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大学の事務組織における地域人材の活用

 AIに聞いてみました。 大学の事務組織における地域人材の活用 大学における地域人材の活用は、教育や研究活動に留まらず、その事務組織においても大きな可能性を秘めています。事務組織が地域人材の知見やスキルを取り入れることで、業務の効率化、専門性の強化、そして地域連携のさらなる深化が期待できます。 事務組織における地域人材活用の形態 大学の事務組織で地域人材が活躍できる場面は多岐にわたります。主な活用形態は以下の通りです。 専門業務への登用 : 経理・財務 : 地域の税理士事務所や会計事務所で経験を積んだ人材を、大学の複雑な経理処理や予算管理に一時的または常勤で登用する。 広報・ブランディング : 地域の広告代理店やデザイン会社で実績のある人材を、大学の広報戦略立案やウェブサイト・パンフレット制作にアドバイザーとして招く。 法務・コンプライアンス : 地域の弁護士や司法書士を、契約書作成や法務相談、コンプライアンス体制構築の顧問として活用する。 施設管理・安全衛生 : 地域の建設会社や設備管理会社で経験豊富な技術者を、大学施設の維持管理や安全衛生管理に関する助言者として迎える。 国際交流支援 : 地域の国際交流団体や外国語教育機関で経験のある人材を、留学生の生活支援や国際協定に関する業務に携わってもらう。 特定のプロジェクトへの参画 : 地域連携プロジェクトの推進 : 地域連携のノウハウを持つ NPO 職員や自治体職員を、新たな地域連携プロジェクトの企画・運営に協力してもらう。 イベント運営支援 : 大学が開催するオープンキャンパスや公開講座、地域交流イベントなどの企画・運営に、地域のイベント会社やボランティア団体と連携して取り組む。 ICT 支援 : 地域の IT 企業の人材に、大学の IT インフラ整備やシステム開発におけるコンサルティングや実務を担当してもらう。 非常勤・パートタイムでの採用 : 特定の時期に業務が集中する部署(入試、学生募集、卒業関連業務など)で、地域の経験者を非常勤職員として雇用し、短期的な人手不足を解消する。 高度な専門知識が必要な業務について、週に数回など限定的な勤務形態で地域人材の知見を借りる。 ...

記事紹介|大学の自律とは

私立大学の自律と主体性-事務職員に期待すること 研究員 山﨑その(京都外国語大学図書館事務長) はじめに 大学や短大の学生募集停止のニュースが相次ぎ、鬱々とした気分が続いていた時、ふと某書店が出している小冊子の一文に目が留まった。「幸せな家族はどれもみな似ているが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある」。トルストイの『アンナ・カレーニナ』(望月哲男訳、2008、光文社)の書き出しの一文である。そうだ、大学の経営も同じかもしれないと一瞬思ったが、いや、大学の場合は正反対だと思い直した。「経営がうまくいっていない不幸な大学はどれもみな似ているが、幸せな大学にはそれぞれのうまくやる形がある」といえるのではないだろうか。 過去の失敗から「こうなれば(これをやれば)ダメになる(失敗する)」という原因は、明確に特定することができる。その一方で、求められたことには漏れなく対応し、良いと言われることもできる限りすべてやっているのに、これという経営改善の糸口を見つけられないでいる真面目で一所懸命な大学がある。今や危ない大学の慣用句のごとく使われている「小規模」、「地方」、「単科」、「女子大」のリスクは確かに高いが、そうでなければ安泰というわけにはいかない。不確実性に支配された大学業界では頼るものはなく、将来の成功は誰も保証できない。大学は自らの判断と行動で、それぞれの幸せの形を見つけるしかないのだろう。 大学の自律と主体性 自律という語は、文脈によって極めて多義的に用いられている。大学は誕生以来、学問の自由に必要不可欠なものとして自律(自治)を求めてきた。一方、1990年代以降の文科省の審議会答申等が大学に対して求めてきた自律は、周囲から期待された役割や機能を果たし、組織の目標を達成する機能体組織としての存在である。私立大学に対しては、生き残りをかけた経営努力という自立の意味も含まれている。同じ語であっても、大学が求める自律と政府や社会が求める自律は、まったく別ものなのだ。 改めて自律という語を辞書で繰ってみると、「自分の行為を主体的に規制すること。外部からの支配や制御から脱して、自身の立てた規範に従って行動すること」とある(広辞苑第7版(2018))。自律するには主体的でなければならないのだ。同じく広辞苑によれば、主体的とは「ある活動や思考などをなす時、その主体となって働きかける...

