総長) 今後、本格的なデータ活用、いわゆるスマート化によって世界経済や産業の構造は大きく変化する。産業においていわばゲームチェンジが起こるわけである。そこで我が国がどう勝ち抜くかという観点で、すぐできること、やるべきことについて検討した。これから向かう知識集約型社会においては、人口減少は経済成長にとって、もはや脅威ではなくなる可能性がある。今持っているストックを活かして、下段に書いてあるような人、知識、インフラの3つで強みを持てるかどうかが勝負の鍵となる。 これまで産業構造は労働集約型から資本集約型へ移行してきたが、今後、知識集約型への移行を加速させるために、先行投資を行うべき領域は3つある。1つ目は潜在能力の高い中堅・シニア人材の活性化。2つ目は、研究投資。国際求心力としての基礎科学研究力の維持、そして、超スマート社会に必須であって、かつ我が国が強みを発揮し得る技術群。 現在、世界では本格的IoT化の動きの中で史上最高の半導体投資ブームが到来している。日本にはストックがたくさんあるが、それが活用できるかどうかが今の勝負どころになっていると思う。3つ目として、非常に重要だと思っているのは、セキュアで超高速のネットワークとデータプラットフォーム。これはビッグデータを使うときに必須になる基盤。大学などを活用してインフラを整備し、それを民間開放するべきだと考えている。地方創生との関係でも、各地の大学キャンパス周辺に知識集約型の産業集積拠点を作るという点で、大学の活用の仕方があると思っている。 3ページは、こうした先行投資が進みつつある、東京大学の「つくば-柏-本郷イノベーションコリドー」の状況を示したもの。経済産業省と文部科学省との連携で進めている。前回この会議で議論になった大学資産の活用についても、先行的な取組を進めているところである。 知識集約型産業への移行に関しては、知とその活用の主軸となる人材ネットワークを持っている大学を活用すべきと考えている。もちろんそのためには大学改革を一層加速せねばならない。特に大学の投資価値...

記事紹介|大学の活動は、基本的に中立、社会全体に資すべきである

大学の使命 科学と社会の関わりは時代の宿命である。わが国は68万人の研究者を擁し、大学、国や自治体の公的機関、産業界などで様々な形態の科学技術研究が行われている。機関組織の社会的役割は多様であるが、個々の研究者が、どの組織において、誰の意思で、何の目的のために、いかなる具体的な研究をするかを明確にすることなく、秩序ある科学技術イノベーション振興のエコシステムは成り立たない。公的研究費総額は3.5兆円に上るが、諸府省の役割、推進方向は複雑に交錯する。産業経済界、国際社会の要請とも呼応しながら、国全体の活動の成果最大化に向けて整合的に制度設計し、司令塔としての指揮をとるのは内閣府であろうか。 今や研究者のほとんどは組織に所属し、個々の研究は意思者との契約のもとに行われる。従って、例え全く同じ具体の課題であっても、産業界であれば当該企業の方針に従う技術開発、ビジネス展開を目指す研究活動であるはずであり、府省庁傘下の公的機関であれば各々が定めた政策目標実現のための研究である。大学においては、当然「学術研究」である。 学術研究を支えるのは、広く国民社会からの(暗黙の)要請と期待である。その上で、憲法23条の精神に則り、大学には学問、研究の自由が保証されている。その対象は決して基礎科学とは限らず、工学、農学、医薬学などの分野では社会実践を目指す応用研究も盛んに行われる。多様な学術研究に共通するところは、研究者自らの「内在的動機」による駆動であり、制約を受けない自由闊達な営みが、真理の探究と人類福祉に大きく貢献してきたことは明白である。引き続き自律的な学術活動を維持するためには、大学が本来の社会的責任を強く認識することが不可欠であり、成果公開を通して、その特別な存在の正当性を担保しなければならない。良俗に反する活動のみならず、時代の流れに無関心な過度に自己中心的な振る舞いは、一般社会の支持を喪失し、さらに無用の権力介入を招きかねない。 大学教員は官民の戦略研究にどうかかわるべきか 大学は自治主権を堅持すべきであり、そのためにも今一度、教育と学術の府であることを再確認しなければならない。国の財政難の折から、資金源の多様化は不可避であるが、活動は基本的に中立、社会全体に資すべきである。国内外の限定的な資金提供者、経済強者への奉仕に偏ることは望ましくない。 筆者...

記事紹介|大学は本来の使命感を堅持しつつも、教条的な原理主義を排して、環境変化に責任をもって対応しなければならない

大学の本来の使命は、近未来を見据えた有為の人材の養成と、優れた学術研究である。しかし、社会の要請は時代とともに変化する。現代の「知の共創」の時代に、もはや旧来の象牙の塔的な存在に止まることなく、より発展的に機能を発揮し、多様な社会的価値の創造(イノベーション)へ貢献することが期待されている。大学は本来の使命感を堅持しつつも、教条的な原理主義を排して、環境変化に責任をもって対応しなければならない。 大学における自律性尊重の「学術研究」は、実は特例的な営みであり、官民を問わず一般社会における研究のほとんどは、組織の使命,目的により一定の制約を受ける。従って、大学が異なる制度下の組織と協力作業を行う場合には、それぞれの役割の本質を損なうことなく最大の効果を生むべく、予め明確な取り決め(法整備、契約)が必要になる。 大学と産業界の規律ある協力関係 「第4次産業革命」にともない、世界では破壊的な社会変革が急激に進む。米国においてはグーグル、アップル、テスラ社などのグローバルなプラットフォーマー企業が、圧倒的な資金力と人的ネットワークを背景に、基礎研究から技術開発、ビジネス展開までを包括したイノベーション活動を展開する。対抗企業群が不在のわが国では、現実を直視しつつ、産学連携を軸とする競争力ある社会横断的な共同活動が不可欠である。 わが国の研究費総額は世界3位、対GDP比3.57%比と極めて高い。ただし民間投資が72%、国の負担は僅か19%で、イノベーションに向けた両者の有効な混合が望ましい。実際、産学連携の強化は、現内閣における最重要の課題として議論されており、その結果、2025年までに、企業から大学、公的研究機関への投資額を現在の3倍の3,500億円に拡大する目標を掲げた。しかし、この投資が産業界の経営意志に基づくものである限り、その主たる目的は短中期的な産業力強化にあり、教育や学術振興のための自由資金(unrestricted fund)の「寄付行為」ではないであろう。 異なるセクターをまたぐ協同作業は、特定の目標を掲げかつて大学が経験したことのない形で実施されよう。大学と企業の価値観と慣習は著しく異なるので、同床異夢のご都合主義の産学連携は、本来の目的達成を阻み、またなし崩し的に大学組織の秩序混乱をもたらす。そこには互恵的効果を生む最も合理的かつ規律...

記事紹介|危機打開のためには意識変革とともに、根本的な研究体制改革の工夫がいる

創造の源は研究者の多様性と流動性 大学は未知に挑む研究を行い、明日の社会を担う若者を育む。そして、近年の社会情勢を鑑み、さらに移り変わる将来を見据えれば、教員、学生の画一化が研究教育の停滞を招くことは当然である。背景の多様性こそが想像力を刺激し、創造に向かう活力の源となる。意図して、教員と学生の多様化を図るとともに、教員の内部昇進は一定割合にとどめて、格段に流動化を促進しなければならない。 有能な教員は流動する。ドイツでは、21世紀初頭までは学内昇進は禁止されており、現在でも特例的に許容されているに過ぎない。この国では有名大学からの招聘は大きな名誉とされ、受諾しなくても履歴書にその事実を載せる人は多い。周知のごとく米国の有名大学では、一学科内の教員の出身大学は様々で、母校の学位取得者は非常に少ない。わが国でも岡崎の分子科学研究所は創設以来、内部昇格を禁止して国内の人事流動に大きく貢献してきた。 大学、研究機関は外部者を、礼を尽くして招聘するのであり、有名機関であっても「採用してあげる」のではない。実は、多くの大学にとって、外部、とくに外国籍の有力候補者に対して就任を要請し、受諾を取りつけることは容易でない。すでに魅力ある環境で相当の処遇を受けていることが多いからである。彼らが新たな環境で、家族とともに日々誇りをもって活動できるか否か、研究環境と生活環境の双方が大切で、俸給や研究費は条件の一部でしかない。大学所在の地域社会を含め、わが国全体で総合的に克服すべき課題である。 もとより学閥や年功序列は避け、広く若者に挑戦の機会を与えるべきである。私が長じて、いささかなりとも評価される業績を残せたのは、学位取得後間もなく29歳で、母校である京都大学の工学部を後にし、全く縁のなかった名古屋大学の理学部に転じ、新たな独立の場を得たからである。決して優秀だからと選ばれたのではない。まだ年功を重んじる時代であったが、名古屋大学がある種の直観により、実績ある年配者ではなく、若く未知数な私に賭けたにすぎない。あとは最大限に自由を与え、適宜支援をしつつ、幸運を待つだけであった。ハーバード大学の名学長であったジェームス・B・コナントの方針にも通じるが、海外では、外部の若手の登用は、ごく当たり前で特別な出来事ではない。 テニュア・トラック制度とは しかし、いかに慎重で...

