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社会から支持される大学であるためには(2)

さて、文部科学省は、現在、国立大学に文系学部の改組や廃止を求めた通知に対する反発の強まりを受け、火消しに追われています。 去る9月11日には、下村文部科学大臣が記者会見で、人文社会科学系については廃止ではなく見直しを求めたものだったとして「誤解を与える表現だった」と釈明。 また、9月18日には、日本学術会議の幹事会で、文部科学省の高等教育局長が「通知は大学の変革を促すのが目的で、人文社会科学系の学問を軽視しているわけではない」などと説明を行っています。( 幹事会説明資料|資料3「新時代を見据えた国立大学改革」 ) 国立大学の人文社会系については、従前から、ガバナンスの在り方など様々な問題が指摘されてきたところであり、文部科学省の考え方にも一理あるのは確かですし、「国立大の人文社会系学部は、学生や社会の側に立って授業の魅力を十分説明できていない面もある。また、分野によって専門知識の習得や社会問題への関心の喚起が乏しいなどそれぞれ課題があり、カリキュラムの偏りを正す工夫の余地がある。財政事情が苦しい中、投資に見合った人材育成を求める国の考えにもそれなりの背景はある。ただ、教員が減るなどして結果的に人文社会系分野の研究が衰退するとすれば問題だ。これ以上国に改革の口実を与えないよう、大学院などで研究機能を維持しつつ、教育では組織や内容を工夫するなどバランスの取れた改革が必要だ」(本田由紀・東京大大学院教授(教育社会学))( 2015年9月22日朝日新聞 )といった意見にも素直に耳を傾ける必要があるでしょう。 また、京都造形芸術大学の寺脇さん(元文部科学官僚)が「結局今回の騒動の責任がだれにあるのかうやむやで終わらせようとしている。そもそも今回の大学の組織見直しの問題も国立大だけではなく私立も含めた大学全体の問題としてとらえるべきで拙速感は否めない」( 2015年9月26日毎日新聞 )と語っているように、このたびの混乱について、文部科学省は、自らの責任をうやむやにしない真摯な対応が求められます。 関連して、「 文教ニュース 」(平成27年9月7日号)という文部科学省関係の業界誌に掲載された、 国立大学法人支援課長の寄稿 (全文)をご紹介します。 批判に対する火消しの効果をねらったのか、あるいは、大学関係者の理解を得るための説明責任を果たすための行動...

社会から支持される大学であるためには(1)

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下村文部科学大臣が、新国立競技場の整備計画が白紙撤回されるに至った一連の混乱の責任を取り、9月25日に辞任を表明しました。しかし、安倍首相から慰留を受け、10月の内閣改造までは続投するようです。まさに「10月改造を事実上の引責とし、誰も深手を負わない茶番劇」(報道)です。 計画の白紙撤回により、多くの時間と税金の無駄を生み、あげくには国際的な信用を失墜した責任は極めて重大であるにも関わらず、遅きに失した今回の無責任な対応は、納得のできるものではありません。 さて、その下村大臣がこれまで力を入れてきた政策の一つが「 国立大学改革 」でした。 文部科学省が、国立大学の第三期中期目標・中期計画の策定に当たって、全国立大学に対し留意を求めるため6月に発出した「 国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて 」と題する通知を巡って、大きな論争が巻き起こりました。 問題となったのは、この通知の中に書かれた 組織の見直し に関わる記述『「ミッションの再定義」で明らかにされた各大学の強み・特色・社会的役割を踏まえた速やかな組織改革に努めることとする。 特に、 教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、18歳人口の減少や人材需要、教育研究水準の確保、国立大学としての役割等を踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めることとする』 の後段(太字)部分です。 一部の国立大学ではこれに即応する形で、教員養成学部(新課程)を廃止し新学部を構想、あるいは、人文社会系学部の見直しを行うなど、教育組織の再編を進めています。 例えば文部科学省は、次のような資料を公表しています。 より詳細にお知りになりたい方は、「 平成28年度 国立大学の入学定員について(予定) 」(文部科学省ホームページ)をご覧ください。平成28年度開設予定の学部等の内容(財務省への概算要求ベース)が記載されてあります。 なお、余談ですが、上記通知文の前段に書かれてある「 「ミッションの再定義」で明らかにされた各大学の強み・特色・社会的役割を踏まえた速やかな組織改革に努めることとする 」についても大きな問題をはらんでいると個人的には考えています。 文部科学省の「 国立大学改革プラン 」に基づき策定され...

政治の貧困と政治家の気概(2)

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このたびの安全保障関連法案の委員会採決(参議院)をご覧になりましたか。情けない、あきれてものが言えない醜態でした。これが国権の最高機関のあるべき姿でしょうか。一国民として、とてもこの国の未来を託す子どもたちに説明できるものではありません。 国会議員の資質の劣化については、これまでも幾たびも指摘されてきましたし、国民の政治離れの大きな要因の一つにもなっています。 今回もそうでした。次の三つの記事(抜粋引用)は、当を得ていると私は思います。(全文をお読みになりたい方は、各見出しをクリックしてください。) 政治家の劣化と政治権力の空洞化|2015年7月20日 YamaguchiJiro.com 今、 安保法制と並んでいくつかの重要な政策決定が行われようとしている。それらに共通しているのは、かつて丸山真男が日本の戦争に至る政策決定を分析する中で析出した「無責任の体系」である。丸山によれば、日本における無責任な政策決定には次のような特徴がある。 第一に、現実を直視せず、希望的観測で現実を認識したような自己欺瞞に陥る。第二に、既成事実への屈服。事ここに至っては後戻りできないと諦め、誤った政策をずるずると続ける。第三に、権限への逃避。 誤った政策が事態を悪化させることを認識しても、自分にはそれを是正する力はないと、自分の立場、役割を限定したうえでそこに閉じこもり、政策決定の議論 から逃避する。こうした特徴を持つ無責任な政策決定によって、日本は70年前、敗戦という破局にいたった。 それから70年、最近の重要な政策決定を見るにつけ、政治家、官僚というエリートの無責任体質は変わっていないと痛感する。その悪しき意味での持続性には、驚嘆、嘆息するしかない。 安保法制について言うべきことは多いが、ここでは一点だけ批判しておく。自衛隊の海外における他国軍への後方支援活動は安全だと政府は 言い張る。しかし、野党や多くの識者が指摘しているように、後方支援は武器、弾薬、燃料等の補給活動、すなわち兵站である。兵站は戦闘そのものである。これを安全な後方支援と名付けるのは日本政府の勝手ではあるが、国際的に通用する論理ではない。日本の同盟国と戦っている敵国は遠慮なしに自衛隊を攻撃するに違いない。集団的自衛権を行使して戦闘に参加するならば、最初からその本質を自衛隊員と国...

