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12月, 2009の投稿を表示しています

国立大学の予算と経営努力

国の予算編成も大詰めを迎え、いよいよ民主党政権になって初めての予算案が25日を目途に閣議決定されるようです。 この予算のうち、教育や科学技術に目を移せば、これまで、行政刷新会議による事業仕分けで、予算の大幅削減などが打ち出された事業の関係者、とりわけ学界を中心とした個人やグループが記者会見し、来年度の予算確保を求める声明を発表するなど、従来にはなかった抗議活動が積極的に展開されてきました。 様々な要因が考えられますが、国立大学が法人化された際、国立大学全体としての自主性・自立性に基づいた判断ができず、声を上げる前に政治や行革に押し流された苦い経験が今回のような行動を誘引したこともその一つになっているかもしれません。 また、声明は、予算の縮減で、教育研究水準の低下や優秀な学生の確保・育成が損なわれ、地域における高度人材育成の中核拠点が崩壊するといった内容がほとんどで、国立大学の場合、法人化後、運営費交付金が毎年1%づつ削減されるなど、大学経営上の深刻な状況が続いてきただけに、事業仕分けの結果がそのまま予算化されることに対する危機感が学長さん達にこういった行動を決断させたのかもしれません。 地方大学に比べれば、資金的にさほど困窮していないであろう東京大学までもが、大学のホームページに「 明日の日本を支えるために-教育研究の危機を越えて- 」と題する特設コーナーを設けて社会に訴える活動を行ったほどですから、事の深刻さがひしひしと伝わってきます。 さて、去る12月14日(月曜日)に、九州地区国立大学の学長さん達が共同記者会見を行ったことをもって、全ての国立大学の声明発表がひととおり終わりました。各地区の声明文を全て通読してみましたが、各地区の主張そのものは全く同感、国民の皆さんにも十分理解していただける内容ではないかと思いますし、随所にそれぞれの地区の特色というか、代表で執筆された学長さんの強い思い入れが表れていたような気がしました。しかし、僭越ながらあえて苦言を呈するならば、「教育」「学生」「人材育成」「人づくり」といったキーワードよりも、「研究」「科学技術」「経済」「競争」「地域社会」といったキーワードが多用され、「教育者よりも研究者の目線」で書かれた文章という印象を強く持ちました。大学教員の発想は相変わらず世間離れしているようです。 また、これ...

再び”フテンマ”

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普天間基地移設問題の解決は越年となりました。米国の国務長官は在米大使を呼び、変わらぬ米国の強い意思を伝える行動に出ています。鳩山総理にどのような戦略があるのか注視していかなければなりません。 今日は産経新聞に掲載された関連記事「詳説戦後・沖縄の米軍基地」をご紹介します。教科書では学び得ない生きた歴史を知ることはとても重要なことですし、今後多くの国民の皆さんが沖縄問題に関心を持ち、今の平和の礎がどのような経緯でもたらされたのかを正確に知っておくこと、沖縄の犠牲の上に私達日本人の平和がもたらされていること、だがしかし、今でも沖縄は犠牲者であり続けていることを理解し、沖縄の基地問題の解決を自分自身のこととして真剣に考え解決する責務があることを自覚しなければなりません。 沖縄の真の平和や安寧は、私達日本人の強い願いと実行力にかかっているといっても過言ではないのです。 「死にもの狂い」が結実 普天間返還 鳩山由紀夫首相は15日、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先の決定を、来年に先送りすることを決めた。平成18年に日米両政府は移設先をキャンプ・シュワブ沿岸部(同県名護市辺野古)とすることで合意しているが、鳩山政権の決定先送りで、問題の決着はさらに混迷を極めそうだ。普天間飛行場返還合意の舞台裏、戦後の沖縄の米軍基地の歴史を検証する。 橋本政権が誕生して1カ月余りたった平成8年2月21日。自民党総裁室に、首相の橋本龍太郎と、地方分権推進委員会委員長を務めていた秩父小野田会長の諸井虔らが顔をそろえた。会談の目的は沖縄問題だったが、報道陣をはじめ外部には伏せられた。 諸井は沖縄県知事の大田昌秀を囲む会に参加しており、「沖縄の思い」を橋本に伝えるために足を運んだのだった。「普天間飛行場の返還を、日米首脳会談で出してくれれば、沖縄の県民感情は和らぐ」。諸井は「大田の話」と前置きした上で、こうアドバイスした。 日米首脳会談は、3日後の23日(日本時間24日)、米国のサンタモニカで行われることになっていた。橋本政権には、沖縄の米軍基地問題の解決が重くのしかかっていた。7年9月の米兵少女暴行事件を契機に、沖縄では米軍への反発が一気に広がっていたからだ。諸井の言葉を受けて橋本は早速、検討に乗り出した。 しかし、首相官邸執務室で開かれた訪米勉強会で...

