投稿

30キロ走で「足が止まらなかった」日、ツール・ド・九州に遭遇

イメージ
今日も30キロのロングランに挑戦しました。 終日ほぼ曇天で、気温は28度、湿度は54%。ランニングコンディションとしては悪くない一日でした。 先週は途中で足が止まってしまいましたが、今日はそうはなりませんでした。途中でウオーキングをはさみながらではあったものの、なんとか30キロを走り切ることができました。何より、 足が止まらなかったこと が今日の一番の成果です。一か月後に迫った本番レースにも、ようやく希望が見えてきました。 走っている途中、思わぬものに遭遇しました。九州を舞台とした国際自転車ロードレース「ツール・ド・九州」の佐賀・福岡ステージが、ちょうど開催されていたのです。 ただ、ヘルメットとサングラスをした集団があっという間に目の前を過ぎ去っていくので、マラソンのように選手の表情をうかがう余裕はありません。あの速さは、さすがロードレースだと思いました。 さて、あと1、2回の苦しいロングランを乗り越えれば、本番も楽しみに変わるはずです。引き続きがんばります。

奨学金を「会社が返す」時代へ――代理返還制度が変える、若者・企業・地域の現在地

イメージ
はじめに――「奨学金を返す会社」が増えている 大学や専門学校を卒業した後、毎月の給与から奨学金を返していく。かつては、それを個人の問題として考えるのが普通でした。 しかし、いまは少し事情が変わっています。 「その奨学金、会社が返します」 そんな求人を出す企業が増えているのです。 日本学生支援機構(JASSO)の 「企業等の奨学金返還支援(代理返還)制度」 は、2021年4月に始まりました。企業が従業員に代わってJASSOへ直接送金し、奨学金の返還を支援する仕組みです。 利用企業は急増し、2025年度末(2026年3月末)には4,852社に達しました。支援を受ける返還者も2万6,422人に増えています(日本経済新聞、2026年7月28日付)。さらに 文部科学省 は、2026年度末に約7,000社、2027年度末には約1万社まで利用企業を増やす目標を掲げています。 利用企業(2026年3月末) 4,852 社 支援を受ける返還者 26,422 人 国の目標(2027年度末) 約1万 社 もはや、一部の企業だけが採用する珍しい福利厚生ではありません。 では、なぜ企業は「社員の借金」を肩代わりするのでしょうか。その背景には、若者の経済的負担、企業の人手不足、地域の人材流出という、別々に見えていた問題が、一つの制度でつながり始めていることがあります。 なぜ、いま「奨学金を会社が返す」のか 数百万円を抱えて始まる社会人生活 奨学金は、若者にとって決して珍しいものではありません。 広島県が紹介するJASSOの調査 では、大学生の55.0%、専門学校生の60.6%が何らかの奨学金を受けています。平均的な借入総額は310万円、返済期間は平均14.5年です。 奨学金を取り巻く数字 大学生の受給率 55.0% 専門学校生の受給率 60.6% 平均借入総額 310万円 平均返済期間 14.5年 返済に不安を感じる ...

