2019年12月31日火曜日

今日の心訓

稲盛哲学六つの精進

1 誰にも負けない努力をする

2 謙虚にして驕らず

3 反省のある毎日を送る

4 生きていることに感謝する

5 善行、利他行を積む

6 感性的な悩みをしない


記事紹介|公僕の矜持が日本の希望になる時代が来るのか

理不尽な政権運営に辟易させられた1年でした。合わせてこの政権を忖度で支える中央官庁の役人に対する不満も多かった年ではなかったかと思います。(以下引用)


今の中央省庁は優秀な若者にとってあまり魅力的な職場ではなくなっているようだ。

役所の上司たちが、不合理に官邸に呼びつけられたり自民党の部会で頭ごなしに批判を受けたりし、また一方で強い権力の意向を忖度するのを目の当たりにする時、彼らが官僚を一生の仕事に選ぶのを躊躇するのはわからないではない。

だが、これは日本の将来にとって由々しき事態だと思う。

今日のような社会を生きるヤング・プロフェッショナルにとって最も重要なことは、一定の使命感を持ってプロフェッショナリズムを磨くことが出来るかどうかだ。

おそらくこれから5年の間に時代は大きく変わる。今のような政権を維持することが大目的になっている政治や、忖度だらけの官僚ではとても日本の将来展望は切り開けない。

若い人たちは今だけを見るのではなく、その時に備えて「自分はこれで戦う」というプロフェッショナリズムや強みを磨いてほしいと思う。

使命感を持ちプロフェッショナリズムに徹した「公僕の矜持」が、日本の希望になる時代が再びきっと来るに違いないからだ。

(出典)政治家や官僚に「矜持」を期待するのはもはや無理なのか|ダイヤモンド・オンライン

今日の心訓

大事なことは、どう転ばないようにするかではなくて、転んだあとどう立ち上がるかだ。

必死に前に進んでいれば、転ぶのを仕方がない。

どう再び立ち上がるかを考えながら、勇気をもって跳躍すること。

そんな繰り返しが、きっとどこかで大きな飛躍を実現させる。柳川範之

2019年12月29日日曜日

今日の心訓

大きな夢や、生涯をかけた目標も志も必要ない。

ただ、目の前にやってくる仕事や、頼まれた事を淡々と文句を言わずやっていく。

愚痴や泣き言や不平不満を言わず、ニコニコしながら、

目の前のことに、楽しみや幸せを見つけるという生き方

どんな出来事の中にも、自分の幸せを見つけることができる人でありたい。





記事紹介|何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない

12月20日、2002年制定の「デジタル手続法」に基づく新しい「デジタル・ガバメント実行計画」が閣議決定された。

とは言っても、これは、2016年12月制定の官民データ活用推進基本法と、2017年5月策定の「デジタル・ガバメント推進方針」に示された法制を具体化するために、2018年1月、初版として「eガバメント閣僚会議決定」がなされ、同年7月に「デジタル・ガバメント閣僚会議決定」で改定されたものをさらに改めたものにすぎない。しかも、その内容は「笑止千万」と指摘しないわけにはゆかない。

元の「デジタル・ガバメント推進方針」にも「デジタル・ガバメント実行計画」にも請願の電子化がまったくふれられていないためである。

筆者は、「新官僚論」で官僚の悪人ぶりを書いたが、電子請願を認めようとしない姿勢にまさに日本の官僚の悪辣さを強く感じる。同時に、請願の電子化の方向性を示そうとしない自民党や公明党の国会議員の能天気さや、この点を徹底追及しようとしない野党議員の無能を慨嘆せざるをえない。

よく躾けられた日本国民は、官僚に不都合なことは「知らしめず」、「寄らしめず」という伝統的な日本の官僚の術中にはまっている。「お上」であり、「お神」でもある「お役人」は最善を尽くしてくれると信じているわけだ。だが、これはまったくの誤解である。官僚は平然と嘘をつくし、平然と事実を隠蔽するし、自分たちにマイナスの政策には見向きもしない。

たとえば、首相官邸のホームページには、「ご意見・ご感想」を電子情報として集めるサイトがある。「首相官邸」と「各府省庁」向けの二つに分かれている。いずれも、ただ意見や感想をのべるだけであり、送ったものに返信がある保証もない。形ばかり、国民の意見や感想を募っているだけだ。

請願権の重要性

筆者は拙著『民意と政治の断然はなぜ起きた:官僚支配の民主主義』(2016年、ポプラ社)のなかで、請願権の重要性を主張した。

大日本帝国憲法第三十条でも、日本国憲法第十六条においても、請願権は保障されてきた。後者の条文では、「何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない」とされている。これを受けて、1947年、請願法が制定され、「請願の事項を所管する官公署」宛てに請願書は提出されることとなった(第三条)。

重要なことは、請願を行う主体が「臣民」から「国民」へと変化したことで、請願が哀願的な性格から主権者たる国民の民主的性格を担うものへと転化したことである。これは、国民の権利として請願権が位置づけられたことを意味し、国民の意見を聞きおくだけですまそうとするご意見拝聴方式とはまったく異なっている。

しかも、憲法第十六条の立法趣旨からみて、国民は議会だけでなく、行政や裁判所などに対しても請願する権利を有しているのであり、国民が立法・司法・行政に広範に請願する権利が認められていると理解すべきものだ。

にもかかわらず、請願権を知る人は少ないし、教えられてもいないのが現状ではないか。なぜならこうした請願権が官僚の裁量権を狭める、官僚にとってはなはだしく不都合なものだからだ。ゆえに、官僚は請願権を国民に「知らしめない」ように躾けているのだ。

電子請願で請願権を実のあるものに

国会では、議員の紹介のない請願は「陳情」として受理されている。ほかに、行政機関への請願もある。この事後処理は各機関の判断に任されており、調査・処理報告などの義務がないために、「誠実に処理」(請願法第五条)とは言い難い。

したがって、インターネットで各省庁のサイトにアクセスしてみても、まったくといっていいほど、請願内容、審査結果などを閲覧することはできない状況が続いている。

他方で、地方議会の場合、国家機関に意見を表明する手段として、意見書の提出制度がある。地方自治法第九九条に基づいて行われているものだ。地方自治体への請願については、地方自治法第百二十四条により、「普通地方公共団体の議会に請願しようとする者は、議員の紹介により請願書を提出しなければならない」とされている。

同第百二十五条には、「普通地方公共団体の議会は、その採択した請願で当該普通地方公共団体の長、教育委員会、選挙管理委員会、人事委員会若しくは公平委員会、公安委員会、地方労働委員会、農業委員会又は監査委員その他法律に基づく委員会又は委員において措置することが適当と認めるものは、これらの者にこれを送付し、かつ、その請願の処理の経過及び結果の報告を請求することができる」とされている。

しかし、これだけでは、請願の処理やその内容について十分に知ることはできないだろう。しかも「議員の紹介により」という条件をつけて請願を陳情と区別するという悪弊が地方自治でも踏襲されている。

つまり、国民のきわめて重要な権利である請願権がほとんど機能しないまま放置されているのである。だからこそ、筆者は拙著のなかでつぎのように書いておいた。

「請願制度を改革して電子請願をできるようにすることが必要だ。行政手続法と同じように、請願手続法を制定し、そのなかで電子請願もしっかりと位置づけ、受理と審査の手続きを法的に明確化し、国民の声が適切に届けられるような仕組みづくりを急がなければならない。

具体的には、電子署名による個人の明確化をどう進めるかが重要な論点となるが、すでに電子請願を導入している各国の状況を学びながら試行錯誤する姿勢が求められている。さらに、行政だけでなく、立法や司法についても、請願手続法を適用し、せっかく憲法が広範囲に認めている請願権を実のあるものにすべきだろう。」

英米の電子請願

諸外国の事情について、もう少し日本国民は知るべきだろう。

米国ではバラク・オバマ大統領の登場に伴って、「オープンガバメント・イニシアティブ」なるものが開始された。これは、2009年5月にはじまったオープンガバメント政策であり、ウェブサイト上で国民の意見やアイデアを募るというものだ。

さらに、2011年9月からは、〝We the People〟という「陳情サイト」がスタートした。13歳以上で有効なメールアドレスを所有する人なら誰でもアカウントを作成し、参加することができる。作成には名前とメールアドレスが必要なので、一人につき一つのアカウントとされているが、アカウントがなくても、つまり、外国人であっても、公表された請願をみたり、ホワイトハウスからの回答を閲覧したりすることが可能だ。30日以内に2万5000以上の署名が集まると、ホワイトハウスが対応することになっている。つまり、この段階では、電子請願が実現したとみなすことができるだろう。

電子請願の発端は、英国でトニー・ブレア政権が2006年にまさに電子請願を意味するe-petitionsを創始したことにある。2010年の総選挙前にいったん閉鎖後、2011年に新しい電子請願がスタートし、1年間の有効期間内に10万以上の署名が集まると、下院で審議される権利が与えられるという画期的なものだった。提出された請願は7日間審査され、受理されたか否かを通知するメールが請願者に届く仕組みだ。

受理されないケースとしては、同一内容の請願がすでに存在する場合や、秘密・誹謗中傷・虚偽・名誉棄損の言葉を含んでいる場合などがある。請願が公表されれば、請願者は自らのソーシャル・ネットワーク・システム(SNS)のページに掲載して、署名を集めることができる。システムは2015年7月から新しくなり、逐次、改良が進められている。

狡賢い日本の官僚

こうした海外の動きに対して、日本の官僚は実に狡賢い。日本では、「パブリックコメント」から「意見公募手続」へと制度を変更しながら、請願権の電子化という道筋からそれた政策をあえて取り続けているからだ。

1999年の閣議決定「規制の設定又は改廃に係る意見提出手続」にもとづいていわゆるパブリックコメント手続きが行われていたものを、2005年6月の行政手続法の改正により意見公募手続きに集約させたのである。以後、もっぱら意見公募手続きを電子化することで、もはや電子請願は不要との姿勢を貫いていることになる。

しかも意見公募手続きでは、行政府だけが対象にすぎない。おまけに、意見を求める主導権は行政にあり、意見の受理や公示の基準があいまいなうえ、その後の対応義務が定められていない。このため、意見を聞きおくだけですまされることがしばしば起きる。要するに、官僚の裁量の余地が大きすぎ、国民の権利である請願権とはまったく別ものとして意見公募手続きが位置づけられてしまっている。

これでは、憲法に裏づけられている国民の大切な請願権が無視されたまま、立法・司法・行政全体への電子請願への道筋がまったく閉ざされてしまいかねない。だからこそ、憲法に規定された請願権を電子利用することで、その権利をしっかりと国政全般に反映できるようにすべきなのだ。そのためには、「電子請願手続法」のような法律が制定されなければならない。

白川静の『字統』によれば、「民」という漢字は「目を刺している形」を表している。「一眼を刺してその視力を害し、視力を失わせることをいう」。つまり、視力を失ったことで自由を奪い取られた人、奴隷のような人物を意味している。

この「民」という漢字の由来は実によく「民」の本質を示しているように思われる。征服されて支配下に置かれた人々の唯々諾々と屈従する姿そのものを表す民が国家を隠れ蓑した官に支配されるという構図がいまでも続いている。それを覆す有力な手段こそ電子請願なのである。

(出典)電子請願を無視する日本政府 - 塩原俊彦|論座

記事紹介|国民という部品

無人支配

国民を部品とみなすのは、制度と化した国家に隠れて命令を下す官僚であり、その「無人支配」が徹底できるのも「共に生きる」意志をもった人間が圧倒的に少ないからなのだ。

国民は国家という道具が「知」を上から命ずるだけのことを唯々諾々と受けいれる。その道具の示す方向が合理的とみなされてしまうからだ。

日本の場合、「人間」が自主的に「共に生きる」場としての「社会」を持たず、「国家」というシステムのなかで「国民」という部品として躾けられており、そこでは官僚が国家という隠れ蓑に隠れて国民を統治する「無人支配」がいまでも継続されていることになる。

哲学者カントは自らに例外を設ける者を「悪人」と呼び、自分自身を「秘密裡に免除する傾向がある」と喝破した。だからこそ、官僚による無人支配という秘密裡な行為を防止するための公開性(publicity)が求められているのだ。しかし、それゆえに日本の官僚は「のり弁」と呼ばれる黒塗り状態で公文書を開示してすませている。「悪人」そのものの所業だ。

悪の凡庸さ

法を遵守するだけでその執行を思考停止状態で行う官僚がいまでもあちこちにいる。とくに、日本の官僚のほとんどすべてがこの範疇に入るかもしれない。これが可能なのは、「標準化」のおかげだ。

官僚による命令が局所的に可能となるのは、その命令を執行する末端まで、「標準化」による基準が有無を言わせぬ執行を可能にするからである。これは、何も考えないでただ執行するというかたちで官僚が権力を行使することを可能にし、同時に、その権力行使を受ける側もその標準化を受けいれることで、何も考える必要がなくなる。

つまり、命令する側とその命令に服従する側との間に「無思想性」という相互関係が成立するのである。だから、官僚にはいつも「悪の凡庸さ」がつきまとっている。

(出典)新官僚論 「テクノフォビア」を脱却せよ - 塩原俊彦|論座

記事紹介|2019年 異常気象の数々

WMOの報告書によると、異常気象によって家を追われた人の数は、年末までに世界で2200万人に達する可能性があるという。アフリカや中東などの一部の地域では、洪水や干ばつによる食糧難も起きている。

