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雨の日は、雨を好きになればいい

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雨が降ると、みんな同じ顔をします。 「あーあ、最悪」 でも、雨は何もしていません。ただ降っているだけです。 「最悪」だと決めているのは、雨じゃなくて、自分です。 ◆ ◇ ◆ 「雨ニモマケズ」という有名な言葉があります。 雨にも風にも、負けないように生きよう。 美しい言葉です。でも、よく読むと、これって「雨は敵だ」と言っているのと同じなんです。 負けないように頑張る。それは、本当は来てほしくないものと、毎回戦い続けるということです。 ◆ ◇ ◆ もう一つの生き方があります。 雨の日は、雨を愛してしまう。 風の日は、風を好きになってしまう。 戦わない。我慢しない。ただ、好きになる。 これができたら、人生から「敵」が一つ消えます。 ◆ ◇ ◆ 松下幸之助さんは言いました。 「好況よし、不況さらによし」 不況は、乗り越えるものじゃない。不況だからこそできることがある、というんです。 多くの人は、不況を「早く終わってほしい罰ゲーム」だと思っています。 彼は違いました。不況を、罰ゲームだと思うのをやめたんです。 ◆ ◇ ◆ 我慢して耐える生き方が、悪いわけじゃありません。 必死に耐えている人を、否定するつもりは一切ありません。 でも、一つだけ聞きたいことがあります。 あなたは今、何と戦っていますか。 満員電車、体調不良、うまくいかない仕事、面倒な人間関係―― それ、本当に「戦う」必要がありますか。 それとも、ただ「最悪だ」と決めつけているだけですか。 ◆ ◇ ◆ 状況は選べません。でも、その状況をどう呼ぶかは、自分で選べます。 「最悪」と呼べば、最悪になります。 「これはこれで」と呼べば、そうなります。 雨は、ただ降っているだけです。 それを最悪にするのも、悪くないものにするのも、自分次第です。 参考: 風の日は風を好む|人の心に灯をともす

「守られない社内規程」を卒業する5つの処方箋

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「規程集は立派にできているのに、誰も開いていない」「厳しいルールを作ったら、現場が勝手に抜け道を作り始めた」——そんな経験はありませんか。実はこれ、多くの会社で起きているごくありふれた現象です。 なぜ真面目に作ったルールほど、現場で無視されてしまうのか。そして、どうすれば「使われる規程」に変えられるのか。その仕組みと具体策を、実例を交えながら詳しく見ていきます。 なぜルールが守られなくなるのか たとえば「10万円以上の物品・サービス購入にはすべて役員決裁を要する」という購買管理規程を定めたとします。一見、無駄遣いや不正を防ぐ堅実なルールに見えます。しかし成長期の会社では、日々細かい発注が大量に発生します。その一つひとつに役員の判断を仰いでいたら、事業のスピードが著しく落ちてしまいます。 すると現場は次のような「抜け道」を編み出し始めます。 分割発注による決裁回避 :15万円の資材を購入する際、あえて伝票を2枚に分け、それぞれ10万円未満に見せかけて自分の承認権限内で処理してしまう。 事後承認の常態化 :先に発注・納品を進めてしまい、請求書を受け取った後になって「緊急対応だった」という理由で、過去の日付にさかのぼって決裁を通す。 こうした運用が一度や二度で終わればまだいいのですが、常態化すると「もっともらしい理由さえ付ければ、規程は破ってもかまわない」という空気が組織全体に広がっていきます。この状態が怖いのは、本当に見過ごしてはいけない不正の兆候までもが、「いつもの例外処理」の中に紛れ込んでしまい、内部統制としての機能を完全に失ってしまう点です。つまり、ガバナンスを強化しようとして厳格な条文を定めたことが、かえって会社を危険にさらすという皮肉な結果を招くわけです。 では、どうすればこの悪循環を断ち切れるのでしょうか。ここからは5つの具体策を紹介します。 解決策① ルールを3つの階層に分ける すべてのルールを1つの分厚い規則集に詰め込むのではなく、「規程(本則)」「細則」「要領・ガイドライン」という3階層に分離して設計します。それぞれ記載する内容の抽象度と、誰が改定を決められるか(改定権限)を明確に切り分けるのがポイントです。 ...