壁は、あなたの本気を試している。夢をあきらめない人に伝えたいこと

イメージ
人は誰しも、人生のどこかで壁に突き当たります。努力が報われない日もあれば、長く抱いてきた夢が遠のいたように感じる日もあります。そのとき私たちは、壁の高さばかりを見つめてしまいがちです。 しかし、ある一人の人物の生き方が、壁の意味をそっと問い直してくれます。 一度は門前払いされた夢 ある大学で教壇に立っていた一人の教授は、少年のころから抱き続けた夢を持っていました。世界的な娯楽施設のアトラクションを設計する部門で働くことです。 博士号を取得したのち、教授は履歴書を送りましたが、結果は不採用でした。ところが教授は、夢を手放しませんでした。仮想現実の専門家として研鑽を積み、実績を重ねながら機会をうかがい続けます。そしてついに、狭き門をくぐり抜け、念願の設計者となったのです。 教授は後年、壁についてこう語っています。壁がそこにあるのは、私たちを阻むためではない。壁の向こうにある何かをどれほど本気で望んでいるのかを、証明する機会を与えてくれているのだ、と。 壁は、自分の本気を映す鏡 この言葉は、壁に対する見方を静かに変えてくれます。立ちはだかるものは敵ではなく、問いかけなのです。それでも進みたいのか、と。 本当に叶えたい夢を持つ人は、壁が高くても歩みを止めません。壁は一生のうちに越えればよいのですから、焦る必要もありません。 また、一度手が届かなかった夢、あるいはあきらめかけた夢が実現したときにこそ、人は深い喜びを味わうものです。しかも、人生の壁は、ときに私たち自身がつくり出してしまうこともあります。「どうせ無理だ」という思い込みが、本来はなかったはずの壁を築いてしまうのです。 だからこそ、いったん手放した夢にもう一度挑むことには、大きな意味があります。そこには、本当の自分に出会うためのヒントが隠れているかもしれません。壁の向こうの景色を見て見ぬふりをしてしまえば、のちに悔いが残ります。それはあまりにもったいないことです。 最後の授業に込められた願い この教授は、若くして世を去りました。余命わずかと宣告されたのち、母校で「最後の授業」と題した講義を行い、子どものころの夢をいかに実現してきたかを語りました。講義の結びで、本当に語りかけたかった相手は会場の聴衆で...

「大学生は勉強していない」は本当か? 全国学生調査・約32万人の回答から読む

イメージ
「最近の大学生は勉強しない」。そんなイメージを持つ人は少なくないかもしれません。 ところが、 文部科学省が公表した令和7年度「全国学生調査」 の結果を詳しく読むと、話はそれほど単純ではありません。確かに、授業の外で学ぶ時間は短い。一方で、専門知識や協働する力が身についたと答えた学生は9割近くに達し、大学で成長したと実感している学生も8割を超えています。 では、日本の大学教育はうまくいっているのでしょうか。答えは「良い」「悪い」の二択ではありません。今回の調査から見えてくるのは、次のような姿です。 日本の大学は「知識を教える」ことには比較的成功している。一方で、「学生が自分で学び、課題に取り組み、フィードバックを受け、さらに学ぶ」という学びの循環には、まだ弱さがある。 しかも、その違いは学部の分野や規模によっても変わります。順に読み解いていきます。 まず、この調査は何か 「全国学生調査」は、大学の学部2年生と最終学年の学生(短大は最終学年)を対象に、授業の受け方、身についた力、1週間の生活時間などを尋ねる国の調査です。学生の目線から大学教育の実態を把握し、各大学の教育改善や国の政策づくりに活かすことを目的としています。 令和元年度から4回の試行を重ね、令和7年度から本格実施になりました。令和7年度以降は、原則として毎年度実施される予定です。 734校 参加大学 約126.6万人 対象学生 (2年生・最終学年) 約32.0万人 有効回答 25.3% 学生の回答率 (前回試行13.1%) 回答率は、前回の試行より大きく上がりました。ただし、対象学生のうち有効に回答したのは4分の1ほどで、回答しなかった学生のほうが多数派です。大学規模別に見ると、学生の回答率にも差があり、学生数2,000人以上の大学では20.9%、500〜1,000人の大学では39.9%でした。 大学規模別に見た、学生の回答率 2,000人以上 20.9% 1,000〜2,000人未満 32.6% 500〜1,000人未満 39.9% 500人未満 39.2% 出典: 文部科学省「令和7年度『全国学生調査(本格実施)』の結果について」 (大学、参加校に属する対象学生数に対する有効回答率) したがって、この調査を「全国の大学生全員の...

