桜の季節が過ぎ、街の主役はつつじへと移り変わりました。
さわやかな晴天に恵まれた今日、福岡城跡から大濠公園周辺をジョギング。
気温も湿度も心地よく、最高のコンディションのなか良い汗を流せました。
城跡の石垣沿いや公園の道端など、いたるところに色鮮やかなつつじが咲き乱れ、今がちょうど見頃。
これから季節は菖蒲、藤、そして紫陽花へと移ろっていきます。
次なる彩りに出会えるのが、今から楽しみです。
桜の季節が過ぎ、街の主役はつつじへと移り変わりました。
さわやかな晴天に恵まれた今日、福岡城跡から大濠公園周辺をジョギング。
気温も湿度も心地よく、最高のコンディションのなか良い汗を流せました。
城跡の石垣沿いや公園の道端など、いたるところに色鮮やかなつつじが咲き乱れ、今がちょうど見頃。
これから季節は菖蒲、藤、そして紫陽花へと移ろっていきます。
次なる彩りに出会えるのが、今から楽しみです。
その人が追い求める対象とは、その対象に対して、どれだけ時間や労力を使ったか、ということだ。
何を追いかけているか、何を求めているか、だ。
マルクス・アウレリウスは第16代のローマ皇帝でありながら、軍事より学問を好んだという。
そして、権力や富ではなく「徳」を求めることを自らに課した。
つまり、「あなたが今夢中になっているものを見せてくれれば、あなたがどんな人かがわかる」ということだ。
それはたとえば、仕事をしていても、「これは自分を磨く場だ」と思って働く人と、「生活費を稼ぐために仕方なく」と思って働く人では、人間としての値打ちに大きな差ができる。
一日の中で、一番多くの時間を占める「仕事」。
その「仕事」で何を追い求めているのか。
あるいは、「仕事」が終わってからの時間を何に使っているのか。
たとえ、それが、毎日、1時間か2時間だとしても、その積み重ねが大きな差となる。
漫然と時を過ごすのか、あるいは、自らを高め、磨くための時間とするのか。
そして、それは、自分の生き方の姿勢によっても決まる。
「生き方の姿勢」とは、まさに、松下幸之助翁の言葉だ。
「いやだな、つらいなと思ってもやらなければならないことがある。
その、いわば『修行』を捨ててしまうのは、 みずから『宝』を捨てることである」
『あなたは「何を追い求めているか」』という言葉を胸に刻みたい。
運そのものは、自分ではなんともコントロールできない。
しかし、そうであるにも関わらず、「自分はツイてる」「運にめぐまれている」「何かに守られている」と思う人はいる。
松下幸之助氏は、パナソニックがまだ小さい会社だった頃、採用面接を自らしていた。
そのとき聞くことは「あなたは運のいい人間だと思いますか?」。
そして、自分は「幸運だ」「ツイてる」と答えた人だけを採用したという。
自分は「運がいい」と思えば、「運のいい人」になる。
反対に、自分は「運が悪い」と思えば、「運の悪い人」になる。
もちろん、運がいい人にも、一般的にいう「運が悪いこと」も起こる。
しかし、運がいい人は、そうだとしても、「運がいい面」しか見ていない。
たとえ、転んで骨折したとしても、この程度で済んでよかった、自分は「運がいい」と思えるからだ。
そして、「運がいい」と思える人は、明るく努力をする。
深刻にならず、ニコニコしながら。
それは、努力ではなく、面白がって、楽しみながら、やる。
すべてを、明るく、軽く、肯定的にみる習慣があるからだ。
反対に、運が悪い人は、物事を暗く、重く、否定的にみてしまう。
運がいい人は、深刻にならず、明るく、軽く、肯定的・・・
「運がいい人の考え方」の実践をしたい。
『元外務大臣で戦犯になった広田弘毅(こうき)さんが、外務省の欧米局長のときに後の首相、幣原(しではら)喜重郎に嫌われて人事異動でオランダ公使に飛ばされるんです。