記事紹介|嗚呼、非効率

大学や保育園でも、効率化に逆行するような現実への悲鳴をお届けする。 「やらなくてはいけない仕事」の増加 まずは、西日本にある国立大学の理工系の学部で教鞭をとる男性、Cさんの話から紹介したい。 「小学校や中学校の先生の勤務時間の長さが過労死ラインだと問題になっていますが、僕ら大学教員もかなり大変なんです。以前は、授業など学生への教育と研究の二つをやっていればよかったのですが、今はやらなくてはいけない仕事が増えるばかりです」 ひとつは「産学連携」だ。大学などの教育・研究機関と企業が連携する取り組みのことで、企業に大学の研究成果を使ってもらうことでロイヤリティ収入を得て、大学の収入を増やすことが求められる。 「大学の運営費交付金が減額されている中、大学側も儲けることを考えなくてはならない。学部によっては、地域への貢献に形を変えることもあります。そういったプロジェクトは教員側がかなり動かなくてはなりません」 産学連携は経産省からの通達でもあるため、Cさんらは頭をひねって企画を立てる。大学発のベンチャーとして株式会社を設立し、企業と大学の双方が保有する知的財産等の保護と、双方の信頼の維持のためにさまざまな契約を交わさなくてはならない。契約を締結するには、さまざまな書類が必要になる。それらは大学の事務方の協力なしには締結できない。 「 (事務職の)彼らは、すぐに前例がないとか言って断ってくるんです 。僕らは文科省や経産省など、国を挙げての動きでもあるし、将来的に貢献できればと思ってやっているのに」 そう憤るCさんによると「うちの大学ではそんなことはやっていませんでした」「前例がない」と反対されるという。仕事を増やしたくないのだろうか。Cさんら教員は大学を替わったりするので、メンバーの入れ替わりがあるものの、事務方の職員は50代くらいベテランになると30数年在籍する人もいる。 「紙モンダイ」「印鑑モンダイ」 「 大学の主みたいになっているので、学部長や学科長の決定が事務方で覆ることもあります 。 事務方ラインと教員ラインでいつも戦っている感じです 。 彼らが事務処理をしてくれないと(産学連携の)プロジェクトは動かないので、骨が折れます 」 産学連携そのものよりも、人間関係で消耗しているように映る 。 事務方の人たちからすれば「書類作成が増えて手が回らない」と言うそうだが、Cさんら...

記事紹介|大学における働き方改革

大学教職員の働き方改革に関し、要点がわかりやすく整理されている記事です。 新たな法規制により労務リスクは間違いなく高まる。その回避のためだけでなく、教員の働き方を見直しながら、教育・研究の質を高めるために何をなすべきか、多様な雇用形態の構成員が能力を発揮できる環境をどう整えるかなど、この機を活かす積極的な姿勢や取組も大切である。そのためにも、働き方改革が何を求めているのか、その本質を理解することが不可欠である。 これらは人事部門など特定の部署だけで対処すれば済む問題ではない。大学の教育、研究、社会貢献、附属学校、附属病院及び法人経営など活動全般に深く関わり、理事長、理事、学長、副学長、事務局長等のトップマネジメント層及び管理監督的立場にある教職員が、基本的な事柄や問題の本質を十分に理解した上で、組織を挙げて取り組む必要がある。 (出典) 大学における「働き方改革」の意義と課題を考える 吉武博通|カレッジマネジメント

記事紹介|不幸な役所文化

国立大学等の事務組織は、元々、文部科学省の出先である「行政組織」。法人化され数年が経過した今でも役人意識や役所風土が散見されます。(以下抜粋引用) ◇ 役所は前時代的なマネジメントから脱却できておらず、役所組織の都合を職員に強いる。組織が個の力を活用することで生き残ってゆく時代には、役所も職員が持つ個の力を引き出していくことが求められている。なぜなら、それが組織の目的を果たすための大きな力になるからだ。 バッシングを嫌がる公務員が、同僚をバッシングする 業務を改善しようとすると、前任者や先輩の仕事を否定する者、さらには仕事を増やす迷惑な者として捉えられ、陰口、批難、抵抗にあう。そのため、改善を進める者は、組織内の調整に多大なリソースを割くことになり、大きな精神的負荷がかかる。 公務員という組織人には、年功序列の給与制度がある。これについては当人が公務員を選択する前からわかりきっていることではある。しかし、仕事で成果を上げても、すぐに報酬や役職に反映されないどころか、周囲からは出る杭として叩かれる。こうした状態では、頑張ろうとする職員を増やすことは難しい。 公務員バッシングという負の現象の根源にあるもの 役所は地域における独占企業といえる。民間企業が直面しているような市場競争にさらされていないため、「意識が内部に向きやすい」。 次に、既存業務の運用に間違いを起こさないことが重要視されるため「個を生かす感覚が希薄」である。 さらに、「公務員は黒子であることが正義だという固定観念」も根強い。 そして最後に、「同僚への嫉妬心」である。目立つことを控える組織文化のなかで、注目を浴びる同僚に向けられる目は冷ややかだ。 公務員が同僚の足を引っ張る構造により、短期的には職員の平均的なモチベーションが低下し、業務の質が低下する。長期的には、採用や育成に支障をきたし、組織の成果に悪影響を及ぼすだろう。 バッシングする者は自らの首を絞めている サービスを享受する有権者側の志向は多様化している。役所のようなサービス提供側は、これまでより広く、より深いサービスを提供しなければならない。こうした状況にあって、組織が成果を生み出すうえで重要なのは、いかに個人の能力を発揮させられるかという点だ。それにもかかわらず、組織内で目立つ者を叩く文化が蔓...

記事紹介|その研修必要ですか?

