2019年12月25日水曜日

記事紹介|学校を変えるためには

個人的には、日頃から変化に追従するのではなく、できれば変化の先頭にいたいと思っています。

ただ自分一人の力では何も動きませんし、強引に進めればかえって組織の停滞を招くリスクもあります。改革は難しい課題ですね。


「やめる・変える」と言うのには、強い動機(危機感)と目的が必要だ。今まで通りにやるのには、特に理由を説明する必要もなく、「今まで通り」というだけでみんなが安心する。それに対して、「やめる・変える」という言葉は、みんなが不安になって反対したくなる言葉だ。変えるためには理由を説明しなければならないし、変えたくないと思っている多くの人を説得しなければならない。

腹落ちしない限り動かないのが人間である。何のために変える必要があるのか、組織内での納得を得た上で、保護者や地域などにも理解を求めなければならない。かなりエネルギーがいることだし、勇気も覚悟もいる。かと言って、綿密に計画を立ててガチガチやっていくのは堅苦しいし、益々会議の時間を要して多忙になる。感覚的な思い付きや面白そうだと感じるワクワク感がないとモチベーションが上がらない。

「本当にやる意味があるのか」「本当に必要なのか」「何のためにやるのか」などと考えていくと、学校には変だなと思うことはたくさんある。その変だなと思うことを口にしたり、本気で変えようと思ったりする人は、安定した時代には変人扱いされてきた。今まで通りや当たり前にやられてきたことを批判的にみることは、波風を立てる厄介者だ。

しかし、現在のような社会も経済も環境も不安定な時代になると、「変だ!」という人がなぜだか目立つようになる。何が正解か分からないし、今まで通りにやっていくことにも不安がある。少し波風を立てながら、時代の流れに合わせていくような変化が学校にも求められるのである。

(出典)学校を変えようとする教員は「厄介者」なのか?|論座