ステークホルダーに対する説明責任を伴う自治
大学経営の苦悩-政府・学長・教授会(広島大学高等教育研究開発センター長 山本眞一)(文部科学教育通信 No270 2011.6.27から引用) 国立大学経営に苦労が多い理由 前回、私は「つぶれるかもしれない私立大学の経営が楽しくて、つぶれる心配のない国立大学経営に苦労が多いのは何故でしょうか」と、日本高等教育学会の大会シンポジウムで質問したことを書いた。そしてそれは講演者に対する質問にとどまらず、現在の国立大学が置かれた立場に関係するのではないかと思ったので、そのように書いたのであった。 それではなぜ、国立大学経営に苦労が多いのだろうか。もっとも大会時の二人の講演を単純に比べることはできない。私立大学の経営について述べた静岡産業大学長の大坪檀氏は、中小企業の経営に比べて私立大学は楽だと言ったのであり、国立大学の苦労を述べた国立大学財務・経営センター理事長の豊田長康氏は、以前に比べて国立大学の経営が苦しく、それが教育や研究実績にも影響を及ぼしているという観点から大学経営を論じたのであるから、そもそも比較の基準が違うわけである。 しかしそれにもかかわらず、私には国立大学の経営の苦悩というものを容易に想像することができる。それはなぜか。一つは法人化の設計そのものによるのであり、二つには法人化にもかかわらず変わるべきものが変わっていないということによるのではないかと思うからである。 もともと、国立大学の法人化は、国立大学を政府の一部局から解放して法人格を持たせ、自主自立の精神で効率的に経営を行わせることによって、それぞれの大学に特色ある発展を遂げさせるところに大きな目的があった。法人化以前の国立大学においては、大学自治の絶対視と、教特法によって守られた教官の地位とに支えられて、大学は政府の意向とは関係なく、また社会との関わりも少ないままに管理運営することが黙認されていた。また学内ではいわゆる部局の自治が強く、大学全体としてはまとまりに欠ける場合もしばしば見られた。東京教育大学の筑波移転をめぐる学内の混乱などはその最たる事例ではなかろうか。その上、部局の自治はその部局の教授会による自治であって、学部長はせいぜい同輩教授の中から選出される世話役であり、学長も部局の利害を調整するコーディネーターのような役割であった。 しかし、他方で国立大学は政府の一部局...