大学等設置基準の改正により実施が義務化(2017年)されて久しいSD(Staff Development)ですが、効果の検証も十分に行われず、やりっぱなし、肥大化・枝葉末節化しているといった話を時折耳にすることがあります。持続的に研修体系や内容の見直し(棚卸し)をすることも大切だと思います。(以下引用抜粋) ◇ <問題提起> 「ゾンビ化した研修」とは、いわば「ゾンビ」のように、「時代にあわなくなっているけれど、死に切れていない研修=ゾンビ研修」のことです。あるいは、「担当者が変わって、過去の経緯すらわからなくなっている研修」といってもいいのかもしれません。 「戦艦ヤマト化(とてつもなく巨大化)した研修体系」の内部には、いわば「ゾンビ」のように、実質的には「死んでいる(dead)」のだけれども、いまだ形式上「生き残っており(Living)」、目標をすでに失い、組織のなかを、当てもなく彷徨っているような(Go nowhere)研修が、含まれているのだ、と、つくづく思いました。 万が一、この研修がなかったとしたら、経営と現場に、どんな悪い影響が起こりますか? <結論> 研修は「ミニマム」でいい 不要な研修を受けるくらいなら、仕事をしたほうがいい  しかし、 「必要な研修」は絶対に存在する 研修をやるなら、絶対に仕事に活かせるものにする (出典) 「戦艦ヤマト化した研修体系」に巣食う「ゾンビ研修」は「成仏」させたほうがいい!?|立教大学 経営学部 中原淳研究室 - 大人の学びを科学する |NAKAHARA-LAB.net

研究助成金と事務職員のスキル

古くからおつきあいのある親しい先輩(研究助成団体関係者)からの「厳しい」お便りをご紹介します。 ◇ 大学等が交付金を減らされて危機的状況だとよく聞きます。 また、私どもの助成対象の先生方からも、当財団に対して感謝の言葉をよく聞きます。 〇〇の研究なんて、科研費でも余り認められない分野になってしまい、研究者は当財団だけが救いの主みたいなものです。 ところが、大学や事務局は、学長・担当理事・担当部長は国家プロジェクト、科研費は担当部長・課長、係長クラスが対応。助成団体助成金は係員や新米係員が担当。 お陰様で会計に無知な私が、国立大学の係員に丁寧に経理を教えてあげることに。 最初は、上司の係長は何しとるんや!って怒っていたけど、最近は若人に直接教えてあげることが面白くなってきました。 しかし、大学財務が危機的状況って叫んでいても、我々助成団体を事務が軽く見ている状況を鑑みるに、そんなに危機的状況じゃないんじゃないの?と思ってしまいます。 新人係員相手で困ってしまう例は枚挙にいとまがありません。 我々助成団体の助成金は大学からの申し入れで、寄付金扱いにしています。 助成金を交付するときは、助成団体から「寄付金申込書」を大学に提出します。 その後、研究者と覚書を交わします。 直近の例では〇〇大学の新人君が「この覚書を“委託契約書”に書き換えて下さい」との突然のメール。この新人君は上司からの教育もされないまま、とりあえず助成金の担当をやらされたみたいで、委託契約や寄付金の制度も全く知らないまま、当財団に“委託契約”にしてくれと言ってきた。 某高専の同じく新人係員からは「助成金は機構本部にピンハネされるので、名称を補助金にして下さい」との突然のメール。勿論この新人君は助成金のことも、補助金のことも知らない。 〇〇大学の新人さん(女性)から、寄付金申込書に「いざとなったら、この寄付金は学長の好きなように使ってよい」を追加してくれと。 私の方で調べたら、確かに寄付金規定にその様な文言があったけど、はいそうですか、とは立場上言えないので「いざとなったら」とはどの様な時ですか?と聞いたところ、その新人さんは2日ぐらい考えて「大学が財政的に潰れる場合です」との答え! 〇〇大学がまるで直ぐにでも潰れることを想定した寄付金申込書を助成団体に...

”植民地”国立大学への出向(天〇り)に関わるQ&A

役人言葉の見事な文章。信じるか信じないかはあなた次第です。 国立大学法人への文部科学省職員の派遣および出向等の状況に関する質問主意書|衆議院 国立大学法人は、国立大学法人法第1条で「大学の教育研究に対する国民の要請にこたえるとともに、我が国の高等教育及び学術研究の水準の向上と均衡ある発展を図る」ことが目的であると示され、国立大学法人法第3条では、「国は、この法律の運用に当たっては、国立大学及び大学共同利用機関における教育研究の特性に常に配慮しなければならない」と規定されている。 政府は、このように国立大学法人の教育研究の特性に常に配慮すべきであるにもかかわらず、文部科学省職員の国立大学法人への派遣および出向等の実態は不透明であり、国民は不信を抱かざるを得ない。このような観点から、以下質問する。 1 文部科学省職員の身分を有する者、あるいはかつて文部科学省職員の身分を有していた者が、派遣、出向など形式の如何を問わず、国立大学法人で教育職、研究職、事務職あるいは理事などの役員として勤務されていると承知しているが、何を目的にして、政府はそうした勤務を行わせているのか。教育職、研究職、事務職および役員のそれぞれについて、政府の見解を示されたい。 2 1の勤務は、どのような法的根拠で行われているのか。政府の見解を示されたい。 3 全国の国立大学法人で、教育職、研究職、事務職および役員として勤務する者のうち、文部科学省職員の身分を有する者、あるいはかつて文部科学省職員の身分を有していた者は、現在、何名なのか。政府の見解を示されたい。 4 文部科学省職員の身分を有する者、あるいはかつて文部科学省職員の身分を有していた者が、国立大学法人で継続的かつ特定の職種で勤務することは、国立大学の自主性を失わせるなど弊害があると考えるが、政府の見解を明らかにされたい。 国立大学法人への文部科学省職員の派遣および出向等の状況に関する質問に対する答弁書 1から4までについて 御指摘の「文部科学省職員の身分を有する者」、「かつて文部科学省職員の身分を有していた者」、「派遣」及び「教育職、研究職、事務職」の具体的に意味するところが必ずしも明らかではないが、文部科学省から国立大学法人への出向は、国立大学協会の平成21年6月15日付け「国立大学法人の幹部職員の人事...

