2019年12月12日木曜日

記事紹介|不幸な役所文化

国立大学等の事務組織は、元々、文部科学省の出先である「行政組織」。法人化され数年が経過した今でも役人意識や役所風土が散見されます。(以下抜粋引用)


役所は前時代的なマネジメントから脱却できておらず、役所組織の都合を職員に強いる。組織が個の力を活用することで生き残ってゆく時代には、役所も職員が持つ個の力を引き出していくことが求められている。なぜなら、それが組織の目的を果たすための大きな力になるからだ。

バッシングを嫌がる公務員が、同僚をバッシングする

業務を改善しようとすると、前任者や先輩の仕事を否定する者、さらには仕事を増やす迷惑な者として捉えられ、陰口、批難、抵抗にあう。そのため、改善を進める者は、組織内の調整に多大なリソースを割くことになり、大きな精神的負荷がかかる。

公務員という組織人には、年功序列の給与制度がある。これについては当人が公務員を選択する前からわかりきっていることではある。しかし、仕事で成果を上げても、すぐに報酬や役職に反映されないどころか、周囲からは出る杭として叩かれる。こうした状態では、頑張ろうとする職員を増やすことは難しい。

公務員バッシングという負の現象の根源にあるもの

役所は地域における独占企業といえる。民間企業が直面しているような市場競争にさらされていないため、「意識が内部に向きやすい」。

次に、既存業務の運用に間違いを起こさないことが重要視されるため「個を生かす感覚が希薄」である。

さらに、「公務員は黒子であることが正義だという固定観念」も根強い。

そして最後に、「同僚への嫉妬心」である。目立つことを控える組織文化のなかで、注目を浴びる同僚に向けられる目は冷ややかだ。

公務員が同僚の足を引っ張る構造により、短期的には職員の平均的なモチベーションが低下し、業務の質が低下する。長期的には、採用や育成に支障をきたし、組織の成果に悪影響を及ぼすだろう。

バッシングする者は自らの首を絞めている

サービスを享受する有権者側の志向は多様化している。役所のようなサービス提供側は、これまでより広く、より深いサービスを提供しなければならない。こうした状況にあって、組織が成果を生み出すうえで重要なのは、いかに個人の能力を発揮させられるかという点だ。それにもかかわらず、組織内で目立つ者を叩く文化が蔓延していることは不幸以外の何物でもない。

地方自治法第2条には、「最少の経費で最大の効果を挙げるようにしなければならない」と掲げている。しかし役所には、努力をする職員が安心感を得ながら邁進できる環境を、自壊する側面がある。公務員個人の活躍を阻害する文化や慣習は見つめなおすべきだろう。同僚同士でいたずらにモチベーションを下げるような安易なバッシング、揶揄、言動は意識的に慎むべきだろう。

(出典)不幸なお役所文化、公務員はなぜ公務員を叩くのか|ダイヤモンド・オンライン