記事紹介|学長は「学部の自治」を超えて、いかに自らの命運を握る人事選考の正当性を担保しているのだろうか

優れた若者、女性、外国人の登用 世界に輝く大学にはそれぞれ特有の伝統があり、それを担う存在感ある年配教授、躍動感ある若手がいる。現代社会は様々な才能を求めており、わが国の大学もそれぞれに、夢多き入学希望者に対して特徴ある教育研究の方針と誇れる成果を開示して欲しい。そして、それを生み出す教授、准教授、助教たちの適切な登用制度と活動の条件を整備しなければならない。価値観の画一化を避けるためには、まずは「若者、女性、外国人をlabor からleaderに」の積極的施策が必要である。 大学はそれぞれに一貫した理念をもつはずである。学務の総責任者である学長の指揮の下、任命された学部長(研究科長)や学科長(専攻科長)は、中長期の「将来計画」を立て、ときには修正しながらも、理念実現に向けて適正かつ柔軟な人事を行わねばならない。具体的な研究教育活動は、それぞれに自立した教員に委ねられるので、人事の機会こそが将来の発展の鍵を握る。固定化した教員組織ありきでは、時代が求める研究教育の設計と実行はありえない。 グローバル化時代に、もはやいずれの国の大学も、優れた教員の必要数を、自国だけでは充当できない。幸いにして、世界には日本国内の十倍程度の研究者がいる。ある分野の教員任用に際して、身近な者が最適任であることは、特殊な例を除き、ごくまれである。 開かれた人事制度の確立 もとより人事には秘匿事項が多い。しかし、開かれた公器である大学は、それぞれに招聘、昇任、公募人事を問わず、プロセスの原則を明確にすべきである。まず、人事権行使と候補者評価の分離が必要であり、両者の混同は利益相反を招く。教員を採用するのは法人である大学であって、各々の学部や学科、ましてや年配教授個人ではないからである。ところが、わが国では大学の一構成員に過ぎない教員たちの間で、勘違いが甚だしい。さらに、大学人事が余りに内向き、密室、場当たり的で公正感に乏しく、不透明感が著しい。 現実には専門性が高いので、人事委員会等の助言を経るが、研究者の評価は世界標準で、広く意見を求めるが良い。私も外国の多くの大学の教授招聘、昇任、若手採用などの評価作業にかかわった(日本の大学からの依頼はない)。しかし、私の役目はあくまで、候補者の専門的研究業績、能力、国際社会の評判、同年代者間の将来性比較などの陳述に止まる。私は...

記事紹介|旧態依然の文部科学行政の優柔不断と大学内の理不尽な慣習を排し、抜本的改革を断行する

日本の科学研究活動は劣勢にある 今世紀初頭に、日本の科学研究活動が米国、欧州とともに世界の三極の一つに位置していたことは明確である。近年のノーベル科学賞受賞状況は、往時の活動の反映である。今日でもわが国の多くの研究者が、世界を先導する素晴らしい研究成果を出し続けており、さらに若い世代の研究の斬新さにも感銘を受けることは少なくない。 一方で、わが国の大学ランキング、理工系研究論文指標は全般的に著しい低迷を続ける。この10年間に、Times Higher Education誌における上位200位以内の大学は10校あまりから2校に減った。アジア圏においても旗色は芳しくない。研究論文の被引用数についても、トップ10%論文は4位から今や10位に低下し、イタリア、カナダ、オーストラリア、スペインの後塵を拝する。さらに1%論文では12位に甘んじる。中国は米国に次ぐ2位で、もしこれを論文の質と捉えるならば、質量ともに劣後することになった。残念ながら、この低落傾向は分野を問わず全面的かつ経常的である。これらの数値と研究力の関係には疑問が残るものの、より総体的な見地からも、わが国の相対的地位の低下は間違いない。 日本の教育研究体制は世界標準ではない いったい、この劣勢の根本原因はなにか。もとより公的財政支出の不足が一因であるが、私はむしろ、わが国の大学の世界標準でない異形の教育研究体制によるところが大きいと考える。確かに日本の制度に多々良いところはある。しかし「The World Is Flat(トーマス・フリードマン)」の時代に、世界の共通の体制に背を向けた昔ながらの特殊性だけでは、国際競争力をとうてい保ち得ない。旧態依然の文部科学行政の優柔不断と大学内の理不尽な慣習を排し、抜本的改革を断行する以外に再生の道はない。 若い世代が明日を創る。彼らに十分な機会を与えることが最も大切である。この観点から私が最も強調したい不都合は、2007年の学校教育法改正の不履行である。国立大学の教授、准教授、助教は全て独立裁量権を得て、教育研究を行う権利と義務をもつことになった。旧来の教授、そしてその業務を助ける助教授、助手からなる垂直統合型の講座制からの転換であるが、その後10年経つ今も、実態としてこの法律がほとんど守られていない。しばしば教授たちからは「うちの准教授には自由に研究...

記事紹介|大学研究者に責任ある経営は難し過ぎる

昨年のノーベル生理学・医学賞受賞者である大村智博士が「研究の経営」の大切さを指摘されたことが、強く印象に残る。自らの微生物化学研究をもとに、科学の発展のみならず人類社会に大きな貢献をされ、さらに北里研究所の財政を再建された。大学人ながら文部(科学)省からの研究支援は極めて少なく、しかし国内外の社会の共感を引き寄せながら、自らの研究哲学を実践された。温厚なお人柄ゆえに、控えめに発言されるが、わが国の行政と国立大学への目は非常に厳しい。自らの経験を踏まえて、社会の様々な局面を片手間ではなく猛勉強しなければ、通常の大学研究者に責任ある経営は難し過ぎるとされる。 日本の教育研究の不振の原因が問われて久しい。大学教員や研究者がこれほど勤勉に働くにもかかわらず、成果が思わしくない。日本経済における最大の問題点である労働生産性の低さと軌を一にしないか。先進7カ国の中で最低で、労働者一人当たりの付加価値が、米国の7割以下に過ぎないのは、多くが真面目な勤労者の能力が原因ではなく、経済界全体、企業経営の仕組み自体に問題があるとされる。 大学の経営は営利目的ではなく社会的責任の遂行を原動力とするので、時代に適応できる経営なくして存立し得ないことは当然である。私はまず、経営を司る理事長職と学務に責任をもつ学長職の機能分離が不可欠と考える。わが国には、個々には優れた研究者、教育者はいても、残念ながら求められる指導者が欠如、leadership crisisの事態にある。組織全体も財政構造が脆弱であり、国際関係を含め機能的にも不全である。今回、国立大学は機能別に3類型化されたが、社会の負託に応えて生き続けるには、それぞれに異なる格別の経営的技量、経験が必要である。当然、旧来の内向きの教育研究者の統括能力を超えることが多い。特に大学院経営には、様々な社会の要請との整合が求められる。 一方、学長は組織の経営基盤と状況を理解しつつも一定の距離感を保ち、学問的、教育的観点から一貫性ある理念を具現すべく大学の学務を指揮することになる。一般に、国立大学に比べ、私立大学において優れた経営がなされているようにみえる。共産党一党支配の中国では、大学の経営政策を握るのは党から派遣された書記で、学長は教育研究運営に専念する。少なくとも自然科学系については、今のところ不具合は見当たらず、着実に発展を遂げて...

記事紹介|国立大学の「国立」の呼び名は、国家や国民の誇りを意味する格別に賦与された名称である

今後とも大学は「文化的存在」ではあり続けるであろう。しかし、今日では加えて「文明の牽引者」であることが求められる。そして残念ながら、日本国民の教育研究に対する信頼性は万全とは言い難い。 わが国は1,000兆円を超える公的債務を抱え、きわめて厳しい財政状況にある。にもかかわらず、巨額の公的資金が高等教育、科学技術社会へ投入されるのは、いまだ大学、公的研究機関に対し期待をつなぐ証拠ではある。今年度の一般会計歳入の実に35%が国債に依存するが、国立大学運営費交付金、科学研究費ともに、前年度水準を維持した。合わせて第5期科学技術基本計画発足に際し、従前を上回る26兆円の政府研究開発投資の目標を設定した。しかし、消費増税先延ばしで、来年以降財源をどこに求めるのか。加えて、英国の身勝手なEU離脱も、わが国を含めて世界経済に大きな影響を及ぼすであろう。国内外の諸事情を勘案すれば、過大な国費依存からの脱却はもはや不可避と思えてならない。 もともと憲法23条が規定するアカデミアは、二つの「じりつ」自立と自律を旨としており、国家の介入は最小限にとどめるべきである。自治的存在であるアカデミアは社会のためにあるが、社会と国家は同義ではない。旧態依然たる国有、国営的な依存体制ではなく、変化する時代に適応しながら、自らの知恵、能力で気概をもって生きる人材を輩出する研究教育システムを編み出さなければならない。世界水準の教育を行い、卓越した研究成果を生み、さらに「Society5.0」の標語のもと超スマート社会の形成に向けて貢献して欲しい。 国立大学法人の3類型化と国立研究開発法人制度発足による制度改革は、中央集権から分権、あるべき分散への移行を促す。とくに第1類の小規模国立大学が外に目を向け、柔軟かつ大胆な連携により、独自に輝く存在たり得ることを期待している。果たして国力の源泉たる人材養成と研究成果の創出の機会となるか。さもなければ、公的教育研究制度としての持続可能性は予断を許さない。 国立大学、国立研究開発法人の「国立」の呼び名は、国家や国民の誇りを意味する格別に賦与された名称である。国力の源泉であり、その価値は広く公共社会から認識されるものであるべきであり、国益のみならず、人類益に向けた役割を自ら実行する機関である。英国では「国立(national)」の代わりに「王立(roy...