記事紹介|「希望職種は大学職員」が意味するもの

「希望職種は大学職員」が意味するもの 「今の若手に人気なのは、大学職員なんですよ」 先日、ある転職エージェントのキャリアアドバイザーから聞いた話です。第二新卒の人たちは、どんな求人に興味を持つのか、という話になった時に真っ先に出てきたのがこのセリフでした。多くの若手社員が、今の会社を辞めて、大学職員になりたいと思っているのだそうです。 かつての若手社員の人気職種といえば、「新3K」が思い起こされます。企画、広報、国際の頭文字をとった用語です。バブル時の80年代後半から2000年代中頃までは、こうした華やかな職種、舞台で働きたい、と考える若手が主流を占めていました。外資系企業や急成長しているメガベンチャー企業も人気を博していました。大きな舞台やビジネスの最前線で、自分の持てる力を使って活躍したい、という意識がはっきりと感じられました。 しかし、少しずつ様相は変わっていきました。バリバリと働き、前向きに挑戦していく志向が減退し、ほどほどの無難な生き方を志向する若手が増えてきたのです。世界を舞台に働きたいという人が激減し、地元で職を得たい、という人が増えたのは好例です。 その典型は、公務員志望の増加でしょう。昔から、不況時には安定志向が高まり、公務員志望が増える、という傾向が顕著にありましたが、リーマンショック前の好景気の時から、公務員志望はじわじわと増え始めていました。大手企業志向も高まりました。 こうした変化を考えれば、若手の中で、大学職員が人気というのも頷ける話です。大学は公共財に近い存在ですから、公務員同様に雇用が安定していると考えているでしょうし、公務員のように試験があるわけではありませんので、ハードルも低いと感じているのでしょう。大学は全国にありますから、地元志向にもかなっています。 さらに、第二新卒たちが大学職員の仕事に惹かれるのは、「残業がなさそうだから」「定時に帰ることができるから」なのだそうです。自身のプライベートな時間を大切にしたい、という意識の表れでしょう。 若手は、「生き生きと働いている」か? ここまでをお読みいただいて、何を思われたでしょうか? 「これが、今の若手のホンネなのか」と、ショックを受けられたでしょうか。「やる気が感じられない」「今の若手が使えないわけだ」と思われたでしょうか。 確かに、若者らし...

記事紹介|「部長が何でも抱え込む」大学は成長できない

ある記事の「会社」を「大学」に、「社長」を「部長」に、「社員」を「職員」に置き換えてみました。 ◇ 4月に入り、多くの大学が新年度をスタートさせています。前年度からさらに業績を伸ばしたい、あるいは回復させたいと経営計画を練っている大学が大半でしょう。 私は弁護士、税理士の両資格を持ち、上場企業の取締役でもあります。こうした1人3役は珍しいと思いますが、それぞれの立場から大学を見ることで、経営を立体的に見られるようになりました。その経験から、経営が「伸びている」多くの大学では、部長が大切にしていることや考え方、取り組みに意外な共通点があることに気づきました。 「伸びてる大学」はみんな有言実行だ (途中略) 目標を職員の前で公言したほうがいい理由は2つあります。 まずは、部長1人の力では大学の目標を達成できないからです。職員の力を借りるためには、職員一人ひとりが目標数字を認識し、その数字を達成したいと感じてもらったうえで仕事に取り組んでもらう必要があります。 大学全体の目標を各部署や各人に細分化したり、各月や各週に細分化したりして、職員一人ひとりがその目標数字のどの部分を担っているのかを見えるようにし、役割を自覚できるようにする必要があります。全学の目標として大きな数字をいわれても、職員はどう頑張ればいいのかわからないからです。 そして、目標数字を全職員と共有するもう1つの意義は、目標を声に出すと部長自身が本気になれるということにあります。 内に秘めた目標は誰にも伝わっていませんから、達成できなくても自分の中で言い訳ができます。「職員の頑張りが足りなかった」「開発に想定外の時間がかかった」「見込みが甘かった」など。 全職員に伝えてしまった目標が達成できないと、職員の士気にも悪い影響を与えますし、何よりも自分で言った以上は達成できないと格好悪いですから、どうやれば目標数字を達成できるかを自然に考えます。いつもそのことを考えるようになるので、本や新聞で読んだこと、人との会話の中などにちりばめられている目標達成や問題解決のヒントを、逃さずキャッチできるようになるのです。 私の友人は、「部長はヒーローでなければならない」「そして、ヒーローはみんな有言実行だ」と言っていました。ヒーローは黙って姑息な攻撃を仕掛けることは絶対にしない...

