2011年6月7日火曜日

政争にうつつを抜かす国会は本当に必要なのか

記憶に留めたいため、転載させていただきます。

この国の政治はなぜかくも劣化したのか-被災地無視の菅内閣不信任騒動で極まった「選良」たちの厚顔無恥と議員内閣制の制度疲労(2011年6月6日ダイヤモンドオンライン)

開いた口がふさがらないとは、まさにこのことだ。しかも、権力の座を巡るごたごたが、「選良」の集まる国権の最高機関・国会で行われているのだから、被災者にはやるせなく、世界に向かっては痛く恥ずかしい。最も、当のご本人たちには「恥」という日本的美徳は、とっく昔にお忘れのようだ。

去る2日に、菅直人首相が退陣の意向(と回りは受け止める)を表明してから、自民党、公明党、たちあがれ日本が共同提出した内閣不信任案を巡る情勢は一変した。与党民主党で、不信任案に賛成する構えを見せていた小沢一郎元代表の支持グループが自主投票を決め、不信任案は民主党の反対多数で否決された。三文芝居もこれで一応幕引きかと思いきや、翌日から菅首相が退任時期を巡って言を左右するのを受けて、首相に引導を渡したつもりの鳩山由紀夫前首相が、菅総理を「ペテン師」呼ばわりする始末である。

中国のある高名なジャーナリストが言う。「いまは国会が一致団結して、国難に当たることが最優先ではないでしょうか。ところが、国会で行われていることは、菅さんが好き嫌いというレベルの争いのように見えます」。こう言われても、反論できない。結局、一連の騒動は、震災と原発をネタに菅首相を引きずり下ろすことが目的の権力闘争だと、判断せざるを得ない。

旧トロイカ三人衆にリーダーの資格なし

政治家に求められる最低限の資質を、結果責任をとる覚悟、自らを客観的に分析する冷静な目、潔い出処進退であるとしよう。

まず菅総理である。

実際、阪神淡路大震災と東日本大震災の復旧スピードを比べると、その遅れは覆い隠しようもない。阪神淡路と比べて今回は被災の範囲が広く単純に比較はできないとしても、電気がほぼ復旧したのは、阪神淡路が震災から6日後の1月23日、これに対して東日本は20日後の3月31日で、約17万戸が停電したままだった(東北電力管内)。象徴的に語られる仮設住宅は震災後43日目で、阪神が7013戸整備されていたのに対して、今回は575戸にとどまる。

阪神淡路では、復旧・復興の骨格をなす復興基本法は40日足らずの2月24日に成立しているが、今回はこれから本格的に審議入りする。おカネの裏付けである補正予算の成立は、阪神淡路の場合、1回目が約40日後の2月28日、今回が約50日後の5月3日であるのみならず、二の矢、三の矢を放つ必要があるのに、一時は国会を閉じて2次補正を先送りしようとした。

東日本大震災が、阪神淡路以上に被害が大規模であり、原発事故が重なった「複合災害」だとしても、それは言い訳にはならない。ある被災県の知事は「官房長官のところにすべてを集約しているので、やはり大変だと思う。大震災と原発事故の対応は分けて、それぞれ担当大臣を置くべきでしょう。そこにリーダーシップのある人を置き、権限と責任を持たせる形にしないと」と、その対応を批判する。

被災地が局地的であろうが、広かろうが、命と生活を維持するための時間は同じである。初めての出来事が多いからこそ、前例にとらわれることなく、官僚や公務員の限界を突破する指導力を発揮すべきだった。それこそが政治主導であろう。

総理の口から出てくるのは、誠意を持って精一杯やっている姿勢を認めて欲しいということばかりである。自らが何に対して、責任を引き受け、その結果に対して、どのような責任をとるのか、その決意はうかがえない。

自らの能力がその任に耐えうるのかを、客観的に評価できるのかどうかも、また政治家の大切な資質である。1956年、鳩山一郎総理の後を受けて総理に就任した石橋湛山は、就任後すぐに病を得た。石橋は「私の政治的良心に従う」とわずか2ヵ月で退陣したのである。

国会で答弁にも立てない政治家が、首相の椅子にしがみついていてはならないと判断したからだ。当時の最大野党であった日本社会党の浅沼稲次郎書記長は、その潔さに感銘を受け「政治家はかくありたいもの」と述べたと言われる。自党すらまとめ切れない首相に、政権運営の能力はあるのだろうか。

次に、小沢一郎元代表である。そもそも「菅首相では、今回の危機は乗り切れない」というのが、反旗を翻した大義名分だとすれば、退任表明しただけで手のひらを返したように、態度を変えることは辻褄が合わない。復興基本法案、第2次補正、終息の見えない原発問題を、菅総理に任せることになるからである。