記事紹介|パノプティコンの独房

首相官邸の裏のビルに国家安全保障局(NSS)がある。安倍晋三首相が外交・安全保障政策の司令塔として設置した国家安全保障会議(NSC)の事務局でスタッフは約70人いる。 数年前、ある男性はスタッフになることが決まった直後、こんな経験をした。 「中には監視カメラがありますから」 説明役の参事官から言われた。監視カメラはコピー機の近くを映すようになっている。 採用が決まって数日、居酒屋や喫茶店に入ると、いつも近くに同じ人が座っていた。声をかけられるわけでもない。ただ、近くにいた。 早朝、日課の散歩に出ると、日頃は見かけない場所に黒い車があった。自宅近くに戻ると、また同じ車があった。家族がゴミ袋を捨てた。自宅にもう一つの袋を取りに帰り、ゴミ捨て場に戻ると、直前に出していたゴミが消えていた。それも家族が捨てたものだけ。 単なる思い過ごしや偶然かも知れないが、男性は気持ち悪さを感じた。 NSSは、情報を漏らしたら罰せられる「特定秘密」を取り扱う。関わる公務員や民間人は「適性評価」を受ける。例えば、家族の国籍、飲酒の節度、病歴、借金の有無なども調べられる。 採用する職員は口が軽くないか。外部のどういう人間と接触しているか――。情報漏れを防ぐため、管理を徹底することは組織の性格上、当然だろう。こうしたことは数日だけ。だが、最初に感じた気味悪さは、なかなか消えない。 NSSで働くスタッフは携帯電話を持ち込めない。報道機関の記者からかかってきた卓上電話には出にくい雰囲気になり、居留守を使うスタッフがいる。 徹底した情報管理はNSSだけに限らない。 経済産業省で2月、職員へ二つの決定が周知された。執務室を日中も原則施錠すること、そして「プレス対応の改善」と題した内部文書だ。こう書いてある。「取材は、広報室を通じて申し込むことを原則にする」「取材対応は、管理職以上に限る」 この措置の背景に、ある「事件」との関連性が、省内でささやかれている。 2月の日米首脳会談に先立ち、朝日新聞など複数の報道機関が日米経済協力の検討案を報じた。年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の資金活用などを盛り込んだ案で、経産省が関わっていた。 報道が出た途端、野党から「年金は国民のお金。トランプ大統領に日本から、おみやげのように出すのは、どうか」と批判が噴...

記事紹介|大学の淘汰と再編

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政府の経済財政諮問会議(議長・安倍晋三首相)の民間議員は25日、「国公私立大学の枠を超えた経営統合や再編」を提言する。若者の都市部流出などで私立大の経営悪化が深刻さを増しているため、国立大学法人が救済する形で経営安定を目指す。国立大を受け皿にした異例の集約化を通じて乱立する私立大の整理・淘汰を進め、大学教育の機会と質を確保する。 文部科学省の「私立大学等の振興に関する検討会議」が5月にまとめる報告書にもこうした検討課題を盛り込む。提言や報告を受け、6月に政府が策定する経済財政運営の基本方針(骨太の方針)で、大学教育の見直しを訴える。今後、中央教育審議会で議論を進めていく。 民間議員の提言は、教育の質を高めて地方創生やイノベーションを担う人材を育てると同時に、大学を淘汰・再編して有望な研究開発に資金を回す狙いがある。従来は教職員数や学生数で配分を決めている私学助成も、教育の成果に見合った額を出す仕組みに転換。大学が自主的に資金を集められるように、土地などの形で寄付を受けやすくする制度作りも促す。 これらの取り組みで経営改善が進まない場合は、大学同士の再編も強く押し進めていく考えだ。 現在は1つの国立大学法人が1つの大学を運営するが、傘下に複数の大学を抱えられる「アンブレラ法人」に移行することを認める。国立大学法人法を改正し、制度改革を可能にする。将来は国立大を持ち株会社のようにして私立大を傘下に入れる統合も視野に入れる。分野や地域ごとに大学を集約する狙いだ。 私立大は国立大の傘下に入ることで信用力を高め、教員などの人材を派遣してもらうなどして経営の効率化をはかる。民間出身の経営者を受け入れ、産業界との連携強化も探る。再編のメリットが少ない場合は、円滑に閉鎖するために教員や学生、習得した単位を引き継ぐ方法も検討する。 2000年以降、少子化にもかかわらず四年制大学は2割(130校)増えた。乱立による経営悪化で10年以降に10校以上が閉校・募集停止している。「文科省はいい事例をつまみ食いするだけで全体像を見せない」(経済官僚)との声も高まった。教育基盤の劣化は研究力低下などで長期的に国の成長減速にもつながるため、踏み込んだ措置が必要と判断した。 地方では大学進学や就職時に地元を離れる若者が多い。4割強の私大が定員割れしているが、教職員の...

記事紹介|国立大学経営のモデルチェンジ

世界の科学技術に関する種々の指標において、我が国の地位低下が顕著になっている。その原因は複合的であるが、簡潔にまとめれば、論文生産で中核を担っている国立大学法人への運営費交付金が抑制されてきたことが、研究活動に振り向けられるマンパワーの総量を大きく削減してしまっているので、論文指標による成果の伸びが競争相手の国々に比して、見劣りする状況が続いているということである。その結果、博士課程に進学する者が減少する珍しい国になっている。産学連携の規模は一部拡大傾向はあるが、大半が2百万円程度の小規模に止まっている。危機感を強めている大学人からは、予算措置の充実を求める論説がさまざまな場で展開されている。真っ当な意見であるとは思うが、国の予算不足は科学技術や高等教育の分野だけではない。何度でも主張することで世間の理解は深まるかもしれないが、平成30年度予算編成の中で、特に重点措置を期待しても、実現は困難だろう。国の予算措置を期待する戦略がうまくいかないのならば、別の方向に、資源獲得、効率執行の新たな手段を求めるべきではないか?そのためには、旧来の経営モデルを改革する必要があるので、正しい方向に舵を切るというのが、経営責任者のなすべきことではないか?従来から指摘してきたことも含むが、具体的な論点を以下に述べたい。 第1に、受益者負担の強化である。授業料収入で最大限の増を、中期的に確保することである。外国人留学生の授業料も2~3倍にすればよい。国に対しては、収入増に伴う交付金減額措置を一切しないこと、家計からの授業料支出を所得税控除対象にすることを要望すればよい。国の財政状況に鑑みれば、施設整備に対する支援が追い付かず、残念ながら老朽化・陳腐化が急速に進むことになるので、私学と同様に、授業料のほかに、施設整備費を名目にした受益者負担を求める必要も強くなる。 第2に、産学連携による収入の強化である。このところ、国の重点施策としても展開されているので、経営方針として取り組みが既に強化されているとは思うが、適切に体制整備をした上で、大型の連携事業に持っていけるネタがどれほどあるのか、大学の実力が試される。国に対しては、大学が主体的にスタートアップに関与して、株式上場等で大きな利益が得られた場合に、研究活動を支える収入源にできるよう、仕組みの整備を要望すればよい。 第...

記事紹介|教授昇任の要件

科学技術・学術政策研究所(NISTEP)では、科学技術振興機構(JST)の協力を得て、JSTが整備・運用する研究者データベース(researchmap)を用い、日本の大学に所属する研究者の研究業績や属性、経験等がアカデミアでの昇進に与える影響についてイベントヒストリー分析を行いました。 分析の結果、学術分野によって昇進の際の評価要素が異なること、また近年では大学以外での研究・勤務経験等多様なバックグラウンドも昇進の際に考慮される傾向に転じつつあることが明らかになりました。 3. まとめと考察 分析の結果、すべての学術分野において、論文数や書籍数、競争的資金の獲得件数が教授になる上で正の影響を与えていることが明らかになった。特に、競争的資金の獲得件数は、人文社会学系をはじめとするすべての分野において教授昇進に有意に強力な説明力を有することが明らかになった。一方で、受賞歴数は、理工系や医学・生物系では正の影響を与えるのに対し、人文社会系では負の影響を与えるなど、分野によって教授になる上で影響を与える要素には違いがあることが明らかになった。性別による違いに関しては、男性研究者にとっては、共著者数や受賞数、競争的資金の獲得件数などが教授昇進に影響を与えている。一方、女性研究者については、医学・生物学分野では書籍数や競争的資金の獲得件数、論文数が教授昇進にポジティブな影響を与えている。このように、男性研究者と女性研究者では、教授昇進において影響を与える要素が異なることが明らかになった。 社会的要素については、すべての学術分野において、女性研究者は男性研究者よりも教授昇進の確率が低いことが明らかになった。この結果は先行研究とも一致する (Fotaki,2013)。女性研究者の活躍促進に関する大学改革の効果に関してみると、予想通り、女性研究者ダミーは、ネガティブからポジティブへと転じていたものの、統計的有意ではなく、政策効果という点では大きな変化がまだ観測できていない。 経験的要素に関しては、組織間移動は人文社会学系や医学・生物系分野において教授昇進にポジティブな影響を与えるのに対して、非アカデミアでの経験や海外での勤務経験は人文社会学系においてネガティブに働いている。海外への移動経験が教授昇進にネガティブに働くというのは、スペインの理工系分野での教授昇進に関...