記事紹介|国立大学の自主性・自律性を高めるためには

国立大学の自主性・自律性は増してきたか このような動きの背後には、厳しい財政状況にも拘らず可能な限りの措置を講じてきたと考える財務省、産業競争力会議や教育再生実行会議等を通して大学に変革を求める産業界等の存在がある。これらの主張や要望を受け止めながら、国立大学に改革の加速を迫る文科省の難しい立場に理解を示す声も少なくない。 その一方で、自主性・自律性を高らかに謳いあげてスタートした法人化が、ここにきて明らかに後退しているとの厳しい指摘も多い。石弘光一橋大学元学長は、「法人化後、大学の自主性がもっと増えると期待していた。しかしこれまでの経過を見るとそれとは逆に、政府の介入の度合いが一段と強まってきたといえよう」と警鐘を鳴らす(日本経済新聞2015年 6月29日朝刊)。 国と国立大学法人の権限関係は、法人化当初と何ら変わっておらず、国は、ガバナンス改革による法制度面の整備や「学長の裁量による経費」の新設などを通じて、学長がその機能を発揮し易いような環境を整えてきた。 他方で、大学の裁量で自由に使える予算が減れば、運営の弾力性が損なわれ、新たな改革施策を展開することも一層困難になる。また、競争的資金へのシフトが進むほど、文科省との関わりを強め、その意向に沿った提案・申請に注力することになる。さらに、国立大学に対する多方面からの要求や改革の遅れを指摘する声が高まれば、文科省は国立大学への働きかけを一層強めざるを得ない。 法人化時に意図した通りに国立大学の自主性・自律性が増してこなかったとすれば、このような背景によるものと考えられる。 大学の努力と工夫で健全な競争的環境を創出 その意味からも運営費交付金による安定的な財源の投入が何より不可欠となる。しかしながら、危機的とも言える財政状況を背景に、財務大臣の諮問機関である財政制度等審議会は国立大学法人予算の編成に当たり厳しい指摘を行い、それに文科省が見解を示し、国大協が声明を発表するという攻防が繰り返されている。 国立大学に投入される予算の総額を増加させることは難しいとしても、大学の裁量で自由に使える予算の比率を高めることは検討されるべきであろう。 教育研究を高度化するために競争的環境は必要である。しかしながら、意欲のある教員の多くは既に自らを厳しい競争環境に...

記事紹介|大学職員の育成(2)

個人をどう高めるかと業務改善の関係 SD義務化により職員研修の在り方だけがスポットライトを浴びるわけではないということについて、前回までで述べてきました。 大学をめぐる昨今の財務状況にかんがみれば、多くの外部人材を一気に採用するというわけにはいきません。望まれる大学職員像に向けて、現在その大学にいる職員をどのように育成し、キャリアアップと専門性の向上を図っていくかという観点が重要な意味を持ちます。組織の在り方を再定義し、そこから抽出される的確な職員像を、と考えてみたところで、結局は今大学にいる人材をベースにHuman Resource Managementを考えていかざるを得ず、そうでないプランを単に「もっと頑張れ」という掛け声とともに声高に唱えても、職員育成の仕組みは非常に空虚なものに陥ります。 では、現在の大学職員の研修はどうなっているでしょうか。 現在の大学職員育成プログラム(=研修プログラム)は基本的に、今いる職員を底上げするような義務的内容(経験年数・階層別研修として実施されることが多い)と、希望者を対象にした特定の能力・専門性向上を狙った内容(例えば「IRについて」「学生の主体的学修を育む環境について」)または自己研鑽型の内容(ただし大学から支援されている場合と支援されていない場合(必要経費の補助制度がない、勤務時間外での実施を命じられる等)がある)で構成されています。 義務的な内容は、多くの職員が身につけるべきいわば最大公約数的な内容を元に、多種多様な職員に対し共通に実施されるものであり、対象職員の高い研修意欲や事前知識を前提にしたものとなっていないため、内容ないし職員側の受け止めによっては非常に形式張ったものになりがちで、高い研修効果が望みにくいものとも言えます。 他方、希望者制または自己研鑽型のものは一定の研修効果を見込みやすいものの、当該研修を受講したことがまったく考慮されない業務環境であったり、人事異動が実施されている場合は、研修内容をその後生かせるかどうかという点が各職員任せになっていて、これはこれで効果として不十分になるケースが出てきます。 一般に研修に意欲的でない職員というのはどうしても出てきてしまいますが、研修に出てこない職員にもそれなりの反論材料があります。曰く、研修内容が形式化していて面白くない、今の自分...