政治の貧困と政治家の気概(1)

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過去最長の95日間の延長幅をとった第189通常国会は、本日(9月27日)閉会しました。去る9月19日未明には、この国の形を決める重要なことがありました。安全保障関連法案の可決・成立です。皆さんはどのように受け止めておられますか。 国の将来を決める極めて重要な法律でしたが、その成立過程は混乱の連続でした。成立後、安倍首相は「将来の子供たちに平和な日本を引き渡すために必要な法的基盤が整備された」と語っています。 果たしてそうでしょうか。私にはそうは思えません。70年もの間、憲法の下で平和を堅持してきたこの国を容易に戦争ができる国にし、未来ある子ども達を戦争に巻き込み、戦闘や殺戮を繰り返す大きなリスクを背負わせることにしたのではないでしょうか。そして、野党民主党の岡田代表が語ったように「憲法の平和主義、立憲主義、民主主義に大きな傷跡を残した」のではないでしょうか。 安倍政権は、これまで、着々と憲法を空洞化させる行動を進めてきました。日本版NSC、特定秘密保護法、防衛装備移転三原則、そして仕上げは今回の安保関連法です。 今回の法律の成立過程では、様々な問題が指摘されてきました。特に、憲法違反の法律を与党政府が数の力で押し切った(憲法違反を国会が堂々とやってのけた)こと、憲法解釈を変えて戦争をやれるようにした(政権交代があるたびに、解釈がどんどん変わってしまうことになる)ことなど。そして、このような問題が、ほとんど議論されずに法律が成立してしまったこと。もはや、立法も司法も行政のために死滅してしまったのではないかと残念でなりません。 最近、驚愕のニュースが飛び込んできました。 防衛省が始めた軍事技術研究資金の公募で、なんと 東京工業大学(国立)など計9件が採択された とのこと。報道では、研究予算不足を背景に防衛省研究への関心が高まっているとのことでしたが、先の戦争への反省が消し去られ、歯止めが利かない恐ろしい国へ変質しつつあるように思えてなりません。 さて、安全保障関連法の成立過程で報道された様々な記事のうち、自分の心に留め置きたいと考えた記事をいくつか抜粋してご紹介します。(全文をお読みになりたい方は、各見出しをクリックしてください) 沖縄戦 7歳一人ぼっち 戦災孤児の戦後70年|2015年5月18日 沖縄タイムス 今、日...

難民問題で浮き彫りになった日本の閉鎖性

報道によれば、去る9月10日(木曜日)にISIL(アイスィル)(いわゆる「イスラム国」)の機関誌において、日本の「在外公館」への攻撃呼びかけがなされたことを受け、翌11日(金曜日)の内閣官房長官記者会見において、当該機関誌で言及されたインドネシア、マレーシア、ボスニア・ヘルツェゴビナの3か国を含む全ての在外公館に警備の強化を指示するとともに、在留邦人に対しても注意喚起を行っている旨の発言が行われています。 また、既に外務省は、海外の全ての大使や総領事に対し、現地の情報機関や警備当局と連携を密にし、情報収集に当たることなどを指示する訓令を出すとともに、特に攻撃の対象として挙げられた3か国の大使には、現地に住む日本人や日本人学校と連絡を取り、安全確保に万全を期すよう指示したということです。 大学関係では、11日(金曜日)に、文部科学省高等教育局学生・留学生課留学生交流室から、各国公私立大学、各国公私立高等専門学校宛にメールが配信され、各大学等においては、危険情報が発出されていない地域等であっても、学生等が引き続き海外に滞在又は新たに派遣される場合は、報道及び渡航先最寄りの日本国大使館又は総領事館から最新の情報を入手するとともに、 外務省が実施している渡航登録サービス(たびレジ、在留届け) への登録を学生等に周知徹底するなど、学生等の安全の確保に十分御配慮するよう注意喚起が行われています。 近時、大学のグローバル化が強力に推進される一方で、このようなリスク管理が益々重要になってきています。 さて、現時点では大学に直接に関係するものではありませんが、我が国のグローバル化の進展に関わって、気になる記事がありました。 最近、シリアやハンガリーなどからヨーロッパへ大挙して流入する難民問題が大きく報道されています。もとより一部地域の問題ではなく、世界的に解決しなければならない大きな課題の一つですが、記事によれば、我が日本は、非常に微妙な立ち位置にあるようです。 自分のこととしてよく考えたいものです。抜粋してご紹介します。(全文は、 こちら「難民問題が浮き彫りにする諸矛盾:グローバルな負のインパクトの連鎖反応」 ) 日本にとっての難民問題 (下線は拙者) 難民問題はグローバルな国際秩序の負の側面を象徴しており、各国間での協力が欠...