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2月, 2014の投稿を表示しています

名脇役

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学校法人東邦学園愛知東邦大学 理事・法人事務局長/学長補佐の 増田貴治 さんが書かれた「 大学職員の力量を高める 」( 文部科学教育通信 No333 2014.2.10 )を抜粋してご紹介します。 石垣のように個々人を活かす 教職員の協働作業は、互いの立場や役割を認識するだけでなく、性格や専門的な能力などを、認識し合える機会となる。こうした機会を多く作り出し、教職員の相互理解、一体感の醸成へとつなげることである。職員には協働性を高める役割、”人や組織をつなげ、ひろげる”任務があり、重要性はますます高まるだろう。 教職協働を考えるに当たって、もう一つは組織の組み立て方を”レンガ作り”か、”石垣”にたとえるかである。異なる個人の持ち味や能力を活かそうと考えれば、同種の石や同型のレンガ造りよりも、石垣を積み上げる発想の方が、柔軟かつ強固な構造につながるのではないか。個々人の能力を最大限に発揮できるように組み合わせてこそ、最高のパフォーマンスが発揮されると考える。ただ、石垣はもう一つの特徴がある。窮屈でなく、息苦しくない代わりに、必ず”隙間”ができることだ。隙間が広がり過ぎると、石垣は崩れる。 それには、隙間を埋めていく目配りが欠かせない。実は大きな隙間が生じて、本学の未熟さを学外にさらけ出す手痛い失策があった。しかも、本学が重視してきた地域と連携した教育実践の中で起こしてしまった。 互いの眼差しを変えてみる 愛知東邦大学は2011年度、地元の名古屋市名東区役所から、区をPRするDVDの作成を依頼された。名乗りを上げた専門ゼミが中心となり、意気込んで取り組んでいるものと思い込んでいた。ところが昨年9月、学園の地域担当課長が打合せに区役所へ出向くと、地域担当の責任者が言いにくそうに、「少々申し上げにくいことですが・・・。実は完成した品物をまだ受け取っていないんです」と切り出し、本学職員は仰天した。2013年3月末に納品されるべきDVDを、期限から半年過ぎても届けていなかった。 調べてみると、完成させた作品を一旦は見てもらい、区長をはじめ幹部職員にプレゼンテーションをしていた。その場で数箇所、変更要請が入り、手直しを加えて最終版を納品するところまではこぎつけていた。ただ学生にとっては、意に沿わない修正だったようで、頓挫したという。やる気を失って放置...

学長のリーダーシップと教授会の機能

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桜美林大学大学院・大学アドミニストレーション研究科教授の 山本眞一 さんが書かれた 「 中教審の『ガバナンス改革論』を読む 」(文部科学教育通信 No333 2014.2.10) をご紹介します。 開始半年でまとめの公表へ 大学のガバナンス改革を審議してきた中央教育審議会大学分科会組織運営部会は、去る12月24日、このことを表題とする審議まとめを公表した。5月に行われた教育再生実行会議の第三次提言「これからの大学教育等の在り方について」を受け、6月に審議を開始してわずか半年で具体的な改革方策に踏み込んだ「まとめ」の公表にこぎつけたということは、政策当局の並々ならぬ決意がそのバックにあるようだ。その決意が大学の教育・研究の活性化にどのようにつながるのか、という問題意識でこれを読んでみた。 本文46ページからなる長文のまとめである。全体を通じるトーンは「学長のリーダーシップ」の確立にあると見て間違いあるまい。学長に適任者を得て、彼らが大学を思うように動かしていくのを、中教審(つまりは政策当局)はこれからの大学経営・運営のあるべき姿と考えているのであろうか。ただし、「リーダーシップ」は役所的な「指揮・命令」でもなければ、従来の大学にありがちであった「調整」型のガバナンスでもない。大学という組織がもつ特性にある程度の配慮がうかがえる言葉であると思う。 それにしても、学長のリーダーシップの発揮は簡単なことではないだろう。さまざまな分野かつ多数の教職員を抱える総合大学を想定すると、これを一人の学長がリーダーシップを発揮して全体をまとめていくということの困難さは容易に想像できる。仮に学長の補佐体制を確立し、部局自治の拠り所とみなされる教授会の力を殺ぐのに成功したとしても、果たして学長の下に教職員の持てる力を集約することができるだろうか、またそれが望ましいことであろうか? 私も経験あることであるが、実務的な仕事をする場合、相手方の責任者が誰であるかが明確であることは、仕事の当事者としてはありがたいことである。いわば「窓口の一本化」である。しかしその窓口を一本化するのと同じ発想で学長のリーダーシップを形式的に確立しても、多様な大学内の実情を知る者としては、これははなはだ不安定なものではないかと思える。 容易でないリーダーシップ確立 その不安定な学長のリーダー...