記事紹介|大学職員の育成(1)

SD義務化の話は職員研修の視点にとどまるものではないと前回(略)で示したところですが、それではどのような「大学運営の高度化」が今後進められ、SD義務化を契機にどのような運営改善が進められるべきか、について、しばらく取り上げていきたいと思います。今回は「大学のコスト意識」についてです。 予算と事業 かのP・F・ドラッカーは、「 マネジメント~基本と原則 」という著書の中で、予算を中心に運営されている公的機関について、組織の成果が予算の獲得・拡充に重きが置かれ、予算を通じて達成すべき価値の実現には実はあまり関心を払っていないと、手厳しく述べています。また、予算という仕組みでは組織の事業が抜本的に見直される機会に乏しく、大胆な成果検証が行われにくいこと、仮に行われたとしてもそれが予算面での大胆な組み替えにつながることは少なく、旧態依然とした取組も温存されがちになってしまうということにも触れています。 法人化された国公立大学、そして多くの私立大学において、実質的に予算制度が採用されています。経営が厳しくなっているとはいえ、普通の企業に比べれば学生納付金収入というかなり予測可能性の高い収入源が存在していることは、中長期的な収支の見通しを明るくする代わりに、事業を自ら厳しく見つめ直す動機を損なわせやすい要因ともなっています。 また、事業と財務の考え方が別個に存在し、お互いが十分リンクしていないという課題もあります。自己点検・評価制度や認証評価制度、国立大学であれば国立大学法人評価制度により、事業の実施状況に対するメスが入ります。ただ、(国においても基盤的経費の配分上一定の考慮はされていますが)それが学内の予算配分の増減に直接にリンケージしているかというと、もちろん無関係ではないものの、「全学的に重要だから」や「この事業を倒してしまうと対外的な説明ができないから」などといったいわば政策的な判断も介入してきます。 もとより、各事業において「資源を投入すればするほどよい」という考え方の下で事業設計されていることが多く、また、基盤的経費や学生納付金収入はいわば前受金として法人に入ってくるわけなので、それらをどう執行=費消するかという観点で事業が組まれていることが通常ですから、個々の事業に対しそれぞれのコスト意識をしっかり伴わせるプロセスが十分とは言えません。 こ...

記事紹介|大学の事務職員等の在り方

大学の事務職員等の在り方について(取組の方向性案) 1 大学の事務職員等に関するこれまでの審議の経緯 大学運営の一層の改善・充実に向けて、事務職員及び事務組織(以下「事務職員等」という。)の在り方に関しては、中央教育審議会において審議が重ねられてきた。 「大学のガバナンス改革の推進について(審議まとめ)」(平成26年2月12日中央教育審議会大学分科会)においては、大学による組織的な研修・研究(スタッフ・ディベロップメント(SD))の重要性や、教職協働により、事務職員が教員と対等な立場で大学運営に参画することの重要性などについて指摘されてきた。 また、同審議まとめを踏まえ、「大学運営の一層の改善・充実のための方策について(取組の方向性)」(平成28年2月中央教育審議会大学分科会大学教育部会)が示され、「大学の事務組織及び事務職員が、当該大学の目標の達成に向け、これまで以上に積極的な役割を担い、大学運営の一翼を担う機能をより一層発揮できるよう、~(略)~、今後の在るべき姿について更に検討を深め、その結果を法令等に反映させることが適当ではないか。」との方向性が示されたところである。 これらを踏まえ、大学の事務職員等の在り方については、今後以下のような方向で取組を進めていくべきではないか。 2 事務職員等の業務の変化と規定の見直しの必要性 (1)事務職員等の業務の変化 大学の教育研究の高度化・複雑化に伴い、大学の事務職員等の業務に変化が生じている。 【具体的な事例】 ○ジョイント・ディグリー・プログラムの推進 平成26年11月、我が国の大学等と外国の大学等が、大学間協定に基づき連携して国際連携教育課程を編成・実施し、共同で単一の学位を授与する仕組みとして、同プログラムが制度化された。 同プログラムの設置に当たっては、海外大学との密接な情報共有・調整を要するとともに、学内担当部局(法務、教学、国際等、各学部・研究科等)と連携を図りつつ、更には、文部科学省と法令上の解釈・運用に関する協議等が必要となる。 これらの一連の業務は、教員又は事務職員のみで対応することは困難であり、事務職員と教員が、以下のように業務を役割分担して取り組んでいる例がある。 (事務職員):学内担当部局や担当教員との連絡調整・とりまとめ、文部科学省と相談・調整し法...

記事紹介|続・続・根絶を願う、文科省の失態

平成29年1月26日(木)衆議院・予算委員会  10時14分から34分まで (カッコ内は私(河野太郎)の解説です) 河野太郎君 自由民主党の河野太郎です。まず再就職等監視委員会にお伺いをいたします(委員長又は事務方のトップである事務局長のいずれかが答弁するということでした。委員長だと答弁書を全部読み上げることになって時間がもったいないなと思ったので、事務局長でもOKにしたところ、事務局長の答弁になりました)。今回の文科省の天下り問題の発覚のきっかけとなったのは何だったのでしょうか。 内閣府再就職等監視委員会事務局長 再就職等監視委員会は、内閣人事局が四半期ごとに公表しております管理職員の再就職届出情報、その他様々な情報について監視を行っております。平成28年3月当該再就職の届出が公表され、その中に、元文科省の高等教育局長が、早稲田大学に再就職した旨の報告が含まれておりました。(事前の説明では、退職してから再就職まで2か月足らずと短かったことが目を引いたとの説明がありましたが、それについてはこの答弁で触れていません。文科省の天下りには新ルール後で、退職の翌日再就職というのもあり、質問時間に余裕があればその件についても触れたかったのですが、そのためにはもう一度、監視委員会事務局長に退職してから再就職の期間について質問をしなければならなくなりました。結局、時間が足らず、これについては触れるに至りませんでした) この公表情報をもとに、文科省に対して照会の上、関係者への聞き取り、あるいは証拠を精査した結果、文科省の人事課職員が元局長の情報を早稲田大学に提供し、また、元局長自らが利害関係のある大学に求職活動していた疑い、そしてそれらを人事課が隠ぺいを図ろうとしていたことが認められたということでございます。 河野太郎君 総理の指示で、内閣人事局がこの問題を調査するということになっていると思いますが、霞が関が霞が関の調査をしただけでは、世の中の信頼を得られないわけで、内閣人事局の調査に当然外部の目が入ると考えておりますが、山本大臣それでよろしいでしょうか。 山本幸三国家公務員制度担当大臣 総理から今回の事案はあってはならないことであって、国民の疑念を払拭するために、全省庁に対して、徹底的に調査し、その結果を明らかにする、しっかり調査するよう、そして報告する...