誰が決めているのか⑤ 変えるのは、あなた

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政治家でも、官僚でもない、もう一人の当事者。 ここまで四回にわたって、政治家になる入口、官僚との関係、政治とカネ、そして福岡県議会という具体的な地方議会の権力構造について考えてきました。今回は、視点を私たち自身に転じます。政治家、役人、そして有権者。この三者の関係を、最後にもう一度、根本から問い直したいと思います。 三者の、本来あるべき関係 民主主義における基本的な関係は、本来こうあるべきです。 有権者が選挙によって意思を示し、政治家がそれを受けて政治的な優先順位を決定し、行政が専門性をもって制度設計と執行を支え、社会がその結果を評価する。 そして、その評価が再び選挙を通じて、次の政治家の選択へと戻っていく。 この循環が健全に機能すれば、良い政策が良い結果を生み、有権者がそれを評価し、政治家が再選されるという好循環が生まれます。逆に、人気だけで選挙が行われ、政治家が行政に依存したまま政策が失敗し、責任の所在が曖昧なまま、また人気で次の選挙が行われる、という悪循環に陥れば、政治はいつまでも改善しません。 政治家の責任、役人の責任 政治家には、明確な責任があります。政治家とは、最終的に政策を選択する人間だからです。役人がどれほど優秀な説明をしても、最終的な政治判断を下すのは政治家です。したがって、 「役人がこう言ったから」というのは、政治家の免責理由にはなりません 。役人が選択肢を提示し、政治家がその中からどの道を選ぶかを決め、結果について責任を負う。これが本来の役割です。 一方、役人にも明確な役割があります。役人は政治家の従者ではなく、また政治家に代わって政策を決める存在でもありません。法律に基づいて行政を運営し、正確な情報を提供し、政策の実現可能性やメリット・デメリットを政治家に提示することが役人の仕事です。政治家から不合理な要求を受けた場合には、「それはできません」と言えることも、健全な行政の条件です。ただし、ここにはもう一つの危険があります。政治家に従属しすぎる役人は、逆に、自分たちに都合の良い政策へと政治家を誘導することもできてしまいます。だからこそ、 政治家の政治的責任と、役人の行政的専門性を明確に分けること が必要なのです。 有権者の責任――専門家になる必要はありません ここが、おそらく最も難しいところです。「良い政治家を選べ」...

終戦記念日と小戸公園ラン

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お盆休みも今日で最終日。8月15日は終戦記念日ということで、正午には黙祷を捧げ、仏壇に手を合わせてから、ランニングシューズを履いて外へ出ました。 今日はいつもより少し距離を伸ばして、福岡市西区の小戸(おど)公園を経由する約20kmコース。 小戸公園内には海沿いのBBQ場があり、お盆ということもあってか、園内にはテントが並び、BBQを楽しむ家族連れの姿もちらほら見えました。 公園は、松林と椰子(ヤシ)の木が同居する景観がお気に入りのポイント。入江の穏やかな水面や、マリーナに並ぶヨットのマストを眺めながら走りました。 残念ながら快晴とはいかず、薄雲がかかったどんよりとした空。写真の出来はイマイチでしたが、日差しが強すぎないぶん、ランニングには走りやすいコンディションでした。 とはいえ、8月の福岡はまだまだ真夏日。帰路は暑さでヘロヘロに。帰宅後はキンキンに冷えたビールと酎ハイで復活中です。

文官、ただ一人死刑になった男-終戦の日に広田弘毅を考える

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今日、8月15日は終戦の日です。 81年前のこの日、日本は戦争を終えました。多くの人が、この日を、戦争で亡くなった方々を悼み、平和について考える日として過ごすことと思います。 しかし、戦争を終わらせることと同じくらい大切なのは、「なぜ、その戦争を止められなかったのか」を問い直すことではないでしょうか。 その問いを考える手がかりとして、今日は一人の政治家を取り上げたいと思います。 名前は、広田弘毅(ひろた・こうき)。 戦前、外務大臣と内閣総理大臣を務めた外交官出身の政治家です。東条英機ほど一般には知られていないかもしれません。しかし広田には、東京裁判で裁かれた政治家たちの中でも、とりわけ特異な立場がありました。 極東国際軍事裁判で死刑を宣告された7人のうち、広田は文官としてただ一人でした。軍歴を持たない、外交官出身の政治家が、東条英機ら軍人たちとともに絞首刑に処せられたのです。裁判は1946年5月3日に開廷し、1948年11月12日に判決が言い渡され、同年12月23日、死刑を宣告された7人の刑が執行されました。 では、なぜ一人の外交官出身の政治家が、軍人たちと並んで死刑台に立つことになったのでしょうか。 そこには、「戦争を起こしたのは軍部だった」という単純な図式だけでは説明できない、当時の政治家と軍部の関係、そして政治家個人が負う責任の問題があります。 広田弘毅の生涯をたどることは、戦争を止められなかった一人の政治家を今さら裁くことではありません。むしろ、「自分なら、あの状況で何ができただろうか」という問いを、自分自身に向けることでもあるのです。 石屋の家に生まれ、外交官になる 広田弘毅は1878年2月14日、福岡県福岡市の石屋の家に生まれました。父が石屋の養子となり、広田姓を名乗った家系だったといいます。 決して裕福な生まれではありませんでしたが、成績優秀だった広田は、福岡の玄洋社関係者から支援を受けて進学しました。学費は玄洋社の平岡浩太郎(初代社長)が提供し、旧制第一高等学校、東京帝国大学へと進みます。また頭山満(とうやま みつる)の紹介で、副島種臣や山座円次郎といった人物とも接点を持つようになりました。 本名は「丈太郎」でしたが、のちに「弘毅」へと改めています。論語の一節「士は以って弘毅ならざるべからず(志...

