- 誰がやっても同じ成果が出るような組織が大事だ
- どんな上司にも評価される奴が偉い
- 自分がやってうまくいったやり方は他の人もできるように工夫しろ
こういったことが当たり前のようにはびこると、だんだん「当事者意識」は薄れていくもの。なぜなら、どんなに「自分事」として仕事に取り組んでも、その評価は全く違う軸、つまり他人が模倣できるか、誰でも同じようなことができるか、という切り口で見られるので、自分の個性、成果が残っていかないから。
上記の3つはグローバルに評価すると、
- 誰がやっても同じ成果になるということは、もっとできる奴が能力を惜しんでいる、つまり基準そのものが低い可能性が高い
- どんな上司にも評価されるということは、個性がなく、主張がない、意志のない人間である可能性が高い
- 他の人のことを考えるくらいだったらぶっちぎりの成果を出す方に力を使ったほうが組織のためになる
「当事者意識」というのは、仕事を「自分事」として捉え、自分の全能力、全可能性を懸けて立ち向かうこと。ビジネスマンにとっては、仕事が競技会。まさに「全身全霊」を懸けて仕事に臨むのが当たり前のこと。
問題は、チャレンジせず、差別化を図ることもなく、やらされ仕事を続けている人が、人の上に立ったとき。その部署は迷走し、仕事はつまらなく、何も変わらないまま次の人に引き継がれる。そして何も成長しない。これが平成の30年間、多くの日本の大企業の内部で起こってきたこと。
将来に不安がない、ということは現状が心地よすぎるということ。現状が心地よいということは自分のポテンシャルな能力を発現しないまま生きているということ。不安があるからこそ前進を考える。前進を考える人は「自分事」として課題にチャレンジする。課題を解決したいから。
そして自分事として仕事をした人は、その仕事の経験が次につながる。本気で取り組んだことは何であっても、必ず肥やしになっていく。そういう経験を積み重ねれば、間違いなく、今見えていない世界が見えてくる。そしてまたその課題解決のために全力で取り組む。
そしてきっと引退するときに、こう思う。
いろいろやってきたけど、思い通りに行くことばかりではなかったけど、まあやれることは全部やったかな。いいキャリアだったかな。
こう思えることがプロフェッショナルビジネスパーソンとしての最大の、そして最上の喜び。
(出典)「当事者意識」がない奴は去れ|日経ビジネス電子版