日々をおろそかにしない

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ブログ「 今日の言葉 」から 「 Every single thing 」(2014年2月5日) をご紹介します。 Every single thing that has ever happened in your life is preparing you for a moment that is yet to come. Nathan East 私の尊敬するベーシストであるネーザン・イースト氏が ネットに投稿していたフレーズです。 訳してみれば、 「人生で日々起こる些細なことは、 これからやってくる思いがけない出来事につながっている。 だから日々をおろそかにしないこと」 という感じでしょうか。 平生(へいぜい)が大事ということ。 普段出来ないことが、いざという時ときに出来るわけがなく。 スポーツで言えば、「練習は嘘をつかない」ということでしょう。 スティーブ・ジョブズがそのスピーチで 「今やっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶ。 将来を見据えて点と点を結びつけることはできないが、 後からつなぎ合わせることは可能だ」 と語っていることにも通じるのだと思います。 日々の出来事に真剣に当たることで、 物事に動じない「泰然自若(たいぜんじじゃく)」の姿勢を身につけられるように。 気くばりのツボ (Sanctuary books) 著者 : 山崎拓巳 サンクチュアリ出版 発売日 : 2005-06-10 ブクログでレビューを見る»

物事を自責で考える

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ブログ「 今日の言葉 」から 「 魅力 」(2014年2月7日) をご紹介します。 魅力とは 他人に何かを与えることによって生じ、 他人に何かを求めることによって消滅する。 これにこの言葉を合わせてみると良いと思います。 「与えた恩は水に流し、 受けた恩は岩に刻め。」 魅力を出すために人に何かを与えても、 その見返りを求めては、結局は人に何かを求めていることになってしまう。 「自分はこんなにしてあげているのに」 というのは自己満足でしかない。 イチローも 「誰かのためにやることと、誰かを思ってやることは違う」 と言っていました。 ただし、根源が自己犠牲ではいけない。 自分を愛し認めるその自己充実感から、 相手に与えられる余裕を持つことが必要。 言い換えると、 物事を自責で考える人の魅力は増し、 周りや環境のせいだと他責でいる人は 魅力を減少させてしまうとも言えるでしょう。 自分を信じる力が、自信になっていきます。 昨日の自分は魅力を増しましたか?減らしましたか? 今日は魅力を増せそうでしょうか。 人に与える専門的なものが無くても、 元気な挨拶や返事、笑顔、「ありがとう」、「ごめんなさい」を 素直に言えることも与えることの一つだと思います。 【新版】組織行動のマネジメント―入門から実践へ 著者 : スティーブンP.ロビンス ダイヤモンド社 発売日 : 2009-12-11 ブクログでレビューを見る»