普天間問題は毅然とした態度で

前回に続き、沖縄問題です。 政府は、今日(15日)、米軍普天間飛行場の移設問題に関する政府方針として、日米で合意した現行の名護市辺野古キャンプ・シュワブ沿岸部への移転計画を排除しない形で移設候補地を検討するという”期限なき結論先送り”の決定を行いました。今後ともアメリカの強力な反発を受け続けることになるでしょう。 はっきり言って、「日米合意」と「沖縄県民の生命」を天秤にかけている政府のふがいな状況に失望している国民の皆さんも多いのではないでしょうか。 ”アメリカの圧力に屈する日本政府”という構図は、何もいま始まったわけではありませんが、多くの日本国民が望んだ政権交代という激変を”弱日強米”の崩壊に結び付けてほしいと心から願うばかりです。 今の「アメリカに弱い日本」を私たちにわかりやすく説明してくれている論考がありましたので、全文(消去される可能性もあるため)ご紹介します。 ◇ 恫喝に怯むDNA アメリカのいつもの恫喝に怯んで「日米関係は危険水域だ」と叫ぶ人たちがいる。これを見てアメリカは「百年以上も昔から日本は何も変わっていない。日本には恫喝が一番だ」と思っているに違いない。ペリー来航の時から日本人の中には恫喝されると及び腰になるDNAがある。 江戸時代の日本は「鎖国」によって国を閉ざしていた訳ではない。海外渡航を禁じてはいたが、外交と貿易は徳川幕府が独占して行っていた。長崎だけが窓口の一種の管理貿易体制である。従って江戸時代の日本には海外から様々な知識や情報が流れ込んでいた。日本が「鎖国」を続けた理由は、自給自足できる勤勉な国が外国との交流で植民地化される危険を冒す必要はないと考えたからではないか。 しかし産業革命で生産力を高めた欧米列強はアジアに植民地を求めてきた。中国がアヘン戦争によって列強の支配下に置かれると、その情報はいち早く日本に伝えられ、日本人は強い危機感を抱いた。中国との貿易でヨーロッパに遅れをとったアメリカは、中継地として日本を開港させる必要があり、ペリーが艦隊を率いてやって来たが、アメリカのやり方は交渉ではなく恫喝だった。 他の国はみな幕府の指示に従い長崎を窓口に交渉した。しかしアメリカだけは江戸湾に軍艦を乗り入れ、空砲を撃って江戸市中を恐怖に陥れた。ペリーは「開港するか戦争するかを来年までに返事せよ」と...

