2011年6月19日日曜日

学歴無用論

(教育を変えるとき)学歴とは別のものさしで人を見よう(2011年6月19日 日本経済新聞)

東日本大震災の後、各国から寄せられた日本人への励ましの言葉、賛辞は記憶に新しい。それは自制心や勇気、連帯の心、忍耐力など、私たちが持つ資質に改めて気づかせてくれたといってもいい。

また、被災地で働くボランティアの姿に「若者もやるじゃないか」という思いを新たにした人も多いのではないか。教育が、こうした日本人をつくり上げる大きな役割を果たしてきたことは間違いないだろう。

ブランドが人の価値か

しかし、震災からの復旧や復興、そして日本を勁(つよ)い国に再生していくには長い時間がかかる。それぞれの場面でさまざまな個性、能力を持つ人が必要になる。これまでにもまして、学歴や学校歴だけではない多様なものさしで人を見る意識が、教育現場や家庭、企業も含めた社会全体に求められている。

教育を論じるときによく挙げられるテーマがある。一つは、教育のコースが単線型になっていて、誰もが1本のレールに沿って進もうとしている、ということだ。

最近の高校進学率は98%、大学・短大進学率も54%に達している。半世紀前は高校進学率が50%台でヾ割の生徒が工業、商業などの職業科に進んだ。就職を見すえたからだ。

しかし、いまは普通科高校に進む生徒が圧倒的に多い。その高校は偏差値でランク付けされ、なるべくいい高校からいい大学を目指す。それが「単線」の意味だ。高校にとって重要なのは、いかに「いい大学」に生徒を送り込むかであり、大学にとっては就職の実績が大切になる。そこには一つの価値観しかない。

もう一つ、学歴が親から子にバトンタッチされ世代を越えて格差が固定化する、という議論がある。有名大学を出れば就職先に恵まれ高収入を得る。そのお金が子の教育費に使われ、高学歴・高収入が次の世代に引き継がれていくという指摘だ。

年収400万円以下の家庭の4年制大学進学率は31%なのに ̄000万円を超えると62%になるという調査もある。

その結果広がっているのが「学歴信仰」であり、「ブランド教育志向」である。それは企業の採用活動にも見てとれる。社会全体の意識が学歴や有名校というブランドにとらわれ、一人ひとりを見るこまやかな目を失っていないだろうか。

多様な人物を育てるためには、単線型でない教育、学歴が固定しない教育の仕組みを考える必要がある。

高校教育ももっと多彩であっていい。三重県立相可高校では食物調理科の生徒が年間売り上げ約4千万円のレストランを運営、その活動をモデルにしたテレビドラマもできた。

石川県立七尾東雲高校は3年前に演劇科を開設し、全国から生徒を募集、地元の演劇堂で活動する仲代達矢さん主宰の無名塾の指導を受けている。地元企業や市民が「支援する会」をつくり、祭りなどに生徒を招いたり大道具を運ぶトラックを提供したりしているという。

ほかにも、看護・介護や福祉、観光、地元の伝統産業など、特色ある教育をする高校は増えている。その流れをもっと太くし、将来の仕事に結びつく教育と、生徒や卒業生を積極的に応援する社会を育てたい。

まだまだペーパーテスト重視の大学入試にも問題がある。小論文や面接・討論などで合格者を決めるAO(アドミッション・オフィス)入試は年々広がっており、昨年春の入学者のうち、私立大は11%、国立大でも3%を占めている。

手間ひまかけた選抜を

ただ~O入試には少子化時代の学生の取り合いといった意味もあり、合格者の基礎学力不足も指摘されている。学力に加え、個性や多様な能力を見抜くためにはもっと入試に時間をかける必要がある。これからは少子化の時代だ。よりキメの細かい選抜だって可能になるだろう。

同じことが企業の採用活動にも言える。人物本位をうたう「学校不問」、スポーツで活躍したり特殊な資格を取ったりした学生を優先する「一芸採用」を掲げた企業は少しずつ増えているが、看板倒れに終わったのでは意味がない。

富士通はことし4月に「一芸」で12人を採用、来春は30~40人に増やす予定だ。手間はかかるが、「多様な人材で企業を活性化する」という目的にはかなう方法ではないか。

「会社は、実力で勝負しなければならないというのに、そこで働いている人は、入社前に教育を受けた『場所』で評価されるというのは、どう考えても納得がいかない」。ソニーの盛田昭夫氏が著書「学歴無用論」でこう訴えたのは1966年だ。それから半世紀近く。そんな嘆きはもう過去の遺物にしたい。