WMOの事務局長は「今すぐ緊急の気候変動対策を講じなければ、さらに悪影響を及ぼす」と警鐘を鳴らしている。

2010年代は平均気温が、観測史上最高だった。



3月。アフガニスタンで洪水



4月。アフリカ・ボツワナで干ばつ



 4月。ホンジュラスでも干ばつ



 5月。アメリカ中西部で洪水



 6月。フランスで熱波



 6月。フランスとイタリアの国境にあるモンブラン
「1990年の氷河の位置」を示す標識



 7月。スペインで洪水



 8月。スーダンなどナイル川流域で洪水



 8月。ブラジルなど、アマゾンで大規模な火災
宇宙からも観測された



 10月。台風19号が「非常に強い」勢力で関東に上陸



10月。台風19号では、川崎では市街地が浸水



10月。台風19号では、川崎・武蔵小杉のタワーマンション が停電した



10月。台風21号、長野県で千曲川が氾濫



10月。台風21号、北陸新幹線の車両基地が水没した



11月。バングラデシュで洪水



11月。ベネチアが高潮被害で非常事態宣言



 11月。オーストラリアで大規模な山火事



 11月。オーストラリアの山火事では、多くのコアラが犠牲になった



 11月。イギリスで洪水



 12月。アフリカ、ビクトリアの滝が干からびた



(出典)2019年、世界を襲った異常気象の数々|BuzzFeed

2019年12月28日土曜日

今日の心訓

チャレンジした失敗を恐れるよりも何もしないことを恐れろ
本田宗一郎


2019年12月27日金曜日

今日の心訓

目標は見えやすく、目的は見えにくい
目標は物質的で、目的は精神的
目標は達成するもので、目的は追求し続けるもの
目標は、目的追求の手段なり


2019年12月26日木曜日

今日の心訓

小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただひとつの道。イチロー


記事紹介|創造的な日本人の潜在力を殺している組織風土

個人がいかに創造的であっても、属する組織が反発想症に冒されていると、能力は発揮されないままに終わります。

その典型は、官僚組織です。

先例主義、新しい試みの拒否、形式主義が蔓延する環境は、発想には最悪の環境です。

かつて役所で仕事をしていたときのこと、決裁を取りに行ったら、「局長の考えをまず聞いて来い」といわれたことがありました。

局長がイエスならイエスだというわけです。

また、日本の大企業の多く(とくに伝統的な産業の企業)は、官庁より官僚的です。

こうした組織が、創造的な日本人の潜在力をなんと無駄にしていることか。

これらのエネルギーが解放されたら、日本は大きく変わるでしょう。

問題は、個人の能力でなく、それを殺してしまう社会制度なのです。

組織の指導者や経営者の最も重要な仕事は、組織をこのような病から守ることです。

多くの日本の組織において問題なのは、失敗が許されないことだ。

日本の官庁では、失敗や判断ミスはありえないことになっている。

だから、「とりあえず試行して、結果を見る。駄目なら修正する」という行動方式がとれないのだ、と野口氏はいう。

こうした環境では、試行錯誤はできず、絶対確実なことしか行われない。

これは、ジャーナリズムの責任も大きい。

アメリカでは、新しく生まれるベンチャー企業の8割は失敗すると言われている。

そして、日本では認められない敗者復活戦もある。

その結果、日本では、小さな失敗を認めないために、知らないうちに大きな失敗を犯してしまうという、笑えない現実がある。

失敗が許される組織、アイデアを生かす組織に…

AI時代、新たな「超」発想が求められている。

(出典)AI時代の「超」発想法|人の心に灯をともす

2019年12月25日水曜日

記事紹介|大学における働き方改革

大学教職員の働き方改革に関し、要点がわかりやすく整理されている記事です。


新たな法規制により労務リスクは間違いなく高まる。その回避のためだけでなく、教員の働き方を見直しながら、教育・研究の質を高めるために何をなすべきか、多様な雇用形態の構成員が能力を発揮できる環境をどう整えるかなど、この機を活かす積極的な姿勢や取組も大切である。そのためにも、働き方改革が何を求めているのか、その本質を理解することが不可欠である。

これらは人事部門など特定の部署だけで対処すれば済む問題ではない。大学の教育、研究、社会貢献、附属学校、附属病院及び法人経営など活動全般に深く関わり、理事長、理事、学長、副学長、事務局長等のトップマネジメント層及び管理監督的立場にある教職員が、基本的な事柄や問題の本質を十分に理解した上で、組織を挙げて取り組む必要がある。

(出典)大学における「働き方改革」の意義と課題を考える 吉武博通|カレッジマネジメント

記事紹介|舵を切る日本の科学技術政策への期待

日本の科学技術政策がイノベーション創出に大きく舵を切る。

科学技術基本法をもとに5年ごとに科学技術基本計画が作られる。現在は第6期(21年度~25年度)の策定が進む。

2020年の通常国会で、この基本法が初めて改正される。法律の名称も「科学技術・イノベーション基本法」に変わる見通しだ。

今回のイノベーションへのシフトで気になるのは、実用化志向が強まって基礎研究を軽んじる傾向に拍車がかからないかどうかだ。

日本発のイノベーションを真に求めるのなら、基礎研究力を損なわず、産業界を巻き込みながら、長期的な視点も忘れない研究環境の整備に、国はもっと注力すべきだろう。基本法の改正をその変革のきっかけにしてもらいたい。

(出典)「イノベーション」連呼の先 基礎研究の軽視回避を|日本経済新聞


科学技術基本法が、対象分野を「科学技術」に絞り、「人文科学のみに係るものを除く」としている規定をやめようという議論が本格化している。人工知能(AI)や生命科学などが進展し、現代社会の課題を解決していくには人文科学の研究も不可欠になっているという意見が増えてきたからだ。来年の通常国会で改正案が提出される見通しだ。

科学技術基本法は1995年、議員立法で成立した。欧米のような科学技術先進国を追いかけていた時代から、日本が自ら未開の分野を切り開いていく時代になったとし、そのためには科学技術の振興策を総合的、計画的に進める必要があるとした。基本法は、科学技術基本計画を5年ごとにまとめたり、研究者の養成や研究設備を整備したり、そのための予算の確保などをうたう。

第一条の冒頭にあるのが「科学技術(人文科学のみに係るものを除く)の振興に関する施策」という規定だ。内閣府によると、この人文科学は自然科学に対する概念。当時は「人文科学は人間や社会の本質を取り扱うため、自然科学と同列に推進策を講ずるのは適当でない」とされた。

しかし、近年になってこの規定を削除し、対象に人文科学のみの研究も含めるべきだという議論が起こっている。

今年8月、政府の有識者会議でこの規定の扱いが話し合われた。日本学術会議第一部長の佐藤岩夫・東京大社会科学研究所長は「地球規模の環境問題やAI、ゲノム編集技術の発展など、現代の課題に応えるために人文・社会科学が果たす役割は大きい」。大阪大の小林傳司(ただし)教授(哲学)は「理工系と人文系という分け方は粗雑に過ぎる。(ビッグデータを使う情報科学など)社会そのものを実験室とした研究が増え、新しいタイプのサイエンスが生まれてきている」と話した。

一方、例えば自動運転を実用化するときに法律や行政の知識が求められるように、人文科学が「科学技術のしもべ」と見られてきた面も話題になった。田中愛治(あいじ)・早稲田大総長(政治学)は「『どんなイノベーションが必要か』という価値の創造にこそ人文・社会科学が必要だ」と指摘。小林教授も「価値の部分から一緒に(研究を)スタートさせなくてはいけない。人文・社会科学はしもべでも主人でもない」と話した。

有識者会議は結局、「分野融合の推進と、その基盤としての人文科学自体の持続的振興が必要」とし、規定の削除を求める報告書を11月にまとめた。これを受け、内閣府が改正法を提出する見通しだ。

研究現場にはどんな影響があるのか。人文科学を除く規定がある法律は、科学技術基本法のほかに6つある。

理化学研究所や科学技術振興機構の業務範囲などを定めた法律は、今回の報告書を踏まえ、規定を削除する方向で調整中だ。一方、技術士法のように立法の趣旨から考えて改正の必要がないものもありそうだ。

内閣府の担当者は「科学技術基本法は基本理念を定めた法律で、すぐに直接的な施策が出てくるわけではない」と説明する。具体的には、2021年度からの第6期科学技術基本計画で、法改正を踏まえた方針が反映されることになりそうだ。

人文科学を除く表記がある法律
・科学技術基本法
・科学技術・イノベーション創出の活性化に関する法律
・国立研究開発法人科学技術振興機構法
・国立研究開発法人理化学研究所法
・特定先端大型研究施設の共用の促進に関する法律
・技術士法
・一般職の職員の給与に関する法律

(出典)「人文科学のみは除外」規定、科学技術基本法から削除へ|朝日新聞

記事紹介|没個性から自分事へ

日本の終身雇用システムでは、従業員を解雇せずに使い続ける組織であることが何よりも重要だった。そのためには、「誰にでもこなせる仕事」をたくさん作り、その仕事をローテーションして、誰かから引き継ぎ、誰かへ引き継ぐ仕事の仕方になる。つまり、個性や、自分にしかできないやり方を導入する奴は危険分子となってしまう。

  • 誰がやっても同じ成果が出るような組織が大事だ
  • どんな上司にも評価される奴が偉い
  • 自分がやってうまくいったやり方は他の人もできるように工夫しろ

こういったことが当たり前のようにはびこると、だんだん「当事者意識」は薄れていくもの。なぜなら、どんなに「自分事」として仕事に取り組んでも、その評価は全く違う軸、つまり他人が模倣できるか、誰でも同じようなことができるか、という切り口で見られるので、自分の個性、成果が残っていかないから。

上記の3つはグローバルに評価すると、

  • 誰がやっても同じ成果になるということは、もっとできる奴が能力を惜しんでいる、つまり基準そのものが低い可能性が高い
  • どんな上司にも評価されるということは、個性がなく、主張がない、意志のない人間である可能性が高い
  • 他の人のことを考えるくらいだったらぶっちぎりの成果を出す方に力を使ったほうが組織のためになる

「当事者意識」というのは、仕事を「自分事」として捉え、自分の全能力、全可能性を懸けて立ち向かうこと。ビジネスマンにとっては、仕事が競技会。まさに「全身全霊」を懸けて仕事に臨むのが当たり前のこと。

問題は、チャレンジせず、差別化を図ることもなく、やらされ仕事を続けている人が、人の上に立ったとき。その部署は迷走し、仕事はつまらなく、何も変わらないまま次の人に引き継がれる。そして何も成長しない。これが平成の30年間、多くの日本の大企業の内部で起こってきたこと。

将来に不安がない、ということは現状が心地よすぎるということ。現状が心地よいということは自分のポテンシャルな能力を発現しないまま生きているということ。不安があるからこそ前進を考える。前進を考える人は「自分事」として課題にチャレンジする。課題を解決したいから。

そして自分事として仕事をした人は、その仕事の経験が次につながる。本気で取り組んだことは何であっても、必ず肥やしになっていく。そういう経験を積み重ねれば、間違いなく、今見えていない世界が見えてくる。そしてまたその課題解決のために全力で取り組む。

そしてきっと引退するときに、こう思う。

いろいろやってきたけど、思い通りに行くことばかりではなかったけど、まあやれることは全部やったかな。いいキャリアだったかな。

こう思えることがプロフェッショナルビジネスパーソンとしての最大の、そして最上の喜び。

(出典)「当事者意識」がない奴は去れ|日経ビジネス電子版

記事紹介|生徒の学習到達度調査(PISA)の結果をどう教育政策に生かすのか

今回の読解力低下には「社会経済文化的背景」の問題が背景の一つにあるのではないか。

スマートフォンは小学生も含め広く普及しているものの、日本の子どもはチャットやゲームが主で、他の国ほど宿題をはじめとした学習にICT機器を使っているわけではないことが、今回の「生徒の学習到達度調査」で浮き彫りに。

これ以上「デジタル格差」が広がっては、グローバル化が進むデジタル社会にあって、学力格差に伴う貧困格差も、ますます広がる恐れ。

国内外の学力「調査」には、今後の国の進路を決めるための重要なデータが含まれている。

順位が落ちたから問題だとか、「引き続き世界トップレベル」にあるからよい、という単純なものではない。

OECDは日本の結果に関して、科学的リテラシーでも平均得点が明らかに低下していることや、数学的リテラシーでも習熟度別上位の生徒の得点が低下傾向にあることを指摘。

詳しい結果を教育政策に生かさなければ、宝の持ち腐れになる。

(出典)PISAでも注目、格差解消にどう取り組む?|ベネッセ教育情報サイト

記事紹介|総崩れの科学技術立国

日本の科学は失速している。一昨年の3月、ネイチャー誌に掲載されたレポートは大きな反響を呼んだ。一般の人たちには驚きを持って迎えられたようだが、多くの研究者にとっては、やはりそうかという感じであった。

『誰が科学を殺すのか』は、企業の「失われた10年」、「選択と集中」でゆがむ大学、「改革病」の源流を探る、海外の潮流、の4章から構成されている。毎日新聞に掲載された「幻の科学技術立国」シリーズが元になった本だ。

大学に関しては、行きすぎた選択と集中、地方国立大学の疲弊、若手研究者の待遇の悪さ、博士課程進学者減少などが紹介されており、内部で実感していることと完全に一致する。

どのテーマについても、客観的かつ冷静な記述と考察がなされている。わかっているにもかかわらずマスコミがなかなか書かなかったiPS細胞関連予算の問題点についても、果敢に踏み込んでしっかりと書かれている。

ネイチャー誌の記事以来、論文数の減少、世界ランキングの順位低下など、大学の凋落は広く報じられている。それだけでなく、企業の研究力も著しく低下していることは知らなかった。これでは完全に総崩れではないか。

豊田長康・元三重大学学長による『科学立国の危機-失速する日本の研究力』は、信じられないほど膨大なデータを基に、失速の原因を突き止め、対策を論じた本である。

結論としては、当然ながら、科学研究力は、結局のところ、研究に投下される資金と従事するマンパワーに依存するということだ。まずはそれを改善しなければお話にならない。

科学技術予算は、過去20年間に、米国とドイツが2倍弱、韓国で5倍以上、そして躍進著しい中国は十数倍にも増やしている。それに対して日本はほぼ横ばいだ。これではとても勝ち目はあるまい。科学立国が聞いてあきれる。

(出典)『誰が科学を殺すのか』~「科学技術立国」の危機|日経ビジネス電子版

記事紹介|地方国立大学の責任

大学教育の現状と今後の見通しについて、木村誠氏(教育ジャーナリスト)に聞いた。

地方は国立大がなければ確実に衰退してしまいます。地方創生を真剣に考えるならば、大学経営資源は全国に分配すべきです。東京大学や京都大学などは企業からの寄付金も多く財務的に豊かですが、地方の国立大ではそうはいきません。地方の国立大は、「競争と集中」の美名のもとに権限と予算が削られているのが実情です。むしろ、地方国立大学からノーベル賞級の研究を生むような政策が必要でしょう。

地方の国立大は東大のような“総合百貨店”ではなく、高度な“専門店”となることで生き残りを図っているように思います。今後は、大学の経営改革と地域活性化の活動がリンクすることで、大学と地方がともに飛躍することを期待しています。

(出典)地方の国公立大学も存亡の危機…激変する全国大学教育|Business Journal

記事紹介|日本の科学技術を支える博士人材の未来を阻む壁

2010年代は毎年のように日本人研究者がノーベル賞を受賞してきた。

一見、日本の科学技術力の高さが際立つ10年間だったように感じるかもしれないが、ノーベル賞を受賞した研究者たちが基礎研究に対する投資の少なさや、若手研究者のポスト不足、博士課程へと進学する学生の減少を憂う発言をこぞってするなど、日本の科学技術力の先行きの危うさが垣間見えた10年間でもあった。

一連の課題は、全てつながっている。中でも、博士課程への進学者数の減少は、研究人材の減少、ひいては研究力の低下に直結した問題だ。

「博士は一つのことしかできず、頭がカタイ」と企業から敬遠されがちだ。だからこそ、博士課程で民間企業への就職を選択肢にしている学生には、自身の専門知識を直接活かせる分野が限られる現実を理解した上で、自身が培った能力を編集・加工して産業の中で活かす方法を考えることが求められる。

企業側にも改善の余地はある。マッチングがうまくいっていない原因は、企業自体がどんな人材を欲しているのかを明確に言語化できていないことにあるともいえる。“博士的”な能力を欲していながら、そういった人材がうまく活躍できる場を用意できていないのだ。
この課題を乗り越えることができれば、博士課程の将来に対する不安も少しは緩和されるはず。日本の科学技術を支える博士人材も、もっと増えていくのではないだろうか。

(出典)華々しいノーベル賞の陰で減少する日本の研究者、博士課程への進学阻む「キャリア不安」のカベとは? |BUSINESS INSIDER JAPAN

記事紹介|官僚が好んで使う意味不明なはぐらかし言葉

官僚が好む言葉に「お尋ねの趣旨が必ずしも明らかでない」がある。要するに「質問に答えません」の意味だ。普通に考えれば理解できる質問に、回答を避ける方便と感じることもある