数字では見えてこない、もうひとつの「敗戦」

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今日8月15日で、終戦から81年。「太平洋戦争を数字で振り返る」という切り口の記事はよく見かけますが、動員兵力や物価といった数字の裏側には、もっと個人的で、もっと生々しい「敗戦」の姿があります。 同じ8月15日という日を、ある人は雑音混じりのラジオで知り、ある人は終戦の知らせを受けてもそれを信じず、何十年も密林で過ごしました。「終わった」はずの戦争が、実は多くの人にとって別の苦しみの「始まり」でもありました。この記事では、そんな数字には表れにくい6つの視点から、あの夏を振り返ってみます。 ① その日、全員が同時に「負け」を知ったわけではなかった 1945年8月15日正午に流れた「玉音放送」。私たちは「この日、日本中が一斉に敗戦を知った」というイメージを持ちがちですが、実際のプロセスを追うと、もっと危うい綱渡りの上に成り立っていたことがわかります。 録音が行われたのは、放送前日の8月14日深夜。宮内省内廷庁舎(現在の宮内庁庁舎)の御政務室に置かれたマイクの前で天皇が終戦の詔書を読み上げ、隣室でNHK(当時の日本放送協会)の技術職員が録音機を操作しました。録音は2度行われ、実際に翌日の放送で使われたのは2度目の録音です。つまり、私たちが知る「あの声」は一発録りではなく、撮り直しを経たテイクだったわけです。 放送そのものにも、知られざる経緯がありました。正午の時報から始まり、詔書の朗読を挟んで全体で約37分間続いたこの番組ですが、番組全体の録音は、占領軍への配慮から放送翌日の16日にはもう破棄されてしまったと言われています。今テレビの特番などで繰り返し使われている音源は、実は1946年7月にGHQへ一時貸し出された際に複製されたものが元になっているとみられており、いわば「複製のさらに複製」を私たちは聴いていることになります。 放送を伝えるラジオという手段自体も、限られた家庭にしか届かないものでした。都市部でラジオを持つ家は多くても、農村部や、空襲で家財を失った人たちにとっては、正午のその瞬間に放送を聞ける保証はありませんでした。加えて、放送は独特の言い回しと雑音のため、内容をすぐには理解できなかった人も少なくありませんでした。8月15日は...

誰が決めているのか④ 県議会の裏側

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不祥事の奥にある、権力の配線図。 これまで三回にわたって、政治家になる入口、官僚との関係、政治とカネという、やや大きな制度論を見てきました。今回は視点を変え、実際に存在する一つの地方議会──福岡県議会を具体的な事例として取り上げます。理念の話を、実際の制度にどう落とし込めるかを考えるためです。 なお今回の内容には、報道で伝えられている具体的な事案が含まれます。そこで本題に入る前に、 「確認されている事実」と「筆者の論評・提案」を、はっきり分けて書いておきます 。個々の議員や職員を名指しで裁くことは、この記事の目的ではありません。目的はあくまで、「なぜ、そうした事態が起こりうる構造になっているのか」を考えることにあります。 事実関係の整理 まず、報道などで確認できる事実を、性質の異なる二つに分けて整理します。 ① 議会質問の「横流し」問題(=確定した事実) 福岡県が2026年7月、知事部局本庁の課長・室長級以上の現役幹部職員136人を対象に内部調査を実施し、結果を公表しました。それによると、28人が「他会派から事前に通知された本会議の質問内容を、自民党県議団に提供したことがある」と回答しています。提供先はすべて自民党県議団で、知事部局の10部すべてで同様の提供が確認されました。一部では、他会派の質問案を県職員が代わりに作成していたことも判明しています。服部誠太郎知事は記者会見で「議会制民主主義の根幹を揺るがす問題であり、深く反省しなければならない」と述べ、今後はこうした提供を禁止する方針を明らかにしました。これは、証言や疑惑の段階ではなく、 福岡県自身の調査結果と知事会見(2026年7月29日) 、およびNHK、KBC九州朝日放送、TNCテレビ西日本など複数の報道機関の取材により確認されている事実です。(注:調査は2025年度の在任職員を対象にしたものであり、この慣行がいつから続いていたのかまでを確定的に示すものではありません。) ② 正副議長ポストをめぐる金銭授受(=現時点では「疑惑」) これとは別に、元議長・元副議長を務めた議員らが、就任に際して県議団幹部から金銭を要求され、支払ったと記者会見で証言したと、日本経済新聞や西日本新聞など複数のメディアが報じています。金額は合計で二千万円を超えるとの証言もあります。一方で、名指し...