記事紹介|国際産学連携の実態と課題

科学技術・学術政策研究所(NISTEP)では、国際産学連携について、これまで「共著論文から見た日本企業による国際産学共同研究の現状」、「アンケート調査から見た日本企業による国際産学共同研究の現状」を取りまとめてきました。 本報告書では、日本国内の大学等と外国企業との間で実施された国際産学連携の実態や課題を明らかにすることを目的とした質問票調査を実施し、国際産学連携プロジェクトの実現には、研究者を通じた継続的な人的ネットワークの形成が重要な役割を果たしていること、国際産学連携を実施している大学等にとって大きな課題と認識されている事項は、業務を担当するスタッフの不足、連携相手との接触機会獲得の難しさ、国際産学連携に対応した規則や規約の未整備の3点であること、などが明らかになりました。 <まとめと考察> 本調査においては、近年注目の集まっている日本国内の大学等と日本国外に所在する企業等との間で実施された産学連携の実態や課題を明らかにするため、質問票調査を実施し、国際産学連携のより詳細な実態や国際産学連携を実施するに当たっての各大学等の持っている考え方や抱えている課題点といった面について明らかにした。 まず、国内の大学等の国際産学連携の実施状況を考えると、回答機関のうち、国際的な産学連携を行っているのは13.8%に留まっている。国内の産学連携も含め何らかの形で産学連携を実施している大学等だけに絞ってみても、国際産学連携を実施している機関の割合は2割程度であり、未だ国際的な産学連携に取り組む機関は少ないといえる。 未実施の機関においては、「国際的な産学連携を試みたが、実施に至らなかった」とする回答は3.6%に留まり、その他のほとんどの機関は様々な理由から国際的な産学連携を試みていない。最も回答の多かった理由は「国際的な産学連携を行うのに十分な体制がない」というもので65.0%を占めている。 体制面の不足を理由とした機関に、具体的な不足が何なのかを尋ねたところ、所属する研究者や経営層の問題でなく、国際的な産学連携のコーディネート機能、国際的な契約等の事務処理機能における問題が多く挙げられる結果となった。この傾向は私立に比べ国立、公立大学等で特に強くなっている。これに関連して、「どのような支援があれば国際的な産学連携に前向きに取り組む...

記事紹介|大学の活力をそぐ政治・政府こそ改革を

日本は科学技術立国を堅持できるのか。そんな不安を抱かせる指標や分析が発表されている。なかでも新しい産業の芽や社会的価値を生む役割が期待される大学で、活力の低下が指摘されている。 人口が減る日本では研究者数や研究費を右肩上がりでは増やせない。科学技術立国を標榜し続けるには、研究の多様性を保ちつつ、生産性を高めるという難題を乗り越えねばならない。遅々として進まなかった大学改革に、いまこそ危機感をもって取り組むときだ。 年功崩し若手登用 「日本の科学研究はこの10年で失速し、この分野のエリートの地位が揺らいでいる」。英科学誌「ネイチャー」は3月、日本の科学研究の弱体化を厳しい表現で指摘した。 同誌によれば、この10年間に世界で発表された論文数は80%増えたが、日本は14%増にとどまる。日本の世界シェアは2005年の7.4%から、15年には4.7%に低下した。お家芸だった「材料」や「エンジニアリング」などでもシェア低下が目立つ。 国連の専門機関である世界知的所有権機関によれば、日本は研究開発の産物である特許の登録件数で長く世界首位だったが、15年に中国に抜かれ2位に落ちた。有力研究機関が公表する競争力ランキングでも日本はじりじりと順位を下げている。 日本では研究開発投資の約8割を企業が担い、科学技術全体が急速に弱っているかどうかは議論の余地があろう。だが大学の活力低下は国際化の遅れなど他の指標からも見て取れる。ネイチャーの警告は重く受け止めるべきだ。 何が活力を奪っているのか。大学関係者からは、国が支給する運営費交付金の削減をあげる声が多い。交付金は教員数などに応じて配分され、大学運営の基礎となってきた。政府は04年度の国立大学法人化を機に毎年減額し、この10年間で約1割減った。 しかし、大学予算全体はそれほど減っていない。政府は交付金を減らす代わりに、公募方式で研究者に資金獲得を競わせる「競争的研究費」を増やしてきた。本質にあるのは研究費不足ではなく、もっと構造的な問題とみるべきだ。 ひとつが研究者の高齢化だ。ノーベル賞級の独創的な成果は若い頭脳から生まれやすい。1980年代、大学では40歳未満の若手教員が4割を占めたが、いまは25%にまで下がった。代わりに50~60代が半数近くを占める。産業界などでは...

記事紹介|第二の人生

この春、何人もの知り合いが職場を去った。中には転退職した若手もいる。勇気があるなと感心すると同時に、自分もそういう決断ができていればと「タラレバ」人聞になりかける。 東大から経産省に入り30代で「組織に頼らず自力でやれるはず」と退職した元官僚が『肩書き捨てたら地獄だった』という本を書いている。ありがちな勘違い。冷静に考えれば、一丁前の給料をもらえるのは組織のお蔭。私も一人ではコンビニのバイト以上に稼げる自信はない。 定年で去る人の多くが「次の仕事は未定」と力なく笑う。「第二の人生」などというのは何かを売りつけようとする側のコピーで、実際に充実した「第二の人生」を送れている人は滅多にいない気がする。 「定年って生前葬だよな」。そう思いつつ、退職後も生き甲斐を求めさまよう主人公が登場する小説『終わった人』を書いた内館牧子さんがインタビューで語っている。「男の人も東大法学部行くのと高校までで就職するのでは18歳の段階ではすごい差なんだけど、60歳で集まると着地点は一緒なのね。だからね、やっぱり好きなように生きた方が得ですよ」。きっとその通りだ。だが、「好きなように生きる」ことの難しさよ。 「毎日毎日同じ仕事するなんて信じらんねえ」「やりたいことがあるなら、迷うな、やってみればいいじゃん」と自由に生きるホリエモン。嫌いだが、内心では共感する。…だったら「やってみればいいじゃん」。でも、できない。そこが決定的な差だ。嫌いなのは嫉妬かもしれない。 いろんな不満を腹一杯に溜めながら、結局、辞める決断などできないまま定年を迎えるのだろう。その先、私は何をしよう? 本当は南の島で悠々自適といきたいが、多額のローンが許さない。 恰好いいのは起業だが、金儲けの才覚があるとは思えない。できれば仕事の経験を活かしたいが、そういう職に就ける見込みも薄そうだ。 年寄りを雇ってくれるところでバイトでもしながら、少しは好きだと思えることもしたい。「こども食堂」か小さな塾でも始めようか。何年かかけて文化財修復か何かの修業をするのもいいかもしれない。近所で「怪しい人」と疑われながら、家で実験や研究にいそしむのも面白そうだ。学生時代は食わず嫌いだった歴史の本も、齢を取ってから好きになった。 豪クイーンズランド大学の「ピッチドロップ実験」は1927年から続いている。ある粘性の...

記事紹介|日本学術会議の限界と大学の自律性

日本学術会議が半世紀ぶりに、大学などの軍事研究に否定的な声明を発表した。13日からの総会で報告される。学術を取り巻く環境が変化するなかで出された新しい声明をどう受け止めたら良いのか。議論をまとめた「安全保障と学術に関する検討委員会」の杉田敦委員長(法政大学教授)に聞いた。 ▶今回の声明は、大学側のあり方まで踏み込みました。 大学などの研究機関での軍事的手段による国家の安全保障に関わる研究が、学問の自由や学術の健全な発展と緊張関係にあることを示し、大学や学会に対応を求めた点が大きなポイントです。 重大な問題であるにもかかわらず、軍事研究は行わないとした1950年と67年の声明から半世紀。日本学術会議は、議論を継続せず、考え方を示してこなかったという反省があります。今回の声明は、過去の声明を『継承』しました。 ▶過去の声明を「堅持」するとすべきだとの声もありました。 堅持とは、そのままにするということ。でも、過去の声明のもとで事態はかなり進行しています。2015年度に防衛装備庁が大学などに研究を委託する『安全保障技術研究推進制度』を始めたことが、今回の議論のきっかけになりました。いま、米軍からの大学や学会などへの資金援助は8億円を超えている状況です。 今回の声明は、学術と軍事の間の緊張関係や大学が負う責任を明確にして、大学や学会などに対応を求めることまで踏み込みました。過去の声明を発展的に継承すると考え、継承という言葉を使いました。 ▶学術と軍事の緊張関係とはなんでしょうか。 何よりも学問の自由が脅かされます。学問の発展にとって、自主性、自律性、そして研究成果の公開性が大事です。一般に軍事研究では、それらが保障されません。委員会でも学問の自由が学術の健全な発展につながることに異論はありませんでした。 日本の場合には特に軍部が台頭した1930年代を中心に、憲法学などの学問が弾圧される一方で、戦争遂行のために科学者が動員され、核兵器につながる研究さえしていたわけです。その反省が日本学術会議の原点です。 ▶「学問の自由」は、なぜ大切なのですか。 学問の自由は、研究者が個人的な判断だけで何でもやっていいことと誤解されがちですが、それは憲法学などの知見から言っても間違いです。学問が政府などから過度に介入されてはならないという意味であり、...

