日本語は『乱れている』のか? 文化庁の調査が映す、言葉と私たちの関係

「最近の若者は、日本語を知らない」
「ら抜き言葉は、日本語の乱れだ」

言葉の話題になると、私たちは決まってこのような嘆きを口にします。けれども、嘆きの根拠となる「乱れ」とは、いったい何を指しているのでしょうか。

文化庁が2026年10月2日に公表した「令和7年度 国語に関する世論調査」は、その問いに数字で向き合う貴重な手がかりです。調査は2026年1月から3月にかけて、全国の16歳以上の日本国籍を有する6,000人を対象に行われ、3,777人(63.0%)が回答しました。結果を丁寧に読むと、「乱れ」という一語では掬いきれない、複雑で、そしてどこか誠実な日本語の姿が立ち上がってきます。

一 私たちは、思いのほか日本語を気にかけている

まず目を引くのは、国語に「関心がある」と答えた人が83.1%にのぼることです。「非常に関心がある」が14.9%、「ある程度関心がある」が68.2%でした。

国語への関心(全体)
14.9
68.2
14.7
■ 非常に関心がある 14.9%  ■ ある程度関心がある 68.2%  ■ 余り関心がない 14.7%  ■ 全く関心がない 1.1%  ■ 無回答 1.1%
関心がある(計)83.1% / 関心がない(計)15.8%

関心の向かう先は、「日常の言葉遣いや話し方」が77.0%で最多。続いて「敬語の使い方」が48.6%、「文字や表記の仕方、文章の書き方」が40.8%でした。

どのような点に関心があるか
国語に関心がある人(n=3,139)、三つまで回答
日常の言葉遣いや話し方77.0%
敬語の使い方48.6%
文字や表記の仕方、文章の書き方40.8%

言葉は、単なる情報の運び手ではありません。人と人との距離を測り、関係を結び、ときに傷つけもする、きわめて繊細な営みです。日本語への関心の高さは、少なくとも、私たちが言葉の使い方に無関心ではいられないことを示しています。この社会は、言葉に無頓着になったのではなく、むしろ敏感であり続けているのです。

二 手書きという「手触り」への信頼

スマートフォンやパソコンで文字を打つことが当たり前になった今も、手書きへの評価は揺らいでいません。

手書きされたもの、あるいは手書きの一言が添えられたものを「良い」と思う人は82.3%。文字を手書きする習慣を「これからの時代も大切にすべき」と考える人は80.4%に達しました。

理由として最も多かったのは「漢字などを正確に身に付けることにつながるから」(70.7%)。次いで「手書きの文字には個性が表れ、印刷文字にはない情感などを込めることができるから」(68.2%)でした。

手書きをめぐる意識
手書き(一言添え)のほうが「良い」82.3%
手書きの習慣を「大切にすべき」80.4%
大切にすべきだと思う理由(n=3,035、複数回答)
漢字などを正確に身に付けることにつながる70.7%
個性が表れ、印刷文字にはない情感を込められる68.2%

ここには、実用と情緒、二つの価値が並んでいます。手書きは学びの方法であると同時に、書き手の体温を伝える表現でもある。効率の論理だけでは測れないものを、多くの人が確かに感じ取っているのです。

さらに注目したいのは世代による違いです。日常生活で手書きをする機会が「ある」人は全体で69.6%ですが、16~19歳では87.5%と、今回の調査対象となった年代の中で最も高くなっています。縦書きを「大切にすべき」と答えた割合も、全体の57.8%に対し、16~19歳では74.1%でした。

全体と16~19歳の比較
■ 全体 ■ 16~19歳
日常生活で手書きをする機会が「ある」
全体
69.6%
16~19歳
87.5%
縦書きの習慣を「大切にすべき」
全体
57.8%
16~19歳
74.1%

「デジタル世代は伝統を顧みない」という見方は、少なくとも今回の数字だけからは支持しにくいものです。若い世代は、デジタル化が進んだ環境にありながら、手書きや縦書きについても一定の価値を感じているようです。