当時はオランダと日本は通商がなかったので、この移動は左遷でした。
皆はこれを心配しましたが、当の本人は平気のへっちゃら。
そのときの心境を得意の狂句で吟(よ)んでいます。
「風車 風が吹くまで 昼寝かな」
風車はオランダのトレードマーク。
彼はオランダへ飛ばされる、オランダは風車が有名、風車は風が吹かないとどうにも仕方がない、風が吹くまで昼寝かな、と詠んだわけですね。
彼はのほほんとしていたけれども本当に昼寝をしていたわけではもちろんありません。
その逆境時に、外交的ないろんな情報を集めて勉強するんです。
そして再び中央に戻ってソ連の大使になったときに、その成果を発揮して成功を収めたのです。
彼は機が熟するのを待ったわけです。
慌てることなく、じっくりと。
物事にはいいときも悪いときも必ず“流れ”がある。
これに抵抗してはダメだと思うのです。
無理して慌ててもいい結果は得られません。
たとえ逆境の中だろと腐らずにいれば必ずチャンスはやってくる。
そのときのために努力を続けること。』
(つまずくことが多い人ほど、大きなものを掴んで成功している。 日本人への遺言/マガジンハウス)より
人生にはいいときもあれば、悪いときもある。
大事なのは、そのとき、くさらないこと、なげやりにならないこと、へこたれないこと。
やる気を失わず、ニッコリ笑ってじっと時期がくるのを待つ。
人生の中の「待つしかない時間」。
どんな心構えでいるか、天は見ている。
「いいときも、悪いときもある」という言葉を胸に刻みたい。
『「AIを使いこなすことより、AIを使いこなすための本質的な仕事スキルと経験を得 ることのほうが、よほど価値がある」
AI時代に本当に価値をもつのは、AIを使いこなすスキルよりも、もっと泥臭く、人間的な「当たり前」 だったのです。
それを「3+1の価値」と呼びます。
AIには決して真似のできない、人間に残されたもの。
それは「経験知を積む」「決断する」「レビューする」、そして、それらを支える「フィ ジカルで価値を生む」という、4つの本質的な仕事です。
AIを使いこなす人が増えるほど、価値の源泉はこの「3+1」 へとシフトしていきます。
AIを動かすための指示の質は、あなたの「経験知」に。
AIが出した選択肢を選ぶのは、あなたの「決断」に。
AIが生んだ成果物の最終的な責任は、あなたの「レビュー」に。
そして、あなたの「フィジカル」こそが、それら全ての土台となるからです。』
「3+1の価値」とは・・・
●「経験知」☞どんなに平凡で一般的な人であろうと、その人の「経験」は唯一無二のものだ。地球上に何億人いようと、その人と同じ経験をした人は他に誰もいない。
●「決断」☞決断とは選択のこと。AIは選択肢を幾通りも出せるが、その中から一つを選び、決めるのは自分しかいない。
●「レビュー」☞AIからアプトプットされたものを評価するのは人。その評価の積み重ねにより、AIの質も変わっていく。低級なレビューしか出せないのなら、AIの質はどんどん下がっていく。
●「フィジカル」☞どんなに優秀なAIでも、自分からはパソコンやスマホの中から一歩も外に出ることはできない。フィジカルは手足を持つ人間だけができることだからだ。そして、このことこそが、まわりや人を動かし、状況を変えていく唯一の方法となる。
AI時代に必要なもの・・・
コツコツと、自分の「3+1の価値」を高めたい。
素晴らしい快晴に誘われ、久々にビーチ方面へ走ってきました。
季節の花は桜からつつじへ。
ビーチでは多くの人が思い思いに休日を楽しんでいて、明るい活気に満ちていました。
爽やかな潮風を浴びて、いい汗をかきました!