▼前衆院議員の仲里利信さん(82)は在職中、内閣に質問主意書を132回も出した。答弁書に、たびたび「お尋ねの-」の記載があった。たまりかねて「この言い回しを多用し、答弁を留保する背景は」と聞いた

▼回答は「誠実に答弁してきた」「引き続き適切に対応したい」。仲里さんは「典型的なはぐらかし。明確に答えて後々、問題になるのが怖いのだろう」と苦笑する

▼毎日新聞が2017年に報じた集計によると、00年以降の答弁書約1万2500件のうち、同様の表現は約1300件。12年の第2次安倍内閣以降が6割超を占めた。官僚の忖度(そんたく)が強まった時期と重なる気がする

▼最近、新たな霞が関用語に気付いた。マルチ商法企業へ、立ち入りを検討した消費者庁が「本件の特異性」を理由に見送った、との文書がある。会長は「桜を見る会」の招待客だった

▼森友学園問題で、財務省が文書に「本件の特殊性」と書いたのを思い出す。学園の理事長は首相夫妻との近さを誇示していた。独特の用語を隠れみのに、行政を恣意(しい)的に運用していないか。堂々と「首相が困る案件」と書いてはいかが。

(出典)官僚が好む言葉|沖縄タイムス

記事紹介|学校を変えるためには

個人的には、日頃から変化に追従するのではなく、できれば変化の先頭にいたいと思っています。

ただ自分一人の力では何も動きませんし、強引に進めればかえって組織の停滞を招くリスクもあります。改革は難しい課題ですね。


「やめる・変える」と言うのには、強い動機(危機感)と目的が必要だ。今まで通りにやるのには、特に理由を説明する必要もなく、「今まで通り」というだけでみんなが安心する。それに対して、「やめる・変える」という言葉は、みんなが不安になって反対したくなる言葉だ。変えるためには理由を説明しなければならないし、変えたくないと思っている多くの人を説得しなければならない。

腹落ちしない限り動かないのが人間である。何のために変える必要があるのか、組織内での納得を得た上で、保護者や地域などにも理解を求めなければならない。かなりエネルギーがいることだし、勇気も覚悟もいる。かと言って、綿密に計画を立ててガチガチやっていくのは堅苦しいし、益々会議の時間を要して多忙になる。感覚的な思い付きや面白そうだと感じるワクワク感がないとモチベーションが上がらない。

「本当にやる意味があるのか」「本当に必要なのか」「何のためにやるのか」などと考えていくと、学校には変だなと思うことはたくさんある。その変だなと思うことを口にしたり、本気で変えようと思ったりする人は、安定した時代には変人扱いされてきた。今まで通りや当たり前にやられてきたことを批判的にみることは、波風を立てる厄介者だ。

しかし、現在のような社会も経済も環境も不安定な時代になると、「変だ!」という人がなぜだか目立つようになる。何が正解か分からないし、今まで通りにやっていくことにも不安がある。少し波風を立てながら、時代の流れに合わせていくような変化が学校にも求められるのである。

(出典)学校を変えようとする教員は「厄介者」なのか?|論座

記事紹介|茶を濁す程度の働き方改革しかできない学校現場

小中学校に限らず大学においても同様に多忙を嘆く教員が多いことは事実。中には多忙を理由に今では教員の義務となった科研費の申請を拒む者も出てくるほど。

しかし、自ら多忙を取り除く努力をどれほどしているのかなかなか見えてきません。校務の負担軽減をはじめ、業務改革を求める声もほとんど聞こえてきません。これでは何も変わりません。


「忙しい、忙しい」と言うわりには、「何のせいで、それほど忙しいのか」という分析は、しただろうか?

「部活動の負担が重い」、「非効率な会議が多い」、「面倒な事務作業に追われている」などは、学校現場の先生たち自身からもよく聞く話なのだが、感覚的な話が大半で、家計簿を付けるように、多忙の内訳を見て話をしてくれる人はとても少ない。

校長や教頭へ「業務改善や働き方改革で、どんなことに取り組んでいますか」とヒアリングすると、ざっくり申し上げて、10人中8人、9人が「会議を見直しています」という話をしてくれる。先日聞いたのは、”読み聞かせ”会議なるものが、あるそうだ。資料の最初から最後まで朗読してくれる、説明の長い会議の仕方を揶揄した言葉だ。まあ、そういう会議ばかりではないだろうが、「ちゃんと説明しないと、読んでくれない先生がいるんです」といった話もよく聞く。そんなこと言って甘やかしているから、周りの時間を奪う会議が続くのだ、とも思うのだが。

部活動、行事、採点、掃除などにもメスを入れよ。保護者の一部から反対があがる可能性が高い。部活動の一部を閉める、行事の一部は去年よりも簡素化にする、添削は例年よりも減りそうだ、と言うのだから。また、保護者にいく前に、当の教員が反発することもある。

対照的に、会議の見直しは、ほとんどの人が反対しない。だから、校長等もやりやすい。だからこそ、現状では、おそらく多くの学校では、業務改善や働き方改革といっても、会議の見直しやノー残業デイの設定くらいで、言い方は悪いけれど・・・、お茶を濁している。これでは、おそらく教員の過労死はなくならない。

本当にそれでいいのか?

(出典)多くの学校の業務改善、働き方改革は、メスの入れどころを間違っている|Yahoo!ニュース

記事紹介|大学非常勤講師の窮状

非常勤講師は年収150万円、学会も自腹…大学教員は超格差社会だった」という記事をTwitterでシェアしたところ、多くの反響(リツイート、いいね)がありました。

大学の非常勤講師を取り巻く雇用情勢が極めて厳しいことの表れなのかもしれません。記憶にとどめるため記事全文を引用します。


大学の教員といえば、一般企業よりも高収入というイメージを持つ人もいるだろうが、実は教授を頂点に准教授、助教、専任講師、非常勤講師とピラミッド型の格差社会。博士号を取ったのに専任講師になれない、というポスドク問題が取りざたされた頃から、非常勤講師がワーキングプアであることが当事者側から発信されるようになった。

非常勤講師の平均年収は教授クラスの約5分の1程度と驚くほど低く、さらに大学側から理由不明の「雇い止め」に遭う例もある。そんな非常勤講師たちの現状を、首都圏大学非常勤講師組合の副委員長の松村比奈子氏(専門は憲法学)に伺った。

早稲田大学の教授は年収1500万円? 一方地方では…

まず松村氏は、大学教員の年収の格差を次のように話す。

「教壇に立って講義し、テストの作成や採点、さらに卒論の指導など、教員としての仕事内容は同じですが、年収の格差が実にはなはだしいです。早稲田大学では1500万円と聞いているのに対して、国公立での平均は約900万円で、地方の私立では400万円というところもあります。一方、非常勤は専任教員と同じ数の講義を担当したとしても、年収は150万円から200万円です」

なぜ非常勤講師の年収が低いかと言えば、講義のコマ数で給与が決まるからだという。

「一コマ(90分授業)が2万~3万円。以前は、交通費の出ない大学もありました」

そのため、非常勤講師は複数の大学を掛け持ちして教壇に立つことが多い。しかも1コマ当たりのギャランティは変わらない。なぜこのように低い設定なのだろうか。

「非常勤講師は大学側に、労働条件や値段を聞いてはいけないという暗黙の了解があります。コネ採用が多いので、相手を立てろという無言の圧力もあります」

非常勤講師の仕事は公募もあるが、紹介によって決まることが多いそう。専門職に特化した求人サイトや紹介業がある中で、大学の教員の世界は旧態依然としているのだ。

学会には自腹で出席

さらに非常勤講師は、自腹を切って学会に出席することが当たり前だという。

「専任講師は大学側から学会費や交通費などの援助があります。ところが非常勤はそれがないので、自前で参加です。学会の年会費だけでも平均1万円以上です」

複数の学会に登録すると年間6万円以上になることもあるそう。それでも学会に参加する目的は何なのか。

勉強「学会参加は研究者であることの必要条件です。見識を深めることはもちろん、人脈を広げたいというのもありますね。専任教員の採用は、必ずしも実力主義によってではなく、コネや関係者の相性で決まることもざらです。

そのため学会後の懇親会は、平均6000円ほどの参加費がかかりますが、人脈獲得に欠かせないものです。遠方で学会があるときは、宿泊費を節約するために、日帰りで強行参加することもありますが、それでも自分への投資と割り切っています」

ワーキングプアの深刻化は研究者のプライドが影響?

非常勤講師の窮状には社会的背景があった。

「90年代までは、大学院の進学率が多くなかったんです。そのため博士号を取得してから、2、3年は非常勤で働いたとしても、大学院卒のほとんどが専任講師になれました。

ところが、91年の宮澤政権での大学院倍増計画によって、大量のワーキングプアが生じてしまった。政府が世界に通用する理系のドクターを増やそうとして、博士課程修了と同時に博士号も取得できるのが一般的になったからです。一方文系のドクターが放置され、非常勤講師が増大してしまった。30年近く経っても、状況は変わっていません」

年収の格差はもとより、窮状をさらに悪化させるのは、非常勤講師の「雇い止め」だと松村氏は指摘する。

「私が首都圏大学非常勤講師組合に入会したきっかけが雇い止めでした。2000年秋にある大学から、来年の春に契約終了と一方的に通告されたのです。カリキュラムが変更したからというあいまいな理由のため組合に入り団体交渉をしてもらって、終了を1年後に延長してもらいました。組合の役割は重要です」

非常勤講師が置かれている現象を聞くにつれて、好きでなければ続かない職業だと感じる。何とも解決策が見えない話だが、深刻化を防ぐことはできないのだろうか。

「ワーキングプアを訴えようにも、個人名や顔出しは絶対にしたくないというのが非常勤講師の本音。学生や近所の人たちに知られてしまうのが怖い。院卒者、研究者としてのプライドも影響していると思います」

<取材・文/夏目かをる>

(出典)非常勤講師は年収150万円、学会も自腹…大学教員は超格差社会だった|日刊SPA!

記事紹介|お母さんの匂い

先生が5年生の担任になった時、一人、服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。

中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。

ある時、少年の一年生のときの記録が目にとまった。

「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。勉強も良く出来、将来が楽しみ」とある。

間違いだ。他の子の記録に違いない。先生はそう思った。

二年生になると「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」と書かれていた。

三年生では「母親の病気が悪くなり疲れていて、教室で居眠りする」

後半の記録には「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」とあり

四年生になると「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子供に暴力を振るう。」

先生の胸に激しい痛みが走った。

ダメと決め付けていた子が、突然、悲しみを生き抜いている生身の人間として、自分の前に立ち現れてきたのだ。

放課後、先生は少年に声をかけた。

「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない? 分からないところは教えてあげるから」

少年は初めて笑顔をみせた。

それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。

授業で、少年が初めて手を上げたとき、先生に大きな喜びが沸き起こった。

少年は自信を持ち始めていた。

クリスマスの午後だった。

少年が小さな包みを先生の胸に押し付けてきた。

後であけてみると、香水の瓶だった。

亡くなったお母さんが使っていた物にちがいない。

先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。

雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫んだ。

「ああ、お母さんの匂い! 今日は素敵なクリスマスだ」

六年生では少年の担任ではなくなった。

卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。

「先生は僕のお母さんのようです。そして今また出会った中で一番素晴しい先生でした」

それから六年、またカードが届いた。

「明日は高校の卒業式です。僕は五年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。

おかげで奨学金をもらって医学部に進学することが出来ます。」

十年を経て、またカードがきた。

そこには先生に出会えた事への感謝と父親に叩かれた体験があるから患者の痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。

「僕はよく五年生のときの先生を思い出します。あのまま駄目になってしまう僕を救って下さった先生を神様のように感じます。医者になった僕にとって最高の先生は五年生の時に担任して下さった先生です」

そして一年。届いたカードは結婚式の招待状だった。

「母の席に座って下さい」と一行、書きそえられていた。

(出典)縁を活かす|今日の言葉

記事紹介|多様性が重要だ

今の社会では、なんでもかんでも一人でやるということは不可能です。

他人と協力してやっていかなければ成し遂げられないことの範囲がどんどん広がってきています。

そして、他人と組んでいい仕事をしたいと思うなら、なるべく自分にないものをもった人と組むことがかんじんです。

専門分野でも、性格的な面でも。

他人と一緒にやるからには、もちろん仲よくしなければいけませんが、自分にはない能力をもった人と組むことで、総合力を高めることができます。

一足す一が三になったり五になったりします。

ときには、相反する意見から、まったく新しい発見をすることもあります。

「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもないということである」(ジェームス・W・ヤング)

独創的な料理にしても、今まであった食材と食材の新しい組み合わせにすぎない。

誰も食べたことのないような食材など、この世には存在しないからだ。

人との組み合わせも同じ。

多様性が重要だ。

多様性はダイバーシティという言葉に置き換えられる。

性別、年齢、国籍の違った人材の多様な組み合わせ。

そのためには、オープンマインドであること。

自分の考えに固執せず、他人の考えもよく聞き、心を常に開いていること。

自分の考えたアイデアをケチる人は、他人からもアイデアをケチられる。

投げかけたものが返ってくるという、物理でいう「作用」と「反作用」の法則があるからだ。

異質な人と組み、異質な経験を重ねていく人でありたい。

(出典)異質な人と組み、異質な経験をする|人の心に灯をともす

記事紹介|大学入試改革、精密な制度設計を怠り「改革」を自己目的化して暴走した罪は重い

今の政府は大学に限らず教員たちの社会的地位を引き下げ、そのプライドを傷つけることについては実に熱心である。「実学だけ教えろ」とか「実務家を教員に登用しろ」とかいった主張はもっぱらアカデミアの知的威信を損なうことをめざしている。それによって大学の学術的発信力がV字回復し、学生たちの知的成熟が促進されると信じている人は政府部内にもいないだろう。彼らはどんな有害無益な政策にも従順に従う「イエスマン国民」が欲しいだけなのだ。

(出典)内田樹「愚策に固執し、教員のプライドを傷つけることに実に熱心な政府」|AERA dot.