人生を形づくるのは、仕事ではなく「出会い」である

イメージ
就職や転職を前にしたとき、多くの人が同じ問いに行き着きます。「どの仕事が自分に合っているのか」という問いです。適職を見つけさえすれば人生は拓ける、と考える人は少なくありません。 けれども、ある講演家の言葉は、この前提に静かに異を唱えています。人生を決めているのは仕事そのものではない。その仕事の中で出会う「人」「もの」「こと」である、というのです。 出会いは、どこに集まるのか この講演家は、うまくいかない人にある共通の姿を見ています。仕事への不満ばかり口にしていることです。「この仕事は自分に合わない」と嘆き続ける人のもとには、良き「人」も「もの」も「こと」も集まってきません。 これは精神論にとどまりません。日々の言葉と態度は、周囲に確かな印象を残します。感謝と探究の姿勢で働く人には、自然と手が差し伸べられ、学びの機会も巡ってきます。出会いは待つものではなく、日々の姿勢が引き寄せるものでもあります。 迷ったときの指針――直感と時間 では、どこで働けばよいのか。その答えは平明です。まず直感で「いい」と感じた場所で経験を積むこと。そして数年お世話になる中で、新たな出会いによって人生の流れが変わる時が来たなら、その流れに乗ればよいといいます。 完璧な選択を求めて立ちすくむより、縁を感じた場所に身を置き、誠実に歩み出す。選択の正しさは、選んだ後の過ごし方によって作られていくものなのでしょう。 「出会えてよかった」と言われる人に この言葉の核心は、最後の一節にあります。「君は『出会えてよかった』と思われる人にならんといかん」。そして、人間の価値を決めるのは仕事ではなく、「君と出会えてよかった」と言われる人間であるかどうかだ、と結ばれます。 肩書きや職種は、人を測る物差しの一部にすぎません。後に残るのは、その人と過ごした時間が誰かにとってどんな意味を持ったか、という事実です。私たちは出会いを受け取る側であると同時に、誰かにとっての出会いを差し出す側でもあります。 自分の人生を、自分で引き受ける この言葉から、ある小説の一節が思い起こされます。人生は自分のものであり、すべては自分の責任で起こる。誰かの言いなりになれば自分らしさを失い、結果を他人のせいにして生きることになる、という...

人間関係がラクになる。「心の扇」を広げるという生き方

イメージ
人は知らず知らずのうちに、出会う人を「好き」と「嫌い」に分けています。気の合う人には心を開き、そうでない人からは距離を置く。自然な心の働きですが、この仕分けが厳しくなるほど、私たちの暮らしは窮屈になっていきます。 潔癖すぎる人は、生きづらい 中国の古典『菜根譚』に、次のような趣旨の教えがあります。 世を渡るにあたり、あまりに潔白であろうとしてはならない。汚れも濁りも、一度は呑み込む器量が要る。人と交わるにあたり、白黒をはっきりさせすぎてはならない。善人も悪人も、賢い人も愚かな人も、包み込む度量が要る。 四百年前の書物ですが、今日の私たちにそのまま当てはまります。 線を引き続ける人は、やがて自分もその線の外側に立たされます。誰かを「合わない人」と感じるとき、相手もまた、こちらを「合わない人」と感じているかもしれません。他人に厳しい目を向けることは、巡りめぐって自分への視線を厳しくすることにもなるのです。 「誰とでも仲良く」ではない 誤解してはならないのは、これが「誰にでも合わせなさい」「我慢して付き合いなさい」という教えではないことです。意見の違う相手に、無理に同調する必要はありません。 大切なのは、「この人は自分とは違う考えを持つ人なのだ」と、違いを違いのままに認めることです。そのうえで、必要な場面では礼を尽くし、適度な距離を保って関わる。 職場であれば、考え方の合わない同僚とも、仕事と割り切って力を合わせる。親戚づき合いであれば、深く語り合えなくても、節度ある挨拶は交わす。これは妥協ではなく、人生経験を積んだ大人の知恵と言えるでしょう。 心の広さを「扇」にたとえると ある作家は、人の度量を扇子にたとえて語っています。 心の広さを扇の開き具合とし、一般的な人を90度とします。誰かにイライラするとき、私たちの扇は20度、30度ほどしか開いていないのかもしれません。自分の価値観の外にいる人を、無理にその内側へ引き入れようとし、思い通りにならずに苛立つ。その繰り返しが、心を疲れさせます。 ここに、もうひとつの解決の道があります。相手を変えるのではなく、自分の扇を広げることです。「そういう人もいるよね」と受け入れてしまえば、苛立ちの種は消えます。 とはいえ、いきなり大きく開くのは難しいもの。まだ許せない人に出会...