日本の社会の本質

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ブログ「 外から見る日本、見られる日本人 」から 「 少年よ、大志を抱け! 」(2014年2月9日) をご紹介します。 今さらながらウィリアム・クラーク博士のこの言葉を引き出したいと思わせたのが日経電子版の「 就活最前線を行く、学業、学歴再び重視? 」という記事、そして「創論、時論」では「 今の若者は元気がないのか 」という読者参加型特集が組まれていることにふと引っかかることがあったからでしょうか? 折しも受験シーズンで私の周りでも子弟の受験状況があちらこちらから聞こえてくるのですが、親も子供が目標校に合格してホッとしていている一方で、都立は受験日まであと二週間となり、最後の追い込みで親としては何が何でも受かってもらいたいという願いからか、パソコン対話型塾では通常は一時間いくらのところを「勉強やり放題パッケージ」なるものも登場し、その過激なる受験戦争もいよいよ最後の追い込みとなっているようです。 親が子を思う気持ちというのは程度の差こそあれ、昔と変わらないかもしれません。親としては「有名校」に入ってもらい、「履歴書の泊」や就職活動を有利に進める「長期戦略」のもと、最終的に安心できる企業に入ってもらって安泰なるライフを送ってもらうという気持は時代が変わろうともさほど変化していない気がします。生活費は削ってでも子供の塾代は出す、という家庭が多いのは日本独特の家族の絆のあり方なのかもしれません。 それは言い換えればやり直しが効かない日本の社会構造ともいえるかもしれません。子供から見ればなぜ、いま、こんなに勉強し、ワンランクでも上の学校に行かねばならないのか、正直、自覚がどこまであるかは疑問です。学校の先生から、あるいは塾の先生や仲間から、そして親からはっぱをかけられ、とにかく試験でよい点を取るということに自分のマインドが完全に支配されている人も多いでしょう。私だってスパルタ塾で「君たちの正月は合格発表日だ!」という熱い掛け声のもと、目の前の模擬試験に集中し、将来のビジョンなど何も考えていませんでした。 ところが一旦学校に入れば親は学校環境については著しく口を出すものの勉強そのものについてどうこうするというケースは私はあまり聞いたことがありません。それは親としては押し込んだ学校に任せてしまうというスタンスであとは親の描いたピクチャ...

骨太な生き方

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日本経済新聞 に掲載された記事 「 仕事を通じて社会にどう貢献するか 原田泳幸・日本マクドナルドHD会長兼社長 経営者編 」(2014年2月3日) をご紹介します。 ●経営陣が若者を育てるための議論を活発化させるべき。 ●ビジネスで活躍できる人の育成には、民間企業で働いた人間を教壇に。 ●若い皆さんが社会に必要な価値を作り上げ、社会に貢献ができるかどうかを考えて。 まずは、経営者を代表して若い読者の皆さんに反省の弁を述べたいと思います。経営者に課せられた仕事の一つに人材、後継者の育成があります。しかし、そのことに真剣に取り組んできたと言えるのでしょうか。本当に若い人たちの能力を引き出そうと見守ってきたのでしょうか。もっとストレートに言うなら「若者をちゃんと使いこなしてきたか」ということです。 成長を妨げる上司 残念ながらそうなっていないのが今の経済社会なのです。上司が部下の成長を妨げるブロッカーになっていることが往々にしてあります。「失敗を恐れずチャレンジしろ」と言ったところで、リスクを恐れ、保守的な考えに立つ上司の下にいる若者がチャレンジ精神を発揮できるはずはありません。定年近くなればその管理職は大過なく企業人としての人生を終えようとします。その管理職の部下は同じ行動をとるでしょう。部下の失敗を許す度量を持っていません。マネジメントの原則は「自分の部下がおかしいと思うなら、(そうさせた)自分がおかしいと思え」です。責任は上司にあるのです。 経営者は常日ごろから人材のグローバル化、多様性、流動性、女性の活用の必要性を訴えています。これから社会に飛び出そうとする学生の皆さんにも同じ言葉を投げかけることがよくあります。ところが自分の会社の経営陣に外国人や外部から迎えた人材がどれほどいるでしょうか。誰一人としていないのが一般的です。そんな環境の中でグローバルなどの議論ができるはずがありません。 今、私がいる会社には海外の人材や私を含めフードビジネスと畑違いの分野の人材が多くいます。それでも事業会社の社長を約10年も務めてきた私は後継者の育成に失敗してきたと言っていいでしょう。変わらなければいけないのは、まずは今のニッポンの経済社会を設計した国や経営陣ではないのかと痛切に感じています。若者の意識を変える前に経営陣がもっと...