記事紹介丨大学というシステムが抱える問題の解決を

どの指標をとっても退潮の一途 「なにを今さら」と大学などで研究している人たちは思っただろう。それに対して、一般の人たちは、「えっ!そうなのか」と驚かれたに違いない。 英科学誌ネイチャーに、日本の科学研究がこの10年間で失速していることを指摘する特集が掲載された。 ブレーキがかかった、などという生やさしい状況ではない。飛行機ならば今すぐ手を打たないとクラッシュしかねない失速状態にまで追い込まれていると言われたのだ。 論文データベースScopusによると、15年までの10年間に、世界中では論文数が80%増加しているのに、日本からの論文は14%しか増加していない。 特に、コンピューターサイエンス、私が関係する生化学・分子生物学、そして、驚いたことに、日本の得意分野といわれる免疫学で、その傾向が顕著である。 数が減っても質が保たれていればまだしもなのだが、ネイチャーが選定した各分野の超一流雑誌への日本からの論文数も残念ながら低下し続けている。また、日本の研究者が参加する国際共著論文の比率も続落と、どの指標をとっても退潮の一途であることが見て取れる。 特集のメイン記事は、北海道大学が、経費削減のために教授クラス205名のリストラが必要だと発表したことから始められている。次いで、若手研究者へのサポートがうまくいっておらず、その将来が不安定であることが指摘される。 そして、その要因として、国からの予算削減と、90年代のポスドク1万人支援計画は民間への優秀な人材の提供が目的であったのに、多くがアカデミアに残留した影響があげられている。 このような状況を見てであろうか、大学院博士課程への進学者は2003年をピークに下降線をたどっている。なので、どの時点かで平衡点が訪れてポスドク余剰が解消されることになる。 しかし、それだと、いずれそのツケがまわって日本の研究能力に大きな溝ができてしまうこと必至である。 他にも、大学の常勤ポストについている教員の高齢化や、日本の若手研究者にはPI(Principal Investigator:研究室主宰者)になる意欲が高くないことが問題としてあげられている。 紹介していて情けなくなってくるような話ばかりだが、ここ何年かの間に感じてきたこととそう大きなズレはない...

記事紹介|Vision and Work Hard

つんく♂さんからの前回の手紙 同じ(大阪府の)東大阪出身で親近感を抱いておりました。シャ乱Qで数々のヒット曲を出したのち、「モーニング娘。」のプロデューサーも始めました。人生を変える出来事がありました。喉頭(こうとう)がんと診断されたことです。声は失いましたが、エンターテインメント界で世界に役に立つことはできないだろうかと考えています。教授はどんな志のもとに、誰のために、今の研究を始めたのか。教えてください。 ◇ つんく♂さん、ご無沙汰しております。山中伸弥です。異分野の私たちが同じ東大阪出身で、お手紙を交わしていることに特別なご縁を感じ、大変光栄です。 私はミシンの部品工場を営む家で生まれ、機械いじりが好きな少年でした。長男として後継ぎを期待されてもよいのに、父は「医者になれ」と。 中学・高校時代に柔道、大学時代にラグビーをして何回も骨折したこともあり、スポーツ選手のケガを治したいと整形外科医になりました。患者さんが元気になるのにやりがいを感じる一方、治療の手立てがない患者さんの症状が悪化していくのを見て、悔しさが込み上げました。 「今治せない病気やケガを将来治せないか」。その頃、父を病気で亡くしたこともあり、思いは強くなっていきました。父が「医者になれ」といった真意は聞けずじまいでしたが、その医師が今できる限界を超えるには研究しかない――。そう思い、研究者への道を歩み始めました。 ときに、実験が予想外の結果に行き着くこともありました。「失敗」と残念がってもおかしくないことに、私はワクワクしました。医師の世界で失敗は許されませんが、研究は違う。新たな発見につながっていきます。研究の楽しさにのめり込んでいきました。 米国留学中に、一生のモットーに出会いました。留学先の当時の研究所長から教えてもらった「VW(Vision and Work Hard)」です。研究、いや人生で成功するには「VW」が大切なんだと。 まだ若かった私は、寝る間も惜しみ研究に没頭していました。多くの日本人は勤勉で、「Work Hard」では世界で負けていない。だからこそ、日本製品は存在感を放ってきたのだと思います。ただ同時に気づかされました。私の「Vision」は研究論文を多く書くことではなかったはず。「今治せない病気やケガを...

記事紹介|天下り、解明なくば再発は防げまい

歴代事務次官3人を含めて処分者は計43人と文部科学省では過去最多の不祥事になった。一連の天下り問題で松野博一文科相が公表した最終報告は、組織ぐるみの国家公務員法違反を明らかにした。 松野氏直轄の調査は外部の弁護士などが当たった。しかし、いつ、誰が、どんな経緯で違法な再就職のあっせんを始めたのかは解明できていない。天下り先の大学などと文科省がどんな関係を築いたか、各種許認可や補助金配分などがゆがめられなかったのかという肝心な点も不透明なままだ。 それにしても文科省の順法意識の欠如には驚くばかりだ。2月の中間報告後、新たに35件の違法行為が確認され、2010年以降の違法案件は累計で62件に達した。これほどの不正に同じ役所にいる歴代文科相や副大臣、政務官が気付かなかったのも不思議な話だ。 08年12月末の改正国家公務員法施行で現役職員の天下りあっせんが禁止されたため、人事課OBの嶋貫和男氏を調整役とするあっせんの仕組みができた。ただし、62件のうち半数近い30件は嶋貫氏を介さず幹部や人事課職員が直接あっせんに手を染めたという。 処分は停職9人▽減給12人▽戒告4人▽訓告12人▽厳重注意9人(3人は重複処分)だ。元事務次官など退職者11人は処分できないため「停職相当」などとした。 天下り先は全国の国私立大、文教関係の団体や企業と幅広い。他省庁関連も旧経済企画庁出身者の新潟大への再就職、元外交官の東京外国語大特任教授再就職と2件あった。最終報告で全てなのか。 許認可や補助金を巡って不正な働き掛けがあったかどうかについて最終報告は、嶋貫氏が特別顧問を務めた学校法人グループの大学設置申請に関する審査状況を担当職員が人事課に漏らした以外には切り込めていない。 他省庁の調査は遅れている。今回の最終報告で幕引きとしてはならない。在職時に密接な関係にある企業や団体への再就職を一定期間禁止する規定を復活するなど再発防止策も検討を急ぐべきだ。 文科省の天下り これで「最終報告」なのか|2017年4月12日西日本新聞  から

記事紹介|押しつけの鋳型を問い直す

哲学教育が大学から追いやられようとしている。私も哲学の教師として、困ったことだと思っている。だがその「困った」は、タコツボでぬくぬくしていたら出て行けと言われてうろたえているタコのような「困った」かもしれない。私は本書を読んで、そんな自分をちょっと恥じた。本書がつきつける「困った」は、そんなタコのため息とはほど遠いものである。 文科省は、とりわけ人文系の学部に対して、これを学べばどういう職業的技能が身につくのかを明確にせよと求めてくる。それがはっきりしない学部は、より社会的要請の高い分野に転換しろと言うのである。 文科省は学生を鋳型にはめようとしている。そしてあなたの学部ではどんな鋳型を提供しているのですか、と問うてくる。他方、哲学は鋳型そのものを考え直し、論じようとする。自分たちがなじんだ考え方に新たな光を当て、他の考え方の可能性を探ろうとする。だから哲学は学生を鋳型にはめる教育にはなりえないし、まさにそこにこそ、哲学教育の生命線がある。 こわいのは、学生たちの多くもまた、鋳型にはめてもらいたがっているということだ。いまの我が国は、国民に考えさせず、一方的に決めつけようとする。ところが国民の側からも、決めてくれた方が考えなくて済むから楽でいいといわんばかりの声が聞こえてきはしないだろうか。 そんな時代に、哲学教育が果たすべき役どころはむしろ大きい。では、その役どころとは何か。著者はそれを模索する。 この本は、その意味でまさに「哲学的」に書かれている。あなたの代わりに考えて、上から目線で決めつけたりはしない。一歩ずつ、読者とともに、考えようとする。だから、本書を読み終えたとき、あなたは著者とともに、次の一歩へと歩み出すに違いない。私たちは、私たちがどうすべきなのか、私たち自身で、考えなければいけない。 評・野矢茂樹(東京大学教授・哲学) (書評)『哲学しててもいいですか? 文系学部不要論へのささやかな反論』 三谷尚澄〈著〉|2017年4月9日朝日新聞  から

記事紹介|役に立たない研究をしよう

昨年のノーベル医学生理学賞を受けた大隅良典・東京工業大栄誉教授(72)が、長期的な基礎研究を社会が支える仕組み作りについて、積極的な発言を続けている。背景にあるのは、短期的な成果を求める研究にばかりお金が流れ、「このままでは日本の基礎科学が立ちゆかなくなる」という危機感だ。神奈川県大磯町に暮らす大隅さんに、横浜市緑区のすずかけ台キャンパスで思いを聞いた。 「役に立たない研究をしよう」。ここ10年、大隅さんがそう話すと、「それでいいんですか」と首をかしげる学生が増えたという。細胞内の新陳代謝の仕組みを探るオートファジーの研究でノーベル賞を受けた大隅さん自身、研究の成果が役に立つかは意識してこなかった。「科学は金もうけのためのものではなく、社会を支えるもの。すぐに役に立つことばかり求めていたら基礎科学はできない」と話す。 国から国立大学に支給され、自由に研究に分配できる運営費交付金は、国立大が法人化した2004年度から16年度までに、1割強にあたる約1470億円も減少。私立大に対する補助も15年度、44年ぶりに運営費全体の1割を切った。一方、研究者から研究計画を募り、審査を経て交付する文部科学省の「競争的資金」は増加傾向。16年度は約3445億円で、04年度から約920億円増えた。国の財政が厳しい中、文科省が戦略的に予算を振り分ける傾向が強まっている。 「運営費交付金を毎年1%ずつ削られて、大学は本当に貧困になっている」。競争的資金を獲得するために研究者が目先の成果を得やすい研究に流れ、長期的な研究が難しくなると大隅さんは憂慮する。 資金を確保するために企業との共同研究を求められることも多い。大学と企業の役割があいまいになり、大学が空洞化してしまうことも懸念する。 大隅さんは1月、1億円を出して東工大に「大隅良典記念基金」を設立。基金には約60人から約9千万円の寄付も集まった。入学生を経済的に支援し、将来は研究も支えたい考えだ。 さらに全国的な規模で基礎科学の振興を図る基金を立ち上げる構想も練っている。国に頼らず、社会が支える形で大学が収入を得られる道を開かなければならないと考えているからだ。「科学は文化。全く見返りを求めない寄付がもう少し日本にあっていい。大企業の海外への投資や広告費の0.1%でも基礎科学に向けられたら大学が変わる」 昨年1...