2019年12月24日火曜日

記事紹介|頓挫した大学入試改革

頓挫した大学入試改革の出発点は、安倍首相直轄の教育再生実行会議による第4次提言であった。

子ども一人一人がどのように自らの生を選び、生きていくのか。それを大人はどう応援するのか。それこそが根本にあるべきだが、提言には、そんな視点はみじんもない。

提言は現行の大学入試センター試験を「限界に達している」と、こっぴどく批判した。論拠として「1点刻みの合否判定を助長」「受験生の大きな心理的圧迫」を挙げた。

だが「1点刻みの合否判定」は、センター試験の罪ではなく、最終的に合否判定をする個々の大学の責任であろう。加えて合否の線上に複数の受験生がいるとき、点数によるのか、面接や論文を重視するのかといったことは、それぞれの大学が選ぶことだ。客観性・公平性を大切にして、点数によって選抜することも一つの選択だと思う。

「大きな心理的圧迫」にはデータがない。面接や集団討論といった主観がまじる方法より、緊張はしても、客観的な学力試験の方が良いと考える生徒も多いはずだが、それは無視している。

入試を変えるなら、受験生にとって、それがどんな意味を持ち、どうあってほしいのかを直接、聞くことは不可欠だ。私はそう信じるが、受験生たちと膝を交えて語り合った形跡はない。

それでは会議のメンバーに、受験生や受験生に近い人はいたのか。名簿を見ると首相、官房長官、文科相から始まり、大学の学長や教授、県知事や経済人、作家らが並ぶ。安倍人脈と見られる人も多い。そもそも、受験生の気持ちを代弁できるような人がいれば、こんな「上から目線」、俯瞰的視点だけの提言にはならない。

こうしたやり方は、教育基本法が定める「人格の完成」を置き去りにし、民主的な手続きも無視している。即ち、教育基本法1条に違反する。

新テストの記述式は「思考力・判断力・表現力」を試すはずだった。しかし、そう言いだした大人たち自身は、どうやら主体的に考える力も、実現性を判断する能力も不足していた。政治家の言い分や民間教育産業の声ばかり聞いたのではないか。自らの足りないところを補うために、当事者に接近して学ぼうとする努力を惜しんだ。

この中にあって、中高校生のグループが新テストの中止を求める署名を集めて提出したり、文科省前で抗議集会を開いたりした。切実な声が状況を動かしたと思う。諦めずに行動し、国の施策を押し戻した若者たちを尊敬する。彼らに希望を見た。

(出典)欠落した受験生の視点 教育基本法と国際準則に反する 大学入試改革の誤謬|47NEWS

記事紹介|外国人が驚く日本の特異性「学校への絶対信仰」

日本の特異性は際立っていて、左下の極地にある。教師の言うことを聞く生徒は多いが、教師と良好な関係にある生徒は少ない。何とも変わった社会だ。

アメリカの社会学者ロバート・K・マートンの表現を使うと、日本の生徒は「儀礼的」な戦略を取っていることになる。勉強に興味は持てないし、本当は(ウザい)教師の言うことなど聞きたくないが、成績に響いたり退学になったりすると困るので仕方なく従順にしているという具合だ。

マートンは、文化的目標にコミットしていなくても、そのための制度的手段を(やむなく)承認する適応様式を「儀礼型」と名付けた。日本の生徒のケースでは、勉強して偉くなろうとは思わないが、学校を卒業しないと落伍者の烙印を押されてしまう、という強迫観念に突き動かされていることになる。

このような儀礼的戦略を幼い頃から行使し続けると、どういう人格形成がされるのか。おそらくは、自分の頭で考えることをせず、周囲に機械的に合わせるだけの付和雷同型の人間ができ上がる。過剰適応型人間と言えるかもしれない。日本の企業社会は、このような人々によって支えられている側面がある。法を遵守しない、やりたい放題のブラック企業がはびこる土壌の一端もここにある。

外国の研究者を驚かせる日本の生徒の適応様式は、内面の同調を伴わない儀礼的なものであり、単純に誇れるものではないと認識する必要がある。

現在では、インターネットを使って簡単に知識を得ることができる。そのような情報化社会で、学校だけが教育の場であり続けることはできない。しかし日本では、学校への絶対信仰がいまだに強く、必要性が感じられなくても、生徒は長期間学校に通うことを強いられる。教育機会の多様化が議論されているが、子ども期は「学校がすべて」という現状からの変化を望みたい。

(出典)日本の生徒は「儀礼的」に教師に従っているだけ|ニューズウィーク日本版

記事紹介|日本の研究環境の刷新を先導する若手研究者支援策の構築を

今回の年700万円の研究費を10年にわたり支援するという提案自体は、世界の中で違和感はない。むしろ、遅すぎたと言える。そういう前提で、では制度設計上どのようなことを当初から考慮しなければならないかについて考えてみたい。

1 「3年間だけ」は絶対ダメ

まず絶対にそうなってほしくないこととしては、3年間だけ選考して、4年目からはこの制度がなくなってしまうことである。もしそうなると、いわば就職の氷河期と逆な形で、同じような事態が発生する。ある年次の研究者だけにチャンスがあり、その他にはないとなると、研究者間の公正な競争が阻害されるし、研究者の間でモラルハザードも起こり、若手研究者全体の活力に多大な影響を与える。

先進各国が累次の支援を何十年と継続していることから、このことは明らかである。冒頭に紹介した各国以外でも、2001年に創設されたスウェーデンの「未来の研究リーダープログラム」では3年ごとに20人を採択して、プログラム自体はずっと続いている。米国科学財団のキャリア・プログラムは1995年から続いていて、テニュアトラックにのった助教授を対象に毎年600人程度を採用し、5年間に40万ドル(約4400万円)を支援している。

今回の案が経済対策のための補正予算で取り上げられたということは一度限りの措置ということを意味しているが、もしそうであれば、4年目以降は必要とされる金額が大きくなっていくので、補正予算ではなく毎年の本体予算を拡充して必要となる金額を措置するとか、可能な時に必ず補正予算を獲得して基金に積み立てておく、など、しっかりした制度設計を当初にしておく必要がある。首相など政府のトップがその必要性を明確に発言すべき課題でもある。

2 流動性を高める工夫を

日本の大きな課題は研究者のモビリティ(流動性)が低いことである。東大を卒業したら、大学院も教職も東大にいるというようなケースである。学問の専門分野化が進む現在、これでは視野の広い教授がうまれない。

海外に半年なり1年滞在して研究活動を行ったことを今回の支援の申請資格の一つとすれば、海外で武者修行をしようという若手研究者も増えるであろうし、本人にとっても視野を広げるチャンスとなる。欧州での卓越した若手研究者支援プログラムでは、海外経験が当然の前提になっている。今回のような規模のグラントであれば、そうすることも可能ではないだろうか。

また、海外からの申請も受け付けるべきである。その場合、採択後の研究実施場所を日本国内に限ると制限することは政策的にはあってもおかしくない。さらに採択された場合、受け入れ機関さえあればどこに移動して研究してもよいという仕組みも導入すべきである。

3 途中打ち切りはしない、を原則に

最後に、今回の支援は比較的長期であるので、若手研究者には落ち着いて研究してもらう必要がある。そのためには、研究が進展していれば、途中で中間的な評価を行うとしても、基本的には継続して活動できることを原則とすべきである。英国、ドイツ、EUの事例においても透明でない中間評価の結果による支援の打ち切りという話は聞かない。中間評価にあたっては当初から評価基準を明示しておく必要がある。もちろん、その前提として、信念と責任感のある選考委員を見出す見識が資金提供機関に求められる。

(出典)700万円、10年の若手研究者支援策に望むこと - 永野博|論座

記事紹介|今年の重要人物10人


  1. アマゾン川流域での森林伐採急増の実態について自国の大統領を批判して国立宇宙研究所の所長を解任されたブラジルの物理学者Ricardo Galvão
  2. 生物多様性の専門家145名からなる委員会の共同議長を務め100万種が絶滅の危機に瀕していると報告した生態学者のSandra Díaz
  3. 温暖化に対する各国の取り組みの遅れが地球や次の世代の人々をいかに脅かしているかを世界に訴えたスウェーデンの若き活動家Greta Thunberg
  4. カナダの電波望遠鏡に高速電波バースト(FRB)の最も優れたデータを収集する能力をもたらすのに一役買った天体物理学者Victoria Kaspi
  5. 数時間前に死んだブタの脳を生き返らせて生と死の境界に関する考察に挑んだ神経科学者Nenad Sestan
  6. エボラ出血熱の発見時から40年以上にわたりその流行と戦い続けてきたコンゴ民主共和国の微生物学者Jean-Jacques Muyembe Tamfum
  7. CRISPR遺伝子編集技術を用いて成人の細胞を修正する臨床試験の結果を初めて報告した幹細胞生物学者Hongkui Deng
  8. 保存状態の極めて良好な380万年前のAustralopithecus anamensisの頭蓋の化石を発見して人類の系統樹を一新した古生物学者Yohannes Haile-Selassie
  9. 実際に量子コンピューターが最高性能の従来型コンピューターより速く計算できることを実証した物理学者John Martinis
  10. 中国で行われた臓器移植の一部がドナーの同意を得ずに進められた可能性を示す証拠を明らかにした倫理学者Wendy Rogers

(出典)Nature ハイライト:特集:2019年を振り返る:今年の重要人物10人|Nature Research

記事紹介|日本の大学の未来

さまざまな角度から世界の大学を分析し続ける高等教育研究の第一人者(オックスフォード大学のサイモン・マージンソン教授)に、日本の大学の現状への評価とその未来について語ってもらった。

若手を雇用できない

研究者を産業界に供給する力をみると、日本の大学は弱くなっている。ランキングの順位と、大学や研究現場への公的支出は相関性が高い。研究者の数とランキングの地位も同様だ。

その観点からランキングを見ると、日本は大学への投資が少なく、人が育っていないということができる。ランキングの中でトップ50位どころか、100位の中にも日本はなかなか入らない。基礎科学の力自体は落ちていないのに。大学に投資をしていないということが研究活動に取り組む若手の雇用を減らし、ランキングの順位低下につながっている。それが20年、30年と続いているのではないか。

停滞する日本、加速する世界の変化

明治時代から現在に至るまで、日本は国として統合的な意思決定をしてきた。それを支えているのが東大などで、官僚を送り込んできた。ただ、他の国と同様、大学のガバナンスに関しては問題を感じる。

例えば、学長を選挙で選ぶ慣習だ。非常に大きな研究大学であれば、運営していくための強い能力が必要で、経営力を高めるための経験が欠かせない。そうした経験もなく、いきなり学長になる仕組みがあることは問題ではないか。

選挙制度そのものが悪いと言っているのではない。だが全ての学長は、学長、リーダーとしての訓練を受けた人がなるべきだ。学長に限らず、国、会社でも同じことが言えるだろう。

日本の大学のこれから

1980年代、日本は様々な点から世界を席巻した。経済成長、製品だけでなく、文化的にも音楽や洋服が注目されていた。経済は「ナンバーワン」だと恐れられてもいた。だがそれは、日本の大学がいいから、日本の大学のガバナンスが優れているからだとは誰も思っていなかったはずだ。もちろん大学改革は重要ではあるが、日本の復権を図る中核的要素とは思えない。
シニカルな言い方をすれば、政府は現在の経済の停滞の責任を大学に押し付けている。それが本当のところではないか。

大学の最もイノベーティブな部分は、専門研究と教育にある。健全な科学システムを保持しなくてはいけない。そのシステムを支えるのは、博士課程とポスドクの若い人たちだ。高い研究の質と量を目指そうというカルチャーをつくることが大事だ。

いくつかの大学を指定して、別の役割を与えるのはいい考えだと思う。その場合、旧帝国大学復活のような話は、それ以外の大学とのバランスが必要だ。特に私立が人材養成で果たしてきた役割を考え、どうバランスをとっていくかが大事だ。

エリート大学に入れる人と入れない人の境目をあいまいなままに、研究大学がサイズをどんどん大きくするというのは現実的ではない。とはいえ、人口全体が減り始めているなかで東大に入りやすくなっているのは、才能があるのに入れなかった状況が多少は緩和されるという面もあるから、一概に否定はできない。

人口減少と高等教育との関係を考える際に注意すべきは、大衆向け私立大学が多大な影響を受けていることだ。日本は驚くべきことに、大学数が減っていないどころか、増えている。実に不思議だ。今まで入れなかった人たちが入っているのだろうが、大学に入る準備ができていない人たちなので、より手間がかかるはずだ。

大学は、中世の宗教的な組織から現代まで絶えずその形を変えてきた。通底するのは教育と研究をする複合的な機関であることだ。純粋な知識と応用的な知識を抱えて、中世においては法学と医学が重要だった。現代は、自然科学や人文学のほか、ビジネスや工学などの応用分野もある。教育と研究、社会貢献が大学の中核だ。研究機能のない大学もあるが、常にその機能を持たなければ大学ではない。研究所とも違うし、教育だけの学校とも違い、それらを複合的に持っているのが大学の特性だ。

大学は、公的な仕組みの一つでもある。独立性があり、軍隊とも、財務省や他の省庁とも一線を画している。北京大学を見ると、共産党を中心とした支配システムがあるものの、完全に支配してしまうと学問が潰れてしまうのも党は知っているので、ある程度、自由にすることが認められている。

社会に対する責任、貢献機能はもともと中世ヨーロッパにはなかった機能で、大学がアメリカに誕生してから大きく拡大した部分だ。半面、大学は機能を抱えすぎていて効率的にはなり得ないという見方もある。

ひとこと

ランキング自体には罪はなく、活用する側に問題があるのかもしれない。ともあれ、大学は様々な指標に縛られ、順位向上のため全力疾走を求められるようになった。社会を覆う大学への不信感とコスパ重視の効率主義に気を使いつつ……。機能を抱えすぎた大学は効率的にはなり得ないという、結びの言葉が耳に残る。効率的な大学とは、どんな姿だろうか。そして、それは私たちが望む姿だろうか。(奈)

(出典)異見交論 第2回 オックスフォード大学 サイモン・マージンソン教授 ランキングから見える日本の大学の未来|文部科学 教育通信

記事紹介|山を出なければ山は見えない

夫婦はもともと赤の他人です。

食事なんかも他人様がわざわざ自分の為に作ってくれていると思えば有難くて仕方が無いはず。

そう思えば普通、「いつも すみません」とか「ありがたく頂きます」と一言ぐらい何か言うでしょう。 

食事を「隣のおばさん」が作って持ってきてくれる。

給料を「隣のおじさん」が持ってきてくれる。

夫婦、お互いがそう考えたら、共にとてもありがたい存在のはず。

なのに食事を作ったのが「妻」になったとたん、味付けや品数で不満を言い感謝出来なくなってしまう。

給料を持って帰ってくるのが「夫」になったとたん、あたり前になって、多い少ないと不満を持ってしまう。

おかしいと思いませんか?

