国立大学と私立大学(2011年6月20日 文教ニュース)
国立大学法人が発足してから第一期中期目標期間6年が過ぎた。国立大学法人評価委員会の評価結果では各大学とも教育・研究の推進や経営の効率化に取り組んでいるとされており、国の財政措置への不安など様々な課題はあるものの、まずは無難なスタートだったかに見える。発足当初心配されていたような、厳しい評価により次々に淘汰されていくような極端な事態は今のところは免れている。
しかし先行きを考えると、聞違いなく来る人口減や震災以後さらに厳しさを増す財政事情などから、第二期、第三期は大学の数や役割の見直しなどの構造的な変化を伴わなければ乗り切って行けないような気がする。したがって、どの国立大学にあっても今のままでの存続が保証されているわけではなく、より厳しい環境になった場合どのように対処していくのかという覚悟を持って将来像を考えていく必要があるだろう。とりあえずは徹底的に無駄を省き、組織の体質を鍛えなおすことが必要だ。
一方私立大学から見ると、国立大学は運営費交付金が減っているとはいえたかだか毎年1%程度であり、人件費も施設整備費も国から財源措置されるのは「えらく贅沢ですな」という受け止めになる。時おり私立大学の人が国立大学を訪れてみると、人も大勢いてずいぶん手間をかけて仕事しているし、キャンパス環境や事業の様子も金をかけているという印象を受けるようである。私立大学の経費は8割以上が学納金であり、高い授業料を払ってでも来てくれる学生さんに納得してもらえるよう心がけなければならない。
さらに企業から見れば、国立も私立も、「企業は商品が売れなかったらばったり倒れますねん。大学さんはずいぶんのんびり経営してはりますなあ」ということになる。もちろん私立大学は多様であり、経営効率化の努力を重ねている大学もあれば、高水準の給与と退職金を払い続けている大学もある。どちらの方向に将来性があるかは明らかであろう。
国立大学では、民間的手法の導入が盛んに言われ、一定の努力はされているだろうが、まだまだ改善の余地はありそうだ。まずは私立大学がどのような状況であり、どんな努力をしているかをよく見てみるべきだろう。企業診断でも幹部が広い贅沢な個室で居心地良くおさまっている会社は危ないといわれている。国立大学の日常生活の様々な部分に長年蓄積された無駄がまだまだあるのではないか。
国立大学法人と学校法人は、国の関与の度合いと財源措置が異なるものの、法人のガバナンスや経営改善努力の面では同じ土俵に乗ってきているのだ。