在留資格が突然厳しくなった日 - 資本金3000万円ルールの深層

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そもそも何が変わったのか 外国人が日本で会社を経営するために必要な「経営・管理」という在留資格。この資格の取得条件が2025年10月、大きく変わりました。 これまでは資本金500万円あれば取得できましたが、今後は 資本金3000万円 、さらに 日本人や永住者を1人以上、常勤で雇うこと が必須になったのです。既存の経営者には2028年10月まで猶予がありますが、それを過ぎると新しい基準を満たせなければ在留資格を更新できません。 数字で見るとその厳しさがよくわかります。現在「経営・管理」を持つ人は全国に約4万5000人。そのうち今の時点で資本金3000万円の条件を満たしているのは、わずか 4.1% です。つまり残り96%近くの経営者が、このままでは日本にいられなくなる可能性があるということです。 なぜ厳しくなったのか きっかけとされているのは、一部の外国人が「日本に住み続けるための手段」として、実質的に営業していないペーパーカンパニーを作り、この在留資格を利用していたという報道です。入管庁も「事業実態がないケースが散見される」ことを理由に挙げています。 ただし取材によると、入管庁自身が国会で「不正の件数は統計として把握していない」と認めています。つまり、 「どのくらい悪用されているか」を数字で示せないまま、規制だけが強化された という状態です。 一番影響を受けているのは誰か 制度の建前上のターゲットは「悪用するペーパーカンパニー」でしたが、実際に苦しんでいるのは全く違う層です。それがネパール系をはじめとする、街のインドカレー店やアジア料理店を営む家族経営者たちです。 彼らの多くはコツコツ貯めたお金で小さな店を開き、日本人客に愛される店を作り上げてきました。しかし3000万円という金額は、家族経営の飲食店にはとても現実的な数字ではありません。都内で店を営むある経営者は「条件を満たすことをあきらめて帰国する人も出てきている」と語っています。 しかも、この人たちの配偶者や子どもは「家族滞在」という別の在留資格で日本にいます。経営者本人が資格を更新できなくなれば、 家族全員が日本を離れなければならない 可能性があります。日本で生まれ、日本語しか話せない子どもが、なじみのない「母国」に送られるケースも出てきま...

プーチン択捉島訪問の衝撃——北方領土問題、改めて考える

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2026年8月13日、ロシアのプーチン大統領が北方領土・択捉島を訪問した——このニュースに、驚いた方も多いのではないでしょうか。ロシア大統領による北方領土訪問は、実はこれが初めてのことです。高市早苗首相は「強く抗議する。断じて許容できない」と即座に反応しました。 戦後80年以上が経ち、北方領土問題は「昔からある未解決の懸案」というぼんやりとしたイメージで捉えている方も少なくないかもしれません。しかし今回の訪問は、この問題が決して「過去の話」ではなく、今なお現在進行形の主権問題であることを、ロシア側がかなり強い形で示した出来事だと言えます。この機に、北方領土問題の歴史的経緯と現状、そして両国の主張がどこで、なぜすれ違っているのかを、改めて整理しておきたいと思います。 何が起きたのか プーチン大統領は極東サハリン州訪問中に北方領土の択捉島を訪れ、ヤースヌイ水産加工施設を視察しました。これを受け高市首相は「北方領土は歴史的にも国際法上も我が国固有の領土」と強調し、強く抗議。プーチン氏は2024年に北方領土訪問の意向をすでに示しており、日本側はそれ以来訪問しないよう申し入れを重ねてきましたが、それが今回実行された形です。茂木敏充外相はロシア大使を召喚して抗議し、高市首相は「日本国内の対ロ感情を一層厳しくし、中長期的な関係回復を困難にした」との認識を示しています。 「北方領土」とは何か 日本が「北方領土」と呼ぶのは、択捉島・国後島・色丹島・歯舞群島の4島です。ここで見落とされがちなのが、日本は千島列島全体の返還を求めているわけではないという点です。日本政府の立場は「北方四島は歴史的にも国際法上も日本固有の領土であり、千島列島とは別物」というもの。一方ロシアは4島を含む千島列島全体を自国領とし、現在も行政・軍事的に完全に実効支配しています。 歴史的経緯を4段階で見る ①1855年:日魯通好条約(下田条約)※注1 択捉島と得撫島(ウルップ島)の間に国境線が引かれ、択捉以南は日本領として扱われるようになりました。日本側の主張の出発点はここにあります。 ②1875年:樺太・千島交換条約※注2 日本は樺太(サハリン)の権利を放棄する代わりに千島列島全体を得ました。ここで日本政府は「北方四島は、この時交換された『千島列島』とは別のカテ...