三 方言と敬語――「一つの正解」を求めない感覚

共通語と方言の関係についても、調査は示唆に富む結果を示しました。

「相手や場面によって共通語と方言を使い分ければよい」が83.9%。「基本的には共通語を使い、方言はできるだけ使わない方がよい」は4.2%にとどまります。

仕事の場では共通語を、家族や郷里の友人の前では方言を。私たちは、複数の「日本語」を一人の中に住まわせ、場面に応じて自然に行き来しています。「正しい日本語は一つ」という発想は、実生活の感覚からはすでに遠いのかもしれません。

その感覚は、消えゆく言葉への眼差しにも表れます。国内で消滅の危機にある言語や方言について、「消滅しないような対策が必要」と答えた人は51.0%。「消滅するのは仕方がないので特に対策は必要ない」は21.5%でした。方言とは、単語の集まりではありません。その土地で暮らした人々の暮らしぶりや、人との距離の取り方、記憶の厚みまでを宿した文化の器です。半数を超える人がその喪失を惜しんでいることは、日本社会に、言葉を文化として捉える感覚がなお息づいていることを示しているのかもしれません。

方言・敬語についての考え方(全体)
共通語と方言
83.9
10.9
■ 相手や場面によって使い分ければよい 83.9% ■ 基本的には共通語、方言はなるべく使わない 4.2% ■ どちらとも言えない 10.9%
消滅の危機にある言語・方言
51.0
21.5
26.4
■ 消滅しないような対策が必要 51.0% ■ 仕方がないので対策は不要 21.5% ■ どちらとも言えない 26.4%
これからの敬語
54.4
32.7
11.5
■ 伝統的な美しい日本語として、豊かな表現が大切にされるべき 54.4% ■ 新しい時代にふさわしく、簡単で分かりやすいものであるべき 32.7% ■ どちらとも言えない 11.5%

敬語に対しても、同じ姿勢が見られます。「新しい時代にふさわしく、簡単で分かりやすいものであるべき」が32.7%だったのに対し、「伝統的な美しい日本語として、豊かな表現が大切にされるべき」は54.4%。敬語が担うものは、情報の伝達にとどまりません。相手への敬意、立場の認識、細やかな配慮。それらを表す繊細な手段として、少々複雑であっても、豊かな表現として大切にしたいと考える人が一定数いることがうかがえます。

四 それでも、言葉は動いていく

とはいえ、日本語が変わっていないわけではありません。

いわゆる「ら抜き」表現は、若い世代ほど選ぶ傾向が見られます。「朝5時に来れますか」を選んだ16~19歳は73.2%、「初日の出が見れた」を選んだ人は81.3%、「早く出れる?」を選んだ人は77.7%でした。

「ら抜き」の言い方を普通使う人の割合
■ 全体 ■ 16~19歳
朝5時に来れますか
全体
53.3%
16~19歳
73.2%
今年は初日の出が見れた
全体
53.8%
16~19歳
81.3%
早く出れる?
全体
51.0%
16~19歳
77.7%

これを「誤り」と断じるのは簡単です。しかし、言葉の変化には、しばしば理由があります。「見られる」「出られる」「来られる」といった形に対して、「見れる」「出れる」「来れる」は、「読める」「書ける」のような五段活用動詞の可能の形などの影響によるものと考えられると、文化庁の資料でも説明されています。共通語では、改まった場にはふさわしくないとされてきた形ですが、言葉の変化には、こうした仕組みが働くことがあります。

また、「植木に水をあげる」のように、かつては問題視された表現が、意味の変化を伴いながら定着していく例もあります。文化審議会の「敬語の指針」(平成19年答申)も、この「あげる」は旧来の規範からすれば誤用とされるものの、意味の変化は既に進行し、定着しつつあると述べています。昨日の「誤り」が、今日の「ふつう」になる。言葉の歴史は、そうした往還の積み重ねでもあります。

五 意味が静かに入れ替わるとき

より深い問いを突きつけるのは、語の「意味」の変化です。

「古代史をひもとく」の「ひもとく」は、本来「関係する書物を読む」を意味しますが、「真相を明らかにする」と理解した人が69.9%、本来の意味を選んだ人は13.1%でした。「噴飯もの」は、本来「おかしくてたまらないこと」ですが、「腹立たしくて仕方ないこと」と答えた人が55.1%で多数派でした。