大学のガバナンスと国際競争力

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慶應義塾大学総合政策学部教授の 上山隆大 さんが書かれた「 「アカデミック・ガバナンス」改革と国立大学ベンチャーファンドの行方 」(2014年1月31日 nippon.com) をご紹介します。 企業人からの大学運営に対する厳しい批判 2013年6月から7回にわたり、中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)の大学分科会 組織運営部会 において、国立大学を中心とする日本の大学のガバナンス改革について議論がなされてきた。その結果として、12月24日に答申がまとめられた。 日本私立学校振興・共済事業団理事長の河田悌一氏(元・関西大学学長)を座長としたこの会合では、学界および実業界の有識者が集まり、日本の大学の硬直化した組織をどのように改革すべきかについて活発な議論が交わされてきた。何よりも問題となったのは、旧態依然として変わらない大学の運営システムに対する強い批判である。実業界のメンバーからは、日本の大学は社会からの付託に応えていないばかりか、そもそも健全な組織が有すべきガバナンスの体をなしていないという声さえあがった。 すでに高度知識基盤社会に突入した我が国において、グローバルな市場での生き残りを迫られている企業の現場は、高度な専門知識とクリエイティブな能力を備えた人材の育成を求めている。その期待に応えていない日本の大学は、運営システムの根本的な改革が必要ではないかというのである。 一方、大学関係者の中からは、企業人は大学という組織をそもそも理解できていないといった声や、利益を最大化することを唯一の目的としている企業とは異なり、大学のステークホルダーはさまざまであり社会の多方面のニーズへ応えなければいけない、いわばマルチな目的を持つ組織なのだといった反論がなされたが、その声は高まる批判の前に大きな説得力を持たなかった。 結果として、 最終的な答申 には次の論点が盛り込まれた。まず、大学の自己統治能力を高めるために、コーポレート・ガバナンス(企業統治)ならぬ「アカデミック・ガバナンス」の視点を導入する必要があるとされた。そして、そのためには学長を中心とした大学本部がより強固な指導力を発揮できる体制を構築すべきであること、また、米国の大学で学内の研究と教育の責任を担っているプロボストのような存在を設けるべきである、といった主張を中心にま...

肯定的に受け止める

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ブログ「 今日の言葉 」から 「 最高の機会 」(2014年2月3日) をご紹介します。 「人生の苦しい時期は、有益な経験を得て内面を強くする最高の機会」 生きていると本当に苦しい時期がやって来ることがあります。 後から振り返れば「そんなことで」と思うこともしばしばあるでしょう。 でも苦しみの渦中にいるときは心に余裕が持てないもの。 そんなときでも自分の運命を嘆くのではなく、 「この経験から学べることは何だろう」と捉えることが大事。 「朝顔」と「蓮の花」と、「昆布と鰹節としいたけ」に共通することはなんでしょうか。 それはどれも厳しい経験をして、その価値を高めているということ。 「朝顔」は太陽と水だけでは花を咲かせられず、 その前に夜の暗闇と寒さがあって初めて発芽するそうです。 「蓮の花」はお釈迦様の台座にも添えられますが、 泥が無ければ綺麗な花を咲かせることは無い。 綺麗な清水だけでは咲かないそうです。 でもひとたび咲けばどれも咲き損じがないとのこと。 「昆布と鰹節としいたけ」はいずれもダシの材料ですが、 良いダシとなるためには、一度思いっきり干からびることが必要。 言われてみればどれも固く乾燥していますよね。 だからこそミネラルが凝縮する。 人間以外にもこうして苦しみを乗り越えているのだから、 人間に出来ないはずはありません。 やはりその状況を肯定的に受け取れることが大事ですね。 バグジー 1―愛と感謝の美容室 (『心を育てる』感動コミック) 著者 : 田原実 インフィニティ 発売日 : 2007-03 ブクログでレビューを見る»