何事も当たり前になった途端、感謝がなくなる。

「当たり前」の対義語は「ありがたい」だ。

「有難い」は、今ここにあることが本当に珍しいこと、有ることが難(かた)いこと。

夫婦に限らず、親子、兄弟、と身近になればなるほど、当たり前になり、感謝がなくなる。

「山を出なければ山は見えない」

身近な存在の有難さに感謝したい。

(出典)山を出なければ山は見えない|人の心に灯をともす

記事紹介|学び続ける

「心ここに在(あ)らざれば、視(み)れども見えず、聴けども聞こえず、食(くら)えどもその味を知らず」

心がここになかったら、視ていても見えない、聴いても聞こえない、食べてもその味が分からない、という。

古典の名著『大学』にある言葉である。

次に弘法大師空海の言葉。

「医王の目には途(みち)に触れて皆薬なり。

解宝(げほう)の人は鉱石(こうしゃく)を宝と見る」

名医は道に生えている草の中からも薬を見出し、宝を解(かい)する達人は普通の石の中にも宝を見つける、というのである。

結局、人生はこの二つの言葉が指し示すところに尽きるのではないだろうか。

真理は月の光のように満ちあふれている、と言ったのは誰だったか。

見る目を持った人が見れば、人を幸福に導く真理は至るところにあふれているのに、それに気づき、つかもうとする人がいないことを示唆した言葉である。

では、どうしたら満ちあふれる真理に気づき、医王の目を養い、解宝の人になることができるのか。

古来多くの名人、達人の生き方にそのヒントを探れるように思う。

その第一は「真剣に生きる」ことである。

まったくの徒手空拳(としゅくうけん)から身を起こし成功を勝ち得た人は一様に、真剣に努力した人である。

そういう人のみが天地不書の秘伝、法則をつかむのだ。

第二は「恩を忘れず、恩を返す」。

受けた恩を忘れないで必ず返そうとする姿勢に、宇宙の霊妙(れいみょう)な働きは呼応(こおう)するのである。

第三は「いまここに生きる」こと。

人生は「いまここ」しかない。

その「いまここ」に集中する。

心の焦点が定まっていない人に、真の気づきは得られない。

第四は「学ぶ」ことである。

松原泰道(たいどう)老師がよく口にされる『法句教(ほっくきょう)』の言葉がある。

「頭(こうべ)白しとて

このことによりてのみ

彼は長老(おさ)たらず

彼の齢(よわい)

よし熟したりとも

これ空しく

老いたる人とのみ

よばれん」

高齢者になったから尊いのではない。

高齢者になってもなお道を求めてやまないところに年を取る意味はあるのだ、と師は言われる。

結局、いくつになっても、どの年代であっても、我々の真価は「学び続けているかどうか」によって決まる。

学ぶ心がなければ、自分の魂を磨くことはできない。

「徳は孤(こ)ならず、必ず隣(となり)有り」

という論語の言葉がある。

徳を積んだ人は、必ずその人に共感し協力する者が現れるので、孤立することはない。

つまり、学び続けて、徳が高まった人の晩年は、たくさんの支持者やファンに囲まれて過ごすということ。

反対に、まったく学ばず、魂も磨かず、ただいたずらに年を取ってしまった者は、空しい老人になるしかない。

真剣に生き、恩を忘れず、恩を返し、今ここに生き、そして、学び続けること…

いくつになっても、道を求めてやまない人でありたい。

(出典)道を求めてやまない人|人の心に灯をともす

2019年12月18日水曜日

記事紹介|国の指示待ち大学からは、指示待ち人間しか育たない

大山鳴動してネズミ一匹――。英語民間試験に続き国語と数学の記述式問題の導入も見送られ、2020年度大学入試改革の"目玉"は「センター試験」から「共通テスト」への名称変更のみとなった。

「明治以来の大改革」と大風呂敷を広げ、共通試験の複数回実施や一点刻み入試からの脱却、合科目型出題など様々な論点を掲げた顛末(てんまつ)は事実上の現状維持。受験生を翻弄しただけだった。

迷走の原因は何か。思いつきのアイデアをぶち上げた政治・首相官邸。無理筋と知りながら従った文部科学官僚。ビジネスチャンスとばかりに飛びついた教育産業。現場の負担を口実に現状維持に走った高校……。だが、最も責任を負うべきは、当事者意識もなく国に追随した大学だろう。

入試とは自分たちが教えたい学生を、自分たちの責任で選抜する取り組みだ。最重要事項のはずなのに、大学、特に国立大学は受け身に徹した。

目的も実施方法も異なる複数の民間英語試験を入試で本当に使えるのか。50万人規模の試験で記述式問題の採点を、公平・公正かつ迅速にできるのか。大学が多様化する中で大規模の共通試験に意味はあるのか……。論点は山積したが、個々の大学も国立大学協会も「国の方針が固まっていない」と正面からのオープンな議論を避け続けた。

受け身の象徴が英語民間試験への対応だった。一旦は82校中78校が活用を表明したが、国が見送りを決めた途端、大半が取りやめたのである。

内外で大学間競争は激しさを増す。競争の核心は教育と研究だ。どんな教育を目指し、それにふさわしい学生をどうやって集めるのか。そこでしのぎを削るべきなのに、国の言いなり・横並びでは、まともな戦略を持てるはずもない。国の指示待ち大学からは、指示待ち人間しか育たない。今こそ、大学は主体性を取り戻すべきだ。(編集委員 横山晋一郎)

(出典)国の言いなりで人材は育たない 大学の主体性見えず|日本経済新聞

2019年12月13日金曜日

記事紹介|大学が子どもたちの居場所となる

大学にしかできない素晴らしい取り組みではないでしょうか。(以下引用)


筑紫女学園大学は、太宰府市教育委員会と連携して、不登校の子どもの居場所づくり「キャンパス・スマイル」事業を今春スタートした。同事業は、太宰府市内の小中学生を対象に、学校を休みがちな子どもの居場所を大学キャンパス内に作ろうというもの。学内の研修を受けて認定された約80人のスマイル・サポーターが、子どもの伴走者として一緒に活動する。

同大には、教員や幼稚園の先生、カウンセラー、ソーシャルワーカーなどを目指す学生がいる。彼女たちにとって、子どもと接する機会は学びとなる。サポーターの1人は「私が中学生のとき、大学生のお姉さんたちが学校に来て一緒に過ごしてくれたことで救われました。だから、今度は私がそんな存在になりたい」と活動に加わった。

(出典)不登校の小中学生、大学が「居場所」になるのか|東洋経済オンライン

記事紹介|危機に瀕する日本の科学技術

ノーベル賞の授賞式が12/11午前0時半(日本時間)からスウェーデンのストックホルムで行われ、化学賞に選ばれた吉野彰さんにスウェーデン国王から記念のメダルと賞状が贈られました。

歓喜に沸く一方、我が国の研究力の低下傾向はまさに危機的状況との厳しい指摘があります。多くの分析から要因は明確になっており、政策決定者(とりわけ財務省)や経済界の重鎮のみなさんには、真摯に受け止め行動していただくことを願っています。(以下最近の関連記事から抜粋引用)


ノーベル賞・吉野彰さん「基礎と応用、両輪が重要」|2019/10/9 日本経済新聞

日本の大学の研究は曲がり角にきている。企業の研究も以前とは違うようになってきた。

基礎研究は10個に1個当たればいい。現状は無駄な部分だけを取り上げられて予算をカットされる。無駄なことをいっぱいしないと新しいことは生まれてこない。

自分の好奇心に基づき、何に使えるかは別にして、新しい現象を一生懸命見つけることが必要。

もう1つは逆で、本当に役に立つ研究。これを実現するためにこういう研究をやらないといけないという。企業でも大学でも同じだ。

この2つがきれいに両輪として動いていくのが理想的な姿だ。(吉野彰さん)


研究は環境問題解決へとつながっていく 吉野彰氏がノーベル賞受賞決定後初の講演|2019/10/17 サイエンスポータル

吉野氏は、IT革命の次にやって来る「ET革命」への期待についても触れた。

ETの「E」はエネルギーや環境(Environment)、「T」はテクノロジーを指すという。

吉野氏は、現在人類の課題となっている環境問題に対して、電池のほかAI(人工知能)やIoT技術などが中心となって大きな変革をもたらすだろうとし、「今後は、環境問題解決に対して切り札となるような技術が出てくるでしょう。

(私に続く)19年後には、環境問題への最大の貢献ということでノーベル賞を受賞する人が出てくるかと思います。

できれば、日本からそういう人が生まれてほしいです」と展望を明快に語り、約1時間にわたる講演を締めくくった。


研究力強化のための大学・国研における研究システムの国際ベンチマーク|JST

欧米に共通しており、日本と大きく異なる点が3つある。

若手人材開発、グローバルな教育研究環境、研究インフラ・プラットフォームに対する考え方である。

これらはいずれも中長期的展望と持続可能性の視点で考えなければならない施策であり、日本の研究システムではこうした視点が欠けていると言って過言でない。

大学や国研は時代の変化を見越した中長期的な持続可能性を考慮した形で自主改革を進めることが切望され、同時に国(政府)はこれを促す制度を導入すべきである。


日本の研究力を損ねた「選択と集中」|2019/9/24 日本経済新聞

米国の歴史学者、ジェリー・Z・ミュラー教授による「測りすぎ」(原題はThe Tyranny of Metrics)という本がある。組織のパフォーマンス評価のため数値目標を掲げた結果、有害な影響が生じることが、学校や病院、警察など様々な職場における多くの実例で示されている。医師が自らの治療成績を高く維持するためリスクの大きな手術に手を出さないという事態が米国ではあるようだ。

数値目標が内包する課題のひとつは、組織や個人のパフォーマンスを測るうえで目標数値が正しい評価指標であるとは限らない点だ。手術の成功率がよい医師であることの指標とは必ずしも言えない場合がある。論文の被引用回数が研究の質を保証しないこともある。本当に知りたいことを測るため、簡単に「測れる」指標をとりあえず代用しているにすぎない場合が多い。

評価の参考のひとつであれば問題はないのだろうが、組織や個人の死命を制する指標として広く使われ出すと、数値目標が独り歩きしパフォーマンスをゆがめ悪影響ばかりが生ずる。

日本の科学技術予算配分をめぐっても、大学と政府の非難合戦にとらわれず、「測りすぎ」の問題を冷静に議論する場が必要ではないだろうか。


ノーベル賞受賞/基礎研究こそ日本の強みだ|2019/10/11 河北新報社説

今年のノーベル化学賞が、旭化成名誉フェローの吉野彰氏(71)に贈られることになった。日本人のノーベル賞受賞は27人目で、自然科学部門の受賞ラッシュが続く。

基礎研究の裾野の広さが改めて評価されたと言えよう。他方で、研究実績の先細りを憂う声も聞かれる。

受賞した内容は30~40年前に取り組んだものが多く、最先端分野では研究費の減少もあって、研究レベルを示す各指標は下がり続けている。

背景には、大学や民間企業でじっくりと専念できる環境が失われている点が挙げられる。目の前の成果を求められ、追い立てられるように論文をまとめるのが普通の光景になった。

日本のものづくりは、こつこつと積み上げられ、築かれてきた。吉野氏は受賞インタビューで「研究開発は時間を要する。リチウムイオン電池も研究から市場に出回るまで15年かかった」と語った。

受賞を機に基礎研究にいそしむ若手に光が当たると同時に、長く時間のかかるテーマが評価され、現場が活気づくことを望みたい。

日本の大学の理系論文数は2000年ごろから横ばいとなり、米国、中国とは比較にならないほど低調だ。

特に他の論文に引用された「影響力のある論文」では、国別ランキングで20年前の4位から11位(16年)に。研究費の減少、国立大学の法人化と軌を一にしている。

国は、研究室が自由に使える運営費交付金を減らしつつ、競争原理を働かせようと複数の学者が獲得を争う競争的資金へのシフトを進める。

獲得できれば大学の予算も潤うため、本部から応募を促され、申請書や報告書作りの雑務に追われて研究の時間は大きく削られた。

競争的資金の期間は3~10年に限られる。研究者の雇用は任期付きとなって、博士号取得後に研究職に就く「ポスドク」の身分は不安定となる。任期切れが近づくと就職先探しを迫られる。

競争的資金は、応募者が増えて倍率が高い。「金なし、研究時間なし、ポストなし」の状況で、博士号取得者そのものが減り続け、論文数の減少につながっている。

「選択と集中」で生産性を高めると国は言うが、学識者からはすこぶる評判が悪い。18年のノーベル医学生理学賞に輝いた本庶佑氏は「1億円を1人にあげるのでなく、10人にあげて10の可能性を追求した方が、成果を期待できる」と話している。

大隅良典氏(16年、医学生理学賞)は「国全体の雰囲気が効率をあまりにも求め過ぎている」と訴える。軌道を修正し、研究と教育のありようについて議論の質を高める時だろう。

分岐点にあるとの危機感を持ち、これからも研究者の笑顔を見続けられるよう厚みのある環境をつくってほしい。


「博士の卵」半減!科学王国日本の超ヤバい未来|2019/09/30 東洋経済オンライン

博士課程を修了しても、安定した就職先に恵まれるのは、10人に1人にも満たないということです。諦めずに研究を続ける人は、40歳を過ぎても、3年から5年の任期付きの不安定な職を転々としています。このような状況で、いったい誰が科学者になろうという夢を持ち続けることができるのでしょうか。

若手研究者の大半が任期付きの研究職で次の仕事に汲々としている状況で、未来のノーベル賞科学者が生まれるはずもありません。

将来の科学者を育てるはずの大学院博士課程で空洞化が進行しています。進学者の絶対数が減っているだけでなく、優秀な人材ほど逃げていく。つまり、質量ともに劣化しているのが、日本の大学院博士課程の実情です。

このままでは、近い将来、日本から科学者が消えてなくなってしまいそうです。

記事紹介|馬鹿な集団

集団は、馬鹿にもなるし賢くもなる。

「馬鹿な集団」とは、

独善的なリーダーがいて、思考停止したナンバー2がいて、

無関心なその他大勢がいる集団

それに対して賢い集団とは、一人一人が役割を持っている集団

例えばリーダーと言う役割、リーダーを支えるという役割、

自分の意見は言わないけど疑問があると質問をする役割、

誰かが発言すると「それ、いいね」とエールを送る役割、

重い空気だと感じたらその場を明るくする役割、

疑問を感じたら勇気を出して反論する役割、等々。

米澤 晋也

(出典)集団|今日の言葉

記事紹介|脚下を見よ!

一番大事なものは一番手近なところにあるのであり、

一番貴いものは一番低いところにあるのであります。

之に反して一番大事なものが高いところ、

遠いところにあると考えているのは、

これは肉眼で見ているからであります。

森 信三


心眼で見ると本当に大事なものが見えてくる。

空気であり、命であり、健康であり、家族といったものは身近すぎて、

その価値に気付きにくいものの代表でしょう。

失って初めてその大切さが分かるというのでは、感謝する機会を逃してしまう。

また、

「腰を屈(かが)めなければ真実は掴めない」という言葉があるように、

貴いものは屈まなければ、腰を落とさなければ拾えない。

下座に生きることで物事の尊さが分かるのですね。

脚下を見よ!

