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9月, 2013の投稿を表示しています

思いやりとは

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ブログ「 人の心に灯をともす 」から 「 他人の痛みがわかる人 」(2013年9月30日) をご紹介します。 ◇ 山口主(つかさ)さん(71)は、56歳の時、低血糖症で意識を失いマンションの5階から転落した。 気が付くとベッドの上にいた。 一命は取り留めたが脊髄(せきずい)損傷で下半身まひの重度障害。 2年の入院生活を終え退院したが、車いすの生活になった。 AT車限定の自動車運転免許も取得し、健常者と変わらぬ生活を送っているが、時に心無い人の言葉に傷つくこともある。 スーパーで近くにいた買い物客に、棚の商品を取ってもらおうと頼んだ時のこと。 「なぜ一人で来るんだ。介助者を連れて来い」 と怒鳴られた。 もちろん、悪いことばかりではない。 買い物を済ませて自宅の集合住宅の駐車場まで戻って来た時のことだ。 車いすに乗り換え、ひざの上に大きな買い物袋を乗せてエレベーターに向かい始めた。 その時突然、5歳くらいの女の子が歩み寄って来て「おじちゃん押したげる」と言い、スロープを押してくれたのだ。 大人でも相当の力がいる。 幼い子供のこと、重かったろう。 「この時ほど車いすが軽やかに感じたことはありません」と山口さん。 スーパーに買い物に出掛けた時の話。 アルバイトの女子高生が、レジで声を掛けてくれた。 「雨が強くなってきましたよ。大変でしょう。ぬれますから送りますよ」と。 いつも一人で車を運転して来ていることを知っていてくれたのだ。 でも、ほかのお客さんが並んでいたので「ありがとう」とだけ言って遠慮した。 ずぶぬれになることを覚悟して車の所まで車いすを動かし始める。 ふと気付くと、体に雨が当たらない。 振り向くと見知らぬ人が、後ろから傘を差し掛けてくれていたのだ。 レジのところで見かけた50歳くらいの女性だった。 おそらく、レジの女子高校生との会話を聞いてくれたのだろう。 「ありがとうございます。奥さんの方こそぬれてしまいますよ」 山口さんに差し掛けるため、本人が傘からはみ出てしまっていた。 「子供叱るな来た道だもの、年寄り笑うな行く道だもの」(永六輔・大往生)より 多くの人は、自分がかつて子供や赤ちゃんだったことを忘れてしまう。 赤ちゃんの時は、食事から入浴、排泄まですべて親がやってくれた。 ...

大学のガバナンス改革

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現在、政府の 産業競争力会議(雇用・人材分科会) や、 中央教育審議会(大学分科会組織運営部会) において、「 大学のガバナンス 」に関する議論が行われています。 本件については、我が国では過去数十年にわたって、様々な場面で議論されてきた歴史がありますが、結局のところ、多様な利害関係者の相互作用によって得られた妥協によって、現実的な制度や体制が構築されてきたような気がします。 社会の常識に照らした、スピード感のある、そして実効性のある改革が実現することを、大学現場に生きる一人として心から望んでいます。 関連して、今回は、桜美林大学大学院・大学アドミニストレーション研究科教授の 山本眞一 氏が書かれた「 ガバナンス改革と教員力の活用 」( 文部科学教育通信 No324 2013.9.23 )をご紹介します。 ◇ 教授会をめぐる古い議論 大学の教育・研究の質保証は、従来の「外枠」改革に代わって2010年代の大学改革の中心課題となっているが、そのような時代の趨勢に抗するかのように、またそろガバナンス改革が中教審で論じられている。場所は、大学分科会の組織運営部会である。ここでは「大学のガバナンスの在り方に関し、専門的な調査審議を行う」とのことで、検討に際しての論点例として、学長のリーダーシップを確立するため補佐体制の充実や理事会・役員会の機能の見直し、監事による監査機能の見直しなど、今日的な課題が掲げられる一方で、予算や人事に関する学長の権限や、学長の選考方法、教授会の役割などやや「古典的」なことがらも検討課題となっている。 教授会の大学経営への関与問題については、過去数十年にわたって大学改革の「肝」と思えるほど頻繁に議論されてきた経緯があり、私が文部省に入った昭和47(1972)年当時においても、新構想大学である筑波大学をめぐって国会審議その他で論じられていた。創設当初の筑波大学においては、東京教育大学の移転問題のこじれの反省から、学部別教授会の機能を学群・学系・研究科等に再分化された組織に分け、かつ全学自治の考えにそって人事委員会や財務委員会など、部局の壁を超えた組織において重要事項の審議を行うように設計されていた。権限の分散と集中のバランスを考えた配慮だったのであろう。 縮小される教授会機能 その後もさまざまな議論が続き、たとえば...