変化に立ち向かう意志と知恵

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学校法人東邦学園愛知東邦大学理事・法人事務局長/学長補佐の 増田貴治 さんが書かれた論考「 大学職員の力量を高める 」( 文部科学教育通信 No332  2014.1.27 )をご紹介します。(下線は拙者) 目的を理解した上での達成目標として P.F.ドラッカーの著書『マネジメント(下)」に、"三人の石切り工"の昔話がある。彼らに何をしているのかと聞くと、第一の男は、「これで暮らしを立てているのさ」と答えた。第二の男は、つちで打つ手を休めず「国中で一番上手な石切りの仕事をしているのさ」と答えた。第三の男は、その目を輝かせ、夢見心地で空を見上げながら「大寺院を造っているのさ」と答えた、という。 三人の目標は、一定数の石を切ることにおいて共通する。しかし、目的は異なる。第一の男はお金を稼ぐため。第二の男は自分自身の成長のたあ。第三の男は世の中のため、他人のためである。 私たちは、仕事をあてどなくすることはまずない。何らかの"目標"を設けるだろう。目標という理想の姿は定性的・定量的に表される。その目標を何のために掲げて、何のために取り組むのかと考えていけば、意義にたどり着く。それが"目的"である。時に行き詰まったとしても、私たちを内面から突き動かす。目標達成にとって不可欠の要素である。 ただ、学校組織においては、利益追求という企業のような分かりやすく定量的な目標は立てにくい。 他人の指示や目標に従って動くのか、自ら見いだした意義や目的に基づいて行動するのか、この違いは大学職員の力量形成上、大きな差異となってくる 。 中途採用者が組織を刺激する 目的意識盛んな職員の集団に変えたい。そう願っても、にわかには困難である。そこで、筆者の所属する東邦学園は2008年度以降、新たな職員採用では新規学卒者を控え、他の大学職員や民間企業出身者の力を借りようとした。"即戦力"であり、特に異業種からの中途採用者は、異なる社会経験が魅力的だった。学校の文化に馴染みにくい、学内でチームワークが図れるだろうかという懸念の声もあったが、踏み切った。 まず4年前、他大学から志願してきた職員は、面接で移籍理由についてこう切り出した。「 金魚は容器の大きさだけ泳ぎ回るから、その分お腹も減ってエ...

アーリー・アダプター

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鹿児島国際大学の 橋口圭太 さんが書かれた「 大学職員が輝けば、大学改革は進む 」を抜粋してご紹介します。 全文は こちら 第3章 大学職員の今日的役割 〈教員中心の歴史〉 日本の大学制度は明治以来、ドイツの大学に範をとった帝国大学を中心に成立・発展してきた歴史がある。それとは別に多様性を持ってスタートしたはずの私立大学も、帝国大学をモデルとする発展の努力が重ねられ、帝大の制度や慣行、文化等が色濃く反映されて私学の「官学化」が進行。よって、大学運営の面でも、教員団を中心とする意思決定のスタイルが私学も含めて確立していった。 このような中で、事務・技術職員は長い間、教員団の意思決定した事項を忠実に実行する役割しか与えられてこなかった。山本眞一(現広島大学高等教育研究開発センター長)は『IDE』(2002年5-6月号)の「なぜいまSDなのか」の項で、「職員という立場からみると、教員の指示を一方的に受けざるを得ない『従属的な立場』か、教員の活動を学内外の規則に照らして事細かにチェックする『管理的立場』のどちらかしかなかったのである」と述べている。 〈職員への期待の高まり〉 長く続いたそのような職員の位置づけに変化を生じさせたのは、18歳人口の急激な減少という最大の環境変化にある。大学は「知の共同体」から「知の経営体」への変革を迫られ、優れた経営トップを選ぶことができるのか、また、強力な経営陣を構成できるのかが、生き残りをかけた大学の命運を左右する大きなポイントになってきた。 しかし、教授会主導の大学運営を改めて、経営トップや学長が単独で意思決定と経営執行のすべてを担うことは不可能である。それらのトップを支える有能な専門的スタッフの存在がきわめて重要となる。その人材として、大学の管理運営や経営のための職種にある「大学職員」に対する期待が高まってきた。そして一方の教員には、その本来業務である教育研究にもっと専念させるべきとの声が大きくなってきている。 〈改革推進への「三輪車論」〉 高等教育の大衆化時代の到来で、学生の意識やレベルは多様化している。学生の変化に対応したきめ細かな教育支援・学修支援機能の充実は必須課題になってきた。研究の学際化・共同化・国際化に伴う推進機能や支援機能の強化もますます重要性を増している。 こうした業務の...