2019年11月5日火曜日

記事紹介|イノベーションに挑戦する

一般的に「企業は営利を追求するためにある」と考えられている。

しかしドラッカーは、これに異を唱える。

彼は、「利益は企業活動を支える最低条件でしかなく、それが目的なのではない」という。

会社という組織は、まず社会に貢献するために存在するというのが彼の見解だ。

では、企業にとっての社会貢献とは何か?

その第一は「顧客の創造」である。

企業は顧客が求め、それを満足させる製品やサービスを提供することでしか生き残れない。

顧客が求めるものをいち早く察知し、その欲求に応える商品を提供してはじめて、欲求が購買に変わり、企業は評価される。

つまり常に顧客の需要を汲み取り、その意識に見合ったものを提供していくことが、第一に企業が果たすべき社会貢献なのである。

だからドラッカーは、「顧客の創造」を第一に考える。

顧客を創造しないかぎり、企業は生き残れない。

「企業の価値を決めるのは顧客」だからだ。

顧客は気に入った製品やサービスを手に入れるために対価を払う。

その対価を多く集められる企業だけが、“価値が高い優れた企業”という評価を得られる。

たとえばアップルのiPhoneやiPadが「かっこいい」と若者たちの共感を呼び、大ブレイクしたことはご存じだろう。

その半面、顧客の創造に失敗すれば、企業はその使命を果たすことができない。

欲求に応えられないと売り上げという目標を達成できず、市場から撤退せざるを得ない。

したがって、企業が自らの発展と社会貢献を願うなら、「顧客を創造」していかなければならない。

顧客が価値を認め、求めるのは「製品そのものではなく、それらが提供する“効用”」である。

効用は「満足感」と置き換えてもよいかもしれない。

したがって企業は、製品やサービスを通じて彼らを満足させるよう、絶えず働きかけていかねばならない。

企業にはそのためのマネジメントが不可欠だ、その第一の武器になるのが「マーケティング」である。

ここでいうマーケティングとは一般にいわれているような、「市場調査」でもなければ「販売テクニック」でもない。

人々の欲求を察知し、消費、利用してもらえるような満足を与える戦略を練ること。

言いかえれば、「売れる仕組みづくり」である。

マーケティングとは、「顧客は何を求めているか」を自らに問いかけ、彼らの欲求、ニーズを把握して、それを満足させるべく、「我々はこうした製品やサービスを提供できます」と訴えかけることに尽きる。

しかし、マーケティングだけで企業は成功できない。

マーケティングは「現在の事象」には対応できるが、企業は絶えず成長する経済に対応していかなければならず、未来への変化を前提として活動していかなければならないからだ。