やさしい心

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ブログ「 今日の言葉 」から 「 数えられないもの 」(2013年9月24日) を抜粋してご紹介します。 ◇ 赤いかさ 今、外に降る雨を見て、ふと思い出した出来事があります。 あれは、そう・・・、6月、梅雨空の続くある雨の日のことでした。 放課後、1人の子が、 「先生、木にかさが引っかかっています。」 と職員室へ呼びにきました。 行ってみると、木の枝の少し高いところに、 赤いかさが1本、開いたまま引っかかっています。 取ってみると、かさに1年生の女の子の名前が書いてありました。 「きっと、風でも吹いて引っかかったのだな。今頃困っているだろうな。」 「でも・・・、引っかかったのなら、職員室まで言いに来たらよかったのに。」 と思いながら、家の方に電話をしました。 その子はまだ帰っておらず、お家の方に事情を説明して、 明日返すから心配しないようにその子に伝えてほしいとお願いして電話を切りました。 すると、しばらくして、その女の子のお父さんから、学校に電話がかかってきたのです。 そして、 「実は、・・・。」 と言いながら、娘から聞いたことを話してくれました。 「かさが木に引っかかって取れなくなったんじゃなくて、 娘がわざとその木に引っかけてきたそうなのです。 私も驚いて、どうしてそんなことをしたのか聞くと、 娘が言うのには、その木はとても大切な木なんだそうです。 かわいい実がたくさんなる木なんだそうです。 実を採っていたら、突然雨が降り出して、 どうしようかと困ってしまったそうです。 そこで、持っていた自分のかさを思わずその木にかけて、 その大切な実に雨が当たらないようにして帰ってきたそうです。」 「いやー、本当にお騒がせな娘です。 困ってしまいますよ。 まあ、そういうわけでしたので、大変お騒がせしました。」 と言うお父さんの声は、どこかしら、少しうれしそうでした。 次の日に、赤いかさを取りに来た女の子の少しはずかしそうな顔を見ながら、 私の心も少し温かくなったことを、つい昨日の事の様に覚えています。 ...

足るを知る

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ブログ「 人の心に灯をともす 」から 「 言祝(ことほ)ぐ 」(2013年9月10日) を抜粋してご紹介します。 ◇ 文句や愚痴を言おうが、嘆(なげ)こうが叫ぼうが、事態は少しもよくはならない。 言えばいうほど、気持ちが滅入り、気分が悪くなるだけだ。 文句を言う人の心には、常に比較感がある。 まわりの誰かと比べてばかりいれば、どんなに幸せな人でも、不幸になる。 文句の反対が、言祝(ことほ)ぐこと。 どんな事態におちいっても、言祝ぐことができれば、そこから上昇することはあっても、落ちることはない。 「今ここ」を生きる人は、未来を憂えず、過去を悔(く)やまない。 文句という否定から入る人は、一瞬一瞬という今を生きていない。 言祝ぐということは、肯定すること。 「愛(め)でたい」は、「言祝ぎ」。 どんなときも、言祝ぐことができる人でありたい。 釈迦に説法 (新潮新書) 著者 : 玄侑宗久 新潮社 発売日 : 2004-04 ブクログでレビューを見る»