記事紹介|「部長が何でも抱え込む」大学は成長できない

ある記事の「会社」を「大学」に、「社長」を「部長」に、「社員」を「職員」に置き換えてみました。 ◇ 4月に入り、多くの大学が新年度をスタートさせています。前年度からさらに業績を伸ばしたい、あるいは回復させたいと経営計画を練っている大学が大半でしょう。 私は弁護士、税理士の両資格を持ち、上場企業の取締役でもあります。こうした1人3役は珍しいと思いますが、それぞれの立場から大学を見ることで、経営を立体的に見られるようになりました。その経験から、経営が「伸びている」多くの大学では、部長が大切にしていることや考え方、取り組みに意外な共通点があることに気づきました。 「伸びてる大学」はみんな有言実行だ (途中略) 目標を職員の前で公言したほうがいい理由は2つあります。 まずは、部長1人の力では大学の目標を達成できないからです。職員の力を借りるためには、職員一人ひとりが目標数字を認識し、その数字を達成したいと感じてもらったうえで仕事に取り組んでもらう必要があります。 大学全体の目標を各部署や各人に細分化したり、各月や各週に細分化したりして、職員一人ひとりがその目標数字のどの部分を担っているのかを見えるようにし、役割を自覚できるようにする必要があります。全学の目標として大きな数字をいわれても、職員はどう頑張ればいいのかわからないからです。 そして、目標数字を全職員と共有するもう1つの意義は、目標を声に出すと部長自身が本気になれるということにあります。 内に秘めた目標は誰にも伝わっていませんから、達成できなくても自分の中で言い訳ができます。「職員の頑張りが足りなかった」「開発に想定外の時間がかかった」「見込みが甘かった」など。 全職員に伝えてしまった目標が達成できないと、職員の士気にも悪い影響を与えますし、何よりも自分で言った以上は達成できないと格好悪いですから、どうやれば目標数字を達成できるかを自然に考えます。いつもそのことを考えるようになるので、本や新聞で読んだこと、人との会話の中などにちりばめられている目標達成や問題解決のヒントを、逃さずキャッチできるようになるのです。 私の友人は、「部長はヒーローでなければならない」「そして、ヒーローはみんな有言実行だ」と言っていました。ヒーローは黙って姑息な攻撃を仕掛けることは絶対にしない...

記事紹介|前向きな怠惰

仕事は「定型化」してからが本番 当時のわたしにはなく「仕組みを作る」という視点はなく、虚をつかれました。 「俺たちがすべき仕事は、与えられた『作業』をこなすだけじゃなく、その『作業』を平準化し、誰にでもできる『仕組み』を作ること。 なぜなら、その『仕組み』が金を生むからで、俺たちはその金を生む仕組みを作るために会社から給料をもらっている。だから、お前みたいに目の前の『作業』をこなしているだけだと、会社が期待する『仕事』のまだ半分レベルってところだよ」 と続けざまに説明され、自分が「仕事をしているつもり」と指摘された理由が、明確になりました。確かにわたしは目の前の作業を「こなす」ことにばかり意識が行っていて、その作業をもっと効率よくやろうとか、自動化しようとか、「自分以外の人がやってもできる状態にしよう」という考えは、ありませんでした。 でも、同時にある疑問が浮かびました。そうやって自分の仕事を『誰にでもできる仕事』にしてしまったら、自分の仕事がなくなってしまうのではないだろうか? この問いには、間髪入れず「そしたらまた次の『誰も平準化していない仕事』を見つけて、そっちに着手するんだよ」と答えられ、「そうやって社内の『作業』を平準化して、金が生まれる仕組みを次から次に作ることが、俺たちに期待されている『仕事』だろ」と諭され、以来、彼を師匠と仰ぐこととなるのです。 以降、彼から伝授された教えが多くあるのですが、いくつか紹介します。 2回以上、同じ仕事を繰り返したと感じたら、定型化するか、自動化しろ 企画書でもメールでも議事録でも、テンプレート化することを常に考えろ 使い回すことは悪ではない、使い回しを使った資料をブラッシュアップしないことが悪 長い時間働くヤツがえらいんじゃない、より短い時間で、より高い成果を出したヤツが一番えらい ラクをする理由は、時間の余裕を持っておかないと仕事のレベルを引き上げることができないから これらを始めとする先輩の教えに通底していたのは、「前向きな怠惰」が仕事のレベルを上げる、という考え方でした。ただサボりたい、ただラクをしたい、のではなく、ラクをして、時間の余裕を作ることで仕事の内容の見直しをしたり、見落としをチェックできる。そうすることが、最終的には自分の市場価値を引き上げることにつながる...

記事紹介|お前の苦しみは全部お前のせいだし、お前より大変な人はもっといる

「ネクタイが特徴的ですね」との質問を受け今村雅弘復興相は「エヴァンゲリオンの柄です」と答えた。かの人気アニメの制作会社が福島に新設した拠点を訪ねた際に頂いたと説明。被災地の企業の「動く広告塔です」と締めくくった。 以上は気分も良かったであろう2月28日の会見。やはり「エヴァ柄」のネクタイで臨んだ一昨日の会見は一変した。原発事故の自主避難者に対する国の責任を問われるうちに激高。なおも質問する記者に「うるさい」と捨てぜりふを残して会場を去った。 復興相は自己責任論を振りかざした。自主避難者への住宅支援は帰還を促すため3月末で打ち切っている。「難しい問題を抱えながら帰ってもらえる人」を持ち上げ、帰りたくても帰れない自主避難者は「本人の責任、判断」と言い切る。被災者を分断するかのような姿勢が見えた。 <お前の苦しみは全部お前のせいだし、お前より大変な人はもっといる>。作家雨宮処凛さんは先日出版した「自己責任社会の歩き方」で、自己責任を通訳すれば、そんな意味だと書いた。直訳するなら「うるさい、ガタガタ言うな、黙れ」である、と。 安倍晋三首相は3月の東日本大震災追悼式の式辞で「原発事故」の文言を使わなかった。「復興の着実な進展」に力点を置いたように見えた。成果を誇示し前に進めと号令をかける政治は、思い悩んでうずくまる人々を置き去りにする。エヴァ柄を自慢するばかりでは苦悩に寄り添えない。 斜面(4月6日)信濃毎日新聞  から

天下りと国立大学の自立性

文部科学省の天下り問題。記事を見ない日がないほど、この問題は社会的な関心が高く、再発防止に向けた期待も大きいと思われます。 しかしながら、天下り問題は根深く、これまで切れ目なく繰り返され、私たちを大いに失望させてきました。かくゆう文部科学省自身が天下り問題の歴史をつくり続けています。 このブログで取り扱った天下り問題にはどのようなものがあったのだろうと思い、”天下り”というキーワードで検索してみました。 このたびの文部科学省の天下り問題で、”天下りの下地”として指摘されている「文部科学省出身者の国立大学への出向問題」についても、何度か取り上げていました。 このようなことがいつまで続くのか、もはやあきらめの境地ではありますが、文部科学省も、そして国立大学自身も、そこはやはり税金で飯食っている”公僕”というあるべき姿に立ち返った国民目線の大胆な人事制度改革を断行してほしいと切に願うものです。 過去記事”天下り”をご紹介(今回の文科省問題関連記事を除く)しましょう。 随意契約-天下り-不正  11月 12, 2007 税金の無駄遣い  11月 14, 2007 山形大学の取り組み(2)  1月 11, 2008 求められる大学教員の倫理観  1月 25, 2008 食いものにされているのではないか文教施設予算  4月 28, 2008 問われていますよ、医学系教員のモラル  5月 12, 2008 求められる管理職像-2  12月 04, 2008 契約の適正化  1月 10, 2009 大学と、いわゆる「渡り」  2月 23, 2009 行刷会議が始動、国立大もねらわれた  10月 24, 2009 国立大学の命運やいかに(続編)  11月 26, 2009 格差社会、もう少し何とかならないものか  1月 05, 2010 学長の権限とリーダーシップの活かし方  1月 06, 2010 国立大学法人の在り方の検証  1月 18, 2010 公益法人仕分け 徹底した切込みを  5月 11, 2010 実りある大学評価とするために  5月 12, 2010 必読! 熟議カケアイ:文科省からの出向人事の問題点  6月 13, 2010 いつまで続く国の人事介入  7月 21, 2010 再事業仕分けの功罪  11月...