これを可能にするのが「イノベーション」である。

これも単なる「技術革新」や「発明」「改良」ではない。

「新しい経済的満足を生み出すための方策を生み出すこと」である。

価値の下落は避けられない。

それは価格の低下や販売数の減少になって表れる。

したがって企業は、従来の製品やサービスだけで満足せず、常に新しいものを提供していかなければならない。

「イノベーション」の意味は、顧客の新しい欲求に応え、満足を与える製品やサービスを創造し、一歩抜きんでた制度や仕組みをつくり出すことである。

「より大きな新しい富を生み出す能力を獲得するための新しい挑戦」と言い換えてもよい。

《企業や組織には、絶えず自らを社会の動きに適合させるための「マネジメント」が不可欠で、その二大要素が「マーケティング」と「イノベーション」なのである。》


ドラッカーは、イノベーションについて本書の中でこう語る。

『企業や組織は、新しいことにチャレンジするとともに、「陳腐化」したものを「廃棄」する必要がある。

使命が終わった製品やサービス、顧客満足が達成できなくなったもの、業績に貢献できなくなったものは、速やかに廃棄する必要があるのだ。』

今ほど「イノベーション」の必要性が叫ばれている時代もない。

前例踏襲や、過去の知識の積み重ねでやってこれた時代が去ってしまったからだ。

古い知識や、常識といった囚(とら)われを捨てなければ、変化という大きな谷間を飛び越えることはできない。

思い荷物を捨て、身軽にならなければ、ジャンプすることはできないからだ。

また、「もし顧客に、彼らの望むものを聞いていたら、彼らは『もっと速い馬が欲しい』と答えていただろう。」というヘンリー・フォードの有名な言葉がある。

当時のアメリカは、一般大衆の主な移動手段は車ではなく、まだ馬だったからだ。

顧客は、この世にないものを想像できない。

だからこそ…

新たな顧客を創造するため、イノベーションに挑戦したい。

ドラッカー式マネジメント入門|人の心に灯をともす から

2019年11月2日土曜日

無念、首里城焼失

沖縄を象徴する遺産であり、沖縄の人々の心の拠り所だった首里城が焼失。極めて残念ですが、一日も早い再建を心から願っています。

再建に向けた寄付活動も始まっています。
沖縄のシンボル「首里城」再建支援プロジェクト


焼失前の首里城正殿 (C)NOBUAKI SUMIDA/SEBUNPHOTO/amanaimages



琉球人と歩んできた首里城  アジアに開かれた交流の場

首里城焼失の報を知ったのは、取材のため那覇に滞在中のことだった。早朝、縁戚からの電話は「首里城が燃えて……」と言ったまま途切れてしまい、テレビをつけたものの、画面に映る光景を現実として受け止めることができなかった。

ずっと一緒に生きてゆけると信じていた人が、突然この世を去っていったような、今なすべきことさえ思いつかないような、そんな感覚だった。

首里城の創建は14世紀末にさかのぼるともされる。統一王朝・琉球王国が誕生したのち、歴代の王によって整備されていった。うねる石垣に囲まれて建つ城は、威容を誇る城ではなく、争いのための城でもない。遠く海を渡ってやって来る人たちを迎えるための城であり、波涛(はとう)を越えていった琉球人の城だ。15世紀、王国は絶頂期を迎えたが、こののち幾多の困難に見舞われた。

それでも首里城は、政治・行政の要として機能し、外交・貿易の拠点として、さらには琉球文化発信の場としての役割を担ってきた。

だが、いわゆる「琉球処分」によって王国は解体され、明治政府の軍隊と警察隊の威圧によって接収されてしまう。のちに首里区(当時)に払い下げられ校舎として使用されたが、城は荒れ果てる一方だった。

大正末期、美術教師として首里に滞在した香川出身の鎌倉芳太郎は、沖縄の人々と深く交流するなかで琉球文化に魅せられ、なかでも首里城には「教わることがたくさんある」と語った。彼は断続しながらも16年におよぶフィールド調査をし、多数の資料やガラス乾板写真を残した。鎌倉の尽力もあって、大正14年に首里城は現在の国宝に指定され、大規模な修理もなされた。

しかし、沖縄戦が何もかも破壊し、首里城は姿を消した。城跡には琉球大学が建てられ、沖縄は27年におよぶ米軍施政下を生きなければならなかった。この間にも首里城復元の声が絶えることがなかったのは、城が王国の歴史文化を伝える象徴としてだけではなく、琉球人・沖縄人の足跡を雄弁に物語る場としての意味が大きかったからだ。

沖縄では祖先の人生がいきいきと語りつがれていることに驚くばかりだが、さまざまな困難に直面しながらも生きた人々の存在があって、今の私たちが生まれたことを実感させてくれる。

琉球大学のキャンパスが移転したのち、首里城復元のプロジェクトが進められた。戦争によって失われた史料は膨大だったが、多分野の英知を結集したプロジェクトメンバーは、それを嘆くばかりでなく、わずかな手がかりから丹念な調査と研究を続け、復元を成しとげた。鎌倉芳太郎が残した資料やフィールドノートも活用されたが、何より多くの沖縄県民の協力が大きな支えとなったことは言うまでもない。

首里城復元から27年の歳月が流れ、子どもの頃から「赤い城」を見て育った世代も増えてきたことをうれしく思うようになったその時、焼失という悲劇を体験することになってしまった。