法人化10年目の節目に

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国立大学が法人化して、今年でちょうど10年目になります。この節目に法人化について考えてみることは大事なことだと思います。 「国立大学法人法コンメンタール《歴史編》第57回 国立大学法人法案の準備と国会審議《その⑰》」(文部科学教育通信 No321  2013.8.12) から、国立大学法人法案の閣議決定を受けて書かれた二つの新聞の社説を引用しご紹介します。 いずれの社説も、法人化に伴う大学関係者の意識改革を求めると同時に、大学の業績評価の仕組みに強い関心を示す内容になっています。現在の国立大学法人の状況に照らして考えてみることもいいのではないでしょうか。 国立大法人化自主運営は結果への責任を伴う(読売新聞) 今後の国立大学のあるべき姿がまとまった。 国立大学法人化に向けた一括法案が閣議決定され、国会に提出された。成立すれば来年4月から、すべての国立大学が、文部科学省の組織から離れ、それぞれ独立した法人になる。 国の規制は大幅に緩和され、大学は自らの責任で予算を決あ、運営できるようになる。大学運営や学長選出には、学外者も関与する。 国の保護と規制の下にあった護送船団方式から、大学の責任と競争重視への方向転換である。戦後の新制大学発足以来の改革となる。 各大学は明確な将来像を打ち出し、教育、研究などの活性化を図らねばならない。改革に失敗すると、国の運営費交付金の大幅な削減もあり得る。 国立大学の法人化は元々、国家公務員の定数削減のために求められた。だが文科省の調査検討会議などの論議で、法人化は、教育、研究の体制にも及ぶ、大学改革の契機としてとらえられた。 法人化に対しては、『全国一律』の保護を失う地方国立大学などから強い反対があった。だが、社会の賛同を得るものとはならなかった。 国立大学には自己改革の意欲に乏しいところがあった。意思形成の過程も不明確で、多くの教員は狭い研究分野に閉じこもり、社会貢献意識も希薄だった。 法人化反対論に、地方自治体などの反応が鈍かったのは、そうした大学の状況に対する批判の表れとも言える。大学関係者はそのことを心せねばならない。 変化の兆しは既に見え始めている。学外から学長を招いたり、研究に地域貢献や産官学連携の視点を取り入れたりする試みが見られるようになった。 法人化...

社会的責任を果たすためには

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桜美林大学大学院・大学アドミニストレーション研究科教授の 山本眞一 さんが書かれた「 大学経営人材に期待されるもの 」( 文部科学教育通信 No.32 2013.8.12 )から、気になった部分を抜粋してご紹介します。 いよいよ役・教・職の協働が必要に さて、以上の発表を含む今回のような研究会が開催されるゆえんは、大学のマネジメントが、ガバナンスのための制度枠組みだけではなく、これを担う人材、すなわち私が言う「大学経営人材」の質やその質の確保のための人材養成と深く関わり合いを持っているからである。大学は企業や官庁とは異なり、さまざまな専門分野の教育・研究に当たる教員を数多く抱える組織体である。また、大学は営利を目的とする企業や、法令に基づく事務を取り扱う官庁とは違って、学術研究とその応用を手段として社会に貢献することが使命であり、行動基準の多くは学問そのものから出てくるという点で、極めて複雑・多様である。大学を経営しようとする者は、この大学という組織の特性を良く理解した上でなければ、その任務を十分に果たすことができない。 とはいえ、大学は孤高の存在ではなく、社会によって支えられた一つの制度として動いているから、社会の他の成員の支持がなければ、その役割は果たせない。つまり、教育・研究・社会貢献という機能を活用することによって、社会に対して責任を持たなければならない。とりわけ、近年のように大学と社会との関係が緊密になっている中では、社会の他の部分とどのように協力をし、また折り合いをつけていくかということは非常に重要なポイントである。その意味で、民間的発想を大学経営に取り入れるとか、法令遵守を徹底するとかいうことも、それが大学の本質を壊さない限りにおいては、十二分に考慮しなければならないだろう。 現実はどうかと言えば、これまでのように大学を巡る環境が、政治的にも経済的にも安定的で、かつ学生数を十分に確保できていた時代においては、大学は経営するものではなく、管理・運営ができさえすればそれで良かった。したがって、学長とそれを支える事務局、そして教員の利益を代表する評議会や教授会の意見のそれぞれをうまく調整できれば、少なくとも外見上は十分に通用するものであった。教授会自治は大学運営にとって極めて深刻な障害である、と文句を言う学長もいたが、前例踏襲と漸...