(出典)大事なもの|今日の言葉

記事紹介|生産性を上げるとは人が成長すること

遊ぶ時間をつくるために…

ご飯を食べに行くために…

デートをするために…

面倒なことをラクに終わらせるために…

いかに効率よく仕事をして成果を出すか。

その方法を自分の頭で考えだすことが、「知的生産性を高める」ことだと僕は思っています。

「生産性を上げる」とは、「時間当たりの産出量を増やす」ことです。

言い換えると、「人が成長すること」と同義だと思います。

新入社員のときは5時間かかっていた仕事が、3時間でやれるようになったら、上司や先輩から「成長したな」と褒められるのではないでしょうか。

生産性を上げるとは、

●「同じ仕事をより短い時間でこなすこと」

●「同じ時間でたくさんの量をこなすこと」

●「同じ時間で仕事の質を高めること」

であり、それはすなわち、人が「成長すること」を意味しています。

そして、知的とは、自分が成長するために社会常識や他人の意見を鵜呑みにせず、原点にさかのぼって「自分の頭で考えること」です。

●「知的」=「自分の頭で考える」

したがって、知的生産とは、

●「自分の頭で考えて、成長すること」

だと僕は定義しています。

日本は、「世界一進んでいる高齢化で、何もしなくてもお金が出ていく」という状況に置かれています。

1950年には、総人口の5%にも満たなかった高齢化率(65歳以上人口が総人口に占める割合)は、18.1%(2018年9月時点)に達しています。

国立社会保障・人口問題研究所が行った全国人口推計によると、2065年の高齢化率は、38.4%まで上昇すると予想されています。

1年経てば日本は1歳年を取るので、介護、医療、年金などにかかる費用は、予算ベースで考えても、新たに年間5000億円以上増えていきます。

社会保険料を加味したら、ゆうに1億円を超えるでしょう。

高齢化率が上昇すれば、支出額はさらに増大します。

新たに出ていく分を取り戻さなければ、日本は貧しくなるだけです。

●「何も改革を行わず、みんなが貧しくなるか」(黙って出費を受け入れるか)

●「知的生産性を高めて、経済成長するか」(出費分を補う工夫をするか)

の2択を迫られているのが、今の日本です。

貧しくなりたくなければ、GDP(国内総生産/一定期間内に国内で生産された財貨・サービスの価値額の合計)を上げて新たに増加する支出分を取り戻すしか方法はありません。

GDPとは、「人口×生産性」のことです。

GDPを上げるには、人口を増やすか、あるいは生産性を上げる必要があります。

人口はそう簡単には増やせませんから、一人ひとりが自分の頭で考えて知的生産性を高めるしか選択の余地は残されていません。


出口氏は、「頭がよくなる3つの学び方」を紹介している。

それは、《同じような人に会わず、いろいろな本を読み、似通った場所には行かない》ということ。

そもそも自分の頭の中にさまざまな情報や知識がなければ、アイデアは浮かびません。

イノベーションやアイデアは、自分の仕事を深堀するだけでは生まれないのです。

新しい情報や知識を自分の頭の中に取り込むためには、幅広く学ぶことが必要です。

学ぶためにの方法は、3つあります。

たくさんの「人」と出会い、たくさんの「本」を読み、たくさん「旅」をして(現場に出て)経験を重ねることです。

「アメリカの大学生は、4年間で平均400冊の本を読む。日本の大学生は100冊に満たない。同じ職場に就いたらどちらの学生に面白い仕事が与えられるか、それはもう、決まっているよね」

そして、「人」に関しては、

「会いたいと思った人には、すぐに会いに行く」

「食事やお酒に誘われたら、原則、断らない」

「10人以上集めてもらったら、可能なかぎり、どこへでも話しに行く」

のが僕の信条です。

多様な脳が集まれば集まるほど、アイデアが生まれやすくなる。

ですから、自分とは異質な脳を持つ人に出会うことが大切です。

一言で言えば、世間でよく言われる「ダイバーシティ」がとても大切だということです。

これから、人口が急速に減っていく日本。

この大変化の時代を生き残るためには、生産性を上げるしかない。

諸外国に比べて著しく生産性の低い日本…

一人ひとりが、自分の頭を使って、各々の仕事場や、生活の場で、「知的生産術」を考え、それを行動に移すしかない。

たくさんの「人と本と旅」に学び、知的生産術を身につけたい。

(出典)知的生産性を高めるためには|人の心に灯をともす

2019年12月12日木曜日

記事紹介|不幸な役所文化

国立大学等の事務組織は、元々、文部科学省の出先である「行政組織」。法人化され数年が経過した今でも役人意識や役所風土が散見されます。(以下抜粋引用)


役所は前時代的なマネジメントから脱却できておらず、役所組織の都合を職員に強いる。組織が個の力を活用することで生き残ってゆく時代には、役所も職員が持つ個の力を引き出していくことが求められている。なぜなら、それが組織の目的を果たすための大きな力になるからだ。

バッシングを嫌がる公務員が、同僚をバッシングする

業務を改善しようとすると、前任者や先輩の仕事を否定する者、さらには仕事を増やす迷惑な者として捉えられ、陰口、批難、抵抗にあう。そのため、改善を進める者は、組織内の調整に多大なリソースを割くことになり、大きな精神的負荷がかかる。

公務員という組織人には、年功序列の給与制度がある。これについては当人が公務員を選択する前からわかりきっていることではある。しかし、仕事で成果を上げても、すぐに報酬や役職に反映されないどころか、周囲からは出る杭として叩かれる。こうした状態では、頑張ろうとする職員を増やすことは難しい。

公務員バッシングという負の現象の根源にあるもの

役所は地域における独占企業といえる。民間企業が直面しているような市場競争にさらされていないため、「意識が内部に向きやすい」。

次に、既存業務の運用に間違いを起こさないことが重要視されるため「個を生かす感覚が希薄」である。

さらに、「公務員は黒子であることが正義だという固定観念」も根強い。

そして最後に、「同僚への嫉妬心」である。目立つことを控える組織文化のなかで、注目を浴びる同僚に向けられる目は冷ややかだ。

公務員が同僚の足を引っ張る構造により、短期的には職員の平均的なモチベーションが低下し、業務の質が低下する。長期的には、採用や育成に支障をきたし、組織の成果に悪影響を及ぼすだろう。

バッシングする者は自らの首を絞めている

サービスを享受する有権者側の志向は多様化している。役所のようなサービス提供側は、これまでより広く、より深いサービスを提供しなければならない。こうした状況にあって、組織が成果を生み出すうえで重要なのは、いかに個人の能力を発揮させられるかという点だ。それにもかかわらず、組織内で目立つ者を叩く文化が蔓延していることは不幸以外の何物でもない。

地方自治法第2条には、「最少の経費で最大の効果を挙げるようにしなければならない」と掲げている。しかし役所には、努力をする職員が安心感を得ながら邁進できる環境を、自壊する側面がある。公務員個人の活躍を阻害する文化や慣習は見つめなおすべきだろう。同僚同士でいたずらにモチベーションを下げるような安易なバッシング、揶揄、言動は意識的に慎むべきだろう。

(出典)不幸なお役所文化、公務員はなぜ公務員を叩くのか|ダイヤモンド・オンライン

2019年12月11日水曜日

記事紹介|人はいつも「正しい」ことではなく「温かいもの」を受け入れる

人間にエネルギーを吹き込むものは、「感謝」「笑顔」「賞賛」の3つです。

「ありがとう」と感謝されると元気になる。

そして「笑顔」を向けられると元気になる。

さらに「今日の服は素敵ですね」など、何でもいいから褒められると元気になるのです。

これら3つと反対の概念は、「あらさがし」「不機嫌」「不平不満」。

これらは周囲の人々のエネルギーを奪います。

エネルギーダウンしている人がいたら、「頑張って」とは言わず、「感謝」「笑顔」「賞賛」で、あなたはあなたのままでいい、あなたがいてくれて嬉しい、と言ってあげれば元気を取り戻します。

自分を否定してしまっているようなとき、賞賛でエネルギーが充電されます。

充電できるよう、「褒めっぱなしメガネ」で人を見つめ、いつも温かく優しい言葉を投げかけましょう。

人にエネルギーを吹き込むことができる人の周りには、温かさが満ちていくことでしょう。


親子関係で悩む人は少なくありませんが、もともと子どもは、親を慕うようにできています。

しかし「正しいことを言えば、わかってもらえる」とか「これは常識的なことだから」という考えでいたら、うまくいきません。

人はいつも「正しい」ことではなく「温かいもの」を受け入れるからです。

人間関係が柔らかく温かいものであれば、問題はクリアされていきますが、その人との関係がうまく形成されていなければ、いくら正しいことを主張しても聞き入れてはくれません。

説得力を磨くより、「温かく柔らかな人間関係をつくる」という解決方法を覚えておくといいですね。

子どもを言い聞かせ教育していくより、親が“実践者”として見本になっていきましょう。

親子関係がいいものになれば、ほかの部分までうまく回り始めます。

一番身近な人間関係を見つめ直し、築いていく。

子どもは、それを教えに来てくれている、とても貴重な存在だと思えるのです。

「春風を以(もっ)て人に接し、秋霜(しゅうそう)を以て自ら粛(つつし)む」

という、江戸時代の儒学者・佐藤一斎の『言志四録』に出てくる言葉がある。

人に対しては、春の風のように穏やかで和やかな心、温かな気持ちで接し、自分に対するときは秋の霜(しも)のように厳しい心で自分を律していかなければならない、という意。

説得力を磨くのではなく、「温かく柔らかな人間関係をつくる」 こと。

そして、人間にエネルギーを吹き込むものは、「感謝」「笑顔」「賞賛」。

エネルギーダウンしている人がいたら…

春風のごとく、穏やかで温かな気持ちで接したい。

(出典)エネルギーダウンしている人がいたら|人の心に灯をともす

記事紹介|ポジティブ思考

大局観をもてれば、物事を深く考えることができ、多角的な視点で社会との関係性などを見極めながら、状況に応じて適切なジャッジを下すことができるようになります。

先の見えない時代を勝ち抜くために、組織に属する一人ひとりが個性を磨き続けること、広い視野をもつことは、これまで以上に大事になってきています。

また、社会がダイバーシティに向かい、急速に価値観が多様化する一方で、AI(人工知能)やRPA(ロボティック・プロセス・オートメーション。機械学習や人工知能などのルールエンジンを活用した、業務の効率化・自動化の取り組み)が導入され、今後ビジネスパーソンに求められるものも変わっていくでしょう。

さらに、2020年以降は義務教育の内容も変わり、プログラミング教育や現代的諸課題への対応などの授業が必須となります。

そういった教育を受けた人たちが、いずれは新入社員として入社し、あなたの部下や取引相手になるのです。

令和の時代では、多様性や創造性を受け入れる方向に起業はシフトし、自ら学ばないビジネスパーソンはどんどん取り残されていくでしょう。

つまり、フレームワークなどを駆使する「左脳的」な知識と、アートをはじめとする「右脳的」な教養を、自らバランスよく学ぶことが、これからのビジネスパーソンに求められているといえます。


働くうえでも、生きていくうえでも、最も大事なのは「思考性」だと考えています。

そして、思考性のセンスがいい人と良くない人、2つのタイプが世の中にはいます。

前者は「ポジティブ思考」、後者は「ネガティブ思考」の人です。

その人の思考性は、会って1時間も話せばわかります。

たとえば、「大企業の業績指数が数年ぶりに低下」という報道を耳にして、ネガティブ思考の人は「だから、国の政策が間違っている!」と決め付けます。

あるいは会食の席で、会社や上司の愚痴ばかり言う。

でも、人の悪口や会社の批判を口にしてみたところで、何も解決しません。

個人的な感覚ですが、こうしたネガティブ思考の人は、社会全体の8割以上を占めているようです。

一方、ポジティブ思考の人は、どんなことも前向きな言葉に変換します。

先ほどの例なら、「たしかに、大企業全体で見れば業績指数は下がっていますが、この業種は伸びています」とポジティブな面に目を向けます。

ポジティブかネガティブか、どちらの思考性を取るかで、人生のベクトルが決定づけられると思います。

ネガティブ思考の人は、キャリアも上がらず、起業しても倒産を繰り返し、勉強してもうまくいかないケースが多いでしょう。

成功は自分の手柄として捉え、失敗は何かと言い訳をしたり、他人に押し付けようとします。

当然ながら人から好かれず、人望もありません。

社会人になっても学びなおすことを「リカレント教育」という。

新時代を生き抜くために、自分を常にアップデートさせることだ。

アップデートすることにより、最新の知識や技術を身につけ、自分のブランドを高める。

そのために必要なのが、ポジティブ思考。

「学びなおす力」を持っている人は、いつもポジティブだ。

なぜなら、未来を信じているから。

ネガティブな人は、否定から入る。

そして、未来も否定する。

「自ら学ばないビジネスパーソンはどんどん取り残される」

いくつになっても学び続ける人でありたい。

(出典)自ら学ばないビジネスパーソンはどんどん取り残される |人の心に灯をともす

記事紹介|議論しないための会議、議論させないための会議室

このような非生産的会議が一向になくならないのはなぜなのでしょう。議長役のファシリテーションスキルの低さにも大きな原因があるように思います。

大学の経営に関わる教職員は、自分の経験だけに頼る会議運営ではなく、スキル習得のための特別の訓練を受ける必要があるのかもしれません。(以下抜粋引用)


悲しいことに、まずは寝ている人がいる。なぜ寝るか。自分の役割がその会議の設定の中になく、発言も求められないからである。なんの緊張感もないまま座っていられるから、グーグー寝られるのだ。貢献しようとする意欲も知識もない。なまじ参加人数が多いことが最大の原因だろう。そもそも、こういう人は会議に必要とされていないので、出席しなくて良いのだ。

また、“魅せる”演技が上手な俳優もいる。組織的な成果を生み出すためではなく、いかに自分は気が利いていて優秀なのかをアピールすることや、上司をいかにうまくヨイショするかということだけを真剣に考えて発言する人である。見るからにイマイチな人なのだが、それにもかかわらず見事に出世していく(ちなみに、マキアヴェリは前掲書で君主が有能かどうかは側近を見ればわかると説き、また同時に人はどうしても身びいきであるため、自分をよく言う者にだまされやすく、お追従者を避けるのがどんなに困難かということにも言及していた)。

さらにもっとひどいのは、会議といいながら議論をさせないように計算されている会議室が多いことだ。政府関係の会議などを見ると、巨大な部屋に大きなロの字形の席を構築し、30メートル先の人に向かってマイクで話をするような設計になっている。

それぞれの状況を確認する報告会のようなものであればこれでも良いが、議論をするための会議であれば、およそありえない形状だ。主催者も事務局も、あまり意見が活発に出ないことを心底願っているのだろう。

会議をつつがなく終わらせることは、成果でもなんでもない。本来会議とは、実質的な成果を生み出すために参加者の衆知を結集するのが目的のはずだ。そうであるならば、年齢やポジションに関係なく、その場に貢献できる可能性のある人を招き、その場で丁々発止のやり取りがなされ、個々人の知恵が相乗効果を生むような環境を作ることが必要だ。

もちろん、一言も発言しない人がいてはならないし、寝る役員に居場所などあってはならない。

(出典)発言しない若手、寝るおじさん…なぜダメな会議は絶滅しないのか|ダイヤモンド・オンライン

2019年12月10日火曜日

記事紹介|好奇心と向上心は、走り続けるためのエネルギー

インターネットが、地球全体にある種の大きな革命をもたらし、国家や国境という概念が変化していくであろう。

そういう時代に備えるためにも、まず自分の心の中から、国境を消してみることだ。

日本は長い間、海と言語という2つの障壁によって、世界から孤立していた。

世界の荒波から守られていたといってもいいかもしれない。

その揺りかごのような世界で、独自の文明と文化を発展させてきたことは誇っていいことだろう。

けれどそれと引き換えに、世界とかかわる技術を成熟させることができなかった。

21世紀の現代になっても、その“後遺症”から脱却していない。

多くの日本人にとって“世界”はまだ、こちらから出かけていくひとつの異世界でしかない。

日本とは別に、世界という場所があるかのように感じている。

だから、どこへ行っても、自分たちは“お客さん”であるかのように感じる。

日本も世界の一部であり、それはつながっているひとつのものだという認識が持てないのだ。

いや、概念としてはそれがわかっているのだろうけれど、皮膚感覚としてそれを実感してはいない。

だから、外国のニュースは多くの日本人にとってどこか他人事なのだ。

中東で問題が起きれば、それがダイレクトに日本に影響するのは明らかなのに、そのことを当事者として考えようとはしない。

あくまで感覚的な話だけれど、欧米の人たちは外国で起きていることを、日本人が国内の他の地方で起きていることに感じるのと同じくらいの切実さをもって感じているというのに、である。

ビジネスの場合でも、欧米人はごく自然に外国を視野に入れるけれど、これだけ日本の経済や産業が外国と深く結びついているにもかかわらず、日本人はいまだに“世界進出”などといっている。

そういう感覚を、意識して変えようということだ。

世界はひとつだと、口でいうのは簡単だ。

けれど、心からそう感じるのは、多くの平均的な日本人にとってはまだ難しい。

その感覚を変えなければ、インターネットによって国境という概念が失われていく時代に適応することはできない。

世界から日本に流入してくる人や資本や情報の波に翻弄(ほんろう)されて、それこそ日本という国の進むべき方向を見失ってしまうだろう。


『好奇心と向上心は、走り続けるためのエネルギーだ。

走るのが辛くなるのは、好奇心と向上心を失いかけているからなのだ。

社会人になっても勉強が必要なのは、好奇心を枯れさせないためでもある。

世界は驚きに満ちている。

その驚きに触れる努力を怠りさえしなければ、いつも心に好奇心を湧かせてくれる。

好奇心があれば、人は前進し続けることができるのだ。』

ニューヨーク市の人口は850万人で全米最大の都市だ。

そして、全人口のうち、白人が33%、ヒスパニック28%、黒人25%、アジア系12%という比率になっている。

また、そのうちの37%にあたる300万人以上が外国生まれの移民で、市内では170近くの言語が話されている。

英語が話せない人は、18%もいるそうだ。

「世界は驚きに満ちている」

いくつになっても好奇心を忘れず、新たなチャレンジを重ねたい。

(出典)国境という概念が失われていく時代|人の心に灯をともす

記事紹介|答えだけ教わったのでは、自分の知恵が育たない

あなたは、何によって覚えられたいか?