沖縄の未来

この日記では、時折、”沖縄”を取り上げています。それは、日本の平和の原点が沖縄にあると思うからです。でも、本土の多くの人々は、沖縄の苦しみや悲しみを他人事のように考えているように思えてなりません。 今、日本は普天間基地の移設問題で揺れています。日本の安全保障の犠牲者ともいえる沖縄。米軍基地の存在が沖縄の自立を阻み、地球に稀なる生物の絶滅を誘う厳しい現実が目の前にあります。 この現実を変えることができる日はいつ来るのでしょうか・・・。 ◇ 埋め立ての島 午後の日差しを浴びて、海面の照り返しが目を射抜く。そのまばゆさに慣れると、水平線に重なるように人工的な灰色の護岸が浮かび上がってくる。 沖縄本島の沖縄市東海岸に、泡瀬干潟の埋め立て現場を訪ねた。経済的合理性のないまま事業を進めることは違法だと福岡高裁が判決で断じた後も、市は埋め立てをあきらめようとはしていない。 沖縄が全国有数の埋め立て県だということを知る人は少ないだろう。戦後、「銃剣とブルドーザー」と呼ばれた米軍による強権的な土地収用により、沖縄本島の2割を基地が占めるまでになった。 嘉手納基地の一部を擁する沖縄市は、市域の3割超が軍用地だ。新たな土地を求める視線は、海へ向かうしかなかった。 頼みの綱が土木事業だけだという現実。これは、基地負担の見返りの巨額公共事業に首まで浸かり、自立の手がかりすらつかめない沖縄経済の一断面でもある。 「春にはアオサを採り、汁にして食べる。昔は海水をそのままにがりにして豆腐を作ったもんだ」。海岸沿いを散歩する地元男性(63)に声をかけると、そんな言葉が返ってきた。この南西諸島最大級の干潟は、サンゴやコメツキガニの仲間など100種以上の希少生物を育む。 米軍基地に追い立てられて、人が海を埋める。まるで陣取りゲームのように。では、海の生き物や、海と共生する暮らしはどこへ向かうのだろう。 男性は目を細めて言った。「埋め立てれば元には戻せんからね」(2009年12月11日 朝日新聞夕刊、論説委員室から) ◇ キーワード 泡瀬干潟埋立計画 泡瀬干潟の埋め立て計画は、コザ市と美里村が合併したところまでさかのぼる。海のないコザ市は海を求めて合併したといっても過言ではない。計画が現実味を帯びだしたのは、1984年に起工した新港地区埋...

事業仕分け

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国の予算編成作業が大詰めを迎える中、先が見えない普天間移設問題や景気・雇用浮揚対策の予算積み増し問題でぎくしゃくした連立政権の絆を確認しあうために、のんきに夕食をともにする3党の親分たち、税収不足から国債発行額の上限設定もうやむやになる予算編成方針など、不安定な政治情勢が停滞しているこのごろです。 こんな中、行政刷新会議による事業仕分け関連のニュースだけは健在で、連日のように紙面をにぎわせています。特に、教育・科学関連の学者さんたちは、徒党を組んで声明を連発するなど抗議活動に忙しい毎日を過ごしているようです。 去る10日に配信された「鳩山内閣メールマガジン第10号」(2009.12.10)に、事業仕分けの草分け的存在でもあり、行政刷新会議事務局長でもある構想日本代表の加藤秀樹(かとうひでき)さんのコメントが寄せられていましたのでご紹介します。 事業仕分けの壺 行政刷新会議による国の事業仕分けが終わりました。怒涛のような一カ月でした。身内のことを言うのは少し気がひけるのですが、寝食の暇もなく準備作業にまい進した事務局のスタッフ、同じくひと月間本業をそっちのけにしてでもヒアリングや勉強に時間をさき、会場の体育館での足の冷えや腰痛と闘いながら仕分けに参加して頂いた評価者(仕分け人)の方々には、本当に頭の下がる思いです。 ここでは事務局長という立場ではなく、7年前から県や市などで事業仕分けを続けてきた構想日本の一員として、国の事業仕分けを通して考えたことを書いてみます。 行政の事業仕分けを始めたのは、行政改革や地方分権が、10年、20年と議論されても、実際にはほとんど進んでないからです。これを変えるには、行政の現場で行われている事業が本当に住民の役に立っているのか、国民の利益につながっているのか、一つ一つチェックしていくしかないのではないかと考えたのです。そして事業をチェックしていけばその背後にある組織や制度も洗い直せる、それを日本中でやっていけば、議論を繰り返すよりも確実に行政改革や地方分権が実現出来ると考えたのです。 その際、必ず守るルールをいくつか決めました。特に重要なのが、1)行政の現場で実際に事業がどのように実施され、税金が使われているか知っている外部の人に加わってもらい2)公開の場で議論することです。両方とも、県や市でも大きい...