「流れに棹さす」は、本来「傾向に乗って、ある事柄の勢いを増すような行為」を意味します。ところが、68.9%の人が「傾向に逆らって、勢いを失わせるような行為」と捉えていました。言葉の形は変わらなくても、意味の理解は静かに入れ替わっていくことがあるのです。

「気が置けない」は、さらに示唆的です。本来の意味は「相手に気配りや遠慮をしなくてよい」で、これを選んだ人は47.4%。一方、「気配りや遠慮をしなくてはならない」と受け取った人が44.3%でした。ほぼ同数の人が、この言葉に正反対の意味を読み取っているのです。

どちらの意味だと思うか
■ 辞書等で本来の意味とされてきたもの ■ 本来とは異なる意味
ひもとく
関係する書物を読む
13.1%
真相を明らかにする
69.9%
噴飯もの
おかしくてたまらないこと
34.1%
腹立たしくて仕方ないこと
55.1%
流れに棹さす
傾向に乗って、勢いを増すような行為
22.7%
傾向に逆らって、勢いを失わせるような行為
68.9%
気が置けない
相手に気配りや遠慮をしなくてよい
47.4%
相手に気配りや遠慮をしなくてはならない
44.3%
※「両方」「全く別の意味」「分からない」などの回答は省略しています。

ここに、変化の本当の怖さがあります。言葉が変わること自体は、さほど恐れるに足りません。恐れるべきは、同じ言葉を交わしながら、互いに異なる意味を思い描いているのに、それに気づかないことです。「親しい友人だから気が置けない」と言ったつもりが、相手には「気を遣う相手だ」と聞こえているかもしれない。そのとき言葉は、橋ではなく、すれ違いの種になります。

六 「変化」と「消滅」を分けて考える

ここで、一つの区別を確認しておきたいと思います。

「見れた」が広まることと、方言が話し手を失って消えることは、ともに「言葉の変わりゆく姿」に見えて、実は性質が異なります。前者は、言葉が実際に使われ続けるなかで生じる変化の一つです。後者は、文化の担い手そのものが失われる出来事であり、一度途絶えれば取り戻すことは容易ではありません。

だから、「言葉は変わるものだから、すべて成り行きに任せればよい」とは言えません。かといって、「伝統を守るために変化を止めよう」というのも、生きた言葉の性質に反します。調査に現れた人々の感覚は、この二つの極端のあいだにある、ずっと柔軟な立場でした。変化は受け入れつつ、失えば取り返しのつかないものは惜しむ。矛盾に見えるこの態度は、じつは成熟した言語感覚の表れではないでしょうか。

七 生成AI時代に問われるもの

私たちは今、文章を整える作業の多くを、生成AIに任せられる時代に生きています。文法的に正しく、敬語も整った文章は、もはや誰にでも手に入ります。

だからこそ、人間に残される役割が見えてきます。この相手には、どこまで丁寧に話すべきか。この言い回しは、冷たく響かないか。この言葉は、相手の世代や土地で、同じ意味に受け取られるだろうか。

これらは文法の問題ではなく、人と人との関係と文脈の問題です。「気が置けない」の調査結果が教えてくれたように、「正しい」ことと「伝わる」ことは、必ずしも同じではありません。これからの国語に求められるのは、正解を覚える力に加えて、目の前の相手を思い描いて言葉を選ぶ力なのだと思います。

結びにかえて

調査から浮かび上がったのは、日本語が崩れていく姿ではありませんでした。手書きを愛し、方言を惜しみ、敬語の豊かさを守りたいと願いながら、同時に、日々の暮らしのなかで言葉を変えていく。日本語を大切に思いながら、日本語を変えている私たち自身の姿です。

「日本語を守る」とは、昔の言葉を標本のように保存することではないはずです。変わりゆく言葉を見つめながら、何を手渡し、何を委ねるのかを、一人ひとりが選び取っていくこと。その選択の総体が、日本語の未来をかたちづくります。

最後に、あなたへ問いを一つ。もし一つだけ残せるとしたら、あなたは日本語の何を選びますか。手書きの一言でしょうか、ふるさとの方言でしょうか。それとも、相手を思って言葉を選ぶ、その心でしょうか。

参考情報
※ 図は、上記の調査結果の数値をもとに作成しています。百分比は小数第2位を四捨五入しているため、合計が100%にならない場合があります。

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