首相交代とマニフェストの実現が、小沢元代表の信念だとすれば、党を割る覚悟で臨んだはずである。だが、筋を通したのは松木兼公、横粂勝仁両議員の2人だけであった。結局は、長年続いてきた菅氏との遺恨による菅降ろしが目標であり、民主党政権は維持しながら、閣外から政権に影響力を保持するのが目標だったと断じられても仕方ない。

鳩山由紀夫前首相もまたしかりである。「党を割りたくない」として動いたと言われるが、何のために割りたくないのかが明確でない。いまのように政党の体すらなしていない民主党政権であれば、党が割れて下野するのも、また政治家の良心ではないのか。昨年6月の首相辞任から引退の撤回、今回の行動に至るまで、国民は「この人は一体、何を考えているのか」という評価が見えていない。結局、小沢氏と同じく民主党政権を維持し、自らの影響力、存在感を維持することが目的としか思えない。

菅、鳩山、小沢の旧トロイカ三人衆だけではない。民主党の衆参150人及ぶ1回生(新人)議員たちもまた期待外れだ。この議員たちこそ、いま国民(市民)が何を政治に望み、どう評価しているかを、市民の常識を持って感じ取り、それを表明できたはずである。政権奪取後、わずか1年半余りにして、永田町の論理に染まったとすれば、彼らの責任は大きい。

そして自民党を中心とする野党である。菅首相が退陣すれば、なぜ局面が大きく開けるのか、その具体的な展望を示すことができなかった。そればかりではない。特に自民党は、これまで原発推進してきたことに対する真摯な総括すらできなかった。これでは国民から不信任案は菅降ろしだけが目的の政争の具と判断され、支持を得ることができなかったのも、むべなるかなである。

こう見て考えると、政策の優先課題もそっちのけで、低次元の権力争いが繰り返すいまの国会議員に国を運営する資格はないと、国民は三行半を突き付けることが必要なのかもしれない。

国政が復興を邪魔しないための最良の方法は?

では、なぜかくも自民党政権末期以来、政治の質が劣化してしまったのか。一つには人の質の問題、もう一つには制度の問題があるだろう。

そもそもわが国は、政界、財界を問わず、米国大統領のようなトップダウン型リーダーは生まれにくい仕組みになっている。政治においては、議員内閣制をとっているため国会議員である与党の党首が総理大臣になる。その与党の党首は同じ国会議員から選ばれ、国民から直接、選ばれたわけではない。このため政権を維持するための権力の基盤が弱い。

意思決定や政策決定の仕組みは、実質的には官僚が政策とその裏付けとなる法律をつくり、政治家が修正を加えながら、国会で成立させる。ボトムアップ、ミドルアップ型の意思決定システムである。したがって、今回の大震災ような危機が発生しても、官僚は本来的には法律をつくる権限も、超法規的な対策を実施する権限もないため、既存の法律の枠内でしか動けない。だから、法律では想定していない事態に対応できないか、新たな対策を打ち出すまでに時間がかかる。

危機対応では、結果責任を取る覚悟のうえで、超法規的措置をとるか、スピード感を持って法律を成立させて、官僚群を動かすことができるのは、その権限を持つ政治家なのである。だが、例えば、原発事故処理、賠償スキームをみても、前面に立たされるのは東京電力で、政治と国が前面に出て結果を引き受けるという覚悟は見られない。

だから、今回の震災対応にみられるように、現在の議員内閣制がすでに制度疲労を起こしているなら、この国を治める仕組みを改革する必要がある。制度が人を鍛え、考え方に影響を与えるからだ。方法としては、大統領型に近い首相公選制、あるいは各党の代表を首相候補として選挙を戦う(与党首が変わる場合は選挙を行う)といった仕組みが考えられる。この国を治める仕組みの改革が、中長期的な課題である。

短期的には、日本の意志決定には時間がかかることと、政治の不毛を考えれば、国政には多くを期待しないことだ。もちろん、どのような制度をつくろうが、「この人が言うのであれば」「この人のためならば」と人を動かす政治家個人の“魅力”が、最も重要であることは否定しない。しかし、トロイカ三人衆にお引き取り願うのは当然として、いまの政界のだれに期待しろと言うのか。せめて国会は、2次補正、3次補正予算を早期に成立させて、一刻も早く使途限定のない財源を地方自治体に渡すこと、それが復興をじゃましない最良の方法なのかもしれない。

あとは、地方自治体と住民が、自らの未来を自らで決めていくしかあるまい。それが悲劇を通り越して、滑稽とさえ言える我が国の政治の現実である。