この言葉はドラッカーが13歳の時に牧師さんに教わった以下のお話が起源とのこと。

『あなたは、何によって覚えられたいか。今は答えられないと思う。でも、50歳になっても答えられなければ人生を無駄に過ごしたことになるよ』

またドラッカーは「正しい問いを使いなさい」とも語っています。

正しい答えを求めるのではなく、正しい問いを持つ。

問いを持つから考えるようになる。答えだけ教わったのでは、自分の知恵が育たない。

あなたは何によって覚えられたいですか?

どんな人だと言われたいのか、どんなことをした人だと言われたいのか。

明確なイメージが自分をそこに近付けてくれます。

(出典)印象|今日の言葉

記事紹介|イノベーションはなぜ必要か、どうすればイノベーションは起きるのか。

出口治明さん(立命館アジア太平洋大学(APU)学長)の指摘です(インタビュー記事から抜粋引用)。


  • ユニコーンや、グーグルやアップルなどのいわゆる『GAFA』の創業者の国籍は多様で、多くは複数の分野の博士号を持っています。高学歴で個性のとがった人たちが、わいわい議論する中でアイデアが出てくるのです。でも日本は大学院だけでなく、大学の進学率も54%と低い。OECD全体の平均を7ポイントも下回ります。しかも、大学で勉強しない。これは企業が100%悪い。企業の採用基準に『成績』がないのですから。さらに、なまじ勉強したやつは使いにくいとかアホなことを言って、大学院生を採用しません。
  • よくいわれる、日本の社員は企業への忠誠心が強いというのはうそです。世界的な調査会社によると、自分の帰属している組織を信じる割合が一番低いのが、日本です。昔、海外から来た客を東京の飲み屋に連れて行ったとき、周囲の客がみな上司や会社の悪口を言っていることを知り、仰天していました。なんで会社ではなく、公の場所で言っているんだと。
  • 会社の中では同調圧力が強いので、会議中も上司が言うことに下を向いてだまっている。面従腹背の天才にはなるけれど、内心にフラストレーションがたまるのです。そう理解すれば、自分の組織を信じる割合が一番低いというデータときれいに符合します。
  • 終身雇用というのは、高度成長と人口の増加がなければ成り立たないシステムなんですよ。なのに日本では、クビを切るのは良くないという幻想が社会を支配している。僕は『左遷』された経験がありますが、旬な時期に仕事がないことほどつらいことはない。クビを切ることこそが思いやりなんです。うちではいらないが、もう1回広い世界でチャレンジしてごらんと。米国では起業するとき、2、3回失敗した人にお金が集まります。『次は頑張るだろう』と。日本にはそういう意識がありません。
  • 「急成長したパタゴニアという企業は、『買わないでください』と宣言してマーケティングしています。モノを作ること自体が環境に負荷をかけるから、リユースしてくださいといって売り上げを伸ばしているのです。アイデアを上手に使って、環境を破壊しないように成長することは可能で、持続可能性を保つ成長だけが残る。長く続いた文明はすべてそうです。そのためにも私たち人類は、必死で頭を使わないといけません。アイデア以外に、イノベーションを生む付加価値の源泉はないのです。


(出典)(インタビュー)イノベーション立国論 立命館アジア太平洋大学学長・出口治明さん:朝日新聞デジタル

記事紹介|今年話題となった人事・労務関連ニュース

今年(2019年)話題になった人事・労務関係ニュースをまとめたwebサイトを見つけました。
今年はなんといっても「働き方改革」関係の法改正が大学の労務管理に大きな影響をもたらしました。関連ニュース(11.29現在)を抜粋します。


2/26 政府が「採用直結インターン」を禁止

2021年春に入社する今の大学2年生から適用される就職活動の新ルールで、政府は採用に直接結びつけるインターンシップの禁止を近く経済団体や業界団体に要請する方針を固めました。

これは、就活の早期化や長期化を食い止める狙いです。また、この要請に罰則規定はありません。

https://www.asahi.com/articles/ASM2T4DZ9M2TULFA00P.html?ref=newspicks


4/1 働き方改革関連法が施行される

働き方改革関連法では、下記の3点が法改正され、2019年4月1日から順次施行されます。

  • 時間外労働の上限規制…時間外労働の上限について、月45時間、年360時間を原則とし、臨時的な特別な事情がある場合でも年720時間、単月100時間未満、複数月平均80時間を限度に設定する必要があります。
  • 年次有給休暇の確実な取得…使用者は、10日以上の年次有給休暇が付与される全ての労働者に対し、毎年5日、時季を指定して有給休暇を与える必要があります。
  • 正規雇用労働者と非正規雇用労働者の間の不合理な待遇差が禁止…同一企業において、正規雇用労働者と非正規雇用の間で、基本給や賞与などの個々の待遇ごとに不合理な待遇差が禁止されます。

https://jsite.mhlw.go.jp/tokyo-roudoukyoku/content/contents/000269286.pdf


4/1 高度プロフェッショナル制度が施行される

高度プロフェッショナル制度は、労働基準法に定められた労働時間、休憩、休日及び深夜の割増賃金に関する規定を適用しない制度です。高度の専門的な知識を有し、職務の範囲が明確で一定の年収要件を満たす労働者が対象です。

https://www.mhlw.go.jp/content/000497408.pdf


4/1 フレックスタイム制が施行される

フレックスタイム制は、労働者が日々の始業・終業時刻、労働時間を自ら決めることによって、生活と業務との調和を図りながら効率的に働くことができる制度です。

今回の法改正では、労働時間の調整おこなうことのできる期間が延長されました。これによってより柔軟な働き方の選択が可能となります。

https://www.mhlw.go.jp/content/000476042.pdf


4/1 労働時間見直しガイドラインが施行される

労働時間等設定改善法が改正され、 他の事業主との取引において、長時間労働に つながる短納期発注や発注内容の頻繁な 変更をおこなわないよう配慮する必要があります。

https://www.mhlw.go.jp/content/000555869.pdf


4/18 経団連が通年採用を広めていくことで大学と一致

経団連は新卒の学生の就職活動について、通年採用を広げていくことで大学側と合意しました。

この合意により、自由な採用活動が広がる機会となり、横並びの一括採用と年功序列を象徴とする日本型の雇用慣行が大きく変わるかもしれません。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO44016780R20C19A4MM0000/


6/5 パワーハラスメント対策法制化が公布

労働施策総合推進法の改正が発表され、パワーハラスメント対策が事業主の義務となりました。改正点とは以下の2点です。


  • 職場におけるパワーハラスメント防止のために、雇用管理上必要な措置を講じることが事業主の義務となります(適切な措置を講じていない場合には是正指導の対象となります)。
  • パワーハラスメントに関する紛争が生じた場合、調停など個別紛争解決援助の申出を行うことができるようになります。

https://jsite.mhlw.go.jp/tokyo-roudoukyoku/content/contents/000475305.pdf


10/1 厚生労働省が地域別最低賃金を改正

10月1日より、今年度の最低賃金時間額が適応されました。2019年度の目安が示した引上げ額の全国加重平均は27円(2018年度は26円)となり、昭和53年度に目安制度が始まって以降で最高額となります。

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/minimumichiran/


(出典)2019年に人事界隈で話題になった45のニュースをまとめてみた|HR NOTE

2019年12月9日月曜日

記事紹介|あなたに起きた出来事すべてがあなたに必要だったんです

人生はジグソーパズルのようなものだ。

たった一つのピースが欠けても人生は成り立たない。

「あの時あった嫌なこと」「くやしかったこと」「さびしかったこと」「つらかったこと」そして、「幸せだったこと」「うれしかったこと」「楽しかったこと」「笑ったこと」…

人生を振り返ってみると、あの嫌なことがあったからこそ、その後の「成功があった」、「いいことがあった」ということはよくあることだ。

つまり、「意味のないことは一つもない」ということ。

今、無駄だと思うことも、回り道だと思うことも、すべてに意味がある。

そして、「すべてに意味がある」と思えるなら、すべてのことに感謝できる。

「あなたに起きる出来事すべてがあなたに必要」

だから、メチャクチャな失敗や、最悪に恥ずかしいドジをしてしまったら…

それは、最高に幸せになるためのシグナルかもしれない。

起こるできごとに丸ごと感謝できる人でありたい。

(出典)あなたに起きる出来事すべてがあなたに必要|人の心に灯をともす

記事紹介|変形労働制という対処療法だけでは長時間労働は解決できない

公立学校教員の長時間労働を解決するため、「変形労働制」を適用する改正法が国会において可決されました(2019/12/04)。

しかし、変形労働制だけでは長時間労働の根本的解決には至らないとの指摘があります。

特に、次のような組織風土が無くならない限り、あるべき姿に近づくのは困難かもしれません。これは、国立の大学や高専にも全く当てはまることです。(以下抜粋引用)


教員の働き方改革が進まない原因には、教員自身の意識や職場風土の問題もあるようだ。

現役教員の働き方を取材する中で、教員の高い献身性の反面、生産性意識の欠如やアナログな職場環境、時代錯誤の職場風土などさまざまな課題が浮かび上がってきた。

早く帰ると『楽をしている』と非難され、手間暇をかけるのが善、合理化して仕事を減らすのは悪、という風潮がある。

とにかく紙文化。保護者との連絡物は全て紙で手渡し・回収し、授業の教材も模造紙で作る。

インターネットに接続されているパソコンが職員室に3台しかないため、50人の先生で奪い合っている。

識者は、「学校の裁量で、業務の精選や効率化ができることも多い。例えば、学校や教育委員会も部活動や学校行事(運動会など)、宿題の採点・添削等に多大な時間をかけているのは、見つめ直すべきだ」と指摘する。

(出典)教師をむしばむ長時間労働 変形労働制だけでは救えない 社会の変化のしわ寄せを受ける学校|WEDGE

2019年12月6日金曜日

記事紹介|読解力を育む

世界の15歳が参加した学習到達度調査(PISA)で、日本の読解力は低下傾向であることがわかりました。

「思考力を鍛える授業づくりには手間がかかる。教員の多忙化で、研修や教材研究の時間がとれなくなっていないか。大学の教員養成課程で新しい教え方を習得させているか。しっかり検証して環境整備に努める」(朝日新聞社説)ことが求められています。(以下引用抜粋)


  • 読解力に課題があるのは、日本の教育システムそのものが、読解力が育ちにくいものになっているからだという指摘があります。日本の学校では、教科書を使って機械的に回答を導き出す方法を教えていくというのが一般的です。逆に言うと、教え方が正解を導く形から抜け切れていないというわけです。一方、読解力というのは、一つの文章を読んでもAという見方もあればBという見方もあるといった様々な考え方を許容することから身につくものとされています。たとえば今回の読解力の問題のうち、自由記述式の問題で、「自分の考えを他の人に伝わるような記述ができない」、「問題文から語句を引用するだけで、説明が不十分」といった理由で正答にならない例が多く見られたということです。
  • 「必要な情報がどのサイトに記載されているか推測し探し出す」という問題や「情報の質と信憑性を評価して自分ならどう対処するか、根拠を示して説明する」という問題の正答率が、OECD加盟国平均と比べて低かったのです。ネット時代と言われて久しいわけですが、そうした中では日々、我々は必然的に多くの情報と接するため、必要な情報を探し出し、情報の信憑性を判断する能力を育むことが生きていく上でも不可欠です。今回の結果は、奇しくもそうした力が十分育まれているとは言えないことが示されたことになったわけです。
  • 学校外で平日、どのように利用しているかを見てみると、日本の生徒は、毎日またはほぼ毎日「ネット上でチャットをする」が87.4%、「1人用ゲームで遊ぶ」が47.7%で、いずれもOECDの平均より20ポイント高くなっています。特に、ネット上でのチャットは、6年前に比べて60.5ポイント増えていて、SNSの普及に伴って若年層に急激に利用が広がってきたことがうかがえます。
  • 一方で、「コンピュータを使って宿題をする」「学校の勉強のためにインターネットのサイトを見る」といった勉強にデジタル機器を利用するという生徒は3%から6%程度でほとんど活用していないことがわかりました。OECD平均は20%程度です。これはそもそも学校の授業でデジタル機器をあまり活用していないことが要因と見られていて、同じ調査の中で、80%の生徒が学校の授業ではデジタル機器を利用しないと回答しています。
  • 「読解力」の育成には時間をかけた取り組みが必要です。学校の働き方改革が待ったなしの状況の中で、現場の負担を増やすことなく課題を克服するにはどうするのか、今回の調査結果は、学校の持続に関わる大きな課題を突きつけています。


(出典)「国際学力調査 気になる読解力は」|NHK 解説委員室

(資料)OECD生徒の学習到達度調査(PISA)の調査結果|文部科学省

記事紹介|その研修必要ですか?

大学等設置基準の改正により実施が義務化(2017年)されて久しいSD(Staff Development)ですが、効果の検証も十分に行われず、やりっぱなし、肥大化・枝葉末節化しているといった話を時折耳にすることがあります。持続的に研修体系や内容の見直し(棚卸し)をすることも大切だと思います。(以下引用抜粋)


<問題提起>

  • 「ゾンビ化した研修」とは、いわば「ゾンビ」のように、「時代にあわなくなっているけれど、死に切れていない研修=ゾンビ研修」のことです。あるいは、「担当者が変わって、過去の経緯すらわからなくなっている研修」といってもいいのかもしれません。
  • 「戦艦ヤマト化(とてつもなく巨大化)した研修体系」の内部には、いわば「ゾンビ」のように、実質的には「死んでいる(dead)」のだけれども、いまだ形式上「生き残っており(Living)」、目標をすでに失い、組織のなかを、当てもなく彷徨っているような(Go nowhere)研修が、含まれているのだ、と、つくづく思いました。
  • 万が一、この研修がなかったとしたら、経営と現場に、どんな悪い影響が起こりますか?