記事紹介|大学の人材マネジメント

長期雇用の利点を活かしつつその問題を克服する 雇用の流動性について、大学教員はより良い研究環境を求めて大学間を移動するため、勤務する大学への帰属意識が低いといわれる。その一方で、帰属意識の問題は別にして、専門分野間、大学間、職階間で流動性に開きがあり、教授昇任以降は総じて定着率が高く、大学教員といえども年功序列的要素を含む長期雇用の傾向があることを認識しておく必要がある。また、職員については、近年、企業経験者等の中途採用も増えているが、定年までの長期雇用が概ね定着している。 長期雇用は安心して仕事に専念でき、知識・経験も蓄積されるなど優れた面を有する一方で、人事の停滞や一定の年齢・役職に到達して以降の動機づけの難しさなど、組織活力に負の影響をもたらす面も大きい。この問題の克服は大学マネジメントの重要な課題である。 雇用形態の多様化については、本連載(本誌 164号)でも取り上げたが、現在の大学は多くの非正規雇用の教職員の働きによって成り立っており、外部委託(例えば図書館や情報システムなど)への依存度も高まりつつある。特に非正規雇用の教職員の処遇は、労働法制の趣旨に則り適切に行う必要があり、正規雇用・非正規雇用・外部委託間の分担・協働のあり方は教育研究・学生サービスの質と経営効率に深く関わっている。 キャリア意識に対する共通理解がすべてのベース 大学は、国立大学職員の大学間異動などを除くと、転勤は少なく、季節性はあるものの、景気変動による業務量の増減なども少ないことから、仕事と生活を両立させやすい職場であるといえる。従って、職員の女性比率は高く、国公私立大学合わせた約8万人の事務系本務者の45%、私立に限れば男女ほぼ同数(平成24年度学校基本調査より)となっている。 一方、国公私全体の女性本務教員比率は21%、教授に限ると13%にとどまり(同調査)、外国人教員比率とともに、その引き上げが課題となっている。 このような状況の中で、役職登用を含めて女性の活躍を促し、男女を問わず仕事と生活の調和が保てる環境が整っているかについて、配置・育成・処遇、労働時間、管理監督者や職場の意識などを多面的に点検してみる必要がある。 最後に、職員のキャリア開発について考えてみたい。大学職員のキャリア意識は、就職動機と職場内外の環...

大学経営者の意識

「 職員問題のいま 」( IDE 2016年8-9月号 )をご紹介します。学長、理事など大学経営者に求められる意識改革を指摘しています。 一時ほどは教職協働という言葉を聞かなくなった。教員と職員が、それぞれの特質や能力を生かしつつ、協働して仕事をするのは当然のことだが、現実にはそれが当たり前ではなく、職員側から教職協働を進めようという議論が展開されてきた。特に熱心な大学職員は、忙しい合間をぬって、大学院で学び直したり、講習会型にとどまらない研修を受けたり、研鑽を積んでいる。プロフェッショナルとしての大学行政管理職員の確立を目指して設立された大学行政管理学会も来年には20周年を迎える。 筆者もこうした場に関わっているが、ここ最近、彼ら自身の関心も変化してきた印象を持っている。以前は、職員の役割の再認識、そのために職員の能力や専門性をいかに向上させられるか、というのが関心の中心があった。職員に対するアンケート調査が多く実施されたのもこうした問題意識を反映してのことである。 こうしたテーマが消えたわけではないが、最近は、大学の経営陣や教員の役割や意識を研究してみたいという職員が増えている。 教職協働のためには、職員だけでなく、教員の理解や変化も必要であること、そうしたきっかけを作り出すキーパーソンとして重要であるはずの経営陣の無理解に意識がシフトしていくのは自然のことであろう。より対等な関係での教職協働が進まない背景には、教員のお手伝いをしていればよいという職員自身の意識の問題も依然として大きいし、身につけるべき能力の問題もあるが、当然それだけではない。職員として頑張り、最終的に理事等での立場で経営の中核として参加できる道は開かれているのか、委員会等の長として職員が任命され、裏方メンバ一としてではなく、正式メンバーとして参加しているのかという機会の問題も大きい。機会があってこそ、成長へのインセンティブや責任感も出てくる。また、評価活動は典型だが、大学に求められる機能が広がる中で、各種委員会も増え、その準備にさく時間も増えている。こうした会議などの効率化は職員ではなく、管理側が対処すべき事柄である。 教職協働の議論で、よく「教員と職員が気軽に話し合える雰囲気」などの重要性が言われたが、そういう問題ではないのではと違和感を覚えていた。若い熱心な職員が、大...

