大山鳴動してネズミ一匹――。英語民間試験に続き国語と数学の記述式問題の導入も見送られ、2020年度大学入試改革の"目玉"は「センター試験」から「共通テスト」への名称変更のみとなった。
「明治以来の大改革」と大風呂敷を広げ、共通試験の複数回実施や一点刻み入試からの脱却、合科目型出題など様々な論点を掲げた顛末(てんまつ)は事実上の現状維持。受験生を翻弄しただけだった。
迷走の原因は何か。思いつきのアイデアをぶち上げた政治・首相官邸。無理筋と知りながら従った文部科学官僚。ビジネスチャンスとばかりに飛びついた教育産業。現場の負担を口実に現状維持に走った高校……。だが、最も責任を負うべきは、当事者意識もなく国に追随した大学だろう。
入試とは自分たちが教えたい学生を、自分たちの責任で選抜する取り組みだ。最重要事項のはずなのに、大学、特に国立大学は受け身に徹した。
目的も実施方法も異なる複数の民間英語試験を入試で本当に使えるのか。50万人規模の試験で記述式問題の採点を、公平・公正かつ迅速にできるのか。大学が多様化する中で大規模の共通試験に意味はあるのか……。論点は山積したが、個々の大学も国立大学協会も「国の方針が固まっていない」と正面からのオープンな議論を避け続けた。
受け身の象徴が英語民間試験への対応だった。一旦は82校中78校が活用を表明したが、国が見送りを決めた途端、大半が取りやめたのである。
内外で大学間競争は激しさを増す。競争の核心は教育と研究だ。どんな教育を目指し、それにふさわしい学生をどうやって集めるのか。そこでしのぎを削るべきなのに、国の言いなり・横並びでは、まともな戦略を持てるはずもない。国の指示待ち大学からは、指示待ち人間しか育たない。今こそ、大学は主体性を取り戻すべきだ。(編集委員 横山晋一郎)
(出典)国の言いなりで人材は育たない 大学の主体性見えず|日本経済新聞