<結論>
  • 研修は「ミニマム」でいい
  • 不要な研修を受けるくらいなら、仕事をしたほうがいい  しかし、
  • 「必要な研修」は絶対に存在する
  • 研修をやるなら、絶対に仕事に活かせるものにする


(出典)「戦艦ヤマト化した研修体系」に巣食う「ゾンビ研修」は「成仏」させたほうがいい!?|立教大学 経営学部 中原淳研究室 - 大人の学びを科学する |NAKAHARA-LAB.net

2019年12月5日木曜日

中村医師に哀悼の誠を捧げます

アフガニスタンで人道支援に取り組んできた医師の中村哲さんが4日、銃撃され、死亡しました。

心からご冥福をお祈りいたします。

母校である福岡県立福岡高校、九州大学から哀悼文が発表されています。

西南学院中学校

福岡県立福岡高等学校

九州大学


アフガンの地で 中村哲医師からの報告(西日本新聞から抜粋)

こんな言葉はめったに聞けない。彼らは神と人を信じることでしか、この厳しい世界を生きられないのだ。かつて一般的であった倫理観の神髄を懐かしく聞き、対照的な都市部の民心の変化を思い浮かべていた-約18年前(01年)の軍事介入とその後の近代化は、結末が明らかになり始めている。アフガン人の中にさえ、農村部の後進性を笑い、忠誠だの信義だのは時代遅れとする風潮が台頭している。

近代化と民主化はしばしば同義である。巨大都市カブールでは、上流層の間で東京やロンドンとさして変わらぬファッションが流行する。見たこともない交通ラッシュ、霞(かすみ)のように街路を覆う排ガス。人権は叫ばれても、街路にうずくまる行倒れや流民たちへの温かい視線は薄れた。泡立つカブール川の汚濁はもはや川とは言えず、両岸はプラスチックごみが堆積する。

国土を省みぬ無責任な主張、華やかな消費生活への憧れ、終わりのない内戦、襲いかかる温暖化による干ばつ-終末的な世相の中で、アフガニスタンは何を啓示するのか。見捨てられた小世界で心温まる絆を見いだす意味を問い、近代化のさらに彼方(かなた)を見つめる。

(出典)【アフガンの地で 中村哲医師からの報告】信じて生きる山の民|西日本新聞


アメリカ同時多発テロから15年。今も戦乱の続くアフガニスタンで干ばつと闘う日本人がいる。医師・中村哲(69)。「武器や戦車では解決しない。農業復活こそがアフガン復興の礎だ」。中村は白衣を脱ぎ、用水路の建設に乗り出した。15年たったいま、干ばつの大地には緑がよみがえり、人々の平穏な営みが再び始まろうとしている。戦乱の地アフガニスタンに必要な支援とは何か。15年にわたる中村の不屈の歩みを通して考える。(2016/09/28時点、YouTubeから引用)

記事紹介|今変わらなければならない

渋谷区では働き方を根本から変える素晴らしい取り組みを進めています。牽引しているのは、広告会社出身の澤田伸副区長。「お役所仕事」を廃し新しい形のIT行政を目指しています。

国民の税金を原資とした運営費交付金や学生の保護者からいただく授業料等に依って立つ国立大学の教職員は、澤田副区長の言葉や行動を戒めと捉え、スピード感をもって経営改革に邁進しなくてはなりません。

  • 渋谷区では人が本来やるべき事に専念できる仕事場を目指している。そのため、文書のデジタル化を進めている。将来的には区役所に来なくても文書が交付できる仕組みを作っていきたい。
  • 少子高齢化、AIの普及など社会が変わりつつある。そうした中で将来ではなく今変わらなければならない。公務員は徴収された税金の仕組みの上に存在しており、高品質、高効率なサービスを提供していかなければならない。


(出典)IT化で激変「渋谷区役所」がスゴい。ビジネスチャットで「言った言わないをなくす」|BUSINESS INSIDER JAPAN

2019年12月4日水曜日

記事紹介|いじめの不合理さ

いじめを根絶するために私たちはどう向き合えばいいのでしょうか。少なくとも加害者を放置し、被害者だけが不利益を被ることは絶対にあってはなりません(以下抜粋引用)。


この学校ではクラスを「滞りなく」運営するため、影響力の強い生徒を優先し、いじめを受けた児童に我慢を強いるしかないという現場の現状があるようです。

これでは、傷付いた被害児童が不利益を被り続けるだけでなく、いじめをした加害児童も自分の問題に向き合う機会を得られないでしょう。

1学級あたりの児童数の多さや大量の雑務、保護者対応など、近年教員は子どもの指導に注力できないほどの業務を抱えているといわれています。

子どもたちが安心して学校に通える社会にするため、いまの教育システムを根本から見直す時が来ているのかもしれません。

(出典)「私は教室にすら入れない…」女子児童の『訴え』に、胸が締めつけられる|grape から

記事紹介|誰のための就職か:高卒編

学校が就職先とのマッチング図る結果、依然就職率の高さを維持できるものの、一部の生徒にとっては、職業選択の自由を阻む結果になっていることは確か。

学校のための就職率なのか、生徒のための就業機会の確保なのか、社会の変化に照らし、長年続いてきた慣行を見直す時期にきているかもしれません(以下引用抜粋)。


高卒採用が大卒と大きく異なるのは、高校とハローワークが深く関わる点だ。企業はハローワークを通じて高校に求人を申し込み、高校では教師と生徒が相談して応募先を1社に絞る。「1人1社」という1950年代から続くルールで、経済団体と学校側、国の3者による申し合わせだ。

このルールに12年発足の新経済連盟と人材関連スタートアップのジンジブ(東京・港)が異議を唱えた。18年9月に文部科学省と厚労省に見直しを要望。ジンジブは「高卒者が職業選択の自由を確保し、十分な情報を得て企業を選択できると言い難い」と主張する。

1人1社では企業の信頼度や生徒の適性の判断で教師の蓄積を生かせる半面、本人の理解や納得が不十分なまま就職している恐れがある。厚労省の調査では高卒の入社後3年以内の離職率は4割と大卒の3割を上回り、1人1社がミスマッチの一因との指摘が多い。

見直しを求める企業側には、こうした筋論とともに思惑もある。1人1社では、長年の採用で教師と結びついた大手企業や地元有力企業が人材を確保しやすい。その割を食うのは新興企業だ。新経済連盟はITやサービス業の若い企業が多く、1人1社が続けば不利な状況を抜け出せない。

人材サービス会社から見れば、高校とハローワークが担ってきた高卒の就職は入り込めていない市場だ。大卒と同様に求人情報の提供やイベントの開催、就職活動の助言で民間企業の活用が広がる可能性があり、ジンジブは高校生に照準を合わせて市場開拓を狙う。

文科、厚労両省も1人1社が自由な就活を阻んでいるのを無視できず、見直しに着手。20年初めにも結論を出す見通しだ。新たな「金の卵」として高卒の採用熱が高まるなか、半世紀以上続く慣行に変革の波が及ぶ。

(出典)高卒採用、慣行に転機 「1人1社」に新興企業が異議|日本経済新聞 から

記事紹介|”ワンチーム”は一日にして成らず

同様に、国立大学教職員の帰属意識の希薄さには時折閉口してしまうことがあります。多様な職種の混在、ガバナンスやマネジメントの脆弱さなどが起因していると思われますが、もう少し一体感を高めることはできないものかと思うのは私だけでしょうか(以下引用抜粋)。


米ギャラップによる世界各国の企業を対象に実施した従業員のエンゲージメント(仕事への熱意度)調査結果。日本は「熱意あふれる社員」の割合が6%、米国の32%と比べて大幅に低く、調査した139カ国中132位と最下位クラス。企業内に諸問題を生む「周囲に不満をまき散らしている無気力な社員」の割合は24%、「やる気のない社員」は70%。

かつて「会社人間」と言われた日本の会社員は勤務先への帰属意識を徐々に無くしてきた。それでも仕事への熱意がなぜここまで低下したのか。どうすれば改善するのか。ギャラップのジム・クリフトン会長兼最高経営責任者(CEO)に聞いた。

―どうすれば改善しますか。

主な原因は上司にある。上司の言ったことを、口答えせずに確実にやれば成功するというのが従来のやり方だった。このマインドセットを変えないといけない。上司と部下が一緒になってどう結果を出すか、部下をどうやって成長させていくかを考えることが上司の仕事になる。

それには部下の強みが何かを上司が理解することだ。これまでは弱みを改善することに集中するのが上司の仕事だったが、得意でないことが強みに変わることはない。無気力な社員の半数は自分に合っていない仕事に就いている。合った仕事に変えるだけで無気力な社員を半分に減らせる。

(出典)「熱意ある社員」6%のみ 日本132位、米ギャラップ調査|日本経済新聞 から

記事紹介|リーダーに求められていること

大学の経営トップや管理職にも同様のことが言えますね(以下引用抜粋)。


環境の変化が速く、将来が見通しにくい今、企業は「イノベーションを起こせ」というプレッシャーにさらされている。

経営者が「現場から提案が上がってこない」と嘆く一方、現場からは「新しいことを提案しても『前例がない』と言われる」と声があがる。

イノベーションが求められる今、組織、リーダーには何が求められているのだろうか。

  • リーダーが1人で判断して指示を出すのではなく、チームのメンバーが自発的に動く組織でなければ、変化する状況に対応できない。リーダーはそうした組織を作る役目を担っていると言える。しかし、リーダーは、往々にして過去の成功体験に頼りがち。チームのメンバーの力を引き出すには、まず成功体験から脱却、アンラーン(unlearn)しなければならない。
  • 米グーグルが2016年に発表した研究結果によると、メンバーが委縮せず、心理的安全性の高いチームのメンバーは、自分の過ちを認めたり、質問をしたり、新しいアイデアを披露したりしても、誰も自分を馬鹿にしたり罰したりしないと信じられる余地があるという。メンバーがビクついていては『イノベーションを起こそう』といっても難しい。リーダーがふだんから飾らない自分を出すこと。弱さが最大の強い結びつきになる。
  • イノベーションが出やすい組織は透明性が高い。どこまで透明にするかというと、全てです。取締役会でどんなことが話されたのか議事録や給料までオープンにする会社も珍しくない。誰でも同じ情報を持てる環境にしている会社が増えてきました。そうした中でイノベーションを考えなければならない。

(出典)弱さを見せるリーダーこそが強い。これからのリーダーシップのかたち|BUSINESS INSIDER JAPAN から

記事紹介|生きるための原則

あなたが一生の間に受け取る幸運の総量は、自分がどれほど幸運かと考えられるかに直接結びついている。

自分には“いいこと”が日常的に起こると信じれば信じるほど、あなたはますます運の強い人間らしく行動するようになり、するとさらに多くの人があなたに協力してくれるようになるのだ。

「自分は運がいいのだ」と考えることができれば、その楽観主義はたちどころに顔に表れ、一挙手一投足が変わってくる。

もしあなたが強くそう感じていれば、会う人はそのことを感じとり、あなたの醸(かも)し出す雰囲気のために、ついあなたに協力したくなってしまう。

だが、「自分は運が強い」と思えるようになるには、特別な「感じ方」と「考え方」を身につけ、それらがすべての言動の基盤になっていなくてはならない。

そして、それらを練習して習慣化すれば、幸運を招き寄せるために欠くことのできない「直観力」と「条件反射」を発達させることができる。

私の知っている強運な人たちは、みな例外なくこの“心の態度”を生きるための原則としている。

では、どのような態度を習慣化すればいいのだろうか。

私が知り得たものを、以下に記してみよう。

1.人を非難することで自分を“正当化しない”

自分には本当に責任がなくて、実際にほかの人のせいであるということもあるだろう。

だが、もしそうであっても、人を非難することでその問題の解決を図ろうとしていると、必ず運が落ちてしまう。

というのは、いつもそうしていることによって、しだいに自分に責任があっても正当化するようになってしまうからだ。

2.相手の心をグッとつかむ、ほめ上手になる

善意による本心からのほめ言葉は誠実さの表れである。

本当のことを言って人の気分をよくするのが悪いはずがない。

強運な人はこれが特にうまい。

彼らのほめ言葉がいつも自然なのは、本当にそう思っているからだ。

3.「知ったかぶりをする人」に人は力を貸してくれない

「なんでも知っている」という態度は幸運を遠ざける。

なぜかというと、人の心が遠ざかってしまうからだ。

力になってくれる可能性のある人ですら、「なんでもわかっているのなら、協力する必要はないだろう」ということになってしまう。

《何かを言いたくなったら、それを言うかわりに質問する》

《一流の人ほど『聞き方』がうまい》

4.今現在、「自分の持っているもの」に対する感謝を忘れない

もしあなたが自分の持っているものに感謝し、「健康」や「家庭」や「自分の能力や技術」を有り難く思うことができれば、多少運の悪いことが起きたからといって苦悶したり、思うように物事が運ばないからといってあきらめることはないだろう。

反対に、「自分はなんと幸運なのだろうか」と考えることができ、さらに幸運を招くことに意識を集中できるようになるに違いない。

5.「一緒にいて心地いい」と思わせる身だしなみを心がける

運が強く、人生が好調の波に乗っているということは、高価な服で着飾ったり、最新流行の格好をするということではない。

清潔でこざっぱりさえしていればいいのだ。

きびきびした人間に見えるということは、あなたが思うよりずっと重要だ。

最近では、職場でもカジュアルな服装が受け入れらえる傾向にあるが、いきすぎるのはよくない。

金曜日にはオフィスが日曜日の午後の自宅みたいになってしまうのでは困る。

こぎれいな格好をしただけで人の目につくことが、今ほどたやすい時代はない。

6.ライバルとの競争は、“ビジネスライク”に徹する

運の強い人たちは休まない。

もちろん休憩することはあるが、その場合でもすっかり休んでしまうのではなく、いうも新しい仕事の機会を探している。

強運な人間は「急(せ)いてはことをし損じる」ことなく、ライバルとの競争に勝つためには時間をかけている。

7.「嫉妬心」は結局は自分の「やる気」をそぐだけ

人間の持つ感情の中で、最も自分のためにならないのは嫉妬心だ。

嫉妬心は自分自身を苦々しい思いにさせ、建設的なエネルギーを損ない、幸運と機会を遠ざけてしまう原因となる。

それに、一度嫉妬深い人間だと思われてしまったら、その後、運が強いと思われることは二度とないだろう。

なぜなら、運のよくない人間に限って他人の幸運に嫉妬深く、ケチな考えを持つからだ。

8.「今日できないことは、明日考える」心の余裕を持つ

どんな人でも、うまくいかない時というのはあるものだ。

嫌なことは翌日に尾が引かないように、その日の貸しにしておいて先に進もう。

これは「そうしたほうがいい」という程度のことではなく、絶対にそうしなければならないことだ。

毎日起こる嫌なことをすべて心の中にため込んでいたら、頭がおかしくなってしまう。

昔から「悪い日の翌日はいい日」と決まっている。

今日解決できないことでも、一晩眠ってちょっと見方を変えたら解決した、ということはよくあるものだ。

(出典)自分は運が強いと思えるようになるには|人の心に灯をともす から