記事紹介|天下りの下地ー国立大学への出向人事

違法なあっせんで退職者が大学に天下りをしていた文部科学省。その 下地の一つに現役職員の大学への出向 がある。出向中に他の職員の再就職に関わるケースがあるほか、過去8年間で26人が復職当日に退職し翌日には再就職していたことが判明。出向中は国家公務員でなく違法ではないが、政府の再就職等監視委員会は「しっかり監視する必要がある」としている。 「先生として教えてもらった実績があり、継続して採用した」。東北地方のある公立大学は2005年に文科省から出向した職員を09年4月に教授として迎え入れた理由をこう説明する。 この職員は同年3月31日に復職した当日に同省を退職、翌4月1日に公立大に再就職。内閣人事局の資料によると、この職員を含め16年9月までの約8年間で26人が同様に1日だけ復職して再就職していた。うち4人の再就職先は出向していた国公立大。 出向を終え1日だけ同省に戻るのは「退職金を受け取るため」(同省人事課) という。 出向中は国家公務員ではなく再就職活動が可能 だ。以前は退職後2年間は職務に関係する大学や企業などへの再就職は原則禁止だったが、08年の国家公務員法改正で在職中の就職活動や省庁のあっせんがなければ違法ではなくなった。このため「1日だけ復職して再就職」が可能になった。 再就職等監視委によると、 大学に出向している文科省職員が、出向先大学への他の職員の再就職に関わっているケースもある という。同委の加藤真理監察官は「出向者は国家公務員法の適用外だが、しっかりと監視していく必要がある」と指摘する。 文科省によると、1月1日時点で 241人が国立大全86校のうち83校に理事、事務局長などとして出向 。同省は「幹部人材を求める大学の要請に応じて派遣している」という。 同省にとっては「大学の現場で経験を積めば復職後、行政に生かせる」(人事課担当者)という狙いもある。だが 出向から戻ってすぐに退職して再就職してしまえば、現場の経験は生かせない 。 出向先と再就職先には偏りもある。 出向先のほとんどは国立大 だ。国家公務員退職手当法の規定で、退職金に関わる勤続期間に国立大は出向期間を算入するが、私立大は原則適用されないためだ。 04年の国立大学法人化の前は国立大は国の機関で、頻繁に同省本体との間で人事異動があった。同省人事課は「 (出向...

記事紹介|国民に対する畏れの喪失

官僚の天下り規制を巡るイタチごっこに、終止符を打たねばならない。逸脱行為には、もはや刑罰を科すべきではないか。天下りによる支配を排し、法の支配を貫徹させる仕組みが欠かせない。 官僚は公僕としての高邁(こうまい)な精神を見失い、私利私欲を満たす道具として公務を利用しているのではないか。違法天下りの実態を調べた文部科学省の最終報告は、そうした強い疑いを抱かせる。 2008年施行の改正国家公務員法は、現役職員による再就職のあっせんなどを禁じた。ところが、規制の網をかいくぐるために人事課OBを隠れみのにしたり、現職が仲介したりして62件の違反を犯していた。 遅くとも10年には逸脱行為があったことが確認され、歴代の事務次官を含めて43人が処分された。組織ぐるみであっせんシステムを築き、水面下で引き継いでいたとは深刻な事態である。 法律作りのプロ集団である官僚が不正に走った根底には、順法意識の欠如もさることながら国民に対する畏れの喪失をうかがわせる。もとより、それは官僚機構を統制すべき政治の責任といえる。 外務省や旧経済企画庁のOBの口利きまでしていた現実は、天下りの慣行が全省庁共通の既得権益として固守されている証左と見るほかない。他省庁の実態調査を徹底せねばならない。 文科省は許認可や助成といった権限を背景に、教育界に対して影響力を持つ。文教行政の中立性や公正性がゆがめられた事実はなかったか。今度の調査はその肝心な点に切り込んでおらず、かえって国民の不信を増幅させかねない。 官僚とはいえ、職業選択の自由は守られるべきだし、民間の場で公共の福祉のために再び才能を発揮する道があってしかるべきだろう。だからこそ、天下りを一律に禁じるのではなく、法律で再就職の適正手続きを定めたわけだ。 しかし、文科省の組織的な法律破りはその甘さを露呈させた。不正に天下りを送り出した側と天下ったOB、さらには受け入れた側の三者に刑罰を科す仕組みを導入することが効果的だろう。 改正前の国家公務員法では、離職後2年間は密接な関係のある企業への再就職を禁じていた。違反すれば、1年以下の懲役または50万円以下の罰金に処された。参考にしてはどうか。 天下りを介して文教行政が差配されては困る。権力を法律で縛る法の支配原理に立ち返りたい。 文科省天下り 法の支配を貫徹させ...

記事紹介|天下り 何を反省すべきなのか

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組織ぐるみの天下りを指摘された文部科学省は、2か月あまりにわたる内部調査の結果を公表し、関わった職員43人を処分しました。調査結果をもとに、組織ぐるみの体制がどう築かれたのか、実際にどんなことが行われていたのか、何を反省すべきなのかについてみていきたいと思います。 今回の調査では、事務方のトップである事務次官を頂点にOBという抜け道を介して、あるいは文部科学省本体が素知らぬ顔で天下りをあっせんしていたことがわかりました。 また、外務省など他省庁から大学に口利きをしていたことも新たにわかりました。結局、内閣府の再就職等監視委員会から指摘があったケースと職員全員を対象にした調査結果からあわせて62件が国家公務員法に違反すると認定されました。その上で関わった職員、退職した人も含め43人が処分、中には、事務方のトップである歴代の事務次官8人と人事課長経験者8人が含まれ、最も重い人で停職3か月、ほかに減給や戒告などになりました。文部科学省の歴史上もっとも大人数の不祥事です。 今回問題になった天下りとはどういうものなのでしょうか? 制度上、天下りそのものが禁止されているわけではなく、利害関係のある職場に役所が窓口になって転職のあっせんをすること、現職のうちに自らを売り込むことに限って禁止されているものです。今回の調査では、あっせんととられないように人事課の職員が連絡役となり、外部団体に転職した元人事課の職員OBを窓口に就職先の調整に当たっていた、いわば抜け道を作って天下りを続けていたケースが多く見られ、あわせて役所本体も直接あっせんに関わっていた2通りのケースがありました。 そもそもどうしてこういった組織ぐるみの体制が築かれていったのでしょうか? 今の制度は、10年前の2007年に国家公務員法が改正されて、省庁が天下りをあっせんすることが禁じられたもので、その翌年から実施されました。これ以降、役所が窓口になって口利きはできなくなりました。しかし、文部科学省の場合、人事課の経験の長いOBが定年退職となったのを機に、ボランティアとして買って出て再就職のあっせんを始めました。最初のうちは役所も後ろめたさがあったのか、様子見で控えめな対応でしたが、実績を積み上げるうちにこのOBを介して就職のあっせんをすることが次第に当たり...

記事紹介|時代を見極める視点を持つ

これは大学の講義でも学生に伝えていることですが、ニュースは時代を知る窓であり、そこに見える風景は毎日、刻々と移り変わっていきます。大切なことは、世界がどの方向へ向かうのか、自分なりのシナリオを描きながら、次の展開に備えておくことだろうと思います。 その視点を養うには、毎日のニュースを知り、ときには歴史に学びながら、時代を見据える作業を重ねることです。たとえば米国が現代の「アメリカ・ファースト」のような外交政策を最優先したのは、今に始まったことではないからです。 この作業を重ねていくと、将来の様子がおぼろげながらに見えてくるはずです。新聞やテレビで知るニュースは生きた教材でもあるのです。 時代を見極める視点を持つことは、自らの生き方や職業を考えていく上でも大いに役立つでしょう。学生時代には学校や先生が防波堤となり、君たちを守ってくれましたが、これからは自らのアタマで判断し、人生を切り開いていかねばなりません。自分のことは、自分で守っていかなくてはならないのです。 人工知能(AI)の開発が急速に進み、人間の判断力や能力を超える日が来ると予測されています。しかし、自らの人生を決断するのは君たち自身です。人々があり得ないと考えていた出来事が起こる世の中だからこそ、時代を読むアンテナを高く張り、変化に備えておく必要があるのです。 好奇心と学び続ける意欲を失わなければ、きっと人生は豊かになるはずです。期待しています。 池上彰の大岡山通信 若者たちへ 2017年 激動の予感 時代見極める視点持とう|2017年4月3日日本経済新聞  から

記事紹介|大学は軍事研究にどう向き合うか

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日本の科学者を代表する機関、日本学術会議は、「軍事目的の研究を行わない」とする戦後出した声明を、あらためて「継承する」とした、新たな声明を決定。 「政府の介入が強まる懸念があり、問題が多い」と指摘。 日本の科学者は戦後軍事研究とは一線を画してきたが、なぜ半世紀ぶりに議論することになったのか。科学者は軍事研究とどう向き合うのか、水野倫之解説委員の解説。 解説のポイントは、学術と軍事の歴史的な関係。そして議論では何が焦点となったのか、さらに今後必要なことについて。 学術会議は科学の振興策を政府などに提言するために戦後作られた組織で、去年5月から軍事研究にどうかかわるのか検討会を設置して議論。そして先週の幹事会で、「軍事研究は学問の自由と緊張関係にあることをここに確認し、軍事目的の研究を行わないという過去の声明を継承する」とした新たな声明を決定。 議論で焦点となったのは、戦後に掲げた声明。 戦時中科学者たちは軍に動員され、軍が用意した手厚い環境の下で兵器の開発に協力した。 学術会議は、これを反省し、戦後間もなく、「軍事目的の研究は行わない」とする声明を発表して軍事研究とは一線を画すことを鮮明に。 しかし状況に変化。 安全保障環境が厳しくなっているとして政府は「国家安全保障戦略」などを決定し、防衛力の基盤強化のため、大学との連携を強め民生技術を活用する方針。 防衛省が、将来の防衛装備品の開発に、大学などに資金をだす研究制度。 背景には軍事技術と民生技術の線引きが難しい現状。 ロケットは弾頭を載せればミサイル。 また携帯に位置情報を届けてくれるGPSも、アメリカ軍がミサイル誘導のために開発したシステムを民生利用しているもの。 防衛省は年間最大3000万円を用意。これまでに大学からは防毒マスクや艦船のスピードを上げる研究など9件が採択。 声明があるにもかかわらず、科学者はなぜ応募したのか。 防毒マスクの繊維の研究が採択された豊橋技術科学大学の研究者。 取り組むのは髪の毛の10分の1の太さの極めて細いナノファイバーの開発。人体に有毒なガスを吸着する繊維。 防衛省はこうした繊維を活用すれば防毒マスクを軽量化でき、負担が減らせることに期待。 これに対して研究者は、「この繊維...