やる気を起こす方法の一つに、新しいことに挑戦する、新しいことに興味を持つ、というアプローチがある。
なぜなら、人は“慣れ”に支配されると刺激が減り、居心地のいいコンフォートゾーンから抜け出したくなくなるからだ。
逆に、新しいことに触れると脳が活性化し、「面白い」「もっと知りたい」という知的好奇心がわきあがってくる。
そして、その好奇心こそが「やる気の種」となる。
また、どんな好きなことでも、一歩を踏み出さなければ次のステップにはつながらない。
頭の中で思っているだけでは、現実は何も変わらないからだ。
とにかく、動くことだ。
そして、どんな小さなことでもいいから、新しい何かを始めること。
すると「やる気の種」が生まれる。
特に年を重ねると「新しいことを始めること」がある種の「生きがい」となり、日々の活力となる。
自分の視野が広がり、まだまだイケルと、可能性を実感できるからだ。
「いくつになっても新しいことを!」という言葉を胸に刻みたい。
『不幸や悲劇が存在しないかわり、幸せも存在しない。
あるのは、目の前の現象を、幸せと思う心で見るか、不幸や悲劇と思う心で見るか、だけです。』
病気になったり、ケガをしてしまったとき、「なんで自分ばかりこうなるのか、なんて不運なんだ」、と思う人と、「この程度で済んでよかった、ラッキーだ」、と思う人がいる。
病気やケガという状況は変わらないのに、人によって見方や考え方、捉え方がまるで違う。
病気も、困難も、失敗も、災難も、見方によって180度変わってくる。
見方や捉え方は、日頃の習慣によって変わる。
普段から、不平不満、文句、グチ、泣き言、ツイてない、と言っている人は、どんな素晴らしいものを見ても、そこにマイナスや欠点や陰を見つけてしまう。
反対に、うれしい、楽しい、感謝、しあわせ、ありがとう、ツイてる、と言っている人は、どんなに困難で悲惨な状況でも、そこにプラスや美点や明るさを見つける。
「水がコップにこれしかない」と思うか、「水がこれだけ残っている」と思うかの違いだ。
『不幸や悲劇が存在しないかわり、幸せも存在しない。
出来事はすべて中立。
ただそれを「幸せのメガネ」で見るか、「不幸のメガネ」で見るか、だけ』
すべての出来事を「幸せのメガネ」で見ることができる人でありたい。
今年の桜前線は平年より早く、ここ福岡では満開から少しずつ葉桜へと移り変わっています。
今日は絶好の小春日和に誘われて、近くの植物園へジョグ。
園内では、舞い散る花びらの中で楽しそうにお弁当を広げる家族連れが多く見られました。
それぞれが思い思いの時間を過ごす、穏やかで素敵な日曜日。
残り少ない桜の季節を、最後まで楽しみたいと思います。
嫌いな人には、自分の中にある嫌な部分がある、という。
自分に似ている部分や、認めたくない部分、抑えている部分がある。
相手は、自分の鏡だからだ。
それは、自分が見たくない自分。
だからこそ、気になるし、憤(いきどお)るし、責めたくなる。
我々は、つい、「あの人のあれが問題だ」「あの態度を改めた方がいい」と、相手に原因を見つけようとする。
しかし、本当に大切なのは、「なぜ自分はそこまで反応してしまうのか」と、自分自身への問いかけだ。
同じような言動をしていても、まったく気にならない人もいれば、強く反応してしまう人もいる。
それは、自分の中の「抑圧された感情」だ。
「こうしてはいけない」と強く自分を律しているルール(例えば「常に周りに配慮すべき」「感情的になるべきではない」など)をあっさりと破っている人を見ると、人は強い怒りや嫌悪感を抱く。
強く反応してしまう相手は、実は「自分の中で禁止していることを平気でやっている人」であり、自分の内面を映し出す鏡になっている。
「許せない人」は、自分を成長させてくれる大切な磨き砂。