大学は職員を育てない

近時、多くの大学で、多様なSD活動が展開されるようになりました。その必要性や意義は言うまでもありませんが、方法や効果については、未だ成長過程にあるのではないでしょうか。 今日は、学校法人工学院大学総合企画部長の杉原明さんが書かれた「 「大学は人を育てない」と言われないために 」( 文部科学教育通信 No.391 2016・7・11 )をご紹介(転載)します。多くの鋭い示唆が含まれているように思います(下線は拙者)。 大学は職員を育てていない 大学職員も人材の流動化が進んできたように思う。就職、広報、財務、国際などの部門を中心にさまざまな業界から優秀な人材が流入し、大学職員として活躍している。大学間での職員の異動(転職)も普通に見られるようになってきた。一方で、新卒で大学職員としてキャリアを積んだ者が、外の業界に転出して活躍する例をあまり聞いたことがない。業界の特殊性と言ってしまえばそれまでであるが、 人材の育成を生業としているにもかかわらず、職場としての大学は人を育てておらず、「紺屋の白袴」と言われかねない状況 である。 各大学が育成する学生の能力については、中央教育審議会の「学士課程教育の構築に向けて」答申以来、汎用的技能(コミュニケーションスキル、量的スキル、問題解決能力等)や態度・志向性(自己管理力、チームワーク、倫理観、社会的責任等)などをうたう大学が増えている。しかしながら、 大学職員が他の業界の職業人に比べ、これらの能力で特に優れているということはなさそう である。そもそも、 職務を通してこのような能力の開発を積極的かつ組織的に実施している大学は少数 であろう。 本連載でも既に述べた通り、職員の育成は採用や評価・処遇を含めた人事制度全体の中で行われるべきものである。普段から職員が責任ある仕事を任される組織風土であれば、成長の速度は格段に速まる。しかしながら、 職務の中心が教員の補助業務であったり、また部署長が教員であっても職員であっても、所属する職員の育成に関心を持たないもしくは、経験が乏しいなどの理由で、人事制度が実質的に機能しない大学が未だ多い 。 その結果、職員の育成に「SD」という看板を掲げたものの、初期のFD同様に、業界で名の知れた人の講演会を実施する「SD研修」でお茶を濁すことになる。一般的に大学職員の労働条件は良いと...

ビジネスマナー

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PRESIDENT STOREから「ビジネスマナー・バイブル5講座セット」の「サンプル動画」 が公開されていますのでご紹介します( 決して商品の購入を促すものではありません )。 多忙な日常業務に追われ、OJTがなかなか機能しづらくなっている今日、このような動画を参考に部下や後輩への”しつけ”を行うことも一考かと思います。

文科省天下り人事の功罪

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久々に、文部科学省から国立大学法人への天下り(出向)人事に関する記事を目にしました。 「 国立大9割に 文科省「天下り」 理事ら幹部77人出向 」(2014-09-01東京新聞) 全国の国立大学法人86校のうち約9割にあたる76校で、計77人の文部科学省出身者が理事や副学長、事務局長などの幹部として在籍していることが分かった。事実上の「天下り」を通じ、国立大の運営に文科省の意向が反映されている恐れがある。 文科省が自民党の無駄撲滅プロジェクトチーム(PT)に提出した資料で明らかになった。PTでは、文科省と国立大との人事交流を若手職員に限るなどの改善を提起する方針だ。 資料は4月1日現在で、文科省から国立大への出向者をまとめた。課長級以上の管理職は国立大ほぼ全ての83大学で、計239人が在籍している。 2013年の同省幹部の出向者は、75大学で75人。管理職は83大学で247人いた。12年は幹部が70大学で70人、管理職は80大学で239人だった。 6月に国会で成立し、来年4月から施行される改正学校教育法は教授会の権限を限定し、学長主導の大学改革を促す。同法の改正では、学長を補佐する副学長の職務範囲を拡大した。副学長への出向を通じ、国立大への文科省の影響力が一層強まる可能性がある。 文科省は「各学長から要望があった際、該当する人がいれば協力をする」(人事課)と要請に応じた人事交流と説明している。 文科省出身の理事2人がいる東京大は「文部科学行政全般に幅広い知識や経験を有した人材は、本学の発展に貢献いただけると期待し、総長(学長)が任命した。出向終了後は文科省に戻るので天下りではない」(広報課)としている。 法人化後10年が経過し、時間の経過とともに正常な違和感が麻痺してきた中で、第三期中期目標・中期計画の策定に向けた検討が始まるこの時期に、改めて文部科学省の人事介入について検証することは大変意味のあることではないかと思います。 文部科学省から理事、事務局長、部長、課長等として配属され、文部科学省の意向に従って全国、あるいは地域ブロックを転勤する事務系管理職の在り様については、このブログでも何度かご紹介しましたし、私見を述べさせていただきました。 国立大学法人の将来を左右する重要な課題ではないかと思います。文...