大学におけるデュアルユース技術に関する研究の在り方

科学者の代表機関である「 日本学術会議 」は、防衛省が「 安全保障技術研究推進制度 」を開始(平成27年度)したことなどから、「 安全保障と学術に関する検討委員会 」を平成28年5月に設置し、これまで、安全保障に関わる事項と学術とのあるべき関係等の課題について検討してきました。 そして、去る3月24日の幹事会において新たな声明を決定・公表しました。今後、4月13~14日の総会において、新たな声明及び検討委員会のとりまとめが公表される予定になっています。 防衛省は既に、 平成29年度の公募を開始 (公募期間:平成29年3月29日~5月31日)しており、各大学は、 今後早急に、新たな声明に盛り込まれた「軍事的安全保障研究と見なされる可能性のある研究について、その適切性を目的、方法、応用の妥当性の観点から技術的・倫理的に審査する制度を設けるべき」への対応を検討しつつ、応募の可否を判断 しなければなりません。 軍事的安全保障研究に関する声明|平成29年(2017年)3月24日 日本学術会議 <声明のポイント>  全文は こちら 日本学術会議の1950年の「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない」旨の声明及び1967年の間じ文言を含む「軍事自的のための科学研究を行わない声明」の 2つの声明を継承 する。 防衛装備庁の「安全保障技術研究推進制度」 (2015年度発足)では、将来の装備開発につなげるという明確な目的に沿って公募・審査が行われ、外部の専門家でなく同庁内部の職員が研究中の進捗管理を行うなど、 政府による研究への介入が著しく、問題が多い 。 学術の健全な発展という見地から、むしろ必要なのは、科学者の研究の自主性・自律性、研究成果の公開性が尊重される 民生分野の研究資金の一層の充実 である。 大学等の各研究機関 は、軍事的安全保障研究と見なされる可能性のある研究について、その 適切性を目的、方法、応用の妥当性の観点から技術的・倫理的に審査する制度を設けるべき である。 学協会等 において、それぞれの学術分野の性格に応じて、 ガイドライン等を設定する ことも求められる。 科学者を代表する機関としての日本学術会議は、議論に資する知見を提供すベく、今後も率先して検討を進めて行く。 (参考)日本学術会議における軍事研究等に関する過去...

記事紹介|続・続・信頼回復ー組織風土改革

文部科学省が「天下り」あっせん問題に関する最終報告を公表した。違反事例は62件で、処分を受けた人は43人と、同省として過去最多となった。 人事課OBを隠れみのにした仲介に加え、現役職員も調整に直接動いていた実態が明らかになった。さらには3人の事務次官経験者が、在任中、自ら不正に手を染めていたという。 改めて問う。これが、道徳と称して子どもに「規則の尊重」や「公正、公平、社会正義」を学ぶよう求める役所なのか。 調査は外部の弁護士らが中心になって行われたが、期間の制約もあって万全とは言い難い。 例えば、あっせんの仕組みを誰が、いつ、どうやってつくったのか。天下り先ではどんな役割を担い、学部の設立や補助金の獲得にどんな影響があったのか。行政がゆがめられるようなことはなかったか。こうした肝心な点は不明のままだ。 これで教育行政に対する信頼を回復できるとは思えない。 深刻なのは、法に触れる行いに対し、誰からも疑問を差しはさむ声が出なかったことだ。 先輩から頼まれたから断れない、前任者からの引き継ぎだからやるしかない。そんな意識があったと調査班は見る。 文科省は、順法意識よりも身内意識を優先する組織風土の改革をめざすという。調査班からは、人事課の体制や現役とOBの関係の見直し、民間企業からの人材受け入れなどの提案が出ているが、いずれも即効薬にはなり得ない。地道な取り組みと不断の検証が必要だ。 今回の報告には、元外交官や旧経済企画庁出身者の再就職についても、文科省が口利きをしていた例が含まれている。天下りが、この国の官僚制度の構造的な問題であることを物語る。 政府は他の府省庁にも同様の調査を指示している。集約を急がねばならない。それぞれが天下り先として確保している「指定席」の公表が第一歩だ。 制度の見直しも求められる。以前は、離職後2年間は密接な関係のあった企業への再就職を禁じる規定があった。第1次安倍政権の時になくなり、かわりに官民をつなぐ人材センターや再就職等監視委員会がおかれたが、十分機能していないことがはっきりした。「2年」規定の復活を検討すべきではないか。 天下りの背景には、年功序列のピラミッドを維持するため、官僚が早期退職を求められるという事情がある。実績・能力主義に徹し、定...

記事紹介|文部科学省は不思議な役所である

文部科学省は不思議な役所である。職員の再就職をめぐっては、ルールを大胆に破って天下りのあっせんに余念がない。その同じ官庁が、こと教科書検定となるとにわかにルール墨守の石部金吉と化すのだ。小中高校、どの科目にも杓子(しゃくし)定規な注文をつけてばかりいる。 こんど公表された、道徳教科書の初の検定はその最たるものだろう。「消防団のおじさん」が登場する話は、学習指導要領が高齢者への尊敬と感謝を求めているとして「おじいさん」に修正された。町でパン屋を見つけたという記述は「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着を持つ」との観点から和菓子屋に変わった。 道徳の教科化は、長年の論争の末に実現した経緯がある。「心の教育」は大事だが、かえって道徳心を型にはめる恐れはないか。子どもが評価を気にするようにならないか。そんな指摘が少なくなかったから、中央教育審議会も画一化を避けるよう念を押していた。それがふたを開けてみれば案の定、いつもの文科省流だ。 この調子だと現場の先生たちは指導要領からの逸脱を恐れ、杓子定規の度合いがどんどん進むかもしれない。そういえば杓子定規というのはもともと、杓子の曲がった柄、つまりゆがんだ基準をあてはめることを言うそうだ。自分たちだけのルールを作っていた天下りあっせんのほうも、まさに杓子定規だったわけである。 春秋|2017年3月28日日本経済新聞  から

記事紹介|郷土のことをよく知らないのは文科省なのかも

「パン屋」が「和菓子屋」に、「アスレチックの公園」が「和楽器店」に書き換えられた。文部科学省の教科書検定の結果は衝撃でした。 小学校の道徳が2018年度から教科書を使うようになり、その教科書検定の結果が、3月25日付朝刊各紙で報じられました。 これまで道徳は「教科外の活動」と位置づけられ、教科書はありませんでした。道徳が小学校に導入されたのは1958年。私が小学生のときに道徳の時間が始まりました。「最近の子どもたちは道徳観念が薄れている」と声高に主張する人たちがいたためです。しかし、これが「戦後版教育勅語」になってはいけないという警戒心も強く、教科書を使う「教科」にはしないという条件で始まったのです。これが「教科外の活動」という位置づけの理由です。 それが、「特別の教科」という位置づけに格上げされ、文部科学省検定教科書を使い、成績評価も実施されることになりました。58年に道徳を学校教育に入れさせた人たちの目標が、ついに達成されたのです。なにせ「教育勅語」にはいいことも書いてある、などという政治家が存在する時代ですから。 検定結果で驚いたのは、小学校1年生の「にちようびのさんぽみち」という教材で登場する「パン屋」が「和菓子屋」に書き換えられていたという朝日新聞の記事でした。 また、同じく小学校1年生の「大すき、わたしたちの町」という教材ではアスレチックの遊具で遊ぶ公園を、和楽器を売る店に差し替えたというのです(別の教科書会社)。 なぜパン屋ではいけないのか。朝日の記事に文科省の言い分が紹介されています。「パン屋がダメというわけではなく、教科書全体で指導要領にある『我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつ』という点が足りないため」と説明しているそうです。文科省の指摘を受け、教科書会社は「和菓子屋」に書き換え、検定を通りました。「アスレチック」も同様の指摘を受け、教科書会社が改めました。 ここで気をつけなければいけないのは、文科省が「和菓子屋」や「和楽器店」に書き換えさせたのではないということです。誤解して、「文科省はそんな指示までしているのか」と驚いた人もいるでしょうが、そうではないのですね。教科書会社の方で「和菓子屋」や「和楽器店」を選んだのです。指示されたのではなく忖度(そんたく)した、ということでしょう。 これについて3月29日...