私も数えきれないほど訪れた首里城が崩れ落ちた光景を見るのは、胸がえぐられるように辛い。今はこの深い悲しみのなかに沈むことしかできない。けれど首里城は沖縄の人々だけの城ではない。日本の歴史のなかに琉球史を組み入れた時、アジア諸国と交流し、豊かな文化を築いた国のあり方が見えてくるだろう。首里城は現代の私たちにそれを語りかけてきた。(与那原恵)

琉球人と歩んできた首里城 アジアに開かれた交流の場|日本経済新聞 から

記事紹介|自分の人生をデザインする

自分をアップデートし続けるための、最もシンプルな方法は、付き合う人を変えることです。

「何をするか」を考えることも大切ですが、「誰といるか」にこだわることは、それ以上に重要なことなのです。

私の会社では、留学のサポートを行っていますが、「学校選びは、誰と付き合いたいかですべてが決まる」という話をよく生徒にします。

どこで誰と出会うのかは、自分で決めることなのです。

そして、誰と出会うかを決めることは、自分の力で人生をデザインすることにほかなりません。

私たちは自分が置かれている環境によって進化もするし、退化もします。

もしあなたの付き合う友人が何年も変わっていないとしたら、それは危険な状態です。

あなたはもう古くなりかかっています。

付き合う人が変化しているならば、あなた自身がアップデートできている証といえるでしょう。

最近は、さまざまなテーマでのセミナーや講習会が全国各地で開催されています。

そこでは出会いがあり、学びがあるでしょう。

そうした場所に参加するのは有意義なことです。

人は居心地のいい空間に身を置きたいと考え、そこから一歩足を踏み出すだけでストレスを感じる傾向にあります。

このような居心地のいい空間のことを「コンフォートゾーン」と呼びますが、このコンフォートゾーンから外へ飛び出す勇気こそ、これから必要とされる力となります。

私は過去に本を書きたいと思ったとき、どうしたら書けるのかとあれこれ考えるようりも、まずは勉強会に通うことを選択しました。

お金はかかりましたが、志の高い仲間たちと出会えたのはそれなりの対価を払ったからだと、その結果に満足したものです。

その勉強会は大阪で開催されていましたが、遠く東京や名古屋から本気の人たちが集まっていました。

それぞれに専門を持っていて、私にはない強みを持っている人ばかりの環境でした。

コンフォートゾーンを飛び出したわけですから、最初は気持ちも落ち着きませんし、自分よりも経験や知識が豊富な人たちが集まる環境にいることで自分が小さく感じることもありました。

しかし、それによって、自分に何が足りなくて、これから何を学べばいいのかもわかりましたし、自分よりも上のステージにいる人たちがどういうプロセスでそこに至っているのかを知ることで、今、自分がどうあるべきかが見えてきたのです。

彼らがどのような話をし、どのように振る舞っているのかを徹底的に観察し研究しました。

「観察学習」とは、他者の行動を見て学習することを指しますが、他者の行動やその結果をモデルとすることにより、観察している人の行動に変化が生じます。

最初は慣れない環境に「自分なんて場違いなのではないか」とヒリヒリするでしょう。

しかし、それが成長の余地であり、自分に足りないものを教えてくれるいい機会なのです。

そのヒリヒリした感覚が、自分は「何をすればいいか」「誰と付き合えばいいか」を教えてくれます。

せっかくの素晴らしい縁を途切れさせないために、自分を成長させる欲求が刺激されるのでしょう。

もちろん、どうしてもその水が合わなければ変えればいいのです。

感覚的に「なんか違うな」と感じたならば、無理してそこにとどまる必要はありません。

SNSを使って面白そうなコミュニティを探すことも容易です。

一つに固執する必要はありませんから、どんどん試してみればいいのです。

自分をアップデートするために、少しヒリヒリする、でも成長できる期待感を覚えられる人間関係をつくってみましょう。

コンフォートゾーンで安穏とせず、まずは付き合う人を考えてみるのです。

自分イノベーション|人の心に灯をともす から